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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第三幕 香花
第三幕 香花
体中には激痛。
動かそうとするだけでジンジンと痛み、とくに尻の穴なんかは燃えあがるように熱い。
それに引き換え、全裸のこの身は風が吹かれるとガタガタ振るえ、全身に汗をかいたこの体は休息に体温を奪われていく。
特に尻のあたりが濡れていた。
どろどろとした白濁の液体をこすりつけられ、尻の穴からは時折それが流れ出てくる感触が気持ち悪い。
このまま死んでしまうかもしれない。
が、まぁそれもいいだろう。
どうせ僕が死んだところで誰も悲しんだりはしないだろうし。
葬式にはいったい何人の人が訪れてくれるのだろうか。
僕の両親の知人みたいな人じゃなくて、純粋に僕の死を悼んでくれる人間。
思い浮かべてみるがたいした人数はいなかった。
あぁ、友達も少ない僕は、悲しんでくれる人もきっと少ないんだろう。
ふと、思った。
人間の価値って言うのは死んだときにわかるもんだ。
その人間の葬式に訪れる、その人を心の底から悼んでくれる人間の数。
その数が、本当の人間の価値ではないかという考えを最後に、僕の意識は途切れた。
身をかがめて次の打撃に備えた。
執拗な攻撃は、幼い僕の体を容赦なく打ち据える。
反撃はできない、できるはずもない。
小学校に入学したばかりのこの身では、この相手に打ち勝つことなどできない。
僕は逃げることにした。
連続して繰り出される打撃、その一瞬の隙を突いて僕はその女から逃げ出した。
居間ではどうしようもない。
家の中でもダメだ。
彼女から逃げるには、外にでも逃げないといけない。
僕はテーブルの下を潜り抜け、一直線に扉を目指す。
が、さすがは大人。
彼女は僕の先回りをして見せた。
僕はテーブルの下を出る。
が、その先には先回りした彼女がいた。
顔面に蹴りが飛ぶ。
それを腕で受けるような反応は取れず、僕の歯の数本がその一撃で蹴り折られた。
暴行は止まらない。
その日、僕は腕に数本のヒビを入れられ、父親が家に戻ってくるまで泣き叫んでいた。
いい匂いがした。
それは優しい匂いだった。
かすかに記憶は残っている。
映像としてではなく、感覚として覚えている程度だが忘れてはいない。
それは母親の思い出だ。
父親から聞いた話では、僕の母親は仏教徒だったらしい。
家の今には仏壇があり、毎日そこで母はお経をあげていた。
お経についてくるものは線香だ。
だから部屋はいつも線香くさかった。
でも、それは落ち付く匂いだった。
母親はいつも線香の匂いがした。
だからだろうか、線香の匂いを嗅ぐと、いつも心が落ちついてしまうのは。
頭が少しづつ覚醒をはじめる。
まずは感覚が蘇ってきだ。
全身の痛みは引いておらず、特に尻のそれが最悪だが、頭の後ろにやわらかいものを感じる。
それに顔の、というか目の上に誰かの手が置かれており、呼吸にあわせて上下に揺れている。
そしていい匂いがする。
これは線香の匂いだ。
匂いを嗅いでいると、目の上に置かれていた手が頭のほうに移動していた。
その手はやさしく、ほんとうにやさしく僕の頭を撫でていた。
ずっとこうしていたいと思った。
が、僕がいまどのような状況にいるかがとても気になる。
僕はゆっくりと目を開くことにした。
ずっと目をつぶっていたため、目を開いてもぼやけて目の前に何があるかよくわからない。
「目が……覚めましたか?」
