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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第八羽 斬殺英雄

第八羽 斬殺英雄


 イスに座り、茶色の髪をした少女が絵本を読んでいた。
 教会の地下にいくつもある小部屋の一つ、地下十四階にあるそこに少女はいた。
 傍らにはクロウ・カードの魔皇剣である本。
 そう、彼女は『法の書』に宿る魔皇剣の精霊だ。
 クロウ・カードにアリスと呼ばれたその少女は、小さな手で一枚一枚絵本のページをめくっていく。
 蝋燭の明かりのみが光源の小部屋に少女が一人。
 そこに入ってくる一人の男がいた。
「入るぞ」
 返事も求めずドアを開けて入ってきたその男。
 整った顔立ちをした長身の男、桂原であった。
「何?」
 絵本から顔をあげ、入ってきた桂原の顔を直視する少女。
 そんなアリスに、桂原は露骨に顔をしかめてみせた。
「ここにいたのか、クロウ・カードが呼んでるぞ」
「うん、わかった」
 本を閉じてイスから立ち上がる少女。
 そんなアリスに、桂原は舌打ちしてみせた。
「アリス」
「何?」
「答えるなよ」
 嫌そうな顔で言う桂原。
 アリスは悲しそうな顔をした。
「でも、私はアリスなの」
「お前がアリス? つまらない冗談はキライだ。お前は法の書だろう? それ以外の何者でもないはずだ、違うのか?」
「でも、お父さんは私のことをアリスって」
「お前はアリスじゃない!」
 桂原は怒鳴るように言った。
「ふざけるなよ、お前は偽者だ! 偽者なんだ! お前がアリスであるわけがない、アリスであってたまるか!」
「っ!」
 泣きそうな顔になるアリス。
 目元に涙を浮かべると、アリスは桂原に背を向けて部屋から出て行ってしまった。
 遠くなっていく足音。
 その音が小さくなっていくのに気がついて、桂原は落ち着きを取り戻した。
「なんて様だ」
 いらだちながら呟く。
「オレも堕ちたもんだ、あんな幼い少女に……」
 いや、法の書の精霊だから見た目と違って若くはないかな。
 そう心の中で続けると、桂原は大きくため息をつく。
「無様だ」
 一言、自分に対して言い放つ。
 それでようやく落ち着いたのか、桂原は用のなくなった部屋から出て行った。
 ただ、一度だけ部屋の中を振り返る。
 視線の先には絵本。
 その絵本の表紙には、草原でニンジンを加えているウサギの絵が、可愛らしい絵柄で描かれていた。






「アリス、どうした?」
 少々慌てた声。
 地下十四階の祭壇の広間。
 泣きながら現れたアリスを迎えたのはクロウ・カードだった。
 赤いカーペットを歩き、泣いているアリスに近づく。
 そして、アリスの小さな体を優しく抱きしめてやった。
「泣くな、いい子だから」
「うん……」
 クロウ・カードの胸に顔を押し付け、アリスは安心したような顔をする。
「何かあったのか?」
「ううん、何も……」
「そうか、なら良いのだが」
 優しく労わるクロウ・カード。
 その姿を見たならば、恐らく柴崎はこの男がクロウ・カードとは別の男だと思うだろう。
 それはそうだろう、柴崎はクロウ・カードを鉄面皮の男だと考えていた。
 形ばかりの養父となったクロウ・カード、柴崎は彼と十年近く同じ家に住みながらある日を境にして、彼の笑顔をただ一度として見た事はなかった。
 そのクロウ・カードが笑顔で少女をあやしている、もし見たとしたら天地がひっくり返る思いだろう。
 幸か不幸かそのチャンスがないうちに、アリスは泣くのをやめた。
 鼻は赤く、まだしゃくりあげてはいるが、流れ続けていた涙はようやく止まった。
「大丈夫か?」
「うん……」
 涙を拭きながら答えるアリス。
 そんなアリスの頭を優しく撫でてやると、クロウ・カードはアリスから離れた。
「よし、ならばいい。休憩は終わりだ。いつ私達の出番が来るかわからん。覚悟しておくといい」
「うん」
 気丈に答えるアリス。
 その元気な声に、クロウ・カードは嬉しそうな微笑で答えた。
