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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十五羽 弱点

第十五羽 弱点


「さて、どうしたものかな」
 一同を見回しながら桂原がそう口にした。
 時刻は午後七時、数騎がアパートを発つ一時間前の事だ。
 探偵事務所に逗留するランページ・ファントムのメンバーたち、そして綱野麻夜が事務所に集まって会議を行っていた。
 事態はとててつもなく悪いと言わざるを得なくなった。
 なにせ二名も一日で撃破されてしまったのだ。
 もちろんここにいるメンバーが一日で二名以上の損失を経験したことがなかったわけではない。
 だが、それは中規模、大規模に及ぶ行動を伴う時だ。
 精鋭部隊のメンバーが、まさか小規模行動時に、たった一人の人間に奇襲によって敗れ去ったことが問題なのだ。
 さらに失った人材も問題だ、通常の隊員を失う事とランページ・ファントムに所属している亡霊を失うこととは意味が違う。
 言ってみれば、歩兵を一人失うことと戦闘機を一台失うこと、というほどに損失に差があるのだ。
「まさか二名も取られるとは、正直考えていなかったな」
 満場一で議長にされた桂原が困ったように言う。
 ソファに座る桂原に、立ったままで会議に参加していた柴崎が発言した。
「申し訳ありません。二人が討ち取られたのは間違いなく私の責任です」
「まぁ、そうだろうよ」
 柴崎に続いて口を開いたのは戟耶だった。
 あいもかわらず茶化すような表情で柴崎に嫌味を言う。
「で、どうするんだい大将。ただでさえ人手不足だってのにこれ以上敵の捜索は続けんのかい? 誘き出し作戦は失敗しちまったみたいだしよ」
 桂原の隣に座る戟耶は、にたにたと笑いながら桂原に尋ねた。
 少し思案した後、桂原は答える。
「動くしかあるまい、やつらが何を考えているかわからん以上は受身になるわけにはいかない。主導権を握らなくては戦いには勝てないぞ」
 もっともな意見だった。
 桂原の言葉は正しい、それは柴崎にも理解できる。
 何しろ、昨日まではその方針で有利な展開にもっていけたのだから。
 撃破した敵は三、それもこちらの被害無しで一方的にだ。
 撃墜したのが全て戟耶の手柄とはいえ、積極的攻勢にでた桂原の作戦の賜物とも言えるだろう。
 問題は、その作戦に柴崎が口出しして損害を大きくした昨日の事だ。
 柴崎のチームに敵が襲い掛かることを仮定して、桂原のチームが柴崎のチームを援護しやすい配置にこだわるあまり、桂原のチームに柴崎のチームが合流することを念頭にいれなかったのが失敗だった。
 もし自分がもっといい作戦を立案さえしていれば二人は死なずに済んだかもしれないし、最悪でも救援に駆けつけて桂原がカラスアゲハを取り逃がすことを防げたかもしれない。
 自分の立案した作戦が裏をかかれ、それにより仲間を失ったことが柴崎に心に重くのしかかっていた。
「で、問題はどう動くかだ。誰か意見のあるやつはいるか?」
 桂原の言葉に、一同の視線が柴崎に集まった。
 それを感じ取り、柴崎は思わず動揺する。
 この手の作戦立案の際、もっとも頼りにされるのは柴崎の頭脳だった。
 作戦の成功よりも味方の損害を小さくすることを好む柴崎は、仲間達からも好まれる戦術を口にする。
 誰だって死に急ぎたいわけではない、だからこそ仲間を第一とする柴崎の意見を尊重するのだ。
 が、柴崎は困りきっていた。
 昨日、自分の立案した戦術のせいで二人も仲間を失っていたからだ。
 とはいえ、求められたからには意見を出さねばならない。
 黙っていて余計に仲間を失う事になったら後味が悪すぎる。
「今回の失敗でわかったことは、敵の襲撃ポイントを限定しすぎるあまり、仲間同士の連携に不備が生じたことが最大の原因と思われます。
 もしも、私達の援護が間に合えば被害は一人ですんだはずですから」
 最初の一人は計算に入れない。
 理由は簡単だ、暗殺者の奇襲に対応するなど厳戒態勢でもなければ不可能だからだ。
「ですからまた以前のように、片方が襲撃される、もしくはした場合に別行動していたチームがお互いに合流できるような態勢を作っておく事が重要でしょう。
 そうすれば被害は抑えられるものと考えられます」
「別行動をとるという方針に変化はないのですか?」
 意見したのは桂原の正面のソファに腰をおろす麻夜だった。
「どうも一連の失敗は別行動という一点に集約するのではないかと考えられます。戦力の分散は各個撃破の危険が避けられないと思うのですが?」
 あまりにも的確な麻夜の言葉。
 それに答えたのは隣に座る里村だった。
「確かにそうですが、各個撃破できるかもしれないという餌が無ければやつらが自分から仕掛けることはないのも事実です。総合的な戦力ではこちらが上回っています、その証拠にメイザース一派はこちらのアジトがこの事務所であることを熟知しながら事務所を襲撃したことは一度としてありません」
「つまりあれでしょ、こっちが全力でぶち当たれば向こうはケチョンケチョンってわけね」
 愉快そうな声をあげたのは歌留多だった。
 桂原の右隣に座っている歌留多は、思いついたように正面に座っていて話に参加していない薙風に視線を送る。
「薙風さんはどう思う?」
「私は……」
 話を振られた薙風は、驚きながらも右目を閉じたままの状態でこう答えた。
「増援が来るのを待った方がいいと思う。戦力的には勝ってるから攻撃されても平気」
「だ〜か〜ら〜、それじゃ受動的になって主導権は敵に移っちまうだろうが」
 薙風の言葉を、戟耶があっさりと否定した。
「戦いは主導権の奪い合いだ、アドバンテージばっかに気をとられて守勢に回ったら主導権は奪われちまう。
