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第二羽 異層空間


「どうしましょう、麻夜さん」
 数騎はアルカナムが出ていった扉を見つめながら聞く。
「どうしましょうって、『呪餓塵』を探し出すしかないでしょ」
 麻夜もやはり、数騎に目線を向けず、扉を見つめながら答えた。
「探し出すしかないでしょって、探し出すのは僕なんですよ」
「テメェのケツはテメェで拭けって言うじゃない、当然でしょ」
「そりゃ、そうですけど……わかりました。自分の責任ですからね」
 そうきっぱり言うと、数騎はアルカナムの出ていった扉、探偵事務書の出口へと向かう。
「どこ行く気、ワトソン?」
「決まってるでしょ、『呪餓塵』を持ってるグールを見つけだすんですよ」
「やめといた方がいいんじゃないの?」
「何でですか」
 数騎は振りかえって麻夜の方を向く。
 麻夜は片目をつぶり、腕を組んでいかにも博識のように口を開く。
「異層空間は知ってるわね」
「………………」
 しばし考え思い出す。
 異層空間、それは魔術師や魔道師と呼ばれる者たちなら誰にでも扱える簡易的な魔術結界のことだ。
「知ってます、麻夜さんに一度説明されましたから。それがどうしたって言うんですか?」
「わかってないみたいだからもう一度説明するけど私のような異能者にとって異能は確かに優れた武器だけど、近代兵器はそれを凌駕することもよくあるわ。そして、科学的な力を忌避し、魔術的な力だけの存在を許容する世界を鏡の向こう側に作り出す空間が異層空間」
「で、異能者は異能を行使できて拳銃をはじめとする化学兵器の使用だけを禁じる空間で戦うから異能者は圧倒的な力を発揮できる。それが異層空間によって作り出される鏡内界、ですよね?」
「ほぅ、覚えてたんだ?」
「当然ですよ、そのくらいのことはちゃんと」
「えらいじゃん、ワトソンもたまにはやるのね。そうよ、異層空間は本来なら存在しない鏡の向こうの世界を作り出す技術よ。それで、何で鏡内界では化学兵器が使えないか覚えてる?」
「えっと……なんででしたっけ?」
「人間が異層空間の中に入るには肉体を一時的に消滅させて、星幽体(アストラル)に再構築しなくてはならない。だから霊的な存在を中心に動いている鏡内界では科学兵器は使用でできないのよ」
「じゃあ、鏡内界に存在するものって、全部アストラルなんですか?」
「そうね、だから鏡内界は星幽界って呼ばれることもあるわ、もっと捻ってほしいとこだけど」
「なるほど、承知しました」
「で、話は戻るけど、昼間にグール探しするのは止めたほうがいいわ」
「それって、今の異層空間の話と何か関係あるんですか?」
「あるわよ、ちょっと話がズレたけどね。ワトソン、聞くけど異層空間は魔術師とか魔道師とか呼ばれる異能者なら誰でも展開できる結界よね?」
「ですね」
「で、質問よ。あんた異層空間展開できるの?」
「…………………あっ!」
「そう、鏡内界へと通じる扉を繋ぐ異層空間は異能者にしか展開できないわ。で、あなたが異能者たちの土俵にあがるには相手が異層空間を展開してくれている必要がある。でも相手が異層空間を展開してくれなければ?」
「鏡内界に、侵入は無理ですね」
「そうよ、それに町を歩かせているって言っても狂気に陥っていない魔術師なら鏡内界以外でグールを歩き回らせるなんてするはずもない。なら通常空間を探すのは無意味よ」
「じゃあ、どうしろって言うんですか?」
 突っかかるように言う数騎。
 当然だ、自分の命がかかっているのだ、焦って当然。
 それに対し、麻夜は一呼吸おいてから口を開いた。
「夜にグールと出くわした辺りを歩きまわるのよ」
「その心は?」
 数騎の問いに、麻夜は自信ありげに答えた。
「さすがに死霊術師もバカじゃない。何らかの目的があってグールに夜の町を歩かせてるんでしょうけど、人目の多い昼間を選ぶとは考えられないわ。なら行動時間は夜。そう考えるのが打倒ね」
「でも、もしかしたら昼間も異層空間を展開してるかもしれませんよ」
