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トップページ>>パオまるの小説>>魔剣伝承>>第十四羽 魔剣伝承
第十四羽 魔剣伝承
「あら、あなたが来たのね?」
小部屋に足を踏み込むなり、数騎の顔を見て、イスに腰掛けながらテーブルに向かい紅茶を飲んでいた歌留多は楽しそうな顔をした。
地下十階にある小部屋、そこで数騎と歌留多は再会した。
数騎は歌留多が前にしているテーブルの上に、薙風から回収してきた三つの魔剣を音を立てて置く。
「お前、何を考えてるんだ?」
「あら?」
怒りを含んだ声に、歌留多は楽しそうに応じる。
そんな歌留多に、数騎は声を荒げた。
「お前の言ったとおり、オレは薙風さんにペルセウスを殺した後にこの小部屋に行くように伝えておいた。だってのに、オレ以外誰も生き残れなかった。ドラコは死んだし薙風さんは砕けた。見てないけど多分、カラスアゲハも砕けてるはずだ、目で見られたからな。お前、最初からオレ以外生き残らないって知ってたのか?」
「予想はしてたわ、予知では一人しか生き残れないって出てたし。でも、可能性は二つあった。薙風朔夜かあなたか、どちらかだけが生き残って私の元にたどり着く、予知ではそう出てたんだけど、ハズレね」
「どういう意味だよ」
「薙風朔夜が来た時のために、すっごいお金かけて強力な魔剣を用意していたのよ、アレね」
そう言って歌留多は部屋の隅に飾ってある、天狗の面を装着した鎧兜を指差した。
「アレね、『薙風の具足』って言う魔剣なのよ、防具も魔剣、あれは奇形の武器として扱われてるからね。まぁ、それはいいとして。せっかくS級の魔剣を手に入れて戦力化しようとしたのに、薙風朔夜が来ないなんて残念でならないわ」
「オレが死ぬ可能性もあったってことか? 四人殺せと言われたからまだ死なないと思ってたぞ」
「世の中そんなに甘くないわ、あなたが生き残ったのは偶然よ。それにしても、ハズレの方が来るなんて、私もつくづく運がないわ」
歌留多はため息をついた。
数騎が生き残ったことで、歌留多に生じた問題は二つあった。
一つは純粋な戦力の問題だ。
数騎と薙風では戦闘力の差が格段に違う。
その上、ただでさえ強力な薙風をさらに強化する魔剣まで用意してあったのだ。
それが無駄になった衝撃はあまりにも大きい。
もう一つは不確定要素だ。
薙風の行動はいままで一度として予測を外した事はなかった。
それに比べ、数騎の方は一度予知を外しており、その状態で今も継続中だ。
この差が予知を揺るがすかもしれない。
それが歌留多にとって非常な不安になっていた。
「とりあえずあなたを戦力としてまともに機能するようにしてあげるわ」
「どういうことだ?」
尋ねる数騎。
そんな数騎に、歌留多は再び部屋の隅を指差した。
「あの鎧とは別物だけど、あなたのために魔剣を用意しておいたわ、二つほどね」
「二つ? でもオレは魔剣が使えないぞ、無能力者だからな」
「無能力者にも使える魔剣もあるのよ、実用的な量産魔剣とは別にね」
そう口にする歌留多に、数騎は眉をひそめる。
「オレを利用しようとするのは構わないが、そろそろ約束を守ってもらえないか?」
「約束?」
「神楽さんに会わせろ、そうしないとオレはお前には協力しない」
「あ〜、神楽? 仕方ないわね」
そう言うと、歌留多はイスから立ち上がった。
面倒くさそうに頭をかきながら、数騎の入ってきた扉とは違う、もう一つの扉まで歩いていく。
「連れて来てあげるわ、ちょっと待ってなさい」
そう言うと、歌留多はその扉を開き、奥へと入っていた。
扉が閉められる。
そして、次の瞬間、歌留多が扉の中から出てきた。
いや、それは神楽だった。
「数騎さん!」
「神楽さん!」
自分を呼ぶ声の優しさに、同じ顔であってもそれが神楽であることに数騎はすぐに気がついた。
神楽は数騎に走りよると、数騎の胸の中に飛び込んだ。
数騎は少々戸惑いながらも、神楽を胸に抱きとめる。
二人はその場で強くお互いを抱きしめあった。
ようやくたどり着いた、神楽さんのところに。
数騎は不覚にも泣きそうになったが、すぐに思い直し神楽を胸から引き剥がす。
「神楽さん、怪我はありませんか?」
「大丈夫です、誰にも何もされてませんから。それより!」
神楽は数騎につかみかかるようにして続けた。
「数騎さん、逃げてください!」
「逃げる?」
「はい」
「神楽さんと一緒に?」
「いえ」
言って神楽は首を横に振る。
「数騎さん一人でです」
「なんで? 神楽さんも一緒に来ればいい」
「ダメなんです、私は一緒に行けません。行きたくても、無理なんです」
「何で?」
「信じられないかもしれませんが、歌留多という女性は私のもう一つの人格なんです。私もついさっき知ったんですが、私は二重人格者なんです」
「二重人格?」
「はい、しかも主人格がはっきりしているタイプの。私は従属人格なんです。この体の支配権は歌留多の思うままなんです。私が何かしようとしても、歌留多は自分が表に出る事で阻止することが出来るんです」
「つまり、それって?」
「はい、私が歌留多です。神楽でもありますが。それより聞いてください、歌留多は数騎さんを殺そうとしています」
「オレを……殺す……?」
「そうです、歌留多は数騎さんを利用するだけ利用したあと殺すつもりです。歌留多はあなたを快く思っていないから。だから、その前に逃げてください!」
「でも、それじゃ神楽さんが」
「大丈夫です、あなたがいなければ歌留多の計画は頓挫します。歌留多も私を殺そうにも同じ体を共有してるんですから、罰しようもありません。私は大丈夫です、ですから数騎さんだけでも逃げてください」
「でも……それじゃ……」
「それしかないんです!」
涙ながらに叫ぶ神楽。
恐らく神楽の言う言葉は真実なのだろう。
そして、神楽さんが自分に向けてくれる気持ちも。
それでも、数騎は首を縦にふれなかった。
「すまない、神楽さん」
「数騎さん……」
「オレ……約束したんだ。守らなくちゃならないヤツがいる。そいつを助けるまで、オレはこの戦いから降りることができない」
「でも! 戦ったら死ぬかもしれないんですよ!」
「死なないさ、歌留多はオレを利用するつもりだ。最後の最後の瞬間に何とかできれば助かる」
「そんなこと、できるわけない!」
「やるしかない、それにあいつがいれば神楽さんを歌留多から助ける方法が見つかるかもしれない、そうだろ?」
「………………」
その言葉を聞いて、神楽は悲しそうにうつむいた。
わかっていた、そんなことはわかっていたのだ。
どんなに言葉を投げかけても、数騎は考えを変えない。
そんな予知、とうの昔にしていたのだ。
それと同じ結果になっただけ、全部予知通りだ。
神楽は泣きたくなった。
予知に逆らえない自分の運命を。
そして、もう一つの人格に自分を好きなように操られる情けなさを。
正体を知ったことによって、神楽は記憶の操作と行動のコントロールを受けることはなくなった。
代わりに、意識を保ちながら歌留多の行動を見せ付けられるという不具合までが生じたのだ。
自分と同じ顔をした女性が自分と同じ声で数騎を罵るのを見るのが、神楽には耐え切れなかった。
そして、その自分のせいで数騎が死ぬかもしれないのが。
神楽は予知し、見ていた。
須藤数騎が死ぬことを。
血を流し、前のめりに倒れて血の海に沈む姿を。
そしてその側に自分が、いや歌留多がいることを。
だが、止められなかった。
予知には逆らえない。
予知通りに動いてしまえば予知には逆らえない。
だが、予知通りに動かなくても、神楽に未来を変える力はなかった。
それをすれば歌留多が止めに入る。
だからこそ、神楽は予知の範囲内で数騎を止めようとした。
結果は同じだった。
「泣かないで、神楽さん」
うつむき、涙を流す数騎に、神楽は続ける。
「オレは、死なないから」
そう口にする数騎に、神楽は数騎の顔を見つめながら言った。
「そうじゃなきゃ困るのよ」
「……!」
口調が変わった。
数騎の神楽を見る目が変わる。
「歌留多か?」
