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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第四羽 戟耶

第四羽 戟耶


 くっちゃくっちゃと、ガムを噛む音が断続的に響いていた。
 人の気配のない暗い夜道を二人の男が歩いている。
 一人は漆黒のコートを纏う長身の男。
 そしてもう一人は、その男よりやや小さい程度の身長を持つ、革ジャンに身を包んだ男だった。
 革ジャンの男は口を開けたままガムをかみ続けており、剣道をやるようには見えないが、なぜか竹刀袋を背負っていた。
 口を閉じれば音が聞こえなくなるだろうに、自分のことしか考えない輩は食事中に口を開いたまま物を噛む。
 せめて口を閉じて噛んでもらいたいが、何度注意しても直らないため、コートの男はうんざりした顔をしつつも文句を言おうとはしなかった。
「そうそう、このあたりで見失ったんだよ」
 革ジャンの男は周囲を見渡しながら言った。
 そこは多数のビルが所狭しとならんでいるビル郡のあたりだった。
「オレたち三人がかりで頑張ったんだけどよ、相手もなかなかのやり手でさ。あいつらは負傷しちまったってわけだ。ところで何か感じるかい、柴崎君」
 あざけるように革ジャンの男はわざとらしくコートの男の名前を口にした。
「仮面を使えばわかるでしょうが、それには鏡内界に入る必要があります」
 革ジャンの男に視線を送る柴崎。
 それに対して革ジャンの男は、
「じゃあ異層空間展開しちまえばいいじゃねぇか。なんでやんねぇんだ? まさかオレに張れって言いたいわけじゃあるまい」
「違います、不用意に異層空間を張りたくはないだけです」
 柴崎は本来魔剣士で、索敵を得意とする魔術師や魔道師ではない。
 加えて言えば柴崎は生粋の仮面使いではないため、通常の仮面使いが一ランク落ちで使えるであろう仮面の能力を柴崎は二ランク落ちで用いるはめになる。
 故に柴崎が仮面で術師の真似事をする場合は異層空間を展開する必要がある。
 異層空間の中の方が異能を用いやすいのは常識だった。
「いいんですね、戟耶さん」
「構わねぇよ、やっちまえ」
 戟耶と呼ばれた男はビルの窓ガラスを指し示すように手首を振って見せた。
 柴崎は釈然としない顔でビルの窓ガラスの辺りまで歩いていくと、右手の平を窓ガラスに落しつけた。
 手の平に冷たい感触が伝わる、
 柴崎は両目をつぶり、手の平に触れている窓ガラスに意識を集中させ、詠唱を始める
 そして、
「異層空間、展開」
 世界が裏返った。
 全てが反転した鏡の中の世界。
 鏡内界と呼ばれるそこに、柴崎は立っていた。
 目の前の窓ガラスには戟耶の姿が映っていた。
 後ろを振り返ってみると、しかしそこには誰もいない。
 柴崎は戟耶が入って来やすいように数歩後ろに下がる。
 窓ガラスに映る戟耶の姿が少しずつその大きさを増していく、近づいてきているのだ。
 そして、その右腕が窓ガラスの向こう側からこちらの世界に侵入し始めた。
 次に肩、頭、右腕、胴、腰、両足。
 全てを窓ガラスから出現させた榊原は、柴崎の前に立つと首を振って骨をコキコキと鳴らした。
「あ〜、面倒くせぇ。どうせなら取り込んでくれりゃよかったのによ」
「申し訳ありません、間違えてほかの人間を取り込むといけないので取り込みは出来る限りシャットしていますので」
「へ〜、まぁいいけどよ」
 戟耶は鼻で笑うようにして答えた。
 異層空間を展開し鏡内界を作り出す際、術師は鏡の一つを媒体にし、それを中心にして鏡内界を作り出す。
 この際、展開した人間はかならず鏡内界に飛ばされるが、鏡内界を構成するためにコピーされた空間にいる人間が必ずしも全員取り込まれるわけではない。
 基本的に基点となる鏡から近ければ近いほど取り込まれる可能性は増えるが、それは展開した術師が人間を取り込むか取り込まないかという意思によっても左右される。