 オレは柴崎の意見に賛成だ。戦力は分散、よってくる敵は各個で迎撃、そんでできたら時間を稼いで増援を待つ。まずは敵を誘い出すことだ。こっちが相手の拠点を見つけていない以上、これ以上に積極的な行動は無いんじゃねぇのか?」
「私も戟耶さんの意見に賛成です」
 同意する里村に、歌留多、桂原が頷いて意思表明をしてみせる。
「じゃあ柴崎の方針を採用する、異議のあるものはいないか?」
 言って全員を見渡す桂原。
 薙風と麻夜は若干の不満があったものの、それ以上の代案が思いつかないので何も文句は言わなかった。
 二人とも理解している。
 代案を伴わない批判など、口にするだけ無様でしかないのだ。
 誰も文句を口にしないのを見計らって、桂原が口を開いた。
「異議がないなら方針は決定だ。相互に援護が可能なように離れる距離は最大二キロメートル、拠点には二名残し、行動部隊は三、二で分ける」
「守りを減らすんですか?」
 思わず麻夜が尋ねた。
 桂原は頷いて見せると、事務所の部屋を見渡した。
「ここには魔術結界が施してある、多少強力な敵が相手でも迎撃するのは容易いだろう。少し時間を稼いでもらえれば行動部隊が援護に駆けつけることも可能だ。それよりも、拠点の守りに戦力を割いて遊兵にしてしまうことの方が問題だ。
危険の多い行動部隊に人数を割きたい、ただでさえ人数が減ったわけだからな」
 その言葉に麻夜は引き下がらざるを得なかった。
 薙風が戦力にならないことを理解しているのは麻夜と柴崎、そして薙風だけなのだから。
「とりあえずみんなも理解しているとおり、二人減ったことから別働隊の人数を減らさざるを得ない。もちろん危険性は非常に高くなる。
 そこでだ、少しでもリスクを押さえるために、少しばかり行動を変更しようと思う」
 そう言って、桂原は容易しておいた美坂町の地図をテーブルの上に広げた。
「まず拠点から近い場所にしなければならない。もちろん敵は拠点からの増援を考えることから敵の警戒レベルを下げつつもこちらが駆けつけやすい距離を選ばなければならない。半径四キロ以内、これが限度だろうな。
 別働隊は三、二で分ける。さっきも人数は言ったが人数の差は役割の違いからだ。
 今回は第二の拠点とも言うべきエリアを設置することにする」
「第二の拠点?」
 桂原の言葉を復唱したのは柴崎だった。
 問いかけるような目を向ける柴崎に、桂原はしっかりと頷いて見せた。
「第二の拠点というのは二人組で動く別働隊に待機してもらうための場所だ。伏兵として二人をそこに忍ばせておき、三人の部隊が敵を誘い出すために動く。そして敵が釣れたら二人組の伏兵には直ちに援護に来てもらえるように願いたい。
 昨日の作戦からの反省点として伏兵のメンバーを援護できるような場所に置くことが大切と考える、そこで二人組には退避、援護が容易な場所に潜伏してもらおうと思う」
「それってどこだよ?」
 当然の質問を戟耶が口にした。
 桂原はそれに、地図のある一点を指で指すことで答えた。
「ライオット・ビル、今はデパートとして機能しているビルだ。ここの屋上には昔懐かしい屋上遊園地が設置されている」
「遊園地? そんなところで待機させる気か?」
「大丈夫だ、この時間なら遊園地は運営していない。それにどうせ鏡内界に入っているんだ。一般人は巻き込まないよ」
「ならいいけどよぉ」
 遊園地という響きが気に入らないらしい戟耶は、文句をつけながらも正当性のない批判をする気はないらしく、あっさりと引き下がった。
「とりあえず戦力はできる限り均等に分けるために三人の方には私、里村、桐里の三人、二人の方には柴崎と戟耶を置く。拠点の守りには薙風と綱野さん、大丈夫ですね?」
 最後の方は薙風と麻夜に向けた言葉だ。
 二人は躊躇無く、首を縦に振る。
 それを見て、柴崎は思わず安堵の息をついていた。
 恐らく桂原は薙風が戦力にならないことを知らないのだろう。
 桂原の中では新参の歌留多よりも薙風の方が期待できると考えている。
 だからこそ人数を減らした拠点に残すと言う判断をしたのだ。
 拠点を守るのが麻夜だけになるという危険性はあるが、薙風が拠点に篭っていられると言うのは非常にありがたい。
 もし桂原が薙風を連れて行くと言っていたらどうやって阻止するか思いつかなかっただけに、なおさらであった。
「文句がないならこの話はこれでお終いだ。行動開始は午後九時半から。それまでには戟耶も柴崎もライオット・ビルで待機しているように。以上だ」
 その言葉が放たれるやいなや、事務所で集まっていた人間がたちまち四散していった。
 それぞれに戦闘準備のための支度があるからだった。
 そんな中でその場に残っていた人間が二人いた。
 柴崎と桂原であった。
 柴崎も部屋に戻ろうとしたのだが、見つめてくる桂原の瞳に縫いとめられ、その場で立ち止まっていた。
「何か?」
 全員の気配が消えたのを見計らい、柴崎が尋ねる。
「これで貸し一つだ」
 にやりと笑みを浮かべる桂原。
 そんな桂原に、柴崎は言いにくそうに言った。
「薙風のことか?」
「御明察」
 それを耳にし、柴崎は困ったように首を横に振る。
「あなたには昔から敵わない、いつからですか?」
「お前より早く、糸線結界の魔剣士が頑張ってた頃から知ってたよ」
 思い出す光景は眼前を走る車の群れ。
 それを前にして桂原は、薙風の嘆きを耳にしていた。
「まぁ、オレがしてやれるのはこの程度さ。あいつの命と他の連中の命、均等に助かる機会を与えたわけだ。文句はないだろう?」
 事務所に残す戦力を減らしたことを言っているのだろう。
 柴崎は苦笑し、桂原の顔を真っ直ぐ見る。
「いつまでたっても、あなたには敵いそうにないな」
「何を言っている、その内お前はオレよりも強くならなくちゃいけない時が来るというのに」
 そう言うと桂原は柴崎から顔をそらした。
 まるで顔を直視されるのがいやだとばかりに。
「オレよりも……な……」
