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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十二羽 薙ぐ風
第十二羽 薙ぐ風
「はぁ、はぁ、はぁ……」
蝋燭のみが明かりという暗い廊下を柴崎は走っていた。
桂原の言葉が真実なら急がなくては薙風の命が危ない。
柴崎にとって薙風というのはかわいい妹のようなものだった。
柴崎が薙風の家に引き取られたちょうどその年に薙風は生まれていた。
兄弟同然に育った薙風は、本当に大切な家族の一人だった。
だからこそ、今まで行動を共にし続けた。
基本的には二階堂と二人で動くのを好んだ柴崎だったが、薙風が危険な部署へ配置される時は必ず同行を願い出たほどだ。
薙風はつらい契約に縛られ、今まで戦い続けてきた。
しかし、その契約は切れ、もう戦わなくてもいい。
そう魔術結社からもお達しが来たのだ。
だから今度の戦いにも参加せず、事務所の中に引きこもっていたはずだ。
なぜ来た?
思いつく可能性は一つしかない。
私を助けに来たのだ。
薙風が命令も無しで命を賭ける理由はそれしか思いつかない。
薙風は未だに、剣崎の屋敷が襲撃された過去に縛られている。
あの戦いで家族を、弟を失った。
残っている身内は自分だけ。
なら、それを守るためなら薙風はきっと戦いに向かうだろう。
だが、いけない。
薙風は今、魔飢憑緋を持っていない。
魔飢憑緋はクロウ・カードの部下の草津とかいうやつに取られた。
さっき桂原が返してくれた装備の中には刃羅飢鬼しかなかった。
つまり、桂原が取り返せないところに魔飢憑緋はあることになる。
薙風は確かに剣術の達人ではあるが、いかに剣技に秀でようと魔剣を持たない不利はあまりにも大きい。
せめて投影空想か糸線結界のどちからでも持ってきてくれていればいいが。
柴崎は、そう考えながら廊下を走っていた。
が、その足が突如として止まる。
廊下の先。
蝋燭の明かりを受け、浮かび上がる輪郭。
柴崎から十メートルほど離れたその位置に、一人の男の姿があった。
上半身は裸で下半身には獣毛が所狭しと生えている。
左手には黒き銃、そして金色の獣毛に覆われた右腕。
「二階堂……」
そう、柴崎の目の前に立ちふさがったのは二階堂だった。
「待ってたぜ、柴崎。お前が牢屋から脱出すると歌留多が教えてくれた。少々待ちくたびれたがな」
「歌留多が?」
「聞いてないのか、あの女はアルス・マグナだぞ。ついでに言えば藤堂も柳沢も裏切り者だ。安藤と山形と座間、ついでに戟耶もアルス・マグナ所属だったそうだ。全部桂原と歌留多の謀略で戦死したけどな」
「そんなに裏切り者がいたって言うのか、ランページファントムの中に?」
二階堂の言葉を聞き、柴崎は驚きを隠せなかった。
十三の亡霊、安藤。
十二の亡霊、山形。
七の亡霊、座間。
六の亡霊、歌留多。
五の亡霊、藤堂。
三の亡霊、戟耶。
二の亡霊、柳沢。
過半数以上だ、十三人全員いても過半数なら多数決で勝利できるほどの人数。
なるほど、桂原が裏切ったフリをしたりしていたのは裏切り者を始末するためだとしたら納得だ。
さらに二階堂の言葉からわかる事。
桂原は歌留多と手を組んでいる。
歌留多は桐里神楽と同じ未来を見る目を持っている。
その指示に従い、桂原が動いたとするなら話は早い。
須藤数騎に安藤を殺させたのはおそらく桂原。
桂原自身はカラスアゲハが殺したと言っていたが、多分山形のほうは自分で殺したのだろう。
さらに座間は桂原が騙し討ち、藤堂と柳沢はどうやったかは知らないが、少なくとも戟耶は処罰という形で柴崎自身が手をくだしている。
高速で答えを導きだす柴崎を尻目に、二階堂は続けた。
「正直、オレはあの歌留多とか言う女が気に入らない。何をたくらんでるのかわからないし、多分クロウ・カードを裏切るつもりだ」
「お前は、それを養父さんには教えたのか?」
「必要ないね、戦力の一端を担ってるだけで恩は返してる。それに……」
言葉を切り、二階堂は肉体を駆け巡る輝光を集中させた。
盛り上がる筋肉、生え始める獣毛。
増加する体重に床がわずかに沈む。
獅子と虎のあいの子、ライガーの獣人と二階堂は変化を遂げた。
「オレはお前以外にさして興味はない」
臨戦態勢に入る二階堂。
そんな二階堂に、柴崎は叫ぶように言った。
「止めろ、二階堂。オレはお前と戦う気はない!」
「オレにはある、どちらかに戦う気があったら戦いは不可避だ。そうじゃないのか?」
「確かにそうだ、だが退いてくれ! オレは薙風を助けなくてはならない!」
「どういうことだ?」
「歌留多の予言だ、オレが今すぐ薙風を助けに行かなかったら薙風は死ぬ! 退いてくれ、オレは薙風を!」
「違うな……」
柴崎の言葉を二階堂が遮った。
「お前が行くと薙風は死ぬとオレは歌留多から聞いたぞ、なおさらお前を行かせるわけには行かないな」
その言葉に、柴崎は胸の中に嫌な予感が走った。
違う内容の予言を歌留多がしている?
一体、歌留多を何をたくらんでいるというのだろう。
「さぁ、柴崎。決着をつけようぜ」
体勢を低くし、飛び込む構えを見せる二階堂。
「戦わなければ、納得できないのか?」
コートの中から黒銃を引き抜き、尋ねる柴崎。
そんな柴崎に、二階堂は右拳に輝光を集中させて見せた。
黄金に輝く右腕。
それを振りかざし、二階堂は叫ぶ。
「オレたちはもう、戦う事でしか分かり合えない!」
二階堂が床を蹴った。
二人の距離が一瞬にして縮まる。
こうして一つの戦いが始まった。
そして、彼らが戦いの直前に思い描いた女性、薙風。
彼女がある男と再会するのは、その戦いの十分ほど前の事であった。
暗い廊下を、薙風は一人歩き続けていた。
この教会の地下はまるで迷路だ。
狭い廊下に大きな広間がいくつも続くその地下を、薙風は黙々と歩き続ける。
急いでいるため走りたくはあったが、そんな油断を見せるわけにはいかない。
敵には恐らくカラスアゲハが存在する。
ヴラド一派が裏切らない保証はない。
何しろ、自分が増援として動く事を見越して魔剣士を配置していたほどなのだ。
とっくに裏切っている可能性が高い。
カラスアゲハが敵に回り、伏兵として機能していたとしたら、一撃の元に葬り去られる可能性さえある。
それを警戒し、薙風は遅い進行速度に苛立ちながらも早足で歩き続ける。
と、大広間に出た。
またか、と薙風は思った。
愚痴る気はないがため息が出る。
薙風は、大きくため息をつきながら広間の中央まで歩く。
その時だった。
「よぉ、民族衣装のお嬢ちゃん」
真正面からその男が現れた。
金髪に色黒の肌をしたその男。
ドラコだ。
獣人で獣化すれば服なんて弾け飛んでしまうというのにスーツなんか着てる。
もったいない。
金銭感覚が庶民的な薙風は、伊達男一直線のドラコの姿を見て思わず辟易とする。
そんな薙風に、ドラコはまるで舞台の上の俳優のように演技がかった仕草で両手を広げて見せた。
「また会えるなんて嬉しいよ、何ヶ月ぶりだっけ?」
「九ヶ月」
「君も会いたかっただろ?」
「全然」
「つれないな、オレは会いたいと思ってたんだぜ」
「そう?」
「そうとも、君は結構オレの好みなんだ」
「それで?」
「……もしかしてオレのことキライか?」
「うん」
頷いて答える薙風。
そんな薙風に、ドラコは困った顔をして見せた。
「ん〜、そこまで嫌う事ないだろうに」
「だって、あなた敵」
「そりゃ、敵と味方かも知れないぜ。でも、いろんな物語では敵と味方に別れた主人公とヒロインは逆境を乗り越えてくっつくもんじゃないのか? ロミオとジュリエット以降、無限に繰り返されるお話のパターンだろ?」
「それはお話の中のフィクション、現実的じゃない」
「まぁ、そうかもしれないな」
そう口にし、ドラコは表情を一変させる。
浮かべていた薄ら笑いは、睨みつけるそれに変わる。
強烈な敵意を受けることに慣れていない一般人なら腰を抜かしてしまうほどの威圧。
だが、薙風は平然とした表情でそれを受け入れた。
「聞くまでもないかもしれないが、嬢ちゃん。ここに何の用だい?」
「剣崎戟耶を返してもらいに来た」
「あの仮面使いの兄ちゃんかい?」
「そう」
頷く薙風。
そんな薙風に、ドラコはさらに尋ねた。
「クロウ・カードを止めに来たんじゃないのか?」
「違う、もう私は魔術結社の人間じゃない」
「まさか、オレらにも興味なしかい?」
「そう、消えるなら見逃す」
「それはオレのセリフだったんだがなぁ」
鼻をかくドラコ。
ドラコはさっきから不思議に思っていた。
なぜか薙風から殺気を感じなかったのだ。
理由が今わかった。
ドラコが微塵も殺気を出していないから、薙風も戦うつもりがなかったということらしい。
さて、どうするか。
ドラコは思案を始める。
どうやらこのお嬢ちゃんは戦う気はないらしい。
正直言って無視しても構わない。
だが、目的が厄介だ。
柴崎、というより仮面使いを開放されるのは非常にまずい。
仮面使いは開放されれば自分達の妨害を始めるだろう。
それに薙風が参入するのは目に見えている。
今、殺すか?
