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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第八羽 苦痛
第八羽 苦痛
気がつけばどっぷりと浸かっていた。
いまさらだ、こうなることははじめから気付いていたのだから。
古びたアパートの一室、数騎は壁にもたれかかり、座ったままの姿勢で腕に注射をしていた。
「だめだな、こりゃ。オレもお終いだな」
願わくば、絶対に避けられない事故で自分の命が終わることを。
そればかりを夢見て、数騎は薬物による桃源郷へと旅立つ。
そこにはいつも、数騎の望む女性がいるからであった。
「捜索隊に参加したくない?」
数騎がドラッグを服用しているちょうどその頃。
昼食を終え、全員が解散する時間に柴崎は薙風の個室に呼び出された。
「参加したくないとはどういう事情だ?」
驚いて尋ねる柴崎。
そう、薙風は柴崎を部屋に呼び入れると、今夜から行われるヴラド一派おびき出し作戦の不参加を願い出たのである。
「怖いの……」
「怖い?」
正座して机のまえにいる薙風の言葉を、一瞬柴崎は理解できなかった。
「怖いか。だが、それは今までも同じじゃなかったのか?」
「今までも怖かった……でも……」
言いにくそうにうつむきながら、
「今は……もっと怖い……」
恐怖を交えた声で、薙風は柴崎にそう告げた。
柴崎にも薙風の事情はわかっている。
薙風は柴崎たちのように好き好んで殺し殺されるような殺伐とした世界にいるわけではない。
彼女は強制されて戦わされている。
ただ強く有用な駒だから使われているに過ぎない。
それでも今までは大丈夫だった。
大抵の敵は自分たちの技量で何とかなり、少しばかり敵が強くても魔飢憑緋があれば大丈夫だった。
薙風にとって、魔飢憑緋だけが殺し合いの中に存在する唯一つの灯火だった。
魔飢憑緋は薙風を守り続けた。
しかし、九月に行われた戦いの中で、薙風はそれが間違いであると知った。
確かに魔飢憑緋は薙風を守った。
だがそれは、自分が乗っ取ろうとする人間を失わないようにするためという、あまりにも利己的な理由だった。
他人に自分の体をいいようにされるというのは、おそらくそうされた者にしかわからないだろう。
そして、薙風はそれを知ってしまった。
自分の守護神であると信じたものが、実は悪霊の類であったのだ。
薙風は恐れた。
薙風は戦いの渦中において、信ずるべき戦友を失ってしまったのだ。
「私は……戦えない……」
申し訳なさそうな顔をする薙風。
だが、そういうわけにも行かないだろう。
薙風の魔術結社との契約期間はもうすぐ終わる。
契約期間は四年間、それが薙風の里と魔術結社の契約だ。
それに従い、薙風は戦い続けた。
ランページ・ファントムの数字さえ手に入れるほど、獅子奮迅の活躍だった。
そして、薙風の誕生日は十一月の二十八日。
あと二週間ほどで契約も切れ、薙風は普通の生活に戻ることが出来る。
だというのに、ここにきて薙風は戦うことを拒んだ。
契約を踏みにじるには大きな代償を必要とする。
それで処刑されることさえありえるのだ。
だが、薙風はそれを踏まえた上で戦いたくないと言っているのだろう。
柴崎は迷った。
契約は履行させるべきだ。
そうすれば薙風は後ろ指差されることなく戦いから身を引ける。
だが、今の薙風に戦意は感じられない。
下手をすると、敵を前にして魔飢憑緋の起動をためらうかもしれない。
いままでの薙風が戦えたのはためらうことなく魔飢憑緋を振るえたからだ。
だからこそ薙風は死なず、そして魔飢憑緋の力をもって優良なる尖兵となり得た。
どちらが薙風にとって安全か。
答えを待つ薙風を前にして、柴崎は口に手を当てて思い悩む。
魔術結社の粛清か、それとも薙風の戦死の確率。
どちらが高いかを計算するが、どちらも圧倒的な高さであると言ってしまえる。