 呟く言葉の意味は柴崎に理解できるものでもなかった。
 その言いようを怪訝に思いながらも、柴崎は兄弟子に深く礼を述べ、自らの部屋へと向かって歩き出す。
 その後姿を、桂原は直視することができなかった。






「いやいや、まったく大戦果をあげてくれたものだよ」
 突然、拍手をする音が聞こえてきた。
 薄暗く、人が三人並んで歩けばつまってしまう程度の広さのそこ。
 コンクリートのビルとビルの隙間にあるその路地裏で、後ろから聞こえてきた音に数騎は振り向いた。
「須藤くん、君は私が考えていた以上の男だったよ」
「あんたはオレの考えていた通りの男だったけどな」
 憎まれ口を叩く数騎。
 それを聞いて、憎まれ口を叩かれた老人は弾けるように笑い出した。
 魔術師のローブを纏った老人、ヴラド・メイザースは実に愉快そうだった。
「君がまさか一夜にして二人も撃破するとは大変驚きだ。ぜひともどうやったか聞きたいところだね」
「大したことはしてない、ただ音もなく忍び寄って首を切り裂いただけだ」
「聞いたか、ドラコ。もしかしたら死んでいたのはお前かもしれんぞ」
 言ってヴラドは横に佇む巨漢を見上げる。
 金髪を震わせ、ドラコが憎しみをこめた瞳で数騎を睨みつけた。
「やるじゃねぇか、アサシン。少しは評価してやるよ」
 気に食わない相手ではあったが実力だけは確かである。
 感情的な男であったが、実力が全ての世界で生きるものである以上、そこらへんは見誤らない。
 褒められた数騎はと言えば、拍子ぬけた顔でドラコをまじまじと見つめる。
「驚いた、あんたに褒められるなんて」
「オレは、物事を公平に見る、族長がそうしろとオレに教えた」
 ドラコは米国に存在する自分の集落、ネイティブアメリカンと呼ばれる者たちが住む土地の中で最も偉大な男の言葉を思い出していた。
「目に見えるものに惑わされず、されど見えぬものをないがしろにすることなく、ただありのままを見つめるがいい。例えお前が気に入らずとも、世界はお前に許可を取る事など考えはしないのだから」
「つまり、全てを受け入れろと?」
「意味はもっと深いぞ、アサシン。いつかお前にもわかる日は来るかもしれないがな」
 思わず口にした族長の言葉に、数騎が理解を示したことが嬉しかったのか、ドラコはわずかに顔を緩ませた。
 そんなドラコを見て、数騎は思わず考えを口に出していた。
「オレ、お前みたいなやつ嫌いじゃないぜ」
「うるせぇ、オレはお前が嫌いだ」
 舌打ちをもらし、ドラコは地面に唾を吐き捨てる。
 態度は間違いなく最悪の部類に属するだろう。
 と、後ろに歩いていた金髪の女性が前に進み出てヴラドに進言した。
 それは熊の獣人にして魔剣士たる女性、ブラバッキーだった。
「メイザース、それよりも」
「あぁ、わかっている」
 ブラバッキーに頷いて答え、ヴラドは真正面から数騎の顔を見た。
「ところでだ、今日はどう戦いか目算はあるのかな?」
「ある」
「どのような?」
「ライオット・ビルに十時。そこに亡霊が現れる」
「どこで掴んだ情報だ?」
「内通者がいる」
「なるほど、須藤くんは内通者を作るのが得意のようだな」
 顎鬚に触りながらヴラドは楽しそうに続ける。
「ところでだな、須藤くん。今夜は鋼骨の魔剣士の命が尽きるかも知れん日だ。ぜひ我々も助力をしたくてね」
 その言葉を聞いて、数騎はヴラドたち一同を眺めた。
 ヴラド、ブラバッキー、ドラコ、そしてその三人の後ろで佇むカラスアゲハ。
「何が目的だ?」
 思わず声が冷たくなった。
 昨日は戦いを避けたのに、なぜ急に乗り気になったのか。
 その答えを、ヴラド・メイザース本人が口にした。
「つまりだ、勝ち馬に乗ろうというわけだよ」
「勝ち馬?」
「そう、勝ち馬だ。昨日まで私達は劣勢だった、だが二人も亡霊を撃破できたとあっては、私達に流れがあると考えていいだろう。それに今日、敵を索敵したところ今までと同じ別行動による誘い出しを狙っているときた。ならばこちらはそれを逆手にとって敵の殲滅を図りたいのだよ。主導権はこちらにある、やるなら今だ。
 やつらはどうやら戦闘員を三分しているらしい。我々を誘い出すために三人、拠点を守るために二人、そして伏兵として二人だ」
 楽しそうに説明をはじめるヴラド。
 数騎はたった一つ残った瞳でヴラドの濁った瞳を睨みつける。
 本題に入れ、そう言いたいのだ。
「わかったよ、須藤くん。私達の望みを率直に言おう、君には伏兵の二人を片付けてもらいたい」
「二人もオレ一人に任せる気か?」
「その通りだよ、須藤くん。本当は私達が居場所を見つけてから君に伝えようと思っていたのだが、どうやらその必要はなさそうだな。ライオット・ビルか、おそらく屋上遊園地のどこかにでも潜んでいるのだろうな」
 くくく、と笑いを堪えるヴラド。
 何とか笑いを抑え、ヴラドは続けた。
「作戦はこうだ、君が二人の伏兵を抑える。私達が四人がかりで三人組で動く連中を撃破する。拠点の二人は恐らく動きはしないだろう。どうだ、この作戦は完璧だろう?」
「つまりオレは捨て駒ってわけか」
「わかっているじゃないか、須藤くん」
 とうとう笑いを堪えられなくなったのか、ヴラドは声高く笑い始めた。
「だが、だがしかしだ。利害だけは一致しているだろう? 私達はヤツらを殺したい、君は呪牙塵が欲しい。そして私達は鋼骨の魔剣士に死んで欲しくはない。
 それに君とて捨て駒と決まったわけではない。もし君が一人で動いた場合、ヤツラを仕留めそこなった場合は援軍が、三人組が君のところに殺到するわけだよ。呪いの期限は今日までだ、そうなったらチャンスは二度と訪れない、違うかい?」
「違わないし、言われるまでもない。どのみちオレに選択肢なんかないんだろう?」
「そこまでわかっているなら話は早い」
 一呼吸置き、ヴラドは続けた。
「私の作戦に乗れ、もし運よく呪牙塵を手にした時は、お前の大切な人間は絶対に助けると約束しよう」