いや、無駄な戦闘はできるだけ避けたい。
それでなくともさっきから誰の連絡もないのだ。
薙風が教会に侵入したということは入り口で張っていた門下のヤロウは殺されたのだろう。
ブラバッキー、ターニャ、ヴラドからでさえ連絡もない。
全滅か?
そうとするなら実に厄介だ。
魔術を使えないカラスアゲハは確認しようがないが、カラスアゲハまでもやられていたらこの教会の仲間は自分以外全滅した計算になる。
ここで消耗するわけにはいかない。
ただでさえ、魔眼師に両手を吹き飛ばされたのを再生するので体力と輝光を無駄遣いしているのだ。
最悪一人でクロウ・カードに立ち向かわないといけないというのに、これ以上の消耗は無意味。
戦闘は避けたいが、今ならこの女を柴崎と合流させず各個撃破できる。
どうする?
思案を続け、ようやくドラコは決心した。
「見逃してやる嬢ちゃん、消えな」
「まぁ、待てよ」
背後から自分の言葉に答えるように声が聞こえた。
慌てて振り返るドラコ。
そこには、黒き忍者装束を纏った、赤い右目の少年がいた。
「アサシン、いつの間に?」
「さっきからいたさ、お前が気付かなかっただけだろう?」
挑発するように数騎が口にした。
怒りに眉を痙攣させるドラコ。
そんなドラコに、数騎はなだめるように言った。
「怒るなよ、ドラコさん。これでオレは二度もあんたを見逃した事になるわけだ。命の恩人だろう、オレは?」
「お前はいちいちオレを挑発しないと気がすまないってのか?」
「そうでもないさ、オレはあんたの力を必要としてるんだ。土下座してやってもいいくらいだよ」
「じゃあ、しろよ」
「いや、時間がもったいないからまた今度で」
そう言うと、数騎は向かい側にいる薙風に声をかけた。
「薙風さん、久しぶり」
「須藤数騎?」
「そう、オレだよ。お久しぶり、いつぞやはどうも」
「久しぶり……」
薙風は微笑みながら数騎の顔を見た。
やつれて細くなり、かなり病的な顔つきになってはいてしまったが、薙風はそんなあぶなっかしい数騎が漸太に似ているような気がして微笑ましかった。
数騎はそう受け答えをすると、今度は後ろを振り返って大声をあげた。
「カラス、お前も出て来いよ!」
その言葉に、ドラコと薙風はギョっと目を見張った。
直後、大広間の廊下の暗闇から黒き人影が現れた。
カラスアゲハだった。
「坊や、どうして私に気がついたの?」
「教えてもらったからさ、オレじゃあんたどころか他の連中の場所だってわかりゃしない。無能力者だから輝光探知が出来ないんだ」
「誰に教えてもらったの?」
「未来予知能力者さ」
腕を組みながらそう答える数騎。
そんな数騎のところに、カラスアゲハはゆっくりとした歩調で近づいてきた。
「それで、私を呼び出してどうするつもりなの?」
「ここにいる全員に頼みがあるんだ」
数騎は薙風、ドラコ、カラスアゲハの三人を見回しながら続けた。
「手を貸してもらいたい」
「手だぁ?」
ドラコが嫌そうな声をあげる。
「何でオレがお前なんかに手を貸さなけりゃいけねぇんだよ」
「そうしないと死ぬからさ、お前も含めてオレたち全員が」
その言葉に、数騎以外の全員が息を飲み込んだ。
「どういうこと?」
尋ねる薙風。
そんな薙風に、数騎は一呼吸おいてから答えた。
「敵、クロウ・カードの手下に凶悪なヤツがいる。言ってみればこの一連の戦いのターミネーターみたいなヤツだ。今のところ、あんたたちの仲間の内、脱落した十四人中六人の脱落に関与してる」
「六人? それに脱落者が十四人だと、オレたちの中でか?」
驚きを隠せないドラコ。
一瞬で計算できた。
確かヴラドは敵味方、三組織全てが九人という人数での殺しあいと言っていた。
偵察して情報を仕入れたカラスアゲハの言葉を信じるならこのアサシンはアルス・マグナ側のはず。
ならば、ここにいないで生きている人間は誰か?
自分とカラスアゲハは生きている。
と言うことは、
「アサシン、誰が生き残っているか知ってるのか?」
「知ってるとも、ここにいない人間でクロウ・カードの配下じゃない上に生き残ってるのは仮面使いと歌留多だけだ」
「ヴラドが死んだのか! あの何度殺しても死なないじじぃが死んだのか! オレがいくらやっても殺しきれなかった男だぞ!」
「あぁ、クロウ・カードが殺しきったらしい。歌留多がそう言ってたよ」
落ち着いた口調で口にする数騎。
そんな数騎に、ドラコは掴みかかるようにして言った。
「アサシン、テメェは確かアルス・マグナの一味だったよな! オレたちの目の前に現れるとはどう言った用件だ!」
「オレはアルス・マグナを裏切った。未来予知能力者の桐里歌留多と一緒にな。これで第四勢力発足ってわけさ。アルス・マグナの頭数が減って万々歳じゃないか」
「アルス・マグナにはあと誰が残ってる?」
「ライガーの獣憑きとクロウ・カード、そしてペルセウスだ」
答える数騎。
そんな数騎を、ドラコは掴んでいた両手を話しながら聞いた。
「アサシン、テメェの目的は何だ?」
「歌留多の奴隷になることさ。大切な人間を人質にとられてる」
「それで、オレたちに何をさせたい?」
「ターミネーターを殺す協力を」
「オレたちにはどんな利益がある?」
「死なずに済む、少なくとも手を組まないと死ぬ。オレじゃなくて未来予知能力者が言っていた」
「信じられると思うか?」
皮肉げに言うドラコ。
それはそうだろう。
未来予知の力を持つ人間が予知した内容を正確に伝えるとは限らない。
しかも、聞いた話では桐里歌留多という女は土壇場になってクロウ・カードを裏切ったのだという。
なら、その女の目的は間違いなく界裂だ。
オレたちを共倒れに誘導してクロウ・カードを殺せば界裂は自動的に歌留多のものになる。
そう簡単に利用されてやる気にはならない。
「悪いがオレは断るぜ、テメェも信用できないが、お前を裏で操っている女はもっと信用できない」
「まぁ、もっともな話だ」
感心した風に数騎は頷く。
文句を言うとでも思っていたドラコは、どの態度にわずかだが目を見張った。
そんなドラコに、数騎はすぐさま続ける。
「わかった、協力できないなら無理強いはしない。けど、ターミネーターがどんな能力を持ってるか教わるくらいならしてくれるだろ?」
「ターミネーターの能力だぁ?」
訝しげに聞くドラコに、数騎は嬉しそうに笑みを浮かべる。
心情を表すなら、かかった、の一言が妥当だろう。
「ターミネーターの名前はペルセウスだ」
「それって、ギリシャ神話の英雄?」
尋ねるカラスアゲハ。
カラスアゲハに頷いて答えると、数騎は説明を続けた。
「ペルセウスは転生復活者だ、神話の時代を生きていたその男は死ぬ前に魔剣を封印した。転生後、記憶の戻ったペルセウスはその魔剣を回収したらしい。
使う魔剣は全てAクラス、しかもそれを五つ持ってる。
これは相沢ってやつに破壊されたらしいけど姿を透明に出来る兜、不死者を殺せる不死殺しの大鎌、輝光系の攻撃を無効化する鏡のようにつるつるな青銅の盾、空を駆ける羽の靴。どんなものでも中に入れられて、どんな量のものを入れても袋の大きさが変わらない、その上並大抵以上の攻撃でも突破できない防御力を持つ上に、その中にしまった魔術装置を自分のコントロール下における次元湾曲の布袋。
これがペルセウスの装備だ。ギリシャ神話くらい読んだことあるだろう?」
その言葉にドラコ以外の人間は頷いて見せた。
ドラコだけ困った顔をしている。
恐らく知らなかったのだろう。
とりあえず無視して続けることにした。
「それだけなら確かにやばい戦闘能力を持っているけど致命的な相手じゃなかった。でも、今のペルセウスは一対一で勝てる相手じゃなくなってしまっている」
「どういうことだ?」
問うドラコ。
そんなドラコに、数騎は緊張を孕んだ声で答えた。
「今回の戦い、メデューサの転生復活者が参戦していたんだ」
「それがどうかしたのか?」
平然と聞くドラコ。
どうやらメデューサくらいは知っているらしい。
「どうかしたかって? どうかしたさ、そりゃあ。このメドューサがペルセウスにやられたんだ」
その言葉に、カラスアゲハと薙風が緊張をあらわにした。