 人間を多く取り込もうとする場合、至近距離にいる相手はほぼ確実に全員取り込めるが、遠くにいる人間も、その巻き添えで比較的多めに取り込むことも出来る。
 そのため柴崎は、可能な限り取り込みをシャットアウトして少しでも取り込まれる人間が出ないように勤めた。
 この状態なら鏡に近い性質を持つ物質に触りでもしない限りは、一般人が自分達の姿を見たとしても鏡内界に入ってしまう心配はないだろう。
「さて、敵さんでも探しますかね」
 露骨に面倒だという声色で、戟耶は目的の場所へと足を進めていく。
 柴崎は特に言葉を交わすことなく戟耶の後についていった。
 しばらく歩いただろうか、二人は少し広い空間を保有する路地裏までたどり着いた。
「ここだよ、ここら辺で逃した」
 言ってその場を指し示す戟耶。
「さっき戦った魔剣士をな、ここら辺まで追い詰めたんだが。ここで逃がした。オレは戦闘型の魔剣士だから索敵とかは苦手なんだよ」
「正直、今から探してもいるとは思えませんが」
「だから言ったろ、結構重傷負わせておいたからもしかしたらまだどっかに隠れてるかもしれないってよ。いいから探せよ」
 不機嫌そうに言う戟耶。
 柴崎は戟耶に気付かれない程度に小さくため息をつき、外套の中から仮面を取り出す。
「さてと、仮面舞踏の始まりだ」
 仮面舞踏を宣言し、白き仮面を被る。
「死霊術師」
 かつての仲間だった女性の能力を行使し、柴崎は詠唱を始めた。
 周囲に存在した死霊が柴崎の輝光を譲渡されて実態を帯び、柴崎の周りを漂い始める。
「行け」
 柴崎がそう口にすると、死霊たちは三百六十度、あらゆる方向へと別々に飛び去っていった。
 柴崎は急速にのしかかる疲労に早くも汗を流し始めていた。
 もともと柴崎は魔術師ではない。
 少々技量を拝借する程度なら負担にはならないが、仮面の与えてくれる能力を限界近くまで引き出そうとすると話が違う。
 ただでさえ柴崎は正当な仮面使いではなく通常の仮面使いが全ての能力を一ランク落ちで使えるところを柴崎は二ランク落ちで行使しなくてはならない。
 それでも無理矢理一ランク落ちくらいまで能力を扱おうとすれば疲労するのは当然だ。
 精神を集中して他方向に派遣した死霊たちを全て同時に操る。
 集中力の必要な作業だがそれを妨げる要因があった。
「な〜、まだかぁ」
 けだるげな声でガムを噛む音を響かせながら戟耶が話しかけていた。
「はやくしろよなぁ、いい加減飽きてきたぜ」
 まだ一分も立っていないのに早くも文句を言い始めている。
 柴崎はこめかみをひくつかせ、怒りを抑えながら精神の集中に勤めた。
 術者が集中している時に邪魔をするなどもってのほかだ。
 一応戦闘時には敵の妨害もあることから、妨害を受けながらも術に集中する訓練を術者は受けており、妨害など鼻にもかけないという建前が術者たちにはある。
 が、それでも邪魔されて嬉しいわけは無いし、邪魔が無ければ術の行使はさらにたやすくなるのだ。
 その状況が作れるときくらいは、作るぐらいの心がけはして欲しい。
 それでも柴崎は戟耶に文句は言わなかった。
 何度注意しようと、この男は自分の思うままにしか行動しない。
 彼を止めるには彼以上の実力を持ってそれを行使するしかないが、柴崎は正直言って戟耶に勝利する自信は無い。
 十分ほどで探索を終え、全ての死霊が柴崎の元に集まってきた。
 死霊から情報を読み取った柴崎は、すぐさま死霊から輝光を消滅させ、死霊の現界を終了させた。
 輝光を失った死霊は、元の無害な浮遊霊へと戻っていく。
「血の匂いを追って探させましたが、どうやら敵は逃亡を終えていたようです」
「あー、そうかそうか。やっぱ逃げられてたか、ドジったなー」
 もちろん、最初の遭遇で取り逃がしたことを言っているのだろう。
