トップページに戻る



トップページ/ 自己紹介/ サイト紹介/ リンク/


トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十二羽 落涙

第十二羽 落涙


「ちっ、結局見つけられなかった」
 朝日を背に浴びながら、数騎は商店街を歩く。
 この時間では人は誰一人歩く姿を見せない。
 それもそのはず、まだ朝の五時なのだ。
 駅の近くならともかく、商店街ではそれも仕方のないことだった。
「まぁ、多分。もう麻夜さんのところに戻ってるだろ、司のヤツも」
 で、会ってどうしようか。
 ちょっと考えてみた。
 とりあえずわかったことが多すぎる。
 司が本当は司ではないとか。
 本当は司こそが死霊術師で、仮面使いがアルカナムの弟子であったとか。
 そう言えばアルカナムは爪という異名で知られていたという。
 その弟子である仮面使いはカタールという、手の先から獣の爪が生えたような短剣を操っていた。
「なるほど、爪ってのはそういう意味だったんだ」
 なら、はじめに爪を連想した時点で、仮面使いこそがアルカナムの弟子であると気付けてもおかしくはなく。
 結局、僕の愚鈍さが原因で彼女の正体に気付けなかっただけのことである。
「いや、彼女じゃない。司だ」
 本当の名が玉西だったとしても、彼女が自分に対して柴崎司と名乗ったのだから、本名を名乗るまで僕にとって彼女は柴崎司だ。
 多くの嘘を付かれた。
 命まで狙われた。
 それでも、
「一緒に行動している時、司が僕のことを思っていてくれたことはウソじゃないんだから」
 司が僕にとって大切な人間である事には代わりない。
 それならば、彼女の正体には言及しない事にしよう。
 それで僕と司の関係が悪くならなければ、それはどんなにすばらしい事だろう。
 きっと、僕にとってそれは十分心地よい。
 例え、それが偽りの安息であるとしても。
 例え、それが間違っていることであったとしても。
 それでも僕は、心地よくありたいと思うのだから。






 目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
 視線を巡らすと、そこは自分がしばらく居候していた探偵事務所であることがわかった。
「目が覚めたか?」
 聞き覚えのある声がする。
 視線を巡らすと、そこにはイスに座って自分の顔を覗きこむ仮面使い、柴崎司の姿があった。
 もちろんと言ってはなんだが、今は仮面をかぶっていない。
「司……」
「久しぶりだな、玉西」
 微笑みながら彩花の顔を見つめる司。
 だが、彩花は眉をよせ、ぷいっと顔をそむけてしまった。
「ふんっ、久しぶりね、司。正直、二度と会いたくなかった」
「そうか、私は会いたいと思っていたが」
 その言葉に、彩花は素早く首を巡らせ司を睨み付ける。
「よくそんな事が言えたもんね。あんたが私たちに何したかわかってるの」
「わかっては……いるつもりだ。でも、信じてほしい。私はけっしてお前たちを大切に思っていないわけじゃない」
「あっそ、そんな事もうどうでもいいわ」
 彩花はそう言うと鼻をならし、
「あんたが私たちを見捨てた事にはかわりないんだから」
 申しわけなさそうな顔をする司に、彩花は言い放った。
 司は少々、逡巡したあと口を開く。
「そのことについては何も言う権利はないな。全部認めよう。それより聞きたい事がある」
「何よ」
「これは一体どういうことだ、何が起こったんだ?」
「その前に質問、何で私はここにいるの? 二階堂のバカは?」
「あのバカは救急車に来てもらって今は病院だ。すぐに氷も手に入れたから腕は何とかくっつくそうだ」
「ふぅん、よかった。でもリハビリ大変そうね」
「そこらへんはどうしようもない。腕がくっつくだけでも運がいいと言うべきだろうな」
「で、私は何でここに?」
「アルカナムに教えられた、ここに騎士団の出張所があるとな。まさかお前が入り浸っていたとは驚きだ」
「へぇ……そうなんだ」
 綱野さん、驚いただろうな。
 そう考えた瞬間、彩花はあることに思い至った。
「司、もしかして私の事!」
「バラしちゃいない。まだ、お前から事情を聞いていないしな。それに私は基本的にお前たちの味方だ。犯罪に加担したと言うのなら隠蔽工作を手伝ってやってもいいぞ」
「安心した、バレてないみたいね」
「でも、短刀使いにはバレたぞ」
 司の言葉に彩花は目を見開いた。
「え……それってもしかして……数騎?」
「さぁ? 名前は聞かなかったからわからん。とりあえず外見的特徴は茶の混じった黒髪で、全身黒ずくめの目つきの悪い少年だ」
「あちゃ〜、数騎だわ」
 頭を抱えながらも、この状況は予期していた。
 もし、数騎が司と出会えば自分が柴崎司の名を語っていたことがバレる可能性は非常に高かったからだ。
 それでも数騎に司と同盟を結んでもらったのには理由があった。
「ところで玉西、聞かせてくれないか?」
「何を?」
「何故、倒れた? 具合でも悪かったのか?」
「呪餓塵って知ってる?」
「知っているが、それが?」
「私、あれで右腕斬られたの、かすり傷だけど」
 彩花の告白に、今度は司が目を見開いた。
「一体、いつ?」
「とりあえず順を追って説明していくわね。まず、私と二階堂は守護騎士団から強奪された魔剣の奪回を命じられたわ。敵は何人もいて結局全員は捕まえられなかったけど、なんとか魔餓憑緋と呪餓塵だけは取り返せたの。
それで翌日にでも騎士団に献上しようってことで二階堂と私は二人で酒を飲んだ。その時よ、あのバカが魔餓憑緋をおもしろ半分で引き抜いて、そのまま意識を魔餓憑緋に乗っ取られてどっかにいっちゃったの。
 でも運がよかったわ。まず私が殺されなかったこと。もう一つは、魔餓憑緋が完全解放しなかったこと。あれは元々スゴ腕の魔剣士じゃないと操れない代物だからね」
