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第三羽 増援


「今何て言った?」
 探偵事務所のソファに腰掛ける柴崎は、眼前に座る歌留多に向かって不機嫌な瞳を向けた。
 歌留多は邪魔そうに自分のポニーテールを書き上げると、智美が注いでくれたお茶を口にした。
「だから、明日この事務所に本部から仲間が三人来るって言ったのよ。聞いてなかったの?」
「聞いてはいた。だが、なぜ今頃になってくるんだ?」
 問い返す柴崎。
 そんな柴崎に、歌留多は脚を組みながら答える。
「だ〜か〜ら〜、ヴラド・メイザースがこの町に潜伏しているのがわかった以上、放置はしてられないってアルカナムが言ってたでしょ。
本当はさっさとランページ・ファントムを結集させたかったけど、向こうは向こうで大変だったからあんたと桂原と薙風しか送り込めなかったってだけじゃない。
やっと向こうの手も空きはじめて暇になったのがこっちに着始めてるのよ。私だってそうじゃないの」
 そんなことを言われても、と柴崎は思った。
 正直、柴崎は歌留多という女性が得意ではなかった。
 嫌いというわけではない、だが柴崎にとって仲間という者は時間をかけてお互いを認め合っていくものだと思っている。
 もしくは戦場で一緒に命を賭ける状況で戦うかだ。
 だが、柴崎は歌留多を知らなかった。
 アルカナムの話では、大陸からやってきた魔剣士との戦闘でランページ・ファントムの隊員が一名殉職し、代わりの補充要員として入ってきたのが歌留多だという。
 死んだ方とは半年ばかりの付き合いがあったが、歌留多とは出会って二月ほどしかたってない。
 友好関係を築こうとは努力しているものの、柴崎が事務所にいる時は彼女は遊び歩いていたり自室に篭っていたりしているし、家にいる時はだいたいパトロールの時間だったりするので、どうも今ひとつ彼女と仲良くなれないでいる。
 避けられているのだろうか?
 そうも考えたが、この間一週間近くは彼女が事務所にい続けて、一緒にいる時間もあったので少しずつ彼女のことを理解はし始めていた。
 ようするに気まぐれなのだ、彼女は。
 興味のあるものにはすぐに飛びつき、失うと去っていく。
 まるで猫みたいな女性だな、というのが柴崎の印象だった。
「で、誰がこっちに来るんだ?」
「三、十二、十三」
「また極端な配置だな」
 歌留多の答えに、柴崎はいささか呆れた感じで答えた。
 ランページ・ファントムのメンバーは仲間内では隊員のことを数字で呼ぶことも多い。
 基本的に数字が上の人間ほど強いわけだが、能力が優秀であるために上位にいることも多く、歌留多自身は、戦闘力はあんたらほどじゃないわよと、柴崎と薙風に面と向かって言っていた。
 だから下にいる人間は必ずしも弱いわけではなく、最下位とその次が派遣されることには何の問題もない。
 問題は送られる人材の質にある。
 人間が集まるといろいろなタイプの性格が集まり、結果、協調性のない人間というのも存在するハメになる。
 十二、十三は比較的まともな人間で、柴崎たちとは行動をともにすることも多いが、三は正直好意を抱けないタイプの人間であった。
 他のメンバーからも煙たがられているが、実力があるのでみんな追い出せないでいるという、いわゆる他人の気持ちがわからない天才タイプとでも言おうか。
 つまり三という数字はそういう人間を指していた。
「それにしても三をよこすか師父は。どうせなら七や八でも送ってくれればよかったものを。厄介払いか?」
 珍しく毒づく柴崎。
 歌留多は顎に指を当てて考え込むような姿勢をとった。
「ん〜、それもあるかも知れないけど。どちらかっていうとすぐにでも強力な戦力を投入したいっていうのが本音じゃないかしら。向こうだって大変なんだから。最近は大陸の異能者がかなり日本に投入されているって話だし」
「あぁ、中共のアカどもがまた何かしてくださっているのか」
 侮蔑するような響きで答える柴崎。
 そんな柴崎に歌留多は肩をすくめてみせた。
「まぁ、大陸の異能者には優秀なのも多いからね。そうじゃなかったら前任者は死んだりしてないはずよ」
 前任者、つまり歌留多の前に隊員だった男のことを指している。
「まぁ、そうだろうな」
「そういうことよ。本当は向こうに全戦力を集中したいだろうに、こっちに戦力を割くのは大変なんだから。
 それも三なんて優秀なやつを送ってもらえるんだから感謝したってバチはあたらないと思うわ」
「了解だ、これ以上の文句は控えておくとしよう」
 両手をあげ、ギブアップを態度で示す柴崎。
 降伏のポーズをとってみせた柴崎を見て、歌留多は満足そうに頷いた。
「ならいいわ、まぁそういうことで早くて今日の夜、遅くて明日にはこの事務所の戦力は増員されるわ。来る人間が敵じゃないってことだけは認識しておいてね」
 異能者は一般人と比べて異能者の接近を視覚することなく感覚で掴める分性質が悪い。
 敵味方の判別もつけずに戦端を開いてしまうというケースが無きにしもあらずだ。
 もっとも、そんな素人のようなミスをするつもりは柴崎には到底無いが、注意を聞いておいて損をするということもないだろう。
 柴崎は無言で頷き、歌留多に同意して見せた。
 と、事務所の電話が鳴り響いた。
 仕事だろうか?
