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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十三羽 悲愴
第十三羽 悲愴
「だめ……だったの?」
事務所に戻ってきた数騎と仮面使いを見て、最初にベッドの上に座っている司の口から出た言葉がそれだった。
「すまない、逃げられた」
申し訳なさそうに仮面使いは頭を下げる、その顔にかぶっていた白い仮面はとうの昔に取り外されていた。
「一体……どうして逃げられたの? 佐々木小次郎を使いこなせなかったの?」
「どっちなんだろうな」
数騎は歯をかみ締めながら続けた。
「あいつ、小次郎の燕返しを理解してた。燕返しは必殺の一撃だけど、敵にその原理がバレた瞬間に手強い剣技に格落ちしちゃうんだ」
「理解してたって……まさか……」
「司が二階堂って男から魔餓憑緋を奪うのに小次郎の霊を使ったときだと思う。それであのゾンビ、燕返しをかわしやがったんだ」
「ヤツの強さは予想以上だ」
数騎に続いて仮面使いが言い、続ける。
「ゾンビ自体の戦闘能力は皆無に近いが、その分、魔餓憑緋の力をかなりの割合で駆使できている。それに魔餓憑緋の対輝光能力も油断できない。基本的に鏡内界での遠距離攻撃は輝光を用いたものだ。紅鉄で造られた魔餓憑緋なら打ち消して防御できる。正直、輝光による遠距離攻撃が中心の私には少々荷が重いな。
接近戦用のカタールもアゾトによる輝光の刃だ、紅鉄の前では打ち消されてしまう。私ではあいつには勝てないかもしれない」
仮面使いはそう口にしながら数騎から刀の入った竹刀袋を奪い取る。
「明日は私一人で戦う、私が死ぬかあいつが死ぬかのどちらかだ」
「ちょっと待て、僕も戦う」
数騎は勝手に話を進めている仮面使いに口を挟む。
「司にはもう明日しかないんだ。明日、呪餓塵を奪い返せなかったら司は死んじまう。なら持てる戦力は使いきらなきゃ嘘だ。もしお前だけに任せて失敗したら後悔してもしきれない」
「なら、お前に何ができる?」
「何がって、僕だってこれがある」
言って数騎は鎖が柄に取りつけられたナイフ、ハイリシュ・リッターを見せ付ける。
それを見て仮面使いは何に驚いたのか目を見開く。
だが、すぐその目を細めてしまった。
「それで……何をする気だ?」
「接近戦で刀に短刀じゃ敵いっこない。でも、この鎖ナイフがあれば距離をとって戦える」
「相手の速度が人間並の相手ならな」
仮面使いは大きく息をつく。
「あいつのスピードを覚えているか? あいつの脚力を、あいつの歩術を見ているだろう? 鎖の射程距離などあいつはものともしない。すぐにでも距離をつめてお前の首と胴は泣き別れだ。
それとも、接近されて太刀打ちできるというのか? お前に燕返しが使えるとでも言うのか? あの佐々木小次郎とて、あいつとは互角の戦いしかできなかったんだ。お前に何が出来る?」
「そ、それは……」
「出来て囮くらいなものだ。わかったら引っ込んでいろ、足手まといだ」
「言いすぎよ、司!」
思わず司は仮面使いの本名を口走っていた。
それに気付き、口の中でもごもご言い訳をしたあとに続けた。
「あなたの言いたいことはわかったわ。数騎にはもうできることはない、私の命……あなたに預けるわ」
「任せろ、絶対にお前を助けると約束する」
そう言うと、仮面使いは司と数騎に背を向け部屋から出ていこうとする。
「どこ行くんだよ」
「私が泊まっているホテルだ、今日は銃弾を撃ちすぎた。補充しなければ明日の戦いに使えない。それに明日に備えて寝なくてはならないからな。今は十二時半といったところだろう? 今からなら十分に睡眠がとれる。私は柴崎司(・・・)を助けるために全力を尽くす。ならば自分の体を、全力を出せる状態にするのは当然のことだろう?」
