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第八幕 引越し


「お〜い、ちっさいの。早く四番テーブルに酒持ってこ〜い」
「うぃーっす!」
 短い足をせこせこ動かしながら僕は目的の場所にお酒を持って行く。
 酒とタバコと香水の匂いが同居するこの空間はキャバクラという名のお店だ。
 あいも変わらず僕と麻夜さんは汗水流して働いている。
「はい、お持ちしました」
 礼をしながらテーブルにお酒のビンを置くと、僕は次の指示を待つために厨房にむかうことにする。
 と、途中でちらっと右の方を見た。
 何でかって、そっちでは『リサちゃん』が働いているからだ。
「城嶋さ〜ん、もう一杯どうぞ」
「ありがとね〜、リサちゃん」
 禿げたオヤジは『リサちゃん』の背中に手を寄せて抱き寄せながら『リサちゃん』に酌をしてもらう。
 城嶋は実に満足そうで、そのにやけきったツラを見ていると、ここが天国なのではと思わず錯覚してしまうほどであった。
 『リサちゃん』こと麻夜さんはあいもかわらずの接客上手だ。
 自分の持っている美貌(ぶき)がどれほど威力があるものかということをわきまえている。
 己を知り、敵を知れば百戦危うからずとはよく言ったものだ。
 もう一週間も働いているが、麻夜さんは恐ろしくお客さんから人気がある。
 そりゃ、美人でグラマーな金髪美女になびかないのは外人嫌いの男くらいだ。
 それに麻夜さんは何故か日本語がペラペラだ。
 よく考えてみると麻夜さんは外国人だ。
 もしかしたら母国語を持ってるかも知れないし、それが基点となって記憶を取り戻すかも知れない。
「そう言えば、麻夜さんって記憶喪失なんだっけ」
 忘れていた。
 僕よりも数倍強かったり美人だったりするから頭から抜けていたが、麻夜さんは記憶喪失なのだった。
 ふと、麻夜さんと目があう。
 麻夜さんはウインクをしながら僕に微笑むと、再び城嶋に向かって艶っぽく笑みを浮かべる。
 そんな麻夜さんを見て、僕は悲しい気持ちを覚えてしまった。
 いつか、麻夜さんも記憶を取り戻す時がくるだろう。
 聞いた話じゃ、記憶喪失なんてものは時間がたてば治ってしまうものだという。
 もし、そうだとするなら。
 いつか麻夜さんは記憶を取り戻して、自分の居場所に帰っていくだろう。
 そう思うと悲しかった。
 僕にとって大切な人が僕の側から離れていくのがとても悲しかった。
 目頭が思わず熱くなる。
 こんなところで泣くわけにはいかないと思って僕は素早く瞼をこすり、涙を引っ込める。
 こういうつまらない感情を抱かないようにするには何かに集中することだ。
 僕は次の仕事をもらうべく、厨房に向けて歩き出した。






「待たせたわね、数騎」
 更衣室から出てくるなり、麻夜さんは僕にそう言った。
 店の裏口で待たせておくのは危険だという麻夜さんの判断から、麻夜さんがボディコン服から着替えるのを、僕は更衣室の前で待つことにしていた。
「ご苦労様、麻夜さん」
「あー、まったくよね」
 ぐったりとしながら麻夜さんは肩を落とす。
 正直、接客と言うのはとても気を使うのだろう。
 精神的にかなり来ているのか、化粧を完全に落としきれておらず、アイシャドウが片方だけわずかに残っている。
 僕は麻夜さんのバッグから化粧落としを取り出すと、落としきれていなかった化粧を落としてあげながら口を開いた。
「それじゃ、テントに戻りましょうか」
「冗談でしょ」
 何を思ったか、麻夜さんは不敵な笑みを浮かべた。
「私はもう、あんなチンケなテントになんか戻らないわよ」
「えっ?」
 驚く僕に、麻夜さんはバッグから数十枚の札束を取り出して見せた。
「ほら、お金がこ〜んなにたくさん。これだけあればもうテント暮らしなんてチャチい生活しなくてもいいんだもの。あんな生活はもうたくさんよ」
「麻夜さん、それって……」
「そう、数騎の考えている通り。私は今日から引越しをするのよ」
 その言葉を、僕は一瞬理解できなかった。
 錆び付いた頭を回転させて麻夜さんの言葉を理解しようと務める。
 そして麻夜さんの言葉が理解できた時、僕の頬に涙が伝った。
「ま、麻夜さん」
 どんどん涙が溢れてくる。