「そうだな、魔幻凶塵シリーズを扱われないというだけでも感謝すべきか……いや、今はそんなことを話しているんではなかったな」
「そうだった、えっとね。二階堂が魔餓憑緋を抜いて暴走しはじめてどこかに行っちゃったところまでは話したわね。
実は私、すぐに二階堂を捕らえようと二階堂を追いかけていったの、でも見つけられなかった。あきらめて家に帰った時、保管しておいた呪餓塵が消えていた。その時よ、傷をつけられたのは」
「どういうことだ?」
「私の使い魔の一体がグールからゾンビに昇格してたの。ゾンビは呪餓塵を奪って私を切りつけて逃げ出したわ」
「何日前だ! それは?」
「六日前よ」
「なんてことだ、あと二日しかないじゃないか」
「明日の夜になったら、私はこの世からいなくなっちゃうわ」
「なるほど、倒れたのはそれが原因か。呪餓塵に呪われた人間は、塵と化して消え去るまで残り二日になると体調を著しく崩し、一日前には立っていられなくなると聞く」
「ええ、だから私。もう動けないわ、動こうとすれば動けるけど正直、役立たずね」
「なるほど、それで私のところに短刀使いを向かわせたのだな」
 司は納得したように頷く。
「そうよ、私が動けなくなったら後は司に呪餓塵を回収してもらわないといけなくなるから。数騎に正体がバレるより死ぬほうがずっと恐ろしいわ」
「了解だ、今日の夜から私はゾンビ狩りに出かけよう。もっとも、今までもそうしてはいたがな」
「それとお願いがあるの、数騎と協力して戦って」
「短刀使いと? 悪いがあいつは戦力不足だ。奇襲の仕方以外は素人だ」
「違う、私に秘策があるの。実は……」
 と、続きを口にしようとする彩花を、司は手で制する。
「おっと、その話は後だ。階段を上る音がする。短刀使いが帰ってくるぞ」
「お願い、ちょっと別の部屋に行ってて。二人きりで話したいの」
「承知した」
 そう言うと司はイスから立ちあがり、そのまま部屋から出ていってしまった。






 ノックの音が三度響き渡る。
「入るよ」
 声が聞こえると同時に、ドアが開いた。
 入ってきたのは数騎だった。
「司、起きてる?」
「起きてるわよ」
 ベッドの上で寝転がっている司(・)は数騎の顔を見ないように横を向きながら答えた。
「いやぁ、驚いたよ。事務所に戻ったら司が体調崩して寝転がってるって聞いたからさ。体は大丈夫かい? おかゆでも作ろうか」
 司は答えない。
 そんな司に数騎は小さくため息をつく。
「熱あるのかな? あるなら水枕用意するよ。熱は何度くらい?」
「熱……ない」
「何か食べる?」
「食欲……ない」
「そっか、了解」
 そう言うと、数騎はさっきまで仮面使いが座っていたイスのある場所まで歩き、そこに腰掛ける。
 そして、何をするでもなしにポケットから本を取り出すと、おもむろに読み始めた。
 その光景を横目で見ていた司は目を閉じ、寝入ったフリをする。
 数分、静寂がその部屋を支配した。
 聞こえるのは時計の秒針の音、紙がこすれ本がめくられる音、そして呼吸音くらいなものだった。
 少々、時間が経過した後、司は口を開いた。
「ねぇ」
「ん? お腹減った? それとも水?」
「なんで聞かないの?」
「聞くって何を?」
 何を言いたいのかわからない、という風に数騎は聞きかえす。
「聞いてないの?」
「何を?」
「あいつから」
「あいつって?」
「えっと……」
 司は言葉を切った後、続けた。
「仮面使い」
「ああ、聞いたよ。呪餓塵を持ってるゾンビは死霊術師のグールで、それを狩るのを協力してくれるってさ。僕もあいつのおかげで呪餓塵の呪いも解けたし万々歳ってやつかな」
「そうなんだ、よかったじゃん……って、そうじゃなくて……他のこと」
「聞いてないけど」
「嘘!」
 小さな叫び。
 それを聞いてはじめて、数騎は本を眼前からおろし、司の顔を見る。
 司は、数騎を睨みつけるように見つめていた。
「嘘よ、聞いてるでしょう。本当は私が死霊術師だって」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだって!」
「別に構いやしないよ。だって司は司だろう。司が死霊術師でも、司が司ってことには変わりないだろう?」
「でも私は、あんたを殺そうと!」
「いいんじゃないか、今はその気はないんだろ?」
「だって、あんた……」
「別に死んでないんだからいいって。それより司、本当に体は大丈夫なのか?」
「違う!」
「何がだよ、司?」
「だからそれは違うのよ、あたしは司じゃない。私は!」
「柴崎司だろ、それでいいじゃないか」
 数騎は小さく息をつき、続ける。
「司が僕に柴崎司と名乗ったんだろう? だから僕にとって司は司なんだ。もし、司がアーシュラって名乗ったなら僕にとって司はアーシュラだ。そうだろう? なら司は司だ、他の誰でもありやしない。あいつは仮面使いだし、僕は須藤数騎だ。だから司が別の名前を名乗るまでは司は司だ。別の名前、名乗るかい?」
「やめとくわ」
 そう言って、司は小さく首を振ってみせた。
「あなたがそれでいいって言ってくれるなら私は柴崎司よ。でも、本当はもう一つ名前があるの?」
「どんな? もしよかったらそっちで呼ぶけど」
「やめとく、申しわけなくて名乗れないわ。だから今の私は柴崎司、それでいいかしら?」
「ああ、構いやしないさ」
 数騎は満面の笑みを浮かべる。
 それを見て、司は申しわけなさと嬉しさが同居した表情を浮かべた。






 目を覚ますと午後三時だった。
 あいかわらず不健康な生活を送っている。
 きっと長生きはできないだろうと、かなりあきらめぎみだ。
 寝ぼけた頭でそう考え、数騎は寝ていたソファから体を起こした。
 眠りについたのは午前六時。
 体調をくずした司の看病をし、司が眠りについたのを見届けてからソファの上に転がったのを覚えている。
 そう言えば一度、寝ている間に一瞬だけ目を覚ました記憶がある。