「可能性は否定しないわ。でもね、そうやって昼間も探すのは誉められないわよ。まず第一に昼間は発見確率が低い。加えて、夜は仕方ないとして、昼間も行動をおこすとなると死霊術師に存在を嗅ぎつけられる可能性が高くなるわ。
 一応、持ち駒のグールを消されてあなたの存在には気付いてるんでしょうけど、それはあくまで『グールを狩る何者かがいる』程度の認識。『グールを狩る、デュラミア・ザーグ』としてワトソンが顔まで認識されるのとはワケが違うわ。敵に情報を与えるな、これは鉄則よ」
「……承知しました」
 しょぼくれ、数騎は事務書の固そうな床に視線を移す。
 典型的な失望の表情を顔には浮かべていた。
 そんな数騎に活力を注ぎ込むべく、麻夜は小さくため息をつき、
「ワトソン、そろそろ二時よ」
 時計を見るように指示した。
 その言葉に従い、数騎は顔を上げ時計を見上げる。
 時計はぴったり午前一時五十分を指していた。
「アルカナムのせいで昼食遅れちゃったわね」
「そうですね」
「ワトソン、悪いんだけど冷蔵庫の中に食材がほとんど残ってないわ。ちょっと見てきてくれない?」
 直訳、ありあわせの物で何か作れるか見て来い。
 暗黙の了解を受け入れ、数騎は事務所の冷蔵庫に向かう。
 がらんどうというのはまさにこの事か。
 冷蔵庫にはろくに物が入っていなかった。
 いや、改めて確かめるまでもなく理解はしていた。
 冷蔵庫の管理はもっぱら数騎の仕事だ。
 そしてその中身も当然ながら確認している。
 故に現在の材料で上司との会話で心労をしょいこんでいる、もとい、ちょっと手の込んだ昼食が食べたいと考えているであろう麻夜を満足させることは不可能。
 それでも冷蔵庫の中身を見るのは確認のため。
 何の確認かと言えば、何を買えば残り物を効率よく減らせるか。
 冷蔵庫の中には豆腐が二丁。
 この間、買っておいた二丁で六十八円の特売品だ。
 見ると賞味期限まであと二日。
 余裕ではあるが使っておいて損はない。
 数騎は冷蔵庫の扉を閉めると麻夜のいる部屋に戻る。
「麻夜さん、ちょっと材料が足りません。買出し行ってきます」
「特売品は?」
「タイムサービスの九十九円Lサイズの卵限定百個、一家族一点限りがジャスト一時からです」
「じゃあワトソン、ついでに適当に緑茶でも買ってきて」
「まだ買い置きありますけど、またお客さんでも来るんですか?」
「いや、私が飲みたくなっただけ。はい、財布」
 言って麻夜は数騎に向かって財布を投げつける。
 数騎は空中で受け取り、財布をポケットにしまい込みながら事務所の入口に向かった。
「緑茶以外にいるものはありますか?」
「ないわ、ワトソンが入り用だと思った物は買っておいて」
「了解しました」
 そう答え、数騎は事務所から外に出た。
 この探偵事務所は貸しビルの四階にある。
 エレベーターを使うことも出来たが、別にこの程度の階段なら疲れる事も無い。
 コンクリートで囲まれた階段という空間を、数騎は一段一段降りていき、外に出た。
 商店街の道路はあいもかわらず車が行き交い、人々は列をなすかのごとく歩いている。
 きっと人々は自らの目的にそって道を歩き、その日を過ごしていくのだろう。
 自分もその一人だ。
 数騎は口笛を吹きながら目的のスーパーに向かって歩きはじめる。
 とにかく呪餓塵という魔剣の存在のせいで気が急いていた。
 自分を落ちつかせるため、今の自分が出来ることを高速で模索する。
 とりあえず、今は日常生活を普通に送ることに専念することにした。
 下手に動いても事態は好転しない、なら万全の状態で夜まで待機するのがベストだからだ。
 と、風が吹き数騎は小さく身震いをした。
 六月といえば多少肌寒くもあるものの十分にTシャツで過ごせる気候だ。
 黒いTシャツに黒の長ズボンという黒ずくめの数騎は、晴れ渡った空を見ながら目的のスーパーに向かって歩き、五分ほどで目的地に到着した。
「ふむ、今日は千円以上買うとオマケで食パン一斤か天然水のペットボトル二リットルがついてくるのか」