「ですが、戟耶さんの予想も的外れではないというか、行動は無駄ではなかったようですね」
「どういう意味だよ?」
 ガムを噛みながら戟耶は柴崎の意味ありげな瞳を見た。
「路地裏の一箇所に奇妙な血だまりがありました。おそらく負傷した敵はそこである程度休憩を取ったあとでどこかへと逃げ去ったようですね。数日以内に探し出せば、うまくすれば負傷が完治していない状況で捕縛できるかもしれません」
「捕縛だぁ? 何言ってんだお前?」
 眉間にしわを寄せ、戟耶は柴崎を睨みつけた。
「対象は殺すに決まってんだろ? オレたちの敵なんざ生かしておいてもろくなことがねぇだろうが」
「まぁ、それはそうですが。私たちは別に殺し屋というわけではありません」
「はっ、笑わせる。殺し屋じゃないだって?」
「そうです、私たちはあくまで賞金稼ぎ兼サラリーマンとでも言ったところでしょう。それに依頼は対象の抹殺よりも捕獲の方が収入もいいですし」
「収入がいい? 捕獲のほうが? ふざけんなよ」
 地面につばを吐き捨てながら戟耶が柴崎に詰め寄った。
「捕獲しようとして逆襲されて死んだデュラミア・ザーグが何人いると思ってやがる。対象は殺すもんだ。生かしておいたら何しでかすかわかるもんじゃねぇ」
「私もそれくらいはわかっています」
 柴崎は挑むようにして続けた。
「ですが、それでもなるべくなら助けたいと私は思います。十人助けたあと、十一人目に殺されるなら私の命を差し引いても十人は助かることになります。私はそれで正しいと考えています」
「味方が殺されてもか?」
「そのような危険な敵は、そもそも捕獲しようなどとは考えません」
 柴崎の言葉に嘘は無い。
 その証拠にヴラド・メイザースとの戦いでは躊躇なく薙風にヴラドの胴体を真っ二つにさせている。
「まったくつまんねぇヤツだな、お前もよ。オレの周りにはろくな野郎がいやしねぇ」
 つまらなそうに柴崎に背を向けながら背負っていた竹刀袋を手元に引き寄せる。
「やっこさんも含めてな」
 そうして竹刀袋から日本刀を取り出し、そこに現れた男たちを睨みつけた。
 もちろん柴崎もその男の気配に気付いている。
 すでに刻銃を手に構え、仮面の力を用いて死霊の具現化を行っていた。
 二人の視線の先には四人の男、いや、四人の術師がいた。
 全員がそろいもそろって黒いローブに身をかためている。
 そしてその先頭に立つ男、柴崎はその男に面識があった。
「お久しぶりだ、仮面使い(ウィザルエム)」
「ヴラド……メイザース……」
 そこには、いかにも私は魔術師ですとでも言わんばかりに、黒いローブに身を包む男の姿があった。
 ひょろっとした縦に細長い痩身の男。
 顔にはおびただしい皺が刻まれ、老齢であることがわかる。
 魔術師の老人は嬉しそうに口の端を釣り上げながら小さく笑みを漏らす。
「数ヶ月ぶりだな、仮面使い(ウィザルエム)。元気にしていたか?」
「おかげさまでな」
 柴崎は嬉しくもなさそうに、刻銃のグリップを握ったり離したりしている。
 親切にも、ヴラドたちにいつでも発砲できることを教えているのだ。
「それで、今回は何の用だ貴様たちは?」
「いやいや、少々欲しいものが出来てそれを横取りに来たのだ」
「欲しいもの……横取りだと?」
 訝しげに問う柴崎。
 そんな柴崎に、ヴラドは後ろに控える三人の魔術師を眺めながら言った。
「せっかくコレだけの戦力を集めたというのに、どうやら無駄骨とでも言ったところかな?」
「そうでもないぜ」
 声は戟耶のものだった。
 竹刀袋から取り出した、鞘に納まった日本刀を手にした戟耶が嬉しそうに微笑ながら続ける。
「欲しいものってのは気にかかるが、正直どうでもいい。血が見足りなかったところだ」
「ほぉ、私たちとやりあおうというのか」
 嬉しそうに笑う魔術師。
 お互いの距離は五メートル、この距離では圧倒的に魔剣士が有利だというのにその魔術師は全く動じてすらいなかった。
