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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第六幕 奮闘
第六幕 奮闘
「ダメよ、城嶋さん。ここはお触りは、き・ん・し・よ☆」
微笑みと共に尻をまさぐる手をピシリと叩く。
叩かれたのは、ソファの隣に座る、城嶋という男だ。
「はっはっは、リサちゃんは新入りだってのに、まるで何年もキャバ嬢をやってるみたいだな」
下品な笑みを漏らす中年親父。
酒、タバコ、香水の匂いが蔓延する欲望の集いし場所。
そこは俗に、キャバクラと呼ばれる飲み屋だった。
腹に貫禄が出てきて、おデコの髪の毛が後退の一歩を辿るオヤジたちのサイフからお金を落とさせるために、日夜キャバ嬢たちが骨身を削って頑張る戦場である。
ここで必要な技量は、いかにオヤジたちから金を搾り取るかだ。
より高い酒を飲ませ、よりいい気分にさせてやる。
酒を飲ませれば飲ませるだけ、こちらに金が入るからだ。
この仕事、普通のバイトとは違い、いかに頑張ったかで給料が決る。
中には二十代前半という身分でお客さんに買ってもらったマンションを所持しているキャバ嬢すらいるほどだ。
「さぁ、城嶋さん。私のお尻を触るのはいいかげんにして、もっと飲んでくださいよぉ」
胸の大きく開いており、ボディラインがはっきりと見える艶っぽい服装をした『リサちゃん』は城嶋という名の身長の割に体重がものすごそうな金持ちのオヤジにすりよる。
ものすごい迫力の胸の谷間を見せつけられ、城嶋は鼻の下を伸ばしながら声を張り上げた。
「ウェイター! この店で一番高い酒持ってこーい!」
「はいはい、ただいまー!」
ウェイターが酒を持ってやってきた。
どうみても十八歳には見えない小柄な少年で、どちらかと言うと小動物めいた印象を与える。
「こちらでございますが、今酒を切らしていまして、この三百六十万のワインが一番高いものになります」
「よし、それを開けてくれ。リサちゃん、ワシがリサちゃんをこの店のナンバー1にしてやるぞ!」
ガッハッハと高笑いをする城嶋。
ちなみに『一番高い酒宣言』はこれで三度目になり、すでに八桁クラスの金が移動した結果となっている。
「さぁ、城嶋さん。どうぞ」
『リサちゃん』はその長い金髪を揺らしながら城嶋の持つグラスに酒を注ぎ込んでいく。
城嶋はそのグラスを一気飲み、さらに『リサちゃん』に向けてグラスを突き出す。
『リサちゃん』は艶っぽい笑みを浮かべながらグラスの中に持っているボトルの酒を注いでいく。
それを横目にしながら、ウェイターは店の奥へと引っ込んでいった。
「ふぅ、やっぱお金をもらうってのは大変だ」
クラっと目眩を覚える。
嗅ぎなれない酒やタバコや香水の匂いでなかば参ってしまっているのだ。
ウェイターは、いや数騎は小さくため息をついた。
「それにしても麻夜さん、初めてとは思えないよな」
チラッと店の中に視線を移す。
そこでは『リサちゃん』と名乗る金髪の女性が、細長いチョコスティックを口にくわえ、その反対側を城嶋という男と一緒に食べ進めている様子が見て取れる。
続きを見るまでもなく、二人の唇は接触することだろう。
「あ〜あ〜、記憶喪失ってウソなんじゃないか?」
思わず愚痴りたくもなる。
だってそうだ。
記憶喪失のくせに、男の誘惑の仕方が半端ない。
その異常なほど整った容姿に助けられていることをプラスして考えたとしてもこれはスゴイことだ。
まず異常に嗅覚が鋭い。
匂いをかぎ分けるのではなく、金の有無を嗅ぎ分ける能力だ。
