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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>第三羽 仮面の契り

第三羽 仮面の契り



「おい、これってどういうことだ?」
 正直わけがわからなかった。
 足りない脳みそを総動員して考えるも答えが出ない。
 数騎は今までのことが夢であって欲しいと心から願っていた。
 しかし、それは叶わない望みだ。
 数騎は今、川にそって存在する坂の上にあるアスファルトの道路を歩き、家に向かっていた。
 その隣に、頭二つほど小さい少年を同行させて。
「ん〜、何から説明したほうがいいですかね?」
 丁寧な口調のその少年はエア、さきほど数騎を助けてくれた少年だった。
 鏡の中にいたエアは鎧と武器で身を固めていたが、彼が鏡から出てきて何かを口にすると鎧も武器もどこかに消え、私服姿の少年だけが残った。
 そんなエアに数騎は聞く。
「あの鏡の世界は何なんだ? それに、退魔皇剣とか契約ってなんの事だ? 正直さっぱり話が見えてこないんだが」
「そうですねぇ、とりあえず落ち着いてください。僕は何も隠し事をするつもりはありませんから、全部しっかりとお話してさしあげます」
「あぁ、わかったよ」
 深呼吸し、数騎は気分を落ち着かせる。
「で、どういうことなんだ?」
「まずは鏡の中の世界についてですね。あなたの名前は、えっと?」
「須藤数騎」
「では数騎さんと呼ばせていただきましょう。数騎さんが生きているこの世界には、実は裏の世界というものが存在します」
「ヤクザとか、ギャングとかが生きているような?」
「違います、魔術や異能といった不可思議な現象が現実に起こっている世界です」
 その言葉を聞いた瞬間、数騎は疑わしく眉をひそめる。
「眉唾だな」
「ですが現実です、数騎さんもそれは見てわかっているでしょう?」
 確かにそうだった。
 閃光を伴いながら迫ってきた紫に光る矢、自分を抱きかかえたまま数メートル跳躍する天狗の仮面、そして鏡の世界を焼き尽くした業火。
 最後のだけは鏡を脱出した後、鏡越しにみただけなので実感がなかったが、確かに全部目の前で起こった出来事だった。
「たしかに、君の言うとおりオレは見た。えっと……」
「エアです」
「エア君か」
「呼び捨てで構いませんよ、言いにくいでしょう?」
「あぁ、悪いな。じゃあエアで。で、この世界には裏の世界というものがあることは理解したよ」
「では続きを。裏世界の人間は表の世界の人間に自分達の存在を知られることを厭います。ですから、彼らは彼らのみが侵入できる異空間を構築し、そこで行動する事を好みます。異層空間といいますか、鏡内界といいますか」
「それが鏡の中ってことか?」
「そうです、飲み込みがいいですね」
 嬉しそうに微笑み、エアは頷く。
「鏡の中に入り、異能者たちは戦ったり実験したりします。鏡の世界はこの世界のコピーですから、いくら破壊しても外に影響は出ませんからね」
「なるほど」
 アゴに手をあてて納得する。
 言われて見ればその通りだ。
 最後、鏡の世界が炎で焼き尽くされるシーンを見た。
 でも、外の世界には何の影響もなかった。
 そう納得している数騎に、エアは続けた。
「つまりはそういうことです。そして、数騎さんは表の世界の住人ながら裏の世界に足を踏み入れてしまった。それも考えうる限り最悪で最高な形で」
「それって、どういう言う意味だ?」
 その言葉に、エアはつまらなそうに答えた。
「簡単です、殺しあいに参加するというだけの話ですから」
「ちょっ、お前……」
 エアが発した一言。
 それに数騎は激しく反応した。
「殺しあいってどういうことだよ!」
「言ったとおりです、殺しあいです。九人、いや二人一組で十八人かな? つまりそれだけの人間が己の存在を賭けて殺しあうんですよ」
「どういうことだよ?」
「どうもこうもありません、これはもう決定事項なのですから」
「お前な!」
 怒りの形相でエアを睨みつける。
 と、そこで気がついた。
 ここは外、しかも夜。
 そんな中で大声を張り上げる自分の異質さが、数騎には感じ取れたのだった。
 ここのあたり、数騎は立派な一般人である。
「とりあえず、話の続きはオレの家で聞くぞ。構わないか?」
「はい、もとよりあなたの側を離れる気はありませんでしたから」
 あっさりと承諾するエア。
 そうして五分ほど歩き、数騎たちは学寮に到着した。
 食事を用意しているであろうアーデルハイトの部屋に向かわず、数騎は隣に歩くエアを部屋に案内した。
 寒く冷え切った部屋。
 数騎は部屋に入るなり、ストーブをつける。
 すぐには無理だが、しばらくしたら温まるはずだ。
 数騎は電気ポットのお湯を急須に入れると、何度お茶を楽しんだかわからない出がらしで出来たお茶を湯飲みにいれ、自分の分とエアの分を用意、それを持ってエアを寝室に招きいれた。
 ベッドの前にある小さなテーブルを間に向かい合いながら、二人は腰をかける。
 口火は、数騎が切った。
「で、殺しあいってどういうことだ?」
「それにはまず、魔剣というものの存在について知ってもらう必要があります。あ、いただきますね」
 そう言ってエアは薄い色をした茶を口にする。
 味は薄かったが、温かい飲み物がありがたかった。
 エアは嬉しそうに微笑むと、すぐに表情を引き締めた。
「魔剣と言うのは裏の世界に生きる異能者たちの特殊な武器の事です。世間一般の人が魔術や魔法と言うような不可思議な現象を起したりできます」
「光の矢を放ったり、炎を出したりか?」
「はい、そうです。魔剣は特殊な力を持つ武具です。しかし、現存する魔剣が全てある強力な武器のレプリカでしかありません」
「強力な武器?」
「はい、魔皇剣です。かつてこの世界を支配した魔皇たちの操った武装。そして、それの劣化コピーが魔剣です」
「なるほど。でも、かつてってことはもういないって事だよな。その魔皇たちはどうなったんだ? 勇者にでも殺されたのか?」
「近いですね、彼らは自らの力におごり、この世界を滅ぼしかねませんでした。世界はこの魔皇たちを討伐すべく、魔皇剣を超える武装をつくりました。それが退魔皇剣です」
「なるほど『魔皇を退ける剣』か」
 数騎が納得したように頷き、茶をすする。
 そんな数騎に、エアは続けた。
「退魔皇剣は世界を支配する魔皇と戦い、その全てを討滅しました。この戦いは激しく、世界に大きな影響を与えずにはすみませんでした。この戦いは退魔皇戦争と呼ばれ、元々一つであったこの世界の大陸がバラバラになる原因となったのです」
「へぇ、大陸大移動説に対するトンデモ説ってわけだ」
 茶化すように言う数騎。
 しかし、顔は笑っていなかった。
 半ば以上、それが真実であると受け取っていたからだ。
 その雰囲気を感じ取り、エアは文句も言わずに話をする。
「実は、この退魔皇剣はきっと数騎さんもご存知の神話のモンスターです。とても有名なあのドラゴン」
「もしかして、八岐大蛇とか?」
 適当に言う数騎。
 そんな数騎に、エアは感心した顔を見せた。
「驚いた、まさか一発で言い当てるとは思いませんでした」
「へぇ、本当に八岐大蛇なのか?」
「そうです、八岐大蛇です。八岐大蛇は八の首と八の尾を持つ怪物です。彼の首はそれぞれ違う力を持っており、その首ごとに強力な異能を持っています。実は八岐大蛇は複数の退魔皇剣の集合体であり、九の退魔皇剣が集まり、八岐大蛇となります」
「ん? 頭は八本だろ?」
「ですから頭ではなく尾です、尾に最後の一つが存在する」
「それって、もしかして」
「草薙の剣です、そしてそれこそがこの私自身」
「ってことは何か? お前は本当は剣なのか?」
「率直に言うとそうなります。世の中には優れた武器には魂が宿るという言葉がありますが、あれは逆です。優れた武器に魂が宿るのではなく、魂が宿る武器が優れている。当然、世界最強の魔剣たる退魔皇剣は全て魂が宿っています。ですから正確には僕は草薙の剣ではなく、草薙の剣の精霊ということになりますが」
「精霊ねぇ」
 口にして、エアをじっと見つめる数騎。
 どう見ても、ただの少年にしか見えない。
「疑う気持ちもわかります、ですが本当のことなのです」
「わかってるよ、それは信じる。で、それがどうして殺しあいに繋がるんだ?」
「私達、退魔皇剣は実のところ、とうの昔に滅ぼされた存在です。人間の異能者によって数度、消滅した状態から復活させられたこともありましたが、今回は特別です。九振りの退魔皇剣すべてがこの町に復活してしまいました」
「何か起こったのか?」
「はい、二年前のことですが、この町で大掛かりな儀式が執り行われました。その際、再現の魔眼を持つ術士がいたのでしょう。再現の魔眼は過去に存在したものを再現する力があります。本来なら術士が儀式を終えた瞬間この世界に蘇るはずでしたが、術士が儀式中に命を落としたのでしょうか? 儀式は中途半端に終わりました。が、術式自体は完成していたので、私達は二年の時をかけてこの世界に蘇りました。しかし……」
「しかし?」
「蘇ったとしても私達は生きていくことは出来ませんでした。そもそもこの身は仮初めの姿。私達退魔皇剣は本来、八岐大蛇という形でしかこの世界に存在していくことを許されていません。私達は八岐大蛇として魔皇を滅ぼす存在、魔皇を滅ぼした後は用済みとしてこの世界から消え去る運命にあります。しかし、八岐大蛇の姿でいる間はこの世界に存在し続けられる」
「つまり、バラバラの状態じゃマズイってことか?」
「そういうことになります、しかし復活した私達はものの見事にバラバラでした。そもそも、儀式を行った術士は私だけを蘇らせようとしたようです。ですから、私が一番最初にこの世界に蘇りました。しかし、私を蘇らせるという事は八岐大蛇を蘇らせるに等しい。結果、私だけでなく私以外の退魔皇剣も次々にこの世界に復活を遂げました、残念ながらバラバラの状態で」
「なるほど、バラバラじゃダメなのにバラバラで蘇ったのか。じゃあ、エアたちは一週間以内に全員が死ぬのか?」
「はい、このまま何も手を打たなければ」
「どうすれば助かるんだ?」
「他の全ての退魔皇剣と融合し、一つとなって八岐大蛇として復活すれば死なずにすみます」
「なるほど、でも何でそれが殺しあいに?」
「そうですね、退魔皇剣の合体とはお互いの同意によってではなく、一方が一方を支配することによって初めて成し遂げられます」
「と、言うと?」
「他の退魔皇剣を屈服させ、強制的な眠りにつかせます。そして、それを吸収する。そして最後まで屈服しなかった退魔皇剣のみが自分の意志を持ったままで八岐大蛇となります。他のものは、八岐大蛇が消滅するまで二度と目覚める事はない」
「それって」
「はい、事実上の死ですね。二度と自分の意識を持てず永遠に眠り続ける。誰も受け入れようとは思わないでしょう。しかし、そうしなければ私達全員は共倒れになる」
「つまり……」
「はい、当然殺しあいになります。自分自身の存在を賭けた殺しあいです。そして、あなたはそれに巻き込まれてしまった」
 数騎を見つめながらそう口にするエア。
 そんなエアに、数騎は困ったような顔をした。
「待ってくれ、お前達が殺しあいをする理由はよくわかった。でも、それが何でオレに関係あるんだ?」
「退魔皇剣は単独ではたいした力を持ちません。退魔皇と呼ばれる契約者がいて初めてその力を発揮できます」
「退魔皇?」
「文字通り魔皇を退ける者のことですね。正確には退魔皇剣の魔剣士とでも言ったところでしょうか。一応のところ、退魔皇剣は魔剣士がいなくても他者と交戦が可能です。しかし、魔剣士無しでは大した戦いはできません」
「なんでだ?」
「退魔皇剣はあくまで武器であり使い手がいなければ力が発揮できません。私達退魔皇は二種類の能力を持っており、弱い能力を退技(たいぎ)、強力な能力を皇技(おうぎ)と言います。その内の退技を使用できるようになる条件、それが通常契約です」
「通常契約……」
 エアの言葉を反芻する数騎。
 そして気付いた。
「あっ、それって!」
「はい、私と数騎さんが交した契約ですね。おかげさまで私は退技を使用できる状態になりました」
「待て、それじゃもしかして、オレはエアとその契約を交しさえしなければ」
「まぁ、殺しあいに参加せずにはすんだでしょう」
「お前、オレをハメたのか?」
「とんでもない、あの契約はあなたのためでした。もし契約しなければ、あの黒装束に殺されていたかも知れませんよ。ちなみに言っておくと、最初に数騎さんを助けた時、私は相当無理して能力を底上げして矢を迎撃しました。あんな無理な戦い方は長持ちしません。退技が使えるなら問題なかったのですが、契約無しで退技は使えません。もし、あの炎使いの退魔皇があの行動を起さなければ、私と言う盾を失ったあなたは確実に黒装束に殺されていたでしょう」
 その言葉に、数騎はぐぅの音もでなかった。
 エアの言葉があまりにも正しかったからだ。
「でも、何で黒装束はオレを狙ったんだ?」
「さぁ、恨まれるようなことでもしたんじゃないですか?」
「オレが?」
「それしか考えられません」
 ばっさりと口にするエア。
 数騎は人に恨まれるような覚えは無かったが、もしかしたら記憶を失う前に何かあったのかも知れない。
 そういえば、鉄槌を持った仮面の男も自分を知っているようなそぶりを見せていた。
 と、そこで数騎はあることに思い至った。