 確か、麻夜さんが昼飯を作れとか騒いでいたような。
 でも知らない男の声がして麻夜さんはどこかに消えてしまった。
 うん、夢だきっと。
 そう決め付けると、数騎はソファから立ちあがりベッドのある部屋に向かう。
 ノックをして返事がないのを確認した上で部屋の中に入る。
 司は熟睡しており、その呼吸音が、体調が悪化していないことを教えてくれる。
 寝顔を見る。
 ぷっくらとした唇に艶やかに乱れた髪、やはり司は美人だ。
 もし発情期にさしかかってる頃なら無理矢理襲ってたかも、とか考えてしまうあたり健全な青少年だなぁと自覚してしまう。
 とりあえず変な気を起こすまえに部屋から出ていく。
「さて、どうしたものか」
 寝るといっても目覚めたてなので眠る事もできず、かと言ってゾンビが異層空間が展開するような時間には、まだかなりある。
 目覚めたてで本を読む気はしないし、料理の準備にもまだ早い。
「散歩でも行くかな」
 そう決めると、数騎は冷蔵庫から麦茶を取り出し一杯飲んだ後、事務所の外へと出ていった。 






 昼頃、それも三時といったらいい感じに人々が外を歩きまわっている時間だ。
 この商店街ももちろん例外では決してない。
 学校の終わった小学生から、早くも夕飯の材料を買いにくる主婦まで、商店街はさまざまな人間で賑う。
 そんな中、目立つ一人の人物を見つけた。
 長い黒髪に着物を着込んだ少女、桐里神楽だ。
 神楽は体調でも悪いのか、道の脇で座りこみ、顔を伏せていた。
 それを見て驚いた数騎は早足で神楽のそばまで歩いていく。
「神楽さん、大丈夫?」
「あ、数騎さん」
 声をかけられ、数騎を見上げる神楽。
 だが、その表情には元気がなく、どうみても体調を崩しているように見えた。
「どうしたんですか、そんな驚いた顔して」
「驚いた顔って……神楽さん。顔色ヤバイじゃないですか」
「あ、心配してくれてるんですね。ありがとうございます」
 そういうと、神楽はのろのろとした動作で立ちあがる。
「私は大丈夫ですよ、お構いなく……」
 言いながら横倒しに倒れようとする。
 その体を、数騎は倒れないよう、抱きとめるように支えた。
 揺れる髪から神楽の匂いが流れこんできた。
 抱きとめた体は柔らかく、細く、そしてはかなげだ。
 支えられる体に力はなく、数騎がいなければすぐにでも倒れてしまうだろう。
「あれ、どうしたんでしょう。体が動きません」
「全く自覚症状とかないんですか、神楽さんは。体調が悪い日は外に出ちゃいけませんよ」
「う〜ん、困りました。ちょっと最近寝不足でして」
「寝不足?」
「はい、ちょっと昨日、おもしろい番組が続いちゃって」
 ちなみに番組とはラジオの番組のことだ。
 神楽はラジオを聞くのが大好きで、暇さえあれば聞いているのだそうだ。
「ラジオを聞くのはいいですけど、もっと体を大切にしてくださいよ。少しは反省してください」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいからさ、それにしてもどうしたらいいかな……」
 呟き、数騎はすぐにいい考えを思い付く。
「ちょっと待ってて、すぐ戻ってくる」
 そう言うと、数騎は神楽は商店の壁によりかからせると走ってどこかに行ってしまう。
 そして、十分もすると戻ってきた。
 なんと司の乗っていた赤い車に乗って。
「神楽さん、おまたせー」
「か、数騎さん?」
 驚く神楽を尻目に数騎は車から降りると神楽に歩み寄る。
「とりあえず乗って、送ってあげる」
「送るって……数騎さん、免許持ってたんですか?」
「ん? あるよ」
 言って数騎は運転免許を神楽に見せる。
 それは正真正銘、本物の運転免許に見えた。
「数騎さんって、十五歳ですよね?」
「そうだよ」
「でも、ここに十八歳って書いてあるんですけど」
「ああ、それ。違法で作られたやつだからね、違法入国してる外国人がよく買ったりするやつなんだけど僕にも回してもらったんだ。まぁ、事故起こさなければ無免だって問題ないしね」
「問題ありますよ」
「でも大丈夫、運転は完璧だから」
「本当ですか?」
「ま、まぁ信じてほしいかな」
「ん〜。まぁこの際、信じるしかないんですけどね」
 言って神楽は数騎に向かって手を差し出す。
 数騎はその手を受け取ると神楽を助け起こし、助手席に座らせシートベルトを締めると運転席に座った。
「さて、行きますか」
 そう言って数騎はギアをドライブに変え、車が動き出す。
 数騎は何の問題もなく、神楽を丘の上の屋敷まで送っていった。






「ただいま〜」
 扉をあけて事務所に数騎が戻ってきた。
「おかえり」
 数騎を向かえる声。
 そして、数騎は眉をひそめる。
「あんた、誰?」
「さぁな」
 数騎を向かえた声の主は一人の男だった。
 白のワイシャツに青のジーンズをはき、ワイシャツの方は幾分だらしなく着崩しており隙間から立派に発達した筋肉が覗ける。
 それを見て数騎は威圧された。
 立派な筋肉に憧れ、数騎はトレーニングを試みたことがあったが数騎の筋肉は光の反射具合によって見えるか見えないか程度にしか発達しなかった。
 数騎の努力不足もあるが、数騎の華奢な体つきも影響している。
 そんなわけで数騎はその胸板に羨望を覚えもしたが、それをさっさと頭から追い出す。
「で、あんた誰だ?」
「名乗ったところでお前はオレの名を呼ぶまい、お前はオレの事を仮面使いなどとほざいていた気はするがな」
「仮面使い?」
 言われて気付く、そういえば声がどこかしら似ているような気もする。
 だが顔を見るのはこれがはじめてだったから気付かなくても仕方あるまい。
 何故なら仮面使いはその名の通り、いつも仮面をしているからだ。
「ん? でも、あんたの顔、どっかで見覚えが?」
「気のせいだ」
 数騎の言葉を、仮面使いはあっさりと否定する。