麻夜さんはその容姿で金を持っていそうな客を引きこむと、その客にちょっと接待しただけですぐ他の娘とチェンジする。
この店では女の子にお触りがオーケイだ(本当はダメ、お互いの合意の上ならいいらしい)。
そのため、代わった女の子たちは胸や尻を触らせることでその容姿の差をカバーする。
鼻の下を伸ばしたオヤジたちにしてみれば、ようするに触れれば満足するのだ。
そして最も金を持っていそうなオヤジには切り札(ジョーカー)である麻夜さんが直接相手をする。
麻夜さんの話術は男をたらしこむ場合のみ、相当な破壊力を持っている。
やわらかい金髪に透き通った青い瞳、身長も高く体のラインはパーフェクト。
胸はバランスの崩れない程度で望める限りのデカさだし、腰は折れそうなほど細く、そしてお尻は丸っこく、とてもやわらかそうだ。
さらにこの体型を強調するような服を着て、化粧と香水で完全武装した日には、隣に並んだ女性が並大抵の美人程度では醜女と見紛うこと間違いなしだ。
麻夜さんの策略に乗せられ、城嶋は景気よくサイフの中身をばら撒いている。
通るたびに話しかけている言葉を聞くかぎりでは、どうやら城嶋は麻夜をホテルに連れこむためにいろいろと駆け引きを繰り広げているようだ。
もちろん、麻夜さんにそんな気は毛頭なく、城嶋の気持ちをいらだたせないよう色香をちらつかせ城嶋の御機嫌をとりながら話題をそらす。
おかげで城嶋は金を撒き餌のごとく撒き散らすばかりで、本命の針についた餌に麻夜さんはいっこうに食らい付きはしなかった。
「それにしても、麻夜さんはすごいよな」
なんたって持って生まれた武器を最大限に生かしきれている。
まずここに面接に来た時、店長に色仕掛けをかけて住所不定という最大の難関を乗り越えた。
その上、僕が働けるようにまで、はからってくれたのだ。
この時に使用した実弾はほっぺに『チュッ』だった。
さらに店長を懐柔した麻夜さんは、自分に客寄せをやらせるように申し入れ、先ほどから行なっていた戦術をとり入れさせた。
麻夜さんが店に客を担ぎこみ、他の女性に相手をさせるという戦術だ。
もちろん、他のキャバ嬢からは非難轟々だが、麻夜さんの魅力にイカれちまってる店長は麻夜さんの言いなりになるしかなく、たった一日で麻夜は店の裏店長と化してしまっていた。
「美人って怖いな」
呟きたくもなる。
だってここまでくると魔術の領域だ、もしくは超能力。
いくら美人だからって、これだけイカれた所業ってのはそうそう考えられない。
でも、現実に起こっているのだから認めるしかないのではあるが。
「おらっ、須藤! 四番テーブルのお客様におつまみだ!」
「はっ、はい!」
後からどなられて素早く厨房に向かって走り出す。
考え事は後回し、今は仕事をしなくては。
そう考えて僕は、考えていたことを全部頭の中から放り出して、仕事を再開した。
「くっそ〜、あのエロオヤジめ〜」
仕事時間終了の後、廊下で合流するなり、麻夜さんは眉間に恐ろしい皺を刻みながら怨嗟の声をあげた。
「何がチョコスティックゲームよ、頭おかしいんじゃないの?」
チョコスティックゲームと言うのはお互いがそのチョコスティックの両端を口にくわえ、それを食べ進めていくと必然的にお互いの唇が触れ合うというゲームだ。
傍目から見ると天使のような笑顔でそれをやってはいたものの、内心では嘔吐ものだったらしい。
「でも、こんなにもらっちゃったし、感謝してやるか」
文句を言いながらも笑顔でお札をちらつかせる麻夜さん。
その手には十枚を超える万札が握り締められていた。
「どうしたんですか、それ?」
