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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第五羽 協定
第五羽 協定
「おい、何だこれは!」
柴崎は思わずそう叫ぶ。
ソファに座っている薙風は、ソファから立ち上がった柴崎を片目だけ開いて見つめていた。
「結界、バカな! これだけの規模だと」
柴崎はコートかけに向かって歩いていくと、自分のコートの中から仮面を一つ取り出した。
被り、能力を発動する。
それは魔術師の仮面。
魔術師としては未熟な柴崎の能力を底上げするものであった。
「なんだ、この感覚は。どれほどの数値……これは地形結界か」
地形結界、それは魔術師個人の力だけではなく土地の力を用いた結界のことを指す。
魔術師個人が張る結界には限界があり、長時間張る事ができないが、土地の力を用いれば長時間の展開も可能となる。
八月に丘の上の屋敷で展開されていた結界もこの地形結界の一種であると言える。
「だが、威力が段違いだ」
思わず口にする。
だって、そう。
規模も威力も比べ物にならなかった。
結界の範囲は恐らくこの町一帯に及ぶだろう。
数値は三百、とても通常の異能者に突破できるものではない。
「柴崎さん!」
私室から事務所に麻夜がやってきた。
柴崎は仮面を外し、麻夜に顔を向ける。
麻夜は周囲を見回しながら、緊張したようすで口を開いた。
「何が起こっているんですか? 魔術師でない私には何とも」
「誰かがこの町一帯に広域結界を張ったようです。かなり強力な地形結界で、数値はおよそ三百」
「三百……魔皇の仕業ですか?」
「おそらくは。それにしても、外に出た仲間達が心配ですね」
「赤の魔術師も、時間を過ぎているというのに来ていません。いったい何が起こっているのでしょうか?」
「わかりません、ですが看過できないということには違いはないでしょう」
と、そこまで口にした瞬間だった。
事務所のチャイムが鳴り響いた。
柴崎と麻夜は思わず顔を見つめあい、一言も口にせず頷きあった。
麻夜は事務所の机の中から絶鋼剣を、柴崎はコートの中からアゾトのカタールと黒銃を取り出した。
二人は武器をいつでも使える状態で準備すると、ゆっくりと玄関に向かって歩いていく。
その後姿を、ソファに座る薙風が心配そうに見つめていた。
「綱野さん、開けます」
言って、柴崎が扉を開けた。
瞬間、柴崎は背中のほうに隠していた黒銃を来訪者に突きつけた。
そこに建っていたのは黒き服を纏う女性。
忍者という形容が似合う細身の女性、カラスアゲハだった。
「カラス、何の用だ!」
銃口を突きつけ叫ぶ柴崎。
そんな柴崎に、カラスアゲハは落ち着き払った声で応じた。
「あなたたちに話がある」
「話? こっちにはないな」
「そうも言ってられないと思うわ。この結界、気付いているんでしょう」
「お前達の仕業なのか?」
「違うわ、とりあえずは」
カラスアゲハのその言葉を聞くと、柴崎は突きつけていた銃口を下に下げた。
が、迸る殺気はカラスアゲハが変な行動を取った瞬間にその命を奪うと明確に告げていた。
「話とは何だ、言ってみろ」
「あなたたち、今この街で何が起こっているかわかってる?」
カラスアゲハのその言葉に、柴崎と麻夜は息を飲んだ。
この探偵事務所は外敵に対して有利に働くように防御結界が張ってある。
が、この結界には副作用がありちょっと位の輝光の動きは事務所の中から感じることができない。
そして、カラスアゲハの言葉で、柴崎たちは自分達が知らないうちに何事かが起こっていることにようやく気がついた。
「何か、起こったって言うの?」
尋ねる麻夜。
愚問ではあるが聞かずにはいられなかった。
「起こっているわ、全部教えてあげる」
「ヴラドの配下が言う言葉を信じろと?」
カラスアゲハを睨みつけながら口にする柴崎。
そんな柴崎に、カラスアゲハはため息をつきながら言った。
「じゃあ教えない、一応聞いておいたほうがいいと思ったけど」
「いいだろう、なら話してもらおうじゃないか」
「いいわよ、ただし条件があるわ」
「言ってみろ」
急かす柴崎。
そんな柴崎にカラスアゲハは堂々と言った。
「あなた達と会談を申し込むわ、こちらの代表は二名。私とヴラド・メイザースよ。場所はこの結界の中。どうかしら?」
カラスアゲハの言葉に、柴崎と麻夜は息を飲んだ。
他人の結界の中に入る。
それはつまり、相手の持つ全ての力をその身に受ける覚悟があってのことだ。
結界使いが強いとされている理由は、自分の作り出した世界で戦える有利さがあってのこと。
相手の結界が張られている領域に侵入することは、それほどまでに不利をこうむる行為なのだ。
だというのに、ヴラドは護衛一人で事務所の結界に入るのだという。
罠か、それとも本当に話がしたいだけか。
柴崎は数瞬思考を巡らせると、麻夜に視線を向けた。
麻夜は少しだけ考え、口を開いた。
「乗りましょう、この町に張り巡らされた結界が気になります。それに」
「それに?」
尋ねる柴崎に麻夜は静かな声で続けた。
「もし何かあっても、一瞬で私がヴラドの息の根を止めます」
「綱野さん、あなたはそれほどの実力を持っているのですか?」
「後で教えてあげますよ」
思わせぶりな麻夜の言葉。
どうも釈然としなかったが、カラスアゲハの提案を断る気にはならなかった。
「わかった、会談を受けよう。ヴラドを連れてきてくれ」
「おい、目を覚ませ」
声が聞こえた。
頭を左右に振り、ゆっくりと目を開く。
ぼやけた目、だが次第に視界が晴れてきた。
そこは小さな部屋。
石造りの天井に、石造りの床、石造りに壁、眼前には鉄格子が存在し、さらに奥には石の壁に突き立った燭代。
燭代に突き立った蝋燭の頂点で炎がゆらゆらと揺れる。
と、その蝋燭の光をさえぎるものが存在した。
それは人。
日本人とは思えないその長身の青年は、やはり日本人ではなかった。
高い鼻に茶色の髪。
青年は、鉄格子の向こうからこちらに声をかけてきた。
「目が覚めたか」
「ここは?」
心配そうに周囲を見回す神楽。
そんな神楽に、青年は落ち着き払った声で尋ねた。
