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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第七羽 再起

第七羽 再起


「ここにいるのか?」
 教会の地下十四階。
 柴崎は草津の空間転移によってそこに連れて来られていた。
 周囲を見回す柴崎。
 そこは奇妙な空間だった。
 まるで南米大陸の古代文明の祭壇のような不可思議な文様の走った岩。
 一つとして彫刻の施されていない岩はなく、二百畳には及ぼうかと言う広さの部屋。
 天井の高さはざっと十メートル。
 幾本もの柱が立ち並び、天井からは赤いカーテンが、そして祭壇の中心から部屋の入り口にかけては赤の絨毯が敷かれている。
 絨毯のない地面はもちろん岩だ。
 といっても、表面の岩は滑らかになっているため、転んでも怪我はしにくい。
 せいぜい岩がもつ硬さのために痛みを感じる程度だろう。
 そんな部屋の中心、赤い絨毯の上を草津、二階堂、桂原、そして柴崎は歩いていた。
 柴崎は両腕を後ろに回され、異能を奪う縄で自由を失いながらだ。
 祭壇は階段を上る事によって辿り着く事ができる。
 その階段の途中。
 そこに、鎧を着た魔術師の姿があった。
 光を吸い込むかと思うほどに黒い胸甲、いかつい肩当てに取り付けられた黒きマント。
 腰に長剣をさす、騎士のようにも見えるその魔術師は、歩いてきた柴崎に声をかけた。
「ひさしぶりだな、司」
「クロウ……いや、養父さん!」
 見下ろしてくるクロウ・カードに柴崎は声を張り上げた。
「これは一体どういうことですか! 説明してください!」
「いいだろう、そのために私もお前をここに呼んだのだ」
 クロウ・カードはゆっくりとした歩みで柴崎のもとまで歩いてきた。
「草津、二人を」
「承りました」
 草津が指をならすと、桂原と二階堂の姿が一瞬にして消え去った。
「私も消えましょうか?」
「そうしてもらおうか」
「承知」
 それだけ言い残すと、草津の姿がこの場から消え去る。
 残るは柴崎とクロウ・カードのみとなった。
「養父さん、説明を」
「いいだろう、よく聞くがいい」
 クロウ・カードは一呼吸置き、続けた。
「知っての通り、私はアルス・マグナに所属している」
「なぜ?」
「世界を救うためだ」
「それに反する組織に所属しているあなたがですか?」
「もちろん、やつらと私の目的は違う」
「?」
 訝しげな顔をする柴崎。
 そんな柴崎に、クロウ・カードはゆっくりとした口調で続けた。
「司、お前はこの世界をどう思う?」
「どう、とは?」
「あまりにも不条理に満ちているとは思わないか? 飢餓、貧困、そして病気。あらゆる厄災が常に人々を狙っている。私はこの一部でもいいから解消をしたいと思い続けていた」
「それが今回の背信とどのような関係があると言うのですか?」
「お前は永遠があると思うか?」
「疑問を疑問で返すのですか」
 不機嫌な顔をする柴崎。
 そんな柴崎を無視して、クロウ・カードは続けた。
「私は永遠などないと考える。あらゆるものはいつか滅びる、これは仕方のないことだ。一説にはこの世界は神が作り出し、その後死に絶えたという。お前はそれをどう思う?」
「わかりません」
「神は不完全だった、故に死んだのだ。そして不完全な神が作り出した世界も不完全。で、あるならば人間は当然不完全だ。いつかは滅びる運命にある」
「それは、そうでしょう。いつかは人間も滅ぶ時が来る」
「だが、それは正しいことなのか? 永遠が約束されないからといって、人間が滅びてもお前はいいと思うのか?」
「理に逆らう事はできません」
「お前がそれを口にするとはな、司よ」
 クロウ・カードは柴崎の顔に指を突きつけながら続けた。
「お前は何のために生きている。人々を救うためだろう? 百人を助けるために一人を殺し、億人を救うために百万を殺す。それが貴様の選択した人生だ」
 黙って答えない柴崎。
 クロウ・カードは返答も求めず続ける。
「私は人間は滅びるべきではないと思う。生き残らなくてはならない。永遠に人間という種が存在しなければならないのだ。そのためには力が必要だ。私の行為を実行に移すための力がそのために私は界裂を手に入れる」
「手に入れて、どうするのですか?」
「武力を持って世界を制す、そして不要な人間を殺しつくす」
「なぜ?」
「人間は劣等な遺伝子を持つものと優良な遺伝子を持つものがいる。劣等な遺伝子を受け継いだ人間は遺伝ゆえに病気になり、死ぬ。その危険を子孫達に残すのは良い事とはいえない。だからこそ殺すのだ。劣等な遺伝子を持つものを殺しつくす事によって優れた遺伝子を持つ人間のみが残る。これを幾世代も繰り返していけば人間は、いつか病を負う事になる者がいなくなる。このようにして人間を品種改良し、永遠を生き延びるための種族を作り出すのだ」
「つまり、不要な人間は全て殺すと」
「そうしなければ永遠には届かない」
 その言葉を聞いた瞬間、柴崎は大きく歯軋りをした。
「ふざけるな! あなたは一体どれだけの人間を殺す気だ! 優良な遺伝子を持つ人間が何人いると思っている! この地上の、九割以上の人間を殺しつくすつもりか!」
「違うな、無限に等しい人間を救うつもりでいるのだ」
「なんだと?」
「考えてみるがいい。お前は一人でも多くの人間を助けるために行動している。そのために何人の人間をお前は殺してきたのだ?」
「それは……」
「それを拡大するだけだ。お前は一人を殺し、百人を救う。私は六十億を殺し、その後に生まれてくる全ての人間を救済する。どうだ、私はお前のやろうとしていることを、さらに規模を大きくしてやろうとしているだけだ。私の思想はむしろお前に近い。アルス・マグナの連中はこの世界にしか興味がない、人間が滅びようとも世界が存続すればいいと考えている。私は違う、私はこの世界に住む人間が永遠に生きていけるように願っているのだ。私の思想はお前と同じだ」
「でも、多くの人間が死ぬ!」
「死ぬ人間の数十億倍の人間が助かる、お前が助けた人間などものの数にはならないくらいのだ」
 クロウ・カードは正面から柴崎の顔を見つめた。
「どうだ、司。私と共に来る気はないか?」
「………………」
 柴崎は答えられなかった。
 自分の行動をかんがみて、クロウ・カードの言葉が間違っているとは考えられなかった。
 確かにそうなる。
 一人でも多くの人間を助ければいいという自分の思想に従うなら、クロウ・カードの言葉は正義だ。
 大虐殺を行っても、そのおかげで助かる人間がいるなら行うべきだ。
 でも、何人が死ぬのだ?
