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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十五羽 事件の全貌

第十五羽 事件の全貌



「あれ、もう終わっちゃったんですか?」
 声は屋敷の中から聞こえてきた。
 麻夜はとっさに絶鋼剣を構えなおしたが、柴崎はその姿を見ると刻銃をコートの中にしまいこんでしまった。
「そこで何をしている、智美」
「いや、あははははは」
 玄関から見て中央に存在する、二階へと続く階段を一人の少女が笑いながら降りてきた。
 戦いの中でボロボロになった麻夜のメイド服とはことなり、穴一つ開いていない綺麗なメイド服のスカートをたなびかせている。
「見たところ無事みたいでよかったです、怪我もないのに血まみれですけど」
「えっ、あなた……」
 降りてくる少女を凝視しながら、麻夜はその少女の名を口にする。
「智美……ちゃん?」
「そうですよ、智美ちゃんです。服がすごいことになってますよ、麻夜さん」
 そう、階段を降りてきたのは里村智美だった。
「それにしてもすごい戦いでしたね、私びっくりしちゃいましたよ」
「私の質問に答えて欲しいのだがな」
 ため息混じりに尋ねる柴崎。
 そんな柴崎を尻目に、麻夜は智美に歩み寄った。
「ちょっと、智美ちゃん。柴崎さんと知り合いなの?」
「ん〜、説明しますから先にそれしまってくれませんか。麻夜さん倒れそうですよ」
 言われ、妙に体がけだるいのに麻夜は気付いた。
 それの意味するところをすぐに気付いた麻夜は素早く絶鋼剣を革のケースの中にしまいこむ。
 それを行って緊張が途切れたのか。
 麻夜は立っていられなくなり、その場に座り込んでしまった。
「それにしても麻夜さんってすごいです。普通なら絶鋼を持ってそんなに行動できる人なんていませんよ。獣憑き並に頑丈なんですね」
「ほめ言葉として受け取っておくわ」
 正直、頑丈などという言葉をだされて嬉しいと思う女性は少ないと思う。
 自分が絶鋼を持っていたことによりどれだけ疲労していたかということに気付いた麻夜は、深呼吸をして呼吸を整えはじめた。
「で、早く教えてもらえるか」
 三度目の柴崎の要求に、智美は思い出したように笑顔を浮かべた。
「いえ、頑張って潜入捜査してたんですけど、結界にとらわれて援護できませんでした」
「単独で潜入していたのか? 私は聞いていないぞ」
「クロウからの命令だったんです。先に潜入しておいて後から来るだろう柴崎さんたちを援護しろって」
「つまり、お前は私たちよりも早くこの町に来て、すでに敵の存在を嗅ぎ取っていたわけか?」
「そうなんです。でも、ちょっと問題があって屋敷から出られなかったんです。結界のせいで外と通信できないし、電話も盗聴の可能性があるから使えない。でも、どうせ柴崎さんたちならここを強襲するに決まってるから現状維持を勤めたんです。まぁ、結局敵の術中って感じでしたけど」
「なるほどな」
 納得し、柴崎はふと座り込んだ麻夜に視線を送る。
 麻夜はわけがわからないという表情をしていた。
「あぁ、紹介がまだでしたか。彼女は私たちの味方で」
「十一の亡霊、里村智美です。よろしくお願いしまーす」
「そうなの?」
「なんだと?」
 その自己紹介に麻夜と柴崎が同時に反応した。
「お前は十だったはずだ。十一は私だぞ」
「何言ってるんです? クロウから聞いてませんか? 柴崎さんは昇進したんですよ」
「昇進だと?」
「ええ、ここに来る前にクロウがみんなの階級をいじってました。柴崎さんは今、私より格上の、十の亡霊です」
「なんと、いつの間にそのような人事が」
「桂原さんは一の亡霊に昇進して桂原さんより上の人はみんな一段階落ちました。私も柴崎さんに抜かされちゃいましたし」
 ため息交じりに答える里村に、麻夜が口を開いた。
「智美ちゃん、ランページ・ファントムの人だったの?」
「そうですよ」
「じゃあ何で教えてくれなかったんですか?」
「敵を騙すにはまず味方から。それに土壇場で自由に動ける遊兵の存在は戦場においては非常に効果的であると言えますよ」
「その割には間に合わなかったじゃないか」
 鋭い柴崎の一言。
 里村は機嫌を悪くして柴崎を一瞥する。
「私だって気にしてるんですよ、お役に立てなくてもうしわけないです。あぁ、また降格かなぁ」
「しっかりと報告しておくぞ、師父にな。あと、師父をクロウと呼ぶのをやめろ。あの人はその名を嫌う。アルカナムと呼べ」
「どうしてそんなに拘るんですか? アルカナムは確かにあのが好んでいる異名かもしれませんが、みなさんあの方のことをクロウ・カードと呼んでいますよ」
「気持ちはわからんでもないが、本人が嫌がってるのだからやめろ」
「あの人がいる場所ではアルカナムって呼びますから、せめてあの人がいないところではそう呼ばせてくださいよ。他の人がいた場合、アルカナムだとすぐに反応してもらえないかもしれませんよ。ダメですか?」
「まぁ、仕方がないか」
 どうせ言っても里村が聞かないことはわかっている。
 そもそも、影であの人をアルカナムと呼ぶ人間の方が少ないだろう。
 それほどまでにクロウ・カードの異名は裏世界において有名なのだ。
 と、
「あ、そうそう」
 里村は思い出したように人差し指を立てて柴崎を見た。
「これでも私、ちゃんと仕事はしてたんですよ」
「何をしたというんだ?」
「無理矢理連れてこられて監禁された人たちを探し出したんです」
「なんと!」
 柴崎は無能と決め付けていた(今回に限りはだ、仮にも彼女は精鋭部隊の隊員である)里村が給料分の仕事をしていたことに驚きを隠さなかった。
「で、どこにいるんだ? もしかして保護しているのか?」
「してないです、そんなことしたら私が工作員だってばれちゃうじゃないですか。場所を突き止めただけです。でも、それだって危険な橋だったんですよ」
「あぁ、承知している」
 柴崎は労わるような口調で里村にそう言った。
 そんな柴崎に満足したのか、里村は自信たっぷりに口を開いた。
「この屋敷、実は地下に地下牢があるんですよ」
「ほぉ、そんなものがあるのか」
「知らなかった……」
 前者は柴崎、後者は麻夜である。
 麻夜としても念入りに屋敷を調べ上げたつもりだったが、潜入期間の差も手伝って里村の方が一枚上手だったらしい。
「美人だからって無理矢理連れてこられた女の人たちが全部で十六人。たぶん、赤志野の御主人が誘拐してきたんじゃないですかね?」
 誘拐しても一ヶ月すれば相手はこちらの思うがままに操ることが出来る。
 ならば赤志野剛太、もしくは賢太郎が女性を誘拐し、監禁したところで何もおかしくはない。
「なるほど、十六といえばちょうど連続失踪強姦殺人で行方不明の人間の数と一致するな。犯人も特定できた、これで事件も解決だ」
 事件の終わりを確信した柴崎だったが、失われた十二の命は戻ってこない。
 その命を悼むため、柴崎は一人黙祷をはじめる。
 こういうことに律儀な柴崎の性格を里村は知っていた。
 だから、新しく浮かんだ疑問を解消すべく、里村は座り込んでいる麻夜の側まで歩いていった。
「ねぇ、麻夜さん。質問よろしいですか?」
「何が聞きたいの?」
「えっと、よくわからないんですけど。連続失踪強姦殺人って何ですか?」
「知らないの?」
 拍子抜けた顔で里村を見る麻夜。
 が、すぐに気がついた。
 里村はこの屋敷に一ヶ月近く滞在していたのだ。
 屋敷で働いている間は外の情報は一切入ってこない。
 麻夜もそれを知っていたため、すぐに事情を理解した。
「この町で起こってた事件よ。女性をターゲットにした事件で、行方不明が十六人、死体で発見された人間は十二人。しかも死体は全部切り刻まれたバラバラ死体っていう猟奇事件だったの」
「で、犯人が賢太郎さんだったってことですか?」
「そうよ、聞いた話じゃバラバラ死体を発見したあなたの同僚の桂原さんと薙風さんは糸使いの魔剣士と戦ったって話だし。ここで十六人の女性が見つかったって言うなら犯人は賢太郎で間違いないんじゃないの?」
「あれ? おかしいですよ」
 麻夜の言った言葉に、里村は疑問を深める。
「私、賢太郎さんが魔剣士ってことには結構早めに気付いてたんです。でも、賢太郎さんは結界使いじゃないから結界使いを見つけ出すまではと思ってここで働いていました。
 いつ賢太郎さんが結界使いと会うかわからなかったので、いつも輝光探知をして賢太郎さんの動きを確認していたんですけど……」
「けど……何?」
「賢太郎さん、ここ一ヶ月くらいの間ですけど。一度(・・)も(・)外出(・・)して(・・)ないん(・・・)です(・・)」
「えっ!」
「なに!」
 麻夜が、そして黙祷をささげていた柴崎の視線が里村に集中した。
「待て、どういうことだ。賢太郎が外出していなかっただと?」
 思考をまとめるべく、柴崎は口元に手をあてる。
「いやな可能性だ」
「言ってください」
 言葉を渋る柴崎に、麻夜はそう口にした。
「ありえなくはない、ありえて欲しくはないがこう考えるのが妥当だ」
 舌打ちをもらし、認めたくない言葉を柴崎はその口から紡いだ。
「誘拐と殺人は別口だ。賢太郎は、というか赤志野の連中の犯した犯罪は誘拐のみ。連続強姦殺人犯は別にいたんだ」






 須藤数騎は天にも昇らん心地でソファの上で寝転がっていた。
 誰もいない探偵事務所の薄汚れた天井を見つめながら忍び笑いを漏らす。
 たしかにショックな出来事がなかったわけではないが、それ以上に桐里神楽と恋仲になれたことが嬉しかった。
 他のことはどうでもいい、数騎にとってはそれが全てであった。
「んふふふふ」
 緩んだ顔で嬉しそうに笑う数騎。
 麻夜が見ていたら、きっと気持ち悪い顔だとでも罵るところだろう。
 それにしても、数騎は思った。
 麻夜さんはともかくとして、仮面使いをはじめとする人たちはどこに行ってしまったのだろうか。
 まぁ、仕事のことなら僕に何かを言う必要もないわけで、文句を言う筋合いもないと言えばないかなぁ。
 そんな風に考えていると、数騎のポケットから振動が走った。
 携帯電話が震えているのだ。
 いちいちマナーモードに切り替えるのが面倒だと考えている数騎は、常に携帯をマナーモードにしているため、着信音を着信時に聞いたことはほんの数回しかない。
 携帯電話を取り出してみる。
 着信は桐里神楽だった。
「神楽さんが電話してくるなんて、珍しいな」
 神楽と数騎はお互いに、かなり以前から携帯の番号とアドレスを交換しあっていたが、ほとんど毎日会って会話をしているため、別に連絡機器に頼る必要性を双方とも感じていなかったからだ。
 もの珍しさと、先ほどの告白の緊張を感じながら、数騎は電話を耳に当てる。
「はい、もしもし。須藤です」
「あ、数騎さんですか」
 それは間違いないほどに神楽の声であった。
「申し訳ないんですけど、御時間よろしいですか?」
「ん〜、別に構いませんが。どんな御用ですか?」
「ちょっとここでは言えないんですけど、重大な話なんです。今から会えませんか?」
 時計を見る、時刻はもう夜の八時。
 夏だからそこまで暗くはないものの、正直外を歩きたいと思えない時間であることも確かだ。
 でも、神楽さんが会いたがってるのを断る理由としてはあまりにも軽い。
 そう判断した数騎は、一秒のタイムラグもなしに神楽にこう答えた。
「いいですよ、どこでお会いしましょうか?」
「えーっと、それじゃあいつも公園とかは大丈夫ですか?」
「はい、構いません。じゃあすぐに支度しますので。それでは」
「あっ、待ってください!」
 電話を切ろうとする数騎に、神楽は口早に言葉を紡ぐ。
「数騎さんは、護身用の武器はいつも持ち歩いていますか?」
「ん〜、持ってますけど。それが?」
「いえ、ただ確認したかっただけです。最近は何かと物騒ですし」
「まぁ、殺人犯が街にいるわけですから決して安全ではないでしょうね」
 言われるまでもなくナイフはいつもポケットに二振り用意している。
「じゃあ、公園でお待ちしていますので早めに来てくださいね」
「わかりました、それでは」
 言って数騎は携帯を切った。
 外に出る支度をしようと数騎は一瞬考え込んだが、別に寒くもない季節、わざわざ支度する必要をまったくと言っていいほど感じはしない。
 せいぜい鍵を閉め忘れないよう気をつける程度だろう。
 そう考え、数騎は鍵をポケットに突っ込んで玄関に向かった。
 その心の内は、神楽に会えるという喜びに満ち溢れていた。
 だが、数騎は一つどうでもいい事を忘れていた。
 あまりに心が浮かれすぎていたため、薙風がつけっぱなしで出て行ったテレビの電源を消し忘れていたのだ。
 テレビは本来の番組から緊急ニュース特報が流れていた。
「ついさきほど、前回女性が惨殺されていたパチンコ店付近で変死体が発見されました。これまでと違い女性ではなく男性の遺体です。
 詳しいことは現場の立花さんに……」






