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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第二羽 事の起こり
第二羽 事の起こり
暑は夏い。
夏は暑いと連呼しているうちに思わず口走ってしまった言葉がこれだった。
くそ暑いソファの上に転がっているような気になれず、数騎はひんやりと冷たい壁に背中を預けながら床に座って本を読んでいた。
口には氷、ちょっと苦味のある水道水をそのまま凍らせた物体を、数騎は茶碗にいくつもいれ溶け切るごとに口の中に放りこんでいた。
アイスを買うのはもったいないし、甘いものの取りすぎは健康によくない。
実に小市民的な考えで氷を口にする数騎に、
「ワトソン、何サボってるのよ」
机に座ってる麻夜さんが怒鳴ってくる。
そこは探偵事務所の接客室。
さまざまな事件の資料や来客時にお客さんに座ってもらうソファ、そして麻夜さんの机が存在するスペースだ。
奥には僕と麻夜さんの部屋が存在しているが、まぁ今は関係ない。
「はやくこっちきなさいよ、仕事が立て込んでるんだから」
忙しいのは仕事がある証拠だ。
探偵の仕事が全くこなかった六月までとはうって変わった状況である。
僕は氷を噛み砕きながら麻夜さんの机まで歩いていった。
暑い暑いとぬかされる麻夜さんは、キャミソールにショートパンツと実に快活な格好をなされている。
と、麻夜さんが睨むように僕を見た。
「つーかさ、あんたっていつ見ても暑苦しいわよね」
言われて数騎は自分の服装を眺める。
Tシャツにジーンズという、いたって普通の格好だ、色以外は。
「ワトソン、いい加減黒い服着るのやめたら? 万年葬式帰りって呼ぶわよ」
「むぅ、そう言われましてもねぇ」
困った顔をする数騎。
そんな数騎に、麻夜はビニール袋を叩きつけた。
「な、なんですか?」
「いいから見てみなさい」
その言葉に、数騎は嫌な予感がした。
実は数週間前、麻夜が数騎に服を買ってきた。
体にぴったりとあうサイズの白い襟のあるボタン付の服である。
が、数騎はそれを一度として着ることはなかった。
数騎にも理由はわからないのだが、数騎はボタン付の服と襟の高い服、つまりYシャツのような服が大の苦手だった。
中学に通っている頃も苦痛で苦痛で仕方がなく、数騎が高校へ行かない道を選んだのもその性格が原因だったのかもしれない。
数騎は、おそらく圧迫されるのが嫌いなのだろうと自分で勝手に納得していた。
ボタンには拘束感があるし、襟の高い服は動きにくい。
ちなみにネクタイもキライである。
おかげで麻夜の買ってきたシャツは今も引き出しの奥深くで有事でもない限りは半永久的に眠りにつく運命となった。
それを思い出しながら、数騎はビニール袋の中身を確認する。
そう、そこには真っ黒な甚平が三着入っていた。
ちなみに甚平というのは着物のような服の名前である。
着物の上の部分と半ズボンという格好が甚平という服のあり方だ。
肩の部分は半ば露出し、紐で袖の部分と連結しているため、風が入りやすく着ていて涼しい。
脇も切れているため風通しがよく、さらに胸元をはだけさせればより涼しさを増す、すばらしい服である。
しかも、色は数騎の好みの黒だ。
「ま、麻夜さん」
「買ってきて放置されるのも嫌だしね。黒でもその暑苦しいのに比べりゃ幾分ましよ。さっさと着替えてきなさい」
「はい!」
数騎は喜び勇んで洗面所に向かい、汗まみれのTシャツとジーンズ、ついでにトランクスを放りなげ、甚平を着込んだ。
なんと涼しい格好なのだろう。
必要最低限の布に心地よい風通し。
まさに完璧なる布陣というものだ。
数騎は満面の笑みを称え洗面所から出てくる。
それと同時に扉が開いた。
お客さんが入ってくる、外来用の扉だった。
「探偵さん、お金ならいくらでもあげます!」
そう言いながら、中年のおばさんが麻夜さんへと近づいていく。
「娘を、娘を殺した犯人を捕まえてください!」
「つまり、殺人犯を探し出してほしいと」
中年の女性の話を聞き終え、麻夜さんが口にした言葉がそれだった。
「はい、お願いできますか?」
真摯なまなざしを向けてくる中年女性。
金持ちなのだろう、ブランドっぽい高そうな手提げにお洋服に靴に指輪にネックレス。
枚挙に暇がないとはまさにこの事だ。
「ですが奥さん、腑に落ちないことがあるのですが」
「何でしょう?」
聞き返す中年女性。
本来なら温和な女性なのだろう。
しかし、彼女の目はギラギラと逼迫した雰囲気をかもし出していた。
「おそらく奥さんもご存知の通り、例の殺人事件は警察が全力をあげて捜査しています。こういう商売をやっているとそちらの筋からも情報が入ってくるんです。
警察は必死です、女性が何人も殺され死体を放置されてるんですから。