 確かに体に欠陥を抱えて生きる人も多い。
 子供が産めない人間だって存在する。
 だが、科学の進歩のため、そのような人でも子供を残せるようになった。
 子孫を残せる、それはすばらしいことだ。
 誰にも止める権利などないはずだ。
 だと言うのに。
 目の前の男は、それに公然と否と言ってのけた。
 お前達は邪魔だと。
 他の人間が滅びないために滅びろと言ったのだ。
 だが、どこが違う。
 自分とクロウ・カード、一体どこが違うのだ。
 柴崎は断言できなかった。
 柴崎は、自分を悪とは思っていない。
 だからこそ、同じ思想をもつクロウ・カードを悪と認定する事ができなかった。
「答えは出ぬか、ならばしばらく悩むがいい」
 呟き、クロウ・カードは懐から本をとりだした。
「魔術師」
 詠唱。
 瞬間、柴崎の肉体が体重を失う。
「しばらく牢屋で考えているといい。後でもう一度だけお前に聞こう、私と共に行くか。行くならよし、だが行かぬなら」
 クロウ・カードは言葉を切り、そして言い放つ。
「お前を殺す」
 次の瞬間、柴崎は空間転移されていた。
 魔術師のアルカナの能力は瞬間移動。
 柴崎の体は地下七階の牢屋に飛ばされた。
「くそ、なんてことだ」
 うめくようにして柴崎は口にする。
 石造りの牢屋、はめ込まれた鉄格子。
 両腕を拘束されているために行動も起こせず、柴崎は歯軋りするしかない。
 クロウ・カードは間違っていなかった。
 だが、決定的に間違っていた。
 しかし、それを認めることはできなかった。
 なぜなら、
「くそぅ」
 呻く。
 柴崎にはそれくらいしかできなかった。
 うつむくようにして座り込む柴崎。
 どれくらいそうしていただろうか。
 床を見つめ続ける柴崎に、女性が声をかけた。
「あの」
 驚いて顔を上げる。
「大丈夫ですか」
 向かい側の牢屋に入っている女性の声だった。
 柴崎は驚いた。
 彼にはその女性に見覚えがあった。
 驚きながら、柴崎はその女性の名を口にする。
「お前……歌留多か?」
「え、違いますよ。私は桐里神楽です」
「神楽?」
 確かに、言われて見れば歌留多は赤い着物を着るようなセンスの持ち主ではなかった。
 だが、おかしい。
 聞いた話では桐里神楽という女性は死んだはずなのだが。
 疑惑は深まるばかり。
 困惑する顔をする柴崎を、神楽はなおも心配そうな顔で見つめ続けるのであった。






 小さな一室。
 ベッドと小さな机のみが存在するその部屋に、二人の人間がいた。
 一人はベッドに腰掛ける中年の女性。
 もう一人は、その女性に膝枕をしてもらってベッドで寝転がっている少年。
 その二人、須藤数騎とその母親であった。
 ベッドに寝転がる数騎は、心地よさそうな顔で膝枕を楽しんでいる。
 目をつぶり、甘えてくる数騎の頭を、母親は優しく撫で続けていた。
「つらかったでしょうね、数騎」
 慰めるように口にする母親。
 数騎は話していた。
 母親がいなくなったために家庭で何が起こったのかを。
 家出をして、この町でどんなことがあったかを。
 その全てを聞いて、母親は悲しそうに涙を流した。
 そして、数騎を愛おしそうに抱きしめた。
 それで数騎は満足だった。
 母親がいなかったために起きたつらいことの数々。
 そして、母親自身の不在。
 その全てを憎み続けてきた数騎だったが、現物を目の前にした時の気分は違った。
 母親を目の前にした数騎は、過去に母親に関して憎んでいた事柄を全て忘れてしまった。
 今はただ、母親に甘えたい。
 それだけが数騎の考えていたことだった。
「大丈夫よ、今は母さんがいるから」
 落ち着いた声で返す数騎。
 数騎はこれ以上ないほど幸せだった。
 失くしたと思っていたものが戻ってきたのだ。
 これまでがどれだけつらかったか、数騎はいまさらになって思い出していた。
 母親が死んでからの父の冷たい態度。
 再婚相手の継母による暴力の数々。
 そして、美坂町で起きたつらい出来事の数々。
 それでも、数騎はこれで満足に思っていた。
 つらいことはいくらでもあった。
 それでも、大切なものが戻ってきた。
 それならこれは、思い描いていた以上の未来。
 そんな未来を約束された数騎は、母親に懇願するような声で囁く。
「母さん、もうどこにもいかないでね」
「大丈夫よ、どこにもいかないから」
 頭を撫でる母親。
 心地よさそうな顔で、数騎はさらに続けた。
「これからは、ずっと一緒にいてね」
「えぇ、一緒よ。これからもずっと」
 微笑む母親。
 その顔を見て、数騎は子供のように微笑んだ。
 それは凄惨なる戦いの中の安らぎ。
 だが、それはあり得ざる偽りの時だった。
 数騎の見つめている黒髪の女性。
 だが、部屋の片隅に置かれた人間の身長と同じくらいの鏡の映る姿は別のものだった。
 金髪の女性、それはヴラド・メイザースの配下、ターニャと呼ばれる女性であった。
 ターニャは笑う、優しさを込めて。
 ターニャは笑う、慈しみを込めて。
 ターニャは嗤う、侮蔑を込めて。
 数騎はその笑みの真意に気付かない。
 ただただ、母親が蘇ったものと勘違いして、彼女にすがり続けるだけ。
 時間が過ぎ去る。
 数騎が一時の楽園を訪れている間、別の場所では様々な事態が推移していたのであった。






 古代ギリシャ、キリストと呼ばれる男が生まれるさらに二千年近く前。
