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第十二羽 異界


 開き直るとここまで爽快になるとは本当に不思議だ。
 僕はそう思いながらアパートの扉を開いた。
 そこは僕と麻夜さんが暮らしていた部屋。
 でも、すでに僕一人になってしまった部屋だ。
 決めたことは一つ、麻夜さんを探し出すということ。
 それさえ決れば後は行動あるのみだ。
 幸いなことに麻夜さんが軍資金を置いていってくれた。
 それさえあれば大丈夫、まだ何も終わってなんかいないのだから。
 僕は部屋の中を見まわした。
 そこは特に何の変化もなく、万札が床に散らばっていた。
 その全てを拾い集め、封筒に詰める。
 一袋に五十枚近く入っている、これだけあれば何とかなるだろう。
 そう考え僕はそれをポケットにしまい込み、そして余った封筒をどこかに隠しておくことにした。
 と、その時初めてそれに気付いた。
「あれ?」
 手触りが違った。
 封筒を通して感じられる感触は、柔らかいものではなく冷たい。
 僕が封筒の口を下に向けると中から音を立てながら金属が落ちてきた。
 それは四メートル近くある鎖と、その両端につながれた鉄板だった。
 いや、鉄板ではない。
 それは刀身を柄に収めるタイプのナイフ、折りたたみ式のナイフだった。
 戦闘用に特化しているのか、僕がいつも持ち歩いている九センチの刀身のものよりも五センチほど刀身が長かった。
 最初から持っている方も二センチオーバーで銃刀法違反だが、こっちはそれに拍車をかけている感じだ。
「思い出した」
 そう、麻夜さんの手紙に書いてあった。
 武器を置いていきます。
「これが、武器」
 それは僕にとってどれほど向いている武器だろうか。
 僕みたいな非力な人間でも扱いきれる長さの短刀、さらに携帯を考え折りたたみにされている。
 柄に鎖をつけているのは投擲を目的としているからだろう。
 投げた後でも鎖鎌の分銅のように手元に戻って来れるわけだ。
 さらに四メートルの射程は槍の射程を上回る。
 相手が刃物を持っていたり、鈍器を振るっても安全に戦える距離だ。
 折りたたみになっているのは分銅として使用する事を前提とするからだろう。
 勘違いしている人間も多いが鎖鎌という武器において、本当に恐ろしいのは鎌ではなく分銅の方である。
 遠心力を用いた回転運動を経て繰り出される分銅の一撃は、甲冑を纏っていてさえ侮る事は出来ない。
 そも、西洋の武器防具の歴史は武器の破壊力と、防具の防御力のいたちごっこであった。
 そしてチェインメイル、プレートメイルなどの登場により、剣をはじめとする刃物を用いた武器の攻撃力が激減し、鈍器としての使用が余儀なくされた時期すらあった、もちろん鎧には必ず隙間があり、そこを突いて倒せない事もなかったのではあるが。
 そこで登場したのが打撃系の武器だ。
 フレイルをはじめとする打撃武器は鎧の上から衝撃を与える事で敵を打破する驚異的な殺戮兵器。
 その中でも最強とされるものがモーニングスターだ。
 柄に鎖がとりつけられ、その先にトゲのついた鉄球が取り付けられた武器だ。
 柄を振りまわし、遠心力のついた鉄球を敵に叩き付ける、それだけがコンセプトだ。
 が、その威力は絶大だった。
 甲冑の上から剣で殴られただけでも骨を叩き折ることがある。
 だが剣は所詮切るための武器であり打撃の専門家ではない。
 モーニングスターは打撃のスペシャリストだ、骨は折るのではなく砕くだけの破壊力がある。
 そしてその原理は、破壊力や射程の差はあれど鎖鎌の分銅とそう大差のあるものではない。
 鎖鎌の鎌はあくまで分銅で倒した相手のトドメを刺す場合のみに用いられる。
 この鎖ナイフ、刀身を柄の中にしまえば重心が安定し、鎖鎌の分銅と全く同じ使い方が出来るのではないか。
 つまり、鎖鎌に比べると戦闘能力は落ちるものの、携帯性に特化した暗器と言うわけだ。
 両端についた短刀はどちらかを分銅とし、もう片方に鎌代わりに持つという使い方が出来るだけでなく、狭所使用を考え、両手持ちで扱えるようにさえできている。
 ものすごい配慮である。
 僕ごときが扱えると言う前提だけでなく、使いこなした後の強さまでも考慮されているのだ。
 こんな暗器が普通に売られているはずはない、きっと特注だ。
 麻夜さんは僕のために、わざわざ特注で業者の人間に作ってくれたのだろう。
 嬉しくて泣きそうになるが、何とか泣くのは留めた。