五百人動員体勢をとって捜索もしています、失礼ですが私に依頼を申し込まれずとも平気なはずではないでしょうか?」
そう、六月に起こった連続猟奇殺人からほんの二ヶ月しか経っていないこの時期、再び殺人事件が美坂町を騒がせていた。
その名も連続強姦殺人。
十代から三十代までの女性が突如として失踪し、その数週間後に死体となって発見されるという事件だ。
死体には暴行の跡が見られ、全身に傷を負い、時には肉体の一部がかけている死体が全裸でいたるところに放りだされているのだ。
その数なんと二十八。
魔飢憑緋暴走事件の折の被害者は十三名だったが、今度はそれを軽く上回るペースだ。
そして、目の前の女性は、その被害者の母親というわけだ。
「警察ではダメなんです!」
「なぜですか?」
麻夜がそう尋ねると、女性はあらん限りの力で机を殴りつける。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「あなたにはわかりますか、娘を殺された母親の気持ちが! 一時の慰みものにするために誘拐し、抵抗できないところを刃物でズタズタに切り刻み、全裸の死体を汚物でまみれた川に投げ捨てられ、見るも無残な、顔を見ても見分けがつかなくなるようにされて娘を失った親の気持ちが、あなたにはわかるっていうんですか!」
「一体、私にどうしろと?」
「探せばいいんじゃないですか?」
横から口を挟んだのは数騎だった。
数騎はお盆の上にお茶を乗せてやってきて、麻夜と女性の前に湯飲みを置くと、再び口を開いた。
「麻夜さん、わからないんですか? このおばさんはこう言いたいんですよ。娘を探した犯人を探し出して警察ではなくこちらに引き渡してほしい、ってね。違いますか?」
尋ねる数騎の口元にはほんの少しだが笑みを作る形に歪んでいた。
そんな数騎の表情を見て、あっけに取られる女性。
激情により、あふれ出していた涙も引っ込んでしまう。
「許せませんよね、自分の宝物を奪った人間なんてのは。そりゃ、仕返ししたいじゃないですか。だからでしょう? だから僕達みたいな探偵に仕事を依頼するわけだ」
「……わかっていただけるなら話は早いわ」
数騎の言動に少々戸惑ったが、女性は低い声でそう口にする。
そんな女性を前にして、数騎は右手をアゴのあたりにあてた。
「正直引き受けたい仕事ではございませんが。お値段によっては動かないこともないですよ」
「お金ならいくらでも出すわ」
「ちょっと待ってください!」
勝手に商談を始める数騎に、そして女性に対して麻夜は必死に食いつく。
「こちらはそんな危ない仕事を引き受ける気はありません、帰ってください」
「麻夜さん、そりゃひどいんじゃないですか?」
数騎にしては珍しく、見下すように続ける。
「大切な人間を奪われたんですよ、復讐したいじゃないですか。法律に基づいてすんなりと苦痛の少ない死刑になんかさせたくないですよ。
それも、何ヶ月も後の話だ。 例え捕まったとして、憎い相手が目の前にいるのに法律に保護されて手を出せない屈辱。
おかしいじゃないですか、殺人犯は法を犯しているのに法に守られてるなんて、どこか矛盾してますよね」
「数……騎……?」
言葉を止めることができなかった。
いつもここまで激しい主張をしない数騎の姿に、麻夜は数騎をあだ名で呼ぶことさえ忘れていた。
「そりゃこらしめたいですよ、せめて娘さんがされたことと同じことをやり返したいんじゃないですか? そうでしょう、お客さん?」
話を振られ、女性は決意に満ち溢れた顔でうなづいて答える。
「それじゃ、商談に入りましょうか。犯人を発見できるかどうかわかりませんが、全力で仕事させていただきますよ」
そうして、数騎は女性と契約を交わすと、女性は少しだけ心地よさそうな顔で事務所から出て行った。
「数騎!」
その直後だった。
麻夜の平手が数騎の頬に飛んだ。
乾いた音。
数騎は赤くはれ上がる頬を気にもせず、麻夜の瞳を見つめる。
「すぎた真似でしたか?」
「何考えてんのよ、あんたは。いつも赤の他人には無関心で知り合いのことしか気にしないくせに。今日に限ってなんて様よ!」
「いや、僕としてもあまり乗り気じゃないんですけどね。たまにあるんですよ。僕みたいな人間でも他人の立場に立って物事を考えるってことが」
「じゃあ、ワトソンは今なんて考えてるの?」
「もし、僕の大切な人が。神楽さんや麻夜さんが殺されたとします。それも屈辱的な方法で、その人間の尊厳を無視したような残虐な行為の末に惨殺されたとします。そして警察が犯人を見つけてくれました。
まぁ、ここまではギリギリで許容範囲としましょう、する気はありませんが。で、もしこの男が懲役二桁程度で済むとしたら。いや、そうじゃなくてもあと数ヶ月生きながらえるとしたら。
許せますか? 僕の大切な人を殺した人間なんですよ。僕の宝物を汚した挙句に叩き壊した人間ですよ。