「そうだ、エア。もしかして、あの鏡の中にいた仮面を被った連中って……」
「気がつきましたか、恐らく予想通り。彼らは退魔皇剣と契約した魔剣士。退魔皇たちです」
「なるほど。それで、なんであいつらは仮面をかぶってたんだ?」
「簡単です、彼らは『仮面契約』をした人間たちだからです」
「仮面契約?」
「はい、そもそも魔剣と言うものは人間が魔の存在に対抗するために作り出した武装です。そのため、真の人間に近い者でなければ強力な魔剣を操る事ができません」
「真の人間? 真の人間とそうじゃない人間ってどう違うんだ?」
「そもそも伝承では神は自分達に最もよく似た生物を作ったとされています、それが人間ですね。これが真の人間です。しかし、彼らは繁殖する仮定で異種族と交わり子を作りました。神の作った人間と、それ以外の人間。こうして、世界は混血で満たされる事となります」
「へぇ、じゃあ今この世界にいるのはほとんどが混血なんじゃないのか?」
「ところが、この世界には真の人間に近い血を持っている人間が数多くいます。そして、その祖先がスサノオと呼ばれるものなのです」
「スサノオ? あの八岐大蛇を倒した?」
「はい、彼は剣崎戟耶薙風(けんざきげきやなぎかぜ)という異名を持った真の人間、世界最強の魔剣士でした。しかし、子孫達は彼の力をそのまま伝える事ができず、その力を三分し、剣崎、戟耶、薙風の三家に分かれました。これが現代まで続く日本が誇る魔剣の御三家ですね」
「なるほど。それで、その御三家がどう関係するんだ?」
「言ったとおり、退魔皇剣は強力な魔剣で、真の人間にしか操れません。もしくはそれに限りなく近い御三家。その前に、退魔皇剣の強さには三ランクあることを説明しましょうか」
「何か説明が多すぎて頭が痛くなってきたな」
「もう少しで終わります、頑張ってください。まず、もっとも強力な威力を誇る退魔皇剣がありますが、これは剣崎戟耶薙風、つまり真の人間にしか操れない最強の退魔皇剣です。これは三振りあり、刀の退魔皇剣『界裂(かいれつ)』、剣の退魔皇剣『極炎(きょくえん)』、弓の退魔皇剣『滅神(めつしん)』の三つです」
「ん? 極炎ってもしかして」
「わかりますか? あの炎を撒き散らした剣のことです」
 なるほど、直感的に理解できた。
 あれだけの炎を操るのだ『極めし炎』は実に納得のいく名前だった。
「次に中間ほどの威力を持つ退魔皇剣について話しましょう、これは剣崎、戟耶、薙風のうち、どれか二つの力を持っている人間が使用可能な退魔皇剣です。該当するのは槍の退魔皇剣『戮(りく)神(しん)』、鏡の退魔皇剣『魔伏(まふく)』、矛の退魔皇剣『開闢(かいびゃく)』、槌の退魔皇剣『轟雷(ごうらい)』の四つですね」
「これは四つもあるのか」
「まぁ、使いやすく有能な退魔皇剣が多いですから。そして、最弱の部類に入る退魔皇剣は剣崎、戟耶、薙風のいずれかの血族のものなら扱う事ができます。玉の退魔皇剣『天魔(てんま)』、杖の退魔皇剣『双蛇(そうじゃ)』の二つですね」
「なるほど、それで九振り全部か」
「はい、そうです。今言ったうち、御三家の人間が操れるのは二つだけですね。で、ここで問題なのですが、スサノオの血族は人間がその身に全ての血の力を宿す事が出来ないことを知っていますので、お互いの間で血縁が結ばれることはありません。血縁を結び、子供を産もうとしても、大抵は子供が血の力に耐え切れず死にますから」
「と、いうことは。御三家の混血児は存在しない」
「はい、ほぼありえないと言っていいでしょう。例外はあるかもしれませんが。ですから、この世界に天魔と双蛇以外の退魔皇剣を素で使うことのできる人間はいません」
「素で使うって、通常契約をして使うってことか? その話しぶりだと、普通の人間が退魔皇剣を使うには『仮面契約』ってのが必要だって言ってるように聞こえるぞ」
「その通りです」
 言って、エアは服の中から仮面を取り出す。
 それは爬虫類の鱗をかたどった真紅の仮面だった。
「この仮面は『退魔皇の仮面』といい、これをかぶった者は剣崎戟耶薙風、つまりスサノオと同程度の魔剣を操る能力を得ることが出来ます。これをかぶり、契約することで、普通の人間でも退魔皇剣を使いこなすことができ『皇技』を操ることができるようになります」
「おうぎ?」
 その言葉に、数騎は目をまばたかせる。
 それを見て、エアが小さく咳払いした。
「退魔皇剣には二つの能力があります、一つは普通に普段から扱える低威力の技『退技』そして大きな威力を持つ技『皇技』です」
「退技と皇技か」
「はい、退技は通常契約をすることで私達が操れる力です。炎を出したり光の矢を放ったりするのがこれに相当します」
「で、皇技ってのは?」
「皇技は天地開闢の力です。そもそも退魔皇剣とはこの世界を創造する際に用いられた桁外れの威力を持った魔剣。真の力を引き出せるのは神だけですが、そのコピーとして作られた真の人間たちもそれに準ずる力は引き出せます。具体的に言うと核の火力に匹敵する炎を操るとかそんなところでしょうか。神が使った場合、この宇宙を焼き尽くしかねませんが」
「それじゃ、あの時の炎は?」
「はい、剣の退魔皇剣『極炎(きょくえん)』の皇技です。攻撃力最大の三大退魔皇剣の中でも破壊力だけなら最強の威力を誇る魔剣です。言うなれば極炎の退魔皇は歩く核兵器とでも言ったところでしょうか」
「退魔皇剣って、そんなヤバイ代物だったのか?」
「そうです、退魔皇剣の皇技はそれだけ強力と言ってしまえます。しかし、皇技には回数制限と代償があります」
「回数と、代償?」
「はい、皇技は使用者の肉体に多大な影響を与えずにはいられません。使用者は皇技を使用するために何かを代償として支払い、そしてそれを五回行った場合、もはや生きているとは言えない状態になります」
「それどういうことだよ」
「その前に数騎さんにはこの戦いに参加するメリットを教えておきましょう。もし、あなたがこの戦いにおいて全ての退魔皇剣とその退魔皇達を降し、勝利して全ての退魔皇剣を吸収し、八岐大蛇となった私の契約者となったとき。あなたは世界を創造した神の隣に座れるだけの力を手に入れます。この世界の全ての富、名誉。いや、あらたなる地球を作り、そこの支配者になることだってできます。もちろん、不老不死となり死の恐怖からも開放されます」
「デメリットは?」
「命がけで他八人の退魔皇たちと殺しあうこと、そして皇技の代償です。皇技は使用するたびに使用者から代償を要求する。そして威力の高い退魔皇剣ほどその代償は大きくなります。先ほど例にあげた極炎の皇技ですが。あの退魔皇剣の代償は理性です」
「理性?」
「つまり、頭の健全さですね。理性を失うごとに、その人間は狂っていきます」
「ちょっと待て、ってことは?」
「はい、使用するたびに彼は狂人となっていくでしょう。最後は自分が誰かもわからなくなります。死んだのと大差のない状態ですね」
「皇技……そんなに恐ろしいものなのか?」
「はい、そして皇技は仮面契約を結んだ退魔皇にしか扱えません。ですから、私は数騎さんとは通常契約しかしませんでした。あそこで騙して仮面契約することも出来たのにです」
「なぜそうしなかった? 仮面契約の方がそっちにとって有利なんだろ? どっちみち、契約したら巻き込まれざるを得なくなるんだから」
「私は他者を騙す事を好みとはしていません。何も説明しない状態でそんな契約を強いるなど私の誇りが許しませんから。それに、通常契約ならあなたはどこかに隠れているだけで戦いに参加した事になりますが、仮面契約の場合は魔装合体することになります」
「魔装合体?」
「仮面をかぶり、退魔皇剣の精霊と一心同体になることです。これをすると私の持っている剣技をはじめとした能力が合体したあなたのものとなり、さらに皇技も使用することができます。ただし、仮面をかぶっている時のみで、仮面を外したら合体は解けます。まぁ、少しなら仮面無しでも合体は維持できますが」
「通常契約では合体できないのか?」
「できますよ、ただし御三家並みに真の人間に近い場合のみですが。ちなみに私と通常契約で合体できるのは剣崎戟耶薙風のみです」
「なるほど、オレでは無理と」
「そうです、ついでにこの戦いにおける脱落の方法も教えておきましょう。通常契約の場合は退魔皇剣の精霊が実態を保てなくなるまで消耗するか、それともあなたが命を落としたらですね。退魔皇剣の精霊がダメージを受けて倒されると抵抗できなくなり、他の退魔皇剣に吸収されるだけとなります。契約者が死んだら……まぁ、説明はいりませんね。最も、あなたは死んで私が生きている場合は、私は他の契約者を探す事もできますが」
「薄情な話だな」
「そうでもありません、これは通常契約の話ですから。仮面契約だとそうはいきません」
「と、言うと?」
「仮面契約において必要になるのは仮面と契約者です。契約者が死んだ場合はやはり別の契約者を探す事ができますが、仮面が砕かれた場合はそうはいきません。一度契約の媒介とした仮面は言わば退魔皇の精霊のすべてが詰まっているといってもいいでしょう。それを砕かれた場合、退魔皇の精霊はダメージを受け、他の退魔皇剣に吸収されるまで仮死状態になります、つまり敗北ですね」
「なるほど、仮面契約した場合は契約者は戦闘時仮面をかぶっている。つまり、仮面を砕かれるような状況と言えば」
「はい、退魔皇が死ぬ状況でしょう。その場合、供に倒れることになります」
 真剣な顔で頷くエア。
 と、そこまで聞いて数騎はあることに思い至った。
「そうだ、今思いついたんだが。もしかして通常契約っていつでも解約できるんじゃないか?」
「できますよ、ちなみに仮面契約も解約できます」
「じゃあ、解約していいか? 正直、オレは殺しあいに参加する力も無ければ度胸もない」
「構いませんが、死にますよ?」
「どういうことだ?」
「あなた、あの黒装束に狙われてるじゃないですか。もし次襲われたとき、私無しで生きていられると思いますか?」
「………………」
 数騎は返事に窮した。
 もしかしたら黒装束が自分を狙ったのはあの場限りかもしれない。
 しかし、そうである保証はない。
 もし、エアが自分の元を去った後に黒装束に襲われでもしらた、それこそ数騎が生き残れる道理はなかった。
「まぁ、通常契約くらいは結んでおいた方がいいでしょう。それがお互いのためです」
「わかったよ、じゃあこれからしばらく頼むぜ。最も、できるだけオレを巻き込まないように戦ってくれ」
「わかりました」
 頷くエア。
 その表情は心なしか嬉しそうだった。
「ところで数騎さん、お願いがあるんですが」
「何だ?」
「実は住むところがないんです、この世界に蘇ったばかりですので。もしよろしければですが、用心棒として居候でもさせていただけないでしょうか?」
「あぁ、いいぜ。狭い部屋だが使ってくれ」
 そう言うと、エアは本当に嬉しそうに大きく頷いて見せた。
 それを見て、数騎は小さくため息をつく。
「さて、じゃあアーさんのところに行ってメシでもいただくか。ん、そういえばお前はメシとか食うのか?」
「はい、できれば。別に輝光供給さえあれば大丈夫なのですが、物理的な補給は数騎さんの負担を減らすことになると思います」
「なるほど、じゃあ一緒に下行くぞ。アーさんがメシ作ってくれてる。とりあえずお前は……まぁ、オレの親戚の甥っ子ってことにでもしておこうか」
「はい、ではそれで」
「よし、じゃあ行こうか」
 立ち上がり、玄関に向かう数騎。
 と、途中であることを思い至り、立ち上がる途中のエアを振り返った。
「エア、質問なんだが」
「何ですか?」
「お前と契約して皇技を使う場合、オレは一体どんな代償を払う事になるんだ?」
 その言葉に、エアは少しだけ言いにくそうに言った後、口を開いた。
「寿命です」
「寿命?」
「はい、例外はありますが、どの退魔皇剣の皇技でも使用できる回数は五回までです。これは五回使用するとそれ以降、死ぬか死んだと同様の状態になるからです。そして、私の皇技は使用するたびに寿命を五分の一、失う事になります」
「つまり、お前と供に戦うということは」
「文字通り命を削る戦いということになります。私としては仮面契約の方が歓迎ですが、その場合はよく考えてから契約してください、いずれにしても後悔だけはないように」
 重苦しく響くその言葉。
 数騎は数瞬黙りこくっていたが、その言葉を受け入れるとエアを引き連れて下の階にいるアーデルハイトの元に向かった。
 エアの存在はアーデルハイトに驚かれたが、運よくアーデルハイトは多めに料理を作っていたので、足りないということはなかった。
 今夜のシチューは疲れていたためか、本当においしく感じられた。








「そろそろ出てきたらどうです?」
 振り返り尋ねたのは陣内だった。
 それは人気のない路地裏。
 先ほどまでの戦いなどなかったかのように、済ました顔で歩いていた陣内は深夜で誰の姿も見えない路地裏を通って帰路についていた。
 その言葉が聞こえた瞬間、建物の影から一人の男の姿が現れた。
 音も無く気配も無く。
 ただ、そこに映像としてだけ現れたかに思えるそれは、長身の男だった。
 身長は高く百九十センチを超えており、一見して魔術師だとわかるほど露骨なローブを着ており、その上に銀色に輝く胸甲、両手には同色の手甲をはめている。
 髪は長髪、首の後ろで結ばれたその髪は、生え際から首で結んだあたりまでは白く、その先は赤。
