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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第四羽 大結界

第四羽 大結界


「あら、どうしましょう」
 台所からかわいらしい声が聞こえてきた。
 事務所のソファに腰をかけていた柴崎は、読んでいた本から顔をあげる。
「どうした、里村」
「卵が足りないんです」
「卵だと?」
 柴崎はソファから立ち上がると、台所に向かって歩き出す。
「おかしいな、ちゃんと言われたとおり新しく卵は買っておいたはずだが」
「それが、四個しか残ってないんです」
 困惑して口にする里村。
 そんな里村の様子を見ようと、柴崎は台所に脚を踏み入れた。
 オーブンやら電子レンジが揃っている、しっかりとした作りのシステムキッチンが取り付けられた台所。
 人が四人くらいは余裕で入れる台所においてある冷蔵庫の前に里村はいた。
 あいかわらずのメイド衣装の里村は、冷蔵庫を開けたまま困った顔をしていた。
「ほら、見てください。卵の数が」
「あぁ、減っているな」
 冷蔵庫の中の卵を収めるスペース。
 そこには、たった四つしか白い物体を確認できない。
「誰かが、食べたのか?」
「ん? だめだったか?」
 声は右、つまり入り口の方から聞こえてきた。
 柴崎は冷蔵庫を閉め、里村とともに入り口に目を向ける。
 そこには、おいしそうにタマゴサンドを口にする相沢の姿があった。
「いや、腹減っちまって卵使っちまったんだが、いけなかったのか?」
「ダメに決まってるじゃないですか! ケーキ作るには卵が必要なんですよ!」
「四個しか使ってないぞ」
「四個しか残ってないじゃないですか!」
 怒る里村。
 思わずたじろぐ相沢に、里村はさらにまくし立てる。
「どうするんですか、今から買ってこなきゃいけないんですよ!」
「か、買えばいいじゃねぇか」
「そういう問題じゃないんです。昨日は特売日でしたけど、今日は卵が高いんです!」
「わ、悪かったよ」
 里村に威圧に屈し、相沢は素直に頭を下げる。
 その姿を横から見ていた柴崎は、里村はいい奥さんになるなと思った。
 もちろん、口にはしなかったが。
 そんな柴崎の考えも知らず、里村はキッチンの側に置いてあった手提げ袋を手に取る。
「仕方ないから今から買ってきますね」
 そう言って財布の中身を確認する里村に、柴崎は小さく頭を下げる。
「迷惑をかけるな」
「いえいえ、好きでやってることですから」
 そう言うと、里村は相沢の横をすり抜けて台所から出て行ってしまった。
「相沢」
「な、なんだ?」
 柴崎に話しかけられ、相沢はたじろいでみせる。
「ついて行ってやってくれないか?」
「オレがぁ?」
 自分の顔を指差して尋ねかえす相沢。
 そんな相沢に、柴崎はため息混じりに告げる。
「桂原に言われただろう、二人一組で動けと」
「オレと里村がセットか? 悪くないがオレは綱野さんといっしょがいい」
「本来なら綱野さんは薙風とセットだ、あの二人は外に出ないからな。私は里村、お前は剣崎と動くのが一番いいと思わなくもないが。そういえば剣崎はどうした?」
「さぁ、ちょっと出かける用事があるとか言ってたな。何しに言ったかは聞いていないが」
「そうか、剣崎は一人か?」
「一人だぜ、って言ってもそんなに警戒するべきなのかねぇ」
「さぁな、だが石橋を叩きすぎても砕けることはあるまい」
「違いねぇな」
 笑み混じりにそう答えると、相沢は柴崎に背を向けて歩き出す。
「じゃあ、ちょっくら行ってくるわ。卵食っちまって悪かった」
「気にするな、買ってきてもらうわけだからな」
「確かに」
 それだけ言うと、相沢は玄関の扉に手をかける里村の元に駆け足で近づいていった。
 その姿を見ながら、柴崎は思わず穏やかなその日常に感謝しながら微笑を浮かべていた。






「英雄さ〜ん、ちょっといいかしら〜」
 橋の下。
 綺麗な川の流れるその岸辺に、クロウ・カードから英雄と呼ばれる男の姿があった。
 端正な顔に程よく筋肉のついた肉体。
 その上半身には糸一つ纏わず、下半身は白い布を巻きつけているだけ。
 剣崎を殺して浴びた血を、彼は川の水で洗い流していたのだ。
 周りには誰もいない、鏡内界だから異能者しか存在していないのだ。
 やや白い肌に、細い眉を持った青年は、近づいてくる女性に顔を向けた。
「着替えの途中悪いわね」
「構わないが、見ても楽しくはないだろう?」
「そうでもないわ、とってもおいしそうよ」
 そう言うと、歌留多はわざとらしく唇を舌で舐めてみせる。
 唇を濡らしながら、歌留多はゆっくりと青年に近づいていく。
「早速一人殺したようね」
「理想を阻む者とは言え、あまり嬉しいことではない」
「あらあら、お優しいわね英雄さんは」
 まるでおもしろいものでも見るかのように、歌留多は目をぱちくりさせた。
「もっと割り切ってるものかと思ったのに。アルス・マグナの連中は、死んだ事でこれ以上過ちを犯さないようにしてやったのだとか、ステキなことを言うわよ」
「私をそのようなヤツらといっしょにしないでほしい」
「てっきりそんなこと考えながら、三姉妹の末女を殺したと思ったんだけどね」
 歌留多がそう口にした瞬間、彼は恐ろしい目つきで歌留多を睨みつけた。
 が、歌留多はそんなことに動じず続ける。
「二人のお姉さんも可哀そうよね、一番下の子は兄弟から可愛がられるものよ。それを首をはねて殺すなんて。悲しみに涙を濡らしているお姉さんたちもいっしょに殺してあげればよかったのに」
「黙れ!」
 叫び、青年は歌留多の首に刃を突きつけた。
 それは死神の持つような大鎌。
 柄はおろか、先端についている鎌の部分までもが金属で出来ているその鎌には、いたるところに術式を織り成す彫刻が掘られていた。
 色は群青。
 橋の隙間から差し込む日光を、鎌はきらきらと反射させて輝いている。
「私の前で、二度とその話をするな」
「まぁ、あなたがお望みならもうしないわ」
「信じているぞ」
 言って、青年は鎌を地面に降ろす。
 歌留多はためいきをつきながら髪をかきあげる。