ドラコだけがその反応についていけていない。
「どういうことだよ、アサシン?」
「メドューサってのは見た相手を石化させる目を持ってるんだ」
「それがどうしたよ?」
「ペルセウスはキビシスっていう布袋の魔剣を持ってる。この袋に入れた魔術装置は全てキビシスの所有者のコントロール下に置かれるんだ」
「どういうことだよ?」
「ペルセウスはメドューサの首を切り落としてその生首をキビシスの中に入れた」
「まさか!」
「そのまさかだ、ペルセウスはメドューサの首を使って相手を石化できる。石化条件は見ること。数秒直視されたら最後、全身が石になる」
「ふ、ふざけんなよ!」
慌てふためき、ドラコは続けた。
「見られたら終わりだと! どんな早く動いたって見るよりも早く行動できるわけないじゃねぇか! どうしろって言うんだよ!」
「だから手を組もうと言ったんだ。一対一じゃ話にならない。でも、四人なら倒せる希望はある。ただしオレの指示に従ってもらうけどな」
「勝てる保障は?」
「未来予知能力者がオレに教えてくれた作戦を遂行できるか否かにかかってる。分は悪くないが信頼できるかどうかは別だ。どうする、ドラコさん」
挑むように問う数騎。
ドラコは言葉を失い、カラスアゲハに視線を向けた。
カラスアゲハは無言で、目をつぶりながら思案していた。
最初に返事を口にしたのは、カラスアゲハでもドラコでもなく薙風だった。
「私は、協力する」
薙風がそう言って数騎の側まで歩み寄った。
「戟耶を助けるには敵を倒さなきゃいけないから」
「戟耶って、あのカスのこと?」
聞く数騎。
薙風は首を横に振る。
「違う、あなたが仮面使いって呼んでいる男の人のこと」
「戟耶って言う名前なのか? 柴崎司じゃなくて?」
「本当の名前は剣崎戟耶、あなたもできれば覚えていて欲しい」
「あぁ、わかったよ」
そう答えると、数騎はドラコとカラスアゲハに視線を向ける。
「どうする、二人とも?」
尋ねる数騎。
そんな数騎に、ドラコは慌てて口にした。
「オ、オレは構わないぜ。だ、だけどカラスは何て言うかね?」
どうするべきか判断がつかないのか、ドラコは決定権をカラスアゲハに委ねた。
カラスアゲハは考え続けていたが、ようやく考えがまとまったのか目を開いて数騎を見る。
「乗るわ、二人で戦うよりあなた達の戦力が欲しい。特に見られないで戦うってことは奇襲って要素が欠かせないはず。私としてはそこの薙風さんよりあなたのほうが頼もしく映るわ」
「さすがだ、話がわかる。じゃあ早速説明するぞ」
数騎はそう言うと懐から折りたたんだメモを取り出した。
それは歌留多から託された、ペルセウスを撃破するための作戦が書かれたものだった。
こうして、アルス・マグナのクロウ・カードを打倒するために、魔術結社、ヴラド一派、そして裏切り者たる第四勢力の人間が手を結ぶ事になった。
そして、彼らに討伐連合を結成されたペルセウスはまだそんなことも知らずに、彼らがいる五階に向かって近づいている最中であった。
ペルセウスという男は、神話の時代にふさわしい経歴を持つ男だった。
彼の母はアルゴスの王、アクリシオスの娘ダナエーである。
しかし、彼女の父アクリシオスには男の子が生まれず、彼は息子を求め信託を受けた。
下された信託は恐るべきものだった。
『息子は生まれず、アクリシオスは彼の孫に殺される』
恐怖した彼は青銅の部屋にダナエーを幽閉した。
殺してしまえば問題はなかったのだが、さすがの彼も血の繋がった娘を殺すことはできなかった。
ただし、子供が生まれないように幽閉したのだが、好色な神ゼウスは黄金の雨に姿を変え、彼女の元を訪れ子を成した。
そして生まれたのがペルセウスだ。
息子が生まれた事に恐怖したアクリシオスではあったが、彼に娘と孫を殺す勇気はなかった。
その代わり、彼は木の箱に二人を閉じ込めて川に流した。
これをセリポス島の漁師デュクトゥスが助け、二人はそこで生活を始めた。
ペルセウスはすくすくと育ち、漁を行い、恋人を作るまでに成長した。
彼の恋人は島の中でも最も美しいとされた三姉妹の末女、アラクネ。
彼とアラクネは幸せな時を過ごした。
だが、その幸せも長くは続かなかった。
デュクトュスの兄でセリポス島の好色な領主ポリデュクテスがその三姉妹を自身の妾にしようとした。
ペルセウスはアラクネと将来を約束した仲だったが、彼女を領主の慰み者としないために、彼女の国外脱出を協力した。
こうしてペルセウスとアラクネの恋は終わりを迎えた。
アラクネを失ったペルセウスは、ポリデュクテスを激しく憎んだ。
それから五年が過ぎた。
島一番の拳闘の戦士として名を馳せていたペルセウスの母、ダナエーがその美しさをポリデュクテスに知られ、彼はダナエーを妾にしようとした。
だが、島で一番格闘に優れ、人望も厚いペルセウスはそれを断固として拒否した。
清廉潔白にして武芸に秀でた彼の名は島中に知れ渡っている。
その上、ポリデュクテスは美しい女性とあれば誰でも宮廷に招き慰みものにしていたために島中の人間から嫌われていた。
もし、ダナエーを力づくで奪ってはペルセウスを筆頭に掲げて蜂起が起きるかもしれない。
だからと言ってペルセウスを殺してしまっては余計に反感を買ってしまう。
そこで、ポリデュクテスは妙案を思いついた。
最近、ある島に住んでいる見るだけで人間を石にしてしまうバケモノの噂で宮廷は持ちきりだった。
そのバケモノの討伐をポリデュクテスはペルセウスに託した。
ペルセウスはその指示に逆らえず、命がけの化物退治に出かけることになってしまった。
見るだけで他人を石に変えてしまう化物メドューサを倒す旅を始めた彼は様々な試練を乗り越え、島にたどり着いた。
彼に援助してくれる人間は多く、ペルセウスは五つの強力な魔剣を装備してメドューサとの戦いに向かっていった。
姿を消す兜を被っている彼は誰にも見つからず、彼女の寝室へと訪れた。
途中、メドューサに石にされた数多くの戦士たちの姿に恐れおののきながらも、彼は勇気を持ってメドューサの目の前にたった。
ベッドの上に、メデューサはこちらに背を向けて眠っていた。
こちらを向いても心配はなかった。
ペルセウスは鏡のように磨かれた青銅の盾をもっていた。
物理によるダメージ効果を持つ輝光術の類には無敵ではないが、催眠や幻術に対しては無敵に近い防御力を持つこの盾の力があればメドューサに見られても心配はない。
それでも彼は見られないように注意しながら、いかに再生能力を持つメドューサでも再生を不可能とする不死殺しの鎌、ハルペーで彼女の首をはねようとした。
その瞬間だった。
彼女の細く美しい髪、それは髪の毛の一本一本が目をこらして見なければわからない細い蛇であったのだが、この蛇が一斉に警告を放ったのだ。
メドューサが目を覚ます。
ペルセウスは反撃をされぬように、力任せに彼女の首を跳ね飛ばした。
そして、宙に舞う彼女の首を見た。
彼女の首、そこに存在するその顔。
それは、五年前に彼と悲しい別れを経験した美しいアラクネのものだった。
最愛の女性を自らの手で殺してしまったペルセウスは、悲しみのあまり絶叫した。
彼女に首を抱きしめ、熱い涙を流し続ける。
どれほど泣き続けただろうか、彼は気力なげに立ち上がり、部屋の中を見回した。
ギリシャの王族の部屋のような美しい装飾の施された部屋。
そこにあった大きな机の上に、広げられた本が置いてあった。
それは日記帳だった。
そこには、島で暮らし始めるまでの彼女の暮らしが叙述されていた。
ペルセウスとの楽しかった日々から、彼女に襲い掛かった数々の不幸。
討伐のために幾人もの戦士を撃退しなければならなかった苦痛の日々。
そして、ペルセウスと一緒にいた頃に戻れたらどれほど素晴らしいだろうと、彼女は日記に書き綴っていた。
ペルセウスは涙なしにその日記を読むことができなかった。
涙で文字がかすれないように、気をつけながら読み続けた彼はあるページを見つけた。
それは、将来に対する不安だった。
女神アテナのかけた呪いは、永遠に誰からも愛されない醜い姿で行き続ける呪い、しかしアラクネだけはその呪いが曲がった形でかかってしまった。
