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第二羽 イレギュラー


 カラスの鳴き声を聞きながら、数騎は顔を洗っていた。。
 時刻は朝の七時半、数騎にしては異常なほど早い起床時間だった。
 顔を洗うと同時に外着に着替え、ワックスで髪型を整える。
 うん、完璧。
 そんな時だった。
「入るわよー」
 アーデルハイトの声が聞こえるのと、アパートの部屋の扉が開かれる音が聞こえるのはほとんど同時だった。
 数騎は最後にもう一度だけ鏡で髪の仕上がり具合を確かめると、洗面所から出た。
「あら、起きてたの?」
 玄関で靴を脱ぎながらアーデルハイトが数騎を見て驚いてみせる。
 当然だ。
 いつもなら数騎は未だにベッドの中で蠢いてる時間なのだ。
 数騎はあくびをかみ殺しながらアーデルハイトを見た。
「うん、ちょっと今日は早く起きた」
「珍しいじゃない、何があったの?」
「寝相が悪かったんだ」
「寝相が?」
 首を傾げるアーデルハイト。
 そんなアーデルハイトの前で、数騎は大あくびをした。
「寝てるうちに布団をベッドの外に蹴り飛ばしててさ、寒くて起きた」
「なるほど、目覚まし時計で起きれなくても寒ければ起きるわけか。関心関心」
 嬉しそうに微笑むアーデルハイト。
 そんなアーデルハイトに、数騎は目をこすりながら聞いた。
「それで、朝ごはんは?」
「出来てるわよ、今日はフレンチトーストを作ったの」
「おぉ、それは朝から豪勢な」
「じゃあ、早速下に行きましょ」
 再び靴を履こうとするアーデルハイト。
 そんなアーデルハイトを数騎は手で制した。
「ちょっと待って、先にトイレ入ってくる」
「もう入ったんじゃないの、起きた時に?」
「いや、入ったけど寒いからまた行きたくなった」
「そう? じゃあ、行ってらっしゃい」
「うん」
 まだ覚醒しきってないのか、数騎はふらふらとした足取りでトイレに向かって歩く。
 そんな数騎の後姿を見ながら、アーデルハイトは思わず苦笑した。
 数騎が出てくるまで待つことにしたアーデルハイトは、腕を組みながら部屋を見回した。
 毎日、数騎を起すために訪れる部屋。
 一人暮らしの学生の家と言われれば誰もが納得するくらいに、部屋はあらゆるもので散乱していた。
 読み散らかした雑誌、食べかけのジャンクフード、脱ぎ散らかした服にゴミの日に出し忘れたゴミ袋が三つほど。
 今日、数騎はいない間にでも掃除してあげようかな。
 優しくため息をつきながらアーデルハイトはそんな事を考えた。
 と、その時だった。
 アーデルハイトがそれに気がついたのは。
 部屋の奥。
 入り口から一番離れた部屋の隅にあるその扉。
 鍵のついたその扉の前は様々な障害物によって進路をふさがれていた。
 さらにその扉の前は大きなカーテンで隠されており、ぱっと見、襖のない押入れの中をカーテンで隠しているようにも見えた。
 毎日この部屋を訪れるアーデルハイトがそのカーテンの後ろに、今初めて扉があることに気付いたのは、カーテンがめくれて扉の取っ手が見えているからだ。
「扉?」
 気になって、アーデルハイトは部屋の奥に進んでいった。
 ゴミやら家具やらをかきわけ、不安定な体勢で扉の前に進んでいく。
 そして、アーデルハイトはカーテンの前に立った。
 カーテンをめくる。
 その後ろには、間違いなく扉が存在した。
 その白い扉、銀色の取っ手がついたその扉。
 しかし、その扉は開きそうにはなかった。
「何これ?」
 思わず口にする。
 だってそうだ。
 鍵がかかってるなら理解できる。
 だが、わざわざ自分の家の中にある扉を鎖でふさいで南京錠をかけるような行為をアーデルハイトは理解できなかったからだ。
「鍵、ないのかな?」
 扉の向こうが妙に気になった。
 一応扉を開けようと試すが予想通り開かない。
 アーデルハイトは扉の取っ手に手をかけながら、部屋を見回して鍵を探した。
 その時だった、水の流れる音が聞こえ数騎がトイレから出てきた。
「アーさん、お待たせ〜」
 すっきりした顔で出てきた数騎は、アーデルハイトが扉の前できょろきょろしているのを見つけた。
「アーさん、何やってるの?」
「え、えっと」
 困ったように目をそらすアーデルハイト。
 と、数騎はアーデルハイトの後ろの扉に気付いた。
 納得したようにクスリと笑う。
「あ、アーさん。その扉に気付いたんだ」
「え、えぇ。カーテンの後ろに扉の一部が見えたから気になって」
「あ〜、たぶん風でカーテンがめくれたんだな。また隠しておいてくれない」
「う、うん」
 アーデルハイトはカーテンを閉め、再び扉が外から見えないようにした。
「あの、数騎くん。質問なんだけど」
「何?」
「この部屋、何なの? なんで鎖とか南京錠とかで入れないようにしてるの?」
「ん、入れないようにしてる? あぁ、違うよ」
 困っているアーデルハイトの顔を見て、数騎は笑顔を浮かべた。
「その扉ね、オレがこの部屋に来た時からそうだったんだよ」
「え?」
 驚いて後ろを見る。
 もっとも、すでにカーテンを戻しているので扉は見えない。
 そんなアーデルハイトに、数騎は続けた。
「前の持ち主が変人だったのかな、なんか鍵を何十にもつけてて南京錠もついてるから扉が開かないんだよ。開かずの間ってオレは呼んでるんだ、その部屋のこと」
「開かずの間?」
「そう、開かないんだ扉が。中に入れやしない。窓もないから中も見れないし。扉を壊す気はないし、まさか壁に穴を開けて中に入るわけにもいかない。仕方ないからカーテンで隠してるんだ。入れないのに扉が見えてて、しかもそれが鎖で閉ざされて南京錠がついてるんじゃ見てて気分が重くなるからね」
「そうだったんだ」
「アーさんは何かおばあちゃんから聞いてないの? その部屋の鍵について」
「知らないわ。だって私、こんなところに部屋があるなんて初めて知ったもん」
「じゃあ今度おばあちゃんのとこ行って聞くしかないな。いい加減、部屋が手狭でさ。物置代わりにその部屋を使いたいと思ってたんだよ」
「そうなの? じゃあ、今度病院に聞きに行って見るわ」
「そうしてくれ、頼んだぜ」
 そう言うと、数騎はアーデルハイトの横を通り過ぎて部屋から出て行ってしまった。
 数騎がアーデルハイトの部屋に行くために、階段を降りる音が聞こえてくる。
 アーデルハイトも数騎に続いて自分の部屋に戻るために玄関に向かって歩く。
 途中、アーデルハイトは一度だけ振り返った。
 部屋の隅に存在する、扉を隠したカーテン。
 そのカーテンは、開きっぱなしの玄関から入ってくる風で、ほんのわずかにではあるが、まるで波のように柔らかく揺れ続けていた。







「ぬぬぅ」
 困っていた。
 とりあえず困っていた。
 温かそうなパーカーに身を包んだ少年は、とにかく困り果てていた。
 そこはボロい安アパート。
 築三十年をとうに超えているため、ところどころに崩壊の兆しを見せるそのデパートは、お世辞にも快適な環境とは言い難かった。
 電気、ガス、水道は一応通ってはいるものの、薄い壁のせいで隣の部屋からの音はいくらでも聞こえてくるし、床も歩くたびに軋んでうるさいたらありゃしない。
 一番困るのはトイレだ。
 部屋に備え付けてなく、共用のものが一つあるだけのなのだが、これがひどい。
 なにせ、ろくに掃除をしないものだから汚いのだ。
 正直、公衆便所の方がまだマシだとロンギヌスは思っていた。
 ちなみに風呂はない、言うまでもないが。
 家賃が月二万でなければ、決して住みたいと思うアパートではないだろう。
 そんなワンルームアパートの一室でロンギヌスは胡坐を組んで畳の上に座り、両腕を組んで気難しい顔をしながら、目の前ですやすやと眠る少女を見つめていた。
 部屋には暖房もヒーターもないため、幾重にも重ねた重苦しい布団の中に入り、少女はぐっすりと眠っている。
