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第三羽 離反


「あと一時間くらいだな」
 時計を見上げ、柴崎がそう口を開く。
 探偵事務所の事務室。
 そこには柴崎、麻夜、薙風、里村がいた。
「里村、茶菓子の準備はできているか?」
 ソファに座り、テレビを見ている薙風の髪の毛をとかしてあげている里村は、壁に背中を預けて立っている柴崎に、微笑んで見せた。
「出来ていますよ、今日の誕生日会に食べていただくケーキといっしょに作っておきました」
「客に出す茶菓子もケーキも自家製というわけか。手の込んでいることだな」
「いけませんでしたか?」
「さぁ、それは人によると思うが。案外喜ぶんじゃないか? 私としても、どんなにおいしい店のケーキよりは近しい人間が頑張って作った手作りのものの方が何倍も嬉しい」
「じゃあ、今日のケーキは喜んでくださると思いますよ、少なくとも柴崎さんは」
「なるほど、違いないな」
 両目を閉じ、喜びに口元を歪ませる柴崎。
 思うところはあるものの、自分のために何かをしてもらうということが嬉しくないというわけでは決してないのだ。
 と、聞こえてきたため息に気付き、柴崎は視線を机の方に向ける。
 そこには、机の上に上半身を投げ出す麻夜の姿があった。
「綱野さん、どういたしましたか?」
「ん〜、ちょっとね〜」
 体を左右に転がす麻夜。
 その顔には倦怠感が漂っている。
「あの男苦手なのよね、私。正直会いたくないっていうか」
「赤の魔術師が、ですか?」
「そうよ。私、あの男に一度脱がされて全裸にされてるし」
「そういう仲だったので?」
「違うわよ、一言で言うなら術士としては最上級ってだけ。私の力を封印したのはあいつなのよ」
 そう言うと、麻夜は再び大きなため息をつく。
「それにしてもね〜、なんか急に調子悪くなっちゃった」
「と、言うと?」
「なんか頭がいたいのよ。なんて言うかいつもは五十分しか勉強しないから全然余裕な脳みそに、三時間分の勉強量を五十分という時間で叩き込まれたとでもいうべきかしら。なんか体が妙な感じがするの」
「もし体調が悪いのでしたら、支部長の代行をいたしましょうか? これでも三の亡霊です、代役としては十分なのでは?」
「いいわ、私が会うから。それにあいつに言いたい事もあるし」
「言いたい事?」
「封印解けってね、いつまでも未完成は嫌なのよ」
「封印ですか、そういえば綱野さんには封印された力があると前におっしゃられていましたね」
「教えないわよ」
「いえいえ、聞こうとは思いませんよ」
 と、足音が居間の方から聞こえてきた。
 目をやると、扉の向こうから二人の男が姿を現す。
 黒を基本にしたスーツを着込み胸元をはだけて色気を振りまく桂原。
 冬なのにその恰好は寒くないのかと言いたくなる。
 その隣にいるのは、正直そこまで美形ではないが、力強そうな眉を持つ百五十後半程度の身長の小柄な男だった。
 彼の名前は知っている、
 七の亡霊、座間政人。
 柴崎たちと同じ、ランページ・ファントムの一人だ。
 座間は柴崎と同じ剣崎の分家筋である。
 柴崎よりは格上のため、座間は比較的剣崎に近しい存在だった。
 魔剣士としての能力も高く、修練しだいでは余裕で本家を超える魔剣士を輩出してきている。
 中でも最近有名な魔剣士で、エーデルリッターの座間直刀という女性の存在があげられる。
 無所属の異能者だが『ハロウィンシーカー』の異名で知られる魔道師、氷室秋一と協力してアルス・マグナの一組織を壊滅に追い込んだほどの使い手だそうだ。
 目の前にいる座間政人も、それらの有名人に勝るとも劣らない武功の持ち主だ。
 低い身長からでは考え付かない力強さと闘志を持って、真っ先に敵陣に突入する勇の者だ。
 話は変わるが、知り合いの歴史家は戦闘民族と呼べる人種がこの歴史上には三種族、三つの時期に存在していたと言ってはばからない。
 戦いにのみ特化した戦士を生み出すことを追及し、その制度が崩壊した瞬間に衰退したスパルタ人。
 欧州において最強の傭兵と言われたスイス人傭兵。
 そして日露戦争に始まり、亡国をかけて戦い続けた十九世紀から二十世紀までの日本人。
 特に日本人の戦闘に関する有能さを示す文書は後を絶たず、有名な言葉にこのようなものまである。