「で、今あなたのところに来たのには理由があるのよ」
「理由だと、私に何の用だ?」
「頼みがあるの、多分あなたなら何の問題もなく頼めるわ」
「何が望みだ?」
「人をさらってきて欲しいの」
「さらう? それは私に頼まなければいけないことか?」
「そうよ、予知があなたを指名しているの」
「なるほど、例の予知夢か。お前の予知の通りに動いたおかげで赤の魔術師を無力化できたのだから、聞かなければ拙いということなのだろうな」
「話が早くて助かるわ」
 そう言うと、歌留多は懐から一枚の写真を取り出し、それを青年に投げつける。
 青年は写真を受け取り、そこに移っている人物を見た。
 青空の中、正面から微笑を浮かべる女性。
 着物を身に纏い、長い黒髪を携えるその女性。
 その顔をまじまじと確認し、青年は思わず口を開いていた。
「何を言っているんだ?」
 怪訝な顔をし、青年は歌留多の顔とその写真の女性を見比べる。
「お前をさらえと言いたいのか?」
 青年の言葉は実に妥当と言ってしまえるだろう。
 そう、そこに移っている女性は、歌留多本人であったのだ。
「違うわ、それは私じゃない」
「お前ではないと?」
「そうよ、私には似た顔の人間がもう一人いるの」
「ほぉ、それは初耳だ」
「言っても意味なかったから言わなかっただけよ。とりあえずその女をさらってきて欲しいの」
「今すぐにか?」
「いえ、あとでお願い。その前にあなたは一仕事しなくてはいけない。またあなたはその手を赤く染める事になるわ」
「それは、予知か?」
 尋ねる青年。
 そんな青年に、歌留多は唇に指を押し当てながら、艶やかな声で囁く。
「ええそうよ、あなたは今すぐ草津と合流しなくちゃいけないわ。そして獲物に襲い掛かるの。獲物はそろそろ自分の巣穴から抜け出す予定よ」
「そして、私が武功をあげると」
「そう、それが終わり次第その女をさらってきて欲しいの。お願いできる?」
「承ろう、だが質問がある」
「何?」
「この女はどこにいる?」
「住所なら写真の裏に書いておいたわ」
 言われ、青年は写真をひっくり返す。
 なるほど、確かに住所と、そして歌留多が書いたのであろう簡単な地図が書かれている。
「もう一つ、聞いていいか?」
「構わないわ」
 そう答える歌留多に、青年はその写真を見せつけながら言った。
「この女性の名前を知りたい」
「名前を? いいわ、教えてあげる」
 そう言って、歌留多は一呼吸おくとその女性の名を告げた。
「桐里神楽よ」






「あ、ありましたよ」
 嬉しそうにそう言うと、里村は買い物籠に卵のパックを入れた。
 探偵事務所の近くにあるスーパー。
 そこに里村と相沢は買い物に来ていた。
 里村は大層ご機嫌で終始満面の笑みを浮かべていたが、相沢の方は居心地の悪さでいてもたってもいられない。
 そりゃあそうだろう。
 里村の姿を見て、それと追随して歩いているとなると、周囲の視線が気になって仕方がない。
 理由は簡単だ、里村の服装。
 それは一般の日本人が好んで着る服装ではなく、メイド装束という一部のコアな人間のみが着るあやしい服を着ているのだ。
 そんな服を着ている女を連れまわしている(ように周りからは見える)のだ。
 周囲の目が痛々しいのは仕方があるまい。
「なぁ、早く買って帰ろうぜ」
 やや猫背気味になって相沢が里村の背中に尋ねる。
 里村は、ヘッドドレスを揺らしながら卵コーナーから離れて飲料水コーナーに向かう。
「さ〜て、誕生日会ではどんな飲み物が必要かな〜」
 里村は相沢を無視し、買い物籠の中に次々と新しい商品を増やしていく。
「どんな罰ゲームだ、これは……」
 次々に目的地を変える里村の背中を、相沢は舌打ち混じりに追いかけた。
 その後、十数分ほど商品を見て回っていた里村も、買い物籠が二つともいっぱいになってしまったのを見ると、ようやく買い物を終える気になった。
「じゃ、レジ行きましょうか」
「気楽なもんだな、おい」
 文句を垂れる相沢。
 相沢の両手にはそれぞれ二キロを上回る重量を誇る買い物籠。
「気にしない気にしない」
 機嫌よくそういうと、里村はレジに向かって歩いていく。
 相沢はため息をつきながらレジに並ぶと、レジの台に買い物籠を置いた。
「いらっしゃいませ」
「これ、頼む」
 声をかけてきた店員に、相沢はそう答えるとポケットに手を突っ込み財布を探る。
「え〜っと、あった」
 少しだけ探し、すぐに財布を取り出すと、相沢は店員に財布から取り出した一万円札を手渡そうとし、
「なっ!」
 思わず愕然とした。
 里村もすぐに異変に気付く。
 彼らの回り。
 店員をはじめとして、店中にいた全ての人間が姿を消していた。
「異層空間、鏡内界か!」
 相沢はそう口にすると、財布をポケットの中に戻す。
「里村、外に!」
 相沢はそれだけ言うと、出口に向かって走り出した。
 遅れながらも里村がそれに続く。 
 そして、爆発が響いた。
 スーパーの奥から大爆発が起きたのだ。
 衝撃に商品が吹き飛ばされ、店の窓ガラスが全て爆発で砕け散った。
 爆風に押され、里村と相沢は転がるように店の外のアスファルトに転がる。
 もちろん、スーパーの外にも人間は一人としていなかった。
 そう、普通の人間は。
「油断しましたね、それでも魔術結社の誇る精鋭部隊ですか?」
 近づいてくる足音。
 里村と相沢は、立ち上がりながらその来訪者達を迎えた。
「その衣装、とってもお似合いですよ。お嬢さん」
 里村がその男に顔を向けた。
 年齢は三十代前半、やや後退を始めているものの、しっかりと残るその黒髪は艶やか。
 身長は百七十程度、中肉中背のその男は、まるで趣味の悪いオカルティストのような禍々しい魔術師のローブをスーツ姿の上に羽織っていた。
「あなたは?」
 尋ねる里村に、中年男は楽しそうな顔で答える。
「闇の救世主」
「アルス・マグナの闇の救世主だ」
 続く声は中年男のものではなかった。
 歩みよる青年。
 布の鎧に身をつつむその青年は、彼の身長に匹敵する大きさの大鎌を右手に、背中には青銅の円形の盾をつけている。
 左手には青銅のカブト、足には鷲の翼の装飾がなされている革のブーツ。
 それは、クロウ・カードから英雄と呼ばれた青年であった。
