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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第六羽 魔獣

第六羽 魔獣


「遅れました、綱野さん」
 教会の入り口。
 二メートルを上回る高さの扉の前に、麻夜が周囲を警戒しながら待機していた。
 その後ろから柴崎が現れる。
 開放した魔飢憑緋を片手に、やはり周囲を警戒しながら近づいてきた。
「先ほどから狙撃手の攻撃がありませんね、もしやとは思いますが」
「私が仕留めておきました」
「やはり」
 麻夜の返答に、柴崎は当然のごとく口にした。
 何しろ、逃げ回っていたというのに敵の狙撃が完全に停止したのだ。
 もしやと思い教会に直行した柴崎だったが、待っていたのは狙撃手の罠ではなく麻夜の姿だった。
「どうやってあの狙撃手を……いや、聞かないでおきましょう。私があなたの力を知ることはメリットになりますが、それを別の人間に聞かれるのは得策ではない」
「どこに潜んでいるかわかりませんものね」
 答える麻夜はいたって平然としていた。
 柴崎はそんな麻夜から目を離し、教会の扉に視線をやる。
 それと同時に懐から左手で黒銃を取り出した。
「砕きます、下がっていてください」
「普通に開けないのですか、敵に居場所を教えるようなものですよ?」
「襲撃される恐れがある以上、砕くべきです。どうせ私達の存在は知られている」
 それだけ口にすると、柴崎は銃口を扉に向けた。
「我が放つは……」
 その詠唱は、
「断罪の銀!」
 彼の放つ最大級の一撃。
「黒銃(カンタス)聖歌(グレゴリオ)!」
 強烈な輝光弾が銃口から迸った。
 弾丸は扉に喰らいつき、いとも簡単に扉を大破させる。
 破片は全て教会の中へ、大聖堂に続く扉も貫通して、外からでも祭壇と十字架が見て取れるまでに、彼らの進むべき道が開いた。
「行きましょう」
 柴崎の言葉に麻夜が頷く。
 二人は走りながら教会の聖堂へと入っていった。
「いや、ようこそようこそ」
 二人が大聖堂の真ん中まで進んだ時だった。
 祭壇の裏から一人の男が現れた。
 白衣を着た老人。
 それが、柴崎から見たその男の感想だった。
 が、麻夜の感想は同じではなった。
「人違いなら申し訳ありませんが、フィオレ博士……ですか?」
「後明察、私がヴィットーリオ・フィオレだ。以後お見知りおきを」
 丁寧に挨拶する白衣の老人、ヴィットーリオ。
 そんなヴィットーリオに、柴崎は黒銃の銃口を向ける。
「フィオレ博士、なぜあなたがここにいるのですか、あなたはスウェーデンの研究所にいるはずだ」
「いるはずなのにいないという事は、いてはいけない場所にいられるということは、つまりどう言う事かわかるだろう?」
「魔術結社を、裏切ったのですか?」
 問いかけたのは麻夜だった。
 そんな麻夜に、ヴィットーリオは低く笑いながら答えた。
「そうともそうとも、私は魔術結社からアルス・マグナに乗り換えさせてもらったよ」
「なぜです?」
 聞いたのは柴崎だ。
 睨み付けてくる柴崎に、ヴィットーリオはさらに笑ってみせた。
「簡単だ、彼らは私に好きなだけの人体実験を許してくれたのだ。魔術結社も許可こそしてくれるもののなかなか消極的でね、なかなか多くの丸太が手に入らないのだよ。だが、それに比べてクロウ・カードはどうだい? 好きなだけ私に丸太を提供してくれるそうだ」
 楽しげなヴィットーリオ。
 ちなみに丸太というのは人間の死体を指す隠語である。
「生きた人間に死んだ人間、やはり魔剣の研究には生死を問わず人間が一番だよ。私は魔剣の研究が大好きでね、それさえできれば世界がどうなろうと構いはしないのさ」
「アルス・マグナも魔術結社も関係ないと?」
「その通りだよ、柴崎くん。で、あってたかな。確かランページ・ファントムの一人と聞いたが」
「ご名答だ、フィオレ博士!」
 柴崎は拳銃に握る腕に力を込める。
「裏切った以上は覚悟は出来ているはずだ、捕虜にしてやりたいが余裕がない。悪いが死んでいただく!」
「それは困る、まだ研究は終わっていない。それに君の相手は私ではないよ」
「なんだと?」
 それと全く同時だった。
 ヴィットーリオの背後のステンドグラスが突如として砕け散る。
 月を背に宙から舞い降りる黒い影。
 それは拳を振り上げながら、看過できない速度で柴崎に対し踊りかかる。
 詠唱の暇すらなかった。
 柴崎はすんでのところでその拳を回避する。
 それと同時に見た。
 全身を剛毛に覆われた、虎とも獅子とも見分けのつかない獣人が、教会の床に拳を叩きつけるのを。
 爆砕音が響く。
 右拳に集中された輝光が、その爆発的な破壊を引き起こした。
 砕け散る床。
 破片が舞い飛び、獣人の姿が床の下に消える。
 そう、床に吸い込まれるように消えた。
 理由は簡単だ。
 この教会には地下がある。
 つまり、床を砕き地下と地上をつなげてしまったのだ。
 地下一階に落ちた獣人は、獣の咆哮を放った。
 体の芯まで震えさせるような轟音が柴崎たちの耳に響く。
「床を砕いた、何と言う破壊力だ」
 思わずそう漏らす柴崎。
 その隣にいた麻夜は、目の前のヴィットーリオを睨みつけた。
「敵がバカで助かりました、戻ってくる前にあの男を仕留めましょう。二対一なら一分もかかりません」
 腰にさした絶鋼剣を引き抜きながら麻夜がそう口にする。