 中に入り、数騎は店の壁に張りつけられた紙を音読する。
 奥行きがあまりあるわけではない、こぢんまりとしたスーパー。
 十時から開店するスーパーは数騎にとって最寄の店だ。
 値段は安いし、たいていの物はここで揃う。
 数騎は商品を見まわしながらスーパーに足を踏み入れた。
 家政婦じみたことをさせられている数騎はもっぱら事務所の家事を任されている。
 掃除、洗濯、料理は数騎の仕事だ。
 一応月給三万円は支払ってくれるし家賃、食費、その他もろもろは全て出していただいている。
 中卒で家出少年の数騎は行くあてもないため麻夜の世話になってはいるが、正直これからどうしようかと思い悩んでいる。
 だってそうだ。
 とくにやりたいこともなく、家事をしながら好きな本を読みふけり、夜には魔術結社の一員(デュラミア・ザーグ)として働く。
 正直安定していない現状だ。
 いつまでも、おんぶにだっこでいるわけにもいかないし、そろそろちゃんとした仕事を見つけないと。
 そう考えながらも、頭の片隅では晩飯の献立を考えながら数騎は並べられている食品を見渡し、必要そうなものをカゴに放りこむ。
「そうだな、豆腐も余ってることだし今晩は麻婆豆腐でも作るか」
 棚から『サルでも作れる簡単麻婆豆腐の素』を一箱とって買い物カゴに加えると、会計をすませるためにレジに向かった。
 会計をすませると、数騎はその足で事務所には戻らず、遠回りして公園へとむかっていた。
 市民体育館が横に存在する大きな公園。
 そこのベンチに腰を降ろし、数騎は大きく息をつく。
 そこは数騎にとって、数少ない安らぎの地であった。
 スーパーで買ったミルクティのプルタブを開けて空を見上げる。
 この一時が自分にとって安らぎの時間だ。
 責務に終われる事も無く、焦燥に駆られる事もない。
 数分間、ミルクティを楽しみながら時間が流れるに任せる。
 実は、数騎はただ時間を浪費しているのではなく、誰かを待っていた。
 あと五分して現れなければ去るつもりだが、
「あ、数騎さん。いらしてたんですね」
 予想通り来てくれたんで思わず顔がほころんでしまう。
「おはよう、神楽さん」
「おはようございます、数騎さん」
 そう言って丁寧に頭を下げてくるのは桐里神楽という名の着物に身を包んだ女性だった。
 腰まで届く長く柔らかそうな茶の混じった黒髪に、黒曜石のようで、でも少し青みがかった黒い瞳。
 身長はそれほど高くなく数騎より頭半個分下といった程度。
 神楽は丘の上の洋館で女中さんをしているという。
 どうやら着ている着物はその屋敷の押し着せらしい。
 ちなみに年齢は十八らしく、数騎よりも三つ年上だ。
「隣、いいですか?」
 聞いてくる神楽。
 数騎は微笑みを浮かべながら手で隣に座るように促す。
「それでは、失礼いたしますね」
 神楽は嬉しそうに笑みを浮かべながらベンチに腰をかける。
 と、揺れる神楽の髪の毛からほのかにシャンプーの匂いが漂った。
「ところで数騎さん、探偵事務所の方はどうですか? 何か難しい事件でも?」
「いや、こっちは特に。そう言う神楽さんの方は?」
「うちのご主人様も特に大きな仕事は入っていないそうです」
 神楽が住み込みで働いている丘の上に立っている洋館の主人は輸入企業の社長なのだそうだ。
 ちなみに、数騎はこの町に来たその数日後に神楽に出会い、彼女に助けられた経験があった。
 ホームレス紛いの生活をしている数騎にとって、見ず知らずの風浪者に手を差し伸べてくれた神楽は、まるで天使のような存在であった。
 それから、数騎は神楽に妙になついてしまい、今ではこのように時々会って話しをするようになった。
 当初、数騎は見栄を張って喫茶店でお茶をしようと口にしたが、数騎の経済状況を知り尽くしている神楽は公園で缶の紅茶を飲む方が好きだといい、数騎の財布の負担を助けているため二人はよく公園でお茶をする。
 が、お代は野郎が負担するものだという数騎の考えから、缶の紅茶はいつも数騎の持参である。