「せいぜい裏切らないでくれ、オレにはあんたらにすがるほか術はない」
 そう言うと、数騎はヴラドに背中を向ける。
「じゃあ、後のことは任せた。オレは先に行ってる。せいぜい頑張って足止めは頼むぞ」
「そっちこそな、須藤くん」
 そう答えたヴラドを、やはり数騎は振り返ることなく夜の道に消えていった。
 数騎が見えなくなった時を見計らい、今まで黙っていたカラスアゲハが声をあげた。
「メイザース、頼みがあります」
「あの小僧と一緒に行きたいか?」
 まるで心を読んだような発言。
 自分を振りかえりながらそう答えたヴラドに、カラスアゲハは続けた。
「彼一人では無理です、足止めをするならあと一人は必要でしょう。私を行かせてはいただけないでしょうか?」
「だめだ、戦力は一点集中に限る。電撃的な速度を伴い四対三の形をもって亡霊を打ち破る。これはすでに決まっていることなのだ」
 高圧的に答えたヴラドに対し、カラスアゲハは押し黙る。
 これ以上の反論は無意味、そう悟ったからだった。
「なに、カラスよ。別に悲観する事はない。彼はすでに二人も敵を打ち破っている。もう一度くらいは可能だろうさ」
 そこまで言うと、もう話は終わったとばかりにヴラドは正面を向きなおす。
「さぁ、惨劇の夜がはじまるぞ。笑う女神がどちらを向くか、試してみようじゃないか」
 その言葉に、両隣にいるブラバッキーとドラコが嬉しそうな笑みを浮かべる。
 ただ、後ろにいたカラスアゲハだけが、笑みを共有していなかった。






 月光の下に二人の男が佇んでいた。
 人気がなく、活気と言うものが存在しないデパートの屋上。
 ライオット社によって建設されたライオット・ビルと呼ばれるそのデパートの屋上には、普通のデパートにはない特徴があった。
 子供達を呼び寄せるために、小さなアトラクションが所狭しと乱立する屋上遊園地。
 六つしか人を乗せるゴンドラのない小さな観覧車。
 その観覧車を前に、二人の男はいた。
 一人はコンクリートの地面に腰を降ろす革ジャンの男。
 もう一人は黒きコートを身にまとい、革ジャンの男の側で立っている男。
 そう、柴崎と戟耶であった。
 柴崎は無言で月の見える空を見上げており、戟耶は幾度となく舌打ちをしながら、得物をしまいこんだ竹刀袋を暇つぶしにもてあそんでいた。
「あ〜、ムカつくぜ」
 何度目になるかわからない怨嗟の声。
 いちいち反応する気もないのか、柴崎は黙って夜空を見上げ続ける。
「おい、聞いてんのか柴崎。オレはムカついてんだよ」
「聞いてますよ、一体なんだっていうんですか?」
 面倒くさそうに答える柴崎。
 それがさらに気に障ったのか、戟耶は荒くした声で言った。
「つまんねぇんだよ、敵さんが全く動きやしねぇ」
「それはそうですが、敵だってこちらの挑発に乗るとは限らないのですから仕方ありません。もしかしたら今日は攻めてこないかもしれませんし」
「あ〜、そういう可能性もあるんだよなぁ。くそっ、忌々しい」
 言って戟耶は地面に唾を吐き捨てる。
 相変わらずの態度の悪さだった。
「で、良い子の柴崎ちゃんはこの寒空の中、おとなしくじっとしているってか?」
「伏兵は伏せるのが常道、こちらから動く意味は皆無です」
「優等生め」
 わざとらしく舌打ちを漏らす。
 そして、柴崎に興味を失ったのか、しばらくぶつぶつと独り言を繰り返していた。
 そんな戟耶を放っておき、柴崎は夜空を見上げていた。
 今日は雲が多い、もしかしたら雨になるかもしれない。
 そう柴崎は思った。
 雲が移動し、月を隠そうとする。
 もうすぐここが暗くなることを知って、柴崎はあるかどうかもわからない敵襲に備えようと考えていた。
 そんな時だった。
「そうだ!」
 嬉しそうな戟耶の声が聞こえた。
 気になって視線を移すと、戟耶は懐からサバイバルナイフの魔剣、呪牙塵を取り出していた。
「忘れてた、忘れてたぜ。こいつの能力を忘れてた。あんまり久しぶりだったからな」
 嬉しそうな戟耶。
 何事かと柴崎が自分を見つめているのに気付くと、戟耶は柴崎の顔を見上げた。
「聞いて驚け、他の連中には内緒だが呪牙塵にはもう一つ能力があるんだよ」
「能力、まだあるのですか?」
「あるのですかだって? あるともさ、とっておきのヤツがな」
 そう言うと、戟耶は立ち上がりながら呪牙塵を柴崎に見せ付けた。
「呪いが発動して対象者が灰燼に帰す六時間前から使用可能な能力なんだがな、呪いの刺青から発信信号みたいなもんが出始めてそれを呪牙塵はキャッチできるんだ。つまりどういうことかわかるか?」
「どういうことですか?」
「簡単さ、苦しみながらおっ死ぬ人間の顔を楽しく鑑賞しながら灰になっていくさまを見れるってわけだ。どんな映画だってこの感動には敵わねぇってもんよ」
 楽しそうに笑う戟耶。
 柴崎には、何が楽しいのか全く理解できなかった。
「でよ、柴崎。ものは相談何だけどよ」
「だめです」
「あぁ?」
 提案をするよりも先に却下され、戟耶は表情を一変させた。
「何言ってやがる、柴崎。オレに逆らう気か?」
「そういう戟耶さんこと桂原に逆らう気ですか? 私達の任務は伏兵となって襲撃者に対する伏撃をなす事。勝手な行動を取る事は許されません。それに手負いと言えど、相手はフィオレ博士の傑作、鋼骨の魔剣士でしょう? 油断すればあなたとて……」
「オレがどうなるって?」
 怖気が体に走った。
 冷や汗が吹き出はじめ、柴崎は恐怖を抑えるために歯を食いしばる。
 戟耶は恐ろしいまでに憎悪の形相を顔に浮かべ、我慢ならないのか殺気を迸らせはじめた。
 これでは伏兵としての意味をなさない。
 ただ放出する殺気だけで敵に居場所を教えてしまう。
「柴崎、ここには他に誰もいねぇ。オレがムカつくって考えたらお前なんかいつでも殺せるんだぜ。なぜお前が生きているかわかるか? オレがお前を殺そうとしないから、ただそれだけの理由だ」