やさしい声、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「ここは……?」
まだ目がよく見えない。
それでも周囲を見ようと視線を巡らせる。
あまり明るくはない、今は夜なのだろうか。
「公園です、駅の側にある駐輪場の隣の公園ですよ」
目をこする。
そうすればすぐにでも目が覚醒するはずだ。
手をどかし、そして目の前にいる人間を見た。
それはきれいな女性だった。
やわらかい顔立ちにやさしそうな目つき。
顔には見ると安心してしまいそうな微笑みを浮かべていた。
それは見下ろすようにして僕を見ている。
どうやら僕は膝枕されているらしい。
女性のやわらかそうで大きい胸が目の前に存在していた。
周囲を見まわす。
そこは公園だった。
もう深夜なので人通りは少なく、それでも人々が灯りを事欠くことがないように複数の電灯が光を放っている。
どうやら僕は公園のベンチで寝転がっているようだ。
女性に視線を戻す。
冷静になってみると、その女性は奇妙な服装をしていた。
なんと着物を着込んでいたのだ。
どう見ても十代後半、頑張って二十代前半にしか見えない。
そんな若い女性が着物を着るなんて何かのイベントでもないと、そうお目にかかれない。
こういう格好は歳のいった中年のおばさんから、おばあちゃんクラスの年齢の女性がするもんだろう。
と、似たようなことを昨日、思い浮かべた記憶がある。
というか目の前の女性は、
「電車の……人……?」
「はい。昨日、電車の中でお会いしましたね」
間違いない、目の前の女性は電車の中で僕が眠りこけた時、よりかかって肩に頭を乗っけてしまっていた女性だ。
「あの時はどうも」
「はい、どういたしまして」
笑顔で答える女性。
が、すぐに真剣な表情を作ると、声の調子を変えてきた。
「それで、大丈夫ですか?」
「大丈夫……って?」
「体に異常はありませんかと聞いたんです」
その言葉で目が覚めた。
そうだ、僕は……
「あっ……」
思い出す。
それは恐ろしい出来事。
無慈悲な暴力にはなれていたが、性暴力というのを振るわれたのは初めてだった。
そういうのがあるとは知ってはいたものの、まさか自分がその被害者になるなど露にも思わなかったのだ。
恐ろしさに体が震える。
尻の穴から伝えられる鈍痛が、さらにその恐怖を蘇らせた。
「もう、大丈夫ですから」
まるで赤ん坊でもあやすかのように。
着物の女性は僕の頭をやさしく撫で、落ち付かせようとした。
「もう、怖くありませんから」
頭を撫で続ける。
僕は恐ろしさのあまりガタガタ振るえながら、その女性の腰に抱き付いた。
まるで母親に甘えて抱き付く子どものようだ。
それでも、今の僕にとってその女性はとてつもなくありがたい存在だった。
膝枕された状態で抱き付いている僕を振り払おうともせず、女性は僕の頭を撫で続けた。
「大丈夫ですよ、大丈夫ですから……」
それからどのくらいの時間が過ぎただろうか。
僕は落ち付きを取り戻し、ゆっくりと顔をあげた。
情けないことをしてしまって恥ずかしくて顔を見せたくはなかったが、言わなくてはいけないことがあった。
「すみません、見苦しいところをお見せしました」
「いえ、いいんですよ。気にしていませんから」
両目をつぶり、ゆっくりと首を横にふる。
「体は大丈夫ですか?」
「はい、ちょっと節々が痛いけど、大丈夫です」
「一応、治療はしてありますけど。一応、病院に行ってくださいね」
「はい、そうします」
正直、行く気はないが一応そう答えておく。
なんたって保険証を持っていない。
それにヘタしたら家族に居場所がバレてしまう。
家出少年として、それは非常に困るのだ。