「恨みはない、だが死んでもらわねばならない」
「そう、奇遇ね」
 そう言うと、里村は身に纏っていたメイド装束を脱ぎ捨てた。
 その下には、彼女専用の戦闘服が着込まれていた。
 戦闘服を着たままの状態で、普通の服を着ては着膨れて不自然になる。
 だからこそ彼女はメイド装束を着込んでいた。
 メイド装束の下なら戦闘服の重ね着も目立たないからだった。
 何も趣味でメイド服を着ていたわけではない。
 薙風が巫女装束に身を包むのと同じで、彼女の服装には意味があったのだった。
「私もあなたたちには死んでもらいたいと思ってるもの」
 里村は怯えもせず、ただ真っ直ぐに青年を睨みつける。
「イヤだねぇ、二人で見つめあっちゃって。この舞台を用意したのは僕ですよ」
 中年男がニタニタと笑いながら里村に語りかける。
 と、その時だ。
 里村と相沢の背後に着地音が響いた。
 思わず振り返る。
 二人の後ろに二人の男が立っていた。
 一人は身長二メートルを超える男。
 もう一人は英国紳士としか思えない黒のスーツで身を固め、片眼鏡をした老人だった。
「ドラコ、網にかかったようだな。獲物は四人だ」
「こっちの倍じゃねぇかよ、勝てんのか?」
 ドラコは舌打ちをしながら紳士に聞いてみる。
「勝てると思いますよ、私とあなたならね。それにしても限定異層空間を張れる人間が私以外にもいたとは驚きですね」
「へぇ、大した術者なんだ、あんたも」
 紳士に対し、中年男は嬉しそうに告げる。
 里村と相沢を挟んだままの状態で、中年男と紳士が見つめあう。
 四人に挟まれ、相沢は思わずこう口にした。
「三つ巴か」
 それと全く同時だった。
 ドラコが咆哮をあげた。
 それと同時に肉体が変化を始める。
 まるで小型のティラノサウルスのように変じたドラコ。
 そのドラコに、
「うおおぉおぉぉぉぉお!」
 雄々しい叫びを上げ、青年が頭上から襲い掛かった。
 翼のある靴を羽ばたかせ、青年は里村と相沢の頭上を飛び越え、ドラコに対し大鎌を振りかざす。
「ちぃっ!」
 素早く後退するドラコ。
 受け止めても良かったが、何か嫌な予感を覚えたドラコは、一瞬にして青年と五メートルに近い距離をとった。
 追撃を試みる青年。
 だが、
「甘いですよ」
 紳士は、木製の杖の切っ先を青年に向ける。
「衝撃」
 紳士の言葉から術式が紡がれた。
 杖の先から輝光の塊が迸った。
 ともすれば人間の肉体など粉みじんに変えてしまうほどの衝撃。
 しかし、青年は回避行動もとらずその場に留まった。
 衝撃が青年に襲い掛かる。
 しかし、青年は一瞬にしてその脅威を退けていた。
 背中にあったはずの青銅の盾。
 それが、青年の左腕にはめられていた。
「その盾、すさまじき魔剣と見ました」
 自身の一撃を防がれ、紳士は楽しそうな表情で青年に語りかける。
「何、女神から頂いた盾だ。貴様の一撃などどうとういことはない」
「じゃあ、これはどうだい!」
 いつの間に接近したのか。
 猛獣の爪を指の先にそなえたドラコの一撃が青年に襲い掛かった。
 青年はその一撃を受け止めようともせず、先ほどのドラコにならって後ろに後退する。
 それを見て、ドラコは低い声で唸った。
「なるほどぉ、輝光系には強いが物理防御力は弱いと見た」
「なかなかの慧眼だ」
「じゃあ、これはどうかな?」
 声は中年男のものだった。
 指を鳴らすと同時に、とんでもない爆発がドラコの眼前に生じた。
 とっさに両腕で顔面をガードするドラコ。
 が、爆発はドラコの肉体、その一切を傷つけることはなかった。
 横から紳士による防御の術式が展開されたからだ。
「無粋ですな」
 紳士がつまらなそうに呟く。
「その程度の一撃で、私の相方を討ち取れるとでも思いましたか?」
「これは残念」
 楽しそうに笑う中年男。
 そこに、
「妖精光輝!」
 魔剣発動詠唱が響いた。
 対峙する四人の一時たちに向かって五十にも及ぶ精霊が飛び掛った。
 光り輝く妖精、それは全裸の人間の背中に羽というシンプルなデザイン。
 だが、その両腕は人体を切り裂く刃の形になっていた。
「切り裂きなさい!」
 紳士、ドラコ、青年、中年男。
 一切の区別もなく、滑空を繰り返しながら妖精が四人の肉体を切り裂きにかかった。
 襲い掛かる刃に、四人の肉体が切り刻まれる。
「終わりだ!」
 叫びは相沢のものだった。
 突如として彼の両目が光り輝き、相沢の眼前に巨大な輝光の塊が発生する。
「砕けろ!」
 命令とともに輝光の塊が四人の密集遅滞に向かって飛来する。
 そして、爆発が巻き起こった。
「やったか!」
「まだ!」
 相沢の言葉を、里村が瞬時に否定する。
 消え去っていく爆煙。
 その中から、無傷で直立する四人の人影。
「忘れてたぜ、コイツらがいたんだったな」
 ドラコが里村と相沢を睨みつけながら呟く。
 そんなドラコに、ため息交じりで紳士が呟いた。
「私が術を張ってなかったら、死んでましたよ、全く」
「さっきに続いてすまねぇな」
 笑みを浮かべながらドラコが応じる。
「あの男、予想以上ですね」
 青銅の盾を構え、青年が中年男に声をかける。
「なぁに、防げる程度の術ならなんとかなります」
 光り輝く障壁を張った中年男は、自身ありげに呟いた。
 と、紳士の周辺に急激な輝光の高まりを感じた。
「逃げろ!」
 相沢の叫びに、里村だけではなく中年男と青年も応じた。
 高まる輝光は術式を紡ぎ、完成した一撃が炸裂する。
 再びの爆発。
 だが、今度の規模は相沢の一撃を上回っていた。
 爆風だけではなく爆煙も激しく、まるで山中で濃霧に遭遇したように一歩先が見えない状況に陥ったのだ。
「里村、どこだ!」
 叫ぶ相沢。
 だが、耳をつんざくほどの爆音が、この場にいた全員の鼓膜を殺した。
 耳鳴りがして音が聞こえない。
 目と耳がふさがれた以上、頼れるものは輝光感知と鼻だけだ。
 そして、この状況においてこれ以上ないほどの狩人がいた。
 黄色に輝く爬虫類の目を光らせ、ドラコは笑みを浮かべていた。
 紳士、いやリチャードはよくやってくれた。
 目と耳が死んだこの状況、輝光探知だけに頼る他のヤツラに比べて、鼻を持つ自分は圧倒的に有利。