 エーゲ海のセリポス島と呼ばれる島に三人の美しい姉妹がいた。
 長女の名をステンノ、次女の名をエウリュアレ。
 そして、三女の名をアラクネと言った。
 アラクネはタペストリ、織物が得意で村中から評判の美女だった。
 過ごしやすい気候で知られるセリポス島で、三人は幸せな生活を送っていた。
 アラクネには恋人がいた。
 美しい、すらりとした体をもつ長身の青年だ。
 優しそうな顔、おっとりとた性格、だけど芯が強く真っ直ぐで、何よりもアラクネのことを心の底から愛してくれていた。
 そんな時、セリポス島の王が噂に聞く三姉妹を我が物にしようと村に姿を現した。
 王の慰み者になる運命を避けるために、三姉妹はセリポス島を脱出した。
 青年に最後の別れを告げることが出来なかったのが、アラクネには残念でならなかった。
 セリポス島を脱出した後も、セリポス島の王は執拗に三姉妹を追い続けた。
 そんな時、アラクネの美しさに引かれたポセイドンと呼ばれる海の神がアラクネの歌を娘に教えるという条件で三姉妹を救った。
 アラクネの歌声はそれは見事なもので、神々さえも魅了するものだった。
 この歌が後にセイレンと呼ばれる魔獣に歌われる事になるのだが、それはまた別の話。
 ポセイドンに助けられた三姉妹は、ようやくセリポス島の王の力の及ばない無人島にたどり着いたのである。
 だが、これに怒った女神がいた。
 アラクネはポセイドンに歌を教える際にアテナの神殿で歌を歌った。
 人間ごときをアテナの神殿で歌わせる、これが女神アテナには我慢ならなかった。
 アテナは美しき三姉妹を見るも無残な姿に変えた。
 そう、この世の誰もが愛さないほどに醜い顔、醜い姿、さらに呪いまでかけて三姉妹に屈辱を与えたのだ。
 だが、一人だけこの呪いがおかしな具合でかかってしまった女性がいた。
 末女のアラクネである。
 アテナの呪いは、誰からも愛される事もない醜い姿で永遠に生き続けるという悪質な呪いだった。
 そのため、姿を変えるだけではなく不死の呪いをも与えられた。
 そして永遠に島から出る事も出来ず、世界が果てるまで生き続ける宿命を与えられたのだ。
 だが、アラクネだけは違った結果が訪れた。
 どのような突然変異か。
 アテネの対象を醜くする呪いは、彼女の髪と瞳にだけ変化を与えた。
 遠目に見るとわからないが、よほど目を近づけてみると彼女の毛の先端に蛇の頭が存在することがわかるようになった。
 極細の蛇、それが彼女の新しい毛髪だった。
 柔らかさ、そして艶に変化はないが、その髪は間違いなく蛇のそれだった。
 そして瞳、爬虫類のような紫色の瞳は、人間を連想させない醜さが伴っていた。
 それだけだった。
 彼女の姿は依然として美しく、肉体はあまりにも魅力的なままだ。
 それに加え、アラクネには不死の呪いまでもが歪んだ形で発現した。
 アラクネが手に入れた不死は寿命を迎えないものではなく、異常なまでの再生能力だった。
 それは自分自身の細胞に催眠術をかけ、たった数秒でいかなる傷をも治すことができる。
 アラクネは、それを自分自身の力としてコントロールできるようになったのだ。
 自信の細胞さえも操る神の催眠術、そしてそれを操るための神によって変異させられた紫の瞳。
 アラクネがこの力を得たことによって、アテネは恐怖を覚えた。
 二人の姉に死よりもつらいであろう所業を行ったのだ。
 怒り狂ったアラクネが自分に襲い掛かる可能性は十分にある。
 アテネはアラクネの討伐のために、ギリシャ中の勇者を送り込んだが、全てが返り討ちになった。
 それはそうだろう、アラクネは敵を見るだけで石に変えることができる。
 催眠術で人間に自分が石だと信じ込ませることで本当に石にしてしまうからだ。
 勇者を返り討ちにされて、アテナは恐慌した。
 すぐにでも自分に復讐に来る。
 アテナはいてもたってもいられなくなった。
 が、当のアラクネには復讐の意志はなかった。
 いや、正確にはあったのだが、二人の姉がそれを留めたのだ。
 二人の姉は満足だった。
 彼女にとって、自分達の無念を晴らすために妹が犠牲になるよりも、醜く変わり果ててしまっても三人で共に暮らしていけるだけで十分だった。
 ただ、二人の姉が懸念することが一つだけあった。
 それは、二人は不死だがアラクネは不死ではないということ。
 二人はアラクネが寿命で命を落とした後、自分達も死にたいと考えていた。
 だが二人は不死だ、アラクネが死した後も生き続けなくてはならない。
 二人の姉の願いは二つとなった。
 一つはアラクネと共に三人で幸せに暮らすこと、そして最後には三人で死ぬこと。
 ただそれだけだった。
 そんな時、アテナは最強の英雄を手に入れた。
 セリポス島で生まれ育ち、セリポス島で成人したギリシャ神話においてもトップクラスの勲功を入手することになる英雄を。
 その英雄は五つの力ある魔剣を手に、アラクネのいる島に乗り込んでいった。
 その頃のアラクネはあまりの強さから女支配者の意味を持つ、メデューサと言う名で呼ばれるようになっていた。
 そして、メデューサはその英雄に討ち取られる。
 ギリシャ神話の中でも一際有名なその英雄譚。
 それは、紛れもなく過去の世界で起こった出来事であった。






「あ〜、つまんないこと思い出しちゃった」
 麻夜は面倒臭そうに大きなため息をついた。