 ロンギヌスの前で眠っているのはスワナンだ。
 昨日の夜、というか今日の朝。
 ロンギヌスに助けられたスワナンは、静かに話が出来る場所が欲しいとロンギヌスに言われ自分の家に連れてきた。
 まではよかったのだが、仕事のし過ぎで疲れきっていた上に酒まで入っていたスワナンは、家に帰り着くなり倒れるように眠ってしまったのだ。
 ロンギヌスは仕方なく、敷きっぱなしの布団の中にスワナンを運び、風をひかないようにしてあげた。
 何せ、男を魅了するために露出の多い服を着ているから寒くないわけがないからだ。
 しかしスワナンに寝られたことで、はやることがなくなってしまった。
 かと言ってスワナンを起すわけにもいかないロンギヌスは、あれから八時間近くスワナンの横でじっと座って待機していた。
 正直ヒマだった。
 何か読む本でもないかと思って部屋を見回すが、タイ語で書かれた日本語学習本しか部屋には置いていない。
 部屋の中には仕事用の派手な服と日常を過ごすのに最低限の品しか置いていなかった。
 唯一、娯楽のための存在するのはテレビだ。
 おそらく楽しみはこれだけなのだろう。
 テレビにはメモ用紙がセロハンテープで貼り付けられており、そこにはテレビ番組の名前と時間が書かれている。
 ロンギヌスは一瞬、テレビでもつけようかと思ったがやめた。
 スワナンを起すのは気の毒だと思ったからだ。
 結局、スワナンが目を覚ましたのは午前十一時になってからだった。
 ぱちりと目を覚ますと、目をこすりながら体を起し、ぼーっとした目でロンギヌスを直視した後。
「オハヨゴザマス」
 ちょっとアクセントのずれた日本語でロンギヌスに挨拶した。
「おはよう、スワナン」
 答えるロンギヌス。
 と、タイ語で答えられ、しかも名前まで呼ばれたスワナンはその瞬間に覚醒した。
「あ、あなたは!」
「やぁ、昨日はどうも」
 言われたスワナンは、ロンギヌスに助けられた後に起こったことを全て思い出した。
「ご、ごめんなさい! 私、疲れちゃってたから……」
「いやいや、気にしてはいないよ。何しろ無理を言ったのはこちらの方だ」
 スワナンより身長が小さいと言うのに、まるでスワナンよりも大人びて言葉を口にするロンギヌス。
 と、スワナンが体を震わせた。
 暖房もない部屋で布団から出て、しかも着ているのがボディコンスーツだったから寒かったのだ。
「ふむ、どうやら君は着替えをした方がいいようだ。何、着替えが終わるまで私は部屋を出ていよう」
 そう口にすると、ロンギヌスは立ち上がりさっさと部屋から出て行ってしまった。
 それを目にした後、スワナンは体を震わせながら立ち上がった。
 すぐに着替えを終えると、部屋の外で待つロンギヌスに声をかける。
 ロンギヌスを再び部屋に招くと、スワナンは唯一の暖房器具であるコタツの電源をつけ、ロンギヌスに入るように進めた。
 ロンギヌスはコタツに入りながらスワナンを見た。
 温かそうな黄色のセーターの上に青い半纏(はんてん)を羽織っている。
 暖房がなく、コタツだけなので少しでも温かくしようという知恵なのだろう。
「さて、それでは早速話すとしようか」
「はい」
 頷くスワナン。
 ロンギヌスは一呼吸置いた後、説明を始めた。
「まず、信じられないかも知れないが。この世界には普通の人間が知らない裏の世界というものがある」
「裏の世界?」
「そう、裏の世界だ」
「それって、ギャングとかヤクザみたいな人のこと?」
「いや、違う。そうだな、例えば」
 言って、ロンギヌスは右手を宙に掲げて広げる。
 と、次の瞬間、その手の平に一本の槍が出現した。
 それは全体が金属で出来た槍だった。
 ブルーメタリックに輝く柄、最下端の石突と呼ばれる部分は金で覆われている。
 しかし、一番驚くべきなのはその槍の穂先だ。
 鉄で作られているなら銀色であるはずの槍の穂先は、なんと青い金属で作られていた。
 いたるところに金の彫り物が描かれているために青と金が交じり合った幻想的な姿を形作っている。
 突然ロンギヌスの手のひらに出現した槍を見て、スワナンは目をパチクリさせた。
「何ですか、それ? 手品?」
「いや、魔術……とでも言った方が分かりやすいかな?」
「呪術師さん何ですか? ウチの地元にもいましたよ」
「まぁ、それが上等なものになったとでも思ってくれればいい」
 呪術師扱いされてロンギヌスはわずかに苦笑する。
 そして、槍を宙に放ると、その槍を一瞬にして消し去ってしまった。
 空中で消えた槍の姿を探しながら、スワナン部屋中を見回す。
「消えた?」
「そう、消したんだ。これが私の持つ能力の一部とでも言ったところかな」
「能力、ですか?」
「そうだ、まず私という存在の説明をしよう」
 咳払いをして、ロンギヌスはスワナンに説明を始めた。
 もはや信じられていない魔術という存在が現実に今も裏の世界で生き続けているということ。
 常人の持ち得ない力を持つ異能者という者がおり、その中では魔剣と言われる強力な武装があるということ。
 そして、自分がその魔剣の中でも最上級の退魔皇剣の精霊であるということ。
 ロンギヌスは、何も知らない一般人にもわかるように、非常に丁寧にスワナンに教えた。
 スワナンはロンギヌスの話を笑い飛ばそうとしたが、そうもいかなかった。
 何せ、槍を出したり消したりするのを見せられたのだ。
 信心深いスワナンとしては、最上級の武器だとかはともかく、ロンギヌスが特別な力を持っているということだけは信じることにした。
「でも、ロンギヌスさん」
「何だい?」
「ロンギヌスさんが不思議な力を持っているのは見せてもらってわかったんですけど、精霊ってどういうことですか? だって、ロンギヌスさんは今この場にいるじゃないですか。精霊さんって見えないものだって私は教わりましたけど」
「あぁ、確かに精霊は人の目には見えない。だが、それは力の弱いものだけなんだ。私のように大きな力を持つものとなれば話は別だ」
「そうなんですか」
「そうだとも」
 頷いてみせるロンギヌス。
 感心した顔でこちらを見つめてくるスワナンに、ロンギヌスはさらに続けた。
「ところで、君は何か叶えたい願い事はないかな?」
「願い事?」
「そう、不老不死とか死んだ人間を生き返らせたいとか」
「あるよ、願い事」
「どんな?」
「お金持ちの御曹司と結婚して家族みんなで暮らすの」
「玉の輿に乗りたいと?」
「うん」
 笑顔で頷くスワナン。
 ロンギヌスはちょっと困りながら聞いた。
「世界で一番偉くなるとか、世界で一番強くなるとか、この世界で自分に逆らうものを全て根絶やしにしたいとか、死んだ人間を生き返らせたいとか、不老不死になりたいとか。そういうことに興味はないのかい?」
「ないよ、お金持ちになって幸せになりたいの」
 そう答えるスワナンの言葉に、ロンギヌスは開いた口がふさがらない想いだった。
 ロンギヌスは退魔皇剣の精霊だ。
 誰かと契約しなければこれから起こるであろう退魔皇剣同士の戦いに参加するためにパートナーを探す必要があった。
 スワナンに目をつけたのはスワナンが魔道師として非常に素質のある女性だったからだ。
 町で偶然存在を発見した時は狂喜した、すぐに跡をつけ、たまたまスワナンに襲い掛かってきた不良どもを蹴散らして彼女と接触を持つことに成功した。
 あとは餌で釣ってスワナンと契約ともつれ込むつもりだったが、ロンギヌスは非常に困った。
 願い事が低俗すぎるのだ。
 八岐大蛇復活の儀式において、勝者となった退魔皇剣の精霊は自我の保持を、そしてそしてその契約者は全ての退魔皇剣の能力を意のままに操るという世界創造者に比肩するだけの力を得る。
 しかし、スワナンの願い事ははあまりにも格が低すぎた。
 正直、退魔皇剣と契約を交すまでも無くできるかも知れない事なのだ。
 他をあたるか?
