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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十四羽 無空

第十四羽 無空


 夜の町を男が歩く。
 黒いコートを身に纏った男、仮面使い柴崎司。
 月は地上を照らし、異層空間を展開するには持って来いの時刻。
 友人の命を救うため、仮面使いは路地裏に足を踏み入れる。
「さて、勝率は三・七と言ったところか。かなり分が悪いな」
 口にして寒気が体を襲った。
 冷静に考えてみれば相手が悪すぎる。
 自分は輝光を用いた中距離攻撃を主体に戦闘を進めていくタイプの魔剣士だ。
 一応、友人の二階堂から無断借用している刀とカタールがあるが心許ない。
 戦いと言うのは射程において上回っている者が非常に有利とされる。
 理由は簡単だ、相手より射程が上回っていれば敵の攻撃を受けずに相手を攻撃できる。
 これ以上に有利な条件はそう簡単に作り出す事は出来ない。
 その原則から考えれば自分のほうが有利だが、そうは行かない。
 こちらの放つ攻撃は全て生命エネルギーである輝光を破壊力に変換したものだ。
 アゾトの剣、刻銃による輝光弾、どちらも輝光系の攻撃だ。
 だが、魔餓憑緋は紅鉄を含む魔剣。
 輝光による攻撃はすべて掻き消される。
 だが、刀でやりあって勝てる相手とは思えない。
 向こうは間違いなく達人クラス、こちらも覚えはあるが、さすがに剣聖佐々木小次郎ほどの実力はない。
 ならば、接近せずに倒したいところだが方法がない。
「いや、あるにはあるか……」
 呟き、懐に隠し持つ銃に手を触れる。
 術式の刻まれた魔弾を放つ、九弾の刻銃(ナインバレットリボルバー)という名の拳銃。
 九つの弾丸を装填できると言う意味ではない。
 計九発の種類の特殊弾を発射できるためにこの名前がつけられたのであって、実際に装填できる弾丸は六発だ。
 輝光を弾丸にためこみ、それを純粋な破壊力として放つ魔剣。
 その中で、特に輝光保有力の高い特殊弾を司は二種類所持していた。
 一つは虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)、命中性と射程を重視され、少々の追跡能力を持つことから高速で逃走する相手に対する命中率が非常に高い輝光弾を放つ弾丸。
 もう一つは刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)、有効射程も五メートルと短いが破壊力に特化した弾丸。
 この弾丸、虐殺業魔は四発、刻銃聖歌は二発持ち歩いている。
 ちなみに残りの通常弾は三十だ。
 虐殺業魔は射程も長く追跡能力もあり非常に優秀だが、保有している輝光をそれに費やしているために威力は通常弾と変わらず決定打に欠け、刻銃聖歌は威力はあるものの速度のある敵には命中させるのが難しい。
 だが高威力のために、命中さえすれば魔餓憑緋の紅鉄でも防ぎきれない。
「何とか、回避できない状況を作り出さないとな」
 だが、それはあまりにも危険なことだ。
 刻銃聖歌の有効射程距離は五メートルが限度。
 しかし、五メートルなど魔餓憑緋相手に、安全圏などとは程遠い距離だ。
 何しろ魔餓憑緋には異常なほどの脚力が存在する。
 それに対し、仮面使いはあくまで通常の脚力だ。
「弾丸は二発あるが、チャンスは一度といったところか」
 呟き、覚悟を決める。
 そうして、仮面使いは魔餓憑緋のゾンビを見つけだすために行動を開始した。






「そろそろかな」
 数騎は時計を見上げて呟く。
 時計は十時を指していた。
 数刻前、大泣きしておおいに疲れてしまった彩花は、熱によって体力が落ちていたこともあって現在眠ってしまっている。
 ソファの上に転がっていた数騎は、向かいのソファでコーヒーを飲んでいる麻夜に視線を向ける。
「いけますかね、仮面使い?」
「呪牙塵を取り戻せるかってこと?」
「それ以外に今の話題ってないと思うんですけど」
 言って数騎は右手に作った拳を左の手の平に叩きつける。
「仮面使い、正直分が悪いと思うんですよ」
「その心は?」
「昨日の戦いを見ていてわかったんですけど、仮面使いは輝光を放出して対象を殺傷するタイプの魔剣士です。それに対してゾンビは対輝光能力の高い紅鉄で作られた魔飢憑緋を持ってる」
「なるほど、そりゃヤバイね」
 コーヒーを口にし、麻夜は続ける。
「でも、勝算なしってわけでもない。信じるしかないわよ、ワトソン」
「僕に・・・・・・何かできることがあれば」
「難しいでしょうね、数騎じゃ手伝いどころか足手まといになりかねない。助けるつもりが邪魔をして、助けられるものも助けられなくなるなんていうのが一番つまらないわ」
「それは・・・・・・そうですけど」
「それなら信じて待ちなさい、あの仮面使いは見た感じけっこうやるわよ」
「そうですね、正直僕が十人いても勝てそうにありません」
「そりゃそうでしょうね」
 そう言って、麻夜はコーヒーを飲み干す。
「とりあえず勝負は二つのタイムリミットまでに仮面使いが勝負を決めることね」
「二つ?」
「一つはもちろん彼女の呪いのタイムリミットよ。それが過ぎたら呪牙塵を奪い返しても意味がない」
「じゃあもう一つは?」
「仮面使いの輝光、生命力よ。放出系の魔剣士は遠距離攻撃ができる代償に攻撃毎に輝光を失っていく。彼の保有している輝光が尽きるまで、これが第二のタイムリミット」
「不利な上に時間制限・・・・・・キツイですね」
「キツイなんてもんじゃないでしょうね、ワトソンの言う通り彼は中距離攻撃タイプ。距離を離しすぎず、かといって詰めすぎると近距離型の魔飢憑緋に切って捨てられる」
「どうすれば、勝てますかね?」
「隙を突くことね、魔飢憑緋の速度と真正面からやりあっても攻撃の命中は難しい。不意をつくか、攻撃を回避しきれない状況を作り出す、もしくはゾンビが魔飢憑緋を失う状況を作り出せばあるいは」
「難しいですね、本当に」
「でも、信じるしかないのよ」
 ため息をつきながら答え、麻夜はカップにおかわりのコーヒーを注ぎ込む。
 コーヒーは苦く、いつものようにおいしくは感じなかった。






「ちぃ!」
 翻る漆黒の外套が翼であったなら、対峙するゾンビの足はまさに風であった。
 仮面使いは血の匂いに引かれ、六人の斬殺死体とともに魔餓憑緋のゾンビを見つけだした。
 魔餓憑緋のゾンビは瞬く間に壁を駆け上ってビルの屋上まで逃げ、それを追って仮面使いもビルを上る。
 その後は、建物の屋上伝いの鬼ごっこだ。
 火力において優っている仮面使いが射程の有利をもってゾンビに一方的な戦闘を仕掛け続ける。
 が、それは決定的ではない上に制限時間付きだ。