「それよりようやく帰って来たか、玉西が待ってるぞ」
「司が?」
「あ〜、そうだったな。柴崎司(・・・)がお前を待っていた。部屋に行くぞ」
 幾分、面倒くさそうな顔をして仮面使いは司の寝ている部屋に向かった。
 ドアを開き中に入る。
 司は体を起こしてベッドの上に座っていた。
「入るぞ」
「そういうのは入る前に言うもんよ」
 仮面使いの言葉に、司は小さく息をつきながら答える。
 と、そこに数騎が顔を突っ込ませてきた。
「司、もう大丈夫なのか?」
「あ〜、大丈夫よ。一応」
「そうか、ならよかった」
「いや、実は全然よくないのよね」
 司は心底、深いため息をついた。
 数騎はその言葉に首をかしげる。
「どういうことだ、司?」
「つか……仮面使いには話したんだけどね、現状はかなりヤバイ状態よ」
「と、言うと?」
「実は、ゾンビに魔餓憑緋を取られたわ」
「む、ってことは魔餓憑緋の魔剣士はどうなったの?」
「あのバカは魔餓憑緋から解放されたわ。私が奥の手を使ってあのバカの魔餓憑緋握ってた腕を切り飛ばしたの。で、今は入院中。腕はくっつくって聞いたから心配はしてないけど、かなりマズイわ」
「ゾンビが魔餓憑緋をか……でも能力的には変わらないんじゃないかな?」
「ところが違うの、あのバカは乗っ取られながらでも魔餓憑緋に抵抗していたはず、だから被害者は今のところ一桁で留まってる。でも、ゾンビには道徳関念なんかない、魔餓憑緋に操られるがままに人を切り刻むわ。もっとも、保身には長けてるから繁華街に繰り出して虐殺を行なって私たちに見つかる愚は犯さないと思うけど」
「なるほど、そりゃ大変だ」
 数騎のその言葉に、司は眉をひそめる。
「どうでもいい、って言ってるように聞こえるんだけど」
「同感だな」
 続く言葉は仮面使いのものだ。
 あきらかに気分を害したらしく、その形相は凄まじい。
「お前……これ以上犠牲者が出ても構わないというのか?」
「ん〜、まぁ構わなくはないけど、別にどうでもいい感じになってきたなって」
「何だと?」
 仮面使いの声が怒りに震えはじめる。
 数騎は構わず続けた。
「だってさ、もう僕の命が危ういってわけでもないし。それにお前がいるじゃん」
 仮面使いの顔を見ながらそう言って、数騎は小さく笑みを浮かべた。
「僕の出番はもう終わりだろ、それに司もあの調子じゃ動けないし。それなら仮面使い、お前が動くしかないわけだ。で、お前くらい強ければ一人でもあのゾンビを倒せるだろ。それなら僕にも司にも、もう関係のない話だ。違うかい?」
「貴様!」
 仮面使いは拳を振り上げ数騎を殴打しようとするが、思いとどまり拳を止める。
「他人など、どうなっても構わないというのか?」
「正解、僕は僕に関係ないヤツなんてどうでもいいの。あの状態じゃ司は動けない、なら司の身に危険は及ばないわけだ。当然、麻夜さんも戦闘には参加しないし神楽さんも夜は街を歩かないときてる。あとの連中がどうなろうと僕は構わないよ、べつにね」
「お前は……間違っている」
「正しいなんてうぬぼれた覚えはないよ」
「なんだと!」
 叫び、再び拳を振り上げる。
「やめて!」
 司の叫びが響いた。
 仮面使いは振り上げた拳を下ろし、司の方を見る。
「もうやめてよ、二人が争ってたら、助かるものも助からなくなっちゃう」
「すまない」
 言って仮面使いは掴んでいた数騎の襟を放す。
「どう言う事だ?」
 今、二人の間で交わされた言葉に数騎は疑問を抱く。
「助かるものも……助からない? それって一体?」
「私ね、呪餓塵の呪いに犯されてるの」
「呪餓塵の!」
 驚く数騎に、司は頷きながら続ける。
「私の場合、腕を切り裂かれたのはあなたより一日前よ。あのゾンビが逃げ出す時に腕を切り裂かれたの。期限まではあと二日しかないわ。呪餓塵の呪いはね、死の一日前になると体調を崩しはじめ、当日には起きあがるのもやっとになる。私の体調が悪いのはそのせいよ」
「そんな、司がそんな状況だったなんて……」
 口にした瞬間、数騎は真剣な顔つきを作った。
「わかった、さっきのは無しだ。僕も協力する、司を助けたいから、僕も協力したい。出来る事はない?」
「普通ならないけど今回は特別よ、切り札があるの」
「切り札?」
「ええ、私が死霊術師ってことはもう知ってるわね。そして私にとって最強の切り札は死霊を操る事。死霊に輝光を注ぎ込む事によって一時的に死霊を現界、つまり死ぬ前の姿でこの世に呼び出す事が出きるの。私は佐々木小次郎の死霊を使って魔餓憑緋の魔剣士を倒したわ。だからそれを使えば魔餓憑緋を持ってるゾンビも倒せると思う」
「で、僕は何をできるんだ?」
「今言った方法は私が万全の時で、しかも極度に集中できないと無理な芸当よ。そして今はとてもじゃないけどできない。だから第二の手段をとるわ」
「第……二の……?」
「死霊を人間に憑依させることによって、死霊に生きた人間の肉体を与える事よ」
「それって……もしかして僕を依り代にでもしようってことかな?」
「その通りよ。でも今の私じゃ憑依させる時間は限定される、せいぜい六十秒ってところね。だからこれを受けとって」
 言って司は数騎に錠剤を一つ手渡す。
「それに術式を施しておいたわ。それを飲みこんだら死霊があなたの体に憑依する。肉体は死霊がコントロールするからあなたは一時的に剣の達人になる。でも完全に乗っ取られちゃマズイからコントロールはあなたができるようにしてあるわ。
途中の行動は選択できないけど、結果はあなたの思い通り。わかりやすく言うと、例えばドアを開けて部屋の中に入ろうとするという状況にあるとする。数騎はまず部屋に入りたいと思うわよね。あなたが出した命令に死霊は従うわ。
でもあなたとしてはドアを開けて部屋に入りたかったかもしれないけど、死霊はドアを剣で切り裂いて中に入るかもしれない。でも、開けようが剣で切り裂こうが部屋の中に入るという結果は同じ、過程が違うだけで。わかった? 