 そう考えながらソファから立ち上がり、机の上にある電話の着信者を見ると、そこには二階堂という文字が表示されていた。
 柴崎は反射的に受話器を取り、言った。
「もしもし、柴崎だ」
「二階堂だ、時間は大丈夫か?」
「平気だ、誰を連れて行く?」
「お前だけでいい、すぐに来てくれ」
「わかった、じゃあな」
 会話を一瞬で済ませると、柴崎は受話器を置いて歌留多を振り返る。
「少し病院に行ってくる」
「二階堂って情報屋のところ?」
「いや、親友さ。私の数少ない友の一人だ」
 答えながら、柴崎は外出のためにコートを着込み始める。
「では私は行くが、その増援の話は綱野さんにもしておいてくれないか」
「なによ、そんなつまらない役私にさせようっていうの?」
 ポーニテールを揺らしながら、ぶーたれる歌留多。
 そんな歌留多に、柴崎は申し訳なさそうな顔をした。
「まぁ、そういうことだな。どうしても嫌だったら薙風を経由しろ」
 それだけ言い残すと、柴崎はさっさと玄関に向かって歩き出していった。
 その後ろ姿を見送る歌留多は、さも面倒そうに額を押さえ、小さく舌打ちを漏らしていた。






「で、何がわかった?」
 病室を訪れるや、柴崎はイスに腰をおろしてベッドの上の二階堂に質問を浴びせた。
「あぁ、病院の人間全員が口止めされていたみたいだが、情報屋がホスト経由で看護婦に吐かせたらしい。やはり顔がいいってのは羨ましいな」
 そのホストがどうやって看護婦から名前を聞きだしたかは想像しないようにして、柴崎は口を開く。
「それで、口止めされていたのはどういう事柄だったんだ?」
「ヤクザ連中がどんな被害にあってたかさ」
「被害?」
「そう、被害さ。やつらどこかの外人の少女に襲われたらしいんだよ。金髪碧眼で、薄汚れたホームレス風の少女だって話だ。
 奴ら、その少女に何されたと思う?」
「何をされたんだ?」
 その柴崎の問いに、二階堂はリハビリ中の右腕の手首を、左腕で作った手刀で切る仕草を見せた。
「手を切りられたのか、刃物で?」
「違う、切断されたんだよ」
 言い放つ二階堂。
 その異常性に、柴崎は思わずつばを飲み込む。
「切断? 金髪碧眼の少女が、だと?」
「あぁ、しかも少女も少女で身長は小学校中学年くらいしかなかったって話だ」
「そこまで小さいのか、そんな少女がどう頑張ったら大の大人の腕を切断できるんだ」
 人間の体を切り裂くことはたやすく、刃物を用いれば赤ん坊だって可能だろう。
 だが、切断は難しい。
 皮膚や死亡、欠陥や神経はそこそこ切りやすいかもしれないが、人間の体には骨がある。
 日本刀がニ、三人も人間を切ると切れ味を失う理由もここにある。
 硬い人骨の切断は、日本刀をもってしても損傷が激しくなるのだ。
 しかもそれを小学生くらいの少女が成し遂げたという。
「獲物はなんだ?」
 聞く柴崎。
 二階堂は両手を広げて手をひらひらと振る。
「素手だったそうだ」
「素手?」
「そう、素手だ。その少女は素手で近づいてきて、気がついたら腕を切断されていたらしい。大抵気付くのは突然腕が痛くなったからだそうだ」
 その説明に、柴崎は感じなれた異常性を認識した。
 結論はこれしかない。
「異能者だな、その少女」
「あぁ、魔剣士か魔道師か。どちらにしろ獣憑きじゃないことは確かか」
 答える二階堂は、ふと窓の方に目をやり、つまらなそうにこぼした。
「こんな美しい町なのに、いやな事件が多いな」
「全くだ」
 相槌を打つ柴崎。
 窓の外には活気あふれる町並み。
 坂道の木には葉が失われてきているが、四月になればおそらく美しい桜の花びらで埋まることだろう。
 その情景を幻視しながら、二人はしばらくの間、窓の外を眺め続けていた。






「肉まん肉まん」
