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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第九羽 赤志野

第九羽 赤志野


「はぁ・・・・・・」
 その居心地のよさに思わず息をついてしまう。
 今日は連日の猛るような暑さもなく、雲が空を覆い気温は落ち着いている。
 風もよく吹くために非常に心地よく、おそらくこの夏でもっとも市民プールが繁盛しない日なのであろう。
「たまにはこういうのもいいですね」
 緑生い茂る公園。
 隣のベンチに座る神楽が嬉しそうに口にする。
「ラムネっていうんですか、このビーダマを押して飲むジュース。ちょっとビーダマが邪魔で飲みにくいけど、すごくおいしいです」
「喜んでもらえてよかった」
 そんな神楽に数騎は微笑を浮かべて答える。
 見上げれば雲が流れてわずかに日差しが地を照らす。
 だが、ベンチは大樹の日陰になっており、ほとんどの日差しは葉に遮られてしまう。
 風が吹く。
 ざわざわとゆれる葉と枝。
 二人はしばらく黙ったまま公園を見つめていたが、ふと神楽が口を開いた。
「ところで数騎さん」
「なんでしょう?」
「そう言えば、お仕事は今どのような感じなんですか?」
「仕事ですか? いやぁ、ははははは」
 苦笑しながら視線をそらす数騎。
「もしかして、言いにくいことでしたか?」
「いや、いいんですけどね、別に」
 小さく息をつき、数騎は近況を語り始めた。
「実はですね、戦力不足ってことで捜査からはずされちゃったんです」
「あれ? 探偵さんって人海戦術で情報を集めるって聞きましたけど」
「時と場合によりますよ、探偵だって無限に資金を使って人間を使うわけじゃないし、つかったとしても二桁を超えるなんてそうあることじゃない。使った金は全て依頼人の負担になるんです。そんな無駄遣いは許されませんよ。
 まぁ、僕が仕事からはずされた理由は別にあるんですけど」
「どんな理由ですか?」
 首をかしげて尋ねる神楽。
 それにあわせてラムネのビンの中でビーダマが転がりコツンと衝突音を響かせる。
「え〜っと、実はですね。上の方から腕利きの探偵が三人ほどやってきたんです」
「それで?」
「僕が十人いてもタメを張れない連中なんですけど、その人たちが僕の家で寝泊りしてるんです」
「はぁ」
 相槌を打つ神楽。
 そろそろ数騎の言わんとしていることを察知し始めている様子だ。
「それでですね、彼ら三人は三食を我が家で召し上がっておられるわけですよ。それぞれの方に個室を用意、掃除、洗濯、炊事、もうパーフェクトなまでに世話を焼いているんです」
「えっと、つまり・・・・・・」
「もう完璧にお手伝いさんですよ、ホームヘルパーですよ。何が楽しくてこの年で三人もの人間の面倒みなくちゃいけないんですか」
「た、大変ですね」
 困った顔をする神楽。
 その神楽の表情に、数騎はあることを思い出した。
「あ、神楽さんはいつもやってるんでしたね、赤志野のお屋敷で」
「ええ、まぁお仕事ですから」
 柔らかく答える。
 そんな神楽を見て、数騎は少し恥ずかしそうに顔を下に向ける。
「むぅ、僕も仕事でした。お金もらってやってるんだから文句をいうのは情けないですね。つまらない話をしてしまいました」
「そんなことありませんよ。私は数騎さんのお話でしたら何だって楽しいですよ」
 微笑を浮かべる。
 数騎はそんな神楽に、ありがたいような恥ずかしいような微妙な表情を浮かべた。
「あ、ところで?」
 神楽はふと気付いたのか、表情を変えて数騎に尋ねる。
「その話の中に綱野さんがいないように聞こえるのは気のせいですか?」
「えっ?」
 鋭い。
 確かに計算すればそうなる。
 三人がきて三人分の世話。
 本来世話している一人が欠如しているのだ。
「えっと、麻夜さんはちょっとした用事で外に出てるんです」
「どんな用事ですか?」
「むぅ、えっと・・・・・・それは・・・・・・」
 まさか神楽さんのお勤めしている屋敷におられるとは口にしがたいこの状況。