「もらったのよ、チップってヤツかしらね? ちょっとおだてたあげるだけですぐサイフ開いてくれるんだもん。お礼にほっぺに実弾くらわせれば、それだけで有頂天になるしね」
この場合、実弾とはキスのことらしい。
ちなみにお金は胸の谷間に突っ込んでくれたそうだ。
向こうは胸を堂々と触れて、こっちは一瞬にして十数万を設ける。
うん、等価交換だ。
「でも、私のキスって高いのよ、結局城嶋さん、今日だけで千五百万近くこの店に落としていったわ」
「………………」
「ん? どうしたの数騎」
「いや、なんでもないです」
そう、なんでもない。
ただ、美人って怖いなと思っただけだ。
もう何度目かは忘れてしまったけど。
ま、もちろん口に出していうわけもない。
「ま、気になるけど無理に聞き出そうとする気はないわ。とりあえず外で待っててよ、私もすぐ行くから」
「トイレですか?」
「レディにそんなこと聞くもんじゃないの。着替えよ着替え、こんなカッコじゃ帰れないわ」
言われてその姿を上から下まで眺める。
あからさまに大きく開いた胸元に、見えそうで見えない絶妙な長さのスカート、そしてボディラインを強調するぴっちりとしたその服。
いや、こんなの着て町を歩いたら間違いなくお水系間違いなしだ。
少なくとも、おウチである公園のテントの周辺を歩いていたら変人とでも思われてしまうだろう。
「わかった? わかったら外で待ってなさい」
そう言うと、麻夜さんは僕に背を向けて、店の奥へと歩いて行ってしまった。
僕はとっくに店の制服を脱ぎ、いつも通りの黒ずくめの服を着ていたので、麻夜さんが出てくるまで店の外で待っていることにした。
夜はまだ深く、空はまだまだ暗い。
確か今の時間は午前三時のはずだ。
店の裏口にある扉の脇のコンクリートで作られた壁に背中を預ける。
ひんやりして気持ちよく、仕事の疲れが吸いこまれるようであった。
その気持ちよさに、僕は思わず目をつぶる。
そして、歌を口ずさみはじめた。
正直歌は上手くないし、あまり高すぎる声は出せない。
でも僕は歌うのが好きで、自転車に乗るときは大抵歌を歌いながら走っている。
何故かは知らないけど子守唄が好きで、僕はそれを口ずさむことが多い。
心を高揚させ、僕は歌を口ずさむ。
しばらくして歌を歌い終え、目を開ける。
そして、僕は開けた目をさらに見開いた。
そこには最も会いたくない二人の男がいたのだ。
一人は筋肉質の男で、もう一人は右手をケガした痩せた男。
そう、力ずくで僕を強姦した男たちだった。
「ひっ」
僕はあとずさる。
そんな僕を見て嬉しいのか、筋肉質の男は笑みを浮かべながら近づいてきた。
「よぉ、昨日会ったばかりなのに奇遇じゃねぇか」
男はさらに近づいてくる。
僕はその恐ろしさに、さらに後ずさる。
「今日の昼はオレの舎弟が世話になったみてぇだな」
その言葉を聞いて、後で笑みを浮かべる痩せた男。
二人は僕を捕らえようと、僕の動きを冷静に見つめている。
その瞳と目を合わせるのは恐ろしく、その後に訪れるであろう運命は想像すらしたくない。
「オトシマエ、つけなきゃいけないよなぁ?」
ガタガタ震えながらポケットの感触に気付いた。
右のポケット、その中にはナイフがしまいこまれていた。
でも、無理だ。
麻夜さんは武器を持てば自分の戦闘能力を延長し強くなれると言ってくれたが、これだけ体格差があると、こんなちっぽけなナイフでは立ち向かいようもない。
ヘタに使っても逆上されて、もっとひどいことをされるだけだ。
怖い。
恐ろしい。
蛇に睨まれたカエルの気持ちというのはどういうものだろう。
こんな風に胸を締め付けられ、寒くもないのに体が震え逃げ出したくて怯えているんだろう。