 と、その瞬間に悪寒を感じた。
 示し合わせるでもなく、全く同時に柴崎と麻夜はその場から飛びのいた。
「黒銃聖歌(カンタス・グレゴリオ)」
 直後、二人の立っていた床が下から爆砕される。
 床には二つの穴が出来た。
 そこから見下ろす麻夜と柴崎。
 地下一階にいるその獣人。
 虎のような獅子のような顔をしたその獣人は右腕には黄金に輝く毛に覆われた拳、左腕には黒きオートマチックの拳銃を握り締めていた。
「まさか、黒銃。しかもあれはマーゼル社の新型じゃないか」
 思わず口にする柴崎。
 そう、地下一階から銃撃を繰り出してきた虎と獅子のあいの子であるライガーの獣人。
 その左腕に握られる拳銃は間違いなく黒銃であった。
 マーゼル社が一年前に開発したウケ狙いの拳銃。
 人間が撃つことが可能な限界ギリギリの威力を誇る実用性皆無にして世界最強の拳銃、ケルベロスS480。
 普通の拳銃ではもはや売れ行きが悪いと考えたマーゼル社が社運をかけて発売した拳銃だったが、世界最強の拳銃の名は伊達ではなく、予想以上の反響を受けた拳銃だった。
 これを撃つことの出来た男はそれだけで勲章ものであり、撃って肩を外したり衝撃で怪我をする人間が後を絶たない。
 訓練された精鋭部隊の人間がやっと撃てるほどのものなのだ。
 おかげで拳銃は売れるが持っていたいだけのファンが多く、実際に撃つものは少ないため弾丸の売れ行きは伸び悩んでいるらしい。
 その専用弾が詰められた巨大なグリップには二十八発の装弾数。
 黒光するバケモノじみた銃を、文字通りのバケモノであるライガーの獣人が構えていた。
「綱野さん。あの獣人、無視するには火力が桁はずれています」
「仕方ありません、どちらかがあれの相手をするしかないでしょう」
「では、私が行きます」
 右手に魔飢憑緋、左手に黒銃を握り締めた柴崎は、麻夜に目配せする。
「それとも、あちらの獣人はお譲りしましょうか?」
「いえ、私にフィオレ博士を任せてください」
「承りました」
 それだけ口にすると、柴崎はライガーの獣人の待つ地下一階に繋がる穴に飛び降りた。
「それでは、あなたが私のお相手かな」
 残った麻夜にヴィットーリオが話しかける。
 麻夜は絶鋼剣を片手に、余裕の表情でヴィットーリオを見た。
「相手? 私と踊ろうなんて、身の程をわきまえた方がいいんじゃない?」
「はははは、確かに私では釣り合わんかもしれないなぁ」
 そういうと、ヴィットーリオは指を高らかに鳴らした。
 と、それまで存在していなかった気配が突如として生まれた。
 十字架の側、祭壇の裏からその影たちは現れた。
 ざっと二十は超える人影。
 それを背にして、ヴィットーリオは余裕の笑みを見せる。
「それならお相手は私の実験台などでどうだい? これだけの数、君を飽きさせることはないと思うがね」
「そうかしら、数だけじゃ困るわよ」
 絶鋼剣を構えながら口にする麻夜。
 こうして、二人の戦いが幕を開ける。
 だが、もう一つの戦いはすでに始まりを終えていた。






「黒銃聖歌(カンタス・グレゴリオ)」
 迸る輝光弾。
 それを回避し、高い機動力をもって斬撃による反撃を試みる柴崎。
「ああぁぁぁ!」
 紅刃一閃。
 が、その斬撃は獣人の右腕で受け止められていた。
「バカな、切れないだと!」
「おおおおおおおぉぉぉぉぉ!」
 叫ぶ獣人。
 それと同時に魔飢憑緋の刃を受け止める右腕が金色に輝く。
「ちぃ!」
 こぼし、緊急回避を試みる柴崎。
 柴崎のいなくなった空間を、獣人の黄金の右腕が凪いだ。
 強烈な輝光の一撃。
 黒銃聖歌以上の威力を誇る右拳、喰らったらタダではすまないだろう。
 すでに戦闘は三分以上繰り広げられている。
 戦場である教会の地下室は、全てが石で作られていた。
 壁も石なら床も、天井も石だった。
 明かりは蝋燭の炎とカンテラがつるされているのみ。
 人が五人並んでも平気そうな廊下からつながる、二十畳を超える部屋。
 獣人と仮面使いという二人の異能者が暴れまわるには十分な広さだった。
 柴崎はそう考えていたが、獣人は考えが違かった。
 出力四十には迫ろうかと言う、金色に輝く右拳。
 そして左手に握られる黒銃。
 圧倒的な火力を武器にした獣人は、縦横無尽にその威力を撒き散らした。
 砕かれる壁、天井、地面。
 破片を撒き散らしながら、二人は高速で移動しながら戦い続けていた。
 貫通し穴を開けた壁の数はすでに十六、天井は二、床にいたってはすでに三つ。
 柴崎が逃げ、回避された獣人の一撃が地下室を砕き、その穴を利用して柴崎がさらに逃げる。
 その繰り返しによって戦いは進行していた。
 二人が今いる空間はすでに地下四階。
 麻夜からの直線距離はすでに三百メートルを超えている。
 地下室の広さは、地上に出ている教会よりもさらに広い敷地を持っていたのだ。
『我が放つは……』
 重なる詠唱。
『断罪の銀!』
 紡がれる詠唱は互いに交差し。
『黒銃(カンタス)聖歌(グレゴリオ)!』
 双方の銃口から、全く同じ術式が繰り出された。
 ぶつかり合う輝光弾。
 柴崎の黒銃と獣人の黒銃の距離はおよそ五メートル。
 それほどの至近距離で、計五十にはおよぼうという輝光がぶつかりあった。
 迸る閃光。
 荒れ狂う大気。
 お互いがお互いを喰らいあう輝光弾は、強烈な爆発だけ残して虚空に消えた。
 対峙する二人。
 立ち会う場所は広大な廊下。
 爆発の煙が晴れる。