 だが、目にとまるのは病的なまでに白い肌、そして赤い色に染まるその瞳。
「気付かれていたとはな」
 赤い目の男が口を開いた。
 よく通る、澄み切った声だった。
 そんな男に、陣内は告げた。
「暗殺者のように優れた尾行であることは認めますが、如何せんあなたの存在は強大すぎて、隠そうにも気配が隠しきれていませんでしたよ。他の馬の骨ならいざ知らず、退魔皇相手にその程度の陰影では存在は隠しきれません」
「なるほど、道理だな」
 口元に笑みを浮かべる男。
 そんな男を前にして、陣内は懐から仮面を取り出した。
「お初お目にかかり光栄です、赤の魔術師。それともジェ・ルージュとお呼びした方が?」
「好きな方で呼べ、どのみち貴様からその名で呼ばれることも今日限りだ」
 ジェ・ルージュと呼ばれた男は右手を陣内に突き出し、左手を胸のあたりに持ってくると戦いの構えを作った。
 それを見て、陣内が仮面をかぶる。
「魔装合体!」
 仮面を媒介にして、陣内と矛の退魔皇剣『開闢』の精霊が合体した。
 その手には先ほどまで存在していなかった矛。
 黄金の鎧甲を纏う陣内の肉体からは、迸らんばかりにすさまじい輝光の奔流が感じられた。
 ジェ・ルージュは右手の指を高らかに鳴らす。
 その瞬間、世界が反転した。
 一瞬にして異層空間が展開され、そこに鏡内界が構築される。
 ジェ・ルージュはそれと同時に人間を二人、鏡内界に取り込んだ。
 一人はもちろん自分、そして、もう一人は陣内だった。
 鏡内界をつくるには、鏡内界の基点をつくる必要があり、ジェ・ルージュは自身が装着する胸甲を基点に鏡内界を作った。
 基点とは、異層空間を展開してその中に鏡内界を作り上げる時に必要なこっちの世界と鏡内界をつなぐためのものだ。
 実はこの基点となる鏡(もしくはそれに準ずる反射率を持つ物質)が鏡内界の存在に必要不可欠であり、これが砕けると鏡内界は崩壊し、中の人間全てが外に放りだされることになる。
 ジェ・ルージュは陣内を逃がす気はなかった。
 だからこそ、逃げていては絶対に砕けない位置に基点を持ってきて、陣内に相対したのだ。
「ふむ、やるからには徹底的にということですか?」
「その通りだ、お招きに預かれるかな?」
「いいでしょう、私もさっきは踊り足りなかったところです」
 そう言うと、陣内は矛を構えた。
 それを見て、ジェ・ルージュは胸甲の中に手を突っ込む。
 そして、中から短刀を取り出した。
 その数、八。
 指の間にそれぞれ短刀を挟み、ジェ・ルージュは両腕をふるってその短刀を投擲した。
 飛来する銀、迎撃するのは金色の矛だった。
 振るわれし矛は全ての短刀を打ち落とす。
 陣内は矛を構えるとジェ・ルージュに向かって突き進んだ。
 ジェ・ルージュはとっさに手で印を結ぶ。
 両手を突き出し、呪文を開放した。
 繰り出したのは風の術式だった。
 手から放たれる突風は陣内の突撃スピードを大きく減退させる。
 しかし、目的は別のところにあった。
 ジェ・ルージュは風を陣内の突撃を封じるだけでなく、風によって自身を移動させるのに用いた。
 乗るように風を操り、ジェ・ルージュは陣内から大きく距離を取る。
 その距離およそ八メートル。
「おや、どうやら私の退魔皇剣の能力をご存知のようですね」
 感心したように口にする陣内。
 ジェ・ルージュの持つ情報の量を警戒したのか、突撃態勢をやめ、距離を取っている。
 そんな陣内に対して、ジェ・ルージュは言い放った。
「開闢、操る力は存在確率。そして持ち合わせる伝承は……」
 言葉を切り、はっきりとした声で続ける。
「天沼矛(あまのぬまほこ)、そうだろう?」
「ご存知でしたか」
 かすかに微笑む陣内。
 そう、ジェ・ルージュの言葉は正しかった。
 そもそも、退魔皇剣という魔剣はあらゆる伝承に登場する聖剣や魔剣の根源となっている。
 わかりやすくいうと、日本では退魔皇剣などと呼ばれ区別されてもいたが、別の地域などに渡り、別の名前で語り継がれていることもあった。
 退魔皇剣は退魔皇戦争の直後は八岐大蛇として生きていたが、その存在を危惧したスサノオノミコトによって消滅させられた。
 しかし、世界には消滅した存在を蘇らせる呪法がいくつか存在し、神話の時代にはよく蘇らせられ、その力を振るったのだった。
 もっとも、全ての退魔皇剣が消滅した美坂町でなければ全ての退魔皇剣を同時に蘇らせることは不可能で、個別の再生に限りはしたのだが。
 ジェ・ルージュの眼前に存在するは矛の退魔皇剣『開闢』、そしてそれが伝承に残した名前は天沼矛である。
 天沼矛は日本の創世神話に登場する神器で、日本と言う島を何もないところから作り出されたとされる。
 世界中の伝承を調べていけば退魔皇剣の正体はおのずと見えてくる。
 そして、それらの知識を持つジェ・ルージュは、いとも簡単にその正体を看破してしまった。
「正直、私としては貴様が一番やっかいだ。他の退魔皇剣を手に入れてその強さを増す前に始末させてもらうぞ!」
 言うやいなや、ジェ・ルージュは全身に輝光を引き出し始めた。
 肉体に存在する輝光が高まり、両腕に輝光が集中しだす。
 特に目をこらすまでもない。
 ジェ・ルージュの肉体の周りには、赤い色の輝光が唸りを上げて術式を構築する。
「二百、三百、四百……さすがは赤の魔術師。まだ増えますか」
 高まっていく輝光を前にして、さすがに陣内も冷や汗を流す。
 さすがは当代最強の魔皇と呼ばれることだけはある術者だ。
 敵前であるにも関わらず、一糸乱れぬ集中力でもって瞬く間に世界で最も複雑にして高度な術式をくみ上げる。
 魔術師相手では術式をくみ上げる前に潰すのがセオリーだ。
 詠唱時間というスキこそが、術者にとって最大の弱点だからだ。
 しかし、陣内は仕掛けなかった。
 いや、仕掛けられなかった。
 ジェ・ルージュほどの術者なら、詠唱途中の術式を無理矢理別の術式に書き換え、即座に反撃に移ることができる。
 動けば死、動かずとも死。
 そんな極限状態の中、陣内はジェ・ルージュが構築する術が完成する様を目にすることになる。
 ジェ・ルージュは自分の両手を祈るように組み合わせると、それをそのまま腕を伸ばして眼前に突き出した。
 指と指を絡めて突き出した両手に、異常なまでの輝光が集中し始めた。
 赤く迸る輝光。
 ジェ・ルージュは自分の指をゆっくりと手から解き始めると右手を上に、そして左手を下へと動かし始めた。
 手と手の間に赤く輝く発光体がその姿を大きくし始める。
 そして、ジェ・ルージュは再び手を眼前で組みなおすと、今度は右手を右に、そして左手を左に動かし、力の限り両腕を広げた。
 それと全く同時だった。
 ジェ・ルージュの目の前にあった発光体が突如としてその輝きを増した。
 その全長は十メートル。
 赤く輝くその光はジェ・ルージュの頭上へ。
 そこには、紅赤(こうせき)の光を放つ竜が存在していた。
 迸る輝光。
 圧倒的なまでの存在感。
 それはあまりにも有名な術式。
 赤の魔術師の誇る最強の術にして、この魔術師を世界最強と決定づける最強の一撃。
 蒼天に光輝する紅赤の魔竜(デュラスト・シェルディ・ファイルツァー)。
 最大放出『千』を誇る、天下無双のその一撃は、ジェ・ルージュの命令を待って宙を飛び続ける。
 ジェ・ルージュは天に向かって右腕をかざし、そして鋭く前方に振りかざした。
 紅赤の竜が鳴き声をあげると同時に、肉体が触れていたあたりのビルが木っ端微塵に砕け散る。
 そして、建物を砕きながら、紅赤の竜は陣内に向かって飛来した。
「行っけぇ!」
 ジェ・ルージュの気合と供に、紅赤の竜が咆哮を放つ。
 赤く輝くジェ・ルージュの一撃は小型核に相当する破壊力を持ち、しかもそれを拡散させることなく一点に集中させるため、周囲の被害を防ぐだけでなく目標に対してダメージを集中させることができる。
 それだけの圧倒的な力が、陣内を消滅させるために襲い掛かる。
 しかし、
「待っていたぞ!」
 嬉々として叫び、陣内はなんと自分から紅赤の竜へと向かって走り出した。
「何っ!」
 目を見張るジェ・ルージュ。
 信じられなかった。
 まさか自分からあの術式に飛び込む者がいるとは。
 ジェ・ルージュは四千年におよぶ長きを生きてきたが、こんな行動をとられたことは片手で数えるほどもなかった。
 紅赤の竜がその巨大な口を開いた。
 陣内を飲み込まんとする紅赤の竜。
 しかし、陣内は自分からその口の中に飛び込む。
 次の瞬間、紅赤の竜が消滅した。
 中から現れたのは傷一つない陣内の姿。
「ちぃっ!」
 信じられないが目の前の出来事は現実だ。
 ジェ・ルージュはとっさに手で印を結び、術式を構築する。
 術は即座に完成した。
 まるで落下するような速度で、ジェ・ルージュは地面に吸い込まれていく。
 いや、違う。
 ジェ・ルージュは水に潜るように影に潜っていたのだ。
 影と影を結ぶ道を作り、影を扉として移動する空間転移呪文。
 ジェ・ルージュはとっさにそれを用いてその場から逃れようとした。
 必死の形相で迫る陣内。
 しかし、ジェ・ルージュが消え去る前にと懇親の力で突き出した矛はジェ・ルージュの命を奪うことはできなかった。
 突き出した矛の切っ先を、ジェ・ルージュが身をよじって回避したからだ。
 ダメージは頬をかすめたかすり傷のみ。
 しかし、
「残念」
 陣内は笑みを浮かべながら口にした。
 次の瞬間、消えたはずのジェ・ルージュの姿が陣内の斜め上、二メートルの位置に出現した。
 何が起こったかわからず困惑顔のジェ・ルージュ。
 それはそうだろう。
 ジェ・ルージュが用いた呪文は影に潜り、別の影からその姿を現すという空間転移呪文。
 けっして、何もない空中に出ることが出来る術式ではない。
 しかし、その一瞬の時間。
 それが、ジェ・ルージュの運命を決めることとなった。
「世界を創りし矛よ、創造の刃たる天沼矛よ、この世界を生み出したる奇跡を!」
 術式が紡がれ。
「運命操る黄金の閃光(ゴルド・スマッシュ)」
 その皇技が発動した。
 陣内を、いや開闢を中心にして黄金の閃光が放出しはじめた。
 その範囲はおよそ半径五メートル。
 そして、ジェ・ルージュを包み込むには充分な射程。
 ジェ・ルージュは、矛の退魔皇剣の皇技の直撃を味わうこととなった。
 重力によって地面に引かれ、落下するジェ・ルージュ。
 それを見て、陣内は大声で笑い出した。
「はははは、様ないですね! 赤の魔術師さん!」
 地面に倒れるジェ・ルージュの姿は、どこからどう見ても変わり果ててしまっていた。
 まず、服のサイズがあっていなかった。
 服の布はかなりあまりぎみで、どうしようもないほど不恰好に見える。
 理由は簡単だ。
 大人が着る服を子供が無理に着た所で、どう考えても似合うはずがない。
 そう、陣内の前に倒れているのは子供だった。
 髪は短くその色は全て赤、肌の色は病的にまでに白く、しかしその顔は先ほどまでのジェ・ルージュに非常に似ている。
 ただ、非常に若々しいだけだった。
 ジェ・ルージュはうめきながら立ち上がり、変わり果てた自分の姿に驚いた。
「こ、これは?」
「驚きましたか? いや、まさか本当にできるとは思いませんでしたが、大成功のようですね」
 子供の体に縮んでしまったジェ・ルージュを前にして、陣内は笑いながら続けた。
「いや、実験のつもりだったのですが大成功のようです。本当に愉快だ」
 そう口にして笑い転げ、しかしすぐに笑うのをやめる。
「さて、そろそろ終わりにしましょうか。もしあなたが女性ならこれからお楽しみもあるというものですが、そうもいかないようですからねぇ。トドメをさしてさしあげますよ」
 そう言って距離をつめようと歩きだす陣内。
「ただ殺すのもなんですし、少し実験をしてみましょう。ところでジェ・ルージュさん。あなた、タイムマシンとかに興味はありませんか?」
「タイムマシン?」
「そうです、時間を元に戻したいと思ったことは?」
「ないな、そこまで後悔するような人生を送ってはいないんでね」
 強く言い返すジェ・ルージュ。
 しかし、子供に戻ってしまったジェ・ルージュの声がかわいらしく、全く威圧感がなかった。
 それを楽しそうに聞くと、陣内は続ける。
「それは残念です。実は私、過去に興味がありまして、少し戻ってみたいと思っているんです」
 そこまで言って、矛を構えた。
「お願いがあります、少し過去とやらに行って見てください。そして戻ってこれたら私に会いにきてくださいね。そうすれば過去に行けるということが実証されますので」
 口にし、陣内は矛に輝光を集中しはじめた。
 矛に輝光をチャージし、再び皇技を放つ気なのだ。
 ジェ・ルージュは動くことが出来なかった。
 いや、動かなかった。
 非力な子供の姿になってなお、ジェ・ルージュの戦う意志は潰えない。
 その小さな手にはいつの間にか短刀が握り締められていた。
 スキを見つけ、投擲する。
 それしかジェ・ルージュに残された選択肢は無かった。
 輝光のチャージが終わった。
 陣内がジェ・ルージュに再び襲い掛かろうとした、その時だった。
「走れ!」
 ジェ・ルージュから見て斜め後ろ。
 砕かれた建物の影から声が聞こえた。
 それと同時にジェ・ルージュは陣内に短刀を投擲、背中を向けて声の方に向かって走り出した。
「逃がしません!」
 短刀を叩き落し、陣内はジェ・ルージュを追おうとする。
 しかし、
「ゲド!」
 声が再び聞こえた。
 響き渡るその声は、後ろから迫る存在を気付かせるには充分だった。