 風が吹いた。
 一陣の風が公園の木々の青々しい葉の群れを撫で、ざわざわと葉のこすれる音が響く。
 そんな夜の公園に須藤数騎が姿を現した。
 どうもこの公園には縁があるな。
 いや、縁どころの騒ぎでもない。
 神楽さん、麻夜さん、仮面使い、そして司。
 僕はどうも親しい人ともそうでない人ともこの公園でよく出会ったりしているみたいだ。
 まぁ、薙風さんや桂原さんとはこの公園で会ったことはないが、案外近いうちにこの公園で顔合わせすることになるかもしれない。
 その時はその時かな。
 須藤数騎はきょろきょろと視線を巡らせ公園を隅々まで見渡す。
 が、神楽の姿はどこにも見当たらない。
「おかしいな、まだ来てないのか?」
 呟き、いつものベンチの側まで歩いていく。
 しかし、ベンチの上にも神楽の姿はない。
「呼び出しておいていないなんて。まぁ、館から来るんだったらまだ時間かかるよな」
 そう口にし、数騎はベンチに腰を降ろす。
 と、尻の辺りで変な音がなった。
「ん?」
 数騎は尻の下に手を回し、音を立てたものを拾い上げる。
 それは尻の下に敷いたおかげでくしゃくしゃになってしまった紙だった。
 風で飛ばないように、ご丁寧にセロハンテープが上の方についていた。
 そこには少し下手な文字で伝言が書かれていた。

 呼び出したのにこんなお手紙で伝言をお伝えすることになって申し訳ありません。
 数騎さんに内緒でお話したいことがあります。
 本当ならこの公園でお話したかったのですが、ここよりももっといい所を思いつきましたので、どうかそこまでいらしてください。
 ただし、誰にも見つからないようにしてください。
 それと、ここに来ることは誰にも教えないでください。
 私は先にそこに行ってお待ちしています。

「えっと、どういうことかな?」
 一度読んですぐに理解できなかったのでもう一度読み直す。
 ふむふむ、内緒の話があるから来て欲しいとのこと。
「どこにさ?」
 そこと言っても場所が書いてない。
 そこで紙の裏を見てみると、裏に大雑把な地図と建物の名前が書き込まれていた。
「え〜っと、美坂町三丁目のヨシスケデパートの脇にある立体駐車場の七階? 遠いな」
 この公園は美坂町一丁目の三番地区あたりだったような気がする。
 自転車でも軽く三十分以上。
 道を知らないわけではないが、電車に乗っていった方がいいように思われる。
「むぅ、無駄な出費はありがたくないんだけどなぁ」
 まぁ、神楽さんの頼みなら仕方ないかな。
 そんなことを考えながら、数騎は自転車を駅の方へと走らせた。
 走行中に携帯電話が震えたが、数騎はその電話に気がつかなかった。
 音が出ないし、何より動いている途中は電車に乗っている程度でも電話の着信に気付かないことなどざらだったからだ。
 だから、数騎はその着信に最後の最後まで気付くことがなかった。
 最後の、最後まで。






「で、ここか」
 見上げる。
 なかなかいい感じの高さだ。
 数騎はアスファルトの地面を歩きながらその建物を眺めていた。
 時刻は十時を回ろうとしていた。
 さすがに夏と言えどいい感じに暗くなってくる時刻だ。
 左右を見渡すが、人っ子一人いない。
 そう、ここはヨシスケデパート近辺の道路。
 駅からは結構距離があり、競艇場と九階建てのヨシスケデパートと巨大な公園しかない地域だ。
 映画館、ゲームセンター、パチンコ、ディスカウントショップなどいろいろな要素で構成されたスーパーと競艇場には昼間は多くの客は集まるが、この時間帯では店もすでに閉まり、あたりは静まり返っていた。
 少し戻れば国道が側にあるのでにぎわいもあるが、このあたりは完璧に気配が失われている。
 だが、数騎の心配の種は他にあった。
 神楽はなぜかヨシスケデパートのお客さんが駐車するための立体駐車場の一つに僕を呼び寄せたのだ。
 デパートの中の駐車場ほどじゃないにせよ、忍び込むには一苦労だ。
 監視カメラとかがないわけじゃないし、警備の人間だっている。
 見つかったら間違いなく補導されるし、なによりそんなところでしたい密談の内容ですら検討がつかない。
 まぁ、忍び込むのにはなれている。
 よくプチ家出をしていたときにはいろんなところで遊び歩いてたし、不良の友達と不法侵入して遊ぶのは日常茶飯事だった。
「でも、もう中坊じゃないんだけどなぁ」
 そんなことをぼやきながら数騎は携帯電話の存在を思い出していた。
 よく考えたら神楽が不法侵入に失敗している可能性もあるわけだ。
 数騎は向こうが無事に駐車場の中に入れたかどうか確認するため、ポケットから携帯電話を取り出す。
「ん、電源なんて切ってたかな」
 数騎は電源を立ち上げるべく数秒頑張ったが、携帯の電源は入らなかった。
 思わず数騎は後ろを振り返った。
 静かだが静かすぎた。
 気がつかなかったが、さっきは後ろで車が行きかう音がわずかに聞こえてきていたのだ。
 だが、振り返っても音はなく、車は全てそこで停止してヘッドライトの明かりすらもその場に固定されていた。
「鏡内界……なんでここで……」
 驚きを隠せない。
 鏡内界に取り込まれた。
 いや、それはどうでもいい。
 大切なのは、神楽と会う約束をした場所の近くで鏡内界が展開していることだ。
 数騎は携帯をポケットに戻し、そのままポケットに手を突っ込んだまま歩き始めた。
 ナイフの冷たい感触が手のひらに広がる。
 臨戦態勢は整えた。
 異常事態においていつでも対応できるよう、数騎は周囲に意識を配りながら立体駐車場まで歩く。
 警備員はいない、いるわけない。
 一応姿は見たが鏡の向こう側だ。
 聞こえはしないだろうが音もなく、おまけに姿も壁を伝うことで隠しながら進入した。
 神楽さんは八階で待っていると言っていた。
 エレベーター、階段、駐車場、上に向かうには三つの選択肢があった。
 いや、二つか。
 異層空間の中では電子機器が機能しない。
 ならば階段か、駐車場内。
 数騎は迷うことなく駐車場内を選択した。
 異層空間が張られて鏡内界にとりこまれるという事態が非常事態でないわけがない。
 階段などという隠れる場所もないところでは命がいくつあっても足りないだろう。
 故に駐車場の中を行く、車の影に隠れながら数騎はゆっくりと上を目指して歩きはじめた。
 夜には客がいないのだから車が少ないだろうと思っていた数騎は予想よりも多い車の数に驚きながら駐車上の中を歩き続けた。
 数騎は知らなかったが、実はヨシスケデパートの側にはラブホテルが何件も建っており、そのあたりには駐車場がない、ホテルにも備え付けの駐車場はない。
 だから歩く距離は増えるがこの駐車場に車を置きに来るカップルは結構多いのだそうだ。
 もちろん今の状況においてそんなことは関係ないし、数騎がそれを知ことは結局なかったのだから。
 と、数騎は斜面に出くわした。
 本来なら車が行き来する階段代わりの斜面だが、歩いて上れないほど傾斜はひどくない。
 数騎はそこを上る前に車と車の間に体を滑り込ませる。
 もし、敵と不意に遭遇した時のために得物を容易しておく必要があるからだった。
 ただの折りたたみナイフであるドゥンケル・リッターはいつでも容易に使用できるが、鎖ナイフのハイリシュ・リッターは腰にベルト代わりに巻きつけているのですぐに取り出せない。
 いざという時は敵と距離をとって戦えるハイリシュ・リッターの方が有能だ。
 そんなわけでハイリシュ・リッターを臨戦状態にすべく、このベルトからするするとハイリシュ・リッターの鎖を開放していく。
 そうして、ようやくハイリシュ・リッターの鎖が腰から開放された。
 そして、首筋に冷たいものが触れた。
 気がついたときは遅かった。
 気配もわからなかったし、音だって聞き取れなかった。
 ただ、首に冷たいものが触れると同時に口をふさがれ、暴れられないように体を押さえつけられていた。
 視線を下に下げるとそこには十五センチくらいの刀身を持つ短刀があった。
 短刀を握る腕に力が入った。
 首をかき切る気だ。
 暴れようとしたががっちりと抑えられてて動きが取れない。
 せめて短刀から逃れようと、大きく首をねじった。
 運がよければ首じゃなくて鎖骨の下あたりに刃が刺さるかもしれないからだ。
 痛いだろうが致命傷よりはマシだ。
 と、そこでその女性と目があった。
 お互いの視線が絡み合うと、女性は僕の体の拘束を緩めながら小さく声を出した。
「赤の魔術師と一緒にいた坊やじゃないの」
「あんた……カラスアゲハ?」
 黒い髪に黒い瞳、そしてやや日焼けしたようなやや黒めの肌に、漆黒の装束を身に纏っっていた。
 相変わらず忍者のような女性だ。
「覚えててくれたんだ。お利口だね、坊や」
 言ってカラスアゲハは数騎の体を抱きかかえたまま、短刀を握った右手で数騎の頭を撫で回した。
 髪の毛がくしゃくしゃになる。
「えっと、もしかして僕のこと殺さないんですか?」
 本当はこの隙に暴れて逃げたいところだが、追撃を振り切る自信はない。
 ここは命乞いしかないと決心し、数騎はカラスアゲハに話しかけた。
「殺す気なんてないわよ、坊やだってわかればね。敵かと思った」
 そういいながらカラスアゲハは数騎の体を開放した。
 そして、数騎の口元で人差し指を立てる。
「わかってると思うけど、小声でお願いね」
 数騎はそれに頷き、口を開いた。
「どうしてここにあなたがいるんですか?」
「こっちのセリフよ、折角魔剣士突き止めて殺しにきたのに、何で坊やがここにいるの?」
「えっと、知り合いに呼び出されたんです」
「こんな時間に? こんなところで? 変な知り合いね」
 数騎の目的を図りかねて、カラスアゲハはあいまいな口調で納得してみせる。
 数騎はそんなカラスアゲハの心情を汲み取ったが、真実をありのままに話しているわけだし、誤解を解く必要性もないのでそのまま話を続けた。
「で、あなたはなんでこんなところに?」
「だから魔剣士殺しに来たのよ」
「魔術結社の、ですか?」
「魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)じゃないわ、そうだったらとっくに坊やのこと殺しているし」
 言われてみれば僕も一応、魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)として扱われているらしい。
 実際には戦闘員ではないが、外部の人間にとっては大差もないのだろう。
「じゃあ、一体誰なんですか?」
「悪いやつよ、ここんとこ町で猟奇殺人繰り広げてた悪党。魔剣手に入れて暴走してるみたいなの。あんまり派手にやられると魔術結社から増援がくるじゃない。そうなる前に消しておきたいの」
 すでに増援が来ていることは黙っていよう。
 それにしてもさすが裏の世界の人間は利己的だ。
 殺人鬼だから止めるのではなく、自分の利益のために殺人鬼を狩ろうとしている。
 魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)だって表の世界に裏世界の存在の暴露を恐れるがために、魔術結社が出している賞金のためい動いているわけだし、そう大差はない。
 むしろ人々のために戦っている仮面使いなんてかなり珍しいヤツなのだと麻夜さんがこぼしていたことがあった。
 まぁ、表の世界の人間だって利己的なやつらばかりだからどっちもどっちだろう。
 と、そんな風に考えている僕に向かって、カラスアゲハは少し怒った顔で僕を睨みつけていた。
「それにしても、何考えてるの坊やは?」
「何とは?」
「そのナイフよ、鎖のついたナイフなんてナンセンスにもほどがあるわ」
 そう言って、数騎の手にしているナイフを指差した。
「あなたの陰影は完璧だけど、その鎖の音のせいで台無しよ。いままではいい感じに音を隠して行動できたかも知れないけど、今回はそれで死に掛けたわね。正直私も鎖の音が聞こえてこなかったらあなたに気付かなかったわ」
 どうやらカラスアゲハは数騎が陰影の能力者と勘違いしているようだが、数騎にとって大切なのは鎖の音の方だ。
 音がならないように細心の注意を払っていたつもりだが、どうやらカラスアゲハの耳に届いていたようだ。
「あなたもこれから裏の世界で生きていく気があるなら鎖なんて持ち歩かないことね、折角の陰影も音でバレちゃ無意味なんだから」
「むぅ、わかりました」
 数騎は泣く泣く手にしたナイフを丁寧に地面に置いた。
 カラスアゲハの話ではこの近くに魔剣士がいるという話らしい。
 ならここで見つかる可能性が生じるハイリシュ・リッターを持ち歩くわけにはいかない。
「じゃ、行くわよ」
 言って、カラスアゲハは周囲を見渡しながら立ち上がる。
 なぜか左手で数騎の腕を握り締めている。
「えっと、何で離してくれないんですか?」
「あんたも来るのよ」
「なんでですか?」
 驚いて尋ねた。
 もちろん声は小さくしてる。
「囮に使えるからよ。大丈夫、あなたに気を取られた瞬間に敵の首は飛んでるから」
 なるほど、たしかにカラスアゲハは凄腕の暗殺者っぽい感じだ。
 現に殺されかけたわけだし。
 だがそれが、自分がカラスアゲハと共に戦う理由にはならない。
「えっと、帰っちゃダメですか?」
 命がけの戦いなどゴメンだ。
 数騎は何とかその場から逃れようとしたが、その言葉を聞いた瞬間、カラスアゲハは冷めた目で数騎を見つめた。
 氷のように冷たいその視線に、数騎は思わず鳥肌がたった。
「死にたいの? 今?」
 遠まわしに今死ぬか、それとも後で死ぬかと尋ねている。
 まさに蛇に睨まれた蛙だ。
 恐怖から胃の中身が逆流し、胃液が口元にこみ上げてくる。
 苦い、それ以上に恐ろしい。
 さらに断りの言葉を重ねた瞬間、首を失って地面に倒れる自分の姿が想像できた。
 そうだ、これが自分が足を踏み入れた世界なのだ。
 仮面使いも、司も、麻夜さんも僕の味方だった。
 だから何だかんだ言って僕を助けてくれた。
 でも、カラスアゲハは違う。
 僕にとって彼女はなんでもない。
 彼女にとっても僕はなんでもないんだ。
 だから簡単に殺せる。
 だから逆らったら殺す。
 自主的に協力しないヤツは使えない。
 ならいらない。
 じゃあ殺す。
 それが結論だ。
 なんて単純で。
 それでいてわかりやすい。
 つまり拒否権など最初からなかった。
 いや、生きたければ拒否できないだけだ。
 拒否権ならいつだって目の前にあるのだから。
「協力させてください」
 死にたくなかった。
 ならカラスアゲハに協力するしかない。
 裏切りは死を意味する。
 彼女は暗殺者だ。
 もしこの場は助かっても、これから先ずっと暗殺される可能性を覚えながら生きていくなんてあんまりだ。
 彼女の要求に答え、彼女の恨みを買わないように頑張るしかない。
 運がよければそれもありえる。
 理由は簡単だ。
 彼女は僕の顔を見て、僕を殺すのを止めた。
 それだけで十分すぎる。
 と、数騎はようやく自分以外のものに考えを巡らせる余裕ができたことに気付いた。
「神楽さんは、どうしているんだろう?」
 もうここに来ているなら、神楽さんの身は大丈夫なのだろうか?
 運がよければ異層空間にとりこまれずに現実空間で僕を待ってるかも知れない。
 それとも、まだここにたどり着いていなければ。
 いや、もしかしたら取り込まれているかも知れない。
 最悪の場合……
 数騎は首を左右に振ってカラスアゲハの顔を見た。
「急ぎましょう」
「………………」
 冷たい目で数騎を見つめ続けていたカラスアゲハは、ようやく瞳から殺意を消し去った。
「妙にやる気ね、自分の立場を理解してるのはありがたいことだけど」
「目的がありますから、目的があれば怖くないんです」
「死にたくないってこと?」
「それ以上に大切なことが」
「なるほどね」
 もちろん、数騎が何の事を言っているかなどカラスアゲハには見当もつかない。
 だが、カラスアゲハにとって大切なのは数騎が戦力として機能するかどうかだけだ。
 数騎が使えるとわかればそれ以外は瑣末なこと。
 そう考えると、カラスアゲハは数騎に背を向けて歩き出す。
 背中を向けようと、数騎が逃げないことを理解していたからだ。
 もちろん逃げたら今度こそ殺す気でいる。
 それがわかっているからこそ、数騎はカラスアゲハの背中を追いかける。
 夜はさらに暗さを増していった。






