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第八羽 侍女生活


「さぁ、さっさと起きなさい!」
 部屋に響く大声。
 それにあわせて鳴り響かせる、鍋とお玉が古典的で実に素晴らしい。
「さぁ、今日も一日仕事ですよ!」
 メガネをかけたヒステリックな二十代後半の女性のその声に、その部屋で眠っていた女性たちがそろそろと起きはじめた。
 そこは、いくつものベッドが並ぶ彼女たちにあてがわれた部屋だ。
 洋風で十八畳ほどの広さの部屋に、十人に近い女性たちが寝泊りをしていた。
「ほら、そこの新入りも起きる!」
 他の女性たちが目覚めていく中、ただ一人眠りつづける女性が一人。
「起きなさい!」
 メガネの女性の声。
 しかし上下にゆれる布団はいっこうにリズムを崩そうとしない。
 そして、メガネの女性は手にしたお玉と鍋を眠りつづける女性の耳元で叩きつけた。
 耳元に爆音が響き渡った。
「い、今起きます!」
 目覚め、飛び起きる女性。
 起き上がると同時に絹のように柔らかいその金髪が揺れ、顔にまとわりつく。
 瞳は青、髪は金、おまけに肌は血管の色が透けて見えんばかりに白い。
 金髪の女性は布団を蹴飛ばし、身に纏うネグリジェをはためかせながらベッドから飛び降りた。
「おはようございます、メイド長さん」
「さっさと髪を梳かして着替えなさい、もうすぐ朝食の時間ですよ綱野さん」
「わかりました」
 あくびをかみ殺しながら答える綱野と呼ばれた女性。
 いや、彼女の事は麻夜と呼んだ方がわかりやすいだろう。
 麻夜はぶつくさと文句を言いながら洗面所に向かって歩き出した。
 正直、引き受けなければよかったと心の底から後悔している。






「メイドさんになってはもらえないだろうか?」
 それが柴崎の提案だった。
 直後、薙風の平手打ちが柴崎の後頭部に飛ぶ。
「不謹慎」
「違う、私はふざけてないぞ」
 片目をつぶりながらため息をつく薙風に、柴崎は必死に取り繕う。
「いや、お前にそんな趣味があったとは傑作だ」
 からからと笑う桂原。
 いつまでも笑い続ける桂原を、柴崎は睨みつける。
「冗談で言っているのではない、私は本気で言っている」
「なおさら悪い」
 するどくつっこむ薙風。
 その一言にたじろぎながらも、柴崎は反論する。
「違う、冷静に聞いて欲しい。我々の敵はどこにいる」
「赤志野の屋敷」
「そうだ、わかってるじゃないか」
 数騎の言葉に、柴崎は素早く便乗する。
「敵は屋敷、侵入は困難。こちらの戦力は敵の罠を打破し得るには足りず、犠牲を覚悟しなくてはならない。
 だからこそ綱野さんに頼むのだ、敵地に侵入して欲しいと」
「つまり……どういうことですか?」
 マジメな話であるとようやく理解し、麻夜が真剣な目つきをする。
「作戦の中核になっていただきたいと言っている」
 柴崎がそう言うと、麻夜は迷惑そうに眉をしかめた。
「監視者を実戦に投入するんですか?」
「もちろんそれなりの報酬は払います。今回の成功報酬の九割はあなたのものです」
「なっ、お前!」
「桂原は黙る」
 薙風が後ろから桂原を羽交い絞めにする。
 なおも文句を言い続ける桂原だったが、柴崎は桂原を無視して麻夜に視線を戻した。
「お願いできますか、綱野さん」
「申し訳ありませんが、戦闘への参加はお断りしたいのですが」
「いえ、戦って欲しいとは言っていません」
「どういうことですか?」
 麻夜がそう尋ねると、柴崎は一呼吸置いて言った。
「つまり、結界の弱体化をお願いしたいのです」
「弱体化?」
「はい、そもそも私達裏世界の人間は異能者が大半ですが、その異能は全て輝光という生命のエネルギーを原動力にしているのは知っていますね?」
「一応」
 頷く麻夜。
「そして、結界という術式もその例外ではありません。そこで出てくるのがこれです」
 言って柴崎は食卓の上に五本の、三十センチほどの長さしかない短剣を置いた。