「ご明察、たった今入れ替わらせてもらったわ。私の口から二重人格って言っても信じないでしょうから神楽に説明してもらったの。ついでに余計なこと言ったら代わるってね。何かうるさい泣き言いいそうだったから代わらせてもらったわ」
「それで、オレは何をすればいいんだ?」
「あら、神楽さんを返せとか言うと思ったわ」
「そう予知でもしてたのか? 違うね、オレが言うのは別の事だ。魔剣をよこせ、オレを戦力化したいんだろ? オレに殺せと言った対象はクロウ・カードだ。ヤツとやりあう理由ならオレにはある。お前の予知ではオレお得意の奇襲戦法じゃクロウ・カードに敵わないんだろ?」
「あら? わかるの?」
「そうじゃなきゃお前がオレに魔剣をもたせる説明がつかない」
「じゃあ、あなたにステキなプレゼントをしてあげるわ」
そう言うと、歌留多は数騎の元から離れ、薙風の具足の置いてある部屋の隅まで歩き、二つのものをもってきた。
右手には着物、太い帯があるところから女性用の赤い着物であることがわかる。
もう一つは白い狐の仮面、口元や目の穴のところに赤い色がついている。
「この二つが私からのプレゼント、大切に使ってね」
「能力を教えてもらおうか」
「着物のほうは紅桜(くれないざくら)、装着している魔剣の力を向上させる魔剣よ。これを着込んだ上に薙風の具足を纏えば完璧なんだけど、あなたの力じゃ具足の方は無理、着物だけなら無能力者でも装着できるようにできてるから大丈夫よ」
「その狐の仮面は?」
「これは魔剣を操るための魔剣よ、本来無能力者が魔剣を使うために作られた魔剣、狐月(こげつ)。紅桜でこの狐月の力を強化すれば魔剣を操れる時間が延びるわ。まぁ、基本的には暴走させて制御したい時だけコントロールするといいわ」
「何をコントロールするってんだ、その二つで」
「何のために、あなたに薙風から魔剣を回収させたと思ってるの」
その言葉に、数騎ははっとしたように自分の持ってきた魔剣を見つめた。
その魔剣の中で、暴走と言う言葉が似合う魔剣は、数騎には一つしか思い至らない。
「さぁ、行きなさい。行ってあなたの約束を守るといいわ」
「オレが薙風さんとどんな言葉をかわしたか知っているのか?」
「もちろん、見てたわよ、数ヶ月前に」
「お前、嫌な女だな」
「こんな美人にそんなこと言うなんて」
「女は顔じゃない、愛嬌が大切なのさ」
そう言うと、数騎は歌留多から二つの魔剣を受け取ると、身につけていた忍者装束を上半身だけ脱いだ。
下半身のズボンになっている部分は残したままで、数騎は赤い着物『紅桜』を着始める。
親切にも歌留多が着付けを手伝ってくれた。
そういう配慮は別のところにまわせと言いたかったが、数騎は黙って歌留多のするように任せる。
そして、狐の仮面『狐月』を顔に装着すると、テーブルの上においてあった魔剣を全て装備、魔飢憑緋を帯に差し込むと、数騎は部屋の出口に向かって歩き出す。
「クロウ・カードを殺してくる」
「いってらっしゃい、結果を楽しみにしているわ」
その言葉に、数騎は何の返答もせずに部屋から出て行った。
扉が閉まり、数騎の足音が遠のいていく。
それを耳にしながら、歌留多は考え込むように口元に手を当てていた。
表情こそ自信にあふれたものだったが、歌留多は数騎と言う存在が不安でならなかった。
不安の原因は、神楽と数騎の過去にある。
事の起こりは三月、数騎が美坂町に初めてやってきた時期。
その時期に、数騎を助けようとして神楽はヤクザに強姦されそうになった。
神楽は記憶をコントロールされていたからわからなかったが、本来なら神楽はあそこでヤクザに強姦され、慰みものにされる運命だった。
そして、それを目の前にしながら数騎は動けず、神楽に対してどうしようもないほどの負い目を作り、神楽に生涯の従属を誓う。
そして、依存しながらも必要とし、最後は太田に神楽が殺害されるのを見て精神を崩壊させる。
その後、再び自分が目の前に現れたとき、数騎の精神は完全に壊れているはずだった。
どんな命令にでも言いなりになる、思考をしない操り人形と数騎は成り果てる予定だったのだ。
予知ではそうだった、回避しようと思えば出来たが、歌留多はあえて受け入れる気でいた。
ヤクザごときに純潔を奪われるのは癪だが、そういう大変なことは神楽にでも任せればいい。
そう考えていたが、予知は覆された。
恐らく、本当に予知を覆したのは赤の魔術師だ。
だが、彼はきっかけに過ぎない。
そのきっかけを、未来を曲げる力に変えたのは須藤数騎だ。
彼は須藤数騎に短刀を、武器を与えた。
そして、須藤数騎はそれを用いて神楽を救った。
そう、救ってしまったのだ、予知を覆し。
だからこそ、須藤数騎は精神を荒廃させながらも自我を保っている。
自分が予知した未来とは、数騎の自我があるかないかの差しかない。
だが、そんなわずかな相違でも、歌留多には不安でならなかった。
せっかくクロウ・カードに死体の偽者を法の書で作らせて自分の生首を須藤数騎に拾わせたり、立体駐車場で待ち受ける太田の元にナイフを携帯させた須藤数騎を送り込んだり、太田邦弘や赤志野賢太郎に『投影空想』や『糸線結界』を魔術結社の宝物庫からわざわざ魔剣を盗み出して与えたりして頑張ったのだ。
立体駐車場に転がっていたために発見された死体は二つとニュースでやっていたりしていた時は予知できなかったために焦ったが、須藤数騎はあまりのショックにニュースは見なかったらしい。
立体駐車場には死体が二つしかなかった、太田に殺された女性と太田自身、神楽の死体は『愚者』のアルカナで作り出した偽者。
警察には死体は二つしか発見できなかったのだ。
だが、あとは予知通り。
一旦はゾンビに奪われた魔飢憑緋も薙風の手を経由して数騎の元に移ったし、他の魔剣も数騎が所持している。
あとは結果を待つだけ。
ただ、一点。
数騎が自我を保っているというただ一点が歌留多を不安にさせる。
だが、ここまで来たら賭けるしかない。
退魔皇剣を手に入れるか否かの大博打。
投げたコインの表が出る事を祈りつつ、歌留多は戦いの結果に思いをめぐらせ続けた。
教会の地下室の中で最下層となる階は部屋の区切りがなく全てが儀式用の祭壇として存在していた。
天井の高さも六メートル近くあり、広さは宴会でも出来そうなほどの広がりを持っていた。
幾本も立ち並ぶ柱がその広大な部屋を支えている。
柱には彫刻が掘り込まれ、まるでローマ時代の遺跡を思わせた。
部屋の入り口から階段の待つ祭壇まで赤いカーペットが続いてた。
そこを、柴崎はゆっくりとした歩調で歩く。
九人の異能者たちがこの教会に挑み、結局ここまでたどり着けたのは自分だけだった。
柴崎は仲間のいない不安を思った。
養父として接し続けたクロウ・カードの強さは、桂原の次になるだろうが柴崎はよく知っている。
自分の手駒で勝てる相手ではない事くらい理解していた。
しかし、それでもやらなければならなかった。
決意を固め、柴崎は祭壇を行く。
そして、祭壇の前までたどり着いた。
階段の用意された高さ三メートルほどの祭壇。
その天辺に、恐らく儀式の場があるのだろう。
柴崎は武器を構えた。
両手にはアゾトの剣をはめ込んだカタール。
その目の前に、一人の男が階段を降りてくる姿があった。
説明するまでもない、柴崎を迎え撃つのはクロウ・カードだった。
「よく来た、司。私の問いに対する答えは出たのか?」
「出ました」
そう言うと、柴崎はカタールの切っ先をクロウ・カードに向ける。
「決裂か?」
「そうです、あなたの理想は間違っている」
静かに告げる柴崎。
そんな柴崎に、クロウ・カードは苦渋に満ちた顔を向ける。
「何故わからないのだ、この世界には悲しみが満ち溢れている。少しの犠牲でそれをなくそうとする私をお前はそこまで否定しようと言うのか。私は悲劇の芽を摘もうとしているのだ。誰かがやらなければ、人類の破滅は免れない」
「まだそれを語る時期ではないでしょう、少なくとも人類はあと千年は生きる。滅びないために非道な手段に訴えるか否かはその当事者たちに決めさせればいい。私達にそれを決める権利はありません」
「それでは手遅れになるとしてもか?」
「それで滅びるなら、やはり運命なのでしょう」
