トップページに戻る



トップページ/ 自己紹介/ サイト紹介/ リンク/


トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十一羽 裏切りと死

第十一羽 裏切りと死


 地下八階の廊下を二人の人間が歩いていた。
 壁に立てかけてあるランタンに照らされるのは歌留多と草津の二人だった。
 しばらく無言で歩いていた二人だったが、突然歌留多がその足を止め草津を振り返った。
「草津、そろそろよ」
「と、言いますと?」
「あなたにはやってもらうことがあるわ」
「また予知ですか?」
「もちろん、それが私の存在価値でしょ?」
 まったくその通りで。
 草津は口にせず、そう心の中で答えていた。
 そんな事を知るか知らずか、歌留多は続けた。
「あなた、ちょっと桂原を迎えに行ってあげてくれない?」
「迎えにとは、どこにですか?」
「そんなのあなたが置いてきた場所に決まってるじゃない」
 そう、草津は歌留多に指示され、ちょっと特殊な転移をしていた。
 柴崎のいる牢屋からの転移。
 草津と神楽はそのまま二人で小さな小部屋に転移したが、桂原は牢屋の隣の部屋に転移されていたのだ。
 全く、能力の無駄遣いもいいところだが、歌留多の指示だったから仕方がない。
 そんな訳で、牢屋の見張り番の部屋として用意されて部屋、そこに桂原は待機しているはずだった。
「では、今すぐそこに転移しろと?」
「そうよ、それがあなたの存在価値でしょ?」
「まったくその通りで」
 今度は口に出して答えた。
 草津は歌留多から一歩後ろに離れた。
 空間転移に巻き込まないためだった。
「では、私はこれで」
「えぇ、行ってらっしゃい。これでしばらくはあなたのブサイクな顔を見ないで済むとせいせいするわ」
「あなたのお美しいお顔を見れなくなるのが残念です。もっとも、私としては姉の神楽さんの方が好みですが」
「うっさいわね、どうせ同じ顔でしょ。それにしても、何で姉さんはあんなにもてるのかしらね?」
「性格がいいからじゃないですか?」
「うっさい、さっさと行きなさい」
「それでは、これで」
 それだけ言い残すと、草津は歌留多の眼前から消え去った。
 恐らく、次の瞬間には桂原の目の前に現れているのだろう。
「さて、これであの男の処理も終りね」
 少々疲れたのか、ぐーっと体を伸ばす神楽。
 少し運動不足なのかもしれない。
「じゃ、あのブサイクくんに会いに行こうかしら。少しハッパかけてあげないといけないもんね。もてる女はつらいわ〜」
 楽しげな声で口にする歌留多。
 その顔には、まるで魔女のように邪悪な笑みが張り付いていた。
 カンテラに照らされる暗い廊下を歩く歌留多。
 彼女の足は、確実に他人を破滅させる道を歩んでいた。






「いやいや、お久しぶりです、はい」
 第一声はそれだった。
 イスに座り、タバコをふかしていた桂原は、苦虫でもかみ殺したような目で声をかけてきた男を睨みつける。
 草津は、露骨に嫌がられているのを見て残念そうな顔をした。
「そんなに嫌わなくてもいいじゃないですか」
「別にお前を憎悪しているわけじゃない。ただ、人がタバコを吸ってる時に現れるクセは直しても損はないと思うが」
 桂原はタバコをテーブルの上の灰皿に押し付けた。
 火の消える音。
 だが、牢屋を管理するためのその小さな部屋には、換気扇といえば外からの空気を取り込む空気穴しかないため、充満した煙で視界が悪かった。
「まぁ、私の特技は『唐突に』という表現からは無縁ではいられませんので、少々難ありかと。禁煙してはどうですか?」
「別に長生きしようとは思わん」
「あなたの周りにいる、大切な人間が煙を吸って病気になるかもしれませんよ」
「別にそんなやつはもう、この世に存在しない」
「それは失言を」
「気にするな」
 桂原はそう言うとイスから立ち上がった。
 それを見て、草津は牢屋に続く扉に向かって歩き出す。
「それにしても、何で牢屋に二人で行けなんて歌留多さんはおっしゃったのでしょうか?」
 尋ねる草津。
 そんな草津に、桂原はポケットにタバコの箱とライターを仕舞いこみながら答える。
「すぐわかる」
 そして、二人は牢屋の部屋に入った。
「桂原!」
 部屋に入った瞬間、柴崎の声が響き渡った。
 そんな声を無視して、草津と桂原は柴崎のいる牢屋の前までやってきた。
「さて、柴崎さん。お久しぶりです」
「お前、私をどうする気だ?」
「さぁ、私は知りませんよ。決定権のないただの従僕でございますので。事情は桂原さんに聞いてくださ……」
 その時だった。
 背後から急速に、ある種の感情の高ぶりを感じ取った。
 とっさに振り返り腕で防御しなければ取り返しの付かない事になっていただろう。
 振り下ろされるその一撃。
 背後から繰り出された短刀による一撃を、草津は右腕を盾にすることで防ぐ事ができた。
 右腕に激痛が走る。
 そして見た。
 背後から襲い掛かり、自分の背中にナイフをつきたてようとした桂原の姿を。
 いまだにナイフを握り締める桂原は草津の腕からナイフを引き抜こうとした。
 しかし、筋肉が縮まり抜く事ができない。
 その行為は草津の腕に耐え難い痛みを与える事になったが、草津は意外にも冷静だった。
 桂原の腹部に蹴りを叩き込んだ。
 桂原がナイフを握っていた手を離す。
 その隙に草津は大きく距離を取るために後退する。
 武器を失った桂原はさらに襲いかかるのではなく、別の方法を選択した。
 着ていたスーツの裏側から本を取り出す。
 あの本はヤバイ。
 草津は必死になって呪文を構築した。
 それに呼応するように桂原も術式を紡ぐ。
 だが、先に術を完成されたのは草津の方だった。
 空間転移は一瞬にして行われ、桂原の術が完成したのは草津の姿が消えた直後だった。
 桂原はため息をつきながら本をスーツの内側に戻す。
 そして、ゆっくりと牢屋の中にいる柴崎に方を見た。






