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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十四羽 糸線結界

第十四羽 糸線結界


「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 衝撃と同時に二つの影が屋敷の中に突入する。
 二人は屋敷の壁を外から破壊し、学校にある廊下なみの広さのカーペットで彩られた廊下にその姿を現した。
 説明するまでもなくそれは柴崎と麻夜の二人だった。
 突入と同時に麻夜は柴崎に背を向けて階段目指して駆け抜けていく。
 反対に柴崎はその場に立ち止まり、すぐにでも現れるであろう糸の怪人を迎撃すべく周囲を監視し続けていた。
 二人は結界を展開した術師を打破するために計画をたて、それを実行に移すべく別行動を選んだ。
 屋敷を拠点とし、自由に行動をとれるのは屋敷の住人である赤志野家の人間、もしくは彼らの協力を得られるものだ。
 どちらにしてもキーとなるのは赤志野の人間だ。
 そして、この家には赤志野剛太、賢太郎、次郎という三人の人間がいた。
 黒幕であろうとなかろうと、この三人の中にこの事件に絡んでいる人間がいることは間違いない。
 そして、その三人を打破、もしくは捕縛する役目を柴崎は麻夜に託す。
 短い時間とはいえ、屋敷に暮らしていた麻夜の方が人間を捜索するということにかけては数段上のはずであったからだ。
 故に柴崎の仕事は陽動。
 なにしろ糸の怪人の得物は斬糸だ、狭い空間で固まっていては隙間を見つけて回避することが難しくなる。
 小勢の戦力をさらに分散させるのは戦術としては愚劣だが、選択の回避を許さない状況ということもありえる。
 そして、刻銃とアゾトを構える柴崎の眼前に、十数体の糸の怪人が姿を現した。
「いいだろう、たっぷりと遊んでやろうじゃないか」
 すでに仮面は被っている、あとは宣言をすれば始められる。
「来るがいい、仮面舞踏のはじまりだ」
 こうして、柴崎司は仮面舞踏を宣言した。






 背後に位置する扉が開かれる音が響いても、赤志野次郎はすぐさま後ろを振り向くようなことはしなかった。
 多くの私物が散乱し、異臭ただようその部屋の中心に座り込み、暗がりの中でテレビを食い入るように見る次郎は、自分の周りで起こる出来事にはとことん無関心を通すからだ。
 だが、すさまじい足音が後ろから響いてくればさすがの次郎でさえも後ろを振り向かざるを得ない。
 すぐさま振り返る次郎。
 それと同時に肉体に衝撃が走った。
 次の瞬間、次郎の肉体は事切れたかのように崩れ落ちる。
 そして、倒れた彼のそばには綱野麻夜の姿があった。
 もちろん、部屋に突如として侵入したのは麻夜だった。
 麻夜はその高速の拳を次郎の顎に見舞い、有無を言わさずその意識を奪ったのであった。
 麻夜は倒れた次郎の襟首をつかみ、気絶した次郎の上体を持ち上げる。
 途中、ろくに風呂に入らず、着替えもしない次郎の体臭に顔をしかめながらもその臭いを嗅ぐ。
「輝光の臭いは……なしか……」
 肌で感じることも出来なくもないが、近くにいるときは臭いの方が輝光を捕らえやすい。
 もっとも、動物の中でも鼻オンチの部類に入る人間の場合、基本的には肌で感じるのが一番である。
 外界の状況を知るのにもっとも卓越した感覚は視覚だが、これで見ることのできるのは現在機能している輝光だけであり、痕跡を見るには向かない。
 それを見ることができるものもいないわけではないが、そんなのは魔眼師や邪眼師のような浄眼と呼ばれる見えないものを見ることのできる能力者だけである。
 麻夜はどちらかというと人間というよりは獣寄りの異能者だ。
 肌による輝光感知より臭いによる輝光感知の方が特化している。
 ちなみに聴覚による輝光感知はウサギのように聴覚に特化した能力をもつ獣人が得意とし痕跡は追えないが輝光を使用している敵を察知する最大射程が長く、味覚による輝光感知に特化した者は、舐める必要がある代わりにもっとも痕跡を確認することに特化しているという性質を持つ。
 麻夜がつかんでいた襟首を離すと、重力に従い次郎の体が地面に倒れた。
 それと同時に、廊下から声が飛んできた。
「そこで何をしている!」
 麻夜は素早く声の方に視線を向ける。
 そこには堂々とした体格の持ち主であるこの屋敷の主、赤志野剛太の姿があった。
「そこで何をしていると聞いているのだ!」
 麻夜はゆっくりと立ち上がり剛太を睨みつける。
 剛太が普通の人間が発する以上に強い輝光に臭いを感じ取ったからだ。
 輝光の臭いのする人間の条件は二つ、自身が輝光を使うか、輝光を使う人間のそばにいたかのどちらかだ。
「一つ質問がありますが、よろしいでしょうか」
 凛とした麻夜の声が響き渡った。
 睨み付けるように凄みを見せ付ける麻夜に、剛太はたじろぎながら聞き返した。
「な、何が聞きたいのだ?」
「この屋敷に結界を張ったのは、剛太様ですか?」
「結界? 何を言っているのだ?」
 きょとんとした顔で聞き返す剛太。
 麻夜は相手の感情の機微を読み取ることに卓越している自信はないが、剛太が本心から麻夜の質問の意図が理解できていないとわかる。
「君は私が坊主にでも見えるのか? 私はあんないもしない神を祈って金をまきあげるやつらとは違うぞ」
「違う? 嘘?」
「わけがわからんな、君は。それより何でこの部屋にいて、しかも弟が倒れているのかね?詳しく話してもらえるかな」
 それと全く同時だった。
 部屋中に、何か光を照り返す細い物体が駆け巡ったと思うと、麻夜はその行動を束縛された。
 動けない……いや、動かなかった。
 暗闇の中、抑えようとしない殺気を伴うその襲撃は、むしろ動かない方が安全だと麻夜に教えたからだ。
 目を凝らす。
 前後左右には縫って歩くこともできないほどの密度で糸が張り巡らされていた。
 それはまるで蜘蛛の巣のごとく。
 麻夜はすぐさま剛太を睨みつける。
 しかし、剛太は目の前で起こったこの現象に驚きの色を見せていた。
「いやぁ、景気よくひっかかったね」
 軽い、そして侮蔑を孕んだ声が後ろから聞こえてきた。
 振り向くと、次郎の寝室につながる扉から賢太郎が現れるのを麻夜は見た。
 その両手には黒い布地を基軸にした銀色の鉄甲、そしてその指の先からは光を照り返す糸が伸びていた。
「動かない方がいいぜ〜、スパって切れちゃうからさ」
