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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第五幕 クリス

第五幕 クリス


「むぅ」
 目覚めた数騎は思わずうなり声を漏らした。
 正直、まったくありがたくない。
 でも温かいのは嫌いじゃない。
 数騎はつらいよりは楽しい方が、そして死ぬほど寒いよりは死ぬほど暑いほうがよほど好きだった。
 どんなにつらい酷暑になり全国で何人かが日射病で死んでも、クーラーが壊れていて夜中に暑さで目が覚めたり、暑くて寝られなかったとしても、数騎は涼しくなって欲しいなどとは考えない。
 いや、誘惑に負けることも多いが、意地でも早く涼しい季節にならないかな、などとは思わないようにしている。
 数騎は寒さに弱かった。
 どこぞのネコ型ロボットのようだとの自嘲はやむことをしらない。
 老後は常夏の島で暮らしたいと思っていたりする。
 もしくは太陽が厳しい中東のあたりも悪くない。
 いや、砂漠の夜は寒いので、やはり常夏の島がいいだろう。
 それが数騎の結論だ。
 昨晩は寒かった、とにかく寒かった。
 暖房器具など何一つ置いていない数騎はいつも震えながら寒さと戦った。
 日本酒の瓶がゴミの中にまざっているのは決して偶然ではない。
 酒を飲み、体を温めてから眠る。
 まるで中国の寒い辺りで戦争をしていた旧日本軍みたいだと思いながら、数騎は酒を飲んで眠っていた。
 が、昨晩は違かった。
 変な少女を部屋に連れ込んでしまったからだ。
 おかしな少女で、眠っている時、なぜか数騎の手を握り締め続け手を解こうとするとまるで万力のような力で持ってそれを妨げる。
 おかげでトイレに行くのも一苦労だった。
 仕方なく数騎は家にただ一枚のみ存在する毛布を少女にかけてやり、その傍らで毛布に足を突っ込んで座りながら買ってきた雑誌を読みふけっていた。
 寒いので数騎も少女の毛布に包まりたかったが、寝ながら酒を飲む気にはならない。
 そこで数騎は少女を抱きかかえるようにして胡坐をかいて壁際に腰を降ろし、そのまま壁によりかかるようにした。
 少女とつないでいない方の手で酒を飲み、若いので体温が高い少女を暖房器具代わりにして毛布を蓑虫にのように体に巻きつけた。
 素晴らしきかな人生。
 数騎は心の底では否定したくなるような事を酔った頭に思い浮かべ、酒を飲み続けた。
 そして気がつかないうちに眠りに落ちていた。
 そして目を覚ました。
 蓑虫のように毛布に包まった姿、そして腕の中には抱きかかえた少女。
 少女はいまだに眠り続けたいた。
 穏やかな呼吸。
 数騎は少し心配になり、毛布をはがして少女の服めくり、腹の傷を確かめた。
 昨日、数騎は医師免許を剥奪された闇医者のところに少女を連れて行った。
 そこで少女は治療を受けたのだが、医者は昨夜が峠だと言っていた。
 結構ひどい傷だったのだ。
 腹に巻かれた包帯を見ると、血は固まり、傍目からは悪くなっているようには見えなかった。
「ふぅ」
 安堵の息を漏らす数騎。
 と、その時だった。
 毛布をはがされ、服をめくられて腹を外部にさらしたので寒かったのか、少女が閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「おはよう」
「お、おはよう」
 答える数騎。
 少女は左手で瞼をこすり、そしてゆっくりと体を起こした。 
 そして、少女はやっと数騎と握り続けていた右手をほどき、負傷したはずの腹部に手を当てた。
「ん〜、大丈夫かな」
 言うや否や、少女はすごい勢いで腹に巻かれていた包帯をほどき始めた。
「お、おい。やめっ」
 数騎の静止よりも少女の行動の方が早かった。
 包帯はあっという間にほどかれ、ひらひらと血に染まった包帯が畳の上に落ちる。
「えっ?」
 数騎は思わず声を漏らす。
 だってそう、裂傷が存在したはずの少女の腹部には、
「なんで?」
 傷一つ無く、あるのはかわいらしい小さくへっこんだヘソだけだった。
「治ってる……」
 数騎は口に手を当てて、口を塞ぐようにした。
 この少女は一体何者だ?