せめて薙風が戦闘不可能な状況であれば勝手にあと二週間が過ぎ去ってくれそうなものを。
そこまで考え至った瞬間、柴崎の頭に妙案が閃いた。
「なるほど、これならば他の者をごまかしきれるかもしれないな」
呟き、柴崎は薙風の瞳を真っ直ぐ見る。
「薙風、提案がある」
「何?」
「魔飢憑緋を私に貸してもらえないだろうか」
「えっ?」
驚く薙風。
だが、柴崎はそんな薙風の反応を遮るように続ける。
「つまりお前の戦闘力は魔飢憑緋を所持する龍の巫女であるとい条件下において発揮される。なら、お前が魔飢憑緋をもっていなければ」
「……戦えない」
そう、それは薙風が戦力にならないことを意味していた。
そして魔飢憑緋のない状態なら薙風は戦闘に駆り出されない。
それは三月から六月まで、魔飢憑緋が回収されるまでの間に薙風が魔術結社内で内勤のみをしていたことからも明らかだ。
魔飢憑緋を持たない薙風を無理矢理戦闘に駆り出して死亡させるのは魔術結社にとっても有益なことではない。
「さらにお前はこれまで精鋭部隊入りするほどの実績をあげている。いま、仮病を使ったところでお前が戦いを恐れて仮病を使っていると取られることもないだろう」
「仮病?」
「そうだ、お前には今から仮病を使ってもらう。と言っても少しだけ体がだるい程度ですませておけ。それにこの間は行動班の危険を軽減するために四人一組(フォーマンセル)を主張したが、よく考えれば事務所に一人だけというのは非常時に対応できない、事務所には二人残してあとは三人の班、四人の班とすれば問題ないだろう」
「それで……大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だろう。戦力が減る分は私が魔飢憑緋を持つことで穴を埋める。それなら全員が納得するはずだ。時に、お前はオレ以外の人間に戦うことが怖いと告白したことはあるか?」
「二階堂と、彩花と、桂原だけ」
「それなら大丈夫だ、みんなそれで納得してくれると思う」
「じゃあ、私。本当に戦わなくていいの?」
「あぁ、あと二週間。この事務所でゆっくりしているといい」
やわらかく微笑む柴崎。
そんな柴崎を見て、薙風は涙を流していた。
「ありがとう……」
涙はあふれるように流れ出る。
薙風は巫女装束の袖で流れ出る涙を拭き、それでも収まらないので両目を袖で押さえて涙を押しとどめる。
「ほんとうに……ありがとう……」
戦いたくない。
殺しあうのが怖い。
命のやり取りを恐れる少女は、ようやく戦いの渦中から抜け出ることを約束された。
それが嬉しくて。
それが本当に嬉しくて。
しばらくの間、薙風朔夜は声を殺して泣き続けていた。
今度は寝ている最中に泡を吹いていた。
クリスティーナは、意識を失いアパートの床に寝転がっている数騎の口元をハンカチで拭った。
数騎のドラッグに対する依存は見ていられないものだった。
この薬を使うと大切な人に会える。
それが数騎の口癖だった。
大切な人に会うのが悪いことではない。
その人を想い続けることが悪いことではない。
ただ、中毒性の高すぎる薬物に依存するというのがよくなかった。
しかも、そのドラッグは数騎の体を確実に蝕んでいる。
やめて欲しかった。
二度と手を出さないで欲しかった。
だが、数騎はどうしてもこの薬を手放そうとしない。
クリスは知っている、この手の薬は自分の意思だけでどうこうできるというだけのものではないことを。
クリスは決断した。
数騎を助けなくてはならない。
そして、クリスはある行動に出ることに決めた。
「なぜこれ以上の戦力を投入する必要がある!」
机を叩きながらアルカナムが吼えた。
そこは中世を思わせる西洋風の居間。
高級感漂うテーブルを前に、三人の男女が腰を降ろしていた。
一人は少女、一人は中年、一人は壮年。
壮年の男、アルカナムは怒りをあらわにしていた。
「美坂町にはすでにランページ・ファントムは半分近く投入している。これが何を意味するかわかっているのか?」