 が、決して侮っているわけではなく、その手に握り締める杖に輝光がめぐり始めていた。
 戦いとなれば真っ先にその杖が唸りを上げることだろう。
「戟耶さん、気をつけてください。あの老人は高位呪文を使います」
「ほぉ、高位魔術師(ハイウィザード)か」
 さらに嬉しそうな笑みを浮かべる戟耶。
 が、現状を把握するとすぐその笑みを消した。
「戦力的に言えば後ろの三人は全員あわせて高位魔術師(ハイウィザード)を超えるな、二人ならオレ好みの展開になったんだが」
 さすがに命がけの状況においてわがままを言うような男ではない。
 そうでなくては精鋭部隊にいたところで、いや精鋭部部隊にいるからこそ命を落としていただろう。
 戟耶は地面に唾を吐き捨てた。
「柴崎、テメェはなんとかあのヴラドってヤツだけひきつけろ。あとの奴らはオレが殺す」
「頼めますか?」
「オレの数字を忘れたのか?」
 質問を質問で返す戟耶。
 まったく、どこまでも無礼な人間だと思いながらも柴崎は戟耶の言葉に従うことにする。
 正直、ヴラドと一騎打ちというのはまことにありがたくない事態だが、三対一よりはよっぽど楽ができる。
「お任せします、戟耶さん」
「ま、楽しませてもらうとするわ」
 それと同時に柴崎が爆ぜるように動いた。
 すでに装填済みの刻銃ではなく、左手にいつの間に装備していたカタールを振りかざす。
「Azoth(アゾト)!」
 光の剣がヴラドに、いや、密集する四人の術師たちに襲いかかった。
 その攻撃を回避するために四人が四散する。
 その内の一人、ヴラド・メイザースに狙いを定め、。
「その身に刻め……」
 詠唱を口ずさみ、
「銀翼の福音!」
 トリガーを引き絞る。
「虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)!」
 放たれた銃弾が、蛇のようにヴラドに襲い掛かった。
「笑止!」
 叫び、ヴラドが術を解き放った。
 光の結界がヴラドの肉体を覆い尽くし、ヴラドは刻銃による銃撃をいともたやすく防ぎきって見せた。
 柴崎は正面からでは太刀打ちが難しいと判断し、ヴラドを誘うようにして、ビルの壁を駆け上がっていった。
 もちろん柴崎の能力では壁を駆け上がることなど出来ない。
 彼の足場には、彼の体重を支ええるだけの実体化した死霊が必ず存在していた。
 ヴラド・メイザースは露骨にその誘いに乗った。
 自分という戦力が抜けるのは確かに大きな痛手だが、さすがに三対一で自分の部下が一人の魔剣士程度の敗れるとは考えられないからだ。
 囮を用いて敵の戦力を分断させ、主力を持って各個撃破する。
 二百年ほど昔、欧州の地図を塗り替えた皇帝が得意とした戦術。
 ヴラドはそれにあやかり、柴崎たちランページ・ファントムに人的な被害を出そうとしていた。
 遠ざかるヴラドと柴崎の後ろ姿を眺める戟耶。
 その目の前に三人の術師が姿を現した。
「で、いつまで術師の真似事をしている気だお前らは?」
 三人を前に、特に何があるわけでもないとでも言わんばかりに口にする戟耶。
 そんな戟耶に答えるように三人の男は黒きローブを脱ぎ捨てた。
 咆哮が響き渡る。
 三人の内、左右を固める二人の男の肉体がその姿を変え始めた。
 右の男は蛇、そして左の男は蝙蝠をイメージさせる姿へと変化していった。
「へぇ、獣人か。面白い」
「わかるのか?」
 真ん中の男が興味深そうな顔をした。
 どうやら魔剣士らしいその男は、手に手斧サイズの戦斧を握り締めていた。
「あぁ、わかるね。天然と人造は匂いの違いでわかるんだ」
 もっとも、戦闘力に差がでるわけじゃねぇけどな、と戟耶は心の中で付け足した。
 獣に変ずる力を持つ人間は、大別して先天性と後天性にわけられる。
 獣をトーテムとし、自分自身の魂と共にその獣の魂と共存する一族はその生まれつき共存している魂の情報を自分の肉体と共鳴させ、獣の姿へと変ずる。
