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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十一羽 結界
第十一羽 結界
「王手」
「なんとっ!」
事務所のソファに腰を降ろし唸り声を漏らす柴崎、そんな柴崎を数騎はさも嬉しそうに見つめている。
「待ったはなしか?」
「当然です」
「一回くらいは?」
「ダメです」
冷徹に言い放つ。
柴崎はうなりながらさらに考え込んでしまう。
「何やってるの?」
居間の方からやってきた薙風がそう尋ねてきた。
そんな薙風に、柴崎の向かい側のソファに座っていた数騎が振り返る。
「将棋です、ちょっと仮面使いに誘われたので」
笑顔で答える数騎に、薙風は右目をつぶりながら言った。
「居間でやればいいのに」
「事務所の棚に飾ってあったんで。その場でやることになったんですよ」
「棚?」
「アレです」
指で右側前方を指し示す数騎。
なるほど、事務所の隅の方にある金属製でガラスの窓を持つ棚、その中にいつも飾ってあった将棋版と駒を入れる箱がなくなっている。
「ただの飾りかと思った」
「あんまりやりませんからね」
と、数騎が答えたところでパチンという音が鳴る。
柴崎が駒を進めたのだ。
と、数騎は三秒も考えない内に自分の駒を動かした。
その行動に柴崎は眉間に皺を寄せ、またしても唸り始めた。
「ところで」
「なんですか?」
再び会話を切り出した薙風に数騎は答える。
薙風は少し考えたあとで口を開いた。
「あなた、何で柴崎のこと仮面使いって呼ぶの?」
「えっと、特に意味はないです」
もちろんあるが、言う気は毛頭ない。
薙風の方としても麻夜からその話は聞いているので、それ以上を聞こうとはせず、その場から立ち去ってしまった。
「これだ!」
思い出したように柴崎が飛車を動かした。
一見、無謀にも思える飛車の動き。
これでは飛車は金に取られてしまう。
しかし、その飛車は捨石。
飛車を与えることにより、柴崎は形勢を逆転しようとたくらんでいた。
「へぇ、おもしろいですね」
しかし、数騎は飛車に見向きもせず、べつの所の駒を動かしていた。
そして数手後、この手が禍と転じた。
柴崎の狙いはとっくの昔に数騎に読まれていたのだ。
憐れ、柴崎は攻撃の手を切り崩されたばかりか、おとりに使った飛車まで失ってしまったのだ。
「ぐ、投了だ」
「諦めるんですか?」
「ここから巻き返す自信がない」
「まぁ、飛車も角も両方僕のものですし、盤面も終わってますからね」
すぐに納得し、数騎は盤面の駒を片付けたはじめる。
と、ソファの前にあるテーブル、将棋版の横のあたりに湯のみが置かれた。
薙風が三人分のお茶を運んできたのだ。
「どうぞ」
「あ、ありがとうござます」
礼を言い、数騎は注いでもらったお茶を口にする。
それを見て柴崎も茶をすすりはじめた。
「短刀使い、もう一局願えるか?」
「どうぞ、お相手いたしますよ」
言うが早いか、片付けた駒を数騎は再び並べ始める。
実は数騎は将棋が好きだった。
対人系の電気を使わない類のゲームなら基本的に何でも好きだが、特に将棋はお気に入りだ。
市販のトレーディングカードゲームなどは相手がルールを知らないとできない上に、持っているいないの問題、さらには商品であるという都合上どうしても資産による強弱が出てしまう。
つまるところ金に物を言わせて多くのカードを持っている方が必然的に強くなってしまうのだ。
せっかく完成度も高く、自由度も非常に高くていいゲームなのに商品であるという逃れられない宿命から、少しでも購買意欲を湧かせる作りにしなくてはならないのだ。
それに引き換え、トランプやスロット、花札などは非常に有能だ。