「それで、行きますか?」
「えっ?」
突然の女性に言葉に、僕は思わず疑問を口にした。
「行くって……どこに……?」
「警察です」
「!」
目を見開く。
それはマズイ。
警察だけは最大級にマズイ。
「あれだけ乱暴をされたんです。全身アザだらけでしたし、お財布の中身は全部取られていて、着ていた服までビリビリに引き裂かれていたじゃないですか。警察に行きましょう」
「だ、ダメだ。警察だけはダメだ!」
「どうしてですか?」
その声にやさしさは一欠片もない。
着物の女性は僕の言葉を責めているようだった。
「どうして警察には行けないんですか、これだけのことをされたんですよ。訴えて当然でしょう? それとも……」
女性はすこし戸惑ったように視線をさまよわせ、僕を直視する。
「何か、やましいことでもあるんですか?」
「……はい……」
頷いて答える。
その言葉を聞いて、着物の女性は悲しそうな顔をした。
気がつくと僕もそうしていた。
「すいません、でも警察には行けないんです」
「わかりました、深く詮索はいたしません」
そう言うと、着物の女性は言葉をいったん切り、続ける。
「ですが、行く気になったら警察に行ってください。あなたをあのような目に合わせた相手を娑婆でのさばらせないでください。あと、それはあげますから」
言われて体を見下ろす。
気がつかなかった。
なぜか僕は、下着もつけずに着物を羽織っていたのだ。
薄手の着物で女性がつけいているようなしっかりしたものではなく、細い帯で腰の辺りを縛るだけの、どちらかというと浴衣に近いような着物だ。
どおりで少し寒いと思った。
「え、あの」
「失礼でしたが、体を布でふいたり、お薬をつけたり、勝手に服を着替えさせたりさせていただきました」
「あ、どうも、ありがとうございます」
「来ていた服はもうダメだと思いましたので捨ててしまいました。申しわけありません。それでは私はこれで」
一礼すると、着物の女性は僕に背を向けて歩き出す。
「あの!」
その後ろ姿を僕は呼び止めた。
女性はゆっくりと振りかえり、微笑みを浮かべる。
「なんでしょうか?」
「ほんとうに……ありがとうございました……」
その言葉に、着物の女性はやさしく答えてくれた。
「どういたしまして」
それで終わりだ。
それだけ言うと、女性は再び僕に背を向け、公園の外へと消えていった。
僕はその姿を見送った後、ゆっくりとベンチから起きあがる。
体は痛み、尻の穴にはまだ何か入っているような感覚さえある。
全身の痛みをこらえながら、僕はテントのある公園へと歩き出した。
「数騎、どうしたの?」
戻ってくると、麻夜さんが驚いた顔で僕を出迎えてくれた。
驚いたのはこっちの方だ。
だって三万円を持ってとっくにトンズラしてくれたものとばかり思っていた。
だが運いい。
麻夜さんに三万円を持たせていたおかげで、僕はまだ無一文じゃないらしい。
テントに戻ってきて安心したのか、僕は足を滑らせて麻夜さんの胸に飛び込んでしまった。
「あれ、数騎。どうしたの、数騎!」
麻夜さんに抱きとめられる。
やさしい香り、着物の女性とは違ったやさしい女性の香りがした。
それはまるでやわらかいくて温かいベッドの中に飛びこんだようでもあり。
僕はそのまま安堵感に任せて眠りに落ちてしまった。
そこは全てが反転した世界だった。
看板の文字は左右対象になり、自分の着ているシャツの模様さえ左右対象だ。
「鏡内界、入ったようね」
彩花は周りを見渡しながら口を開いた。
そう、彩花をはじめとする三人がいるこの世界は、鏡内界と呼ばれる鏡の中の世界だ。
闇の世界の住人が跋扈する、もっとも近い異次元。
それが鏡内界である。