 この先天的に獣に変ずる異能者を人々は獣憑きと呼ぶ。
 それとは正反対に獣人という言葉も存在する。
 魔術結社の開発した獣魂の錠薬というカプセルを用いて獣憑きと同等の能力を得た者だ。
 錠薬にはそれぞれ獣の魂が封じられており、それを飲み込むことで獣の魂を体内に取り込むことが出来る。
 ただし、あまりに強力な獣を取り込むことは、自分の魂が打ち負かされ、その獣の魂に肉体を乗っ取られる危険性が高くなる。
 故に、獣人となるものは自信の力量に見合う獣の錠薬を飲む。
 そして、彼らが獣の魂を従えることに成功したとき、彼らは獣人として覚醒するのだ。
「獣人が二人、魔剣士一人。少々厄介か」
 その割には妙に楽しそうな笑みを浮かべる戟耶。
 本気で戦うには邪魔なガムを口から吐き捨てた。
 地面に味を失ったガムがへばりつく。
「さて、遊ぼうか」
 言うと戟耶は両目を閉じ、詠唱を始めた。
「刃怨狂陣羅轟魔葬(ばえんきょうじんごうひまそう)」
 紡がれる言葉、
「飢装炎武鬼塵咆哮(がそうえんぶきじんほうこう)」
 流れる詩は旋律を伴いながら、
「刃羅飢鬼(ばらがき)」
 その魔剣を開放した。
 戟耶が日本刀を鞘から引き抜いた。
 青(あお)、蒼(あお)、藍(あお)、碧(あお)。
 その日本刀の刀身は鋼ではなく、蒼き金属で出来ていた。
 月明かりを照り返すその蒼き刀身は、美しいグラデーションをともない、緑とも蒼ともつかない、あらゆる青を想起させた。
「来るといい、戟耶が尖兵の力。とくと示して差し上げようじゃねぇか」
 刃羅飢鬼を正面に構える戟耶。
 そして、戦いの幕があけられた。






 ビルとビルの上。
 お互いの距離はざっと五メートルとでも言ったところだろうか。
 対峙する二人の手には杖と拳銃、そしてカタール。
 二人は眼下に広がる高層ビルの窓を見ようともせずにビルの端に立ち、お互いを見据え続ける。
 それは戟耶たちと離れた場所で戦っていた柴崎とヴラドだった。
 が、二人はお互いに相手の命を絶とうとしてはいなかった。
 仮面を被ったままの状態で、柴崎が口を開いた。
「なぜ逃げない」
「逃げる気がないからだ」
 問われたヴラドは笑みを浮かべて見せる。
 柴崎は問い続けた。
「なぜ戦わない」
「戦う気がないからだ」
 こちらを挑発するような声。
 柴崎は大きく息を吸い込んだ。
「こちらから仕掛けても構わないか?」
「いやいや、それは困る」
 手を横に振り、ヴラドは否定するような動作を取る。
「とどのつまり、お互いに殺しあわないことこそが私にとって最大の利益となるのだ」
「どういう意味だ?」
「敵にそれを問うのか?」
 相手に有益な情報を教えるはずもないという意味である。
 それを受け取り、甘いことを口にしたなと少し後悔しながら、柴崎は詠唱を唱え始めようとした。
「待っているのだよ」
 ヴラドの言葉に柴崎が詠唱を止めた。
「待っている?」
「そうだ、お互いにそれが一番と思ったから交戦を中止しようと企んだわけだ」
「………………」
 無言で睨みつける。
 意味を問うような無様な真似は繰り返さなかった。
「まず私とお前の交戦は無意味だ。お前には私は打倒できず、私はお前を殺したくはない。まぁ、死んでもらっても構わないが、最善というわけでもない」
 つまり、ヴラドにとって柴崎は利用価値があるということだ。
「またつまらないことを企んでいるようだな」
「そうでなくては魔術結社に対立しようなどとは思わんだろう?」
「道理だな」
 肯定し、柴崎は小さく頷く。
 それを見て、ヴラドは柴崎を指差した。
「つまりはそういうことだ、お前も私と戦うだけの利益は無い。それに三対一でも苦労しただろう? 一対一で勝つ自身があるのか?」
 もちろんあるかと言われればない。
 何しろ目の前の男はミンチにしたというのに生きていたほどの魔術師だ。
 あの不死性には何か秘密がある。