 兵士を日本人が、下士官をドイツ人が、将軍をアメリカ人にした軍隊こそが世界最強である、という言葉があることからも、第二次大戦における日本兵士の有能さは際立っていた。
 まぁ、兵士だけで戦争に勝てるなら誰も苦労はしない。
 世界がうらやむほどに優秀な兵士を持つ日本が戦争に負けたことから、人間の優劣における優位などその程度のものであるということは理解できるだろう。
 この長ったらしい説明で何を言いたかったかと言うと、つまるところ座間は過去に日本人が持っていた牙を持つ稀有な人材だということだ。
 清廉、尚武、勇敢、品性方向にして誇り高いかつての日本人。
 それを彷彿させるまでに、座間は真っ直ぐな心を持った男だった。
 切り込み隊長としては死んだ戟耶と座間はいつも一番槍を競って争っていた。
 そんな座間は柴崎と目線があうなり丁寧に礼をしてきた。
 柴崎も姿勢はそのままで軽く頭を下げてみせる。
 と、桂原が声をかけてきた。
「柴崎、オレは少し出かけるぞ」
「あと一時間で赤の魔術師が来ると聞いているが?」
「いいじゃねぇか、どうせオレに用事はねぇだろうしよ」
「それはそうだが」
「長くはかからないと思うが、下手をすると今日中には戻ってこれないかもしれない」
「そんな……今日は柴崎さんのお誕生日なんですよ」
 悲しそうな顔で話に割り込んできたのは里村だった。
 そんな里村に、桂原は苦笑してみせる。
「大丈夫、多分そんな時間もかからずに戻ってこれると思うから」
 そう答えると、桂原は座間を連れて玄関へ向かって歩いていく。
 と、気が変わったのか玄関の前に座間を残し、桂原は柴崎の目の前まで歩いてきた。
「一つ言っておこう」
「どうした?」
 普段見ないマジメな顔をでこちらを見てくる桂原に、柴崎は少々面食らいながら尋ねる。
「気のせいかは知らんが、きな臭い。メイザースの動きもわからないし、やつらの決起の日が近いかも知れないという不確定情報もある。決して単独行動だけはとるな。必ず二人一組のチームで動け。オレは座間を連れて行く」
「ボディガードというわけか?」
「お互いがお互いのな。いいか、決して単騎で動くなよ。正直言って、何が起こるかはわからん。警戒は怠るなというわけだ」
「確かにそうだが、珍しいな。いつもは私があなたに言う言葉のはずだが」
 言う柴崎に対し、桂原は唇をすぼめると、
「違いない」
 柴崎の肩を優しく叩くと、そのまま座間の待つ玄関に向かい、外に出て行ってしまった。
「どういうことなんでしょうか?」
 桂原の出て行った玄関を見つめながら、里村が心配そうに柴崎に問いかける。
「さぁ、とりあえず油断はしないほうが身のためということなんでしょうね。あの男はたまに大切な事を口にしますから」
 答えると、柴崎は考え込むようにして両目を閉じてしまった。
 重苦しい雰囲気。
 それを感じ取ると、麻夜はこの世の儚さを思い、またしても深いため息をつくのであった。






「あらあら、楽しんでる〜?」
 笑顔を振りまきながら、女性が一人工場の中に姿を現した。
 寂れた廃工場。
 そこはクロウ・カードたち、アルス・マグナの陣営が拠点としている場所であった。
 この街に存在する闇の救世主たちの盟主であるクロウ・カードは、木で出来た背もたれのないイスに座り、入ってきた女性を睨みつけた。
 あまりにも長い、腰まで届くかと思われる黒髪をポニーテルにして、コートにマフラーと温かそうな恰好とは相反して下着が見えるか見えないかというきわどい長さのスカートに、寒さを防ぐために太ももの部分まであるニーソックス。
 ともすれば繁華街を歩いていそうな美少女のそれではあるが、そのチャラけた衣装はこの廃工場にはあまりにも似合っていない。
「あれ? 他の連中はどこに行ったの?」
 周囲を見回すポニーテールの女性。
 そんな女性に、クロウ・カードは重々しい声で言った。
「今までどこに行っていた、歌留多」
「やだ〜、怒ってるの? ストレス溜めると禿げてる部分がもっと増えちゃうわよ」
 歌留多が見つめる先、クロウ・カードの頭は五十を過ぎたこともあってかなり後方まで後退している。
 しかし、それを無様と思わせないだけの貫禄がクロウ・カードにはあった。
 中途半端なハゲはダサい。
 一般の人間はそう考えており、天辺が禿げたらスキンヘッドにしたほうがマシと考える人間も多いだろう。
 横や後ろの髪が余っているからといって、そこの髪をはげた部分に乗せてバーコードヘッドにするなど無様の極みだ。