 だが、アリスの心はわずかに曇っていた。
 先ほど告げられた桂原の一言。
 お前はアリスじゃない。
 その通りだった。
 私はアリスじゃない。
 法の書の精霊。
 だけど、この人は私をアリスと呼ぶ。
 思い悩む。
 でも、すぐに考えるのをやめた。
 この人が私をアリスと呼ぶのだから、私はアリスなのだ。
 そう考えるだけで、アリスは胸のわだかまりを解消できた。
 時間が近づく。
 退魔皇剣開放の時間。
 それまでにあとどれだけあるのか考えていたアリスの頭に、大きな手が乗った。
 優しく撫でる手つき。
 それが本当に気持ちよかったから、アリスは心から嬉しそうに笑ってみせた。






「あの、よろしいでしょうか?」
 クロウ・カードに言われた事で思い悩んでいた柴崎に、神楽が声をかける。
 教会の地下七階にある牢屋。
 向かい合う鉄格子をはさんで、神楽が話を始めた。
「あなたは、魔術結社の方ですか?」
「そうですが、それが?」
「よかった、探偵事務所の方なんですね」
 嬉しそうに口にする神楽。
 そんな神楽を、柴崎は訝しむような目で見た。
「探偵事務所が魔術結社の支部だと知っているのですか?」
「はい、そこに数騎さんがいましたから」
「短刀使いの知り合い……桐里神楽……」
 呟き、思考する柴崎。
 しばらくして、ようやく思い至った。
「なるほど、桐里神楽。短刀使いの想い人」
 そして、玉西が死んだ原因。
 こんな時に玉西の顔を思い出す。
 かわいらしかった顔、想いを寄せてくれた女性。
 今はいなくなって久しい。
 もう一度会いたいと思った。
 そして、それが出来ないのが死と言う名の別れなのだとようやく思い知る。
「そうか、桐里神楽か。それで、何でこんなところにいるんですか?」
「あの、古代ヨーロッパ人が着ているような服装をした人に連れ去られてここまで」
「古代ヨーロッパ? 私はそのような男など見てはいませんが、転生復活者か?」
「転生復活者?」
「あぁ、過去に生きた人間の記憶が現代の人間に蘇った者のことです。それよりも、なぜあなたはここに連れてこられたのですか?」
「多分、数騎さんに何かを強いるためです。私を人質にとって」
「短刀使いに?」
「短刀使いって、数騎さんのことですか?」
「あぁ、ヤツには短刀使いの名こそふさわしいですから」
「そうですか……」
 悲しそうな顔をする神楽。
 そんな神楽に、柴崎は気を取り直して話を続けた。
「それより、あなたをさらったヤツらはあなたを人質にして短刀使いに何をさせようとしたのですか?」
「それはわかりません、ただ写真を三枚渡されました」
「写真?」
「はい、髭の生えた壮年の方と、先ほど言った私をさらった人と、あと外人の中年女性でした」
「なぜ写真を、それにあの男に出来る事と言えば……」
 考える。
 須藤数騎は何を強要されたかを。
 あの男に出来る事で、アルス・マグナの連中が喜ぶに足る事と言えば。
「殺しか」
「え?」
「おそらくヤツらは短刀使いに殺しをさせようとしている。その三人は恐らく標的」
「そんな……」
 怯えた表情を見せる神楽。
「それにしても、どういうことだ? 今の三人、女性はわからないが壮年男とヨーロッパ風の男、ヴラド一派とは考えられんな」
 柴崎は幾度からヴラド一派とぶつかっている。
 その中に、神楽の言葉に該当する者はいない。
 それどころか、壮年の男を言われて思い浮かぶのはあの男。
 クロウ・カード、自分の養父。
「写真? 殺すための? 一体どうなっているんだ?」
「さぁな、あの女の考えてることはオレにはわからねぇよ」
 声は部屋の入り口から聞こえてきた。
 視線を向ける。
 そこには、
「オヤジさんと話は終わったのかい、じゃあ今度はオレとお話しようじゃねぇか」
「二階堂……」
 そう、そこには二階堂がいた。
 上半身は裸、だが昔のような情け内肥満体ではなく筋骨隆々としたたくましい体になっていた。
 下半身は獣の毛がびっちりと生え揃っているが、一応ズボンをはいている。