あと命に関わる選択権は死霊に委ねといたわ。一瞬の選択が生死をわける戦場下においてあなたの判断より死霊の判断の方が優れてる」
「それはわかる、僕に実戦経験はほとんどないからね」
「ま、そんなわけでそれがあなたの切り札よ、大事に使ってね」
「わかった、必ず呪餓塵を奪い返してみせる。でもさ」
「何?」
「剣豪の死霊っていう達人がいても、その達人が使うべき刀がないんじゃどうしようもないんじゃないかな? さすがにナイフってワケにはいかないだろ?」
「それなら心配ない」
 不機嫌そうな顔で言ったのは仮面使いだ。
「刀を貸してやる」
 言って仮面使いは一振りの刀を数騎に手渡す。
 全長百センチの長刀。
 数騎は感嘆しながらそれを受け取った。
「へぇ、すごいな。日本刀じゃないか」
 数騎は早速、鞘から刀身を引き出す。
「この……刃は!」
 数騎は目を見開く。
 そう、その刀の刃は異常であった。
 本来黒くあるべき鉄が、真紅に染まっていたのだ。
「あの魔餓憑緋と同じ紅鉄で鍛えられた刀剣だ、輝光はこもっていないがな。紅鉄の性質は鉄とほぼ同じ、重量が少々重い程度だ。術者としても魔剣士としても能力の低い二階堂が使えもしないのに購入していた刀なんだが……扱えるか?」
「無理に決まってるだろ」
 正直、包丁より長い刃物は持ったことがない。
 愛用のナイフだってせいぜい二百グラム。
 のこぎりを刃物とカウントするならそれが一番重いことになるだろうが、図工の授業で使うのこぎりは普通振りまわさない。
 それだって一キロはないだろう。
 でもこの刀は二キロはある。
 二キロなら軽いと思うのは間違いだ。
 ダンベルや鉄アレイは人間が持ちやすいように重量が均一になっている。
 でも刀ってのは長くて持ちづらい。
 バランスが悪いのだ。
 使いなれていれば気にならないのだろうが初めて持つのではお話にならない。
 使いなれない武器を使うくらいならナイフを使った方が数十倍もマシに思える。
「短刀使い、別にお前が使う必要はない。使うのは佐々木小次郎だ。もっとも、お前の体でその刀を使いこなせるかどうかは知らないがな」
 そう言うと、仮面使いは小さく息をつく。
 それを横目に、司は数騎に言った。
「とりあえずこれで数騎にも武器ができたわ。これなら魔餓憑緋の魔剣士と対等にやりあえる。仮面使いと協力してゾンビを倒して欲しい、お願い出来るわね、数騎」
「もちろんさ」
「本当にお願いね、私……まだ死にたくないんだから」
 それは切実な言葉だった。
 数騎は、仮面使いと諍いを起こさず、協力して戦おうと決意した。






 竹刀袋に真剣を隠し持ち夜の町に出る。
 数騎はいつもどおりTシャツ一枚の姿、戦いに赴く者とは思えないほど軽装だ。
 それに比べて仮面使いは重装だった。
 なんと、黒のロングコートを着込んでいるのだ。
 まだ少し寒いとは言え、これでは暑すぎるように思える。
「暑くないのか?」
 路地裏に向かう途中の道を歩きながら数騎は尋ねた。
「暑い、だが文句は言っていられないだろう?」
「コートの中に武器を隠してるから?」
「そうだ」
「どんな武器が入ってるんだ?」
「言う必要性を感じない、黙秘させてもらう」
「そうでもない、そっちの武器を知っていればこっちも立ちまわりようがある」
「なるほど、一理あるな」
 そう言って納得すると、仮面使いはコートから木製の手甲を取り出した。
「これが遠距離攻撃の主力武器だ。カタールという短剣だが刃を取り外して代わりにアゾトの剣を取りつけている。アゾトの剣は知っているな?」
「知ってる。柄だけしかない剣で、刃の部分は輝光で具現化させるんだよな。で、その刃だけ切り離して投げ付けるわけだろ、あんたは?」
「そう、とりあえずこのカタールが四つだ」
「あとは?」
「あとはこれだな」
 仮面使いはそのあだ名の由来である仮面を見せ付けた。
「これは魔道属性が『模倣』の魔道師が作ったもので、一度見た相手に成りすます力がある。わかりやすく言うとその人間と同じ技能を持てるようになるというわけだ。そしてそれを可能にするのが仮面。仮面をかぶることによって自分に暗示をかけ、その仮面に記憶させた他者の能力をそのままトレースする。ただし、その場合は完璧なトレースはできない、かならず一ランク落ちの能力しか扱う事ができない」
「つまり、ゲームでいうと転職みたいなヤツか。たとえば戦士に転職すれば戦士として戦えて、魔術師に転職すれば魔法が使える……みたいにさ」
「そういうことだ、それに仮面使いの中にはそういうヤツらもいるしな」
「え、仮面使いって複数いるのか?」
「そうだ、仮面使いというのは主に仮面を自分で作り、それを用いて戦う魔道師のことを言う。仮面使いは一般にウィザルエムと呼ばれる。名前の由来は赤の魔術師(ウィザーズレッド)と呼ばれるバケモノからきてるんだが、これは蛇足だな。ウィザルエムは基本的に、一度見た相手の能力をそのまま仮面に記憶させるアールカン。
仮面をかぶると仮面に刻まれた特定の能力を振るえるようになる仮面を作るクラウン、お前が言ったように職業のようなものを設定してそれに成りすますホワイトフェイス、何かしらの象徴を用いて肉体に変化をもたらす力を与えるオウグスト。
ほかにも様々だが大きく分ければこの四種類だな。中には複数を兼ねるヤツもいる」
「仮面使いはどれなんだ?」
「実はどれでもない」
「と、いうと?」
「私は魔剣士だ、魔道師でも魔術師でもない。私の能力は魔剣を操る事だけ。そしてその魔剣とは仮面のことだ」
「仮面は……魔剣なのか?」
「そう、これは魔道師の作り出した魔剣だ」