トレーディングカードゲームのように各々が自分の武器を好き勝手にカスタマイズできないかわりに、必ず対等な勝負を行うことができる。
その上、一度購入してしまえばそれ以上金がかかることもない。
そんな理由もあって数騎は将棋が好きだった。
それに対し、柴崎も将棋好きであったが、下手の横好きというやつであった。
何しろ弱い。
さっきから三度対戦しているが、今のところ数騎に一勝もあげていない。
何しろルールを知っているだけと言う程度でしかないのだ。
柴崎はゲームというのが電気の有無にかかわらず苦手だ。
二階堂ともよく将棋をするが一勝もあげた例はない。
「う〜ん、やはり将棋は奥が深いな」
気分は四千メートル級の谷を見下ろしている気分だ。
数騎程度の実力者ならある程度降りてみてその深さを知るが、柴崎は谷の上から下を見下ろしてぼやいている程度だ。
奥が深いのだけは理解しているが、谷を降りている人間ほどそれがどの程度深いのかまでは理解できていないとでも言ったところか。
柴崎は両腕を組んで考えこみながら、ふと言葉を漏らす。
「つくづく私にも異世界視能力(サイトビジョン)があればと思うところだな」
「サイトビジョン?」
柴崎の独り言に、数騎が反応した。
「あぁ、お前はこっちの人間じゃないだろうから知らんだろうが、特殊な目を持つ輩には異世界視能力(サイトビジョン)という能力を持つ人間がいるんだ」
「特殊な目?」
「特殊な目というのは邪眼や魔眼のことを指す」
「違うものなんですか?」
首を傾げる数騎。
そんな数騎に、柴崎は目の前にあった将棋の駒、金将と銀将を両手に持って数騎に見せつける。
「まぁそう大差があるわけじゃない、使われる側にとってはな。つまり将棋の金と銀みたいに似たようで非なる性質を持つ異能だ。関係は魔術師と魔道師の関係に酷似している」
「つまり、人から借りるのか自分の力かって差ですか?」
「そういうことだ、邪眼は他者から能力を借りる魔術装置、それに対して魔眼は自身の持つ能力を行使するための魔術装置だ」
「質問いいですか?」
右手をあげる数騎に柴崎は頷いてみせた。
「邪眼が魔術装置ってのはわかります、だって魔術に酷似しているからですよね。でも、魔眼は魔道装置なんじゃないんですか?」
「あぁ。そんなことか」
どんな質問が飛び出すか期待していた柴崎は、少々落胆の表情を見せる。
「そもそもはじめて人間が行使できるようになった異能の系統が魔術なのだ。ゆえにその後に発生したどんな異能の系統を操るものも術師と呼ばれるようになった。魔道師も術師と呼ばれて区別されるのはそれが原因だ」
「なるほど、起源は魔術からだったんですね」
「その通りだ、火も元はと言えば神からの授かり物と聞く。人間とはまず与えられ、その後に自ら改良するものだ。魔道も魔術が発展して生まれ、術師以外の者が術師に対抗しようとして魔剣を生み出した。異能者が現れたのはそれ以降だ。あれはミュータントみたいなものだ」
「で、そのミュータントが魔眼師と邪眼師なわけですね?」
「そういうことだ」
大きく頷き、柴崎は説明を再開する。
「さて、短刀使い。お前が綱野女史からどの程度異能者についてならっているかのテストも兼ねて聞こう。術師というのは基本的にどういうものだ」
「それはどこらへんのカテゴリーで話せばいいんですか?」
「そうだな、どのような存在を術師と呼ぶかとでも言えばわかりやすいか?」
「なら魔術や魔道を扱う人間ですよね」
「そうだ、魔術や魔道を操る人間を術師、魔剣を操る人間は魔剣士、獣に変ずる者を獣憑き、もしくは獣人。そしてそれに該当しない連中のことは異能者と呼ぶ」
「で、その異能者が魔眼師と邪眼師ってわけですか?」
聞く数騎に、柴崎はうなづいて答える。
「そうだ。厳密には魔術や魔道の系統に存在しない神秘を魔剣無しで行使する連中を指す。そうなると獣憑きや輝光使いの連中も厳密には異能者だが、まぁそこらへんは省いておけ。