 左腕には黄金の獣毛、そして髪の毛はライガーの毛、薄い茶色に脱色されていた。
「会いたかったぜ、柴崎」
「二階堂、お前」
 驚きを隠せない柴崎。
 そんな柴崎のいる牢屋の鉄格子の前に立つと、座り込んでいる柴崎を二階堂は見下ろした。
「ご機嫌だな、女の子とお話できて満足か?」
「ふざけるな、それに何故お前がアルス・マグナに!」
「ふざけてんのはテメェだろ?」
 低い、憎しみのこもった声で二階堂は柴崎に言い放つ。
「オレをバカにしてんのか、玉西が死んでどれだけたったと思ってやがる!」
「そ、それは……」
「五ヶ月だぞ、五ヶ月もオレに隠し通しやがって! お前を信じてたのに、玉西を守ってくれるって信じてたのによ!」
 鉄格子を掴み、睨みつけるようにして柴崎を見る。
「聞いたぞ、さすがは柴崎だ。ちゃんと玉西が助かるようにゾンビから呪牙塵を取り戻してくださったそうじゃないか。それがなんだ、須藤数騎とかいうわけのわからないガキに呪牙塵渡して玉西を助けられなかっただぁ?」
 二階堂は鉄格子を蹴り飛ばした。
「ふざけんな! なぜ須藤とかいうクソガキに呪牙塵なんか持たせたんだ! お前が持ち帰っていれば……お前が持ち帰っていれば玉西は死なずに済んだんだ!」
 激昂しきっていた。
 右腕が金色に光り輝く。
 もし鉄格子がなければ、柴崎に殴りかかっていただろう。
「お前なら助けられると信じてたんだ、実際にお前は助けられる直前までいけたんだ。なのに、何で助けられなかったんだよ」
 突如として怒りが悲しみに転化する。
 心の底から響いてくる二階堂の言葉に柴崎は答えることも出来ず、あわせていた視線もそらした。
「アルカナムの言葉にお前がどう答えるが知らないが、お前を許してやる気はねぇ。後でしっかりと白黒つけさせてもらう」
「私はお前と戦いたくはない」
「オレもそうだった」
 悔やむように言う二階堂。
 だが、
「それでも、もう戻れない」
 確固たる意志。
 苦渋の思い出それだけ告げると、二階堂は柴崎に背中を向ける。
「じゃあな」
「待て!」
 部屋から出て行こうとする二階堂に、柴崎は声を張り上げた。
「せめて、せめて養父さんに協力するのはやめてくれ! このままじゃお前は犯罪者だ! 一生魔術結社の連中に追い回されるぞ!」
「それがオレの運命なら、仕方ない。どちらにしろ玉西はもういないんだ。この世界が再生しようが滅びようがどうでもいい。ただ、お前を殺せるだけの力をくれたアルカナムには感謝してる。それだけだ」
 そう答えると、二階堂は振り返ることもなく部屋から出て行った。
 と、その時だった。
 泣き言が聞こえてきた。
 声の方を見ると、そこには神楽の姿があった。
 袖を目に当てて泣いている神楽。
 柴崎は知らなかった。
 神楽が玉西の死に関与していたことに。
 そして、玉西を死なせたのは神楽が自分の命を救うためであったことに。
 仕方ない事だと考えていた。
 自分が助かるために、知らない人が死ぬことなら耐えられると思っていた。
 だが、人が一人死ぬと言うのは簡単なことではない。
 そんな当たり前のことを、神楽は改めて思い知らされた。
 自分自身の罪深さと、そして大切な人を失った悲しみを帯びる人間の悲痛な声を聞かされて。
 神楽は、小さく声を殺して泣き続けたのであった。






 実際、簡単な話だったのだ。
 薙風は空を見上げてそう思った。
 探偵事務所の前。
 反転した鏡内界の中、薙風は夜風を楽しんでいた。
 戦うのが怖かった。
 死んでしまう事が恐ろしかった。
 それは今でも変わらない。
 戦わなくて済むなら戦いたくはないと思う。
 でも、実際に殺しあいになった時は動く事ができた。
 長年培ってきた技術は、戦いたくないという理性を無視して動いた。
 私は戦えた。
 自分から向かっていくのではなければ戦えたのだ。
 それを柳沢が教えてくれた。
 ならもう大丈夫。
 私は戦わなくちゃいけない。
「だから」
 口にして、薙風は持っていた魔飢憑緋の柄に手をかけた。
 戦いたくはない。
 それでも、失いたくはない。
 柴崎。
 自分が生まれた時から家にいた居候。