今、彩花たちがいるのは錆びれた廃ビル街である。
かつては栄えていたが、駅の移転にともない、少しづつ廃れていった地域だ。
再開発も進んでいるが、持ち主のいなくなったビルがむなしく立ち並んでいる。
深夜、このビル街に足を踏み入れるのは不良くらいなもの。
それですら最近は現れなくなっている。
表の世界にその存在を知られることを嫌悪する異能者たちにとって、まさに最適の場所と言えた。
「ねぇ、司。ホントにここにいるの?」
彩花は道路を歩きながら左右のビルに視線を向ける柴崎に話かけた。
「まぁ、いるとは思うぞ。そういう話で送りこまれたわけだからな」
「でも、私。本当に臨戦体勢じゃなくてよかったの?」
そう言って、彩花は自分の服装を柴崎に見せ付ける。
コートにシャツにジーンズ、これから殺し合いをしようと言うのに軽装な格好だ。
「構わない、敵は複数いると聞く。この中の誰かが戦闘続行不可能になった場合、彩花の奥の手がないと手詰まる」
「二階堂のバカはどうなの?」
「ヤツは素人だ、魔餓憑緋でも持たせなければものの役にも立たんだろう」
「持たせても無駄」
と、ここで薙風が話に入ってきた。
「魔餓憑緋は暴走型の魔剣だから、持たせたら敵味方の区別もしないで暴れまわるだけ。役に立つどころか、こっちに迷惑がかかる」
「押さえこみながら使うしかないってわけだろう?」
柴崎の言葉に、薙風は右目をつぶりながら頷いた。
「そう、だから二階堂には使いこなせない。この中で大丈夫そうなのは私とあなただけ」
言って、薙風は柴崎に視線を送る。
その視線を受けて、柴崎は彩花におどけてみせた。
「だそうだよ、彩花さん」
「じゃあさ、司。市販の魔剣でも持たせたらどうかな?」
「それなら使えないこともないだろうが……どちらにしろ訓練は必要だろうな。素人が使いこなせるものではない」
「じゃあ、訓練次第ならあのバカでも戦えるんだ」
「まぁ、そういうことになるな。昔ならともかく、最近では無能力者の扱える魔剣も増えている。それに洗礼契約さえすれば無能力者でもある程度は魔剣を使えるようになるしな」
周囲に視線を走らせながら柴崎は彩花の話に返答を続ける。
彩花も警戒は怠らずに話の続きをはじめた。
「でもさ、司は無能力者から洗礼契約した洗礼魔剣士じゃないでしょ?」
洗礼魔剣士とは無能力者が洗礼契約という儀式によって、その肉体を純粋な人間に昇華させ、少しでも魔剣を扱う肉体に近づける為の儀式だ。
これを行なえばCクラスの魔剣まで扱うことが出きるようになり、さらに修練も積めばBクラスに届くことすらある。
「私は元々が魔剣士に向いた体質だったからな、洗礼契約する必要もなかったよ」
「だよね、それで前から聞きたかったんだけどさ。何で朔耶は特注の魔剣を使ってるのに司は市販品なの。魔剣士としての素質がある人はみんな、いい魔剣を使うんじゃないの?」
「いい魔剣……彩花、お前は少々勘違いをしているぞ」
柴崎は小さくため息をつき、続けた。
「市販品の魔剣は確かに量産しているものだから特注品には劣るだろう。が、それがクオリティの低さに直結するわけじゃない。確かに特注品は優れているが作るのに時間もかかるし、修理も大変だ。壊したら代わりもきかないし、時には修理よりも買い替えの方が安いときもあるだろう。それにコストが桁違いだ。よほどの金持ちでもない限り、特注品になど手は出さない。
それに、市販の品はお前が思っているよりもクオリティは高いぞ。実際、各国の軍隊が装備している銃器や兵器は工場で生産されている量産品だが、軍隊の装備はひどいものばかりか? 違うだろう?」
「それは、違うけど」