「んと・・・・・・そう。ちょっと言えないんです。探偵には守秘義務ってのがあって捜査の中身を誰かに話しちゃいけないんです」
「あれ? 今まではよく話してくれてましてけど。大谷というおばあちゃんの犬がどぶの中で見つかったとか、旦那さんの浮気相手をホテルから出てくるところで盗撮したとか」
「あ〜、それは今まで僕が守秘義務ってのを知らなかったからなんです。最近麻夜さんに神楽さんに教えてたことを話したら怒られちゃって」
「そうだったんですか、申し訳ないです」
 しゅんとした顔で悲しむ神楽。
「あ、いえ。神楽さんが悪いんじゃなくて守秘義務を知らなかった僕が悪いんです。気にしないでください!」
「そうですか?」
「そうですよ、もちろん」
 胸を張って答える数騎。
 そうすると、ようやく神楽も表情を少しだけ明るくした。
「あ、ところで数騎さん」
 今の話題を変えようと思ったのか、それともただ頭に思い浮かんだから口にしたのか。
 神楽は聞こうと思っていたことを数騎に問い掛けてみた。
「そういえば、この間お屋敷に来ましたよね。何しに来てたんですか?」
「え、何しにって・・・・・・」
「何の用事もなしにあそこを訪れる人はいないと思うんです。何でですか?」
「えっと・・・・・・それは・・・・・・」
 言いよどむ数騎。
 そんな数騎に向かって、神楽はある言葉を呟いた。
「幽霊屋敷」
「むぅ」
「どうせ数騎さんのことですから、あの太田って人にそそのかされて幽霊屋敷でも見に来たんじゃないんですか?」
「す、鋭いですね」
「鋭いっていうか、あそこに来る人はだいたいそんな人ばっかりですからね。私を見ると大抵の人は逃げちゃうんですよ。ほら、お屋敷の敷地に入った時点でみなさんもれなく犯罪者ですし」
「え? 進入する人ってよくいるの?」
「はい、それはもうたくさんいます。しかもみなさん律儀に使用人用の階段をのぼってくるんです。ですからそこにこっそりと赤外線を利用した警戒装置をつけておいて、登ってきた人に注意するのが私の役目なんです」
「大変ですね」
「はい、誰かさんのおかげで」
「すいません」
 謝罪する数騎。
「まぁ、いいんですけどね。お金持ちの人って妬まれて影で悪く言われちゃうんです。赤志野様も大の人嫌いですから他人と会わなくてもいいようにあんなお屋敷に住んでますし」
「なんか大変そうだね」
「まぁ、大変ではありますね。でも、程度は違えど誰だって大変なのにはかわりないでしょう?」
「むぅ、言われてみればそうかもしれませんね」
「そうですよ」
 微笑を浮かべる神楽。
 それに微笑を投げ返す数騎。
 と、その拍子に神楽の持っていたラムネの中に入ってるビーダマが音を立てた。
「あら、そう言えばもう飲み終わったましたね」
 ずっと手にもっていたラムネのビンをゴミ箱に捨てに行こうとする神楽。
 すると、数騎はその行動を手で制し、神楽からラムネのビンを掠め取った。
「ダメですよ、神楽さん。これはそのまま捨てちゃもったいないです」
 言って数騎はラムネのフタをはずすと中からビーダマを取り出した。
「ラムネってのはビーダマがおまけでついてくるステキなジュースなんですよ。小さい頃はこのビーダマが欲しくて何本も飲んだもんです。ちょっと子供っぽいかな?」
 言いながら手の中で取り出したビーダマを転がす数騎。
 やや恥ずかしそうに視線をさまよわせる数騎を横目に、神楽は数騎の横に置いてある飲み終わったラムネに手を伸ばす。
「数騎さんが私のを取っちゃったから、私はこちらをいただきますね」
 言うが早いかラムネのフタあけると、中からビーダマを取り出す。
「私のビーダマと数騎さんのビーダマを交換こです。構いませんよね?」
 数騎のラムネのビーダマは神楽の手に。
 神楽のラムネのビーダマは数騎の手の中に収まっていた。
「数騎さんは子供っぽいって言ってますけど、私だってビーダマは好きですよ。だってきれいじゃないですか。透き通ったガラスは中に入った光をきれいに屈折させて、とてもすばらしい輝きを放つんです」
「まぁ、宝石ほどじゃないけどね」
「それで十分ですよ、たいしたお金もかけないでこれだけきれいならそれで十分。私は素晴らしいことだと思いますよ」
 その言葉を聞いて、数騎は柔らかく微笑んだ。