 黒々としたその短刀は柄だけではなく金属部分全てが黒い。
 刃物に興味のある典型的な男の子の数騎は嬉しそうにその内の一本に触ろうとしたが、柴崎が睨みつけるとすぐさま手を引いてしまった。
「剣……ですか?」
「はい、絶鋼という金属を知っていますか?」
「まさか、この剣は」
 絶鋼、それは裏の世界にいる多くの人間が忌み嫌う金属である。
「ご想像の通り、この剣は絶鋼で作られています。絶鋼の説明は必要ですか?」
「いえ、必要ないわ」
 そう、説明されるまでもない。
 絶鋼とは最悪の輝光消滅能力を持つ金属のことだ。
 そも、生命の対極に位置する金属は生命のエネルギーである輝光を消滅させる力を持つ。
 金、銀をはじめとする貴金属はこの対輝光能力が低いが、鉄や鉛などは輝光を著しく消滅させる。
 そして、その中でも魔術師達が嫌う金属が二つある。
 一つは紅鉄。
 熟練した魔術師の呪文でも打ち消してしまうほどの対輝光能力を有する金属は、異能を行使する人間たちからは非常に煙たがられている。
 もう一つは絶鋼。
 紅鉄をもはるかに凌駕する異常なほどの対輝光能力を有する金属。
 その対輝光能力は、もはや金属ではなく毒とでも形容した方がいいと言っても過言ではないほどのものである。
 この金属で傷を受けた場合、特殊な処置でもしなくては死を免れることはできない。
 なぜなら絶鋼によってつけられた傷口は通常の治療では治ることがないからだ。
 絶鋼の対輝光能力は輝光を放出する細胞の生命を停止させ、傷口には新たな細胞が作り出されず傷はふさがることがない。
 そのため、治療にはその傷を抉り取る必要があり、この能力故に対人兵器として恐ろしい力を持つ。
 次にその対輝光能力のすさまじさ、それは中位呪文までならいともたやすく消滅させてしまうほどに高い。
 これを持って戦うことの出来る者がいるのなら、そのものは裏の世界において最強の存在になれるだろう。
 もちろん存在はしない。
 絶鋼とはただあるだけで生を貪り食う毒なのだ。
 それと同じ空間にいるだけで生命を削り、持てばたちどころに衰弱が始まる。
 そう、絶鋼とは金属ではなく毒なのである。
「早くしまってください」
 横にいる人間を見ながら麻夜がそう口にする。
 気がつくと数騎が机につっぷしているのだ。
 つらいのか、息を荒くしている。
 数騎は生命力が貧弱だ。
 故に生命を消滅させる絶鋼の影響を真っ先に受けてしまっていた。
「すみません、では」
 言って柴崎は、ごてごてした皮の袋にその短剣をしまいこんだ。
「わかっていると思いますが、これは絶鋼の害を遮絶する魔道具です。これにいれておけば絶鋼にやられる心配はありません、どうぞ」
 絶鋼剣の入った皮袋を手渡す柴崎。
 麻夜はそれを無言で受け取り、自分の傍らに置いた。
「綱野さん、あなたの任務はその絶鋼剣を屋敷の中に持ち込むことです。ただし、持ち込むだけでは効果が薄い。それを結界を起動させている霊脈に突き刺してください。あれだけの結界を個人の能力だけで維持し続けるのは不可能です」
「それはそれだけ強力な結界ということですか?」
「違います、威力が異常なのではなく持続時間が異常なのです。個人の生命力、つまり輝光には限りがあります。そのため、個人の力だけで結界を張り続けるのは時間の制限を受ける。ただし土地から輝光を供給してもらうなら別です。この町には霊脈と呼ばれる輝光をよく含んだ流れを地下に持っています。
 そしてあの丘はこの町で二番目に霊脈から輝光を受け取りやすい場所、故にあの規模の結界を術者は維持し続けているのです」
「な、なるほど。つまりその流れを止めるのが麻夜さんの仕事ってわけですか」
 数騎が突然横から口を出した。
「そうだ、わかってるじゃないか短刀使い。つまりヤツの結界は土地の供給がなければ十分と持たない。そうなれば条件は対等だ。結界という能力は強力だが持続時間が短いという弱点を持つ。そしてヤツが我々の脅威である理由はその結界に制限時間がなかったことだ。綱野さんが屋敷に潜入し、気脈の流れを乱してもらえれば我々が館に侵入し術士を討つことが可能になる」