 教会の地下三階。
 蝋燭の炎が揺れる廊下を、麻夜は足音を鳴らしながら歩き続けていた。
 綱野麻夜は転生復活者だった。
 転生復活者とは過去の人間の魂の記憶が、現代の転生体に蘇ったものだ。
 綱野麻夜の転生前の姿はアラクネという美しい少女、メデューサと呼ばれて恐れられた魔獣のそれだった。
 彼女が転生復活したのは六年前、初めて転生復活した彼女は有名な女子高の生徒だった。
 しかし、転生復活した途端に同僚達を間違えて石化させてしまったのだ。
 恐怖に駆られた麻夜はそれ以来家に引きこもるようになったが、それを赤の魔術師が発見した。
 麻夜を全裸に剥くと、赤の魔術師は彼女に体中に封印の呪詛を刻んだ。
 彼女は本来の力を失い、その後六年間という時間を使って自分の力のコントロールができるように訓練を続けた。
 そして、今年の三月、彼女は赤の魔術師に三年に一度の、呪詛を埋め込み力を封印してもらう日のこと。
 全裸になって体のいたるところに呪詛を刻んでもらう儀式。
 六年前と三年前は赤の魔術師が力づくで麻夜を全裸にしたが、今年の麻夜は自分から服を脱いで見せた。
 今までは無理矢理拘束の術をかけていた赤の魔術師は、安心して麻夜に封印の術式を施し始めた。
 封印の呪詛を施し終え、赤の魔術師が油断したその瞬間に麻夜は赤の魔術師に襲い掛かった。
 術を使わせては世界最強でも、怪力で腹部を強打し喉に鉄拳を食らわせてやれば術をつかうどころの騒ぎではない。
 麻夜はそのまま魔術結社の支部から全裸で脱出した。
 服を取り返したかったが、赤の魔術師を暴行する音に気付いたほかの人間に見つかったために麻夜は服を回収することができなかったのだ。
 麻夜は裏の世界、というか魔術結社で働き続けることが気に食わなかった。
 彼女は平凡に生きたいだけなのだ。
 彼女の生きた四千年前、美人は権力者の慰み者になるしかなかった時代。
 だが、現代の日本では、やや女性に不利な社会であろうとも意志に反して男の慰みものになる確率は恐ろしく低くなった。
 麻夜は平和な世界で暮らしたかった。
 しかし、麻夜の持つ特異な能力を知る魔術結社はそれを許さない。
 全裸で脱走した麻夜は行き場もなく途方にくれていたところで数騎に出会い、そして麻夜を追って来た赤の魔術師に再び出会い、泣く泣く魔術結社に再入社することになってしまったのだった。
 けれど麻夜は現在の自分の状況を悪くは思っていなかった。
 だが、課された運命に抗おうにも麻夜には悩みが一つあった。
 それは二人の姉のことだ。
 二人の姉は未だに生きていた。
 不死なのだ、四千年程度で朽ちるものではない。
 彼女達の心は完全に擦り切れていた。
 もはや死しか彼女達を解き放つものはない。
 だが、彼女達を殺す方法がなかった。
 おそらく近代兵器のようなものでは彼女達を殺害できない。
 ならば裏世界にある技術によって不死なる姉を殺すしかない。
 麻夜は、平和な暮らしと姉の殺害方法を探すという二つの目標を持って行動していた。
 だからどうしても裏の世界から離れられない。
 機会ならいくらでもあったのに、未だに麻夜が魔術結社に所属している理由がそれだった。
「全く、私もダメな女ね」
 愚痴をこぼす麻夜。
 歩き続けるうちに、麻夜は木製の扉までたどり着いた。
 罠か。
 麻夜は疑ったが、なんとなく罠ではない気がした。
 麻夜は黙って扉を開ける。
 そして見た。
 広い広い部屋。
 小さな体育館並みの広さのあるその部屋の中心に一人の人間の姿を見たのだ。
 麻夜は息を飲んだ。
 その人間も全く同時に息を飲む。
 二人はお互いを見つめあう。
 二人は、恐らく一分間近く無言で見つめあい続けていた。






「どうしよう……」
 薙風は困り果てていた。
 柴崎たちが出て行ってからすでに一時間以上の時が流れていた。
 ソファに腰かけ、薙風はテレビもつけずにじっと窓の外を見つめ続けている。
 すでに夜の帳は降りている。
 漆黒の空にかすかに輝く星々。
 月は満月、魔に属する者が最も力を発揮しえる夜。
「戟耶……」
 薙風は柴崎司が、いや剣崎戟耶が心配でならなかった。
 魔飢憑緋と刃羅飢鬼という強力な魔剣を二刀持つとはいえ、敵の規模はあまりのも巨大。
 戦力比で劣っている上に、信頼できない連中と組んだとしても数で負けているのだ。
 生き残れるとは到底思えない。
 助けに行きたかった。
 でも無理だった。
 戦うのが怖かったから。
 戦いで命を失うのが、心の底から恐ろしかった。
 恐怖に体が震える。
 薙風は自分の体を強く抱きしめるようにすると、なんとか腕で震えを押さえつけようとした。
 それでも震えは止まらなかった。
 何が恐ろしいのか。
 自分が死ぬのが怖い。
 確かにそうだ。
 確かにそうなのだが。
 と、そこまで考えた時だった。
 ドアをノックする音が聞こえてきた。
 こんな時間に誰が。
 薙風は少々戸惑いながらも玄関に向かう。
「あっ」
 思わず足を止めた。
 そうだ、相手がこちらに害意がないとは限らない。
 薙風は自分の迂闊さを呪いながら輝光探知を行った。
 感じたのは見知った輝光。
 薙風は安心しながら玄関を開けた。
「柳沢……久しぶり」
「お久しぶりだな、薙風さん」
 人のいい笑みを浮かべる中年の男がそこにいた。