 そう言うと、戟耶は柴崎に背を向けて歩き出す。
「じゃあ、オレはちこっと鋼骨の魔剣士ブッ殺して来るからよ。お前は戻るまでお利口に桂原の命令に従っといてくれや」
 一度だけ振り返り、戟耶は柴崎を睨みつける。
「邪魔したら、今度こそ殺すぜ」
 それだけ言うと、戟耶はその身体能力を生かして屋上から跳躍、ビルの屋上をまるでトランポリンではねるように鮮やかに跳躍していってしまった。
 戟耶の気配が遠ざかる。
 柴崎は冷や汗を拭い、大きくため息をついた。
 作戦を続行するには戟耶は邪魔でしかない、だからこそ柴崎はあれ以上戟耶を引きとめはしなかった。
 戟耶の放つ殺気の量は異常だ、あれではいるだけで敵に居場所が知れてしまう。
 任務を続行したいなら戟耶を抜きにしないと敵に察知される事になってしまう。
 戟耶という戦力を失うのは大きな痛手だが、柴崎とて自分の実力には自信がある。
 もちろん、それだけが戟耶を見逃した理由ではない。
 戟耶の戦闘能力は非常に高い。
 正直、正面きっての戦闘で勝てるとは思えないし、相手を本気で殺そうとしてはじめて勝算が無きにしもあらずと言ったところなのだ。
 殺さないように戦ってねじ伏せることなどまず不可能。
 それに、そんな争いを始めてしまってはそれこそ伏兵としての意味をなさない。
 問題はこれからどうするかだ。
 身勝手な男とは言え戟耶は魔術結社にとってのかけがえのない戦力。
 単独行動を認めて各個撃破されてはどうしようもない。
 だが、自分には作戦もある。
 戟耶と共同で動くか、作戦を遵守するためにここにとどまるか。
 判断はできたが、ここで勝手な動きをとることは仲間全員の命に関わる。
「仕方がない」
 柴崎は仮面をかぶり、亡霊を一体呼び出した。
 柴崎は亡霊に言霊を乗せ、それを桂原たちがいるであろうところに飛ばした。
『戟耶が単独行動を開始、勝手に鋼骨の魔剣士を捜索、恐らく交戦に入ると思われる。自分は動かずあなたの命令を待つ。待機を続けるか、戟耶を追うか、それとも作戦自体の中止となるか、連絡を求む』
 最小限のメッセージだけを乗せ、柴崎は亡霊を解き放つ。
 そして、返事が来るまで柴崎はそこで待つこととした。
 亡霊の速度は非常に優れたもので、往復で五分とかからないだろう。
 だからこそ連絡を入れた。
 もしこれが連絡に一時間を要するとなれば、柴崎は連絡を入れようとはしなかっただろう。
 命令伝達が途切れた時に臨機応変に動けず、自己判断で動けない兵士は無能、それはこの世界の常識だからだ。
 だが、数分で連絡が取れるなら連絡は取るべきだ。
 そうでなければ自分だけでなく仲間達全員の命にかかわるからだ。
 柴崎は、亡霊によって敵に居場所が察知されない事を祈っていた。
 その祈りはある意味敵うが、まったく意味をなさないことを彼は知らない。
 結論から言ってしまうと、亡霊が桂原の場所に到着し往復するまでの時間は、四分と二十六秒しかかからなかった。
 だが、これだけの時間の間に、恐ろしく濃密な出来事が柴崎に生じる。
 そして、それは直後に起こった。






 屋上に二人の人影を見つけた時、須藤数騎の心は喚起に揺れた。
 桂原の言ったとおりだった、問題は二人もいることくらいなものだが、どちらかが呪牙塵を持っているのだろう。
 あいにくなことに天から与えられる月の光が明るく、奇襲にはあまり向いていない状況だ。
 室内ならば暗いので楽だったのに。
 思わず数騎は舌打ちを漏らしそうになった。
 鏡内界の中では電気が使えない、必然的に暗くなるため数騎にとってはもってこいの環境なのだが、柴崎たちにも当然それはわかっており、だからこそ明るく、奇襲を受けずらい屋上にいるのだ。
 チャンスを待つ、それを心に決めて数騎は百円を入れると動き出すパンダの作り物の影に隠れた。
 わずかに顔を出し、二人の様子を見る。
 片方は腰をおろし、片方はたったまま空を見上げている。
 デパートの外からの襲撃に気を向けているのだろうが甘い。
 こっちはそっちが来る前から侵入を果たしている、外部からの来訪者に警戒するのはまったくもって意味が無い。
 だが、襲撃はできない。
 数騎はじっと機会をうかがう。
 と、二人が口論を始めた。
 声は聞き取れない、距離が遠すぎる。
 近づくわけにも行かないし、下手に動くと気づかれる。
 数騎は少しだけ出していた顔をパンダの後ろに隠し、じっと気配をうかがう。
 と、背筋に怖気が走った。
 見つかったのかと、殺されるのかと思った。
 だが、それは数騎に向けられたものではなかった。
 わずかに顔を出してみると、二人の男が対峙しあっていた。
 これから殺し合いがはじまる、数騎は内心興奮を抑えきれない。
 が、殺気を放っていた男がもう一人の男に背を向けてどこかに行ってしまった。
 これにはさすがに困った。
 もしいなくなった方が呪牙塵をもっていたら今夜中に見つけ出せる保障がないからだ。
 追いかけたい気持ちを抑え、数騎は音が出ないように深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
 いなくなった方ではなく、残った方が呪牙塵を所有している確率は十分にある。
 そもそも二人とも持っていないかもしれないが、そこらへんは桂原という男を信じるしか数騎に道は無かった。
 保険はかけた、残りの連中はヴラドたちが相手をしてくれる。
 と、そう考えた時だった。
 頭上の雲が動き、月の光を遮った。
 あたりはたちまち暗くなり、雲の動きとともに影の部分が広がっていく。
 それは千載一遇のチャンスだった。
 忍者装束に身を固めた数騎は、呼吸音すら漏れないように口元に布をたくしあげる。
 全身が黒、ただ目元のみに肌色が除くのみ。
 数騎は音も無く歩き、少しずつ男に近づいていった。