「そうか……」
交渉は決裂だった。
いや、そんなことははじめからわかっていたのだろう。
だが、柴崎と共に過ごした十年に近い月日がクロウ・カードに柴崎への説得を行わせた。
弟子二人に背かれたことを悔やみながらも、クロウ・カードは腰にさした長剣を引き抜く。
それは桂原の命を奪った長剣。
本当ならアルカナを駆使して戦ったほうが戦闘力が高い。
しかし、今のクロウ・カードに無駄な輝光を使う余裕がなかった。
この夜の戦いの中、クロウ・カードは輝光を消耗しすぎていた。
街に展開した大結界、赤の魔術師との戦いで展開した二回の無限の世界、そして桂原とヴラドとの激突でさらに二回。
負傷したペルセウスを二度完治させたこともあったが、一番の痛手はやはり赤の魔術師を封じ込めるために維持し続けている結界だろう。
恐らく無限の世界はあと一度しか使えず、展開可能な時間も二、三分が限度。
それ以上使えば赤の魔術師を閉じ込める結界が消失する。
ヴラド一派は全滅しアルス・マグナも、須藤数騎とかいう無能力者と未来予知者であるため戦闘面では大したことのない歌留多しか残っていない。
放出力千の術式を残した赤の魔術師と激突できるだけの戦力はもうないのだ。
今、クロウ・カードにとって一番いい出来事は赤の魔術師が千の術式で結界を破壊する事だ。
奥の手を失った赤の魔術師なら今の自分でも十分相手どれるし、結界維持による疲労からも開放される。
しかし、赤の魔術師は慎重だった。
退魔皇剣の復活は恐らく結界の中でも感じ取れるはず。
そう考える赤の魔術師は何かが起こるのを待っていた。
最悪、結界を砕いて脱出する必要もあったが、それはギリギリまで行わないことにしたのだ。
そのため、クロウ・カードは消耗も激しい状態で柴崎の眼前に立っていた。
それでもクロウ・カードの戦闘能力が失われたわけではない。
ただ、術式の大盤振る舞いができなくなっただけだ。
クロウ・カードは長剣を真っ直ぐに構え、柴崎に向かって切っ先を突きつける。
それに呼応するように、柴崎が右に動いた。
「Azoth(アゾト)!」
振りぬかれる両の腕。
六本の銀影が飛来し、クロウ・カードに襲い掛かる。
クロウ・カードは長剣を翻し、その事ごとくを叩き落した。
クロウ・カードは柴崎の剣の師匠だ。
その卓越した剣技はちょっとやそっとの飛び道具くらい見切るのは容易い。
だが、柴崎にとってアゾトによる攻撃はあくまで牽制。
もちろん負傷、もしくは殺害を狙った攻撃ではあるが、敵に警戒させるための牽制になることが多い。
そして、いつしかそれが目的となっていた。
柴崎は移動しながらアゾトの射出を続ける。
輝光によって編まれた光り輝く刀身。
突き刺さらんとするその刃を、クロウ・カードは紙一重で切り払い続けた。
柴崎はここまでの戦いを、大体が自身の輝光のバックアップであう黒銃の弾丸の射出によって行ってきた。
弾丸はほぼつきかけているが、おかげで自身の体力は相当に余っている。
体力があるということは生命力である輝光が満ちているということ。
連続して柴崎はアゾトを射出し続けた。
それに対し、クロウ・カードは切り払いを続けながら右に左にと移動し、柴崎の狙いから身をかわしながら少しずつ柴崎との距離をつめる。
すでに戦いは階段ではなく、赤いカーペットから外れた石の床の上に映っていた。
クロウ・カードと柴崎の距離が四メートルまで縮む。
そこにいたり、柴崎は右腕に装着し、剣を射出した直後のカタールを投げ捨てた。
直後、左腕のカタールを振るい、刀身を射出させる。
それをクロウ・カードが迎撃する隙を突き、柴崎は懐から黒銃を取り出した。
「その身に刻め……」
詠唱を口ずさみ、
「銀翼の、福音!」
トリガーを引き絞る。
「虐殺業魔(イヴィルパニッシャー)!」
黒銃の銃口が火を噴いた。
繰り出されるは移動方向をコントロール可能な弾丸。
すぐさま真下に移動させると、ボクサーのアッパーのようにしたから救い上げるような弾丸がクロウ・カードの顎に迫る。
クロウ・カードは一歩後退すると長剣でもってその弾丸を叩き落した。
柴崎との距離は五メートル以下。
そしてそれは、柴崎の持つ最高の魔弾の射程距離。
「我が放つは」
右腕に構えた黒銃を、
「断罪の銀」
クロウ・カードに向けて解き放つ。
「黒銃聖歌(カンタス・グレゴリオ)!」
再び銃が火を噴いた。
それは柴崎の持つ最後の黒銃聖歌だった。
これまでの戦いで酷使し続けたため、もう通常弾以外の弾丸は残っていなかった。
クロウ・カードに迫る黒銃の弾丸。
長剣の纏う輝光は虐殺業魔の弾丸の迎撃に用いている。
防げない、柴崎は確信していた。
が、クロウ・カードは柴崎にとって予想外の行動にでた。
なんと大きく後ろに下がりながら懐から本を取り出して黒銃聖歌の魔弾に向かって投げつけたのだ。
黒銃聖歌の魔弾が本に襲い掛かった。
瞬間、すさまじい輝光の奔流が巻き起こる。
どれほどの輝光が本に注ぎ込まれていたのか、膨大な輝光と黒銃の魔弾が衝突し、輝光の爆発が起こった。
煙はすぐに晴れる。
そこから見えたのは、無傷なクロウ・カードの姿と破損一つない本。
そして、その本を小脇に抱え、こちらに向かって小さな手を突き出す少女の姿だった。
「なかなかの連携だ、司」
告げるクロウ・カード。
それを聞く柴崎の目の前で、本を持つ少女がこちらに小さな手のひらを見せつけながらクロウ・カードのいる場所まで後ろ足で近づいてく。
「それを結界の展開後にやられていたら私の敗北だった。だが、運がよかった。私は結界発動のために法の書に輝光を補充しておいた。それが私を救ってくれたようだな」
その言葉に、柴崎は思わず歯軋りを漏らした。
すぐれた武器には魂が宿り、魂の宿った純正の魔剣を魔皇剣と呼ぶ。
魔皇剣の魂は自我を持ち、自分の好きなときにその魂を具現できる。
目の前の本は魔皇剣、桂原の言っていた『法の書』だ。
法の書の精霊が何の力も持たない見たままの少女であるわけがない。
それを、剣崎は予想ではなく知識として知っていた。
アリスと柴崎は既知の仲である。
何しろ、クロウカードの家で何年も共に暮らした経験もある。
彼女が術式を操るのを見たのは一度や二度ではない。
事実、生命力である輝光を自力で生み出せないだけで、彼女は相当な術式を操る魔術師でもあった。
「手は尽きたか、私はこれからだぞ」
そう言うと、クロウ・カードは少女、いやアリスから法の書を受け取る。
「いざと言う時のためにとっておきたかったが仕方がない、これまでのお前の鍛錬に敬意を表する意味でこの結界で貴様を葬ってやろう」
クロウ・カードは手に持つ法の書に輝光を集中させ始めた。
柴崎はそれを阻むために、左手に持ったカタールを一閃させる。
「Azoth(アゾト)!」
飛来する刀身。
しかし、それは見えない壁に阻まれた。
アゾトの放出力は二、あまりのも小さな威力のその魔剣の攻撃は、同じくわずかな輝光を用いたアリスの防御呪文によって阻まれる。
そして、術式が完成した。
急速な輝光の高まりを感じ、その直後、世界が塗り替えられた。
砂交じりの突風が柴崎の顔に襲い掛かった。
柴崎は思わず目をつぶって砂を防ぎ、そして目を見開く。
そこには先ほどまでと違った世界が広がっていた。
荒れ果てた荒野。
まるで西部劇にでも登場しそうな荒野の中心に、柴崎は立っていた。
「これが、二十三番目のアルカナ……」
口にする柴崎。
その直後だった。
吹き荒れる砂塵。
その中から長身の男の影が少しずつ輪郭をあらわに近づいてきた。
「無限にして無間たる夢幻」
その男は、絶対なる威厳を伴いながら、
「魔道結界、無限の世界(アンリミテッドワールド)」
柴崎の前に姿を現した。
「ようこそ、私の世界へ。無限に広がるこの世界こそが私の全てだ」
「初めて拝ませてもらいました、養父さん」
「二十三番目のアルカナを知っているとは、桂原に聞いたか?」
「そうです、桂原もあなたを止めようとした」
「そして殺された、私にな」
その言葉に、柴崎はクロウ・カードを睨みつける。
お互いの距離はおよそ五メートル。
睨み付けてくる柴崎に、クロウ・カードは告げた。