そのため、姉の二人は永遠に死ぬ事のない不死であったが、アラクネは再生能力だけに特化しているだけで寿命があった。
彼女達は三人で生きていくことに幸せを感じていた。
彼女の二人の姉は、アラクネが死んだ後の世界で生きることを望まなかった。
死ぬならば三人で、誰にも邪魔されることなく死にたいと願っていた。
アラクネは自分が死ぬまでに姉達を殺す方法を探し出そうとしていた。
しかし、そのアラクネをペルセウスは自分で殺してしまった。
ペルセウスは、後悔の念から大声で泣き叫んだ。
それを漁から帰ってきた二人の姉が聞きつけた。
二人が部屋に帰って見たもの、それは妹の血で汚れたベッドと妹の生首、そして泣き叫ぶペルセウスだった。
絶望したペルセウスはやってきた二人の姉に自分を殺して妹の復讐をするように願った。
知らなかったとは言え、アラクネを殺したのはペルセウスだったからだ。
だが、二人はアラクネを失った絶望を怒りに転化することさえできなかった。
それほどに彼女達は絶望していたからだ。
二人はペルセウスに自分達を殺すことを願った。
ペルセウスのもっていた魔剣は不死殺しのハルペー。
しかし、ハルペーをもってしてもペルセウスは二人を殺すことができなかった。
二人の呪いはそれほどまでに根深く強く、ハルペーごときの魔剣では殺しきれなかったのだ。
アラクネの願いさえ果たせなかったペルセウスは、ハルペーを用いて自分自身を殺そうとした。
しかし、それは二人の姉に止められた。
こうなってはペルセウスは自らの行為の責任を持たなければならない。
自分達を殺す方法を探し出さなくては許さないと、二人の姉はペルセウスを叱咤した。
ペルセウスは誓った、二人を殺し、アラクネの所に送ってやると。
ペルセウスはそのためにアラクネの首を持ち帰る許可を得た。
そしてアラクネの首をキビシスにしまい、島から出ようとしたその時、彼の前に一頭の馬が現れた。
それはメドューサの血液から生まれたペガサスだった。
ペルセウスは翼ある馬、ペガサスにまたがり、海を飛翔してアラクネの姉を殺しきれる魔剣を捜し求めて旅をすることになった。
一年近く探しただろうか、それでも魔剣は見つからなかった。
そんな時だ、ペルセウスは海岸の岩に鎖で縛り付けられた女性を見つけた。
その女性はエチオピアの女王、アンドロメダ。
しかし、ペルセウスにとってもっとも驚いたのは彼女の顔だった。
それは、自分の殺したアラクネと瓜二つだったのだ。
黒人であったために多少の違和感はあったが、間違いなく同じ顔立ちをしていた。
驚きながらもペルセウスはアンドロメダに何があったのかを尋ねる。
彼女は海神の怒りを狩り、海の魔獣の生贄にされるというのだ。
アラクネに瓜二つのこの女性を、ペルセウスは見捨てられなかった。
アラクネの首の魔力で持って石化させ、襲い来る魔獣をペルセウスは撃退した。
このことからアンドロメダはペルセウスに惚れてしまい、彼女はペルセウスに夫になるように願った。
アラクネにそっくりな顔をした女性の言葉に、ペルセウスは抗えなかった。
ペルセウスは彼女を妻として娶り、そしてその後の人生を幸せに生きた。
一度故郷に帰ってポリデュクテスをアラクネの首で石化させ、事故で自分の祖父を殺害してしまって後、彼は二度とアラクネを思い出さないように生きた。
アラクネは死んでいない。
ペルセウスはそう自分に言い聞かせなければ自分の心が砕けてしまうことを理解していた。
だからこそ彼はアンドロメダの元を死ぬまで離れなかった。
アラクネの姉との約束も守らず、彼は幸せに生き、そして死んだ。
後悔は彼の人生の最後に訪れた。
死の床についた彼は、最後の最後でアラクネの姉たちとの約束を守らなかったことを悔やみに悔やみ、悲壮な思いを胸に死んだ。
最後に口にした言葉は、約束を守れなかった事に対する悔恨の念を現した言葉だった。
その四千年後、彼は転生復活を果たした。
古代ローマに傾倒するイタリア人に転生した彼はかつての記憶を取り戻した。
魔剣をかき集め、彼は魔術を持ってしてしか近寄れない魔法の島、アラクネの姉たちのいる島へと四千年の時を超えて訪れた。
彼女達は生きていた。
ただし、死にながら生きていた。
彼女達は死ぬ事が出来ない。
殺してもすぐ蘇ってしまうからだ。
だから彼女達は毒草で島を覆いつくし、生き返るたびに毒草で死にながら永遠に死に続けた。
死んで蘇るまでには時間がかかる、その間だけ、彼女達は死ぬ事ができるからだった。
この時、ペルセウスの人生は決定した。
彼女達に安らかな死を与える。
それだけが彼の生きる道となった。
彼は五つの魔剣の力を振るい、アルス・マグナに参入した。
違法な力を持つ魔剣を手に入れるにはそれが一番の近道であったからだ。
そんな折、ペルセウスはクロウ・カードから裏切りを進められる。
近く、界裂なる退魔皇剣を手に入れる計画がある、それがあれば君の願いは叶う。
ペルセウスはその言葉に一も二もなく賛同した。
退魔皇剣ならアラクネの姉を殺しきることができる。
四千年前の約束を果たすため、彼はクロウ・カードの私兵となった。
何の運命か、彼は界裂を入手するための過程でアラクネと再開した。
彼女は魔術結社の人間だった。
ペルセウスは彼女の気高さを知っていた。
彼女は理解している、クロウ・カードが界裂を手に入れたときにどれほどの惨劇が起こるかを。
だからこそ、彼女はペルセウスに敵対し続けるだろう。
もし、それしか姉達を殺す方法がなかったとしても、気高いアラクネは自分の願いよりも世界を優先するはず。
ペルセウスは涙ながらにアラクネを再び殺した。
それは四千年前の約束を守るため。
死ぬ事ができれば、二人の姉は転生することもできる。
どれほど先になるかはわからないが、いつか彼女達三人が再会できる時も来るだろう。
そう信じることがけが、ペルセウスの救いだった。
ただ、彼の本当の願いは違った。
本当は、ペルセウスはまたアラクネと幸せな日々を送りたかった。
それでも、後悔をしないために、彼はアラクネと再びの決別を選んだのだ。
悲しみは終わらない。
そして、それを終わらせるためにペルセウスは血を浴びる。
未来予知者の言葉に従えばクロウ・カードは界裂が手に入るのだと言う。
ペルセウスはそれを信じた。
そして、彼は敵の待つ地下五階へと向かう。
そこでは、四人の人間が、彼を打倒するために待ち構えているのであった。
気付いた時、神楽は暗い部屋にいた。
蝋燭だけが明かりとなっている暗い小さな部屋。
神楽は、その部屋のベッドに腰掛けていた。
わからなかった。
気付いたら知らない場所にいたり、わけのわからないうちに意識を失ったり。
「一体、私どうしちゃったんだろう?」
悲しそうに言う神楽。
わからないことだらけだった。
今まで起こった出来事。
現実と記憶の落差。
そして、途切れ途切れの記憶。
どうも変だった。
起こったはずの出来事が起こっていなくて。
記憶が何か月分もまとめてなくなっていたり、変な人に誘拐されたり。
そして、数騎さんもどこかに行ってしまった。
もう、何が何だかわからなかった。
これは一体どういうことなんだろう。
まるで、誰か知らない人間に、自分が記憶まで操作されて操られているというのでなければ説明が付かない。
もしくは、若年性健忘症と夢遊病と妄想を現実と捕らえる精神異常が複雑に絡まった精神疾患にでもなってしまっているのか。
「おかしい……絶対におかしい……」
そうだ、絶対におかしい。
神楽は口元に手を当てて考え始めた。
何かカラクリがあるに違いなかった。
と、神楽は何かひっかかる存在があることに気がついた。
そうだ、何か決定的に忘れていることがある。
それは最近知ったこと、もしかしたらそれがこの謎を解く鍵になるかもしれないこと。
誰に言われたことだろう。
神楽は必死になって思い出そうと努めた。
誰に言われたか。
そう、二人も自分に言ったはずだ。
一人は古代ヨーロッパの人間が着ていたような古めかしい服装をした若い人。
もう一人は中年の変な人。
二人が口にしていた言葉。
「歌留多、私の妹の歌留多」
(何? 呼んだ?)