 午後一時をすぎ、時刻が移り変わったことを告げたその時、嬉しそうな微笑を浮かべながら、ソファに腰掛けた薙風が手にした肉まんにかぶりついた。
 湯気の立ち上る暖かな肉まんは、その一部をかじりとられ肉汁に濡れた具材を外界に露出させ、同時に肉まん特有の香ばしい肉の匂いが事務所の中に広がる。
「おいしいですか?」
 薙風の隣に腰をかける里村が優しく尋ねた。
「おいしい」
「そうですか、よかった」
 薙風の返事を聞き、満足な笑みを浮かべる里村は、両足をそろえ、清楚な女性がするようなつつましい座り方をしている。
 あいもかわらずメイド装束を身に纏い、正直白と黒のコントラストが映えて非常にステキであると判断してあげてもいいだろう。
 だが、
「ここって探偵事務所よね?」
 思わず自問もしたくなる。
 二人の座るソファと対称に設置されたソファに腰をかけていた麻夜は、ため息をつきながら二人の様子を眺めていた。
「あれ、御主人様も肉まんをお召し上がりになられますか?」
「その言い方、やめい」
 心底うざったそうに麻夜は言った。
 本当に機嫌が悪い。
 異常事態に備え今日は三人で、柴崎が戻るまで起きていなくてはならないのだ。
 そんなつまらないイベントの最中だからこそ、麻夜としてはいちいちつまらないことを口にして欲しくなかった。
「同じ屋敷で働いた仲なんだし、もっと普通に話してくれないかしら。それに麻夜って名前で呼んでって言ったじゃない」
「まぁ、それはそうですけど。ここは御主人様の御邸宅でござますし」
「邸宅ってほど立派じゃないでしょ。それに私だけにそんな話し方されてると逆にこっちがいじめられてるんじゃないかと勘違いするじゃない。お願いだから普通にして」
「麻夜さんがそういうんでしたら、そうしますけど」
「そう、それでよろしい」
 はぁっ、と深くため息をついた後、麻夜はソファの前に設置してあるテーブルの上のビニール袋に手を伸ばした。
 小さめのコンビニの袋にはあと一つだけ肉まんが入っていた。
 麻夜はそれをゆったりとした手つきで取り出すと、口にすべく紙をはがし始めた。
「………………」
 視線を感じた。
 ちらりと視線の方向に目をやると、そこには物欲しそうにしている薙風の姿があった。
 珍しく両目を開いている。
 睫毛の向こうに覗ける瞳は、悲しみに揺れているように見えた。
「また買ってきてあげますから」
「ほんと?」
 状況を察した里村が、薙風に対して優しい声で告げた。
「ですから、麻夜さんに一つだけ分けてあげましょうね。もう二つ食べたでしょ、次も三つ買ってきてあげるから」
「わかった」
 嬉しそうに納得する薙風。
 その様子を見ていた麻夜は、食べてもいいと判断し、まだ温かみの残る肉まんに口をつけた。
 やはり温かい肉まんはおいしい。
 しっかりと肉の味を楽しむと、麻夜は薙風と里村が仲良くしている様子を見て口を開いた。
「まるで姉妹ね」
「そう見えます?」
 口元に手を当てて微笑む里村。
 そんな里村に、麻夜はさらに肉まんにかじりつきながら言った。
「えぇ、見えるわ。とても仲がいいのね」
「残念ながら姉妹ではないんです、従兄弟ですね。里村は薙風の分家筋ですから」
 なるほど、と麻夜は思った。
 たしかランページ・ファントムの階級で言うなら里村が十一で薙風が九だ。
 実力もそうだろうが、おそらく家柄も階級に影響を与えているのだろう。
「ってことは、智美ちゃんは魔剣士なわけだ」
「どんな魔剣を使っているかは内緒ですけどね」
 それはそうだ。
 自分の能力を簡単に教える人間など裏の世界にはいない。
 それが親しい人間でも、なるべくなら隠し通すのが常識だ。
 と、麻夜は気になったことがあったので尋ねてみる事にした。
「それにしても分家ねぇ、本家とはどう違うのかしら」