「な、何てことだ!」
 地下六階にある自分に待機室に逃げ込み、草津は思わず口にする。
 学術書や魔道書など、自分の趣味のものを詰め込んだ小さな部屋。
 石造りの部屋でテーブルやイスやベッドは全て木製。
 明かりはランタンと蝋燭というその部屋に、草津は空間転移によって移動していた。
「桂原が、裏切るなんて」
 信じられなかった。
 桂原は最近になって仲間になった人間ではなった。
 しかし、クロウ・カードは桂原にお墨付きを与えていた。
 桂原とクロウ・カードの関係は、血こそ繋がらないものの一応は親子ということになっている。
 そして、クロウ・カードは桂原に全幅の信頼を寄せていた。
 だから、桂原の参入を他の誰もが文句をつけなかったのだ。
 だと言うのに、その桂原が裏切った。
「そうだ」
 そして今気がついた。
 桐里歌留多、あの未来予知をする女。
 あの女は未来を知っていたはずだ。
 なにせ予知能力者なのだから。
 彼女に予知ができるのなら、なぜ彼女は自分を桂原に襲われるという危機を教えてくれなかったのだろうか。
「待て」
 ちょっと待って欲しい。
 確かそうだ、自分がなぜ桂原に合流したのか。
 それは、桐里歌留多の指示によるものだった。
 つまりこれはどういうことか。
 簡単だ。
 桐里歌留多と桂原延年は裏切り者だ。
 いや、もしかしたら桐里歌留多のほうは裏切り者ではないかもしれない。
 もしかしたら、儀式の成就にいたる筋道を変える危険を冒したくなかっただけかもしれない。
 一箇所でも展開が変われば、その後の予知が不可能になるからだ。
 彼女は夢で予知を行うという。
 好きなときに未来予知を行える予知能力者ではないのだ。
 だから藤堂やヴィットーリオ、柳沢敏明の死を知っていながら予言しなかったのだ。
 ならば私も捨て駒か?
 草津は思わず歯軋りをした。
 許せなかった。
 自分を殺そうとした桂原はあくまで裏切り者だ。
 敵が憎いのは当たり前だ。
 だが、だがだ。
 歌留多は味方だった。
 味方でありながら、自分の都合で私を死の淵に追いやった。
 もしかしたら助かることも予知できていたのだろうか?
 どちらにしろ関係がない、このような扱いをされて黙っていられるほど人間ができてはいない。
 決意した。
 あの女は殺すしかない。
 クロウ・カードは歌留多がいなくては儀式が完成しないと言っていたが構うものか。
 自分に殺意を持つ者は殺す。
 それが草津の流儀だった。
 アメリカのスラム街。
 草津が生まれ育った場所はそこだった。
 アメリカでは白人がもっとも力を握っている、そしてそれ以外の人種は建前である人類平等のために生きていく事は出来るが、それでも決して平等ではない。
 そして、スラムはもっとひどい。
 肌の色でなく暴力で全てが解決する。
 結果、表社会では黄色い肌のために差別され、裏社会では肌の色よりも力で全てが決定する。
 まぁ、つまり。
 肌が白くないなら力がないと生きていくのは難しい場所というわけ。
 自分が生きてこれたのは異能者としての力があればこそだ。
 もし無かったら、両親と一緒に後頭部に銃弾を叩き込まれていたのだろう。
 まったく、ひどい話だった。
 日本人が日本人として生きられるのは日本だけとはよく言ったものだ。
 頭の悪いバカは戦争が起こったら別の国に逃げればいいなどとほざくが、同胞を見捨てた卑怯者をどこの国が受け入れるというのか。
 それにあらゆる国の難民がどれだけ豊かな国への逃亡を拒まれているのか知らない能天気なやつが多すぎる。
 日本人が日本人として平和に生きられるのは日本だけ、そんな単純なことに多くのバカは気付かない。
 アメリカで生き、黄色人種であるためろくに仕事さえ探せなかった草津は(もちろん彼の教養のなさも原因の一つに含まれていはいたが)日本に渡り、やはりヤクザな仕事を続けているうちに裏の世界の事を知った。
 彼は日本が好きだった。
 日本人として生きようとした彼を日本人として生きさせてくれる日本が。
 しかし、日本は常に大陸からの侵略の危機に立たされている。
 表世界以上に裏世界では非常に活発で、中国にある大半の組織は日本の組織と敵対関係にある。
 このままでは日本が危ない。
 幼い頃から迫害され、アメリカの地から日本を夢見ていた草津は、日本を守りたいと思った。
 彼は愛国者だったのだ。
 だから彼は大いなる力が欲しかった。
 そして、それを探求するものが現れたクロウ・カードだ。
 彼は退魔皇剣を手に入れ、人間を救うために戦うという。
 自分はクロウ・カードの率いる組織の幹部となり、その力でもって日本の独立を保とうと考えた。
 だが、彼は所詮スラムのチンピラであった。
 退魔皇剣を手に入れることよりも、彼は自身の復讐を優先した。
 仕方のないことだった。
 スラムで生きる人間は、メンツをより大切にする。
 泥をかけられて黙っているような人間は、スラムでは食い物にされ最後は殺される。
 そんな弱肉強食の世界に生きた草津にとって、自分を落としいれようとした人間に対する復讐は最優先事項だった。
 幸か不幸か、結局草津の復讐がなされることはなかった。
「なっ!」
 恐らく、草津にとっては間違いなく不幸なことが起こったからだった。
 全身に痛みが走る。
 耐え難い痛みが体の幾箇所にも走り、草津の体が地面に倒れる。
 草津は起き上がろうとしたが起き上がれなかった。
 腕が、足が動かない。
 草津は自分の体を見下ろし、自分がどうなったのかを見た。
 絶句する。
 血にまみれた地面。
 バラバラに切り刻まれた手足、そして胴体。
 まるで玩具の箱をぶちまけたように転がる肉片の断面からは、白い脂肪と骨が見えた。
 痛みがさらに鋭くなる。
 血を失い、意識がぼやける。
 草津は急に眠くなり、ゆっくりと目を閉じる。
 そして、その目が再び開かれることはなかった。
 ごそごそ、と、ベッドの下から物音がした。
 ベッドの下にできていた暗い影の中から、黒の装束に身を包んだ女性が現れた。
 顔を覆っていた布を取る。
 そこから現れたのは、カラスアゲハの顔だった。
「誰だか知らないけど、ここにいて知らない人間ってことは敵よね」
 草津の死体を見下ろしながら口にするカラスアゲハ。
 草津は答えない。
 とっくの昔に絶命していた。
「ベッドの下で休憩していてよかったわ、もし誰もいないからベッドの上で休んでたらあなたに見つかっちゃったもんね、転移能力者さん」
 カラスアゲハは血に濡れた鋼糸の血をベッドのシーツでふき取りながら続ける。
「でも、敵がどこにいるかわからないんだから、油断するなんてダメすぎるわ」
 血を拭きとり終わると、カラスアゲハは鋼糸を忍者装束の袖の中に再びしまいこむ。
「じゃあね、おじさま」
 それだけ言い残すと、カラスアゲハは部屋から出て行った。
 足音もなく気配もなく。
 戦わずに一方的な殺害だけをもたらす暗殺者は、そして仕事を終えて標的から離れていった。
 蝋燭で照らされる小部屋。
 そこには、未だに血の海の中に沈む草津の死体が転がったままであった。