「桐里……神楽か?」
「はい、そうですけど」
「そうか、お前は桐里神楽か」
「?」
変な問いかけに首を傾げる神楽。
と、手元で金属がこすれる高い音が聞こえた。
下を見ると、両手首に手枷がつけられ、それが鎖につながり壁に取り付けられている。
そこまで見て、ようやく神楽は自分がどうなったかを思い出した。
突然現れたこの青年に延髄に手刀を叩き込まれ気絶し、その間にここに連れてこられたのだ。
手刀に部分について神楽は見えなかったので確かではなかったが、とりあえず青年のせいで気絶したことだけは確かだった。
「あの、私になんの用ですか?」
尋ねる神楽。
そんな神楽に、青年は腕を組みながら答えた。
「私に用はない、用があるのはお前の妹だ」
「妹?」
「桐里歌留多という名だが、知らないのか?」
「えっと、私に妹なんていませんよ。私は一人っ子でしたし、母も幼い頃に亡くなりましたから天涯孤独の身なんです」
父は、と青年は聞こうとはしなかった。
そんなことはいらぬ詮索だと思ったからだ。
「本当に、お前は自分の妹を知らないのか?」
「し、知らないです。私に、妹がいるんですか?」
「いる、それは間違いないだろう。いや、それ自体が偽りか? さぁな、自分の胸にでも聞いてみるといい」
「どういうことですか?」
「いつかわかるかもしれないし、わからぬかもしれない。全ては世界の流れのままに、そうとしか言えんし言う気もない」
それだけ言うと、青年は歌留多に背中を向けてこの牢屋の部屋から出て行ってしまった。
神楽は自分の腕をつなぐ手枷を見て大きくため息をついた。
わけがわからなかった。
なぜ自分があの青年にさらわれたのか。
なぜ、手枷をされて牢屋に閉じ込められているのか。
そして、
「どうして、これが予知できなかったの?」
おかしかった。
予知はどんな時も、かならず自分の身に危険がある事柄を教えてくれるからだ。
そういえばこのようなことは前にもあった。
八月、立体駐車場での出来事。
自分があれだけ危険な目にあうと言うのに、予知夢は何も教えてくれなかった。
そして、今度も。
わからないことはもう一つあった。
なぜあの時の記憶がないのか。
そして、なぜ数騎のアパートに向かおうとしていたことより前の記憶さえもないのか。
神楽には何もかもがわからなかった。
おかしいことはまだあった。
自分が働いていた丘の上の屋敷は娼館だ。
自分は間違いなくそこで働いていたはずなのだ。
初体験などとっくの昔にすませているはずだった。
だと言うのに、数騎と交わった時、強烈な痛みを感じた。
もうわけのわからないことばかりだ。
その上、自分には生き別れの妹がいるという。
もう、神楽は自分の周りで何が起こっているのか完全に理解できなかった。
これからどうなるかという不安を感じながら、神楽は揺れる蝋燭の炎をただ、じっと見つめ続けていた。
「久しぶりだな、仮面使い(ウィザルエム)」
「用件を言え、貴様の顔はそう長く見ていたいものではない」
ばっさりと切ってみせる柴崎。
そんな柴崎に、ヴラドは楽しそうな笑みを浮かべた。
カラスアゲハの来訪から五分後、ヴラドは事務所に訪れ、ソファに座り柴崎たちと会話を始めていた。
事務所の結界が戦闘用に作動しないよう、輝光を漏らさず行動できるカラスアゲハによって交渉が成立し、柴崎たちはヴラドを敵ではなく来訪者として結界の中に受け入れたからだった。
「それで、こちらに言いたい事はなんだ?」
柴崎は睨みつけるようにしてヴラド、そしてその隣に座っているカラスアゲハに目をやった。
ヴラドはひげを撫でるように触ると、柴崎の隣に座る薙風、そして麻夜を一瞥すると、柴崎に視線を戻す。
「時に、お前達の仲間は他にいないのか?」
「外出中だ」
「本当にそう思うか?」
「どういう意味だ?」
語気が荒くなる。
そんな柴崎を、ヴラドは手で制するようにして押し留める。
「まぁ待て、まずは順番に話してやる」
笑みを漏らすヴラド。
柴崎は口をつぐみ、ヴラドが話を切り出すのを待った。
「では話そう、この町には退魔皇剣がある。知っているな?」
「話しはな、だがこの世界にある退魔皇剣は全て消滅したと聞いたが」
「そう、確かに消滅した。この地で、間違いなくな。それは確かだ。そう、この地で消滅した。だからこそ退魔皇剣を手に入れるにはこの地でなければならない」
「どういうことだ?」
「そこまで教えてやる義理はない、後は自分で調べるといい。重大なのはこの地に退魔皇剣があり、そしてそれを私とある男が奪い合っているということだ」
「ある男?」
「クロウ・カード」
ヴラドがそう言った瞬間、柴崎はソファから立ち上がった。
鬼気迫る表情。
殺気あふれる柴崎に、薙風は思わず怯え、ヴラドは身に浴びる殺気に楽しそうに笑みを浮かべる。
「養父さんが、退魔皇剣を?」
「そうだ、あの男は退魔皇剣を狙って動いている。昔教えてやった十数年がかりで界裂を手に入れようとしていた連中とはクロウ・カードとその配下たちのことさ。そうそう、お前達にわかりやすく言ってやるならばアルス・マグナとでも言ったほうがいいか?」
「アルス・マグナだと!」
眉をつりあげる柴崎。
そんな柴崎の顔を見て、ヴラドは嬉しそうに話を続ける。
「そうだ、お前の養父であるクロウ・カードはアルス・マグナの闇の救世主だ。ヤツはこの世界のパワーバランスを崩すために退魔皇剣を手に入れようとしているぞ、世界を再生するためにな」
「バカな、養父さんはそのアルス・マグナを打倒するための組織に入っているんだぞ!」
「敵の目を欺くためだろう? あの男はアルス・マグナの大幹部、魔術師クロウ・カードだ。あの魔術王からじきじきに『法の書』を与えられた男だぞ」
「法の書?」
「それなりに予測はついていただろう? これだけ強力な結界を張れるのは魔皇剣『法の書』と同クラスの魔剣一つか二つ。おのずと選択肢は限られてくる」
「養父さんが、法の書を使ってこの結界を?」
「そう、その通りだ。これだけ強力な結界なら外部から侵入者は入って来れない。そして界裂を入手するための儀式は今夜、夜十二時に完了する」
「ばかな、十二時だと!」
柴崎は思わず時計に目をやった。
時刻はすでに午後七時を指している。