異能者の中でもわかりやすいのがまず邪眼師だ。魔術師が魔術を扱うために必要な工程の一切を省き、ただ目に意識を集中するだけで魔術の行使ができるのが邪眼師だ。欠点としては邪眼は単一の能力しか保有しないため、限定された一つの魔術しか扱えない。が、邪眼自体が触媒であるため、邪眼の持つ能力が高位呪文だった場合はとんでもない。触媒を用いることなく、さらには高位呪文最大の弱点である詠唱時間の長さという弱点をも持たない特級の邪眼師と認定される」
「で、魔眼師はどうなんですか?」
「魔眼師も邪眼師と似たようなものでな、魔道の持つ能力の限定された一部分だけが行使可能だ。魔道師は自身に流れる血に記された情報によって系統分けされ、その系統に沿った魔道のみを行使可能だ。『火』の系統を持つものは火術しか扱えないし、『風』の系統を持つものは風術しか扱えない。魔眼はそれをさらに限定させ、風術なら風術のどれか一つの術しか行使しえない。しかし、もしもその術が特級のものであれば、魔眼も邪眼の亜種故に触媒、詠唱なしでポンポン高位呪文に相当する術を行使してくる」
「つまり、強襲性の高い術師なんですね、特殊な目をもつ人間っていうのは」
「まぁ、そういうことだな」
話についてこれる数騎に満足し、柴崎は薄く笑みを浮かべる。
「で、それがサイトビジョンというのとどう関係があるんですか?」
聞く数騎。
聞かれ、柴崎は少し困ったような顔をした。
「すまん、話がそれたな。異世界視能力(サイトビジョン)というのは『世界』の系統に属する魔道師が扱う高位呪文の一つだ。時に短刀使い、平行世界という言葉を知っているか?」
「知ってます、こことそっくりだけど微妙に違う世界が歩いてはいけない場所にいくつも存在しているって説ですよね」
「そうだ、一般的には懐疑的な目で見られるこの説だが、裏の世界に属する私たちにはなかなか馴染み深い話でな・・・・・・っと、すまない。また脱線するところだったな」
失礼、と会話を中断する柴崎。
「平行世界というのは何層も横に連なった世界だ、この世界から見て近くにある世界ほどこの世界に酷似しており、遠くの世界ほどこの世界とが在り方が異なる。そして近い世界ほどこの世界と同じような時間系列に存在し、遠い世界ほどこの世界よりも過去や未来の世界だったりするわけだ」
「むぅ、少し難しいな」
「まぁ、よく言われているパラレルワールドが無限に存在しているとでも思ってくれればわかりやすいか。で、似た世界ほど近くにあってこの世界との相違点が多い世界ほどこの世界からも離れた世界なわけだ」
「その相違点ってのは、人間の性格が違うとかそもそも人物自体が違うとか、ここより未来とか過去だとかそんな感じですかね?」
そう聞く数騎に、柴崎は頷いてみせる。
「そう、そして全く同じ世界は存在しない。これでようやく異世界視能力(サイトビジョン)の説明に入れるな。サイトビジョン、つまり異世界視能力と呼ばれるこの能力は文字通り異世界を見る。別世界を覗くことのできる『跳視(おどし)の魔眼』と言ったところだな。で、この魔眼の能力は見るだけだ。こちらの世界に対しては何の働きももたらさない」
「でも、見れるってことは、それだけで大きな武器になりますよね?」
「応用方を思い至ったか?」
「はい、普通に別の世界を見ることにたいした価値はないんです。多分、この世界により近い世界の過去か未来を見ることができるなら」
「そう『跳視(おどし)の魔眼』は未来視と過去視の能力を併せ持つ魔眼として扱われるようになるわけだ」
「でもそれだと、的中率に問題が出てきませんか?」
数騎は疑問を口にし、続ける。
「近くの世界ほどこの世界と似ていて、遠くの世界ほどこの世界とは異なる。ってことは近くの未来や過去ならあまり相違はないだろうけど、遠い過去や未来だと、どんなに近くの世界を見ようとしても、かなり遠くまで見に行かないといけないってことになりませんか?」