 ロンギヌスは一瞬そう考えたが、すぐ考えを否定した。
 すでに自分以外の七振りの退魔皇剣は契約者を見つけ、皇技さえ使用可能な状況を作り上げている。
 もし、このまま誰とも契約しないうちに他の退魔皇剣と遭遇したら、自分は間違いなく撃退され、自意識を一生失うことになる。
 まともに戦っての敗北ならともかく、そんなことは許されなかった。
 ロンギヌスは意を決した。
「スワナン、君に相談がある」
「うん、どうしたの?」
「私と契約して欲しい」
「何の契約?」
「私という退魔皇剣の主となってもらいたい」
「そうすると、私にどんな得があってどんな損があるの?」
 契約というのはそういうものだろう。
 スワナンは当たり前すぎることをロンギヌスに尋ねた。
 ロンギヌスは最もな質問だと、小さく頷いて見せた。
「まず私の利益から。さっき説明した通り、私は契約者無しでは本来の力を出せずに敵に殺されてしまうだろう」
「殺されちゃうの?」
「そう、殺されるようなものだ。これが第一の理由かな。第二の理由は第一の理由の延長だが、私は今から私の仲間七人と殺しあいをしなくてはならない」
「どうして?」
「同じ理由だ、死にたくないからさ。他の七人全員を殺さなくては死ぬ、と言った方がわかりやすくていいかな」
「何で……何でそんな事になっちゃったの?」
「理由は簡単だ、元々私達八人は一つの魔剣だった。でも、それが分かれてしまったんだ。元に戻らないと死んでしまう。でも、戻っても自分の意志を持ち続けることができるのは一人だけだ。後は永遠にさめない眠りにつき、その一人の一部として生き続ける。これじゃ死ぬのと大差はないだろう?」
「うん、わかる気がする」
 悲しそうにスワナンは視線を下げた。
 そんなスワナンにロンギヌスは続ける。
「私は自分の意志を失いたくはない。私は私であり続けたい。だから、私は他の退魔皇剣と戦いたいんだ。しかし、一人では戦えない、契約者がいなくては他の連中と拮抗することすら困難だ。だから、君と契約したい」
「でも、戦うって言っても。私、戦うなんてできないよ」
 困った顔をするスワナン。
 ロンギヌスはさらに続けた。
「確かに戦うとなれば死ぬかもしれないというリスクは伴う。だが、それに見合ったメリットがあるんだ。退魔皇剣の力は世界を創るだけの力がある。全ての退魔皇剣を吸収した私と契約していれば君の望みは全て叶うんだ」
「お金持ちの一人息子と結婚できるの?」
「できる」
「家族と一緒に幸せに暮らせるの?」
「暮らせる」
 断言するロンギヌスに、スワナンは考え、でも首を横に振った。
「ダメ、やっぱり私はできない。怖くて戦えない……」
 ロンギヌスはその返答を当然のように受け入れた。
 正直、聞くまでもなかったと後悔している。
 見るからに争いに向かないかわいい女の子なのだ。
 いくら願いが叶うとは言え、命がけの戦いに参加してくれるわけがない。
 だが、ロンギヌスはとてつもなく困っていた。
 この少女を諦めて、他の契約者を探すなど考えられない。
 何の力も持っていない人間では、戦うどころかロンギヌスの力を維持することさえ難しい。
 探す時間もないし、探すだけでもリスクは跳ね上がる。
 ならばどうするか。
 ロンギヌスは、最後の秘策を口にした。
「一つ、いい方法がある」
「?」
 スワナンは首を傾げてみせた。
 口にしたくないことを口にするというのが傍目から見てもわかるほど困りきった顔をしたロンギヌスは、搾り出すようにして言った。
「私が君にしてもらいたかったのは『仮面の契約』と呼ばれる供に戦う者のための契約だ。でも、君が戦えないというなら仕方がない。そこで提案なんだが、私と通常契約をしてもらえないか?」
「通常契約?」
「戦う契約ではなく、私に力を与えるだけの契約だ。君に危険は何一つない。その上、もし私が他の退魔皇剣を単独で全て撃破したら君はどんな願いでも叶える力を手に入れる」
「私のデメリットは?」
「全くない、存在しない。君は戦いに関しては完全に無関係になる。まぁ、私がパートナーなしで戦うというデメリットはあるが君には関係ない」
「でも、仲間がいないと負けちゃうんじゃ」
「仕方ない、座して死ぬより戦って死にたい。どうせ戦わないと一週間で死ぬ事になるんだ」
「………………」
 悲しそうに言うロンギヌスを、スワナンは罪悪感を覚えながら黙って見つめていた。
 このかわいい少年を助けてあげたかった。
 だが、とてもではないがスワナンは少年のために戦う決意などできない。
 それでも、この少年の手助けがほんの少しでもできるなら。
 自分を暴漢から身をていして守ってくれたこの少年を助けることができるなら。
 人がよく、親切なスワナンは、心に生じた義務感から言葉を紡いだ。
「わかったわ、その契約ならしてもいい」
「本当か?」
 嬉しそうに顔を輝かせるロンギヌス。
 スワナンはそんなロンギヌスに頷いて見せた。
 自分の身に危険はない。
 ロンギヌスは確かにそう言った。
 だから、スワナンはその言葉を信じることにした。
 嬉しそうに笑顔を浮かべながら、ロンギヌスは右手をスワナンに差し出した。
 一瞬、スワナンはわけがわからなかったが、それが握手を求めていると気付くと、スワナンはすぐに自分も右手を差し出した。
 堅く握り締められる二人の手。
 こうして、八振り存在する退魔皇剣全てが契約を交し終えた。
 後は、その衝突を待つばかりであった。







「須藤、ゲーセン行こうぜ!」
 校門を出るなり、隣を歩く北村から言われた言葉がそれだった。
 授業が終わり、寮へ向かって歩く数騎の元に駆け寄るなり、北村が遊びに誘ったのである。
 歩道を歩きながら、数騎はいやそうな顔をした。
「何しに行くんだ?」
「決まってんだろ、ゲームしに行くんだよ」
「ゲーム、オレがか?」
 迷惑そうな顔をする数騎。
 数騎はゲームが苦手だった。
 デジタル、アナログを問わず、どうも遊戯全般において数騎は才能がない。
 北村や村上に何度か誘われてゲームセンターに行くこともあったが、数騎は大抵後ろで見ているだけだ。
 自分が下手でやってもおもしろくないというのも理由の一つだが、本当の理由は見ているのが楽しいからだ。
 上手な人間がプレイしているゲームを後ろから見ていると、まるで自分がやっているように錯覚してなかなか楽しいのだ。
 と、言ってもわざわざ行きたくなるほどに楽しいわけではないので、数騎は基本的にゲームセンターは好きではなかった。
 しかし、そんな数騎に北村は続ける。
「頼むよ、一緒に行こうぜ。今日は一人で寂しいんだよ」
「村上と行けよ、あいつなら好きだろ?」
「いや、それがよ」
 周囲に気を使いながら、北村は数騎の耳元に口を近づける。
「あいつ、ジョッカノが出来たらしい」
「マジか!」
 驚いて数騎が大声をあげた。
「村上に彼女? 何があったんだ一体!」
「大声だすなよ、未確認情報なんだから!」
 慌てて周囲を確認する北村。
 幸いなことに近くに人はいなかった。
「いや、それがな。今日の昼休みにクラスメートに聞いたんだが、どうやら逆ナンされたらしい」
「へぇ、あいつがねぇ」
 感心したような声を出す数騎。
 正直信じられなかった。
 あの村上に彼女?
 あまりに出来の悪い冗談だった。
 だが、北村は真剣そのものの表情で続ける。
「相当かわいいらしいぞ、クラスメートの証言を信じるならな。クソ忌々しい、せっかくオレたち三人は揃って生存日数イコール彼女いない暦グループだったのによ。裏切りやがって……」
「まぁ、友の門出を祝ってやろうじゃないか。男の嫉妬は見苦しいぜ」
「わかってるけどよぉ」
 唇を尖らせ、北村は言った。
「うらやましすぎるぜぇ、オレも彼女が欲っすぃ〜」
「ま、その内できるよ」
「本当にそう思うか?」
「まぁ、いつかは?」
 疑問を含みながら答える数騎。
 そんな数騎を、北村は眉間に皺を寄せて睨む。
 数騎は思わず苦笑した。
「わかったよ、わかった。じゃあ、裏切り者の村上の代わりにオレが一緒に遊んでやるよ。それで満足か?」
「それなら許してやるよ」
 機嫌をよくし、北村が口元に笑みを浮かべて見せる。
「じゃあ、今日はあれをやろう。戦国史大戦」
「何だそれ?」
「日本の戦国時代を暴れまわった武将を操作する戦記活劇格闘ゲームだよ」
「あぁ、そんなのも出てるのか……」
 数騎は昔プレイしたことのあるゲームを思い出した。
 確か、春秋戦国史大戦とかいう中国の武将で戦うゲームがあったけど、それの続編だろうか。
 聞いてみると、北村はその通りだと頷いた。
「紀元前の中国から近世間近の日本に舞台は移った、これは燃えないわけがない! ゲーセンじゃいつもプレイ待ちの人間がいるから台が空いてたら奇跡って言われてるほど人気があるんだぜ」
「それはすごいな」
「だろ? 早速見せてやるよ、オレの実力をな。オレの織田信長の繰り出す、弱・弱・弱・中・中・強からつなげる長篠三段撃ちを止められるプレイヤーはこの近辺じゃそういないぜ。なんたって強ボタンを押して十八フレーム以内にコマンド入力するわけだからな。強で浮いた後、空中で受身を取るには十八フレーム以内に……」
 正直ここから先は何を言っているのか分からないので覚えていない。
 とりあえずこんな感じで数騎は、自分の操る織田信長の強さを誇る北村とゲームセンターへ向かっていった。
 途中、数騎は北村から教えられた事実について考えていた。
 村上に出来た彼女。
 どんな顔をしているか気になって、一度でいいから会ってみたい気がした。
 まぁ、それだけのことではあったが。
 そんなこんなで数騎と北村はゲームセンターへ行き、かれこれ四時間近く大奮戦を繰り広げた。
 数騎がゲームセンターを出た時、すでに日は落ち夜の時間が訪れていた。







「あぁ、遅くなっちまったな」
 ゲームセンターで戦国史大戦なるゲームに熱中する北村を置いて、数騎は帰路についていた。
 本当は最後まで北村に付き合おうと思っていたが、とてもではないが待つ気になれなかったのだ。
 一番人気であった戦国史大戦は、なんとその日、北村が何連勝できるかというゲームに変わってしまった。
 驚異的な実力を持つ北村は次から次へと挑戦者を倒し続け、数騎がゲームセンターを出た頃には確か六十人抜きしたところだった。
 最初の二時間くらいはだべりながらいろいろなゲームをやり、缶ジュースを飲んで喫茶店代わりにしていた数騎だったが、北村がもう一度プレイするといって戦国史大戦のゲーム台に向かった後、北村の連勝が始まってしまったわけだ。
 負けるまで待つという約束だったが、二時間たっても敗北しない北村を見て、数騎は北村を見捨てることに決めた。
 そんなわけで、数騎は繁華街を歩いていた。
 ゲームセンターは駅の近くにあり、駅の近くには繁華街。
 そこを通って人通りのない川の隣にある道を歩き、そのまま進めば学寮だ。
 数騎は脇にあるラーメン屋から漂ってくる匂いをかぎ、自分が空腹であることに気がついた。
「腹減ったな……」
 肩を落として歩く数騎。
 今日のアーデルハイトさんは晩飯に何を作っているだろうか。
 カレーとか食べたいかな。
 そんなことを考えながら歩いているうちに、数騎は川辺に辿り着いた。
 川の水が増水した時のために堤防のように川の両脇は小さな丘のように盛り上がっており、その上にはアスファルトの道路があった。
 数騎はその道を歩きながら川原を見下ろす。
 雑草が生えた川原。
 そこは、休日になると釣りをしに来る人が集まる場所だった。
 近くには川を横断するための橋があり、交通の妨げとなる川に対処している。
 数騎は川原に黒い車が止まっているのを見つけた。
 夜であるため、もう少しで見逃してしまうところだったが、数騎は確かに見た。
 それは何の変哲もない普通車だった。
 ただ黒いだけの普通車、別に壊れているわけでもなんでもない。
 それでもそれが目に入ったのには理由があった。
「光った?」
 そう、光ったように見えたのだ。
 黒い車から光が放たれ、それで数騎は車の存在に気がついたのだ。
 誰か乗っているのか?