 陣内はとっさに後ろを振り返る。
 そこには口に短刀をくわえた黒猫の姿。
 陣内の首を掻っ切るべく、飛び掛るその猫の姿は死神そのものだった。
 死の恐怖を前にして、陣内は我を忘れた。
 普通に迎撃すれば何の問題も無かっただろう。
 しかし、死を目前にして陣内はいつの間に詠唱を終えていた術式を起動していた。
「運命操る黄金の閃光(ゴルド・スマッシュ)!」
 その皇技が発動した。
 陣内を、いや開闢を中心にして黄金の閃光を放出しはじめた。
 その範囲はおよそ半径五メートル。
 迸った閃光は、楽に襲い来る猫を消し飛ばすに充分な距離だった。
 猫が消滅した。
 陣内は、危機が去った事にほっとし、安堵の息をつく。
「しまった!」
 とっさにジェ・ルージュが逃げ出した方に目をやる。
 しかし、そこには誰の姿も見ることが出来なかった。
「逃げられたか」
 陣内は結果を受け入れた。
 と、鏡の割れる音がした。
「なんだ?」
 思わず周囲を見回す陣内。
 そして驚いた、信じられない現象が起こった。
 周囲に広がる光景にヒビが入ったのだ。
 それと同時に、景色が鏡のように砕け散った。
 パラパラと輝きながら落ちているガラスの破片。
 ガラスが零れ落ちた空間は、漆黒のみが残り、いくらその先にあるものを見ようとしても、その先には何もない。
 天井が漆黒にそまり、足元も漆黒、見渡す限り全てが漆黒の空間となった。
 光のない世界で陣内はじっと立ち尽くす。
 陣内は、いや陣内と魔装合体するイザナギはこの現象を知っている。
 これは鏡内界の崩壊だ。
 鏡内界を作り出す時に使用された鏡を破壊するとこのような現象が起こる。
 なら安心して構わない。
 このままじっとしていれば、先ほどまでいたのと同じ(といっても鏡写しに反転はしているが)空間に戻されるだけだ。
 入った鏡から放りだされるか、その場に留まるかが、普通に出るか崩壊して放り出されるかの違いだった。
 そして、光が戻った。
 陣内は目をこすり、そして周りを見渡した。
 そこはジェ・ルージュに取り込まれる前に自分がいた路地裏。
 しかし、鏡の外であるため、建物の倒壊などは起こってはいなかった。
「戻ったか」
 小さく息をつく。
 おそらく逃げ出しながらジェ・ルージュが自分の装着していた胸甲を砕いたのだろう。
 戦いが終わったことを悟り、陣内は仮面を脱ぐ。
 直後、立っていられなくなり地面に腰を降ろした。
「ふぅ、とんでもない相手だった」
 今さらになって息を荒げ、全身に大汗をかく。
 そんな陣内を、合体状態から分離したイザナギが見下ろしていた。
「イザナギ、さすがは聞きしに及ぶ赤の魔術師でしたね」
「そうだな、たしかに彼は強敵だった。が、」
 最後の言葉に強いアクセントをつけ、イザナギは続ける。
「だからと言って二度も皇技を使うこともないだろう。代償を忘れたのか?」
「面目ない」
 すまなそうな顔をする陣内。
 彼は非常に疲労しており、表情からそれが読み取れる。
 だから立ち上がろうとしない。
 いや、立ち上がることができない。
「しばらく休ませて欲しい、回復を待たないと」
「回復といってもたかが知れてはいるがね。失われたものは戻らない。杖をその手にしない限りは」
「やはり鍵は杖か」
「そうだな。出来るだけ早めに打破したい相手ではある」
 そう口にすると、イザナギが陣内の隣には腰を降ろす。
「とりあえず褒めてはおこう。あれほどの強敵をよくもまぁ」
「お褒めにあずあかり光栄です。それにしてもやはりすごい力を持ってますね、あなたは」
 陣内は隣にあるイザナギの顔を見つめた。
「まぁ、これでも退魔皇剣の一振りだからな」
 イザナギは少し照れながら答える。
 矛の退魔皇剣『開闢』、それは存在確率を操る退魔皇剣。
 その能力は二つ。
 一つは退技『操率(そうりつ)』、矛の刃に触れたものの存在確率をいくらでも操ることのできる力だ。
 それは何が対象となっても問題はなく、矛で触れたものの存在をいかようにでも操る事ができる。
 例えば先ほどのジェ・ルージュの竜の呪文は矛で触れた瞬間にその存在確率をゼロにして、消滅させ。
 ジェ・ルージュの頬をわずかに切り裂いた時はジェ・ルージュの存在位置の確率を変動させ、自分の頭上に転移させた。
 矛の刃が全て突き刺さった場合は対象物の存在確率をゼロから百までの好きな数字に変動させることができるが、かすった場合は低確率変動しか起せない。
 その上、消滅というのは存在するはずのものを消すためにこの世界に対して影響を多く与えるために確率変動率を大きくいじるのは難しい。
 そのため、その物体存在場所の確率を変動させた。
 わずか数メートルの移動なら世界に与える影響も少なく、その分確率変動率は高い。
 ジェ・ルージュは本来百パーセント影の中に潜るという状況を、矛が介入したことにより五パーセントの確率でそのまま落下、九十五パーセントの確率で陣内の頭上に転移。
 そのように存在確率を動かされたジェ・ルージュは、皇技によって戦闘能力を奪われた。
 開闢のもう一つの能力は皇技『運命操る黄金の閃光(ゴルド・スマッシュ)』だ。
 矛を中心として半径五メートル以内にある物質の存在確率を大きな範囲で変動させる。
 『操率(そうりつ)』が消滅と転移、もしくは方向性の変更しかできないのに対し、皇技は射程が延びると同時に時間と空間にさえ干渉できるようになる。
 この皇技により、ジェ・ルージュは自分が八歳だったころの姿に『自分がこの場に八歳の姿でいる確率』を極限まで高められ、現実に八歳の姿になってしまった。
 さらに後ろから陣内に襲い掛かったゲドはここに存在する確率をゼロにされ『数千年の過去の異世界に存在する確率』を百パーセントに高められたために過去の世界へと転移してしまったのだった。
 時間、空間、存在、すべてを自在に操るこの皇技こそが開闢の真骨頂だった。
 そしてその代償は筋肉。
 使用するたびに陣内は肉体の筋肉を少しずつ失っていく。
 損失量は使用するたびに一割、二割、三割、六割、十割と増えていく。
 五回目の使用時に全ての筋力を失い、心臓を動かす力さえも失い死に至る。
 失った筋肉は回復せず、陣内は今全身の筋肉の二割を失ってしまっている。
 数ヶ月寝たきりになり、筋力を失った状態に等しいのだ。
 とても立てるわけがない。
「戦闘をこなすなら、後一回の使用が限界といったところですか?」
 尋ねる陣内。
 それに対し、イザナギは頷いてみせる。
「おそらくそうなるだろう、いくら魔装合体で私の力が補填されるとはいえ、限界があるからな。ベースの肉体はあくまで君なのだから」
「わかりました、次から皇技の仕様はもっと慎重にします」
 疲れたように大きく息をつく陣内。
 と、そこで思い出した。
「そうだ、イザナギ」
「何だい?」
「さっきの聞こえてきた声のことだけど」
「あの声だな」
「そう、赤の魔術師に走れって言った声です。あの声の主、何を考えていたんでしょう」
「何を、とは?」
「だって考えても見てください。もし私が皇技を使おうとしたとき、後ろから襲いかかろうとしていた猫の名前を呼ばなかったら、恐らく私は奴に後ろから首を掻っ切られていたはずです」
 その言葉に、イザナギは言葉を失った。
「どういうことだ?」
 黙りこむイザナギに、陣内はさらに尋ねる。
 イザナギはしばらく考え込んでいたが、答えが見つからず首を横にふった。
 それを見て、陣内は仕方ないというようにため息をついた。
 空を見上げる。
 空には黒々とした雲。
 月や星はその頭上には輝いていなかった。







「何て様だ!」
 怒りも露に少年が、いや赤の魔術師が咆える。
 そこは深夜の公園。
 周りには誰の姿も無く、ただ街灯の明かりが公園を照らすのみ。
 夜中に吹く風が、ブランコの鎖をギシギシと鳴らしている。
「こんな姿に変えられただけでなくゲドまで殺されるとは」
 大きすぎてサイズのあわないローブを引きずりながら、ジェ・ルージュは滑り台を蹴飛ばした。
 金属の鈍い音が響く。
「燕雀、これはどういう事だ!」
 言い放つジェ・ルージュ。
 ジェ・ルージュの足元には、付き従うように側にいる黒猫、燕雀の姿があった。
「お前はいままでオレに未来を教えてきたが、今回の様はなんだ? お前が必勝確実と言うからやつに仕掛けたのにこの様だ。どう責任を取るつもりだ?」
 怒り心頭なジェ・ルージュの言葉。
 そんなジェ・ルージュに、燕雀は告げた。
「言いたいことはいくつかある。だが、まずは冷静になってほしい」
「あぁ、冷静だともさ。お前が思っている以上にはな!」
「じゃあ、まずは一つ。今まで何度か言ってきたが、オレは未来を予知できるわけじゃない。知ってるだけだ」
「どう違う?」
「予知するのは未来を見ることだ。知っているのは起こることを知ってるだけだ」
「わけがわからないが」
「つまり、信じられないかもしれないが、オレはお前と出会う四千年前からタイムスリップしてきただけなんだ。だから起こることを知ってる」
「初耳だ」
 燕雀の言葉にジェ・ルージュは驚きを隠しきれなかった。
 あきらかに動揺している。
 そんなジェ・ルージュに燕雀は続けた。
「オレは四千年先の未来、つまり今だな。この世界からオレは四千年前の過去に飛ばされた。そして今、ここにいる」
「じゃあ、何か? お前がいままでしてきた予知は」
「全部知識だ、未来にいたから過去を知ってただけだ」
「じゃあ、お前が今まで予知したりしなかったりわざとハズしたりしたのは?」
「もちろん、未来を変えないためにだ。未来を変えたらオレは消滅するかもしれなかったからな」
「なんと……」
 口元に手をあて、ジェ・ルージュは考え込むような仕草をした。
 なるほど、それならいままでの燕雀の行動が納得できたからだ。
 しかし、まだわからないところがある。
「ちょっと待て、お前がその事実を私に伝えたということは」
「もう予知はできない、オレが知っている未来はここまでだ」
「どういうことだ?」
「つまり、ついさっき四千年前のオレ、もしくはいままで未来にいたオレが過去に跳んだわけだ。もうバラしても問題はなくなった。未来は変わらない」
「わからないな」
「じゃあもう少し説明を。なんでオレがお前が負けるとわかってる戦いをさせたと思う?」
「お前が四千年前に見た時も負けたからか?」
「その通り、でも少し違うな。オレはあそこでお前に負けてもらう必要があった。いや、正確に言うならあそこであの『開闢の退魔皇』にゲドを四千年前の過去に飛ばしてもらう必要があったわけだ」
「なっ!」
 そこまで言われて、ジェ・ルージュはようやく気がついた。
「つまり、お前は……ゲドなのか?」
「まぁ、四千年前の名前だがな。もう、その名前で呼ばれたいとは思わない。今のオレは燕雀だ。四千年前にお前に名乗った通りに」
「そうか……そうだったのか……」
 四千年間解けなかった謎がようやく解けた。
 ジェ・ルージュは納得いかなそうにはしていたが、とりあえず落ち着きを取り戻していた。
 と、思い出したように焦る。
「ちょっと待て、じゃあ何か? お前はお前の存在を守るためにオレをこんな危地においやったわけか?」
「あたらずしも遠からずかな。まぁ、なんとかなると思うが」
「それは予知か?」
「予想だよ、もう預言者の真似はできないからな」
「確かに」
 微笑し、ジェ・ルージュはしゃがみこんで燕雀の顔をまじまじと見た。
「それでどうする、軍師。今回はリー・ホウを置いてきたから私にはもう予備戦力がないぞ。あるのはあと一枚きりのみだ。しかし、それでは退魔皇に対抗できないときている。策はあるか?」
「ある、場当たり的だが一番マシなのが」
「言ってみろ」
「退魔皇には退魔皇をぶつける、これが一番現実的だ」
「なるほど、それはそうだな」
 頷くジェ・ルージュ。
 と、ジェ・ルージュは燕雀の頭を小突いた。
「で、誰を味方につける?」
「味方になりそうなのは二人だな、一人は暴走して手がつけられない」
「どっちを味方にする?」
「決まってる、恩を感じている方だ。上手くすればもう一人も味方にできる」
「なるほど、では早速動くとしよう」
 そこまで口にすると、ジェ・ルージュは立ち上がり指を高らかに鳴らした。
 その次の瞬間、ジェ・ルージュの真上から人が振ってきた。
 真紅の具足に身を固めた天狗の面をつけた鎧武者。
 腰には長い刀を差していた。
 ジェ・ルージュは天狗を見上げながら口を開いた。
「わかってると思うが頼みの綱はお前だけだ。とりあえず味方を増やす、奴の家まで運んでくれ」
 答えず動こうともしない天狗。
 そんな天狗にジェ・ルージュは続けた。
「名前まで言わせる気か、味方につけられそうなのはあいつしかいないだろう」
 それを聞いて、天狗はようやく頷いて見せた。
 しゃがみこみ、ジェ・ルージュに背中に乗るように示す。
 ジェ・ルージュは小さな手足をうごかして天狗に背負ってもらうと、指で行く先を指し示し、天狗はそれに答えて走り始めた。
 その後ろを燕雀がついていく。
 夜の闇を、真紅と黒が走り抜けていく。
 その行く先には、あの男が存在していた。







 薄汚れたアパート。
 建てられて十年ほどすぎているのだろうか。
 それなりにきれいではあるが、ところどころに黒ずんだシミが壁には見受けられる。
 四階建てのアパートの三階。
 一番端のその一室が斉藤正二の自宅だった。