「司、この子意外と頭いい」
横から口をはさんだ薙風の言葉は、柴崎の考えていたことと同じであった。
「違いないな、意外と頭が働く」
まぁ、そうでなければ魔飢憑緋を暴走させていたゾンビを罠にかけるなどできなかったろうがな、と心で続けていたが、口には出さなかった。
「そうだな、お前の言うと通り『跳視(おどし)の魔眼』の未来視と過去視は遠くの未来や過去を見るに際し、恐ろしく的中率を低下させる。一秒後の未来の的中率が九十九パーセント、一分後の未来となると一パーセントに満たなくなる」
「それって使えなくないですか?」
げんなりとした目をする数騎。
数騎の予想では一ヵ月後の出来事の的中率は三十パーセントくらいに考えていたのだからこれはかなり拍子抜けだ。
「そうでもない、数秒後に優劣が逆転し、コンマ一秒で生死が分かれる戦闘中において、 数秒先の相手の動きを予想できるのは大きな武器だ。特にこの能力者はお前にとって最大の天敵だろうよ。
ついでに魔眼師と邪眼師の見分け方も教えといてやろう。邪眼師は総じて金色の瞳をした連中だから見分けはつきやすい。問題は魔眼師だ、魔眼師はその実力に応じて魔眼の色が違う。ちなみに『跳視(おどし)の魔眼』は希少価値の高い紫色だ。力を持つ目はその力を振る際に蛍光塗料のように瞳が発光する。目が光る敵、中でも紫色のやつには決して手を出すなよ」
「・・・・・・むぅ」
柴崎の言葉に、数騎はつまらなそうに納得する。
力を持たざる者である数騎の最大の武器は、おかしなことにその力量の無さだ。
強き存在は敵にその気配をたやすく感じ取らせ、弱きものはその気配を悟られにくい。
そして数騎はその力量のなさ故に敵に存在を察知され難い。
その上、自身から発するわずかな輝光さえキロにも満たない金属で打ち消してしまっている。
達人は敵が放つ輝光を察知し、敵の居場所を特定する。
裏世界の人間は目と感覚の両方を頼りに周囲を窺い、優れたものほど後者に依存する。
何せ索敵能力が目を頼りにした場合は視界の範囲のみ、逆に輝光探知や感覚動員の索敵は半径十数メートルも確認できてしまうほどに差があるのだ。
達人であればあるほどこの能力に特化し、赤の魔術師ほどの達人であればその索敵距離は最大十キロに及ぶ。
その、なんとなくでも敵の存在を知覚できる世界の中で、数騎は貧弱であるが故に敵に気配を悟られない。
短所を長所に変える、それだけが須藤数騎の武器であった。
だが、
「お前の力量で敵を打破するにはその不意を突くか、負傷しているところに強襲をかける以外にはない。しかし、『跳視(おどし)の魔眼』で先を読まれてしまってはお前の不意打ちも予測できる攻撃に格下げされる。間違ってもこのような敵を相手取らないことだな。まぁ、そもそもお前の実力では誰に挑んだところで危険だろう。お前は後ろに下がって戦わないのが一番だ。幸い、参謀としての才能はあるようだからな。
世の中は適材適所だ、同じもので対抗せず持ち味を生かすのがベストだろうさ」
「じゃあ、そうしますよ」
そう言うと数騎は将棋版に将棋の駒を並べ始めた。
「戦闘では役立たずかもしれませんが将棋は強いですよ。これが僕の持ち味ってところですかね」
「理にかなってはいるな」
笑みを浮かべ、柴崎は小さく息をつく。
将棋の駒を並べなおしながら、数騎はさらに続けた。
「先ほど異世界視能力(サイトビジョン)があればと言ってましたけど、あっても無駄だと思いますよ。もしあったとしても、一分先のことも百分の一じゃ信頼性が無い」
「いや、その弱点の克服も可能だ」
「どうやって?」