 が、無様な足掻きをせずに髪を残し、その貫禄と威厳によって嘲笑う者を一切誕生させない禿げ方をする人間がごく稀に存在する。
 そして、クロウ・カードはその一礼だった。
 古代ローマではハゲは肉体的欠陥とされていたそうだが、西洋人のクロウ・カードにそのような考えはなかった。
 むしろその言葉が嘲笑であるとも感じていないようだ。
 歌留多の言葉を無視し、クロウ・カードは再び歌留多に告げる。
「今までどこに行っていた?」
「いいじゃない、私がどこに遊びに行っても」
 ふてくされる歌留多。
 が、クロウ・カードはそんなことで動じる男ではない。
「釈明の余地をくれてやってもいいぞ」
「うっさいわね、未来の見える私に指図しようっての」
 その言葉を聞くと、クロウ・カードは表情を塗り替える。
「ほぉ、未来と」
「そうよ、あんたにも何度か未来予知してあげたでしょ。それで、その未来が現実になるように細工してたってわけ。これでも忙しいんだからね」
「どのような?」
「こないだ言っておいたお仲間を手に入れるためよ。文句ある?」
「ならばいい。ところで本当か、その人間がこの一連の戦いにおける鍵を握る者だというのは?」
「そうじゃなかったら私はそんなヤツのために動いてなんかいないわ」
「つまり、赤の魔術師を拘束することよりもその人間の確保のほうが重要だったと」
「うっさいわね、あんたには赤の魔術師の倒し方を予知してあげたじゃないの」
「……確かに」
 頷いて納得するクロウ・カード。
 そう、クロウ・カードは自身の力のみで赤の魔術師を打倒したわけではない。
 赤の魔術師を打倒することは、クロウ・カードにはあまりにも荷が重すぎた。
 本来、クロウ・カードが三人いて倒せるか否かという相手なのだ。
 クロウ・カード並みの戦闘能力を誇るヴラドの助力があったとしても圧倒的な不利であった。
 が、それを補うのが歌留多の予知能力だ。
 歌留多は未来視の魔眼を持つ神楽と同じ桐里の血統の人間であり、神楽と同じ魔眼を操ることができる。
 未来を予知する『跳視(おどし)の魔眼』を。
 そして、未来予知で確認した必勝法をクロウ・カードに託した。
 それでもって、クロウ・カードは自身と赤の魔術師との間に存在する実力差を埋めてみせたのであった。
「それにしてもこのアルカナが勝負を決めるは思わなかったぞ」
 本を開き、クロウ・カードは法の書の能力を発動させた。
「愚者(フール)」
 次の瞬間、何もないクロウ・カードの眼前に、突如として全裸となった歌留多が転がり落ちた。
 歌留多の目の前にだ。
「えっと、私の体ってそんなに魅力的かしら?」
 自分の全裸を見られるのはさすがに恥ずかしいらしく、歌留多は少々顔を赤めながら足元に転がる、自分と全く同じ体つきをした歌留多にそっくりの肉の塊を見つめる。
 これこそが法の書の持つ『愚者』のアルカナの能力だった。
 一度でも見たことのある人間と全く同じ姿、重さ、質感を持った偽者を作り出す能力だ。
 クロウ・カードが手のひらに輝光を集中させる。
 そして、腕を一閃させたかと思うと、クロウ・カードは地面に転がる偽者の歌留多の顔面に輝光を叩き込んだ。
 輝光の塊は情け容赦なく偽者の歌留多の顔面を砕いた。
 肉が裂け、骨が砕かれ、脳漿が飛び散る。
 噴出する血液は本物の歌留多とクロウ・カードの肉体を濡らす。
 と、クロウ・カードが指を鳴らした。
 すると、偽者の歌留多の肉体が、音も立てずにその存在を消滅させる。
 それと同時に飛び散った血液や骨の破片や肉片までもが消失する。
 後には何も残らない。
「悪趣味ね」
 歌留多は髪をかきあげながら言った。
 彼女に飛び散ったはずの血液は完全に消失しており、彼女の体は全く汚れていなかった。
 そんな歌留多に、クロウ・カードは厳格な顔つきで言った。
「驚いたぞ、予知とは言えお前が、私が持つ愚者の対象者の偽者を作り出す能力を知り、その上にそれを用いて私達の死体を作り、赤の魔術師を油断させろなどと献策をしてくるとはな」
「それ、誰に説明してるの?」
「彼女にさ」
 と、歌留多が目をこらす。
 クロウ・カードの後ろ。
 彼の背中に隠れるようにしていた一人の少女に視線を移す。
「法の書の精霊ね」
「アリスにはなぜ愚者を作るかがわからなかったようだかららな、いい機会だから説明させてもらった」
「ふ〜ん、まぁいいけど。てっきり私が変なまねしたらこうなるぞって脅してるのかと思ったわ」