 言って嬉しそうに笑い声をあげる。
 何が面白いのかは麻夜には理解できない。
 そして、理解できなかったもう一人の男が声を上げた。
「な、なんだこれは!」
 目の前で起こった出来事を理解できず、剛太が驚きの声をあげた。
「魔剣だよ、ま・け・ん」
 賢太郎は手首にスナップを効かせ、糸を動かしながら剛太に歩み寄っていった。
「あの女がオレにくれたんだよ、この屋敷に結界を張った時にさ」
「あの女? 結界? 何を言っているのだ」
 動転する剛太の顔を見て、賢太郎は楽しそうに笑みを浮かべる。
 剛太は必死の形相で賢太郎を見た。
「あの女はこの屋敷に一ヶ月いた女は私達のいいなりになる、それしか言ってくれなかったじゃないか!」
「だからさ、オレにだけ言ってたんだって。オレがかわいそうだから、オレが元気になるようにってさ」
 ゆっくりと剛太に向かって歩いていく賢太郎。
 その歩みに不気味さを感じ取り、剛太は一歩後ろに後ずさる。
 が、
「ひっ」
 その動きは停止した。
 廊下の左右から糸で肉体を構成された糸の怪人が出現し、その行く手をふさいだからだ。
「親父よぉ、オレはさ。本当に苦しかったんだよ」
 右手で額を掴み、まるで頭痛でも堪えているかのように賢太郎は続けた。
「確かにオレはどうしようもないけどさぁ。まさか、あんたから見捨てられるとは思ってなかったわけだ」
「な、何のことだ」
「知ってんだよ!」
 叫ぶように賢太郎は口にした。
「外で女作ってよ、そいつ孕ませたんだろ! 聞いたぜ、愚図な息子は勘当して新しく生まれるガキと女に財産を譲るってよ」
「そ、そんなバカなことが」
「本人から聞いたんだ、間違いないぜぇ」
 口が裂けそうなほどに口を広げて笑みを作る。
 剛太の背中は冷や汗まみれだった。
「むかついたよ、あぁ、むかついたさ。だからさ、その女をさ」
 右手を掲げ、その腕に装着した魔剣を見せつけ、
「殺してやったのさ、四肢を切断してな。ショック死だったよ。腹の中のガキも一緒におっ死んだみたいだしさ。いやぁ、愉快愉快」
 言葉を終わらせるや否や、右手をスナップを聞かせて振りかざした。
 手甲の先から糸が放たれ、弧を描く糸が地面に横たわる次郎の首を跳ね飛ばした。
 首を失った胴体から激しく血液が迸った。
 赤い血がカーペットを汚し、血を吹き出す肉体はビクビクと痙攣を続ける。
「ひぃ……」
 その様をみて、剛太の顔は蒼白になった。
 とっさに逃げ出そうとするも、それを糸の怪人が阻んだ。
 半狂乱になりながら逃げようとするも、糸の怪人の怪力はたいしたもので、剛太に突破できるものではない。
 それに数も多い、軽く二十はいる糸の怪人は廊下に人が歩けないほど密集し、完全に剛太の逃げ道を閉ざしていた。
「た、助けてくれ!」
 顔を恐怖で歪め、命乞いをする剛太。
 そんな剛太を尻目に賢太郎は両腕を振りかざした。
 両腕から糸がきらめきを伴って繰り出され、それがうなりをあげて剛太に襲い掛かり、その全身を、タコ糸でぐるぐる巻きにされたハムのように、手甲から放たれた糸にしばりあげる。
「お願いだ、オレの子供はお前だけだ。遺産はお前のものだ、そんなこと言わなくてもわかっているだろう!」
「あの女がさ、オレに教えてくれたんだよ」
 涙を流しながら叫んでいる剛太に向かって、賢太郎は顔に浮かべ続けていた笑みをかき消し、憎悪のこもった瞳を剛太に見せ付ける。
「あんたさ、言ったんだってな。あんなやつは人間のゴミだって。産ませるんじゃなかったてさ」
 右腕をゆっくりと動かし始めた。
 それと同時に剛太に巻きついた糸が、ゆっくりと、ゆっくりと絞り上げられていく。
 コンクリートさえ切り裂いてしまう鋭利さを持つその糸は、剛太の肉のあいだにゆっくりとめり込んでいた。
 耐えがたき痛みが全身に走る、剛太は絶叫した。
「助け、痛い、糸が、やめろ、あああぁぁぁ、だめだ、やめるんだ、もうやめろ、ふざけるのはよせ、このままじゃ本当に!」
 糸はぐいぐいと剛太の体の中に埋没していく。
「ん〜、オレって結構優しいから、いくら恨んでても時間をかけて殺すってのはないよな」
 そういうと、剛太を縛り上げている糸の束をがっちりと握り締める。
「や、やめ!」
 それで途切れた。
 賢太郎が糸の束を力任せに引っ張ると、何の抵抗もなく剛太の肉体が輪切りになった。
 美しい断面を見せながら、十数個に分割された輪切りの剛太がぼとぼとと地面に転がり落ちる。
 血の循環が一瞬にして停止したため心臓の付近以外からは血液が噴出すようなことはなかったが、カーペットが血を吸い込んで色を変えていく様は次郎の死体が転がっている床と結果に差はなかった。
 糸を引き戻し、剛太の血で染まった赤い糸をゆがんだ笑みで見つめた後、賢太郎は思い出したように麻夜に糸線を向けた。
「あんたが、この屋敷の魔剣士だったのね」
 訪ねる麻夜。
 だが、賢太郎は麻夜の言葉などなかったように口をきいた。
「いやぁ、あんたいい女だなぁ。手癖は悪いけどさ」
 花瓶を叩き割ったことを言っているのだろう。
 だが、麻夜はそんなことを気にせずに続けた。
「あの女って誰、答えなさい。結界を張ったのはそいつなの?」
「本当なら一ヶ月でオレの女にしてやれたんだけどなぁ、結界壊れちまったしな。いや、あんたが壊したんだっけ?」
 会話にならない会話。
 話を聞こうともしない賢太郎に、麻夜は歯を軋ませる。
 だが、打開策は見当たらない。
 前後左右上方、その全てが張り巡らされた糸の結界によって進路を遮断されている。
 恐らく、賢太郎が手動かすだけでその糸が逃げ場のない麻夜を切り刻むのだろう。
 じっとしていてもいつかは殺される、だが動けば今殺される。
 機会を待つ、麻夜にはそれしか道がなかった。
 せめてここが外なら、麻夜は思った。
 ここが外で、糸を固定させる場所さえなければ、このような糸の結界に閉じ込められることもなかっただろうに。
「ん〜、無理矢理犯したいとこだけど、オレより強そうだしなぁ。でもヤりたいよなぁ。どうするかなぁ」
 おそらく本人の中ではもう答えが出ているのだろう。
 口に出すのが楽しくて、わざともったいぶって言い惜しんでいるのだ。
「そうだなぁ、ここは両手両足を切り落とすってのはどうだろう。それなら死ぬわけじゃないし、綺麗な顔にも傷がつかないし。何よりも好きなだけ楽しめるってもんだ。案外痛みでアソコの締りもよくなるかも知れないしな」