 他の連中は自分の気配を知られないように極力自身の輝光を押さえるはず。
 そんな中で敵を発見できる確率をあげるには、臭いで敵を見つけるほかない。
 そして、それが出来るのは獣憑きであるために人間の数百倍の鼻の良さを持つ自分のみ。
 そう確信し、ドラコは煙の中を進んだ。
 距離五メートルに一人、男がいる。
 その男を、殺す。
 ドラコは足音を殺し、自身の輝光も極限まで殺しながら、その男に近づいていった。






 舌打ちしたい思いだった。
 相沢は自分の運の悪さを呪った。
 なんて様だ、敵の居場所がわからない。
 周囲に目をやる。
 周りは黒煙。
 目は役立たず、耳も聞こえない。
 いや、目は役に立つか。
 相沢は目を閉じ、そして心を閉ざした。
 心にはもう一人の自分。
 それを解き放つ。
 彼が目を覚ました。
 それと同時に目を見開く。
 相沢はにやりと笑みを浮かべ、右手を真横に突き出し、
「爆っ!」
 その術式を開放した。
「なにぃぃぃぃぃぃ!」
 完全に不意を撃たれた。
 ドラコはとっさに両腕でその一撃に対応した。
 繰り出された術は爆術。
 そのすさまじい破壊力に、ドラコの両腕はあっけなく吹き飛ばされた。
 胴体にもかなりの深手、首から上が残っているのは僥倖と言えた。
「死んでねぇな」
 相沢が不機嫌そうな顔を浮かべる。
 相沢の一撃を受けたドラコは口元によだれを流しながら仰向けに倒れた。
 理由がわからなかった。
 なぜ、自分の居場所がわかったのか。
 なぜ、呪文詠唱無しで術式を使えたのか。
 ありえなかった。
 おそらくこちらの居場所を知るのに術式を用いたはずだ。
 だが、術には詠唱に時間が必要であり、そんな術を使うには輝光を用いなくてはならない。
 そして、輝光を用いたなら気付いたはずなのだ。
 輝光探知は異能者にとって常識的技能だ。
 だが、相沢が輝光を使用したのはこちらに爆術を使用する直前の一瞬。
 魔術ではありえない現象だった。
 これを可能にするには魔眼しかない。
 魔眼は術式を用いずとも一瞬にして術を発動できるというイカれた能力を持つ。
 通常魔眼は一人一つしか持てないはず。
 そして一つの魔眼は単一の能力しか持たないはずだ。
 しかし、この現象は魔眼を二つ持っていないと不可能なことだ。
 しかし、それでも説明がつかない。
 魔眼を二つ持っていようが発動できるのは一度に一つ。
 二つ同時に用いるなど不可能。
 腑に落ちなかった。
 と、激痛が迸る。
 ようやく痛覚が戻ってきた。
 絶叫を上げる。
 あまりの激痛に、ドラコは叫びながら地面をのた打ち回る。
 煙はまだ晴れない。
 が、相沢は両腕を失い地面を転がるドラコをじっと見つめていた。
 そう見つめていた。
 相沢は特殊な能力者であった。
 魔眼師。
 詠唱のほとんどをキャンセルし、一言詠唱を唱えるだけで術を発動できる強力な術士だ。
 彼本来の魔眼の能力は爆発。
 手榴弾程度の爆発から、プラスチック爆弾なみの大爆発さえ起こす事のできる強力な術士。
 しかし、相沢の力はそれだけではない。
 相沢は二重人格者だった。
 相沢は一人の人間でありながら、二つの魂を持つ人間だった。
 詠唱は一つの魂ごとに一つのみ可能、だが二重人格者は同時に二つ唱えられる。
 さらに相沢は人格ごとに使える能力が違う。
 相沢自身の能力は爆発だが、もう一つの人格の能力は透視。
 相沢はこの透視能力を用いるためにもう一つの人格を起動させた。
 本来は室内戦闘に用いる能力だが、爆煙の中でもこの能力は絶好調だった。
「だが……」
 相沢は思わず口にしていた。
 そう、相沢はあの偉大なる称号をもらえなかった。
 一般に裏世界では二重人格者のことはカルタグラという異名で呼ばれる。
 だが当の二重人格者である相沢は、自身が本当の意味でのカルタグラでないことを知っていた。
 魔眼師たちにとって、カルタグラというのは二重人格の魔眼師の中でも、特に優れた者に与えられる名前で二重人格者なら誰でもというわけではない。
 二重人格者であることに加え、その中でも能力が特に高い魔眼師がカルタグラという名を授けられるのが伝統だ。
 異能者はそのカルタグラと言う名の魔眼師が二重人格であることから、カルタグラが二重人格者と言う意味を持つようになってしまっただけのことだ。
 だが、相沢にはカルタグラの名前は与えられなかった。
 魂の苦悩(カルタグラ)。
 ありがたくない意味を持つ名だが、相沢にとってはどうしても欲しかった名前だった。
 戦闘中だというのに、相沢は戦闘に関係のないことを考えてしまっていた。
 その一瞬の隙。
 その一瞬をついて、別の人間が相沢に襲いかかった。
 すさまじい輝光の高ぶり。
 だが、相沢には見えていた。
「爆っ!」
 再び繰り出される爆発呪文。
 それを、迫り来る来訪者はすんでのところで回避した。
「どうなっている?」
 相沢は疑問を口に出していた。
 だってそう、相沢は透視によって煙をないものとして周囲を見ることが出来る。
 だが、今の敵の接近は見えなかった。
 煙は関係ない。
 いない。
 視認できないのだ。
 ないものは見ることが出来ない。
 だが、殺気だけは確実に存在し、いないはずの人間の存在をありありと示している。
「レベルを上げるか」
 相沢はもう一つの人格が持つ魔眼の能力をさらに開放。
 透視ではなく、能力はもう一つランクが上の『見えない物を見る』能力に切り替わる。
 そして見た。
 殺気の存在する場所に姿を現した青年の姿を。
 大鎌、青銅の盾、羽の靴、そして青銅の兜。
 重武装のその青年を、相沢は笑みを浮かべて迎える。
「透明になる能力か、その兜だな」
「見えるのか?」
「見える、見えるとも。ケツの穴までバッチリだ」
「ゲスな男だ」
「おっと、オレは違うぜ。オレはもっと上品さ」
 相沢が、いや相沢の表人格がそう答えた。
 今の相沢は二つの人格が同時に表に出てきている状態だ。
 口の悪い第二の人格が、勝手に相沢の口を使って喋ったのだ。
「それよりも決着をつけようぜ、オレの相手はお前だけじゃない」
「それは私も同じ事だ」
 青年はそう答えると、大鎌を構えて相沢に向かって突撃をかけた。
