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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十三羽 強襲

第十三羽 強襲


「まずい、屋敷方向から発せられる輝光に乱れが生じたぞ!」
 事務所で赤志野の屋敷の強襲の準備をしていた桂原が、突然叫び声を上げた。
「出撃だ、魔剣を忘れるな!」
 桂原の言葉に呼応するかのように、薙風は側に置いておいた魔飢憑緋を拾い上げると、右目をつぶりながら桂原の元に歩み寄る。
「何があったの?」
「知らん、だが結界の崩壊がはじまった。それと同時に結界内で戦闘が起こっているようだ」
「戦ってるのは?」
「綱野女史か? さぁ、知らんな。どちらにしろ綱野女史が危地にいるのに違いはあるまい」
 言って桂原は歩み寄る足音の方に視線をやる。
 完全装備のいでたちで柴崎がそこにはいた。
 暑苦しい漆黒の外套、柴崎は隠し持つ多くの魔剣をその中に収納している。
「行くか?」
 柴崎の問いかけに桂原は頷いて答える。
「綱野女史を見捨てるわけにはいかない」
「結界の種類が攻撃系でないのなら三人で行けば勝算はあるな」
「一人でも問題はなさそうだが、どんな伏兵がいるかわからん」
「予定より三時間早い」
 薙風が会話に入ってきた。
 襲撃予定は午後十時、今はまだ午後七時だ。
 ちらりと視線をやると、薙風の見ている方向には始まったばかりの子供向けアニメがオープニングを流しているところだった。
「録画しておいてやる、帰ってきたら見ろ」
「……わかった」
 薙風は左目をつぶり、すこし残念そうな顔を浮かべる。
「ランページ・ファントム別働遊撃部隊、ただいま出撃ってところか?」
 少し嬉しそうに桂原はそう口にしながら柴崎を見る。
「あぁ、ありがたくはないがな」
 柴崎は、嬉しくもなさそうにそう答えた。






 夜を疾駆するジープ。
 天井の無いその車は、走る者を風から保護することはないため、速度に応じて乗者の髪がばたばたと風になびいた。
「そういえばどうなんだ?」
 運転をしながら柴崎は尋ねる。
 後部座席にいる薙風は、自分が尋ねられたと知ると、少し言いにくそうに答えた。
「魔飢憑緋?」
「そうだ、暴走させたと聞いた。何か得るところはあったか」
「あった」
 薙風は右目をつぶり、そして続けた。
「ようやくわかった、魔飢憑緋をコントロールするときに影響を与える感情」
「何なんだ、それは」
「恐怖……だとよ」
 答えたのは助手席に腰をおろす桂原だった。
「オレが薙風から聞いた話を総合するとそんな感じになるかな。使用者を呪縛する魔剣でもよくあるパターンだ。担い手のある特定の感情が現時点の感情の中で最も強くなった時に、その肉体を奪われる。
 魔飢憑緋が必要とする感情は恐怖だ。操っている時に恐怖が最も強い感情となると肉体の支配権を奪われる」
「恐怖が引き金となるとは最悪だな」
 柴崎はそれを聞いて思わず舌打ちをもらさずにはいられなかった。
 薙風は元々戦いには向かない人種だ。
 薙風の家は魔剣御三家の中位に属する家で、薙風の里というところに薙風の一族は住んでいる。
 彼らはその里を魔術結社に保護してもらう代わりに毎年十人の魔剣士を魔術結社に献上している。
 献上された者たちは最低五年は魔術結社に奉公をしなくてはならない。
 魔飢憑緋の里の、龍の巫女の家系であった薙風もその五人に含まれていた。
 保有する能力とは相反して、薙風は優しい性格をしていた。
 子供が本当に大好きで、小さな子と遊ぶのが最大の幸せと感じるような女性だ。
 須藤数騎に優しいのも、彼の中に何か危うい幼さを感じているからだろう。
 だが、彼女は魔術結社の尖兵だ。
 金で雇われた彼女は、魔術結社の命令に隷属しなくてはならない。
 これが柴崎や桂原なら話は違ってくる。
 彼らは金で動く傭兵のようなものだ。
 自分の命は金で買えると割り切ってしまっている一種の異常者。
 金をもらって軍人をやるような人間は、少しくらいはそういう部分を持ち合わせているだろう。
 それを持たないものは、決して自ら軍役に就こうとすらしないはずだ。
 もしくは糧を得るため、生きていくためにはそれ以外に選択肢がない場合くらいだ。
 柴崎は自らの理想のために、桂原はその高い給料と自分の力の生かす場所を求めて、命を失う可能性の高い魔術結社の尖兵をしている。
 須藤数騎もそのようなものをもちあわせていた。
 彼には他に生活基盤が存在しないため、下手をすると巻き込まれて死にかねない状況下に踏ん張っている。
 家に帰って苦渋をなめるよりは、死ぬかもしれないけど心地よいこの美坂町を彼は選んだのだ。
 だが薙風は違う。
 柴崎たちを傭兵や志願兵と例えるなら、彼女は兵役で無理矢理ひっぱってこられた兵卒だ。
 士気も低く、命も惜しむ。
 問題は能力が高すぎるところだ。
 やる気もないのに仕事ができるせいで、彼女はあろうことかランページ・ファントムなどというありがたくない精鋭部隊に編入させられてしまったのだ。
 そして薙風は依存した、自らの持つ魔剣、魔飢憑緋に。
 魔飢憑緋は有能な接近戦用の魔剣として知られているが、その実、生還することに特別特化した魔剣であった。
 あらゆる物理的な攻撃は魔飢憑緋の与える敏捷性で回避し、かわしきれない高速で繰り出される下級の呪文は魔飢憑緋の刀身が盾となる。
 いざという時に生還が可能、これだけが薙風の心を支えていた。
 だが、戦いになると薙風の心は常に恐怖に支配される。
 故に薙風はその全霊をもって魔飢憑緋の力を押さえ込みながら戦うのだ。
 そのため、薙風の戦闘可能時間は極端に短い。
 しかし、それでも高い実力は陰らず、九の亡霊(ナイン・ファントム)の薙風朔夜と裏の人間からはよく知られている。
「まぁ、薙風の問題は自身で解決するしか策が無い。オレは頑張れとだけ言っておこう」
 そう言って桂原が話題を打ち切った。
 これから死闘を繰り広げるというのに、薙風のやる気をそぐわけにはいかなかったからだ。
 と、そこで柴崎が気付いたように口を開いた。
「そういえば桂原」
「なんだ」
「聞いた話だが、最近昇進したんだってな」
「耳が早いな」
「二階堂経由だ」
「どうりで」
 楽しそうに、桂原は鼻をならした。
 二階堂という人間の情報収集力は桂原もよく知っている。
 ワンマンアーミーである柴崎が、薙風を置いてきても二階堂だけは連れて歩いているのにはそれなりの理由があるわけだ。
「で、どれくらい昇進したんだ。七くらいか?」
「一だ」
「なんと、一の亡霊(ファーストファントム)だと!」
「二月くらかな、ヴラドたちとの戦闘でアルカナムから能力が認められたんだ。晴れて最大放出五十になったわけだ」
「そこまでの実力をつけたのか、すごいな」
 最大放出五十。
 それは通常の人間が扱いうる限界の輝光操作量だ。
 そも、輝光というのはいくら内部に蓄積があっても一度に放出できる量は限られてしまっている。
 この放出量の多さが文字通り異能者の強さでもあると言われるほどだ。
 通常の魔術師たちはせいぜい五も出せれば一人前で、二十も出せたら熟練の魔術師と呼ばれる。
 三十など、よほどエリート教育を受けたほんの一握りにのみ許された数値だ。
 魔剣士の最大放出となるともっと低い。
 柴崎の切り札、刻銃聖歌ですら二十なのだ。
 それに引き換え桂原の輝光最大出力は五十、一体どれほどの実力なのだろう。
「だが十五も放出力をどうやって引き上げたんだ。お前の放出力は三十五だったはずだ」
「教えねぇよ、お前経由で誰かにばれたらオレの首が危ねぇ」
「まぁ、当然だな」
 答える桂原は別段、気にした様子でもなかった。
 身内同士でも自分のカードを見せる義務などないからだ。
「あぁ、ところで」
 柴崎はちらりと桂原の方に視線を向けて声をかけるが、次の瞬間その言葉の続きをかみ殺した。
「なんと……」
 どれほどの時間、目を離していたというのだろう。
「何が起こった?」
 思わず独り言が漏れる。
 それはそうだろう。
 なぜって、助手席に数秒前まで座っていた人間が消えてしまったのなら、誰だって驚くというものだろう。