 身長は百七十後半、ゆたかな黒髪に薄いひげを生やし、竹刀袋を肩に担ぐ三十代半ばの男。
 まるで剣道場の主のように、胴衣を着流すその姿。
 ランページ・ファントムに所属する二の亡霊の名を持つ男、柳沢敏明はまさにそういう男だった。
「入ってもいいかい?」
「うん……」
 薙風は手で事務所の中を指し示すと、自ら率先して事務所の中に進んでいった。
「どうぞ……」
 ソファの前で立ち止まると、薙風は柳沢に座るように進めた。
 柳沢はゆっくりとソファに腰をかける。
 それにならって、薙風も腰を降ろした。
「それで、用は?」
「あぁ、今起こっている戦いの事で来た」
「戦い……」
 言うまでもない、結界が敷かれたこの限定された空間の中で巻き起こる戦い。
 一体どれほどの人間が命を落としたのか、薙風にそれはわからなかった。
「そうだ、柳沢」
「どうした?」
「他の、仲間は?」
 そう、アルカナムと同じホテルに泊まっていたランページ・ファントムのメンバーは二人いた。
 五の亡霊、藤堂真二。
 アルカナムはアルス・マグナの回し者だった、なら藤堂は今。
「殺された、アルカナムに」
「そんな……」
 顔を青くする薙風。
 そんな薙風に、柳沢はさらに続けた。
「それだけじゃない、剣崎、相沢、座間も殺された。十一月に死んだ三人も合わせればランページ・ファントムは半壊したと言えるだろう」
「半壊……」
 悲しそうに口にする薙風。
 それはそうだろう。
 もともとは同じ部隊に所属していた仲間が半分もいなくなってしまったのだ。
 薙風は泣きそうになりながらも、なんとか涙を堪えていた。
「どうしよう……」
「どうするかって? 助けに行くしかないだろう」
「誰を?」
 問う薙風に、柳沢は力強く答える。
「柴崎たちだ、いくらあいつらが精鋭と言えども二人でヤツらを撃破はできまい。私達が助けるしかない」
「助ける……」
 わずかに体が震えた。
 怖かった。
 戦うのが怖かった。
「つらいだろうがやるしかないんだ、それとも柴崎が死んでもいいのか? あいつは敵に捕らえられている。助けに行かなければ殺されるぞ」
「嘘……」
「嘘じゃない、あいつは囚われの身だ。あと動けるのは綱野さんしかない。そしてオレと、お前だ。薙風」
「私が……」
「戦うんだ、もう戦力は数えるほどしかない」
「でも、魔剣が」
「あるだろう? この事務所には魔剣士から奪取した魔剣が。それを使え」
 確かに言われたとおりに、この事務所にはまだ魔剣が二つ残っている。
 得意な系統の魔剣ではないが、使えないわけではない。
「とって来い、柴崎が死んでもいいのか?」
「イヤ……」
「じゃあやるしかない、殺しあいはすぐ始まる。取りに行くんだ」
「わかった」
 頷いて答える薙風。
 ソファから立ち上がり、内心の怯えを隠し切れず体を震わせながら薙風は魔剣を保管している保管庫に向かうことにした。
 保管庫には結界が張ってあり、合言葉を言わなければ魔剣が取り出せない仕組みになっている。
 薙風は合言葉を思い出しながら、保管庫に続く扉へ歩いていく。
 と、途中で足を止めた。
 背中には冷や汗が流れている。
 どうして気付いてしまったのだろう。
 気付かないままでいれば問題なくやりすごせたかもしれないというのに。
 だが、自分に演技をする技量はない。
 必ず見透かされる。
 なら聞くしかなかった。
 薙風は震えながら柳沢を振り返った。
「柳沢……」
「どうした、早く取って来い」
「二つ教えて」
「そんな事より魔剣を取って……」
「答えて!」
 強い薙風の声が柳沢の言葉を遮った。
 声には恐怖がこびりついていた。
 渇き始めた喉を動かして、薙風は口を開く。
「柳沢、なんで柴崎が捕らえられてるって知ってるの?」
「そ、そりゃオレがあいつが捕らえられてるのを見たからだよ」
 答える柳沢。
 その言葉にはおかしいところがない。
 薙風はさらに続ける。
「じゃあ、何で柴崎の持っていた魔飢憑緋をあなたが持ってるの?」
 柳沢は、驚きに目を見開く。
「なぜ、わかった?」
「魔飢憑緋なら、どこにあっても私には感じ取れるから」
「そうか、迂闊だったな。持って来るべきじゃなかったか」
 ソファから立ち上がり、柳沢は竹刀袋の中から魔飢憑緋を取り出した。
「柳沢……あなた……」
「あ〜、勘の鋭いお嬢さんだぜ」
 面倒くさそうに口にする柳沢。
 その返答で、薙風の恐れていた事態が実現してしまった。
 なぜ柴崎がとらわれた事を知っているのか。
 なぜその柴崎が持っていた魔飢憑緋を柳沢が手にしているのか。
 そしてなぜ、柳沢は傷一つ負わなず、体力も全く消耗していないのか。
 もし、柴崎が捕らわれた現場にいたとするなら、柳沢も交戦中であったはず。
 それならば多少の怪我、それがなくても体力の消耗はしているはずなのだ。
 魔飢憑緋を薙風のために届けに来たと言う可能性もない。
 理由は簡単だ、柴崎の魔飢憑緋を回収するためには、魔飢憑緋を手放した柴崎の側にいなくてはならない。
 それは恐らく柴崎を捕らえた相手の眼前、もしくは去った後に行われるはず。
 それなのに、やはり柳沢は傷一つ、消耗も全くしていない。
 そして決定的なこと、今までこれだけの事態が起こっているというのに、なぜこちらに連絡も取らず今頃になって現れたか。
 ホテルにいたならアルカナムに殺害されているはずだ。
 いや、違う。
 なぜアルカナムは藤堂と柳沢を側においておいたか。