口にした瞬間、どこからか声が聞こえてきた。
どこかに誰かいたの?
神楽は驚いて部屋を見回した。
だが、部屋には誰の姿もない。
「空耳?」
(空耳じゃないわよ、はじめましてお姉ちゃん)
「え? え? え?」
頭の中から声が響いてくる。
視線を巡らせても誰の姿も見えない。
「どこ? どこにいるの?」
(ここにいるわよ、ここに)
「どこ?」
(だからぁ……)
その声が聞こえたと同時に、神楽の右腕が自分の意志とは別に、自分の胸の上に右手の平をあてる。
(ここよ、あなたの中)
「え? どうして腕が?」
(だから、私はあなたの中にいる人間よ)
「私の中にいる? どういうことなの?」
(だ〜か〜ら〜)
面倒くさそうな声。
ため息が聞こえ、その直後にその声が名乗りをあげる。
(私が歌留多よ)
「歌留多……私の……妹……?」
(そうよ、私はあなたの妹よ。まぁ、便宜上だけどね)
未だに混乱から立ち直れない神楽。
そんな神楽に、歌留多は楽しそうに続ける。
(今まで内緒にしててごめんね、隠しきれそうになくなったからバラすけど、あなた、実は二重人格者なのよ)
「二重人格?」
(そう、二重人格者。二重人格の魔眼使いなの。とってもすごい逸材なのよ、私達は。なんたって、偉い人たちは私達二人にとっても名誉ある名前をくれたほどなのよ)
「名前?」
(カルタグラ、魂の苦悩。最高の二重人格の魔眼師に与えられる名前よ。だから私達の名前はこれを二つに分け合った名前。カルタとカグラなの。二人合わせてカルタグラ。どう? 単純な名前でしょ?)
「え、だって……そんな……」
(カルタグラはね、一部の二重人格者のように片方が支配者の人格なの。支配者の人格はあらゆる特権を行使できるわ。肉体の所有権を自由に得る、もう一つの人格の記憶操作、行動を強制することもできるし、勝手にもう一人の魔眼の力も借りる事もできる。どう、ステキでしょ?)
「それって……それって!」
(あ? わかる? 今まであなたが感じていた違和感は全部これよ。何であのデブのキモオタに駐車場から投げ落とされることを予知できなかったかおかしく思ってたでしょ? 私が忘れさせたのよ。何で数ヶ月間の記憶がないかって? そんなの私が表に出てたからあなたの記憶がなかったの。何で私の存在を知らなかったか、私が忘れさせたからよ)
「どうして、どうしてそんなことするの!」
(したかったからよ、理由はあるけど教えるつもりもないし理解してもらおうとも思わない。でも、そろそろあなたにも私の存在に気付いてもらいたかったから今回は話しかけたの)
「どういうこと?」
(カルタグラはね、本来ならお互いがお互いを知っているほうが有利なのよ。支配するって形じゃもう一人の力を完全に解放できないわ。でもね、あなたに私を知ってもらえば共生という形になる。そうなれば、私はあなたの『跳視(おどし)の魔眼』の魔眼を完全開放できるわ。私とあなたの力が合わさればまさに無敵よ。なんたって式神桜花の再来なんだから)
「式神……桜花……?」
(別にあなたが知っている必要はないわ、あなたが知らなきゃいけないのは私の存在。さぁ、私の役に立ってもらうわよ。私の目的のためにはあなたにも頑張ってもらわないといけないんだから)
「私に、何をさせるつもりなの!」
叫ぶ神楽。
しかし次の瞬間、彼女はまるで糸の切れた操り人形のように体を支える力を失い、仰向けにベッドに転がる。
そして、数秒後に体を起こした。
その顔にはかすかな微笑が浮かぶ。
指を唇に這わせ、彼女は楽しそうな口調で言った。
「そんなの、面白いことに決まってるじゃない」
それは神楽ではなく歌留多の言葉だった。
腰をあげる。
休憩は終わった。
神楽と人格交替を終えた歌留多は、ゆっくりとした歩調で部屋の出口に向かって歩く。
そろそろペルセウスと数騎とかいうブサイクな男が殺しあっている頃だろうか。
歌留多は少しだけ表情を曇らせる。
正直言ってかなり心配だった。
これまで、歌留多は二度しか未来予知を外したことがなかった。
一度目はたいしたことではなかったが、二度目はある意味驚かされることだった。
そのせいで、不安が拭えない。
歌留多は舌打ちをした。
その二度目の予知のハズレというのが、須藤数騎が原因で起こったことだったからだ。
あの男は未来を変える可能性があるのかもしれない。
それだけが、歌留多の心配だった。
だが、今のところは歌留多の予想通りに物事は進んでいる。
なら計画に支障はない。
やがて手に入る世界最強の魔剣を思い浮かべ、歌留多は嬉しそうに笑みを浮かべる。
血塗られた惨劇の夜。
呪いの運命をもてあそぶ魔女は、須藤数騎の体が血に染まる瞬間を思い浮かべ、やがて大声で笑い出した。
闇は深く、夜もまた深まる。
彼女が笑い続けているちょうどその頃、ペルセウスは地下五階に到着した。
地下五階に存在する大広間は、他の大広間とは趣が違った。
他の大広間には基本的に壁に取り付けられた燭台以外何も存在しない広々とした空間だった。
しかし、この大広間は違う。
良くぞここまで散らかしたものだ。
壁にはいくつもの本棚、机、イス、まるで整頓されていない図書館を思わせる乱雑ぶりだ。
投げ散らかされた本、整頓されていない本棚、机とイスは不規則に並び、歩く事さえ困難な状態だ。
これは魔剣士であった草津の研究室のようなものだったのだが、ここにいる人間がそれを知ることはない。
ただ、他の大広間と同じなのは部屋の明かりが蝋燭とランタンしかない事だ。
とにかく薄暗い。
それだけは教会の地下全てに言える状態だった。
その部屋に足を踏み入れる四人の人間。
薙風、数騎、カラスアゲハ、ドラコの四人だった。
右目を閉じて部屋を凝視する薙風。
カラスアゲハとドラコは作戦の打ち合わせ。
そして、数騎はただ一つ残った左目で部屋中を好奇の視線で眺め回していた。
部屋の高さは六メートルもあるだろうか。
壁には天井の近くまでの高さの本棚、階段と踊り場がセットになっているため、上の方の本は三メートルくらいの高さのはしごを運べば何とかとれそうだ。
どうやら五階だけではなく、四階を貫通して高さを確保した部屋らしい。
こういう部屋はいくつかあったが、本まみれの部屋はこの部屋だけだ。
「ここで戦うの?」
部屋を楽しそうに見回す数騎に、薙風は心配そうに聞いた。
「あぁ、ここで戦う。ここでならペルセウスを仕留められる」
「ならいい」
薙風はそう言うと、ぐっと天井を見上げる。
天井にはシャンデリア。
やはり幾本もの蝋燭が立てられ、部屋を明るくしている。
「どうやって戦うの?」
「さっきも言ったとおりだよ、そうすればペルセウスの武器を封じる事ができる。あとはオレとカラスが隠れて隙をうかがう。ドラコと薙風さんは正面からペルセウスに立ち向かって欲しい」
「オレ達には戦わせておいて、自分は後ろで隠れてようってのか?」
不機嫌そうにドラコが口を挟んできた。
そんなドラコに、数騎は強めな口調で答えた。
「オレだって好き好んで隠れるわけじゃない。オレにはそれしか戦う方法がないから隠れるだけだ。カラスはまだ戦えるだろうけど、隠れていた方がカラスの力は最大限に生きる。オレ達四人が最大限の力を出さなくちゃペルセウスは討てない、それはわかっているんだろう?」
「まぁ、そうだがね」
「坊やの言う通りよ、ドラコ。私と坊やは隠れて戦う、あなたたちは正面から。でも、忘れないで。私達の奇襲はそれが最大限の効果を生むとき以外には行わない。だから、最悪あなたたち二人でペルセウスを倒さなければいけない展開だって十分にあるわ。意味も無いのに隠れていることをバラすのはバカのすることよ。だから坊やの作戦は非常に正しい。隠れるのは隠れる必要があるから、別に卑怯でもなんでもないわ」