「もちろん、その意味もあるがな」
「心配性ね、裏切ったりなんかしないわよ」
 歌留多は頭をかきながらそう応じる。
 そして、クロウ・カードに背中を向けて工場の出口へと向かって歩き出した。
「じゃ、私はもうちょっと頑張って裏工作してくるわ」
「援軍にきたのではなかったのか?」
 尋ねるクロウ・カード。
 そんなクロウ・カードに、歌留多は振り返りながら答えた。
「大丈夫よ、私が動かなくてもあんたの手下たちは上手くやるわ」
「それは予知か?」
「いえ、予想よ。たいして差はないと思うけどね」
 それだけ言うと、歌留多は今度こそ振り返らずに工場の外に向かって歩き出した。
 その後姿を見つめるクロウ・カード。
 と、そのクロウ・カードの袖を、アリスが無言で引っ張った。
 クロウ・カードは自分にしがみついているアリスにようやく気がついた。
 少しだけ優しい表情を浮かべ、アリスの頭を優しく撫でてやる。
 アリスは無表情のまま、ちょっとだけ嬉しそうに顔を赤らめていた。






「で、どこに連れて行く気だ?」
 人気のない路地裏。
 薄暗いその空間には二人の男の姿があった。
 一人は座間、もう一人は桂原だった。
「何を考えているんだ、桂原。こんなところに何があると言うのだ?」
 座間は再び桂原に問いかける。
 が、桂原は座間の言葉に何も答えようとはしない。
 ただ、座間に背中を向けて路地の奥へ、奥へと歩き続ける。
 訝しみながらも、座間はただ黙って桂原の後ろについて進み続ける。
 十数分も歩いただろうか。
 ようやくそこにたどり着いた。
 横幅が六メートルほどある路地裏。
 三方をビルで囲まれ、非常階段こそ設置されているものの、入り口は一つしかない袋小路。
「ここは?」
 そこに連れてこられた座間は、周囲を見回しながら尋ねた。
「戟耶の死んだ場所だ」
「……!」
 座間は目を見張り、そして周囲を見回した。
 その戦いは激しいものだったが、鏡内界で起きた出来事は現実世界には影響を及ぼさない。
 そこは戟耶が柴崎と戦って戦死を遂げた場所だった。
 座間はしばらくの間、袋小路を見回していたが、ふと桂原を振り返る。
「解せないな」
「何がだ?」
 尋ねる桂原。
 そんな桂原に、座間は眉をしかめる。
「何故、私をここに連れてくる必要がある?」
「連れてくる必要か、なかなかステキなことを尋ねるじゃないか」
 微笑する桂原。
 その態度を見て、座間はさらに表情を険しくした。
「からかっているのか?」
「からかってなどいない、その証拠にあれを見ろ」
 桂原が座間の後ろを指差した。
 座間がその指の先にあるものを見ようと桂原に背中を向ける。
 そして、見た。
「がっ……」
 それは真下。
 自分の胸の辺り。
 左胸から激痛とともに突如として生えた、その氷の刃。
 座間が目にしたものは、それだった。
「け……けい……はら……」
「悪いな、戟耶の親友であるお前を生かしておくわけにはいかないんだ」
 答える桂原。
 その手には氷で作られた短剣。
 氷の短剣は、座間の背中に突き刺さり、貫通して座間の胸から切っ先が突き出ていた。
「な……仲間だろう……わたし……たちは……」
「さぁな」
 短くそう呟くと、桂原は短剣から手を離し、指を鳴らす。
 それと同時に輝光が開放された。
 短剣から、増殖するように氷が生産される。
 氷の短剣を核に、まるで座間の肉体を覆い隠すように氷が次々とその領域を広げていく。
 そして、氷の彫像が出来上がった。
 三角錐のような形のそれは、中心に座間の姿を映らせる棺おけのようなそれ。
 氷の牢獄に閉じ込められた座間が、氷の中で絶命していた。
「やったかね?」
 座間の死体を閉じ込めた彫像を見つめる桂原の後ろから、一人の男が姿を現した。
 白衣に身を包むその老人は、しわがれた声でさらに桂原に話しかける。
「いやいや、まさかその男を殺してしまうとは。私達の味方になってくれるという話ではなかったのか?」
「違いますよ、フィオレ博士。こいつは裏切り者です」
「ほぉ、裏切り者と」
 白衣の老人、いや、フィオレ博士と呼ばれたその男、ヴィットーリオ・フィオレは、面白そうに桂原の顔を見た。
「裏切ろうとしていたというのか、その魔剣士が?」
「ええ、私達を裏切ろうとしていました」
「なるほど、反逆者の処刑、ご苦労様とでもいったところかね」