 思った直後にこんな事態が待っているなんて、いいかげんにして欲しい。
 つまりこう言うことだ。
 麻夜さんはたくさんお金を持っている。
 麻夜さんはもう、テントで暮らす必要などない。
 つまり、もう僕と一緒に暮らす必要なんてないんだ。
「う……うぅ……ううぅ」
「え、ちょっと! 何で泣いんのよ!」
 麻夜さんはあたふたしながらハンカチで僕の涙を拭った。
「ちょっと数騎、一体どうしたって言うの?」
「だ、だって……麻夜さんが、もう僕と暮らしたくないって……」
「言ってない言ってない言ってない!」
 大慌てで否定する麻夜さん。
「いい、数騎? 私はテントではもう暮らさないって言っただけよ。お金が入ったからアパートで暮らす、もちろんあなたもいっしょによ。最初にそう言ったでしょ」
「ほ、本当?」
 しゃくりあげながら聞く。
 麻夜さんはため息をつきながら僕の頭を撫でまわした。
「嘘なんかつかないって、信用しなさい」
「ご、ごめんなさい……」
 言ってまた涙があふれてしまった。
 そう、確かに麻夜さんはあの時、一緒に暮らそうって言ってくれた。
 でも、さっきの麻夜さんの話し方は、僕にその意味を勘違いさせるには十分すぎるものだったんだ。
 悲しくて泣いて、安心して泣いて。
 これじゃまるで子どもだ、あほらしい。
 でも僕はそれでも涙が止まらず。
 麻夜さんは僕の顔にハンカチを押しつけながら困惑していた。
「全く、よく泣く子ね。男の子でしょ、少しはシャンとしなさい」
「は、はい」
 麻夜さんの手からハンカチを受け取りながら、僕は何とか泣きやもうと努力した。
 数度しゃくりあげはしたが、やっと落ちついて泣くことから解放された。
 鼻はきっと真っ赤になっているだろう、だってけっこうヒリヒリする。
 泣きやんだ直後なので、まだしゃくりあげるのが止まらないが、まぁそのうちとまるだろう。
「泣きやんだわね、お願いだからこのくらいですぐ泣かないでもらいたいんだけど」
「すっ、すいません」
「あ〜、謝らなくていいから。とりあえずいらっしゃい。新しいお家を見せてあげるから」
「でも、いったんテントに戻らなくていいんですか?」
「何で?」
「だって荷持が」
「大丈夫、引越しセンター呼び出して、もう運び込みさせといたから。今から公園行ったって何にも残ってないわよ」
 これは用意がいい、思わず感心してしまう。
「何、崇拝の眼差しで眺めてんのよ。お金さえあればこういう事だってできんのよ。わーった?」
「は、はい。承知しました」
「ならよろしい、じゃあ行くわよ。私たちの新しい家にね。また泣き出したらぶん殴ってやるわよ」
 ゲンコツに、はぁぁ、と息を吐きかけながら僕を半目で見てくる麻夜さん。
 僕はしゃくりあげながら、必死で首を上下に動かすのだった。






 二階堂は頭上を見上げておもしろくもなさそうな顔をした。
 彼の視線に移る看板、そこには薙風探偵事務所と言う文字が存在していた。
 二階堂はため息をつきながら看板がとりつけてあるビルの中に入り、その四階まで上っていった。
「帰ったぞ〜」
「ご苦労様」
 出迎えたのは巫女装束を着込んだ薙風だった。
 何を考えているのかわからない表情をしながら右目をつぶってTVを見つめていた。
 一週間もするとある程度の家具が揃ってきたようで、殺風景な部屋もだいぶマシになっている。
 寝室も四つ用意してベッドもそれぞれ備え付けたし、本棚、ソファなどなどの備品もバッチリだ。
 問題は魔術結社から、ここに探偵事務所を設置しろとの命令が来たことだった。
 どうやらここを支部の一つにしてこの町に睨みを利かせようという魂胆らしい。
 精鋭部隊として行動している自分たち四人組はすぐ別の町での活動に移るだろうから、せっかく設備を整えても無駄になってしまうのではあるが、金は上からいくらでも引き出せるので、まぁ近辺を整えてはいる。
 ちなみに魔術結社からの依頼を受け取り、実行に移すのはオレ、二階堂雅彦の仕事だ。
 正直、オレには裏のヤツらとやりあっていく技術もなければ能力もない。
 オレがこなせる仕事は後方支援くらいなものだ。
 なわけで、オレは大抵こいつらの後ろで裏方の仕事をやっている。