 黒いコート、整った横顔。
 その顔には見覚えがあった。
 仮面使い、柴崎司だった。
 一瞬戸惑うも、数騎は足を止めたりはしなかった。
 クリスを守るためならあらゆる者を見捨てる気でいたのだ。
 いまさらあの男に抱く同情などありはしない。
 忍び寄る速度に変わりは無く、数騎は柴崎の背後にある、観覧車の管理人が営業時間中に仕事をするであろうプレハブの後ろに隠れて機会をうかがった。
 しばらく雲は月を隠す。
 再び月が屋上を照らすまでが勝負だった。
 と、仮面使いが手の平に光る物体を突然作り出した。
 玉西が操っていた亡霊の弾丸に似ている。
 いや、恐らくは亡霊なのだろう。
 仮面使いは亡霊を飛ばすと、どこか遠くまで飛翔させていってしまった。
 恐らくあれは連絡だ。
 詳しくはわからないが、数騎の直感がそう告げていた。
 なら、あの亡霊が帰って来るまでが勝負。
 月が再び地上を照らすまでなどという悠長なことは言っていられなくなった。
 数騎は仕方なしに覚悟を決め、懐に入れた秘密兵器を二つ取り出した。
 小石。
 そこらに転がっている直径一センチ程度の小石。
 だが、これが見晴らしのいいところにいる敵に接近するための秘密兵器だった。
 室内ならば昨日のように背後まで忍び寄り首をかっきればいいが、これだけ開けた空間だと接近し終わるまでに敵に察知されてしまう可能性は大きい。
 数騎は覚悟を決めた。
 敵が取りうるあらゆる行動をシュミレートし、それに対応できる行動を頭に叩き込む。
 距離は四メートル、実力差は恐らくそれ以上の距離があるだろうが、一方的な奇襲がその距離を縮める。
 問題はどれほど縮めることが可能かどうかだけだ。
 心臓の高鳴りがいつもより大きく聞こえた。
 この心臓の鼓動が仮面使いに聞こえないか、数騎は真剣に恐れる。
 深呼吸して落ち着くことさえできない。
 一切の音を出すな、それは敵に利するだけだ。
 数騎はドゥンケルリッターを取り出しやすい右ポケットの中にあるのを確認すると、両手に一つずつ石を握り締める。
 こちらから見て仮面使いは右を向いていた。
 仮面使いは自分に気づいている気配は無い。
 なればこそ勝機はあるのだ。
 数騎は自分に言い聞かせ、石を同時に投擲した。
 右手の石は弧を描くようにして仮面使いの真上に投げ、ゆっくりと反対側に落ちるように。
 そして左手の石は左、仮面使いの背後の数メートル先に、右手の石より早く地面に落ちるように。
 石が地面に接するまでに数騎は再び身を隠す。
 そして、左手から放たれた小石が柴崎の五メートルほど背後で落下した。
「っ!」
 その音に熟練の戦士たる仮面使いはとっさに反応を示した。
 だが、その場所には誰もいない。
 そして、もう一つの石が仮面使いの右数メートル先に落下した。
 最初の音は陽動、当然仮面使いはそう考えた。
 とっさに二度目に音がした方に体を向ける。
 だが、それすらも陽動であった。
 数騎の予想通り、柴崎は数騎に対して背中を向けた。
 今こそがチャンスだった。
 数騎はプレハブの影から躍り出ると、柴崎に向かって可能な限りの速度で接近する。
 慌てて振り返る柴崎。
 だが遅い。
 右手には抜き放たれたドゥンケル・リッター。
 漆黒の刃を持つ短刀が柴崎に向かって繰り出された。
 横薙ぎに繰り出される斬撃。
 防御するための武具を手にしていなかった柴崎は、迎撃できずに後方に飛ぶことによってその一撃を回避しようとした。
 だが、甘い。
 その行動こそが数騎の狙いだった。
 一撃目、数騎は深く柴崎に対して踏み込み、足を地面につけたままの状態で斬撃を放っていた。
 それに対し、柴崎は回避のために地面を蹴り、足が地面から離れている。
 そして、この状態を作り出すことこそがこの技の絶対条件。
 こちらが足を地面につけた状態で、敵の足が地面についていない状態を作り出す。
 敵がそれ以上の移動が行えない隙を突き、さらに深く踏み込んで繰り出す一撃。
 それこそが短刀曲芸燕返し。
 玉西を失ったあの戦いで、神楽以外に数騎が得た、数少ない価値のあるもの。
 横薙ぎの斬撃に続き、今度は斜めに振り下ろす連撃が加えられた。
 頚動脈を狙う死神の鎌。
 不可避の状況にに陥られた柴崎に、数騎が逆手に握る短刀は、まさにそのように映っていた。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 叫びは柴崎の口から放たれた。
 振り下ろされる一撃に対し、柴崎は左腕を掲げて見せた。
 首を狙った漆黒の刃は、柴崎の左腕に深く突き刺さり、直進を停止させた。
 そう、燕返しは確かに不可避の技だ。
 両足が地面から離れた状態でさらに回避行動を取るには、地面以外の物に触れて軌道修正するしかない。
 魔飢憑緋を操ったゾンビはそうやって燕返しを回避した。
 だが、燕返しを防ぐのに回避をする必要などはない。
 斬撃という攻撃を平面で見た場合、それは線による攻撃であると断定できる。
 で、あるならば。
 その線の進行を妨げさえすれば、死神の鎌を停止させることは可能なのである。
 がっちりと筋肉が収縮し、ドゥンケル・リッターの刃は柴崎の左腕に固定された。
 驚き慌てる数騎は何とか左腕から刃を引き抜こうと頑張るが、それよりも早く柴崎の右拳が数騎の腹筋を捉えた。
 その一撃にたまらず、数騎はドゥンケル・リッターから手を離し、悶絶するかのように両手で腹を押さえる。
 どうする、どうする。
 数騎は混乱の極みに達していた。
 熟練の戦士ならばこの状態でも冷静な判断が行えるだろう。
 だが、数騎は無理だった。
 何の訓練もしていない一般人は、この予想外の展開に対してろくな対応を取れない。
 そうこうしている内に柴崎の右足が翻った。
 弧を描く起動。
 繰り出されたハイキックは、腹筋を押さえながら体を起こした数騎の即頭部を直撃した。