「『跳視(おどし)の魔眼』は眠っている時にその真価を発揮する。睡眠は脳の外界への処理能力をほぼシャットダウンする現象だ。それで普段外に向けている処理能力を『跳視(おどし)の魔眼』の使用にシフトすれば、的中率は段違いにあがる。視覚だけじゃなくてそれ以外全ての感覚を異世界を見るのに回せるわけだからな。的中率は八十を上回るだろう。まぁ、二つほど条件があるが」
「条件って?」
「一つ、夢を見ている時にしか『跳視(おどし)の魔眼』はその力を発揮しない。二つ、同じ夢を何度も見ること。見れば見るほど的中率は高くなる、最大九十九パーセントくらいかな」
「へぇ、すごいや。でも何で複数回見ると確率が上がるんですか?」
「異世界視は基本的にこちらに近い世界を見ようとする、だから幾度も見た世界ほどこちらの世界に近いと断定できるわけだ。もっとも、この夢見を利用する異世界視には弱点があって、見たい時間を特定できないところにあるわけだが」
「それってランダムにしか未来や過去を見れないってことですか?」
「まぁ、そういうことだな」
「なら、将棋で相手の手だけ見るなんてできないじゃないですか」
その言葉に、柴崎は凍りつき瞬きを止める。
「ばか……」
二人の会話に飽きたのか、薙風はそう一言だけ残して居間に戻っていってしまった。
その後、数騎と柴崎は三度対局したが、柴崎は結局一勝もあげることができなかった。
「ってなわけなんですよ」
嬉しそうに語る数騎。
そんな数騎の横で、神楽はとても嬉しそうに喜んでいた。
「一矢報いてあげたわけですね。数騎さんカッコイイです」
「いやぁ、それほどでも」
頭をかいて照れる数騎。
そんな数騎の顔を、とても優しい笑顔を浮かべて神楽は見つめていた。
時刻は午後三時。
数騎と神楽はいつもの公園でお茶を楽しんでいた。
日差しは緩やかで外で過ごすにはうってつけの日だ。
ベンチに座る二人には心地よい風と、木の葉のカーテンが日差しと熱気から二人を守る。
それはまるで天然の喫茶店でもあるかのように、二人は心地よく会話を楽しんでいた。
「それでですね、居候の上司が何度も何度も突っかかってくるんですよ。でも、勝てないんです。最後には飛車角桂香落としでやってもダメだったんですよ」
「へぇ、数騎さんってそんなに将棋強いんですか?」
「ん〜、まぁアレが弱かったってだけなんだけどね。そこまで強くはないよ。実は僕よりです麻夜さんの方が強いくらいですし」
「そうなんですかぁ。ねぇ、数騎さん。実は私も将棋強いんですよ。こんど一局どうですか?」
「いいですね、たしか携帯用の将棋が事務所にあったはずだからそれを持ってきますよ」
「はい、そうしてください」
微笑を浮かべる神楽。
その柔らかい表情に、数騎はわずかに頬を赤らめた。
「そういえば神楽さんってどのくらい強いんですか?」
「ん〜、昔アマチュアの大会で四位くらいに入賞できたくらいですかねぇ」
「それってかなり強くないですか?」
「そうでもないですよぉ」
今度は神楽が照れて頭をかく。
「じゃあ僕じゃ勝てないかもな。麻夜さんなら勝てるかも」
「一度対局してみたいですね。もしよかったら事務所に寄らせてもらってもよろしいですか? 麻夜さんという方にも一度お会いしたいと思っていたところですし、それに数騎さんのお家にも行きたいと思っていましたので」
「でも無理だよ、今はね。麻夜さん屋敷ではたら……」
いてる、とまでは続けなかった。
もちろんこれは失言だ。
会話が弾んで思わず口走るところだった。
今度の事件の犯人は赤志野の屋敷に潜んでいる。
そして、そこは神楽の働いている場所だ。
一般の人間に裏世界の出来事を教えてはいけない。
だから麻夜さんが屋敷で働いていることは教えてはならないことだ。
向こうで鉢合わせるまでは大丈夫でも、こっちから情報を与えてはいけないのだ。
数騎は恐る恐る神楽に視線を向ける。
神楽は、数騎がなんと続けようとしていたのか、全て見通して数騎の見たことのない表情を顔に浮かべていた。