 なぜあれだけの裂傷が一日もせずに完治しているのだ。
 常人ならばわからなかっただろう。
 今年の三月までの自分なら見当もつかなかっただろう。
 だが、数騎は知っていた。
 だから予想もできた。
「まさかお前、魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)か?」
 その単語を聞いた瞬間、少女の体がビクリと震えた。
 そして恐る恐る、恐怖をたたえた青い瞳で数騎の唯一残る左目を見る。
「え、お兄ちゃん、魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)なの?」
「元、な。今じゃ人生の落伍者だよ」
「元?」
「あぁ、確かに昔はバイトで魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)やってたが、今じゃしがない無職さ。いや、働いてるっちゃ働いてるが、あまり人様に自慢できるような仕事じゃない」
 数騎は少女から視線をそらした。
 正直、仕事の内容をこんないたいけな少女に教える気にはならない。
 と、数騎は思い出したように少女に視線を戻した。
「で、お嬢ちゃんは何者なんだ? 少なくともこっちの人間なんだろ?」
 こっちとはもちろん、魔術にかかわる者たちが蠢く裏の世界のことだ。
 少女は小さく頷いた。
「うん、私もこっち側の人間」
「そうか、やっぱな。それで、怪我してたけど誰かに襲われたのか?」
「うん。私、敵がいるの」
「敵?」
「そう、悪い人が私のことを殺そうとしたの。私何も悪くないのに」
「そうなのか?」
 まぁ、裏の人間の中には相手が悪くなくても殺害を試みる輩がいても珍しくは無い。
「そりゃ大変だ。せいぜい死なないように頑張ってくれよ」
 数騎は仕事が一段落ついて気を抜いたサラリーマンのような表情を浮かべてアパートのドアを指差す。
「お帰りはあっちだ、ニ度と会うこともないだろうな。恩返しはいらないぜ」
「え?」
 数騎の言葉がよほど意外だったのか、少女は思わず声を漏らした。
「出て行かなきゃ、いけないの?」
「あぁ、別にここに置いておいてもオレにはプラスがないからな」
 加えるならマイナスしかない。
 保険の利かないお嬢ちゃんを闇医者に見せるだけでいくら金が飛んだと思ってやがるとは続けない。
 さすがにいたいけな少女にそこまで言えるほど数騎も肝が据わっていない。
「さぁ、出てった出てった。運がよければ生きてる内にまた会えるだろう。今生の別れではないことを祈ってるぜ」
 カラカラと楽しそうに笑いながら数騎は天井を見上げる。
 しばらく見上げ続けたが、一向に少女が出て行く素振りを見せないので、ゆっくりと視線を少女に戻す。
 潤んでいた。
 とりあえず潤んでいた。
 青い瞳の眼球を収める瞼をやや細め、瞼には涙がにじみ始める。
 うつむき、こらえるような表情でスカートの裾を、指が白くなるほど力を入れて握りしめている。
 いやな予感がした。
 とにかくいやな予感がした。
 こうした態度をとる幼子の次の行動は大体予想がつく。
「うっ」
「うっ?」
 反芻する数騎。
 そして、数騎のいやな予感が的中した。
 命中率はさながら百発百中(ウィリアム・テル)であった。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
 絶叫かと思った。
 でも、それが違うということもちゃんと承知している。
「あああぁぁぁぁぁん、うわあああああああああ、うわあああああぁぁぁぁぁぁぁん!」
 鼓膜を揺るがす声。
 とにかく大きな声。
 カラスの鳴き声すらかき消すほどの大きな泣き声が、狭いアパートの駆け巡った。
 今ので目が覚めた人間も少なからずいるだろう。
 頭が痛くなる。
 が、何よりも自分のせいで少女を泣かしてしまったことに罪悪感を覚えていた。
「あー、悪い。とりあえず悪かった。謝るから泣き止んでくれよ」
 懇願する数騎。
 が、少女はそんなこといっこうに気にせずに泣き続ける。
 両目を両手でこすり、あふれ出る涙をぬぐい続ける。
 見ると鼻水が出始めていた。
「あぁ、鼻水が出てる」
 服に垂れそうだったので、数騎は転がっていたポケットティッシュを一枚引き抜き、彼女の鼻に当てる。
 ちーん。
 鼻をかむため、少女の泣き声が一時的に止む。
 だが、
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
 すぐにまた泣き始めた。