 お兄さんのような、弟のような、私の大切な家族。
 守らなくちゃいけない。
 剣崎の家をヴラドに襲撃されたことで家族は全員殺された。
 残っているのは柴崎だけだ。
 だから取り返す。
 せめて残った柴崎だけでも守るために。
「だから」
 再び繰り返し、柄を握り締める力を強く。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、餓狼無哭(がろうむこく)」
 紡がれる詠唱。
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)、緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
 捕らえられているであろう柴崎の顔を瞼の裏に描きながら、
「魔餓憑緋(まがつひ)」
 薙風は、数ヶ月ぶりに魔飢憑緋を開放した。
『久しいな龍の巫女』
「魔飢憑緋?」
 声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある声。
『ようやく我にその身を委ねる気になったか』
「違う、私はあなたを利用したいだけ」
『ふざけるな小娘、貴様ごときに使いこなせる私ではないわ!』
 方向が轟いた。
 魔飢憑緋の怨霊が心の中に侵入を始める。
 途端、寒気を覚えた。
 湧き上がる恐怖、迫り来る死の予感。
 魔飢憑緋は薙風の精神を乗っ取るべく攻勢をかけた。
 魔飢憑緋の好む心は恐怖。
 心が恐怖に染まった時、魔飢憑緋は対象を乗っ取る事ができる。
 故に魔飢憑緋は薙風の恐怖を煽った。
 苦痛を、憎悪を、悲しみを。
 全ての恐怖に繋がる感情を揺り動かし、さらに薙風の記憶に介入した。
 死体、死体、死体。
 思い出すは剣崎の悲劇。
 燃え立つ屋敷。
 死んでいく人々。
 鼻には死体の焼ける臭い。
 そして、目の前には、
「漸太……」
 薙風の弟の姿があった。
 血の気のうせた肌。
 流れて止まらない血。
 白く濁った目で見つめてくる彼の弟。
 薙風は震えた。
 恐ろしかった。
 死が恐ろしかった。
 もし死ねばこうなる。
 青白い肌で動かなくなり、じきに腐って崩れていく。
 それは恐ろしい事だった。
 嫌な汗で背中が濡れる。
 吐き気が止まらない、少しでも動けば胃から中身が零れ落ちそうだ。
『どうだ、恐ろしいだろう』
 聞こえてくる声。
 呼び覚まされた記憶のせいで、ショックを受けていた薙風は虚ろな瞳で姿なき者の声に耳を傾ける。
『嫌だろう? そこにいるのが、死が満ち腐敗を招く空間が』
 頷く薙風。
 声はさらに甘やかすように続く。
『我が助けてあげよう。もうそこにい続ける必要はない。君は安全だ、永遠に私が君を守ってあげよう』
「もう……安全……?」
『そうだとも、君は安全だ。だから我に委ねるがいい。君の意志を、君の存在を。そうして君は心地よい眠りへと誘われるのだ』
「眠り?」
『そう、眠るのだ。眠ってれば大丈夫だ。誰も君を傷つけない。そして、その間は我が君を守ろう。だからお休み、愛しい君よ』
「うん……わかった……」
 その声があまりにも優しかったから。
 薙風はゆっくりと目をつぶり、そして横になろうとした。
 と、横になろうとして体を寝かせようとした時、何かにぶつかった。
 何だろう。
 なぜか気になり、うっすらと目を開ける。
 そして、見た。
 自分の後ろに隠れていた少年。
 それは、見覚えのある顔。
 それは、
「戟耶?」
 幼かった。
 あまりにも小さな体。
 それはまだ幼かった頃。
 柴崎司を名乗る前の彼。
 剣崎戟耶、それが彼の名前。
 自分より年上で、自分より臆病で、だけど誰よりも正義を信じていた子供。
 彼は泣いていた。
 眠ろうとしている自分が死ぬのではないかと。
 この惨劇の中で私までも死ぬのではと思い、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
「そうだ」
 意識が醒める。
 何をしようとしていた。
 眠る?