「わかったよ」
舌打ちしながら答えるドラコ。
と、薙風は両目を見開いた。
「来る……」
薙風の言葉を聞き、カラスアゲハと数騎はお互いの目を見詰め合った。
「隠れるわよ、坊や」
「武運を」
「そっちもね」
数騎とカラスアゲハは短い会話を交わすと、お互い反対方向に走り出し、おのおのが望む場所に隠れた。
数分後、部屋の入り口から一人の男が入ってきた。
ゆったりとふんだんに布を使った衣装トーガを身に纏う白人の青年。
右手には大鎌、左手には青銅の盾、腰には布の袋をぶら下げ、足には羽の生えた靴。
それは四つのAクラスの魔剣を操る魔剣士、斬殺英雄ペルセウス。
そして、ペルセウスに対峙するように部屋の出口に立ちはだかるのはドラコと薙風。
それぞれがお互いを敵と認め、にらみ合いが始まる。
最初にそれを終わらせたのは、ドラコだった。
ドラコは一歩前に踏み出し、その大きな口を開いた。
「お前が、ペルセウスか?」
「私を知っているのか?」
ドラコを訝しむ目で見るペルセウス。
そんなペルセウスに、ドラコは大声で言った。
「あぁ、知ってるとも。お前の手の内は全部お見通しだぜ」
そんなドラコを鋭く睨みつけた後、ペルセウスは薙風に視線を移す。
「そちらのお嬢さん、名前は?」
「薙風朔夜」
「あなたは魔術結社の人間だったはず。なぜヴラドの残党と行動を共にしているのですか?」
「あなたを倒すため」
そう答えると、薙風は鞘に収めた魔飢憑緋の柄に手をかける。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、餓狼無哭(がろうむこく)」
詠唱が紡がれる。
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)、緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
不死殺しの英雄を前にして、鞘から紅の刃が姿を現し。
「魔餓憑緋(まがつひ)」
その魔剣が開放された。
両手で柄を握り締め、魔飢憑緋を正眼に構える薙風。
それを横目に、ドラコが突然体をかがめる。
「アアアアァァァァァ!」
咆哮が迸る。
それと同時にドラコの体が膨れ上がった。
膨張する筋肉、収まりきらなくなった肉体はスーツを引き裂き、その体があらわになった。
体を覆いつくす鱗、細長い瞳孔の黄色い目。
口に生えそろう牙はまさにのこぎりの刃。
ナイフのような爪を両腕に構えるのは、二メートルを越す巨体の、トカゲの獣人だった。
臨戦態勢の二人に対し、ペルセウスは大鎌ハルペーを握る力を強め、左手の青銅の盾を構える。
再びにらみ合い。
この状態をやぶったのは薙風だった。
「魔幻凶塵、疾屠」
術式が紡がれた。
薙風の周囲を、輝光によって生み出された魔風が吹き荒れる。
薙風の背中に光り輝く龍の翼。
龍の翼の具現を持って、風を操る魔飢憑緋の奥義が、教会の地下において開放された。
部屋中を駆け巡る疾風。
それは部屋の明かりとなっていた蝋燭の火をかき消し、ランタンのガラスを砕き中の火を鎮火させる。
部屋が一瞬にして暗闇となった。
唯一の光源は輝く龍の翼を生やした薙風のみ。
だが、薙風はすぐに龍の翼を消し去ってしまった。
完全な暗闇が部屋を支配する。
そして、それこそが戦いの合図だった。
薙風たちにとってペルセウスの脅威とは、逃れることの難しい『見るだけで対象を石化させる』能力。
そして、その解決方法は自分達の姿を見せないこと。
そのために、薙風たちは部屋の明かりを消し、魔眼による攻撃を封じた。
視界を封じられた戦いだが、相手の居場所がわからないわけではない。
その証拠に光が消えた瞬間、ドラコはペルセウスに踊りかかった。
ドラコは獣憑き、臭いで敵の居場所がわかる。
巨木さえなぎ倒すほどの豪腕を振りかざすドラコ。
右拳より放たれたその一撃を、ペルセウスは青銅の盾を構えることによって防ぐ。
「くぅっ!」
防御した左腕に恐ろしいまでの衝撃が迸った。
左、右、左。
息も止まらぬドラコの猛攻。
直撃されれば人間など一撃で即死するであろう連撃を、ペルセウスはその全てを青銅の盾で防ぎ続けた。
早くも左腕の感覚が失われ始めてきたが、ペルセウスは一向に躊躇しない。
冷静に全ての拳を対処し、ペルセウスは右の拳が戻るタイミングにあわせてハルペーを振るった。
「ちぃっ!」
とっさに後退するドラコ。
それはそうだ。
ペルセウスの魔剣は不死殺しハルペー。
ついた傷はふさがらず、再生はおろか治療さえできない。
それが振り抜かれたのだ、ドラコでなくとも警戒せずにはいられなかった。
ドラコが退いたと見るや、ペルセウスは追撃に入った。
再び振りぬかれるハルペー。
ドラコは強力な脚力を生かして、一気に三メートル近く跳び上がった。
ペルセウスのハルペーが再び何もない空間を切り裂く。
ペルセウスは上を見上げながらハルペーを構えた。
姿は見えずとも、輝光で敵の気配ならば感じ取れる。
落下してきて自由に動けないところを切り裂く。
ペルセウスは必殺を期して、落下を待つ。
しかし、ドラコはいつまで待っても落ちてこなかった。
代わりに、鳥が羽ばたくような場違いな音が聞こえてくる。
瞬間、殺気が膨れ上がった。
ペルセウスは、自分から見て右にハルペーを振るった。
高らかに金属音が響く。
流れる動きは流麗。
襲撃者は、さらに続けて横なぎの斬撃を繰り出してきた。
ペルセウスはそれを青銅の盾で受けると、襲撃者に対してさらにハルペーの一撃を見舞う。
襲撃者が後ろに大きく飛びのいた。
瞬間、真っ暗の部屋に明かりが灯る。
襲撃者が、いや薙風の握る魔飢憑緋が真紅の輝きを放っていた。
「魔幻凶塵、呪刻(じゅこく)」
術式が開放される。
具現化されるは幾十もの龍の爪。
光輝く爪が、ペルセウスの肉を引き裂くべく襲い掛かった。
骨さえも容易く切り裂きそうなその刃を、ペルセウスは高い機動力を持って回避する。
天翼(てんよく)の翔靴(しょうか)がそれを可能にした。
ペルセウスは襲い来る爪の明かりを頼りに机とイスだらけの部屋の中を、何に邪魔されることなく回避する。
攻撃は全て無駄に終わり、爪の具現化が終了した。
再び訪れる闇。
そして、それが襲い掛かった。
頭上からの強襲。
敵が筋力の増強のために体に輝光を巡らせていなければ気付くこともなく一撃の元に葬られていただろう。
再び聞こえる羽ばたく音。
それに呼応するように、幾度となく攻撃が繰り出された。
どのような攻撃をされているのか。
わからなかった。
暗闇では敵の姿を見ることが出来ない。
だが、膨れ上がる殺気と敵の存在を意味する輝光の感覚が油断だけはしてはならないと告げている。
連続する攻撃に、ペルセウスは隙を見てハルペーを繰り出すも一向に当たる気配がない。
攻撃と同時に敵が一気に距離を離すからだ。
後ろに逃げているのではない、上に逃げているのだ。
恐らく襲撃者はドラコとかいうトカゲの獣憑き。
だが、おかしい。
なぜ上に逃げるのだ。
ドラコはトカゲだ、飛ぶことはできないはず。
そんなペルセウスの思考が突然停止した。
ドラコに注意がいった瞬間、再び薙風が仕掛けた。
「魔幻凶塵、轟飛(ごうひ)」
具現化されるは緋龍の尾。
破壊力に特化した強烈なる一撃がペルセウスに襲い掛かった。