 賢太郎はこの後に待っているだろう快楽を想像し下品な笑みを浮かべながら手を動かした。
 いっせいに糸が動き始めた。
 麻夜を切り裂くべく、その包囲網を縮めていく。
 が、
「なっ!」
 逃げ場はないはずだった。
 前も後ろも、右も左も上でさえ完全にふさいでいた。
 普通に考えれば脱出不可能な状態。
 だが、逃げ場があった。
 そして、動き始めた糸は、麻夜のいなくなった空間を切り刻み、そして停止した。
「へぇ、やるじゃん」
 そう、麻夜は糸の結界から脱出した。
 前も後ろも、右も左も上も封鎖されていたが、下だけは糸が存在しなかった。
 突如として床に穴が生じたかと思うと、麻夜は降りるというよりは落ちるようにして階下へと逃れたのだ。
 足跡が下の階から響いてくる、時はすでに遅い。
 これでは追いつけない。
「そうか、仮面使いがいたか。油断したな」
 麻夜を救ったのは仮面使いだった。
 麻夜が逃げ出せない状況であることを突き止めた仮面使いは、麻夜の真下から刻銃を発射、床をぶち抜いて麻夜の脱出口を作り上げたのだ。
「これは殺しちゃうしかないな。うん、それしかないな」
 自分の言葉を自分で肯定しながら賢太郎は足元に転がっていた生首を蹴り飛ばした。
 凹凸のある生首は不規則に転がりながらも、狙いすましたかのごとく、麻夜の脱出した穴に落ちていった。
「よし、ホールインワンだ。景気がいいや」
 そう言って賢太郎は右腕を振るった。
「糸線結界!」
 詠唱が唱えられる。
 それと同時に糸で構成された糸の怪人が同時に五体、その場に出現した。
「さぁ、逃がさないぞ。あの女はまだ一度だって楽しんじゃいないんだからな」
 自分が得られるであろうその至宝の味を想像し、つばを飲み込む賢太郎。
 そして、自らも足を動かし、麻夜と柴崎の追跡を開始した。






「助かりました、柴崎さん!」
 屋敷の廊下を疾走しながら麻夜はそう口にした。
 目の前を走っている柴崎は魔飢憑緋の仮面から覗ける瞳を麻夜に向ける。
「間に合ってよかった、やはり綱野女史一人で相手できるような敵ではなかったようです」
 陽動を試みていた柴崎は、糸の怪人たちによって一度、あと少し反撃が遅れていたなら即死していたであろう危機に見舞われた。
 糸の怪人たちがその糸を部屋中に張り巡らし、脱出不可能と思われる迷路を築きあげたのだ。
 触れれば斬れる糸の結界、それはアルカナムから聞かされていた魔剣の名前を連想させた。
 視線結界。
 能力は自身の輝光を具現化させ、この世にあるあらゆる物質を糸として具現化することができる。
 それだけは聞かされていたが、実際にどのように活用するかまでは聞かされていたなかった。
 理由は簡単だ、完成したばかりの魔剣でしかも使用に難がある魔剣であるため誰も使おうとしなかったのだ。
「綱野さんにも先ほどお話したとおり、私たちの組織でこの魔剣の性能は知っていても実際の使用法を知っている人間はいませんでした。ただ、具現化した刃のように研ぎ澄まされた糸を意思のままに操って敵を切り裂く、その程度にしか認識していませんでした」
「で、今は認識できたと。私ではなくあなたが単独で立ち向かえば勝利できていたとおっしゃりたいのですか?」
 廊下を曲がり、玄関を目指して走りながら柴崎は首を横に振る。
「いえ、おそらく私でもあれの打倒は難しいでしょう。室内という限定条件下においては」
「室内がいけないと?」
「はい、室内ならば糸を張り巡らせる支点に事欠きません。あれで隙間もないほど糸を張り巡らされては勝ち目がない。特に機動力をもって敵を制するタイプの魔剣士ではお話にならないでしょう」
 故に薙風は魔飢憑緋を開放を迫られたのだ、そうでなくてはあの薙風が魔飢憑緋の暴走を許すわけもない。
「あんな使用方法があったとは。上も私も、鎖鎌の分銅のごとく蛇のような動きで斬糸が敵を追尾する、同時多方面攻撃が可能で広い空間で最大の効果を発揮する中距離兵器と認識していましたがとんでもない、あれは室内戦闘に特化した近距離全方面同時攻撃可能兵器とでも申し上げましょうか」
「物理系なのが不幸中の幸いと言ったところですか?」
「その通りです」
 答え、柴崎は再び廊下の角を曲がった。
 赤いカーペットが一直線に続き、大きな扉のある玄関ロビーに至った。
 が、
「やはり逃がす気はないか」
 左右に展開された糸の怪人たち。
 すでに結界はくみ上げられており、怪人たちはただのダメ押しだ。
 幾十にも張り巡らされた糸が、扉の入り口を覆っている。
 このまま突っ込んではバラバラ怪奇死体が二丁お待ちどうとでも言ったところだろう。
「綱野さん、突っ込みます」
「策は?」
「あります、最後の一発だが仕方がない。綱野さんは私を信頼して全力でついてきてください」
 つまり、ブレーキをかけられるように速度を調節するなという意味である。
 柴崎は転びかねないほどの前傾姿勢をつくり、入り口に向かって走り出した。
 進行を阻む糸の結界。
 さらに左右に存在する糸の怪人たちがその肉体をほどき、斬糸を左右からくりだす。
 だが、
「遅い!」
 柴崎と麻夜の速度はその上をいった。
 糸の速度は、明らかに麻夜と柴崎の速度を上回らない。
 だが眼前には糸の結界。
 これを除かねば突破は不可能。
 故に、
「我が放つは」
 刻銃の照準は前方に、
「断罪の白金」
 繰り出されるは最強の魔弾。
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 衝撃が眼前を駆け抜けた。
 幾十にもめぐらされた糸が次々にちぎり飛ばされていく。
 一瞬開いた小さな穴。
 しかしそれは柴崎たちにとっての唯一の活路だった。
 その穴めがけて駆ける二つの影。
 もちろん糸の怪人たちもバカではない。
 開いた穴を修復すべく、すぐさま新しい糸の補充を狙う。
 だが、それよりも影は速かった。
 加速は十分。
 助走によって高められた速度は糸の結界の再築速度、その一歩先を行く。
「やったぞ!」
 屋敷から庭に飛び出した柴崎は表情に笑みを貼り付けながら、それでもなお速度を落とさず走り続ける。
 柴崎は広大な庭のちょうど真ん中あたりに至るまで走り続け、ようやくそこで足を止めた。
「これから、どうしますか?」
「ここで迎え撃ちます」
 弾丸を装填しながら柴崎は答えた。
「ここでですか? でも、魔術結社の見解では視線結界は元々広い空間において最大の力を発揮すると」
「室内で迎え撃つよりはましでしょう。それにあれは奇襲効果が高すぎる。ここで逃げて伏撃を狙われるよりはここで迎え撃つ方が得策です」