 冗談じゃない。
「私は」
 世界が揺らぐ。
 燃える炎は薄れゆき、死体の焼ける臭いが薄くなる。
「私は」
 消えていく漸太。
 私のかわいい弟。
 だけどそれは過去の人。
「私は!」
 世界が崩壊した。
 闇夜の世界。
 探偵事務所の目の前に、戻ってくる。
 いや、正確には薙風は一歩も移動していない。
 魔飢憑緋に幻影を見せられていただけだった。
『戻ってきたというのか?』
 驚きの混じった声が聞こえる。
 けれど薙風は答えない。
 空を見上げ、口を開く。
「過去には戻れないから」
 煌く星々。
 それを見つめながら、薙風は続ける。
「戟耶はまだ生きてるから」
 決意は強く。
 揺るぎない意志を携え、
「私は、逃げない」
 確固たる言葉を口にした。
『まさか、これほどの女だったとは』
 たじろぐ声。
 薙風は無言で手にする魔飢憑緋を見下ろす。
『いいだろう、気に入ったぞ娘。いや、魔飢憑緋の巫女よ。私の力を存分に振るうがいい。協力は惜しまない、我とお前でヤツらに地獄を見せてやろうではないか。だが、覚えておくといい。お前が戦いの中恐怖した時、私はお前を必ず助けてやろうではないか』
「必要ない」
 囁かれる言葉。
「私はもう逃げないから」
 そんな薙風に魔飢憑緋は声をかけようとはしなかった。
 ただ、忍び笑いだけを漏らす。
 そんな魔飢憑緋を尻目に、薙風は魔飢憑緋の力を解放する。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、疾屠(しっと)」
 旋風が吹き荒れた。
 それは邪気を孕む魔風。
 魔幻凶塵『疾屠』それは風を操る龍の翼。
 薙風の背中に紅に輝く龍の翼が出現した。
 背中から直接生えているのではなく、背中に追従するように浮かんでいる。
 風が荒れる。
 乱れる髪、はためく装束。
 そして、薙風は駆け出した。
 どれほどの速度か。
 今まで驚異的とさえ思えた魔飢憑緋の速度がまるで子供だましのような。
 それほどの速度で薙風は夜を駆けていた。
 魔風が薙風を後押しする。
 風を操り、翼が薙風の速度をさらに高め。
 異常なまでに高められた脚力が、その速度を頂点へと押し上げる。
 おそらく地上を走行する物体の中で、最速の速度で持って薙風は走っていた。
 いや、ただ走っているのではない。
 飛びながら走っていた。
 翼は風を受け速度を加速させ、足が地面につくたびに再加速がなされ速度は落ちず。
 十二キロの距離を一瞬でなきものにすると、薙風は教会のある山の麓にたどり着いた。
 速度はとめない。
 石の階段を駆け上がり、瞬く間に薙風は教会の前にたどり着いた。
 砕けた扉の教会。
 その入り口の前には一人の男が立っていた。
「よぉ、遅かったな」
 陽気な声。
 そしてそれとは正反対の鋭い目。
 背中に大剣を背負うその中年の男は、殺気を放ちながら笑みを浮かべる。
「待ってたぜ、ヴラドの言ったとおりだな。待ってればあんたが来るって言ってたぜ」
「何の用?」
「用? そんなのはよ」
 口にし、中年の男は背負っていた大剣を手にし、
「殺しあいに決まってんじゃねぇか」
 真っ直ぐに構え薙風に剣の切っ先を向ける。
 いかなる魔剣か。
 刀身に放出する輝光の波が、それをただの魔剣ではないことを示している。
 薙風は魔飢憑緋を片手に黙ったまま中年の男を見つめていた。
「さぁ、来い!」
 大剣を構え豪語する中年男。
「魔飢憑緋」
『なんだ?』
「力を貸して」
『どのくらいだ?』
「全力、時間がない」
『了解だ』