 思えば最近は泣き過ぎだ。
 これ以上泣いたら、ただの泣き虫ってもんだろう。
 僕は頭を振って気分を切りかえると、その短刀を携帯しようとポケットにしまい込む。
 が、
「むぅ」
 やや大きめな短刀の方は入っても、四メートル近くある鎖が全部ポケットにおさまりきらないのだ。
 鎖は細く軽めに作ってあるが、それでも四メートル分ともなると入れようがない。
「あ、そうだ」
 考えなおし、ベルトを通す穴に鎖を入れ、巻きつけてみる。
 思った通り、ベルトを何重かに巻き、残りをポケットに入れると、カッコつけて鎖をサイフにつけている若者に見えなくもない。
 右のポケットに二本の折りたたみ式ナイフを隠し、左ポケットには前から持っていた短めの短刀を潜ませる。
 これで準備は万端だ。
 五十万近くの金の入った封筒を懐に忍ばせ部屋の外に向かう。
 今度はしっかりと鍵を締めて外に出た。
 麻夜さんと一緒に戻ってこれた時、この部屋が泥棒に荒らされていたらたまらないからである。






「ここか」
 頭上を見上げる。
 そこはいかにもいろんなテナントが入っていますと言う無骨な細長いビル。
 ビルの四階に取り付けてある看板には、薙風探偵事務所と銘打ってある。
 僕は緊張で手に汗をしたたらせながらも、一歩一歩階段を上り、扉を開けて事務所内に入る。
 かび臭い空気が鼻に触り、引っ越したばかりのような生活用品のほとんど無い空間。
 散らばる洋服はしわくちゃで洗濯はここ数日していないことが伺え、食い散らかしたインスタント食品が地面に散乱している。
 と、僕は思わず目を見開いた。
 別にこの部屋の惨状に驚いたからではない。
「あっ」
 ぽかんと口を開けている女性。
 何を考えているのか、巫女装束に着替えようとしている下着姿の女性が、目の前に立っていたからだった。
「え、あ、その……」
「ん、少し待って」
 口ごもる僕にその女性は少々驚きを隠しながらも、白い下着を隠そうともせず巫女装束を着込み、そのまま僕のそばまで歩み寄ってきた。
「お客さん?」
 巫女服の女性は右目をつぶりながら尋ねてきた。
「あ、はい。そう……です?」
 疑問系になったのは、少女の姿があまりにも奇妙だったからだ。
 ここは探偵事務所のはずだ。
 だが、ここはまるで引越し会社の協力を頼む金すら惜しむ貧乏人が、部屋に家具を運ぶことすらできず、日々の生活を無為に送っている学生のような部屋を連想させる。
「こっち来て、話を聞きます」
「あ、はぁ……」
 正直、この巫女さんに頼って大丈夫なのかと疑問に思わなくもないが、今は彼女に頼るほかない。
 僕は言われるままに彼女の後を付いていった。
 隣の部屋に案内されると、僕は思わず安堵の息をつく。
 そこは普通の部屋だった。
 本こそ入っていないが、資料を入れるための金属の本棚が部屋の脇に設置され、部屋の真ん中にはソファが対に置かれており、真ん中には大きめのテーブルが置かれていた。
「座ってください」
 指示に従いソファに座る。
 それを見届けると、巫女さんも僕の目の前に腰を下ろした。
「それで、何の御用でしょうか?」
「あのぉ、ここ探偵事務所ですよね?」
 遠まわしに探偵さんはどこですかと聞いてみる。
「はい、一応は探偵事務所です。私は探偵の薙風朔夜と申します、どうぞ」
 言って薙風と名乗った女性は僕に名詞を渡してくる。
 名詞は手書きのもので、薙風朔夜と筆で書かれていた。
 迫力のあるカッコイイ文字だ。
「あの、あなたが探偵なんですか?」
「はい、それはもう間違いなく」
 慌てているのか、少々早口になっている。
 が、ポーカーフェイスなのか、表情はそれほど変わっていない。
「そうですか、それではお願いしたいことがあるんですが」
「どのようなご用件でしょう?」
 聞いてくる薙風さんに僕はつばを飲み込み、答える。
「人探しをお願いしたいんです」
「人探し? 誰を探せばよろしいでしょうか?」
「その、綱野麻夜って女性なんですけど」
「その方の写真はありますか?」
「ありません」
 その言葉に薙風さんは眉をしかめる。
 当然だ、顔もわからない人間を名前だけを頼りに探し出すのは相当困難なはずだからだ。
「あの、特徴なら言えるんですけど」
「一応、お願いします」
「その、金髪に青い目をした外人の女性で、背が百八十くらいあるんです。すっごい美人でグラマーな人なんです」
「あ、わかりました」
「へ?」
 拍子抜ける。
 何だって、今なんと?