 魔餓憑緋という紅鉄の刃は驚異的な仮面使いの攻撃をただの一振りで無効化する。
 その上、遠距離から放つ輝光弾は生命力だ、放出すればするほど体力を削られていく。
 時間さえ稼げば魔餓憑緋のゾンビに勝利が訪れる。
 だからこれはその時がくるまでの鬼ごっこ。
 攻撃の手段が尽き弾幕すら張れなくなった仮面使いを、鬼を交代した魔餓憑緋のゾンビが追い掛け回すようになるまでの鬼ごっこだ。
 仮面に隠れて見えないが、仮面使いの表情は危機迫っている。
 だってそう、もし自分の持ち駒が尽きる前にあのゾンビを討滅出来なければ、討ち滅ぼされるのは自分に他ならない。
 しかし、
「Azoth(アゾト)!」
 仮面使いは右手に持ったカタールを振るい、ゾンビに三本の銀影を放つ。
 が、ビルの屋上にあるフェンスの上でその攻撃に備えていたゾンビは右手に握り締めた魔餓憑緋を横薙ぎに振るう。
 銀影は跡形もなく消え去り、魔餓憑緋のゾンビは再び逃走を開始する。
「このままでは……だがっ!」
 攻め続けて勝機を見出すのは難しい。
 だが、逃げれば惨劇は加速する。
 魔餓憑緋のゾンビの大量虐殺を止めるには自分が魔餓憑緋のゾンビを引き付けるほかない。
「わかってはいる、わかってはいるが……」
 正直、打開策が見当たらない。
 このままではいたずらに時間だけが過ぎ、自分は殺され彩花が死に、惨劇は終わらない。
「なら、やるしかないだろう」
 言って、仮面使いは向こう側のビルの屋上に逃げた魔餓憑緋のゾンビを追うべく、ビルとビルの間を跳躍、その合間に握り締めた刻銃のトリガーに指をかけた。
「その身に刻め……」
 詠唱を口ずさみ、
「銀翼の、福音!」
 トリガーを引き絞る。
「虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)!」
 命中重視の気光弾が魔餓憑緋のゾンビに迫る。
 しかし、真正面からの攻撃が魔餓憑緋のゾンビに通じるはずもない。
 紅の剣閃とともに輝光弾は消し飛ばされる。
 その時に発する炸裂音が、仮面使いの詠唱を掻き消していた。
 そして、それは魔餓憑緋のゾンビが気付くのと全く同時に飛来した。
 アゾトの剣ではなく、それを取り付けたカタールを、仮面使いは投擲していたのだ。
 気付くのが遅すぎた。
 魔餓憑緋を振るうことにより、カタールを真っ二つに切り裂くが、勢いを失わなかった壊れたカタールにくっついていた一本のアゾトの剣がゾンビに腹部に突き刺さる。
「炸裂(ブレイク)!」
 詠唱。
 仮面使いの口から放たれた言霊は突き刺さったアゾトの輝光を炸裂させようとする。
 しかしそれよりも速く、刃が肉に突き刺さる音が響く。
 そして炸裂音。
 仮面使いはアゾトの剣を柄ごと炸裂させた。
 アゾトの剣に込めた輝光の量は通常の五倍。
 この一撃で決めるために、仮面使いは相当量の輝光をアゾトに注ぎ込んでいた。
 さらに複雑な術式を施したため突き刺さった後の炸裂を代償に柄ごと刺さったアゾトは全て壊れてしまい、使いものにならない。
 このような乱暴な使い方をするために仮面使いはカタールを四つも持ち歩いていたのだ。
 それだけの代償だ、ゾンビ一体吹き飛ばす事は容易い。
 だが、
「グギ……」
 ゾンビは四散してはいなかった。
 腹部にボーリングの玉が入るくらいの風穴を開けてはいたが、いまだに健在であった。
 仮面使いは目を見開いて驚いた、そこに存在していたものを見て。
 そう、ゾンビに腹部には魔餓憑緋が突き刺さっていた。
 ゾンビは炸裂の威力を殺すため、魔餓憑緋をアゾトの剣に突き刺し、炸裂の威力を軽減したのだった。
「ちぃ、まだまだか」
 さらに追撃をかけようと考えるも、ゾンビは素早く仮面使いに背を向け逃げ出した。
 普通の人間なら勝負も決まろうものだが、ゾンビが相手では五体をバラバラにするか、心臓を破壊しなければ決着がつくことなどありえない。
 仮面使いは舌打ちをする。
 かなりマズイ状況になった。
 ゾンビに打撃を与えることに成功したが、残りの弾数が厳しい。
 アゾトならあと百数本の刃を生み出せるが弾丸はそうはいかない。
 とくに切り札クラスの虐殺業魔は今の一撃で使い果たした、残りの刻銃聖歌は二発あるものの、これだけの相手では決定打としては不足だ。
 威力は申し分無いが、あたらなければ何の意味もないのだ。
「せめて、今のが足に当っていれば……」
 機動力さえ奪えば刻銃聖歌で決着をつけられたというのに。
 だが、悔やんでいても始まらない。
 なんとかアゾトの剣だけでゾンビを仕留める必要がある。
「さぁ行くぞ、仮面舞踏(マスカレイド)の始まりだ」
 自分をし切り直すため、言霊にして自身を戒める。
 そして、魔餓憑緋の仮面をかぶると、魔餓憑緋に匹敵する機動力を持ってゾンビの追跡を再会した。






「司」
 数騎はそう口にしながら部屋の中に入っていった。
 司は震えていた。
 布団に包まり、全身を震わせていた。
 自分の体に刻まれた刻印を見ないよう、力の限り目を閉じている。
 歯と歯をガチガチ鳴らし、涙を流しながらも嗚咽を押し殺していた。
「が、がずきぃ……」
 鼻水で鼻がつまり、涙を目に浮かべながら数騎を見る司。
 それは、あれだけ強気で勇ましく、そしてきれいだった司の面影は見る影もない。
 悪化していく体調、浮かびあがる刻印、逃れられない死、この世界に対する未練、全てを失う恐怖。
 司は、たった一人でそれらと戦い続けていた。
 この戦いに、他人が介入する事など出来はしない。
 一時的な安息を与える事は出来ても、解決することなど出来はしないのだから。
 少なくとも数騎は解決の方法を持たない。
 それを持つ男は、たった今この時も魔餓憑緋のゾンビと交戦中であった。
「怖い……怖いよぉ」
 涙ながらに言う司。
 布団を力強く抱きしめ、けして離そうとはしない。
 その姿が痛々しくて、あまりにも悲しくて、数騎は思わず泣いてしまいそうになった。
 数騎はうなだれ、司のその姿を見ているしかなかった。
 腹が立った。
 いいかげんに腹が立ってきた。
 何も出来ない自分が。
 何の力もない自分が。
 何より、司を助ける事が出来ない自分が。
「くそぉ!」
 叫び、壁を殴り付ける。
 その音に驚き、司は数騎に視線を向けた。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
 壁に拳を叩きつける。
 拳が痛い。
 骨が軋む。
 だがそれでも、この苦痛がなければ今の自分が許せなかった。
「くそっ!」
 殴る。
 自分があまりに無力だから。
「くそっ!」
 殴る。
 何も出来ない無能な男だから。
「くそっ!」
 殴る。
 護りたいものも守りきれない軟弱者だから。