「つまり、私は戦わなくていいわけね」
「もちろん、危険な任務です。本来なら私や桂原、薙風の仕事ですがあそこに進入できるのは女性だけです。男は雇用していないという話ですし、薙風はこちらの世界では顔が知られています」
「で、身近にいる最も使い安そうな女が私だったと」
「反論はしません、私はあなたの承諾さえいただければそれで」
 真摯に麻夜を見つめる柴崎。
 その瞳に見据えられ、綱野は少し考えたあと口を開いた。
 もちろん、それは柴崎の要求を受け入れる言葉であった。






「やっぱやめときゃよかったーっ!」
 情けない声が麻夜の口から漏れる。
 朝日差し込む丘上の洋館。
 その中を歩いていると、まるで中世ヨーロッパの王族の私邸に迷い込んだ気にさえさせられる。
 まず広い。
 とんでもなく広い。
 思わず、ここがクソ狭い土地しかないはずの日本だということを忘れてしまいそうになるほどの広さだ。
 丘をふんだんに使ったその館は、丘の下でひしめき合う一般人が少ない土地を切り売りしているのをあざ笑うかのごとく広い。
 何しろメイドが百人いてすら掃除が行き届かないほどの広さなのだ。
 使っていない部屋は実数の四分の一。
 数だけ聞くと大したことないように思えるが、そもそも使用しない部屋があること自体が何かおかしいのである。
 外回りの廊下はいたるところに窓代わりの扉があり、ガラス張りされたそれはさんさんと輝く太陽の光を取り入れ、電気をつける必要もないほど明るい。
 洋館の部屋はどれもバロックだかゴシックだか麻夜にはわからなかったが、いかにも中世な感じの壁紙と装飾で彩られており、中世王邸の復元が置いてあるテーマパークにポコンと置いておいたら人気スポット間違いなしだ。
 大理石の硬い廊下の上には豪勢な真紅の絨毯が敷かれ、その金の無駄遣いっぷりときたら半端なものではない。
 そして、それを掃除するのだって半端なものではない。
「綱野さん、腕が止まってしましてよ!」
 手にした教鞭で麻夜の肩を叩くメイド長。
 そのメガネのフレームが太陽の光で輝いている。
「は〜い」
 少し涙目になりながらモップに力を入れる麻夜。
 そう、麻夜は今メイドとして赤志野の屋敷に雇われている。
 街中で無料配布されている求人情報誌に赤志野の屋敷の広告が載っていたからだ。
 日給一万で泊まり込み、三食付いて風呂にも入れる。
 半年働くとボーナスも支給され、その他もろもろの手当てあり。
 求人年齢十八から二十五歳。
 とまぁ、こんなところが概要だ。
 とりあえず麻夜も申し込んだが、なぜか書類選考だけで受かってしまった。
 人間性は必要ないのか、と麻夜は訝しんだが、三日も働くとすぐにその理由がわかった。
 どこを見回しても美女美女美女。
 そう、美人しかいないのだ。
 中には明らかに十代前半としか思えない女の子もいる、もちろん美少女だ。
 下も美女なら上も美女、真ん中も美女ならメイド長だって立派な美女だろう。
 まぁ、世界中の美女を集めたというのは言いすぎだが、そこらの学校のクラスのアイドル程度なら許される程度の美貌を持った娘たちがその屋敷には集っていたのだ。
 しかし、その中でも綱野麻夜という女性の異常なまでの美しさは衰えない。
 むしろ、その美しい花々をすら引き立て役にしてしまっているほどの突出さだ。
 美女に目が肥え、選考を厳しくし始めたという噂の赤志野の当主が面接も行わず、心変わりを恐れて即断で雇用を決定してしまうほどなのだ。
 が、それほどの美女であろうとも仕事だけはしっかりとさせられる。
 はじめは料理当番に回されたが麻夜に料理などはできない。
 皮むきのような簡単な仕事すら支障をきたし、次に回されたのはシーツの取替えなどの屋敷の主人は客の身の回りの片付け。