「血の濃さですかね」
「濃さ?」
 どうも血縁に関しては疎い麻夜は、血の濃さという単語は知ってはいても理解していない。
 里村は少し考えて、麻夜にわかりやすいように説明をはじめた。
「そうですね、では輝光が肉体のどの部分から発生するかをご存知ですか?」
「喧嘩売ってんの? 心臓に決まってるじゃない」
 当然のごとく答える麻夜。
「そうですね、すいません。ではなぜ心臓から輝光が発生するかはご存知ですか?」
「そんなの心臓が生命の源だからじゃない。輝光ってのは血を利用して全身を駆け巡り、そのおかげで肉体は心臓から供給される輝光が受け取れるんじゃない。だから血が回らなくなった肉体の末端は腐ったりするんでしょ」
「はい、その通りです。心臓は輝光の発生源、そしてそれを全身に駆け巡らせる線路である血液。つまり血液なくして輝光は移動することができない。そして血液には電気でいうところの伝導率のようなものがあります。ご存知適正値ですね。つまり血液中の金属の種類によって輝光が流れやすいか流れにくいか、絶対量を減少させるか維持させるかが決まるわけです」
「で、それが主家と分家とどういう係わり合いに繋がるのよ」
「つまりですね、優秀な術師ほど肉体に輝光を軽減する金属が少ないわけです」
「それって魔術系の学校の初等部で教えられる内容よね?」
「いえ、大切なのはここからなんですよ。魔術師と言われる方々は基本的に魔道師と違って才能のない方が努力のみが反映される魔術を選ぶから魔術師になるわけですよね」
「そうね」
「で、魔術師と違って魔道師は才能によって使える魔道の種類が異なります。魔術師と違い魔道師は勉強すれば誰でもその術が使えるというわけではありません。なぜですか?」
「そりゃ、血が濃いからでしょう」
 それくらいは麻夜にもわかる。
 だが、言葉を知っているだけだ。
 水は油よりも重いということは誰でも知っているが、具体的に立法センチメートルあたりの密度がどれくらい違うかを知らない人間は多いのと同じ現象である。
 それを理解している里村は、ようやく本題に移った。
「では、血が濃いとはなにか、ですね。魔道師の方々には代々受け継がれた血があります。これは血液中に混ざる魔鋼によってその力が決まります。魔鋼にはそれぞれ術式が施されており、その術式がより完成形に導かれている、もしくはその術式の刻まれた魔鋼の量が多い血のことを『濃い血』と私達は呼称しているわけですね」
「血液中に術式が存在していると。あぁ、なるほどね。だから魔術師と違って魔道師は杖を持たないのか」
 その言葉を聞いて、薙風がふと視線をこちらに向けた。
 会話の内容に興味があったからであろう。
 薙風が戦ったヴラド・メイザースは魔術師であり、杖を手に戦っていた。
 逆に魔道師の玉西は術師ではあったが杖を持ち歩いていなかった。
 里村は薙風がそんなことを考えているとは知らず、薙風が何か発言したいのではないかと思いしばらく口を閉じていたが、薙風が会話に参加しようとしなかったので、説明を始めた。
「それでですね、ようやく私たちの血のことなのですが。私たち魔剣士に特化した血液を持つ人間には魔鋼や紅鉄、絶鋼や鉄、それに蒼鋼みたいな一般の人間の持つ金属は入っていないんですよ」
「じゃあ何が入ってるの?」
「剣鋼と呼ばれる金属ですね。これが魔剣を操る際のバックアップの役割を果たします。ちなみにもっとも剣鋼に近い金属は鉄なので、剣鋼を全く持たない人間の魔剣士には鉄が多い人が主流ですね。もっとも剣鋼が少なすぎると、ろくな魔剣が使えませんけど」
「そうなの、初耳ね」