 殴る、殴る、殴る、殴り続ける。
 痛い。
 でもこれくらいじゃ足りない。
 もっと殴らないと、これじゃ全然足りない。
 司の苦しみは、こんなもんじゃないんだから。
 だからもっと殴らないといけ……
「やめて!」
 後からしがみつかれる。
 驚いて振り向くとそこには司がいた。
 愕然とした。
 だって司は動けないはずだ。
 熱は軽く四十度を超えてる。
 さっきは起きあがっただけで夕食を戻してしまったほどだ。
 それなのに、司はこれ以上自分が拳を痛めないよう、自分の体を省みずにここまでやってきたのだ。
 涙が出た。
 護るべき人に護られて、護りたい人を護れなくて、どうしようもないのに護りたい人が苦しんでいるのを見るのが辛かった。
 思わずしゃがみこむ。
 立ち続けるのが辛いのだろう、司もそれに伴って座りこんだ。
「まだ、全然だ」
 数騎は涙を流しながら言った。
「まだ会ったばかりじゃないか。これからだよ、楽しいのはきっと。一緒に買い物にいったり、カラオケで歌を歌ったり、遊園地でジェットコースターに乗ったり、水族館に行ったり、車を乗り回したり、焼肉を食べたり。
楽しいのはこれからなんだ。今は忙しいし大変だけど、仕事が終わったら楽しい事が待ってるはずなんだ。それなのになんでさ、何でこんなことにならなくちゃならないんだ」
 泣いた。
 ずるいけど泣いた。
 今、泣いていいのは司だけだ。
 死ぬのが怖くて泣いていいのは司だけだ。
 でも泣いた。
 死ぬのが怖くて泣いた。
 司が死ぬのが怖くて、司を失う事が怖くて泣いた。
 そうして涙を流し続ける数騎の右目に、司の唇が触れた。
 驚いて目を見開く。
 ショックで涙が止まった。
 さらに司は左目に唇を運ぶ、そして右目にもしたように涙を口に含み飲みこむ。
「ダメだよ、男の子は泣いたりしたら。いつだってカッコよくなくちゃいけないんだからね」
「………………」
「何であなたが泣くのよ、死ぬのはあたしなのよ」
「だ……だって……」
「大丈夫よ、司がなんとかしてくれるわ。だってあいつは、私の親友なんだもん」
「好きな……人だったんだろ」
「そうね、できれば恋人になりたかった。でもなれなかった。だからもういいのよ。でも、一度くらしたかったな」
「なにを?」
「男と女がすること」
 その言葉を聞いて、数騎は思わず頬を赤く染める。
「これでも生粋の生娘でね、いまだに処女なわけなのですよ。死ぬ前に、一度くらいはしたかったな」
 こんな時だというのに数騎を励ますためにおどけて見せる司。
 それを聞いて、画点がいったように数騎は口を開いた。
「もしかして、この間、車の中で僕に迫ったのは」
「そう、死ぬ前に一度くらいしたかったからよ」
 そう言って小さくため息をつき、
「でも……もう無理よね」
 泣きやんだのに、一筋の涙を流した。
「だから数騎、しよ。私、もうすぐ死ぬかもしれない。そしたら、一度もできないで死ぬことになっちゃう」
 そう言って数騎に抱き付く司。
 数騎は少し考えた後、司の唇に唇を重ねた。
 舌を入れないソフトキッス。
 それをすませると数騎は司を体から引き離した。
「そう言う事情なら抱けないよ」
「何で……あたしには魅力がないから?」
「そんなことない、いますぐにでもしたいさ。でもね、司に本当に必要なのは僕じゃないだろう? それなら僕を代理にするってのは司にとっていいことじゃない。なら、やらないほうがいいと思ってね。
間に合わせじゃダメだよ、女の子にとってはじめてってのは本当に大切なものなんだから。ポイポイ捨てるもんじゃない」
 そう言って小さく息をつく。
「よし、決心がついた!」
 数騎は思いっきり自分の頬に手の平を打ちつけた。
「行ってくるよ、司」
「行くって……どこへ?」
「決まってる、仮面使いのところさ。合流して呪餓塵のゾンビを叩く」
「む、無理よ。できっこないわ」
「出来なくてもやってやるさ、無理なら死ぬだけだ」
「ダメよ、死ぬなんてダメ!」
「そりゃ死にたくないさ、でも何もしないで司に死なれたら自分を許せない。それくらいだったら僕も死んだ方がマシさ。僕はね、自分よりも司を大切に思ってるから」
「……それって、もしかして告白?」
「違うよ、本命は他にいるんだ」
「じゃあ、二股かけようっての?」
「そうでもないさ。ま、とりあえず行ってくる」
 そう言って部屋から出ていこうとする数騎。
 それを司は慌てて引きとめようとするが、数騎はひょいっと掴みかかろうとする司の手をすり抜ける。
「じゃあ司、約束だ。もし生きて帰って来たら遊びに行こう、公園でも、遊園地でも、外国だっていい。とにかく楽しもう」
「うん、じゃあ海に行きましょう。とっても星のきれいな海があるの。そこに案内してあげるから、あなたの本命をそこに連れてってあげて」
「またそれか、司も飽きないな。オーケイ、わかった。楽しみにしてる」
 そう言うと数騎は扉を閉めた。
 すぐさまポケットに手を伸ばし、ナイフを確認する。
 ドゥンケル、ハイリシュ、両方がある事を感触で確かめる。
 数騎は玄関に向かおうとしたが、後から声をかけられることで足を止めた。
「ワトソン」
「何ですか、麻夜さん?」
 振りかえるとそこには腕を組んで睨みつけてくる麻夜の姿があった。
「行くの?」
「行きます」
「勝ち目は?」
「ありません」
「じゃあ、何で?」
「何もしないで、後悔したくないから」
「その代価が命でも?」
「高すぎはしませんよ」
 その言葉に麻夜は大きくため息をついた。
「何であんたは自分の命を大切にしないの?」
「してますよ、だから大切な時以外は命をかけたりなんてしない。これでも臆病なんですから」
「臆病なヤツはそんな行動とらないんだけどねぇ」
 麻夜は片目をつぶり、再びため息をつく。
「考え直しなさい、ワトソン。これは夢物語じゃないのよ。何か必殺技を持っていて、これさえ決まれば勝てるけど勝算は低いなんてありきたりなものじゃない。勝算自体があなたにはないの。あなた一人じゃ絶対に勝てない」
「だから仮面使いと協力するんです」
「今、仮面使いがどこにいるのかわかるの?」
「わかりません」
「勝てる自信は?」
「ありません」
 その言葉に、麻夜はただ数騎を睨みつけていた。
 何か言わなくちゃいけない、数騎は思った。
 麻夜さんは絶対に、勝ち目のない戦いに自分を向かわせるようなことはしない。
 もしもそれを強行しようというのなら、実力行使で自分を引きとめるだろう。
 麻夜さんを説得する必要がある。
 だが、麻夜さんにも言った通り、自分には勝算がない。
 考える、どう言えば麻夜さんを納得させられるか。
 考える、どうすれば魔餓憑緋のゾンビから呪餓塵を奪い返せるか。
(接近されて太刀打ちできるというのか? お前に燕返しが使えるとでも言うのか?)