それだけ口にすると、仮面使いは部屋から出て行く。
数騎はしばらくの間、仮面使いが出ていった扉を睨みつけていたが、後から司が話しかけてきたのでやめた。
「数騎、もういいわよ」
「いいって……何が?」
「もう寝ていいわ、あなたはもうこの件に関わる必要はない。これ以上はあなたの命を脅かすだけ」
「でも……」
「その気持ちだけで十分よ、あなたはよくやってくれた。佐々木小次郎の霊を使ってあいつから呪餓塵を奪えなかったのは私があいつに燕返しを一度見せていたってことが原因だし、数騎にミスはないわ。ごめんね」
「司が謝るなよ、司は悪くない」
「そう言ってもらえると嬉しいな。でも、本当に気にしないで、後は仮面使いがやってくれるわ。だからね」
「………………」
「おやすみなさい、数騎」
「………………」
数騎はしばらくの間、何も言わずに佇んでいたが、すぐに顔をあげ。
「おやすみ……司……」
そう一言だけ口にして部屋を出ていく。
歯軋りの音が聞こえる。
司が歯軋りをしたのかと思ったが違った。
なんてことはない。
ただ、自分の非力さに頭がきて、無意識のうちに歯軋りをしていただけ。
数騎はソファに向かって歩く。
ソファに深く腰をおろしたが、どうにも気持ちは晴れない。
だってそう。
自分は呪餓塵の呪いから逃れたというのに、司は今も苦しんでいる。
何とかしようにも自分にはどうする事も出来ない。
悔しいが、仮面使いの言うとおりだった。
と、ソファの前に置いてあるテーブルに、硬い物の置かれる音が聞こえた。
見るとそこにはカップに入ったココアが置いてあった。
「お疲れ様、ワトソン」
声は麻夜のもの麻夜だった。
麻夜はソファに座る数騎の隣に腰を降ろした。
「麻夜さん」
「ワトソンもよく頑張ったわね、素人にしては上出来だわ。でも、ここからさきはプロの仕事。あんたもわかってるでしょ」
「はい、でも悔しいです。自分がここまで力不足だなんて」
「確かにそうね。でも人は適材適所よ。ワトソンは戦闘には向かないけど、出来ることがきっとあるわ」
「例えば?」
「明日、あの子の話し相手になってあげなさい。話でもしてれば少しは気がまぎれるわ。彼女の精神状態にもよるけどね。一人にしておいた方がいいってこともあるかもしれない。まぁ、とりあえず時間さえ経てば、その内にあの、本物の柴崎司が呪餓塵を奪い返してくるはずだから」
「そう……ですね」
「そう信じましょう」
「はい……」
気落ちを隠せないまま、数騎はココアを口に運ぶ。
そんな数騎の頭を、麻夜は優しく撫でる。
数騎は、少し照れくさくなりながらもココアをちびちびと飲み続けた。
目が覚めた。
ソファから起きあがる。
ベッドに行くのが面倒だと言って数騎はいつもソファの上で眠っている。
たまにはベッドで寝る事もあるが、今ベッドは司が眠っており、その部屋は一応数騎の私室ではあるが物置と大して変わりがない。
数騎は時計を見上げた。
午前三時。
今までなら夜の町を歩いている時刻だが、もうおいそれと夜の町は歩けない。
魔餓憑緋を持つゾンビを数騎は倒すことができないだろうし、それが可能な仮面使いも昨日の戦闘で戦闘能力が低下している。
数騎は歯噛みしながらソファから立ちあがる。
目が覚めたのはトイレに行きたかったからだ。
数騎はトイレに向かって暗闇の中を歩く。
と、声が聞こえた。
それは小さな話し声に聞こえたが、すぐに違うとわかる。
これは泣き声、誰かがすすり泣いているのだ。
聞き耳を立て、声の発生源を特定する。
それは数騎の私室、司の眠っている部屋から聞こえた。
数騎にはああいったが、司はきっと怖がっている。
当然だ、もしかしたら明日、司は死ぬかもしれない。