そう、神楽は数騎を睨みつけていた。
「どういう……ことですか……」
「えっと……その……」
いいわけを考えるも下手ないいわけなど通じようはずもない剣幕だ。
とりあえず最優先すべきは裏世界の事情を隠蔽することだ。
そう心で決定すると、数騎はようやく口を開いた。
「えっと、潜入捜査してるんですよ。どうやらあの屋敷に指名手配中の……」
乾いた音が公園に響いた。
熱い、いやこれは痛いと表現すべきか。
不意打ちだったからかわすことも防ぐこともできなかった。
自分の十八番を奪われたんじゃ笑い話にもならない。
それに、頬を平手打ちされたら笑うことだってできるわけないだろう。
数騎を平手打ちすると同時に神楽はベンチから立ち上げっていた。
「わかってるですか!」
怒鳴り声、こんな荒々しい神楽さんの声ははじめて聞いた。
「あそこがどんな場所か、わかってるんですか!」
顔を上げる、神楽さんは泣きそうな顔をしている。
そんな顔なんて見たくない、いつもみたいに笑って欲しい。
「すぐに綱野さんにあの屋敷から出るように言ってください。一月経ったら、もう間に合いませんから」
背中を向ける。
そして神楽は数騎を振り返ることなく、ベンチから立ち去っていった。
「どうなってるんだ……」
呆然とつぶやく。
そして、ひりひりと痛む左頬に手を当てた。
「わけ……わかんないや」
おあつらえ向きの天然の喫茶店。
もはや会話をする者もいないというのに、その心地よい場所はこの後数時間その状況を保ち続けるのであった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息は荒く、とても平常心ではいられなかった。
「んっ、くぅ……はぁ……」
堪える。
熱い、とても我慢できない。
でも堪えなければならないような気がしていた。
「んんぅ、はぁ……ふぅ……」
ようやく波が収まった。
麻夜は深くため息をつくと、巻きつけていた布団をどけた。
時刻は深夜二時ほど、就寝時間はとうの昔に過ぎ去り、みな心地よい眠りを満喫している。
が、麻夜だけは寝付くことができなかった。
体が火照り、下半身からは際限なく蜜があふれ出てくるのだ。
「どうなってんのよ、ちょっと」
疑うべくもなく、どうやら自分は発情しているらしい。
指で慰めることもできたが、声が漏れるのは怖いし、何よりそれを行うことへの恐怖感があった。
なぜかはわからない、だがそれだけはしてはならないと頭のどこからか警鐘が鳴り響いているのだ。
「もしかしてアレ聞いちゃったからかしらね」
アレというのは智美のソロプレイのことだ。
アレごときで触発されるとは情けなし、麻夜は自分にそう叱咤する。
「あぁ、このままじゃ眠れそうにないわ」
上半身を起こす。
ベッドに座った状態で横に視線をやった。
二階にあるこの部屋にある、ベランダに通じる窓からは雲の間から姿を見せた月の光が差し込み、ベッドを照らしている。
「外……か……」
そこが日本だと忘れるような光景だった。
林立する木々によって外界を見ることは不可能なため、視界は樹木生い茂る広大な庭で埋め尽くされる。
そのため、この屋敷の窓から外を見てもそこが日本だと知覚しがたいのだ。
「事務所で暮らしてちゃ、こんな景色見れないもんね」
そう言って麻夜はベッドから立ち上がる。
体が冷えるかもしれないが、このままでは寝られないのなら外に出て火照った体を冷ますのだ一番だ。
そう考え、麻夜はなるべく無音で立ち回り、一瞬だけベランダのドアを開けると、外に出て大きく体を伸ばした。
「あぁ〜、いい風だわ〜」
火照った体に心地よい風が吹く。
それは麻夜の体を蝕んでいた熱気を奪い、麻夜は平常心を取り戻していく。
「こんな夜もたまにはいいかもね」