 それを看破せずして殺しきるのは不可能だろう。
 なによりもヴラドは柴崎よりも格上、桂原がようやく辿り着いた五十を上回る放出力を誇る高位魔術師(ハイウィザード)だ。
「つまりだ、お前は私に勝てない。私はお前にできれば生きていて欲しい。つまりお互いが戦わないことはお互いの利益になる」
「問題はその先だろう、何を……」
 問いかけて止める。
 ヴラドの考えに理解が至った。
「なるほど、目的は私ではなかったわけか」
「ご明察だ、これ以上アルカナムの手駒がこの町に現れるのは不都合なのでな」
 戦闘を再開しようとする柴崎。
 そんな柴崎を、ヴラドは手で制した。
「いやいや、お前にも勝機はあるはずだぞ? んん?」
 笑みを浮かべ、ヴラドは続けた。
「そちらのお仲間はたしか三の亡霊と言っていたじゃないか? 上手くすれば三対一の状況も打破できるかもしれんぞ?」
 やはり、柴崎は自身の考えを確信に変えた。
 ヴラドの目的は柴崎の仲間、いや正確にはアルカナムの配下であるランページ・ファントムの切り崩しだ。
「助けに行く必要があるな」
 柴崎はためらうことなく刻銃を構えた。
 やれやれといった表情でヴラドは杖を握り締める力を強め、
「なっ」
 その力をあっさりと抜いてしまった。
 柴崎が意識をヴラドからそらした。
 ヴラドもその状況の変化に驚き、視線は柴崎にあわせてはいない。
「ばかな、どれほどの使い手だと言うのだ」
 感じたのは圧倒的な爆発力。
 そして、すでに三キロは離れているだろうに感じる、戦慄を覚えるほどの輝光量。
「四十、五十、いや六十! ばかな、まだ増えると言うのか!」
 それはヴラドが知らぬ人間の輝光。
 そして、三人の部下が相手にしている魔剣士が放出している輝光だった。
「予定が狂ったな、何人残ることか。しくじった、甘くみすぎていたようだ」
 ヴラドが柴崎に視線を向ける。
 その瞳にはいままでのふざけた感じはなく、ただ焦燥のみが映っていた。
「お遊戯はここまでだ、また機会が会ったら殺しあおう」
「逃がすと思っているのか?」
「いや?」
 だが、ヴラドはすでに詠唱を終わらせていた術を解き放った。
「止められるとは思えん」
 それを口にした瞬間、ヴラドの姿が、立っていた地面に落下した。
 いや、正確にはヴラドの下に存在していた影の中に潜っていったというべきだろうか。
 高位魔術師(ハイウィザード)が使う高位呪文の中には、自身の影に潜り、影を経由して別の場所へと瞬間的に移動する呪文というのが存在すると聞く。
 しかもヴラドは、その呪文を詠唱だけ終わらせていつでも使えるようにしていたのだ。
 術師が先に詠唱を唱えておいていつでも速射できるようにストックしておける呪文は一度に一つだけだ。
 別の呪文を使うためにはその術を使用するか霧散させるかして、あらためて詠唱をしておく必要がある。
 つまり、
「なるほど、はじめから戦う気などなかったわけだ」
 ヴラドは柴崎と会話を始める前から逃走用の術を唱え終えていたわけだ。
 となると柴崎が仕掛けたならヴラドは逃げるしかなかったわけで。
「はめられた、だが策士策に溺れるというやつか。どうやらこの状況は私にとって利があったわけだな」
 呟き、柴崎は自分の脚部に輝光を集中させた。
 加速のため、脚の筋肉を輝光で強化し、俊敏性を高める。
 柴崎は五メートルはあるビルとビルの間をあっという間に飛び越え、異能者のみに可能な俊敏性を持って、戟耶が交戦しているであろう場所へと向かった。






 そこは血で汚れていた。
 斬りとばされた腕、切断面から噴出した血は血だまりをつくり、地面をぬらしている。
 飛び散った血は四方の壁を朱に染め、その惨状を物語る。
 ビルを伝うパイプには焦げ跡、ビルの壁には大穴、アスファルトの地面には幾本もの亀裂が走っていた。
 地面に飛び散るは血ばかりではなく、まるでアイスピックで砕いたような氷、そして血にまみれた獣毛。