「あ、そうだ。今日は何を飲みます? ストレートとミルクとレモンがありますけど。まだ全部温かいですよ」
「そうですね、それじゃあレモンティをいただけますか?」
「喜んで」
 言って数騎はビニール袋の中からレモンティの缶を取り出し、神楽に手渡す。
 神楽は礼を言ってレモンティを受け取ると、ゆっくりと飲み始めた。
「それにしても、神楽さんも大変ですよね、女中さんなんて。こっちなんて家出して行くあても無いから探偵事務所に転がりこんでるだけだって言うのに」
「そんなことないですよ、私だって引きとってもらって行くあてもないから働かせていただいてるだけですし」
 聞いた話によると神楽は両親が早く死んでしまい、幼い内に屋敷に引取られ、子供のころから奉公しているそうだ。
「神楽さんは苦労してるってのに、僕は親から逃げてきただけなんだよなぁ」
 数騎は自分の境遇に呆れながら、から笑いする。
「ほんと、神楽さんはすごいよ」
「そんなことありません、数騎さんの方がすごいですよ。今の居場所も生活も捨ててしまえるなんて。私には怖くて真似できません」
「そうかな?」
 そう言うと数騎は空を見上げてしばらく黙り込んでしまう。
 その様子を見て、触れてはいけない事だったかなと思い、神楽は話題を変えることにした。
「そう言えば数騎さん、知ってますか?」
「何を?」
「連続猟奇殺人の話ですよ」
 連続猟奇殺人。
 若い女性ばかり襲う連続殺人鬼。
 長物を振りまわして夜な夜な女性のみを斬殺する通り魔だ。
 今、この町を騒がせている最大の事件と言えば間違いなくこれである。
 もっとも、こっちにとっては例の死霊術士の件、それと何より呪牙塵のことが一番ではあったが。
 もちろん、そんな事を神楽に言うわけにもいかないので(神楽さんは裏の世界を知らない一般人なのだ)数騎は変な事を言わず、神楽に話をあわせることにした。
「聞いた話じゃ、もう二人も殺されたんですよね」
「そうなんです、もう危なっかしくて夜は出歩けませんよ」
「そうですね」
 相づちを打ちながら思い浮かべる。
 深夜、人気の無い街角に徘徊する日本刀のような曲刀か、西洋の直剣かは知らないが、とにかく刃渡りの長い刃物を振りまわし二人の女性を襲った殺人鬼。
 同一犯と決まったわけではないが、現場の捜査によると同一犯による可能性が高いらしい。
 どうやら一般に公表されてない何らかの事柄が共通していたからだそうだ。
 模倣犯の線は低いらしい。
「物騒な世の中ですね、神楽さん」
「そうですね、ですから数騎さん。夜は危ないから出歩いちゃダメですよ」
 そう言いながら、めっ、と言わんばかりに右手の人差し指をつきつけてくる神楽。
と、数騎はその時になってようやく気付いた事柄があった。
「神楽さん、その右腕どうしたの?」
 つきつける人差し指の先にある右腕、そこにはケガでもしたのか白い包帯が巻きつけられていた。
「え、これですか?」
 神楽は右腕の包帯を視界にいれた。
「実はですね、二日前に花瓶を割ってしまいまして、その時に飛び散った破片で切ってしまったんですよ」
「気をつけてくださいよ、それにしても腕を切るなんて珍しいもんだ。普通は刺さる程度ですみませんか?」
「飛び散った時に袖の中に入りこんで、慌てて外に出そうとしたら間違えて切っちゃったんですよ、ブッスリと。けっこう深いんですけど、見ます?」
 言って包帯をほどこうと左手を包帯に添える。
 いや、たまにいるのだ。
 自分の傷(主に完治したひどいケガ)を人に見せ付けたがる人間というのが。
 数騎の昔の友人で不良の男もそんなやつだった。
 正直、盲腸の傷を人に見せるのはセクハラなのではないだろうか。
「いや、見なくていいです」
「そうですか……」
 神楽は傷を見せる事が出来なかったので残念そうにうつむいてしまった。
 その、わずかに落ちこんだかわいい顔を見て数騎は、
「話しは戻りますけど。神楽さんだって若い女性なんだから気をつけてくださいよ。危ないヤツってのは何も暗くなってから現れるって決まったわけじゃないんですからね」
 と微笑みを浮かべる。