 口にした後、ヴィットーリオは楽しげにくぐもった笑いを漏らす。
 と、二人が同時に目を見開いた。
 同時に同じ方向に視線を向ける。
 袋小路を構成する三つのビルの内の一つ。
 そのビルについている非常階段の最上階に、一人の男の姿があった。
 が、それは二人が見た瞬間に消え去っていた。
 驚嘆すべきはその速度だ。
 二人に存在を気付かれた瞬間、そこにいた男は一目散に逃げ出してしまったのだ。
 もはや追う事すら敵わないだけの距離が開かれた。
「まずいな」
 桂原が困った顔を見せる。
「このままでは探偵事務所の連中に私の造反が知られてしまう」
「構わないのではないか? どの道裏切るつもりだったのだろう?」
「それはそうだが、今気付かれては今後の戦いに支障がでるのではないか?」
「なぁに、大丈夫じゃろうて。私達には頼もしい味方がいる」
「味方?」
 尋ねる桂原。
 そんな桂原に、ヴィットーリオは不敵な笑みを浮かべて見せた。
「英雄だ」






「桂原が、裏切った?」
 今も信じることが出来ない。
 だが、見てしまった。
 桂原は自らの手で座間を殺したのだ。
 四の亡霊、剣崎宗司はビルの屋上を走り、次々と様々な建物を伝って一路、探偵事務所を目指していた。
 赤いジャンバーにジーパン、茶色に染めた髪に黒いサングラスをつけたその男。
 二十代後半になろうかという青年である剣崎は、御三家の名に恥じないだけの戦闘能力を有し、戟耶にこそ及ばなかったが四の亡霊の名を授かっていた。
 事務所で寝泊りをしていた彼だったが、ヴラド一派の動きを探るために、今日の彼は単独行動をとり、ヴラド一派の消息を調べていた。
 事務所には結界が張ってあるために堅牢な要塞と化してこそいるものの、その結界のせいで外界の情報が入りにくい。
 そのため、詳しい事情を探るには事務所の外に出る必要があった。
 剣崎はこの事務所を訪れた日から繰り返している夜と昼のパトロールを今日も実行していた。
 そして、彼は二つの事件を目にしたのであった。
 一つ目は赤の魔術師がアルス・マグナとヴラド一派による包囲戦によって無力化されてしまったこと。
 もう一つは、桂原が自分達を裏切り、仲間である座間を殺害した事だ。
 赤の魔術師を閉じ込めた結界はあまりにも強固で、剣崎に解呪できるレベルのものではなかった。
 だが、赤の魔術師の戦闘能力は喉から手が出るほど欲しい。
 理由は簡単だ、アルス・マグナとヴラド一派が赤の魔術師に挑むということは、彼らの目的とする計画が実行に移されようとしているということに他ならない。
 もしかしたら、結界使いの里村なら赤の魔術師を閉じ込めた結界をどうにかできるかもしれない。
 剣崎はそう考え、そしてそれは正しかった。
 今、この街であの結界をどうにかできる人間は四人しかいない。
 赤の魔術師、ヴラド・メイザース、クロウ・カード、そしてこの三者と比べると実力は劣るものの結界の扱いに秀でた里村。
 赤の魔術師を結界から解放できれば今の戦局を覆す事ができるかもしれない。
 剣崎は一連の戦いを全て遠くから確認していた。
 敵の戦力は十六、内二人は赤の魔術師が仕留めたようだが、これだけの敵に狙われてはたまらない。
 援軍要請を事務所の人間に相談しようとした矢先のことだった。
 剣崎は帰りがけ、偶然に座間と桂原が路地裏に入っていくのを見かけた。
 桂原が特に深刻な表情を浮かべていたので、盗み聞きをしようとビルの屋上に上って二人を盗み見ていた剣崎は、桂原が座間を殺害するのを、ビルの脇に取り付けられていた非常階段の上から見た。
 ただでさえ敵が多い状況で味方が殺された。
 すぐにでも仲間に知らせる必要がある。
 事務所にいる以上、外の異常を察知することはできない。
 そうだとすれば、この危機を事務所の人間は誰一人知らないことになる。
 それだけはいけない。
 もし、敵が多数と知っていれば結界の張ってある事務所に篭っていれば迎撃が不可能というわけでもない。
 が、もし大量の敵が外にいるということを知らないで事務所の外に出ようものなら。
 危機を知らない仲間は、一人、また一人と各個撃破されることになる。
 この街で巻き起こっている戦いはとっくの昔に始まっている。
 そして仲間はそれを知らない。
 知らせなければならない。
 それも一刻も早くだ。
 剣崎はそう考えると、ビルの屋上にあった窓ガラスに体を突っ込んだ。
 もちろん、異層空間を展開し、中に鏡内界を構築してからの事だ。