「誘い出すわけですか、でも乗りますかね?」
「来ないわけには行かないでしょう、やつの能力は知らされていましたが、有効性にはみなが疑問符をつけていた。どのように使われると怖い、どうすれば対処できる。それを私たちの口から他の人間に漏らされることこそが奴には致命的です。来ないわけには行かないはず」
 言い終えると同時に柴崎は刻銃を両手で構える。
「物理系なら輝光系の私とは相性がいい、必ず負けるとも限りませんしね」
 魔術結社は全ての人間を三つのタイプに分けており、その三つのタイプはジャンケンのような位置関係にある。
 物理、輝光、金属の三つだ。
 輝光というものは、生物のエネルギーであり、非生物に対する拒絶性が高い。
 故に鉄程度の対輝光能力を持つ物質なら防ぐ能力が非常に高い。
 輝光を用いた防御は弾丸や手榴弾程度の攻撃なら比較的簡単に対処することができる。
 そのため異能者は拳銃などに頼ることはそう多くなく、柴崎の攻撃兵器に輝光系が多いのもそれが理由だ。
 輝光を用いた攻撃は同じ生命であるため拒絶反応が出にくい、故に突破も容易なのだ(そのため、輝光による壁が人間の通過を防ぐことは難しく、異能者の武器に近接兵器が多いのもそれが理由とされる。刀などの兵器は使用者の人間が接近しすぎているため輝光防御で対処できない)。
 輝光に対し有利なのは金属だ、この場合は紅鉄や絶鋼のような対輝光能力に特化した金属が該当される。
 これは非生物の極みに達した物質であるため、裏の世界で幅を利かせている輝光系の兵器に対して圧倒的な威力を発揮する。
 ただし、これらの金属には弱点があり、使い手が輝光系の兵器、もしくは魔術などの異能の行使が難しくなる。
 ここで登場するのが物理だ。
 物理系の兵器は輝光による防御には弱いが、自ら輝光による異能を放棄している金属系の異能者には圧倒的に有利。
 理由は簡単、普通の人間のように防ぐ手段を持ち合わせていないからだ。
 こうして三つ巴の関係が存在するわけだが、冷遇されているのは間違いなく物質系だろう。
 何しろ鏡内界では銃や戦車と言った物理系代表格の兵器の使用を禁じられているからだ。
 しかし、ここに異層空間殺しが混じってくると話は違ってくる。
 強力すぎる威力を持つ物理系の兵器は、そこんじょそこらの魔術師の輝光障壁など欠伸しながらでも突破できる。
 冷遇されているだけで決して無力ではない、それが物理系だ。
 もちろん今言った例は他のタイプにも存在し、弱点属性でも対処が不可能なわけではない。
 例えば輝光系は紅鉄や絶鋼が対処可能な量を上回るだけの輝光をぶつければその輝光除去力を突破できる。
 この先例は、すでに魔飢憑緋との戦いで柴崎が実演している。
 それと同じ原理で金属系も物理に対抗手段を得ることが出来る。
 自身の操る紅鉄、もしくは絶鋼の輝光処理能力を上回る輝光を放出し、それをもって輝光を操ればいい。
 これも既に薙風が魔飢憑緋を開放した時に、輝光剣という形で実演している。
 じゃんけんと違うのは、少々条件があえば劣勢な属性でも優勢な属性を打破できるところだ。
 さらに戦闘状況によっては自身の優位を活かせない場合などいくらでも存在するため、有利な属性であるからといって、その先にあるであろう勝利は絵に描いた餅よりも虚ろなものであると言える。
「だが、あの糸を防ぐことはできる」
 確実ではないというだけで自身にも有利な点があることには代わりない。
 実際、敵の糸に包囲され、絶体絶命の状況から刻銃を乱打することで活路を見出した。
 おかげで切り札は全て使い切ったが、最後の一発で屋敷から脱出することに成功した。
「まぁ、見たところ視線結界以外に魔剣を使っているようには見えませんから刻銃聖歌なしでもなんとかなるでしょう」
「他の魔剣や異能を使う可能性は?」
 麻夜も対魔飢憑緋の折に柴崎の手の内を明かされ作戦立案に参加していた。
 故に柴崎が刻銃聖歌を失い、突破力が低下したことを理解した質問だ。
 敵に輝光防御があれば接近するしかない。
 なら自分が行くと言わんばかりの表情の麻夜に、柴崎は首を横に振る。
「ありません、本来なら視線結界は輝光の消耗が恐ろしく高い魔剣ですから」
「本来なら?」
「はい、ご存知かどうか知りませんが具現化系の魔剣と言うのは輝光の消費量が看過できないほど高いのです。存在しないものをありのままに具現化する、そのような神に匹敵する行為を行って代償が小さいわけがない。
 糸の具現化はやりすぎると生命力の消失で命を失います。本来なら糸の怪人一体を作るだけの糸を具現化するのが一人の魔剣士の限界なのですが」
 そこまで口にし、柴崎は玄関に視線を移す。
「あれは異常だ、一体何体いるというのだ? 複数の魔剣士が同時に操るなどできるはずもない」
「何かバックアップがあるのではないでしょうか?」
 尋ねる麻夜。
「例えばここは霊脈が存在します、そこから引っ張ってきているのでは?」
「その基点はあなたが全滅させたのでは?」
 言われて思い出す。
 確かに、輝光供給の基点にされていた場所は絶鋼剣で封印した。
 あの金属で砕かれたからには一月やそこらでは回復できない痛手を受けているはず。
「あれだけの結界です、ここの霊脈の輝光全てを使わないと起動は難しいでしょう。おそらく綱野さんが破壊した基点はここにある基点の全てだったのでしょう」
 その言葉に麻夜は妙な引っ掛かりを覚えた。
「……難しい?」
「ええ、難しいです」
「起動しないのではなく?」
「応用は利きます、張っているのは人間ですので臨機応変に対処するでしょう。本来の機能は発揮できずとも、効力を落として展開することは可能です。まぁ、もっとも……」
 柴崎は言葉を切った。
 それと同時に二人の視線が一ヶ所に集中する。
 玄関から糸の怪人ではない人影が現れたからだ。
 その人影は紅かった、絶望的な紅だった。
 糸をくみ上げ、それは服のようでもあり鎧のようでもあった。
 似ているとすればチェインメイル、鎖のように糸を縫い合わせ、赤志野賢太郎は紅の鎧をもって玄関から庭に姿を現した。
「なんと……」
 息を飲み込む。
 先ほどまでは少しだけ自分が有利だと宣言したがもう覆された。
 あれはダメだ、あれだけはマズイ。
 なぜならあれは、
「紅鉄……」
 こちらの不利を象徴する金属系の鎧なのだから。
「ばかな、紅鉄まで具現化できるんですか!」