「ええ、確かにそうですね」
 顔を上げ、答える神楽は自分の事を心配する人間がいてくれたからか、ほんとうに嬉しそうだ。
 その後、二人はとりとめもない話をしてから別れた。
 帰り道、数騎は神楽と話し込んでいたことで呪牙塵のせいで気が焦っていた事を忘れていたのに気づき、頬を弛ませながら事務所へと帰っていった。






 天から下界を見下ろす月が、太陽から受けたその光を地上に降り注いでいる時刻。
 と言っては、わけがわからないであろう。
 月は一日中光を地上に放っている。
 日中は太陽の光が強いため、月の光が目立たないだけだ。
 その証拠に夕方には月を見る事だってできる。
 と、言うことでわかりやすく言ってしまえば今の時刻は午後十時十分前。
 麻夜と数騎はソファに座り、向かい合いながらお茶を飲んでいた。
 麻夜の服装はゆったりとした白のキャミソールに黒のスパッツ。
 数騎はといえば先ほどから変わらぬ全身黒ずくめだ。
「じゃあそろそろ行ってきます、麻夜さん。異層空間も展開してる頃だと思いますし」
「うん、気をつけてね」
 その言葉を聞き届けると、数騎はソファから腰をあげ事務所の扉に向かって歩き出す。
 そんな数騎に麻夜が声をかけた。
「ワトソン、これ」
「はい?」
 振りかえる数騎。
 その顔面に飛来したのは新聞紙だ。
 数騎は驚きながらもその新聞紙を空中で受け取る。
「何ですか、麻夜さん?」
「その一面見てみなさい」
 その言葉に従い数騎は新聞の一面に目を通す。

 連続猟奇殺人、これで三日連続!
 美坂町に舞い降りた斬殺鬼。
 最初の被害者は岡田真美さん(二十七)、次の被害者は大森杏さん(十八)、そして今回の被害者は斉藤昌子さん(二十四)。
 いずれも若い女性ばかりを狙った殺人で、殺害現場はいずれも人気のない路地裏。
 全ての遺体に共通している刃物で斬殺されたということから犯人は同一の者と考えられている。

 ざっと抜粋して読むとこんなところだ。
「一名増えてるし……」
 数騎は小さくため息をつくと新聞を事務所の机に放った。
「まだ捕まってないんですか、この殺人鬼。警察は何してんですかね、欠伸でもしてたんですか?」
「欠伸どころか、今日も被害者を出されて警察はぴりぴりしてるよ。死体が四肢の内の必ずどこか一ヶ所は切断されてるってことから刀身の長い刃物って考えられてるけど」
「なんで麻夜さん、そんなこと知ってるんですか? 新聞でもニュースでもまだそんな事話してませんよ」
「う〜んとね、知り合いの警官から聞いたの。守秘義務ってのがあるみたいだけど、私に言い寄ろうとする男ってのはどんなことを曝け出しても私の御機嫌とりたいみたいだからね」
 あらためて思うが、やはり麻夜は美人だ。
 そして底無しに腹黒い。
 自分はこういう女には引っかからないように心掛けよう。
「腐っても探偵ってわけですね」
「副業だけどね。とりあえずワトソン、こういう危ないヤツも歩きまわってるんだから、注意してグールを探しなさいよ」
「わかってますよ、麻夜さん。じゃあ行ってきます」
 そう残し、数騎は扉を開けて事務所を出ていく。
 事務所に残った麻夜は月夜を見上げ、災いが数騎の身に降りかからないよう祈った。






 午後十時などという時間はそれほど人のいない時間というわけではない。
 ちょっと如何わしい商店、そうまでいかなくてもカラオケやゲームセンターのあるところなら十分に人気がある。
 隠匿を基本とする裏世界の住人はそのようなところで行動はしない。
 するなら都会の死角である路地裏、もしくは誰も進入することのない建築物の中、はたまたビルの屋上などが妥当だろう。
 それを知っているため、数騎は建物と建物の狭い隙間にその痩躯を突っ込ませ、路地裏へと侵入していく。
 明るい町並みとは裏腹に路地裏は魔窟と言える。
 とても若い女性や善良な市民が馴染めるところではない。
 見つかれば警察の世話になるような薬をやっているような連中が、その薬代欲しさに誰かを恐喝している光景なんてザラに見ることができる。