 数騎の背中を冷や汗が流れた。
 やばい、別の部屋から苦情が来る。
 このアパートは基本的に外国人で金のない出稼ぎの労働者が暮らしていることが多い。
 だから昼は完全に無人化するが、朝は夜遅くまで働き疲れ果てた老若男女がまどろみを楽しんでいる時刻だ。
 正直、人見知りの強い数騎はご近所さんが苦手だ。
 会話などもってのほか、苦情を言いに来られては非常に困る。
「なぁ、頼むよ。泣き止んでくれって」
「ああああぁぁぁぁん、うわあああああぁぁぁぁん」
 いっこうに泣き止む気配を見せない。
「ほ、ほらアメ玉あげるから」
 取り繕おうとする数騎。
 だが、少女はいっこうに泣きやまない。
 途方に暮れ、後頭部をかきはじめる数騎。
 そして、とうとうその言葉を口にする羽目になった。
「わかった、置いてやるよ。それで満足か?」
 その言葉を聞くと同時に少女が泣き止んだ。
 鼻水を啜り、止まらぬ嗚咽に体をゆらしながらも、少女は涙で濡れた目で数騎を見る。
「いいの?」
「いいかって? ダメなわけが無いだろうこの策士め。いいさ、別に構わないさ。いたけりゃ好きなだけいればいい。いざとなったらオレの方が出て行けばいい話だ」
 数騎は投げやりな態度でそう言うと、少女に興味をなくして台所まで歩いていった。
「どうしたの?」
 数騎の後ろ姿を見上げ、少女は座り込んだ体勢のまま尋ねた。
「とりあえず朝飯だ、お前も食べるか?」
「うん!」
 顔をほころばせる。
 鼻は赤く、よくみると鼻からまた鼻水が垂れている。
 でもその顔はかわいらしく。
 そして、
「いい笑顔だ」
「えっ?」
「何でもねぇ」
 そう言うと数騎はカップラーメンを二つ用意すると、電気ポットのお湯を注ぎ、それをお盆に載せて少女のそばにあるテーブルの上に置いた。
「三分たてば食えるからな、少し待ってろ」
「うん」
 答える少女。
 よく見ると鼻水が口の中に入りそうになっている。
 数騎は再び少女の鼻にティッシュをあてがった。
 ちーん。
 少女が鼻をかむ。
 まだ出てくる。
 数騎はさらにティッシュを鼻にあてる。
 ちーん。
 ようやく鼻水が収まった。
「そういや自己紹介がまだだったな」
 数騎が眼球の存在しないために閉じ続けている右だけでなく左の瞼も閉じ、両目を閉じながら自分の名前を少女に告げる。
「オレは数騎、須藤数騎ってケチな野郎だ。典型的な負け犬だな」
「須藤……さん?」
「数騎でいい」
 うっとうしそうに答える数騎。
「で、お嬢ちゃんは何ていうんだ?」
 その問いかけに、少女は少し考えて言った。
「フォーティ」
「ふぉーてぃ?」
 訳のわからん名前だ。
 金髪碧眼だから外人なのだろうが、ちょっと聞いたことのない名前だな。
 インドかイスラムだか忘れたが、ファーティマの手とかいう伝承を聞いたことがあるので、そこらへんの名前だろうか。
 でも、そこらへんの住人は黄色人種のはず。
 そういえば、どっかの建築家がそんな名前だったような、
「いや、そりゃガウディだ」
 ぜんぜんあってない。
 やはり自分はダメみたいだ。
「ってか、その名前なんだ? フォーティ? 言っちゃ悪いが変な名前だな」
「そうかも知れない」
 悲しそうに俯く。
 が、すぐに顔を上げて笑顔を浮かべた。
「あ、そうだ。もう一つ名前があるの」
「もう一つ?」
「うん、すごく優しいお姉さんがつけてくれた名前。本当の名前じゃないけど、こっちで呼んでもらえたら嬉しいな」
「へぇ、なんて言うんだ?」
 尋ねる数騎に、少女は少し照れくさそうな顔をした後、満面の笑みを浮かべて言った。
「クリスティーナ、クリスティーナ・フィオレ!」 






 憧れたのはきっと必然だったのだろう。
 その姿が眩しかったから。
 その姿が猛々しかったから憧れたのだ。
 炎に飲まれた屋敷。
 次々に殺されていった護衛、親戚、そして家族。
 そんな中で、一人の勇敢な女性の姿があった。
 仮面に表情を隠したその女性は、蔵に隠れていた子供たちを守るために、文字通り命を捨てて戦った。
 そして死んだ。
 ただそれだけだ。
 それにオレが魅了された事の、一体どこがおかしかったのだろうか。
 柴崎は剣崎の分家だった。
 しかもかなり格が下で、本家の冷遇ぶりと言ったらなかった。
 しかも相手はそこの養子に過ぎない。
 義理などまるで存在していなかったのだ。
 それなのに戦った。
 そして死んだ。
 それが柴崎司だった。
 恩讐を忘れ。
 恐怖を忘れ。
 ただ、子供を守るために戦い死んでいった。
 どうして柴崎が剣崎のために戦うの?