「どういうことだ、桂原?」
「見ての通りだ、私はお前達を裏切ってなどはいない」
 草津の去った牢屋。
 鉄格子の前にいた桂原は、スーツの中から鍵を取り出しながら口を開く。
「今出してやる、待ってろ」
 そう言うと、桂原は鍵を開けた。
 牢屋の中から腕を後ろ手に手枷をはめられたままの柴崎が出てくる。
 桂原は柴崎を拘束する縄を短刀で切り裂いた。
 自由になった手首を前後に動かし、柔軟をしながら柴崎は桂原を睨みつける。
「説明してもらおうか?」
「まぁ、それが妥当な反応だろうな」
 小さく息をつき、桂原は続けた。
「まず理解してほしい事、それは私がお前達を裏切っていないということだ」
「じゃあ、なぜ座間を殺したんだ?」
「私が裏切っていないということを前提に考えてみろ」
 そう言われ、柴崎は少し考え込んでから口にした。
「……裏切っていたのはお前ではなく?」
「そう、座間の方さ。裏切り者はあいつの方だった」
「座間が裏切り者? あの真っ直ぐな男がか?」
「真っ直ぐだからこその裏切りだろう。アルス・マグナの理想は実に素晴らしいからな」
 皮肉げに言う桂原。
 それを聞き、柴崎は不機嫌な顔をした。
「わからないな、ならなんでアルス・マグナは仲間である座間をお前に殺されて看過したんだ?」
「座間が二重スパイだと言ったのさ。こっちの味方と思わせておいて実は敵とな。まぁ、本当の二重スパイはオレだったんだが」
「剣崎のことは?」
「あれは不幸な事故だ。カラスアゲハにでも聞いたのか? まぁ、オレが殺すところも座間が死ぬところも見てたからな。あれは逃げ切れなかったあいつの失策だ。まさか近くにペルセウスがいたとはオレですら想像がつかん」
「ペルセウス、星座か?」
「ギリシャ神話の英雄のほうだ」
 その言葉に、柴崎はわけがわからないという顔をする。
 桂原は小さくため息をついた。
「転生復活者だ、Aクラスの魔剣を五つばかし持ち歩いている危険人物。できればやりあいたくない相手だな」
「お前の仲間か?」
「元な、裏切りがバレた時点でもれなく敵さ」
 楽しそうに両手を広げて口にする桂原。
 そんな桂原に、柴崎は困ったような顔をする。
「それで、アルス・マグナを裏切ったってことはお前は私の味方と考えていいんだろうな?」
「聞くまでもないことだろう、ほれ」
 言って桂原は柴崎に黒き拳銃を投げて渡す。
「あと、これもだ」
 今度は仮面のセット、さらには柴崎が隠し持っていた各種の装備がしまわれている彼愛用の黒いコート。
「さぁ、晴れて仮面使いの復活だ、調子のほどは?」
「上々とでも言ったところか」
「ならよかった」
 そう言って桂原は柴崎に背を向け牢屋の出口へと向かう。
 それに続くように柴崎も歩き出す。
 牢屋の部屋から出るとそこは小さな小部屋だった。
 つい先ほどペルセウスが座ったイスに桂原が腰をかける。
 そして、柴崎にその対面のイスに座るように顎で示す。
 柴崎が座ったのを見計らって、桂原は会話を始めた。
「柴崎、わかっているとは思うが、オレたちは師匠を殺さなくてはならない」
「止める事はできないのか?」
「無理だ、オレたちの実力じゃ相打ちに持ち込めでもしたら御の字なんだ。手加減なんかしていられない」
 きっぱりと口にする桂原に、柴崎は表情を曇らせた。
「いいか、今からオレが話すのはクロウ・カードの攻略法だ。無知な状態ではあの男には絶対に勝てない」
「なぜ、そう言い切れる?」
「オレは知ってるからさ、クロウ・カードの能力をな」
「どんな能力なんだ?」
 尋ねる柴崎。
 そんな柴崎に、桂原はスーツの中から二冊の本を取り出してみせる。
 アルファベットによく似た、でも違う類の文字で綴られた古びた本だった。
「この本、なんだか知ってるか?」
「……知らないが」
「これはな『法の書』の写本だ」
「写本?」
「コピーしたものってことさ。贋作、偽者だ。もちろん本物よりも能力は劣る」
「その写本がどうかしたのか?」
「能力を教えてやる。これがオレの切り札の魔剣『法の書の写本』だ。法の書の力はタロットカードに描かれるアルカナを操る事にある。が、この写本は本物よりも数段劣る力しかもたない。本来なら二十三種のアルカナ全てが使えるが、この写本では一つしか操る事ができない」
「二十三? アルカナは二十二だろう?」
 疑問を口にする柴崎。
 そんな柴崎に、桂原は少し強い口調で言った。
「二十三あるのさ。順を追って説明してやる。いいか、アルカナと言うのは本来なら二十二種類だ、確かに。では柴崎、アルカナの中でもっとも大きな存在であるアルカナはなんだかわかるか?」
「……世界?」
「そう、世界だ。この写本はその世界のアルカナの力のみを行使できる。世界の能力は結界だ。自身が作り出した結界の中に相手を閉じ込め、そこを戦場とすることが出来る」
「結界起動系の魔剣か?」
「その通り、よくわかっているじゃないか。世界の能力は結界を作るだけじゃない。その結界で自分の都合のいい世界をつくる事が出来る」
「と、言うと?」
「結界を展開した後に宣言をするんだ『我は信じる、汝、ナニナニなるは絶対の法なり』とな。ちなみにナニナニの部分の自分の作りたい世界の法則を入れてくれ。例えば敵の魔剣の力を封印したいと思ったら『我は信じる、汝、術失うは絶対の法なり』とかな。こう宣言すればその結界の中では相手は魔剣の行使ができなくなる」
「とんでもない能力だな」
「そうでもない、この能力には弱点が二つある」
「二つも?」
 わずかに驚く柴崎。
 桂原は小さく頷きながら続けた。
「まず、その世界で構築できる法則には限界があるということだ。結界の中は術者の思い通りになるが、それに対する制約が一つ。それは、自分が宣言したことを心の底から信じ込めるかということだ」
「どういうことだ?」
「つまり、敵が自分よりも数段格上だったとする。そこでこう宣言した。『我は信じる、汝、術失うは絶対の法なり』とな。だが、相手は自分よりも格上だ。自分の術で敵の術を封じる事ができるとは思えない。こうなるといくら信じようと頑張っても信じることができない。そして、心の底から信じ込めなければ世界の法にはならない。つまり無効ってわけだ、その世界の法則は」
「信じられないことは現実にならないか。もう一つは何だ?」
「結界の中に展開した世界の中で一度に宣言できる法は一つまでということさ。正確に言うなら宣言は何度でもしていいが、法として確立するのは一つまでだ。さらに新たな宣言をした場合、前のものが無効になって次の法に上書きされる」
「なるほど、それだけ弱点があれば対処できるな」
 自信ありげにいう柴崎。
 もっとも、彼の背中ではわずかに冷や汗が流れている。
 確かに弱点がわかったのはありがたいが、それでも能力が異常すぎる。
 相手が信じてしまえばこちらが即死する可能性さえあるのだ。
 だが、弱点を突けば必ず勝機はある。
 柴崎はそう思っていた。
 が、
「そう簡単にはいかん」