残った時間を知って驚いている柴崎に、ヴラドは声をかけた。
「タイムアウトは近い、その上増援は来ない。この町に存在する異能者の数は限られている。残りは十九人と言ったところだ」
「十九人、敵は何人だ?」
「私達も含めてか?」
自分を指差し問うヴラド。
柴崎は露骨に機嫌の悪そうな顔をした。
「お前達を含めずにだ」
「十人」
「なんと……」
柴崎は驚きを隠せなかった。
敵の数が圧倒的に多すぎる。
その上、自分達が束になってかかっても勝てるかさえわからない魔皇剣の使い手、クロウ・カードさえいるのだ。
待て、アルス・マグナの闇の救世主だけで十人。
「ヴラド、先ほどの続きだ。私達の仲間は……」
「もうお前達しか残っていない」
「そんな……」
ヴラドのその言葉に、薙風は思わず息を飲んだ。
「話してもらおうか?」
睨みつける柴崎の眼光がさらに鋭くなった。
「おお、怖い。そんなに睨み付けないでもらいたい。別に私が殺したわけではない」
「あなた達の仲間がどうなったかは私が話すわ」
声はカラスアゲハのものだった。
「私は気配を隠して一連の戦いは全て見ていたわ。何が起こったか話してあげる」
そして、カラスアゲハは話しはじめた。
クロウ・カードによって赤の魔術師が無力化されたこと。
桂原が裏切ったこと、そして座間が殺害されたこと。
剣崎が殺されたこと、相沢が殺されたこと、そして里村が空間転移によりどこかに消えてしまったこと。
「桂原が裏切っただと!」
「ええ、彼は座間を後ろから殺したわ。そしてそれを見ていた剣崎は別の異能者に殺された」
「それで、相沢も殺され、里村は行方不明」
「死亡が確認されなかっただけマシね。少なくともこの町に死体は落ちてないと思うわよ、ヴラドの捜索呪文に引っかからなかったもの」
カラスアゲハはあっさりとした感じで答えた。
柴崎は思案に暮れていた。
戦力に開きがありすぎる。
こちらは三、ヴラドたちは六、そしてアルス・マグナは十。
ここまで大きな騒ぎを起こしたとなれば界裂の存在は九割以上の確率で事実なのだろう。
アルス・マグナに渡すわけにはいかない。
が、それはあくまでヴラドたちの言葉が真実かどうかということにかかっている。
この話が罠だとすれば、どんな事態が待っているかなど考えたくもなかった。
「その話が本当だとして、お前達は私達に何を望むのだ」
「共闘を」
「共闘だと?」
「そうだ、私達はアルス・マグナの連中が界裂を開放するのを待ち、それを横取りする気でいた。が、敵の戦力は予想以上だった。私達も仲間を三人失った。敵を減らすどころか、そっちの桂原という魔術師の裏切りで戦力はさらに増えた。もう、私の手勢だけでは勝利がおぼつかない」
「そこで、私たちに白羽の矢がたったと」
「そうだ、お互いにいい条件だと思うぞ。お前達はアルス・マグナに界裂を渡したくない。そして私達もそう考えている」
「お前達にも渡す気はない」
「それはそうだろう、ならばお前達は私達の妨害でもするといい。だが、私達は争ってしまえば喜ぶのはアルス・マグナの連中だ。私達と諍いあうのはアルス・マグナの連中を撃破してからでも遅くはない」
と、その時だった。
事務所の電話が鳴り響いた。
柴崎は正面のヴラドに視線をやる。
ヴラドは顎で机の上の電話を指し示した。
柴崎は席を立つと、受話器をとり耳に当てる。
「はい、こちら綱野探偵事務所」
「柴崎さんですか?」
「里村か!」
その言葉に、薙風が嬉しそうな顔を見せた。
柴崎はそんな薙風に労わりの言葉でもかけてやりたかったが、そんなヒマはなかった。
「里村、今どうしている?」
「アルス・マグナ、それにヴラド一派と交戦して、この町の外に飛ばされちゃいました」
「アルス・マグナ、本当だったのか」
「本当だった?」
「あぁ、いまヴラドと話をしていた」
「ヴラドと?」
「そうだ、アルス・マグナの撲滅に力を貸してほしいとほざかれた」
「協力するのですか?」
「まずは聞きたい、他の仲間は?」
「わかりません、相沢さんが戦っている最中に私は町から飛ばされてしまいました。残りの方には会っていません」
その言葉で確信した。
おそらくヴラドの言葉は真実だ。
仲間はみな戦死か戦闘不能。
この町で味方の異能者は麻夜と薙風しか残っていない。
「そうか、やはりか」
「残念ですが。それより、ヴラドと協力をするのですか?」
「たぶんな、こちらの戦力が足りなすぎる。信頼できない相手だが、あの男の力は私がよく知っている」
その言葉に、会話を聞いていたヴラドが嬉しそうに笑みを浮かべた。
柴崎は無視して続ける。
「増援は来れそうか?」
「無理です、結界の破壊は不可のでした……ですので……」
「どうした?」
「もう……電……とどか……い……」
そして、唐突に電話が途切れた。
柴崎は持っていた受話器を電話機に戻す。
「おそらく結界の影響だろう。電子機器を始め通信手段は完璧に遮断されているようだな。町はきっと大騒ぎになるぞ。もっとも、今夜だけだがね」
ヴラドは電話機を見つめる柴崎にわかりやすく説明する。
柴崎は電話機から視線を外すと、ソファに腰掛けヴラドを真正面から見つめた。
「いいだろう、貴様と手を組んでやる」
「ほぅ」
「策を言え、そして敵の居場所だ。まずはアルス・マグナを叩く。その後はお前達だ」
「敵は山の上の教会に篭っている。あそこは霊脈が走っていて、対異能者用に要塞のような術式が張り巡らされている。突破は困難だ」
「策は?」
「あるとも、教会に続く道は北と南に一つずつある。私が山の教会に張られた結界を砕くのを合図に前後から押し寄せ、教会の地下に隠れているクロウ・カードを討つ、実に簡単な作戦だ」
「教会の地下?」
「あの教会は地下に続いている。あの山には大空洞があってな、そここそが儀式の場だ。いや、愉快になってきた」
「共感はしかねるな」
渋い顔で応じる柴崎。
そんな柴崎に対して、ヴラドは変わらぬ笑みを顔に貼り付ける。
こうして魔術結社とヴラド一派の同盟が締結された。
これが吉と出るか凶と出るか、今の柴崎には知りようもなかった。
暗い暗い地下室。
教会の地下に作られたその地下室は、地下十四階まで存在し、山の内部をほとんど教会の一部としてしまっている。