今の僕にはとてもよく、それが理解できる。
僕は逃げた。
背中を向けて、一気に駆け出した。
もちろん、逃げながら大声を張り上げる。
が、恐ろしさに声が枯れ、ちゃんと悲鳴をあげることさえできない。
あまりに慌てて走ったため、僕は足を引っ掛けて転んでしまった。
その隙を突いて、素早く左右から僕を取り囲む二人の男。
僕は起き上がることさえできず、尻を地面に引きずりながら後ずさる。
が、すぐに壁に激突し、逃げ場を失う。
じりじりと近づいてくる男たち。
あと数秒後、このままいけば間違いなく僕はあの男たちに蹂躙される。
再びポケットの中のナイフの存在に気がついた。
僕は震える手を突っ込み、何度も失敗しながらもポケットからナイフを取り出した。
素早く立ちあがり、折りたたみナイフの柄から刀身を出し、それを握り締めて男たちに向けた。
男たちは一瞬驚いたが、すぐに僕に近づいてきた。
僕は声をあげて男たちにナイフを突き刺そうとした。
が、できなかった。
それは、あまりにおそろしくて。
それは、あまり勇気がいりすぎて。
僕の弱い心は体を動かすことが出来ず。
その両足は地面に根をはり、その両腕は鋼鉄のように硬直し、その体は電気イスで処刑されようとしている死刑囚のように震えていた。
恐ろしさのあまり、手からナイフが零れ落ちた。
それを見ると、筋肉質の男は落ちたナイフを蹴り飛ばして僕の手の届かない位置まで移動させると、荒々しく僕の体をつかんだ。
そして僕を地面に押し倒すと、僕の服を無理矢理脱がしはじめた。
僕は必死に抵抗するが、その男の膂力は僕の数倍はあり、叫ぼうにももう一人の痩せた男に布を口の中につっこまれ、声をあげることもできない。
「アニキ、今日はオレからやらせてくださいよ。ちょっと腕をやっちまってるんで、アニキが押さえててくれないとできないんですよ」
「わかったよ、でも中に出すんじゃねぇぞ」
言って、筋肉質の男は僕の両腕を押さえこみ、僕の尻を痩せた男に向ける。
「へへへ、ありがてぇ」
押さえつけられて見えないが、背後からカチャカチャという金属音が聞こえてくる。
そして、生ぬるくてやわらかいものが、僕の尻に密着した。
「さぁて、いく……」
その先が痩せた男の口から紡がれることはなかった。
肉が叩きつけられる打撃音が響いたと思うと、肉が地面に叩きつけられる音がそれに続いた。
おまけにイヤな感じの音まで聞こえていた気がする、骨のニ、三本は確実に砕かれているだろう。
「テメェ!」
筋肉質の男が僕の戒めを解いた。
僕はその男から逃げながら口に突っ込まれた布を吐き出し、その人を見た。
黒いシャツにズボンと、格好は僕と同じ黒ずくめだ。
違うのは長くやわらかそうな金髪と青い瞳、そして男性だって大きいだろうと思えるほどの身長。
「麻夜さん!」
そう、僕を助けに入ってくれたのは麻夜さんだった。
最初の一撃が効いたのか、痩せた男は気絶したまま地面に転がっていた。
「オレの舎弟に何してくれるんだ、ああ!」
「そっちこそ、こっちの同居人に楽しいことしてくれんじゃないの」
嬉しくもなさそうに筋肉質の男を睨みつける麻夜さん。
その目を見て、僕は思わず鳥肌が立った。
だってそう、ここまで恐ろしい麻夜さんの顔を僕は見たことがなかった。
いつもは絶世の美女で、やさしい笑顔を浮かべ、時には妖艶になる女性ではあるが、怒りの表情がこれほどまで恐ろしいとは思わなかった。
その眼光は槍の穂先の如く鋭く、怒りに揺れる髪はまるで生きているかのように律動してさえ見える。
例えるならまるでメデューサだ。
ギリシャ神話にはメデューサという怪物が登場する。