仮面使いが必ずゾンビを倒し、呪餓塵を奪い返せるとは限らない。
ならば自分に襲いくるかも知れない死を恐れないわけがない。
しかも、それだけではない。
呪餓塵の呪いは死が近くなると恐ろしい体調不良を誘発する。
ゾンビと戦いに行く前に測った司の熱は三十八度、恐らく今はそれ以上だろう。
悪化する体調、逃れられない死の恐怖。
朦朧とする頭で、司はそれと懸命に戦っていた。
すすり泣きは続く。
その後、数騎はトイレで用を済ませ、ソファに戻った後も眠る事は出来なかった。
すすり泣きはずっと続いていた。
その間、数騎は眠らず、天井を凝視したままその声に耳を傾ける。
しばらくして、すすり泣きはやんだ。
泣き疲れて司は眠りについたのだろう。
それでも数騎は眠らなかった。
まるで、起きていることだけが自分に出来る唯一のことであると言わんばかりに。
結局、数騎が眠りについたのは、朝日が上りはじめる直前のことであった。
午後三時、目を覚ました数騎は司の部屋に向かった。
「司、大丈夫か?」
ノックをして部屋に入ってきた数騎は司にそう声をかける。
それを見て、司は小さく微笑みを浮かべる。
が、それはあまりにも痛々しい。
深夜まで泣きはらした跡が司の目の回りに残っていた。
「あ、数騎。今起きたの?」
「ああ、ちょっと寝すぎた」
「で、何か用?」
「いや、特には」
「そう、なら少し出てってくれないかな?」
その言葉に数騎は口を噤む。
そこに司は続けて口を開いた。
「もう少し眠りたいの、ダメかな?」
「いや、ゆっくりと眠るといいよ。無理に起きてるのは体によくないからね」
そう言うと、数騎はさっさと司の部屋から出ていく。
扉を閉め終えると、扉のそばに麻夜がいることに気がついた。
「彼女、どうだった?」
「無理……してるんじゃないですかね?」
「やっぱりか」
数騎の言葉に、麻夜は小さくため息する。
「麻夜さん、僕、司の話し相手になって気を紛らわせてあげようと思ったんですけど、追い出されちゃいました、多分一人でいたいんだと思います」
「ま、人間体調悪くて今日死ぬかもしれないって状況じゃ一人になりたくもなるわね」
「僕に出来る事……あるでしょうか?」
「あるんじゃない、何かしらは? 私は思い付かないけど」
麻夜はあっさりと斬って捨てる。
数騎は少し考えた後、手を打ち合わせる。
「そうだ、何かおいしいもの作ってあげよう」
「おいしいもの? 彼女、体調悪いのよ」
「コテコテしたものじゃなくてさっぱりしたもの。元気付けられるかどうかはわからないけど人間ってのはお腹が減ると不安になるもんですからね」
「何作るの?」
「おかゆ」
「米ないわよ」
麻夜の言葉に、数騎は台所に向きかけていた足を止める。
「あれ、もう切れてましたっけ?」
「だから毎日パン食べてたんじゃない。お米の特売は三日後だからそれまで我慢しようって。言いだしっぺはワトソンよ」
「あ〜、そうだったような。仕方ない、ちょっと買ってきます」
「特売じゃないのに?」
「そう言う問題じゃないでしょ」
「ほぉ、太っ腹ね。いつもはケチケチしてるくせに、何で?」
数騎は答えようともせず玄関へと足を向けた。
すぐにその理由を思い付き、麻夜は数騎に財布を投げてよこした。
そう、もしかしたら今日で司は命を落とすかもしれない。
それならば、せめて最高のものを食べてもらいたい。
しかし、それは司の命が危機に瀕していることを示している。
故に、数騎はそれを口にしなかったのだ。
玄関口から扉の閉まる音が響く。
麻夜は、数騎のそんな気遣いに微笑みを浮かべながら窓の外を見つめていた。
駅ビルに置いてある最高級品の秋田産の米をビニール袋に入れ、数騎は自転車を走らせていた。
時計はそろそろ四時を示している。
やはり駅まで行くのは遠いなと数騎は思った。