地下十四階の下にはさらに大空洞が存在する。
不安定な立地。
しかし魔術的な建築物であるその教会は、どんな天変地異が起ころうとも崩れる事はない。
そんな教会の地下七階。
蝋燭が唯一の明かりとして存在するその小さな部屋に、一人の青年の姿があった。
石造りの地面、床、天井。
中世を思わせる真鍮の燭第にはいくつもの蝋燭が刺されており、揺れる炎が周囲を照らす。
木でできた質素な机に向かい、これまた木でできた質素なイスに座った青年は、ただ黙って紅茶を口にしていた。
と、その部屋にあった木の扉が開いた。
そこから一人の女性が現れ、扉を閉めると同時に鍵をかけてこちらを向いた。
セーターにミニスカート、ポニーテルをなびかせたその女性は、膝より高い位置まである靴下を履いた足を前後に動かし、青年の目の前にあったイスに座った。
「ご苦労様、英雄様」
「ご苦労様だと?」
英雄と呼ばれた青年は、不機嫌な顔で少女、桐里歌留多を睨みつける。
「これは何の茶番だ、ふざけるにも程がある」
「そうかしら、私はそうは思わないのだけど」
口元に手をあて、影を含んだ笑みを浮かべる歌留多。
そんな歌留多に、青年は音を立てて茶を飲んでみせた。
「そうは思わないだと? 貴様、何を考えている。なぜあの女が必要なのだ? いや、あの女というには厳密には違うかもしれんが」
「秘密よ、教えてあげない」
その言葉に、英雄は右腕を机にたたきつけた。
盛っていたカップから紅茶が飛び出し、わずかにだが机を濡らす。
「どういうつもりか知らんが、本当に意味のある行為なのか? わざとあの少年に神楽とやらをさらう現場を見せ付けてやったが」
「それができたなら十分よ、全ては予知の通りになってるわ」
「その予知だが」
言葉を切り、青年はゆっくりとした口調で続ける。
「その予知、本当に私達に利する予知なのか?」
「あら? どういう意味かしら?」
「どうもお前の行動には裏があるような気がしてならない。そもそも何故、魔術結社の人間であるお前が私達アルス・マグナに加担する?」
「そんなの、この世界を救うために決まってるじゃない」
「解せんな、どうもお前の目的は別のところにある気がする」
「買いかぶりすぎよ、それに私が何かしようとしてもクロウ・カードには勝てないわ。あなたにだって無理なことを私に出来るはずがないじゃない。少なくともあの男をどうにかせずに出し抜くことは不可能。そんなことあなたにだってわかっているでしょ」
「それは、確かにそうだが」
口ごもる青年。
そんな青年に、歌留多は怪しく微笑んでみせる。
「私が何を考えてるか、教えて欲しい?」
「できれば聞きたい」
「じゃあ、こっちへ」
そう言うと、歌留多はイスから立ち上がり、部屋の隅においてあったベッドに腰を降ろす。
「このベッドの上で何でも教えてあげるわ。あなたが頑張ってくれたらだけど」
「断る、お前を抱くなど考えられん」
「あら、据え膳も食えないのかしら、この殿方は。それとも私に魅力が足りない?」
「私は生涯に一人の女性しか抱かないと誓いを立てたのだ。別にお前に欠陥があるわけではない」
「あら残念」
両目をつぶり、楽しむように口にする歌留多。
そんな歌留多の態度に、もう話すことはないと考え青年はイスから立ち上がった。
「用がないなら私は行くぞ。また用向きの時に呼ぶといい」
「あら、もう行っちゃうの? ダメよ、あなたはしばらくこの部屋にいてくれなくちゃ」
「私に何をしろと言うのだ?」
「これ、持ってて」
言って歌留多は鍵を青年に手渡した。
「これは?」
「私の出てきた扉の鍵よ。姉さんは奥でお寝んねしてるわ」
「お寝んねか、妥当な表現だな」
「そうでしょ」
歌留多は足を出口に向け、歩きながら続けた。
「あとで一人の男の子が、というかさっきあなたが姉さんをさらったアパートにいた須藤数騎って子が来るわ。その子にこの鍵を渡してあげて」
「渡して、どうするのだ?」
「それはね」
歌留多は青年の耳に口を近づけ、囁くように青年に指令を授ける。
青年はいぶかしむ表情で歌留多の顔を見た。
「なぜそのように厄介な事をする必要があるのだ?」
「全ては予知を実現させるためよ、あなたにはまだまだ頑張ってもらわなくちゃ」
「ふん、せいぜいお前の思い通りに動いてやるとしよう」
「お願いね、じゃあ私は行くから」
そう言うと、歌留多は小さな部屋から外に出て行った。
青年は歌留多が出て行った扉をしばらく見つめていたが、やがて興味を失い再び紅茶を口にし始める。
紅茶は冷めてしまっていたが、漂ってくる香りは心を和ませた。
手元にある鍵を見つめる。
鈍く輝く銅の鍵。
その後しばらくの間、青年は鍵を見つめながら紅茶を飲み続けた。
決戦の時刻が迫る。
柴崎たちは、すでに教会に侵入するための行動を開始していたのだった。
「まさかあの教会に立ち寄る事になるとはな」
駅前の公園から山を見上げる柴崎。
すでに夜が訪れており、町には暗闇とネオンの明るさが満ちている。
そんな中、柴崎は山を見上げて立ち尽くしていた。
目の前にそびえる倉田山。
そこには、全長五十メートルに及ぼうかと言う大きな教会が頂上に聳え立っている。
時は二百年近く遡り、ペリーが日本に現れて数年後、美坂町の一部に外国人が移り住み、藩主を脅して山の上に教会を作ることを要求した。
その山には昔からの寺が存在していたのだが、アメリカ人は情け容赦なくその寺を破壊、跡地に教会を築きあげる。
それからと言うもの、あの山は宗教結社の拠点の一つであり続けた。
時の政府との交渉により、日本が大空襲を受けた時もその教会だけは周りが焼け野原になっても残り続けた。
心の優しいリロイと言う名の修道士が戦災孤児をあの教会で引き取り、育てたことから地元民にはあの教会に対する感情は非常によく、旅行にくる物好きも含めてよく山に登り教会を見に行くこともしばしばだ。
この町に生まれ育ったものならば、遠足で一度は行く場所であると断定できるだろう。
その教会。
聖クラーク教会と呼ばれるそこを、柴崎はじっと見つめ続けていた。
「どうですか、結界は?」
そんな柴崎に麻夜が尋ねた。
立っている柴崎に対し、公園のベンチに腰掛けた麻夜。
柴崎は山から視線をはずし、麻夜の方を見ながら口を開いた。