「ちなみに紅鉄や絶鋼が多い人は気配をそらすことに優れる人が多いんです。大量の暗殺者を排出する里にはこの金属の多い人がたくさんいますね。鉄よりも強力な紅鉄持ちの人間は敵の術に対して異常に強い体をしているんです。催眠や洗脳、麻痺などの術はほとんど通用しないでしょう。中でも絶鋼持ちは体に接触した術を弱ければ打ち消すくらいの人もいます。
 魔鋼が多い人は高い輝光放出と高度な術式を持つ人が多く、輝光の保存力に特化した蒼鋼を持っている人はそれだけで優れた魔術師としての素質がありますね」
「えーっと、つまり剣鋼と鉄が多いのが魔剣士、蒼鋼が魔術師で魔鋼が魔道師、紅鉄と絶鋼は肉弾、もしくは暗殺者向けの金属ってこと」
「ちょっと違います、魔鋼は最大放出と術式、二つの能力を持ちます。魔鋼量は多くても術式がなく魔鋼しかない人間は優れた魔術師にはなれますが、優れた魔道師にはなれません。術式を血液中の魔鋼に刻むには優れた血液を持つ魔道師同士を交配させ、まるでサラブレッドのようにより優秀な血液を造っていくことでしか優秀な魔道師を作り出すことはできません」
 それを聞いて麻夜は赤の魔術師の話を思い出した。
 世間的に最有能な術者は魔術と魔道、本来なら二束わらじを履くことのできない二系統の術を同時に使いこなせることの出来る術師のことを呼ぶ。
 それは魔法使いと呼ばれる弩級のバケモノで、そんな逸材が生まれるような家は確実に名家扱いされる。
 だが、世界最強の術師は誰かを訪ねると、どの魔法使いの名を上げるよりも先に赤の魔術師の名前が上がってくる。
 なぜか?
 理由は簡単だ、赤の魔術師は輝光の最大放出という点において他のどんな術師も追随させないほどの力を持っているからだ。
 通常の魔術師が最大で五十、世界でもトップクラスの人間が扱う輝光量ですら最大で六百が限界という世界において、赤の魔術師は千の輝光を最大放出とする魔術師だ。
 文字通り桁が違う。
 彼は優れた家に生まれたわけではなく、さらに才能もなければ体の中に魔鋼の量も少なかったという。
 彼の最大の武器は四千年という長い年月を生き抜けた寿命にこそある。
 彼は百年生きれば長寿と言われる常人に不可能な血液中の金属量操作という禁術を、生命に害をなさない程に少しづつ、気の遠くなるような回数、気の遠くなるような年月をかけて用い、自らの肉体を作り変えていった。
 そして、それとともに大量の時間を用いて鍛え上げた輝光放出力。
 輝光の伝導率は修行によって上昇することが可能で、多くの術士たちは毎日の特訓により輝光放出を上昇させる。
 おそらく赤の魔術師は伝導率が限りなく百に近いのだろう、そうでなければあの放出力は説明できないからだ。
 こうして魔鋼量の多い血液、寿命を武器とした大量特訓によって赤の魔術師は術師の頂点へと上り詰めた。
 だが、彼が手に入れられないものが一つあった。
 それは魔道である。
 人間同士の交配の際にのみ書き加えることのできる術式を、赤の魔術師は自分の血液に施す事ができなかった。
 こうして奇妙な図式が出来上がった。
 裏の世界に存在する術師、それを十本の指で数えると、その七本が魔法使いを、最下層の二本を魔道師が占める。
 が、基本的に魔道師以下とされる魔術師が最高位の一本に選ばれ、なぜか世界の頂点に君臨しているのだ。
 これほど皮肉なことはそうあるまい。
 最強の魔法使いや、それに次ぐ魔道師を差し置いて、弱きものであるはずの魔術師がトップにいるのだ。
「あ〜、なるほど。つまり生まれがよくないと赤の魔術師の話みたいになるってことね」
「まぁ、そういうことですね。それで本家の方は基本的に血が濃いんですけど、分家筋は配偶者の血が濃くなかったために血が薄まってしまったんです。濃い血液をつくるためにはお互いの血液が濃い必要がありますので」