 そう尋ねたオレに、彼女は言ったんだ。
「子供を守れないような種族ってのは、その代で亡んでしまうからだよ」
 彼女は戦った。
 たった一人で敵を撃退した。
 相棒であったアルカナムが戻ったときには遅かった。
 一の亡霊、柴崎司は剣崎の子供たち二十人少々を守るために命を落とした。
 死の間際、彼女が言い残した。
「もう、私には誰も守れないな。もっと守り続けるつもりだったが」
 オレは泣きながら答えた。
 ならオレがあんたになってやると。
 オレがあんたの代わって人々を守り続けてやると。
 それを聞いた彼女は、三つの物をオレにくれた。
 一つは仮面、一つは刻銃、そして最後の一つはアゾトの剣。
 オレがそれを受け取ったのを見ると、彼女は静かに目を閉じ、二度と開くことは無かった。
 オレたちを守れたことがよほど嬉しかったのか、彼女の死に顔は満足そうだった。
 柴崎司は死んだ。
 だが、生きている。
 柴崎司は死なないのだ、不死鳥のように蘇る。
 代わりに剣崎戟耶が死んだ。
 これは仕方の無いこと。
 誰かを生き返らせたければ、誰かが死ななければならない。
 だからこれは仕方の無いこと。
 等価交換の原則だ。
 柴崎司が生き返る代わりに、剣崎戟耶が死ぬ。
 でも、柴崎司が死なないのであれば、剣崎戟耶に後悔はなかった。
 生き返った柴崎司は、再びアルカナムと共にあることを決めた。
 後悔は無い、ただ悲しみがあっただけ。
 灰燼と化した屋敷をただ一度だけ振り返った時。
 屋敷の輪郭が少しだけぼやけた。






「あ……」
 見上げる先には探偵事務所の薄汚れたタイル、そして光り輝く蛍光灯が存在した。
「夢か」
 頭に手を当てて、再び瞼を閉じる。
 聞こえてくるはカラスの鳴き声。
 部屋が足りないため、ソファをベッドとしていた柴崎は、頭を振りながら体を起こした。
「おはよう」
 聞こえてくる声。
 見ると、向かい側のソファに薙風の姿があった。
 相変わらずの巫女装束で、テーブルの上には緑茶と梅干が存在した。
 いちいち趣味が老婆じみている。
「あぁ、おはよう」
 柴崎はかけていた毛布をはがしながら寝転がった姿勢からソファに腰かけた。
 両目を閉じながら茶を啜り始めた薙風であったが、ふと左目だけ開いて柴崎を見る。
「夢……見てた?」
「あぁ、わかるのか?」
「わかる、あの夢を見る時の戟耶はいつも泣いてるから」
 言われて柴崎は自分の目に手を当てた。
 そこには、流れ落ちた涙のあとがあった。
「戟耶はいつまで柴崎なの? 私は戟耶に戻ってもらいたい」
「そのようなことを言われても困る。私は柴崎なのだ、戟耶は十年も前に死んでいる」
「戻れないの?」
「………………」
 柴崎は答えない。
 ただ、申し訳なさそうに視線をそらしただけだった。
 十年前、柴崎司は剣崎戟耶という名前だった。
 彼は存在してはならない者として薙風の里で、薙風朔夜の家で養育されていた。
 剣崎戟耶は魔剣の御三家、剣崎と戟耶をとってつけられた名前だ。
 父は戟耶の若き当主、そして母は剣崎当主の孫娘であった。
 だが、この契りには大きな問題があった。
 戟耶は近親婚を重ねる事により力を増していく家系であるため、戟耶の婚約相手は戟耶でなくてはならない。
 さらに大きな壁が存在した。
 戟耶と剣崎というのは、その家系故に決して交配を行ってはいけないという仕来りがあった。
 戟耶は近親婚を続けるうちに歪な遺伝子を継承し、そして剣崎は歪な遺伝子を矯正しその矯正に耐え切れない胎児を殺してしまう血統である。
 ただでさえ死産が多く、絶対数が少ない剣崎の女性を戟耶との婚姻ですり減らしてはいけない。
 それが剣崎のルールだった。
 だが、剣崎戟耶の母はそのルールを踏みにじった。
 戟耶の若き当主に身を委ね、そして一つの命を与えられた。
 剣崎戟耶が死産しなかったのは奇跡に等しい確率を引き当てた結果であった。
 だが、剣崎戟耶の出産に母親は耐えることができなかった。
 剣崎戟耶は自分の誕生と同時に母親を失うことになる。
 ただでさえ御法度とされる戟耶と剣崎の交配、その上、剣崎当主の孫娘を死なせてしまったことで御三家に激震が走った。
 想い人を失った戟耶の若き当主は剣崎の当主から、さらには同輩である戟耶の人間からさんざんに叩かれた。
 端から見ると奇妙だったのは、家族を失った剣崎よりも、同輩の戟耶の方が憤慨していたことだ。
 戟耶は近親婚を繰り返す一族だ。
 それゆえに奇形の子供が生まれる可能性が高い。
 それを恐れ、普通の人間を婚約者にする戟耶の人間は後を絶たず、特に血の濃い者には戟耶との婚姻が絶対に義務付けられている。
 が、当主がその禁を破った。
 戟耶の同輩たちが怒り狂うのは当たり前だった。