 桂原がそんな柴崎に釘をさした。
「教えておこう、オレたちが殺さなくちゃいけないクロウ・カードが持っている魔剣は写本じゃない。いや、所持しているのは魔剣なんてちゃちなもんじゃない。魔皇剣だ」
「魔皇剣?」
「そう、魔皇剣『法の書』それがクロウ・カードの武器だ。コピーではないオリジナル。世界以外の二十二のアルカナを操る事さえ可能だ」
「二十一ではなく?」
「そうだ、そこでさっきの二十三の意味を教えてやる。写本は最大のカードと思われている世界の能力を操れるが、オリジナルの法の書はさらにその上のアルカナを操る。『世界』を超える広がりをもつアルカナ、『宇宙』だ」
「宇宙のアルカナ?」
「そうだ、有限の世界に対し、宇宙は無限の広がりを持つ『無限の世界』だ。無限の名を冠する限りには世界が持っている制約が一つ失われる」
「法の構築できる個数ですか?」
「わかるのか?」
「はい、信じられたらという制約がなくなってしまうとしたら、それは退魔皇剣クラスの魔剣になってしまいます」
 柴崎の筋道の通った言葉に、桂原は満足そうに頷いた。
「その通りだ、『無限の世界』は『世界』と違って好きなだけ法を宣言できる。効果も重複する。オレは写本で世界を操るが、クロウ・カードはオリジナルで無限の世界を広げる。正直言って勝ち目がない。だが、勝算がないわけじゃない」
「と、言うと?」
「一言で言うのなら、世界の能力は五歳の子供が使用した時、史上最強の魔剣になる。退魔皇剣さえ超えるかもしれん」
「なぜ?」
「想像力に制限がないからだ。世界の理屈を知らなければどんなことでも信じられる。信じれば現実になるわけだからな、最強の使い手だ。君が望む事なら全てが現実になるだろう、だ。実に素晴らしい」
「でも、五歳の子供に扱える魔剣ではないのでしょう?」
「その通りさ、熟練の魔術師か御三家でもそうとう修行した使い手でもないと写本だって使えない。だからおのずと制限はかかる。だが、クロウ・カードがどれだけの時を生きている? 転生前の人生も合わせてあの男は魔術の探求を人生の道とし、魔術結社の中でさえナンバー2として扱われるほどの男だ。世界を知り、己の限界を知っている。有限なのさ、脳みそが。だからクロウ・カードは法の書の力を百パーセント発揮できない。それが最大の弱点で、オレたちの付け込めるところでもある」
「と、言うと?」
「つまりオレたちはクロウ・カードほど世界を知っちゃいないわけだ。まだまだ夢見る年頃さ。つらい現実を見据える能力では劣ってるんだ。だからあの男よりオレたちの方がより多くのことを信じられる。
 世界が法を構築できるかどうかは、信じられるかどうか、そして信じる力が法を作る」
「まさか……」
 息を飲む柴崎。
 そんな柴崎に、桂原は口をゆがめて笑みを浮かべた。
「そうさ、クロウ・カードが『無限の世界』を展開するのに呼応してこちらも『世界』を展開するんだ。
 そして、法を制定する。クロウ・カードはいくつでも法をつくってくるかもしれないが、こっちはたった一つしかできない。しかし、こちらの方が法を制定する力は強い。だから『世界』で作ったたった一つの法は絶対に『無限の世界』の法には侵害されないだろう。それだけが勝機だ。
 結局は速戦即決だ。こちらの強い法を一つ制定して、向こうが別の法で妨害する前に殺す。それしかない」
「失敗したら?」
「死、だな、恐らくは。いや、そうでもないか」
 そう口にすると、桂原は考え込むような仕草をした。
「成功するかわからないが、いろいろとわめいてみるといい。そんなことは不可能だ、とか。そんな法は成立できない、とか。とにかく相手が信じられないように言葉で干渉してみろ。相手が少しでも自分の考えた法に不信感を覚えればその瞬間に法は崩壊する。まぁ、成功確率は低いが、絶対に黙らずわめき散らすことだけは覚えておいた方がいい」
「わかった」
 頷いて答える柴崎。
 ようやくクロウ・カードの力の何たるかを知ることが出来たが、正直言って絶望的だった。
 よりにもよって魔皇剣が相手とは。
 勘弁して欲しかった。
 だが、やらなければならない。
 クロウ・カードの思い通りのことを進めさせては、一体どれほどの涙が流れるだろうか。
 見逃す事などできない。
 決意を新たに腕を組む柴崎に、桂原は本を一冊目の前に置いた。
「写本は二冊ある、一冊はお前に渡しておこう。オレが一つ、お前が一つだ。一緒に戦うのがベストだが、途中でどちらかが脱落する危険が高い。これくらいの保険は必要だろう」
「感謝する」
 言って、柴崎は法の書を懐にしまいこんだ。
「ところで、これからどうする?」
「オレは少しやる事がある。お前はまず薙風と合流してくれ」
「薙風と?」
「ああ、まだ上の階で暴れまわっているはずだ。早く合流しろ。早くしないと間に合わないかもしれない」
「どういうことだ?」
「なに、知り合いの未来予知能力者に教えてもらった。オレと二人で行くよりお前一人で行った方が薙風の生存率が高いと。お前が誰にも妨害されなければ薙風は助かるとも教えてくれた」
「どういうことだ?」
「いいから行け、手遅れになる前に!」
 言い放つ桂原。
 柴崎は逡巡してみせたが、すぐに決意すると、部屋の入り口まで向かった。
 一度だけ振り返り、口を開く。
「死ぬなよ」
「お前こそ」
 それで終わりだった。
 桂原の返事に頷いて答えると、柴崎は疾風のような速さで部屋から出て行った。
 数秒もしないうちに走っていく音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
 それを確かめた後、桂原は写本を手に立ち上がると、後ろを振り返った。
 目の前にあるのは牢屋の扉。
 その扉がゆっくりと開く。
 そして、クロウ・カードが姿を現した。
「桂原、司はどこだ?」
「逃がした」
「逃がしただと、どういうことだ?」
「わざわざ言わないとわかりませんか?」
 写本を開きながら、桂原は挑むような目つきでクロウ・カードを睨みつける。
 それに対し、クロウ・カードは全身から殺気を迸らせ始めた。
「覚悟は……できているのだろうな?」
「それほどでもない、だが、負ける気はないがな」
 すまない、柴崎。
 オレ、ダメかもしれないな。
 心の中でそう思いながらも、桂原は顔では笑みを浮かべて見せた。
 それを前にして、クロウ・カードが懐から本を取り出した。
「アリス!」
 本の精霊が召還される。
 クロウ・カードの後ろに隠れるようにして現れるアリス。
 そして、二人は同時に詠唱を唱え始める。
 お互いに他の攻撃は考えず、ひたすら結界の構築に突き進む。
 そして、術はまったく同時に完成した。
「世界(ワールド)!」
「無限の世界(アンリミテッドワールド)!」 
 教会の地下に二つの結界が展開された。
 もはや外から結界の中に介入することは出来なくなった。
 二人の死闘は、今ここにはじまった。