数騎が向かったのは麻夜の探偵事務所がある商店街の近くの小さな美坂駅ではなく、遠く離れた繁華街の近くの美坂駅だ。
夜の店が立ち並ぶ裏通りが幅を利かせているため、あまりいい印象を持たれていないが表通りにはカラオケやゲームセンター、すし屋にファーストフードに銀行、電気屋、古本屋、わりと普通の店々も立ち並んでいる。
駅ビルから出、踏み切りを渡り、信号を越えて家に戻ろうとしている途中、数騎は公園の側を通りかかった。
いつも神楽と会う公園。
いつもは三時くらいに会うのだが、この時間ではもういないだろう。
「ま、もしかしたらってこともあるしな」
呟き、数騎は自転車に乗ったまま公園内に入る。
体育館が存在するその公園は実に広く、自転車に乗ったままでも悠々と中を走り回れる。
首を巡らし、目的の姿を探す。
すると、いともかんたんに神楽を見つけだす事ができた。
それを見て数騎は目を見開く。
その姿を見つけられたからではない。
その姿が普通ならありえない格好をしていたからだ。
「神楽さん!」
数騎は自転車をその場に転がし、神楽に駆け寄った。
神楽はいつものようにベンチの上にいた。
問題はベンチの上にいる体勢だ。
いつもなら座るはずのベンチの上で、神楽はなんと寝転ていたのだ。
苦しいのだろうか、神楽は額に汗を浮かべながら丸くなってベンチの上に上半身だけを寝かせていた。
「大丈夫ですか、神楽さん!」
体を揺らしながら数騎は声をかける。
すると、神楽は瞼をゆっくりと持ち上げ、数騎に視線を向けた。
「あ、数騎さん。こんにちは」
「こんにちはって、どうしたんですか?」
「どうしたんですか……ですか? べつに、どうもしてませんよ」
「どうもしてない人間がベンチで寝たりするんですか?」
「ん〜痛いところを突かれましたねぇ」
そう言うと、神楽は気だるそうに体を起こした。
と言っても体調が優れないらしく、肘で体を起こしただけだ。
「実はですね、昨日の夜。おもしろいラジオ番組があったんで、思わず夜更かししてしまったんですよ。それでちょっと体調を崩してしまって」
「またですか、気をつけてくださいよ」
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
「一人で帰れる?」
数騎の問いに、神楽は小さく首を横に振る。
「ちょっとキツイですね」
「送って行きましょうか?」
「いえ、大丈夫です。もう少し休めば屋敷に戻れますから」
「………………」
本当なら神楽を屋敷まで連れて行ってあげたい。
だが、神楽の屋敷はかなり遠く、そこまで連れていこうとするとかなりの時間がかかってしまう。
それはマズイ。
いつもならともかく今はマズイ。
今は家に帰って自転車のカゴに入っている米を使って料理をしなければならない。
「そう? 本当に大丈夫? お金あるからよかったらタクシー呼ぶけど」
麻夜の財布から着服しようとする数騎、もちろんあとで給料から差っ引かれる。
だが、金よりも数騎は神楽の方が心配だった。
数騎は神楽に一万円札を渡そうとするが、神楽は受け取らなかった。
「平気ですよ、少し休めば」
「じゃあ、休んでもダメだった時のために」
そう言って、数騎は神楽の着物のなかに一万円札を捻り込んだ。
はっきり言ってセクハラだが、こうでもしないと神楽は絶対に受け取らないと数騎は確信している。
遠慮深く、人のことを思いやりすぎる。
それが神楽なのだ。
「か……数騎さん、ダメですよ」
「いいの、それ返してくれなくていいですから。もしも体調よくなったら好きなものでも買ってくださいね」
そう言うと、数騎は神楽に背を向け自転車の方へと歩き出す。
神楽を放って行くのは心苦しいが、あの場に留まると一万円を押し返されてしまう。