 ちなみに血が薄くなった人間が裏世界を離れて普通の人間の生活をしている場合もあり、その子孫が薄くはあるが剣鋼を持っていることも多く、そういう人間は優れた魔剣士となる素質が高い。
「なるほどね、だから適当な相手がいないと近親相姦してでも血を濃くしようとするのね、連中は」
「裏世界の人間の業ですね、それは」
 声は玄関から聞こえてきた。
 里村と麻夜が目を向けると、そこには柴崎の姿があった。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
 麻夜の言葉に柴崎は一礼しながら続ける。
「綱野さん、よろしいでしょうか」
「何がですか?」
「実は、外に人間を連れてきているんです、三人ほど」
「着ちゃったんですか?」
「着ました、たった今着いたそうです。入れてしまっても構いませんよね」
 もちろん着たというのは今日到着予定だったランページ・ファントムの構成員のことである。
「構いませんが、どうして先に断るんですか?」
「いえ、内二人が負傷しているんですよ。少し事務所が血で汚れてしまいますので」
「それなら早く入れて治療してあげましょう。居間に桂原さんがいるから連れてきます。柴崎さんも仮面を使って治療してあげてください」
「わかりました、でもその前に」
 言って、柴崎は麻夜に向かって残念そうに言った。
「彼らが今、町で暴れている魔剣士と遭遇して戦闘に突入したらしいんです。手傷は負わせたそうですが、取り逃がしたようです。これからはこの事務所も厳戒態勢に入る事になります」
「承りました」
 そう言って柴崎に一礼すると、麻夜は桂原を呼ぶために今に向かって歩き出した。






 深夜、ネオンの光に照らされ町はいつも通りの活気を見せている。
 そんな中、幾分寂れた場所で大量設置された施設があった。
 俗に言うラブホテルというヤツである。
 特徴として中に入る人間を特定できないように、二枚の塀が巧妙に中を見せないように設置されている。
 そんなラブホテルの一つ、ライトグリーンのそのホテル。
 そこから一人の少年が出てきた。
 黒く染まった目の下の隈、贅肉の少ない痩躯、そして黒い革のジャンバーにジーパンを着込み、ずっと開くことなく右目を閉じ続けている少年。
 それは数騎であった。
 数騎はホテルを振り返りながら小さく舌打ちをすると、夜風に煽られながらも裏通りを歩いていった。
 今日の相手は最悪だったな。
 数騎はいつも異常に増して不機嫌だった。
 いつもどおりもらった金をピンハネされて会った相手は性欲の吐き出しどころを探している中年の親父だった。
 顔も醜く、膨れ上がった腹に豊かさを失った頭髪。
 あらゆる面において嫌悪の対象になりそうな気分の悪くなるその中年男は、数騎のような人間の客として現れる典型的な同性愛者だった。
 だが、彼の容姿は女性はおろか、男性すら寄り付かせないものであった。
 そのため、彼は金を払うことでその対象を求める。
 それがたまたま数騎だっただけだ。
 問題はその男の趣味だ。
 あの男は相手を痛めつけなくては絶頂に達せないような類の特殊な性癖を持っていた。
 痛めつけるというのはどのような行為か。
 具体的には首を絞め、相手が苦しむ顔を見ることでようやく自分自身を奮い立たせるというものである。
 そうしないと行為そのものができないのだ、だから数騎はそれに付き合わされた。
 おかげで首が痛く、出す声はかすれ気味になっていた。
「まったく、つまんねぇ客捕まえやがって」
 愚痴をこぼし、数騎はつばを地面に吐いた。
 どうにもむしゃくしゃしていた。
 薬が切れているわけでもないし、今は別に薬が欲しいとも思わない。
 だが無性にいらついていた。
 はやく家に帰ろう。
 いつもなら寄って帰るコンビ二には目もくれず、数騎は裏通りの近道を通っていくことにした。