「そういうことだ、確かに若干クオリティは劣るが、決して抗えないほど格下と言うほどじゃない。剣豪小説とかだと一振りしかない名刀と量産品では天と地ほどに戦闘能力に開きがあるが、現実にそのようなことなどありはしない。
確かに銃がなかった古い時代には安物の剣はすぐ折れ、数ヶ月かけて作った特注の剣はなかなか折れたりはしなかったかもしれない。が、それでも敵を殺傷するという能力においては大きな差はないだろう。つまりはそういうことだ」
「ん〜、量産型の魔剣が弱くないってことはわかったけど……右!」
彩花の叫びと共に、右にあるビルの三階から閃光が迸る。
あまりに突然の襲撃に彩花は無防備だった。
反撃どころか、防御の体制すら整ってはいなかった。
そこへ、うなりをあげる火炎球が三人を蹂躙すべく迫って来た。
直撃、そして爆発。
繰り出された呪文は魔術師の扱う焼夷弾にもにた効果を持つ術の一つだった。
攻撃に特化した呪文で、人間の身長よりも巨大な火炎球は対象の付近で炸裂、その爆発により敵を焼殺する。
数秒後、火術の爆発によって生じた煙が薄れはじめた。
ビルの三階に位置する窓から三人に襲撃を仕掛けた男は薄笑いを浮かべる。
が、その表情は一瞬にして驚きに変わった。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)餓狼無哭(がろうむこく)」
煙がはれる。
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
煙の中には無事な三人の姿が、そして、
「魔餓憑緋(まがつひ)」
紅の刀を握り締める、巫女装束を身に纏う女性の姿があった。
「助かった、薙風」
そう言ったのは柴崎だった。
魔飢憑緋には術をかき消す対輝光能力がある。
その力を持って、薙風は奇襲によって繰り出された火術から二人を守ったのだった。
柴崎は襲撃者を見定めるためにビルを見上げる。
そこには、いかにも私は魔術師ですとでも言わんばかりに、黒いローブに身を包む男の姿があった。
ひょろっとした、縦に細長い痩身の男。
顔にはおびただしい皺が刻まれ、相当の老齢であることがわかる。
魔術師の老人は嬉しそうに口の端を釣り上げながら小さく笑みを漏らす。
「これはこれは、私の術を破るとは。さすがは魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)と言ったところか?」
「不意打ちとは素晴らしい御歓迎だ、ヴラド・メイザース」
柴崎の言葉に魔術師の老人は、いや、ヴラドは眉を釣り上げた。
「ほぉ、誰かと思えば仮面使い(ウィザルエム)か、通りで見覚えがあると思った」
「こっちは挨拶などする気はない。一応、聞いてはおくが大人しくこちらに連行される意志はあるか?」
「あるわけもなかろう?」
薄笑いを浮かべるヴラド。
それを見た刹那、柴崎は羽織っていたコートを翻し、その中から純白の仮面を取り出した。
「こちらとしても見逃してやる気はない」
そう宣言すると、柴崎は自分の顔に仮面を近づける。
「舞い踊れ、仮面舞踏(マスカレイド)の始まりだ」
紡がれる言葉を覆い隠すように、その仮面が顔にあてがわれた。
「弓兵」
そう口にした刹那、柴崎はコートの中から短弓を取り出した。
金属で作られた、とても弓としては実用的ではなさそうな弓。
が、
「月姫弓(アルテミス)!」
柴崎の口から放たれた術式によって、その弓は反応した。
両側に存在する弓の端が、伸縮式警棒のように伸びたのだ。
弦のなかった両端に、光の糸のようなものが張られる。
「くらうがいい!」
叫び、柴崎は光の弦を引き絞った。