 戟耶の若き当主は、愛した女性の忘れ形見を自分の元で育てる事を望んだが、剣崎そして戟耶両家がそれを許さなかった。
 まだ一歳に満たない剣崎戟耶が行くべき道は両家の分家筋か、もしくは薙風の里しかなかった。
 剣崎戟耶にとって運がよかったのは、彼の母親が薙風当主の姪であったことだ。
 薙風は戟耶とは違い、数千人が暮らす村に住まう人間なら誰とでも交配を許されており、逆に外からの血を拒むが外に血を送り出すことには非常に寛容だ。
 そして、剣崎と薙風は当主同士仲がよかったこともあり、剣崎戟耶は薙風の里で暮らすことになった。
 薙風は外からの血を拒むが、養育程度なら外の血が混じる事もないため寛容であり、客人がたとえ間違いを犯して混血児が生まれても、混血児とともに追い出せばいい程度に考えている。
 剣崎戟耶は両親こそいなかったものの、薙風の両親を自分の親と思い込み、薙風朔夜、薙風の弟の漸太、そして龍の巫女である薙風の家で修行中の少女、キリコという家族に囲まれて幸せな幼年期を過ごす事ができた。
 だが、その幸せはある日突然失われた。
 年に一度、剣崎戟耶は剣崎の屋敷で一ヶ月滞在しなければならなかった。
 名目上は拝顔ということになっているが、実際には血の繋がった父である剣崎の当主が彼と少しの間でも一緒に暮らしたいという願いを叶えるためのイベントであり、剣崎と戟耶の両家ともそれを黙認していた。
 九度目に剣崎戟耶が薙風の里から剣崎の屋敷に顔を出したその時であった。
 アルス・マグナとの因縁が始まったのは。
「ヤツらが存在さえしなければ、そもそも私が柴崎司になることもなかったのだろうな」
 いらだたしげに柴崎は、ぼそりと呟いた。
 薙風は両目を閉じ、在りし日を思い出す。
 この世界には今の世界を良くは思わない人間で満ちている。
 世界が自分の思い通りにならないからキライなどという程度の低いものではない。
 このまま人間が生き続けてしまえば世界はいずれ崩壊する。
 そう危惧する者達のことだ。
 世界とはそもそも何か。
 それは生物が住まい、生を育む空間のことだ。
 そして、生物は世界に生き、そして生きるために世界を汚し、やがては滅ぼしてしまう。
 だが、これは途方もないほど未来の話だ。
 大抵はそうなる前に惑星が滅びるために星に住まう生物も共倒れするだけだ。
 そこに人間という要素が登場する。
 人間は知識を得、科学を用いることによって世界のバランスを崩壊させた。
 今や、数人の人間が狂気に走るだけで世界を荒廃させることすら可能だろう。
 そこまで科学は進歩してしまった。
 そして危惧する者はその危機感をさらに増し、元々存在していたある組織が急激な成長を遂げた。
 その組織は紀元前から存在した。
 いずれ訪れるであろう星の、いや世界の滅びすらも知覚する人間たち。
 彼らはいずれ世界が滅びる事を知っていた。
 永遠に続くものなど存在しない、それが彼らには認められなかった。
 なら、どうすれば世界を救う事ができるか。
 そんな事は簡単だ、ただ世界をあるがままの状態に保てばいい。
 そうすれば星は自分の力によって活気付き、いざという時はその星に住まう自分達が助力すればいい。
 だが、魂の多くは不純なものに満ちていた。
 選ばれし者たちが世界を守ろうとする反面、不純なる者は星の力を弱め、来るべき災厄を知らず好き勝手にやり続けた。
 これではいけない。
 このままでは世界が滅びてしまう。
 やつらは守らなければならない世界を守る事より、自分達が生き残る事をこそ優先した。
 彼らは恐怖した、世界の滅びをもたらす敵は、自分達の種族にこそいたのだ。
 何とか現状を打破するべく彼らは不純なる者たちに歩み寄ったが、やつらは自分達以外のことはどうでもよいと、自分たちが死ぬならこの世界も道連れにしてやるとまで言った。
 知識と力を持つ人間はどんどんと数を増し、それに比例して世界のバランスが乱れ、世界は壊れ始めた。
 彼らはついに立ち上がった、世界を救うため。
 世界を救済するために。
 彼らは星の再生を企図した。
 この汚れてしまった世界を元に戻す事は不可能だ。
 なら作り直すしかない。
 まず世界を破壊する。
 そして一部の世界にとって有益な、優良種たる生命だけを残し、世界を再生する際に劣等な存在を再生させなければ、世界は有益な存在しかいなくなる。
 これを幾度となく繰り返せば、世界は半永久的に存続が可能だろう。
 そう、彼らは世界の再生を目指す者。
 世界を救済する救世主。
 だが、そのためには世界に存在する総人口の九割以上が死滅する結果を生み出す。
 言わば汚れ役、穢れた闇だ。
 構うものか、それが世界のためならば。
 そして彼らは名乗る。
 我らは闇の救世主!