 脳を揺さぶるその一撃に、数騎は抗えなかった。
 動こうとする意志に対して、反応してくれない肉体。
 たった二発。
 たった二発の打撃により、須藤数騎はコンクリートの地面に倒れ伏す。
 それはあっという間の出来事だった。
 柴崎は数騎が立ち上がれないのを見て深くため息をつくと、歯を食いしばりながら左腕から短刀を引き抜いた。
 短刀を地面に投げ捨てると、柴崎は懐から仮面を取り出し、装着した。
「魔術師」
 桂原をコピーしたその仮面を被り、柴崎は左腕に治癒の術式を展開、負傷を治しはじめた。
「それにしても、こいつが未熟者のおかげで助かった」
 全くその通りだった。
 もちろん、数騎の行動、その全てが稚拙だったというわけでは決して無い。
 小石による潜伏場所の撹乱、不可避の一撃燕返しによる強襲。
 暗殺の教科書に載せても大丈夫なほどに素晴らしい流れであった。
 お粗末だったのはその後だ。
 燕返しを防がれた数騎は、完全に二の手を失っていた。
 むしろ防がれた直後はチャンスだったはずだ。
 左腕を負傷し、迎撃のための魔剣の起動はおろか、手にとってさえいない。
 まともな敵が相手だったなら、確実に仕留められていた状況だったのだ。
 だが、お粗末だった。
 燕返しを放った瞬間、数騎は戦場に放り出された戦意の無い学徒兵と化した。
 次の手を思いつかず、ただうろたえるのみ。
 ならば迎撃は可能だ。
 鍛えぬいた柴崎の拳は数騎の腹筋を貫いて内蔵にダメージを与え、繰り出された上段蹴りは数騎の脳に行動不能のダメージを叩き込む。
 そして勝負はついた。
 柴崎は依然として自分の足で地面に立ち、数騎は無様にもコンクリートの床を自らの体温で暖めている。
 完全なる数騎の敗北であった。
 須藤数騎は鍛錬をしたことのない短刀を持っただけの素人だ。
 だが、彼にはいじめられ続けた経験から他人の思考をシュミレートする計算力と、何が事が起こった場合に対応するできるだけの柔軟性を持っていた。
 もし、アクションを起こすたびに一時間という思考時間をもらえていたならば、数騎は確実に柴崎に勝利していただろう。
 だがこれは実戦。
 相手の行動に対し、戦局は千変し、それに対応するための時間は一秒与えられればもらいすぎという情況だ。
 こんな時、熟考の末に行動を決定する数騎のような人間には確実に不利だ。
 考える時間を与えられない状態で数騎はまともな対応をとることができない。
 考えてからでしか動くことの出来ない数騎には、それが限界だった。
 だからこそ人は鍛錬を積む。
 いざと言うとき考えなくても体が動くように。
 幾万、幾億という鍛錬、数千時間と言う特訓は一秒の何十分の一の時間のために行われる。
 考えるよりも先に体が動き、考えるまでもなく正しい二の手を選択する。
 基礎的な能力の向上だけが訓練の目的ではない。
 臨機応変な俊敏な行動、それを可能にするためにも訓練は行われるのだ。
 そして須藤数騎はそれを怠っていた。
 それがこの圧倒的に有利な状況で、柴崎司に勝利の女神が微笑むことを許してしまう原因であった。
 魔飢憑緋のゾンビに奇襲を成功させ、ブラバッキーという獣憑きから麻夜を助け出し、投影空想の魔剣士を仕留めうるだけの進言を行い、桂原と柴崎の策の裏をかくことが可能なだけの頭脳をもってしてでも、汗と血を流して戦い続けた男には敵わない。
 現実とはそういうものなのである。
 さらに数騎は柴崎の持つ情報を失念していた。
 柴崎は燕返しを知っている。
 だからこそ、腕でナイフを防御した。
 対処法を知っている技の迎撃は容易い。
 燕返しは相手に知られていないからこその技巧。
 知っている相手には、数分の一以下の威力しか発揮しないのだ。
 倒れる数騎の姿を見つめながら、柴崎は傷の痛みにうめき声を漏らす。
 傷は深かったが、桂原の仮面の力は実に偉大で、二分程度で柴崎は腕の治療を完了させた。
 仮面を懐にしまいこみ、未だに起き上がれないでいる数騎に歩み寄る。
 うつ伏せになっている体を仰向けにし、柴崎は数騎の襟を掴んで上半身を起こさせると、頬を手の平で叩いて数騎の意識を取り戻させる。
「おい、短刀使い!」
「う、うぅ」
 呻き、意識を回復させる数騎。
 そして、柴崎に起こされている状態を知り、観念したように体から力を抜いた。
「ここまでか、お前の勝ちだな」
「そんなことはどうでもいい、それよりも聞かせろ。なぜ私を襲った?」
「なぜって? 呪牙塵が欲しかったからさ」
「呪牙塵だと? なぜ貴様が呪牙塵を欲しがる?」
「助けたいやつがいるんだ、呪牙塵で八日前に傷つけられた。今日呪牙塵を手に入れないと灰になって死ぬ」
「なんと……」
 呻き、柴崎は思案を始める。
 まさか……まさかとは思うが。
「念のために聞こう、昨日オレの仲間が二人殺された。まさかと思うがお前はかかわっていたのか?」
「一人殺した、もう一人は別のやつが殺した」
「カラスアゲハと組んでいたのか!」
 怒鳴り、両腕で数騎の襟を締め上げる。
 数騎は苦しそうに表情を歪ませた。
「か、カラスは仲間だ。お前たちを殺すために手を組んだ」
「オレたちを殺すためだと、なぜだ!」
「だから言ったじゃねぇか、オレは呪牙塵が必要なんだよ。クリスが呪牙塵の呪いにかかった。助けるには呪牙塵が必要だ。だが、呪牙塵をもっているのはクリスを殺そうとしているやつらじゃねぇか。拠点は探偵事務所だろ、あんな結界の中じゃ盗み出す事だって難しい。だから殺して奪い取ろうとしたんだよ」
 全てをあきらめたのか、数騎は垂れ流すように知っていることを口にし始めた。
 柴崎は怒気を抑えながら数騎の顔を直視する。
 だが、何とかそれを押さえきり、柴崎は疑問をぶつけた。
「クリスとは誰だ?」
「フィオレ博士の実験体の子供さ、オレと同棲してる。大切な家族だ」
「なんと……合点がいった……」