 気になって数騎は目をこらして車の窓を見たが、誰かが車に乗っているようには見えない。
 普段なら決して気にしなかっただろうが、その時の数騎は妙に車が何故光ったのかが気になった。
 なにしろ光の色が特殊だったからだ。
 普通なら黄色いはずの自動車の光が、なぜか赤紫色の光だったからだ。
 すべるようにして斜面を降り、数騎はその黒い自動車に近づいていった。
 そして、数騎は見た。







 夜、橋の上。
 車道の上でその男達がお互いの姿を目撃した。
「ほぉ……」
「へぇ……」
 車道の右側から歩いてきた二人の男が順番に声をあげた。
 一人はスーツを着込んだ中年の整った顔をした男。
 そして、もう一人はセーターに白いズボンをはく四十代前後の男だった。
「イザナギ、この人たちはもしかして?」
 横を歩く男に、スーツの男は尋ねる。
 セーターを着た男、イザナギは頷いて答えた。
「あぁ、間違いなく退魔皇だ」
 断固とした声で、イザナギは自身の契約者である陣内にそう告げる。
 イザナギと陣内、その二人の目の前にはやはり二人の男がいた。
 距離は五メートルほど離れている。
 二人の前に立ちふさがっていたのはニット帽をかぶった二十代後半で身長の低い男と、茶色のスーツを着込んだ百九十の身長を超える巨体を持った男だった。
「斉藤、お客さんだ」
「あぁん?」
 通る車を見つめていたニット帽の男、斉藤が不機嫌そうに巨体の男を睨みつける。
「オレに客だとぉ?」
 斉藤は唾を吐きながら巨体の男、スルトの見る方向に目をやる。
 そこにはスーツとセーターを着た中年二人組み。
 それを見て、斉藤は高らかに舌打ちをした。
「あれが退魔皇?」
「あぁ、開闢(かいびゃく)の退魔皇だ」
 頷いて答えるスルト。
 そんなスルトに、斉藤は深くため息をついてみせる。
「で、あれを今から殺すと?」
「そう、それが私達の契約だろう?」
「あぁ、違いねぇ」
 タバコの吸いすぎで汚れてしまった黄色い歯を見せ付けるように斉藤が笑みを浮かべた。
 それを見て、イザナギが叫ぶ。
「陣内、異層空間を!」
「わかった!」
 イザナギの言葉に呼応するように、陣内は指を鳴らした。
 瞬間、周囲五キロに及ぶ広範囲で異層空間が展開された。
 それと同時にイザナギと陣内が橋から川に飛び降りた。
 そのまま重力に任せ落ちていく二人は川の中に落下する。
 しかし、水の音は一切聞こえなかった。
 静寂。
 聞こえるのは橋の上を走る車の音のみ。
 二人は何の音も無く、川の中に消えた。
「消えた?」
 二人の落下した川を見つめる斉藤。
 そんな斉藤に、スルトが言った。
「違う、鏡の中に入ったのだ」
「鏡内界ってやつか」
 舌打ちする斉藤。
 スルトはそんな斉藤は尻目に、歩道の側にあるガードレールに近づいた。
「そんな事より私達も後を追うぞ。見ろ、このガードレールは私達の姿を反射している」
「じゃあ入るぞ」
「了解だ」
 そう答え、スルトはガードレールに手を当てて念じる。
 その前に斉藤の肩に手を乗せるのを忘れない。
 そして次の瞬間、スルトと斉藤の姿が消えた。
 もし、側に誰かいれば二人の姿が消えたことに驚きを隠せなかっただろう。
 が、当の二人はそうではなかった。
 二人は間違いなく橋の上にいた。
 しかし、そこは先ほどの場所とは同じであり、違う場所だった。
 まず、全てが鏡のように裏返しに反転していた。
 一見、同じ風景に見えるが、道路にある標識が鏡文字になってしまっている。
 違いは他にもあった。
 道路を走る車が全てその動きを止めて停止していた。
 それだけではない、車の中には一人のドライバーも存在していない。
 さらに言うならこの世界のどこにも人間の姿はない。
 あるのは橋の上に存在するスルトと斉藤の姿、そして波紋の浮かばない川の上に立つイザナギと陣内だけである。
 そう、これは裏の世界に住む人間の操る異能だった。
 その名は異層空間展開能力。
 文字通り、この世界とは別の層に空間を展開する能力だ。
 異層とはこの世界とはズレた世界を意味し、この場合は鏡に映った世界を指す。
 鏡の裏には普通の人間が辿りつくことのできない世界があり、それは普通でない人間にも行けない世界、四次元である。
 しかし、異層空間展開能力は四次元と三次元の間に三・五次元を作る。
 それは鏡の中の世界でありながら、三次元の生命体が存在する世界だ。
 この世界の中に入るには、本来鏡という物質を通してしか行き来できず、しかもその鏡が自身の肉体よりも大きい必要がある。
 が、異能者ともなればそのような制約はない。
 ただ念じれば自分の姿を映し出すものから鏡内界に入ることが出来る。
 ちなみにこの鏡内界と呼ばれる世界は入った反射物からしか外に出ることができない。
 例外はあるが基本的にはそんなところ。
 車が停止しているのは鏡内界が異層空間が展開されたその瞬間を写真のように固定して作り出されたコピーであるからだ。
 外の世界とのつながりは無く、そこがいくら破壊されても外の世界に影響はない。
 鏡の中に入った斉藤は、スルトから説明されたそのような知識を思い出していた。
「斉藤、合体するぞ」
「あれをやるのか?」
「向こうはもう合体済みだぞ」
 スルトが川の水の上に立つ男を指差す。
 いつの間にか二人いた男の一人が消えていた。
 残っているのは陣内と呼ばれる男で、顔には仮面をかぶり、右手には一・八メートルはある矛を手にしている。
 その身体には先程まで身につけていなかった鎧兜。
 金色のその鎧甲は、月明かりを照り返して鈍く輝いている。
「仕方ねぇな」
 ぼやきながら斉藤がコートの中にしまっていた仮面をかぶる。
「魔装合体!」
 叫んだ。
 それと同時に仮面に織り込まれた術式が斉藤の肉体を駆け巡る。
 側にいたスルトの肉体がすこしずつ透明になり、そして消えた。
 直後、斉藤の肉体から魔力の奔流が迸った。
 赤紫に輝き始める斉藤の肉体。
 その右手には百二十センチほどの長さを持ち、彫刻を柄にはめ込んだ美しい長剣が握られていた。
 全身には赤紫に輝く金属の鎧甲。
 これこそが退魔皇の魔装形態。
 退魔皇剣の精霊と一体化することにより、退魔皇剣のもつ全ての技量を吸収し、心と心、体と体を一つにする究極の形態。
 仮面を媒介に融合した二人は、単独で持って最強の一撃を操る退魔皇となった。
 仮面の契約は退魔皇剣と契約者を合体させる『魔装合体』を可能にし、この状態において初めて『皇技』の使用が可能となるのだ。
 斉藤が左腕を上げた。
 その手の平から迸る赤紫色の火炎が生じる。
「うなれ、極炎(きょくえん)! お前の業火をオレに示せ!」
 叫びと同時に斉藤の肉体から炎が噴出した。
 橋上が炎で包まれる。
 なんという炎のまわりの速さか。
 噴出した炎は橋を焼き尽くし、停止していた車を一つ残らず爆破させる。
 もうもうと立ち上る煙。
 それを背にして斉藤が右腕を川に、いや川の上にいる陣内に向けた。
 手から噴出する炎。
 まるで火炎放射器によって生じたかのごときその炎は、一直線に陣内に襲い掛かる。
 陣内は大きく右に回避した。
 その跳躍はあまりにも素早く、移動距離は大きい。
 五メートル近いその跳躍により、陣内は川から川原に着地した。
 炎は陣内のいた地点に直撃、そこが川であったため炎はすぐに消え去ると思われた。
 しかし違った。
 炎はむしろ勢いを増し、燎原の火の如く川の表面を火で覆いつくした。
 炎が水上を走り、そして陣内に襲い掛かる。
 しかし、
「効かないよ」
 陣内がそう口にしながら矛の切っ先で迫る炎を凪いだ。
 瞬間、陣内を取り囲まんばかりに迫っていた炎が、突如として逆方向に移動し始めた。
 まるで風に押し流されたかのように。
「テメェ、何しやがった?」
「少し確率をいじっただけですよ」
 荒ぶる口調の斉藤に、陣内は落ち着いた口調で答える。
 斉藤は再び自身の肉体から炎を迸らせた。
 宙に上っていく炎は、まるで炎から飛び立つ不死鳥を思わせる。
 夜空を赤紫に染め上げる斉藤の炎。
 それは、極炎と呼ばれる退魔皇剣の能力だった。
 陣内は思わず呟く。
「すさまじい火力ですね、何度でしょう?」
(恐らく、六千度近くはあるのではないかな?)