 桐里神楽は震えていた。
 まるで世界が揺れてでもいるかのような気分だった。
 もし、自分が震えていることを神楽が気付いていなかったなら、地震のせいで自分の体が揺れているとでも錯覚しただろう。
 だが、震えているのは神楽の体だった。
 なぜ震えているかなど、理由を考えるまでもない。
 嫌悪、恐怖、ありとあらゆる負の感情がせめぎあい、神楽は目の前の光景をできるだけ見ないようにしていた。
 立体駐車場の七階、そこには人間の影が二つ存在していた。
 一人は女性で冷たい立体駐車場の地面を背中に寝転がっており、もう一人は男性で寝転がる女性の上にかぶさる様に乗っていた。
 男性の腰が前後に振られるたびに、下になった女性の体が激しく反応する。
 なぜ動き続けるのだろうと神楽は思ったが、それは乗っている男性の動きが激しくそれに呼応しているにすぎない。
 荒い息、下衆な笑み。
 それの発生源であるその男を、神楽はこの世全ての邪悪にさえ見て取れた。
 神楽の前で重なるようにしている二人は男と女の営みをしていた。
 男の方は見られているという事実に欲情しているのだろう。
 さらに腰の動きを激しくし、時たま神楽の方に顔を向け、行為に伴う音を聞かれていると確認すると嬉しそうに顔をゆがめた。
 男の動きはさらに激しさを増し、下になっている女性の肉体はさらに揺さぶられた。
 その四肢には力など何一つ入らず、まるで人形のように動かされるがままになっていた。
 神楽は胸が引き裂かれそうだった。
 もし、両腕両足を縄で縛られてさえいなければ神楽は一目散に駆け出していたことだろう。
 この空間から逃れるため、この男から逃れるために。
 目の前の光景は異常の一言に尽きた。
 確かに、こんな場所で夜遅くに男女の交わりなどを他人に見せ付けて興奮する男が正常なわけはない。
 だが、その光景の中に、どうしようもないほどの異常がさらに潜んでいた。
 ここまで異常が多すぎると、それがまるで正常にさえ見えてきてしまうかもしれない。
 それが神楽には恐ろしかった。
 怖いもの見たさというやつだろうか。
 神楽は震え上がりながらも、脳裏に焼きついたそれを再び見るために目を開いた。
 交わりを続ける女性。
 男に組み敷かれているその女性。
 その女性にはあるはずのものが存在していなかった。
 赤々とした断面。
 そう、その女性の首から上には、頭部と呼ばれる人間のパーツが存在していなかったのだ。