醜悪な顔に一本一本が蛇で構成される頭髪。
そしてその瞳は魔力を持ち、見据えられただけでその肉体は石と化してしまう。
麻夜さんは、僕にとってまさにメデューサそのものと言えた。
その視線は僕に向けられていない。
だが、僕は震えながら石のように動かず、麻夜さんの動向をうかがっている。
そして、アスファルトを蹴る音が鳴り響いた。
麻夜さんが筋肉質の男に向かって仕掛けたのだ。
麻夜さんの右腕が筋肉質の男に向かって繰り出される。
握りこぶしをつくった右手は、その頭蓋を打ち砕くために顔面に狙いを定める。
もちろん筋肉質の男はそれを看過するわけもなかった。
両腕を用いてその拳を受け止める。
片腕ですませようとしなかったのは、筋肉質の男が麻夜さんの実力を見抜いていたからだ。
肉に叩きつけられるは、まさに鉄拳。
まるでバッドで人間を殴ったような打撃音が響き渡り、筋肉質の男の顔が苦悶にゆがむ。
それでも叫び声一つあげないのは、鍛え抜かれた肉体を誇りとする男であるから。
そして、それに続く追撃にも男は冷静に対処した。
麻夜さんの拳は言わばフェイントであった。
叩き付けた一撃はガードさせ、視界を一時でも奪うためのもの。
麻夜さんは男の視界がふさがった隙を突き、男の懐にもぐりこむ。
そして左によるボディブローが繰り出された。
女性とは思えないほどの重い一撃が腹部に炸裂するが、それは決して人外のものではない。
男はその一撃を耐え切った。
鍛え抜かれた腹筋は麻夜さんの拳を防ぎきったのだ。
そも、ボディブローとは重ねて何度も打つことでじわじわ効いてくる類のものだ。
脂肪が大半の腹ならともかく、決して一撃で鍛え抜かれた腹筋を轟沈させることなどできない。
男は痛みに耐えながら、ガードに使った腕を振り下ろし、肘鉄を麻夜さんの頭部に繰り出した。
麻夜さんはとっさに首を捻りその一撃を回避。
そして、すさかずバックステップをすると男から多少離れた距離まで逃げこんだ。
僕の目には、その攻防はまさに一進一退に見えた。
ダメージはないものの麻夜さんの額には冷汗が浮かび、男の方はダメージもあるもののその肉体差からいまだに優位は変わらない。
少々の緩急をとり、再び麻夜さんが仕掛けた。
小刻みに繰り出される左拳が男を翻弄する。
一撃で仕掛けず、確実に男を倒す気なのだろうか。
だがそれでは不利だ。
お互いに鍛え抜いた肉体なのだろうが、そうである以上男の膂力に女性では歯がたたない。
持久戦をやれば麻夜さんが敗北するのは目に見えている。
と、まるで鞭のようにしなる拳が次々と男に襲いかかる。
繰り出される拳は、男の皮膚に痛々しいミミズ腫れを量産していく。
男も何とか反撃を試みるが、麻夜さんの華麗なフットワークに翻弄され、その拳は空を切る。
業を煮やした男は、豪腕を叩きこむために拳を大きく振り上げた。
その腕の太さ、身長、体重、あらゆる要素が、男の一撃が必殺のそれであることを物語る。
麻夜さんの眼光はさらに鋭さを増し、その一撃を繰り出す挙動を何一つ見落とさぬように睨み付ける。
男の拳が繰り出された。
重く、そして驚異的な速度で繰り出される拳。
それを、
「はあああぁっ!」
裂帛の気合いと共に麻夜さんは退くのではなく、逆に男に向かって踏みこんだ。
無慈悲なるその一撃を皮一枚で回避しながら、麻夜さんはその左拳を繰り出した。
二人の腕が交差する。
十字のように交差した末、男に炸裂した麻夜さんの拳は鼻の骨を砕きながら男の顔にめり込んだ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」