 母親を装っていたターニャを殺害した数騎は、ターニャの死体の転がる部屋を出てさまよっていた。
 輝光探知能力のない数騎は、音で敵を探すか視認する以外の索敵は不可能だった。
 細長い廊下を歩き続ける数騎。
 そこに、足音を立てて近づいてくる者がいた。
 真正面から現れたその人間。
 それは、流れる長髪に赤い着物に身を包んだ女性。
 女性の顔を見て、数騎は思わず表情を緩めた。
「神楽……さん……?」
「残念、妹の方よ」
「歌留多か」
 数騎の表情が険しくなる。
 歌留多は足音を立てながら数騎の目の前までやってきた。
「ご苦労様、まずは一人撃破ね」
「お前の思い通りに動いてやったぞ。そろそろ神楽さんを帰してくれないか?」
「何言ってるのよ、まだ三人残ってるでしょ?」
 容赦なく提案を蹴る歌留多。
 数騎はわずかに歯軋りするが、歌留多はそんな数騎の様子に表情も変えない。
「それよりもさっさと二人目を殺しに行きなさいよ。休んでる暇はないわ」
「場所がわからない」
「ペルセウスは五階に現れるわ。待ち伏せて殺しなさい」
「了解だ」
 そう言うと、数騎は歌留多に背を向けて歩き出す。
 と、すぐに振り返って口を開いた。
「ところで」
「何?」
「二人目の標的のペルセウスってヤツ、あんたの仲間じゃないのか?」
「だったわね、もう違うわ」
「違う?」
 訝しげに聞く数騎に、歌留多は堂々とした口調で言った。
「裏切るわよ、あいつらを。今度から私達二人のチームよ。あなたと私の」
「残存兵力七から二に減少か。少しばかり不利だな」
「そうでもないわよ、ここで激戦繰り広げてる三つの勢力はどれもこれも数が減少してきてるわ」
「具体的には?」
 尋ねる数騎。
 そんな数騎に、歌留多は両手の指を使って数を表しながら説明した。
「魔術結社の人間は残り三人、アルス・マグナは三人、ヴラド一派は二人よ」
「そして第四勢力であるオレたちが……」
「二人よ、四つの勢力は拮抗しているわ。まぁ、数だけならね」
「質は段違いと?」
「確実にアルス・マグナが一頭地抜いているわ。いかに他の三勢力が連携してアルス・マグナを削り殺すかね。それで勝負が決まるわ」
「で、あんたの予知通りに進むなら?」
「私達の勝利よ、だからあなたにはペルセウスを仕留めてもらわないといけないの」
「で、それが終わったら神楽さんを返してくれるんだな?」
「ええ、そうよ。英雄狩りが終わったら鋭気を養えるように神楽に会わせてあげるわ。優しいでしょ?」
「ああ、痛み入るほどにな」
 数騎は答え、表情に緊張を孕ませた。
「じゃあ、行ってくるぜ」
「あぁ、そうそう。ペルセウスと戦う時の注意事項を教えてあげるわ」
「注意事項?」
 聞いておいたほうがいいと考え、数騎は歌留多の返事を待つ。
 そんな数騎に、歌留多はゆっくりとした口調で言った。
「ペルセウスはいくつもの魔剣を持つ強力な魔剣士よ。撃破するにはあなた単体での勝利はないわ。途中で誰かしらと合流するはずよ。そいつらと協力してペルセウスを打破しなさい」
「他には?」
「もちろんあるわよ、ペルセウスの持つ魔剣の中で最強の魔剣、キビシスには気をつけなさい」
「キビシス?」
「白い布袋のことよ、これ自体にたいした力はないんだけど、この魔剣には二つの能力があるわ。どんな危険な魔術装置でもしまっておける強力な封印力。そして、それを保護するための対衝撃、対輝光能力を持つ外面。つまり、ちょっとやそっとの攻撃じゃキビシスの破壊は不可能ってわけ」
「それで、どんな魔剣が入ってるんだ? お前が注意しろっていうんなら相当なものなんだろう」
「ん〜、入ってるのは魔剣じゃなくて」
 歌留多は右手で手刀を作り、自分の首を切るような真似をして見せた。
「生首」
「生首? そんなものを入れてどうするんだ?」
「魔眼師の女の生首よ、つまりキビシスの中から魔眼が飛び出してくると考えてもらえばいいわ。チャンスがあったらその女の目を潰しなさい。魔眼は力を失うわ」
「その魔眼師、どんな魔眼を使うんだ?」
「石化の魔眼よ、見た相手を石に変えるわ」
「ギリシャ神話のメデューサみたいなやつだな」
「ご明察ね、あなたの言うとおりメデューサよ。ただし、転生復活したメデューサだけど」
「へぇ、そんなやつも転生するんだな。どこの誰かは知らないが」
「あら、あなたも知ってる人間よ」
 その言葉に、数騎の表情が一変した。
 緊張と焦りが入り混じる。
 誰が死んだ。
 自分の知り合いの誰が生首にされている。
 そんな言葉が頭の中を駆け巡った。
 口の中が乾燥していく。
 聞きたくなかった。
 だが、聞かずにはいられない。
 唾を飲み込み、数騎は枯れたような声で尋ねた。
「誰だ、そいつは?」
「綱野麻夜」
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 絶叫が迸った。
 体を抱きしめるようにして蹲る数騎。
 そんな数騎を見れるのが嬉しいのか。
 歌留多はじつに楽しそうに続ける。
「ペルセウスに殺されたのよ、首を一撃で跳ね飛ばされたわ。魔術結社の人間の一人としてここに侵入したんだけどあっけなく返り討ち。魔術結社で残っている人間は薙風と柴崎、後は桂原かな。そろそろクロウ・カードを裏切る頃だし」
「嘘だ! 麻夜さんが死んだなんて嘘だ!」
 泣きながら叫ぶ数騎。
 そんな数騎を、神楽はうっとおしそうに蹴り飛ばした。
「男のくせに喚かないでくれる、見苦しいわ。嘘じゃないわよ、綱野麻夜は死んだ。殺されたのよ、ペルセウスに。かわいそうに、あなたの大切な人が次々にいなくなっていくわ。次は誰が死ぬのかしら? もしかして神楽かも」
「神楽さんに手を出したらただじゃ済まさないぞ!」
「じゃあ、さっさとペルセウス殺してきなさいよ。そうじゃなきゃ神楽を殺すわよ。それに、ちょうどいいじゃない。あなたの大好きな綱野麻夜さんの敵討ちができるのよ」
「言われるまでもない……」
 歯を食いしばり、睨みつけるようにして数騎はその言葉を紡ぎだした。
 憎悪が数騎の心を蝕んでいく。
 それは自身さえも焦がす業火。
 数騎は歌留多を一度だけ睨みつけると、彼女に背中を向けて歩き出した。
 振り返るようなことはしない。
 ただ、標的のいるであろう階に向かって歩いていく。
 その後ろ姿を見つめながら、歌留多は小さく呟いた。
「全く、計算が狂うわね。あの男、本来なら壊れてるはずなのに、扱いずらいったらないわね」
 大きくため息をつく。
 だが仕方がない。
 今あるものだけで頑張るしかないのだ。
 ないものねだりは許されない。
 歌留多はそう、自分に言い聞かせると、数騎の向かった方向とは別の方向に向かって歩き出す。
 まだまだ動き回らなければならない。
 全ては目的の達成のため。
 とりあえず神楽と話をつけなければならない。
 そんな事を考えながら、歌留多は暗い廊下を歩く。
 歌留多の目の前には、暗い暗い廊下が、延々と続いているのであった。