 獣人は右拳を前に突き出し輝光を一点集中、黒銃聖歌では止めようもないほどの強力な輝光がうねりをあげる。
 それに対し、柴崎は左手の黒銃を懐にしまいこみ、腰の刀に手をかけた。
「刃怨狂陣羅轟魔葬(ばえんきょうじんごうひまそう)」
 蒼き刃は炎に照らされ、
「飢装炎武鬼塵咆哮(がそうえんぶきじんほうこう)」
 赤と蒼のグラデーションを放ちながら、
「刃羅飢鬼(ばらがき)」
 その魔剣が開放された。
 右手に魔飢憑緋、左手に刃羅飢鬼。
 準魔皇剣を二刀流した真意は、刃羅飢鬼なしでこの獣人は取れないと気付いたからだ。
 獣人の武器は三つ。
 一つは獣人特有の怪力と俊敏性。
 よほどの異能者でもない限り、獣人との近接戦闘は体格と骨格から圧倒的な不利を覚えることになる。
 一つは黒銃。
 簡易詠唱から繰り出されるは詠唱時間に比べて強力な術、利便性の高さは誰よりも柴崎が熟知している。
 そしてあの右拳。
 軽く四十の数値を誇るあの拳は、恐らく黒銃聖歌が直撃しても砕けることはないだろう。
 ならば柴崎の選択肢は一つ。
 機動力でひけをとらないために魔飢憑緋を開放し、火力において優越するために刃羅飢鬼を起動する。
 二刀の魔剣を構え、獣人に対峙する柴崎。
 と、獣人がゆっくりと口を開いた。
「久しぶりだな、柴崎」
「久しぶり? お前とは初対面のはずだが」
「オレを忘れちまったのか、なさけねぇ話だぜ」
 残念がる獣人。
 もっとも、殺気は常に柴崎に向いており、隙など微塵も見当たらない。
「せっかくの大親友を忘れてくれるとは、まったく薄情な男だ」
「大親友?」
「まだわからねぇか?」
 睨み付けてくる獣人。
 真っ直ぐ見つめてくるその瞳。
 黄色に光るその瞳には何の見覚えもない。
 だと言うのに、なぜその名前が頭に浮かんだか。
「二階堂?」
「よく気付いた」
 獣化が解かれた。
 膨張した体が縮み、人間の姿を取り戻す二階堂。
 だが、元に戻ったのは上半身のみ、下半身はあいかわらず獣の毛で覆われていた。
 そして金色に輝く右腕も、あいかわらず獣の毛は残っている。
「久しぶりだな、柴崎」
「二階堂、なぜお前がここに? それに何故獣人になっている」
「質問したいのはお前だけじゃない、一方的に聞いてくるんじゃねぇよ」
 床に唾を吐きながら続ける二階堂。
「玉西が死んだこと、なぜ黙っていた」
「なっ……誰に聞いた?」
「アルカナムさ、親切に教えてくれたよ」
 憎悪を目に浮かべ、柴崎を睨みつける二階堂。
「何で教えてくれなかった、オレたちは親友だと思ってたのに、半年近く隠してやがった。わかるか、オレの気持ちが! 親友だと思ってた人間に裏切られたんだぞ!」
「それは、言い訳のしようもない。私が悪かった、本当にすまないと思っている。だが!」
「だがもクソもねぇよ、オレは選んだ。アルカナムに力をもらう時に契約したのさ。力を得る代わりにアルス・マグナに忠誠を誓うってな。もちろん、お前を殺す事も契約の内だ」
「私と、戦うと言うのか?」
 驚き、剣の切っ先が揺れる。
 動揺する柴崎に、二階堂は容赦なくたたみかけた。
「あぁ、そうだとも。そのためにオレはアルカナムから獣魂の封印されたカプセルを飲んで獣憑きになった。黒銃をもらって訓練をした、そして……」
 右拳を突き上げる。
 黄金の輝く拳。
「右腕に魔剣をもらった、『獅子咆砕破(ししほうさいは)』知っての通り近接格闘系魔剣さ」
 柴崎もその魔剣の名は知っていた。
 獅子咆砕破(ししほうさいは)、それは体内内蔵型魔剣。
 肉体に流れる輝光を直接行使しやすい内蔵型の魔剣で取り扱いは簡易にして強力。
 何しろ輝光を集中するだけでいいのだ。
 放出したりコントロールする必要はない。
 詠唱もほぼ必要なく、ある程度の時間さえあれば意識するだけで輝光集中が可能。
 輝光によって異常なまでに増幅した破壊力は、あらゆる物質を粉砕する破壊力を有する。
 弱点は射程距離のなさだが、獣人が持つことによってその弱点は解消される。
 それにしてもふざけているほど合理的だ。
 魔剣士でなくとも扱える魔剣『黒銃』に、内蔵することで獣人になったあとでも使用可能にしている量産魔剣『獅子咆砕破(ししほうさいは)』。
 そして身体能力、耐久力、近接戦闘に特化している獣人としての力。
 最悪だった。
 もし二階堂がただの魔剣士というだけなら対処は容易だ。
 なにしろ、ろくな訓練も受けていない素人だ。
 戦えばいくら魔剣が強くともあしらうことは可能。
 しかし、そこに獣憑きの能力が混ざっている。
 獣の魂は二階堂に足りない戦闘経験を本能的に補強する。
 さらに二階堂には魔剣の知識があった。
 二階堂の知識を獣の魂が利用し、結果、相乗効果で二階堂の戦闘能力は爆発的に飛躍する。
「それにしても解せない」
「何がだよ?」
 問い返す二階堂。
 怪訝な顔をする二階堂に、柴崎が言い放った。
「お前の姿、虎のようでもあり獅子のようでもある。どういうことだ?」
「二つの獣の魂を受け入れるとな、二つの魂が混ざり合ってキメラみたいな獣人が生まれるってアルカナムが言ってたぜ。オレはライオンとタイガーのあいの子、ライガーって所かな。ちっちぇタイゴンと違ってオレは強いぜ」
 笑みを浮かべる二階堂。
 その表情は実に挑戦的だった。
「それよりも話をそらさないでもらいたいな、今はオレの話じゃなくてお前の話さ」
「私は……」
「言い訳は聞きたくねぇ、とりあえず眠ってろ」
 それだけ言うと、二階堂は獣の咆哮をあげた。