うめきながら男は鼻を押さえて屈み込む。
そこに麻夜さんの容赦のない蹴りが側頭部に叩き込まれた。
その一撃は完璧に男の意識を刈り取り、男はアスファルトの上に転がったまま動かなくなる。
麻夜さんはふと周囲に視線を巡らした。
が、その先には僕以外の何者も見出すことはなかった。
どうやら痩せた男は筋肉質の男を見捨てて逃げてしまったらしい。
麻夜さんは戦闘態勢を解くと、ゆっくりと僕に歩み寄ってきた。
途中、僕が落としてしまったナイフを目にとめると屈み込んで拾い上げる。
そして立ちあがり僕にゆっくりと近寄ると、座りこんで動けなかった僕に目線を合わせるためしゃがみこんだ。
「大丈夫だった、数騎?」
「あ、うん、平気」
答える声は震えていた。
なさけない。
さっきは恐怖で全身を震わせ、今度は安堵で全身を震わせる。
「ごめんね、数騎。私は数騎に良かれと思って言ったつもりだった。でも、もうちょっとでコレは数騎を苦しませるところだった」
手元に視線を落としながら口にする。
その視線の先には、僕のナイフが存在していた。
「武器を使っても勝てない相手には勝てない。そしてヘタに反抗の意を示すのはさらに暴力を増幅させるだけ。こんなちっぽけなナイフでも暴力には代わりがない。暴力は暴力を生むわ。私は、それを考えていなかった」
悔やむようにそう言うと、麻夜さんは腕を伸ばし僕を抱きしめた。
「ごめんなさい、数騎」
力強く抱きしめながら言う。
その体は、筋肉質の男を殴り倒したとは思えないほどやわらかく、纏う匂いはまるで花のように芳しい。
でも、本当に嬉しかったのはその温もりだ。
それは、無機物を抱きしめるのとは全く違う感触があった。
ぬいぐるみは抱きしめていれば温かくなる。
でもそれは自分の体温が移っているだけのものにすぎない。
でも、この抱擁は違った。
全身で自分以外の体温を感じることができる。
自分が一人でない事を、その体温で理解できる。
恐ろしい恐怖から抜け出せたことによる安心感なのか。
「う……」
孤独でないことが嬉しかったのか。
「うう……」
それとも、ただ自分を抱きしめてくれる存在がいてくれることが嬉しかったのかわからない。
「ううう……」
わからなかった。
なぜ涙が出てくるのか。
なぜ、こうも身を委ねてしまえるかが、わからなかった。
抱きしめてくるその体に、僕も呼応するかのように抱き付いた。
胸に顔をこすり付け、僕は泣いた。
まるで赤ん坊のように、でも声は荒げたりはせずに。
そんな僕をあやすよう、泣き止ませるよう、麻夜さんは慈しみをこめて僕という存在を受け止めていた。
その姿を端から見ていたら滑稽にも見えたかもしれない。
その行為は親子の行うものであったが、それを行なう僕と麻夜さんは親子と言うにはあまりにも年齢が近すぎて見えるのであろうから。
そんな僕たちを撫ぜるかのように、一陣の風が吹く。
泣いて高揚した頬に、その風は冷たくて、とても気持ちよかった。
「あ〜、あいかわらずヒマねぇ」
呟きを漏らしながらビルの上をうろつき歩く。
薙風が戻ってくるのを二人で待っているからだ。
月明かりの下を歩く玉西は、いつもよりもずっと美しく見えた。
「まぁ、そう油断するな。いつ標的が来るとも限らんのだぞ」
「大丈夫よ、ちゃんと輝光を感知できるように精神は集中してるんだから」
面倒くさそうに、玉西はため息をつきながら柴崎に答える。
ちなみに柴崎は飾りっけのない白の仮面を付け、屋上の床に腰を下ろしながらも戦闘体勢に入っている。
「輝光を感知するというがな、世の中には輝光感知ができない輩がいるのを忘れるなよ」
「それって金属を持った無能力者のこと?