 渇いた風が吹き抜ける荒野に、二人の男、そして一人の少女がいた。
 対峙する桂原とクロウ・カード。
 互いに展開された結界が、すでに後戻りできないことを物語る。
「それにしても桂原、貴様が裏切るとは思わなかったぞ。まさかお前、カルタグラではあるまいな?」
「オレが? 二重人格者にでも見えるのか? それとも今お前に対峙しているのが支配者の人格で、お前に従っていたのはオレに記憶操作や行動強制をされていた弱い方の人格だとでも? ふざけるな、オレは先天性分裂症の魔眼師じゃない。正真正銘自分の意志でお前に敵対しているのさ」
「そうか、残念だ」
 クロウ・カードはそう口にすると、輝光を集中させ始めた。
「我は信じる、汝、術失うは絶対の……」
「無駄だ、オレの結界で威力は半減しているんだ」
 桂原が言い放つ。
 クロウ・カードは法の制定を中断した。
 能力を知られている以上、隠す必要はない。
 桂原の言葉に、クロウ・カードが口にした法を信じられなくなったのだ。
 クロウ・カードは次の法を制定しようとしたが、それよりも早く桂原の腕が振られていた。
 両手の指にはめられた十の指輪。
 それらはすべて魔術師が持つ杖に匹敵する魔術装置。
 それを用い、桂原は簡易詠唱を持って術式を紡ぎあげる。
「貫け!」
 突如として空中に現れる氷片。
 それはより集まり、氷の矢じりを形成すると、クロウ・カードに向けて直進を始めた。
 老騎士を、そして仲間であった十二の亡霊を屠った氷の弾丸。
 しかし、
「塔(タワー)」
 氷の弾丸はクロウ・カードに触れることはできなかった。
 突如として、地面から壁がはえた。
 地面から出現したのはレンガ造りの塔の壁だった。
 塔は見る見るうちにその姿をさらし、一瞬にして高さ五メートルにもなる姿を見せた。
 『塔』のアルカナ、それは好きなタイミングで塔を出現させる能力。
 その塔は足元から敵を貫くこともできれば、このように敵の攻撃を防ぐ盾として扱う事も出来る。
 クロウ・カードが指を鳴らすと共に塔は消失した。
 桂原の目の前に再び現れたクロウ・カードの姿は、やはり無傷だった。
「精霊よ、大地の精よ!」
 桂原が叫ぶ。
 それと同時に荒野の大地が盛り上がった。
 土が三メートルの高さの巨人の上半身を作り出した。
 握りこぶしを作り、大地の巨人はクロウ・カードに拳を振り下ろす。
 クロウ・カードはその拳の速度に動けない。
 いや、動かない。
「吊された男(ハングドマン)」
 発動するアルカナ。
 直後、クロウ・カードに巨人の拳が直撃した。
 ように見えた。
 目をこらしてみればわかる。
 クロウ・カードに拳が激突するほんの数センチの距離で拳が停止していた。
 次の瞬間、まるで磁石の同じ極がぶつかり合ったように拳がクロウ・カードの側からはじかれた。
 大地の巨人が体勢を崩す。
 『吊られた男』のアルカナ、それは物体の移動方向を変更する力を持つ。
 クロウ・カードはこの力を巨人の拳の移動方向を操った。
 クロウ・カードとは逆方向に向かう拳。
 その瞬間、クロウ・カードはさらなるアルカナを用いた。
「節制(テンパラス)」
 口にされる詠唱。
 それは眼前に大地の巨人に対して紡がれた。
 大地の巨人はその術式に捕らわれた。
 見る見るうちに体が崩れ去り、元の土くれに戻る。
 『節制』のアルカナ、それは物体に付与された輝光を減少、消滅させる力。
「炎よ、風よ、水よ!」
 桂原はさらに叫ぶ。
 桂原は写本を手に入れるまでは四大元素を操る精霊使いとして知られた男だった。
 指輪が光り輝き、桂原の周囲に精霊が具現化した。
 炎の龍、風の魔人、水の蛇。
 精霊を具現化し、戦わせる事が出来る力。
 これこそが桂原が本来持つ力。
 桂原の合図と同時に風の精霊が上空に、炎の魔人が右、そして水の蛇が左というように桂原から距離を取る。
 そして、三方向からクロウ・カードに襲い掛かった。
「腕をあげたな、桂原」
「余裕だな、師匠!」
 その言葉と同時にクロウ・カードに炎、風、そして水による攻撃が繰り出された。
 触れるものを炭化させるとさえ思わせる業火。
 体の自由を奪い、その肉体を切り刻む疾風。
 そして、固形化し無数の槍と化した水。
 それに対し、クロウ・カードは八枚のタロットを指に挟む構えを見せた。
 それは、まるで指の間から生えた長き獣の爪のようだった。
 クロウ・カードは右腕を振りかざした。
 それと同時に四枚のタロットが眼前に射出される。
「愚者(フール)、女教皇(ハイプリーステス)、恋人(ラヴァー)、隠者(ハーミット)!」
 さらに左腕が閃く。
「教皇(ハイエロファント)、力(ストレングス)、戦車(チャリオット)、運命の輪(ホイールオブフォーチュン)!」
 八枚のカードが渦を巻くようにしてクロウ・カードを取り囲む。
「八翼の剣(エイトアルカナ)!」
 周囲に光り輝く輝光が迸った。
 クロウ・カードの背後に後光に包まれた一神教の聖者の姿。
 そして、それを取り囲む無数の天使。
 周囲には馬が引く戦車に乗った十二の騎士。
 そして、輝く天使の輪がそれら全てを内包していた。
 桂原の操る精霊が容赦ない暴力をクロウ・カードに叩きつける。
 だが、無駄だった。
 クロウ・カードの編み出す八翼の剣による防御呪文の数値は実に百五十五、最大放出五十がせいぜいの桂原に突破できる数値ではない。
 全ての攻撃はなんなく防がれる。
 そうと見るや、クロウ・カードたちを囲む天使の輪が消え去った。
 それと同時に十二の騎士達が三分し、精霊に襲い掛かった。
 弓に射抜かれ風の精霊が。
 槍に突かれ炎の精霊が。
 そして、戦車に轢き潰され水の精霊が消滅した。
 全ての精霊を撃破し終えたクロウ・カードはアルカナによって出現させた僕たちを消した。
 具現化をし続けるのはクロウ・カードに対し、大きな消耗をもたらすからだ。
 消え去るアルカナの具現。
 その瞬間。
 光り輝くアルカナの具現に目が慣れていたクロウ・カードは、消え去った瞬間瞳孔が光の調節能力を用いて目を通常の明るさで機能させようと働いている瞬間。
「おおおおおおぉぉぉおぉぉぉ!」
 叫び声を上げながら、桂原が駆け寄ってきた。
 背中から、消滅したものとは別の風の精霊の追い風を吹かせ、駆ける速度は魔飢憑緋のそれに匹敵する早さ。
 左腕に写本を抱え、右手に輝光を集中させながら、クロウ・カードに向かって突撃を駆ける。
 それに対し、クロウ・カードは桂原を視認できなかった。
 故に、許される対処方法は二つ。
 上手くいくかわからないが、何かしらのアルカナをもって桂原の進撃を止める。
 そして、もう一つは、法の制定。
「我は信じる、汝、速度低下させるは絶対の……」
「我は信じる、展開せし結界、十秒のみ力失うは絶対の法なり!」
 桂原がクロウ・カードの言葉よりも早く法を制定した。
 時間制限ありの能力停止。
 術力、さらに魔剣の能力においてさえ桂原はクロウ・カードに及ばない。
 だが、だがだ。
 たった十秒程度なら止められるかも知れない。
 いや、止められる。
 桂原はそう信じることができた。
 そして、結界の能力が停止する。
 距離は残り五メートル。
 桂原は写本を投げ捨て、手のひらに集中させた輝光をさらに出力を上げた。
 威力は二十五、法の書や精霊を使用した後であったために最高の威力である五十は無理だが、その半分でもクロウ・カードをうち貫くには十分な輝光。
 右腕を突き出す。
 うねりをあげる輝光。
 光り輝く輝光は渦を巻き、クロウ・カードの眼前で開放された。
 繰り出される爆発。
 法の書の力を停止されたクロウ・カードを殺して余るだけの威力を持つ術式。
 巻き起こった爆炎に、桂原は視界をふさがれた。
 荒い呼吸。
 賭けだった。
 法の書の写本は一度しか使えない。
 しかし、一度だけの使用は無限の使用に打ち勝てると信じられる。
 だからこそ停止を試み、成功した。
 あとは結界無しの実力勝負。
 アルカナのコンビネーション、八翼の剣は使用直後に術式を紡げない。
 あとはその隙を付くだけだった。
 格上の相手を倒すには奇襲しかない。
 教わった行為を実践したまでだった。
 あれ?
 それは誰に教わったことだったろう。
「ぐっ」
 思考が中断される。
 左胸に激痛が走る。
 口から血があふれ出した。
 痛みの走る自分の胸を見下ろす。
 そこには銀色に輝く刃。
 桂原はそれがどこから伸びているか、視線をゆっくりと移動させる。
 煙が消え始める。
 桂原の胸に刺さっていたのは長剣だった。
 その長剣の先に長剣を構える男の姿。
 それが、爆発によって右半身が大火傷を負い、どこからどうみても重症のクロウ・カードの姿だった。
 クロウ・カードは左手に長剣を握り締め、桂原の胸をその切っ先で突いていた。
 長剣は桂原の胸を貫通し、切っ先が背中を飛び出している。
 煙が晴れた。
 それと同時にクロウ・カードは長剣を引き抜く。
 支えを失うと同時に桂原が地面に倒れた。
 刃は心臓のすぐ隣に突き刺さり、心臓にも小さくはない傷が付いている。
 即死でこそなかったが、致命傷だった。
 それを見て、クロウ・カードも立っていられなくなり地面に腰を降ろす。
 危ないところだった。
 確かにクロウ・カードに術を紡ぐ余裕はなかった。
 アルカナを唱えようにも、桂原の突撃を止められるような短い詠唱で起動するアルカナ程度では桂原の一撃に耐えられない。
 そう考えたクロウ・カードは長剣を引き抜いた。
 本来ならアルカナの力を吸収し、解き放つ魔法剣であるその長剣は、自身の輝光を二十まで蓄積することの可能な魔道具でもあった。
 その剣に保持されていた輝光を、ろくな術式も作らずにクロウ・カードは盾として用いた。
 形のない輝光は桂原の術の威力を致命傷にならない程度の威力に落としたが、それで十分だった。
 致命傷を免れたクロウ・カードは、術を解き放ち無防備になった直後の桂原に長剣による一撃を叩き込み勝負を決めた。
 倒れる桂原を見つめながら、クロウ・カードは、『やはり』と思った。
 実力で上回る相手には虚を突いての奇襲しか勝ち目はない。
 そう教えたのは自分だった。
 それを桂原は完璧に実行してみせた。
 誇らしいかぎりの弟子だ。
 だが、もう共に歩む事もないのだろう。
 目元に涙が浮かんだ。
 だが、クロウ・カードはそれを何とか堪えると、右に顔を向ける。
 そこには怪我をしたクロウ・カードを心配して近寄ってきたアリスの姿があった。
「お父さん、すぐ治してあげるから」
 クロウ・カードに手をかざすアリス。
 法の書の精霊であるアリスにはわずかに魔術を扱う力がある。
 アリスの術式が展開され、クロウ・カードは痛みが和らぐのを感じた。
 アリスに治療をしてもらいながらクロウ・カードは倒れた桂原を見つめ続ける。
 桂原は、まだ死んではいなかった。