 昼間につくる鏡内界は歪で、中で扱える能力に制限も出るが、それでも通常空間で操る能力よりは相当マシな力が出る。
 剣崎は輝光を集中させると、反転した世界の中で強化した身体能力をもってビルとビルの間を、まるでトランポリンで跳ねるように軽やかに跳躍し、探偵事務所を目指していた。
 と、そこで気配に気がついた。
 後方から、驚異的な速度で接近してくる敵の存在にである。
 剣崎は逃げ切れるかと考えたが、それが不可能だと悟るとその場に立ち止まる。
 敵の速度はあまりにも速すぎた。
 それは、異常なまでの身体能力を誇る魔飢憑緋の魔剣士のそれを大きく上回っていた。
 地上を走るものにあれ以上の速度がありえないとするなら敵は空を飛ぶものだ。
 剣崎はそう警戒すると、フェンスが存在するのみで見晴らしの利くビルの屋上の中心に立つと、ジャンバーの中から魔剣を取り出した。
 手にするは長さ四十センチ程度の短剣。
 諸刃の刃を持つその青銅の剣は、古代日本において作られたとされる太古の魔剣。
 大量生産されているのではない、数に限りがある貴重なAクラスの魔剣の一振りだ。
 これで今までに屠った敵の数は数え切れない。
 戟耶にこそ及ばないものの、接近戦における戦闘能力の高さは折り紙つきであった。
 剣崎は魔剣を開放させ、敵の襲来をまった。
 ぐんぐんと距離を縮めてくるその敵。
 その敵の輝光はあまりにも大きかった。
 間違いない、かなり強力な魔剣を操る魔剣士だ。
 これだけの出力となると間違いなくAクラス。
 勝てるのか、思わず剣崎は疑問に思ってしまった。
 いや、だが負けるわけにはいかない。
 もしも自分が敗れれば、事務所にいる仲間は今自分達の周りで起きている状況を理解できないという恐ろしく危険な状況に陥ってしまう。
 それだけは避けねばならず、故にこれは負けられない戦いであった。
「おかしい……」
 剣崎は思わず疑問を口にした。
 そう、あきらかにおかしかった。
 輝光の気配から、敵は明らかにこちらに近づいてきている。
 だというのに、一向に敵の姿が見えないのだ。
 敵は上空。
 方角は前方。
 だというのに、その姿が見えない。
 なぜだ。
 どこにいる。
 いるのはわかっている。
 近づいてきているのは感じている。
 だがわからない。
 敵がいる方向がわかっており、さらに障害物さえない空にいることまでわかっていながら、敵の姿が見えない。
「敵の姿が……見えない?」
 考えを口にする。
 何かおかしい。
 自分は決定的に何か、見落としてはならない事柄を見落としているのかもしれない。
 それは、この戦いの帰趨に関わる何か。
 見えない。
 見ることができない。
「まさか!」
 そして、それが剣崎という名の男がこの世界で口にした最後の言葉となった。
 疾風が吹いた。
 それと同時に、首が宙を舞う。
 頭を失った胴体は血を噴水のように撒き散らし、体を支える力を失った剣崎は、仰向けにビルの屋上に倒れた。
 その傍ら。
 剣崎のすぐ横に、一人の男の姿が浮かび上がった。
 それは不可思議な現象だった。
 何もないはずの空間に撒き散らされた剣崎の血液。
 それが、空中で見えないものに付着したのだ。
 真っ赤な血液を浴びて、透明だったその男の輪郭が浮かび上がってきた。
 りりしい顔、強固な布を幾重にも重ね合わせて作られた鎧。
 青銅の兜に青銅の盾、そして死神が持つような巨大な首狩り鎌。
 戦士のようでいて、死神のような青年の姿が、そこにはあった。
 赤一色でこの世界に浮かび上がるその青年は、剣崎の死体を悲しそうな顔つきで見下ろし続けていた。






「数騎さん、どうしたんですか?」
 じっと窓を見つめて座っている数騎に、歩み寄ってきた神楽がそう尋ねた。
 電気の消えた夜のアパート。
 光は差し込む月明かりだけ。
 それはクロウ・カードたちが美坂町で騒動を起こす一週間も前の出来事。
 神楽に声をかけられてなお、数騎は黙って窓を見つめ続けている。
「何を見ているんですか?」
「え、あ。何?」
 ようやく声が届いたのか、数騎は少々驚きながら神楽の声に反応した。
「何じゃないですよ、一体どうしたんですか? さっきからずっと窓の外を見てましたよ。何かあるんですか?」
 言いながら神楽は数騎が覗き込んでいた窓に目を近づける。
 が、アパートの窓から見えるのは狭い路地裏と隣の家の壁だけだ。