「くぅ!」
青銅の盾を掲げ、とっさに防御する。
が、衝撃までも殺しきることはできなかった。
ペルセウスの防具、アイギス・レプリカはあくまで呪術系の術への対応に特化したタイプの魔剣だ。
貫通される事こそないが、輝光によって生み出された衝撃を吸収できるわけではない。
ペルセウスの体が後方数メートル吹き飛ばされる。
その折だ、ペルセウスは見た。
光輝く轟飛によって部屋が明るかったからこそ見ることが出来た。
部屋の中を飛翔するその存在。
はるか古代に滅亡したはずの、プテラノドンとか呼ばれる翼竜の姿を。
そのプテラノドンは、間違いなくドラコという男が感じさせた輝光を保持していた。
間違いない、あのプテラノドンはドラコという男による変身だ。
だが、あの男はトカゲのはず。
では、なぜ。
そう思考すると同時に背中に衝撃が走る。
吹き飛ばされた体が、本棚に叩きつけられたからだ。
衝撃に棚の本が、何冊か床に転がる。
そこに、薙風がさらに仕掛けた。
ペルセウスもすぐさま起き上がり、ハルペーを振るい、薙風の魔飢憑緋と真っ向から渡り合う。
と、部屋が明るく輝いた。
今度は薙風が原因ではない、目の前で剣撃をかわしているのだ。
考えるよりも体が先に反応した。
とっさに横に飛びずさる。
薙風も呼応するように後ろに退いた。
輝きと共に何かが迫り、爆発が生じた。
飛来したそれは一つではない、いくつもの光るそれが襲い掛かり、本棚を粉みじんに吹き飛ばす。
薙風とペルセウスはそれの飛来した方向に目をやる。
それはテーブルの上。
口から黒煙を噴出すドラゴンの姿がそこにあった。
薄暗い深緑の鱗に細長い顔、巨大な体は丸太を思わせ、そこそこの長さの腕と足、そして巨大な翼を背中に持つ。
わずかに見える口の置くには燃え上がる火炎。
それは間違いなくドラゴンだった。
ドラゴンの足がテーブルを蹴り、宙に浮かび上がると口から炎を繰り出した。
それは爆発の輝光を構築された火炎弾。
ペルセウスはとっさに回避行動を取るが、それを追いかけるようにドラゴンの火炎弾が襲い掛かる。
砕け散る部屋。
逃げ惑うペルセウスを見つめながらドラゴンは、いやドラコは楽しそうに笑みを浮かべながら火炎弾を繰り出し続けた。
二階堂と同じく、ドラコは二種類の獣の魂を持つ獣憑きだった。
唯一違う点は二階堂が人造の獣人であるのに対し、ドラコは天然の獣憑きであり天然の獣人である点だった。
ドラコの家系のトーテムは翼竜だった。
これだけならばプテラノドンにのみ変化する獣憑きだったが、ドラコはクスリによってさらなる魂を取り入れた。
それはトカゲの魂。
トカゲと翼竜の魂をドラコは体内で融合させ、ドラゴンに変化することを可能にした。
もっとも、この変身は消耗が激しいため長くは続けられない。
だからこそ、ドラコは今になってこの最強形態を解き放ったのだ。
終わりなく繰り出される火炎弾。
もはや隠れているカラスアゲハや数騎もお構い無しだ。
ただペルセウスを打ち滅ぼすためだけに火炎弾を繰り出し続けるドラコ。
「魔幻凶塵、紫纏(してん)」
薙風さえも例外ではなかった。
緋龍の鱗を具現化し、それを盾として薙風は火炎弾による被害を防ぐ。
しかし、防御をしているだけではない。
ペルセウスを仕留めるべく、薙風は盾を展開しながらペルセウスとの距離を一気に縮める。
そして、魔飢憑緋を構えながらペルセウスの正面に立ちはだかった。
「魔幻凶塵、双極(そうきょく)」
瞬間、ペルセウスは悪寒を感じた。
後先考えず、上部の本棚を取るため部屋に存在していた螺旋階段に飛び移る。
そして、床が、机が、イスが、本が砕け散った。
ペルセウスは驚きを隠しきれない。
先ほどまで自分が立っていた場所に、巨大な発光体が存在していたからだ。
それは龍の口だった。
地面から生えた龍の口は、その鋭い牙を噛み合わせその場にあった物全てを噛み砕いた。
魔幻凶塵『双極』、それは緋龍の口部の具現。
地面に生じしその口は、真上にあるいかなるものをも噛む砕く。
そして、その口に飲まれし者は、口の中に存在する異空間への扉によってはるか彼方へと飛ばされてしまう。
それがどこにたどり着いていくのか、それは薙風さえも知らないことだった。
決まれば一撃で勝負が決まったその一撃は惜しくもはずれてしまったが、ドラコは一向に構わない様子だった。
連続で火炎弾を繰り出すドラコ。
ペルセウスは螺旋階段を上り、階段の先に存在する踊り場へと到達した。
部屋を一周できるだけの長さのある踊り場を、ペルセウスは高速で駆け抜ける。
逃すまいと、ドラコは執拗に火炎弾を繰り出した。
もはや部屋は火の海と化していた。
灼熱の炎に巻かれ、ペルセウスも走りながら咳き込む。
速度が落ちた。
その瞬間を逃さず、ドラコが今まで以上に巨大な火炎弾を繰り出した。
飛来、そして爆発。
かわしきれなかったペルセウスに、火炎弾が直撃した。
「やった!」
歓喜するドラコ。
が、それは一瞬でかき消されることになった。
爆炎の中、生存者などいるはずもないその惨状の中から、ペルセウスの姿が現れた。
身を守るようにして白い布の袋で体を覆っているペルセウス。
それは魔剣キビシス、内部の物を守るために強力な防御力を持つ魔剣。
それを体に巻きつけて、ペルセウスはドラコの一撃を防いでいた。
「う、嘘だろ?」
思わず口にするドラコ。
そんなドラコの目の前で、ペルセウスは大きく前傾姿勢を取ると、ろくな助走もなしに、ドラコに向かって跳びかかった。
三メートルに近い距離を一跳びし、ペルセウスは宙に浮くドラコにハルペーをたたきつけた。
「甘い!」
ドラコはとっさに輝光で己の鱗を強化した。
迫り来るハルペー。
しかし、強化されたドラコの鱗は突破できなかった。
右腕でハルペーを受け止めると、ドラコは至近距離から火炎弾を繰り出した。
ペルセウスはとっさに青銅の盾で防ぐが、大きく後方に吹き飛ばされてしまう。
落下するペルセウス。
しかし、
「天翼(てんよく)の翔靴(しょうか)!」
ペルセウスの魔剣が発動した。
自由落下が終わり、空中はペルセウスの足場と化す。
回りこむようにドラコの周囲を回転すると、ドラコの頭上にペルセウスは躍り出た。
落下速度を生かし、ペルセウスは降下しながらドラコにハルペーを振り下ろす。
両腕をクロスさせ、強化した鱗で防御するドラコ。
ハルペーはまたしても鱗を突破できなかった。
当然だ、ドラコの装甲は魔剣のそれに匹敵する。
突破するには鱗の隙間を狙うのが最も有効。
だが、ペルセウスは違う攻略方法を思いついていた。
ハルペーを受けたドラコは、その衝撃に床に向かって叩き落される。
落下するドラコ。
そのドラコの腹部を、ペルセウスは天翼(てんよく)の翔靴(しょうか)で上昇させた速度でもって蹴り飛ばす。
落下を防ぎ、翼で体勢を立て直そうとしていたドラコはひとたまりもなくその一撃を受けた。
超高速で落下するドラコは床に叩きつけられる。
いや、そうはならなかった。
落下したその位置に地面はなく、代わりに口があった。
「あっ」
声を漏らす薙風。
そう、ドラコの落下した位置にあったのは口。
対象を噛み砕き、異空間へと消し飛ばす亜空の扉たる龍の口。
ドラコはそれに飲み込まれた。
龍の口は侵入者が来たと見ると、敵味方の識別なく歯をかみ合わせた。
肉が裂け、骨の砕ける音。
「ぐああああああぁぁぁぁ!」
ドラコの絶叫と共に口がうごめいた。
ゴリゴリという嫌な音が聞こえ、ドラコの姿が口の中から消えた。