 その中に一人の男が立っていた。
 返り血を浴び、顔にはおぞましいほどの笑みを浮かべている。
「や、やめてくれーっ!」
 狂相に笑みを浮かべる男は、目の前にいる男に刃を突き刺した。
 その光景に柴崎は愕然とした。
 そして、果たしてどちらを助けるべきか本気で迷ってしまった。
 眼前には二人の男。
 一人は顔に笑みを貼り付け、右手には短刀を左手には蒼き日本刀を握り締めている。
 そしてもう一人の男。
 両手、両足を切断され、笑みを浮かべる男の前に立っている男。
 いや、吊るされているというべきだろうか。
 だが、その男は両足で立っていた。
 氷によって作り出された両足が男の失われた足の代わりを果たし、そして背面全てを氷で固定され、四肢を失った男はあがく自由すら奪われていた。
「ほーら、次は右目だぞー」
 男が短刀を哀れな男の右目に突き刺した。
 絶叫がこだました。
 男は血と涙を潰された瞳から流し、なんとか自由を取り戻そうとあがいていた。
 その両目はすでに潰されており、胴体には幾度刺したかわからないほど刺し傷が見て取れた、男の上半身は裸だったからだ。
「うるさいよ、お前」
 別に声が聞きたいわけでもなかったのか、男は持っていた短刀で喉を突いた。
 声が出せない程度に、そして致命傷は与えないように。
 柴崎にはわかった、その男が拷問の天才であるということを。
 知識、技術、そして精神。
 この全てを持ち合わせない人間では苦痛を最大限に与えつつ、相手が生命を失わないように拷問を続ける事ができないからだ。
 拷問とは蛮族のものではなく、あきらかに知識人のものであるからだ。
 喉を貫かれた男は喉から空気と血を少しづつ吐き出していった。
 苦痛のために涙に濡れた、すでに光を失った瞳が柴崎のそれと交わった。
 次の瞬間、西部劇に登場するガンマン、それ以上の速さで柴崎が刻銃を引き絞った。
 銃口から迸り弾丸が吸い込まれるように、男の眉間に突き刺さる。
 生命を維持するための機関を破壊され、男はその短い生を終えた。
「何様だ、お前?」
 玩具を横取りにされたのが癪に障ったのか、刃羅飢鬼を握り締める戟耶が柴崎を睨みつけた。
「誰に断ってこいつを殺したよ」
 威圧をこめた声が路地裏に響き渡る。
 その迫力を前にして、柴崎は一歩も引こうとはしなかった。
「捕虜にする気が無いならさっさと殺せばいい、どうせ助けるつもりもないのに苦痛を与えるのは悪趣味だ」
「そんなのオレが判断する、オレの獲物だぞ」
 興奮の収まりきらない瞳で柴崎に詰め寄る戟耶。
 柴崎は、怒りを抑え続けた。
「別に命を助けてやれなどとは言わない。私達に敵対した時点でヤツらの命運は尽きている。魔術結社から狙われるとはそういうことだ。だが、それでも殺していく者に対して抱くべき最低限の節度や礼儀があるのではないか?」
 そう、柴崎の言葉に嘘はない。
 出来る限り多くの命は助けたいが、他者の命を奪おうとしていた者はどんなに命乞いをされても助けた記憶は無い。
 そもそも柴崎は敵対者の命を救うのに熱心な方ではない。
 助けるのは理想だが、現実がそうでないことを理解している。
 実際、柴崎がいままで命を奪わなかった敵は十人に満たない。
 が、戟耶はそうは受け取らなかった。
「節度? 礼儀だと?」
 戟耶が吼えた。
「そんなもんが何の役に立つ! 負けてたらオレ達は殺されてたんだぞ! オレはな、殺し合いの時は女じゃなくてよかったっていつも思ってるよ、女だったら殺される前にまず犯されるからな。それを喜んでやるようなヤツらを殺すオレがそんなに悪者か? じゃあお前は正義の味方ってか?」
「助けろとは言っていない、ただ必要以上に苦しめるなと言っている」
 言い放つ柴崎。
 だが、戟耶の怒りは収まらなかった。