 答えたのは陣内と合体したイザナギだった。
(奴の退魔皇剣は極炎だ、熱を操る事に関してあの魔剣を超える退魔皇剣は存在しない)
「なるほど、通りで」
(相性は悪くない、対等とまではいかないが勝算はある……が……)
「が?」
(来るぞ)
 イザナギの言葉に、陣内はすぐさま反応する事ができなかった。
 そして、イザナギの言うところのそれが来た。







 韮澤綾子は驚きを隠せなかった。
 場所は橋から二百メートルばかり離れた木立の影。
 韮澤はそこで身を隠しながら橋を舞台に繰り広げられる戦いを見つめていた。
 ぶつかりあうは二人の退魔皇。
 剣と矛を操り、仮面で素顔を隠した男達が己の力を振るい戦っていた。
「綾子、気をつけてね」
 後ろから声をかけられた。
 声の主はアイギスという名の少女だった。
 もちろん、ただの少女ではなく退魔皇剣の精霊、韮澤の契約者だ。
「これからもっと増えるわよ」
「増える?」
 聞き返す韮澤。
 そんな韮澤に、アイギスは頷いてみせる。
「この退魔皇同士の戦いは他の退魔皇を吸収するための戦い。倒した退魔皇剣を吸収した退魔皇は、倒した退魔皇剣の力が本来の能力に加算されるわ」
「と、言うと?」
「つまり、敵を倒したら一気に強さが二倍になるってことよ。二種類の退魔皇剣の力を操れるんだから戦力が二倍になるに等しいわ」
「それ、スゴすぎない?」
 何度もまばたきしながら尋ねる韮澤。
 驚くとまばたきするのが癖なのかな、などと思いながらアイギスは首を縦に振る。
「そうよ。そして、吸収する退魔皇剣の数が増えればそのまま三倍、四倍と強くなっていく。つまりこの戦いは……」
「最初に誰かを倒した退魔皇が最も優位に立つ?」
「そう、それを分かっているから全ての退魔皇は必死なはずだわ、私たちも含めてね。だからこうやって戦いの気配を感じてすぐに飛んできたわけだし」
「私達も戦わなくていいの?」
 聞いてくる韮澤に、アイギスは首を横に振る。
「まだ頃合いじゃないわ、もっと餌に釣られてやってくる退魔皇が来てからよ。退魔皇同士のぶつかり合いなんだから、この町にいる異能者がこれに気付かないわけがない。下手すると、八振りの退魔皇剣が全部この場に集結することになるかも」
「さすがにそれはないんじゃ……」
 と、韮澤がそこまで口にした時だった。
 橋の下で戦っていた矛を振るう退魔皇、陣内に閃光が飛来する。
 それはまるでSF映画に出てくるレーザーのようでもあった。
 陣内が矛を振るうと、そのレーザーの軌道がそれ、レーザーは川に飛び込み川の水を消滅させた。
 陣内、橋の上の斉藤、そして木立に隠れる韮澤はレーザーが発射された方向を見た。
 斉藤の立つ橋から一キロほど離れた橋。
 全ての車が止まっている橋のその手すりの上に、黒装束の姿があった。
 暗い上に距離がありすぎて、輝光で強化された韮澤の目でもよく見えないため男か女かはわからない。
 たが、紫の仮面を顔にかぶり、その手には身長をはるかに超える黒き長弓を手にしていた。
 黒装束の上には黒に近い紫の鎧甲を纏っている。
「へぇ、弓の退魔皇剣じゃない」
 アイギスが呟いた。
 それと同時に紫の退魔皇が再び弓を引き絞り、光の矢を放った。
 今度は斉藤に対してだった。
 斉藤はそれを右に飛んで回避する。
 一見ただの光の矢だが、それは退魔皇剣の一撃だ。
 とても迎撃する気になどなれなかったのだろう。
 と、その時だった。
 轟音が鳴り響いた。
 まるで岩と岩がぶつかり、砕け散るような破砕音。
 それは橋の端から聞こえた。
 橋の起点の部分に一人の男の姿があった。
 黒い革のロングコートを身に纏い、青紫の仮面を被った男。
 身体には青紫に輝く鎧甲。
 両手には巨大な槌を握り締め、それを橋に振り下ろした姿だった。
 と、その一撃で橋が砕けた。
 粉みじんに粉砕された橋は、文字通り粉々になって地面と川に降り注ぐ。
 そんな中を、長剣を握り締めた斉藤が炎と供に川に落下していった。
 それを見つめながら、道路の上に立つ巨大な槌を持つ男。
 その槌は、韮澤の目には異常な量の輝光を纏っているように見えた。
「何? あの鉄槌は?」
「槌の退魔皇! これでこの場に五振りの退魔皇剣が集った事になるわ」
 韮澤の言葉に答えるアイギス。
 その言葉を受けて、韮澤は唾を飲み込んだ。
「剣、矛、鏡、弓、槌、次は一体どんな退魔皇剣が……?」
「次は杖ですよ」
 声は後ろから聞こえた。
 韮澤とアイギスの後方約二百メートル、そこには二人の人間がいた。
 一人は蛇をかたどった仮面を被る、茶色のローブを身に纏い、右手に杖を手にする術士。
 そして、その隣にはインドの刀剣であるカタールを両手に持った、黒き外套を纏う白い仮面の人物。
 そんな二人を見据えながら韮澤が尋ねた。
「アイギス、あの杖……」
「間違いないわ、退魔皇剣よ」
 その言葉を聞くや否や、韮澤が服の中から仮面を取り出す。
「あ、ちょっと待って」
 あまりにも間の抜けた声で制止する蛇仮面の男。
 その声があまりにも拍子抜けだったため、韮澤は思わず仮面を被る手を止めた。
 それを見て、蛇仮面の男が深くため息をつく。
「やれやれ、なんでわざわざ声をかけたかわかっていないようだ。こちらにとっては絶好の機会だったんですよ」
 言われて見ればその通りだった。
 いつでも仮面を被れるように警戒しながら、韮澤は言葉の続きを待つ。
「いいですか、そもそもなぜあなたは退魔皇剣を前にして魔装合体をしなかったのか思い出してください」
「なぜ、合体しなかったかですって? そんなの、場所がバレないように決まってるじゃない」
 そう、韮澤の言葉の通りだった。
 退魔皇剣の精霊と合体して強力な力を得る魔装合体。
 しかし、それを行った場合、退魔皇は強力な存在となりあたりに一面にその存在感を知らしめずにはいられない。
 だからこそ韮澤は合体しなかったのだ。
 隠れて様子を伺い、好機を狙って参戦するために。
「あぁ、そういうこと」
 声を出したのはアイギスだった。
「綾子、安心していいわ。あいつは無害に近い存在よ」
「どういうこと?」
 問い返す韮澤。
 そんな韮澤に、アイギスは続けた。
「退魔皇剣は強力な力を持つ魔剣よ、たしかにその能力は桁外れ。でも、攻撃能力において劣る退魔皇剣が二振り存在する。それが……」
「杖と鏡、つまり私達とあなたたちですよ」
 続きを蛇仮面の男が続けた。
「つまり私達は、お互いに退魔皇剣同士の戦いにおいて決め手を持たない軟弱者なわけです」
 そう口にする蛇仮面に、不機嫌な顔でアイギスは言った。
「あなたと一緒にして欲しくないわね、双蛇の退魔皇。私達の鏡は防ぐだけは能じゃないのよ。あなたたちと違ってね」
「これは失敬」
 わざとらしく頭を下げる蛇仮面の男。
 顔を上げ、微笑んでみせると蛇仮面の男は言った。
「さて、必要がなくなるかも知れませんが自己紹介でもしておきましょうか。私の名はイライジャ、そしてこちらが柴崎司です」
「柴崎司……もしかして、仮面使い?」
 イライジャと名乗った蛇仮面の男が紹介した白い仮面の人物。
 その名を聞き、韮澤が目を見開いた。
 アイギスは目をぱちくりさせながら聞いた。
「綾子、柴崎司って誰?」
「私の所属している魔術結社の中で、異能殺しの賞金稼ぎとして知られていた男よ。相当強いらしくて、『ランページ・ファントム』って呼ばれる精鋭部隊に所属してたんだけど」
「だけど?」
「死んだはずなの、二年前に。まさか生きてたなんて……」
「あぁ、なら納得よ。多分、そいつは死人よ」
「死人?」
「さすがは鏡の退魔皇剣、お気づきのようですね」
 イライジャは仰々しく両手を広げた。
「そうです、死した柴崎司を私が蘇生させました。何しろ杖の退魔皇剣の力は蘇生と再生ですからね」
 そんなイライジャを見据えながら、アイギスが口を開いた。
「綾子、こないだも説明したけどもう一度言っておくわ。杖の退魔皇剣の名前は双蛇、『カドゥケウスの杖』の名前で知られる退魔皇剣よ。あの杖の持ち主は死んだ人間を生き返らせることができるわ」
「じゃあ、あの柴崎司は……」
「おそらく本物よ、だからこそ彼はあの魔剣士を従僕にしている」
 カドゥケウスの杖は死者を蘇らせ、それを操る力を持っている。
 カドゥケウスは回復用の退魔皇剣であるため攻撃力を持たず、代わりに従者を率いてその戦力の低さを補っているのだ。
 それを理解した二人に、イライジャが口を開く。
「どうやら私のことはご理解いただけたようですね、お二人さん。それではしばらく供に観戦と行きましょう。お互い、他の連中が潰しあって消耗した時でもない限り勝利は得られないわけですし」
「………………」
 韮澤は答えなかった。
 イライジャの申し出を拒否したかったからではない。
 申し出を受け入れるしかなかったからだ。
 杖の退魔皇剣『双蛇』と違い、鏡の退魔皇剣『魔伏』は一撃必殺の技を一応とはいえ持っている。