 盛り上がる肉体、巨大化される体格。
 肌からは獣の剛毛が生え始め、顔は骨格が変形しライオンの父を持ち、タイガーの母をもつライガーの獣人と変化した。
「行くぞ、柴崎。言い訳は後で聞いてやる」
「私を殺さない、ということか?」
「殺さないだけさ、今はな!」
 叫び、爆ぜるように二階堂は柴崎に襲い掛かった。
 振りかざされる豪腕。
 が、柴崎は魔飢憑緋の力を解放して大きく後退し、回避する。
 確かに二階堂の身体能力は脅威だが、魔飢憑緋はその一つ上をいった。
 大丈夫、時間さえ稼げば敗退はない。
 問題はいかにして二階堂を止めるかだ。
 殺したくはないが、手加減を出来る相手ではない。
 ならば電撃だ。
 致死でない程度の電撃を繰り出して二階堂の身体機能を一時的に麻痺させる。
 これしか手はなかった。
「やるしかない」
 柴崎は詠唱を始める。
 紡ぎだすは電撃の呪文。
 二階堂の猛攻を回避しながらの呪文詠唱。
 それも同じ詠唱を三回だ。
 繰り出される猛攻を凌ぎながら、ようやく柴崎の術式が完成する。
「牙弩流(ガドル)、牙弩流(ガドル)、牙弩流(ガドル)、牙むくは天壌の雷」
 完成した呪文。
 柴崎の背後に三つの首を持つ龍が出現する。
「刃怨狂陣(はえんきょうじん)……」
「そうはさせません」
 声は後ろから聞こえた。
 柴崎がその声に反応し、繰り出しかけていた術の方向をその声の主に解き放とうとする。
 が、それよりも早く。
「では、あちらへどうぞ」
 柴崎の体が体重を失った。
 それと同時に五感が消えうせる。
 次の瞬間、柴崎は全く別の場所にいた。
 それは小さな小部屋。
 蝋燭で照らせれる石造りのその部屋。
 小さなテーブルに向かって座る桂原がそこにはいた。
「桂原?」
「よく来た、待ってたぜ」
「聞きたいことがある、お前は……」
「世界(ワールド)」
 瞬間、世界が塗り替えられた。
 変わらない周囲の景色。
 だが、そこはすでに桂原の結界の中だった。
 桂原はイスに座ったまま本を開いていた。
「我は信じる、汝自由失うは絶対の法なり」
「なっ!」
 瞬間、柴崎の肉体が床に崩れ落ちた。
 立つことさえできない。
 喋る事もできないまま、柴崎は自分を見下ろす桂原を見つめていた。
「草津もえげつないな、ヤツの空間転移は準備さえしておけばどんなところでも可能というあたりがバケモノじみている」
 そう、柴崎が突如として桂原のいる地下七階に飛ばされたの草津の空間転移のせいであった。
「聞きたい事があるって? 答えてやるよ、ただし後でな」
 そういうと、桂原は柴崎の体を縛り上げる。
 それは縛られたが最後、異能者は輝光の使用も魔剣の行使もできなくなる、対異能者用特別製の縄だった。
「とりあえずこれでお前はオレたちの捕虜だ。聞きたい事があるなら後でいくらでも聞いかせてやる。その前に会ってもらわないといけない人間がいるがな」
 尋ね返すこともできない柴崎。
 そんな柴崎の気持ちを汲んでか、桂原は落ち着いた口調でその言葉を口にした。
「お前にはクロウ・カードに会ってもらう」
 目を見張る。
 が、柴崎はそれ以上体を動かすことはできなかった。
 本を閉じる桂原。
 結界が消えうせる。
 後には肉体の自由を取り戻したが縛られているため身動きのできない柴崎と、本を閉じて虚空を見つめている桂原の姿が残っただけだった。






「ちぃっ!」
 思わず麻夜は舌打ちを漏らした。
 麻夜を包囲するように、さらに二十に近い数の人間が麻夜の背後、教会の入り口から現れたからだ。
 教会の聖堂で、麻夜は前後に四十に近い人間に囲まれた。
 全ての敵を視認しようとする麻夜。
 そして、違和感を覚えた。
「え?」
 思わずこぼす。
 だってそうだ。
 麻夜を囲んでいる四十にも及ぶ人間。
 その全てが小学生の子供のように小さくて。
 その全てが、同じ顔、同じ体格、同じ瞳と同じ髪をしていた。
「どういうこと?」
「ははははは、どうだね、我が芸術品の数々は」
「芸術品?」
 問う麻夜。
 そんな麻夜に、祭壇に腰をかけたヴィットーリオは愉快そうに言った。
「そうとも、私の芸術品だ。私は宝石の精霊をホムンクルスとして人間と全く変わらぬ存在を生み出す技術を用い、それに魔剣を埋め込んで人造の魔剣士とする実験を行っていたのだ。そして、十一月に逃げたホムンクルスには死なれたが、実験は成功だよ。見たまえ、この芸術品を、私の命令に従い君を殺す忠実な下僕たちさ」
 その言葉を肯定するように、四十もの少女達が動き出した。
 小さな可愛らしい指、その先にある爪がまるで剣のように伸びた。
 麻夜はその姿を、まるで爪の伸びた猫のように思った。
「さぁ、私の実験体がいかに有用か、君自身が味わってみると言い。ぜひとも感想を聞かせてくれ、次の実験の参考にしたい。もっとも……」
 その言葉を待たず、じわりじわりと実験体の少女たちが麻夜に対する包囲を狭め始めた。
「彼女達と戦って、命が残っていたらの話だがね」
 それが合図になったのか、四十にも及ぼう同じ顔の少女たちが麻夜に襲い掛かった。
 もし数騎がここにいたらどれほど驚いたことだろうか。
 なにせ、彼女がクリスと呼んだ少女と同じ顔をした人間が四十人も一箇所に集っているのだ。
 しかも、あの時のクリスは呪牙塵によって戦闘能力を大きく削がれていたが、この少女たちの体調は万全だった。
 精神支配を受けているのだろう、彼女たちの瞳に生気はなく、まるで無機質の物体であるかのようだった。