 仮面使いの言葉が蘇る。
 わかっている、自分では魔餓憑緋のゾンビは倒せない。
(あの佐々木小次郎とて、あいつとは互角の戦いしかできなかったんだ。お前に何が出来る?)
 そうだ、何もできはしない。
 無能力者の自分はこの闘いを土俵の外から見ることで精一杯だ。
 でも何か一つくらい、できることはないだろうか。
(……くらいなものだ。わかったら引っ込んでいろ、足手まといだ)
 一部がくりぬけていた。
 仮面使いの口にした言葉。
 思い出せない、彼は何と言ったのか。
「あっ」
 いともたやすく思い出せた。
 なんとか、その言葉を思い出すことができた。
 戦慄に揺れる。
 それは希望へと誘う道標。
 そうだ、仮面使いにはわかっていたのだ。
 ただ、無意識にしか気付けていなかったというだけ。
「あ……あっ!」
 閃いた。
 それはある男の技巧との融合。
 それならいける、それなら魔餓憑緋のゾンビを打倒し得ることができる。
「そうか……そうだ!」
「な、何よ?」
 いきなり大声を出す数騎に、麻夜は思わずあとずさった。
「そうだ、そうだよ、麻夜さんの言う通りだ!」
「何が?」
「必殺技ですよ、必殺技があれば勝算だってある」
「はぁ? 何言ってんの、ワトソン? 必殺技なんて……」
「ありますよ、必殺技。今、考え付きました。これでもオリジナルです、ややパクリだけど」
 そう言うと、数騎は握りこぶしを作り、ガッツポーズをする。
「なんだ、そんな簡単なことだったんだ。何でもっと早く気付かなかったんだろう! とうの昔にわかっていてもよかったはずだ、仮面使いも僕にそう教えてくれいていた」
「え? え? どういうこと?」
 困惑している麻夜に、数騎は不敵な笑みを浮かべた。
「勝算、出来ましたよ。大丈夫、生きて帰ってきます。あっちの部屋で司が地面に転がってるんで、ベッドに戻してあげてください」
 言って、数騎は麻夜に背をむけて玄関に向かおうとする。
「待った待った!」
 麻夜は慌てて外に出ようとする数騎を引きとめた。
「必殺技って何? 頭おかしくなっちゃったの?」
 慌てふためいて数騎を止めようとする麻夜に、数騎は微笑みを浮かべる。
「無空って技です、決めてみせますよ」
 そう言うと、数騎は麻夜を振り切って事務所から出て行った。
 その後姿を見つめながら、麻夜は眉をしかめる。
「……なによ、それ。……無空?」
 呆然とするも、すぐ麻夜は正気を取り戻す。
 とりあえず司をベッドの上に戻すべく司の部屋に行かないといけない。
 そしてそれが終わったら、せめて数騎が無事に帰ってこれた時のためにココアをいれておこうと準備をはじめようと思った。






 黒き外套の男が紺の外套の男を追いかけていたのは数分前、今では立場が完全に逆転していた。
「ちぃっ!」
 放たれるは六本の銀影。
 しかし、魔餓憑緋のゾンビは紺の外套をなびかせ、魔餓憑緋を縦横無尽に振り回す。
 ビルの屋上、月光を照り返しながら飛来する六本の輝光剣は瞬く間に掻き消される。
 もはや勝敗が決したと言っても過言ではない状況にあった。
 仮面使いは所持していた刻銃の弾丸を、一つを除き全てを失った。
 残るは刻銃聖歌一つ。
 そして、これが仮面使いにとっての切り札だ。
 圧倒的に有利な状況にありながらも、魔餓憑緋のゾンビが強攻策に出ない唯一の理由がこれだ。
 仮面使いは魔餓憑緋のゾンビを仕留める必殺の一撃を隠し持っている。
 闘いとは本来、お互いがお互いを打倒しうる手段を持っている場合に使われる言葉だ。
 例え相手がマシンガンを持ち、こちらがペーパーナイフしか持ち得ないとしてもペーパーナイフを使って相手を仕留めることは不可能ではない、それこそ不可能に近い確率ではあろうが決して不可能ではないのだ。
 仮面使いにとって、そこまで状況が危険なわけではない。
 魔餓憑緋を弾数無限のマシンガンとするなら刻銃聖歌はまさにショットガン。
 射程は短くとも決まれば一撃で戦局を変えるジョーカーだ。
 だが、これを失えばアゾトのみ。
 そしてそれすら失った場合、仮面使いは勝利する手段を失い、まさしく文字通り闘いではなくなる。
 片方のみが必殺のそれを用いうるのであれば、それは闘いではなく一方的な狩猟にすぎない。
 そう、仮面使いは厳密にはまだ闘っている状況だ。
 だが、持久戦に向かない仮面使いは刻銃をほぼ全弾撃ちつくし、残るアゾト具現可能数は多く見積もって八十を超えない。
 アゾトを失い、刻銃聖歌すら失った時こそ、戦いが終わり、狩りが始まる。
 そしてそれは仮面使いの敗北を意味していた。
「負け……」
 両腕を振りかぶり迫る魔餓憑緋のゾンビを睨みつけ、
「るかぁ!」
 叫び、両腕を振るう。
「Azoth(アゾト)!」
 放たれる六本の剣閃。
 仮面使いは高速で、両腕を振るい魔餓憑緋のゾンビを近寄らせまいと弾幕を張る。
 都合、六の剣が魔餓憑緋に襲いかかるも、
「グギ」
 それを上回る剣風が、そのことごとくを掻き消し、霧散させる。
 仮面使いは舌打ちをしながら魔餓憑緋のゾンビに背を向けた。
 このままでは勝てない。
 もはやそれが完璧に理解できた。
 このまま闘い続ければ手段を失い敗北する。
 なら唯一の勝機は一つ。
「これしか……ないだろうが!」
 叫び、仮面使いは両腕を一閃させる。
 そして、両手に握り締めたカタールを魔餓憑緋のゾンビに向かって投擲した。
「炸裂(ブレイク)!」
 詠唱と同時に、投擲した二つのカタールについている六本のアゾトの剣が爆発を起こした。
 五倍の輝光を込めた六本の輝光弾の爆発だ。
 黒煙を立ち上らせるその一撃。
 が、その中からほとんどダメージを受けていない魔餓憑緋のゾンビが姿を現す。
 なんという事はない、爆発の威力を魔餓憑緋で軽減したのだ。