 独白にも質問にも聞こえる麻夜の言葉に、柴崎は何ら返事をすることができなかった。
 ふざけるな、確かに糸という形でならあらゆる物質の具現化が可能と聞いたが、輝光で輝光を打ち消す紅鉄を具現化可能などとは反則だ。
「いや、理にはかなっている」
 そう、理にはかなっている。
 紅鉄が輝光を打ち消すなら、打ち消される以上の輝光を用い、力技で紅鉄を作り出せばいい。
 代償は輝光消費量の大幅な増加、だが敵には謎の源泉(ソース)がある、不可能ではない。
「お前らさぁ、ちょっと調子に乗りすぎなんじゃないか?」
 口元をゆがめながら賢太郎は柴崎たちに向かって歩き出した。
 三十メートル近くあったお互いの距離が縮まっていく。
「投降してくれれば命まではとらないけど、どうよ?」
「断る」
 即答する柴崎、もちろん麻夜に異論はない。
「あ〜、面倒くさいなぁ。できればその女は殺さずに手に入れたいんだけどなぁ。邪魔だな、お前」
 柴崎に憎悪の目を向けながら、賢太郎はゆっくりと右腕を頭上に掲げる。
「じゃあさ、死んじゃえよ」
 指をはじく音が響いた。
 それと同時に、後方に待機していた糸の怪人たちが両手を掲げ、なんとそこから突如として何かしらの物体が発射された。
 視認は可能、回避も可能、だがここは迎撃が一番妥当な行動だった。
「熾天覆う」
 故に柴崎は、
「聖翼の銀」
 刻銃のトリガーを引き絞る。
「護界聖域!」
 銃口から緑色に輝く輝光が放出された。
 緑色の輝光は小型のパラシュートのように一瞬にして大きく広がると柴崎と麻夜を多い尽し、糸の怪人から放たれた全ての攻撃を防ぎきる。
「防御呪文も打てるんですか?」
「防御、回復、補助、攻撃、大体はそろっています」
「回復……も、ですか?」
「えぇ、三秒以内ならちぎれとんだ手足も一瞬で癒着させるくらい優秀なのが」
 おかげで弾丸の値段は非常に高い、だから柴崎は攻撃用のなかでも使いやすい『刻銃聖歌』『虐殺業魔』『無音詠唱』の三つ以外はあまり量を持ち歩いていない。
 おかげでそれ以外を使い果たしたタイミングで魔飢憑緋のゾンビとやりあうハメになった経験もある。
 補充しようにも補充役の二階堂が暴走していたので補充もままならない事態に陥っていたのだ。
 だが、今は全部で六種類の弾丸を携帯している。
 とはいえ、すでに一種類は打ち尽したが。
「それにしても、何を飛ばしてきたんだ?」
「糸の塊ですね」
 そう答えた麻夜に、柴崎は驚きと共に視線を向ける。
「見えたのですか?」
「見えました」
 それを聞き、柴崎は舌を巻いた。
 柴崎も目が悪い方ではないが、さすがにあれだけの速度で飛ぶ小型の物体を見分けるほどではない。
「糸の塊をどう飛ばしているんです? 輝光の動きは感じ取れなかった」
「おそらく糸でスプリングでも作ったのでしょう。それなら納得できます」
「なんとまぁ」
 思わず舌打ちしそうになる。
 それを堪えられたのは、賢太郎が口を開いてきたからだ。
「へぇ、防げるんだ。愉快じゃん」
 何が楽しいのか、賢太郎は一人で大笑いしながらもう一度腕をあげる。
「だったら壊れるまで打ち続けてやるよ。やれ」
 指を鳴らし、背後の糸の怪人たちがそれに応えた。
 繰り出される糸の弾丸。
 何十体と存在する怪人から同時に打ち出されるそれの光景は、まるでマシンガンを前にしているような心地だ。
 高速で飛来する弾丸が緑色の障壁に食らいついた。
 打ち出される糸はまるで削るかのように柴崎の防御呪文に襲い掛かる。
 単発なら物理も怖くはないが、連続で仕掛けられては輝光の結界も長くは持たない。
 だが柴崎は、その攻撃に動じることなく、さらに二度引き金を引き絞った。
 色を失い始めた緑色の結界が、その彩度をさらに増した。
「へぇ、術の重ねがけか」
 結界は多重に張れば張るほどその強度を増す性質を持つ。
「仕方ない、あぶりだし作戦といこうかね」
 呟き、賢太郎は糸の怪人たちに攻撃の続行を命じる。
 圧倒的優勢から、目的の女をすでに手に入れた気になっている賢太郎はまずはじめに女をどうしてやろうか考え、楽しい妄想に舌なめずりをしていた。







「なんて使い方をするやつだ」
 今度こそ舌打ちをする。
 完全な誤算だった。
 正直ここまで使いこないしているとは思いもよらない。
 狭所では結界、広所では弾丸。
 物理であるため輝光系には不利とは言え、ここまで使いこなせれば多少の不利は看過される。
「どうしたものか」
 完全に攻めあぐねていた。
 結界呪文も長くは持たない、今のうちに勝機を見出さねばならない。
 柴崎はとりあえず臨戦態勢を作るべく、弾丸を刻銃に装填し始めた。
「柴崎さん」
 後ろから麻夜が声をかけてきた。
「打開策はありますか?」
「ないな、どうしたものか」
 答えながら弾丸を一発ずつ丁寧に入れていく。
 弾丸は青き輝きを持つ金属で作られており、月明かりをブルーメタリックのそれが照り返す。
「それは蒼鋼でできた弾丸ですか?」
 蒼鋼とは紅鉄と対を成し、むしろ輝光と共存が可能な金属である。
 本来なら魔鋼と呼ばれる金属がもっとも有能だが、高い加工技術とその希少性から全ての魔剣の製作に行き渡らないのが現状だ。
 その代替物が蒼鋼だが、決して魔鋼に劣っているわけではない。
 魔鋼は輝光の伝導率が高く、硬度がありながら鉄のごとき柔軟性を持っており、衝撃にも強く、武器としてはうってつけだ。
 だが、輝光というものの保有量は弱く、使用するたびに使い手が輝光を供給しなくてはならないという弱点も併せ持つ。
 蒼鋼とは言うなれば電池のような存在だ。
 鉄に多少見劣りする程度の武具製作に向いた性能と、そして輝光を保持しておく能力を併せ持ち、さらに魔鋼よりも軽量で加工も容易である。
 総合的に考えるなら蒼鋼の方が有能と言う考えを持つ魔剣士も多く、蒼鋼は多くの異能者から好まれている。
 柴崎の魔弾が蒼鋼で出来ているのは当然だ。
 柴崎は自身の輝光をこそバックアップとして用い、刻銃をメインの武装としている。
 だから長時間の戦闘、単独行動、仮面による異能の行使が可能なのだ。
 あらゆる状態に対応でき、迅速、かつ粘り強い戦闘力と持久戦に比較的強い、この総合的な能力の高さこそが柴崎の強さなのである。
「蒼鋼は優秀な金属です、輝光の伝導率も高い上に、比較的安価だ。まぁ、普通の金属と比べればという程度ですが」
「ですが、蒼鋼には蒼鋼で有能な点もありますね」
「あぁ、蒼鋼は輝光の伝達が魔鋼より悪い分、隠匿性が高い。外に放出して発動するまで敵に輝光の流れを悟らせない」