「まずい!」
 繰り出された第一撃を、麻夜は横に飛びのく事によって回避した。
 麻夜の命を刈り取るべく四十の実験体は波状攻撃を仕掛け、着実に麻夜の肉体を切り刻み続けた。
 麻夜には反撃に出る余裕などない。
 ただ、致命傷を受けないようにするだけで精一杯だった。
 鋭い斬撃に、麻夜の体は次々と切り刻まれていった。
 真っ赤に染まる全身。
 腹部には斬撃が二回、刺突が五回、腕や足、特に腕に負った傷は腕を盾にしたために十を超える斬撃を受けた。
 それでも麻夜は目に闘志をたぎらせる。
 前後左右上下から迫り来る敵をかわしながら、敵が見せた致命的な隙を好機とする。
「はあああぁぁぁぁ!」
 裂帛の気合。
 右手に握り締める絶鋼剣を振りかざし、少女の首に不可避の一撃を叩き込んだ。
 宙を舞う首。
 無表情なその顔は、ただ虚空を見つめながら地面に落ちる。
「一つ!」
 宣言し、麻夜は再び戦いに身を投じる。
 一人減ったぐらいでは一向に衰えない攻勢。
 麻夜も全身に傷を負っており、圧倒的に不利な局面。
 それでもなお、麻夜の目に迷いはなかった。
 獣のごとき俊敏性で斬撃をいなし、背中にも目があるかのごとく背後からの攻撃にも対応。
 戦局は見る見るうちに覆っていく。
「二つ!」
 腕が飛ぶ。
「三つ!」
 足が飛ぶ。
「四つ!」
 胴が真横に切断される。
「五つ!」
 脳天から唐竹割りにされる。
「六つ、八つ、九つ!」
 続けざまに繰り出される斬撃。
 とうとう少女の内、四分の一の殺戮が終わった。
 麻夜の気迫に動じたのか、無感情な少女達の麻夜に対する包囲が気のせいか遠巻きになっている。
「おやおや、どうなっているんだ?」
 ヴィットーリオが呟く。
 息を乱し、前かがみになりながらも、麻夜は呟くヴィットーリオを睨みつけていた。
「なぜそれだけの傷を負いながらそれほどまでに動くことができる? 再生能力かい?」
「ご明察よ、ちょろちょろとした攻撃じゃ私は取れないわ」
 言って体を起こす麻夜。
 ズタズタにされた服は服としての役割の大半を失っていた。
 かろうじて胸と股間が隠せる程度に残った衣服。
 そこから見える肌は、血がこびりついているものの、傷は全くと言っていいほど存在していなかった。
「なるほど、再生能力があるわけだ。だが、再生能力ってのは諸刃の剣なんだろう?」 
 自信ありげに口にするヴィットーリオ。
 まさにその通りだった。
 獣憑き、もしくはそれに匹敵する再生能力を持つ者は異常な再生の対価に無視できないほどの疲労をすることがよくある。
 獣憑きならば持ち前のタフネスで多少の無茶は可能だが、麻夜の肉体は女性のそれだ。
 傷は直せても体力の消耗は無視できないレベルである。
「持久戦も好きなんだけど、ここは一つ大技と行こうかね」
 指を高らかに鳴らす。
 ヴィットーリオの合図が下るや否や、死体となった少女たちの肉体がうごめき始める。「ダイヤモンド・ドッグス」
 ヴィットーリオがそう口にすると、少女の肉体がダイヤモンドの犬へと物質変換現象を起こした。
 ダイヤモンドドッグスは一直線にヴィットーリオの周辺に集まる。
 そこに、金髪の少女が一人、ヴィットーリオの側まで歩いていった。
「さて、お見せするのは彼女に埋め込まれた『鋼骨』の真骨頂さ、ご覧遊ばせ」
 そう言うのと全く同時に、少女の体内に埋め込まれた魔剣が起動した。
 十に達するダイヤモンド・ドッグスがその少女に飛び掛る。
 ダイヤモンド・ドッグスが少女の上に重なった。
 それと同時にダイヤモンドが、まるでジェルのようにうごめき始める。
 それだけではない。
 教会の外からも多数のダイヤモンド・ドッグスが現れ、少女に向かって走っていった。
 麻夜にはわからない事だったが、教会の墓地に眠っていた死体がダイヤモンドドッグスとして操られていたのだ。
 計、百を超えるダイヤモンド・ドッグスが少女と融合を始めた。
 ジェル状と化したダイヤモンドは流動し、一つの形を作り上げる。
 全長は四メートル。
 ダイヤモンドの装甲を持つその巨人は、圧倒的な身長から麻夜を悠然と見下ろした。
 ダイヤモンドの巨人。
 そう、それ以外にそこに生まれた存在を形容する言葉が見つからない。
 巨大な腕に足、そして厚い胴に石造のような顔。
 それを構成する要素がダイヤモンドなのだから、それは間違いなくダイヤモンドの巨人だった。
「どうだい? 炭素を操る鋼骨の最強奥義、ダイヤモンド・ゴーレムさ。ダイヤモンドの装甲は、例え絶鋼剣と言えどそう簡単には突破できないねぇ」
 本当に嬉しそうなヴィットーリオ。
 自分の実験体の素晴らしさに、惚れ惚れとしているのは一目でわかる。
 そんなヴィットーリオに対し、麻夜は不敵な笑みを浮かべる。
「そう? あなたにはダイヤモンドと石ころの見分けもつかないのかしら?」
「何だと?」
 ヴィットーリオの口調に殺気が篭る。
「私の実験体をバカにする気か?」
「する気じゃなくてしてるのよ、そんなくだらない玩具、すぐにでも砕いてあげるわ」
「そうか、じゃあやってもらおうか!」
 ヴィットーリオが天に向かって右腕を掲げる。
「行け、私の実験体たちよ!」
 指が高らかに鳴るのと、彼の実験体たちが一斉に麻夜に襲い掛かるのは全く同時だった。
 巨体には似合わない俊敏性をもって襲い掛かるダイヤモンドゴーレム、そして未だに残る二十九の少女達。
 迫り来る脅威に対して麻夜は、
「魅せてあげるわ、あなた達に伝説の具現を」