そして、それと同時に柴崎の弦を引く右手に、光り輝く矢が現れる。
それはアルテミスという名の魔弓が持つ力。
使い手の生命力である輝光を具現化させ、破壊力と変換する魔剣。
柴崎は、弦から指を離した。
すると金属の弓は、その材質が木であるかのような柔軟さを見せ、矢は空を切ってヴラドに殺到する。
「消し飛べ……」
腕を振りかざすとともに呪文を紡ぐ。
それと同時にヴラドの眼前に光で構成された障壁が作り出された。
光を司る精霊の力を操る防御呪文だ。
障壁は、苦もなくアルテミスの一撃を四散させた。
「全弾装填(ガストバレルフルオープン)、一号(ワン)、二号(ツー)、三号(スリー)、四号(フォー)、五号(ファイブ)、六号(シックス)! 掃射(ロック)、彼の者を射抜け(ガストバレットリボルバー)!」
安堵もつかの間、再び殺意を持った輝光弾がヴラドに向かって飛来した。
彩花の得意呪文の一つ、死者の魂に輝光を付与し、破壊力を伴う輝光の弾丸を六発同時に敵に繰り出す術式である。
「ちぃぃぃ!」
ヴラドは焦りの表情を見せながら窓際から飛びのいた。
中距離戦闘が得意な相手に対して、中距離戦闘を続ける愚を犯す気はさらさらなかったからだ。
ヴラドは全力で床を蹴り、ビルの中に逃げ込んだ。
それに追いすがるように、六つの光弾が渦を巻きながらヴラドに迫る。
「砕けろ!」
叫び、呪文を解き放った。
ヴラドの呪文が完成すると同時に、閃光の爆発が起きた。
六つの気光弾は、その爆発に飲みこまれ、跡形もなく消し飛ぶ。
繰り出したのは閃光炸裂の術式。
防御呪文ではなく、攻撃系の呪文でヴラドは死者の弾丸をかき消した。
普通に考えれば攻撃呪文でかき消すより防御呪文による防壁の方がより確実に敵の攻撃を防ぎきれる。
だというのに、それをヴラドが選ばず不確かな中位呪文で迎撃したの理由はただ一つ。
「砕けろ!」
攻撃呪文と違い、防御呪文は連続的な使用が出来ず、迫る敵に大きな隙を見せることになるからだ。
ヴラドの手の平から術式が、いつの間にヴラドと同じ部屋に侵入していた巫女装束の女性に繰り出された。
人間などいともたやすくミンチにする爆発力を有する輝光弾。
しかし、それを巫女装束の女性は一瞬にして手にした刀で切り裂き、その輝光を四散させる。
が、その一瞬で十分だった。
輝光を操り、瞬発力を増したヴラドは十分にその女性から距離をとっていた。
その距離およそ六メートル。
「ほぉ、たいした瞬発力だな。音からするとビルの壁を足で駆け上ったのかな」
ヴラドは死者の弾丸を囮にして部屋に侵入を果たした巫女装束の女性に向かって賞賛の意を評した。
「なかなかいい魔剣を持っていると見る、邪刀か?」
「あなたが知る必要はない」
薙風は左目を瞑り、右目だけでヴラドを見据えながらそう告げた。
薙風の操る魔剣は魔餓憑緋。
持ち主に人間離れした瞬発力と達人並の剣技を与え、そしてその刀身は対魔防御として有効な盾として扱える、A級とまで称される魔剣である。
本来は黒であるはずの刀身は紅。
赤く輝くその刀の切っ先を、薙風は真っ直ぐヴラドに向けた。
「そういきり立ちなさるな、お嬢さん。見たところ暴走系の魔剣だな。それを扱うためにその魔剣の力を無理矢理押さえこんでいるように見える、無茶をすると倒れるぞ」
ヴラドの言葉に、薙風は歯軋りをした。
その全身には、疲労からの汗が滝のように流れている。
「対魔術師戦闘においては有効な魔剣のようだが、その程度で疲労していては宝の持ち腐れと言うものだ」
「そうでもない」
言葉は後から聞こえた。
ヴラドはとっさに作り出していた呪文を解放する。