 世界を救うために活動する、世界を再生させる者!
 我らは世界再生(アルス・マグナ)の闇の救世主(ダーク・メサイア)なり!
 そう宣言した彼らは、常に歴史の影で暗躍を続けた。
 全ては世界を救うために。
 これが、俗にアルス・マグナと呼ばれる組織の誕生の略図だ。
 だが、そのようなアルス・マグナに対抗するものが現れた。
 それが宗教結社(ルシェスト)、そして魔術結社(デュラミア)だ。
 アルス・マグナの意見を容れることは、すなわち過半数を超過する人間の死滅を意味する。
 そんなことを認められる酔狂な人間は多くない。
 結果、アルス・マグナに対抗するために人々は組織を構築した。
 人間の大粛清を唱えるアルス・マグナの賛同者は少ないため、アルス・マグナは常に少数勢力だ。
 だが、アルス・マグナの賛同者は、基本的に世界再生(アルス・マグナ)にて再生を約束された優良種。
 数こそ少ないものの、圧倒的に有能な者が多い。
 最近は再生を約束されなくとも自己の利益のためや、純粋に世界のために身を捧げる者も現れ、アルス・マグナも質を落としながら量を確保し続けている。
 人類は再生の危機に直面しているのだ。
 だが、アルス・マグナに対抗する人間は、とてもではないが一枚岩などではない。
 その最たる例が宗教結社(ルシェスト)と魔術結社(デュラミア)だ。
 前者は世界に存在するあらゆる宗教の数だけ乱立し、後者も基本的には国や地域ごとに分派し、さらにその中でさらに分裂する始末だ。
 そして政府は日々優越する化学兵器に頼りきり、裏の世界の抗争よりも、目の前の国際情勢に頭を悩ませるのみ。
 だからアルス・マグナが好き勝手に動くのだ。
 そして、魔術結社(デュラミア)に協力体勢を示す魔剣の御三家がアルス・マグナに襲撃されたのは当然の結果だったのかもしれない。
 さらに魔術結社(デュラミア)に裏切り者が現れ、この襲撃にろくな迎撃体勢を取れなかった。
 剣崎の屋敷に居た三人のトップクラスのデュラミア・ザーグ。
 仮面使い柴崎司、魔術師クロウ・カード、そして魔術師ヴラド・メイザース。
 野心家であったヴラド・メイザースは剣崎が所有していた、いずこかに封印されたという噂の、あるとも知れない退魔皇剣の鍵を奪うためだけに魔術結社(デュラミア)を裏切った。
 結果、剣崎の人間の多くが血の海に倒れ、屋敷は炎上、柴崎司も戦死した。
 そして、柴崎司を名乗る剣崎戟耶は、いまやデュラミア・ザーグとなって戦場に立っている。
「それにしてもこの町でヴラド・メイザースに出会えるとはちょうどいい。次こそはヤツを葬り去ってやる」
 話をそらしたかったのか、右の拳を左の手のひらに叩きつけながら思い出したように言う柴崎。
 柴崎はいまや立派な戦士だった。
 幾多ものアルス・マグナの構成員を屠り、そして裏切り者や異端者たちと戦いを交えている。
 その生き様はまさに修羅の如く。
 悲壮で、そして荒々しい生き様。
 それは、十年前の惨劇で失った多くのものが背景として存在していた。
 実は、あの襲撃の中で薙風の弟の漸太、そして龍の巫女として修行中であったキリコも命を落としていた。
 漸太は屋敷の外へと避難する途中で、そしてキリコは炎上する屋敷から脱出できずに。
 漸太はまだ良かった。
 流れ弾に当たって死んだもの、最後は薙風の胸の中で逝くことができた。
 その後丁重に葬られ、今では薙風の里で眠っている。
 キリコは死体すら見つからなかった。
 いや、正確には見つかったのだが、屋敷から発見された焼死体が多すぎて、そして破損がひどいものが幾多もあったために特定ができなかったのだ。
 彼らはまとめて剣崎の墓に葬られた。
 すさまじい惨劇であった。
 決して忘れられる類の思い出ではない。
 だが、薙風は忘れたかった。
 失ったもののことを忘れようとは思わない。
 だが、復讐にとらわれて人生を捻じ曲げたいとは思わなかった。
 薙風はいつか、戦いを終えて薙風の里で静かに暮らしたいと考えていた。
「………………」
 薙風は悲しそうな顔をした。
 目の前の青年はそうは考えない。
 彼を縛るものは復讐だけではない。
 あの日、誓った時から。
 あの日、契約を交わしたときからもう一つの鎖に縛られた。
 毎年同じ時期に会い、命を懸けて自分を守った女性の姿。