「むぅ」
 小さく、自分にしか聞こえないように数騎は現状を呪っていた。
 もちろん、いつ襲われても大丈夫なように手には折りたたみナイフのドゥンケル・リッターを握り締めている。
 数騎とカラスアゲハは敵に注意しながら車の間を縫って立体駐車場を上り続けていた。
 現在、数騎とカラスアゲハがいるのは四階、神楽の置手紙に書いてあった約束の場所は三階上だ。
 もっとも、カラスアゲハの狙う魔剣士がどこにいるかはわからないので、カラスアゲハは常に慎重に周囲に気を配っている。
 それにしても不安だ、数騎は思った。
 何しろ自分が今まで戦いの中で敵に接近せずに牽制をかけられる鎖ナイフにどれだけ依存していたか、いまさらながらに気付かされたのだ。
 手にしたナイフのなんともちっぽけなことか。
 敵から距離を取れないということは、すなわち敵の反撃を受けることにほかならない。
 武器とはより正確に、より遠くから、より容易に、より強力な破壊力をもって敵を打破できるものこそ最上である。
 それに比べて自分のナイフは射程は短く、威力は低く、接近戦で反撃かわしながら攻撃しなくてはならないという難しさ、そして刀身の短さから致命傷の与えにくさと、もはやどうしようもない。
 せめて置いてきた武器がドゥンケル・リッターならどれだけよかっただろうか。
「むぅ」
「うるさい」
 小さく、だが背筋の凍るような威圧を込めた声が前の方から帰ってきた。
 うつむいていた顔を上に上げる。
 そこには怒りをたたえたカラスアゲハの顔があった。
「何呻いてるの、静かにしなさい。あと三つ上にあがったらそこに魔剣士がいるんだから。ここにだって何があるかわかりゃしないのよ」
「上にいるってわかるんですか?」
「わからないの? 輝光探知は基本中の基本よ。それに敵は自分の輝光を隠そうともしてないし、隠せないだけかもしれないけど」
 そんなことを言われても一般ピーポーな僕としては返答に窮するだけだ。
「で、何を呻いてたわけ? トイレ?」
「違います、不安なだけですよ」
「そりゃ、誰だって殺し合いの前は緊張するでしょ。当然のことじゃない」
 そんなカラスアゲハに、数騎は首を横に振る。
「そうじゃなくて、武器ですよ武器。僕にとって主力の武器はあの鎖ナイフだったんです。だからそれがなくなって心配なんですよ」
「あ〜、たしかにそんなナイフだけじゃ心配にもなるわね。じゃあいいものあげるわ」
 そう言うとカラスアゲハは自分の忍者のような衣装の胸の辺りに腕を突っ込み、そこからするすると糸を引き出す。
 胸の谷間から漆黒の糸が流れるように姿を現した。
 数騎はその場所を見て、眉を潜ませる。
 この状況でこれを見てよろこぶべきか、どうか迷ったからだ。
 正直こんなときに胸の谷間を見せ付けられても嬉しくない。
 つーか、男の前でそんな場所から得物を出さないで欲しい。
 慎み深さは美徳だと思うのだが、共感する人は何人くらいいるだろうか。 
「これでも使いなさい」
 やがて胸の谷間から武器がその全貌を現した。
 さすがは忍者の格好をしているだけの事はある。
 渡された武器はもちろん暗器だった。
 ちなみに暗器とは隠し武器のことである。
「分銅?」
 数騎はたったいま口にした得物をカラスアゲハから受け取った。
 ずっしりした重量を備えた鋼鉄の分銅、そして四メートルはあろうという長く、軽い糸。
 分銅も糸もともに黒く塗られており、暗闇でこれを使われたら相手はおろか使用者にすら分銅の位置がわからなくなるかもしれない代物だった。
 分銅という暗器は重量のある鉄に糸をくっつけただけという非常に簡単な武器である。
 だが、四メートル近くの長さを持つ糸によってその使用範囲は恐ろしく広い。
 糸であるため斬撃には弱いものの、代わりに鎖よりも自由度の高い操作性を誇る。
 分銅も拳に握りこめばパンチ力の増強、振り回して遠心力を利用すれば小さな力でも大きなダメージを与えることが出来る。
 刃物ではないため一撃必殺は難しく、ストッピングパワーも低めなために弱いと思われるかも知れないが、当たり所を選ばず打撃を与えられる打兵器は一般に思われている以上の効果がある。
 問題は使いこなすのが難しいのと、前述のとおりストッピングパワーの弱いこと。
 鎖ナイフにも同様のことが言えるが、敵が負傷を恐れる場合はかなり有能な武器だが、肉を切らせて骨を断とうとする敵は止めることができない。
 もっとも、頭部に一撃を見舞えれば一撃必殺も狙えるので、そう簡単には突っ込ませる気はないわけだが、問題は自分の技量だ。
 正直、鎖ナイフも武器としてはもてあましていて、鎖の使用法としては投げて回収するのがメイン。
 擾乱攻撃として少し鎖をいじってナイフの動きを偏向する位で、とてもではないが使いこなせていると見栄を切る気にはならない。
 しかし、糸なら鎖よりは使いやすいだろうし、何より武器としての形状が鎖ナイフと似通っているわけで決して扱えないことはないだろう。
「じゃあそれは腕にでも巻いておきなさい。簡単にほどけるように縛ってね。使うときは使う分だけ腕からほどいて使うといいわ」
 カラスアゲハが糸の隠匿性の高さを活かした使用法を教えてくれたので、早速それを試してみる。
 右手にはナイフを使うだろうし、紐をまわすのは利き腕の右手なので、分銅は左腕の巻くことにした。
 血が止まらないように注意しながら比較的緩く糸を腕に巻く。
 そして腕を動かしても分銅が動かないように糸で固定すると、それをカラスアゲハに見せた。
「上出来ね、それじゃ行きましょうか」
 言ってカラスアゲハは数騎に背中を向け、再び歩き始めた。
 数騎もそれに従って歩き始める。
 と、その時だ。
 かなり上の階から、かすかではあるが女性の声が聞こえてきた気がした。






「じゃあ、そろそろ君とも遊ぼうかな」
 立体駐車上の七階。
 首のない女との情事を終えた男は、ゆったりとした動きで身動きの取れない神楽に歩み寄っていった。
「あ……あ…………」
 恐怖に顔を歪めながら逃げようとする神楽。
 だが、両手両足を縛られて地面に転がされている状態では大した距離を稼げない。
 そうこうする内に男は神楽の体を捕まえた。
 男は神楽の肩を鷲づかみにすると、ねっとりとした粘液のまとわりつく舌を神楽の顔に近づけた。
「いや、いやぁっ!」
 マシュマロのようにやわらかいその頬を穢れた舌が這った。
 汚らしく唾液を塗りたくり、男はそのまま頬から舌を動かし首筋を舐め始めた。
 抗うことのできない恐怖から、神楽は全身を震わせていた。
 そんな様子を見て、男は陰湿な笑みを浮かべた。
 このような回りくどいことをしている理由は、それをされる女性がみな恐怖と絶望の入り混じった表情をするからだ。
 それを見るのがどれほど楽しいかを知ったその男は、以後一度としてこの過程を経なかったことはない。
 うなじのあたりまで舌を這わせると、今度はその左手を神楽の着物の胸の、あたりに突っ込んだ。
「や、やめてください! お願いです、お願いですから!」
 懇願する神楽をよそに、男は神楽の胸を思うがままにもみ始めた。
 自分が楽しむことしか考えない自分本位の愛撫は、神楽に嫌悪こそいだかせても快感などは決してもたらそうはずもない。
 やがて、男は神楽の胸に満足すると、今度は神楽の両足を縛る縄をほどき始めた。
 そう、彼はとうとう我慢できなくなったのだ。
 足の縄がほどかれたことに気付いた神楽はすぐに立ち上がり逃げようとするが、男はその動きを封じるべく、馬乗りになって神楽の体を圧迫する。
 神楽の非力な力では男を押し返すことができなかった。
 さらに両手も塞がれている。
 男はわずかに腰を浮かせると、着物の隙間から神楽の太股に手を伸ばした。
「ひっ!」
 男の冷たい手の感触に驚きながら、神楽は男のしようとしていることに思い至った。
 神楽は懇親の力で両足に力を入れて男がこれからしようとしている行動を阻もうとした。
 が、男の力を予想以上だった。
 神楽の懇親もむなしく、男の両腕がたやすく神楽の両足を開かせた。
 すぐさま、両足の間に男は自分の下半身を滑り込ませる。
「いやぁ、だめーっ!」
 泣きながら暴れだした。
 何とか男の侵入を防ごうと、両足を閉じようと頑張るも、男は自分の両足をうまく絡めさせて神楽の両足を無理矢理開かせる。
「やめて、やめてーっ!」
 涙をぼろぼろと流しながら叫ぶ神楽。
 そんな神楽の顔を見て男は至福の笑みを浮かべた。
 それは人類が生まれた時から何億という男たちが浮かべる笑み。
 女を征服した男が浮かべる、支配欲に対する満足の笑みだった。
 男は腰を前に進ませた。
 神楽の抵抗などあってないに等しい。
 そして、男は神楽にその剛直を叩き込もうとし、
「なんだ、今からがいいところなのに」
 下の階から響いてくる足音に気付いて神楽の体を開放した。
 すぐさまズボンを履き、ある程度身だしなみを整えてその音の主を待つ。
 階段を駆け上る音。
 荒々しく、コンクリートの床を叩くようにして駆け上り、その少年が姿を現した。
「おい……」
 短刀を構える。
「待てよ……」
 殺意のこもる視線を真っ直ぐに向け、
「神楽さんに何してやがんだ、テメェ!」
 須藤数騎は咆哮をもって眼前の敵と対峙した。
 暗くて顔がよく見えない。
 だが、数騎は右手に短刀をそして左手には分銅を隠し持ち、いつでも分銅による奇襲が可能なように構えていた。
 風が吹き、雲が流れた。
 月明かりに駐車場が照らされ、数騎はその場に存在する全てを目にすることができた。
 縛られ、首から上が存在しない全裸の女。
 涙で濡れた瞳を自分に向けてくる、着物を乱れさせている神楽。
 そして、
「お前……」
 数騎を待ち受けていた男。
「お前は……」
 動揺を隠し切れない。
 だが、相手の方は何食わぬ態度で数騎に対して口を開いていた。
「須藤くん、こんばんは」
「太田……くん……」
 そう、数騎の目の前に立っていた男は、太田邦弘であった。
 興奮のために赤みを帯びた頬。
 はちきれんばかりにピチピチなジーンズに、膨れ上がった腹のせいで模様が横に伸びてしまっているシャツ。
 それは数騎が記憶している太田そのものであった。
「太田、お前何してるんだ?」
 神楽に手を出されたのだ。
 さすがにいつもの口調を維持できなくなっている。
 憤怒を隠そうともしない数騎に、太田は微笑を浮かべた。
「何してるって、見てわからないかな。宴だよ、淫売にはもってこいのお楽しみさ」
「淫売?」
「この女どものことだよ、須藤くん。女なんてね、みんな淫売なんだよ」
「どういう意味だ?」
「言った通りさ、女はみんな淫売なんだ。本当は男を求めていやがるくせにお高くとまりやがって。だから望みを叶えてやってるだけさ。僕はね」
「お前が、犯人だったのか?」
「何の?」
「この一連の事件のだ」
 尋ねる数騎に、太田は笑みを浮かべながら首を横に振る。
「いや、全部ってわけじゃないよ? この町で起こってる事件の犯人は単独犯ってわけじゃないし。いや、単独犯かな? まぁ、同時に二つ起こってたから混ざったって感じじゃないのかな?屋敷の魔剣士のことなんて僕は知らないしね」
「魔剣士?」
 太田の言葉を反芻する数騎。
 その単語が出るということは。
「須藤くんの考えている通りだよ。僕はこっち側の人間なんだ。驚いたかい? 無能力者以外はその気配で悟られるって法則があったけど。魔剣を持っていない魔剣士で、魔剣以外に能力を持たない人間は、無能力者と大差ないんだ。
 だから僕は他の連中に魔剣士って気付かれなかったわけだ、あの綱野って女みたいにね」
 そこまで言って一呼吸おき、太田は続けた。
「まぁ、虎穴に入らずんば虎子を得ずって言葉もあるわけだから君たちに近づいたわけだけど。いやぁ、なかなかステキだったよ。
 綱野が魔術結社と繋がってるのは知ってたけど、屋敷の方ばっかりに集中して全然僕に気がつかないんだ。
 それにしてもあの事務所はよかったな、こっちに魔術結社が現在怪しんでいる人間の情報が入ってくるし、お金ももらえるし。
 しかも僕は全く疑われてなかったしね、笑えるよ」
「なんでそんなに丁寧に教えてくれるんだ?」
 睨み付けるように言葉を叩きつける数騎。
 そんな数騎に、勝ち誇った余裕の笑みを浮かべながら太田は予想外の言葉を口にする。
「須藤くんが僕の友達だからに決まってるじゃないか」
「友達?」
 なぜそこでそのような単語が出てくるのか数騎には理解不能だった。
 困惑する数騎をよそに、太田はゆっくりと話し始めた。
「僕はね、今まで友達がいなかったんだ。でもさ、須藤くんがはじめて僕の友達になってくれたんだよ。嬉しかったな、本当に嬉しかった。僕にも友達が出来たって思ったら本当に嬉しかったんだよ」
 どこか遠くを見るような目。
 でも、誰も見ていないような目で太田は続ける。
「だからさ、須藤くんはずっと僕の友達でいて欲しかったんだ。もし須藤くんさえよかったら、一緒に淫売どもを犯して楽しんだってよかったんだよ。まぁ、あんまり乗り気じゃなかっただろうけどさ」
 忍び笑いをもらしながら太田は思い出したように、さらに笑いを激しくする。
「あ、そうそう。この間、須藤くんに絡んできたポン引きさ、ちゃんと僕が殺しておいてあげたよ。これであいつがもう二度と須藤くんにちょっかい出すなんてことないよ。嬉しいでしょ」
 狂ってる。
 数騎はそう思った。
 いや、そんな一言で言い表せることができるのか正直自信はなかったが、それでも数騎はあの時、パチンコを終えた後に太田に会い、その時に嗅いだ臭いについてようやく説明がついた。
 今この空間に広がる臭いが、あの時の臭いを思い出させた。
 すなわち、鉄くさい血の臭い。
「太田、聞いていいか?」
「いいよ」
「僕とパチンコ店で会った時、紙袋をもってたな。あれは」
「うん、死体の一部を持ち運んでたんだよ。バラした後だったからね。変死体って騒がれた方がニュースで扱ってもらいやすいだろう?」
 やはりあの臭いは血の臭いだった。
 嗅ぎ慣れた気でいたとは言え、自分が裏の世界に首を突っ込んだのはつい最近だ。
 もしもあそこにいたのが僕ではなく仮面使いなら、とっくに事件は解決していただろう。
「ところでさ、須藤くん」
 太田はゆっくりと地面に転がる神楽に視線を送る。
 自分を太田が見つめていることに気付き、神楽はその身体をビクンと震わせる。
「この女って、須藤くんの何なの?」
「恋人だ」
「あ、やっぱ?」
 そう言うと、太田は懐から小型の錫杖を取り出した。
 装飾の施された錫杖、それこそ太田の魔剣だった。
「投影空想!」
 魔剣の名を口にし、術式を開放する。
 同時に地面に大きな穴が開き、それと同時に削り取られた地面と同じ物質、コンクリートで肉体を構成された顔のない大男が突如として出現した。
 大男は鈍重な動作で神楽の身体を持ち上げる。
「おい、神楽さんに何する気だ!」
「え、何するって?」
 太田が指を鳴らした。
 それと同時にコンクリートの大男は、神楽の身体をそのまま立体駐車場から投げ捨てた。
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「神楽さん!」
 走った。
 予備動作も何もなしに走った。
 直進するその速度は数騎にしては、あまりにも、それこそ別人のように速かった。
 だが、遅い。
 遅すぎた。
 神楽が駐車場から落下する速度は、数騎が十メートルの距離を走りぬけるよりも、圧倒的に速すぎたからだ。
 悲鳴が遠ざかる。
 下へ、下へ、さらに下へ。
 そして……