「そうなんですか?」
 きょとんとした顔を作る麻夜。
 そんな麻夜に装填を終わらせた刻銃をいじりながら柴崎は答えた。
「そうです、そうでなくては奇襲効果が落ちます。魔鋼による最大出力の高い魔剣士は戦闘能力こそ高いですが、魔剣発動は敵の捕捉前というのが常識です。ですが、出力の低い蒼鋼は内部で起動させていてもギリギリまで敵に悟らせません、出力の低さは弱点ではない。あの短刀使いがいい例です」
 無論、数騎をさして言っている。
 麻夜はそれを聞いて少し考えるように顎に手を当てると、ゆっくりと口を開いた。
「打開策、やはりありませんか?」
「なくはない」
「聞かせてください」
 そう言われ、柴崎は小さく息を吸い込んだ。
「まず綱野さんは撤退をお願いします」
「理由は?」
「もう防御弾は一発しか残っていません、これでは防ぎきれない。もうあなたを守る余裕はありません。撤退をお願いします。敵の武器がもう少し弱体であれば綱野さんが必要ですが、この戦いは射撃戦に移行しました」
「ですが、敵は紅鉄の鎧が……」
「だからなおさらです。紅鉄なんてものは武器にするのが精一杯の金属です。あれでは装着者の輝光すらも消してしまいます。あと二十分こちらが持てば向こうは自滅します。それに顔面には紅鉄が存在していないようです、そこをつけば輝光弾でも大丈夫です」
「勝算は?」
「百に一つ。いや、千に一つか。せめてグレゴリオがあれば強行突破も可能なのだが」
「いえ、せいぜい二つに一つ程度です」
 撃ちつくした弾丸を悔いていた柴崎は、麻夜の自信あふれる言葉に耳を傾ける。
「もっといい策があります、聞いていただけますか?」
「構いません、教えてください」
 柴崎は耳を麻夜に近づけると、麻夜からその策を聞き、すぐさま装填したばかりの弾丸を全て排出した。
「危険は大きいですが、任せられますか?」
 聞く柴崎に、麻夜は無言で頷いてみせる。
 やれやれ、共闘するつもりはなかったのだが。
 勝機をこの女性に託すなど、十一の亡霊と言われた私も堕ちたものだな。
 そう考えながら、失笑する気も起こらず、弾丸の再装填を行う。
「タイミングはこちらに合わせてください、指示を出します」
 刻銃を両手で抱えながら、柴崎はゆっくりと視線を前に向ける。
 そこには、幾十もの僕を従える糸使いの魔剣士が存在していた。






 戦いが持久戦の形に持ち込まれた時、糸の怪人たちに結界を攻撃させていた賢太郎は場違いなことを考えていた。
 大学の受験に失敗したのはもう四年も前のことだった。
 いや、正確には三年前、同じ大学に三度落ちたところまでは頑張って、その後は受験する気すらうせていた。
 家には金があった、だから自分は遊んで暮らせた。
 そもそも自分は勉強が嫌いだ、べつに親が面倒を見てくれるのだから遊んでいても構いはしないだろう。
 そう考えて甘えていたのも父親から嫌われた原因の一つだろう。
 だが、最大の原因はやはり浮気をし続けた淫蕩な母親のせいだ。
 金目当てで父親に近づいた母は、既成事実だけ作って結婚し、そして財産を我が物顔をして湯水のごとく使い続け、若い男にいくらでも股を開いていた。
 そんな時期に生まれたからだろう、自分は父親から嫌われていた。
 もしかしたら自分の子供ではないかもしれない、そう思ったからだ。
 だが、自分が十になるまで母親は浮気の事実を隠し続けていた。
 それまでは父親も自分のことをわが子のようにかわいがってくれたのだ。
 わが子のように?
 いや、結局どっちなのかはわからない、考えるだけ無駄だろう。
 なんたってあいつは自分の息子ではないかもしれないという事実を恐れてDNA鑑定にいつまでも乗り出せないでいるのだ。
 あいつはどんなに浮気されようと、母親を愛していた。
 それだけは間違いがない、どんなに冷たくされようとも演技であいつに見せた母親の優しさをこそあいつは真実の姿と妄信したからだ。
 だから母親が交通事故で死んだ時だってあいつは大泣きした。
 問題は自分だ、せめて有能ならそれなりに可愛がってもらえるのだろうが、あいつは自分に一線を引いたような態度ばかりをとりはじめた。
 無能な上に愛想もない、正直同じ家に暮らしていても家族と感じることもない。
 でも、いつかあいつが死ねば屋敷も財産もオレのものになるはずだった。
 そんな時にあの女が現れた。
 あの女は親父と叔父にこの屋敷に特殊な催眠術をかけ、女性を操る手段を与えた。
 最初は親父も疑いの目で見ていたが、屋敷で働く女が親父に股を開くと、すぐにそれを信じるようになった。
 だが、その女はオレにだけ特別に教えてくれた。
 この世界にはお伽話に登場するような魔法があること、そして普通の人間が魔法を操るために必要な道具、魔剣という存在を。
 そしてオレは糸の魔剣士となった。
 それまでのオレは引きこもり、空想のみを友としていた。
 いつか全ての人がオレを見てくれる時を。
 自分が無能ではなく、有能であり多くの人に尊敬してもらえる時を。
 そして、いつか親父がオレに振り向いてくれる時を、オレは空想していた。
 だが女は言った。
 お前は無能ではなく有能だと。
 だからお前だけに秘密を話し、この魔剣を与えると。
 オレは魔剣を手に入れ、結界を手に入れ、そしてこの屋敷もいずれ手に入れる。
 完璧だった。
 結界で頭の壊れた女と始めて寝た時だって最高の気分だった。
 オレの世界は上手く回っていた。
 空想は徐々に現実のものになりはじめていたのだ。
 だが、ダメだった。
 母親が死んで何年もたったのだ、親父は新しい女が必要だった。
 親父は町で顔だけはよくて中身の伴わない女を手に入れていた。
 所詮あの男の選ぶ女だ、好みのタイプは変わらないらしい。
 問題はあの女にガキが出来ていたことだ。
 オレはあの女が屋敷にやってくるまで親父に愛人がいるなど知りもしなかった。
 いや、恋人か。
 妻はもういないんだから不倫ではない。
 女は出産も近いので親父と結婚の相談のために屋敷を訪れた。
 その時、親父は留守だった。
 だから代わりにオレが対応した。
 その時だ、オレはその女の口から聞いた。
 親父が約束した言葉を。
 役立たずで無能なごく潰しになど後を継がせず、女の子供に自分の財産を全て相続させると。
 その時だ、オレの中で何かが目を覚ました。
 オレは女に親父の不在を伝え、その時は家に帰ってもらったが、その後その女には一度会ったきり。