「確かに素晴らしいことですね。ほんとうに、素晴らしい」
「ですよね」
 嬉しそうに微笑み返す神楽。
 神楽はなおも表情に笑顔を貼り付けたまま、ビーダマを手の中で転がして遊び始めた。
 手のひらで転がし、手の甲を走らせ、時たま地面に落としそうになりながら、ビーダマは神楽の左手の薬指の上にたどり着く。
「なんだか、指輪交換みたいですね」
「え?」
「ほら、ビーダマがもしも宝石だったら指輪交換みたいじゃないですか」
「でも、それじゃ何かを交換したら全部指輪交換みたいになっちゃいますよ」
「違います、ビーダマは宝石みたいにきれいだから言ったんです」
「まぁ、そうかもしれませんね」
 そう答える数騎を尻目に、神楽は左手の薬指の上でビーダマを転がしつづける。
 見た目よりも子供っぽいのか、ビーダマの一人遊びが大層お気にめしたらしい。
 そんな神楽を見つめながら、数騎も左手の薬指の上にビーダマを触れさせてみた。
 それはまるで子供たちがごっこ遊びでするような結婚式。
 微笑ましい光景に苦笑でも漏らしたのか、柔らかく吹き付ける風は八月にしてはやけに涼しかったのはおそらく気のせいでないと思う。






 いやはや、どうもこの服は五日間着ても着慣れなく窮屈でどうにかならないものだろうか。
 本棚の埃を払いながら、麻夜は深くため息をついた。
 昼の日差しが差し込む洋館。
 数騎と神楽が会話をしているちょうどそのころ、麻夜はメイド服を身に纏い仕事に励んでいた。
 もちろん背後からはメイド長に鋭い視線が監視をしている。
「まったく、やってらんないわね」
 いつも数騎が、文句も言わず掃除をしているが、正直なところ理解しがたい。
 まぁ、数騎の場合はセンス上下黒の私服を着ているのだから、まだ勝手がいいのだろう。
 だが、こっちはかなり厳しいところがある。
 まず服が窮屈だ。
 メイドと言ったら普通は機能性を重視した服を着させるのが基本だろうに、ここのお仕着せのメイド服は少々機能的によろしくない。
 まず動きづらい。
 何かいろいろとオプションがついており、そのおかげで非常に行動が束縛される。
 次にきつい、妙に胸から下を押さえつけ、胸を強調するような構造になっている。
「見る方は嬉しいだろうけど、着る方には迷惑な話ね」
「何か言いましたか、綱野さん?」
 飛んでくるメイド長の声。
「いいえ、何も!」
 考えが口に出ていたことに自身も驚きながら、とっさにメイド長のご機嫌を損なわないように答える麻夜。
 仕事に集中していないことを察したメイド長は、後ろから小さくため息を漏らす。
 そんなメイド長の一挙一動にビクビクしながら、麻夜は仕事を続け、ようやく休憩時間が訪れた。
 しかし、麻夜の仕事はここからが本番だ。
 掃除をしながら目星をつけた場所を徹底的に捜査するのだ。
 捜査と言っても気脈を感じるために精神を集中するだけ。
 半径五メートルくらいなら麻夜でも十分に輝光探知が可能だ。
 それで結界の起点にできるような場所を調べるだけだから、そう難しいことではない。
 麻夜はみんなが寄り集まる談話しつからこっそりと抜け出し、洋館の廊下を注意しながら歩いていた。
「ん〜、まずいなぁ」
 呟きを漏らす。
 そう、麻夜はここに来てすでに五日間もの時間を費やしている。
 だというのに、見つけられた結界の起点はいまだに一つだ。
 どうやらこの丘に走る気脈は幾本にも分かれて走っているようで、どれか一つを破壊する程度では結界の威力が弱まりこそすれ、完全に破壊するのは難しい。
「多分起点は五.六ってとこかな。五本ならぎりぎりだけど、それ以上だとマズイわね」
 そう、麻夜が柴崎から受け取った絶鋼剣は五本しかない。
 それ以上となると結界の弱体化の後に術士を倒さなければ結界は解除されないということになってしまう。
「それにしても」
 唇に手を当てる。
 わからない。
 そう、わからないのだ。
 普通、結界というのは中に入ってしまえば大体の力の方向性というのは知れるものだ。
「方向性、つまりその能力」
 結界というのはその空間内を自分の思い通りに世界の法則を捻じ曲げる類の異能だ。