 すさまじき接近速度。
 だが、
「爆っ!」
 速射可能な相沢の呪文が咆えた。
 青年は後退を余儀なくされ、青銅の盾を前面に押し出した防御態勢を余儀なくされる。
「ステキな防具を持ってるじゃないか、実にすばらしい」
「お褒めに預かり光栄だ」
 答え、青年は再び突撃する隙をうかがう。
 青年と相沢がにらみ合いをしている中、残る三人は後方で魔術戦を展開していた。
「妖精よ!」
 視力と聴覚を奪われた中、里村が四方八方に妖精を展開していた。
 里村をはじめとする三人は、ドラコが戦闘能力を奪われた瞬間から隠れるのをやめた。
 目で見るのではなく、輝光を感知する能力を頼りに、見えない敵に対して遠距離攻撃による戦闘を試みていた。
 中年男は爆発だけではなく、火炎、魔風、雷撃をはじめとする術式を用いて攻撃を撒き散らし、逆に紳士は属性を持たない純粋な破壊力である輝光を飛ばして他者を圧倒する。
 一番不利だったのは里村だ。
 里村は相沢と違い戦闘に特化したタイプの魔剣士ではない。
 彼女の通常攻撃は全て妖精によるものであり、妖精を輝光の弾丸として敵を襲撃させるしか有効な攻撃方法はない。
 彼女の鬼札はあくまで結界だ。
 それが彼女の唯一の勝算。
 時間を稼ぎながら結界を展開し、自身に有利な環境を作り出す。
 相沢の助力が求められない以上、それだけが里村の勝機だった。
 紳士と中年男の応酬により、煙はさらに激しさを増し相沢を抜かす全員の視界をさえぎる。
 そして、それが里村に利した。
 二分。
 戦いの中では途方もなく長く感じるその時間をかけて、ようやく里村は術式を紡ぎ上げる。
「冥鏡死翠(めいきょうしすい)!」
 魔剣の詠唱が口にされた。
 同時に、里村にとって絶好の空間が周囲一体に広がった。
 彼女の張った結界の能力は沈黙。
 この結界の中では、これ以上新たな術式を紡ぐ事が不可能になる。
 代わりに、すでに発動している術は存続可能。
 故に、
「行きなさい!」
 里村は起動済みの魔剣『妖精光輝』の精霊を操った。
 術を用いることのできない紳士と中年男。
 その二人を殺害すべく、光り輝く妖精たちが宙を舞う。
 が、
「そんなっ!」
 戦況は里村の思い通りには進まなかった。
 中年男がすさまじい速度で里村に向かって接近してきた。
 その進撃を止めようと妖精が次々と中年男に襲い掛かる。
 だが、妖精が中年男に接近すると同時に、妖精が瞬く間にその姿を消していく。
 中年男は止まらない。
 里村はさらに妖精を展開して中年男を迎撃しようと試みたが、それは敵わなかった。
 冥鏡死翠(めいきょうしすい)の力が、里村の魔剣開放を妨げた。
 そして、
「さようなら、お嬢さん」
 中年男が優しく囁いた。
 次の瞬間、里村の姿が消えた。
 まるで最初からいなかったかのように、一瞬にして消えてしまったのだ。
「素晴らしい技能ですね」
 声を出したのは紳士、リチャードだった。
「まさか空間使いとは思いもよらなかった。雷撃、爆発、火炎、全ては別の空間から引っ張ってきたということですか」
「わかりましたか、さすがですね」
 答える中年男。
 そう彼、草津義男は空間の属性を持つ魔剣を操る魔剣士だった。
 その能力は空間歪曲。
 本来なら別の場所と別の場所をつなげ、思い通りの現象を引っ張ってくる魔剣だ。
 この地球上でどこかでおこっているだろう現象をそのまま攻撃に転用する能力者。
 そして、空間操作は遠くのものを近くに運ぶだけではなく、近くのものを遠くに運ぶことすら可能なのだ。
 中年男は冥鏡死翠(めいきょうしすい)の発動前に、外界に繋がるゲートを作り出していた。
 そして、そのゲートでそのまま利用し、里村を別の場所に飛ばしたのだった。
「お嬢さん、どこに飛ばしたのですか?」
「この町の外、もうすぐクロウ・カードが大結界を張りますしね」
「なるほど、お嬢さんの命を助けるとは」
「結果的にそうなっただけです、赤の魔術師を救える彼女の存在は邪魔でしかありませんしね」
 草津の言葉に、リチャードはくぐもった笑いを漏らす。
 そしてリチャードは、手にしていた杖を草津に向けて構える。
「お嬢さんがいなくなり結界の力も消えました、もう少し楽しみましょうか」
「残念ながらお断りいたしましょう」
 そう口にした瞬間、草津は別の空間から強風を引っ張ってきた。
 吹き荒れる風に吹き飛ばされる煙。
 煙がはれると、そこにはリチャードと草津の姿があった。
 吹き飛ばした煙は一部、激闘を繰り広げる青年と相沢は未だに煙の中だ。
「ほぉ、お互いに正々堂々と戦おうと?」
「まぁ、そんなところです」
 おどけながら答える草津。
 そんな草津を前にして、リチャードは自らの輝光を高め始めた。
「申し訳ありませんが、決めさせていただきます」
 リチャードの言葉と同時に、その輝光が爆発的に膨れ上がった。
 ここにいたり、草津はリチャードの能力を理解する。
 彼の能力は輝光操作、つまるところの輝光使いだ。
 杖は媒介、杖に輝光を一点集中し、爆発的な突破力を作り出す。
 水鉄砲の穴は小さいほうが水は飛ぶ。
 輝光に関しても同じ事が言え、その一点集中を助けるためにあの杖は存在する。
「なら、私もいかせてもらいます」
 草津が自らの輝光を高める。
 リチャードを真正面から迎え撃つべく、己の輝光を高め始める。
 もはやお互いに相手しか見えていなかった。
 決着は恐らく一瞬、ほんのわずかな隙で勝負は決まる。
 そして、甲高い音が鳴った。
「な……」
 リチャードが最後に口に出来た言葉はそれだけだった。
 力を失い、リチャードは前のめりに倒れる。
 アスファルトの地面に転がる体。
 横を向いて倒れる彼の顔、その額には、どす黒い一つの点が穿たれていた。
 草津は笑みを浮かべながらほぼ一キロ先にあるビルの屋上に目をやる。
 そこにはまるで米粒のように見える、ライフル銃を握り締めた男の姿があった。
 異層空間殺しにしてクロウ・カードの陣営に所属していたライフル銃の男。
 狙撃手(スナイパー)の藤堂真二であった。
「よくやってくれました、スナイパー」
 歪んだ笑みを浮かべる草津。