 笑みを浮かべ、一切の同様もなくそう口にしていた。
 次の瞬間、ヴィットーリオにとって信じられないことが起きた。
 なんと、麻夜に向かって襲い掛かろうとしていた実験体たちが、そろって動きを停止させたのだ。
「どうした、なぜ止まる!」
 叫ぶヴィットーリオ。
 だが、どんなにヴィットーリオが叫ぼうと、実験体は一切の動きを見せない。
「何故だ、何故動かない!」
「ごめんなさいね、今までは本調子じゃなかったの。久しぶりに使う力だから、ちょっと戸惑っちゃったのよね」
 まるで媚を売るように甘い声。
 それは、包囲網の中心にいる麻夜のものだった。
「これで私の勝ち、今なら半殺しで許してあげるけど、どうする?」
 勝ち誇ったように告げる麻夜。
 そんな麻夜に、ヴィットーリオは背筋を凍らせた。
 言葉の外に、麻夜が今どれだけ自分に対して優位にあるのかを漂わせていたからだ。
「ば、バカな。私が負けるはずがない。何故、何故実験体たちは動かないんだ! 動け、私の命令だぞ!」
 わめき散らすヴィットーリオ。
 麻夜はヴィットーリオを見つめながら仰々しいため息をついてみせた。
「無駄よ、あなたの玩具はもう動かないわ。動かないだけじゃない」
 麻夜は目を閉じ、そして再び開く。
 その瞳は、爬虫類のように細長い瞳孔、そしてその瞳は禍々しいまでの紫色に輝いていた。
 突然、ダイヤモンドゴーレムの肉体が砕け散った。
 バラバラと破片を撒き散らしながら砕けていくゴーレム。
 その破片がヴィットーリオの足元まで転がってきた。
 転がる破片はダイヤモンドのはずだった。
 だが、違った。
 ヴィットーリオの足元に転がる破片。
 それは、
「石?」
 そう、石だった。
 転がってくるはずのダイヤモンド。
 それがなぜか、石になって転がってきたのだ。
 何を思ったか、ヴィットーリオは視線を巡らし、動きの止まった実験体を見回した。
 信じられなかった。
 動きを止めている実験体。
 その実験体たちが、姿を豹変させていたのだ。
 若々しい明るい肌をしていた少女たちの肌から彩度が失われていた。
 白と黒、そして灰で構成された彼女達の色。
 無彩色なはずだ。
 少女達の肉体は、石で出来ていた。
 まるで石像。
 そう思わせるがごとく、少女達は石となっていた。
「バカな、石だと! 石化だと!」
 叫ばずにはいられなかった。
 それはそうだろう。
 石化、それは一撃で敵を戦闘不能にすることさえ可能な術式。
 だが、石化の術を操る術士など絶えて久しくもない存在だ。
 現在では失伝された技術の再生をもくろむ魔術結社の一派の一部が半年以上の時間をかけて石化の術の成功をしたという例しか聞かない。
 そうなのだ、現代の技術水準では、半年という時間をかけなければ石化の術など扱う事はできない。
 だというのに、目の前の女性は、
「降伏勧告は無視か、仕方ないわね」
 半年かかる芸当を、たった数秒でやってのけてしまった。
 そんな真似の出来る人間を。
 いや、そんな真似を出来る化け物を、ヴィットーリオは一人しか知らない。
「伝説の三姉妹の末女、ゴルゴンの女!」
「あら、本名で呼んでくれなくちゃイヤよ。私はアラクネって言う名前なの、そう呼んで」
 一呼吸置き、麻夜はさらに続けた。
「もし、あっちの名前で呼んだら、ぶち殺しちゃうわよ」
「アラクネだと? そんな失われた名前に何の価値がある! 呪われた女、メドーサよ!」
「……呼んだわね、その名前で」
 怒りを含む声で麻夜は応じた。
 ヴィットーリオを睨みつける。
「ひっ!」
 叫びをあげるヴィットーリオ。
 ヴィットーリオにはそれしか許されなかった。
 体が動かなかった。
 視線はそらせず、ただ先ほどまで見ていたものしか見ることしかかなわない。
 視線の先。
 そこには、紫色に光り輝く瞳。
 一切の抵抗も許さない、服従の視線が注がれる。
 ヴィットーリオの肉体が触覚を失った。
 次いで、あらゆる感覚が消失していく。
 最後には、ただ視覚だけが残った。
 それさえも最後には失われる。
 彼の網膜に最後に移ったもの。
 それはただ紫色に輝く二つの発光体。
 直後、ヴィットーリオの体が粉々に砕け散った。
 幸か不幸か、感覚を失っていたヴィットーリオは何も感じることなくこの世界から消えていった。
 それと同時に、麻夜を囲んでいた全ての少女の石像も砕け散る。
 岩の破片が転がる祭壇。
 そこには、ただ一人麻夜の姿が残った。
 麻夜はゆっくりと目を閉じる。
 そして、再び開いた時、麻夜の瞳は元の青、そして人間の瞳孔に戻っていた。
 そう、麻夜は魔眼の使い手だった。
 これこそが麻夜が赤の魔術師によって封じられていた真の能力。
 麻夜はこの世界の中でも有数の催眠術の使い手だった。
 生物相手にしか使用できない『偽信の魔眼』。
 能力は生命体に自分の強制したいことを信じさせること。
 他者のコントロールを始め、あらゆることに応用可能な魔眼だ。
 とはいえ、人間の意志のコントロールはなかなかに難しく、抵抗力のある人間ならばそうそうコントロールは効かない。
 故に、麻夜がコントロールするのは意思を持つ人間ではなく意志を持たない人間の細胞だ。
 細胞に対し、自身が人間の一部ではなく、石であると信じさせるのだ。
 催眠術によって細胞が石に変化していく事によって、結果的に石化という現象を引き起こす。