 だからこそ伏せるのだ。
 いざと言うときに敵を潰すために。
 恐らく、好機が訪れるまでイライジャによる攻撃はない。
 あっても退魔皇剣のものでない攻撃など防御において右に出る者がいない鏡の退魔皇剣には通用しない。
 イライジャが仕掛けなかった理由はここにもあったのだ。
 今は伏せて敵の動きを待つのが最善。
 それがイライジャの導き出した答えだった。
 韮澤、そしてイライジャは知らない。
 あと一人、伏せて勝機をうかがう退魔皇がいる事に。







「うぅ〜、何でオレがこんな目に」
 涙声で話す青年は、体を震わせながら退魔皇たちの激突を見つめていた。
 草むらに隠れながら、青年は一キロほど先で行われている死闘に恐れをなす。
「義史、ダメじゃない! そんなんじゃこの戦いに生き残れないわよ!」
 青年を励ますのは、同じく草むらに隠れた少女だった。
 彼女の言葉から分かるように、草むらに隠れる青年は村上。
 そして少女の名はルー。
 彼女は退魔皇剣の精霊だった。
 逆ナンパされたと思った村上は特に話も聞かず(聞いたがのぼせ上がっていて会話の内容が頭に入っていなかった)ルーと仮面の契約を交してしまっていた。
 その瞬間から、村上は退魔皇となり、退魔皇剣同士の戦いに巻き込まれることとなった。
 だが、
「こんなはずじゃなかったのに……」
 泣き言は止まらない。
 そうだ、かわいい女の子に逆ナンされ、来たるクリスマスをかわいい少女と供に過ごす。
 ついでに大人の階段も上っちゃおうという村上の計画は、一撃の元に叩き砕かれた。
「泣き言言わないの、ほらこれ持って」
 言ってルーは村上にそれを渡した。
 村上は受け取り、そのずっしりした重さに驚いた。
 それはリボルバーという種類の拳銃だった。
 刑事ものの映画とかで刑事がよく持っているあれだ。
「ル、ルルルル、ルー……これって?」
「リボルバーよ、しっかりと握っておいてよね」
「握れって、オレは銃なんか使えないぞ」
「使えたって使えないわよ、ここは鏡の中よ。科学兵器の使えない世界だもん」
「じゃあ何で?」
「銃の形をしてればどうでもいいのよ。私は玉の退魔皇剣よ。狙うまでも無く私の一撃は必中するわ」
「そうなのか?」
「そうよ、だからあなたは銃を持って、いつでも魔装合体できるように仮面を被って待機しているだけでいいの。後はあいつらの潰しあいを待って乱入すればいいんだから」
「た、頼むぜぇ。オレは死ぬのだけは勘弁だからな」
「もぅ、腰抜けなんだから。大丈夫よ、いざとなったらあなたの命だけは保障してあげるから」
「信じてるぜぇ」
 情けない声をあげる村上。
 そんな村上にため息をつきながら、ルーは村上の顔に仮面をかぶせた。
 と、そんな時だった。
 村上が仮面の下から覗く目を大きく見開いた。
「な、何で!」
 二の句が紡げない。
 村上は唾を飲み込み、数秒たった後でようやく続きを口にした。
「何で、あいつがここに?」







「なんだこれ?」
 信じられず、数騎は何度も手で目をこすった。
 ついでに顔もつねってみた。
 痛い。
 だと言うのに、黒い車に映し出された光景は常軌を逸していた。
 体から炎を放つ長剣を持つ男。
 火炎放射のように襲い掛かる炎を違う方向にそらした矛を持つ男。
 光の矢を放つ黒装束。
 そして鉄槌で橋を粉々に砕いた男。
 車の鏡に映るその光景を、数騎は信じられない目で見つめていた。
 ちなみに何度も後ろを振り返って確かめたが、後ろでそのような異常な光景は一切ない。
 まるで鏡に映るものなど関係ないとでも言わんばかりに、橋は健在で車が行き来しており仮面を被った異常な人間たちが争う姿さえ見れない。
「どうなってるんだ?」
 異常が存在しない周りの景色と、異常しか存在しない車のガラスに映る景色。
 訝しみ、数騎は思わず車のガラスに手を当てた。
 その瞬間だった。
 ガラスに押し当てた手が、ガラスの中にもぐったのだ。
「なっ!」
 驚きの声を漏らす数騎。
 手を握ったり開いたりしてみる。
 感覚はある、消えたわけじゃない。
 一度手を引き抜く。
 何の異常も見られなかった。
 不思議がりながら、数騎はもう一度ガラスに触れた。
 きっと気のせいだ、そう思いながら。
 でも、気のせいではなかった。
 今度は手首の辺りまで、一気にガラスの中にもぐった。
 これは確定だ。
 数騎は心臓を高鳴らせながら腕を肩までガラスの中に入れる。
 そして、顔を突っ込んだ。
 そこには、
「な……」
 絶句する数騎。
 そう、そこには信じられない光景が。
 ガラスに映っていた、あり得ない光景が広がっていた。
 下を見る。
 そこには黒い車。
 外から見ると、数騎は黒い車の窓から体を乗り出しているようにさえ見えるだろう。
 ただ、体がガラスに埋まっている事を覗けば。
「どうなってやがる」
 呟きながら、数騎は体を全部ガラスの向こう側へと移した。
 鏡の中の世界に入り込んだ数騎。
 そして、違和感に気付いた。
「あれ?」
 逆だった。
 先ほどまで帰ってきた方向とか、川の位置とか。
 あらゆるものが反転していた。
 驚きながらきょろきょろとあたりを見回す数騎。
 その時だった。
「テメェ!」
 低い声が周囲に轟いた。
 声の発生源を見ると、そこには坂の上に立つ鉄槌を持った仮面の男。
「テメェ、何でここに居やがる!」
 間違いなく自分に向けられている声に、数騎は全身を震え上がらせた。
 響く声には圧倒的な重圧が込められていた。
 まるでこちらを憎悪しているかのような響き。
 数騎は耳を疑った。
 鉄槌を持つ仮面の男の言葉。
 それは、まるで数騎の事を知っているようにさえ聞こえたのだ。
 その直後だった。
「うわっ!」
 数騎は慌ててその場から飛びのいた。
 それと同時に数騎の立っていたところに発光体が接近し、微小な爆発を起した。
 数騎は自分の足元に起こった現象に目を疑う。
 先ほどまで自分の立っていた場所は、川に近いためアスファルトなどではなく、土の地面が存在した。
 だというのに、まるで子供がイタズラで落とし穴でも掘ったような大穴が開いていたのだ。
「穴?」
 思わず口にして、数騎は発光体が飛来した方向を見る。
 そこには弓を引き絞る黒装束。
 狙いはどう考えても自分だ。
 数騎は思わず背中を向けて逃げ出そうとする。
「あ、バカっ!」
 自分を叱りつけ、数騎はすぐに逃げる方向を切り替える。
 逃げるなら他の場所ではなくあの車だ。
 よくわからないけど、あの車からなら元の世界に帰れる気がする。
 そう考え、数騎は走った。
 それは失敗だった。
 いや、どちらにしても無駄だったのだろう。
 黒装束の引き絞る弓は情け容赦も無く、数騎の逃走を阻む。
 矢が繰り出された。
 紫色の閃光を迸らせ、光の矢が数騎に襲い掛かる。
「あっ」
 二の句がつげなかった。
 迫る矢はあまりに早くて、とてもではないがかわせそうに無くて。
 数騎はただ、走る体勢のまま自分に迫る光を見つめながら、
「えっ?」
 赤い影に目を奪われた。
 光の矢が土の地面に着弾する。
 削られ、大きな穴を覗かせるその地面。
 しかし、数騎という人間がいたという痕跡はない。
 代わりにあったのはそこ。
 坂の上に見える二つの影。
 月の光と極炎の炎によって照らされるその姿は間違いなく真紅。
 戦国時代の武将が纏ったような具足の人物。
 そして篭手をつけた両腕で抱きかかえられた数騎。
 顔はわからない。
 具足と同じ真紅の色で作られた天狗の仮面をつけていたからだった。
 具足の人物、天狗は数騎を地面に降ろした。
「あ、ありがとう」
 とりあえず数騎は礼を言った。
 目の前に立ってみると、数騎は少しだけ驚いた。
 天狗の身長が、自分よりも小さかったからだ。
 天狗は黒装束から放たれた矢で狙われた数騎を抱きかかえながら一気に坂の上まで跳躍していた。
 だと言うのに、どう見ても天狗は数騎より小柄なのだ。
 自分より小さいのに、一体どうして。
 数騎はそう思ったが、天狗は気にもせず数騎を背中にかばうようにして腰にさした刀に手をかける。
「魔幻凶塵餓狼無哭(まげんきょうじんがろうむこく)」
 紡がれる詠唱。
「憑惹破滅緋炎葬刻(ひょうひはめつひえんそうこく)」
 低く流れるその声は、旋律を伴いながら、
「魔飢憑緋(まがつひ)」
 その魔剣を開放した。
 鞘から引き抜かれた刀身。
 それは日本刀を思わせる形をしていたが、色が違った。
 本来なら銀色であるはずのその金属部分が、真紅の金属で出来ていたのだ。
 クリムゾン・メタリック、そんな言葉が思わず数騎の頭の中に思い浮かんだ。
 同時に、数騎の体に悪寒が走る。
 理由は一目瞭然だった。
 真紅の刀から迸る瘴気が、数騎の体を震わせるのだ。
 油断すれば喰われかねないと思わせられる恐怖。
 それを数騎は感じていた。