冗談! そんなのに不意打ちされたって負けるわけがないでしょ!」
だって敵は無能力者なのだ。
能力もない人間に、熟練した魔道師が負けるなどあってはならないことだ。
「異能持ちや魔剣士が紅鉄や絶鋼持って潜んでんなら負けるかもしれないけど、そんな対輝光能力に特化した金属持ってたら空気中の輝光まで打ち消しちゃうから、その不自然さで場所の特定はできなくないし。とりあえず輝光感知を怠らなくちゃ大丈夫よ」
「いや、そうとは限らんぞ」
表情が見えないので、柴崎は大げさに頷くという形で感情を表現した。
「お前が気をつけるべきな相手は輝光遮断をしてくる敵だけではない。気配遮断を持つ相手も警戒する必要がある」
「気配遮断? 何それ?」
「輝光遮断は知ってて気配遮断は知らないのか?」
「知らないわ」
柴崎は頭を抱えて頭を左右に振る。
それを落胆と受け取った玉西は眉を寄せて唸る。
「むー、いいじゃない。ちょっと忘れただけよ。きっと聞けば思い出すわ」
「うむ、まず輝光遮断とは知っての通り生物として存在している以上、肉体から輝光と呼ばれる生命力を微量ではあるが放出しているのは知っているな?」
「知ってる、強力な異能持ちや魔剣士ほど放出量が多いんでしょ?」
「まぁ、そうだ。強力な能力者ほど大きな輝光を保持しているため、輝光を感知して敵の居場所を探る能力者にとっては存在の確認がたやすい。
それに比べて無能力者は自身の輝光を増幅させるコツを知らないため、保持量も放出量も少ない」
「二階堂のバカみたいに?」
「まぁ、例えはよくないがな」
柴崎は今いない男に申し訳なさそうに頷く。
「さっき玉西が言ったように異能持ちが外部に漏れる輝光を遮断しようとしたら紅鉄クラスの金属、もしくは鉄でできたプレートメイルでも着込む必要があるだろう。
だが、その結果はお前も言ったとおりだ」
「強力な対輝光能力は自身のみならず、空気中の輝光すら打ち消す」
「そう、そこで無能力者が出てくる。無能力者なら微量な鉄で自身の輝光を遮断することができる。
故に私たちは彼らが身を隠していたら、それを感覚で捕らえることができない。
私たち術師は熟練であればあるほど目で見える情報より、感覚が捉える輝光を優先してしまう。
正直、輝光遮断を持つ無能力者に不意打ちされたらひとたまりもない」
「でも、気付きさえすれば返り討ちじゃない、弱いんだもん」
「否定はしないがな」
こほん、と咳払いする柴崎。
「さて、本題だ。今度は気付いても手ごわい相手。つまり気配遮断の能力者だな」
「だ〜か〜ら〜、それを聞きたいんだって」
「わかった、今話す。気配遮断は暗殺者たちがよく使用する技術だ。
自らの輝光を使い、自身を感知しようとする視線、そして輝光。それらをすべて自分からそらしてしまう能力だ。
これの恐ろしいところは輝光感知のみならず、その存在すら希薄に感じてしまうところだ。かなり集中状態で輝光感知を行わなくては敵の存在に気付くのは難しい。もっとも、その暗殺者が攻撃態勢に入ると輝光感知をしやすくはなるがな。
この気配遮断を極めた能力者は真正面にいても、その存在を見逃してしまうところが恐ろしい。その点、輝光遮断の無能力者は視界に入りさえすれば対応は容易いがな」
「どっちも一長一短ってことなのね」
「そうだな、でも完全に互角ってわけでもない」
柴崎は首を横に振った。
「どちらかというと輝光遮断よりも気配遮断の方が優れている。例えるならオートマチックとリボルバーみたいなものだ」
「わけわからないんですけど?」
銃の知識が皆無な玉西は、頬をかきながら答える。
「う〜ん、つまりシリンダーがついてる横に大きい拳銃がリボルバーで、スリムでカッコイイやつがオートマチック」
「で、どう違うの?」
「装弾数、命中率、正確性、携帯性、装填のしやすさかな。つまり、リボルバーというのは昔からある銃で作りがシンプルだ。
そのために故障しにくく信用がおける。かわりに装弾数が少なく、サイズも大きくて邪魔になるが、シンプルな作りのおかげでブレが少なく命中率が高い。でも、軍隊の制式銃は大抵オートマチックだ。
オートマチックは複雑な作りで発射時の振動も多く、弾が詰まる危険性はあるが装弾数が多く実戦向けだ。