「え〜と、見当は付きましたが一応。その女性の名前を、漢字を教えていただけますか?」
「え、は、はい。その、綱引きの綱に野原の野。アサとかいて麻、ヨルとかいて夜です」
「はい、了解しました。お引き受けしますよ」
「ほ、本当ですか!」
 思わず大声を上げる。
 何か妙だ。
 門前払いされると思ったら、引き受けてもらえてしまった。
 正直、名前と特徴だけでは人探しができるとは思わない。
 できなくはないのだろうが、相当の労力と時間がかかることは想像に難くない。
 こんな小僧の持ち金で動いてくれる探偵が何人いるかと覚悟して来てみたのだが、まさか一件目で承諾してもらえるとは思っていなかったのだ。
「本当に、探していただけるんですか?」
「はい、大丈夫です。必ず見つけて差し上げましょう」
「あ、ありがとうございます。それで、お金はどのくらいかかるんですか? 必要費用と日給と、二週間分ほど払おうと思うんですけど、いくらですか?」
 探偵を雇うには金がかかる。
 考えてもみてほしい、探偵と言うのは大人の仕事だ。
 食うためにはそれなりの金が必要で、不定期にしか仕事が入ってこなければバイトのような給料で動くはずもない。
 交通、見張り、聞き込みなどにかかる費用はもちろんこっち持ちだし、それとは別途に彼が生活していくための給料である日給ももちろんかかるだろう。
 日給を二万と考えて二週間で二十八万はかかると思われる。
 が、
「タダでいいですよ」
 薙風と言う名の探偵はそんなとんでもないことを申された。
「はい?」
「ですからタダでいいと言いました。こちらは道楽でやっていますので」
「はい?」
 思わず聞き返す。
 そりゃ、正直この巫女装束姿の女性が探偵としてまともに働けるのかと疑問に思いもしたが、それ以上にこんな言葉が返ってくるとは予想だにしなかったのだ。
「心配しないでください。ちゃんと捜査はしますから、多分」
「多分?」
「いえ、絶対。大丈夫ですから今日はお引取りを」
「お引取りをって……」
「お帰りください、出口はこちらです」
 そう言って薙風さんは僕に出口を指し示す。
 僕は落胆して出て行こうとした。
 きっと薙風さんは僕を冷やかしとでも思ったのだろう。
 だから適当な事を言って僕を追い返そうとしているのだ。
 僕は肩を落としながら出口に向かおうとした。
「あ、ちょっと待ってください」
 そういうと、薙風さんは紙と鉛筆を持って僕に近づいてくる。
「電話番号を書いてください、何かわかったら連絡しますから」
「えっ?」
 意外だった。
 追い返す相手に何で電話番号を聞くのかわからない。
「あの、電話番号?」
「はい、電話番号です。今日から綱野麻夜さんを捜索しますので、わかり次第連絡を入れます。お名前と電話番号をお願いします」
「は、はい」
 どこまで本気なのかはわからなかった。
 でも、僕はもう彼女以外に頼れる人間はいない。
 それをよく理解していた僕は、藁にもすがる思いでその紙に名前を書き込み、電話番号を書く。
「はい、確かに。それでは何かあれば連絡します。またのご利用を」
 そういうと、彼女は丁寧に僕に向かって礼をする。
 彼女がどれほど頑張ってくれるか、それが僕の運命を握るのかと思うと、かなり不安な気持ちが心の中をよぎるのであった。






「帰ったぞ、薙風」
 扉を開ける音と共に柴崎が談話室に入ってきた。
 薙風はと言えば急須をそばのテーブルに置きながら、ソファに座って茶を飲みながらテレビを見ていたが、すぐに柴崎の方を向き直り無表情で似合わないガッツポーズを決めた。
「どうした?」
「収穫」
 自信はおろか、感情すら読み取れない無表情を浮かべ続ける薙風の顔を、柴崎は胡散臭げに見る。
「え〜と、それは危険を犯してまで別行動した意味はあったととっていいのかな?」
「構わない」
 小さくうなづき薙風は眼前のソファ、つい先ほどまで須藤数騎が座っていたその場所に柴崎を座らせる。
「で、何があった?」
「綱野麻夜の知り合いが来た」
「ほぅ」
 おもしろそうな顔を浮かべる柴崎。
 それを見て、薙風は柴崎が運んできた情報を察した。
「もしかして、いなかったの?」
「あぁ、大正解だ」
 つまらなそうに答える柴崎。
 それを聞いて、薙風は無表情で右目を閉じた。