 相談はそれだけで終わった。
 薙風は魔飢憑緋を正眼に構えると輝光を集中し始めた。
 輝光の集中する先は魔飢憑緋の紅鉄。
 自身の輝光で魔飢憑緋の持つ輝光消去能力を中和する。
 そして、魔飢憑緋が本来の力を解放した。
「な、なんだ。この輝光は!」
 たじろぐ中年男。
 そんな中年男に、薙風は爆発する輝光を開放してみせた。
 魔飢憑緋から輝光が放たれ、薙風の眼前に発光体が輝く。
 それは真紅の龍。
 爪、牙、翼を持つ、殺意を持った緋龍の姿だった。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)……」
 詠唱が紡がれる。
 それは爆発的な輝光。
 敵うわけがないと後ずさりを始める中年男。
 薙風はそんな中年男を真っ直ぐに見つめ、
「龍覇(りゅうは)ああぁぁぁ!」
 その術式を解き放った。
 紅の龍が翼をはためかせて中年男に襲い掛かった。
 中年男は迎撃のために魔剣の力を解放しようとした。
 だが無駄だった。
 魔幻凶塵『龍覇』魔飢憑緋の操る輝光剣の中でも奥義中の奥義に該当するその一撃。
 瞬間最大放出は四十五、並みの魔剣で止められる数値ではない。
 紅の龍は破壊の存在だ、触れただけで対象者を消し飛ばす。
 そして、紅の龍の暴力が中年男に炸裂した。
 肉体はおろか、その手に握る魔剣さえも砕き、地面を削り大気を裂き、中年男の後ろに存在した教会すらも吹き飛ばし、紅の龍は現世の具現化を終了した。
 具現化された魂が実態を失うと、魂は魔飢憑緋の中に戻ってきた。
 それと同時に薙風は地面に膝を突く。
 呼吸は荒い。
 それは仕方のないことだった。
 魔幻凶塵『龍覇』、それは魔飢憑緋に宿る緋龍の肉体の一部のみを具現化する魔幻凶塵の中でも奥義中の奥義に属し、一部ではなく体全体の具現を行うと言う荒業だ。
 消耗も激しいがそれに比して威力はすさまじい。
 薙風の前に存在する教会は跡形もなく吹き飛ばされていた。
 地面も削れ、地下室への階段さえ見て取れる。
 薙風は呼吸を荒くしながら声を出した。
「魔飢憑緋、今の技はあとどれくらい使える?」
『後一度が限界だろう』
「わかった、じゃあもう少し節約する」
 そう口にすると、薙風は魔飢憑緋を鞘の中に収めた。
 起動しっぱなしよりは体力の節約になるだろう。
 そんな事を考えながら、薙風は立ち上がると地下室へと向かう階段に足をかける。
 こうして役者の全てが教会の地下室に集った。
 悲劇はまだここから始まるのである。






 地下の大広間で見つめ合う二人。
 口火を切ったのは麻夜の方だった。
「久しぶりね、どのくらい会ってなかったかしら?」
「恐らく四千年ぶりだろう、お互いに転生復活者になっていたとは驚きだ」
 ローマ風の服装を着込む青年は、落ち着いた口調で答えた。
「久しぶりだな、アラクネ」
 優しく微笑む青年。
 その笑みに、麻夜はわずかに心が揺れた。
「それにしても、どうしたのその恰好? どうせ転生復活者なら自分の故郷の服でも着ればいいのに。ギリシア人でしょ、あなた?」
「いや、このトーガという服はなかなか趣味にあう。実に重厚な感じだ」
「全く、あなたは昔からカッコイイ服にこだわるのね」
 だから、何度も服を作ってあげたっけ。
 麻夜はそんな事を思い出していた。
「そろそろ本題に入ろうか」
 場を仕切りなおすように、青年が声色を変えた。
「ここに何のようだ、アラクネ」
「私、魔術結社の人間なのよ」
「ならば私の敵か」