それと同時に薙風が出しっぱなしにして消していなかった『双極』が姿を消す。
『双極』が消えたそこに、すでにドラコの姿はなくなっていた。
呆然とドラコが消えた地点を見つめる薙風。
だが、すぐ敵の目の前だということに気付き、ペルセウスを睨みつけた。
ドラコを蹴り落としたペルセウスは、飛行を止め地面に降り立っていた。
後ずさる薙風。
状況は最悪だった。
ドラコが戦線離脱した事が問題なのではない。
ドラコが残した置き土産、燃え上がり炎で部屋が照らされているこの状態こそが問題だった。
ペルセウスは青銅の盾を投げ捨てた。
それと同時にハルペーを背中に固定させ両手を自由にする。
代わりに手にしたのは白い布袋キビシス。
ペルセウスはキビシスの中に手を突っ込んだ。
キビシスの中から最強の武器を取り出す。
それは麻夜の生首。
炎に照らされ暗闇と言う盾を失った薙風の眼前に、最強の魔術装置が姿を現した。
「石破!」
簡易詠唱が口にされた。
それは不可避の一撃。
石化する対象にかけることの可能な、一撃必殺の麻夜の奥の手。
石化させた相手を石化後に砕く術式。
それが、薙風に向かって繰り出された。
姿を隠す時間さえない。
薙風の肉体に、魔眼による呪いが襲い掛かった。
その瞬間、糸が閃いた。
物陰に隠れていたカラスアゲハが背後からペルセウスに襲いかかったのだ。
膨れ上がる殺気に、薙風に術式を加えるのを中断して麻夜の首をカラスアゲハの方に向けた。
麻夜の瞳が紫色に輝く。
直視された。
カラスアゲハは舌打ちをしながらも薙風を救うべく鋼糸を振るい、ペルセウスを切り裂こうとした。
しかし、ペルセウスの持つハルペーが閃いた。
糸のように細い魔鋼は、ハルペーの一撃に耐え切れずバラバラに切り裂かれる。
攻撃の手段を失い、カラスアゲハは再び物陰に隠れる。
「伏兵がいたとはな……」
「まだいるぞ!」
声は真後ろから聞こえた。
とっさに振り返るペルセウス。
しかし、
「ああああぁぁぁ!」
叫びをあげながら襲い掛かる人影。
それは数騎だった。
ドゥンケルリッターを握り締め、それを横に一閃させる。
不意を討つ奇襲を好む数騎が、わざわざ攻撃の直前に叫んで自分の居場所を知らせたのには理由がある。
そして、数騎のもくろみは成就された。
「なっ!」
目を見開くペルセウス。
そう、数騎はペルセウスにとってあまりにも大きなダメージを与える事に成功した。
数騎の短刀は横一文字に麻夜の両目を切り裂いたのだ。
ペルセウスを潰すにはメドューサの石化の魔眼を無力化しなくてはいけない。
手段は二つ、見られないように戦うか、破壊するかだ。
そして、見られないように戦うという選択肢を失った数騎は、麻夜の目の破壊を選んだ。
声を出して振り返らせる。
そしてそのタイミングで姿を見られないうちに麻夜の目を切り裂く。
数騎の奇襲は最高の形で成功した。
両の目の眼球は斬り裂かれ、魔眼は力を失う。
愛する女性の顔を傷つけられ、ペルセウスは怒った。
ハルペーを振り上げ、数騎を切り殺そうとする。
だが、それよりも早く、
「呪刻!」
薙風の魔剣が発動した。
無数の爪がペルセウスに襲い掛かる。
回避のため、ペルセウスは数騎から距離を取る。
そこに薙風が突っ込んだ。
縦横に振り舞わず魔飢憑緋に、ペルセウスは防戦一方に追いやられる。
ペルセウスは決定的なミスを犯していた。
ペルセウスは邪魔になる麻夜の首を投げ捨てて左手を自由にするべきであった。
腰のあたり戻したキビシスに後で戻すために手で保持するはなく、さっさと投げ捨てて両手でハルペーを握り締めるべきだった。
だが、麻夜との絆がそれを拒否した。
片手ではいかにペルセウスとはいえ、両手で魔飢憑緋を振るう薙風に敵うわけもない。
ペルセウスは薙風の連撃から逃れるだけで精一杯だった。
大きく距離をとるために後退する。
その瞬間だった。
距離が二メートル離れた瞬間、薙風は叫ぶように詠唱を口にする。
「魔幻凶塵!」
それは魔飢憑緋の最強奥義。
龍一匹を具現する、魔飢憑緋最大放出のその一撃。
「龍覇あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫と咆哮。
具現化した光輝く緋龍が魔飢憑緋から解き放たれペルセウスに襲い掛かった。
ペルセウスの肉体をその口に飲み込むと、緋龍は教会の地下を縦横無尽に駆け回った。
壁を、床を、五階だけではなく上下数階を駆け回り、緋龍は教会の内部を破壊して回った。
激しい衝撃が走る。
緋龍の体内は破壊の源泉。
飲み込まれてただで済むものではない。
ペルセウスは全身から輝光を放出し、何とか助かろうと試みるが無駄な足掻きだった。
緋龍の内包する破壊力はペルセウスの肉体を滅ぼすなど造作もない。
ペルセウスは生存を諦めた。
せめて最後に麻夜の顔を自分の顔に近づけ、そっと口づけをかわす。
最後に思い出したのは、約束を守れなかった悲しみではなく、アラクネという美しい女性と過ごした四千年前の幸せなひと時だった。
緋龍の肉体の中から麻夜の生首とペルセウスの姿が消えた。
ペルセウスの処理を終えると、十秒もしない内に緋龍は薙風の元に戻ってきた。
教会内部の破壊に輝光を使い果たした緋龍は、薙風の側に戻るとその姿を消滅させた。
と、緋龍の体の中からひらひらと地面に落ちたものがあった。
それは、最強の防御力を誇り内部の物体を守ることのできるキビシスと呼ばれる魔剣だった。
それ以外のものは完全に消し飛ばされていた。
横で龍覇の発動を見ていた数騎は、麻夜の首が消失してしまったことを悔やんだが、すぐ薙風の元に駆け寄った。
「薙風さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫」
頷いて答える薙風。
顔に生気がなく、消耗しきっているが命に別状はなかった。
それはそうだろう、あれだけの輝光を放出したのだ。
肉体に反動がでないわけもない。
薙風は体の力を失い、前のめりに倒れそうになった。
数騎は慌ててその体を支える。
「だ、大丈夫ですか?」
「ちょっと、体がだるい」
「休んでいきますか?」
「ダメ」
短く答え、薙風は続ける。
「早く戟耶を助けに行きたい」
「無茶ですよ」
「行かなくちゃいけないの」
真っ直ぐ数騎の瞳を見つめる薙風。
そんな薙風に、数騎は小さくため息をついてみせる。
「わかりました、じゃあ肩を貸しますよ。一緒に行きましょう」
「お願い」
素直にそう答えると、薙風は数騎に体重を任せた。
数騎は薙風の体を抱き起こすようにして持ち上げると、脇に首を入れ、薙風を支えて歩ける体勢を作った。
「カラス! お前は無事か!」
声をあげる数騎。
しかし、返事は聞こえてこなかった。
「聞こえないのか、カラス!」
「あの女の人はもういない。先にどこかに行っちゃった」
「どこへ?」
「わからない」
首を横に振る薙風。
数騎はカラスアゲハが心配だったが、いつまでも炎で充満したこの部屋にい続けるわけにも行かず、薙風を支えながら部屋を出て行くことにした。
一度だけ振り返る。
炎に飲まれるその大広間。
その炎の中心に存在する汚れた白い布袋。
それは、ペルセウスと呼ばれた英雄がこの部屋に残した唯一の存在だった。
魔術結社 残り二人
ヴラド一派 残り一人(ドラコ、双極により噛み砕かれる)
アルス・マグナ 残り二人(ペルセウス脱落、麻夜の首も運命を共にする)
第四勢力 残り二人
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