 そこまで聞いてようやく柴崎にはことの全貌が理解できた。
 つまりこういうことだ。
 数騎はフィオレ博士の実験体と一緒に暮らしており、その実験体の命を救うために呪牙塵を欲した。
 問題はその呪牙塵の所有者だ、呪牙塵は実験体を追う魔術結社が所持しており、交渉でそれを得ることは不可能。
 だからこそ数騎はヴラド一派と手を結んだ、実力で呪牙塵を魔術結社の人間から奪い取るために。
 それを理解し、柴崎はさらに強く数騎の襟を締め上げた。
 うめき声を漏らす数騎に、柴崎は怒りを孕んだ声で言った。
「なぜオレを頼らなかった!」
 その剣幕に驚き、数騎は竦みあがる。
 そんなことなど気にせず、柴崎は続けた。
「なぜオレを頼らなかった! オレなら助けた、お前とその実験体を助けてやった! なぜこんな真似をするんだ。お前は、戦わなくてもその実験体を助けることができたんだ!」
「信じられるか!」
 怯えながらも、数騎は反論を辞さなかった。
「お前たちはあんな小さい子供を自分の利益のために実験体にしたじゃないか! それが助けてくれるだって? 賞金首にまでしておいてか? 笑わせるな! そんな言葉信じられるかってんだ、偽善者め!」
 叩きつける数騎の言葉に、柴崎は一瞬怯んでしまった。
 偽善者、確かにそうかもしれない。
 実験体に選ばれた者は不幸だ。
 だが、その小さな犠牲によって作られた魔剣は多くの人間の命を救っている。
 だからこそ看過していた。
 多くの人間を救っている実績から、少ない者が涙することを黙認していた。
「確かに私は偽善者かもしれない」
 柴崎が数騎の襟を離した。
 数騎は逃げようともせず、柴崎の次の言葉を待つ。
「だが、そうしなければ死ぬ人間が増える。私は一人でも多くの人間を救わなくてはならないんだ」
「そうか、お前の生き方ってのはそういうもんなんだろうな」
 数騎は深くため息をつき、柴崎から目をそらしながら口にした。
「殺せよ、お前の勝ちだ。無様な抵抗はしない」
「殊勝だな」
「そうだろう、迷惑はかけない。だが、頼みがある」
「頼み?」
 眉を寄せる柴崎。
 そんな柴崎に、数騎は懇願するような目を向けた。
「オレは死んでも構わない、一人とは言えお前の仲間を殺したし、お前も殺そうとした。でも助けて欲しいんだ、クリスは。お前が実験体と呼んでいる女の子のことは。それだけ願えればオレは満足だ」
「いいだろう、約束した」
 そういうと柴崎は数騎の両手を自分の方に引っ張ると、術式で編んだ縄で数騎の両腕を拘束する。
「だが、お前のことを殺す気はない。しかるべき場所でしっかりと罰を受けてもらおう」
「お前って、本当に偽善者だな」
 呆れたように数騎は柴崎の顔を見上げた。
 それに対し、柴崎はわずかに微笑んで答える。
 と、その時だ。
 先ほど柴崎が桂原に飛ばした亡霊が戻ってきた。
「ん、どうした。報告をくれ」
 亡霊は柴崎の命令に従い、桂原から預かった言霊を柴崎に伝えた。
『敵からの襲撃を受けた、現在数は互角だがどこに伏兵がいるかわからない。こちらは何とか持たせそうだが、戟耶が心配だ。こちらのことは無視して至急戟耶と合流を果たせ。作戦は停止、戟耶と合流を終えた後に拠点に帰還。被害を最小限に食い止めろ』
 それが桂原からの伝言だった。
「ヴラドたちに……襲われたのか。また裏をかかれた」
 いらだたしげに言う柴崎。
 とっさにこれからどうするか思案にふける。
 まずは戟耶との合流だ。
 だがどこにいる。
 死霊術師の仮面の力で索敵をしようにも間に合うかどうかわからない。
 それに……
「しまった!」
 忘れていた。
 なぜ戟耶がここにいないのか。
 それは、鋼骨の魔剣士を撃破しにいったからだ。
 鋼骨の魔剣士とは数騎に守る約束をしたばかりの実験体だ。
 つまり、
「急がなくては」
 数騎をその場に残して戟耶を追いにいこうとする。
 だが、どうする。
 自分は戟耶の場所がわからない。
 一体戟耶はどこにいると言うのだろう。
 と、そこまで考えて柴崎の頭にある事実が浮かんだ。
「短刀使い、聞きたいことがある」
「なんだよ」
「鋼骨の魔剣士はどこだ?」
「オレのアパートだけど」
「すまない、私の仲間だ今そこに鋼骨の魔剣士を殺害するために向かっている」
「なんだと!」
 腕を縛られた状態のまま、数騎は柴崎に食って掛かる。
「助けてくれるんじゃなかったのかよ、おいっ!」
「助けてやる、助けてやるともさ。だが、私の仲間はお前と私がその約束をしたことを知らないし、だいたいそれよりも先に動き出しているんだ。止めようがないだろう」
「じゃあ早くアパートに行かないと、クリスが!」
 数騎は思い出していた。
 数分前に柴崎と別れた男。
 その男が、恐らく……
「もうとっくに見つかってるかも知れない、早く行くぞ仮面使い。道案内はオレがする。頼むからお前の仲間を!」
「あぁ、止めてやる。急ぐぞ」
 そう言うと柴崎は数騎の縄をほどき、投げ捨てた短刀を拾って数騎の手に返してやった。
「しまったらオレの背に乗れ。お前が走るよりもオレがおぶっていった方が早い」
「昔、同じことを誰かに言われた気がする」
 こぼしながら、数騎は柴崎の背に体をあずけた。
 数騎を背負い、柴崎は数騎の軽さに驚いた。
 よほどいい加減な生活をしているのだろう。
 心配でならなかった。
 が、今はそんなことを気にしている時ではない。
 そう考え直すと、柴崎は数騎を背にした状態でコンクリートの地面を蹴った、
 数メートルに及ぶ跳躍力。
 数騎にはありえない身体能力をもって、柴崎は数騎に道を教えられながらアパートを目指す。
 戟耶がクリスのいるアパートを特定したのは、まさにちょうどその時であった。


























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