 そう、柴崎はつい先ほど、数騎とは入れ違いで数騎たちのアパートに侵入していたのだ。
 綱野麻夜という名前に関する情報を、二階堂が入手していたのを発見したからだ。
 二階堂は、どうやらこの事務所で敵に捕らわれる直前まで綱野麻夜なる人物の調査をしていたらしい。
 年齢は不詳、絶世の美人で金髪碧眼。
 流星のごとく一週間前にこの町に現れ、悪魔のような魅力で夜の世界で知らないものはいないほどの人間になってしまっていたようだ。
 この一週間で彼女に流れ込んだ金は三億をくだらない。
 つまり、それほどの金持ちたちが入れ込んでしまうほどの美人だったわけだ。
 これでベッドまで連れ込まれた回数がゼロだというのだから、その魅力だけでこれだけの金を搾り取ったのだ。
 恐ろしい女である。
 情報収集を第一の仕事とする二階堂は、当然ながらこの女の調査をしていた。
 本来なら、一応調べておいたぜ、という二階堂の一言で埋もれていくはずの資料だったが、薙風が裏の人間からその名前を聞いたのであれば話は別だ。
 資料では綱野麻夜は中学生くらいの子供と同棲しており、ぼろくさいアパートに住んでいるそうだ。
 それを突き止めた柴崎は、薙風とともにこのアパートに向かおうとしたが、それを薙風が拒んだ。
 もしかしたら、自分たちがいない間に有力な情報が飛び込んでくるかもしれない。
 それは薙風の勘だった。
 何の根拠もないのだが、薙風の勘はよくあたる。
 正解率は大体四割くらいではあるが、虫の知らせ程度にしてはよくあたるほうだろう。
 それくらいで別行動をとる愚を冒すのはどうかと考えられたが、敵の打倒ならともかく敵からの逃走を前提として戦えば自分と薙風はかなり安全なタイプだ。
 その上、まだ明るい時間なので交戦になる可能性は低い。
 柴崎は薙風の勘を信じて、単独行動を行い、結果として最上のものを手に入れたのであった。
「とりあえず私がアパートに出向いた頃には綱野麻夜はいなくなっていた。大家に聞いた話では二年分の家賃を前払いした後、どこかに出かけていってしまったそうだ。帰ってくるまで張っていようかとも思ったが、一応帰ってきた。
 あのアパートに綱野麻夜がいる、もしくはいたということが事実であるという確証がとれただけでも収穫だと思ってな。
 おそらく綱野麻夜はあのアパートで暮らし続けるつもりなのだろうな、なにせ二年分の家賃の前払いだ。当分の根城にするつもりなんだろうよ。張り込んで帰宅を待とうとも考えたが、交戦になった時のことを考えて戻ってきた。
 一人でも問題はないとは思うが、念には念を、だ。最悪、魔術結社の増援(これからくるデュラミアザーグ)を待ってからでもいいからな」
「帰ってきて正解だった」
 柴崎の長い事情説明を聞き終えた薙風は数度頷いてから続けた。
「綱野麻夜はアパートに戻らない」
「何だと?」
 口にし、眉をしかめる。
 その様子を気にせず、薙風は続けた。
「綱野麻夜はアパートを出て行った。綱野麻夜の知り合いがそう言った」
「まさか、私がいない間に来た客というのは?」
 半ば予想できているのだろうが、あえて答えを聞こうとする柴崎。
 そんな柴崎に、薙風ははっきりとした声で告げる。
「須藤数騎」
「なるほど、綱野麻夜のヒモか。で、何て言っていた?」
「綱野麻夜を探しと欲しいって」
「そうか、綱野麻夜が失踪して捜索を依頼しにきたというわけだな。で、写真とかは受け取ったか?」
「ない」
「はぁ?」
 こちらの正気をうかがいたそうな声色。
「ちょっと待て、写真がないとはどういうことだ?」
「ないものはない。須藤数騎は名前と身体的特徴しかわからない人間を探して欲しいと依頼してきた」
「なんだそれは、収穫なしといいたいわけか?」
 落胆する柴崎に、薙風は首を横に振る。
「ううん、十分。綱野麻夜は須藤数騎のために二年分の家賃を払ってアパートを出て行った。それはきっと須藤数騎から危険を遠ざけるため」
「なるほど、綱野麻夜は切迫した状況にいるというわけか」
「もしかしたら、裏の世界の住人かもしれない」
「ありえるな。いや、その線で調査していたわけだから確証に近づいたと言うべきか。全貌が見えてきたぞ。つまり今、この町では三つの勢力が動いているわけだ。
 我々、玉西と二階堂を拉致したヤツら、そして綱野麻夜」