僕は許せません、この手で殺さないと気がすまない」
その言葉を発した数騎の瞳には炎が宿っていた。
その炎の名は憎悪か、それとも復讐か。
同じような温度の炎を数騎が灯していたことがあった。
それは玉西彩花を救いたいと願い、決死の覚悟で魔飢憑緋のゾンビと戦いに行った時のことだ。
しかし、炎の色は恐ろしいまでに違っていた。
「でもワトソン、復讐は虚しいわ。果たしたところで虚しさが残るだけ。それでは決して、あなたは救われない」
含むところでもあるのか。
麻夜はいつものような覇気のある口調ではなく、弱々しい声で数騎を諭そうとする。
が、
「えぇ、救われないでしょうね」
数騎はけろりとした顔で言ってのけた。
「そりゃ救われないですよ、宝物を失った人間が救われるのは宝物が戻ってきたときだけだ。宝物を失った人間は、代わりのものでも手にしない限りは永遠に救われないんですよ。
あ、一つだけありました。あの世ってものが存在すると仮定すれば、死んだら逢えますよね。それなら救われる、パーフェクトじゃないですか」
「パーフェクトって、あんた」
「まぁ、そんなもんじゃないですか、世の中なんて。復讐しても虚しい、できないと悔しい。だったらさせてあげればいいじゃないですか。それで気が済むんですから。それに僕達もいい臨時収入が入るし、法律よりも厳しい罰をその犯人に与えられる可能性だって出てくる。
みんなにとって都合のいいことばかりですよ、約一名を除いて。まぁ、因果応報だから仕方ないですよね?」
「一名追加しといて、胃が痛いわ」
「胃薬いります?」
「いらないわよ」
不機嫌に答える麻夜。
よほどいらついてるのか、数騎に背中を向けて事務所を出て行こうとする。
「麻夜さん、一つ聞いていいですか?」
「何?」
振り返って尋ねる。
しかし、数騎は麻夜の瞳を見つめず、しずかに目を閉じたまま続けた。
「もし、大切な人が殺されたとして。その殺した人間は心の底から反省し、二度と犯罪に手を染めず、むしろ奪ってしまった命の代わりにたくさんの人を救うような人間に生まれ変わったとします。
その人間は僕の大切な人間を殺した代わりに千人の人間を救います。心はまさしく天使のごとく、彼は多くの人間に慕われ、結婚して子供が生まれ、孫の誕生に喜び、いい人生だと至福の笑顔を浮かべることでしょう。
この場合、この人間をどう思いますか?」
「何が言いたいの? 聞きたいことはその質問の答えじゃないはずよ」
続く質問を察知して麻夜が先手を打つ。
「じゃあ聞きますよ、我慢できるかできないか聞いているんです」
「どういう意味?」
「我慢できるか聞いているんですよ、自分の宝物を奪った人間が、一瞬でも笑顔を浮かべることができる状況を。自分の大切な人間を奪っておきながら、いまだにこの地上に存在し、呼吸をし、自分とつながった空気の中で、ほんのわずかでも同じ空気を吸っているこの状況を、麻夜さんは我慢できるかと聞いているんです」
その言葉に、麻夜は表情を険しくする。
数騎はゆっくりと目を開き、悲しそうに顔を伏せて語った。
「僕には自信がありません。きっといかなる手段を用いようともその相手の命を奪うでしょう。相手がどんなに反省していようが、失った命を代償にすばらしいまでに昇華し、その犠牲が決して無駄ではなく、救いのあるものであったとしても、僕は許せるとは思えないんです」
「数騎……」
「思い浮かべました、麻夜さんの葬式に列席して、麻夜さんの亡骸を見下ろしている自分を。
想像しました、ズタズタに切り裂かれ、判別もできなくなった神楽さんの遺体をみおろしている自分を。
だから、力になってあげたかったんです。間違っているとはわかっています。でも、あの人が可哀想だったから」
そこまで言うと、数騎は一筋の涙を流した。
自分の事しか考えない、いや、自分の周りの事以外には無頓着なこの少年。
それが、他人のことを考えられるようになっていた。
それを見て麻夜は、目をつぶって小さくため息をついた。
「以後、無いように気をつけなさい。もし犯人を捕まえたら、ちょっとだけあの女性に仕返しをさせて、すぐに警察を呼びましょう。その時は私がそばで立ち会うわ。そうすれば殺されるのだけは止められるから。あの依頼人には悪いけど、殺人を看過するわけにはいかないわ。一応この国では私刑は許されていないんだから。
わかった? 次やったら家から追い出すわよ、ワトソン」
諭すように叱る麻夜。
その優しい言葉を受けて、数騎は目からあふれる涙を止めることができず、ただ、
「ごめんなさい……」
その一言を口にするのが精一杯だった。
日差しの強いその夏。
美坂町を舞台に繰り広げられる惨劇に、数騎たちが首を突っ込んだ瞬間だった。
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