 本来、魔術結社のメンバーは刑事のような二人組み、もしくはスリーマンセルを組んで行動する。
 薙風には相棒の玉西、そんでオレの相棒は柴崎ってわけだ。
 問題はこの組み合わせが結構、特殊だって事。
 基本的にチームというのは魔術師、もしくは魔道師と魔剣士あたりが組むものだ。
 魔剣士をはじめとする近距離戦闘向けの術士は隙のが少ない戦法を取れるが、最大輝光放出量において魔道師や魔術師には敵わないことが多い。
 逆に魔術師や魔道師は最大攻撃力に特化している代わり、機動力や速攻性で魔剣士をはじめとする術士に大きく引けをとる。
 ようするに中世の歩兵と弓兵みたいなもんで一長一短なわけだ。
 最大攻撃力とそれを守る盾、その組み合わせを作らせるのが魔術結社の掟だ。
 ところがオレたちときたらその法則をまったくもって守っていない。
 まずは玉西、砲台としての魔道師として術が戦闘向けではない。
 よって本来ならそうとう後方で援護だけしているタイプなので戦闘などはもっての他だ。
 が、こいつの相棒は魔飢憑緋の魔剣士である薙風なのである。
 薙風なら単独でもかなり上位の術士に太刀打ちできるバケモノなので、敵の最大火力を相殺するための援護を必要としない。
 それどころか、あれほどの敏捷性を持ってると逆に仲間がいると邪魔になることもある。
 故に、薙風の相棒は肩を並べて戦える人間ではなく、後方支援のエキスパートが必要となる。
 まぁ、そんなわけで薙風と玉西はガッチリはまっているわけだ。
 で、オレと柴崎だ。
 柴崎のヤロウはもともとがワンマンアーミーを気取ってる男だ。
 仮面を使えば魔剣士にも魔術師にもなれるため、適応力が並外れて高い。
 さらに刻銃と呼ばれる市販の魔剣の中でも最高級品を所有してるときたもんだ。
 あの銃は維持費は半端ないが、その威力は絶大だ。
 どれくらいすごいかって、普通の魔術師が苦労して習得する中位呪文並の術式を簡単な詠唱だけで速射できてしまうくらいに強い。
 これがあるから柴崎のヤロウにはバックアップの魔術師が必要ない。
 で、戦闘面、後方援護は自分でできてしまうため、必要なのは電脳面だ。
 ようするにメール、電話をはじめとした上との情報疎通。
 わかりやすくいうなら雑用だ、柴崎はそれを完全にオレに任せっきりにしている。
 正直、パシリみたいな仕事だが、やりがいはある。
 なんたって給料がいい。
 こっちは命かけて戦ってるわけだから、給料が低くちゃやってられない。
 ま、オレは命かけてないけどな。
「ところで、薙風」
「何?」
 話しかけると、ソファに座ってTVを見ていた薙風がこちらに顔を向けた。
「柴崎と玉西はどこだ?」
「出かけた」
「出かけたって?」
 思わず時計を見る。
 時刻はまだ四時。
 夜に動く異能者たちが、好んで異層空間を展開するにはまだ早い時間だ。
「仕事か?」
「そう」
「薙風は出ないのか?」
「私は待機中、彩花に呼び出されたらすぐ出れるよう準備してる」
 その証拠とでも言うように、ソファの上には魔飢憑緋が横たえられていた。
「待機ってどういうことだよ。一緒に行動したほうがいいんじゃないのか?」
「どうやら敵は一人、じゃなくて一組じゃないみたいなの。複数のグループが動いてる。片方に気を取られてもう片方を看過するわけにはいかない」
「おい、ちょい待て。それどういう意味だよ」
 思わず声を荒げる二階堂。
 薙風はそれに少し驚いた表情を見せるが、すぐに平静を取り戻し、
「後で教える」
 それだけ答えると、再びTVに向かって視線を戻してしまった。
「どうしたってんだよ」
 呟く二階堂。
 しかし、その呟きはTVから流れてくる笑い声にかき消されてしまっていた。






「捉えた!」
 反転した夕日がかげる廃工場の入り口。
 獲物を追い詰めた魔道師は相棒の魔剣士に微笑を投げかけた。
「バッチリよ、司。敵さんは工場の中に逃げ込んだわ」
「それはまたやっかいな所へ」
 嬉しくもなさそうに答える柴崎。
 もちろん、隣にいる女性は玉西である。
「ようやく追い詰めたわね、あの金髪女」
「追い詰めたというよりは、誘い込まれたという気がしなくもないのだがな」
「そんなこと言ってたらキリがないでしょ。グレゴリオ、ちゃんと装填しといてよね。パニッシャーもよ」