 だが数騎の目的はそれではない。
 数騎が探しているのは死霊術師、もしくはその死霊術師が使役する『呪餓塵』を所有しているグールだ。
 このように数騎が夜の町を歩き回る理由はパトロールのためでもある。
 一般の人間たちに知られてはならない裏の事柄を表に出さないための行動だ。
 もっとも数騎は夜の散歩が趣味なので別段、このような事情がなくても夜の町を歩く。
 その上、魔術結社には義理しかないのでわざわざ一般の人間のために危険を犯す気はさらさらない。
 昨日、遭遇したグールはその時に偶然出くわし襲われたから返り討ちにしたというだけのことである。
 昔の自分ならあんな化け物に出会ったらすくみ上がって動けないところを殺されているだろうが、四月にあれ以上の物を見ているため、少しばかり肝が据わってしまったらしい。
「さて、ちょっと歩いたくらいでいるとは思わないけど……」
 こぼしながら首を巡らす。
 薄汚れた家々の壁や窓しかそこでは見ることが出来ない。
 怪しい姿どころか人の姿すら皆無だ。
 数騎はため息をつきながら両手をポケットに突っ込み、隠し持っている折りたたみ式で鎖に繋がれた銀のナイフに左手で、もう一つの黒いナイフに右手で触れる。
 自分の体温が移っているのか金属の柄はやけに生暖かい。
 このナイフはこの町に来てホームレスをやっている時、ある魔術師からもらいうけたものだ。
 黒い折りたたみナイフは暗黒騎士(ドゥンケル・リッター)、銀のナイフは聖堂騎士(ハイリシュ・リッター)という名前がつけてある。
 ナイフをくれた魔術師が、命を預ける自分の武器には名前をつけろと数騎に言ったのだ。
 自分の命を護る者、という意味から数騎はナイフに騎士の名を冠した。
 二つのナイフにはそれぞれ用途によって使い分けている。
 ドゥンケル・リッターは全体が真っ黒な折りたたみ式ナイフだ。
 小型で携帯性と利便性がよく、どんな場所にも隠せるために数騎にとっての切り札ではだが、こっちはサブウェポン。
 メインウェポンはハイリシュ・リッターだ。
 ドゥンケル・リッターよりは少々大きめの銀のナイフ、その柄には三メートルほどの長さをもつ鎖がとりつけられており、これを鎖鎌の分銅のように敵に向かって投げつける。
 鎖を回転させることによって遠心力をつけ敵にナイフを叩きつけるわけだ。
 刀身を柄にしまえば重心が安定し、鎖分銅にはや変わりという寸法である。
 何しろこの鎖ナイフ、ハイリシュ・リッターは有効射程が長い。
 ドゥンケル・リッターと違い、比較的安全なところから敵を攻撃できる。
 この二つのナイフは、数騎にとって必要不可欠な武器となっている。
「そう、こんなヤツらを相手にするにはもってこいのな」
 巡らせていた思考の続きは口を用いて紡がれる。
 目の前にはひび割れた鏡が一つ。
 その鏡に映し出されるは腐敗した肉体。
 鏡の前に立ちはだかっていた徒手空拳のグールはとりわけ害のあるようには見えない。
 だが、全身を腐らせハエをたからせているようではその言葉も撤回せざるを得ないだろう。
「ちっ、昨日のグールじゃないな」
 グールの見分け方は知らないが、とりあえず着ている服で判断できる。
 昨日の、呪牙塵を持っていたグールは茶色の外套を身に纏っていた。
 が、目の前のグールは何一つ身に纏ってはいない。
「ギギ……」
 もはや人として言葉を紡ぐこともできないのか、グールは聞き取ることのできない声を発すると、脱兎の如く数騎に背を向けて走り出した。
 戦闘は避けたいところだが、顔を覚えられた以上は逃がすわけにはいかない。
 死霊術師にこちらの容姿を知られてしまっては困るのだ。
「逃がすか!」
 ひび割れた鏡に手を伸ばす。
 と、不思議なことにその手は鏡の中に吸い込まれるようにして入ってしまった。
 数騎は手を全部入れると、そのまま鏡の中に入り込む。
 全てが反転した鏡の中の世界、鏡内界に数騎は侵入した。
 鏡内界に入ったことを確認すると、数騎は背中を向けて逃げるグールを睨みつける。