 柴崎は動揺しながらも事故だけは起こさないように慎重に周囲に気を配りながら後部座席の薙風に声をかけた。
「薙風、何があったか見ていたか?」
 声はジープの速度にあわせて後ろに流れる。
 しかし、薙風からの返答は無い。
「おい、薙風!」
 声を大きくする。
 しかし、やはり返事はない。
「薙……風……?」
 口にしながらバックミラーに目をやる。
 しかし、後部座席に薙風の姿は無かった。
「ばかな、二人同時にだと。一体何をされたの……まさかな」
 されたのだ、と最後まで言わなかったのはすぐに理由が思いついたからだ。
「限定異層空間の使い手がいるとでもいうのか、信じられん」
 限定異層空間、それは決闘用に開発された特別な異層空間展開技術だ。
 外部から人間を侵入させないために単一の鏡しか出入りに使えないという高等技術。
 次元の属性を持つ魔道師でも、一握りしか操れない代物だ。
「ちぃ、どうする」
 救出すべき対象が一つから二つに増えてしまった。
 屋敷の綱野麻夜と、限定異層空間に取り込まれた桂原と薙風。
 どちらの救出に向かうべきか。
 まず死亡率としては綱野麻夜が比較的高めと言える。
 本来の実力がどの程度かは知らないが、どちらにしても極大封印を施されてろくに戦えないだろう。
 反対に薙風と桂原についてその心配はあまり大きくは無い。
 正直言って二人とも自分と同等、いやそれ以上の実力者だ。
 だが、相手がわからない。
 綱野麻夜の敵は一対一で五分といった予測を立てている。
 だが、桂原たちの敵は未知数。
 その上、数もわからない。
「いや、数は関係ないか」
 限定異層空間はある酔狂な魔道師が決闘用に編み出した術式だ。
 一対一でしか戦えないように作られている。
 よほどの天才でもない限り、それの改良は不可能だろう。
「決定だな」
 アクセルを踏み込む。
 限定異層空間では外からの干渉はきわめて難しく、異層空間構築術式を熟知していない人間には機軸の鏡を発見しても手も足もでない。
 だが、綱野麻夜の救出ならばこちらも策がある。
 本来なら数をとる柴崎だが、二兎を追うよりは一兎を追う。
 そう決定を下し、柴崎は全速力で屋敷を目指しジープを疾駆させた。
「すまない……朔夜」
 そう一言口にすることだけが、柴崎に許された唯一のわがままだった。






「オレだけか、妙だな」
 ジープに深く腰をおろしながら、桂原は周囲を見回した。
 そこは反転し、止まった世界。
 周囲には多くの車が停止していて、だが運転席に座るものは誰一人としていない。
「さて、敵さんはどちらさまで?」
 助手席から立ち上がり、周囲を見回す。
 どこからどのような襲撃があるのか警戒しながら周囲に視線を走らせていたが、それは無意味な行為だった。
 そう、その男はゆっくりとした足取りで真正面からやってきたのだ。
「小僧、久しぶりだな」
「なんだ、この間のじいさんじゃないか」
 そう、桂原の前に姿を現したのはヴラドたちとの戦いの折に桂原と交戦した老騎士だった。
 まだプレートメイルが作り出されていない頃の装備、鎖帷子にマントと中世後期の騎士に比べれば軽装な出で立ちをしている。
「借りを返しに来たぞ。今度こそ、そのそっ首もらいうける」
 停止した車をすり抜けながら近づいてくる老騎士。
 そんな老騎士を見据え、桂原は嘲笑とともに口を開く。
「せっかく拾った命を捨てに来たわけか?」
「ほざけ、どちらが命を拾ったかすぐに思い知らせてやる」
「まぁいいや、始めよう。正直言ってあんたって好みじゃないんだ。だってピチピチしてないんだからさ」
 そう言うと、桂原は懐から一冊の本を取り出した。
「さてさて、おいでませませ私の御本」
 歌うように囁き、桂原はページをめくる。
 そして、たった一言つぶやいた。
「世界(ワールド)」






 横薙ぎの剣閃を疾風とするなら、振り下ろされる剛剣はまさに鉄槌か。
 技量と腕力のぶつかり合いに、周囲の空気が緊張をはらむ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
 息を乱しながらも後方に飛び、体勢を立て直す薙風。
 そんな薙風が呼気を整える時間を奪うべく、獣毛で肉体を覆われた女性が薙風に飛び掛った。
 戦場は桂原が老騎士と戦っているのと全く同じ、しかしそことはまた違った世界に存在するジープのすぐ側。
 停車した車の天井を足場にしながら、薙風と獣と見紛う女性は激突し合っていた。
「あの時の、獣憑き?」
 思わず口にしながらも、薙風はその熾烈な連撃を受け止めた。
 獣憑きの女性が手にするのは刀身の短い短剣。
 しかし、具現した輝光を刀身の延長とし、長剣と姿を変えるその魔剣は薙風の魔飢憑緋と真っ向から剣撃を交わしていた。
「んっ!」
 踏ん張り、一気に足の力を解放させると薙風は後方に、後ろを向きながらとは思えないほどの速さで跳躍を繰り返し、獣憑きの女から大きく距離をとった。
 ようやく一時、呼吸を整える時間が与えられた。
 思えばこの三十秒は無呼吸で戦っていた。
 それはそうだ、鏡内界に放り投げられた瞬間に奇襲を受けたのだ。
 だが解せない。
 それならば何故、桂原も柴崎もそばにいないのか。
 だが、相手はとても答えてくれそうにはない。
 なぜならあの女は、
「魔剣士にして獣憑き」
 そう、本来なら両立は非常に困難とされる魔剣士と獣憑きの二束わらじを履きこなす異能者なのだ。
 名はブラバッキー、薙風朔夜の実力を持ってして、一度は取り逃がしたこともあるほどの能力者なのだ。
 しかも前回は逃げの一手だったので能力などまるでわかっていない。
 薙風は魔飢憑緋をブラバッキーに向かって構えながら、相手の出方を待つ。
「さすがは魔飢憑緋の魔剣士、やるじゃない」
 獣のうなりと共に、ブラバッキーの口から声が漏れた。
 車の上に立ち、真正面から薙風を睨みつけるブラバッキーはその金髪をうっとうしそうに書き上げながら話を続けた。
「三月の戦いでは不覚をとったね、あんたたちも相当強かったけど、まぁ私たちの敵じゃないってことかしらね」
「不覚……」
 三月の戦い、それはヴラド・メイザースの一味が界裂の起動に失敗した事件の中での戦いだ。
 ブラバッキーの陽動に引っかかった薙風はカラスアゲハの奇襲により、自由を奪われ人質にされてしまっている。
「魔剣士と獣憑きならそう相性も悪くないでしょ、楽しくやりましょうよ」
「楽しくなんてない」
 そう、戦うのなんて怖いだけだ。
 恐怖に怯えながらも、体を震わせることだけはせず、薙風はブラバッキーを睨みつける。
 こちらが恐怖していることを悟られることは、こちらの死亡率を高める行為にしかならない。
 薙風は今のうちに自分と敵の戦力を整理した。
 自分の武器は速度と紅鉄の魔剣、魔飢憑緋による対輝光能力に達人クラスの剣術だ。
 ブラバッキーは獣憑きの持つパワーとスピード、そして手にする魔剣だ。
 聞いた話ではグレゴリオには及ばないものの、相当な威力を持つ攻撃系魔剣だという。
 魔飢憑緋で打ち消しきれるか自身は持てない。
 魔飢憑緋を過剰に信頼しすぎて打ち消し前提で攻撃を仕掛けては体勢が崩れたところで魔剣を使われ、防げないとあっては笑い話にもならない。
 だからこそ放出系魔剣の射程外である超至近距離における戦闘を展開した。
 だがはっきり言って分が悪い。
 魔飢憑緋の本来の特性は撤退にあった。
 魔飢憑緋は操者を生き残らせることに特化している。
 異常なまでの瞬発力、迎撃力に特化した紅鉄の刀身。
 しかし攻撃能力となると少々見劣りすることになる。
 何せ斬撃しか方法がないのだ。
 常人の戦闘ならば問題は無いかもしれないが、魔剣士同士の戦いでは選択肢の幅が狭すぎる。
 それ以外の方法を用いるには不安がつきまとう、薙風はいまだに戦いの恐怖を克服できてはいないのだ。
「さて、可哀想だけどそろそろ決めちゃおうかしら。かわいい巫女さん」
「褒めてもらっても嬉しくない」
 そう薙風が答えた直後、ブラバッキーは薙風に向かって跳躍した。
 獣のうなり声を上げながら、ブラバッキーは輝光の刀身を持つ魔剣、爪刃を振るう。
 薙風は真っ向からぶつかり合うのではなく、敵の剣撃を受け流す戦法に切り替えた。