 ワンルームのその部屋は散らかっており、一人暮らしの男の部屋と言われれば誰もが納得しただろう。
 数ヶ月以上洗っていないため、わずかに黄ばみ始めたくしゃくしゃの敷布団。
 その上に斉藤は座り込んでいた。
 服はいつもとかわらずトレーナーにジーパン、部屋なのでコートは着てはいないがニット帽だけは外さない。
 そんな斉藤を見つめながら、大男のスルトは部屋の隅に座りながら時折窓の外を眺めたりしていた。
 この時代が珍しいのだろう、電気で彩られる町を見る目は好奇心であふれていた。
 スルトは荷物を蹴り飛ばすように払いのけ、部屋の隅に自分の居場所を勝手に作っていた。
 生ゴミ、雑誌、いろいろなゴミの存在で部屋にはいい感じに異臭が漂っている。
 斉藤はもはやそんな匂いなど意にも介しておらず、スルトもむしろその惨状を楽しんでいるようで部屋については何も言おうとしなかった。
 そんな薄暗い部屋にあって、斉藤はずっと座ったまま動かなかった。
 何かをするという気力がないのだ。
 いつもはこの時間になるとクスリが切れてクスリを使いたくなる頃なのだが、なぜかやる気が出てこない。
 先ほどの乱戦があまりにも斉藤に大きな衝撃を与えていたのだ。
 そも、斉藤は光の当たるところで生きている人種ではなかった。
 覚醒剤に手を出し、ヤクザどもの末端として日々の金を稼ぎ生きてきた人種だ。
 斉藤にとってもっとも大きな武器は斉藤の小柄な体に不似合いの強力な筋力、そして体術だ。
 ケンカで負け知らずの斉藤は、ヤクザたちのボディガードとしても活躍できるし、ヤクザに上納金を納めない風俗店の店主をボコボコに叩きのめしたり、借金を返さない負債者の体に消えない恐怖を叩き込むことに長けていた。
 ようするに表の世界で生きられない人種なのだ、斉藤は。
 本来は誰よりも光の当たるところを目指していた男だが、六年前を境に彼は表の道を歩かなくなった。
 自身も薬物におぼれ、ただいつか動かなくなる日を待つだけの日々。
 それまでは希望にあふれていた。
 小学生の頃から格闘技を習っていた斉藤は、クラスのリーダーであり、誰にも負けないほど強かった。
 中学生になると格闘系の部活からスポーツ系まであらゆる部活に誘われたが、彼は軽音部に進んだ。
 彼の夢はアイドルになり、誰よりも光り輝くスターになることだった。
 中学を卒業すると、彼は親に自分の夢を打ち明けた。
 親も賛同し、彼はアイドル養成事務所に入り、輝けるその日に向けて毎日を精一杯に生きた。
 とうとう全国的に知られた有名アイドルがテレビに出演して歌う際に後ろで踊るバックダンサーを勤められるほどに実力もつけた。
 あとはデビューの日を待ち、事務所が選んでくれた仲間と供に芸能界に飛び込むだけだった。
 そんな時だった、斉藤の父親が犯罪で捕まったのは。
 斉藤の所属するアイドル養成事務所に通い続けるためには、多額の金が必要だったが、稼ぎの少ない斉藤の父親は借金してでも子供に夢を追わせた。
 しかし、どうしても金が足りなくなり、斉藤の父親は犯罪を犯してでも金を工面し、そして捕まった。
 身内から犯罪者を出したため、斉藤は事務所を追い出された。
 デビューの話も立ち消え、斉藤は夢への道を閉ざされた。
 それを苦にした斉藤の父親は、収容所で自殺した。
 それからの斉藤はその日暮らしで残った母親を支えた。
 夫を失った母親は、病気になり寝込んでしまったのだ。
 それから一年後、風邪がこじれて重い病気にかかり、母親も死んだ。
 斉藤は何もかもを失った。
 家族、夢、そして人生。
 絶望した斉藤は麻薬の味を覚え、そして二度と表の世界を歩くようなことはなくなった。
 全てを無価値と断じ、クスリと女と酒だけを楽しみ、いつか死ぬ事のみを望んでいた。
 しかし、彼にはまだ執着することがあった。
 それは幼い頃、父親と交した言葉。
 軽井沢の山奥で、斉藤は父親と空に輝く星々を眺めた。
 誰からも愛される夜空に輝く星。
 光り輝いて人々を照らす星のような人間になれと、斉藤は父親から言われた。
 それを心に秘め、斉藤はクラスの中心人物となり、そしてアイドルを目指した。
 全ては過去のことだけど、それでも斉藤の心には星という言葉が強く残る。
 星、星、星。
「そうだ、星だ」
 斉藤は布団から立ち上がり、カーテンを閉めていない窓へと歩み寄る。
 空を眺める斉藤。
 しかし、そこに星は見えない。
 地上が明るすぎるため、星の光では地上の光に勝てない。
「星が見えねぇ」
「そうだな」
 斉藤の言葉にスルトが答えた。
「確かに星が見えない、美しくは無いな。地上の光が明るすぎるのだ。全く、夜なのだから電気くらい消せというのだ。いや、夜だからこそ明かりをつけるのかな」
「お前の言うとおりだ」
 斉藤はスルトに掴みかかるようにして続ける。
「地上が明るすぎるから星が見えないんだ。星だよ、オレは星を見たいんだ。お前はどうだ?」
「私も、星が見たいがね。星が見えればこの夜景は最高だろうさ」
 そう言って、スルトは窓の外を指し示す。
 そんなスルトに、斉藤は歯をむき出しにして笑顔を見せた。
「なら話は早い、この空を星の光で満たしてやろうじゃないか。オレ達の輝きでこの町を満たしてやればいいんだ」
「なるほど、いい考えだ」
 頷くスルト。
 そんなスルトを前にして、斉藤は窓を開けた。
 冷たい風が部屋の中に入ってくる。
「行くぜ、スルト。今日は楽しくなりそうだ」
 そう言って斉藤はいつの間に手にしていた仮面を顔にかぶる。
「魔装合体!」
 スルトの姿が消え、斉藤の肉体が西洋の甲冑のようなものに包まれる。
 武装を終えた斉藤は、右手に長剣を握りしめながら夜の闇に飛び込んでいった。







 そこは安っぽい民宿だった。
 この美坂町には春になると雪が降っている中で咲くという雪桜なる名物があり、その時だけ多くの人が集まる。
 そんな時に人々が泊まる民宿として有名なのがこの雪見の宿だ。
 宴会場の一つもない小さな民宿だが、一階はみやげ物屋が大繁盛している。
 そんな民宿の二階の部屋にその男はいた。
 木製のちゃぶ台を前にして、その男の姿はあまりのも異相だった。
 顔には仮面、体には甲冑、肩からはマントをかけており、その下は黒い服装。
 イメージカラーはと言われれば間違いなく青紫と言えるだろう。
 それほどまでに、男は青紫と黒で彩られた装具を固めていたのだ。
 テレビもつけず、茶も用意せず、座布団の上で完全武装の男が胡坐をかき、腕を組んで座っていた。
 扉が叩かれる音がする。
「入れ」
 男は声を出した。
 扉が開き、少年が姿を見せた。
「さっさと閉めろ」
 男がそう言うと、少年は扉を閉める。
「いやいや、急に訪れて悪かったな」
 少年は靴を脱ぎながら男に歩み寄る。
「こちらとしても少し困った展開になった、そこでお前に会いに来たわけだ」
「何をしに来たと思えば、どうした、その様は?」
 振り返り、少年の姿を見ながら男は言った。
 赤い髪と赤い瞳をした少年。
 マフラーにダッフルコート、毛糸の手袋と八歳の少年にふさわしい子供らしい格好をしている。
 マフラーを取り、手袋を脱ぎながら少年は、いやジェ・ルージュは言った。
「ちと味方に裏切られてな、開闢の退魔皇と遣り合ってこの様だ、轟雷の退魔皇よ」
「なるほど、存在確率をいじられたか。あんたともあろうものが情けない姿だな」
「これ以上いじめてくれるな」
 そう言って、ジェ・ルージュは男に歩み寄る。
「こうなった以上、私単独で事態の収拾を図りたかったが、正直無理だ。そこでお前に頼みがある」
「言ってみろ」
「お前の力を借りたい、もはや私は魔皇としての力を失った。正直、退魔皇に魔皇が挑むこと自体が間違いだったのかもしれん。やはり退魔皇を退けるのは退魔皇しかいない。そこでだ、お前に助力を請いたい」
「助力か」
 口にし、男は手の中に鉄槌を何もない空間から出現させた。
 重いその鉄槌を、男は肩にかけるように持つ。
「聞きたいが、あんた。何で最初からオレに助力を請わなかった?」
「………………」
 答えないジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに、男は続けた。
「お前はオレに勝利させたくなかった。そりゃあそうだろう、全ての退魔皇剣をもつ人間なんていたらお前だって困るだろうからな。だから自分一人で全ての退魔皇を滅ぼそうとでも考えていたんじゃないのか? なるほど、お前なら失敗しなければできたかもしれない。だが、駒が尽きてようやくオレに考え至ったか。なるほどなるほど、都合のいい話が好きなんだな、相変わらず」
 吐き捨てるように告げる男。
 そんな男に、ジェ・ルージュは舌打ちした。
「助けられた恩も忘れたか」
「覚えているさ、恩返しならオレが八岐大蛇を手に入れた後にでも存分にしてやるよ。オレには八岐大蛇を手に入れなきゃいけない理由があるからな」
「そうか、わかった。お前の助力は請わない。だが、正直に言っておくが私は最悪お前がこの戦いの勝者になればと思っていることだけは確かだよ。お前の望みが手に取るようにわかるからだ」
「なるほど、お褒めにあずかり光栄だ。だが、それでもお前は自分で八岐大蛇を手にしたいと思っていたんだろ? 大した望みのないあんたの事だ、どうせ手に入れた八岐大蛇の力で八岐大蛇の消滅とか狙ってたんじゃないのか?」
「わかるのか?」
「わからでか、あんたがオレを知るようにオレもあんたを知ってる」
「そうか」
 そう答え、ジェ・ルージュは男に背を向けた。
 出口に向かって歩くジェ・ルージュ。
 と、その最中、ジェ・ルージュはわずかに足を止めた。
「ところで、刀の退魔皇剣のことなんだが」
 振り返りながら続ける。
「界裂の退魔皇、あれはお前の既知だろう? どうする気だ?」
 その言葉に、男はしばらく考えた後。
「殺すさ、あいつは何も償ってはいやしないんだからな」
 そう男が口にした瞬間だった。
 ジェ・ルージュと男が同時に窓の外に目をやった。
 退魔皇剣のいずれかが起動したとしか思えない圧倒的な輝光の感覚。
 そして、夜が明けた。
 いや、まるで夜が明けたように見えただけだった。
 燃えている。
 町が燃えている。
 それは凄まじき大火災。
 木が、家が、町が。
 まるで山火事のように立ち上る炎が、夜を真昼に変えていた。
 ただ、色がおかしかった。
 本来ならオレンジと黄色で立ち上るはずの炎の色が、赤紫と不自然な色をしていたのだ。
「バカな、何時だと思ってやがる!」
 男が場違いなことを言い始める。
 そんな男に、ジェ・ルージュは告げた。
「今は深夜二時だが。異能者連中にとっては夜の戦いの方が普通じゃないのかね?」
「そういう事じゃねぇだろ! 何だありゃ、何で現実世界で退魔皇剣使ってやがる! 異能者は一般人にその存在が知られないよう、鏡内界でドンパチやるのが基本だろうが!」
「今回の儀式には一般人も多く参戦している可能性は高い、そんな常識知らないのかも知れないぞ」
 事実そうだった。
 九振りの退魔皇剣が集結した先ほどの乱戦は陣内が、斉藤を鏡内界に誘ったことで鏡内界での戦いになっただけだ。
 異能は鏡内界だけでなく現実世界でも使える、ならば戦場が鏡内界だけになる道理などない。
「ふざけやがって、どこのバカだ!」
「炎を操るのは剣だろう。極炎の退魔皇め、先刻あれだけ暴れまわっておきながらまだ……」
 悔しそうに口にするジェ・ルージュ。
 そして、ハッとなった。
「マズイぞ、暴れてるのが極炎だとしたら極めて危険だ」
「どういうことだよ」
「極炎の代償は、確か理性だったな」
「それがどうし……」
 た、とまでは続けなかった。
 男はすぐさま危険性に気付く。
「待て、極炎の退魔皇が狂人だとしたら」
「下手をすると現実世界で皇技を使うかもしれない」
「冗談きついぜ」
 男は目を見開いた。
 極炎の皇技は核の炎だ。
 ジェ・ルージュの最大戦闘能力はまさに歩く小型核だが、極炎の炎は間違いなく核兵器のそれだ。
 先ほどはこちらの世界のコピーでしかない鏡内界を焼き尽くしたに過ぎなかったが、それがこちらの世界で使われれば。
「間違いなく核攻撃を受けたとして戦争が起こるかもしれない。しかもそれが裏世界の、魔術結社の管轄で起こったとなれば私達が皆殺しにされる可能性もある」
「ふざけんな! オレたちは何もしてないだろうに!」
 男が怒鳴るが、ジェ・ルージュは落ち着き払った声で続ける。
「しかもそれだけでは済まない。知っているとは思うがこの町は儀式遂行のためにいつぞやの如く大結界で外と中の出入りができない。極炎の効果範囲を考える限り現実世界で皇技を使用された場合に逃げ場がない」
「鏡内界に逃げるってのは?」
「無理だな、鏡内界をつくるには基点となる鏡がいる。貴点の鏡はこちらと向こうに両方存在していなければ鏡内界を維持できない仕組みだ。鏡内界の中の鏡はもちろん、鏡内界の外の鏡が砕かれれば鏡内界は崩壊し、中の人間は外に放りだされる。それが極炎の炎で砕かれたとすれば」
「外に出た瞬間、極炎の皇技に消し炭にされるって計算か。一つ聞くが、極炎の炎に耐えられる退魔皇はどれくらいいる?」
「鏡の退魔皇『魔伏』、杖の退魔皇『双蛇』、矛の退魔皇『開闢』くらいだな。その内、皇技の使用無しに死なずにすむのは魔伏、双蛇あたりか」
「オレも死ぬってか、じゃあ奴を止めにいかないわけにはいかねぇな」
 舌打ちする男。
 そんな男に、ジェ・ルージュは冷や汗を背中に流しながら告げた。