「甘い事抜かすんじゃねぇ! 秩序の無い場所じゃ強い者がルールだろうが! オレは強かった、あいつは弱かった。それだけじゃねぇか! 裏の世界ってのはつまりこういうことだろう? 必要以上に苦しめるなって? あいつはオレを殺そうとしたんだ! 相応ってもんだろう、ん?」
 叩きつけるようにそこまで言うと、戟耶はカラカラと気を抜いて笑い始めた。
「つまりお前がいる世界ってのはこういう世界なんだよ。これで何年目だ? 聞いた話じゃまだ入って八年くらいだろう? シバサキツカサ、柴崎司くん。いや、実に滑稽だね」
 笑い続ける戟耶。
 柴崎は迸る怒りを抑えながら戟耶の言葉を聞き続ける。
「お前は一体何に憧れてるんだ? 正直理解が及ばん。なぜ柴崎を名乗るんだ、この混血児。少しは恥ってものを知ってもらいたいってもんだ。少なくともオレのやり方に文句つけるんじゃねぇよ。オレより強くなったらいくらでも言いたい事を言えばいいしやりたいこともやればいい。
 結局どこにいっても使えるやつは使えて使えないやつはダメってことさ。つまりはな」
 そこで言葉を切り、戟耶は続けた。
「お前はオレ以下なんだよ、現状は。文句があるならかかってこい、喜んで殺してやる」
 そういうと戟耶は刃羅飢鬼を腰にさしていた鞘に収めると、柴崎に背を向けて鏡内界の入り口へと歩き出した。
 その背中を見つめる柴崎。
 コートの中で震えるその右腕は、何も怒りだけが原因ではなかったのが正直なところだった。






 夜明けが訪れ、カラスの鳴き声が聞こえてきた。
 雀がチュンチュンと鳴くのは、もはや数十年も前のことと言えるだろう。
 映画やアニメ、それにゲームやラジオなどではいまだにそのような古典的とも言える表現が用いられることも多いが、カラスの多い都会ではやはりカラスの鳴き声が聞こえてくるものだ。
 そんな中で、一人の少女が目を覚ました。
 寝ぼけ眼をこすりながら、自分が今どこにいるかを確認した。
 まずは自分がどのような状況に置かれているかに気がついた。
 暖かかった。
 体は毛布で包まれており、顔だけが外界に露出しているといった感じだった。
 目がはっきりした。
 そこは古びた木造建築。
 壁には染み、床の畳にもやっぱり染み、障子や家具などにも使用年数故の汚れがついており、その部屋の生活水準をさらに落とす一因として全く掃除されておらず、実際に使用しているのであろう一部を除いては、部屋は埃まみれ。
 その上、部屋中を散らかしてはばからないインスタント食品の容器の数々。
 さらに雑誌やゲームが放置されており、よくぞここまで散らかしたものだと彼女は思わず感心した。
 と、背中から規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
 首を回して後ろを見る。
 そして、自分が今どういう体勢でいるか気がついた。
 温かかったわけだ。
 自分は毛布に包まれていただけではなかった。
 まるで蓑虫みたいに全身に巻きつけた毛布。
 そしてその中には二人の人間。
 一人は薄汚れた金髪の少女。
 もう一人は目の下に黒い隈を作った痩躯の少年。
 少年は少女を抱きかかえながら壁にもたれかかり座ったままの体勢、そして少女はその少年に体を預けて寄りかかっていた。
 彼の呼吸音は実に穏やかで、触れてくる体は本当に温かかった。
 そのぬくもりが嬉しかった。
 そしてもっと嬉しいことがある。
 それは、彼の手と自分の手がいまだにしっかりとつながれていることだった。
 彼女にはそれで満足だった。
 彼女は意識的に少年に体を密着させた。
 体温が伝わり、外気に触れる顔とは対照的に、体は本当に温かい。
 まどろみに身をゆだね、少女は再び瞼を閉じる。
 そこには、おだやかな二度寝という至福の時が待っていたのであった。







































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