 下がり、交わし、流す。
 卓越なる技術を持って始めて可能となる防御戦法だ。
 だが、あくまで防御戦でしかない。
 体力と腕力で上回るブラバッキーは、むしろその防御戦を誘っているように見えた。
 体力が無くなれば薙風の敗北は必至、ならばそれまでに起死回生の手段に出るはず。
 それを誘い出し、より有利な形での決着をブラバッキーは望んでいた。
 しかし、攻撃を受け流されるブラバッキーの方にとっても必ずしも安全とは言いがたかった。
 腕力では劣るものの、脚力で上回る魔飢憑緋の魔剣士は、一瞬の油断を突いてその刃をこの肉体に走らせるだろう。
 何しろ敵の刀は紅鉄で出来ている。
 通常の金属で切り裂かれるよりもダメージは大きくなってしまうのだ。
 ならば。
 ブラバッキーは剣撃を繰り返し薙風に叩き込みながら契機を見計らう。
 そして、薙風がほんのわずか体勢を崩した瞬間を捉え、その力を解放した。
「爪刃!」
 口にされた呪文は魔剣の起動を引き起こした。
 刀身から迸る輝光による破壊が、薙風の体に襲い掛かる。
 はずだった。
 しかし、魔剣を起動させるまでの一瞬の隙を突いて薙風ははるか後方まで飛びのいていた。
 結果、爪刃の輝光弾はアスファルトの地面をえぐり、大きな穴を開けたにすぎなかった。
 そう、薙風は体勢など崩してはいなかった。
 崩したように見せかけ誘いをかけていただけだったのだ。
 これは両者の誤算が生んだ結果だった。
 ブラバッキーは爪刃の攻撃を防御させるつもりだった。
 防御には輝光に強い紅鉄の刃を必要とする。
 そうすれば薙風は、爪刃の攻撃のために魔飢憑緋を自分の眼前に固定せざるを得なくなる。
 ブラバッキーはそこをつくつもりだった。
 薙風はわざと体勢を崩したように見せかけて攻撃を誘った、もちろん魔剣の起動ではなく通常の斬撃をだ。
 薙風は巫女装束の袴というものを利用した陽動を試みていたのだ。
 袴はひらひらと足を覆い、その足運びを敵に悟らせない力を持つ。
 そして、袴で足を隠せば体勢を崩しているように見せかけることも非常に容易なのだ。
 薙風は体勢を崩してなどいなかった。
 崩したように見せかけ、攻撃を繰り出されたところでブラバッキーの側面に回りこみ、勝負を決めるつもりだったのだ。
 距離を置き、二人は再び睨み合う。
 不利なのはやはり薙風だ。
 輝光を消耗したとは言え、消耗戦ならば体力の多いブラバッキーに軍配が上がる。
 それに引き換え薙風は、体勢をわざと崩した陽動という貴重な奇策をブラバッキーに知られてしまったのだ。
 恐らく同じ手は二度と使えないだろう。
「へぇ、袴って怖いわね。爪刃使ってなかったらやられてたところだわ」
 車の天井に乗っているブラバッキーは、右足で車の天井をへこませるように踏みつけながら薙風の瞳を見据える。
「本気で行くわ、今までよりももっとね」
 他にどのような奇策が潜んでいるかわからない。
 ならば一見確実に見える持久戦よりは、圧倒的なパワーで戦局を決定付けるが得策か。
 そう考えいたったブラバッキーは叫ぶようにしてその力を解放させた。
 膨張する筋肉に服がちぎれ飛び、増加する体重のせいで足場にしていた車が情けない音を立てて潰れる。
 吐く息には煙のようなものが混じり、うなり声は地を揺らすがごとく。
 増幅した筋肉にはやわな刃くらいならはじき返す獣毛が生え始め、彼女の姿は人間というより熊のそれに酷似したものであった。
 そして、熊の獣人ブラバッキーはその最強戦闘形態を薙風にさらした。
「行くわよ、お嬢ちゃん。これでお終いね」
 前傾姿勢をとり、薙風に飛び込もうとするブラバッキー。
 そんなブラバッキーを前にして、薙風は静かに両目を閉じる。
「そう、お終い」
 心を落ち着かせるために一呼吸置き、薙風は続けた。
「私の時間は」
 そして、その魔剣の力が解放された。






「さ〜て、どこかなどこかな〜」
 時間は柴崎たちが探偵事務所を飛び出す少し前に遡る。
 メイド服を着込み、箒を片手に鼻歌を歌いながら、、麻夜は仕事をサボって結界の基点を捜し屋敷の廊下を歩いていた。
 現在のところ、探し出した基点の数は三つ。
 結界を砕くにはあと二つ結界を探し出す必要がある。
「あと何日かかるのかな〜」
 正直、敵地であるというのに麻夜は結構楽しんで行動をしていた。
 仕事はかったるいが、いつも数騎という男としか会話を交わしていなかったので、女性しかいない中で女性とのみ会話を交わすというのもなかなか乙なものであった。
 数騎とは気兼ねなく会話できるが、所詮数騎は男。
 女である麻夜としては話せない会話の内容もあるというものだ。
 その点、この屋敷の女性達とはそのような話を気兼ねなくできる。
 それに智美という仲のよい友達まで出来たのだ。
 正直言って、仕事を忘れてこのまま屋敷に居続けたいと思ったこともある。
 と、麻夜は表情を硬くした。
 突然、空中に漂っていた輝光の流れが濃密に変化していったからだ。
「へぇ、この近くに基点があるんだ」
 大体の場所さえわかればあとの捜索はいとも簡単だ。
 だが、時間が一刻を争う際には致命的なダメージとなる。
 結界破壊の段取りを容易にするべく、麻夜は結界の基点の正確な場所を探し始めた。
 どうやら廊下から見て外、つまり屋敷の庭に基点があるらしい。
 麻夜は左右に視線を走らせ、誰も見ていないことを確認すると、窓を開き、身につけているメイド服のスカートをなびかせながら窓の外に躍り出た。
「さてさて、あっちかしら」
 芝生が生い茂る中、麻夜はゆっくりと茂みに向かって歩き出す。
 いくつかの茂みを探った後、麻夜はようやく茂みの下の地面に埋められた鏡を発見した。
 しゃがみこんだ姿勢で探索をしていた麻夜は、鏡を埋められていた場所に戻すと、しっかりと上から土をかぶせて一目見ただけでは掘り返したことがわからないように細工した。
「基点確認」
 どうやらこの屋敷に仕掛けられている結界は鏡を基点としているらしい。
 鏡は魔術師達が異層空間を展開するのに用いることからも、擬似的な世界、もしくは世界の法則に干渉する結界の基点にするのに都合がいいらしい。
「これで四つめか、後一つ見つけたらこの屋敷ともおさらばね」
 そう言って立ち上がる麻夜。
 泥のついた手を見つめ、洗わないとなぁと一人ごとを言おうとしてその気配に気付いた。
 顔を上げる。
 麻夜の視線の先には屋敷の二階にある、メイドたちの寝室の窓があった。
 もちろん、麻夜たちの寝室とは場所が違う。
 もしも同じだとしたら、麻夜がそばにある基点に気付くまでに時間がかかりすぎていることになる。
 窓を見つめながら、麻夜は眉をひそめて悩んでしまった。
 さて、どうしたことか。
 とりあえず微妙な事態が起こっている。
 そう、なにがどうなったわけでもない。
 ただ、誰も居ないはずのメイド室に変な男が一人忍び込んでいるに過ぎない。
 あの部屋のメイドは今が仕事の時間のはずであったからだ。
「はず、ね……」
 確証は無いが、見過ごすのも寝心地が悪くなる。
 なんたって、メイド室の窓から一瞬見えたその男の姿は、何を隠そう赤志野の道楽息子のものであった。
「何やってんだか」
 まさかメイドたちの下着でも漁っているわけでもあるまい。
「どちらにしても追い出してさしあげましょうかね」
 そう言って歩き出そうとしたその時だ。
 麻夜は耳を疑った。
 だが、確かに聞いた。
 だが、確かに耳に入った。
 その声が。
 聞きなれた、でも一度しか聞いたことの無いその声色。
 何が起こっているのかは理由は知らないが予測はできる。
 ならば取りうる行動は、
「んっ……!」
 声は出さず、されど下腹部には炸裂弾でも打ち込んだかのような振動。
 腹に力を入れ、まっしぐらに屋敷の壁に向かって走り出すと、麻夜は屋敷の突起物を利用して瞬く間にメイド室の窓枠に手をかけ、そして中を覗いた。
 見たくない光景が見えた。
 聞こえてきた声が連想させるにピッタリの光景だった。
 聞こえてきた声は嬌声。
 女の喘ぎ声だ。
 そしてその声は、麻夜の友人である智美のものだった。
 憶測が確証にかわり、麻夜の目にギラギラと怒りが迸る。
 だってそう。