 風を切るようにして落下していった。
 ぐんぐん地上が近づいていく。
 神楽は、信じられないものを見るような目で地上を見つめながら思った。
 あれ、おかしいな。
 私、ここで死んじゃうのかな?
 変だよね、だって夢を見たのに。
 桜の木の下で誰かを待ってる夢。
 夢はまだ起こってない現実のはず。
 なら、私が今死ぬわけがない。
 でも、落下が止まらない。
 それどころかどんどん落ちる速度を増していく。
 そして、神楽は気付いた。
 なぜ、自分がそれを見ることが出来なかったか。
 なぜ、あの夢の続きを、桜の木の下で誰かを待ち続けるだけで続きを見ることが出来なかったが。
 そう、最初からなかったのだ。
 未来がない、どこにも繋がっていない。
 未来視の夢は自分の世界から近い未来しか見ることが出来ない。
 だから、もしどの世界でも自分の命運が尽きるとするならば、ないはずの未来など見れるはずもない。
 あれ?
 でもおかしいな。
 ちょっと違う。
 だって、もしそうなら………………






 それが、桐里神楽が最後に考えたことであった。






「あ……」
 ぐしゃり。
 そんな感じの音だったろうか。
 よく聞こえなかった。
 聞きたくもなかった。
 ただ、何かがぶつかる音が聞こえただけだ。
 何の音だろう、わかんないや。
 数騎は走るのをやめた。
 コンクリートの巨人、そして太田の横をゆっくりと歩いていき、肩の辺りまでしかないフェンスを乗り越えて地面を見下ろす。
 そこには何かあった。
 見下ろす先の地面。
 そこには、月明かりに照らされる何か赤いものが。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ………………
アァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!」
 走った。
 何も考えたくなかった。
 そんなはずはない。
 そんなことはありえない。
 大丈夫。
 きっと大丈夫だ。
 上手く衝撃を殺して助かったとか。
 木の枝に引っかかって平気だったとか。
 そんな状態に決まってる。
 そうだ、そうに違いない。
 はやく確かめにいこう。
 神楽さんの無事を確かめにいかなくちゃ。
 なら、早く走らなくてはならない。
 早く探して、確かめて、そして神楽さんの笑顔を見るんだ。
 そうすれば、僕は心地よくなれるんだから。
 数騎は走った。
 自分がどのような状況にあったかなど忘れて。
 階段を駆け下りる。
 そして、数騎の足音が遠ざかると静寂が訪れた。
「はははは、すごい形相で走っていったよ。楽しいなゴーレム」
 そう言って太田は側にいるコンクリートの大男、ゴーレムに声をかける。
 そして、
「防げ!」
 ゴーレムが太田の顔面を巨大なコンクリートの手で守りきった。
 手に阻まれ、数本の鉄の刃が地面に転がる。
 それはクナイと呼ばれる忍者が扱う飛び道具であった。
「いたんだ? まさか須藤くんの仲間がいるなんて思わなかったよ。須藤くんの仲間たちが全員屋敷に向かったタイミングを見計らったつもりだったんだけどな」
 余裕を見せながらそう口にするも、太田の顔には冷や汗が流れていた。
 運がよかったのは、あの女をフェンスの向こう側に投げ飛ばしたことだろう。
 おかげで自分の背中にはフェンスのみ。
 故に自分を奇襲するには正面百八十度、つまりいかに奇襲をかけようにも横、もしくは斜め方向という首を巡らせばすぐに気付ける位置からしか仕掛けられない。
 ゴーレムの方角から攻撃されたのは運がよかった。
 偶然そちらを見たからこそ防げたのだ。
「………………」
 そして、その女が太田の前に姿を現した。
 闇に溶けるかのような黒装束。
 東洋のこの島国において、忍者と呼ばれるものが着るであろう装束を、その女、カラスアゲハは纏っていた。
「いやぁ、美人だね。じつに美人だ。いい声で鳴きそうな顔をしてるよ」
「………………」
 ゴーレムの影に隠れての奇襲だったが、逆にゴーレムのいる方角からの攻撃というのが仇となった。
 数騎が暴走したときには心底驚いたが、それで逆に勝機を見出したのにこのざまだ。
「名乗るわ。私の名はカラスアゲハ、あなたを討伐するものよ」
 悔恨に歯軋りしながらカラスアゲハは宣言する。
 そんなカラスアゲハに、太田は舌なめずりしながら応えた。
「僕の名は太田邦弘、君と熱い一夜を過ごす者だよ」






「はぁ、はぁ、はぁっ!」
 息を荒げて走った。
 こんなに走るのは久しぶりだ。
 心臓がバクバクと叫び声をあげている。
 だが、足を止める気になんてならない。
 見るんだ。
 神楽さんの笑顔を見るんだ。
 あの笑顔を、僕の大切な人の顔を。
 斜面を駆け下りる。
 一階までやってきた。
 出口まで走り抜ける。
 そして、その光景を見た。
「あれ?」
 月明かりに照らされる地面。
「あれ? あれ?」
 赤々と光る地面、月を照り返すその液体。
「あれ? あれ? あれ?」
 粉々にちぎれた赤い物体、時たま白い物体。
「あ―――――――――」
 そして、
「あれ?」
 血にまみれた着物。
 何か赤くて変なものをその着物は包んでいた。
 飛び散った血液。
 衝撃に千切れた四肢。
 足元に何かがあたった。
 見下ろしてみる。
 そこには生首があった。
 断面から白い骨が、赤い肉の間から覗けている。
 髪に隠れて顔が確認できなかった。
 拾い上げる。
 ゆっくりと、髪の毛を手で払いのける。
 月明かりに照らし出された。
「っ……………!」
 その顔は。
 その……顔は………………






「はぁっ!」
 暗闇の中を三本の銀影が走った。
 迎撃するはコンクリートの剣。
 切れ味はなく、打撃力のみのその剣は、迫るクナイをことごとく叩き落とす。
「甘いよ、そんな攻撃じゃ!」
「ちぃっ!」
 立体駐車上、車が上の階に行くために使用する坂道であるスロープ。
 それを駆け上りながら、カラスアゲハはクナイによる遠距離攻撃を仕掛け続けていた。
 戦いは、カラスアゲハの予想に反して機動戦になっていた。
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
 気合をこめて再びクナイを投擲する。
 目標はむき出しの顔面。
 だが、
「無駄ぁ!」
 剣閃がクナイをなぎ払った。
 地面に落ちるクナイを見ようともせず、太田はカラスアゲハを追走した。
 その姿は人間のそれではなかったが、少なくとも上半身は人間のそれであった。
 太田はコンクリートの鎧に身を包んでいた。
 顔面だけを残し、残りを間接部分まで覆って鎧とし、下半身は馬、つまり神話の怪物、ケンタウロスのような恰好をしていた。
 馬の脚部の形をしたコンクリートのそれは、地面を蹴り飛ばしながら高速でカラスアゲハに追いすがる。
 カラスアゲハは防戦一方だ。
 同僚のブラバッキーと異なり、物理的な破壊という攻撃方法はカラスアゲハの領分ではない。
 故にカラスアゲハは顔面を狙った攻撃しか許されていなかった。
 カラスアゲハは太田に背を向け、速度を増して斜面を駆け上った。
 方向転換と上昇を繰り返しながら、カラスアゲハは一段一段と駐車場を駆け上っていく。
 だが、後ろを振り返るまでもない。
 太田の追撃は執拗だった。
 わずかにカラスアゲハが速度において勝っているため捕まらなかったに過ぎない。
 戦力は圧倒的に向こうの方が上だ。
 そもそも何なのだ、あの投影空想とかいう魔剣は。
 コンクリートを鎧としてなぜあそこまで動ける。
 いや、そもそもコンクリートでケンタウロスの肉体を作り上げるということ自体がありえない。
 しかもそれを自在に動かすなんて。
 そう、戦いは七階でカラスアゲハが太田に奇襲をかけた瞬間から始まった。
 攻撃を迎撃した太田は、コンクリートのゴーレムと融合し、ケンタウロスとなってカラスアゲハに襲い掛かった。
 呼吸のためだろうが、顔面を開放していることが太田唯一の弱点であった。
 力技で敵を叩きのめすタイプのブラバッキーあたりなら喜々として真っ向勝負をしかけるだろうが、カラスアゲハは速度で敵を翻弄するタイプであったので逃げの一手だ。
 しかも、敵の速度が獣憑き並とあってはお話にもならない。
 こちらは逃げるのに精一杯なのだ。
 七階から三階へ、三階から六階へ、六階から一階へ、そして今カラスアゲハは斜面を駆け上っている。
「投影空想!」
 再び魔剣が起動された。
 振り向くよりも早く、カラスアゲハの眼前にそれが姿を現す。
 立体駐車場を構成する金属の柱が突然消失し、代わりに消失した金属で構成された糸で作った鞠を重ね合わせたような物体、糸の怪人がカラスアゲハの眼前に立ちふさがる。
 糸の怪人が体を解き、その糸で迫るカラスアゲハに攻撃を仕掛けた。
 その金属の糸が人体をたやすく切断する斬糸であろうことはカラスアゲハにも想像がついた。
 当然知っている、知っていないはずもない。
 カラスアゲハは両腕についているそれを開放した。
 腕に巻きつけられた糸が宙を舞い、カラスアゲハを切断しようとした糸を瞬く間に切り刻む。
「へぇ、鋼糸使いか。楽しいじゃん」
 後ろから喝采が聞こえてくる、もちろん太田のものだ。
 カラスアゲハは歯軋りをした。
 これで自分の奥の手が敵に知れてしまったからだ。
 だが、これでもう温存する必要はなくなった。
 カラスアゲハは斜面を駆け上り終えると、そこでさらに上に向かわず、そのまままっすぐ走り続ける。
 立体駐車場は壁が少なく、窓が必要がないほどに開け放たれた建物だ。
 直進し続けるカラスアゲハは、壁があまり存在しない駐車場から人が落ちるのを防止するために用意されたフェンスを飛び越え、立体駐車場から飛び降りた。
 ように太田には見えた。
 カラスアゲハの体は地面に落下していくどころか、逆に宙に浮かび上の階へと登っていた。
 闇夜に舞う糸が月明かりを反射させた。
 それで太田には理解できた。
 カラスアゲハはその両腕に仕込んだ糸を用い、落下を食い止めると同時にその糸を用いて上の階へと逆に跳躍したのだ。
 恐るべきはその鋼糸の熟練振りだ。
 鋼糸とは、輝光使いと呼ばれる者が使用する武器の一種だ。
 魔術や魔剣を用いずに、生命力である輝光のみを用いて戦闘を行う武闘派の異能者である輝光使い。
 魔術は西洋、魔剣は日本、そして輝光を用いた戦闘方法である輝光術は大陸の異能者がそれぞれ特化しているとされている。
 大陸からの影響を多く受ける日本にも、忍術と呼ばれる形で輝光術が伝来していた。
 輝光術を扱う輝光使いは、輝光を用いて筋肉をはじめとする体組織を活性化させ、人間以上の力を発揮する。
 魔剣士や魔術師も同様のことは可能だが、輝光使いはそれをさらに特化させたものだ。
 近接戦闘では獣憑きに対抗することさえ可能である。
 そんな輝光使いの弱点は獣憑きと同じく最大放出力の低さだ。
 故に輝光使いはそれを補うべく、あらゆる武器で武装する。
 その中でも習得が難しいといわれている武器が鋼糸だ。
 魔鋼によって紡がれしその糸は輝光を流し込めば流し込むほど強固な物体をも両断することができる。
 その威力は糸線結界によって紡がれる斬糸のそれを上回る(魔鋼によって紡がれた糸を鋼糸、それ以外の切断能力のある糸を総じて斬糸と呼ぶ)
 そもそも、魔剣士が鋼糸使いのように戦うために作り出された魔剣こそが糸線結界なのであった。
 着地音が幾度となく響いた。
 上に上にと駆け上っていくその音。
 その音は、間違いなく太田を屋上へと誘っていた。
「ふぅん、あの女。上で戦おうってのかい?」
 コンクリートの隙間から覗ける顔に、太田は笑みを浮かべながら続けた。
「おもしろい、楽しんでやろうじゃないか。今日は何てすばらしい日なんだろう」
 それだけ言うと、コンクリートのケンタウロスは馬のそれを上回る速度で立体駐車場の斜面を駆け上る。
 その人馬の影を、壁の隙間から差し込む月光が照らし続けていた。