 そう、草津の目的はスナイパーによる狙撃だった。
 そのために煙を吹き飛ばし、スナイパーに有利な状況を作り上げたのだ。
 リチャードの絶命を一目で確認すると、草津は仲間である青年を援護するために煙に向かって進もうとする。
 が、その足を止めた。
 すでに勝負が決していたからだ。






「爆っ!」
 繰り出された一撃は青銅の盾によって防がれる。
 だが、輝光によるダメージは軽減できるそれも、盾に伝わる衝撃までは殺しきれなかった。
 すでに青年の左腕は奇妙に折れ曲がっていた。
 それでも青年は折れた腕に取り付けられた盾で爆発を防ぎ続ける。
 戦いは持久戦に突入していた。
 もちろん、相沢にとっても苦しい展開だった。
 速射できるという性能を持つ魔眼だが、その代償は桁外れの輝光消費だ。
 詠唱と言う工程を無視して術の強制発動を行っているために、無駄に浪費する輝光の量は計り知れない。
 一撃を放つごとに、相沢の疲労は蓄積していく。
 さらに二つの魔眼の併用によって、相沢の体力はさらに削られていった。
 両者とも完全に決め手に欠いていた。
 相沢の爆発は青銅の盾を突破できない、突破可能な威力を出そうにもその時間を青年は与えない。
 かといって速射される爆発を前に青年は攻めあぐねていた。
 防ぐ事は非常に難しく、一度無理して接近したせいで兜を砕かれ頭部に軽傷を負うというミスまで犯した。
 彼の兜は被るものの姿を透明にする能力を有する。
 青年は自身の身を守る魔剣をこの戦いの中で失っていたのだった。
 お互いに決めてのないままにらみ合いが続く。
 と、そんな時だった。
 里村の悲鳴が聞こえた。
「里村!」
 相沢の意識が一瞬、青年からそれた。
 そして、それを逃す青年ではない。
 青年は、瞬く間にその距離を詰め、
「甘いんだよ!」
 が、相沢の術はそれをさらに上回った。
 とっさに青銅の盾をかざしたおかげで助かりはしたものの、青年は五メートル近くの距離を吹き飛ばされた。
 一瞬気がそれたのが、逆に素晴らしいカウンターとして作用した。
 激しく地面に打ち据えられ、青年の呼吸が一瞬止まる。
 チャンスだった。
 相沢はこの機を逃さず輝光を集中、青銅の盾で防げない規模の爆発を生み出そうとしていた。
 初撃は中年男、草津の防御呪文との併用で防がれたが、今草津は青年の援護は不可能。
 だからこそこれは必殺。
 解き放たれれば、確実に青年を殺す悪夢の一撃。
「がああああぁぁぁぁ!」
 しかし、
「お前はっ!」
 彼の鬼札であった一撃は、
「があぁっ!」
 発動することさえできなかった。
 鋭い衝撃、そして致命的な痛みが左肩からわき腹にかけて走った。
 巨大な爪は相沢の胴を半分以上斬り裂き、相沢に確実な致命傷を与えていた。
 その爪には切り裂いた時に付着した脂肪、血液、そして内臓が付着する。
 心臓すらも切り裂かれていた。
 相沢の寿命はあとわずかだ。
 かすれる目を開き、相沢は自分を殺した相手を視認しようとする。
 そして見た。
 その姿はまさに竜。
 直立歩行をする筋骨隆々たるその竜人。
 巨大な爪、鋭い牙、そして天を翔ける背中の翼。
 殺気に満ちた禍々しきそのドラゴン。
 それが、相沢が最期に目に焼き付けたこの世界の風景だった。






 煙がはれる。
 爆煙は消え去り、戦いは終わりを告げていた。
「ご苦労です、英雄」
「終わったな」
 煙が晴れ、青年が姿を現した。
 地面を見る。
 そこには胸を抉られた相沢の姿。
 獣の爪に引き裂かれたその死体は、見るも無残であったが、一撃で仕留められ捕食されなかっただけでもマシだろう。
 と、青年が草津の側に転がっている死体に目をやる。
 そこには額に銃創を作った紳士の死体。
「スナイパーがやってくれたようだな」
「なかなかの使い手です、やはり異層空間殺しはあなどませんね」
「全くだ」
 答え、青年は周囲を見回した。
「一人、逃したな」
「あの獣憑きですか?」
「恐らく二対一の状況だから撤退を選んだのだろうが、危なかった」
「あなたほどの男がそこまで評価するのですか?」
 青年に対し、草津が興味深げに尋ねる。
「ああ、あの魔眼師を一撃の元に葬り去った。しかも輝光を使うのではなく物理による攻撃を得意とする異能者だ。この腕では勝てない」
 言って青年は左腕を見せる。
 肘の先からあり得ない方角を向いている。
「クロウ・カードに治してもらいなさい、山の教会にいるはずです」
 言って草津は、美坂町にあるもっとも高い山、標高二百メートルの天辺に立てられた教会の方向に視線を向ける。
「大結界、そろそろ展開の時間ですね」
「まだ不意打ちも可能かも知れんぞ」
「無理です。いや、可能かもしれませんがそうもいかない」
「どういうことだ?」
「あの里村とかいう魔剣士をこの町の外に飛ばしました、下手をすると戻ってくるかもしれません」
「そこまでの使い手なのか?」
「彼女は結界使いです、彼女に私は一時的に術式を制限させました。あの状況で勝利するには持っていた術で外に送るのが精一杯でした。が、町の外には飛ばしましたので、後は戻って来れないようにするだけで彼女の無力化には問題ありません」
「なるほど、下手な危険を冒すよりはよほど賢いわけだ」
 青年はおとなしく納得する。
 彼らの最も恐れる事態は二つ。
 一つは魔術結社本部からの応援。
 もう一つは赤の魔術師の復活だ。
 魔術結社の応援部隊が到着しても大丈夫なように、クロウ・カードはこの町に大結界を展開し、外からの侵攻に備える構えが出来ている。
 が、中に残った異能者に手こずる事態を恐れ、結界展開までに出来る限り多くの魔術結社の人間を排除しようとした。
 しかし、それ以上に大切なのは一度は無力化した赤の魔術師の再来の阻止だ。
 そしてそれが可能な能力者は限られており、この町に存在して赤の魔術師を解放する理由があるのは里村という女性ただ一人。
 ならば、この女性の無力化は何よりも優先されるべきである。
 草津は、殺害こそしそこねたが彼女をこの町の外に飛ばす事に成功した。
 なら、あとは結界を張り彼女を戻って来れなくさせれば十分。
 そう考えていた草津は、教会に移動していたクロウ・カードに結界の発動要請を考えていたのであった。