 柴崎司に憧れ、新たなる柴崎司として生きると誓った瞬間から全てが捻じ曲がった。
 目の前にいる青年はもはや剣崎戟耶ではなかった。
 おそらく二度と戻る事はないのだろう。
 彼は柴崎司、魔を狩り人々を救う正義の疾風。
 でも、それは薙風が最も望まない姿。
 あの頃の少年が二度と帰ってこないことを無言の内に悟った薙風は、ただ、寂しそうに瞼を伏せたのであった。






「いやいや、今日も楽しませてもらった。やはり坊やは悪くない」
 ホテルから出るなり、桂原はそう口にした。
 夜空の星は弱く、ネオンの放つ強い光によって星々の輝きが褪せる町。
 ホテルの乱立するあたりで、桂原は傍らにいる少年に続けて言った。
「だが、あまり薬を買いすぎるのはよくないな。その内、薬なしではいられなくなるぞ」
 そう口にした桂原に対し少年、須藤数騎はこう答えた。
「もう遅いよ、今じゃ毎日一発は必要なんだ。そろそろ一日一回じゃ足りなくなるかもしれない」
「やめた方がいいとは思うんだがな」
 桂原は残念そうに口にする。
 理由は簡単だ、ホテルの中で数騎が禁断症状を起こし、目の前で薬を注射する光景を目にしたからだ。
「まぁ、坊やの人生は坊やのものだ。無理に止めはしないさ。だが、もし薬をやめたくてもやめられなくなった時にはオレの所にくるといい、必ず薬から開放してやると約束しよう」
 裏の世界にはドラッグにはまり、抜け出せない者も多い。
 そのような人間を矯正する機関が魔術結社には存在していた。
「頼もしいね、ダメになったらお願いするよ」
 そう言って数騎は桂原に背を向けて歩き出す。
 その懐には、奮発した桂原が渡してくれた三万円分の紙幣がある。
 背を向けて歩き出した数騎を、桂原は心配そうな目で見つめていた。






 アパートを見上げて、数騎は思わず驚きの声を漏らした。
 今の時間は夜十時、別に電気がついていてもおかしい時間ではない。
 だが、おかしいのだ。
 自分の家には誰もいるはずがない。
 それなのに数騎のアパートの窓からは、蛍光灯の光が漏れていた。
 と、そこで数騎はようやく思い至る。
「あぁ、そういやあいつがいたか」
 クリスティーナ・フィオレ、デュラミア・ザーグに狙われているという金髪碧瞳の少女。
 アパートには彼女が一人で留守番をしていたのだ。
 彼女の顔を脳裏に思い浮かべ、数騎は歩くと音の出る木製の階段を上って自分の部屋を目指す。
「ん〜、それにしても」
 自分の部屋の扉の前まで来て、数騎は鼻をひくつかせる。
 なにか妙にいい匂いがするような。
「まぁ、いいか」
 どうせどっか別の部屋のヤツが豪勢なメシでも食ってるんだろう。
 構うものか、こっちにはウルトラグレートラーメン二十一世紀仕様(カップラーメンの名前)があるんだ。
 今日はそれで舌鼓を打ってやる。
 そう考えて数騎が扉を開いた時だった。
「おかえりー、数騎!」
 元気な声で出迎えられた。
 驚きながら後ずさる数騎。
「おかえり、数騎」
 にっこりと笑いながら後ずさった数騎に抱きつくクリスティーナ。
「おかえり」
 見上げながら微笑む。
 その笑顔に気おされ、数騎はようやく口にした。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 そう言うと、クリスティーナは数騎から体を離して部屋の中に戻っていく。
「入って、ごはんできてるよ」
「ごはん?」
 数騎は首をかしげながら部屋に入る。
 そして気がついた。
 部屋にある全く使ってなかった台所。
 そこに小さな鍋が乗っているのだ。
 それはとても香ばしい臭い、アパートの外から匂ってきたものと同じだった。
 変化はそれだけではなかった。
 部屋を見渡す。
 そこはまるで異空間のようだった。
 あれだけ散らかしつくした部屋がきれいさっぱり片付いていた。
 飲み散らかした酒瓶もなければ、食い散らかしたインスタント食品の袋も完全に絶滅していた。
「こいつぁ、すごいぜ」
 思わずこぼす数騎。
 そんな数騎の右手を小さな両手が引っ張る。
「とりあえず座って、すぐ用意するから」
「あ、あぁ、わかった」
 促されるままに、数騎はコタツの前に腰を降ろした。
 どうやらウルトラグレートラーメン二十一世紀仕様の出番はなさそうだ。