「限りなく分の悪い賭けだぞ。正直、勝機を見出すには奴が皇技を使用するまでに仕留めねばならない。だが、接近を感づかれた瞬間、皇技を打たれて終わりだ」
「舐めやがって、この事態を打開する方法はないのか?」
「行って止めるしかないだろう。それ以外に勝機は……」
 そこまで口にし、ジェ・ルージュは言葉を止める。
 そんなジェ・ルージュの顔を、男は覗き込むようにして見る。
「どうした、策でもあるのか?」
「いや、あの退魔皇ならこの状況を打破できるかもしれない」
「誰だ、その退魔皇は!」
 焦って聞く男に対して、ジェ・ルージュはその退魔皇の名を告げた。
 告げられるなり、男は憎悪を露に顔を歪めた。
 しかし、今はその男に賭けるしか道がない。
 槌の退魔皇剣『轟雷』の退魔皇は、ジェ・ルージュに捨て台詞を履くと、そのまま窓を開き外へと飛び出していった。
 それは退魔皇剣同士がぶつかり合う二度目の戦いの始まりを意味していた。







「数騎さん! 感じますか?」
 部屋の扉をけたたましく開き、エアが数騎の寝室に入ってきた。
 時刻は二時、健康的な生活を心がける数騎はとっくに眠っている時間だった。
「どうしたよ、こんな夜中に……」
 目をこすりながら体を起す数騎。
 そんな数騎を起すべく、エアは部屋の電気をつけた。
「極炎の退魔皇が動きました。ここから見て東北の方角です」
「極炎? あの炎使いの剣士のことか?」
「はい、核の炎を撒き散らす退魔皇です。どうやら鏡内界ではなく現実世界の方で暴れまわっているそうです」
「そうなのか? 異能者は鏡の中でしか暴れないんじゃなかったのか?」
 エアから教えられた半端な知識で問う数騎。
 そんな数騎に、エアは口惜しそうな顔をして見せた。
「どうやらそのような脳みそを持ち合わせない類の相手のようですね。それより急いでください、外に出ます。早く寝巻きから着替えて」
 言われ、数騎は寝巻きから普段着に着替えた。
 寝巻きと言っても普段着と代わらないものを着ているので外に出ても平気なのだが、寝汗を吸った服で外を歩きたくない数騎はちゃんと寝巻きを用意していのだった。
 すぐさま服を着替え、ワックスで髪型を整える数騎。
 それが終わった時だった。
 激しく叩かれるドア。
 何事かと思い、数騎は玄関へ向かう。
 扉を開くとそこには、アーデルハイトの姿があった。
 必死の形相で数騎を見るアーデルハイト。
「数騎くん、大変!」
「ど、どうしたの?」
 ドギマギしながら数騎は問い返す。
 だってそう、今のアーデルハイトを見て驚かないはずがない。
 なぜならアーデルハイトはネグリジェなどという室内着でもって数騎の前に現れたからだ。
 そんなことに気付かず、アーデルハイトは続けた。
「テレビつけて、四チャンネル!」
 その言葉に従い、エアが今のテレビにスイッチを入れる。
 そして、その光景が映し出された。
 燃え上がる赤紫色の炎。
 悲鳴渦巻くその光景は、まさに地獄を思わせた。
 木造建築の家に立ち上る悪鬼の如き炎。
 それが一軒ではなく、見渡す限りの広範囲に広がっていた。
 エンジンの爆音が聞こえてくる上に俯瞰した映像のため、それがヘリから撮影しているものとわかる。
 燃え上がる炎は百数棟の家々を燃やし、その炎はまるで悪魔の舌のようだった。
 映像が切り替わる。
 それは地上の光景。
 逃げ惑う人々。
 響き渡る絶叫、そして悲鳴。
 消防隊員が水で炎を抑えようとするが、まさに焼け石に水だった。
 炎は力強くうなり、そしてさらに多くの人々を飲み込もうとしている。
 今度は美坂町の地図が映し出され、火事が起こっている地域を示しだした。
 ここからはおよそ六キロ離れている、一応は安全地帯だ。
 そう考えた数騎に、アーデルハイトは大声で言った。
「数騎くん、避難する仕度して!」
「避難?」
「そうよ、近くに美坂大学があるからそこに避難するの。多分大丈夫だと思うけど、延焼が怖いわ。それに美坂大学は校庭がとんでもなく大きいから安全な避難場所になるはず。飲川はここから遠いから美坂大学に避難すべきよ。他の学生さんたちにも声をかけてくるから、急いで!」
 そう言って、アーデルハイトは別の部屋に向かい、扉を力強く叩き始めた。
 そんな音を聞いている数騎に、エアが告げた。
「数騎さん、あの炎は魔性の炎。おそらく消防隊員程度では消すことのできない炎です。遠からずこの町はあの魔炎に焼き尽くされるでしょう」
「そんな! 手はないのか?」
「あります、極炎の退魔皇を撃破するんです。そうすればあの炎はたちどころに消滅します。もともと彼の魔力で編まれた炎のようなものですから、発生源さえ消滅すればあるいは」
「倒すしかないのか?」
「殺すしかないんです」
 数騎の言葉を力強く訂正するエア。
 そんなエアに、数騎は問うた。
「エア、やれるか?」
「分の悪い賭けではありますが、仕掛けなければいずれ死にます。恐らく明日の朝日は拝めないでしょう。今日のは拝めるかもしれませんが」
 あまりにも希望のないその言葉。
 数瞬、逡巡してみせたものの数騎は即座に決断を下した。
「行こう、エア。お前の話じゃこの町は結界が張ってあって逃げられないそうじゃないか。なら、やるしかない」
「それでこそ私の退魔皇です。運命を供にする者をあなたに選んでよかった」
 賞賛の言葉を送るエア。
 そんなエアに、数騎ははずかしそうに鼻の頭をかく。
 エアは玄関で靴を履くと、扉を開けて外に出る。
「そうだ、数騎さんも一緒に来てください」
「オレもか? 行ってもオレじゃ戦力にならないぜ。お前が言うところの無能力者だ、オレは」
「そうじゃありません。我々のような魔剣というのは契約者が近くにいるとより大きな力を発揮できるのです。魔装合体するのはその特性を最大限に生かすためのもの、さっき教えたでしょう?」
「あぁ、そんなこと言ってたな」
「ですから供に来てください」
「異存はないぜ、どっちみち逃げ場は無いんだ」
 意気込んで言う数騎。
 靴をはき、エアの待つ外に出る。
 と、エアが数騎の顔を覗き込むように見上げる。
「ところで数騎さん、何か足はありますか?」
「足?」
「はい、極炎の退魔皇はここから六キロ……いえ、移動した後なので七キロの地点にいます。撃破するにはそこまで行かなくてはいけませんが、出来るだけ早く行きたい。私だけならすぐにでもいけますが、数騎さんも一緒となると……」
「なら大丈夫だ、愛機がある」
 そう言って鍵を見せ付ける数騎。
 それを見て、エアは力強い笑顔を浮かべた。
「上出来です、後ろに乗せてもらえますか」
「当然だ、行くぜ!」
 そう言って、数騎はエアと階段を駆け下りる。
 途中、アパートの扉を開くアーデルハイトの姿を見かけた。
「アーさん、全員起したら着替えてから避難したほうがいい。魅力的すぎるぜ!」
 そんな数騎の言葉に、アーデルハイトはいままで自分がどんな格好で動いていたかを知り、顔を赤らめながら自分の部屋に駆け戻っていった。
 そんなアーデルハイトを尻目に、数騎は所持していたバイクにキーを差込み、エンジンを吹かす。
 二人でフルフェイスヘルメットを装着し終えたあたりで着替えを終えたアーデルハイトが部屋から出てきた。
 数騎はアーデルハイトの方に顔を向ける。
「アーさん、オレとエアは先に避難してる。アーさんもみんなを起し次第、美坂大学に直行してくれ!」
 返事は聞かない。
 数騎はすぐさまバイクを動かし、そのままアパートに庭から道路に出てしまう。
 外に出ると右往左往する避難民。
 さすがに車で事故現場に向かおうとする者はほとんどおらず、しかも消防隊の消防車が通れるように消防隊員が避難民を車道に入らせなかったため、反対車線に比べて車の姿がなく走りやすい車道を数騎たちは出しうるかぎりの速度で走行していた。
「東北の方なんだな!」
「そうです、場所的には美坂ホテルのあたりです!」
 数騎の言葉に、ヘルメットのせいで聞き取れないことがないようエアは大声で答えた。
 勝利には戦場の地形を知るのが絶対だと言って、数騎から美坂町の地図を借り、地形を覚えていたことが早速役に立った。
 美坂ホテルと言えば海沿いにある二十階建てのホテルだ。
 夏に美坂海岸を訪れる人間が泊まる場所で、星の煌く夜景がとてもキレイだと評判の海だ。
 こりゃ当分客足が途絶えるだろうな。
 数騎はそんなことを考えながらバイクを走らせた。
 バイクを操り風を切って走る数騎が川の近くに辿り着いた時、エアが声をかけた。
「そろそろバイクを捨ててください、これ以上はバイクで行かない方がいい!」
「そうか?まだ三キロくらいしか走ってないぞ」
「これ以上バイクで進むのも無理でしょう。それに、これ以上先でバイクを捨てるとバイクの保障はできません」
 確かに、はるか彼方には渦巻く炎。
 正直、ここで置いていくのも愛機に対して申し訳ない気もする。
「走りましょう、数騎さん。ここからは体力勝負です」
「くそぅ、深夜にマラソンなんてオレも健康になったもんだぜ」
 仕方無しに、数騎はバイクを川の目の前に止めた。
 ヘルメットをバイクの中にしまうと、数騎とエアは夜の長距離走を始めた。
 橋を渡り、対岸へと駆けていく。
 数騎たちの走る通りは消防隊員も少なく、逃げ惑う人間も少数だ。
 当然だった。
 数騎たちの走ってきた場所は、昔ながらの木造住宅の密集地で巻き上がる炎で人間が存在できるわけもなかったからだ。
 しかし、住宅街を川が遮っているためこれ以上の延焼はない。
 炎が激しすぎて消防隊員も住民の救出を諦めている。
 これほどの炎に入っては命の保障がないからだ。
 幸い燃えるものが無く、橋の向こうに延焼しそうにないので消防隊員たちはロープで道をふさぎ、野次馬が来ないように見張りをしていた。
 と言っても野次馬の姿は一人として見えない。
 当然だ、まともな神経の人間なら避難している。
 見えるのは消防隊員と、消防隊員に泣きすがる火災現場から逃げ出した住民だけだ。
 聞こえる声は家族の救助を願う言葉だ。
 悔しい顔をしながら消防隊員は全力を尽くすと答えた。
 もちろん、突入などはできない。
 そんな姿を尻目に、橋の上のロープの前で数騎たちは足を止めた。
「どうする、エア?」
「突破します」
 瞬間、エアが数騎の手を掴んだ。
 何事かと思うよりも早く、エアが輝光を体から噴出させた。
 ズタズタに寸断されるロープ。
 切り裂かれたロープの上を、数騎とエアは高速で走りぬけた。
「あ、君!」
 叫ぶ消防隊員。
 エアも数騎のその声には答えず、消防隊員たちの横をすり抜け、全力で炎に向かって走っていった。
 エアに腕を引かれているため、数騎は自分の出せる全力以上の速度でアスファルトの上を疾走する。
 ぐんぐん眼前に迫る炎に包まれた道路。
「突っ込むのか?」
 叫びながら聞く数騎。
「斬り裂きます!」
 大声で答えるエア。
 いつの間にエアの右手には身長よりも巨大な大太刀が握り締められていた。
 エアがそれを疾走しながら大上段から振り下ろす。
 輝光の衝撃が走った。
 道路を埋め尽くす炎が、まるでモーゼの十戒の如く真っ二つに割れる。
 その中に、数騎とエアは突っ込んでいった。
 二人が通ると同時に炎が扉を閉ざすように再び道路を覆いつくす。
 その光景を見ていた消防隊員たちは、今見たことが夢ではないかと唖然とした顔をしていた。
 炎の中を突き進む数騎とエア。
 炎が迫るたびに炎を切り裂き、二人は頭上から入ってくるわずかな酸素を頼りに炎の中を走っていた。
「あとどれくらいだ?」
「二キロです、熱いでしょうが堪えてください!」
 叫ぶように答える数騎。
 文句を言いたいが異存はなかった。
 何しろ走らなければもっと熱いし、置いていかれたら確実に焼け死ぬ。
 ここに取り残された人はもう生きてはいないだろうな。
 そんなことを考え悲しみながら数騎は走る。
 数騎の顔をチラリと見て、エアは口を開いた。
「ここにいる人間を助ける事は不可能です。しかし、出来る限り早く極炎の退魔皇を撃破すればこれから炎で死ぬであろう人間を助けることはできます。それこそ事故現場に取り残されてしまったような」
「わかってる、急ぐぞ!」
 力強く答え、数騎は強くエアの握り締めてくる手を掴む。
 その力強さを心強く思い、エアは笑みを浮かべながら眼前の炎を切り裂く。
 数分間、炎の中を走り続けた数騎たちはようやくそこに辿り着いた。
 それは沿岸部の坂の上に作られた道路だった。
 見渡せば海。
 砂浜の続くその一帯は、赤紫の炎で燃え続けている。
 木も、家も、そして黒焦げになった死体も、すべて平等に炎をあげて燃えていた。
 そんな中、炎で燃えていない一帯があった。
 海の上さえも衰えを見せずに燃え続けるその炎を逃れるサークル。
 直径三百メートル近い広さのあるその一帯の中心に、その男がいた。
 赤紫の仮面と鎧に身を包んだ長剣を手にする男。
 笑い声と供にその男の声が聞こえてきた。
「見ろ、スルトォ! 燃えてるぜ! 町が燃えてるぜ!」
 拍手をするように手を打ち合わせる斉藤。
「夜でも構わず光ってるのがいけねぇんだ! これで星が見えるぜ! 見ろよ、この美しく燃え上がる赤紫の炎を!」
 そこまで口にして、斉藤は叫ぶように笑い続けた。
 そんな斉藤の独り言に、数騎は胸のうちに怒りを覚えた。
 何だって?
 星の光が見たいから炎を町につけたのか?
 そんなくだらないことのために、これほど多くの人間を殺したって言うのか?