 貴重な弾数を失っても繰り出した仮面使いの猛攻は魔餓憑緋のゾンビを倒すに至らない。
 しかし、仮面使いの目的はそれではなかった。
 仮面使いの狙った事態に気付き、魔餓憑緋のゾンビは周囲を見まわす。
 しかし、どこにも仮面使いの姿は存在していなかった。
 仮面使いは見出した勝機は一つだけだった。
 一端退き、後に不意を討って勝負を下す。
 そして、多くの持ち駒を失いながらも仮面使いは勝機を得るための賭けにでたのであった。
「グギギ……シテ……ヤラレタトイウ……ワケカ……」
 魔餓憑緋のゾンビはそう独白すると、その場から立ち去った。
 目的は一つ、仮面使いを見つけだして始末する事。
 そしてそれを行うためには二つの方法がある。
 一つは隠れた仮面使いを探し出す事。
 もう一つは、犠牲者を加速的に増幅させ、仮面使いをいぶり出す事。
「デテクルカミツカルカ……ドチラガサキカナ……」
 紺の外套が月夜を駆ける。
 再び惨劇が幕を開けようとしていた。






「アゾトを使いすぎたな」
 ビルとビルの間、ポリバケツの後に仮面使いは潜んでいた。
 ため息をつく仮面使い、その手には一振りのカタールしか残されていなかった。
 実は魔剣と言うのは量産型でも結構な値段がする。
 アゾトの剣は比較的構造が簡単で能力が低い為に値段も安価だがそれでも十数万、ちょっと値の張るナイフよりも高い。
 それを九本も失った。
 仮面使いの財布にかなりの大打撃が襲いかかる。
「そんなことを考えている場合じゃなかったな」
 そう口にし、仮面使いは最後のカタールを右手に持つ。
 正直これでは心許ない。
 魔餓憑緋の速度を考えるなら、弾幕は厚いにこしたことはない。
 だが、今手元に残されているのはこの一つだ。
 それにどちらにしろ、輝光が底をつきかけている。
 二つあったところで、有利な展開を作り出すことはできないだろう。
「だが、泣き言も言っていられない」
 呟き、ポリバケツの陰から立ちあがる。
 ここで悩んでいても犠牲者が増えるだけ。
 ジッとしていても戦力が増えないならぶつかるだけだ。
 と、コツンと後頭部に何かぶつかる感触、そして柔らかくい物が地面に落ちる音。
 驚き、周囲に目を配るも、誰の姿も見えず、そして誰の気配も感じ取ることはできなかった。
 訝しみながら、仮面使いは頭にあたって地面に落ちた柔らかいものを目にした。
 それはクシャクシャに丸められた紙だった。
 仮面使いはアゾトを握り締めていない左手で紙を拾い上げると、器用にも片手で丸められた紙を広げた。
 そこに書かれていたのはミミズのような読みにくい文字の羅列だ。
 一瞬、外国語かとも思われたが、どうやらただ下手なだけらしい。

 分をわきまえた、協力する

 それだけ書かれていた。
「読むのにコツがいるな、下手すると読めないぞ……だが」
 これは天の助けだな。
 口の中で小さく呟く。
 これで行動方針は決まった。
 仮面使いは右手にアゾト、左手に刻銃を握り締めると、後ろにいるであろう少年に振り返った。






 絶叫と共に血飛沫が風に舞う。
 全身を十三分割された男の死体が地面に転がった。
「グギ……」
 たったいま凄惨な殺しを行なったのは魔餓憑緋のゾンビであった。
 今、彼を止められるものはいない。
 いや、唯一それができる男さえ魔餓憑緋のゾンビには及ばない。
 しかし、不意を撃たれれば破れる可能性がある。
 故にそれを炙り出すべく、魔餓憑緋のゾンビは殺戮を行なおうとしていた。
 殺したばかりの男には目もくれず、周囲に視線をやる。
「グギギ……」
 見つけた、不用意にも少年が一人、路地裏を歩いている。
 魔餓憑緋のゾンビは駆け出した。
 少年との距離は五十メートル、しかし魔餓憑緋のゾンビにとってそんなものあってないに等しい。
 少年が恐怖に顔を歪める、魔餓憑緋のゾンビの右手に握り締められた血塗られし長刀を目にしたからだ。
 魔餓憑緋のゾンビはその体を解体しようと魔餓憑緋を大上段に振り上げ、
「Azoth(アゾト)!」
 飛来する三筋の剣閃を回避すべく、大きく後方へ跳躍した。
「逃げろ!」
 ビルの非常階段の三階からアゾトの剣を繰り出した仮面使いは襲われていた少年に向かって叫んだ。
 少年は慌てふためきながらその場から逃げ出そうとする。
 それを魔餓憑緋のゾンビが追うのではないかと仮面使いは警戒したが、それは杞憂だった。
 仮面使いを屠れば後はゆっくり楽しめる、魔餓憑緋はそれを知っていた。
 故に魔餓憑緋のゾンビは仮面使いを抹殺すべく、仮面使いに最高速度で接近した。
 仮面使いのいるビルとは向かい側にあるビルの非常階段の手すりを足場に、一気に三階分駆け上る。
 そして、仮面使いと同じ高さまで上ると、その腐り落ちた眼球で仮面使いを睨みつけた。
「デテキタナ……カメンツカイ(ウィザルエム)……」
「いいかげんお前の腐った面も見飽きた、これで終わりにするぞ」
「キサマヒトリデハワタシニハカテナイ……ナカマヲツレテクレバヨカッタモノヲ……」
「同感だ」
 瞬間、鎖の音と風を切る音が響く。
 それが投擲による攻撃だと気付いた瞬間、魔餓憑緋のゾンビは魔餓憑緋を振るい、斜め下から繰り出された短刀を弾き飛ばす。
 そして下を見た。
 仮面使いのいる非常階段の下の階に、先ほど逃げた少年が、全身黒ずくめで小柄な少年がその両手にさきほど弾き飛ばした短刀の柄につながっていた鎖を握り締め、笑みを浮かべていた。
「Azoth(アゾト)!」
 一瞬の油断、そこをついて仮面使いがアゾトの剣による投擲攻撃が繰り出された。
 が、魔餓憑緋の速度は異常だった。
 手すりから跳躍し、上の階に上ってアゾトの剣を回避すると、新手と仮面使いを屠るべく狙いを定める。
 だが、すでに二人とも逃げ出してしまっていた。
 仮面使いはビルの中に逃げ込み姿を消し、もう一人の鎖短刀を操る少年は姿どころか気配すら感じ取れなくなっていた。