「あ……ぁ……」
 熱かった。
 左胸が熱かった。
 膨れ上がり張り裂けそうな痛みが胸にうずく。
 だが、指一本動かせそうになかった。
 意識が薄れゆく。
 それでも桂原はまだ立ち上がろうとしていた。
 ゆっくりと体を起こす。
 なぜ体が動くのか。
 疑問に思ったが不思議はない。
 今、桂原の意識は朦朧としている。
 彼の中での常識はもはや存在しないも当然。
 だがら、心臓に傷をつけられてひどい内出血に陥った人間でも起き上がれることが出来ると彼は信じ、クロウ・カードの結界無効化の法を破棄して立ち上がれるという法を口にしていたのだ。
 アリスに治療をしてもらっているクロウ・カードの眼前で、桂原は立ち上がって見せた。
「とぅ……さん、養父さん!」
 妻が、アリスが死んだ後に一度も呼ばなかったその呼び名で、桂原はクロウ・カードに言い放つ。
「あんたは間違っている、誰も病気にならない世界? 人類の永遠だと、バカげてる。あんたは勘違いしているんだ。確かに天国だろう、誰も病気にかからず、人は寿命で死んでいくが永遠に滅びないほど進化を果たした人間の生きる世界。病気に苦しむ人間にはさぞかし理想郷に映るだろう、体の弱い人間は、一体その理想郷を何度夢みるだろう。
 だがな、そんなモンは偽りなんだよ。間違ったってあっちゃならないんだ、特にオレたち二人にはな!」
 そう口にした瞬間、桂原の口から血があふれ出る。
 そろそろ信じられなくなってきた。
 このままでは倒れ、二度と起き上がれない。
 だから桂原は言った。
 倒れる前に言うべきことを口に出す。
「オレたちのアリスは、不完全だからこそアリスだったんだ。あの可愛らしい赤毛のアリスは、不完全な世界だからこそ生まれたんだ! 体が強くて出産に耐えられたアリスだとしたら、それはアリスの偽者なんだ、この世に存在しないんだよ、そんなアリスは!」
 そうだ。
 誰だって考えるはず。
 もっと身長が高かったら、もっと顔が美しくあれたら、もっと裕福な親から生まれていれば。
 でも、それは別人なのだ。
 その低い身長だからこそその人間はその人間で、ブサイクな顔だからこそその人間はその人間で、貧しい親に生まれたからこそその人間なのだ。
 条件が少しでも違えばそれは別物だ。
 だから、もし出産に耐えられる強いアリスが存在するとしたら。
 それはきっとアリスじゃない別の人間なんだ。
「あんたは否定するのか! 不完全かも知れないが、アリスを生み出してくれたこの世界を否定するのか! ならあんたはアリスを否定してるのと同じだ! この世界を否定するっていうのはそういうことなん……」
 それが限界だった。
 もう信じることができなくなった。
 桂原は立ち上がる力を失い、再び地面に倒れ付した。
 もはや痛みも感じない、体の感覚が徐々に失われ始める。
 すぐに目も見えなくなった。
 耳も聞こえず、何も感じない。
 完全なる無の世界。
 その時だ。
 あり得ないものを見た。
 それは赤ん坊を抱きしめる女性の姿。
 赤ん坊を抱きしめている女性は、死んだはずのアリスだった。
「アリス?」
 出ないはずの声が出た。
 その声を聞きつけ、アリスが走りよってくる。
 それに驚いたのか、赤ん坊が泣き始めた。
 誰の子供なのかは一目でわかった。
 目と鼻の形が、自分によく似ているからだった。
 アリスが桂原に赤ん坊を差し出した。
 抱いてみろといいたいらしい。
 桂原は苦笑しながらアリスから赤ん坊を受け取る。
 が、その瞬間、赤ん坊は大声で泣き始めた。
 戸惑い、桂原はアリスに赤ん坊を返す。
 アリスが赤ん坊をあやしはじめると、赤ん坊は泣き止み、そして眠りに付いた。
 安らかな寝顔。
 それを見て、アリスと桂原はお互いの顔を見つめあいながら微笑む。
 それは桂原が望んだ世界。
 望みながら永遠に手にする事はなかった世界。
 しかし、死の間際において、桂原はその世界に足を踏み入れた。
 全てが薄れていく。
 まるで消えていくテレビのように残像を残しながら失われていく。
 それでも桂原は、そこにこそ自分の居場所があったのだと、信じ続けながら息絶えた。