 しかし、麻夜はシーツなどろくにしくことはできない。
 全てしわくちゃになり、メイド長に怒鳴られて次は洗濯に回される。
 が、麻夜は洗濯もできない。
 アナログ好きな洗濯が好きな麻夜は洗濯機の使い方を知らなかったのだ。
 ちなみに教えられても習得しない。
 麻夜は機械が苦手であった。
 そこで仕方なしに掃除をさせてみると、これが以外によく出来た。
 背が高いので高いところにも手が届き、几帳面で隅々までよく掃除をする。
 妙に力持ちで廊下に飾ってある銅像をたった一人で動かしてその下まで掃除し、身長が低く非力な娘が多いこの屋敷では非常に重宝がられた。
 問題は一つ、麻夜の性格は掃除に向いているが、掃除の仕方が下手というだけで。
「もっと腰を入れて拭く! そんなんじゃ汚れはとれませんよ!」
「ひーん、一生懸命やってるじゃないですか!」
「文句を言わない! 高い給料もらっているんですからもっとしっかりやりなさい!」
「わかりましたよ〜」
 事務所では神の如く振舞う麻夜も、ここではメイドさん。
 地位としては下っ端の中の下っ端、そのうえメイド長に直接指導いただくほど仕事が出来ない新米だ。
 上達は遅いが一応仕事は覚えるので、メイド長はゆっくりと、だが確実に麻夜に掃除をしつけていく。
 いつかは掃除だけでなく他の仕事もさせようと考えているが、それは後々の話だ。
 麻夜と一緒に掃除をしている娘達は、一見完璧なるクール&ビューティーな麻夜の見た目と実態のギャップに面白おかしそうに忍び笑いをし、影でこそこそ談笑をしていた。
「そこ! サボらないでしっかり働く!」
 メイド長の叱咤が飛ぶと、メイドたちは会話をやめて窓ガラスを拭く作業に戻る。
 そしてそこ一帯の仕事が終わると、麻夜はようやく安堵の息をついた。
「ご苦労様、綱野さん」
「つ、疲れました〜」
 へろへろと床に腰を下ろしかける麻夜。
 そんな麻夜に対し、メイド長は残酷にも麻夜に告げた。
「さぁ、それでは次は玄関です。玄関は多くの人が出入りする場所。こことは比べ物にならないほどしっかりと掃除してくださいね」
「そ、そんな〜」
 再び涙目になる麻夜。
 結局、麻夜は仲間のメイドさんたちに励まされながら、文句たらたらで掃除を続けるのであった。






「死ぬ〜」
 部屋に戻るなりぶっ倒れる麻夜。
 他のメイドさんたちは慣れたものなのか、特に疲れた様子も見せず、メイド服のエプロンだけを脱いで楽しそうに談笑していた。
 お菓子の匂い、紅茶の匂い、香水の匂いが鼻につく。
「綱野さん、お疲れさま」
 ちょこちょこと小さな女の子が歩いてくる。
 里村智美という十六歳の女の子だ。
 お上品で清楚で潔癖、でもとても人にやさしい女の子。
 家が貧乏なので、家にお金を入れるために中学を卒業してすこしした後、この屋敷にお勤めすることにしたのだそうだ。
 泣けてくる話である。
 気配りのよく出来る彼女は、入ってきたばかりで困惑する綱野が特に不憫に移ったのだろう。
 初日からとても親切にしてくれて、麻夜の美貌が鼻持ちならないという連中からの嫌がらせを体を張って防いでくれている。
「紅茶はいかがですが、それにおいしいスコーンもありますよ」
「ありがと、里村さん」
「智美でいいですよ」
 ベッドの脇にある個人用のテーブルに里村は紅茶を置き、脇にスコーンを置く。
 麻夜はぐったりとしながらスコーンに手を伸ばし、寝転がったままスコーンを食べ始めた。
 香ばしいバターの香りが口の中に広がった。
「お行儀悪いですよ、綱野さん。ちゃんと起き上がって食べてください。それに寝るならメイド服を脱がないと皺だらけになっちゃいますよ」
「平気よ、三着もらってるんだから一着くらいは」
「それでもです、雨でも降ったら乾かないかもしれないんですよ」
「乾燥機があるじゃん」
「それでもダメです」
「も〜、仕方ないなぁ」
 グチグチと文句を垂れながら体を起こす。