「英雄、この後の指示は何か受けていますか?」
「あぁ、クロウ・カードからは聞いていないが歌留多からは指示を受けている」
「手伝いましょうか?」
「いや、私一人で十分だろう」
「そうですか、ではその仕事が終わり次第、山の教会に集合してください。そこが我々の防衛拠点となります」
「そうか、やはり儀式はあの教会で」
「全ては世界の再生のために、あなたの尽力に期待していますよ」
 そう口にすると同時に、草津の姿がその場から消失した。
 草津は空間を操る。
 空間を捻じ曲げ、草津は一瞬にして山の教会へと移動してしまった。
「さて、私は私の義務を」
 そう言うと、青年は鏡内界の出口へ向かい歩き始める。
 と、一度だけ振り返る。
 地面には二つの死体。
 わずかに表情を曇らせ、それでも意志を強く、彼は死体に背を向けて歩き始める。
「全ては世界の再生のために……か、少し歪んでいる気もするな」






「がぁ、くそっ」
 血にまみれながら、ドラコはその部屋に戻ってきた。
 両腕は赤く染まり、目は血走っている。
「なんだ、お前ら集まってんのか?」
 顔に張り付く渇いた血液をはがしながら、ドラコはその場にいる全員を見回した。
 そこは、赤の魔術師を無力化した直後にヴラド一派が終結したビルの一室。
 イスとテーブル、そして小さな本棚だけという家具が少ないために小さな部屋だがなかなか広く見える。
 おのおの好きな場所で休憩を取っていた五人の人間が、部屋に現れたドラコに視線を集中させた。
 そんな中、ヴラドが口を開く。
「リチャードはどうした?」
「取られた、生き残ったのはオレだけだ」
 部屋に入ったドラコは、それだけ言うと床に倒れ付した。
「ターニャ、治療してやれ」
「わかりました」
 ヴラドの指示を受けると、茶色い髪をした三十代半ばのその女性、ターニャはヴラドに歩み寄り、治癒の術をドラコに施し始める。
「さて、どういたしたものでしょうか?」
 イスに座るヴラドに、カラスアゲハが声をかける。
「私が偵察してきたところ、魔術結社の桂原という男がアルス・マグナに寝返りをしたようです。こちらの兵力は六、魔術結社の兵力は三、アルス・マグナは十残っています。もし、このまま魔術結社の尖兵を無傷で全滅させたとしても」
「こちらの戦力は向こうの半分ほど。このまま戦い続けるのは不利だな」
「そう思われます」
 冷静なヴラドの言葉に、カラスアゲハは安心していた。
 この状況にあっても、ヴラドの知能は衰えを見せていないようだ。
「どうしましょう、いまから標的をアルス・マグナに切り替えますか?」
「いい考えだが、やはり数の差でこちらの不利は否めんだろう」
「では?」
「策がある、起死回生の策がな」
 その言葉がヴラドの口から発せられると、カラスアゲハとブラバッキーが笑みを浮かべる。
 さらにこの部屋にいる最後の人間、背中に巨大な剣を背負う男すらもその笑みを共有した。
 ヴラド一派の奇策。
 それはこの戦いの、序盤戦の終わりを告げるものであった。






「ご飯を食べたら歯磨きをしましょう」
 それが、二分前に数騎が言われた言葉だった。
 洗面台を前にして、数騎は歯を磨いていた。
 正直機嫌が悪い。
 理由は簡単だ、数騎は一日に一回しか歯磨きをしない主義の人間だったからだ。
 数騎の歯磨きは通常朝食後にする一回だけ、それで六年虫歯なしを通してきた。
 数騎の歯磨きは非常に丁寧だ。
 毎回十分に近い時間を歯磨きに費やすため、一日一回にしないと歯がツルツルになりすぎて気分が悪くなるのだ。
 虫歯もないし、磨きたくないとダダをこねたのだが、神楽は数騎に歯磨きを強要した。
 神楽にはとことん弱い数騎は、結局ごり押しされて歯磨きの真っ最中。
 毒づきながらも、なんだかんだで丁寧に歯を磨いている。
 歯を磨き終え、数騎はうがいを済ませると神楽の待つ居間に戻った。
「終わりましたよ」
 磨いたばかりの白い歯を見せつけようと口を開く数騎。
 が、彼の言葉に答える者はいなかった。
「あれ? 神楽さん?」
 部屋中を見回す数騎。
 だが、返事が聞こえない。
 訝しみ、数騎は玄関に靴を調べに言った。
 神楽がいつも好んではいている下駄がそこにはあった。
 外出はしていない、神楽さんはこれしか外履きを持っていないのだから。
 そう考え、数騎は窓から外に出たのかと窓の方を見る。
 そして、その姿を瞳に捉えた。
 窓ガラス、そこ映る二人の人影。
 移っているのは青年、力なく左腕をたらした状態で、なぜか右手だけで女性を脇に抱えている。
 腰の辺りに手を回されて青年の脇に抱えられている女性。
 それは、
「神楽さん!」
 驚き、数騎はとっさに後ろを振り返る。
 が、そこには誰もいない。
「鏡内界!」
 数騎がそう口にすると同時に、神楽を脇に抱えた青年は窓ガラスから消えてしまった。
 おそらく体が窓ガラスに映らないところに移動したのだ。
「間に合え!」
 数騎はとっさに洗面所に戻り、洗面台についているガラスに体ごと突っ込んだ。
 窓ガラスは木の枠が邪魔をして鏡の世界に入るには大きさが足りないからだった。
 案の定、鏡の世界と繋がっていたそのガラスは、数騎を鏡内界へと誘う。
 数騎はすぐさま居間に戻った。
 それは、ちょうど青年が神楽を抱えたまま窓を開き、右足を窓にかけているところだった。
「待て、神楽さんをどうする気だ!」
 叫ぶ数騎。
 そんな数騎に、青年は振り返りながら口にする。
「鍵を握る者か、少なくとも私にはそうは思えんが」
「何言ってんだ?」
 思わず聞き返す数騎。
 そんな数騎に対して興味もないのか、青年は神楽を脇に抱えたまま窓から飛び降りる。
「何してんだ!」
 ここは二階、普通に飛び降りて平気な高さではない。
 しかも人間一人抱えてなど自殺行為だ。
 が、それは数騎の杞憂にすぎなかった。
「なっ!」
 飛んでいた。
 そう、その青年は地面に激突せずに宙に浮いていた。
 輝光の感知の仕方を知らない数騎にもなんとなくわかる。
 彼の体を浮かべている力が、彼のはく翼の装飾を施された靴から放出されているということに。
 青年が足を動かした。