「じゃあ、仮面使いの仮面はもらい物か?」
「一つだけな、私はある仮面使いから仮面使いの能力を記憶された魔剣を譲りうけた。それを使うことによって私は様々な仮面を作り出すに至ったのだ。オリジナルの一個以外、仮面は全て私の作ったコピーだ」
「で、仮面使いの属性は?」
「もらった仮面の能力はアールカン、つまり見た人間の能力をそのままコピーするタイプの能力だ。ちなみにコピーするといってもその人間の技能を全て見なくてはコピーしきれない。例えば対象が何かしらの技能を用いなかった場合、本来その対象が使えた技能を仮面はコピーできないというわけだ。しかもそれに一ランク落ちがついてるから、使えそうな仮面というのはなかなか作れない。知り合いからなら結構コピーできるんだがな」
「へぇ、でもスゴイな仮面ってのは。僕にも使えるかな?」
「使えるが使えない」
「どっちなんだよ?」
 数騎は思わず唇を曲げる。
「そう怒るな、短刀使い。言っただろう、仮面を用いる場合、その能力は一ランク落ちると。私は本物の仮面使いではない。本物の仮面使いなら他人が扱える仮面を作り出すことも可能だ。
だが、私は一ランク落ちした仮面使いの能力でさらに一ランク落ちた仮面を作る。計二ランク落ちている計算だな、これでは仮面を被る人間の能力が高くないと使い物にならない。これが一ランク落ちの代償だ。故に私が譲りうけた仮面使いの仮面はお前でも使えるが、お前程度の使い手では仮面の能力があっても活かしきれないというわけだ」
「なるほど、だから使えるけど使えないわけか」
「そういうことだ」
 そう言うと、仮面使いは見せていた仮面をコートの中にしまい込んだ。
「で、他にはどんな武器があるんだ?」
「あとはあの拳銃とかだな」
「そうだ、それについて聞きたかったんだ!」
 数騎は思い出したように言った。
「鏡の世界の中って、基本的に発達しすぎた技術は扱えないんだろ? 確か中世に存在した大部分の物しか扱えなくて、火縄銃ですらダメって聞いてるんだけど。やっぱあれって魔剣なのか?」
「まぁ、そうではあるな。実はだ、異能者にもおかしなのがいてな、異層空間殺しという能力者がいるんだ」
「異層空間……殺し?」
「鏡内界のなかに現実空間を侵蝕させ、自分の周囲だけ現実空間と同じ状況を作り出す輩だ。それによってこっちの世界のように火器を扱う事ができる。そもそも、鏡内界で現実空間の近代的な道具が扱えないのはこちらと向こうでは物質の構成が違うからだ。向こうの世界でも電気という物質は存在するが、その特性は多少異なり、電子機器を稼動させるような特性を持たないのだ、比較的近い存在ではあるがな。
 銃をはじめとする近代兵器が動かないのは向こうの世界に火薬が存在しないからだ。火薬がなければ弾丸は飛ばない、まぁそういうことだな」
「じゃあ、あの拳銃は魔剣なのか?」
「そういうことになる」
 頷いて答える柴崎。
 それを見て、数騎は少し嬉しそうな顔をした。
「でも拳銃が使えるのか、スゴイじゃないか」
「まぁ、使えるには使えているが私が出来ることは拳銃の形をした武器を扱えるくらいだ。実際に装填してるのは通常弾ではなく魔弾丸、つまり輝光のこもった銃弾なのさ。銃口から飛び出すのは輝光弾だ。使用前に輝光をこめた魔鋼で作った銃弾を装填しておいてな。
だからあれは簡易魔術装置みたいなものだ。簡易詠唱とトリガーを引くだけで扱える速射できる魔術。ある意味魔術に近い魔剣とでも言ったところだな」
「へぇ、そうなのか」
「ちなみにお前には使えないぞ、適正値三十%以下の条件が必要だ、聞いた話ではお前は最低値という話しだったが」
「言わないでくれよ、泣きたくなる。それに使おうなんて思ってない。で、他には?」
「他にもいろいろあったが、修理に出して今はない。まぁ、そんなところだ」
 そのような話をしている間に二人は路地裏まで辿りついた。
「行くぞ」
 そう言うと、仮面使いは先頭にたって路地裏に入っていった。
 数騎は仮面使いの後に続いていく。
 仮面使いは映りの良い窓ガラスを見付けると、そこから中に入りこんだ。
 数騎もそれに倣い、鏡の世界の中に進入する。
 反転した世界に入りこむ数騎たち。
 とりあえず周囲に注意を払いながら数騎は思った。
 さっきの説明を聞いて、わかったことが一つ。
 仮面使いは中距離攻撃型だ。
 剣の投擲、銃撃はともに中距離攻撃だ。
 残るはカタール。
 元々カタールは接近用の武器だから、もしかしたら接近戦も強いのかも知れないが、想像したところでわかるわけもない。
 聞いてみればわかるのだろうが、どうもこういうことは聞きにくいものだ。
 聞くか聞かないか、数騎はしばらく迷いながら歩いていたが、匂いを嗅ぎ取り思考を中断する。
「仮面使い」
「わかってる、血の匂いだ」
 仮面使いはそう言うとアゾトの剣を取り付けたカタールを取り出した。
「仮面はつけないのか?」
「いらんだろう、私は魔剣士。そしてこのアゾトはただの魔剣だ」
「了解」
 数騎は竹刀袋の口をほどき、いつでも刀が抜けるように準備する。
 そんな数騎に、仮面使いは振り返りながら声をかけた。
「一応作戦はこうだ、私があいつを追い詰め私がヤツを討滅する。だが逃がした時は頼む」
「逃がした時ね」
「そう、私の手を逃れたなら、ゾンビはお前を血祭りにあげようとする可能性がある。むしろそれを狙っていく。もし倒しきれないと思ったらあいつの退路を限定させ、お前の所に来るように仕向ける。カプセルはあるな?」
 数騎は司から受け取った錠剤を仮面使いに見せ付ける。
「よし、行くぞ。ついてこい!」
 言って駆け出す仮面使い。
 そのあとに続くように数騎も走り出した。