 恐らくもう二度と会うこともないだろう、どんなに頑張ったところで二度と会えないのだから。
 オレは毎日魔剣を操る特訓をしていた。
 なれない人間が使うと、魔剣は装備者の精神になんらかの強い働きかけをするそうだ。
 オレがハイになってるのもそれが理由だろう。
 なんたって人間を殺すのが楽しい。
 今までのオレはあらゆるものにビビっていたが、もう何も怖くなどない。
 オレには魔剣がある、力が、金が、そして女が。
 だが、妨害する者がいるのなら排除しなくてはならない。
 そこまで考えると、賢太郎はようやく今自分が存在する空間に思考を傾ける。
 眼前には重ねがけされた強固なる結界。
 崩壊こそ近いもの、あと三分は持ちそうだ。
「お、そうだな」
 賢太郎は、してやったりと指を鳴らした。
 それに答え、糸の怪人たちは一端、糸弾による狙撃を中止する。
「やれ」
 再度の命令が下された。
 それと同時に結界に衝撃が走る。
 その威力は先ほどの比ではない、結界が想像以上の速度で揺らぎ始める。
 あの女は、物理は輝光に対して不利だと言った。
 笑わせる、糸線結界は物理ではない。
「具現だ!」
 叫びに呼応するように結界の一部が砕け散った。
 具現せし糸弾は鉄ではなく、紅鉄によって構成されていた。
 輝光を打ち消す紅鉄の弾幕は、絶対量の低さから一瞬とまではいかないものの、すさまじい速度で結界を侵食しはじめる。
 が、
「その身に刻め」
 唱えられる詠唱が、
「銀翼の福音」
 賢太郎を震撼させる。
「虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)!」
 立て続けに五度銃声が轟いた。
 まるで巣穴から飛び出した蛇のように、爆発的な速度でもって躍進する魔弾。
「甘い!」
 輝光弾による攻撃など読めている。
 まったく同時の攻撃ならばともかく、連続攻撃程度の輝光弾で紅鉄の防御は突破できない。
 賢太郎は両腕で唯一の弱点である顔面を防御する。
 そして、両腕に輝光による衝撃が走った。
 賢太郎は柴崎をなめてなどいなかった。
 だからこそ眩暈を覚えながらも紅鉄の鎧などという都合の悪いものを身に纏っているのだ。
 賢太郎は両腕をどけ、無駄な抵抗を試みた柴崎を見ようとして、目標を切り替える。
 その姿はまさしく疾風。
 糸弾の雨をかいくぐり、金髪をなびかせる姿は女神にも似て。
 前傾姿勢、まるで肉食獣のごとき跳躍をもって、麻夜は賢太郎に向かって突撃をかけていた。
 先の五発が自分の視界をふさぐことこそが目的であったことに気付き、賢太郎は舌打ちを漏らしながらも指を弾く。
 後方にいる柴崎を目標にする必要などない。
 ただ迫る本命に全ての糸弾を集中すべく、賢太郎は糸の怪人たちに麻夜を十字射撃することを命じた。
 左右から迫る糸弾。
 しかし、
「熾天覆う」
 刻銃に残された最後の弾丸を、
「聖翼の銀」
 トリガーを引き絞ることによって開放させる。
「護界聖域!」
 繰り出された弾丸は、糸弾よりも早く麻夜の周囲を覆い尽くした。
 襲い来る糸弾は、次々と結界によって弾かれる。
 しかし、賢太郎は動じない。
 確かに紅鉄の弾丸だけではあの突撃が自分に届くまでに結界を破壊するのが間に合わない可能性もなくはない。
 だが、麻夜が手にしている剣を目にし、賢太郎は口元に笑みを浮かべる余裕ができた。
 絶鋼剣、輝光を拒絶する最悪の金属で構成された絶望的なまでに強力なその得物。
 予想通りだった。
 まだ十メートル近い距離が残っているというのに、麻夜を保護していた結界が消えうせた。
 もはや麻夜に守りはない。
 保護下から飛び出た麻夜に襲い掛かったのは幾十の糸弾だ。
 麻夜は絶鋼剣を振り回し、自分に迫る糸弾を次々に切り払う。
 異能者と渡り合うほどの剣術士に拳銃は効かない。
 卓越した目と、超人的な体さばきを習得した剣術士は、弾丸など発射されたあとでも十分対応できるからだ。
 問題は連発式のマシンガンや、ショットガンのような散弾は防ぎようがないことくらいだ、所詮人間は弾丸よりも素早く動けない。
 が、それは回避というわかりやすい方法で対処すればよい、殺気を感じ取れば、撃たれる前から十分に対処は可能だからである。
 柴崎は一目で麻夜は卓越した剣術士であることを思い知らされた。
 必要最小限度の行動で弾丸を回避し、かわしきれないものだけを切り払う。
 そして致命傷にならず、行動に大きな支障を生じないような弾丸は、かわすことさえせず、ただただ賢太郎に近づくための突撃をし続けた。
 少しずつ赤く染まっていく麻夜の肢体。
 それでも、自分の体のことではないかのように麻夜は突撃を止めるような真似はしない。 
 だが、
「やった!」
 賢太郎の歓喜とともに肉が飛び散った。
 左の太もものあたりにかわしきれなかった糸弾がくらいついたのだ。
 肉が後方に弾け、芝生を血が濡らす。
「まだ」
 右足が動いた。
 痛みを感じていないのか、まったく歩調を変えることなく、麻夜は突撃を継続する。
 今度は右腕に糸弾が貫通した。
 それでも止まらない。
 麻夜は足を動かし続ける。
「な、なんだ。何で止まらないんだ!」
 賢太郎の叫びに急かされ、糸の怪人はさらに糸弾を発射し続ける。
 今度は左のわき腹に糸弾が命中した。
 引きちぎられる内臓、そして飛び散る血液。
「まだだ!」
 止まらない。
 麻夜は止まらない。
 ただ前に。
 ただ目標だけを見据えて走り続ける。
「ふざけんなーっ!」
 痛みだけでも十分停止する損傷のはずだ。
 それでもなお、突撃をやめない麻夜はすでに五メートルの距離まで迫っている。
 距離が近づけば、それだけ射撃武器は命中率を増す。
 先ほどを上回る弾幕が麻夜に襲い掛かった。
 左腕、首筋、右胸、右足、膝、そして左鎖骨。
「まだ、終わっちゃいない!」
 咆哮が轟いた。
 どれほどの血が流されようとも。
 どれほどの肉が飛び散ろうとも。
 そして、どれほどの骨が砕かれようとも麻夜の足は止まらなかった。
 髪をかき乱し、目を血走らせ、赤く濡れる肉体をひるませることなく疾駆させる。
 その姿は、女神と呼ぶには凄惨すぎ。
 邪神と呼ぶにはあまりにも崇高すぎた。
 麻夜がついに眼前に迫る。
 その時になってようやくカラクリに気付いた。
 はるか後方で銃を構える柴崎の姿を。
 そして、血にまみれながら全く負傷していない麻夜の姿を見たからであった。
 賢太郎は柴崎をこそ狙うべきだった。