 隠蔽に長けた結界ならともかく、これだけ赤裸々に存在を明かしている結界だというのに、その能力が麻夜には掴めないのだ。
 攻撃的な能力を持つ結界ならば麻夜にもその能力、もしくはその全貌でなくとも片鱗くらいは垣間見れるものだ。
「やっぱあの二人のうちどっちかがいてくれればなぁ」
 術士として能力の高い者なら、中に入りさえすれば結界の能力を解析することが出来る。
 だが、それは専門家の能力だ。
 術士としての修行をしていない麻夜にはあまりに重過ぎる仕事だ。
「でも、私が片鱗もうかがえないってことは外敵に対する直接攻撃系の結界じゃないってことよね」
 そうなると考えられるのは精神操作系、もしくは増幅系、制約系、擬似鏡内界の結界だ。
 精神操作はそのままの意味、つまり内部にいる人間の精神に感応する結界だ。
 戦闘向けの結界だと幻影などを敵に見せ、対象を困惑させたり、精神を責めることによってその人間の身の自由、および精神の自由を奪い、意のままに操ることができる。
 次に増幅系、結界を能力増幅用の触媒とし結界の中でのみ戦闘能力を格段に上昇させるもの。
 制約系はその逆で、結界内に侵入した人間の能力を制限するもの。
 動きを鈍くしたり、視力を奪うような五感に作用する類のものもある。
 最後に擬似鏡内界系、本来なら鏡内界でないと使用の難しい異能をこちらで扱うために結界内を鏡内界と同じような空間に作り変えるものだ。
 だが、これは魔術結社が科学兵器をもって襲いくる外敵に備えて基地などに張っておく類のものだ。
 一般人がこれを用いてもあまり大きな意味はないと言える。
 なんたって一般人の家なのだ、何の理由もなしに科学兵器による攻撃など不可能というものだろう。
 実行こそ可能だが、その後の事後処理は実行で得られる以上の負債となってのしかかる。
 故に孤島や辺境にあるような魔術結社の基地でもなければ擬似鏡内界系の結界を張る利点はない。
「ふむぅ、いったいどれなんだか・・・・・・」
 ため息をつき、さらに深く考えながら廊下を歩いていく。
 この広すぎる屋敷は廊下も異常な長さを持ち、端から端まで移動するのもかなりの時間を要する。
 麻夜はその廊下を霊脈の流れを感じ取りながら進んでいき、
「あ、麻夜さん。ダメですよ〜」
 全く警戒していなかった人の気配に驚かされ足を止める。
「麻夜さん、言いませんでしたっけ? そっちは御主人さまたちの私室につながる廊下ですから入っちゃダメなんですよ」
「あ、智美ちゃん!」
 そう、後ろから突然声をかけてきた少女は智美だった。
 これが力を持った異能者であれば麻夜とてこのような不覚は取らない。
 だが、相手は一般人の無能力者。
 しかもこの結界の中では輝光の流れが乱れており、輝光を感じ取りにくい状況にある。
 そんな中で微々たる輝光しか発さない無能力者の輝光を注意力散漫な状況で感じ取れと言うほうが難しい。
 まぁ、魔剣を所持していない魔剣士も似たような存在になるのだが、魔剣も持ってない魔剣士など麻夜にとっては大した敵ではないので、気づかなくても大した脅威ではないので気にしないことにしている。
 おそらく麻夜たちの中でこの状況に気付ける使い手は桂原かアルカナムくらいなものだろう。
 そんな事を考えながらも、麻夜は智美の言葉から使用人が立ち入ってはいけない区画に入ろうとしていたことにようやく気付き、智美に気まずく笑ってみせる。
「えっと、そうだったっけ智美ちゃん?」
「前に言いませんでしたか? 休憩室を曲がって真っ直ぐの廊下の先には赤志野様たちの私室があるから近づいちゃいけないって」
「あ〜言われたような気がする」
 確か入って二日目に言われたのだ。
 赤志野の屋敷には赤志野の名を持つ三人の男がいる。
 一人は御主人さまの赤志野剛太、五十を過ぎた男で腹は多少出ているもののたくましい筋肉も同時に併せ持ち、プロレスラーくずれのようにも思わせる。
 二人目は赤志野宗二、四十代後半の中年男でこちらの方は赤志野剛太に輪をかけて太っている。
 赤志野剛太の弟で、最近嫁さんと息子に逃げられたようでこちらに転がり込んでいるという現状らしい。
 とりあえず脂肪と油の塊のような男で常に汗をかいている。