「わかったいる、わかっているともさ」
声を出したのは中年の男だった。
比較的低い身長にがっちりとした体。
近世ヨーロッパの軍司令官のような軍服を身に纏っている。
その中年の男が、落ち着くようにと手振りでアルカナムに示す。
アルカナムはそれで押し黙るが、そこに少女が口を出した。
「戦力の逐次投入は戦術的には常識となっていますが戦略的には賢くはありません」
金髪に碧眼の少女。
十六歳ほどだろうか。
あどけない少女の顔、だがその表情はりりしく威厳さえ伴う。
歳以上の貫禄を持つその少女は、中世の騎士が纏うであろう鎧を簡略化させたものを纏っていた。
「全くだね聖女の姫さん、私の得意技はその賢くない状況を相手に強いさせるものであったわけだし。あのクソ忌々しい海洋国家さえなければ私は……」
歯軋りしながら少しだけアルカナムを睨む中年男。
中年男は基本的にアルカナムに好意を抱いてはいるものの、彼の出身国であるイギリスだけは容認できないらしい。
「あの島国の侵略者どものことですが、今は問題ではないでしょう。あの国を口に出すのはおやめなさい、『天空の大鷲』」
言われ、中年男は小さく礼をして謝罪を示す。
それを見て納得すると、少女はアルカナムに向き直る。
「敵は一気に最大戦力で潰すのが得策です。それに戦力を小出しにしてはこちらの被害も大きくなります。極東の島国にはあのヴラド・メイザースがいるのでしょう? ランページ・ファントムを召集する必要性は決して皆無ではありません。
反対意見はありますか?」
「確かにそうだ、だが。こちらの状況をおざなりにしてもよろしいのか?」
問うアルカナム。
それに対して中年男が答えた。
「よろしくないわけがあるか。だが、こちらよりも向こうを優先しろと言っているのだ。あのヴラド・メイザースがついに動いたのだぞ。極東の島にあるというなんだ? 退魔皇剣か、それがもしかしたら存在するのかもしれないのだろう、ならば嘘でも踊らされてやる他ない。ありえないとは思うが、本物の退魔皇剣が存在していたら事だぞ。
私たちは全員が魔皇だが、聞いた話では世界に数少ない私たち全員が集まっても一人の退魔皇剣の使い手に匹敵することさえ難しいと言うじゃないか。
ならば戦力を投入してヴラドの思惑を阻止、うまくやって退魔皇剣を奪うもよしだろう」
「お前は極東の一都市に退魔皇剣が本当に存在するとでもいいたいのか?」
「可能性はある、何よりも裏切り者たるヴラド・メイザースが表に出てきている。それだけでも行動の価値があるだろう。本当は半年前に動きたかったが、ようやくこちらも沈静化してきた。そちらに戦力を割いても問題はない」
「だが!」
「異議は認めません」
反論しようとするアルカナムを、少女が一喝して抑えた。
アルカナムは悔しそうに引き下がる。
「ただ退魔皇剣があるかも知れないという報告では私たちは動きませんが、ヴラドが動いている以上、彼には精鋭中の精鋭をもって当たる必要があります。半年前ならともかく、今現在なら彼の粛清は可能な状況、ならば他の何よりも優先します。
アルカナム、守護騎士団総統として命じます、残るランページ・ファントムを引きつれ至急、日本の関東地方に進軍、ヴラド・メイザースを粉砕しなさい」
「御意に」
深く頭を下げるアルカナム。
守護騎士団ナンバー2のアルカナムはこの少女には逆らえない。
これ以上の会話が意味をなさないことを知ったアルカナムは、そのまま席を立って退席してしまった。
ヨーロッパの歴史において、歴史的に重要な位置に存在し続けたフランス。
そこで最も美しい建築物たる、豪華絢爛を誇るベルサイユ宮殿の庭園にアルカナムは立っていた。
時刻は夕方、翌日にはこの町を発たねばならない。
人気のないその空間、
ただ、咲き乱れる木々と、ふとすれば中世にタイムスリップしたのではと思わせる絢爛たる宮殿。
鏡の間と呼ばれる宮殿において最も豪華なその一室を外から覗ける位置にアルカナムは立っていた。