 柴崎を先に沈黙させてしまえば、いかに麻夜とは言えその突撃は賢太郎に届く前に停止させられていただろう。
 だが、賢太郎は麻夜こそが本命だと見抜いていた。
 確かに麻夜は本命だった。
 だが勝機を構築するための土台は間違いなく柴崎だ。
 柴崎は突撃を成功させるために麻夜に防御結界を張ると素早く弾丸を装填、先ほど麻夜に説明した『三秒以内ならちぎれとんだ手足も一瞬で癒着させるくらい優秀な』魔弾を可能な限り麻夜にむかって連射し続けていたのだ。
 だからこそ麻夜は致命傷を受ける事にだけ注意を払い、ほかのどんな損傷も省みず突撃を続けたのだ。
 柴崎こそが作戦の根底だと気付けたが、時はすでに遅い。
 麻夜はもう賢太郎を射程圏内におさめていたのだ。
「はぁっ!」
 咆哮一閃。
 薙ぎ振るわれた絶鋼剣が夜の風を切り裂く。
 賢太郎は危ういところで後方に飛びのき、その一撃から逃れたが、代償として左腕を持ってかれていた。
「なああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 絶叫とともに腕の断面から血液が迸った。
 前かがみになり、切断された左腕を抱え込むようにして麻夜を睨む。
「何をしている、やれ!」
 糸の怪人たちに命じる。
 しかし、怪人たちは応えない。
「なぜ、動かない?」
 痛みに苦しみ、脂汗を浮かべながら左右に陣取る糸の怪人に糸線を向ける。
 だが、怪人たちは次々に地面に倒れ、糸を紡いで構築していた肉体を解き、ただ長い糸として地面にばら撒かれた。
「供給源は断ったわ」
 その言葉に、賢太郎は自分が左腕を失ったことの意味を改めて理解した。
 切断された左腕に視線を向ける。
 その腕には、紅鉄の糸で編まれた糸の中に青い金属で紡がれた糸が存在していた。
「柴崎さんから聞いたの、伝導率がよくて輝光の隠蔽に向いてる蒼鋼のことを。まさかと思ったら本当にそれで直接引っ張ってきてたなんてね」
 輝光を、空気中を経由して引っ張ってきているのであれば柴崎にも麻夜にも輝光の供給源についてあっさりとばれてしまっていただろう。
 だが、賢太郎は蒼鋼をまるで電源のコードのような役割にして用い、そこから輝光を受け取り続けていた。
「ギリギリまで気付かなかったわ、供給用の霊脈の基点だけ隠していたなんてね。表向きに起動している場所がわかるようにしておいて、隠している基点の存在を最後まで隠蔽してるあたり大したものね」
 賢太郎が無制限に糸線結界の力を行使できた理由は単純なものであった。
 霊脈と呼ばれる輝光が存在する土地から直接輝光を吸い上げる。
 人間の生命力と世界の生命力、どちらが大きいかなど比べるまでもない。
 そして、賢太郎はそれを隠蔽すべく、蒼鋼で直接輝光を引っ張るという面倒くさい真似をし、種を隠して戦い続けた。
 だが、もはやそれは明かされてしまった。
 能力は暴かれ、供給源を切断され、さらには左腕まで失った。
 もはや賢太郎に紅鉄を維持する力は残されていない。
 賢太郎の肉体を覆う紅鉄の鎧は、一瞬にしてその存在を消滅させた。
「ふざけるなよ」
 体を起こす。
 左腕はいまだに血を撒き散らしている。
 止血をしようなどいう考えは起ころうはずもない。
 ただ、目の前の女が憎かった。
「やめなさい、その腕は絶鋼で切り裂かれたわ。今ならまだ助かるかもしれない、でも適切な治療をしないのなら」
「知るか!」
 賢太郎は残った右腕を宙に掲げた。
 まだ残っている。
 まだ、糸線結界はこの腕に残ったいるのだ。
「魔剣よ、糸線結界よ!」
 賢太郎が叫ぶ。
 魔剣の名前こそが魔剣起動の詠唱だ。
 賢太郎の腕からおびただしい量の糸が作り出された。
「まだだ、オレはこれからだ。これからもオレは!」
 いい感じにいっていたのだ。
 もうすぐだ、親父も消えて財産も手に入り、結界だってすぐに女が張りなおしてくれる。
 それにオレには糸線結界だってある。
 まだけつまずいた程度だ。
 オレの空想は終わらない。
 空想は現実になる。
 空想はこの世界に映し出されるのだ。
 いや、映し出す。
 誰でもないこの自分が。
 ならば、
「糸よ、糸線よ、覆え、巡らせ、蜘蛛の如く!」
 木を、草を、地面を、柱を、枝を、葉を。
 庭にあるあらゆるものを支点とし、賢太郎は屋内でしか展開不可能と思われた結界を構築する。
「糸線結界、かわせるかぁっ!」
 麻夜は一歩も動けなかった。
 糸は急速な速度で麻夜の周囲を覆いつくし、少しでも動けば肉体はサイコロステーキのように細切れにされてしまうだろう。
 柴崎も同様だった。
 あれだけの距離がありながら、あっという間に逃げ場を失った。
 これで勝負は決まった。
 戦いの勝敗は、この瞬間につけられたのだ。
「バカなヤツ」
 呟くように麻夜は続けた。
「せっかく首を切り飛ばしてやろうと思ったのに、無駄な抵抗するなんてね」
 もとより許すつもりなどはなかった。
 投降を勧告し、油断し安心しきったところを切り伏せるつもりだったが予想外の反撃に出られた。
 溢れ出る糸を目の前にし、麻夜は動けなかった。
 いや、動かなかった。
 麻夜は糸線結界という魔剣がいかなるものか聞いていた。
 そして、それを教えた柴崎とて同様であった。
 やはり動かなかったのだ。
「それがあなたの行動で投影した現実なのね、あなたはそれで満足? そうでもないみたいだけど」
 呟きは続く。
 麻夜の眼前にあった糸が音もなく空気中に溶け込むように消え去った。
 それに続き、四方八方にのびていた糸が見る見る打ちにその存在を失っていく。
「さよなら、賢太郎様」
 眼前の男に告げる。
 その男は、麻夜を睨みつけて立ち続けていた。
 眼窩はくぼみ、肌は干からび、肉体は脂肪をすべて失い、まるで飢餓状態のようであった。
 肉体は水分のほとんどを失ってまるでミイラ。
 干からびた瞳孔だけが、麻夜に向かって向けられている。
「哀れね、本当に哀れだわ」
 一陣の風が吹いた。
 支えを失っていた賢太郎の肉体は、その風に逆らうことができず地面に倒れ付す。
 何を求め、何を得たのか。
 それは、語る言葉を失った賢太郎からは、二度と聞き出すことなどできないのであろう。
 こうして、自らが作り出した空想を投影しようとした男は死んだ。
 後にはところどころを損壊させた屋敷が残るだけであった。


















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