 好物はポテトチップスとジャンクフード、部屋には予備のチップスの袋が常に五十は常備されているようだ。
 そして最後の一人は、
「へへへぇ」
 どうしようもないほど情けなく気の抜けた声。
 そして、おびえるような表情をして振るえながらもそこから逃げ出さないようにこらえている智美。
 そう、三人目の赤志野の名を持つ男。
 赤志野剛太の長男、赤志野賢太郎だ。
 ちなみに名前とは正反対に全然賢くはない。
 根性がなく、勉強もできない落ちこぼれで高校を一年で中退した後は家の財産を食いつぶすかのように遊んで暮らしており、二十代半ばにもなろうというのにいまだに無職で親のすねをかじっている。
 英雄色を好むというが、別に色を好むのは英雄だけではない。
 男なら同性愛者や不能者以外は大抵色を好むものだ。
 そう、目の前に突如として現れたこの男のように。
「ん〜、君が二週間くらい前に入ったって子か、かわいいねぇ」
 智美の背後から突如として現れた男、赤志野賢太郎は躊躇することなく智美の尻をその右手でまさぐっている。
 もちろん智美とて逃げ出したくはあるのだろう。
 だが必死で目を閉じ、勇気を総動員してその場に立ちつづける。
 抵抗の色を示さない智美に、賢太郎の行動はさらにエスカレートする。
 スカートのすそを捲り上げ、智美のみずみずしい肌に直接手を触れ始めたのだ。
 膝上からゆっくりと太ももに上り、尻をまさぐりながら下着のラインを指でなぞる。
 恍惚とする賢太郎とは正反対に智美は今にも泣き出しそうだ。
 この男、賢太郎は親がメイドたちに高い給料を支払っているのをいいことに、よく新入りのかわいいメイドたちにセクハラをするのだ。
 無遠慮に突然あらわれ、好き放題体を玩ぶ。
 さすがに父親の目を気にしてか、一線こそは超えないものの、メイドたちからの嫌われかたは相当なものだ。
 だが、誰も直接文句を言うことはできない。
 もしも賢太郎がまじめに仕事をしないと主人である赤志野剛太に密告でもされようものならメイドたちは仕事を失う危険がある。
 多くの者は金がどうしても必要であるため、高い給料をもらえるこの仕事が必須な者だちばかりだ。
 絶対にこの仕事を失うわけにはいかない。
 そして、智美も同様に金がいるためにこの仕事をしている女性だ。
 どんな仕打ちであろうとも、高い給料のためには泣き寝入りするしかない。
 メイドたちはみな賢太郎に逆らうことも睨まれるようなこともできない。
 そう、綱野麻夜を除いてはだ。
 ギリ。
 下着まで達した賢太郎の手がついに下着の中に進入する。
 ギリギリ。
 布越しではなく直接、賢太郎の指先が、智美がどんな男にも触らせたことのなかった部分をまさぐっていく。
 ギリギリギリ。
 軋む音。
 その異様さにようやく気付き、賢太郎はようやく智美の目の前に立っていた女性に気が付いた。
 賢太郎は智美を玩ぶのに夢中で気付いていなかったのだ。
 耳障りに歯軋りし、恐るべき形相で睨みつける麻夜の姿を。
 もちろん麻夜としても賢太郎に手を出してはいけないことは理解している。
 もし目の前に智美がいなければ歯軋りするまでもなく、賢太郎を殴り飛ばしているだろう。
 だが、目の前には智美がいる。
 自分が暴力沙汰を起こしたら、智美も巻き込まれて解雇されるかもしれない。
 故に堪えている。
 迸ばしらん怒りを抑え、歯を軋ませることでその行動を抑止しているのだ。
「な、なんだよ」
 麻夜の迫力に怯え、何も言ってこない麻夜に賢太郎はそう口にする。
「何か文句でもあんのかよ。ぼ、僕に逆らったらクビにしてやるぞ!」
「いえ、賢太郎様。私が賢太郎様に歯向かうようなことは決してございません」
 心にもないことを口にすると、麻夜はくるっと右を向くと、そのまま真っ直ぐ歩いていく。
 そこには花瓶があった。
 美しい花が飾られているガラスの花瓶。
 大きさは五十センチもあり、名前は知らないが丈の高いきれいな花がその中で息づいていた。
 と、麻夜はその花瓶を両手で持ち上げる。
 そしてとことこと賢太郎のすぐ側まで戻ってきた。