 青年が手にする青銅の盾を突き出し、巨大な鎌を構える。
「退いてはくれないのか?」
「無理よ、アルス・マグナの活動を黙認するわけにはいかない。世界の再生なんて認められないわ」
「だが、そうしなければ世界が」
「くどいわ、とっくの昔に私達の道は切り離されてる。それこそ四千年も昔にね」
 それが決裂の言葉だった。
 麻夜は皮袋の中にしまっていた絶鋼剣を取り出して構える。
 そして、全身の輝光を解き放った。
 目に集中していく輝光。
 発動するは『偽信の魔眼』。
 魔眼の力は青年の細胞を操るべく催眠をかけ、
「無駄だ」
 だが、その一言で魔眼の力は無効化された。
「『アイギスの鏡』の複製品だ、君の魔眼は通用しない」
 そう言って青年は眼前に構える盾を見せ付ける。
 アイギス・レプリカ。
 それが彼の持つ最強の防具。
 物理系には脆弱だが、物理的能力を用いない輝光による術式をシャットしてしまう能力。
 爆発や火炎などの攻撃術は完全に打ち消すことはできないが、催眠のような直接攻撃系でなければ迎撃は可能。
「やっぱりだめか、直接殺すしかないわね」
 絶鋼剣を構えなおす麻夜。
 効かない相手にこれ以上の消耗は無意味。
 麻夜は自らの持つ魔眼の力を切っていた。
「それじゃあ、四千年ぶりに殺しあいましょう」
 殺気を凝縮しためで呟く麻夜。
 そんな麻夜に、青年は悲しそうな顔をみせた。
「また私に君を殺させる気か?」
「さぁ、どうかしらね」
 それが合図だった。
 地を揺るがす踏み込み。
 倒れそうなまでの前傾姿勢で、麻夜は青年に突撃を仕掛けた。
 迎え撃つは翻る大鎌だ。
 ひるがえる刃を、麻夜は手にした絶鋼剣でその全てを迎撃する。
 一定の距離が保たれた。
 麻夜は射程の短い剣の射程内に青年を捉えるために前に進み。
 青年は麻夜の一撃が届かない大鎌の射程を保つために。
 幾たびも火花を散らす絶鋼剣と大鎌。
 絶鋼剣の振るわれた回数はすでに五十を超え、しかしお互いの体には傷一つついていない。
 称えるべきは麻夜の身体能力か、それとも青年の履く翼の靴か。
 魔獣である麻夜の身体能力は人間以上。
 魔飢憑緋にこそ及ばないものの、常人の捕らえられる速度ではない。
 それに対する青年はいかに魔獣退治の英雄と言えど、普通の異能者程度の身体能力しかもっていない。
 が、彼には対抗するに足る魔剣を持っていた。
『天翼(てんよく)の翔靴(しょうか)』、魔飢憑緋と同クラス身体能力強化を装着者に与える魔剣。
 翼の生えた靴は彼に驚異的な身体能力を与える。
 防御に徹するも、青年は確実に麻夜を圧倒していた。
 理由は簡単だ。
 麻夜は異常な身体能力こそ持っているが、彼女の最大の力は他者を石化させる『偽信の魔眼』だ。
 それが封じられているだけで、麻夜は戦闘能力の八割以上を削がれていると言っても過言ではない。
 最悪の相性だった。
 切り札を封じられ、それでも保有する相当な身体能力でさえも勝る相手。
 さらに手にする魔剣は自分にとってどうしようもないほどの相性の悪さ。
 一つはすでに失っているが、眼前の相手は五つのAクラス超えの魔剣で身を固める最悪の武装戦力。
 そして、拮抗が破られた。
 麻夜の勝機は自身の消耗が訪れるまで、つまり速攻しかなかった。
 能力を封じられ、戦闘能力で劣るとなれば速攻戦術で実力差を見せ付けられる前に倒すしかない。
 だが、その希望は費えた。
 盾と鎌による防戦によって、麻夜の攻撃は全ていなされた。
 残るは消耗し肩で息をする麻夜。
 そして、
「そろそろ終わりにしようか、アラクネ」