こうやって返却できない状況にしておけば神楽も金を返しようがない。
最悪、後で押し返されるとしても、とりあえず今はあの金でタクシーを呼べるし、それなら返す時の一万円は神楽の財布から出るものだ。
どちらにしろ神楽はタクシーを使える状況にあるのだ、これなら問題あるまい。
と、なんとか思いこもうとする。
一番いいのは今、無理に神楽をタクシーに乗せる事だが神楽が拒むだろうし、もし神楽の言うとおり体調が少しだけ悪い程度なら取り越し苦労になったというだけ。
最善の策を尽くせない数騎は、妥協策で我慢しながらもその場から立ち去ることにする。
「じゃあね、神楽さん。無理だけはしないでくださいよ!」
「わかりました、そうさせてもらいます」
汗を流しながらも、神楽はにっこりと微笑む。
数騎はその笑顔に思わずドキっとした。
だってそう、汗をかいていた神楽からは神楽自身の匂いが強く漂っていた。
それは年頃の女性の匂いで、数騎は終始、変な気持ちを覚えてしまっていたのだ。
数騎は頬を赤く染めながらその場を立ち去る。
今はそんなことを考えていられるような時じゃない。
今は司が大変な時なのだ。
なら自分がしなければならないところは別にある。
そう考え、数騎は自転車にまたがり事務所に向かって走り出す。
空は赤くなりはじめ、運命の時に向けて時間は刻一刻と流れていた。
太陽が沈み、空を漆黒が支配する。
だが、人の光で照らし出される空は漆黒からは程遠く、弱々しい光を放つ星々はその輝きを地上の人々に示すことを許されない。
そんな地上に存在する探偵事務所の一室に玉西彩花、いや数騎にとっての柴崎司はいた。
暗くなり、日の光もないというのに電気もつけていないため、その部屋は非常に暗い。
まるで海苔巻きのように布団を体に巻きつけ、司は小さくなりながらベッドの上で震えていた。
それは恐怖からだ。
体調は時が立つにつれ悪化の一途を辿り、そしてそれは、そのまま死に近づいていることを意味する。
誰だって自分の十三階段など知りたくはない。
それを知るのは不幸だ、実に不幸な事だ。
誰だって漠然とは意識している、人はいつか死ぬ。
しかし、それは遠い未来のことであり今とは何のかかわりもない。
だが、それが現実感のある日数の後、いやほんの数時間後訪れると知ってしまったら、それを知った人間はいったいどのような行動に移るだろうか。
司はただ震えた。
体調の変化に伴う不安、死という現実に近づいていく恐怖。
そして何より、自分の存在が消えてしまうと言う結果に怯えていた。
そして、十三階段の最後の段が見え始めていた。
司の体中に奇妙な刺青が浮かび上がっていたのだ。
蛇と悪魔をかたどったその刺青。
それは、呪餓塵の呪いが最終段階に突入した証拠であった。
震える。
司はただ肩を震わせつづける。
嗚咽まじりだが泣き声を漏らさぬよう顔を布団に押し付けているため布団は涙と鼻水でぐしょぐしょだ。
と、ノックの音が響いた。
司はすぐに布団で顔を拭って涙を隠し、布団を顔まで引き上げて赤くなった鼻を隠し、なるべく平常の声を出せるように務めながら口を開いた。
「悪いけど、今話したくない」
「そうじゃない、晩飯を持ってきたんだ」
声の主は数騎だ。
どうやら夕食を運んできてくれているらしい。
「いい、お腹減ってない」
「じゃあ、せめてそっちに運んで置かせてよ、食べなくてもいいからさ。部屋に入っていい?」
「……いいよ」
その言葉と同時に数騎が部屋の中に入ってくる。
自分の体に走る刺青を見て、驚きを隠せないようだが、平静を装って近づいてくる。
手に持っているのはおかゆだろうか、おいしそうな匂いが漂ってくる。
そう言えば今日は朝から何も食べてない。
気分が悪く、戻してしまいそうだが、お腹が減ってきた。
「ここ置いておくから」