「司よ、もう一度だけ願おう。私と共に来てはくれないだろうか」
「断る!」
言い放つ柴崎。
その言葉を聞き流すように、クロウ・カードは続けた。
「儀式はもうじき完了する、祭壇の役目は終わりだ。後はこの教会の地下最下層の下に広がる大空洞にて術式を紡ぐだけでいい。そうすれば界裂は再びこの世界に現れる」
「私は退魔皇剣には興味がない、それを手に入れてどうするつもりだ」
「界裂は確かに強力だ、それだけで世界を征すことも出来よう。だが、それだけで望みは叶わない。界裂はあくまでスタートに過ぎん。残り八つ存在する退魔皇剣を、界裂をもって開放する。九本そろった退魔皇剣は八岐大蛇を生み出し、それをもって世界の創造主に等しい力を手にするのだ。そうでなくては、世界は変えられない! 界裂だけでは滅ぼす事しかできない!」
「八岐大蛇?」
柴崎には聞きなれない言葉だった。
そんな伝説のモンスターがどうしたというのか。
そう考える柴崎に、クロウ・カードはさらに続ける。
「人類の救済の第一歩としての界裂を私はこの町に残る式神桜花の伝承によって知った。彼もカルタグラだ。そして失われた界裂はカルタグラの手によってこの世界に再び蘇る。そして私はカルタグラを手に入れた、儀式が完了すれば退魔皇剣はすぐ目の前だ。柴崎、考え直せ。私と争ってお前が得るのは死だけだぞ」
「それはまだわからないでしょう」
そう答える柴崎は左手のカタールを構えながら黒銃の銃口をクロウ・カードに向ける。
特殊弾は全滅しても通常弾は残っている。
そんな柴崎に対し、クロウ・カードは言い放つ。
「なぜわからない? 私は探し当てた、伝承を! 剣崎の屋敷から手に入れた開放の鍵である伝承の巻物により知ったのだ。退魔皇剣がこの地で滅びたと、そしてそれの開放にはカルタグラの協力が不可欠だと。そしてようやくたどり着いた、私は退魔皇剣にたどり着いたのだ、剣崎の屋敷を襲ったヴラドを殺して奪った巻物から。知ったのだ、そこに綴られた古の物語、魔剣伝承を!」
その言葉に、柴崎は驚きを隠せなかった。
退魔皇剣はこの世に存在しない、それが定説だった。
そして、クロウ・カードの言葉はおそらく真実なのだろう。
失われたものを蘇らせる、それがクロウ・カードの行おうとしていることだ。
やり方はわからない、ただ、カルタグラとかいう異能者(たしか二重人格者のことだ)の力があればそれが可能らしい。
なら、退魔皇剣の鍵とは恐らく退魔皇剣が失われた場所の事だったのだろう。
「いや……待て……」
そこで思い立った。
十年前の屋敷への襲撃。
憧れた女性の死。
それは何故起こったか。
アルス・マグナの襲撃のせいだ。
待ってほしい。
そんなこと考えたくなかった。
じゃあ、これはどういうことだ?
屋敷を襲ったのはアルス・マグナ、そしてクロウ・カードはアルス・マグナの幹部。
だとするならば、屋敷を襲ったアルス・マグナの集団を指揮していたのは……
「お前が何を考えているのかはわかるぞ、司」
その言葉に、柴崎は思考を中断させる。
「お前はこう考えている、十年前、剣崎の屋敷にアルス・マグナが襲撃をかけた。それを誰が指揮していたのか、違うか?」
頷く事さえできない。
柴崎は息を飲みながらクロウ・カードを見つめる。
違うと。
自分は何もしてないと言って欲しかった。
そう願い柴崎に対し、クロウ・カードは答えた。
「襲撃の指揮を執っていたのは、私だ」
「嘘だ!」
叫ぶ柴崎。
「嘘だ! あんたがそんな事をするはずがない、だって柴崎司はあんたの相棒だったはずだ! あんたが、あんたが柴崎司の死を招いたって言うのか!」
「全ては人類の未来のためだ、剣崎戟耶」
その時、彼を養子に迎えてから初めて、クロウ・カードは柴崎の本当の名前を口にした。
柴崎はもうクロウ・カードの顔を直視できなかった。
うつむき、荒野と化した地面を見つめる。
そして、
「ならあんたは、オレの敵だ!」
クロウ・カードの言葉が引き金だったのだろう。
柴崎司は、剣崎戟耶に戻った。
かつて子供の頃に使っていた言葉遣い、一人称さえ変わっていた。
「行くぞ、クロウ・カード! 仮面舞踏の始まりだ!」
黒銃を握り締める右手で器用にコートの中から仮面を取り出すと、柴崎はそれを被った。
「魔飢憑緋!」
柴崎の身体能力が格段に上昇する。
魔飢憑緋に迫る速度をもって、柴崎はクロウ・カードに向かって踏み込んだ。
「我は信じる、汝、術……」
「遅い!」
距離はすでに存在していなかった。
それほどまでに、接近された時の魔飢憑緋の速度はすさまじい。
柴崎が左腕を振りぬいた。
アゾトの射出ではなく、本来の使い方、アゾトを剣として用いるために。
振り下ろされたその一撃をクロウ・カードは横に構えた剣の刀身で受け止めた。
防がれるやカタールを手元に戻すと、柴崎は三本のアゾトの装着されたカタールを一直線に突き出した。
突きを防ぐのに、盾が無くては止めるという選択肢はない。
はじくか、かわすかだ。
クロウ・カードは前者を選んだ。
叩きつけるように右に打ち払う。
カタールが右にずれた。
が、柴崎は全く動じない。
握っていた右腕の黒銃をクロウ・カードの顔面に向ける。
通常弾の名前は無音詠唱(ダムキャスト)、詠唱を必要としない弾丸。
二発撃っていたため、残っている弾丸は全部で四つ。
柴崎は、躊躇うことなくその全弾をクロウ・カードに向かってぶち込んだ。
とっさに法の書を持つ左腕を盾にするクロウ・カード。
顔面は守った、代わりに左腕が穴だらけになった。
流れ出る血液。
それでも、術式を紡ぐに支障はなかった。
「塔(タワー)!」
アルカナが発動した。
柴崎の足元から、鋭く尖った切っ先が何の前触れもなしに生えた。
躊躇っていたら串刺しになっていただろう。
だが、柴崎はクロウ・カードのとどめより、自分の直感を優先した。
とっさに後ろに飛びのく柴崎。
その眼前にレンガ造りの塔が文字通り生える。
柴崎はさらに後退し、塔を右に曲がって迂回する。
すぐにクロウ・カードの姿を確認する。
そして、手遅れと言うことに気がついた。
「我は信じる、汝、術失うは絶対の法なり」
法が成立された。
柴崎は自分にかかる魔術による身体強化の恩恵が消え去るのを感じた。
「女帝(エンプレス)」
クロウ・カードがさらにアルカナを開放した。
それは重圧を対象にかける術式。
柴崎は自分の体を支えられなくなり、前のめりに倒れた。
「我が息子よ、よくぞ今まで勇敢に戦い続けた」
剣を手にし、クロウ・カードが柴崎に近づく。
「もう、休んでもいい頃ではないか?」
「くそおぉぉぉ!」
叫ぶ柴崎。
その時だった。
声が聞こえた。
「なっ?」
それは聞こえるはずもない声だった。
それは龍の咆哮。
胸の奥から震え上がらせるほどの威圧を伴う声だった。
「なんだ、この声は?」
訝しみ、クロウ・カードが左右を見回す。
柴崎はこの龍の声に聞き覚えがあった。
それは二階堂との戦いの折に聞いた声。
天井をぶち抜いて現れた光輝かく緋龍の咆哮。
「近くに……いるのか……?」
結界とは異世界に作られるものであり、通常空間や鏡内界の中から歩いて行けるものではない。
入るためには入り口が必要であり、それは結界の術者にしか作れない。
だが、魂ならば接触できる。
だから聞こえてきたのは魔飢憑緋の声だけ。
実体化は出来ないが、その程度の干渉なら魂でも出来る。
「なら!」
柴崎は魔飢憑緋の仮面を外すと、桂原の力を刻んだ仮面を被る。
「魔術師!」
だが、いつものように仮面の力は柴崎の体にめぐらない。
柴崎は術を扱う力を封じられている。
だからこそ、右手の黒銃を投げ捨て、柴崎は懐から本を取り出した。
桂原から託されたもう一つの『法の書の写本』。
「見ろ、クロウ・カード! オレの術式を、オレの結界を見せてやる!」
柴崎の方を見るクロウ・カード。
それは賭けだった。
重圧に押しつぶされた状態のまま、柴崎はありったけの声で叫ぶ。
「緋龍がオレを解き放った、桂原の仮面を被ったオレにお前の法は無効だ! お前にオレは縛れない!」
その言葉に、クロウ・カードはわずかに動揺した。
一瞬、一瞬だけだが信じられなくなり世界の法が消失する。