 二人は会話をしながらも慎重に周囲の気配を探り、不意打ちを警戒しながら工場へと近づいていく。
「まぁ、構いはしないがな」
 あまり嬉しくはなさそうな表情を浮かべる柴崎。
 実は、彼の持つ刻銃という銃は、最高級で実は結構出費がかさむ。
 銃弾は通常弾が一発で一万、パニッシャーが五十万でグレゴリオが百万と正直一つの事件の旅に数百万の出費を彼はしている。
 事実、魔術結社から支給される給料の大半は装備代に消えているのだ。
 ちなみに経費落ちはしない。
 魔術結社も武装に金を払わないほど鬼ではないが、一つの事件のたびに五百万近い金額を消費する柴崎を援助する気はなかった。
 魔術結社はけして国家などではなく、そこまでの支出をすることが不可能なのである。
 別に最高級の刻銃を柴崎が使わなければならない義務はなく、性能はやや落ちるがもっと安価で長持ちする魔剣がいくらでもあるのだが、柴崎が嫌がって使わないので魔術結社も経費で落としてくれないという構図が生まれたわけだ。
 柴崎は、近代兵器も魔剣も金のかかったものほど優秀であると考える癖がある。
 そういう意味では限定生産の特別品の方が優秀なハズなのだが、柴崎はそういうのは好まず市販品で済ませる。
 現実の軍隊のように、性能よりも確実性、耐久力、そして補給の容易さを重視しているからである。
 限定生産のものは耐久性を度外視して性能を重視しすぎる傾向が強く、実戦に身を置き続ける柴崎の好みにはあわないようだ。
 余談だが、食費、住宅費、交通費などはちゃんと魔術結社が支給してくれている。
 が、今はそのようなことを語らっている事態ではなかった。
 銃に弾丸の装填を済ませると、柴崎は工場の入り口に向かって走った。
 その背後には、伝令役として一匹の死霊が取り付いていた。
「入り口のすぐ右、気をつけて!」
 柴崎だけに伝わる程度の小さな声。
 それを耳にし、柴崎は工場の中に飛び込んでいった。
 同時に、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 気配だけで捉え、その姿を見るまでもなく刻銃から閃光を走らせる。
 それを迎撃するは白銀の閃光。
 ぶつかり合う輝光の激突は、刻銃より放たれた閃光の勝利によって終わりを向かえた。
 白銀の閃光が殺しきれなかった輝光弾が入り口の脇で待ち伏せしていた金髪の女性に襲い掛かる。
 その衝撃を受けきれず、女性は壁際まで吹き飛び、叩きつけられた。
「どうした、降伏するなら命まではとらないが、どうだ?」
「へぇ。いっちょ前にほざくじゃないのさ」
 金髪の女性は起き上がりながら言う。
 長身で豊満な体つきをしたその女性は、青き瞳を細めながら柴崎を見つめる。
 その右腕には、紐を編みこんだような装飾が施された短剣が握り締められていた。
「降伏する気があるならその魔剣を捨てろ、刻銃を食らって生きていられるほどの輝光放出を持った魔剣なのだろう? 持たせておくわけにはいかない」
「わかってんじゃないの」
 嬉しそうに笑みを浮かべながら、
「なら、さっさと殺しとけばいいものをさ!」
 叫び、金髪の女はその右腕を一閃させた。
「『爪刃』!」
 魔剣の口にする。
 それが魔剣の起動呪文となる。
 魔剣というのは、基本的に固定された術を行使するための魔道具として認識されている。
 短い詠唱で起動する簡易的な魔術を具現化したもの、それが魔剣である。
 使用の度にその名を口にする必要がある魔剣もあれば、起動時のみですむ魔剣もある。
 前者が刻銃、爪牙などの魔剣、後者が魔飢憑緋や呪牙塵など魔剣が該当する。
 爪刃の名を持つ短剣から再び閃光が迸る。
 しかし、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 繰り出される白銀を金色の閃光が迎撃する。
 柴崎は刻銃から連続して最大級の輝光弾を解き放った。
 そして訝しむ。
 だってそう、刻銃と爪刃の最大放出を比べれば先ほどの一撃で刻銃が上回っていることが証明されている。
 それでも繰り返すということは、
「ちぃっ!」
 そこに策が存在しているに他ならない。
 金髪の女の行動を予期して後方に柴崎が飛びのいたのと、巨大な爪が柴崎のいた空間を薙いだのは全く同時であった。