そう言うと数騎はベッドの側においてある机におかゆを乗っけているお盆を置いた。
「じゃあね」
「待って……」
立ち去ろうとする数騎を司は引きとめる。
「待って……くれないかな」
数騎はゆっくりと振り返り、司を見る。
今の司は鼻まで布団で隠して目から上しか顔が出ていない。
そんな司を見て、数騎は小さく微笑んだ。
「何?」
「食べ……させて……くれない?」
「起きるのつらい?」
「うん、そうなの。だめかな?」
「大歓迎さ」
そう言うと数騎は司のベッドまで歩み寄り、側にあるイスに腰をかける。
おじやとプラスチックのスプーンを手に取ると、数騎はスプーンにおかゆを乗せ、司の顔に近づける。
が、仕方なしにその手を止めた。
「司、顔隠してると食べられないよ」
「う……うん」
じれったい動作で司は布団を顔からどかした。
そこから出てきたのは真っ赤になった鼻だった。
司は勘違いしているが、実は数騎は部屋に入った時から司が泣いているのに気付いていた。
だってそう、目が赤々とはれていたからだ。
別に鼻を見るまでもないことであったが、体調が悪い司は頭が朦朧としていて、それに気付いていなかった。
「さ、食べて」
「うん、いただきます」
そう言ったのを聞き、数騎は司の口におかゆを流し込んだ。
「どう?」
「んっ、おいしい」
「よかった、はじめて作ったから心配だったんだ」
「すごく、おいしいよ。もっとちょうだい」
それに答えるように数騎は司の口におじやを運ぶ。
司は瞬く間に数騎特製のおかゆを食べ尽くしてしまった。
「う〜ん、結構食べたね。おかわりいる?」
「いらない、ごちそうさまでした」
「おそまつさま」
満面の笑顔で言う司に、数騎は優しく微笑んで答えた。
と、その微笑みが驚きの表情に変わる。
それを見て、司は首をかしげた。
「あれ、どうしたの?」
その言葉に、数騎は顔を曇らせた。
「あれ、あれれ?」
そこまできて、ようやく司にも気づく事ができた。
そう、司は気付いていなかった。
自分が涙を流していたことに。
「あれ、おかしいな。別に悲しくなんてないのに」
「………………」
数騎は何も言わず、ただ司を見つめ続ける。
「あれ、あれ、あれ? 止まらない、何で?」
司は何度も目をこすり、涙を拭く。
「何で……止まらないの?」
そうして、顔を悲しみに歪ませながら涙を流しはじめた。
思っただけだった。
もし、あと数時間後に死んだら、二度と何かを食べるという行為ができないと。
あと数時間後に死んだら、二度とおいしいものを食べる事などできないと。
二度と、誰かに食べさせてもらうなどと言うことができないと、そう思ってしまっただけ。
「泣いた方がいいんじゃないかな」
数騎は何とか聞き取れる程度の小さい声で言った。
「泣いた方がいい、ため込んでもつらいだけだから。大声出して、泣いたらいいと思う。泣くってのはさ、それだけで心が軽くなるもんだからね」
そこまで言うと、数騎はイスから立ちあがる。
が、その動きが急に止まった。
見ると、数騎の服の裾を、司が握り締めている。
「何かな?」
優しく問い掛ける数騎。
そんな数騎に、司は震える声で呟く。
「胸、貸して……」
そう言うと、数騎の体を自分の元に引き寄せる。
貧弱なで小さな体。
ろくに筋肉もなく、あまりにも弱々しくて小さな存在。
それでも、数騎の体は温かく。
それでも、孤独の内に泣くより、よっぽど安心感がある。
司は数騎の胸に顔を押し付けながら、大声で泣いた。
何にはばかるでもなく。
何をかえりみるでもなく。
ただ怖くて。
ただ不安で。
ただ悲しくて。
そして、誰かがそばにいてくれる安堵から、司は大声で泣き続けた。
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