 だが、仮面使いの足はかなり速かったので、軽装のはずの数騎は思わず遅れを取ってしまう。
 そして、そこに辿り着いた。
 都会の死角と呼ばれる建物と建物の間に作られた密室。
 そこにはいろいろなものが転がっていた。
 タバコ、ジャンクフードの包み紙、酒の缶、風俗情報誌、帽子、服、血、肉、内臓、そして、
「なんて……」
 笑顔を浮かべた首が四つ、地面に転がっていた。
「ことだ……」
 仮面使いは息を飲む。
 だって、そう。
 何も聞こえなかった。
 悲鳴の一つも聞こえなかった。
 これほどの事が起こったのだ。
 これほどの斬殺劇が繰り広げられたのだ。
 だというのに、
「なんで……」
 悲鳴の一つも聞こえなかったのだ。
 数騎は思い至る。
 魔餓憑緋が使い手に与えるのは驚異的な身体能力だ。
 ならば、魔餓憑緋を振るうあのゾンビは、死んだ事さえ気付かせぬほどの速度で、異層空間に取りこまれたあの四人を斬り殺した。
 つまりはそういうことだったのだろう。
「グググ……」
 声がする。
「グギ……」
 血塗られた刀を右手に、サバイバルナイフを左手に持った異形。
「グググ……グギ」
 それは、全身に鮮血を浴びたゾンビであった。
「Azoth(アゾト)!」
 叫びとともに三本の銀閃がひらめく。
 仮面使いはすさかずカタールを振るい、ゾンビに向かって具現化した輝光剣を投擲した。
「グギ!」
 短く咆えると同時にゾンビは大きく跳躍。
 一気に壁際まで跳び、その投擲を回避した。
 仮面使いは舌打ちをしながら呟く。
「行くぞ、仮面舞踏(マスカレイド)の始まりだ」
 そして、左手に持っていた白い仮面をかぶりながらその仮面の名前を口にした。
「銃士」
 仮面をかぶるやいなや、仮面使いはすぐさま左手で拳銃を引き抜く。
「その身に刻め、銀翼の福音」
 詠唱を唱え、トリガーを引き絞る。
「虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)!」
 銃口から輝光弾が放たれる。
 それと同時に右腕を振るい。
「Azoth(アゾト)!」
 剣と弾丸の連続攻撃を仕掛ける。
 だが、それをゾンビは難なく回避した、壁をその両足で駆け上ることによって。
「なめるな、お前の元の使い手の薙風は私の友人だ」
 そう言うと、仮面使いは仮面を外し、新しい仮面を取り出す。
「魔餓憑緋」
 呟き、新しい仮面をかぶると、仮面使いは壁に向かって走り、一気の壁を駆けあがった。
 仮面の能力は他者の能力のコピー。
 ならば、壁を駆けあがる技能も得られるというわけだ。
「って、僕は置いてけぼりかよ」
 呟き、左右を見まわす。
 と、そばにビルの非常階段があることに気付いた。
 数騎はフェンスをひょいっと飛び越すと、一気に階段を駆け上がる。
 ビルの屋上からは銃撃音と仮面使いの咆哮が聞こえる。
 音から察するに仮面使いは中距離という自分の有利な間合いを保って戦っているようだ。
 もし、接近されたら恐らく仮面使いに勝ち目はないだろう。
 なぜならゾンビは驚異的な速度と、輝光を打ち消す紅鉄の刀を持っているのだ。
 恐らく、仮面使いの攻撃はことごとくかわされるか打ち消されているのだろう。
 それでも仮面使いが無事なのは弾幕を張れているからだ。
 連続投擲される剣、不意をついて繰り出される輝光弾。
 接近を図るべく速度を持って迫るゾンビを疾風とするならば、距離をおいた攻撃で敵の接近を拒む仮面使いは旋風だ。
 その輝光弾を持って敵の接近を許さない。
 それでもゾンビには魔餓憑緋がある。
 そして仮面使いの武器は輝光、つまり生命力だ。
 魔餓憑緋はいくら振るってもなくなりはしないが、輝光はどんどん消耗される。
 失えば弾幕がはれなくなり接近を許すことになるだろう。
 それでも勝利するために、自分がいるのだ。
 数騎は一気に階段をかけあがると屋上に出る。
 そこでは仮面使いとゾンビが死闘を繰り広げていた。
 双方、ともに傷はない。
 だが仮面使いはあきらかに疲労しはじめていた。
 二人の戦いはまさに槍使いと剣士のもの。
 距離を縮められるか否か。
 武器の射程という概念のみが二人を支配していた。
 と、仮面使いが上ってきた数騎を視界に捕らえる。
 それと同時に数騎は叫んだ。
「ゾンビ、こっちだ!」
 その言葉でようやくゾンビは数騎の存在に気付いた。
 無能力者である数騎が唯一許された能力、それは存在探知に対する隠蔽能力。
 そしてそれは、敵の不意をつくのにはもってこいだった。
 挟み撃ちにされたことに気付いたゾンビは一瞬、動きを止める。
 そこに仮面使いのアゾトの剣が飛来した。
 ゾンビはそれを緊急回避、仮面使いに迫ることを諦め、背中を向ける。
 そして、数騎に向かって駆け出した。
 達人は一目見ただけで敵の力量を推し量る。
 そして、その感覚の目は数騎を素人と判断させるには十分過ぎた。
 後からの仮面使いの攻撃も殺気だけ感じ取って回避する。
 距離を縮めていけばいくほど命中率はあがるが、遠ざかれば遠ざかるほど命中率が落ちるのは遠距離攻撃の常識だ。
 ゾンビは魔餓憑緋を振るう事もなく全ての攻撃をかわし尽し、数騎に肉薄しようと迫る。
 それを見て数騎は錠剤を飲みこむと同時に竹刀袋から刀を取り出す。
 そして、その肉体の操縦権を失った。
 それはまるで映画でも見ているような感覚。
 息をすることも許されず、肌で何かを感じ取ることも出来ず。
 許されるのは映像を捉え、音声を聞き取るのみ。
 そしてあともう一つ、絶対的な命令権が残される。
(ゾンビを……斬れ!)