「バカナ……ドウイウコトダ」
 ありえないことだった。
 普通、生物として存在している以上、輝光という生命エネルギーを用いてこの世に存在しているはずだ。
 故に、どのような生物であっても輝光を持ち、それを感じ取れば最低限近くにいる、遠くにいるというのが感覚的にわかる。
 だが、それすらない。
 先ほどの鎖短刀の少年は存在感そのものが皆無なのだ。
 これは恐ろしい伏兵だ。
 もちろん、魔餓憑緋のゾンビも無能力者のなかでも輝光保有量の少ない者が鉄を持つことでその気配を完全に絶つことができるなどということは知っている。
 しかし、どう考えても自分を相手にするにあたってそのような無能力者など連れてくる意味がない。
 それゆえに魔餓憑緋のゾンビは新たな伏兵の存在を恐れた。
 仮面使いの手は知り尽くし、切り札はあと一枚しかないことを知っている。
 これは二階堂を操っていた時に二階堂の記憶から取りこんだ情報だ。
 だが、増援として現れた鎖短刀の少年は別だ。
 二階堂という男はこの鎖短刀を持つ少年の能力を知らない。
 そして、この少年がどのような魔剣を保有しているのかさえわからない。
 なら、危険なのは鎖短刀の少年だ。
 殺す優先順位を鎖短刀の少年を上位に置き、魔餓憑緋は探索を開始する。
 非常階段を跳躍し、向かい側のビルに飛び移ると、その二階からビルの中に進入した。
 速度を殺して無音歩行を選び、気配を極限まで掻き消し進む。
 そこは漆黒の闇。
 窓からさしこむ月以外、明かりになる物はない。
 その中を、魔餓憑緋のゾンビはゆっくりと歩いていく。
 全方向に神経を張り巡らせた。
 連れてきた増援の魔剣がどの方向から飛んでくるかわからない。
 どのような攻撃にも備えられるように魔餓憑緋を構え、ゆっくりと歩き続ける。
 と、鎖のこすれる音が聞こえた。
 間違いない、鎖短刀の音だ。
 だが、それが囮である可能性は否定できない。
 しかし、鎖短刀の少年である可能性も皆無ではなければ行ってみる他、選択肢がない。
 魔餓憑緋のゾンビはゆっくりと歩いていき、鎖の音が聞こえた部屋の扉を開く。
 そして見た。
 部屋の机に鎖を結び付け、それを窓から垂らして足場とし、二階の窓からビルの外に脱出しようとしている少年を。
 少年はすでに窓から飛び降りるところであった。
 それを追って魔餓憑緋のゾンビは駆け出す。
 しかし、少年が地面に落下するほうが早く、魔餓憑緋のゾンビが手すりに辿りついた時、少年は地面に降り立っていた。
 魔餓憑緋のゾンビは手すりに全身の力をこめ跳躍の準備をする。
 目標は地面に降り立った少年。
 これで増援の命は終わりだ。
 上空からの奇襲に少年は気付かない。
 魔餓憑緋のゾンビはそのために無音歩行を行なっていたのだ。
 手すりから足が離れる、この段階ですら少年はこちらに気付いていない。
 そして足の筋肉を爆発させ、魔飢憑緋のみに可能な速度で跳躍。
 地上にいる少年に躍りかかる。
 殺(と)った。
 魔餓憑緋のゾンビはそう思い、
「ようこそ」
 こちらに気付いており、自分に向かって振りかえりながら口を開いた少年の声を聞いて目を見開き、
「足場無き(・ )空(・)へ」
 少年を買かぶったことを後悔した。
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 強力な輝光弾の一撃が肉体に襲いかかる。
 それは魔餓憑緋が出てきた向かい側のビルの窓。
 そこに潜んでいた仮面使いは、完全なる不意打ちを魔餓憑緋のゾンビに叩き込んだ。
 とっさに回避しようにも、それは不可能であった。
 蹴る地面が無くては、いかなる俊足の持ち主でも空中で動くことなどできない。
 そこはまさに『足場無き空』。
 魔餓憑緋のゾンビにとってそれは、あらゆるところに存在する死地そのものであった。
 しかし、まだ命運は尽きていない。
 魔餓憑緋のゾンビは右手に握り締めた魔餓憑緋で、奇襲攻撃への防御を試みる。
 だが、魔餓憑緋の素材である紅鉄は掻き消す事ができる輝光量に限りがある。
 破壊力重視の刻銃聖歌の威力はそれを上回っていた。
 魔餓憑緋であろうと、その威力を軽減しきることはできず、その全身をコンクリートの壁すら砕く輝光の洗礼が襲った。
 魔餓憑緋を持った右手、そして、その対輝光能力によって右足はほぼ完全に近い形で保護された。
 だが、その左半身は心臓を除いて大半が吹き飛び心臓が露出、左手は肩のあたりから丸ごと消し飛ばされる。
 左足はその大部分が吹き飛び、骨しか残らない。
 だが、それでもまだ歩く事は可能であった。
 衝撃に耐えきれず、ゾンビは魔餓憑緋を手放した。
 魔餓憑緋は回転しながらあらぬ方向に飛んでいき、ビルの三階の窓ガラスをぶち破ってビルの一室に入ってしまう。
 満身創意の魔餓憑緋のゾンビは、いやゾンビは地面に叩きつけられた。
 魔餓憑緋を失った今、対輝光能力は失われ、その超人的な脚力すらも失い、さらには左腕、左足の大部分を失い、まともに動くのは右腕と右足のみ。
 そしてその最大の弱点である心臓は貫いて下さいとばかりに露出している。
 ゾンビは立ちあがった。
 残された右腕にはいつ取り出したのか、呪餓塵を握り締めている。
 と、ゾンビは驚きの呻き声をあげた。
 もし、瞼が存在していたならば目を見開いていただろう。
 ゾンビの目の前には、右手にハイリシュ・リッターを握り締める数騎の姿があったからだ。
「グオォォォォォ!」
 ゾンビの咆哮。
 ゾンビは右腕に握り締めたサバイバルナイフ、呪餓塵を振りかぶって数騎に襲いかかる。
 数騎はハイリシュ・リッターをゾンビに向かって投擲、ゾンビの攻撃速度を鈍らせるとともに、迫る短刀と鎖で自分の姿を視認しにくくする。