 その言葉に、薙風が頷いた。
「多分、司の考えてる通り綱野麻夜は玉西と二階堂を拉致していないと思う。だってもしそういう行動をとってるんだったら、わざわざ須藤数騎をそばに住まわせたり、突然失踪したりはしないと思うから」
「だろうな、なら綱野麻夜は味方か?」
「そうとも限らない」
「そうだな、楽観はしないほうがいい。とりあえず二人を拉致した一味ではないということがわかっただけでも万々歳か」
 柴崎が両手をあげて小さく万歳の格好をする。
 それを薙風は左目をつぶって見つめた。
「どの道、私たちがホテルに呼び出されたのは明日。二人を拉致したヤツらは明日にならない限りしかけてこないと思う。せっかく罠を用意したのにそれを使わないとは考えられない。今夜は失踪した綱野麻夜の捜索をメインにしようと思う」
「賛成だ、間違いなく綱野麻夜は今回の事件のキーパーソンだ。接触を持てればそうとうプラスになるだろうな」
 柴崎は今後の指針が決まったことに満足そうに言う。
 それで落ち着いたのか、柴崎はお茶の入った湯飲みに手を伸ばす。
 やや冷めてはいたが、なかなかにおいしい緑茶であると、柴崎は思った。
 薙風はと言えば話は終わったとばかりに、再びテレビに視線を戻していた。






「はぁ、疲れた〜」
 帰ってきた途端、床に座り込んだ。
 アパートの中を見回すも、やはり麻夜さんの姿はない。
「どこにいるんだよ、麻夜さん」
 巫女さんの探偵、薙風さんに依頼はしたものの、やはり半ば信用できず僕は自分でも一日中、町の中を麻夜さんの姿求めて歩き続けていた。
 が、結局見つからず、こうぐったりとしているわけで。
「もしかして、この町から出ていっちゃったのかな?」
 その可能性は決して低くないと思う。
 だって、そもそも初対面の時からおかしかった。
 全裸だったし記憶喪失だったし。
 思い出してみれば、麻夜という名前だって偽名なのだ。
 一体、彼女は何者なんだろう。
 それに、僕の元を離れたということは、僕と一緒にいるとまずいことでも起きたのではないか?
 考えてみれば麻夜さんはあれだけの金を置いて失踪したのだ、やむを得ない事情というのは十分ありえる。
 が、それがどんなものかと聞かれても答えは出そうになかった。
 と、情けない音が腹部から響いてきた。
「むぅ、お腹すいたな」
 とりあえず冷蔵庫まで足を伸ばす。
「うへぇ」
 なかった。
 完膚なきまでになかった。
 麻夜さんが持ち去ってしまったのか。
 卵みたいな持ち運びに不便なもの以外、食料という食料が冷蔵庫から失われていた。
 ついでに冷凍庫も見てみると、アイスまで根こそぎなくなっているのだからなかなかの手回しと言わざるを得ない。
「むぅ、腹が減ってはなんとやらか」
 僕は立ち上がり、ポケットに入れっぱなしの封筒からお札を一枚引き抜くと、適当に拾ってきて使っていたタンスの中に封筒をしまいこむ。
 外に出て鍵をかけ、僕は食料の買出しに商店街に向かった。
 夜の八時を回ってもやっているスーパーというのはざらにある。
 店から漏れる光を頼りに、僕は店の中に立ち寄り買い物を始めた。






「あ〜、電子レンジ拾っといてよかった」
 ちょっと人には聞かせられない独り言である。
 今はスーパーからの帰り道。
 僕はスーパーでいろいろとお買い物をしてきた。
 コロッケに鳥のから揚げに春雨、それに白い米のご飯を少々。
 スーパーは惣菜という名目で調理した食品を販売している。
 腹は減ったが調理は面倒という気分の時の頼れる味方であると断言できる。
「さて、家に戻ったら暖めて食べよう。春雨なんて久しぶりだな〜」
 思えば麻夜さんと一緒にテント暮らしをしていて時は、買ってきたお惣菜のから揚げを二人でつつきあっていた記憶がある。
「………………」
 楽しかった思い出というのは思い出した時の現状がつらければつらいほど胸の傷にさわる。
 僕はやるせなさを感じながら、ぎゅっと胸の前でこぶしを握り締める。
 今の考えから意識をそらそうと、僕は周囲に視線を送る。
 ここは商店街の出口だった。
 大きな門をくぐれば僕の住むアパートへの道。
 そして商店街の端には電気が消え、シャッターを下ろす直前の薬局。
 ガラス張りのその店の入り口、そこに。