 月明かりの下に、忍者と呼ばれる者が纏うであろう漆黒の外套に身を包み、カラスアゲハは太田の襲撃に備えていた。
 策は二つに一つ、撃破か逃走だ。
 正直、後者の方が現実的だろうが、前者が達成可能かも知れない以上は退くわけにはいかない。
 カラスアゲハの切り札は、隠し武器として携帯していた鋼糸である。
 輝光の込め具合によっては金属さえ切り裂くが、問題はあのコンクリートだ。
 カラスアゲハの鋼糸はコンクリートを切り裂く自信はあったが、それが輝光によって強化されているとしたら話は変わってくる。
 飛び道具による露出した弱点部分による攻撃、もしくは鎧ごと鋼糸で切り刻む。
 この二つがカラスアゲハの勝機だ。
 だが前者は難しく、後者は確証がない。
 どちらにしろ、鋼糸が効かなければ逃げるしかない。
 つまり迎え撃つのは、試しもしないで逃げたくなかったからにすぎない。
 屋上から飛び降りれば、鋼糸を用いて衝撃を殺せるカラスアゲハなら十分に逃げ切れるだろう。
 恐らく太田は屋上から飛び降りるような真似はできまい。
 さらにこの天井が存在しない屋上。
 壁の一つもなく、ただエレベーターの存在する部屋と車を誘導する白線、そして周囲を照らす外灯があるのみ。
 奇襲はありえない。
 車の上り口と降り口、そしてエレベータールームに存在する階段。
 この三つの内のどこかから太田が現れる。
 それにさえ気をつければ、カラスアゲハが死傷する可能性は0に近かった。
「それにしても、頭にくるわ」
 カラスアゲハは舌打ちをもらした。
 せめてこの切り札が知られていなければもっと有利な戦いが想定できたろうに。
 鋼糸は切断能力を有する糸を用いる武器であるため、糸が動き回る邪魔な物が存在しない広い空間でこそ真価を発揮する。
 もちろん、視線結界の能力を魔術結社の連中が勘違いしたのはこの鋼糸の能力を前提にしてのことだ、彼らは決して無能ではない。
 駐車場なら広いため、使用が可能ではあったが、より有利に戦える屋上という戦場が存在した以上、そこに向かうまでカラスアゲハは鋼糸を温存した。
 それがいけなかった。
 闘争中、どうしても鋼糸を、しかも攻撃ではなく防御のために使わされてしまった。
 なんてざまだ。
 想定されていない一撃と想定された一撃、どちらが優秀かなんてわかりきっている。
 その上、敵の魔剣の能力がいまだに理解できない。
 どうやら物質を変換して再構成し、それを意のままに操るとでも言った能力だろうか。
 断定はできない、別の能力をそのように見せかけているだけかもしれない。
 本当に無様だ、こっちの手口を知られた上に向こうのはわからない。
 せめて、向こうがこちらのありもしない奥の手を警戒してくれればいいのだが。
「……もうすぐね」
 階下に太田の輝光を感じ取った。
 すさまじい速度で太田の存在が駐車場を走っているのがわかる。
 さぁ、どこからくる。
 カラスアゲハは指を屈伸させ、鋼糸の使用に支障が生じないようにする。
 そして、
「なっ!」
 宙に太田の姿が現れた。
 月を遮るように跳躍した太田は、その影でカラスアゲハを月から隠してしまった。
 驚きを隠せない。
 そう、コンクリートのケンタウロスは、突然現れた。
 自分の立っている地面の下から跳躍し、自分に踊りかかろうとしている。
 とっさにカラスアゲハは両腕を躍らせた。
 指先に取り付けられた鋼糸が蛇のようにのたうち、空中にいる太田の肉体に巻きついた。
 まるでハムに巻きつく糸のように太田を捉えたカラスアゲハは、鋼糸に輝光を流し込み、そのコンクリートの肉体を切り裂こうとした。
 が、できなかった。
 輝光によって強化されたコンクリートは、魔鋼によって強化された糸の切断能力の上をいったのだ。
 気がつくと、太田はその右腕に巨大なコンクリートの槍を所持していた。
 高速で繰り出される槍の切っ先。
 カラスアゲハは自分を拘束している鋼糸をまとめて放棄し、大きく後ろに跳躍することでその一撃を回避した。
「かわすんだ、やるじゃん」
 鋼糸を振りほどきながら太田は余裕な口ぶりで言った。
 カラスアゲハは歯軋りしながら太田の出現位置に目をやる。
 コンクリートで作られた地面。
 なんとそこにはコンクリート製の門が横たわり、地面に大きな口を開けていた。
 そう、投影空想の能力はまさにカラスアゲハの予想通りだった。
 物質を分解、再構成し、それを自在に操る力。
 太田は投影空想の能力によって頭上のコンクリートを天井から門に再構成し、穿たれた穴から跳躍することによって奇襲を成功させたのであった。
 これによって得た成果は大きかった。
 カラスアゲハから鋼糸を奪い取ったのだ。
 これでカラスアゲハの切り札は失われた。
 攻撃手段はおろか、逃走手段までも失ったのだ。
 だが、まだ足が残っている。
 足を潰さなくては逃げられてしまう。
 逃げられたら楽しめなくなる。
「う〜ん、困ったなぁ」
 獲物を前にし、いかにして殺さないように機動力を削ぐかを思い巡らす。
 死んでしまっても問題ないが、できれば生きている方が楽しみが多い。
 太田は右手の槍をそのままに、今度は別の地面を削ってコンクリートの剣を作り出した。
 本当は弓が欲しいところだが、コンクリートでは弓は作れない。
 作り出だしたいものに適した材質が周囲に存在しないとそれを製作できないのが投影空想の弱点だな、と太田は考えた。
「さて、じゃあはじめようか」
 一歩、太田が前に踏み出した。
 カラスアゲハは懐からクナイを取り出して太田の隙をうかがった。
 その時だ。
「太田邦弘!」
 絶叫が響いた。
 二人が同時に声の方へ視線を向ける。
 その先に立っていた、一人の少年が。
 漆黒の装束を身に纏い、茶色の髪で月明かりを反射させ、その右腕には漆黒の短刀を握り締めている。
 顔は怒気から朱に染まり、その頬には乾いていない涙の後。
 須藤数騎と言う名の少年が、本来なら車が行き来するであろう斜面のその前に、仁王立ちしていた。
「あれ? 須藤くん、どうしたの?」
 何かあったのかな、とでも言いたげに数騎に言葉をかける太田。
 数騎は血走った目でそれに答えた。
「神楽さんが死んだ」
「え? 誰だっけそれ?」
 興味のない人間のことなど覚えていないとでいうような反応。
 数騎は歯を食いしばり、跡が残るほど強く短刀を握り締めながら叫んだ。
「死んだんだよ!」
 爆ぜるように駆け出した。
 それに呼応するようにカラスアゲハがクナイを太田の顔面めがけて投擲した。
 太田はそのクナイをたやすく右腕で防ぐとカラスアゲハに背を向け、疾走する数騎に向かって突撃を仕掛けた。
 交錯は一瞬、勝敗も一瞬でついた。
 数騎の短刀が太田に届くよりも、ケンタウロスの姿をした太田の馬の足が数騎を蹴散らす方が速かった。
 自身の三倍に近い重量にはじきとばされた数騎は、激痛と共に地面に叩きつけられる。
「あ〜あ〜、弱いのに無理するから」
 はははは、と失笑を漏らす太田。
 腹部に受けた衝撃はすさまじく、内臓にダメージを受けたのか、数騎は口から吐血しながら地面に倒れていた。
 当然だ、騎兵に歩兵が殴り合いで勝てるわけがない。
 これは接近戦が存在した近世においてすら常識だったのだ。
「さて……ありゃ?」
 太田が拍子抜けた声をあげた。
 なんと目を離した隙にカラスアゲハが手放した鋼糸を回収していたのだ。
 太田はそのままカラスアゲハが逃走するものと思っていたが、カラスアゲハは戦闘態勢をとり、仕掛けるタイミングをうかがっていた。
「ありゃりゃ、勝ち目もないのにご苦労さんだね。でも、君の相手をするのも疲れたよ」
 そういうと、太田は自身と融合していたゴーレムと分離した。
 ケンタウロスの姿をしたゴーレムはそのまま槍を構えた騎士へと姿を変化させた。
 それに伴い、馬の脚部の後ろ部分のパーツが余った。
 太田はそれを自身が纏う鎧へと変形させ、カラスアゲハを見つめた。
「ナイト、そいつを殺すなよ。僕はここで待ってるから」
 コンクリートの騎士は太田に頷いて答えると、先ほどのケンタウロスに劣らぬ速度でカラスアゲハに突撃をかけた。
 太田が自分自身が戦闘を行わない理由は決して面倒だからではない、むしろ徹底した安全策だ。
 カラスアゲハに言った勝ち目がないという言葉は丸っきりの嘘だ。
 勝ち目ならある、先ほどのカラスアゲハはそれに気付かず攻撃をかけただけで今は両人ともわかっている。
 カラスアゲハの鋼糸は太田のコンクリートを切り裂きかけていた。
 だが、全体を満遍なく輝光で強化していたため、切断に至らなかったに過ぎない。
 なら、一点集中して切り裂けばどうか?
 無論、試すまでもないだろう。
 それに比べて本来なら動かすことが出来ないコンクリートを可動させている太田は防御力を高めるために輝光を一点集中できない。
 なら結果は決まっている。
 鎧を貫通する一撃を加えれば問題はない。
 だからこそ太田はコンクリートの騎士と分離した。
 いくら砕かれても輝光の続く限り再生可能なコンクリートの騎士に仕掛けさせたのだ。
 もちろん自身の防御も忘れてはいない。
 先ほどのケンタウロス姿ほど隙間なく覆っているわけではないが、かなりの量のコンクリートで胸、腰、腕、脚としっかりと鎧を作って防御している。
「さて、数騎くん。君には話があるんだ」
 太田は振り返りながら地面に転がっている数騎に向かって口を開いた。
 が、
「あれ?」
 地面には数騎が吐き出した血液が血溜りとして存在しているだけだった。
 数騎の漆黒の姿はどこにいったのか、全く姿を見せない。
「逃げちゃったのかな? 用事があったんだどなぁ」
 小さくため息をつきながら、まぁいいかとすぐさま納得する。
 おかげでコンクリートの騎士を集中してコントロールできるというものだ。
 カラスアゲハとコンクリートの騎士は高速で戦闘を展開しており、すでに戦場は立体駐車場の五階へと移り変わっていた。