 それこそが麻夜を、いやメドーサと呼ばれた麻夜にとって転生前の女性を石化の魔獣たらしめていた力だった。
 ゴルゴン三姉妹の末女、メドーサと言う名の、見た人間を石化させる力を持つ魔獣。
 現代に転生し、過去の記憶と力を取り戻した姿こそ、綱野麻夜その人。
 驚異的な身体能力は魔獣であるが故の基礎能力。
 それに加え、赤の魔術師の不在によって本来の能力を取り戻した。
 石の破片だらけになった聖堂。
 窓が割られたことにより、月明かりの中立ち尽くす麻夜。
 月を見上げ、麻夜はじっとそれを見つめる。
「いつか殺してあげるからね」
 それは誰に向かっての言葉か。
 問うものはおらず、ただ静寂のみが支配する聖堂。
 その中で、麻夜はしばらくの間じっと立ち尽くしているのであった。






 麻夜と柴崎が聖堂にたどり着いたその頃。
 須藤数騎は地下室の大広間で座り込んでいた。
 二十畳を超える広さの石造りの大広間。
 あまりの広さをもてあました数騎は、部屋の隅っこでただじっとうずくまっていた。
 家具、家財類は一切存在しない部屋。
 ただでさえ広いのに、物が置いてないからさらに広く見える。
 ただ壁から生える金属の棒の先に蝋燭が立てられ、周囲を照らしている事だけは確認できる。
 あとはカンテラで照らしているだけだ。
 電気を通せばいいのに。
 そうも考えたが、鏡内界の中でも明かりが欲しい時は不便ということに気付き、数騎はこの状況を納得した。
 歌留多という女から聞いた話ではここに敵さんが現れるらしい。
 数騎は懐から写真を取り出した。
 三枚の写真。
 そこには、一人ずつ人間が写っていた。
 全て真正面からの写真だ。
 これを撮影された時には、自分を殺す人間がこれを見ているとは夢にも思うまい。
 写っているのは男が二人、女が一人だ。
 女は三十ほどの女性で、茶色の髪に緑色の瞳をしていた。
 鼻が高く、どこから見ても外人だが、どこか日本人の自分にも親しみが持てるような微笑を浮かべていた。
 男の一人は白のトーガ、円形の布を幾重にも巻きつけた重厚な恰好をした青年。
 この青年には見覚えがある。
 自分に神楽さんのいる牢屋への鍵を渡してくれた男だ。
 確かこの青年は歌留多の仲間だったはず。
 あの女、味方をオレに殺させるつもりなのか。
 そして最後の一枚に移る男。
 この男にも見覚えがあった。
 それは綱野探偵事務所を出て行った日に見た男。
 爪の異名を持つとされる魔術結社の幹部、たしかアルカナムとか言った。
 アルカナの使い手(アルカナム)、いかにも実力派につきそうな仇名だ。
 それにしても、あの女は何故この三人を殺させようとしているのだろう。
 殺す順番で言うなら女、青年、アルカナムだ。
 それにしても驚くのは青年が混じっていることだ。
 歌留多の味方のはずであることもそうだが、圧倒的に自分より格上の人間を殺すなど不可能に決まっている。
 だが、予知夢で殺害を保障しているなら殺せるのだろう。
 問題は四人目だ。
 いったい誰を殺させようというのか、それに。
 数騎は思わず思案する。
 それに、最後の一人を殺した後、自分はどうなるのか。
 どうも、歌留多という女は自分に格上の人間を殺させようとする傾向が強い。
 そもそも裏世界に首を突っ込む人間で、現場に出る者の中で自分以下の戦闘力の人間を探すほうが難しい現状だ。
 殺害対象は基本的に格上と考えるべきだろう。
 最悪の場合、最後の一人との決着は相打ちの可能性もある。
 もし、生き残れたとしても用済みとして殺される事さえあるだろう。
「迷うな」
 自分を叱咤する。
 そうだ、どの道あの女の言いなりにならなくては神楽さんを救い出せない。
 ならば自分のとる道はたった一つだ。
 四人の人間を殺し、神楽さんを助ける。
 これしかない。
 ただ、数騎には一つだけ疑問があった。
 数騎の記憶にある限り、桐里歌留多はオシャレな女の子だ。
 言っちゃ悪いが神楽さんのセンスは少しズレている。
 着物を普段着にするのは四十を超えたオバサンが周囲の目を引きたくて着飾るオシャレだ。
 妙齢の女性があんなものを着るのは祭りと初詣、もしくは成人式や結婚式で十分だろう
 それなのに何故、歌留多は神楽の着物を着ていたのか。
 もちろん、そんな疑問は一瞬で答えが出た。
 要はあれだ、ちょっと会話しただけでわかるが歌留多は性格が最悪だ。
 さらに未来が読めれば対象者の性格の把握も可能だろう。
 つまりは悪戯されたのだ。
 自分が神楽なしではどうにもならないことを知っているからこそ、歌留多はあのような手の込んだ嫌がらせをした。
 まったくもってけしからん女だった。
 神楽さんの爪の垢でも煎じて飲めばいいのだ。
 数騎の不満は、このような感じで完全に歌留多に対して集中していた。
 と、その時だった。
 数騎は遠くから足跡が聞こえてくるのに気がついた。
 敵だ、恐らくは女だろう。
 この大広間は二つの入り口がある。
 地下三階に向かう階段へと続く廊下、そして地下五階に向かう階段へと続く廊下へと二つだ。
 扉はもちろんある。
 木で出来た、よく中世の城で見られる鉄で補強されたヤツだ。
 身を隠すには十分、もちろん扉の影に潜むなどケチな方法はとらない。
 数騎は足音を立てずに扉に走りよると、壁の石に足をかけて壁を登り、扉の真上に張り付いた。
 石を敷き詰めて作られた壁には石の突起があり、ちょっと疲れるが壁に張り付く事は不可能ではない。
 数騎は壁に張り付き、扉が開くのを待った。