その一瞬で十分だった。
柴崎は写本を広げ、呪文の詠唱を口にする。
「世界(ワールド)!」
クロウ・カードが信じなおすのは遅すぎた。
柴崎は法の書の写本の結界、世界のアルカナを開放した。
これで二つの結界がせめぎあい、クロウ・カードの独壇場ではなくなった。
柴崎は矢継ぎ早に法の制定を始める。
外にいる薙風を呼び寄せるのだ。
二対一なら……勝てる。
「我は信じる、訪れる者を、世界が受け入れるは絶対の法なり!」
そして、入り口が作り上げられた。
祭壇の部屋に突如として広がった、時空の穴。
まるで写真の真ん前に黒いマジックで描かれたような、渦を巻く円形のその黒に、その魔剣士は飛び込んだ。
それは狐だった。
いや、白い狐の仮面を被った魔剣士だった。
右手は鞘に収まった魔飢憑緋の柄を握り締め、左手には何も握っていないが変わりに黒い手袋がくっついた手甲をしている。
赤い着物を身にまとうその魔剣士。
白い狐の仮面の魔剣士は、ゆっくりとクロウ・カードにその顔を向ける。
「薙風!」
その魔剣士の背中に、柴崎は声をかけた。
体に輝光が充満し、魔術により身体能力強化をかけ、女帝のアルカナの術式を弾き飛ばしながら、柴崎は体を起しながら続ける。
「消耗していると聞いた、大丈夫か!」
「薙風さんは死んだ」
狐面の魔剣士は答える。
その言葉に驚く柴崎に、狐面の魔剣士は続けた。
「お前を助けてやる、今はコイツを殺すぞ。そう薙風さんと約束した」
「お……お前は……」
声を聞いている内に、柴崎は声の主に気がついていた。
「もう短刀使いじゃない、オレは魔飢憑緋の魔剣士さ」
そう言うと、柄を握り締めながら、狐面の魔剣士、須藤数騎は詠唱を始めた。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、餓狼無哭(がろうむこく)」
紡がれる詠唱、
「憑惹破滅(ひょうひはめつ)、緋炎葬刻(ひえんそうこく)」
魔剣によって無理矢理底上げされた数騎の魔剣を操る能力が、
「魔餓憑緋(まがつひ)」
魔飢憑緋を開放させた。
荒野に煌く紅の刀身。
それを構え、数騎はクロウ・カードの眼前に立った。
魔飢憑緋を握り締める数騎に対し、睨みつけるようにしてクロウ・カードが口を開いた。
「須藤数騎だと? 確か歌留多がお前は味方と言っていたが」
「一緒に裏切らせてもらったよ、それより自分の命の心配をした方がいい。二対一じゃあんたもキツイだろう? いい年だしな」
「二対一?」
数騎の言葉を、クロウ・カードは嘲笑するような口調で反芻した。
「二対一だと?」
法の書を広げてみせるクロウ・カード。
短い呪文の詠唱の後に、クロウ・カードはアルカナを開放した。
「悪魔(デビル)」
空間が歪む。
突如として空中に黒い霧が発生した。
それはクロウ・カードを始点として、柴崎と数騎を包囲するようにドーナツ型を描いて増殖していく。
霧が空間を湾曲させ、その狭間から生命体が出現した。
それは、西洋画に現れるようなヤギの顔をした悪魔。
それが二人を囲むように、百体近く出現したのだ。
「これのどこが二対一なのだ?」
嘲るように言うクロウ・カード。
そして、
「やれ」
クロウ・カードの指示が下された。
忠実なる僕を召還する『悪魔』のアルカナによって呼びだされた悪魔達が、殺した後に食してもよいという契約を実行に移すため、獲物に向かって突き進む。
もっとも近くにいた悪魔が数騎に踊りかかった。
手には錆びた手斧。
数騎が魔飢憑緋を横薙ぎに一閃させる。
手斧を握りしめる右手が手斧を握ったまま宙を舞う。
横から槍を構えた悪魔が槍を繰り出した。
数騎はとっさに後ろに下がって回避する。
その後ろからは剣を手にする悪魔。
その悪魔に向かい、数騎は手甲をはめた左腕を振るった。
「糸線結界!」
詠唱と共に魔剣が開放された。
左手の指先から光の線が描かれた。
それと同時に剣を持って襲い掛かってきた悪魔だけでなく、周囲にいた五体の悪魔が輪切りになり血を噴出しながら地面に転がった。
「ああああぁぁぁぁぁ!」
雄たけびを上げ、数騎はさらに左腕を振るった。
右から近づいてきた三体の悪魔を糸が襲う。
糸線結界によって生み出された斬糸は、三体の悪魔をあっさりと屠り去る。
瞬く間に地面を血の海にする八体の悪魔。
それを見てなお、悪魔達は数騎に襲い掛かった。
「投影空想!」
魔剣の詠唱が口にされた。
数騎から二十メートル近く離れたあたり、荒野を構成する小さな岩山が揺れる。
それが突如として動き出し、龍人と化した。
人間の頭部がドラゴンに変わり、全身に鱗を生やした人間。
二メートルにも及ぼうという岩で出来た龍人が、数騎を包囲する悪魔たちに後ろから襲い掛かった。
驚いて後ろを振り返る悪魔達。
その悪魔の首が宙に舞った。
振り返るまでに四つ。
元凶は数騎だった。
隙を見せたが最後、右手に握り締めた魔飢憑緋を閃かせ、首を一つ、糸線結界の糸によって首三つと一緒に全身までも切り刻む。
量産される死体。
数騎という敵を思い出し、後ろにも注意を忘れてはならないと考えた悪魔に岩の龍人が襲い掛かった。
振るわれる拳の強度は岩そのもの。
岩の拳は悪魔の角をへし折りながら頭蓋骨を陥没させ、腹部に当たった悪魔の蹴りは内臓を破裂させる。
たった二人。
しかし、すさまじいまでの実力を有する魔剣士と岩の龍人に挟まれ、悪魔達は一体、また一体と死んでいく。
「Azoth(アゾト)!」
柴崎の詠唱が響き渡った。
カタールが振るわれると、それと同時に三本の剣の刀身を頭にはやした悪魔が地面に倒れふす。
そこに別の悪魔が襲い掛かった。
「ちぃっ!」
柴崎はすさかず右手に持っていた拳銃を悪魔の顔面に投げつけた。
もはや装填する時間がない以上、黒銃は無用の長物だ。
「はぁ!」
気合とともにカタールを突き出す。
心臓を貫いたカタールの刃は、迫る悪魔の命を一瞬にして奪い取る。
武器が足りない。
柴崎はとっさに刃羅飢鬼を引き抜こうとした。
詠唱無しの強制起動をかけたかったが、あれはなかなか負担が激しい。
全身に激痛が走り、戦闘どころではなくなってしまう。
狙撃手に狙われた時は一度やったが、一日に二回やっていいものではなかった。
仕方無しに詠唱をしようとするが、そこに六体もの悪魔が襲い掛かる。
「くそっ!」
とっさに右手を離して詠唱を止める柴崎。
しかし、
「なっ!」
柴崎の目の前で悪魔達が輪切りになって地面に転がった。
その目の前に、はるか遠くで悪魔に包囲されていたはずの数騎が現れた。
魔飢憑緋の跳躍力をいかし、一跳びにジャンプしてきたのだ。
悪魔達が輪切りになって転がっているのは恐らく跳躍中に行きがけ駄賃だろう。
足を曲げる事によって衝撃を吸収していた数騎は、ゆっくりと体を起しながら柴崎の顔を見上げる。
「さっさと抜きな、時間は稼いでやる」
そういうと、数騎は左腕を天に掲げた。
着物の袖がずり落ち、数騎の左腕があらわになる。
そこには、包帯で腕に縛り付けられた、装飾の施された錫杖が見えた。
「投影空想!」
数騎の目の前の地面が盛り上がった。
直後、瞬時にして二体の泥人間が構築された。
「行け!」
数騎の号令とともに泥人形が悪魔との戦いに参戦した。
数騎の作った二体の人形が悪魔と乱戦を展開する。
そんな中、数騎は糸を閃かせながら魔飢憑緋を振るい悪魔達を屠り続ける。
と、岩の龍人が数騎がいなくなったことにより、多勢に無勢の悪魔たちに全身を叩き砕かれた。
泥人形もたいした力がなく、数騎が横目で見ている内に悪魔に討ち果たされた。
それでも、
「刃怨狂陣羅轟魔葬(ばえんきょうじんごうひまそう)」
柴崎はその時間のあいだに、
「飢装炎武鬼塵咆哮(がそうえんぶきじんほうこう)」
その詠唱を唱え終え、
「刃羅飢鬼(ばらがき)」
その魔剣を開放した。
煌く蒼き刀身。
そんな柴崎の背後に、魔飢憑緋を握り締める数騎がやってきた。
前傾姿勢を取ったまま地面に膝をつき、敵に飛び掛る直前の肉食獣のように脚のバネを開放する準備を整え、数騎は言った。
「開放したな、その魔剣」
「時間稼ぎ、感謝する」
「背中は任せるぜ、仮面使い!」