 ゾンビは握り締めた呪餓塵でハイリシュ・リッターを迎撃した。
 その隙を付き、数騎はドゥンケル・リッターを片手にゾンビに肉薄する。
 距離は一メートル以下。
 この射程ならば、折りたたみ式ナイフでもサバイバルナイフに引けを取らない。
 数騎は横薙ぎの一撃をゾンビに向かって繰り出した。
 ハイリシュ・リッターを迎撃したばかりのゾンビはその一撃を受け止めることができず、後に跳躍してその一撃を回避。
 そこに、数騎は驚異的な脚力でゾンビの懐にさらに踏み込む。
 ゾンビはその次に来る一撃を知っていた。
 故に恐れた。
 ゾンビは自分の死を回避すべく無理な体勢から呪餓塵を振るい、数騎を迎撃しようとする。
 が、それも徒労に終わった。
 閃光が走る。
 数騎は握り締めたドゥンケル・リッターを斜めに一閃させた。
 狙う個所はその右手。
 呪餓塵を握り締めた四本の腐敗した指を、数騎はドゥンケル・リッターでまとめて斬り飛ばした。
 回避などできようはずはない。
 ゾンビにそんな選択肢は存在していなかった。
 それは秘剣、燕返し。
 敵の回避運動を誘って地面から足を離させ、続く回避行動を奪って必殺の一撃を叩きこむ技巧。
 数騎に燕返しを繰り出されたゾンビに、数騎の斬撃を回避する選択肢などありはしなかったのだ。
 斬り飛ばされた指が宙を舞う。
 それと共に、ゾンビの指から解放された呪餓塵は、あっという間に地面に落下、遠くに転がっていった。
 ゾンビの迎撃は十分に間に合うはずだった。
 数騎がその心臓を狙おうと、武器の射程の差で呪餓塵が数騎を仕留めるほうがよっぽど早い。
 しかし、数騎の狙いはゾンビの抹殺ではなく呪餓塵の奪取だった。
 故に、ゾンビはその指を斬り飛ばされ、呪餓塵を失ったのである。
 自分の指を切り裂いた数騎を、ゾンビは凝視する。
(トドメヲササレル)
 そう考え、ゾンビは恐怖した。
 が、次の数騎の行動はゾンビにとって理解できないものだった。
 警戒しながらゾンビから離れると、数騎は地面に転がった呪餓塵を拾い上げたのだ。
「じゃあな」
 そう言うと数騎はゾンビに背を向けて走り出した。
 もともと数騎にゾンビを倒して人々を助けようなどという考えは存在しない。
 あるのは彩花を助けたいという想いだけだ。
 故に、ゾンビの生死には興味がない。
 どうしてもとあらば仮面使いが何とかしてくれるだろう。
 数騎はそのように考えており、
「グギ!」
 そしてそれはすぐ現実となった。
 飛来するアゾトの剣がゾンビの心臓を穿つ。
「自分の分をわきまえ、囮としてのみ協力するのではなかったのか?」
 ビルの中から見下ろし、ゾンビと数騎の攻防を見ていた仮面使いは小さくため息をついた。
 仮面使いは探偵事務所で数騎に言った、お前には出来て囮くらいなものだ、と。
 そして数騎も考え至った。
 何の力も持たない自分は囮くらいしかできない。
 だが、数騎にも囮という形で仮面使いの援護を十分こなせるということが、はじめから両者にはわかっていたのだ。
 そして、数騎は分をわきまえ、仮面使いの囮を買って出て、そして囮以上の成果を見事にあげたのであった。
「やれやれあれほどの技巧があったとは正直思わなんだ。まぁ、囮にしては上出来だ」
 そうこぼし、仮面使いは窓に背を向け、事務所に戻ろうと足を運ぶ。
 路地裏では、心臓を失い、風化していくゾンビの姿が残されていた。






 自転車をこぐ、スピードは最高速。
 ギアは常にトップ、それすら超えてエンジンが焼け焦げてしまいそうな気分だった。
 ゾンビから呪餓塵を奪い取った数騎は乗り捨ててあった自転車に乗ると、司の呪いを解呪すべく事務所に急いだ。
 駅のそばにあるビル街から探偵事務所まで普通に飛ばして三十分。
 夜は信号がボタン式になっており、わざわざ待つ必要があるので人通りが少ない事を差し引いても七、八分は遅れる。
 ちなみにボタン式とは夜は歩行者がいないため、信号は常に赤く灯されているので、そこに信号を渡りたい人間が現れたとき電信柱にあるボタンを押すというシステムだ。
 こうする事によって歩行者がいない間、車は快適に走ることができる。
 遅れを少しでも取り戻すため、数騎ははちきれんばかりに自転車をこぐ。
 タイヤの回転に会わせて光を灯す車輪に取り付けられたライトは常に全力で光を放っている。
 やっと公園まで辿り着く、ここまでくれば商店街はすぐ側だ。
 と、強烈な摩擦音が鳴り響く。
 耳障りな音、具体的には自転車が急ブレーキを用いてアスファルトを擦りながら停止する音だ。
 数騎は目を見張った。
 ありえないものが、ありえない状況のまま残されていたのだ。
 数騎は急ブレーキをかけ、止めた自転車を放置すると公園の中に入りこむ。
 月明かりと電灯で照らされた公園にはおよそ人の気配というものがない。
 電気の灯るトイレにすら人の気配など存在しない。
 だというのに、
「神楽……さん……?」
 そう、神楽が夜の公園にいた。
 場所はベンチの上。
 夕方に別れた時の格好のままで、神楽は苦しそうに喘いでいた。
「神楽さん!」
 急いで駆け寄る。
 走りながら思った。
 どうして誰も彼女を気遣ってあげなかったのか。
 こんな時間に女性がベンチに寝ていたら不審に思うはずだ。
 ホームレスと見紛うはずはない、ホームレスってのは普通、着物なんか着て暮らしたりはしない。
 よほど無関心だったのか、それとも係わり合いになる事を避けたかったのか。
 いずれにせよ、神楽はそこに放置されていた。
「大丈……」
 夫と続く言葉は紡がれることはなかった。
 数騎は目を見開く。
 そこに、ありえるはずないもの。
 いや、ありえて欲しくない物が存在していたからだ。
「嘘……だろ……?」
 そう、今の神楽の姿は異常だ。
 苦しそうに喘ぎ、ベンチの上で横になっている。