 数十秒がたち、扉が開かれる。
 数騎はとっくの昔に握り締めていたドゥンケル・リッターを構えた。
 もちろん刃は外に出ている。
 人間が入ってきた。
 数騎は壁を蹴って飛び降り、ナイフを振りかざして踊りかかった。
 素早く右腕を振り下ろす。
 と、腕の動きが鈍った。
 だってそうだ。
 数騎が殺すべき人間の髪は金髪。
 自分の真下にいる女性の髪は、流れるように長い黒髪。
 数騎もしばらく前まで一般市民だった男だ。
 殺人を好き好んでしたいとは思わない。
 数騎は女性の背中に襲い掛かる感じに飛び降りていたので、背中から首に左腕を回し、首を絞めて拘束、右手に握り締めるドゥンケル・リッターの刃をその女性の首に押し付けた。
「きゃっ」
 完全に不意をうたれた、セーターにロングスカート姿の女性は、思わず悲鳴を上げる。
 声の質から中年であることはうかがい知れる。
「な、何をするんですか?」
「答えによっては何もしない、お前だ誰だ? 何のためにここに来た?」
「その声……」
 女性が驚いたような声を漏らす。
 少々ためらいながら、女性は言葉を続ける。
「間違っていたらごめんなさい。あなた、もしかして……数騎?」
「オレを知ってるのか?」
「数騎、本当に数騎なのね」
 嬉しそうな声。
 その声を、数騎はどこかで聞いたような気がした。
 思わず数騎の腕が緩む。
 女性はその隙をついて数騎の拘束から逃れると、真正面から数騎の顔を見た。
 数騎も女性の顔を見る。
 呆然とした。
 それは存在するはずのない女性。
 数騎は思わずドゥンケル・リッターを取り落とした。
 石の床に落ちて短刀が甲高い音を上げる。
 だが、数騎にそんな音は聞こえていなかった。
「数騎、数騎なのね。本当に、数騎なのね」
 女性は数騎の両手を握り締めると、愛おしそうにそれを自分の頬に擦り付けた。
「こんなにやつれてしまって、つらかったでしょう」
 女性は数騎の両手を離すと、今度は両手で数騎の頬を挟み込むように撫でた。
 優しい手つき、温かい手のひら。
 数騎は瞬きをすることも忘れ、目の前の女性を見つめていた。
 自分と同じくらいの身長の中年女性。
 垂れ目気味の顔に、決して美しいとは言えない顔立ち。
 だが、一緒にいたいと思わせる優しさがにじみ出るその女性の笑顔は、心の底が暖かくなるような笑み。
 にじみ出る気品に、ほのかに香る線香の匂い。
 そっくりだった。
 それは本当にそっくりだった。
 ただ、少し記憶にある姿よりは老けてしまっている。
 それでも、それは見間違いようもなかった。
「母……さん……」
「そうよ、母さんよ……会いたかった」
 そういうと、数騎から母と呼ばれた女性は数騎を抱きしめた。
 優しく、大切なものを守るように。
 それは、母親が生まれたばかりの赤ん坊にする抱擁にも似ていた。
「もう大丈夫だからね、これからは一緒にいてあげるから」
「母さん?」
 信じられなかった。
 母さんはもう死んだはずなのだ。
 なぜ生きていて、しかも年を取った姿で自分の前に現れるのだ。
「つらかったでしょう、でももう大丈夫。お母さんが側にいるからね」
「母さん!」
 数騎は叫んだ。
 抱きしめてくる母親に、数騎は出来る限りの力で抱き返す。
 離さないように、二度と離さないように数騎は母親を抱きしめていた。
 なぜ生きていたのかは知らない。
 どうしていまさらになって現れるのかだってわからない。
 それでも、それは数騎にとってとてつもなく嬉しいことだったのだ。
 支えがなかった。
 家には居場所がなく、美坂町に来たあとは不幸の連続。
 大切な人を失い続け、人の血で手を汚す事さえあった。
 そこに、大切な人が現れた。
 二度と会うことはできないと思っていた人に。
 数騎は甘えたかった。
 彼女がいなかったためにつらかった日々を思い出して、母親を抱きしめ続けた。
 温かい温もり、聞こえてくる鼓動、そして線香の匂い。
 全て、過去の自分が与えられ、そして今も覚えているものだった。
 抱きしめながら、母親は数騎の頭を優しく撫でていた。
「いい子、いい子。もう大丈夫だからね」
「かぁ……さん……」
 堪える事はできなかった。
 母親の優しさを受けた数騎は、涙を流していた。
 嬉しかったから泣いた。
 感情を抑えきれずに泣いた。
 数騎の涙で服が濡れることも構わず、母親は数にの頭を優しく撫で続ける。
 それが心地よくて、数騎はいつまでも泣き続けていた。
 もし、それを横で見ている人間がいるとしたらどう思っただろうか。
 おそらく奇妙に思っただろう。
 理由は簡単だ。
 数騎が抱きついているのは金髪の中年女性。
 それを数騎は母さんと呼んで抱きついているのだ。
 数騎とその金髪の女性が血縁関係にないことは一目でわかる。
 だが、数騎の目の前にいる女性は黒い髪をした母親だった。
 数騎は気付かない。
 数騎の目に映る女性と、周りから見えるその女性の姿がまったくの別物だということに。
 金髪の女性が笑みを浮かべた。
 それは母親が子供を慈しむ慈愛の笑みではなく、ただ他者を見下すために作られた軽蔑の笑みであった。






魔術結社    残り三人
ヴラド一派   残り六人
アルス・マグナ 残り八人(ヴィットーリオ、石化の後に破砕される)


























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