「くそ、くそ、くそ!」
 カラスアゲハは小声で文句ばかりをたれ続けていた。
 予想通り、一点集中した輝光ならあのコンクリートの突破は可能だった。
 だが、一点集中するのは桁外れの集中力を要し、消耗が段違いだ。
 その上、腕、胴体、脚、首と幾度となく切断を繰り返すも、弱点がない騎士はすぐさまその箇所の修復を可能としてしまう。
 カラスアゲハは騎士の気配を探りながら車と車の隙間で身を潜めていた。
 騎士はカラスアゲハを見失い、それを必死になって捜索している。
 それがこの位置からでも見て取れた。
 カラスアゲハはコンクリートの騎士の追撃を振り切り、何とか本体である太田を襲撃したかったが、コンクリートの騎士はことごとくカラスアゲハの侵攻を阻止した。
 カラスアゲハはやっとのことで自分の姿をコンクリートの騎士から隠しおおせたが、問題は多かった。
 何とかコンクリートの騎士に気付かれず太田のところに辿り着けたとして、はたしてコンクリートの騎士が戻るまでに太田を撃破することが可能だろうか。
 難しい、何しろあの騎士は自分に匹敵する速度を有しているのだ。
 だが、やるしかない。
 カラスアゲハが車の隙間から身を躍らせようとしたその時だった。
 その右腕を後ろから誰かに掴まれた。
「待って」
 カラスアゲハは恐怖から体をビクリと震わせ、後ろを振り返る。
 そこには口元から血を滴らせる数騎の姿があった。
「あなた、平気だったの?」
 馬に、それもコンクリート製の馬に弾き飛ばされたのだ。
 とても無事には見えないが、数騎はそ知らぬ顔で続けた。
「あの魔剣の弱点がわかりました」
「あの魔剣?」
「あいつが投影空想って言っていた魔剣です」
 数騎は口の中にあふれる血を飲み込みながら続けた。
「カラスさんは太田があの騎士を生み出すところは見ていましたか?」
「見たたけど、それが?」
「あいつ、剣を作り出した時はケンタウロス姿のままだったのに、カラスさんを倒すために作り出した騎士はケンタウロスを解体して作りました。しかも、自分の装甲が薄くなるのも躊躇わずにです」
「どういうこと?」
 確かに言われてみれば妙ではある。
 なぜケンタウロスの姿をやめたのか。
 ケンタウロスの姿のままで騎士を作ってカラスアゲハに当たらせたほうが自分は安全なはずだ。
 なにせ、騎士の追撃を振り切ってカラスアゲハだけが戻り太田を襲撃した場合、ケンタウロス姿でなくては防御力が落ちてしまう。
 無論、馬の脚では速度が出ても小回りが効かないというならケンタウロスをやめた理由にはなるがどう考えても理由としては弱い。
 数騎はカラスアゲハに、納得のいく答えを提供した。
「思うんですけど、あの魔剣は一度に使用できる物質量に限界があるんじゃないでしょうか?」
「限界?」
「一度に扱える、というか動かせる量にですね、正確には。その証拠に地面に作った門はずっとそのままでしたし。コンクリートの鎧を間接部分すら覆いつくす場合、間接自体が動いてくれないとコンクリートのケンタウロスは機動できません、作っただけじゃただの彫刻と変わりないんですから。
 そう考えるなら、あいつが自身を危険にさらしてまでも装甲を薄くした理由がつきます」
「もしかしたら大量に使うと輝光の消費が激しいから自粛しただけかも知れないわよ」
 反論するカラスアゲハ。
 しかし、数騎は首を横に振った。
「ありえません、あいつは臆病者です。たとえ消耗が激しいからといって、自分を最も安全な場所に置きたがるはずです。
 たしか輝光は一点集中すると威力を増すと聞いています。
 カラスさんの糸は、もしかしたら一点集中すればあの装甲を突破できるかもしれない、おそらくはそうなんでしょう。
 なら話は簡単です、一度に扱える限界量が定まっていて装甲を貫通される恐れのあるケンタウロスよりも、別行動させたダメージを受けても気にならない騎士に向かわせる方がよっぽどあいつ自身には危険がないんです」
「妙にあのデブを知っている口ぶりね」
 訝しげに尋ねるカラスアゲハ。
「ええ」
 そんなカラスアゲハに、数騎は怨恨しか含まない声で呟く。
「親友でしたから」
 すでに過去形だ。
 振り返る気などは毛頭ない。
「そこでカラスさんにお願いがあります」
「何?」
「あの騎士を立体駐車場の外、いや一分以内にあいつと合流できない地点までおびき出してください」
「私を囮にしようっての?」
「そうです、あの騎士が戻ってこない間に僕が」
 一呼吸置き、数騎は続ける。
「僕があいつを殺します」
 その言葉を聞いて、カラスアゲハは考えた。
 確かにこの少年の戦闘能力は自分よりもはるかに格下だ。
 だが、太田という魔剣士が自分を恐れているのは明白。
 たとえ気配を隠して太田に襲撃をかけても、自分を恐れる太田が騎士をそう遠くに向かわせるわけがない。
 襲撃されてもすぐに戻れる位置で行動を続けるだろう。
 なら自分が太田と一対一で戦える時間は恐らく数秒。
 それに比べて自分が騎士をひきつければ一分に近い、いや、この少年を侮り騎士を呼び戻すことさえしないかも知れない。
 確かにこの作戦には理がある。
 だが、問題が一つ。
 囮をするということは危険がともなうということ。
 もしも数騎が太田の殺害に失敗したとすると、立体駐車場と言う隠れるのに最適な場所を捨て、さらに囮として敵の眼前にいなくてはならない自分はどうなるか。
 まぁ、七割近い確率で死ぬだろう。
 数騎の方は、戦力比から考えて九割九分九厘死亡するに違いない。
 せめて数騎が死亡した、いや作戦に失敗したタイミングを即座に知ることが出来れば、危険な敵の前に姿を現しながらの陽動からは開放され、生き残る可能性は高くなる。
 しかしそれは無理な話だ、数騎に遠話能力はないだろう、それは魔術師の能力だ。
 そこでカラスアゲハは中間の提案をとることにした。
「時間は三分間、あの騎士をこの駐車場の外におびき出してあげるわ。その間にあの魔剣士を殺しなさい」
「ありがとうございます」
 了解を取り付けると、数騎は名残惜しさは微塵も見せずカラスアゲハから離れていこうとした。
 そんな数騎にカラスアゲハは微笑を浮かべながら声をかける。
「もしあんたが生きて帰ってこれたら、一回くらいならやらせてあげてもいいわよ」
 無理だと遠まわしに言っている。
 数騎は小さく振り返りながら答えた。
「遠慮しておきます」
 味気なく答える。
 何も期待などしていない、どうせ自分は死ぬんだから、とでも言いたいらしい。
 さすがにそのような態度は女としては傷つくと、カラスアゲハは笑みを浮かべながらため息をついた。