 天狗は刀の柄に両手をかけ、はるか遠くの橋の上に立つ黒装束に刀の切っ先を向けた。
 数騎を圧倒するほどの強力な存在感を見せ付ける天狗。
 しかし、とてもではないが黒装束に太刀打ちできるようには見えなかった。
 それほどまでに黒装束の威圧感は、いや、この場にいる天狗と数騎以外から迸る何かが圧倒的に桁違いだったのだ。
 震えだす数騎。
 ダメだ、ここにいたら殺される。
 そう思った。
 その時だ。
「恐れるな、青年!」
 力強い声が後ろから聞こえた。
 数騎と天狗は思わず後ろを振り返る。
 そこにはブルーメタリックに輝く鎧兜を身に纏う少年の姿があった。
 二メートルはあろうかと言う槍を握り締め、数騎に向かって歩み寄る。
「見ればどこにでもいるような一般人じゃないか。あの黒装束、ひ弱な一般市民を巻き込んで何を楽しんでいやがる」
 威圧感を伴い、少年が近づいてきた。
 見ると身長は百五十センチちょいしかない。
 しかし、数騎にはそれが決して敵わない存在であると直感的に知った。
 少年から殺気は放たれていなかった。
 ただ怒気があふれているだけだ。
 敵意がないと知り、天狗は殺気を黒装束に向けながら少年の一挙一動を見守る。
 そんな天狗に、少年は告げた。
「安心しろ、敵対する気はない。むしろ君の味方だ」
 そう言うと、少年は天狗よりも前に歩み出て、槍の切っ先を黒装束に向けた。
「戦いの礼儀を知らぬ愚か者よ、我が姿を見るがいい!」
 叫んだ。
 周囲一体に響き渡る凛とした声。
 槍を天に掲げ、少年はさらに続けた。
「ゴルゴダの丘にぃっ! 神を殺せしこの槍がぁっ! 義を見逃すなと震えて猛る!」
 槍を脇に構え、少年は名乗りをあげた。
「我が名はロンギヌス、退魔皇剣が一振りなり!」
 堂々たるその登場に、周囲にいたものは唖然とした。
 なぜ、堂々と現れて名乗りをあげるのか。
 なぜ、不意打ちによって自らの存在が気付かれていない利を活かさないのか。
 そんな疑問を知ってか知らずか、ロンギヌスは手にした槍を頭上に掲げ、両手で高速回転させた後、両手で槍を構え黒装束にその切っ先を向ける。
「名乗れ、黒装束。墓に刻むその名を、教えておいて損は無いぞ」
 瞬間、数騎は理解した。
 いつか人に言われたことだが、人の名前を尋ねる時は自分の名前を先に名乗れ。
 つまり、目の前のロンギヌスという少年は、それをクソ真面目に実行していたに過ぎないのだ。
 それに思い至ったのか、笑い出した男がいた。
 数騎が目を向けると、そこには矛を手にした仮面の男、陣内。
 本当に楽しそうに、腹を抱えて笑っていた。
「おもしろい、おもしろいぞ戮神の退魔皇。まさかそれほどまでに高潔な精神を持っていたとは」
 そう言って笑いを止めると、矛を構えて黒装束のいる橋に視線を向ける。
「共同戦線と行こうじゃないか、槍の退魔皇剣。二対一なら勝てるかもしれんぞ。いや、三対一か」
 にやりと笑う陣内。
 直後、三者が同時に走り出した。
 陣内、天狗、ロンギヌス。
 はるか遠方から狙撃を試みる強敵を打破するために、三者は狙撃手に向かって駆け出していた。







「どうするの、アイギス!」
 木立に隠れる韮澤が、隣にいるアイギスに問いかけた。
「出て行くの? そろそろ準備した方がいい?」
「逆よ、今出る以上に危ないことはないわ」
 そう言って、アイギスは疾駆するロンギヌスを睨みつける。
「来たわね、最大の天敵。覚えておきなさい、綾子。あれが今回の戦いにおいて、私達が最も恐れなくてはいけない相手よ」
「あの少年が?」
 驚きを隠さず、アイギスに尋ねる。
 アイギスは真剣な顔をして頷いて見せた。
 韮澤は信じられないといった顔でロンギヌスを見つめていた。
 そして、ロンギヌスを見つめるもう一人の人物。
 それは、接近されている黒装束だった。
 黒装束は弓を引き絞り、迫る三者を威嚇する。
 しかし、三者は別々の方向から襲撃をかけようとしていた。
 一人が狙われても、他の二人の脅威がある。
 黒装束は追い詰められた、三人は誰もがそう思った。
 しかし違った。
 黒装束の狙いは違ったのだ。
 追い詰められたのは黒装束ではなく別の人物。
 黒装束が矢を放った。
 それはロンギヌスの脇を抜けて後方へ。
 そのはるか後ろにいる、数騎に向かって。
「なっ!」
 信じられなかった。
 接近されているのだ。
 接近する敵を迎撃するのがセオリーのはずだ。
 だと言うのに、矢は一直線に数騎に向かってきた。
 数騎は逃れようと坂を転がり落ちようとする。
 その瞬間だった。
 光の矢が閃光とともに破裂した。
 光の矢は一本ではなく小さな幾本もの矢に分裂し、点ではなく面でもって数騎の肉体に襲い掛かる。
 迫り来る光の矢の群れに、数騎はどうすることもできなかった。
 仮面の下から天狗が目を見張った。
 ロンギヌスが自らの過ちを悔い、間に合わないと知りながら数騎の元に戻ろうとする。
 陣内は舌打ちし、鉄槌の男は目を見開き。
 そして、黒装束は仮面の下で笑みを作った。
 紫の殺意が数騎の体に迫る。
 そして、数騎の体が紫から真紅に染まった。
 真紅の光が放たれる。
 それは疾風を伴いながら、数騎に迫る紫の矢、その全てを叩き落す。
 閃光が消えた。
 そのあまりに速い動作に巻き起こる旋風。
 土煙あがるそこには、一人の小柄な少年がいた。
 身長はロンギヌスよりも低い百四十数センチ。
 紅の胸当てをで胴体を覆い、その手には百五十センチ近くはあるだろう大太刀。
 少年の顔立ちは線がはっきりしており、中東の人間と言われればすぐさま納得できるような顔立ちだった。
 黒髪黒目のその少年は数騎を守るために黒装束の方角を向いていたが、ゆっくりとした動作で数騎を振り返る。
「死にたくないですか?」
「えっ?」
 その声に驚いた。
 その声があまりにも優しくて。
 その声があまりにも力強くて。
 もう一度聞きたい、思わずそう思う。
 そして、その願いは聞き届けられた。
「死にたくないですか?」
「あ、はい!」
 とっさに答えていた。
 それを聞くと、少年は笑みを浮かべた。
「なら契約です、私はあなたを守護する刀となります」
 そう言って、少年は右手を数騎に差し出した。
 数騎も思わず右手を差し出し、そして握手する。
 その瞬間、数騎の体に力が迸った。
「これは?」
 戸惑う。
 なんと言えばいいのだろうか。
 体の中を駆け巡る血液が、なんか一気に流れを早くしたような感覚。
 高揚感が心を満たし、もっとこの少年と供にいたいと思わせるような思いが数騎の心を満たす。
 そんな数騎に、少年は続けた。
「契約を交します、私が唱えてあなたが受ける。あなたはただこう言いってくださればいい」
 そして、少年はその言葉を教えた。
 数騎は頷く。
 次の瞬間、二人の体を真紅の光が包み込んだ。
「此度結びたるは共闘の契約
 供に生き戦う契約の宣誓
 我は汝と供にあり、汝が誉れの武具となり
 汝は我と供にあり、汝は我と舞踏を舞う
 その証はここに
 その誓いはここに
 その絆断たれるまで供に戦う契りを結べ
 汝が我と征(ゆ)くのなら、誓いの言葉で契るがいい」
 そこまで口にし、少年は数騎をじっと見つめた。
 断りようがなかった。
 断ろうという気さえ起こらない。
 当然のように。
 当たり前のように。
 数騎はその言葉を紡いでいた。
「供に戦う、死ぬまでだ」
 瞬間、契約が交された。
 吹き荒れる疾風。
 舞い上がる砂塵。
 その中で、大太刀を手にした少年の存在感が一気に増した。
「通常契約とは言え、この場を切り抜けるだけなら充分ですね」
 そう呟くと、少年はゆっくりと数騎の手を離した。
「自己紹介です、私の名前はエア。以後よろしくお願いします、私の退魔皇」
「お、オレは、須藤数騎。こちらこそ、よろしく」
 とりあえず数騎は自分も名乗っていおいた。
 正直、何が起こっているのかわけがわからない。
 そして、その気持ちはその場にいる全員共通のものだった。







「何あれ!」
 まるでこの世の終わりでも見たような声で、木立にいたアイギスが叫んだ。
「聞いてないわよ、こんな話!」
「何? 何? どうしたの?」
 驚きながら韮澤がアイギスの顔を見る。
 ちらりと見えたが、近くにいるイライジャも目を見開いて絶句している。
 何があったのか。
 その答えは、アイギスの口から語られる。
「信じられない、こんな事が起こるなんて」
「何? どういうこと?」
 尋ねる韮澤に、アイギスは大きく息を吐いて冷静を保つ。
「いい、綾子。私達、退魔皇剣は八岐大蛇が分裂した分裂した存在。その一振り一振りが退魔皇剣として独立した力を持っているわ」
「えぇ、それはわかってるんだけど」
「分かってないわ、退魔皇剣は八岐大蛇の首の数。剣、槍、鏡、玉、鏡、土、矛、杖の八本しかないのよ! それなのにあれは何? 刀ですって! 冗談じゃないわ!」