 一番わかりやすい回答、それは。
「柳沢、あなたもしかして……」
「闇の救世主かって聞きたいのか?」
「っ!」
「おお、図星か。その通り、オレも藤堂もアルス・マグナの寝返り組さ。桂原も座間を殺してこっちに忠誠を示してくれた。素晴らしい、魔術結社の誇る精鋭部隊の四分の一が見事に寝返りだ、実に愉快」
「なんで、こんなこと」
「なんでこんなこと? さぁ、他の連中の気持ちはオレにはわからない。でも、オレの気持ちならオレにはよくわかる」
 そこまで言うと、柳沢はソファの前においてあるテーブルを思いっきり蹴り飛ばした。
「何故貴様ごときが魔飢憑緋を持たされているんだ!」
「えっ?」
「何故、貴様程度の人間が魔飢憑緋を操っているのだ! オレの方がお前よりも優秀なんだぞ! 何が純血だ、何が龍の巫女だ! 血のにじむような努力をしてきた、誰よりも鍛錬に励んだ。今でこそ二の亡霊に堕ちたが以前までは一の亡霊だった。オレはそれほど優秀なんだ! なのに何故だ、薙風の血に一滴も混ざりがないというだけで、何故薙風の里に代々伝わる魔飢憑緋をお前が使っているのだ。オレの強さは誰もが認めているんだ、だからこそオレは二でお前は九なんだ! オレの母親が一般人の父親を選んだのがそんなにいけなかったとでも言うのか!」
 そう、柳沢は薙風の里出身の母親を持つ魔剣士だった。
 薙風は限られた血族同士が契りあい、外から混ざり物の血が入ってこないようにして生きている一族だった。
 外の人間との結婚は許されるが、その子供が薙風の里の一員として認められることはない。
 混血児は、永遠に薙風の里の人間にはなれない。
 そして彼には分家筋としての名、矢薙の名を含んだヤナギサワの苗字を頂くことになった。
 それで彼の全ては狂った。
 血の力によって魔剣の扱いが得意だった彼は、裏の世界に年若く入り込み、修練を重ねて上位の異能者に登り詰めた。
 裏の世界は実力至上主義の世界だった。
 だからこそ、純粋な御三家でない柳沢が一時とは言え精鋭部隊のリーダーになれた。
 それでもなお、柳沢に魔飢憑緋は与えられなかった。
 薙風の里の秘法中の秘法、魔飢憑緋。
 それは、薙風の一族の代表にのみ使用を許された魔剣だった。
 そして、それを操るのは龍の巫女の薙風。
 柳沢に数段劣る実力しかない薙風に、その魔剣が与えられたのだ。
 柳沢にはそれが許せなかった。
 母親が過ちを犯しただけなのだ。
 自分は何も悪い事をしていない。
 だというのに、柳沢は同じ血族が秘法としている魔剣を使用することを許されない。
 初めてその事実を知らされた時、怒りを通り越してあきれ果てた。
 許せなかった。
 そんなバカな理由で、汗を流して苦しみ続けた人間の努力が踏みにじられるなど。
 正当な労苦に対する正当な報酬。
 そんな一辺の曇りもない要求を拒絶されたことが柳沢に離反を決意させた。
 アルカナムに従う条件として、柳沢は魔飢憑緋を要求した。
 自身の扱う空間を操る魔剣は草津というアルス・マグナの構成員にくれてやった。
 そして、歌留多の予言どおりに柴崎が捕らえられると、柳沢はすぐさま魔飢憑緋を手中に収める。
 手にした瞬間理解した。
 扱える。
 自分にはこの魔剣が扱える。
 やはり魔飢憑緋は自分にこそふさわしい。
 そして思った。
 今までこれを不当に所持していた女をこの魔剣で殺してやろうと。
 だが、クロウ・カードは余計な命令までしてくださった。
 ついでに探偵事務所にある投影空想と糸線結界をとってこいと。
 なるほど、確かにその二つを手に入れれば戦力が増える。
 しかし、魔剣は合言葉を必要とする保管庫にしまってある。
 保管庫の管理人は魔剣の扱いが得意な薙風だ。
 合言葉なしで魔剣を回収するのは骨だった。
 だから薙風に保管庫を開かせてから殺すつもりだったが仕方ない。
 柳沢は二つの魔剣の奪取をあきらめると、魔飢憑緋の柄に手をかける。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、餓狼無哭(がろうむこく)」
 紡がれる詠唱。
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)、緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
 待ちに待ったこの時を、至福の笑みとともに歓迎する柳沢は、
「魔餓憑緋(まがつひ)」
 その紅の魔剣を解き放った。
 同時に、部屋についていた電気が一瞬にして消え去った。
 それだけではない。
 目の前にあった景色が、瞬く間に反転したのだ。
 そう、柳沢は異層空間を展開し、薙風をそこに取り込んだのだ。
 鏡内界の中に薙風と柳沢が二人。
「行くぞ」
 呟く柳沢。
 月明かり差し込む事務所の中で、柳沢が薙風に襲い掛かる。
 鋭い踏み込みと同時に繰り出されるは横薙ぎの斬撃。
 それを、薙風は後方に飛びのく事で回避した。
 続けざまの蓮撃が薙風を襲う。
 薙風は身体能力の高さを活かして回避を続けた。
 だが、不利は明らかだった。
 柳沢は魔飢憑緋によって身体能力を向上させ、さらに魔飢憑緋の能力によって剣技に補正がかかっている。
 それに比べて薙風は自身の力量のみ、さらには狭い事務所の中であるために逃げ場は限られている。