 おもしろいものなど何一つもない。
「空でも見てたんですか?」
「宝石を見てたんです」
 言って数騎は神楽に顔を見せた。
 その右目には赤く輝くルビー。
「自分の顔は自分じゃ見えないから、オレが宝石を見たいと思ったら義眼を外すか鏡を見るしかないんです」
「それで、窓を?」
「あぁ、夜ならオレの顔がよく映ります。おかげでよくルビーが見えるんです」
 窓を、いや窓に映るルビーを見つめる数騎の顔には、悲しさと、そして優しさが浮かびあがっていた。
 神楽はいたたまれなくなり、数騎のすぐ隣に腰を降ろすと、ゆっくりとした手つきで右手を、数騎の左のほほに持っていく。
「数騎さん、変わりましたね」
「そうですか?」
「そうですよ。数騎さん、昔は自分のことオレなんて言わなかったのに」
「オレじゃイヤ?」
「そうじゃないですけど」
 言って、神楽は少しだけ押し黙る。
「ただ、数騎さんが遠くへ行ってしまったような気がしているんです」
「何言ってるんですか、オレはここにいますよ。それに、遠くに行ってたのはオレじゃなくて神楽さんじゃないですか」
「………………」
 そう言われると、神楽は押し黙ってしまった。
「まだ、思いだせませんか?」
 尋ねる数騎。
 そう、神楽は思い出せないでいた。
 投影空想の魔剣士が暴走した夏の日、神楽は投影空想の魔剣士によって殺害されたはずだった。
 だが、それが生きていた。
 何故助かったのか。
 そして助かった後、数騎と出会うまで何をしていたのか。
 神楽にではどうしてもそれが思い出せないでいた。
「まぁ、思い出せないなら別にいいですけど」
 数騎はそういうと、残った左目だけで神楽をじっと見つめ、
「今は、ここにいるんだから」
 それで十分と、神楽に対して笑って見せた。
 その笑顔を見ると、神楽は思わず心が和んでしまった。
 思い出せないことは確かにあり、不可解な事がないわけではない。
 だが、目の前の男性が側にいてくれるなら。
 それはどんなにすばらしいことだろう。
「数騎さん」
 神楽は、聞いてみたいことができた。
「話してくれませんか?」
「何を?」
 それは目の前の男の人のこと。
「数騎さんがこの町に来るまでのこと、それとこの町に来てからのこと」
「聞いてどうするの?」
「聞きたいんです、ただそれだけ」
 じっと見つめる神楽。
 そんな神楽に、数騎は仕方なしに話を始めた。
 線香の匂いをかぐと思い出す母親のこと。
 家では継母に虐待を受けて、近眼になってしまったこと。
 学校には不良の友達がいたこと。
 この町に来て、麻夜と出会ったこと。
 町で起きた異能者たちの騒ぎ。
 そして、クリスというかわいそうな女の子のこと。
「それが、数騎さんの右目にあるルビーなんですね」
「そう、これがあいつ。オレはあいつに命をもらったんです」
 言いながら、数騎は自分の右目に触る。
「死のうとも考えました。でも、オレが死んだらオレのために死んだあいつが浮かばれない。せめて、オレが死にたくなくても死ななきゃいけなくなるまでは生きようと決めたんです」
 そう言って、数騎は右目から手を離した。
 そんな数騎に、神楽は悲しそうな顔をしてみせる。
「つらかったんですね」
「まぁ、そこそこは」
「嘘……」
 口にして、神楽は数騎の左目に指を近づける。
 そして、数騎の目を優しく拭ってやった。
 神楽の指には、数騎の涙がついていた。
「泣いてますよ」
「え?」
 驚き、数騎は自分の顔を触る。
 泣いていた。
 頬には伝う涙のあとが。
 そして、目からは止めようもなく涙があふれていた。
「か、悲しくなんてないんだ。神楽さんがいるからさ、本当に死ななくてよかったんだ、神楽さんがいるんだから。だから、オレは……」
「数騎さん」
 そう言うと、神楽は数騎の細い体を抱きしめた。
 数騎の体に神楽の温もりが伝わる。
 それが数騎を留めていたものを砕いてしまった。
 誰かが側にいるという温もりに触れ、数騎の感情は爆発した。
 体が震える。
 しゃくりあげながら数騎は泣き始めた。
 神楽の体を強く抱きしめ。
 そして、大声で泣き始めた。
 ありがたいと思った。
 自分以外の人間の存在が、これ以上ないほど愛おしく思った。
 目の前にある。
 この手の中で呼吸をしている。
 それが、数騎には嬉しくてならなかった。
 誰もいないアパート。
 クリスを失った部屋。