 と、待っている数騎の前にお盆を持ってクリスティーナが現れた。
 お盆の上には料理が山盛りに置かれていた。
「召し上がれ」
 コタツの上にクリスティーナお手製の料理が置かれていた。
 それはクリームシチューだった。
 脇にはガーリックトースト、そしてツナサラダ。
 なんともステキな献立だ。
 数騎は驚いた顔をしながらも早速シチューを口にする。
「おいしい」
 思わず言葉が漏れた。
 横で食べるのを眺めていたクリスティーナが顔をほころばせた。
「よかった〜喜んでもらえて」
「あぁ、すごくおいしい。ありがとうクリスティーナ」
「うん」
 元気よく答えるクリス。
 と、少しだけ表情を曇らせた。
「どうした?」
 聞く数騎に、少しだけ恥らいながらクリスが口を開く。
「あのね」
「うん」
「わたしのことなんだけどね」
「うんうん」
「クリスって呼んで欲しいな」
 おねだりするようなまなざし。
 すこしだけ潤んでいるのは拒絶されることを恐れてだろうか。
 数騎は小さくため息をつくと、クリスの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「構わないさ、じゃあ今度からクリスで」
「うん」
 またしても元気な顔になった。
 頭を撫でられるのが嬉しいのか、気持ちよさそうな顔をしている。
「そういえばクリスはもう食べたのか?」
「まだだよ、一緒に食べようと思ってたんだ」
 そう言うとクリスは飛び跳ねるように台所へ向かっていく。
 そこにはすでに今日の献立一式がお盆の上に容易されていた。
 なんと手際のいいことだと、数騎はガーリックトーストを噛み千切りながら考えていた。
 元気いっぱいのクリスはお盆を手にコタツまで歩いてくると、テーブルにお盆の中身を並べ、数騎の真横に腰を降ろした。
「ん? 隣空いてるじゃないか?」
 シチューを飲み込みながら目で右隣の空間を指し示す数騎。
 だが、クリスは数騎の胸に抱きつきながら言った。
「数騎の隣がいいの」
「でも狭いぜ」
 クリスを気遣う数騎。
 だが、クリスはそうとは受け取らず、抱きついたままの姿勢で数騎を見上げる。
「私……邪魔?」
「邪魔ってわけじゃねぇけど、オレが一緒だと狭いだろ?」
「そんなことないよ、だって私はこうしていたいから。数騎さえいやじゃなかったらだけど」
「ん〜、まぁオレは構わないけどさ」
 そういうと、別にもう気にしないことにして数騎は食事を再開することにした。
 クリスもしばらくは数騎に抱きついていたが、すぐに空腹を思い出して食事を始めた。






 食事が終わり、二人は寝ることになった。
 布団は数騎が新しく調達してきたので、数騎は布団を二つ用意すると、トイレに入っているクリスを待たずして、さっさと眠ってしまうことにした。
 電気の消えた部屋。
 数騎は一日の疲れを取るべく、目をつぶって規則正しい呼吸を始める。
 と、突然布団が冷たくなった。
 驚いて数騎が目をあける。
 正直開けるまでもなかった。
 なぜなら感触でわかるからだ。
 数騎は小さくため息をつく。
「クリス、何してるんだ?」
 もぞもぞと動く布団。
 数騎のその布団から、少女の頭が飛び出した。
「えへ」
「えへ、じゃない。ここはオレの布団だ。お前はあっちだろう」
 言ってもう一つの布団を指差す数騎。
 そんな数騎に、クリスは唇を尖らせた。
「だって寒いんだもん」
「布団に入ってればその内あったかくなるぞ」
「でもエアコンもないし」
 言われて数騎は押し黙る。
 確かにこの部屋にはストーブもエアコンも無い。
 あるのは電気のつかないコタツだけだ。
 数騎は左目をつぶり、仕方なさそうに呟く。
「わかったよ、じゃあ一緒に寝てやる。満足か?」
「うん!」
 あいもかわらず元気のいい返事。
 数騎ははやく眠るべく、クリスを無視して寝ることにした。
 疲れが溜まっていたのか、数騎はあっという間に眠りに落ちてしまう。
 それに続いて、クリスも眠りに落ちる。
 二人は寄り添いあい、お互いの体温を感じながら眠りにつく。
 二人の右手は、まるで寝ている間でもお互いを離さないように硬く握り締められていた。
















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