小さな部屋くらいの広さのある円形のベランダ、バルコニーとでも呼んだほうが風情があるだろうか。
たかだか住み込みのメイドの寝室に備え付けられているにしては豪華すぎるというものだろう。
ダンスを踊るように、麻夜はそのベランダでくるくると回転しながら歩き始めた。
それは月明かりに照らされた踊り子のように。
紫色のネグリジェが月明かりの下でひらひらと翻り、絹のように柔らかい金髪は月光を照り返して美しく輝いていた。
口ずさむ。
月夜にふさわしい優しく深い歌。
それは美しき月夜を湛えるものか。
それとも恋に焦がれる乙女の思慕の思いを表すものか。
柔らかく、情熱的に、けれども決して見苦しくなく、もっとずっとその場で聞きほれていたいような、そんな旋律を麻夜はその均整のとれた口から紡ぎ続けていた。
五分ほど口ずさんでいただろうか。
麻夜は歌うのを止め、動きを止めた。
もう完璧に火照りは消え去った。
多少はしゃぎすぎて心臓は早鐘を打っているが、まぁベッドに入ればすぐにでも落ち着くだろう。
そう思って麻夜がベランダのドアに手をかけたとき、その声が聞こえた。
「……ですから……」
低い中年男の声だ。
普通なら気にもしないような声。
だが午前二時に聞くようなものではない。
いぶかしみ、麻夜は姿を見られないように身を伏せると、ベランダの下から聞こえてくる声に耳を澄ます。
だが少し距離が遠すぎた。
声を完全に聞き取るのはこの状態では不可能だ。
だが、目を凝らせば見ることができる。
なぜ気がつかなかったのだろう。
この屋敷の入り口にむかっていくつもの青く輝く発光体がゆっくりとした速度で進んでいくのだ。
いや、それは青く輝くランタンを持つ男たちだった。
いずれも中年以上の年寄りで、下劣な笑みを浮かべ屋敷の中へと向かっていく。
「……ようやくしっぽを掴んだってとこかしら? でも私が異常を察知できないってことは、あのランタンは魔剣や魔道具の類でもないし、あいつらも全員無能力者よね。もしかしたら関係ないかもしれないけど」
決めるが早いか、麻夜はベランダの手すりに手をかけると、一呼吸もおかずにそこを飛び越えた。
もちろんここは二階で手すりの向こうに床はない。
だが、麻夜にとってこの程度の高さからの落下には何も問題はなかった。
極限まで着地音を殺し、地上に降り立つ。
「ふぅ、下が土で助かったわね」
おかげで着地音を消すのが楽だった。
麻夜は自分の存在が誰かに気付かれていないか左右を見て探り、頃合いを見計らってその場から動き始めた。
こういう時は封印された自分の現状がありがたい。
数騎ほどではないが、能力を封じられた自分の気配のなさは相当なものだ。
さすがに索敵には引っかかるが、相手が油断しきっているならバレることもないだろうし、バレたとて近くに怪しいのがいると気付かれる程度でこちらの居場所がバレることはないだろう。
あくまですぐには、という条件付ではあったが。
こういう時は庭に生い茂る樹木が役に立つ。
さすがにしっかりと手入れされている中心部に身の隠し場所はないが、そこから少し離れると木立があり、生い茂る草に隠れて、屋敷の外から一室一室窓を覗き込んでいく。
屋敷と木立の距離は六、七メートル、麻夜の視力なら問題なく覗ける距離だ。
しかし、部屋の中には何も怪しい気配もなく、電気すらついていない。
「正面じゃなくて裏かな、回りこんでみるか」
といってもこの屋敷の広さは半端なものではない。
しかも隠れながら行動する麻夜にとってはなおさらである。
十分ほどの時間をかけて、麻夜はようやく屋敷の裏側まで回りこんだ。裸足で木立のなかを歩いているうちに、紫のネグリジェが薄汚れてしまった。
どうやって言い訳して洗濯してもらおうか考えていた麻夜は、突然目に入ってきたものを見てその考えを中断する。
電気がついていた。
それも一室ではなく、館の裏側から見えるほとんど全ての部屋からだった。