 パイプや換気扇などでデコボコした歩きにくい道だが、これらを形成しているビルを迂回しようとすると帰宅にかかる時間が五分か十分変わってくる。
 数騎は狭く、複雑な道を軽快に進んでいった。
「むぅ?」
 思わずうなり声をあげた。
 別に異層空間が展開されているわけではないようだった。
 だが、これは嗅いだことのある臭い。
 かつて太田と呼ばれた男が纏っていた死臭を連想させる、血の臭いであった。
 数騎は視線を巡らせる。
 と、そこで発見した。
 パイプが連なり外から死角になる空間。
 そこに少女が横たわっていた。
 薄汚れたホームレスのような少女。
 血を浴び、空ろな瞳で血に汚れた自分の体を見下ろしている。
 体は断続的に痙攣し、ただ苦しそうに呼吸を繰り返していた。
 数騎はその姿を見て、面倒ごとはいやだなと思った。
 見なかった事にしようと背を向け、そのまま来た方向へ戻ろうとした。
「あ……」
 少女の唇が動いた。
 その儚げな声に心を動かされたのか、数騎はわずかに首をひねって後ろを見る。
「あ……」
 わずかに呟く。
 その震える瞳から涙がこぼれはじめた。
「あぁ……」
 言葉を喋る元気もないのか。
 少女は先ほどから同じ声を出し続けている。
 数騎は迷った。
 どう考えてもこの少女は面倒ごとに巻き込まれている。
 正直言って放っておきたかった。
 つまらないことに巻き込まれるのだけは勘弁して欲しかった。
 だが、
「オレも馬鹿だな」
 自嘲的な笑みを浮かべ、数騎は少女の元に歩み寄る。
 数騎には少女が自分自身に見えた。
 弱く、自分の運命を嘆きながらコンクリートの地面で泣き崩れていた、この町に来たばかりの自分の姿を少女の姿と重ねたのだ。
「大丈夫か?」
 見下ろしながら聞いた。
 返事はない。
 ただ、虚ろな瞳を数騎に向けただけだった。
「大丈夫か?」
 しゃがみこみ、少女を抱き起こしながら数騎はもう一度聞いた。
 少女は答えない。
 ただ震える右手を数騎に向けるだけだった。
 数騎は思わずその少女の手を握った。
 こういう時は手を握ってもらうと安心すると数騎は考えたからだ。
 と、数騎が少女と手をつないだ瞬間、少女が事切れたように体の力を失った。
 数騎は一瞬少女が死んだのかと思ったが、規則正しく聞こえてくる呼吸音から、少女が眠りについただけである事に気がついた。
「なんなんだ、一体?」
 怪訝に思い、数騎は握った少女の手から自分の手を離そうとした。
「あれ?」
 それは少し面白い現象だった。
 数騎は少女の手を振りほどこうとしたが、少女は眠っている状態だというのにその手を放すまいと万力のような力で数騎の腕を固定していた。
 普通に握っているぶんには問題ないが、離そうとすればするほど握り締める力を強めてくる。
「おかしな女の子だ、小学生くらいか?」
 少女の小さな体を見て、数騎はそう判断する。
「それにしても困ったな、オレの手なんかがそんなにありがたいのかね?」
 数騎はつまらなそうにそう呟くと、右手と右手で握手しているような奇妙な恰好で少女を抱き上げた。
 少女の体は軽かった。
 数騎の貧弱な腕力でも軽々と持ち上げられるほど、少女は軽かった。
「やれやれ、オレなんかの腕ですやすや眠るなんて、とんだお嬢さんだ」
 よりにもよってこんなジャンキーのオレのな。
 数騎は心の中でそのように続けると、少女を伴って帰宅することにした。
 それは、数騎は大した意味もなく思いついて取った行動であったが、少女の命を救うに十分な意味を持つ行動であったことを、数騎は後で知る事となる。










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