 自分にとって大切な友人が、あのいけ好かない男にベッドに押し倒されているのを見て、黙って引き下がれというのが無理な話だ。
 麻夜は腕の筋肉を膨張させ、窓枠の最上部まで登り振り子の原理を利用して体を後方に引くと、反動を利用し、両足で窓ガラスを叩き割った。
 ガラスの破砕音に周囲の空気が凍りついた。
 光に反射し、綺麗な輝きを見せつけながらガラスの破片が全て床に落ちると、その後に続いて麻夜が地面に降り立った。
「ひっ……」
 ズボンを脱ぎ捨て、いきり立った自分の男根の形をはっきりと見せ付けているトランクス姿の道楽息子、賢太郎は怯えた表情で麻夜に振り返った。
 道楽息子の体の下には、組み敷かれ、メイド服を脱がされかけている智美の姿があった。
「な、な、何してるんだ、窓なんか割りやがって。どうなるかわかってんのか!」
 麻夜の登場に驚きながらも、賢太郎は威圧感をこめた口調で言った。
 麻夜はその言葉に何一つ答えようとはせず、無言で賢太郎に近づいていく。
「な、なんだよ」
 表情が無い麻夜に怯え、賢太郎が尋ねる。
 その瞬間だ。
 麻夜の左腕が閃光のように迸ったかと思うと、賢太郎は支えを失ってベッドから転げ落ち、地面に倒れこんだ。
 麻夜は体術の、とくに拳闘の達人であった。
 左腕から繰り出された拳は、目にもとまらぬ速度で賢太郎に襲い掛かり、そのあごに的中して賢太郎の意識を刈り取ったのだ。
 麻夜は賢太郎のことなど意にも介さず、ベッドに乗って智美の側まで近づいていった。
「智美ちゃん、大丈夫?」
 麻夜は尋ね、そして見た。
 智美は両目から涙を流していた。
「かわいそうに、もう大丈夫だからね」
 そう言って智美を抱きしめる。
 そして、事態が予想よりもおかしな方向に進んでいることに気がついた。
 赤く染まった頬、荒い息、そしてその恍惚とした表情は、智美が発情していることを麻夜に気付かせたからだ。
「綱野、さん……」
 搾り出すように言うと、智美は麻夜を強く抱きしめ返す。
 そして、麻夜の首元に口を近づけると、舌を這わせ、流れていた汗をなめ取った。
「切なくて……苦しいんです。麻夜さぁん……」
 さらに強く抱きしめると、智美は麻夜の太ももに自分の股間を密着させ、リズミカルにこすりつけてきた。
 麻夜は困惑してその行為を受け入れていたが、すぐに我に返るとすがりつく智美を突き放した。
「智美ちゃん?」
「あぁ、いやです。いかないでください……」
 再び麻夜を抱きしめようとする智美。
 捕まるまいと、麻夜は素早く智美から距離をとった。
「あぁ、ひどいです。賢太郎さんを気絶させたっていうのに、私にしてくれないんですか?」
 泣きながらそう言うと、智美は自分の手を下着の中に滑り込ませた。
「ん、あっ、はぁん」
 発情した雌の口から漏れる独特の喘ぎが、部屋の中に響き渡る。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 おかしい。
 ばらばらの破片を紡ぎ合わせる。
 この屋敷で起こっていることはおかしいことが多すぎる。
 断片を積み重ね、一枚の絵として構築する。
 なら、この事態は……
「そうよ!」
 思わず声に出してしまう。
 ようやく全てが繋がった。
 ようやくこの屋敷のことが理解できた。
 なら実行することは一つしかない。
「でもその前に」
 麻夜は素早く智美に接近すると、智美が麻夜に顔を向けるよりも早く、智美の後頭部を殴打した。
 意識を奪いたいなら、後頭部が一番だ。
 その一撃に意識を失い智美はベッドの上で動かなくなった。
 麻夜は急いで智美の衣服を綺麗に整えると、強靭な脚力を爆発させ、窓まで走り、一刻を争うようにして窓から飛び降りた。
 着地の衝撃音を殺そうともせず、麻夜はそのまま速度を上昇させると結界の基点の一つである鏡に向かって駆け出した。
 破砕音が響き、上り始めた月の光が砕け散った鏡の破片に反射して輝いて見せる。
 そう、地面に埋めてあった鏡を掘り起こす手間を麻夜は省いた。
 得物を、地面に浅く埋めておいた鏡に投擲したのだ。
 鏡を固定した木製の枠には漆黒の刃が突き立っている。
 そう、それは麻夜が携帯していた絶鋼剣であった。
「まず一つ……」
 麻夜がそう口にした瞬間だった。
 空気が震えたかと思うと、頭上の空が歪にゆがみ、まるで波一つ立たない池の中に小石でも投げ込んだかのように空間に波紋が走る。
「結界が……揺らいだ?」
 自身の輝光ではなく土地の気脈に頼るタイプの結界は供給源を立たれるとこのような反応を起こす。
 すぐに気を取り直し、麻夜はその場から爆ぜるように走り出した。
 結界の基点を砕いたことにより、自分の存在を敵に知らせてしまった。
 こうあってはもはや全ての結界の基点を砕くより選択肢が残されていない。
 不安要素はもちろんある、まだ結界の基点は一つ発見していないところがある。
 それでも結界の基点に手を出したのはわけがあった。
「それにしても、なんてえげつない結界なの……」
 毒づきながら、麻夜はメイド服のひらひらしたスカートをなびかせながら庭を疾走していた。
 今まで発見した結界の基点は全て庭の地面に埋められていた。
 それを根こそぎ破壊するために麻夜は全速力で庭を移動しているのである。
 そもそも、麻夜が結界に手を出したのは結界の能力を完全に理解したからだった。
 結界の能力は精神操作系。
 恐らく長時間その結界の中にいることである一つの感情を抗することの出来なくなるほど高める類のものなのだろう。
 そして、それは性欲という感情であった。
 麻夜はようやく理解した。
 いくら金持ちとは言え、なぜこれほどの高額で百に近いメイドを雇うなどということをしていたのか。
 理由は簡単だ、元が取れるからだろう。
 一定時間この結界の中にいれば性欲が高まり、自分ではどうすることも出来なくなるだろう。
 女なら必ず男を求めるようになり、男はその逆になる。
 そして男を受け入れることを拒まない女たちを娼婦とし、男に売って金とする。
 自分が屋敷で見聞きしたことを総合すると、そうなる確率が最も高かった。
 そして、おそらくはその一定時間というのは一ヶ月くらいだろう。
 それだけの時間をかければ、性欲だけでなく洗脳という形で自分達の思い通りにあやつることもできるようになるだろうし、記憶の消去とてこれだけの結界使いなら難しくはないはずだ。
「どおりで体が火照ると思ったら」
 正直、毎晩体が火照って麻夜は寝不足だった。
「寝不足は美貌の敵だってのに、ただじゃすまさないわ」
 口にしながら、麻夜は掘り出す時間も惜しいとばかりにスカートの中から絶鋼剣を取り出すと、地面にめがけて剣を投擲する。
 けたたましい音と共に剣は地面に食い込み、土の中に埋められていた鏡を粉砕した。
「二つ、これで少しは平気になったかしらね」
 喋りながらも三つ目の鏡の場所へ向かって走り出す麻夜。
 それに合わせるかのように、屋敷内の結界は揺らぎ、その能力を低下させはじめた。
 麻夜が基点に手を出したのはこれが理由だった。
 恐らく智美はあと少しで一ヶ月が経ち結界の罠に落ちる寸前だったのだろう。
 男なしではいられなくなり始めていた智美を救うにはこの結界の力を弱めるしかない。
 そして、智美を助けるために麻夜は全ての基点を探し出していない状態で、顔も分からない結界使いに勝負を挑んだのだった。
「三つ!」
 風を切る音の直後に鏡の破砕音が響く。
 三度結界が揺らぎ、自分にものしかかり続けていた結界の重圧が軽くなっていくのが感じられる。
 そろそろ敵も結界を破壊して回っている自分に気づき始める頃だろう。
 そう考えながら庭を走り続けていると、案の定麻夜の目の前に行く手を遮るものが現れた。
 それは全身を糸で構成された奇妙な人型の人形だった。
 まるで鞠のように凝縮されて固まった糸の人形は、自分の体を構成する糸をほぐし、バラけた糸を麻夜に向かって繰り出してきた。
 数十の銀色に輝く糸が、空中で蛇のごとくのたうち、麻夜に襲い掛かった。
 もちろんのこと、麻夜はその糸をただの糸だと考えるはずもない。
 麻夜は地面がえぐれるほどの怪力を発し、すさまじい脚力を持って右へと回避行動をとった。