「麻夜さん?」
 いた。
 麻夜さんがいた。
 鏡に映る姿が僕には確かに見え、そしてそれは今も消えない。
 鏡に映って僕より大きさが小さいということは僕の後ろの方にいるのは明らかだ。
 僕は後ろを振り返り、叫ぶ。
「麻夜さん!」
 しかし、
「へ?」
 そこに麻夜さんはいなかった。
「え、だって」
 視線を巡らせる。
 街灯の光にさらされた小暗い商店街。
 そこには麻夜さんはおろか、僕以外の人影など皆無だった。
「見間違い、嘘だろ?」
 だって、一瞬じゃない。
 麻夜さんをこの目に留めたのは一瞬じゃなかった。
 麻夜さんは向こう側を向いていたが、確かに何秒もこの目にしていたはずなんだ。
 商店街の道路のど真ん中に隠れる場所なんかない。
 それこそ数十秒あれば別だが、僕が振り返るのにせいぜい一秒くらいしかかからない。
 どこにも隠れられるはずなんてないのに。
「なんで……いないんだ」
 思わずそう言わずにはいられなかった。
 肩を落とす。
 そう、きっと僕は幻影を見たのだ。
 麻夜さんを求めすぎてその幻を見る。
 彼女の美しい姿が魅力的だから探しているのではない。
 ただ、彼女の存在が必要だから、僕は麻夜さんを探しているだけなのに。
「なんでだよ」
 見つからない。
 見つからない。
 麻夜さんはどこにもいない。
「だって、今いたじゃないか」
 ガラス張りの薬局の入り口に向かって歩く。
「ここに、移ってたじゃないか」
 ガラスに手をつく。
「このガラスの向こうにいたじゃないか」
 伝わってくる冷たく、硬い感触。
 抱きしめる麻夜さんの暖かく、柔らかい感触とは正反対のそれ。
「なっ!」
 そう、それが僕の手に伝わってくるはずだった。
「ちょっと、待てよ」
 勘違いか、見間違いか?
 いや、そうとは思えない。
 だって、手のひらには何の感触だってない。
「何でないんだ」
 ない。
 ない。
 ない。
 感触がない。
 いや、そんなことは些細な問題だ。
 だって、そう。
 もっと大切なものが見えなくなってるじゃないか。
「どうして」
 視線を上げる。
 目の前には鏡。
 困惑する僕の顔を映している。
 視線を下げる。
 目の前には僕の右腕。
 そして、僕は視線を腕の先端である手へと移していく。
 そこには存在していなかった。
 あるはずの僕の右手が。
 まるで鏡に飲み込まれでもしたかのように、僕の右手がどこかに消えてしまっていたのだ。
「はっ!」
 慌てて手のひらを引き戻す。
 元から感覚は残っていた。
 だから大丈夫。
 抱きしめるように引き戻した右腕の先には、しっかりと右手がついていた。
「見間違い?」
 半信半疑につぶやき、再び右手を鏡に触れさせる。
 そして、
「違う」
 再び右手が鏡の中に進入していった。
「鏡の中に、入ってる」
 僕はそのまま腕を押し入れる。
 鏡は何の抵抗もなく、僕の体を受け入れていく。
 僕は思い切って鏡の中に体を全部押し入れる。
 そして、やはり鏡は僕をすんなりとその内側に入れてくれた。
「あぁ」
 漏れる吐息。
 そこは、鏡の中は僕の見知った商店街だった。
「何にも変わらないじゃないか」
 そう、そこは依然変わらぬ商店街。
 別に何がこうとか、マンガの中みたいに鏡からどこか別の異世界に行ったとかではなく、そこは商店街だった。
「疲れてんのかな」
 ぼやき、帰り道に向かって歩く。
 が、僕はすばやくその場から振り返った。
「え?」
 違った。
 いや、ここは商店街だ、それは間違いない。
 違うのは、
「逆」
 先ほどと同じ方向に向かって歩き出した。
 だというのに、
「逆だ」
 僕は商店街の中へと向かって歩いていた。
 周囲を見回す。
 それは変わらぬ商店街の景色。
 唯一違う点といえばそれは、
「逆だ」
 そう、逆であった。
 まずは配置、店の配置が記憶のものとは正反対。
 次に文字、看板に刻まれた文字が鏡写しになっていて読みにくいたらありゃしない。
 最後に、自分。
 左手に持っていたはずのスーパーのビニール袋を、なぜか左手で持っていた。
「もしかしてここって、鏡の中の世界?」
 昔、絵本で呼んだことがある。
 鏡の中には別世界があり、そこで少女はポーンからクイーンを目指すのだ。
「って、それは関係ない!」