「ありゃりゃ、逃げちゃうんだ」
 奇襲を受けないように屋上のど真ん中に腰を下ろした太田が突然呟いた。
 カラスアゲハの存在がどんどん遠ざかっていく。
 先ほどまでは隠れていたのに、出てきたと思ったらこのざまだ。
 頑張ってナイトを幾度となく破壊しているものの、ナイトの再生力は太田の輝光が続く限りはなくならない。
 そして、太田にはまだ十分余裕があった。
「逃げ切られたら楽しくないな、今日は楽しむ女を全員殺しちゃったわけだし。新しいのが欲しいんだよね〜」
 正直、あんな美人を目の前にだされたら他ので我慢するのだって難しい。
 太田はナイトを自動操縦はせず、遠隔操作で正確にカラスアゲハを追い詰めようとしていた。
 が、
「あれ、須藤くんじゃん」
 斜面を登ってきた人影を見て、ナイトを自動操縦に切り替えた。
「ちょうどよかった、須藤くんにはまだ話があったところなんだ」
 微笑を浮かべる太田。
 それは親しい友にこそ浮かべるべきもので、今この空間においてはあまりにも不釣合いだった。
「須藤くんは僕の親友だからさ、もし須藤くんさえよかったらもっといっしょに楽しもうよ。神楽だっけ? あの女。あんなのなら何人だって連れてきてあげるよ、それで一緒に輪して楽しもう。それでこそ親友ってもんだろ。だから須藤くんは恋人なんか作らないで僕だけの友達に……」
 返事は返さず、数騎は右手に構えた短刀を正面で構えると、射抜くような目つきで太田を睨みつけた。
「ん〜、僕は君とは戦いたくないんだけどな」
「僕はお前を殺したいと思ってるんだよ」
 数騎の言葉に太田は少し驚いた。
 あれ、かなり違くなってる。
 そんなにあの女を殺したのはまずかったかな。
「あぁ、あの女を殺したことなら謝るよ、だからさ。これからは仲良くやっていこうよ。僕たち親友だろ?」
「だったな」
 短く決別を済ませると、数騎は太田に向かって飛びかかるように走り出した。
 構図は先ほどと同じ。
 さっきと違うのは太田の姿がケンタウロスから鎧を着た人型に変わっていることくらいだ。
「しかたないなぁ」
 太田は持っていた剣を分解し、再構成して二メートル程度の棍棒を具現化した。
 太田に数騎を殺すつもりなどない。
 だから武器は打撃力重視の棍棒が最適なのだ。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
 叫び、数騎が太田に飛び掛った。
 だが、射程の利は太田にある。
 あと一メートルという射程で太田は仕掛ける準備に入った。
 身体能力は数騎以下だが、間接や筋肉を投影空想により具現化したコンクリートで強化しているので、その差は絶対的といってもよかった。
 が、仕掛けたのは数騎の方が早かった。
 数騎が左腕を振るわせる。
 鎖の音と共に、銀の短刀が宙を飛来した。それは紛れ容赦なく太田の鎧から露出した首筋を狙っていた。
 太田は臆病者だ。
 いかに数騎以上の身体能力を有したからと言って自分の安全第一に動くことに変わりはない。
 太田は数騎を視界からはずすと、迫るナイフのにのみ集中、空中で投擲されたナイフを地面に叩き落した。
 太田はふぅ、と安堵の息を漏らすも、その間に数騎はさらに深く踏み込んでいた。
 あと数歩で短刀の射程内に届く、そう確信した数騎はドゥンケル・リッターを強く握り締める。
 突然、右側頭部に衝撃が走った。
 脳を揺らされ、数騎は地面に倒れる。
 数騎は棍棒と言う武器を理解していなかった。
 槍は先端の刃の部分だけが恐ろしいと勘違いしている人間も多いが、実は刃のついていない反対側も十分な凶器なのだ。
 特に棍棒使いは棒の両端を使いこなす。
 初撃が外れた場合、棒を回転させすぐさま後ろの部分を持ってきてそれで迎撃する。
 数騎は初撃こそハイリシュ・リッターの迎撃に費やさせたものの、追撃を念頭に入れていなかったためそれによって迎撃されてしまったのだ。
 地面にうつ伏せ、何とか体を起こそうとするも脳がシェイクしているので体が言うことをきかない。
 そんな数騎を蹴り飛ばし、太田は数騎を仰向けにさせると、その体の上に馬乗りになった。
「まったく、危ないじゃないか。こんなもの人に投げたら死んじゃうかも知れないだろ? いくら親友だからってこれはやりすぎだよね」
 いつの間に拾ったのか、太田は弾き飛ばした数騎のハイリシュ・リッターを右手で握り締めていた。
「だからお返し」
 そして、それを数騎めがけて振り下ろした。
 脳震盪で動きを完全に封じられていた数騎は、太田が狙ったとおりの場所にハイリシュ・リッターを突き立てられた。
 それは、右の眼球だった。
「うああああああああああああああああああああ!」
 痛みにのたうちまわろうとする数騎だったが、それは太田の圧倒的な体重によって妨げられた。
「はははは、痛いかい? でもね、数騎くんがいけないんだよ。二度も僕を殺そうとしたんだから。許してもらえるだけ感謝して欲しいくらいだ」
 そう言うと思い出したように太田は瞬きを繰り返した。
「ん、二度? そうか、二度もだよね。じゃあお仕置きは二回しないといけないな」
 そう言って右目からハイリシュ・リッターを引き抜く。
 数騎の右目はもはや二度と機能しない状態になっていた。
「じゃあ、今度は左目だ。目が見えなければもう僕に逆らおうなんて思わないだろうしね」
 妙案だよ、と笑いをこぼし、太田は再びハイリシュ・リッターを振り上げる。
「じゃ、潰すから」
 両手でハイリシュ・リッターを握り締め、振り下ろす。
 しかし、それよりもずっと速かった。
「がっ」
 太田が呻きをもらしながらハイリシュ・リッターを地面に落とし、後頭部を押さえ込んだ。
 よろめきながら数騎から離れると、頭をさすりながらうずくまる。
 数騎は右目の痛みに涙と血を流しながらも、ゆっくりと起き上がる。
 脳震盪はまだ若干残っているが、動けないほどでもない。
 ふらふらする足取りでゆっくりと太田に近寄っていく。
 右手にはドゥンケルリッター、そして左手には今の窮状を救ってくれた分銅が握り締められていた。
 太田に左目までも潰されそうになっていた数騎は、わずかに言うことを聞いた左腕で分銅を空中に放り投げ、そして糸を思いっきり引いた。
 目論見は大成功だった。
 分銅は太田の後頭部を直撃し、太田はなぜか自分から数騎の上から移動してくれた。
 数騎には理解できなかったが、太田は恐怖に直面した際にその対象から遠ざかることを最も優良な対処方法としていた。
 故にナイトを用いてカラスアゲハを引き離し、圧倒的有利な馬乗りという体勢を捨てたのだ。
「ひぃっ!」
 どちらが有利かなど傍目から見ていれば一目瞭然だろうが、視界の外から攻撃を受けた太田は動揺しきっていた。
 数騎は実力こそないものの、修羅場をくぐった経験が幾度かある。
 緊急時の肝の据わり具合、戦闘の経験がそれを左右した。
 むしろ片目を失い、脳震盪で足をもつれさせ、口から今も吐血を続ける数騎の方が冷静さを維持していた。
 目標は見失わない、視線は決して太田を逃さない。
 残る左目は恐れおののく太田を見据え。
 失われた右目は、愛しき者を見た最後の光景を見つめていた。
 力を失った生首。
 まるで尻尾のように風に揺れる長髪。
 恐怖ではなく、ただ驚きに見開かれた目。
 その目を忘れない。
 死してなお驚きに顔を歪めていた女性を、右目は今も見つめ続けている。
 数騎はゆっくりと太田に歩み寄る。
 後頭部の痛み、そして負傷しているはずなのに怯まず歩き続ける数騎を見て、太田は恐慌を起こした。
「何でだよ、何で来るんだよ!」
 答えない。
 数騎は分銅を左手の中に握り締めながらゆっくりと太田に歩み寄る。
 次第に脳震盪が治まってきた。
 数回咳き込んだあと、血と一緒にこみ上げてきた胃液を地面にはき捨てる。
 そして数騎は
「来るな! 来るなよぉ!」
 恐怖から絶叫する太田に向かって走り出した。
 距離は三メートルもなかった。
 瞬く間に距離を縮めた数騎は左腕に握り締めていた分銅を投擲する。
 朦朧とした頭で、しかも使い慣れない武器を正当な方法で使う自信はない。
 故に遠心力を用いた攻撃ではなく、ただ投げるだけという単純な攻撃方法を選択した。
 今の太田にはそれで十分だった。
 分銅は太田の鼻に直撃した。
 鼻骨にひびが入り、鼻の穴からは血液が流れ始めた。
 突然、鼻からの呼吸が出来なくなった太田はさらに混乱を増す。
 そして、数騎が太田をドゥンケル・リッターの射程に捉えた。
「うわぁぁぁぁ!」
 ドゥンケル・リッターが振るわれる瞬間、太田はとっさに後ろに跳躍した。
 太田の反応は明らかに遅れていたが、強化された脚力は太田の命を救う結果をもたらした。
 数騎の斬撃を回避することに成功した太田は自信を取り戻した。
 そうだ、自分は目の前の男よりも格上の力を持っている。
 武器も、速度も、装甲も、腕力も。
 あらゆる面で圧倒的に上だ。
 負けるわけがないんだ。
 そう、追い詰められていた自分が馬鹿みたい。
 負けない。
 いや、勝てる。
 こんな弱い男に自分は負けたりはしない。
 さぁ、逆襲を開始しよう。
 この男はもう許さない。
 血祭りだ。
 両手、両足、両目、両耳、鼻、性器、あらゆるパーツを奪い去り、尊厳の全てを地に落として殺してやろうじゃないか。
 まったく、それを思いつくのがなんて遅いんだろう。
 太田は自分の遅さに辟易とする。
「えっ?」
 そう、太田は本当に遅かった。
 回避した。
 数騎の斬撃など、いともたやすく回避した。
 それが数騎の狙い通りだとも知らずに。
 血液が迸った。
 首に存在した動脈は短刀によって断ち切られ、死に至る失血はもはや防ぎようがない。
「あああああああああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 絶叫した。
 迸るたびに首が熱く。
 激痛が走るたびに命が失われていく。
 太田は血を止めようと首元を手で押さえながら地面をのた打ち回る。
 数騎は、そんな太田を血で染まった短刀を手に見下ろしていた。
 太田は確かに数騎の初撃を回避していた。
 回避のために地面を蹴り、宙に浮き上がることによって斬撃をやりすごす。
 そして、空中にいるために回避不可能な状態の太田に、不可避の追撃が繰り出された。
 これこそが秘剣、いや短刀曲芸『燕返し』。
 その流雅なる一撃をもって、数騎は太田に死を提供した。
 太田は止まらない出血によって血溜まりを拡大させ続けた。
 数騎はそれを静かな瞳で見つめている。
 風が凪いだ。
 返り血を浴びていた数騎は、少々の寒さを感じ、わずかに身を震わせた。






「あの坊やなかなかやるじゃない」
 立体駐車場の斜面を駆け上りながらカラスアゲハは呟いた。
 戦闘を続けていたナイトが、鋼糸の一撃によってこなごなに粉砕せれたからであった。
 もちろんカラスアゲハもそれが自分の功績とは思わない。
 あの魔剣士を少年がどうにかしてくれたのだ。
 少なくとも、あのナイトの遠隔操作をあきらめさせるくらいには苦戦させたのだろう。
 おそらく、あの少年はすでに殺害された後だろう。
 自分すら手こずるあの魔剣士を無能力者の少年が打倒できるとは思わない。
 だが、戦闘を仕切りなおしにしてくれたのは非常にありがたい。
 本来、カラスアゲハは真正面から戦闘するタイプではなく、奇襲を持って敵を打破する隠密タイプだ。
 だから敵が自分を見失うだけで、十分数騎が役にたったと考えている。
 カラスアゲハは屋上に近づくにつれ、足跡を響かせないように次第にゆっくりとした歩みで屋上へと至った。
 少し妙な感覚がある。
 いや、正確にはあるはずのものがない。
 それはあの魔剣士の気配だった。
 おかしい、魔剣を所持している人間が生存していれば使用していなくてもわずかに輝光を発散しているはずだ。
 気を抜いている時ならともなく、周囲の気配を探っている自分が感じ取れないはずはない。
 それにしても先ほどから聞こえる肉を叩きつけるような音はなんだろう。
 あれは自分が拷問を受けている相手を殴りすえる音に似ている。
 そう考えたカラスアゲハは、駐車場の壁に身を隠しながら頭を少しだけ見せてその光景を目撃した。
 地面に倒れる太った男。
 体は血まみれになり、その周りには輝光を失い砕けたコンクリートで満ちている。
 そして、太った男の横に血まみれの少年。
 少年は返り血で真っ赤にそまりながら、何度も、何度もその両腕に握り締める短刀で、その死体を嬲っていた。
 顔を、腕を、脚を、腹部を、股間を、肩を、胸を、首を。
 何度も、何度も、何度も、何度も。
 飽きることなく、その死体に真っ赤に染まった短刀をつきたて続ける。
「ハハハ、ハハハハハ」
 軽く笑う。
 理性が残っているのかいないのか。
 その後ろ姿からではわからない。
 カラスアゲハは少年が、あの魔剣士を打倒したことを確認して驚きを隠せなかった。
 どう考えても少年は敗北するはずだったからだ。
 正直、あのナイトの遠隔操作を停止させ、全力を持って迎撃させただけでも上出来だと思ってすらいた。
 カラスアゲハは最初のうちは太田が数騎を殺害する気がなかったこと、そして所持する魔剣とは反比例して精神的に闘争に向かない太田の性格、なにより数騎の対象に対する殺害意思の強さを知らなかったため、数騎の勝因がまったく思い至らない。
 だが、勝利にはかわりないだろう。
 カラスアゲハはゆっくりと数騎に歩み寄った。
 だが、後ろまで来ても数騎は気付かない。
 わざわざ聞かせるように足音を大きめにならしているのにもかかわらずだ。
 数騎は篭った笑い声を上げながら、太田の死体に短刀を突き刺し続ける。
 その様子を訝しく思ったカラスアゲハは正面に回り、数騎の顔を覗き込んだ。
 新兵は恐怖のあまり、殺害した敵がまだ生きていると信じ込んで幾度も銃剣で死体を突き刺し続けることがあるという。
 殺人という行為に狂った男性は、射精しながら死体をもてあそび続けるという現象もある。
 カラスアゲハは数騎がそのどちらの症状に陥っているか、顔を見て確認しようとしたのだ。
 顔に描かれた感情は恐怖でも愉悦でもなかった。
 落ちる滴。
 赤を薄める透明の液体。
 須藤数騎は右目からは血を。
 左目からは涙を流していた。








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