装弾数がどれくらい多いかって二倍以上差があるのだから相当なもんだろう。それに装填もすぐにできるため、戦闘中も隙を作りにくい。
さらにスマートな作りのため、携帯も便利で持ち運びも簡単。
どちらかというと銃としてはオートマチックが優れている。
だが、いざというときの一瞬、頼れるのはリボルバーというわけだ」
「あ〜、だからアメリカの友人はリボルバー好きが多かったんだ」
ちなみにアメリカはお国柄らしくリボルバーの持つ正確性が高い人気の原因らしい。
「つまりさ、司。いまのは輝光遮断をリボルバー、気配遮断をオートマチックに例えたわけね」
「ま、そういうこと。一つ賢くなったかな?」
「うれしくもないけど。私、異層空間殺しじゃないし。銃なんて知っても意味ないわよ」
ふてくされる玉西だが、まんざらでもないらしく頬がわずかに朱がさしている。
と、玉西が目を見張った。
「あ、高速で接近中のヤツがいるわ」
「敵か?」
「違うと思う、移動と共に周囲の輝光を打ち消しながら迫ってる。多分、朔夜よ」
「そうか、私にはまだ感じ取れないが。やはり輝光の扱いに関しては魔道師に一日の長があるというわけか」
と、柴崎が一人納得したその時だ。
「ただいま」
そう口にして、薙風が柴崎たちの目の前に現れた。
その手には紅の刀を握り締めている。
二人をじゅんぐり見渡すと、薙風はゆっくり口を開いた。
「追いつけなかった」
「え、マジで?」
玉西が心底驚いている。
そんな玉西に、薙風は右目をつぶりながら答えた。
「妨害された、姿は見たけど逃げられた」
そう、玉西たちは魔術結社に依頼された対象を探して行動していた。
死霊を使い、電波塔として働く玉西をビルの屋上に配置し、そこから薙風と柴崎に支持を送っていたのだ。
ちなみに、鏡内界の中なので携帯電話は使えない。
柴崎が玉西のそばにいたのはいったん情報を整理しようと柴崎を呼び戻し、薙風が戻ってくるのを待っていたからだ。
「薙風が妨害受けるなんて、そいつ強かったの?」
「うん、高位呪文を使ってくる魔術師だった。顔はわからなかったけど」
「高位呪文を扱える魔術師がいるのか?」
高位呪文は一部の上位魔術師しか扱えない強力な術式だ。
魔術結社の中でも精鋭として知られる柴崎や薙風、玉西でさえ高位呪文、もしくはそれに相応する威力を持つ魔剣を所持していない。。
「やっかいだな、薙風。まさかまともにやりあったりしてないよな?」
「うん、逃げてきた。私に追いつける敵はそう多くない」
薙風が精鋭扱いされる理由は対輝光師能力に長けた紅鉄の刀ではなく、その刀から引き出させられる人外のものとしか思えない瞬発力にある。
転移、浮遊系の呪文を別とするなら、地上走行系の呪文では魔飢憑緋の速度にはかなわず、小回りなら魔術結社の中でも五本の指に入るだろう。
「そうか、私たちはチームだからな。敵とやりあうときはヴラドとの戦いのように総力で、より勝機の高い状況を作り出す必要がある」
「うん、私もそう思ってる」
薙風は小さく頷いた。
「でさ、朔夜。どうする?」
「たぶん、今日はもう出てこない。彩花、そろそろ異層空間を解除してもいいと思う」
「そう、じゃあそうしましょうかね」
「あ、そうだ薙風。一つ聞きたいんだが」
柴崎は一呼吸置き、尋ねる。
「敵を見たといったが、どんなやつだった?」
「魔術師の方はローブでよくわからなかった。逃げられた方は金髪に青い目で美人で胸の大きなお姉さんだった」
「ほぉ、至れり尽くせりだな」
「柴崎、グラマー好き?」
薙風が右目だけで、じとっと柴崎の瞳を除く。
「まぁ、私にも好みくらいはあるぞ」
「司って、グラマーな女の人が好きなの?」
突然、玉西が会話に入り込んできた。
「ねぇ、そうなの? ねぇ!」
「いや、それはだな」
「はっきりしなさいよ!」
「だからだな」
大声で話を続ける二人。
そんな二人を尻目に、薙風は月にてらされる巫女装束を風にはためかせながら頭上の月を見上げる。
鏡の中の月は、現実世界とは真逆の月である。
しかし、その美しさは褪せることはない。
二人はまだ大声で話を続けている。
薙風は当分この鏡の世界から出られないということを予測すると、左目をつぶりながら小さくため息をついた。
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