 田舎の山奥にでも行けば出来る程度のことのためなんかに……
「貴様ぁ!」
 響き渡る絶叫。
 気付けば数騎は大声を張り上げていた。
 その場から走り出し、坂を駆け降りて斉藤の前に立ちはだかった。
「炎を消せ! そんなくだらないことのために炎を使うな!」
 あたりを震わせる怒号。
 そんな怒りを前にして、斉藤が首をかしげた。
「何だ、あれは? ゴミか?」
(どうやら退魔皇のようだぞ、イレギュラーで九振り目の刀の退魔皇剣、確か界裂とか言ったか)
 斉藤と視界を共有する魔装合体したスルトが答えた。
「うぜぇな、確か殺さなきゃいけないんだよな。他の退魔皇は」
(見たところ魔装合体はしていないようだ、あの男さえ殺せば解決するぞ)
「じゃあ、殺すか」
 まるでテレビの電源を入れるかのような簡単な口調でそう口にすると、斉藤は数騎に向かって剣の切っ先を向けた。
 そこから放たれる赤紫の炎。
 それは剣の退魔皇剣『極炎』の退技『魔炎』、水では消せない炎を放つ術式だ。
「やああぁぁぁ!」
 気合一閃。
 迫る炎を、真紅の大太刀が真っ二つに切り裂いた。
 数騎の眼前に迫った炎は、二つに割れて数騎の後方の坂に激突する。
 数騎の前にはいつの間にエアの姿があった。
「数騎さん、下がってください。けれど離れすぎないように。離れすぎると私の力が弱くなります。坂の上へ!」
「わかった」
 退避する数騎。
 そんな数騎を背中にかばい、エアは大太刀を正眼に構えた。
 エアを前にして剣を構えることもなく、斉藤はエアに向かって突撃をしかけた。







「どーなってんだよ、これは!」
 階段を駆け上りながら村上が先を行く女性に尋ねた。
 そこは美坂町に存在するランドマーク、三十六階の高さに及ぶという美坂町役所と呼ばれる高層ビルだ。
 立体環状高速道路の中央にあるこのランドマークタワーは、火災現場から軽く六キロ以上は離れている。
 言わば安全圏内というやつだ。
 誰もがいなくなった時間に、村上と前を走るルーは非常階段を全力疾走で駆け上っていた。
 今回は敵が鏡内界にいない以上、鏡内界に入り階段を上るわけにはいかない。
 二人は警備員に気をつけながらも、全力で階段を駆け上っていた。
 ビルも高くなりすぎると非常階段は壁面ではなくビルの中にある。
 薄暗い蛍光灯が照らす非常階段は長かったが、まさか不法侵入者がエレベーターを使うわけにも行くまい。
 汗をかき、呼吸を乱し、足をふらつかせながらも村上は階段を駆け上る。
 そして、ようやく屋上に辿り着いた。
 はるか眼下に広がる美坂町。
 しかし、遠くに目をやれば赤々と染まる夜空。
 今夜の大火災の現場だった。
「義史、双眼鏡!」
 そう言ってルーは村上に手を差し出した。
 村上はその手に懐にしまっていた双眼鏡を手渡す。
 それは契約した直後にそれなりに大きな店(と言っても美坂町の外に出れないのでそこそこの倍率のものでしかない)で買った双眼鏡だった。
 彼女達は二人一組のスナイパーだ。
 その射程が無限であるならば、敵情視察には視力の増強は欠かせない。
 ルーは双眼鏡を目にあて、状況を確認した。
「義史、あそこ見て」
 言ってルーは村上に双眼鏡を手渡す。
「あそこの海岸よ、退魔皇たちが殺しあってるわ」
 双眼鏡を目に当てた村上は、指し示される方向を見る。
 砂かと思われるほど小さな物体が揺れているように見える。
「あれ、人間か? 炎に包まれてすぐにでも死んじゃわないか?」
「死なないわよ、あいつらは退魔皇よ」
「なるほど、でもよく見つけられたな」
「当然よ、そもそも退魔皇が戦闘中なら気配でどこにいるかわかるわ。双眼鏡でギリギリの距離でも見えさえすれば私達の勝ち。見えなくたって五分五分よ。大切なのは敵に居場所が知れない事。それが私達の勝機」
「まぁ、ルーの説明を聞く限りはそうだよな」
 双眼鏡から目を外し、村上はルーの顔を見る。
「で、どうするんだ。もしかして君の魔弾を撃つのか?」
「危険は大きいけど避けては通れない道よ。なんたって私の皇技は百発百中なんだから」
 胸を張って言うルー。
 そんなルーは村上に拳銃を手渡す。
 弾丸が六発装填できる典型的なリボルバーだった。
「とりあえずこの中には通常弾が五発、私の魔弾が一発入ってるわ」
 そう言われ、村上はルーから拳銃を受け取った。
 代わりにルーは村上の手から双眼鏡を受け取った。
「義史、そろそろ魔装合体の準備をしておいて」
「戦うのか?」
「もちろんよ、私達は狙撃手よ。これだけの距離があって相手を視界におさめてるなら逃げることなんて出来ないわ。どのみち逃げ場もない」
 言われ、村上は唾を飲んだ。
 ルーの話ではこの火災を引き起こしたのは数時間前に鏡内界を炎で燃やし尽くした極炎の退魔皇だという。
 それが現実世界で皇技を使ったとなれば誰も助からない。
 ならほんの少しでも希望がある限り戦わなければならない。
 緊張に顔をこわばらせる村上に、ルーは告げた。
「大丈夫よ、義史。さっき見たとおり極炎の退魔皇に皇技を使われて困る退魔皇は私達だけじゃない。刀、弓、槍、槌。それぞれが極炎退治に動き出してるはずよ。現に界裂の退魔皇は極炎の退魔皇と対峙してる」
「でも、界裂の退魔皇って須藤だろ?」
 戦意を欠いた顔を向ける村上。
 そんな村上にルーは続けた。
「その須藤って人はあなたの知り合いかもしれないけど、私達にとっては倒さなければならない敵よ。感傷に浸らないで」
「でもよぉ」
「でもじゃない、ここで生き残らないと私達は死ぬのよ」
「うぅ」
 言い返せなかった。
 そんな村上の服の裏にしまってあった仮面を取り出すと、ルーは押し付けるように村上に仮面をかぶらせた。
「準備して、退魔皇と交戦がはじまったからには極炎の退魔皇がいつ皇技を使うかわからないわ。皇技を使われないうちは構わないけど、皇技を使われたら皇技で対抗するしかないわ」
「で、でも。皇技を使ったらオレは死ぬんじゃ?」
「限ったことじゃないわ。確率は低いのよ」
「でも……」
「今死にたいの?」
 その低い声で脅され、村上は何も言い返せなかった。
 そりゃそうだ、死ぬのを恐れて皇技を使わなければ極炎の炎に焼き尽くされる。
 なら、わずかな可能性にかけて皇技を放つしかない。
「覚悟を決めなさい、もう退魔皇たちの戦いは始まってるのよ」
 そうルーが言った時だった。
 別の方向から退魔皇の気配が生じた。
 そちらの方に顔を向ける。
 はるか遠くの地上。
 そこで、強烈な光の奔流が走った。
 それは、紫に輝く光だった。







「なんて様だ」
 崩れ落ちた橋。
 極炎の炎によって焼き落とされた橋が、真ん中で壊れて川に落下している。
 町の端に位置する橋であるため、大部分が木造だったその橋はみるも無残に砕け散っていた。
 崩れ落ち、川の中に落ちても燃え続ける炎を見つめ、ロンギヌスは口を開いた。
「魔炎か、やはり水程度では燃え尽きないか」
 極炎の炎は水では消せない、川の中で燃える炎がその証拠だ。
 ロンギヌスは小さく息をつく。
 スワナンの安全を第一に考え、ロンギヌスはスワナンを遠くまで避難させていた。
 もちろんこの状況のことは説明しているが、極炎の退魔皇が核に匹敵する炎を打ち出せることは伝えていない。
 手の届かないところでそんな危険があると教えても意味がないからだ。
 どちらにしろ、逃げ場などない。
 退魔皇が力を振るえばその力はまさに圧倒的であり、ロンギヌスは直ちに槍を手に極炎の元まで向かおうとした。
 しかし、その眼前を炎が阻んだ。
 水では消せない魔炎は町の建物に燃え移り美坂町を地獄に変えた。
 退魔皇は尋常のものとはかけ離れた存在だ、魔炎を突破することは容易い。
 が、それでも得手不得手はある。
 ロンギヌスの退魔皇剣は破壊や突破にすぐれた能力を持ち合わせてはいない。
 飛行能力がないわけではないが、そんな行動をとれば狙い撃ちにされる可能性も高い。
 故に、ロンギヌスにこの炎の壁を突破する事は非常な困難を伴う。
「どうする?」
 自分に尋ねるロンギヌス。
 現在、気配を辿るなら極炎と界裂が激突し合っている。
 しかし、極炎に対して界裂は魔装合体をしていない。
 通常契約しかしていないのだ。
 皇技を使えない状態では極炎に勝てるとは考えられない。
「それは私も同じか?」
 同じく通常契約で皇技を使えないロンギヌスは思わず舌打ちを漏らす。
 極炎の皇技は絶対に止めなくてはならない。
 しかし、皇技を使ったならともかく皇技を使わないでロンギヌスが炎の中を突破するには大量の輝光を消費することになる。
 空中から行く場合も然りだ。
 地空を問わない踏み込みも、下から極炎の炎の妨害を受けるだけで消耗する輝光は馬鹿にならない。
 そんな体で極炎に辿り着いても勝つことは難しく、勝っても他の退魔皇に敗れ去るだけだ。
 分が悪すぎた。
 勝てるのか?
 思わず自問する。
 いや、勝たなくてはならない。
 だからこそ、ロンギヌスは待っていた。
 この町に存在する退魔皇は通常契約の者もあわせて九人。
 内、極炎に皇技を使ってもらいたいと思っているのは三人だ。
 さらに極炎を除き、動く退魔皇は五人。
 一人は自分。
 一人は界裂。
 玉の退魔皇剣『天魔』は狙撃手だ。
 チャンスを待ち、極炎を殺害する機会を距離のある高所で狙っているに違いない。
 界裂が炎を突破して極炎に向かったなら、追随する退魔皇は残り二人。
 輝光の気配から極炎の元に向かう退魔皇が一人。
 そして、
「待っていたぞ」
 そう、ロンギヌスは待っていた。
 後ろから高速で接近してきたその人物を。
 紫の鎧甲に身を包み、紫の仮面をかぶった黒装束。
 弓の退魔皇剣『滅神』を操る退魔皇だった。
「待っていた?」
 聞きとがめる滅神の退魔皇。
 その声を聞いて、ロンギヌスはわずかに目を開く。
 予想に反し、その声が女性のものだったからだ。
 声からして決して若くはない。
 恐らく、三十代には達しているだろう。
 が、そんな事は気にせずロンギヌスは答えた。
「そう、私はあなたを待っていた。この状況を打破するために」
 ロンギヌスの言葉を、黒装束は無言で聞く。
 それを見て、ロンギヌスは続けた。
「極炎と界裂がぶつかる死地に向かい、接近戦を演じられる退魔皇は刀、剣、槍、槌、鏡、杖の六振り。内、鏡、杖は参戦を拒否するはず。だが、弓のあなたは接近戦を出来ずとも、この戦いに介入しなければならない。しなければ死ぬだけだからだ」
「だから?」
 尋ねる黒装束。
 その全身から放たれる殺気が、下手な事を言えば殺すと告げている。
 だが、ロンギヌスはある種の予想は出来ていた。
 そうでなければ、攻撃力に特化しているとは言え、接近戦の苦手な滅神の退魔皇が接近機動戦を得意とする槍の退魔皇剣『戮神』に近づいてくるはずがないからだ。
 ロンギヌスは、意を決して告げた。
「あなたは極炎討伐に参加したいはずだ、しかし炎の中を進むのは難しく接近は望むことではない。ならばどうするべきか」
 言葉を切り、続ける。
「あなたはさらに多くの退魔皇を極炎の元に送り込みたいはずだ。界裂は交戦中、轟雷は単独で戦地に向かっていける。なら、あと戦地に赴くべき退魔皇は槍、戮神しかいない」
 大きく息を吸い込み、力強い声を出す。
「あなたはあなたの利益のために私を炎の中に送り込まなければならない。違いますか?」
「違わないわ、あなたの言う通りよ」
 そう言うと、弓の退魔皇はどこからともなく出現させた弓を手に持っていた。
 二メートルに近い長さの弓は、美しい曲線を描いていた。
「炎は私が何とかしてあげる、あなたはその道を通って奴ら元へ」
「承知!」
 答え、ロンギヌスは槍を構える。
 そんなロンギヌスに、弓の退魔皇は聞いた。
「あなた、私があなたを殺すとは思わなかったの?」
「思いましたとも、しかしそれ以上にあなたはこんなところで死にたくはないと思っているはず。それに、接近した後なら魔装合体していない私でもなんとかなりますから」
「道理ね」
「いかにも」
 短く言葉を交し終えた瞬間、弓の退魔皇が弓を引き絞った。
 何も無かった空間に紫に輝く矢が生まれ、その光が徐々に増大していく。
 そして、その矢が放たれた。
 紫の矢は輝光の奔流を撒き散らしながら炎の中に飛び込み、分裂。
 効果範囲を広げると、そしてそこにあった物質を一切合財消滅させて海岸まで到達した。
 弓の退魔皇剣『滅神』の能力は消滅。
 熱量を操る剣の退魔皇剣の能力により生み出された炎を払いのけ、滅神は見事に道を作り上げた。
 と言っても、人一人通れる程度の小さな穴。
 礼も言わず、ロンギヌスは開かれた穴に飛び込んでいった。
 その背中を、弓の退魔皇はじっと見つめ続ける。
「せいぜい頑張ってね、私たちのために」
 告げる言葉はロンギヌスに届かず。
 作り上げられた道は瞬く間に周りの炎によってふさがれてしまう。
 弓の退魔皇は少しでも極炎を狙撃できそうなポイントを探すためにその場から走り始めた。
 三人の退魔皇が向かったからといって極炎を打破できる保証はない。
 何しろ、皇技を使用された瞬間に勝負は終わるのだ。
 他人任せにはできない。
 そう考え、弓の退魔皇は常人には考えられない速度で炎の周りを走り抜ける。
 その間にも、炎の中の退魔皇の戦いは続いているのであった。







 横薙ぎの斬撃を受け止めるは大上段の一撃。
 火花を散らし、二人の剣士が激闘を繰り広げていた。
 渦巻く炎がリングとなり、観客はただ一人。
 熱砂と化す砂浜を意にも介さず、エアと斉藤は剣撃の応酬を繰り返す。
 神速の斬撃を繰り出すエアに対し、斉藤は熱風の剣にて答える。
 荒れ狂う炎。
 しかし、エアの斬撃はそのことごとくを斬り飛ばし、霧散させる。
 通常戦闘においてなら魔装合体しなくとも退魔皇と渡り合える。
 それが、エアが数騎に仮面契約を迫らない理由であり、そしてロンギヌスがスワナンに仮面契約を求めない理由だった。
 エアは剣撃を繰り出しながら訝しんだ。
 なぜ、斉藤はすぐさま皇技を繰り出さないのか。
 皇技を繰り出しさえすれば、それを止めるには皇技をもって答えるしかない。
 仮面契約をしていないエアにとってそれは最悪の事態だった。
 だからこそ全力でもって斉藤にあたっている。
 しかし、斉藤は気付いていなかった。
 皇技を使えばこの戦いに決着がつき、周囲にいる防御手段を持たない全ての退魔皇が脱落する事を。