 まさに紙一重、衣服の前面を切り裂かれ、柴崎の形のいい筋肉があらわとなる。
 柴崎はにらみつけるように自分に襲い掛かった相手を見る。
 そこにいたのは金髪の女性ではなく、巨大な熊だった。
 黒と灰の縞模様の毛並みをした熊、しかしその体長は二メートルを軽く上回る。
「獣憑きか……」
 獣憑きとは呪いの一種である。
 獣の魂を用い、自らを構成する細胞に暗示をかけ、通常ではありえない細胞分裂の果てに異形へとその身を変化させる現象である。
 ある意味では催眠術に近い。
 獣憑きには先天と後天の二種類が存在する。
 先天の獣憑きはその血脈に獣の血が混ざっており、生まれつき魂に獣の情報が登録され、それを用いて自らの肉体に暗示をかける。
 後天の獣憑きは取り付いた魂と自分の魂を共鳴させ、細胞に暗示をかける。
 が、どちらであろうとも過程が違うだけで結果的にたいした差は生まれない。
 そして、それがこの先の柴崎にとって何かの助けになるわけでもなかった。
「ストライプベアとは恐れいった。魔剣士にして獣憑きか、刻銃の余波でお前の動きに少しでも陰りがなければ臓物をぶちまけられていたぞ」
「今からでも遅くないんじゃない?」
 隙をうかがうようにして柴崎をその瞳に捉え続ける巨大な獣。
 その距離およそ二メートル、獣にとってはないに等しい距離であった。
 それを前にして、柴崎は白い仮面を懐から取り出した。
「行こうか、仮面舞踏(マスカレイド)の始まりだ」
 同時に飛び込んでくる獣。
 対し、仮面使いの口から紡がれる言葉は、
「魔飢憑緋」
 獣の速度を三段は上回るほどの速さで後方へと流れていった。
 バック転を数度繰り返しながら柴崎は獣から距離をとる。
 その工場はタイヤを生産するところであるらしく、いくつもの機械が大きく距離をあけて存在している。
 獣の攻撃を警戒するように、柴崎は機械の上に飛び乗り、戦闘の準備を始める。
 そこに数秒送れて、獣が接近してきた。
 柴崎はすでに魔飢憑緋の仮面をはずしている。
 取り出したものはカタール。
 二刀流にしたそれは刀身のないカタールだったが、柴崎はそれを構わず振りかざした。
「Azoth(アゾト)!」
 迸る魔剣の真名。
 カタールに取り付けられたアゾトの剣は都合六振り。
 その全てが一直線に獣に向かって迸る。
「ガァァァッ!」
 咆哮と共に繰り出される豪腕。
 弱小な魔剣などものともせず裂帛の気合だけでアゾトの輝光で練られた刀身を全てかき消してしまった。
 もちろん無傷ではすまない。
 五本まではかき消したものの、最後の一本だけは迎撃しそこね大きくその腕に負傷を残す。
 しかし距離は詰まった。
 中距離を得意とする相手に近距離で戦いを挑むのは道理だ。
 鮮血にまみれた右手には爪刃。
 迎え撃つはアゾトによる六本の閃光だ。
「『爪刃』!」
「Azoth(アゾト)!」
 共に魔剣を開放する。
 しかし弱小なアゾトの輝光弾では爪刃ほどの魔剣を打ち破れない。
 かき消しきれない輝光弾は間違いなく柴崎に致命傷を与えるだけの破壊力を持ち、
「展開、光鱗の盾(ライトシールド オープン)!」
 柴崎の前面に展開された光の障壁は、迫る輝光弾を必殺から凡弱なる一撃へと降格させることに成功した。
 玉西が遠隔操作して作り出した光の障壁を突破した閃光に柴崎を殺す力はなく、ただその身を機械の上から地面に叩きつけることのみを成し遂げた。
 しかし、それだけで十分。
 地面に引きづり下ろせば、勝機は獣にあるからだ。
 アゾトを構え警戒する柴崎。
 輝光弾の衝突で周囲は薄い輝光の霧が発生していた。
 奇襲には絶好の機会。
 が、獣による奇襲はなかった。
 霧が晴れる。
 そして、柴崎は肩の力を抜き、
「やれやれ、向こうの方が上手ということか」
 してやられたとため息をつく。
 そう、獣の強襲の目的は柴崎の殺害ではなかった。
 ぽつぽつと遠ざかっている血痕。
 それは獣が柴崎から逃走したことを物語っていた。

































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