 右手はすでにポケットから取り出されていた。
 漆黒の金属が月の光を照り返しす。
 数騎はグールに向かって疾走した。
 グールはパワー、スピードともに優れているが、そばに術師がいない場合、自動操縦になっているために判断力が鈍い。
 数騎はフェイントをかけてグールに対し小さなフェイントをかける。
 フェイントにひっかかり、グールは数騎を迎撃すべく足を止めた。 
 振るわれる豪腕。
 グールの動きは非常に速く、その膂力は怪力の一言に尽きる。
 握り締めれば骨など容易く砕いてしまうグール握力を秘めるグールの一撃。
 しかし、その一撃は数騎に触れることはない。
 簡単だ、数騎は突撃すると見せかけてブレーキをかけ、その場に踏みとどまったからだ。
 理由は簡単、数騎の攻撃はグールの射程外から行われたのだから。
「はっ!」
 気合と共に数騎が左手を振るう。
 鎖のこすれる音が周囲一帯に響き渡る。
 鎖付き短刀、ハイリシュ・リッター。
 鎖をつけることで遠距離攻撃が可能となったこの短刀が、のたうつ蛇のようにグールに襲い掛かる。
 グールは数騎を仕留めるつもりだった一撃を、ナイフの迎撃に対して使用した。
 打ち落とされるナイフ。
 しかし、その間に数騎はグールとの距離を大きく縮めていた。
 ハイリシュ・リッターを防いだばかりですぐさま数騎を迎撃できないグール。
「ギ……」
 グールは思わず驚きの声を漏らしていた。
 だがその全てを紡がせる気は毛頭ない。
 スピードを殺さず、数騎はグールに向かって突き進むと、その心臓に向かってドゥンケル・リッターを投擲した。
 速度、膂力ともに上回るグールとの近接戦闘は、何の能力も持たない数騎にとっては死を意味する。
 反応が鈍いといっても比較的であって、そこまで人間に劣っているというわけでもないからだ。
 だからこその投擲。
 数騎はグールの射程内に入ることなく、戦闘を終わらせた。
 グールの心臓にドゥンケル・リッターが突き刺さる。
 心臓を破壊された不死者は原形を保つことが出来なくなり、灰となってこの世から消滅する。
 昨日のグールと同様、心臓にナイフを生やすことになったそのグールは灰になりその存在を抹消された。
 それを見届け数騎は短く息をつき、手にしていたドゥンケル・リッターの刀身を柄にしまい込むとポケットの中にそれをしまい込み、同時に鎖のこすれる音を鳴らしながらハイリシュ・リッターを回収する。
 裏の世界に通じているとは言っても数騎は一般人とまったく変わらない。
 魔術師や不死者などという常識外の連中が相手でも、数騎が用いることの出来る獲物は常識内の物だけだ。
 その上、常識的な道具の一部は制限されてしまう。
 拳銃などといった物を扱うことはできないのである。
 それ以外にも異層空間は魔術を行使するのに適した空間であり、魔術師達はよく魔術の練習を鏡内界でするほどだ。
 しかし問題もある。
 鏡の中の世界を鏡に構築する異層空間は、一般の人間でも簡単に侵入することができる。
 異層空間の展開されている範囲内の鏡に触れるだけでいい、それで容易く侵入できてしまうのだ。
 ただし条件があり、それは鏡内界という存在を認識している事である。
 例えば、異層空間が展開している範囲の鏡に触っても中には入れないが、鏡の向こうに誰か居る事に気付き、わずかでも鏡の向こうに世界があると認識した後ならば鏡に触ると中に入れるのだ。
 この世界から脱出するには条件があり、誰が鏡内界に入るのに使用した鏡からでないと出ることができない、しかしその程度のリスクだ。
 このように、異層空間はあくまで簡易的な結界であり、侵入も脱出も非常に容易だ。
 その存在を知っていればいつでも入りこむことができる。
 問題は別にある。
 まずどんな人間であれ異層空間展開範囲内にいるのなら、鏡内界に侵入している対象を鏡の向こう側から認知することが出来る。
 これで騒ぎでも起きると裏の住人たちにとっては、表の住人たちに大きなアドバンテージを与えることになる。