「屋敷の部屋に灯りが?」
別に気になるようなことではないが、この場合は全く別問題だ。
そもそもこの屋敷にはメイドと三人の赤志野しか存在しないはずだ。
それで電気がついているのは明らかにおかしい。
それに、先ほど見かけた青いランタンの男たち。
その男たちが関係しているのに間違いはないのだろう。
「どうなってるの?」
疑問を口にし、そしてそれを晴らすために麻夜は木立から抜け出した。
空いてる窓を探し、屋敷内に進入する。
「さぁ、探偵らしくなってきたわね。正直、探偵やってるのにまともなことするのはこれがはじめてだったりして」
自嘲し、麻夜は足音を殺して進み続ける。
と、今通り過ぎようとした部屋から声が聞こえた。
それは消え入りそうに小さい女性の声だった。
麻夜は中の状況を探るべく、木製のその扉に耳を押し当ててその声をもっとしっかりと聞き取ろうとした。
そして、何が行われているのかを、麻夜は理解した。
女性の喘ぎ声とベッドが軋む音が部屋の中から響いていたのだ。
不意に思い至り、麻夜は廊下に連なる灯りのついた部屋に一つ一つ耳を当てて中の様子を探る。
そして、そこからは予想通り女性のあえぎと交わりの音が響いてくるのみだった。
「・・・・・・そういうことね」
全てを理解した。
この結界の術式とその能力は理解できた。
問題は結界の基点の場所だ。
まだ全てを発見できたわけではない。
が、決着の時は近い。
そう自分に言い聞かせると、麻夜は入ってきた窓から外に出て、迅速に輝光探知をはじめる。
見つけ出した基点は未だ一つ。
この結界内で敵と対等に戦うにはせめて過半数の破壊が不可欠だ。
時間の無さに困惑しながらも、麻夜は屋敷内の捜索に乗り出す。
そんな麻夜の姿を眺めるかのごとく月は太陽の光を反射させて麻夜を照らしていたが、それと同じ光を浴びる男が、またはるか遠くにいたのであった。
「なかなか手こずらせてくれたな」
ビル群の立ち並ぶ繁華街、その中で最も高いビルの頂上に、その男の姿はあった。
まるでホストのようにスマートにスーツを着込むその男は、不似合いに木製の杖を握り締めている。
それはまるで神話に出てくる呪術師の持つようなものでもあった。
「ようやく正体が掴めたぞ、冥叫死翠がこのようなところにあったとはな」
杖を足元に転がしていたハンドバックにしまいこむと、その男はくるりと先ほどまで睨見つけていた遠景に望める屋敷に背を向ける。
「大した結界だ、だが正体は掴んだ。決戦は明日の夜にするとしよう。柴崎と薙風にも伝えておかなければな」
笑みを浮かべる。
そう、ビルの屋上から屋敷を一望していたホスト風の男は桂原だった。
柴崎の仲間内でも絶大な力を誇る桂原は、一人結界の能力解析に尽力していたのだ。
「私達の侵入にあわせて綱野女史も結界の基点に絶鋼を叩き込んでくれることだろう。問題はこれまでの時間でいくつ見つけ出せたかだな」
それによってこちらの有利不利が決まる。
最大戦力をもってしても結界内の戦闘は不利極まりない。
勝負は綱野麻夜がいくつの結界の基点を破壊できるかにかかっている。
「それにしても……」
ギリっと歯軋りし、怒りの表情を覗かせる。
「好かんな、あのような結界は。夜も更け、朝が近いことを喜ぶがいい。今日が最後の宴、せいぜい悔いのないように楽しんでもらえれば幸いだ」
そう言うと、桂原はビルの非常口に向かって歩き出す。
桂原と共に歩むのは、上空から照らす月明かりに生み出された彼自身の影のみだ。
夜はじき明ける。
そして再び月が昇るとき、この町が戦場と化す時であることをこの町の住人は未だ知らず、そしてこれからも永遠に戦いがあったことさえ知ることもないのであろう。
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