 未だに余力を残し、凛々しく麻夜の前に立つ青年。
「最後に一度聞きたい、私と共に行く気はあるか?」
「ないわ、あなたこそこっちにつく気はないの?」
「クロウ・カードには恩がある。彼がいる限り、私は彼に従わなくてはならない」
「恩?」
「君にも関係はある、だが知る必要はない」
 どちらにしろ、君が認めるとは思えないから。
 青年はそう心の中で続けると、体を倒し前傾姿勢を作った。
 麻夜は絶鋼剣を構えて迎え撃つ。
 強烈な踏み込み。
 だが、今度それを行ったのは青年の方だった。
 見る見るうちに縮まる二人の距離。
 そして、
「はあぁぁぁぁ!」
 裂帛の気合。
 振りかざされた大鎌は、麻夜の絶鋼剣を持つ右手首を切り飛ばした。
 麻夜は一気に後方に飛び、失った右手首に意識を集中する。
 だが、
「再生はしない」
 青年が麻夜の希望を打ち砕く発言をした。
「我が魔剣『ハルペー』は不死殺しの魔剣だ。再生は不可能」
 麻夜は思わず舌打ちする。
 魔獣たる麻夜は魔眼、身体能力、そして再生能力を持つ。
 だが、目の前の魔剣士はそれを無効化する。
 どうするか。
 麻夜は考えた。
 選択肢は二つ。
 逃げるか、戦いを続けるために地面に転がる絶鋼剣を拾うか。
 逃げる事は恐らく不可能だろう。
 敵の速度はこちらを上回る、背中から切り殺されるのはオチだ。
 ならば戦うしかない。
 麻夜は再び前傾姿勢を作り、絶鋼剣を拾うべく飛び出した。
 それに呼応するように動く青年。
 麻夜の手が伸びる。
 絶鋼剣は目の前。
 絶鋼剣をいまだ握り締める右腕ごと、麻夜は絶鋼剣を拾い上げる。
 そして絶鋼剣が地面に落ちた。
 絶鋼剣を拾い上げた麻夜の左腕と一緒に。
 麻夜よりも青年の動きの方が早かった。
 大鎌は麻夜の左腕を切り裂き、麻夜は両腕を失った。
「まだ!」
 麻夜は目に輝光を集中される。
 発動する魔眼。
 だが、青年のアイギス・レプリカは麻夜の魔眼を完全に無効化する。
「さよなら、アラクネ」
 悲しみを込めて呟く。
 振りかざされる死神の鎌。
 それが首に届く直前。
 麻夜は眼前にいる青年の名を口にした。
「ペルセウス……」
 それが最後の言葉だった。
 麻夜の首が宙に舞う。
 切断面からは大量の血液。
 迸る血液は青年、いや、ペルセウスの体を赤く染め上げる。
 ペルセウスはトーガの中から大きめの袋を取り出した。
 それは袋に収めたあらゆる魔力を封殺する『キビシス』と呼ばれる袋の形をした魔剣。
 ペルセウスは床に転がる麻夜の首を拾い上げると、愛おしそうにその唇に唇を重ねた。
 どれだけの時間キスを続けただろうか。
 ペルセウスは麻夜の首をキビシスの中にしまいこむと、それを背負い歩き始めた。
 戦いは終わらない。
 そして、この殺しあいに参加するまだ活動中の人間、全ての名前がようやく判明した。
 魔術結社の人間は、柴崎司、薙風朔夜。
 ヴラド一派の人間は、ヴラド・メイザース、カラスアゲハ、ドラコ、ブラバッキー、ターニャ。
 アルス・マグナは、クロウ・カード、ペルセウス、草津、桂原、歌留多、二階堂、そして数騎。
 戦いは続く。
 どれだけの人間が生き残るのか。
 それは、歌留多を除く誰にも予想はつかなかった。







魔術結社    残り二人(麻夜、斬首される)
ヴラド一派   残り五人(大剣の使い手、薙風に一撃で葬られる)
アルス・マグナ 残り七人


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