 その中にあって、数騎は本当の意味で自分の側に誰かがいることを悟った。
 どれくらい泣いただろうか。
 数騎は神楽を抱きしめた状態で、両目を閉じながら口にした。
「オレは、寂しかったんだな……」
 それだけ言うと、数騎は神楽から体を離した。
 涙はすでに止まっていた。
 真正面から見る神楽の顔。
 それは本当に柔らかそうで、本当に愛おしくて。
 だから数騎は、神楽の唇が本当に魅力的に移ったから、自分の唇を神楽のそれに近づけた。
 神楽は拒まなかった。
 数騎の唇を受けいれ、お互いの唇がふれあった。
 数騎は、唇がふれている時、唇が柔らかいものだということを初めて知った気がした。
 顔を離す。
 神楽の顔は、今の口づけのせいで真っ赤に染まっていた。
 心臓の音がうるさい。
 興奮が止まらなかった。
 ただ、目の前の女性が愛おしかった。
 側に、いて欲しかった。
「神楽さん」
 優しく囁きかけ、数騎は神楽を抱きしめる。
 そして、優しく押し倒した。
「か、数騎さんっ!」
 慌てる神楽。
 神楽の体は数騎の体の下敷きになっていた。
 畳の上に押し倒された神楽。
「ちょ、ちょちょちょちょちょちょっと待ってくださいっ!」
 何とかこの状況から逃れようとする神楽。
 そんな神楽の口を数騎の口がふさいだ。
 ただ唇をつけるだけではない。
 唇を唇に押し当て、舌を相手の口の中に送り込むディープキス。
 数騎は神楽の口の中を舌で嘗め回すと、唾液で糸を引かせながら神楽の口から口を離した。
「いいかな?」
 神楽を見下ろしながら尋ねる数騎。
 そんな数騎に、神楽は顔を真っ赤にしたまま何も言えないでいる。
「いいよね?」
 神楽は断らなかった。
 数騎はそれを肯定と受け取り、神楽にもう一度キスをした。
 ここから先は手馴れたものだった。
 カラスアゲハを相手にさんざん楽しんだのもあったし、商売でいろいろな相手と頑張ったことも助けになった。
 もっとも、女性とした回数よりも男性とした回数の方が多いのは内緒だったが。
 数騎は神楽の着物を苦労して脱がせると、神楽の体に愛撫を加えていった。
 神楽は可愛らしい声でなきながら、数騎の思うままにされていた。
 そして、準備が整ったと思うと、数騎は神楽の顔を真正面から見据える。
「いくよ」
 神楽は聞いてくる数騎に、ただ頷いて答えた。
 初めてではなかった。
 だから大丈夫。
 今までさんざん男の相手をしてきたのだ。
 だから問題はない。
 たった一つ問題があるとすれば、はじめては目の前にいる人ならよかったということくらい。
 神楽の了解を得ると、数騎は神楽の中に入ろうと試みる。
 そして、それが起こった。
(あれ?)
 おかしなことが起きた。
 困惑する神楽をよそに、数騎は行為に没頭し続ける。
(あれあれあれ?)
 神楽の目に涙が浮かんできた。
 おかしい。
 絶対におかしい。
 準備は整っているのだ。
 だからこれは異常な事態。
 なんで。
 なんでこんなに。
「い、痛い……」
 涙声になり、神楽は言った。
 数騎も驚いていた。
 神楽は自分の体に走る激痛に、ぼろぼろと涙を流していた。
「う、動かないで……痛いの……」
 神楽の言葉に驚きながらも、数騎は何とか欲望を抑え、神楽を苦しめるような真似はしなかった。
 しばらくして、神楽は落ち着いたのか、ようやく数騎に告げた。
「もう、いいですよ」
「うん」
 動揺しながらも、数騎は再び行為をはじめる。
 神楽は痛みを覚えながらも、数騎を自分の中に受け入れられたことに喜びを感じていた。
 十分ほどして二人の行為は終わった。
 二人は汗を体に張り付かせながら抱きしめあっていた。
 よほど体力不足なのか、苦しそうに呼吸している数騎の体を抱きしめながら神楽は困惑していた。
 どうしてこんなに痛いのだろうか。
 初めてではなかったはずなのに、なぜこんなに激痛が走るのだろうか。
 不可解なことが多すぎた。
 そして答えはわからない。
 神楽は数騎に抱きしめられながら、窓から覗く空の星々を見つめ続けていた。






魔術結社    残り五人(座間、剣崎、共に戦死。さらに桂原の離反)
ヴラド一派   残り七人
アルス・マグナ 残り十人(魔術結社を裏切り桂原が参入)

























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