「まだ破られていませんね、ヴラドの話ではあと四、五分で結界を砕くと言うことだったのですが」
「そうですか。それにしても、敵にはよほどの結界使いがいるようですね」
「アルカナムが敵にいるんです、恐らく結界を張ったのはアルカナムでしょう」
「アルカナの使い手(アルカナム)、クロウ・カード。 それにしても彼はいったいいくつ同時に結界を使えるのですか?」
「さぁ? 個人では二つが限度と言っていましたが、この町の霊脈を持ってすれば四は硬いかもしれません。すでにこの町には結界が三つ施されています」
「三つ?」
その言葉に麻夜が反応した。
「え? 三つですか? 私には二つしかわからないのですが。この町全体に張っている結界と、あの倉田山のものと」
「あと一つ、ライオット・ビルのあたりで結界が一つありますね。と言っても、倉田山から一キロ近く離れていますし、攻撃性の高い結界ではありません。無視しておいでいいでしょう」
「解除するべきなのでは?」
尋ねる麻夜。
そんな麻夜に、柴崎は首を横に振って答える。
「やめておいた方がいいでしょう。何のために展開しているかわかりませんが、私の調査では外部に対する攻撃力はゼロです。どうやら何かを閉じ込めるための檻のように感じました。砕こうにも数値が高く、そう簡単には砕けません。せめて里村でもいればよかったのですが。それに、あの結界は残しておいて損はありません」
「と、言いますと?」
「あの結界が存続し続ける以上、あの結界の使い手は常に輝光の消耗を強いられます。知っての通り、クロウ・カードは強力な異能者です。少しでもハンデがなければ私達に勝ち目はありません」
「そうでしょうか?」
疑問を口にする。
そんな麻夜に、柴崎は少々心外な表情を見せる。
「すみません、もし勘違いであったなら申し訳ないのですが。どうも先ほどからのあなたの言葉に引っかかりを感じているんです」
「例えば?」
「妙に、自分の強さに自信があるような口調が」
「あ、わかりますか?」
笑みを浮かべる麻夜。
それはとても深い笑み。
感情を読ませないように作られた、魔性の女のそれだった。
「この巨大な結界のせいなのでしょうか、私と赤の魔術師の繋がりが遮断されたみたいなんです」
「繋がり?」
「えぇ、私の力を縛る繋がりが」
そう口にする麻夜に、柴崎は自信の持つ輝光感知を行使してみた。
表面的には代わりのない麻夜の輝光。
だが、
「なっ……」
息を飲んだ。
どれほどの力。
麻夜の中でぐるぐると渦巻くそのおぞましいまでの力。
それを感じ取り、柴崎は思わず吐き気を覚えた。
これは正当なる人間の力ではない。
むしろ邪悪な魔物に近いその輝光。
亜空の瘴気、柴崎が麻夜から感じ取ったのはまさしくそれだった。
「ところで」
そのように気負い始めていた柴崎に、麻夜は突然違う話題を振ってきた。
「薙風さんは、やはり来られないのでしょうか?」
事務所の方を向きながら尋ねる麻夜。
そんな麻夜に、柴崎は申し訳なさそうな顔をして見せた。
「申し訳ありません、薙風はすでに命令によって戦いに駆りだせる立場にありません。もしあったとしても、今の彼女に戦闘力は期待できません」
「まったく、困ったものね。あなたなら戦わなくていい立場でも戦ってくださるでしょうし」
「まぁ、それは性分なので。確かに薙風はいませんが、大丈夫です。彼女の変わりは私が勤めます」
そう言って柴崎は肩に背負う竹刀袋を揺らしてみせる。
竹刀袋の中には柴崎が持つ二刀、魔飢憑緋と刃羅飢鬼が収納されている。
と、その時だった。
輝光感知が苦手な麻夜でさえ感知できるほどの輝光の動きを感じた。
「柴崎さん!」
「はい、ヴラドがやってくれたようですね」
そう口にすると、柴崎は竹刀袋から魔飢憑緋と刃羅飢鬼を取り出した。
彼らがいるのは鏡内界、周りを気にする必要はない。
現実空間にまで影響を及ぼす結界はその結界の及ぶ範囲全てに鏡内界を構築することまでやってのけていた。
今夜、これからの殺しあいは、恐らくこの鏡内界の中でのみ行われるのだろう。
柴崎は腰に魔飢憑緋と刃羅飢鬼を取り付けると、コートを翻しながら山に向かって走り出した。
その後に麻夜も続く。
「階段から行きますか?」
「そんなことばヴラドの仲間達にでもやらせましょう。階段なんぞを使うのは罠にかけてくれと言っているようなものです。木立の間を通過しましょう。少し骨ですが」
山は公園から二百メートルしか離れていない。
柴崎と麻夜はあっという間に山の麓にたどり着くと、木立の中に飛び込んだ。
歩行が困難なほど生える木々、茂みは深く、直進はあまりにも苦痛であった。
が、それはあくまで一般の人間の話だ。
柴崎と麻夜は行動がしやすいよう、まるでサルのように枝と枝を伝って移動していた。
「大丈夫ですか、柴崎さん」
「なんとか」
「魔飢憑緋を開放したらどうですか?」
心配そうに口にする麻夜。
そう、柴崎も驚かされることだったが、麻夜の身体能力は非常に高い。
魔飢憑緋の仮面を使っても柴崎はわずかにしか優越できないほどの身体能力だ。
仮面の力を使わない柴崎には少々ついていくのがつらかった。
「いえ、申し訳ありませんが魔剣は使いません」
「なぜ?」
「魔剣を起動すれば輝光によって敵に感知されやすくなります。正直、わずかでも輝光を使って身体能力を強化することもしたくはなかったのですが」
「スピードが遅いと逆に狙い撃ちにされますからね、仕方ないでしょう」
枝に飛び移りながら口にする麻夜。
麻夜に何とかついて行くべく、柴崎は必死に枝と枝の間を跳躍し続ける。
「大丈夫ですか?」
心配そうに、麻夜が柴崎を振り返りながら再び尋ねた。
「ああ、大丈……」
答えようとした瞬間、わずかにだが殺気を感じた。
おそらく迫るのに一秒とでかかるまい。
時間がない、詠唱などもっての他。
腰の剣に手をかける。
麻夜に向かい、跳躍しながら柴崎は魔剣の詠唱簡略の強制起動をかけた。
「魔飢憑緋!」
引き抜かれる紅の刃。
月の夜に閃く赤き斬撃は、麻夜の頭に食い込もうとしていたその金属塊をいとも容易く弾き飛ばした。
強制起動は使い手に負担がかかる。
柴崎は鼻から流れてきた血を手で拭う。
強制起動のせいで血管が一部破裂したのだ。