 これではどっちが年上だかわからない状況だ。
 綱野麻夜はベッドに、里村はその脇にイスに腰を降ろし夕食後のお茶を楽しむ。
「でもさ〜、ちょっとここの仕事ってキツくない? なんか十時間近く働いてる気がするんだけど?」
「気のせいですよ、ちゃんと八時間労働になるようにちょくちょく休憩時間があるじゃないですか。それに百人近くいるメイドも交代性で動いてますから。夜のお仕事は今週は私たちのお仕事じゃありませんし」
「あ〜、だから私たちは夕食後は自由時間なんだ」
「そうですよぉ」
 嬉しそうに紅茶を飲みながら答える里村。
 そんな里村の笑顔を好ましく思いながらも麻夜はスコーンを貪る。
 麻夜にとってこの館の食事は実に味気ないものだ。
 暴飲暴食で美しさを損なわぬようにという配慮なのだろう。
 徹底的に健康を第一にしたその食事にはジャンクフードのようなギタギタした油料理など存在しない。
 言ってしまうならマヨネーズがない。
 いや、あるにはあるのだが小さな袋入りで量が少ない。
 下のサラダが隠れるほどにマヨネーズをかける不健康な食事法がお好みな麻夜にとって、それは苦行以外の何者でもなかった。
 仕事の大変さとマヨネーズの少なさを愚痴りながら、麻夜は智美と楽しいティーパーティを満喫していた。
 そして、その後に入浴時間となった。
 基本的にこの館のメイドは年功序列と経歴を足して上下関係がなりたっている。
 年上の人間が先に風呂に向かうが、必ずしも年の順ではなく、ここで働く年季の長いものが優先的に風呂に入る。
 で、年が幼く、もしくは入ったばかりの里村と麻夜は最後に一緒に入ることになっていた。
「ふぁ〜、生き返るわ」
 肩まで湯につかり、大きく息をつく麻夜。
 その傍らでは、里村がいまだに髪の毛にシャンプーをしていた。
 麻夜は湯船に身を任せながら周囲を見回す。
 何度見てもすばらしき浴槽だ。
 メイド用の風呂だというのに普通の家の居間くらいの大きさがある。
 装飾も所々になされており、しかも湯は美坂町の地下に流れる温泉から引き上げているらしい。
 いい霊脈のある土地にはいい温泉が噴出すものだ。
 入浴剤をいれるまでもないその湯に、麻夜は実にご満悦である。
 ちなみにこの館には無数の風呂が存在する。
 客用のデカすぎる浴槽に家主用の観光地ばりに広い露天風呂、ちなみに掃除はとても大変である。
 あとは個室ごとに用意されている風呂だ。
 こっちは普通のホテルにある程度の広さだが、それでも数が数なので掃除が大変だ。
 金持ちは金を無駄に使いすぎる傾向がある。
 金を持っている人間にとっては当然の権利かもしれないが、それでも貧民にとっては妬ましい限りだ。
 まぁ、末端にもこの程度の気配りをしてくれるのはありがたいので、この恩恵はありがたく受け取っておく。
「隣、入りますね」
 そういってタオルで体を隠しながら里村が麻夜の隣に入ってきた。
 わざわざ隣と言う言葉をそえるのは風呂が広いからだ、規模をたとえるなら町の温泉の半分ほどの大きさとでも言えばわかりやすいだろう。
「ふぅ」
 湯につかると、気持ちよさそうなかわいらしい声を里村はあげる。
 麻夜は目を薄くして湯の中に浸る里村の体を見た。
 小ぶりな胸に引き締まったおなか、腰はややひろめでお尻もかわいらしく丸っこい。
 それに比べて自分、肥大化した胸にちょっと夏ボディに失敗したおなか。
 目立ちはしないていどだが、肉を手でつまめるのだ、情けない。
 尻はけっこう大きく、いわゆるボンキュッボンな体型なのだが、自分としてはかわいらしい少女のそれにあこがれている。
 そんな憧れのまなざしを里村に向けていると、里村は麻夜の視線に気付き恥ずかしそうに体を隠してしまった。
「そ・・・・・・そんなに・・・・・・見ないでください」
「ん〜、でも智美ちゃんかわいいからさぁ」
「そんな、麻夜さんの方がずっときれいですよ。胸も大きいし、スタイルもいいし」