 頭を左右に振って考えを取り除く。
 それにしてもすごい。
 鏡の世界なんて本当にあったんだ。
「それにしても」
 呟く。
 だってそう。
 この鏡の中の世界はあまりにも静かだった。
 動く自動車もなければ歩く人間もいない。
 僕以外誰も存在しない世界のようだった。
「誰もいないんだな」
 何度周りを見渡しても誰の姿も見当たらない。
 いや、あった。
 誰かが近づいてくる。
 それは身長が高めなイケメンで、肉付きもしっかりしてる。
 長めな黒の外套を纏ったその男は、ゆっくりと僕に近づいてきた。
「あ、こんばんわ」
「ああ、こんばんわ」
 僕の挨拶に、男は答える。
「あのぉ、ちょっと聞いていいですか?」
「いや、悪いが断る」
 そう答えると、男は僕の左腕を手に取り、そのまま僕を引きづるように歩き始めた。
「ちょっと、何するんですか?」
「いいからついて来い」
 言いながら男は手を引っ張りながら歩き続ける。
 そして、僕はこの世界に入ってきた入り口の鏡までやってきた。
「え〜と、僕に何の御用ですか?」
「そんなもの、あるわけもないだろう」
 言って男は僕の体を突き飛ばした、鏡に向かって。
「わっ!」
 僕は慌てて体勢を立て直す。
「何するん……」
 言いかけていた文句が止まる。
 だって、僕の目の前には、
「あれ?」
 鏡張りの壁があるだけなのだから。
「あの人は?」
 周囲を見渡すも僕のことを突き飛ばした男はどこにもいない。
 と、音が戻ってくるのがわかった。
 商店街の外を走る車、商店街を歩くおばさんたちの足跡。
 この時間だと帰宅途中のサラリーマンのそれも混ざったりしている。
「戻って、来た?」
 そこまで口にして、僕はすばやく鏡に視線を向ける。
 右腕を突き出し、また鏡の中に入ろうと試みる。
 が、
「冷たっ」
 そう、僕の手のひらには冷たい感触が走るだけだった。
「入れない」
 じゃあ今の出来事はなんだったんだ。
 僕は鏡の中に入ったはずだ。
 反転した世界を覚えている。
 音の死んだ世界を覚えている。
 そして、僕の胸には男に突き飛ばされた感触が残っている。
「どういう、ことなんだ?」
 その問いかけに帰ってくる答えは存在しない。
 僕はしばらくのあいだ、その場に立ち尽くし続けていた。






「危なかった」
 柴崎は冷や汗をかきながら隣にいる薙風に目を向ける。
「何とかギリギリで異層空間の展開距離を縮めるのが間に合ったな」
「ほんと、こんな時間に異層空間なんてセンスがない」
 薙風は頷きながら答えた。
 場所は先ほど数騎がいた電気屋の裏口。
 そこに柴崎と薙風はいたのだ。
「金髪の女性の姿を見かけたと思ってこっちまできたのが運のツキだった」
「異層空間なんて下手に広げるものじゃない。部分解除が間に合って本当によかった」
 そう、柴崎と薙風は鏡内界にいた。
 二人は翌日の罠に飛び込む前に綱野麻夜なる人物と接触を取っておきたかったのだ。
「取り逃がしたか、たぶんこの調子じゃ外の空間にいるぞ。それじゃあ探しようがない」
「じゃあ、異層空間を広域展開する?」
 薙風のその言葉に、柴崎は首を横に振った。
「冗談だろ、あの目つきの悪いガキみたいにこっちに入ってくる人間がいたらどうする気だ? こっちは極力、向こうの張った異層空間に乗じるのがベストなんだ」
「でも、向こうは逃げてるんだから展開してきっこない。こっちが展開して向こうを鏡内界に引きずりこまないと」
「一般人もまとめて引きずりこむ気か?」
「彩花の仮面はある?」
 薙風は柴崎のコートに視線をやる。
 それに答え、柴崎はコートの中から仮面を一つ取り出す。
「あぁ、死霊術士の仮面なら一つ。どうする気だ?」
「それで死霊を飛ばして鏡の世界から外の世界を調査する。それで綱野麻夜らしき人物を見つけたらそこを基点に空間を展開すればいい。それなら被害は最小限」
「なるほど、だが問題が一つ」
「何?」
「こっちの能力は二ランク落ちだ。玉西並みの能力に真に迫ろうとするには、極度の集中が必要だ。玉西がお喋りしながらできることを、こっちは冷や汗かきながらやる必要がある。つまりだ」
「その間、無防備になる、かな? それなら私が守る」
「ありがたい、行くぞ」
 仮面舞踏を宣言し、柴崎は仮面を被る。