「そういうお前も、時間稼ぎは任せたぞ」
そう柴崎が答えると同時に、柴崎と数騎は背中を向け合った状態からそれぞれの敵に向かって突撃した。
糸を翻し、魔飢憑緋を振るって悪魔を殺戮し続ける数騎。
その背後で刃羅飢鬼を振るい、悪魔を屠りながら柴崎は呪文を三つ刃羅飢鬼の中にストックする。
「降魔(ごうま)、業魔(ごうま)、轟魔(ごうま)、迸るは灼熱の息吹」
詠唱が紡がれる。
それは三つの火術の同時発動。
「刃怨狂陣(はえんきょうじん)、呪怨(じゅえん)」
柴崎の背後に蒼く輝く三つ首の龍が出現した。
龍の口から火炎が放たれる。
それは爆発を伴う火炎だった。
爆砕範囲は実に半径五メートル。
中にいた悪魔が二十まとめて爆死した。
ちぎれた腕や脚や首が荒野の大地に転がる。
その後ろで数騎が柴崎に向かって叫ぶ。
「仮面使い、しゃがめ!」
言葉に従い、柴崎はとっさにその場にしゃがみこむ。
直後、頭上を糸の群れが通過した。
左腕を三百六十度に旋回させ、数騎は周囲を囲む悪魔たちをなぎ払った。
胴体を真っ二つにされ、はたまた首を、顔を、脚を切断され、悪魔達は全滅した。
血の滴る糸を数騎が一度だけ振るう。
糸についた血が地面に飛び散る。
その行動だけで、数騎の左手の糸はきれいになった。
数騎はクロウ・カードの方を向き直り、白い狐の仮面の下に隠れる口を動かした。
「もうろくしたな、オッサン。やっぱり二対一じゃねえか」
増援を殺しつくし、再び三人だけの空間となった結界内で数騎は挑発するように口にする。
「ならば、我が一撃を喰らうがいい」
本を懐にしまい、長剣を腰の鞘に刺すと、クロウ・カードは両手を懐に突っ込んだ。
その瞬間に数騎がクロウ・カードに飛び込んだ。
魔飢憑緋の瞬発力は魔術師にとって脅威以外何者でもない。
呪文の詠唱よりも早く接近されては、どんな魔剣士も太刀打ちできないからだ。
だからこそクロウ・カードは無限の世界による法の制定を行わなかった。
それよりも早く発動する、アルカナこそが最良の手段。
数騎の突撃よりもクロウ・カードが懐から八枚のタロットを指に挟んだ状態で取り出す方がはるかに早かった。
クロウ・カードは、すさかず八枚のカードを数騎に向かって投げつける。
数騎は反射的にそれを脅威と受け取った。
突撃を中断させ、宙に浮かんだままのタロットから二メートルの距離を取ってクロウ・カードを睨みつける。
「月(ムーン)、戦車(チャリオッツ)、皇帝(インペラー)、審判(ジャッジメント)!」
クロウ・カードの詠唱が響く。
「太陽(サン)、正義(ジャスティス)、女帝(エンプレス)、死神(デス)!」
八枚のカードが渦を巻くようにして数騎の周囲を回転し始めた。
「八翼の剣(エイトアルカナ)!」
クロウ・カードの術式が完成した。
それぞれのカードがその力を解き放つ。
数騎を包囲するように八枚のカードが回転を続けるうちに二枚のカードへと数を減らしていた。
それぞれが結合し、八枚が二枚になったのだ。
二枚のカードは己が内包する輝光を持って実体と化した。
一人は馬が引く古の戦車にまたがる、ランスを構えた古代ヨーロッパの君主。
そして、もう一人は白馬にまたがる死神の鎌を持った古代エジプトの女王。
それは輝光で作り出された破壊の具現。
「行け、帝王達よ!」
クロウ・カードの命令一下、二人の君主が数騎に襲いかかる。
「投影空想!」
術式が数騎の足の下に展開された。
同時に数騎はとっさにしゃがみこみ、跳躍の準備を始める。
直後、数騎の地面がストローから吸いだされるジュースのように盛り上がった。
一瞬にして三メートル近くまで伸びる地面。
その柱のように伸びた地面に二人の君主が衝突した。
二人の君主は爆発の力を内包した輝光だ。
土台との接触により、起爆する。
その直前、数騎は土台から跳躍した。
爆発音が響く。
砕け散る土台。
しかし、空中にいた数騎は無事だった。
数騎の跳躍力は三メートルが限界だ。
だが、それでは爆発をかわしきれない。
そして、二人の君主からは数騎の瞬発力を持ってしても逃げ切れないことはわかっていた。
おそらく魔飢憑緋の対輝光能力でも対処できない。
だからこそ、数騎は地面を盛り上げた。
地面に乗って距離を稼ぎ、その上で跳躍する。
そして、数騎は君主による爆発を回避することに成功した。
「バカめ」
見下すようなクロウ・カードの声。
同時に、クロウ・カードがアルカナを発動させた。
「塔(タワー)」
地面から突如として柱が生えた。
槍のように鋭い切っ先を持つ一本の塔。
数騎を突き刺すべく、斜めに傾斜して生えた塔が、空中にいる数騎に向かって突き進んだ。
数騎はとっさに回避を試みるが、無理だった。
空中では足場がなく、回避は不可能。
そんな数騎の腹部に、塔の切っ先が襲い掛かった。
「ぐあああああぁぁぁぁぁ!」
数騎の絶叫が響き渡った。
柴崎は、その惨状を見上げながら目を見開く。
数騎はぐったりと力を失った。
腹部を塔の切っ先に突き刺されたままの状態で、ぶらりと手と足を力なく投げ出す。
串刺しにされた数騎は、塔の天辺の飾りとなった。
血に濡れた切っ先が、わずかながら塔の先端に確認できた。
直後、世界が揺れた。
驚き、柴崎が周囲を見回す。
世界が歪んでいた。
荒れ果てた荒野が蜃気楼のように揺らめき、ゆっくりと透明になっていく。
そして、世界が崩壊した。
元の祭壇の広間が戻ってきた。
見回せばそこは石で作られた部屋。
柱が幾柱も並ぶ部屋の奥には階段のついている祭壇が設置された大部屋。
ただ一つ先ほどまでと違うのは、串刺しになった数騎を屋根の飾りにしている斜めに生えた塔の姿だけ。
柴崎は眼前に存在するはずのクロウ・カードを見た。
肩で息をし、それを気遣うように法の書の精霊がクロウ・カードを見上げながら心配そうに見つめている。
柴崎にはすぐに理由を思いつく。
輝光の大量使用により、結界の維持が出来なくなったのだ。
疲労により、肩で息をするクロウ・カード。
柴崎は右手に持つ刃羅飢鬼を鞘に収めると、再び懐から本を取り出した。
クロウ・カードの結界崩壊と共に柴崎の結界も砕けていた。
もう一度展開する必要がある。
クロウ・カードも本を取り出した。
本を持ち、対峙する二人。
そして、双方が同時に術式を構築し終えた。
『世界(ワールド)』
結界が展開された。
数騎を突き刺す斜めに生えた塔を飲み込み、二つの結界が同時に完成する。
双方の立っている場所や部屋に全く影響はない。
無限の世界と違い、世界は今いる場所のコピーを作り出し、そこに側にいる人間を取り込む結界だ。
だからこそ、双方の立ち位置は変わらない。
クロウ・カードは消耗しきっていた。
『無限の世界』を展開できる『宇宙』のアルカナを持ちながら、それを使用できないクロウ・カードは、威力は落ちるが展開は可能な『世界』のアルカナを用いたのだ。
『世界』しか展開できない柴崎であったが、ここに至って結界のハンデがなくなった。
柴崎は右手に本を構えたまま、左腕のカタールを強く握り締める。
戦いの決着はもう遠くはない。
隙が必要だ。
そして、後は駆け引き。
いかに有用に『世界』の法を制定できた方が勝利する。
戦いはすでにそのような局面に到達していた。
柴崎に対するクロウ・カードは鞘に収めていた本を持っていない左手で長剣を引き抜いてみせる。
にらみ合う二人。
お互いに行動が切り出せず、全く行動が出来ない。
本来ならにらみ合いは素人がするものだ。
どう行動すればいいかわからない素人は、動かず時間を無駄に浪費する。
しかし、たまにあるのだ。
本当の実力者同士がにらみ合うと、お互いに勝機を見出せず動けない状態が。
そして、わずかにでも動きを見せればそこが隙となり、敗北に直結することを。
だからこそ、二人とも動こうとしなかった。
ただ、無為に過ぎていく時間。
そして、その勝機が訪れた。
(数騎)
声が聞こえた。
それは聞き覚えのある声。
(数騎、起きて)
数騎はゆっくりと目を見開く。
そして、自分が不安定な状況にいることに気がついた。
腹が痛い。
ついでに左腕が痛い。
数騎は左の方を見てみた。