すぐに仕掛ければいいものを、薙風がすぐに仕掛けなかった理由がそれだ。
詠唱を終えた魔術師は、その呪文をいつでも速射できる。
ヴラドが一瞬のうちに構築した呪文を警戒して、薙風は仕掛けなかったのだ。
「刻銃聖歌(カンタス・グレゴリオ)!」
「消し飛べ!」
二対の閃光がビルの中で弾けた。
ヴラドの背後から現れた柴崎の輝光弾と、ヴラドの繰り出した閃光消滅呪文が正面から衝突したのだ。
輝光弾同士のせめぎあいは、お互いの消滅という形で幕を閉じる。
が、
「おおおおおおぉぉぉぉぉーっ!」
絶叫が轟く。
見ると、ヴラドの胴が真っ二つに切り裂かれていた。
横薙ぎの一閃。
背後から現れた柴崎に気を取られたヴラドに、薙風は魔餓憑緋から与えられる瞬発力をいかして接近し、その肉体を真っ二つに切り裂いたのだ。
ヴラドの上半身が地面に落ちる。
だが、下半身は依然として立ち尽くしているままだった。
地面に転がるヴラドの口から血が溢れ出す。
致命傷は受けていたが即死ではなかった。
「あれはっ!」
それに気がついた瞬間、薙風は魔餓憑緋を片手に柴崎に駆け寄った。
その速度を殺さず柴崎の腰を魔餓憑緋を握っていない左腕で抱えると、そのままガラスを突き破って窓から飛び出した。
同時に爆発が起きる。
死の間際、ヴラドは呪文を唱えていた。
先ほど柴崎に向けて解き放った術式を数倍上回る破壊力を持った呪文。
ビルの一階分全てを飲みこむ爆発は内側から全ての窓ガラスを叩き割り、こなごなに散った破片が地面に降り注ぐ様は美しいの一言に尽きる。
が、地面に向かって落下する柴崎と薙風にそんなことを気にする余裕はなかった。
「ぬおぉぉぉっ!」
絶叫する柴崎。
「どうせ死ぬにしてもあいつの手にかかりたくなかったの、ゴメン」
場違いな言いわけをする薙風。
もちろん何とか生き残る方法を模索する柴崎は聞いてなどいなかった。
「誰か……助けてくれ!」
「いいわよ」
と、やわらかい衝撃があった。
フワフワ揺れる空間の上に、柴崎は浮かんでいた。
「た、助かった……」
勝利の達成感と死から免れた安堵から、柴崎はそのフワフワした物の上で脱力した。
「彩花?」
魔餓憑緋を鞘に仕舞いこみながら顔を向ける。
そこには地上に残っていた彩花の姿があった。
「やっぱ私がいてよかったわね、術師は後ろから援護するのが基本なのよ。ヴラドみたいに真正面から戦うのは外道ってもんなんだから」
右手の人差し指を立てながら、彩花は嬉しそうに近づいてきた。
「輝光で実体化させた死霊のクッションのお味はいかがかしら、気に入ってくれた?」
「ああ、大好物になりそうだ」
微笑んで答えながら柴崎はフワフワしたもの、彩花が作り出した死霊のクッションから飛び降りる。
薙風もそれに続いて地面に降り立った。
「ケガはない?」
「ああ、大丈夫。助かったよ」
礼を言いながら柴崎は自分を助けてくれたものに視線を移す。
それは青白く発光する霊魂だった。
いくつもの霊魂を具現化し、それをクッションのように敷き詰めて一ヶ所に集め、自分たち二人が落ちてくる所に設置したのだ。
彩花は霊を操ることを得意とする死霊術師と呼ばれる魔道師だ。
ちなみに魔道師と魔術師というのは別物で、前者は自分の生命力である輝光を自分なりに構築して魔法を操り、魔術師はそれを他者に依存して魔法を操る。
ヴラドは主に、自分と契約をかわした相手の力を使って戦うのに対し、彩花は自分の能力だけで戦う。
よって、操れる力はヴラドのような魔術師の方が強力で広範囲にわたる術の行使ができるが、どうしても何かに特化することができず器用貧乏なところがある。