 その全身。
 肌という肌に奇妙な刺青が存在した。
 蛇と悪魔をかたどったその刺青。
 見忘れるはずもない、それは呪餓塵の呪いに置かされた者が死の直前に全身に浮かびあがる呪いの具現。
「なんで、神楽さんが……」
「数騎……さん……?」
 数騎は素早く神楽の顔を見る。
 それはつらそうな顔。
 全身に汗を掻きながら神楽は、目を細めて数騎を見ていた。
「こんばんは、数騎さん。今夜は月がきれいですね」
「神楽さん……」
「あぁ、数騎さんごめんなさい。実は私、体が重くてベンチから立ちあがれなかったんです。声を出すのもつらくて、そのまま寝てしまいました。折角、数騎さんがお金をくださったのに、無駄にして申しわけありません」
「神楽さん!」
 数騎は地面に膝をつき、神楽と目線の高さをあわす。
「一つだけ、聞きたい。八日前に何かあった?」
「え、何もないですよ」
「変な男に、サバイバルナイフで切り付けられなかった?」
「!」
 神楽は思わず目を見開く。
「そ、そんなことありませんよ」
 目をそらしてそう口にしながら、わずかに動いて左手さりげなく隠そうとする。
 数騎は素早くその左手をつかむと、その腕を見る。
 それは花瓶を割って怪我をしていた言っていた傷、包帯に包まれた左腕。
「神楽さん、大切なことなんだ。正直に教えて欲しい。八日前にサバイバルナイフを持った男に襲われなかった?」
 真剣な数騎の目つきに、神楽は目を伏せながら口を開く。
「……はい、襲われました。数騎さんが心配すると思って黙っていたんです。どうしても夜、外に出る用事があってその時に変な男に襲われました。そいつはサバイバルナイフを持って襲いかかってきました。
私は殺されるって思ったんですけど、そいつは私の左腕に赤い線が見える程度の傷をつけただけでどこかに逃げてしまったんです。幸い、たいした怪我でもなかったので自分で治療したんですけど……」
「やっぱり……かよ……」
 数騎は自分の左手に持っている新聞紙の塊に目を落とす。
 そこにはサバイバルナイフが、いやゾンビから奪い取った呪餓塵が隠されていた。
 どうする。
 数騎は考える、この状況は正直予想外だった。
 どうする。
 頭を抱える、呪餓塵は一日に一つしか解呪の宝玉を作り出せない。
 どうする。
 これは元々そういう道具、秘密を知る複数の人間から秘密を聞き出すための拷問用魔剣。
 迫る死、助かるイスは一つ、それに対しイスに座るべき人間は複数。
 仲間の裏切りを恐れ、確実に迫る自身の死を恐れ、呪餓塵に呪われた者は我先にと口を割る。
 どうする。
 見たところ全身に呪餓塵の呪いが広がっている、今すぐにでも宝玉を飲ませなければ死んでしまうだろう。
(よし、決心がついた)
 司にそう言った、必ず助けると誓った。
(じゃあ司、約束だ。もし生きて帰って来たら遊びに行こう、公園でも、遊園地でも、外国だっていい。とにかく楽しもう)
 約束した、司とそう約束した。
 宝玉を事務所に持っていけば司は助かる。
 あんなに苦しい顔をしていた司は助かるんだ。
(僕はね、自分よりも司を大切に思ってるから)
 その言葉は真実だ、決して嘘はない。
 僕は、須藤数騎は自分なんかよりも柴崎司がよっぽど大切だ。
 だけど……
「うっ」
 呻き声、目をやると神楽は苦しそうにしていた。
 つっ、と流れる涙。
 よく見ると、神楽の目の横は乾いた涙のあとがついていた。
 ずっと苦しんでいた。
 自分が神楽よりも司の食事を優先したせいでこうなった。
 一人で苦しみ続けていた。
 暗い中、公園のベンチで一人。
 原因もわからず、助けもなく。
 ただただ一人で、苦しみに耐えていたのだ。
 泣きそうになった。
 でも、もう泣けない。
 泣いていいのは苦しんでいる人間だけだ。
 自分は苦しんでいない、なら泣くのはお門違いと言うものだ。
「神楽さん」
 口にし、数騎は新聞紙の中に手を突っ込むとビーダマのような円形の物体を取り出した。
「これ……飲んで」
 意識が朦朧としているのだろうか、神楽は涙を流し、口を軽く開く。
 数騎はその口に宝玉を押し入れる。
「んっ」
 何の抵抗もなく飲みこみ、嚥下する。
 すると、
「あ、あれ?」
 神楽は突然、ぱっちりと目を見開いた。
 そして泣いているのに気付くと袖でごしごしと目元を擦る。
「か、数騎さん」
「何?」
「あの、元気になっちゃいました」
 そう言うと起きあがってベンチから立ちあがる。
 神楽の肌には、呪餓塵の呪いによって浮かび上がった刺青はその一切が消え去っていた。
「そう、よかったね」
「はい、御心配おかけしました」
 満面の笑みを浮かべながら、神楽は数騎に向かって頭をさげる。
「心配をおかけしてしまって申し訳ないんですけど、私はそろそろ帰ることにします、屋敷の人たちはきっと怒ってるでしょうけど。こんな時間までなにしてたんたーって」
 そう言って、袖で口元を抑えながら微笑む。
「それでは、数騎さん。私はこれで」
「待って」
 そう言うと、数騎は神楽の手をつかんで止める。
「もう夜遅いからさ、タクシーを拾おう。それまでは一緒についていくよ」
「いいんですか、御迷惑でしょう?」
「いいって。ついでだよ、ついで」
 そう言うと、数騎は神楽の手をとって公園を出る。
 そして道路脇で手をあげ、タクシーを止めると、神楽をタクシーに押しこみ、そのタクシーを見送った。
 空を見上げる、月は眩すぎ、一瞬ぶれて見える。
 いや、眩しいからぶれたのではない、泣きそうになっているから、ぶれたのだ。
 必至に涙を押しとどめる。
 泣いてはいけない。
 そう思って数騎は、公園に向かって歩き出した。




















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