そこには赤い塔の屋根。
そこで、ようやく数騎は状況が飲み込めてきた。
数騎は空中で塔に串刺しにされた。
腹に痛みがあるのがその証拠だ。
だが、なぜか塔の先端は腹に刺さらなかった。
代わりに横にそれ、数騎の左脇を通過した。
今数騎は左の脇の間に塔の先端があるような感じで宙ぶらりんになっていた。
恐ろしいまでのバランスだ。
丈夫で切断されにくい生地で出来た紅桜が塔の先端に突き刺さったおかげで、左腕が外れて塔から落下するのを防いでいたのだ。
これ以上ここにいるといつ落ちるかわからない。
数騎は塔から苦労しながら這い上がった。
その光景を、下から柴崎が目にした。
クロウ・カードもそれに気がついた。
二人の注目を集めながら、数騎は斜めに生えた塔の上に立った。
近くに見える天井を見上げる数騎。
なぜ自分が生きているのか。
腹を見る、痛いが傷がない。
脇を見る。
生々しい削り取られた左脇。
血で濡れ、白い脂肪がはみ出している。
こっちはさらに痛い。
そして、聞こえてきた声を思い出した。
「あ……」
誰の声かようやく思い出した。
「そうか……」
数騎は天井に向けていた視線を下に向ける。
その先にはクロウ・カードの姿があった。
「お前が……力を貸してくれたんだな……」
数騎は右手に握ったままだった魔飢憑緋を強く握り締める。
そして、
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!」
咆哮をあげながら走り出した。
斜めに生える塔の上を一直線に駆け下りる数騎。
その塔の生え際の側にはクロウ・カードの姿。
「星(スター)!」
クロウ・カードが長剣を振るった。
長剣の切っ先が数騎に向く。
長剣の先から光り輝く破壊の輝光が放たれた。
破壊の光が迫る数騎を包む。
閃光が炸裂した。
数騎を爆殺すべく解き放たれた輝光が数騎に牙を向く。
目も眩む閃光と、破壊を撒き散らす爆発。
だが、数騎は死んではいなかった。
「何!」
叫ぶクロウ・カード。
数騎はクロウ・カードの『星』のアルカナを突破した。
もし、時間があったらクロウ・カードは気付いただろう。
数騎の後ろに続く塔の先端までの部分が消失していることに。
数騎は投影空想を使った。
とっさに行使したこの魔剣の力により、数騎は自分を保護する壁を作ったのだ。
塔によって作り出された壁は、クロウ・カードの一撃から数騎を守りきる。
そして、無傷ですんだ数騎はさらにクロウ・カードに向かっていった。
クロウ・カードは怯まずに向かえ撃つ事にした。
「力(ストレングス)」
クロウ・カードは自身に身体強化を施すと、数騎に向かって突撃を開始した。
塔の真ん中のあたりで、クロウ・カードと数騎が向かい合った。
お互いに加速を止めず、それぞれの獲物の切っ先を相手に向け合った。
まず数騎の魔飢憑緋の切っ先がクロウ・カードの右肩に突き刺さった。
クロウ・カードが本を取り落とす。
しかし次の瞬間、クロウ・カードの長剣が数騎の心臓を捕らえた。
突き出される長剣は心臓に向かい突撃し、
「なっ!」
紅桜を貫いた直後、肌の部分で停止した。
心臓を一突きできずに驚いているクロウ・カードを、数騎は思いっきり蹴り飛ばした。
強化された脚による蹴りで、クロウ・カードは大きく後ろに蹴り飛ばされた。
体勢を崩しながら塔の上で停止し、追撃されることを恐れたクロウ・カードはバックステップを活用して部屋の床まで降りる。
そして、数騎を見上げた。
白い狐の仮面を被る数騎。
その右目のあたりに開いた外を見るための穴から、赤い光が漏れていた。
数騎は左手でクロウ・カードに突かれた場所を痛そうに顔を歪めながらさする。
そこの箇所のみが、人間の肌の色ではなく黒光りする金属と変化していた。
炭素を操る魔剣『鋼骨』。
クリスが数騎に残した六振り目の魔剣。
それが、数騎の命を二度救った。
人間の体に存在する炭素を硬質化させ、即席の鎧としたのだ。
一度目は腹への塔の切っ先の直撃に対し、腹部のみを硬質化させた。
結果、腹を貫くはずの一撃は横にそれ、数騎の脇をわずかに削るに留まった。
二度目はクロウ・カードの長剣から心臓を守るために、付近の肌を硬質化させた。
「守ってくれたんだな、クリス」
起動したために赤く光る右目を、手で触りながら数騎は口にした。
そして、それが終わると地上にいるクロウ・カードを睨みつける。
「ああああぁぁぁぁ!」
再び突撃を開始した。
塔を駆け下りながら迫る数騎。
そんな数騎に対し、クロウ・カードは術式を解き放つ。
「塔(タワー)!」
詠唱と同時に再び斜めに塔が地面から生え、数騎に襲い掛かった。
数騎は軽く跳び、迫る塔の天辺に跳び乗ると、それを足場に大きく跳躍し、クロウ・カードの頭上、六メートルに到達した。
「学習しないヤツめ!」
クロウ・カードが長剣の切っ先を宙にいるために回避が不可能な数騎に向ける。
「星(スター)!」
対象を砕く閃光炸裂呪文が数騎に対し解き放たれる。
それは必勝の戦術。
足場のない空中にいる敵に不可避の一撃を叩き込む戦術。
そして、それは先ほど防がれたとは言え、数騎は危機に追い込んだ。
だが、違った。
先ほどとは違った。
先ほどは荒野だったが、今は教会地下の大広間にいる。
それは、小さなようで決定的な違いだった。
「糸線結界!」
数騎の魔剣が起動した。
部屋中に展開される糸の結界。
それは、部屋に存在する柱を支点に、蜘蛛の巣のように部屋の中に張り巡らされる。
数騎は空中にいながら、その糸を蹴り飛ばした。
たゆみなく張られた糸は、数騎にとって急造の足場と化す。
さらに、この糸には弾力があった。
まるでトランポリンの上にいるかのごとく、数騎はその跳躍力を増される。
柱と柱の間に存在する糸をいくつも経由し、数騎は空中を飛び回った。
クロウ・カードの放った術式は、あっけなく数騎に回避される。
糸で出来た足場を跳躍し続け、数騎は瞬く間にクロウ・カードとの距離をつめていく。
しかし、この空中跳躍には弱点がある。
あくまで、糸があって始めてできる芸当。
だからこそ、クロウ・カードは長剣の切っ先を数騎が足場にしようとし、着地しようとしていた糸に向かって術式を展開する。
「星(スター)!」
しかし、クロウ・カードが術式を展開しようとした直前だった。
クロウ・カードに気付かれないうちに、柴崎は術式を解放していた。
「我は信じる、アルカナ、力失うは絶対の法なり!」
法が制定された。
クロウ・カードの展開した術式が不発に終わる。
そこへさらに、
「Azoth(アゾト)!」
柴崎の追撃が繰り出された。
「甘い!」
クロウ・カードは長剣を振るい、射出されたアゾトの刃をことごとく迎撃する。
その背後。
空中を跳躍し続けていた数騎がクロウ・カードの背後に降り立った。
「お前だよ!」
叫びと共に、数騎はクロウ・カードに背後から切りかかる。
アゾトへの迎撃に集中していたクロウ・カードはとっさに数騎を振り返りながら跳躍し、その一撃を回避するのが精一杯だった。
そして、勝負がついた。
「がっ!」
クロウ・カードの口から血が迸る。
左肩から右のわき腹にかけて、鋭い痛みが走った。
それは数騎の習得した異能者に対しても通用する、隠れる以外の数少ない技巧の一つ。
地に脚がついていないため、回避行動ができない敵に不可避の一撃を叩き込む奥義。
秘剣、燕返し。
その一撃は、クロウ・カードの心臓を切り裂き、わき腹を抜ける一撃となった。
体が引き裂かれんばかりに深く入ったその一撃は、間違いなく致命傷だった。
しかも、それは生命力を消去する紅鉄の刃で行われた。
もはや治癒すらままならない。
血を迸らせながら、クロウ・カードは床に倒れた。
それと同時に柱と柱の間に張り巡らされていた糸が消失する。
数騎が床に膝をついた。
屈みこみ、肩で息をする数騎。
そんな数騎の元に、柴崎が駆け寄った。
「大丈夫か、短刀使い」
「もう違うって……言ってんだろうが」
舌打ち混じりに答える数騎。
立ち上がろうとするが、少しよろけてしまった。
倒れそうになる数騎の右腕を、柴崎が掴んだ。
「ふらついてるじゃないか」
「うるせぇ」