と、そこに歩み寄ってくる男が一人。
近世ヨーロッパ時代の軍服を着る中年男であった。
端から見るとコスプレイヤーのようにも見える。
「どうした、クロウ・カード。お前らしくないじゃないか」
アルカナムに話しかける中年男。
「戦力の一点集中をあの少女に教えたのはお前だろうに。その場に私がいたことを忘れているのか?」
「私はただこのフランスの心配をしているだけだ」
「そうなのか? オレはどうもあの島国にこれ以上戦力を派遣したくないようにしか聞こえなかったが」
「そんなことはないさ、ナブリオ」
中年男の名前を口にしながらアルカナムは続ける。
「ただ、これ以上の人死にはごめんなのだ。それに私が向こうに向かう。魔皇が一人向かえば現地の戦力だけで十分事足りる。それなのにこれ以上の戦力投入はこちらが手薄になりすぎる」
「そういうなよ、姫さんだってお前が心配なんだ。数少ない転生復活者仲間なわけだしな」
転生復活者、それはすでに死亡した人間の魂が転生し、なおかつその魂の刻まれた前世の記憶が蘇った者のことである。
前世の記憶、能力、あらゆるものが現世で生活していたその転生体に宿り、常人をはるかに超えた能力を持つものとして知られる。
なにせ二つ分の人生を歩む者なのだ、一つの人生しか歩めない前世の記憶を失ったものでは太刀打ちするのは難しいことが多い。
「それにしてもお前に覚醒させてもらった時は驚いたよ、まさか伝え聞く黄金の夜明けが誇る狂気の魔術師がこんなにも常識家だったとはな」
ナブリオと呼ばれた男がアルカナムの肩を叩く。
「それはこちらのセリフだ。天空の大鷲と称された貴様のような皇帝が、まさかこんな軽口を叩く男だとは思ってもいなかった」
そこまで言うと言葉を切り、アルカナムは訝しげに続ける。
「どうした、そのような事を突然。まるで今生の別れでもしようとしているように聞こえるぞ」
「そのつもりで言っているんだ」
突然、まじめな顔を作り、ナブリオは言った。
「どうも、お前は死に場所を探しているように思える。仮面使いという相棒を失った後のお前は特にそうだ。今回、戦力の派遣を断ったな、あれはお前の死を邪魔させないために行ったのではないのか?」
「それは考えすぎというものだ」
「オレはそうは思わんがね、クロウ・カード」
嘲るように言うナブリオ。
そんなナブリオに、嫌そうな顔をしてアルカナムは言った。
「ところで、わざとらしく人の二つの名を呼ぶのはやめてもらえないか?」
「クロウ・カードと呼ぶなと? いつもみんなにはアルカナムって呼ばせてるじゃねぇか。どっちも二つ名だろ、お前の」
「クロウ・カードの名は彼女が死んだ時に捨てた、今の私はアルカナムだ」
「オレにとっちゃクロウ・カードなんだがね、アレイスター」
アルカナムの本名をわざと口にし、ナブリオを背中を向けた。
「とりあえず死んでくれるなよ、ヨーロッパの押さえにはナンバー1とナンバー3が不可欠なんだとよ、悪いが一緒には行けねぇんだ。その上、早くナンバー2にも戻ってきて欲しいとの事だ。お前はオレたちのナンバー2なんだからな、オレをナンバー2に繰り上げてくれるなよ」
「善処しよう」
「お前らしいお返事だよ」
心配を拭い去ることはできなかった。
それでもナブリオにアルカナムを止める術は見つからなかった。
ナブリオは一度だけ振り返りアルカナムの顔を覗き込むと、それで二度とその顔を拝めない覚悟を決め、庭園から立ち去っていった。
沈む夕日。
それを眺めながらアルカナムは立ち尽くす。
「柴崎司、もうすぐだ。お前の望みもきっと満たされることだろう」
そうして一度だけ黙祷する。
だが、その瞼に写る顔は別の女性のものだった。
「アリス……」
懐かしき少女の名を口にしたアルカナムは、ベルサイユ宮殿を前にして沈む夕日の前から立ち去ろうとしなかった。
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