「伏せてください!」
柴崎のその言葉に、二人はそろって地面に降りると茂みの中に身を隠した。
「異層空間殺しだと、ふざけるなよ」
思わず柴崎は愚痴っていた。
柴崎が弾き飛ばしたのは銃の弾丸だった。
ただの弾丸ではない。
長射程でも扱えるように細長い三角錐の形をした弾丸。
それはライフル弾と呼ばれる、拳銃弾以上の射程と威力を持つ弾丸だった。
敵はスナイパー。
が、ただの狙撃手ではない。
異層空間殺し、鏡内界においても銃器などをはじめとする近代兵器を行使することの可能な異能力者。
次弾が繰り出された。
空気を切り裂き、弾丸が闇夜を疾駆する。
麻夜が首を横に動かした瞬間、麻夜の顔面の横を通り後ろに存在していた木の幹に喰らいついた。
柴崎と麻夜は、茂みに身を隠しながらその場から移動する。
「どうします、柴崎さん?」
「敵の狙撃手、腕はどう思いますか?」
「かなりのものですね、この闇夜。茂みに隠れている私達を二度も正確に狙っていました。私がかわせたのは殺気を感じ取ってギリギリでしたから、やはり上の上でしょう」
「ならば固まっているのは危険ですね、分散しましょう」
「各個撃破されるかもしれませんよ」
「ここで死んでは意味がない。頂上の付近で落ち合いましょう、私と合流するまで決して教会の中には入らないでください」
「承りました」
「それでは」
それだけ言うと、柴崎は麻夜に背中を向け、反対方向に向かって駆け出していった。
すでに魔飢憑緋は起動している。
柴崎は、人間では考えられないほどの速度と足裁きで木立の中を駆け出していった。
それを追いかけるように弾丸が襲い掛かる。
が、柴崎はその事ごとくを魔飢憑緋の斬撃によって切り払う。
そうこうしているうちに、柴崎はかなり遠くまで逃げていってしまった。
麻夜は柴崎と反対の方向に逃げながら射撃位置の特定に勤めていた。
そして、第四射目にして居場所を特定できた。
狙撃手の潜む場所は五十メートルの高さがある教会の天辺にそびえる鐘を備えた小部屋。
四方にはガラスのない窓があり、鐘の音を余すことなく町に響かせるつくりになっている。
麻夜はとっさに柴崎に狙撃手の場所を伝えようと思った。
が、柴崎との距離はかなり開いている。
それに、今から合流するのは愚策だ。
それではせっかくの別行動の意味がない。
しかし、麻夜は焦っていた。
狙撃の基本は射撃を終えた後にすぐ移動することだった。
確かに一撃外しただけで追撃を行わない狙撃手は少ないだろうが、反撃が予想されない場合、移動前に何発か撃つのは常識だ。
そして今その何発かを打ち終えた。
移動がはじまってしまう。
今が最大の好機だった。
今、ここであの狙撃手を殺害しなければ、再び気付かない射程から狙撃されるのは必至。
だが、今はわかる。
あの神出鬼没たろうとする狙撃手の居場所を、今自分だけが掴んでいる。
迷っているヒマはなかった。
狙撃手を討ち取るには移動させてはならない。
が、狙撃手は射撃を終えたら身の安全のために再び身を隠すだろう。
では、どうすれば隠れないか。
簡単だ。
それは実に簡単な答えだった。
麻夜はすばやく行動を開始する。
全速力で木立の中を走り出すと、石造りの階段に辿りつく。
そこは教会に一直線に向かう階段。
北と南に一つずつある階段の、南の一つ。
一直線に、十五度の傾斜をもつ階段はあと百数段残っている。
その直線上に存在するは教会。
そして、それは狙撃手から丸見えの位置だった。
三百メートル先にいた狙撃手、藤堂真二は驚きを隠せなかった。
逃げようと考えていた矢先、目標が自分から狙撃の容易い場所に現れてくれたからだった。
藤堂はスコープに右目を近づける。
彼が構えるはスナイパーライフル。
エレット社が去年作り上げた超射程のライフル『KRX78G』に、命中率を高めるための様々なオプションを取り付けており、総重量は二十キロを上回る。
藤堂はスコープの先に麻夜の姿を捉えた。
一撃で決めるために彼女の額の真ん中に狙いを定める。
こうして藤堂は麻夜の計算した通りの行動に出た。
狙撃手を逃がさないためにはどうすればいいか。
簡単である、逃げる以上のメリットを突きつけてやればいい。
それは、カモとしか思えないくらい命中が容易な場所にターゲットが現れること。
つまり、麻夜はその姿をさらす事で藤堂が逃走するのを防いだのだった。
しかし、藤堂はそんなことに気付きもしない。
スコープを目に当て、トリガーを絞る人差し指に力を込める。
藤堂は外す事のないよう、麻夜の一挙一動に注目した。
流れる金髪、美しい肉体、そして妖艶な美貌を誇る顔。
殺すには惜しいと考えながらも、藤堂は一切の容赦も持ち合わせない。
そして、完璧なタイミングを見計らいトリガーを引き絞った。
その瞬間、藤堂は目にしていた。
こちらを見あげる麻夜の顔。
その両目が、紫に輝いたような気がした。
それで終わりだった。
藤堂は動かない。
トリガーも途中までしか引き絞れず、弾丸が発射されることもない。
風が吹いた。
狙いを定めていた藤堂の体が揺らぎ、そのまま床に倒れ付した。
藤堂は動かない。
いつまでたってもトリガーを引き絞ることはなかった。
麻夜を狙い撃とうとした態勢のまま床に倒れる藤堂は、まるで石にでもなってしまったかのように動かなかった。
麻夜が藤堂を撃破するおよそ五分ほど前。
教会の中に進入する一人の男の姿があった。
全身黒ずくめの忍者装束に身を包む男。
月明かりを反射するルビーの右目。
そう、侵入者は数騎だった。
極度の興奮状態にありながらも、数騎は呼吸一つ乱さず教会の中を歩いていた。
どんな焦る事があっても、数騎はしっかりと気付いている。
数騎にとって最大の武器は握り締める短刀や燕返し等の技巧などではなく、ただ相手に見つかりにくいと言う無能力者であるこの肉体のみ。
だからこそ数騎は冷静さを欠きながらも動じない事ができた。
数騎の暗影は、狙撃手の藤堂にその存在を気付かせないほどであった。
もちろん、表世界の狙撃手であったなら数騎を見逃す事はなかっただろう。
数騎は素人だ、プロのスナイパーが逃すわけがない。
だが、藤堂は裏の世界の人間だ。
能力を持って他者と渡り合う異能者で輝光を発しない人間は存在しない。