 それに呼応するように、青年はその体を上昇させ天高く舞い上がると、そのまま一直線にこの町で一番高い山、教会が建つその山に向かって一直線に飛び去ってしまった。
 数騎にとって幸運であったのはその山が窓から見て取れる方角にあったことだ。
 おかげで数騎はこの後、神楽を探す場所をあの山と限定することができた。
 が、今の数騎はそんなことを考える余裕などなかった。
 いきなり現れた男に、容赦なく平穏を叩き壊されたのだ。
 薬によって不安定になっていた数騎は大声をあげてわめいた。
 わめき、騒ぎ、泣き散らし、窓ガラスを全部叩き割った後、数騎はようやく平静を取り戻す。
「誰だか知らないが、神楽さんに手を出すなら黙ってるわけにはいかない」
 そう言うと、数騎はポケットにしまっておいた折りたたみ式の短刀、ドゥンケル・リッターをとりだすと右手でその柄を強く握り締める。
「絶対にぶっ殺してやる!」
 その誓いは激しく、数騎の憎悪は薬物による影響もあって最高潮に達していた。
 と、数騎はあることを思い出した。
 ずっと忘れていたそれ。
 数騎は自分のタンスに向かって歩いた。
 引き出しを開ける。
 中には自動拳銃が入っていた。
 それはクリスを襲ったヤクザたちの死体から回収した銃であった。
 かつて二会堂が柴崎に、数騎たちがヤクザたちを殺戮した事件について話した時、拳銃をヤクザたちが所持していないと言う話が出た。
 しかし、実際にはヤクザたちは拳銃を持っていた。
 なぜ二会堂が知らなかったか、数騎が持ち去ったからだった。
 弾丸は一発しか入っていない。
 しかも、鏡内界では拳銃は使えない。
 それでも、何かの足しになるかもしれない。
 そう思い、数騎はいつも持ち歩くナイフだけでなく、その拳銃も持っていくことにした。






 音が聞こえる。
 誰かの話し声。
 目が見えない。
 いや、目を開いてなかっただけだ。
 ゆっくりと目を開ける。
 まぶしかった。
 少ししか目が開かない。
 と、体が柔らかいものに触れていることに気付く。
 横になっていた体を起こしながら下を見る。
 白いシーツ。
 どうやらベッドに寝かされていたようだ。
「おや、目が覚めましたか?」
 男の人の声。
 ようやく目がはっきりとしてきた。
 周りを見回す。
 白を基調とした鮮やかな模様の壁紙の部屋。
 広いその部屋には二つのベッド、自分の寝ているものともう一つ。
 そして、イスに座る目の前の男の人。 
 その男の外見は一言で言うと、サラリーマン。
 二十代後半らしい顔だちなのだが、見事にワックスで固めた七三分けヘアーに、ビシッと決まったスーツとネクタイに加えて、黒縁メガネとくればサラリーマンとしか言いようが無い。
 その横に置かれているテニスラケットのケースに違和感があるけど、絵に描いたようなサラリーマンだった。
「あなたは?」
「どうも、見縞継走(みしまけいそう)と言います」
 丁寧に頭をさげる見縞。
「あなたは、ランページ・ファントムの里村さんですね?」
「は、はい」
 ぼんやりしていた里村は、名前を呼ばれることでようやく意識がはっきりした。
 再び周囲を見回す。
 そこは生活感のない部屋。
 それはそうだろう。
 だってここは、ほんの数日外来者が宿泊するために存在するホテルの部屋なのだから。
「ここ、どこですか?」
「水無瀬町のビジネスホテルです、いやはや自分も困り果てているのですよ」
 両手を小さく広げ、わざとらしく困ったように見せる
「美坂町で異常が発生したとの話を聞きまして、仲間を連れて美坂町まで向かおうと思ったのですが、美坂町に進入できないのですよ」
「どういうことですか?」
「それがですね、美坂町全体に妙な巨大結界が展開されているのです」
「結界?」
「はい、力を持たない人間は平気ですが、少しでも輝光を操れる人間は一切侵入不可能というおかしな結界が張られているのですよ」
「増援が来ていると聞きましたが……」
「無駄でした、味方には凄腕の結界使いもいましたが、なんとも」
「わ、私も結界ならそこそこ扱えますが」
「無理でしょう、あの結界の数値は三百を超えています」
「三百も……」
 それは通常の人間には放出不可能な数値。
「でも、人数を集めればそれくらいの数値に対抗することは」
「可能でしょうね、ただし術の源泉に問題がありまして」
 眼鏡の位置を直しながら見縞は続ける。
「確かに結界の破壊自体は可能でした。ですが、あの結界は常に再生を続ける類の結界でした。砕いても砕いても再生します。おそらく美坂町の霊脈から輝光を吸い上げているのでしょう。土地の生命力は人間のそれよりも大きい。結界の破壊には力ずくではなく技術で挑まなくてはならないでしょう。
 おそらく、魔皇剣の使い手でもなければ手に負えません」
「そんな……」
 絶句する里村。
 そんな里村に、見縞はさらに気の重くなる言葉を口にした。
「ヨーロッパ戦線は激化を辿る一歩です。魔術結社『守護騎士団』は三人の魔皇剣士を保有していますが、『聖女』『天空の大鷲』はともにヨーロッパに釘付けにされています」
「そうだ、あと一人!」
「そうです、里村さん。わが守護騎士団はもう一人魔皇剣士を保有しています。アルカナの使い手、クロウ・カードの異名を持つ魔術結社ナンバー2の男が」
 そこまで言って言葉を切り、見縞はさらに続けた。
「クロウ・カードはあの町にいます、おそらく今回の事件は彼の警戒していたヴラド・メイザースが引き起こしたものでしょう。安心してください、クロウ・カードはこのような事態が起こっても問題のないようにあの町を訪れていたのです」
「………………」
 見縞の言葉に、里村は何も言葉を口にすることができなかった。
 今、町で起こっている異変。
 それが、これ以上の被害を出すことなく終わりを迎えるとはとてもではないが考える事ができなかった。






魔術結社    残り三人(相沢戦死、里村事実上戦闘不能)
ヴラド一派   残り六人(紳士、銃弾により戦死)
アルス・マグナ 残り十人


















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