 今回のグールの騒ぎがいい例で、騒ぎを起こさないために数騎たちは行動しているわけだ。
 それだけではない。
 異層空間は、展開時にその範囲内にいる人間を強制的に鏡内界へ取り込んでしまうことがあるのだ。
 取り込まれる条件は展開範囲内にいること、そしてそこで反射物(鏡が最もよい)に自分が移っていることだ。
 確実に取り込まれるということはなく、どんなに高くても一割を越えることはないが、警戒して損をすることはない。
 このような形で鏡内界に紛れ込んだものは、問答無用で異能をその目にすることすらある。
 そのため、異能者は基本的に自分たちの勢力圏外では異層空間の展開を行なわないらしい。 
 一般の人間に、そうそう鏡内界の知識を与えるわけにはいかないからだ。
 麻夜に教えられたことを思い出しながら、数騎はグールを探そうとさらに奥に進もうと足を進め、
「ちっ!」
 跳躍によってその場を離れることを選んだ。
 一秒後、数騎の立っていた地点にグールの豪腕が振り下ろされる。
 数騎は今度はポケットから柄に鎖のついた短刀、ハイリシュ・リッターを取り出し、その刀身を引き抜くと右手に構える。
「もう一体いたか、でもそれくらいじゃ……」
 続きを言いかけ、数騎は周囲に視界を巡らせる。
 一体だと、ふざけろ。
 これのどこが一体だよ。
 自分の言葉に心の中で毒づきながら数騎は周囲に存在するその姿を捉える。
 三、四、五、六。
 自分を取り囲む死体の数は全部で七体だ。
 反応が鈍いとはいえ、これだけ数がいるとその弱点をお互いにカバーしあう可能性がある。
 しかも、一対一なら有利となるこの狭所空間は敵が複数ともなると不利になる要因にしかならない。
 なによりも自分が所有しているのは貧弱な折りたたみナイフが一振り。
 ナイフ程度のちっぽけな暴力では、弱点の心臓を狙いでもしないとグールなどという人外は殺しきれない。
 逃げるにしても鏡内界とは厄介なもので、侵入した鏡からしか脱出することができない。
 異層空間が解除されるとどこにいても侵入した鏡から放りだされるのだが、異層空間を展開しているのは数騎ではないため、そう都合良く脱出できるとは限らない。
 数騎は体中から吹き出る冷汗に不快感を感じながら現状を打破すべく行動を開始しようとする。
 銀影が閃いたのはそれと全く同時だった。
 頭上から三本の銀影が疾ると同時にそれが一本ずつ三体のグールの体を貫く。
 続く一閃はさらに三体のグールの体を貫いた。
 数騎は目を細めてグールを貫いた物を見た。
 それは光り輝く剣だった。
 六本の剣は全てグールの心臓に突き刺さり、グールは灰となって消滅する。
 それと同時に突き刺さっていた剣までもが消滅した。
「ギ……」
 グールの声が響く。
 そちらに目をやるのとグールの肉体が、いや心臓が飛来した剣に突き刺されたのは全く同時だった。
 灰になって崩れ落ちる七体目のグール。
 数騎は顔を上げ、グールたちに向かって剣を投擲した人物を特定しようとした。
 まず目に入ったのは仮面。
 次に目に付くのは左手に持った剣だ。
 遠目だがガタイがいいので恐らくは男だろうと判断。
 ビルの非常階段から下を見下ろすその男はこの季節では暑苦しいであろう漆黒の外套に身を包み、仮面を被っていた。
 そしてその両手には三本の刀身をのぞかせる異形の刀剣、カタールが握り締められていた。
 手甲にも似たそれは接近戦において抜群の能力を発揮する刀剣だ。
 両手にカタールを握り締めるその姿は、さながら手から長大な爪が生えているかのようにも見えた。
 仮面の男はグールが消え去ったのを見届けると黒い外套の中にカタールをしまい込み、そのまま非常階段の扉を開けてビルの中に入っていってしまった。
 扉の閉まる音が路地裏に響く。
 あとに残るは静寂のみ。
 数騎は突然起こったこの出来事に、ただただ忘然とするだけであった。


























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