たまにいるが、そんなイレギュラーに構うのはあまりにも無駄な行為。
故に、藤堂は輝光で敵の居場所を感知、正確な狙いをつけるためにのみスコープを利用する。
そんなことでは数騎を捕らえるなど無理な話だ。
そのような事情もあって、数騎は教会の中に進入を果たした。
階段を使わず、木立から向かったのは間違いなく正しかったと言えるだろう。
足音を殺しながら、数騎は教会の廊下を歩いていた。
と、目の前に巨大な扉が目に入った。
玄関に続く扉と奥へ向かう扉。
数騎はためらわず、奥へと続く扉を開いた。
重々しい音を立てて開く扉。
そこは教会の大聖堂に繋がっていた。
左右に並ぶいくつもの長いす。
中心を走る絨毯。
そして奥には祭壇と巨大な十字架。
壁にはステンドグラスがはめ込まれており、月明かりに神秘的な輝きを放っている。
だが、数騎にとって大切なものはそんなものではなかった。
祭壇へと続く絨毯。
そこに立ってこちらを見つめる女性。
腰まで届く長い髪をなびかせ赤い着物に身を包む女性。
それは、
「神楽さん!」
叫び、数騎は神楽に走りよった。
神楽は近づいてくる数騎に微笑を浮かべてみせる。
数騎は息を乱しながら、神楽のところまで走った。
数騎は神楽の両腕を手に取り、優しく握り締めた。
「大丈夫でしたか、神楽さん」
「はい」
笑みを浮かべる神楽。
その神楽の笑顔が嬉しくて、数騎も微笑みながら続けた。
「じゃあ、一緒に帰りましょう。オレ達の家に」
「ヤダ」
「えっ?」
驚きの声を漏らす数騎。
そんな数騎を尻目に、神楽は言ってのけた。
「気持ち悪いから触らないでくれない? あんたウザイのよ」
「え、ちょ……ちょっと待って」
困惑する数騎。
そんな数騎に、神楽はさらに続けた。
「正直あんたの顔なんて見たくないのよね、たまらないほどブサイクだし。そんなふざけた顔して、何で自殺したくならないか理解に苦しむわ」
「待て」
数騎はドスの聞いた低い声で神楽にそう言い放つ。
自分自身を蔑む言葉を聞かされながらも、数騎は冷静になっていた。
なぜ、ここまで対応がいつもと違うか。
別人とは思えないというのに、なぜここまで中身が違うのか。
冷静になってみれば、目の前の人間が誰かくらいはすぐわかる。
「桐里……歌留多か……?」
「あ、わかる? さっすがねぇ、てっきるクスリでボロボロになってると思ったのに、こりゃ愉快だわ。まぁ、ちゃんと動いてくれないようじゃこっちが困るんだけどさ」
「何のようだ、桐里さん。何で神楽さんの恰好をしてあんたがここにいるんだ?」
「ん〜、いちゃ悪いっての?」
「悪い」
「いけずぅ、これだからブサイクは心が狭いわ」
「何を言ってるんだ、あんたは?」
呆れた顔をしてみせる数騎。
そんな数騎に、歌留多は楽しそうな笑みを見せた。
「ところで、桐里神楽に会いたいかしら?」
「どこにいるか知ってるのか?」
「知ってるわよ、私がさらわせたんだもん」
その言葉を聞いた瞬間、数騎は懐からドゥンケル・リッターを取り出した。
瞬間的に短刀の刃を出すと、歌留多に向かって構える。
歌留多はそれよりも早く後方に飛びのいていた。
お互いの間合いは三メートル、あってないような距離だった。
「神楽さんはどこだ!」
「この教会の地下七階にいるわ」
「なぜさらった?」
「あなたの協力が欲しいから」
「協力だと?」
訝しむ様子の数騎。
そんな数騎に、歌留多は口元に手をあてながら答えた。
「私と神楽が双子なのは知っているわね?」
「……知ってる、あんたが言ってた」
「そうよね。それで、私は神楽と同じ予知夢を見る魔眼を持ってるの。知ってるかどうか知らないけど今夜はこの町でいくつもの戦いが起こるわ、実際にもういくつかは終わってしまったけど。そこであなたに提案があるの」
「提案?」
「そう、提案。あなたに殺して欲しい人物が四人ほどいるの」
「四人、多いな」
その言葉を聞いて歌留多は思わず笑みを浮かべた。
数騎の言葉。
それは、殺す事を忌む意味を持たず、ただ人数にだけに気が向いていた。
須藤数騎は殺人に頓着しなくなっている。
薬物によって精神が壊れはじめていた証拠だった。
「ごめんなさいね、でも予知通りならあなたは間違いなくこの四人を殺すことができるわ、直接間接を問わずね。そこらへんは心配しないで」
「なぜオレの力が要るんだ、他の人間に頼めばいいだろうに。オレが異能を持っていないことを知らないわけじゃないんだろう?」
「そうも行かないのよ、予知ではあなたが殺害に関与しているんだもん。だからあなた以外を差し向けると失敗する可能性が高いの。わかる、須藤くん?」
「理屈はな」
くん付けで呼ばれた数騎は、文句のありそうな顔で歌留多を睨みつける。
神楽と同じ顔で同じ恰好をした女性に須藤くん、などと他人行儀な呼ばれ方をしても嬉しくなかったからだ。
「じゃあ、契約と行きましょうか。私は神楽の命を握っている、生きて取り戻したかったらあなたは私に協力するしかない。私が依頼する四人が死亡したらその時点で神楽はあなたに返してあげるわ」
「協力しなかったら?」
「神楽を殺すわ」
「拒否できないわけか」
「させるわけないでしょ」
不機嫌そうに言う歌留多。
そんな歌留多に、数騎は右手を突き出した。
「で、誰を殺して欲しいんだ? 写真があるならもらいたい」
「写真は神楽に渡してあるわ。今から少しだけ会わせてあげるからその時写真を受け取りなさい。写真は三枚あるわ」
「その三枚に四人が移っていると?」
「三人しか移ってないわよ」
「どういう意味だ?」
「最後の一人は三人全員殺し終えた後で教えるわ」
「……わかった。じゃあ、神楽さんに会わせてくれ」
「いいわよ、草津!」
「はいは〜い」
声は後ろから聞こえてきた。
数騎が振り返ると、そこには草津と呼ばれた中年の男がいた。
「動かないでくださいね、今から地下の七階までご案内いたしますので」
と、草津がそう口にした瞬間、数騎の体に違和感が走った。
まるで水の中にでもいるかのように、体が体重を失ったのだ。
「じゃあ、飛ばしますよ。舌を噛まないでくださいね」
草津がそう口にした瞬間、数騎の体が感覚を失った。
そして次の瞬間、そこに立っていた。