「あ〜、こんなの膨れ上がってるだけよ。しぼんだりたれたりした後は悲しいだけなんだから」
「でも、本当にきれいです。私、今まで綱野さんほどきれいな人をみたことないですもの」
「ま、誉め言葉は受け取っておくわ」
 言って首の骨を鳴らす。
 ちなみに首の動きに合わせて麻夜の髪が揺れることはない。
 湯船に髪がつからぬよう、タオルで丸めてしまっているからだ。
 里村も同じようにしている。
「そういえば、智美ちゃんってここにきてどれくらいなの?」
「えぇと、まだ二週間程度です」
「それにしては仕事しなれてるわね」
「その、家でよくお手伝いしていましたから」
「ん〜、家庭的ですばらしいわね。私のお嫁さんにならない」
「えっ、綱野さんってそういう人だったんですか?」
 慌てて胸を隠す里村。
 そんな里村に、麻夜は苦笑を漏らす。
「冗談、私はそんな趣味ないから安心して」
「よかった〜」
 胸をなでおろす里村。
「驚きましたよ、驚かさないでください」
「いや、そんな反応するとは思わなかったから。でも、いいお嫁さんになれると思うよ、智美ちゃん」
「そう・・・・・・ですか?」
「そうそう、私が保証してあげるわよ」
「綱野さんにそう言ってもらえると、何だか自信が出てきました」
「あ、そうだ。その綱野さんってやめてよ」
 麻夜の言葉に、智美がきょとんとした顔をする。
「私のことは綱野じゃなくて麻夜、名前で呼んで」
「綱野さ・・・・・・じゃなくて麻夜さんですか?」
「そうそう、親しきものは下の名前で呼び合うもんよ。言いにくいならいいけど」
 すると、里村はすばやく手振りで否定した。
「いいえ、言いにくくないです。でも、私綱野・・・・・・じゃなくて麻夜さんよりも年下ですし、なんか名前で呼ぶのは失礼なんじゃ」
「ないない、あんたと同じくらいの年齢のガキもあたしのこと名前で呼ぶんだから気にしないで」
「そ、そうですか? じゃあ、麻夜さん。麻夜さん麻夜さん麻夜さん」
 自分に言い聞かせるように呼び方を何度も復唱する。
 そんな智美の姿を見て、麻夜はやさしそうに微笑みを浮かべていた。
 その顔にわずかに赤みがさしていたのは、きっと湯でのぼせているからだけではないのだろう。






「はぁ〜、いい湯だった」
 ネグリジェ姿になりベッドに突っ伏す麻夜。
 その横のベッドに、タオルで髪を拭いている里村が腰を降ろした。
「あと三十分で就寝時間ですから、寝る準備をなさったほうがいいですよ」
「あ〜、了解」
 面倒くさそうに起き上がる麻夜。
 麻夜が片付けを、メイド服を壁に吊るすのが終わり、里村としばらく会話している内に就寝時間が訪れた。
「さぁ、ベッドにつきなさい!」
 メイド長の叱咤が飛ぶ。
 その言葉で彼女たちの会話は打ち切られ、メイドたちはすばやくベッドの中にもぐりこむ。
 と、麻夜は奇妙な光景を目にした。
 しかしそれを口には出さずベッドにもぐりこむ。
 そして全員がベッドの中に入ると、電気が消され沈黙が訪れる。
「ねぇ、智美ちゃん」
「なんですか?」
 周囲に聞こえないように小さな声で尋ねる。
 もちろんベッドが隣だから出来る芸当だ。
「あのさ、この部屋って十人部屋よね?」
「そうですけど」
「でもさ、何か一人足りなくない? 朝は十人いたわよね?」
「ん〜、たまに人間が足りないとこっちから時間外労働希望者を募って仕事させることもあるんですよ。だからじゃないですかね? 三時間もすれば戻ってきますよ」
「ならいいんだけど」
 言って麻夜は会話を断ち切った。
 とりあえずこの三日間屋敷を調査して、今のところ結界の起点になるような場所は見つかっていない。
 任務をこなせていない現状にいらだちながらも、麻夜はその疲労から深い眠りへと誘われていった。



































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