 しかし、薙風はそのようなことで諦めるような人間ではない。
 後退は意図的、彼女のたどり着く先には飾り物の鎧兜。
 そして、鎧兜の眼前に置かれているものは。
「ほぅ」
 感嘆した声をあげる柳沢。
 そう、薙風の手に握られたもの。
 それは紅鉄の刀。
 引き抜かれる紅の刃。
 そう、それは魔飢憑緋暴走事件の折に佐々木小次郎の霊魂に操られた数騎が用いた刀。
 何の魔力も込められていない、ただ紅鉄で作られてと言うだけの刀。
「そんなもので魔飢憑緋と渡り合う気か?」
 嘲笑する柳沢。
 魔飢憑緋を正眼に構え、薙風の隙をうかがう。
 それに対し、薙風は下段に刀を構えた。
 そこに柳沢が襲い掛かる。
 一足一刀の間合い。
 だが、それは薙風にとっても同じだった。
 打ち鳴らされる刀と刀。
 二人の剣撃はあまりのも華麗で、ぞっとするほど死に思いを馳せさせるものであった。
 そこが狭い探偵事務所の中だと誰が思おう。
 それほどまでに、二人の動きは舞を思わせた。
「なるほど、魔飢憑緋無しで対した実力だ!」
「くぅ……」
 喋る余裕のある柳沢に返す事さえできない薙風。
 一見互角に見える戦いは、しかし柳沢にとって有利な展開であった。
 達人が見たならわかるだろう、戦いは完全に柳沢が押している。
 ほとんどが柳沢の攻撃を何とか薙風が打ち払い、受け流すだけの展開であっからだ。
 それでも応戦する薙風は対したものだったが、それは柳沢の剣の未熟さが助けた結果であった。
 柳沢は元々近接戦闘に特化した魔剣士ではない。
 彼の元々の魔剣は『転移夢鳳(てんいむほう)』と言う名の瞬間移動、および空間転移を用いる魔剣。
 どう考えても接近戦向けではない。
 だが、彼の力量はいかなる魔剣の使用も可能にする。
 故に魔飢憑緋の入手を代償に、草津に『転移夢鳳(てんいむほう)』を譲り渡した。
 ある意味間違ってはいなかったが、薙風を相手取る際には、それが大きな影響を及ぼす事になった。
 魔飢憑緋は使い手が剣術に優れていればいるほどその力を高める事ができる。
 だが、素人が使った場合はある一定の地点で能力の向上を停止させてしまう。
 それに対して薙風は剣術の達人だ。
 幼い頃から魔飢憑緋を扱うためだけに剣術を習い、そして鍛えた。
 武術や剣術をはじめとしてそうだが、実戦で使えるとされるだけの実力を持つには一生の大半をその鍛錬に捧げなくてはならない。
 そして、その違いが薙風の命を助けた。
 魔飢憑緋によってかりそめに剣技を授けられた柳沢の剣術は薙風のそれを下回る。
 柳沢が薙風を翻弄している理由は魔飢憑緋の身体強化のためだ。
 魔飢憑緋程度の補正では、薙風の境地にはたどり着けない。
 繰り出される幾重もの剣閃は、しかし薙風の肉体にかすりもしない。
 しかし、攻勢に出れないのでは薙風に待つのは死のみだ。
 それを両者ともわかっている。
 持久戦に入れば薙風に勝利はない。
 故にきっかけが必要。
 そしてそれは、次の瞬間に訪れた。
「はぁぁぁ!」
 叫びと共に繰り出される柳沢の一撃。
 それは刀で斬撃を受け止めた薙風の体を大きく後ろに弾き飛ばした。
 その背後には扉。
 蝶番が錆、壊れかけていた事もあって薙風の体は扉ごと部屋の中に飛び込んだ。
「ちぃっ」
 舌打ちをする柳沢。
 追撃をしたくても、柳沢はそれをする不利を理解している。
 理由は簡単だ。
 扉は狭い。
 通ろうとすれば刀を構えることが出来なくなる。
 そうなれば技量に優れる薙風が黙ってはいない。
 部屋に入った瞬間、強化された身体能力を使う間もなく切り伏せられるだろう。
 だからこそ薙風が倒れた好機を柳沢は突き損ねた。
 運のいいことにその部屋は袋小路。
 窓もないところから逃げる事はできない。
 ならば待てばいい、柳沢はそう考えた。
 警戒して出てこないなどと言うことがないように柳沢は大きく扉から離れる。
 そして魔飢憑緋を構えて待った、薙風が出てくるのを。
 が、薙風はいつまで経っても部屋から出てこなかった。
「どうした、なぜ来ない? 怖気づいたのか?」
 挑発する柳沢。
 結論から言ってしまうとこうなる。
 柳沢は魔飢憑緋を持ってこの事務所に来るのではなく、『転移夢鳳(てんいむほう)』を持ってくるべきだった。
 そして、直後にそれは柳沢の考えと一致する事になる。
「なっ!」
 驚きの声を漏らす柳沢。
 それはそうだろう。
 目の前でコンクリートの壁が割れた鏡のようにバラバラになれば、誰だって驚かずにはいられない。
 コンクリートの粉が宙を舞う。
 そこから現れた姿。
 巫女装束に身を包む少女。
 その少女は、両手に黒い布地を基軸にした銀色の鉄甲をはめた姿で柳沢の前に姿を現した。
 その指の先からは銀色の輝く糸。
「糸線結界!」
 思わず声をあげる柳沢。
 そう、それは柳沢が回収するはずだった魔剣。
「だ、だがその程度の魔剣でオレが取れるか。魔飢憑緋の力はこんなもんじゃ……」
「投影空想」
 薙風の詠唱が流れる。
 柳沢には見えない位置。
 背中の辺りで袴に差し込んだ小型の錫杖。
 それは投影空想と呼ばれる魔剣。
 周囲にある無生物を自在に操る能力。
 詠唱と同時に砕け散ったコンクリートが動き出した。
 粉々になったコンクリートが、見る見るうちに形を成していく。
 それはコンクリートで出来た、武者の彫刻。