それに対して魔道師は自己の能力だけしか扱えないため応用が利かない代わりに自分だけに許された究極の一を追求することができる。
どちらにしろ一長一短な存在、それが魔術師と魔道師と呼ばれる者たちだ。
「で、司に朔耶。あの魔術師はやったの?」
「ああ、薙風がやってくれた。胴体を真っ二つだ」
「それで死に際に一発かましてくれたってワケね」
納得したように頭をかきながら彩花は頷く。
と、そこに薙風が歩み寄ってきた。
「ありがとう彩花。彩花の援護のおかげ」
「べっつに気にしなくてもいいのよ、朔耶。それにしても、いきなり壁上りしたのには驚いたわ」
彩花は笑顔を浮かべながら答えた。
先ほどの戦い、柴崎がアルテミスの矢を放つと同時に、彩花は六体の死霊に輝光を込めて破壊力を持たせた死霊弾を同時に六発繰り出した。
それをヴラドが防いでいる隙に薙風がヴラドに接近して、その注意を引きつけ、その間に階段を駆け登っていた柴崎が奇襲を仕掛け、挟み撃ちという形でヴラドを倒すというものであった。
その際に薙風がとった戦法、魔餓憑緋の能力である瞬発力の増強を利用した垂直壁上りのことを彩花は言っているのであった。
「でもさ、何で朔耶は壁なんて上れるの。垂直の壁って足だけで登れるもんじゃないんじゃないの?」
「垂直な平面の壁なら魔餓憑緋の力でも上れない。でも反対側にも壁があれば三角飛びで上れるし、今上ったビルは窓の縁とかパイプとかを利用すれば上れなくもない」
「そんなもんかしらねぇ。ま、魔剣士じゃない私にはよくわかんないわ」
お手上げ、といった風に彩花はため息をつく。
「司もお疲れ様ね、美味しいところは朔耶に持ってかれちゃったみたいだけどさ」
「私はそんなことを気にはしない。ところで彩花、頼みがある」
「何?」
「あのビルの中を死霊で調べて見てくれないか」
「なんでよ?」
首を傾げて彩花は尋ねる。
その後にいる薙風も怪訝そうに右目をつぶり、左目だけで柴崎を見つめていた。
「いや、もしかしたらヴラドが生きているかもしれないと思ってな」
「胴体まっぷたつでしょ、どんな魔術師だって生きちゃいないわよ。かの偉大なる『赤の魔術師』だってそれじゃ死ぬって」
「そうだな、考えすぎか」
「まぁ、一応調べてといてあげるけどね」
そう言うと、彩花は死霊を一匹召喚し、ボロボロに破壊されたビルに向かわせた。
しばらくするとその死霊は戻ってきたので、彩花はその死霊の見聞きしたものを自分の脳の中に取り込んで司に顔を向けた。
「いなかったって、多分爆発で吹き飛んだんじゃないの? 千切れた肉片なら部屋中に散らばってたって、ミンチの如く」
「なるほど、ちゃんと死んでいたか。ならいい」
そう言うと、柴崎は彩花と薙風に背を向ける。
「帰るの?」
「ああ、ここにはもう誰も潜んでないだろう。それに、命令に出ていたヤツはまだ抹殺していないからな」
「えーっ! 今のヤツが守護騎士団の命令にある抹殺対象じゃなかったの?」
「今のはただの外道というやつだ、運がなかったな」
外道とは釣りの用語でその際に釣るべき魚ではない、眼中になかった魚のことを言う。
それを聞いて、彩花は唇をとがらせた。
「えー、タダ働きなの〜。冗談じゃないわよ」
「彩花、冗談じゃない」
「そう言う意味じゃなくて〜」
彩花はやや半泣きになっている。
そんな彩花を尻目に、司は侵入した鏡から鏡内界から脱出した。
鏡内界からの脱出は基本的に入ってきた鏡からでしかできない。
それに続き、彩花、薙風が鏡内界から脱出することによって、その日の死闘はようやく幕を閉じたのであった。
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