石造りの部屋、ベッドと机、暖炉と扉が二つと言う小さな部屋。
草津によって空間転移させられたのだ。
と、数騎は部屋にいる人間の姿が目に入る。
机に向かうイスに、青年が座っていた。
それは茶色の髪をした美丈夫。
数騎は知っていた。
彼こそが、桐里神楽を誘拐した張本人であると言う事を。
「動くな、死にたくはないだろう」
青年が口を開いた。
持っていたドゥンケル・リッターを構えて飛び掛ろうとしていた数騎の体はその言葉で停止した。
静かに漏れ出した殺気、肌に感じる圧倒的なまでの実力差。
数騎は動かないのではなく、恐怖によって動けなくなった。
そんな事情を知ってか知らずか、青年は数騎のナイフに注意したまま数騎の側まで歩み寄ると、銅の鍵を数騎の左手に握らせた。
「鍵?」
「そう、あの扉の鍵だ。中に桐里神楽がいる」
「神楽さんが?」
それを知るや否や、数騎は扉に走りより、ドゥンケル・リッターをしまうと扉の鍵を開けた。
そこは牢屋だった。
寝台と便器が存在するだけの小さな牢屋。
便器の周りがカーテンで覆われているのはわずかな良心というヤツだろう。
その牢屋の中。
奥の壁の近くで壁にもたれかかる手枷をはめられた女性。
「神楽さん!」
数騎はその女性の名を呼んだ。
ぼーっとしていた神楽はその声に気がつくと、動転して転びながらも数騎の元にたどり着く。
だが、二人の間には鉄格子が存在していた。
二人は、地面に腰を降ろした態勢のまま、鉄格子を掴み顔を見合わせる。
「神楽さん、平気だった?」
「はい、私は大丈夫です。それにしても、どうしてここに?」
「ちょっとあってさ。詳しくは言えないけど神楽さんは誘拐されたんだ。そして要求を呑まないと出してもらえないらしい」
「要求?」
「面倒くさいことだけどできないことじゃないらしい。大丈夫、ちょっと頑張ればかならず助け出せるから、オレを信じて待っていて欲しい」
「はい、わかりました」
頷いて答える神楽。
と、数騎は神楽が手に写真を持っていることに気がついた。
「神楽さん、その写真は?」
「この写真ですか?」
神楽は数騎に写真を渡しながら言った。
「なぜかわからないんですけど、空中から突然現れて床に落ちたものなんです。いったい何の写真なんでしょうか? 数騎さん、わかりますか?」
「あぁ、わかる。だからちょっとこの写真もらっても構わないかな」
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
数騎はそう言ってその写真に目をやった。
それぞれに数字の書かれた写真。
そして、写真に写る三人の人間。
その顔を見て、数騎は驚きを隠せなかった。
何しろ見知った人間が二人も入っていたからだ。
「これを殺せと……冗談がすぎるんじゃないか」
神楽に聞こえないようにそう言うと、数騎は写真を懐にしまいこむ。
と、その時だった。
数騎の横で扉が開いた。
「面会は終わりだ、出て来い」
扉から現れたのは青年だった。
青年を一瞥し、数騎は神楽の顔を真っ直ぐ見る。
「神楽さん、じゃあ行くね」
そう言うと、数騎は立ち上がって扉に向かう。
「数騎さん!」
その背中に、神楽が悲痛な声をあげた。
「危ないことだけは、しないでくださいね」
「大丈夫です、心配いりませんから」
そう言って、数騎は部屋を出て行く。
後ろ髪引かれる思い出牢屋を振り返る数騎だったが、その扉を青年が閉ざし、数騎の手から鍵を奪うとしっかりと施錠する。
と、それと同時に目の前の視界が歪んだ。
次の瞬間、数騎の目の前に歌留多と草津が姿を現す。
おそらく草津の空間転移で現れたのだろう。
「どぉ、姉さんは元気だった?」
「おかげさまでな」
不機嫌な顔で答える数騎。
そんな数騎に、歌留多は嬉しそうに喜んだ。
「人質の扱いなら万全を期してるわ、あなたは安心して写真の人間をぶっ殺してちょうだい」
「今すぐ殺すのか?」
「できれば、でも写真に書かれた数字の順番じゃないと殺しちゃダメよ。それと今、写真をこの部屋で出さないでね」
「何故だ?」
問う数騎に、歌留多は周囲の人間を見回しながら言った。
「そんなの、あなたが誰を狙うかを他の人が知ったら未来が変わっちゃうもの」
「わかった」
「わかればよろしい」
そう口にすると、歌留多は草津の右肩に手を置いた。
「草津、この男の子を地下四階に飛ばしてあげて、彼の敵はそこに現れるわ」
「了解」
そう言われると、草津は呪文の詠唱を始めた。
そして、術が構築されると、草津は数騎に空間転移の術を行使した。
数騎の体が一瞬にして部屋から消え去る。
それを確認すると、歌留多は青年と草津の顔を順番に見た。
「さぁ、あなたたちも配置について。もうすぐ敵さんが侵入してくるわよ」
「敵が中に? 藤堂はどうしたのですか、防ぎきれなくなって離脱したのでしょうか?」
「多分そろそろ死んでるんじゃない」
草津の言葉に、歌留多はあっさりとそう答えた。
その答えに、草津と青年が息を飲む。
「知ってたのか?」
尋ねる青年に、歌留多は面倒くさそうに答えた。
「えぇ、知ってたわよ。でもこれだって予定通り。最終的に私達の勝利に揺るぎはないわ」
「あと、何人死ぬんだ?」
その青年の言葉に、歌留多は青年から目をそらしながら答えた。
「それは、神のみぞ知るってやつね」
未来を知る身でありながら、歌留多は白々しく言ってのけた。
そんな歌留多を青年と草津は訝しげな顔で見つめる。
歌留多は二人に背を向けると、そのまま部屋の出口まで歩き、部屋から出て行ってしまった。
部屋に残された二人。
二人はお互いに顔を見合わせ、これから何が起こるかを、未来を知らない身としては当然のように思い巡らせるのであった。
ただ一つわかっていること。
それは、桐里歌留多が言い続けていたアルス・マグナ最後のメンバー、九人目の仲間として須藤数騎が加わったということだけ。
それすらも、歌留多にとっては味方になる前から人数に入れていたにすぎなかったのだった。
魔術結社 残り三人
ヴラド一派 残り六人
アルス・マグナ 残り九人(藤堂、麻夜の行動により戦闘不能)
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