 おかしな話だが自分に向かって命令する。
 そして数騎は刀を鞘から抜き放った。
 それを見てゾンビは警戒心を強める。
 素人だと思っていた相手が、瞬時にして達人に変貌したからだ。
 その両手に握り締められる紅鉄の刀は、輝光によって肉体を動かしているゾンビを殺しきるには最適の得物。
 そして、その構えは前の持ち主の腕を切り裂いた剣士のものに酷似している。
 これほどまでに迫れば仮面使いも援護攻撃ができない。
 接近戦で援護すべく、仮面使いはカタールを片手にゾンビに向かっていく。
 それよりも早く。
 この場にいる誰よりも速く、ゾンビは数騎に襲いかかった。
 剣閃が二度走る。
 しかし、数騎はそれをいとも簡単に回避する。
 技量では数騎の方が上だ。
 身体能力は低くとも生きている数騎に比べ、ゾンビの肉体は死体であるがわずかではあるが反応速度が鈍い。
 それが機敏に動けるのは魔餓憑緋を持っているが故だ。
 数騎はゾンビに向かって駆け出した。
 ゾンビは数騎から離れるべく逃げるが、すぐに、屋上に存在していた下の階へ繋がる階段を内蔵する建物に阻まれた。
 扉の前でゾンビは立ち往生する。
 そこに数騎が襲いかかった。
 横に走る剣閃。
 ゾンビはその斬撃を、身を捻りながら回避する。
 それこそ数騎の狙いだった。
 繰り出すは秘剣『燕返し』。
 攻撃を回避し、足場を失った敵を切り裂く必殺の剣技。
 数騎は振るった剣をひねり、再度の斬撃を繰り出す。
 回避不能の無敵の剣。
 刀で受けようにも回避行動のために不安定な体勢をとっているゾンビが無理矢理こちらの刀を受ければ続く剣撃に対応しきれない。
 それはまさに必殺の斬撃であった。
 だというのに。
「なっ!」
 次の瞬間、数騎の刀は空を切っていた。
 それに対し、ゾンビは遠く離れた場所にいる。
「グギ……ユダン……シタナ」
 ゾンビの口から声が漏れる。
「マガツヒハ……イキテイルマケンダ、ヒリュウノタマシイハ……ケイケンヲツンデイク。ソノケンギハ……ヒッサツソノモノ。ダガ……ソレハショケンデアルガコソノ……ケンギ。ショケンユエニ……ヒッサツ。ナラバニドメノソノケンハ……スデニヒッサツデハナイ……」
 ゾンビはそれだけ言うとその瞬発力を生かしてビルから別のビルへと移っていく。
 仮面使いはその後から剣や銃撃で攻撃をかけるが、そのことごとくは回避される。
「くそっ!」
 ゾンビは軽々と数騎と仮面使いから逃げきった。
 肉体の支配権を取り戻した数騎は、ぼうっとしていた。
 その回避劇はあまりにも予想外だった。
 ゾンビは燕返しが繰り出される前、逃走を図った。
 だが、数騎はそれを壁際に追い込む事によって追い詰めた。
 だが、それこそがゾンビの、いや魔餓憑緋の狙いだった。
 ゾンビは一度目の斬撃を回避。
 だが、これでゾンビは行動不能となる。
 回避中は足が地面から離れ、蹴る場所を失うからだ。
 そして続く斬撃は回避不可、燕返しを必殺と知らしめる二度目の斬撃。
 それをゾンビは回避した。
 ゾンビは燕返しをその身に受け、燕返しのメカニズムを知っていた。
 だから回避できた。
 燕返しは空中なら足場がなく回避行動が取れない、そこを突くからこその必殺だ。
 なら、足場があればどうなるか。
 もし空中で足場を確保できたなら、燕返しの第二撃は必殺からただの斬撃へと格下げされる。
 そのため、ゾンビは壁際まで逃げたのだ。
 一度目の斬撃は地面を蹴ることによって回避し、二度目の斬撃は壁を蹴ることで回避した。
 そう、壁が足場だった。
 空中に足場があったのだ。
 壁という足場を得たゾンビは燕返しを回避することに成功した。
 燕返しは知られてはいけない剣技だった。
 初見故に必殺、おそらくこの世界に存在する多くの技という技にはこの法則が当てはまるだろう。
 その技が脅威なのは対抗策を知らないから。
 だが、対抗策さえあればそれは脅威であっても絶対ではなくなる。
 数騎は歯を食いしばる。
 ゾンビは逃げた。
 あの速度ではもう追いつけないだろう。
 それに追い付けたとして仮面使いは消耗し、自分にももう達人の魂を操る術はない。
 むしろ、こちらの戦力にビビってゾンビが逃げてくれなければこちらが危なかった。
 数騎は空を見上げる。
 自分たちの失敗にあきれ果てているのか、月は雲に隠れ数騎たちを照らしてはいなかった。



















前に戻る/ 次に進む

トップページに戻る

目次に戻る