「九振り目の……退魔皇剣……」
 搾り出すような声でイライジャが囁いた。
 しかし、その声がアイギスと韮澤に聞こえることはない。
 なぜなら、直後にそれが起こったからだ。







 温度の高まりを感じた。
 その場にいた全員がそちらに目を向ける。
 その方向には川。
 流れ続ける澄み切った川。
 だが、その川の姿はあきらかに違っていた。
 そう、それは川とはとても形容し難い姿。
 その川は、泡を立て蒸気を吹き上げながら沸騰していた。
「バカな!」
 陣内が叫ぶ。
 先ほどの数騎たちの契約に見とれて黒装束に迫っていた三人は攻撃を中止していた。
 その場にいる全員が見守る中、川が膨れ上がった。
 いや、膨れ上がったのではない。
 蒸発したのだ、流れてくる水全てが一瞬にして。
 もうもうたる蒸気が空中に霧散していく。
 そんな中。
 水を失った川の底に存在する人影。
 それは、鉄槌を持った仮面の男によって川に転落させられた斉藤の姿だった。
「テメェら、オレを無視しやがって。オレがそんなに輝いてないってのかぁ?」
 怨嗟渦巻く声をあげる斉藤。
 川を消し去った者の正体は斉藤だった。
 熱を操る退魔皇剣、極炎。
 その力を持って、斉藤は川の水を全て蒸発させた。
 全長数十キロを誇る、川の水を全てだ。
 斉藤は剣を天に掲げた。
「スルトォ! あれをやるぞ!」
 叫ぶ。
 迸る輝光が渦を巻き、斉藤の手にする剣に輝光が集中する。
「世界を焼き尽くす炎よ、原初の炎たるレヴァンテインよ、この世界に終末を極めし業火を!」
 呪文が紡がれる。
 その危険さに全員が気付いた。
 全員が一目散に自分が入ってきた鏡に向かって走る。
 入った鏡のみが鏡の世界から出る唯一の扉だからだ。
 わけがわからないと言った顔をしていた数騎だったが、エアはすぐさま数騎の手を取ると、引きずるように数騎の手をとって走り、車のガラスに飛び込んだ。
 直後、その名が紡がれた。
「無双炎灼(アブソリュート・ファイア)!」
 退魔皇剣がその力を最大限に発揮した。
 斉藤を中心に、十万度をはるかに超える熱量が周囲一体に駆け巡る。
 燃える燃えないの区別などない。
 十万度を超える炎は全てを溶かし、焼き尽くす。
 それは核の炎に匹敵する熱量。
 地面を、空を、あらゆるものを焼き尽くし、斉藤は鏡の世界を地獄に変えた。
 後には何も残らない。
 ただ、斉藤が立っていたところを中心に巨大なクレーターを残すのみだ。
「見たか、スルトォ。何も残らねぇ、オレは輝いてただろう?」
(あぁ、お前が一番輝いていたよ)
 スルトの返事を聞くと、満足したように斉藤は空を見上げる。
「星が見えるぜ、邪魔者がいなければ星は輝くんだ!」
 そう呟き、斉藤は大声を張り上げて笑った。
 その笑い声は、何者も存在しない焼き尽くされた鏡の世界に長い間響き渡るのであった。







 たった一人、逃げ遅れた者がいた。
 いや、正確には二人だが。
 逃げ遅れ、熱量の直撃を受けたが、今は無事に鏡の外の木立に立っている。
 それは仮面を被った女性。
 鏡のように磨かれた身長の半分ほどの長さの盾を持ち、水色の鎧甲を身に纏う女性は韮澤綾子だった。
「はぁ、はぁ、はぁ、何なのあれは?」
(あれがレヴァンテイン、終末の炎よ)
 答えるアイギス。
 だが、その姿はどこにも見当たらない。
 理由は簡単だ、アイギスは韮澤と魔装合体をしていたのだ。
 今、アイギスは韮澤の中にいる。
 傍らには割れた手鏡。
 そう、韮澤たちは逃げ遅れて終末の炎による洗礼を受けた。
 しかし、生き延びて元の世界へと返ってきた。
 ちなみに、残りの鏡内界に入った退魔皇たちはみな炎の直撃を受けず脱出している。
「それにしても、よくぞまぁ生きてるわね」
 気の抜けた声を出し、韮澤は仮面を外した。
 直後、魔装合体が解かれた。
 仮面こそが魔装合体の要であり、仮面を脱げば魔装合体は解ける。
 韮澤の隣にアイギスが姿を現した。
「ところでアイギス、説明して欲しいんだけど」
「何なりとどうぞ」
「あの退魔皇剣は何なの? 威力が桁ハズレすぎる、見たところ放出量四桁は軽くいってるみたいだし」
 放出量とは裏世界の人間が操る異能の威力を測る物差しのことである。
 一般に五の放出力を持つ異能者は一人前扱いをされ、二十出せれば達人と認識してもらえる。
 ちなみに普通の人間はどんなに修練をかさねても五十が限界で、魔皇剣をはじめとする規格外のものを用いなければ五十を超えることはできない。
 二百を超えると魔皇と呼ばれる使い手として認定される。
 現在、この世界に存在する魔皇の中で最強の魔皇は赤の魔術師とされており、彼だけが最大放出量、千を記録しており、残りはどんなに高くても三桁だ。
「あら、さすがは魔術師ね、綾子は。あの退魔皇剣の最大放出は二千よ」
「二千!」
「当然じゃない、天地開闢魔剣の退魔皇剣よ。四桁くらいで驚かれても困るわ」
 やれやれと首を横に振るアイギス。
 そんなアイギスを韮澤は、ぽけーっと口を開いたまま見つめていた。
「綾子、いい? 前にも教えたけど退魔皇剣には特に強力なものが二つあるわ、剣と弓よ。中でも剣は最強の退魔皇剣と言っていい破壊力を持つわ」
「えぇ、実感したわ。私も」
 口を閉じ、真剣なまなざしを向ける韮澤。
 そんな韮澤にアイギスは言った。
「でも、それよりももっとヤバイ退魔皇剣が現れたわ」
「どういうこと?」
「あのイレギュラーの九本目よ。あの退魔皇剣、もし私の予想が正しければ最強の退魔皇剣の一角として君臨することになるわ」
「そんなに強力な……」
 そこまで口にして、韮澤が口に手を当てた。
 次の瞬間、前かがみになりながら大量に吐血する。
「ぐっ、げほっ……」
 指の隙間からボタボタと血を流す韮澤。
 そんな韮澤に、アイギスは悲しそうな顔をした。
「綾子、前にも説明したけど」
 言葉を切り、アイギスは続ける。
「退魔皇は皇技を使うたびに大切なものを失っていくわ。そして、それは死ぬか脱落するか、それとも杖を手に入れないかぎり終わる事はない」
「えぇ、覚悟の上よ」
 そう言って、韮澤は口の中に残る血を地面に吐き捨てた。
「でも、これで私達は武器を手に入れた。皇技を一発撃ったのは痛かったけど、これは計算どおりよ。むしろ喜ばないと、私達は考えうるかぎり最強の手札を手に入れたわ」
 血に濡れた唇をゆがめ、韮澤は笑う。
 最強の威力を誇る剣の退魔皇剣の皇技を奪うには、皇技を操る他ない。
 だから、韮澤は皇技を使い生き延び、そして代償を支払った。
 韮澤は笑う。
 自身の勝利を信じて。
 見上げる空には輝く月。
 その月を見つめながら、韮澤はしばらくの間その場に立ち続けるのであった。







 戦いの現場となった橋から二キロほど離れた高層ビルの屋上。
 そこに、一人の男の姿があった。
 タバコを吸って紫煙を宙に吐き出すその男は、渋い色のコートを身につけ、その下にはセーターとシャツをだらしなく着込んでいた。
 四十の半ばに入っているその男は、舌打ちをしながら遠くに見える橋を見つめていた。
 右手には身長の半分近くありそうな長めのライフル。
 スコープやら台座やら、いろいろなオプションパーツが取り付けられたその銃は、見る人が見ればスナイパーライフルと呼ぶことのできる銃だった。
 ちなみに持っている銃はこれだけではなく、コートの胸の辺りにはリボルバーも隠し持っている。
 男の名は坂口遼太郎、元傭兵の男だった。
「退魔皇剣か、聞きしに勝る迫力だったな」
 感想を口にする坂口。
 そう、先ほどの九振りの退魔皇剣が終結した乱戦の現場。
 後に話を聞いた魔術結社の人間が『飲川橋の戦い』と呼ぶ戦闘を、坂口は鏡の世界の中に侵入して、その全てを見届けていた。
 入り乱れて戦った五振りの退魔皇剣、そして隠れていた三振り、乱入者の天狗。
 さらに、話にさえ聞いていなかったイレギュラーたる九振り目の退魔皇剣まで現れたのだ。
「話が違うが……まぁいい。問題はそんなことじゃあない」
 タバコを投げ捨て、靴で火をもみ消す。
 状況は正直言って最悪と言ってしまっていいほどに悪かった。
 どうするか。
「決まっている、好機を狙って行動するのだ。潜み、隠れ、一瞬の隙を撃つ。そう生きてきた、これかもそうだ」
 言葉をその場に残すようにして、坂口はビルの内部に入るために屋上の扉に向かって歩き出す。
 役者は舞台に出揃った、裏方も全てが顔を出した。
 開演さえも始まった。
 あとは続きを見るばかり、結果は見てのお楽しみだ。
 そんな事を考えながら扉を開け、坂口にビルの中に音もなく侵入する。
 誰もいなくなった屋上。
 そこにはただ、煙を上げることの無くなった投げ捨てられたタバコが残るのみだった。









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