 直後、裁断音とともに麻夜の立っていた地面に生えていた草がスパスパと切り裂かれて宙に舞い上がった。
「斬糸? 面倒ね……」
 口にし怯むのもつかの間、麻夜は決意を新たに糸の怪物に向かって突進して行った。
 糸の怪物はあわてて攻撃に使用した斬糸を指で操り、慣性を利用して流れるように麻夜に対する迎撃に用いた。
 繰り出される斬糸はまさに網。
 わずかな隙間しかない網は、空気を通過させ獲物だけを捕らえる地獄の門そのもの。
 しかしその斬糸を門に例えるなら、麻夜は門の通行許可書を必要としない門番であったのだろう。
 わずかな、そして人間がぎりぎり通過できる隙間を見つけると、麻夜は自身が切り裂かれる恐れを一片も抱くことなくそこに飛び込み、網の隙間を縫う水のごとく糸の怪物に迫った。
 もちろん、飛び道具というものは近づけば近づくほど命中率を高めるため、糸の怪物に近づくことは糸の迎撃が激しくなることと同意である。
 しかし、麻夜の手に握り締められる絶鋼剣がその糸を近づくそばから切り裂いていった。
 元からある隙間をかいくぐり、なければ自分で作り出す。
 さらにその接近する速度は人間のそれというよりも肉食獣の速度に酷似していた。
 常識ではありえないほどの脚力と反応速度を持って糸の怪物に肉薄した麻夜は、手にしていた絶鋼剣で糸の怪物を完膚なきまで叩き切った。
 横、袈裟、縦、あらゆる方向からあらゆる角度で、二度と糸による攻撃が出来ないように、麻夜は入念に、それも秒数が二桁かからぬ時間しか消耗しないでその糸の怪物を使い物にならなくしてしまった。
 糸の怪物が動かなくなるのを確認した直後、麻夜は、真後ろの地面に向かって絶鋼剣を投擲、四つ目の基点を破壊した。
「さぁ〜て、ここから先は場所がわかんないってのに。困ったわねぇ」
 果たして本当に困り果てているのかわからないような微笑を浮かべながら口にする。
 麻夜の頬には冷や汗が流れていた。
 それもそうだろう。
 戦局を覆すジョーカーを持たないこの状況下において、快勝できた相手とは言え、さらに数十の糸の怪物に周囲を囲まれては正直生きた心地はしない。
 そう、麻夜はいつの間に現れた糸の怪人たちに包囲されていた。
 逃げ場のないこの状況。
 しかし、麻夜は不敵に笑みを浮かべる。
「でもまぁ、智美ちゃんは助かったんだし。最悪ってわけでもないわね」
 そう、四つ目の基点の破壊によって自身にかかる重圧が拍子抜けるほどになくなっていた。
 というか完全に消え去っていた。
 おそらく最後の確認できなかった基点が本体で、それ以外は単に本体の増幅用にすぎなかったのだろう。
 きっと本体には術式しか存在していないはずだ、車で例えるなら術式はエンジン、増幅用の基点はガソリンだ。
 最初はその二つがセットになっているのが五つ存在していると思ったが、確かに強力な結界を張るなら基点ごとに分業させたほうが効率がいい。
「って、考えてる場合じゃないか」
 覚悟を決め、麻夜はスカートの中から最後の絶鋼剣を引き抜いた。
 敵の数は少なくとも二十。
 麻夜が敵中突破を図ろうと糸の怪物に向かって駆け出したのと、周囲を囲む全ての怪物が自身の体を解き、糸で麻夜に襲い掛かるのは全く同時だった。






 車を降りる時は鍵を抜く。
 いくらアナログな思考回路を持つ柴崎にすらそれは常識だった。
 ジープに鍵をかけ、柴崎は目の前に広がる高圧的な壁にため息をもらす。
 まったく、これではまるで要塞だな。
 柴崎は小さく一人ごちると懐に手を伸ばし拳銃を取り出す。
 二人を失いながらも、柴崎はジープを走らせ赤志野の屋敷の門前までたどり着いていた。
 できれば庭までジープで侵入してしまいたいところではあるが、扉が閉まっているので入れない。
 問題はこの扉なのだが、全長が軽く三メートルを超えている。
 さらに周囲を囲む壁は物々しく有刺鉄線が張り巡らせ、しかも気配から察するに電流までながれているようだ。
 ならば進入はやはり扉からしかありえない。
「まぁ、私がここにいるのがバレていないわけはないな」
 そうつぶやくと、柴崎は拳銃を構え、簡易術式を唱え始めた。
「我が放つは」
 迸る輝光が銃口に収束し、
「断罪の銀!」
 濃度を増して鉄をも砕く破壊力が生み出され、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 収束した輝光が解き放たれた。
 射程こそ短いが高威力を誇る刻銃最高の魔弾は柴崎の眼前に聳え立っていた扉に食らいつきそのまま扉を爆砕した。
 術や魔剣というものは、術式によって輝光を制御し操る類のものだ。
 故にその輝光の運用によってその破壊力や射程が異なる。
 柴崎の操る刻銃はいろいろな方法を用いて輝光を打ち出すが、その中でも刻銃の威力は折り紙つきだ。
 刻銃の持つ破壊力は数値化すると二十五ほど、中位の中でも弱い部類に入る。
 だが、これが上位の異能者に恐れられる威力を持つ理由はその運用に依存する。
 そもそも、攻撃に用いる場合の輝光というのは三つの運用方法を知られる。
 点、線、面だ。
 これは有効範囲を意味しており、先に述べたものほど有効射程が狭い、短いのではなく狭いのだ。
 点、線、面をイメージしてもらえばわかりやすいが、どれが広いかが簡単に思い浮かぶはずだ。
 もちろん有効範囲が広ければ広いほど使い勝手はよく、命中率も高まる、非常に実戦的だ。
 そのため、武器として好まれるものは大抵有効範囲の高い面だが、有効範囲の広さにはそれに伴う弱点も持ち合わせる。
 範囲が広いということはその範囲全てに輝光を平均的に張り巡らせる必要がある。
 つまり有効範囲が広い術ほど元の威力が高くても低威力となる。
 これが輝光の『絶対的威力と相対的威力』と魔術師から呼ばれる事柄だ。
 効果範囲の広い格上の術に効果範囲の狭い格下の術が勝利することも、これらの説明を聞いていただければ納得できるであろう。
 そして、柴崎という魔剣士は最大放出が低いが故に点による攻撃を好む魔剣士であった。
 アゾトの剣による刀身の投擲、魔弾、そして刻銃聖歌。
 これらはすべて点による攻撃、威力は低くても格上の敵に対抗しうる魔装。
 だが欠点はある、点による攻撃は命中率に問題があり、魔飢憑緋のゾンビとの戦闘による苦戦はこの点による攻撃への偏重が原因の一端を担っていたと言えよう。
 点による攻撃を特に極めている魔弾こそが刻銃聖歌だ。
 刻銃聖歌は二十五の輝光を一転集中することによって敵の防御を突破することが可能で、敵に弾着する直前にその輝光を炸裂させるため範囲は狭いが大ダメージを与えることが出来る(一転集中したままだと貫通してしまい威力が出ない)。
 濃縮した輝光は紅鉄でさえもかき消しきれず、そのため魔飢憑緋のゾンビとの戦いではこれが勝利に貢献さえしたのだ。 
 そして、その魔弾は今屋敷にそびえる鋼鉄の扉を粉砕、柴崎に屋敷へ続く道を示したのである。
「踊ろうか、仮面舞踏の始まりだ」
 柴崎は仮面舞踏を宣言し、魔飢憑緋の能力をコピーした仮面をかぶる。
 魔飢憑緋に準ずる速度を手に入れた柴崎は穴のあいた扉に向かって走り出す。
 あまりにも広いその庭は、はじめた入ったものには迷路のようにも思えるだろうが、柴崎は迷うことなく走り続けた。
 今戦いが行われているであろう場所、それを撒き散らされる輝光の奔流を頼りに探り当てる。
 そして、そこにたどり着いた。
「なんと、桂原たちの言っていたやつらか」
 そう、そこには糸がいた。
 正確に言うならば鞠のように糸で肉体を構成された人の形をした糸が、そこにはいたのだ。
 糸の怪人は体の糸を解き、その糸を持って糸の怪人たちが取り囲んでいる女性を襲っていた。
 怪人の数は軽く十体。
 そしてそれに囲まれているのは、
「綱野女史か、間に合った!」
 柴崎はそうこぼすと、素早く刻銃に現在の状況にあった弾丸を装填する。
 芝生を掻き分け突き進む柴崎に糸の怪人たちが気付いた。
 麻夜を襲っていた糸の数本が柴崎に向けられる。
 桂原たちの情報で、柴崎はそれが切断能力を保有した糸、斬糸であることを知っている。
「あたるものか!」
 吼え、魔飢憑緋の仮面の能力を持ってその糸、ことごとくを回避しきる。
 そして、ようやく銃の射程内に糸の怪人を収めた。