 力の開放によりその能力を解き放たれた仮面は、柴崎を玉西に準ずる死霊術士へと変貌させた。
 柴崎の手から次々と死霊が飛び出し、町中を駆け回る。
 それは軍隊の斥候のように柴崎の元を離れ、そして戻っていく。
 柴崎が死霊を操っている最中、薙風は警戒を緩めず、あらゆる方向へと視線を走らせていた。
 そう、今の彼らは襲撃される危険が大きかった。
 何しろ、膨大な数の死霊が柴崎の元に集い、そこから移動を開始しているのだ。
 その死霊一匹の動きを捉えさえすれば、柴崎の居場所など手に取るようにわかる。
 襲撃者にとってさらに都合がいいのは、柴崎が仮面で能力を引き出して無理やり術士になりきっているところにある。
 無理をすれば負担も大きく、隙もでかくなる。
 それは襲撃者の最大の好機となる。
「爪刃!」
 そして、金髪の美女がそれを逃す道理もない。
 電気屋の屋上から繰り出される閃光。
 強烈な破壊力を有する閃光は、人を殺すには十分すぎる爆発力を秘める。
 しかし、
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、餓狼無哭(がろうむこく)」
 迎撃したるは真紅の魔剣、
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)、緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
 中位呪文の相殺さえ可能なこの魔剣を相手に、
「魔餓憑緋」
 爪刃の威力では少々力不足だった。
「薙風、逃がすな!」
「わかった」
 視線は返さず、背中を向けたまま薙風は答えると同時に壁に向かって飛びついた。
 そのまま壁を蹴り飛ばし、反動を利用しながら壁の凹凸に足をかけ、すいすいと壁を登っていき、屋上から攻撃を繰り出した襲撃者に向かって迫っていった。
 柴崎はすぐには追ってこれない。
 町中に放った死霊を回収しなければならないからだ。
 そうでもしないと死霊というのはやっかいなもので、生きた人間に害をなす悪霊へと堕ちる可能性すらあるのだ。
 が、せっかくの襲撃者を逃がすわけにもいかない。
 そのため柴崎は、薙風に単独行動を命じたのだ。
 薙風が上り終えたとき、金髪の女性は何故か宙を浮いていた。
「魔術? でも、獣憑きのはず」
 魔剣士をはじめとして、異能者というのは基本的にその能力を重複できない。
 魔剣士が魔術師を兼ねることは難しく、獣憑きが魔剣を操ることも非常に稀である。
 そのため、あの金髪の女性が獣憑きでありながら、強力な魔剣を操っていることに柴崎は驚きを隠せなかったのだ。
 しかしどうだろう。
 目の前の金髪の女性、いや、おそらく綱野麻夜であろうその女性は宙に浮いているのだ。
 なら、あれは飛行系の魔剣だろう。
 そう判断すると、薙風は魔飢憑緋の瞬発力を最大限に引き出し、目にもとまらぬ速度で綱野麻夜に飛びかかった。
 しかし、綱野麻夜は間一髪のところで真紅の剣閃を回避すると、薙風に背中を向けて一目散に逃げ出した。
「逃がさない」
 低くつぶやく。
 そして薙風は体勢を低く固定し、どんなスプリンターでさえ眩暈を起こしかねない速度で空を飛ぶ綱野麻夜に追いすがった。
 建物の屋上を次々と飛び移り、着実に綱野麻夜との距離をつめる。
 そして、とうとう薙風は綱野麻夜を射程内に捉えた。
「とった!」
 跳躍し、魔飢憑緋を叩き込もうとする薙風。
 死神の鎌にも見えかねない真紅の刀身。
 それを見て綱野麻夜は笑みを浮かべる。
 その表情を薙風はいぶかしむ。
 そして一秒も経過しないうちに、薙風は自らの敗北を悟っていた。






「薙風!」
 返事はない。
 この鏡内界と呼ばれる世界に、薙風の姿は全くと言っていいほど存在してはいなかった。
「どこに行ったんだ?」
 再び死霊を展開する。
 この際、危険だなどと臆するつもりは毛頭ない。
 極限まで力を引き出し、死霊を町中に放出する。
 月明かりの下を飛び交う死霊の群れ。
 しかし、その晩。
 柴崎が薙風の消息をつかむことはできなかった。



















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