右腕を振り払う数騎。
ふらつきながらも、数騎は柴崎の顔を見上げながら睨みつける。
「オレに構うな、元々オレはお前が好きじゃないんだ」
「私は、そうでもないんだがな」
敵意を向けてくる数騎に、柴崎は微笑を浮かべながら答えた。
と、肩透かしを食らったような顔を数騎はした。
と言っても、狐の仮面を被っているために目しか柴崎には見えなかったが。
「やっぱお前とは相性が悪いわ」
そう言い放つと、数騎は大きく息を吸う。
そして目を見開いた。
数騎は先ほどの俊敏性を取り戻し、部屋の出口へ向かって走り出す。
赤いカーペットが敷かれた方の出口ではない。
恐らく教会地下室のさらに下にある大空洞とか言うところに繋がっているのだろう。
なぜ数騎がそこに向かうかわからなかったが、今から聞いてみたところで声の届かない所まで行ってしまっていることだろう。
柴崎は数騎の後には続かず、床に倒れるクロウ・カードを見下ろす。
「あなたは素晴らしい人間でした、おそらく誰よりも人間と言うものを愛していたのでしょう」
答えはない、当然だ。
それでも、柴崎は続けた。
「でも、あなたは間違っていた」
それで、柴崎の言いたかった事は終わりだった。
柴崎は床に転がる黒銃とカタールを回収すると、そのまま数騎の去っていった出口へ向かって走り出した。
クロウ・カード以外、誰もいなくなったその大広間。
倒れ付すクロウ・カードの側に、人影が突如として現れた。
それは、無限の世界の消滅とともに姿が見えなくなっていたアリスだった。
アリスは悲しそうな顔をしながらクロウ・カードを見下ろした。
傷口を見るだけでそれが死に至るものだとわかった。
信じて直そうとしても無駄だ、すでにクロウ・カードからの輝光の供給はなくなっていた。
魔皇剣は生存しておらず、存在しているのみだ。
だから、輝光を自ら発することが出来ず、使い手の存在なしに術を操ることができない。
それに、もし出来たとしても、この傷を前にしてクロウ・カードが助かると信じることなどできなかった。
アリスは泣きそうになりながらしゃがみこむと、クロウ・カードの頬を優しく手でなぞった。
その時だった。
クロウ・カードの体がわずかに震えた。
生きている。
そうアリスが思ったのと同時に、クロウ・カードが目を開く。
しばらく虚空を見つめた後、ゆっくりと自分の顔に触れるアリスに視線を向けた。
「私は……」
苦しそうに呟く。
もはや声を出すのもつらいのだろう。
「敗れたのだな……」
アリスは小さく頷いてみせる。
それを見て、クロウ・カードはわずかに瞼を動かした。
「そうか……」
視線は再び虚空へ。
アリスはクロウ・カードの命が消え去ろうとしているのを感じていた。
「お父さん」
だから口にした。
「お父さん、死なないで」
せめて、クロウ・カードが死の瞬間まで娘と信じた存在と一緒にいられたと思えるように。
クロウ・カードは再びアリスに視線を向けた。
力を失ったクロウ・カードの手を持ち上げ、抱きしめるように握り締めるアリス。
そんなアリスに対し、クロウ・カードは静かな声で言った。
「もう……いいんだ……」
「え?」
「もう……いい……リベル……レギス……」
その言葉をアリスは、いやリベル・レギスは信じられないような目をしながら聞いた。
絶句するリベル・レギス。
そんなリベル・レギスに、クロウ・カードは続けた。
「今まで……苦労をかけた……すまない……」
それを耳にして初めて、リベル・レギスは理解した。
そうなのだ、クロウ・カードはわかっていた。
はじめから信じてなどいなかったのだ。
信じられるはずもない。
クロウ・カードは愛するアリスを二人も失った。
その痛みに耐え切れなかったクロウ・カードは、法の書の力を使ってリベル・レギスがアリスだと信じようとした。
クロウ・カードが願った逃避。
しかし、アリスが死に二度と戻らないことくらいクロウ・カードが一番よく理解していた。
だからこそ、信じられなかった。
それに対し、リベル・レギスはクロウ・カードが信じ込んだと考えた。
だからアリスとして演技を続けた。
その演技を、演技と知りながらクロウ・カードは付き合った。
リベル・レギスはクロウ・カードを騙すつもりで、今の今まで騙され続けていたのだ。
「お前と……共にいた時間は……楽しかった……」
「待って! まだ死なないで!」
ここに至り、リベル・レギスは涙を流した。
丸っこい顔を涙が伝う。
「信じて! 最後にあなたの大切な人に会わせてあげるから、だからこれから私が言う事を信じて!」
「いいんだ……私は、もう……」
首を横に振るクロウ・カード。
そんなクロウ・カードを前にして、リベル・レギスは唇を引き結び、ぽろぽろと大粒の涙を流す。
「桂原の言ったとおりだ……柴崎が正しかった……私は間違っていたのだろうな……」
「そんなこと……」
「ある……それくらいはわかる……ただ……」
それでも、アリスの願いを叶えてやりたかった。
口にはせず、クロウ・カードはリベル・レギスの顔を直視する。
「私のために……アリスになってくれて……ありがとう……これからは……自分自身として……」
「いいの、私はアリスでいいから! 私はお父さんのアリスだから!」
「もう……十分だ……ありがとう……」
消え入るような声。
命の火が今にも消え去ろうとしている。
「柴崎を……恨まないでくれ……あれは正しい事をした……もし、お前さえよければ……あいつと契約するといい……どうか守ってやってくれ……あれは出来は悪いが……私の可愛い息子なのだ……」
「わかった、わかったから死なないで」
「私の三人目の娘……リベル・レギスよ……最後に……願いがある……」
「何? アリスに会いたい? 叶えてあげるから、会えるって信じて、そうすれば私の力で……」
涙を流しながら口にするリベル・レギスに、クロウ・カードは首を横に振ってみせる。
「笑っては……くれないか……」
声がかすれる。
恐らく、次の言葉が最後になるだろう。
「最後に……見せてくれ……」
無理な注文だった。
こんな気持ちで笑えるわけもない。
涙だって止まらない。
無理だ。
それでも、リベル・レギスは笑って見せた。
涙を流しながら、精一杯の笑顔を作って見せた。
それを見つめ、クロウ・カードは願った。
最後にもう一言伝えたいと。
今まで、こんなダメな男と一緒にいてくれてありがとうと。
お前と一緒にいた時間は私にとってかけがえのないものであったと。
だが、そんな都合のいい願いは叶うわけもなく。
せめて、その気持ちが伝わるよう信じて。
クロウ・カードは優しくアリスに微笑んで見せた。
それで終わりだった。
優しい笑みを浮かべたまま、クロウ・カードは生命の活動を終えた。
「お父さん?」
答えない。
クロウ・カードは答えない。
「ねぇ……おとう……さん……」
涙で途切れがちになる声。
しかし、それはクロウ・カードには届かなかった。
それを知るや、リベル・レギスは大声で泣き始めた。
大切な人を失った悲しみに。
遥かなる時を越えてめぐり合った契約者との別れに。
リベル・レギスは心の底からの悲しみを洗い流すべく、泣いた。
でも、救いだけはあった。
それはクロウ・カード最後の願い。
最後の最後でクロウ・カードは信じた。
自分の想いが、笑顔を見たリベル・レギスに伝わるように。
そして、世界の力がそれを伝えた。
散りゆくクロウ・カードの命が最後の最後で世界の力を発現させたのだ。
心に響いた優しく、温かい声。
それを受け取り、リベル・レギスはさらに泣いた。
二度と戻らない人のことを悼み。
そして、せめて死した彼が何よりも大切にしていた二人の娘と空の彼方で会えるように。
そう祈りながら、リベル・レギスは泣き続ける。
こうして、後に魔術師クロウ・カードの乱と呼ばれる大事件を引き起こしたクロウ・カードは死んだ。
残る人間はわずかに三人。
まだ、戦いは終わらない。
魔術結社 残り一人
ヴラド一派 全滅
アルス・マグナ 全滅 (クロウ・カード、絶命)
第四勢力 残り二人
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