「我が放つは」
 トリガーを引き絞り、
「粛清の銀翼!」
 詠唱を口にする。
「戮魔轟殲(ダークバニッシング)!」
 解き放たれるは銀の閃光。
 銃口から迸る破壊の弾丸が、糸の怪人に襲いかかる。
 糸の怪人はその弾丸をかわそうとするが、とてもではないがかわせるわけもなかった。
 なぜならその弾丸は、散弾であったから。
 これが刻銃が誇る上位三位に食い込む破壊力を持つ弾丸、戮魔轟殲だ。
 敵に向かう弾丸を途中で散弾へと変じさせる。
 威力の低下を引き起こすものの、多大な打撃を対象に与えることが出来る。
 攻撃面積を点とすることで威力を高める刻銃聖歌とは正反対の、面にすることで命中率の向上、もしくは制圧力を高めた魔弾なのだ。
 柴崎は装填してあるこの弾丸を、全て一箇所に向けて叩き込んだ。
 糸の怪人は点による攻撃には強いが、これだけの弾幕を前に無事でいられるものではない。
 体中の糸を引きちぎられ、地面に多くの糸が舞い散る。
 そして、取り囲んでいた糸の怪人の包囲網に穴が穿たれる。
「綱野さん!」
 柴崎の言葉が響き渡るよりも早く麻夜は行動をおこしていた。
 手にしていた絶鋼剣を振り回し、自分に襲い掛かろうとしている糸を断ち切りながら、麻夜は穴のあいた包囲網から脱出、柴崎と合流する。
「綱野さん、撤退します。ついてきてください!」
 そう言うと、柴崎は仮面の能力を最大限に発揮して速度を高めた。
 見る見るうちに後ろへと流れていく風景。
「っと、しまった!」
 柴崎は慌てて振り返った。
 魔飢憑緋の魔剣士は人間では到底追いつけない速度でもって移動し、それの劣化コピーとはいえ魔飢憑緋の仮面もかなりの速度を誇る。
 そんな速度に麻夜がついてこれるはずがない。
 柴崎はそう考えていた。
 が、
「なんと……」
 そう、さすがに少しは距離が開いていたものの、麻夜は全く支障なく柴崎の後を追従していた。
 柴崎は思わず戦慄を覚える。
 魔術結社の中でも、術力の恩恵を受けずにこれだけの瞬発力を持つものがどれほどいるだろうか。
 少なくとも、アルカナム並みの能力者、もしくは獣憑きでもない限りこれだけの速度はだせないだろう。
「意外とやる」
 麻夜に聞こえないようにそう一人ごちると、柴崎は糸の怪人から見えそうにない茂みの中に身を投じ、その数秒後に麻夜もそこに入ってきた。
「さて、綱野さん。作戦会議です」
「ええ、これからどういたしましょうか?」
 麻夜の声を聞き、柴崎はさらに驚かされた。
 息一つ乱さず、平然とした声で柴崎に話しかけてきたのだ。
 実は柴崎も乱すほどではないが、少々呼吸は荒くなっている。
 どれほどの体力をしているのだろう、正直底が見えない。
「そうですね、とりあえず綱野さんには屋敷から撤退してもらおうと考えています」
「何故です?」
「綱野さん、あなたは自分の仕事を十分こなしたはずです。これ以上は危険だ、撤退してください」
「イヤです」
 その言葉に、柴崎は一瞬目を点にした。
 おかしい、確かこの間事務所ではかなりやる気がないように見えたのだが。
「そうはおっしゃられても、綱野さんは確か能力を極大封印されていると聞きます。正直戦力としてはあてにならないものと思われますが」
 半分は嘘だった。
 あれだけの身体能力があれば異能者との戦闘にも耐えられはするだろう。
 だが、ここで柴崎の悪い癖がでた。
 柴崎は人の命を尊重しすぎるきらいがある。
 故に柴崎が共同戦線を張るのは基本的に自分より格上の人間とだけ、それならばどう考えても寿命は自分の方が短く、人死にが少なくて済むからだ。
 だからこそ柴崎は戦闘面では桂原や薙風といった自分よりも格上の人間と行動し、二階堂や玉西といった格下の仲間には後方支援に徹させていた。
 確かに綱野麻夜は戦力としては申し分ない。
 だが、未知数な上に能力も制限されていると聞く。
 これで死なれでもすれば柴崎にとってこれ以上にトラウマになる出来事はない。
「撤退してください、それがあなたのためです」
「申しありませんが、お断りします」
 綱野麻夜は叩きつけるように口にした。
 その目には決意の炎が灯っている。
「この結界はゲスすぎます、吐き気がする。こんなのを張り巡らせて悦に浸ってるクズはこの手で血祭りにあげないと気がすみません」
「そうは言われましても、あなたは戦力としては不十分です」
「そうですか、力不足ですか……」
 麻夜は悲しそうに目を伏せ、地面に転がっている石に手を伸ばした。
 大きさは直径十センチほどだろうか。
 柴崎の第一印象は投げられたら痛そうだな、だった。
 麻夜はその石を柴崎に見せ付けるとこう言った。
「たとえば、ここに石があります」
 そして、
「これは……」
 息を飲む。
 誰だってこれを見れば驚くだろう。
 目を取り出して洗いたくなるような心境だったが、柴崎はそれを堪えた。
 そう、麻夜が言葉を終えた瞬間、その石は麻夜の手から姿を消した。
 本当に消えたのではない、はじけ飛んだのだ。
 麻夜の異常なまでの握力に耐え切れなくなった岩は、木っ端微塵に砕け散った。
 どれほどの握力か。
 いや、実際には握力ではなく、別のところに柴崎は驚いていた。
 封印されていてこれなら、封印されていないとしたらどれほどの力を持っているのか。
 そして、その思考こそが柴崎に選択の余地を与えぬ情況を作り出した。
「これでもお力になれないのでしょうか?」
 優しくたずねる麻夜。
 柴崎は一歩も動けない、瞬きすら出来ない。
 理由は簡単だ、その右腕を麻夜の左手で握り締められていたからだ。
「なるほど、油断しました。いいでしょう、綱野さん協力をお願いします。さすがに腕を潰されたくはないものでして」
 その言葉を聞いて、麻夜はにっこりと笑顔を浮かべると、柴崎の右腕を解放したのだった。






「どうした、もう終わりか?」
 嘲笑するかのごときその言葉に、老騎士は顔を歪める。
「一対一で勝たない相手に、タイマンを張ろうとはいい度胸ではあるが、愚かだな」
 本を片手に、桂原はそう老騎士に告げた。
 二人が争いを繰り広げたそこは廃墟と化していた。
 いや、正確に言えばミサイルが一個落ちた程度の損傷と言えただろう。
 桂原と老騎士が繰り広げた戦闘により、周囲で停止している車の大半が砕け散り、原型をすでにとどめていない。
 アスファルトで舗装された道路は砕け、ところどころに穴が開いている。
 そんな中、真正面から桂原を睨みつける老騎士の顔は激しく歪んでいた。
 歪んでいるのは憎悪のせいだけではない。
 その全身に付着する夥しい血の量を見れば、苦痛に顔を歪めていることが見て取れるはずだ。
「貴様、いかなる術を用いた?」
 老騎士は両手に一振りずつ魔剣を握り締めていた。
 右手にはブラバッキーも所有している大量の輝光を敵に叩きつける魔剣『爪刃』、そして左手にはロングソードの形をした魔剣『ソードライン』が握り締められていた。
 その能力は輝光に斬撃の特性を与え、敵を切り裂く能力を持つ輝光弾を敵に叩きつけるものだ。
 威力も高く、乱打も可能だが消耗の激しい短期決戦向けの魔剣である。
 大放出で決定打となる爪刃とは同じ大量消費型ということで相性が悪いが、あえて老騎士はこの二つを選択して戦い続けてきた。
 老騎士の必勝戦術はこうだ、ソードラインによる弾幕を張って敵に反撃の隙を与えず、ソードラインで手一杯の相手に高出力の爪刃でケリをつける。
 戦闘は一瞬で終わらせる、それが老騎士の戦い方、そして今までそれで勝利を重ねたからこそ今なおこの生命は生きながらえている。
 だが、目の前の相手にはこの戦術が通用しなかった。
 理由は簡単だ、なぜか爪刃が起動しなかったから。
 目の前の男が二、三言術式を口にした瞬間、起動状態の爪刃がただの刀剣へと成り下がった、つまり機能を停止したのだ。
 そして、待っていた結果は老騎士の見逃せないほどの消耗だった。
 爪刃による必殺の一撃を繰り出そうとソードラインを酷使した結果、老騎士は相手の存命を許した状態で激しく消耗していたのだ。
「いかなる術を用いた……だと?」
 そんな疲労を隠し切れない老騎士に対し、桂原は表情に笑みをたたえながら答える。
「それを探り合うことこそがオレたちの殺し合いの本質だろう、それを敵に聞くとは何様だ」