 桂原の命が絶えるまでの時間をアリスは、いや、法の書の精霊リベル・レギスは見つめていた。
 法の書の精霊にはわずかではあるが世界の能力を用いることができる。
 死に行く者の望む幻を見せるくらいはわけのないことであった。
 桂原を尻目に、法の書はクロウ・カードの傷を治癒し続ける。
 数時間前は粉砕骨折したペルセウスの腕を治したこともあるアリスにとって、火傷くらいなら簡単に治癒できた。
 治療の間、アリスもクロウ・カードも無言だった。
 それは、死に際に桂原が口にした言葉が原因だったのだろう。
 クロウ・カードは静かに考えに沈んでおり、その無表情から何かしらの思考を読み取る事は出来なかった。
 クロウ・カードの治癒をしながら、アリスは思っていた。
 やはり自分はアリスではない。
 クロウ・カードや桂原が愛したアリスは、自分にも姿の見えた、桂原の見た幻に現れた赤毛の女性。
 自分は、法の書の精霊でしかなく、クロウ・カードの求めるアリスではない。
 それがアリスには悲しかった。
 泣いてることに気付かれないように、アリスは静かに涙を流す。
 だが、それによって体が震えてしまったいたために、泣いていることに隣にいたクロウ・カードは気付いていた。
 時間が流れる。
 結界はすでに消えていた。
 元の小部屋に三人は戻る。
 治療する少女にされる男。
 そして、床に倒れ絶命している青年。
 その青年の死に顔は、死者のものとは思えないほど幸福に包まれた安らかな笑顔だった。







魔術結社    残り二人
ヴラド一派   残り二人
アルス・マグナ 残り三人(草津、桂原の死亡。さらに歌留多、数騎の離反)
第四勢力    残り二人





















前に戻る/ 次に進む

トップページに戻る

目次に戻る