 戦国時代を生き抜いた侍の彫像が、柳沢の前に立ちふさがった。
 手には刀、甲冑に身を包む侍は、柳沢に踊りかかった。
「甘い!」
 迎撃する柳沢。
 だが、侍は一歩も引かずに柳沢と剣を交えていた。
 コンクリートの侍を操るのは薙風だ。
 戦士のイメージは刀を振るう武者の姿。
 太田が戦うもののイメージで騎士を思い描いたように、薙風は刀を振るう侍を現実に投影した。
 カラスアゲハがいれば驚いたであろう。
 襲い来る侍。
 その侍の技量は、薙風と同等のものをもっていたからだ。
「ばかな、なぜこんなデク人形に!」
 叫ぶ柳沢。
 それはそうだろう。
 操り人形に過ぎないコンクリートの塊が、魔飢憑緋と互角の戦いを演じているのだ。
 しかし、そう不思議でもない。
 戦っているのは侍だが、コントロールしているのは薙風だ。
 ならば薙風の持つ技術は即、侍の技術となる。
 身体能力で負けなければ勝機は薙風にある。
 だが、
「魔飢憑緋、オレに力を!」
 咆える柳沢。
 柳沢は魔飢憑緋の力を解放しようとしていた。
 しかし魔飢憑緋は何も答えようとしない。
「なぜだ、魔飢憑緋!」
「無理、あなたに魔飢憑緋は使いこなせない」
 答えたのは薙風だった。
「龍の声を聞くために魔飢憑緋と共にあり、剣を振るい共に歩んだ者に魔飢憑緋は声をかける。それ以外に声が聞こえるのは彼に乗っ取られる無能力者だけ。中途半端なあなたには何も聞こえない」
「黙れ、薙風の女め!」
 言い放つ柳沢。
 すぐにでも切り捨てたいが、目の前の侍がそれを許さない。
 侍と柳沢の交えた剣はすでに五十を超えている。
 決着はつかず時だけが流れる。
 そして、
「止まりなさい」
 薙風が侍を停止させた。
「どうした、もういっぱいいっぱいか?」
 聞いてくる柳沢。
 そんな柳沢に、薙風は小さく首を横に振る。
「違う、降伏して。武器を捨てれば命までは取らない」
「降伏だと?」
 眉を吊り上げる柳沢。
「ふざけるな、このオレが貴様ごときに、未だに九の亡霊止まりのオレが降伏などするものか! オレは二だ、二の亡霊だ! オレの方が格上なんだ、オレこそが魔飢憑緋の正統な……」
「残念……」
 言葉は流れるように紡がれた。
 次の瞬間、部屋にあるあらゆるものが切り裂かれた。
 ソファ、本棚、テーブル、蛍光灯、侍、そして柳沢。
「なっ!」
 柳沢は気付かなかった。
 侍と剣を交えている最中、薙風は部屋中に糸線による結界を構築していたことを。
 投影空想と糸線結界の相性は最高だった。
 投影空想で作り出した兵士が足止めをし、斬糸による包囲網をつくりあげた後は投影空想の兵士ごときり刻み、敵を抹殺する。
 肉体を二十以上に分割され、柳沢の体が地面に転がった。
「オレの……負けか……」
 首と胴体、それもかなり大部分が切り裂かれ血を迸らせたまま、柳沢がそう口にした。
 悲しそうな顔をする薙風。
 裏切ったとは言え元は味方だった、いい気分はしない。
「気にするな薙風……オレは満足だったぞ……」
 口から血を吐きながら言う柳沢。
 意識が揺らぐ。
 死ぬ前に、柳沢は最後に見たいものを見るべく首を巡らせた。
 それは魔飢憑緋。
 彼が望み、最後に手にした魔剣。
 それだけ見ると、満足そうな顔で柳沢は息を引き取った。
 薙風は、死んだ中年の男を悲しそうに見つめ続けていた。
 違うのだ、本当は違ったのだ。
 薙風の里は純潔にこだわるが、もっとも優秀な一族の者に魔飢憑緋を持たせることを拒むものではなかった。
 ただ、薙風が魔飢憑緋を使うのには理由があった。
 正確には、魔飢憑緋を操る訓練をさせられていたのには理由があったのだ。
 薙風の里は、毎年決められた数の人間を魔術結社に提供しなければならなかった。
 もちろん戦死者も多い、そして運よく薙風は魔飢憑緋の巫女の家系に生まれた女性で属性も龍を持っている。
 だからこそ薙風が選ばれた。
 すでに死ぬ確率の低いだけの力をもった柳沢よりも、死ぬ確率の高い少女の生存率を高めるために魔飢憑緋を薙風に持たせることに決めた村の老人達におそらく罪はないだろう。
 あるとすればそれをきちんと柳沢に説明しなかった事、そしてそれで誤解した柳沢の心を汲み取ってやれなかったことがこの悲劇を生んだのだ。
 薙風はしゃがみこみ、魔飢憑緋を見つめ続ける柳沢の目を優しく閉じてやった。
 薙風はそのまま動かない。
 ただ、悲しそうに一筋の涙を流しながら柳沢の顔を見つめ続けた。
 一度、柳沢が魔飢憑緋を自分に譲るように頼んできた事があった。
 薙風は断った、魔飢憑緋なしで生きていく自信がなかったからだ。
 もしもあの時魔飢憑緋を渡していれば、今とは違う結果が訪れただろうか。
 後悔は尽きない。
 柳沢を見つめ続ける薙風の体を月明かりが照らす。
 こうして、知らず知らずの内に薙風は戦士として完全に再起していた。
 戦いは続く。
 薙風という魔剣士の参入がそれに加速をかけることになるだろう。
 だが、今の薙風は悲しみ悼む一人の少女。
 彼女が戦士に戻るには、まだ数刻の時を必要とした。







魔術結社    残り三人
ヴラド一派   残り六人
アルス・マグナ 残り七人(柳沢、薙風と交戦して戦死)


 
 
 
 
 










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