「そうであった、確かにその通りだ」
 もとより答えなど期待してはいない。
 桂原に対峙する老騎士は、すでに覚悟を決めていた。
 空気が変わる。
 老騎士が突撃の体勢をとった。
 対する桂原も、五つの指輪をはめた右腕を前方に突き出す。
 そして、
「はぁぁぁぁ!」
 老騎士の咆哮が響き渡った。
 これ以上戦いを続けても消耗の末の敗北しかない。
 ならば逆転をかけた起死回生の策、突撃を持って敵の迎撃力を上回る攻撃を叩き込むこそが唯一の勝機。
 勝利を掴むべく、老騎士は桂原に向かって爆ぜるように突撃した。
 それに呼応するように桂原が手で印を結んだ。
 同時に桂原の周囲に円錐の氷が出現する。
 まるでドリルのような螺旋を描き、槍の穂先のごとき鋭さを持った氷の弾丸。
 桂原が指を弾いた。
 それを合図に宙に漂う氷の弾丸が老騎士に向かって襲い掛かった。
「切り裂け、ソードライン!」
 詠唱を唱え、老騎士がロングソードを振るった。
 剣閃が弧を描き、それが実態をもって桂原に迫った。
 さらに老騎士は数度ソードラインを振るった。
 幾十にも重なる剣閃が、氷弾を次々に切り裂きながら桂原に迫る。
 だが、
「ぐぅっ!」
 老騎士の右腕に氷弾が食い込んだ。
 老騎士はすぐさま左腕にソードラインを持ち替える。
「まだ!」
 すぐさま剣閃を量産し、桂原を打破しようとする。
 しかし、
「がぁっ!」
 今度は氷弾が老騎士の左腕を付け根から吹き飛ばした。
 老騎士はとっさに桂原を見た。
 予想通りだった。
 桂原は老騎士の斬撃を、恐ろしいまでに厚みを増した氷弾の壁を盾に防ぎきっていたのだ。
「まだだ!」
 老騎士はあきらめなかった。
 武器を失いながらでも桂原に向かって走り出す。
「まだ!」
 そう、まだまだだ。
 かつて潜り抜けた戦いの壮絶さはこの程度のものではなかった。
 異教徒と戦うためにあらゆるものを犠牲にした。
 生き残るために名誉を、苦痛から逃れるために仲間を、敵に見つからないために妻を、そして聖地を取り戻すために自分自身さえ。
 多くのものを失い、苦しみ、もがきながら死んでいった。
 だが、決して後悔はなかった。
 仲間達が、残った仲間達が神の土地を異教徒から奪い返してくれると信じていたからだ。
 だが、聖地は奪われていた。
 いまだに異教徒はこの世界に居座り、聖地を汚し続けている。
 異教徒の排除と聖地の奪還。
 この世界に蘇りし自身の存在は、その唯一の目的のためにある。
 故にメイザースに協力した。
 まだ終われない、目の前の敵など異教徒たちとの聖戦の前に行う前戯にすぎない。
 右腕が二の腕の辺りで千切れ飛んだ。
 大丈夫、この程度ならばまだ走れる。
 腹部に直撃を食らい内臓が後方に飛び散った。
 大丈夫、まだ両足が残っている。
 左足の付け根が千切れとんだ。
 大丈夫、まだ片足がある、飛びつくには十分すぎる。
 ひざのあたりで右脚が飛び散った。
 まだだ、このくらいでは終わらない。
 聖地を取り戻す、異教徒を殺し真実の教えを世界に示す。
 そのために私はこの世界に戻ってきた。
 たとえ胴体がなくとも、首だけで十分だ。
 目の前の男を滅殺し、私は……
 それが、老騎士の最後の思考であった。






「運がない、私と戦うことがなければお前の願いに届いたかもしれんな」
 老騎士は散り逝く間際、自分でも気付かずに自分の理想を唱え続けていた。
 それに対し、桂原は続けて言った。
「それにしても、聖地……奪回だと、いつの時代の話をしている」
 そして、桂原は目の前に散らばる老騎士であった肉片に目をやる。
 肉片は砕け散った氷の欠片と混ざり合い、冷凍状態のミンチのような様相をしている。
 それが突如、灰へと姿を変え、宙に舞い始めた。
「なるほど、転生蘇生者だったか」
 転生蘇生者、それは死霊術師の中でも特に優れた者のみが扱いうる禁術と呼ばれる術を用いて死者を蘇らせる魔の秘術。
 過去に存在した人間を蘇生させ、自らの手駒とする。
 だが、所詮それは再び与えられた仮初めのものに過ぎない。
 故に彼らが散り逝くとき、一片の例外もなく肉体の全ては灰となって消え去るのである。
 やがて、老騎士の肉体は全て灰へと変じ、それが風に巻き上げられ、老騎士の存在を示すものは彼が身に纏っていた、砕け散った鎖帷子、そして魔剣ソードラインのみが残った。
「さて、薙風はどうしているかな」
 そう言って歩き出そうとした桂原は、不意に違和感を感じて足元を見た。
 彼の履いていた靴は灰にまみれ、わずかに流れていた汗が灰と付着していやな感触を桂原に与えていた。
「なるほど、一矢報いたというわけか」
 そう、それは老騎士は絶命直前にした跳躍で桂原の足元にころがった、引きちぎられた老騎士の頭部が灰になったものだった。
 最後の最後まで桂原に向かって突き進んだ老騎士は、外傷こそ与えることができなかったものの、桂原の靴を灰まみれにするという復讐だけは達成しえたのだ。
「迷惑な男だ、これでは靴を買い換えなくてはならない。いくらしたと思っているのだ」
 そう言いながらも、桂原の顔は笑っていた。
 自分が刈り取った命、その価値が高ければ高いほど自分が打倒した相手を誇ることができる。
 自分が殺した相手を、強かったと称えてやれる。
 それこそが、他者の命を奪う欺瞞の中で、桂原が殺害対象にしてやれる最大の敬意の払い方だったのだ。
 桂原は靴についた灰を落とすことなく術を唱え始めた。
 そして、彼の前に戦いを繰り広げる二人が姿を現す。






「魔幻凶塵、轟飛」
 叩きつける輝光がブラバッキーに襲い掛かった。
 きわどいところで攻撃を回避し、ブラバッキーは大きく息を乱しながら眼前の魔剣士を睨みつけた。
 そこは先ほどまで桂原が戦っていた場所と見た目は全く同じ場所、車が密集する道路であった。
 ブラバッキーは破壊された車の上に跳び乗り、薙風の追撃を警戒する。
 薙風の魔飢憑緋の速度をもってすればブラバッキーの速度に追いつくなど実にたやすいことではあるが、輝光を消費した攻撃はそこそこの消耗もあるため、連撃を仕掛けようとはしなかった。
 薙風はゆっくりとブラバッキーの方に視線を向ける。
 その黒瞳は、ほのかに緋色に輝いていた。
 ブラバッキーは呼吸を整える。
 全身には多大な傷を負い、獣憑きの再生能力でも追いつかないだけの損傷をこうむっていた。
 形成が逆転したのはほんの数分前だ。
 突如、魔飢憑緋の魔剣士は人が変わったようにブラバッキーに攻めかかったのだ。
 剣術、体術はさきほどまでと大差はないが、そこに輝光術が加わった。
 こちらも爪刃で対抗しようと思ったが、魔飢憑緋の輝光術は威力こそ低いものの速射性に優れている。
 少ない輝光で斬撃を飛ばし、こちらに少しでも多くの刀傷を負わせるための殺傷力に優れた輝光術だ。
 おそらく輝光の威力自体は少ないので輝光による防御を試みればあっさりと防がれる類のものだろうが、輝光による防御を得意としないブラバッキーには恐ろしくやりにくい相手だ。
 先ほどの轟飛という輝光術はさらに相性が悪い。
 こちらは輝光をただ破壊力の塊として敵にぶつける類の輝光術だ、防ぐ方としてはたまったものではない。
 結局、輝光系の攻撃に弱いブラバッキーは逃げ回るしか手段がなく、全身に傷を負う結果となった。
 普段ならばこのようにはならない。
 なぜならブラバッキーには敵を圧倒するパワーと、獣憑きの誇る俊敏な機動力を持つ。
 その二つの武器で戦況を有利に動かし、トドメに爪刃を叩き込む。
 実際にこの戦術をもって敗れた相手は赤の魔術師のみだった。
 基本的にブラバッキーの戦術は自分以上に速い敵との戦闘を前提にしていない。
 たまに現れる速度に特化した異能者は大概それのために自身の能力のバランスを崩している。
 つまり速度に特化するために、何かを犠牲にしている場合が多いのだ。
 薙風もそのタイプだった、速度と剣術以外に見るものがない。
 故にブラバッキーにとってはちょっと捉えるのが難しいだけの相手だった。
 そう、『だった』のだ。
 だが、薙風が突如その魔剣の力を解放し、力押しとも言える輝光術の攻撃を仕掛けてきた。
 この瞬間、立場が入れ替わった。