「お部屋にお戻りになっていただけないでしょうか、賢太郎様。私たちはこれからここの掃除をしなくてはならないのです。危険ですのでお下がりください」
「はっ、掃除? さっきこの廊下はメイドたちが掃除し終わったとこだぞ。なんで掃除なんてすんのさ。それに何が危険・・・・・・」
 みなまで言わせるほど麻夜に忍耐はなかった。
 ふわっと花瓶を宙に浮かせると、次の瞬間狙いすました右こぶしがガラスの花瓶に突き刺さった。
 そう、文字通り突き刺さったように見えた。
 花瓶の中心を捕らえた麻夜の右こぶしは、まるで豆腐でも殴りつけたかのようにあっさりと貫通、花瓶を叩き砕く。
 水とガラスの破片と大きな花が窓から差し込む日の光を浴びてきれいに輝きながら床に落ち、けたたましい音を立てた。
「こういうことです、ガラスは危険です。ささったら痛いですよ。ですから賢太郎様、どうぞお下がりください」
 言いながらも目は全く笑っていない麻夜。
 その威圧感に賢太郎はたじろいだ。
「お、お前・・・・・・わかってんのか? 僕に逆らったらクビになるんだぞ!」
「別に解雇していただいても構いません、どうぞお下がりください」
「か、顔は覚えたからな。今に見てろ」
「楽しみにしていますわ」
 捨て台詞を残して立ち去る賢太郎に、麻夜は心とは正反対の言葉を口にする。
 そして賢太郎の姿が廊下の角に消えてから、ようやく智美の方に目をやった。
 智美はふるふると震え続け、スカートを握り締めながらうつむき、声を殺して涙を流しつづけていた。
「ごめんね」
 近づき、体をかがめて智美に視線を合わせる。
 それは、麻夜にとって本当に申し訳の立たないことだった。
 麻夜は権威をかさにきて、女性を無理やり言いように扱う男を唾棄すべき存在と認識し、見かけた瞬間ぶん殴るということを自分に課していた。
 女性がそのような男の手で苦しんでいるときは間違いなく助けてやろうと心に決めていた。
 しかし、助けられなかった。
 本来ならすぐにでも助けたかったが、彼女は今、任務のために動いている。
 今の行動はクビに値するものだろうが、クビになるのはおそらく三週間後の給料日以降だろう。
 だが、もし賢太郎を殴っていれば即日解雇だったかもしれない。
 それは魔術結社に所属している麻夜には決して取れない行動だった。
 故に謝る。
 故に悔いる。
 顔を真っ赤にして、それでも泣き声を殺して涙を流しつづける智美を見て、麻夜は自分が綱野麻夜という人間の規律ではなく、魔術結社の尖兵としての規律を優先してしまった事を恥じた。
 しかし、そんな麻夜に対して智美は首を横に振った。
「麻夜・・・・・・さんが・・・・・・謝る必要は・・・・・・ないです。私が・・・・・・謝らないと・・・・・・」
 嗚咽交じりに語る智美の言葉を、麻夜は静かに聞きつづけていた。
「私のせいで・・・・・・麻夜さんがクビになっちゃう・・・・・・」
 それでようやく気付いた。
 智美はただ、賢太郎という男の魔手から開放された安堵だけで泣いていたわけではなかった。
 そう、彼女は自分のせいで麻夜に迷惑をかけてしまったことに心を痛めていたのだ。
 事情を知らない智美は、麻夜が金に困ってこの洋館で働いていると思っていた。
 しかし、それが自分のせいでダメになってしまうかもしれない。
 安堵といたたまれなさが、智美に涙を流させたのだ。
「全く、最近の若い子ってのはねぇ」
 呟き、麻夜はさらに一歩進むと、半年近く前に数騎にそうしたように智美を抱きしめた。
「気にしなくていいのよ、そんなこと」
 抱きしめ、髪の毛に顔を埋めながら頭をなでる。
「私は大丈夫だから、別にここをクビになっても何も心配なんかないんだから。それよりごめんね、すぐに助けてあげられなくて。ごめんね、心配かけさせちゃって」
 そうやさしく語りかける麻夜の胸のがじわじわと濡れていく。
 それは智美の涙だった。
 その抱擁がいかに智美を安堵させたのか。
 智美は強く麻夜に抱きつくと、そのまましばらくの間、麻夜の胸の中で泣きつづけた。





























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