 スピードとパワーを武器にするブラバッキーは、それ以上の速度とブラバッキーのパワーに押し負けない輝光術をもつ魔剣士に圧倒された。
 速度だけなら問題なく、輝光術だけなら速度をもって打倒できる。
 だが、それが一体になってしまった場合、ブラバッキーには爪刃をもってしてしか逆転のチャンスは失われてしまう。
 故にブラバッキーは傷だらけになりながらもチャンスを待ち続けているのだ。
 だが、
「魔幻凶塵、呪刻」
 緋色の刃がブラバッキーに繰り出された。
 幾十にも折り重なる緋色の斬撃が、回避する隙間もなく、ブラバッキーの肉体に迫った。
「爪刃!」
 ブラバッキーは、叫ぶように魔剣を起動させた。
 薙風はブラバッキーを仕留めるべく攻撃に集中しすぎた。
 そのため、回避行動をとる余裕がなく、しかし普通の獣憑きが相手ならそれで勝負は決まっていただろう。
 理由は単純、回避可能な方向が後方のみで、飛びのいたところで体勢を崩してしまうであろう相手には追撃のために飛び込むのが常道だからだ。
 むしろ見逃せば致命傷を与え損ねるためにむしろこちらの身が再び危険にさらされる。
 だから薙風の判断は間違ってはいない。
 追撃のために回避運動をとれない相手への連撃のための疾走は常套手段。
 相手がブラバッキーでさえなければ。
「………………!」
 目を見開き、声も出せない薙風に爪刃の高出力を誇る輝光弾が繰り出された。
 低出力の呪刻の刃たちはそのことごとくを爪刃の圧倒的に密度の前に四散していく。
「魔幻凶塵、紫纏」
 とっさに薙風は魔飢憑緋を構え、迎撃のために輝光の盾を展開した。
 敵に向かって走っている最中に急な方向転換などできないし、したところでかわしきれない。
 なら、防御するしかない。
 しかし、ブラバッキーには理解できていた。
 あの程度のひ弱な盾なら爪刃の破壊力で貫通できる。
 ブラバッキーは筋肉を膨張させた。
 爪刃の輝光弾は盾を貫通こそするものの致命傷は無理だろう、だが与えるダメージは極めて大きいはず。
 ならば爪刃の威力で薙風がダメージを受けた瞬間にダメ押しを入れる、それでこの戦いはお終いだ。
 そして、ブラバッキーの予想通り、輝光の盾は爪刃を防ぎきれず、薙風に大きなダメージを与えた。
 血に濡れ、片膝をつく薙風。
 そこにブラバッキーが襲い掛かる。
 振りかざされる爪刃に対し、薙風は対抗手段を持たない。
 そして、戦いはお終いとなった。
「なっ!」
 叩きつけられた輝光はどれほどの鉄槌か。
 胃が軋み、アバラは砕け、横転するかのように地面に叩きつけられる。
 熊の獣人は吐血しながら身を起こした。
 そして、その魔術師の姿を見た。
「貴様、アレイスターの弟子だな」
「そういうお前こそ、メイザースの弟子だろう」
 車の隙間から姿を現したのは桂原だった。
「いや、まさか薙風がそこまで追い詰められているとはな、少々意外とでも言っておこうか」
 ちらりと薙風に目をやる桂原。
 薙風は魔飢憑緋を杖代わりにゆっくりと体を起こし始めている。
「正直、貴様と真正面からやりあったらオレも骨を折るところだが、まったくいいタイミングだ。笑いが止まらないほどに隙だらけだったぞ」
 笑みを浮かべる桂原に、ブラバッキーは血にまみれた歯を軋ませる。
 あれほどの魔剣士と戦っていたのだ、周囲に気を配る余裕などあるはずはないのだ。
「さて、薙風もまだ戦えるようだ。可哀想だが二対一でやらせてもらう。多勢で小勢を撃つのは戦術のきほ……」
 ん、と続けようとする桂原の言葉は止まった。
 即座に詠唱を唱え、その一撃を防ぐことに集中した。
「魔幻凶塵、呪刻」
 無数の刃が桂原に襲い掛かった。
 桂原の肉体を切り刻むべく襲い来る斬撃。
 だが、それは桂原の展開した輝光の障壁によってことごとく防がれる。
 薙風は刀を構えた。
 血にまみれ、刃には薙風とブラバッキーの血が混ざり、紅の刀をさらに赤く染めている。
「暴走状態だと、ふざけるな! あの獣憑きを倒すチャンスだというのに」
 そこに薙風が襲い掛かってきた。
 桂原はとっさに迎撃呪文を唱えようとしたが、薙風が速い。
「魔幻凶塵、疾屠」
 吹き荒れる魔風が桂原に迫った。
 防御呪文の間に合わない桂原はその風に体を流され、はるか後方に位置していた車に体を叩きつけられた。
 全身が軋むように痛い。
 対衝撃呪文と、自身が着込んでいる対衝撃用素材で作られた服の恩恵がなければ骨の数本は持っていかれていたところだ。
 体を起こして、叩きつけられた車に体を寄りかからせ、ちらりと目をやるとブラバッキーはとっくの昔に撤退し、影も形もない。
 残るは魔飢憑緋を構える薙風のみ。
 それを見て、桂原は力なく笑った。
「やれやれ、下っ端の尻拭いは上のお仕事とはいえ、やってられんな」
 そう言うと、桂原は服の中から一冊の本を取り出した。
「世界(ワールド)」






 まず最初に聞こえてきたのは音だった。
 よく聞く音、車が道路を走り抜ける音だ。
 次は感覚が蘇った。
 どうやら自分は横になっているらしい。
 枕にしているのは妙に柔らかく、温かい温度を感じる、誰かの体だろう。
 ゆっくりと目を開く、まだぼやけた目が左右に走る光の軌跡を捉えた。
「目が覚めたか?」
 声は上から聞こえた。
 彼女、いや薙風はぼやけた瞳を上に向け、自分を見下ろしている桂原を見た。
「全く、一時はどうなるかと思ったが、まぁ無事でよかった」
 桂原はそう言うと、安心したように一息ついた。
 それで薙風はようやく状況を理解した。
 どうやら自分は道路の脇にあるベンチに寝かされているらしい、枕は桂原の太もものようで、まぁわかりやすく言えば膝枕というやつだ。
 見下ろすと白い巫女装束には一点の汚れもなく、さらにはブラバッキーにつけられた傷さえも全て治っていた。
 おそらく桂原がいろいろと頑張ってくれたのだろう。
「ごめんなさい」
「全くだな」
 暴走していたとは言え、薙風は自分の所業を記憶していた。
 それを悔やみ謝る薙風に、桂原は続けた。
「お前のせいでブラバッキーを取り逃がしたぞ、あれだけの使い手を倒せるチャンスはもう一度訪れるかどうかもわからん。まぁ、お前がいなければそのチャンスもなかったわけで文句と賞賛は五分五分なのだろうが、どうにも納得はいかん」
「ごめんなさい」
「謝るな、魔飢憑緋に関して言えばお前のせいじゃない」
「ごめんなさい」
 それでも執拗に謝罪を繰り返す薙風。
 桂原はそんな薙風の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
「もう謝るな、そういうこともある。気にするなとまでは言わんがすぎたことだ、次は善処しろ」
「ごめんなさい」
 同じ言葉を繰り返す薙風に、桂原は大きくため息をつく。
「とりあえずしばらくはこのままじっとしていろ。目覚めたとはいえ回復しきってはいないだろう。そんな状態で柴崎のところに行ったところで足手まといだからな、お前もオレも」
 薙風だけではなく、桂原も先ほどの戦いでダメージを受けていた。
 もっとも、与えられたその被害は全て薙風によるものだった。
「お前はもう戦うべきではないのかもしれないな。守護騎士団との契約が切れたら速攻で守護騎士団から離れた方がいい。お前はこっちにいるべき人間じゃない」
 その言葉に薙風は答えない。
 答えるまでもないほど、薙風にもわかりきっていることだからだ。
 桂原はタバコを吸おうとポケットに手を伸ばしたが、灰が薙風の顔に落ちるかもしれないと考えて伸ばした手を止め、代わりに頭に持っていき頭をかき始める。
 と、太ももがほんのりと温かくなった。
 最初は何事かと思ったが、薙風がわずかに震えているのを見て、すぐに薙風が泣いているのだと気がついた。
 押し殺した嗚咽、流れる涙はふとももを濡らし、桂原に魔飢憑緋の魔剣士たる少女の儚さを思い知らせる。
 その涙が桂原に迷惑をかけたことへの悔恨か、それとも戦いという行為に対する恐怖からきているものなのか、桂原に答えは見出せなかった。





























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