 上手くいけば刀、槌、弓、槍、玉の五人の退魔皇を滅ぼせる状況にありながら斉藤は皇技を使うことを考えもしなかった。
 理由は簡単だ。
 斉藤はつい先ほどまで覚醒剤を使用しており、まともな思考力をもっていなかった。
 さらに皇技の使用により理性を五分の一失っている。
 まともな思考力をもっているわけがない。
 対するスルトは皇技を使った場合の優位に気付いていた。
 しかし、彼は斉藤に意見を具申しない。
 スルトは楽しんでいた。
 スルト、それは北欧神話に登場する巨人族の名前。
 その名が示すとおり、彼はスルトと言う名の巨人族の魔皇だった。
 世界を焼き尽くす炎の剣レヴァンテインを手にする彼は、神々の最終戦争『ラグナロク』において世界を破壊し尽くした悪名でその名を神話に知られる。
 神と巨人族の最後の戦いにおいて、その戦いに幕を引いたのは他ならぬスルトだ。
 その炎によって世界を焼き尽くし、一時世界は滅亡するところですらあったと伝承は伝える。
 スルトは自らをも焼き尽くす炎によって世界に終焉をもたらし九つの世界を滅ぼした。
 その炎の美しさをスルトは忘れない。
 目に映るは燃え盛る炎、人々は叫びながら炎に飲まれ、阿鼻叫喚に陥る敵と味方。
 生ける者も死せる者も平等に飲みつくす炎の煌きを、スルトは忘れない。
 現世に蘇ったスルトは、それをまた目にしたかった。
 数時間前の皇技は美しくなかった。
 いきなり核の炎をばら撒いたのでは何の面白みもない。
 斉藤の激情により、仮定をはさまず結果だけを求める行為をスルトはもう求めていなかった。
 燃え盛る炎の美しさを楽しまずして何が極炎か。
 それこそ名が泣くというものだ。
 だからこそ、必勝を逃してまでスルトは皇技を使わない。
 あと少し。
 もう少しだけこの炎を楽しみ、その後で仕上げとして皇技を用いるのだ。
 それこそが至高。
 それこそが極炎。
 至福の時を待ちわびながらスルトは、いや斉藤はエアと剣を叩き付け合う。
 が、
「くぅっ!」
 斉藤が呻きを漏らす。
 何という速度。
 何という膂力。
 エアの鋭い踏み込みとその斬撃は、スルトの剣術を会得した斉藤の技量をもってしても対応するのは難しかった。
 剣を打ち合わせるたびに速度と力を増していくエアの斬撃。
「うぜぇな」
 鋭い斬撃を受ける斉藤は、苛立ちも隠さず口にする。
 そして、全身から炎を噴出させた。
 が、斬撃でもって炎を払えるエアにそんなものは通用しない。
 エアは一歩後ろに下がると神速の斬撃を繰り出した。
 切り払われる炎。
 しかし、
「バーカ」
 嘲るような斉藤の声。
 そう、斉藤の狙いは別にあった。
 迸る魔炎。
 その猛り狂う炎は、エアのはるか後ろにいる数騎に向かって進んでいた。
「数騎さん!」
 数騎を助けるべく戻ろうとするエア。
 しかし、それを斉藤は許さない。
 剣を振りかぶり、エアに突き進む。
 その追撃に、エアは数騎の元に戻ることができない。
「うわああぁぁぁ!」
 眼前に迫る赤紫の炎。
 しかし、
「おおおおおおおあああああああぁぁぁぁっ!」
 迸る絶叫。
 強烈なる威圧感と供に、数騎の背後で燃え盛っていた炎の海の中から青紫の鎧に身を包んだ男が炎を振り払いながら飛び出した。
 その手には炎を照り返す巨大な鉄槌。
 数騎の横顔すれすれに振るわれた鉄槌が、数騎に迫る魔炎に直撃する。
 瞬間、数騎に襲い掛かってきた炎が霧散した。
 あまりの事態に目を見開いたまま呆然とする数騎。
 そんな数騎の前で、鉄槌を手にする退魔皇が地面に槌の石突を叩きつけた。
「ボケっとしてんじゃねぇよ」
 低く、うなるような声。
 その言葉でようやく正気を取り戻し、数騎は口を開いた。
「助けて……くれたのか?」
「助けただぁ?」
 仮面の下から除ける目が見開かれた。
「オレがお前を助けるだと? 冗談じゃねぇ、オレがテメェなんかを助けるかよ!」
 響き渡る怒声。
 そんな槌の退魔皇に、数騎は聞いた。
「何かオレを知ってるような口ぶりだけど、知り合いかな?」
「オレを忘れたと? いい度胸じゃねぇか。まぁいいか。どうせ今は大したこたぁねぇ」
 言葉を切り、槌の退魔皇は戦い続けるエアに視線を向ける。
「お前、あの退魔皇剣と仮面契約してねぇみたいじゃねぇか」
「あ、あんたには関係ないだろ?」
 強がって口にする数騎。
 わからなかった。
 確か、エアの話では退魔皇剣たちは生き残りをかけて殺しあっているという。
 だというのに、なぜ界裂の契約者である数騎を槌の退魔皇は殺さず、それどころか命を助けたのか。
 それに気付いたのか、槌の退魔皇は舌打ちした。
「勘違いすんじゃねぇぞ、別にテメェを助けたかったわけじゃねぇ。それに、今のお前を殺しても得は少ない」
 そう、数騎は殺しても意味の無い契約者だった。
 退魔皇剣の敗北は退魔皇剣の精霊が打破されるか、仮面契約を執り行った事により半身と言っても過言ではなくなった契約媒介の仮面を砕かれることだ。
 しかし、通常契約なら契約者の死は不利ではあれ決して敗北ではない。
 あくまで退技が使えなくなるだけで、また別の契約者を探せばいい。
 だから槌の退魔皇は数騎を殺さなかった。
 数騎は槌の退魔皇の言葉からそう受け取った。
「でも、得は少なくても殺す意味はあるんだろ?」
「意味はあっても妥当じゃねぇんだよ、今の現状は。オレとお前は手を組まなくちゃならない。あいつに皇技を使わせたくないのはお前だけじゃない」
 言って、槌の退魔皇は首を右に巡らせた。
「そして、オレだけでもない」
 瞬間、紫の閃光が煌いた。
 突き抜けるは紫の矢。
 破滅の輝光を纏わせる紫の矢は炎だけでなくそこに存在した家屋さえも消し飛ばしながら飛来し、海の向こうに消えていった。
 その空間。
 紫の矢によって炎から一瞬だけ開放された空間を突破し、海岸にその少年が現れた。
 青き鎧甲を身に纏い、青く煌く槍を手にした少年。
「力をもてあます狂いし男よ、我が姿を見るがいい!」
 叫んだ。
 周囲一体に響き渡る凛とした声。
 槍を天に掲げ、少年はさらに続けた。
「死の炎を突きぬけぇっ! 正義に轟くこの槍がぁっ! 邪悪を断てと震えて猛る!」
 槍を脇に構え、少年は名乗りをあげた。
「我が名はロンギヌス、退魔皇剣が一振りなり!」
 堂々たる名乗り。
 その姿は炎を背景にして、神秘的なまでに輝いて見えた。
 ロンギヌスは手にした槍を頭上に掲げ、両手で高速回転させた後、両手で槍を構え黒装束にその切っ先を向ける。
「名乗れ、極炎の退魔皇。墓に刻むその名を、教えておいて損は無いぞ」
 そんなロンギヌスを見据え、斉藤はつまらなそうな顔をした。
「やーれやれ、変なのが来やがったぜ」
 そう言って斉藤はロンギヌスに向けて炎を繰り出した。
 ロンギヌスは大きく左に跳び、炎を回避すると砂浜に跳び降りエアの隣に並んだ。
「助太刀するぞ、界裂! 供に仮面契約していない身だ」
「未熟者二人合わせて一人前と言ったところですか。援護頼みます!」
「心得た!」
 一瞬にして意志を通じ合わせ、ロンギヌスとエアが左右に分かれて斉藤に襲い掛かった。
 左右からの挟撃を、しかし斉藤は苦もなくあしらう。
 斉藤から吹き荒れる炎は火の海と化し海岸を覆いつくす。
 あまりの炎にエアもロンギヌスも斉藤に対して攻撃をかけられない。
 エアと違い、ロンギヌスは炎への対処能力が弱いようだ。
 堪えきれず、エアの元へと駆け寄る。
「炎は任せる、極炎は私に!」
「承知」
 エアは盾となることを受諾した。
 エアが炎を切り裂き、その後ろからロンギヌスが斉藤に迫る。
 エアの刀が、ロンギヌスの槍が。
 美しきコンビネーションを描き斉藤を襲う。
 斉藤は炎と剣の乱舞により、真っ向から二対一の局面に立ち向かう。
 これが魔装合体した退魔皇と通常契約しかしていない退魔皇との差だった。
 二対一でも互角の戦いがやっとだ。
 エアと戦っていた時、斉藤は本気の剣技でエアとやりあっていた。
 しかし、自身の最強の力である炎を積極的に使ってはいなかった。
 つまり、エアとは三味線を弾きながら戦っていたのだ。
 その事実を思い知り、エアは屈辱を覚えながらも斉藤と交戦する。
 そんな三者の戦いを見つめながら、数騎の側にいる轟雷の退魔皇が口を開いた。
「まずいな」
「えっ?」
 互角の戦いを見ている数騎は、思わず疑惑の声をあげる。
 そんな数騎に聞かせるように轟雷の退魔皇は続けた。
「やつら互角の戦いをしてやがる。下手をすると極炎の退魔皇を追い詰めるかもしれない」
「追い詰めちゃまずいのか? だって、あいつを倒さないことにはこの町は……」
「違う、そうじゃない。あの二人には決め手がない。それに比べて極炎には皇技がある。あれを使われたらオレたちは全滅だ。もし、あいつの気が向くか生命の危機が訪れたらやつは間違いなく皇技を使う。そうしたらオレたちはお終いさ」
「じゃあどうすればいいって言うんだよ!」
 怒鳴りつける数騎。
 そんな数騎に向かって、轟雷の退魔皇は指を突きつけた。
「契約しろ」
「契約?」
「仮面契約だ、この局面をどうにかできるのはお前しかいない」
「どういうことだよ?」
「界裂は世界を薙ぐ、全てを切り裂く刀だ。極炎の炎を防げる退魔皇剣は数多くあれど全てを切り裂くことが出来るのは界裂だけだ。いいか、極炎の天敵はお前なんだよ」
「天敵?」
「そうだ、界裂と契約しろ。この至近距離において極炎を確実に打破できるのはお前しかいない」
 そう口にした直後だった。
 斉藤から迸る火力が増大した。
 とても耐え切れず、エアとロンギヌスが大きく後退し、数騎たちの元に戻ってきた。
 大太刀を構え、エアが叫ぶ。
「轟雷の退魔皇、先ほどの助力感謝する」
「いわれがねぇ、こっちはこっちの利益でやったんだ」
 そういうと、轟雷の退魔皇はエアの前に進んだ。
「オレと戮神で時間を作る、お前はしばらく待機だ」
 言われたエアが驚きの声をあげた。
「ですが、一気に攻めなければあの敵は!」
「今のお前じゃ役に立たん、契約しちまえ。時間はオレたちが作る。構わないな、戮神!」
「承知した!」
 炎に照らされた横顔を愉快そうに歪めながらロンギヌスが答える。
 そして、二人は同時に斉藤に向かって駆け出した。
 振るわれる鉄槌。
 轟雷の退魔皇の槌が炎に触れると、燃え滾る炎が一瞬にして霧散する。
 他者の助けもなく炎の海を突破した轟雷の退魔皇だ。
 この程度の炎で怯むいわれはない。
 轟雷の退魔皇をエアの代わりとし、ロンギヌスは槍をしごいて斉藤に襲い掛かった。
 そんな姿を尻目に、数騎はエアに尋ねた。
「オレとお前が契約したらあいつに勝てるってのは本当か?」
「……本当です。極炎と私の皇技を比べるなら、私の方が圧倒的に相性がいい」
「何故、言わなかった?」
「あなたが本当の意味で戦いを望まなかったからです。あなたは死にたくないだけだった。だから私はあなたを守るためだけに契約した。そして今、ここにいる。それだけです」
「皇技を使えば極炎を取れるのか?」
「確実とは言えません。ですが、勝算は大きい」
「なんで、オレに契約しろと……極炎をやるにはオレとの契約が必要だと言ってくれなかった!」
「覚悟のない人間を騙す事はできない、虚言は忌まれるべきものだ。私と戦えば恐らくあなたは命を落とす。皇技を使えば寿命が減る。構わないというのですか、寿命を減らしても。この世界で生きられる時間を少なくしても、あなたは私と供に戦うと言うのですか!」
「でも、そうしなければ……オレたちは死ぬんだ……」
 そう口にして、数騎は目を閉じた。
 この戦いに本気で身を投じれば、皇技を使う回数は一度や二度ではすまないだろう。
 それだけ寿命を失う。
 生きていく時間を失う。
 それだけではない。
 この戦いを勝ち抜くことができなければ敗北し、殺されてその場で命を失う。
 そんな戦いに身を投じるというのか?
 別に契約などしなくても、ロンギヌスたちが斉藤を打破する可能性だってある。
 しかし、顔が思い浮かぶのだ。
「そうだ、戦う理由なんてはじめから決まっていたんだ」
 その笑顔が思い浮かぶ。
 記憶をなくし、孤独に生きた自分のそばにいてくれた人の笑顔が。
 目を閉じたまま、数騎は続ける。
「極炎の力を知った瞬間から、オレに逃げ道なんかなかったんだ」
 どんな時も自分を支え、記憶を失ったからっぽの自分に中身を与えてくれた人間の顔が。
 それだけは思い出せる。
 どんな時でも思い出せる。
 目を見開き、エアの顔を見据えた。
「黒装束が怖いからじゃない、命が惜しいからじゃない。ただ……」
 アーデルハイトの笑顔が、頭から染み付いて離れない。
 それ以外に、戦う理由は必要なかった。
「守りたいんだ。オレは、大切な人を。オレが戦う理由なんてそれだけで充分だ。それで充分、オレは心地いい」
 数騎はエアに右手を突き出した。
「仮面契約だ、エア! 契りを結ぶぞ!」
「後悔は?」
「ない!」
 叫ぶように告げる。
 それを聞き、エアは数騎の差し出した手にそれを手渡した。
 それは真紅の仮面。
 仮面の契約を交わすための装具。
 受け取るなり、数騎はその仮面をかぶった。
 それ見て、エアは口を開く。
「契約の詠唱は私が、数騎さんはただ最後の一言を。何を言えばいいかわかりますね」
「当然だ」
 答える数騎に力強く頷き、エアは詠唱を始めた。
「此度結びたるは仮面の契約
 死を賭し全を掴む争奪の宴なり」
 術式が展開された瞬間、真紅の輝光が二人の周りに迸った。
「我は汝と供にあり、汝が誉れの武具となり
 汝は我と供にあり、汝は我と舞踏を舞う」
 荒れ狂う輝光は狂奔し、二人の周囲で燃え盛っていた炎をまとめて消し飛ばす。
「その証はここに
 その誓いはここに
 その絆断たれるまで供に戦う契りを結べ」
 術式が紡がれ、二人の輝光が弾けるように強まっていく。
「汝、仮面を被るなら、誓いの言葉で契るがいい」
 その言葉を終えた瞬間、二人の周りの輝光が極限までその濃度を濃くした。
 火事を眺めていた人間は驚くだろう。
 赤紫に燃え上がる炎の中、真紅に輝くその光を目にすることによって。
 精神を高揚させる輝光の中にあって、漆黒たる数騎の瞳が真紅に染まった。
 口を開き、その言葉を紡ぐ。
 それは契約の言葉。
 この言葉を口にした瞬間こそが、須藤数騎がこの戦いに本当の意味で参戦した瞬間だった。
「仮面を被る、死ぬまでだ!」
 契約の証が立てられた。
 渦巻く真紅の輝光が数騎の肉体に流れ込む。
 どれほどの高揚感。
 どれほどの爽快感。
 あらゆる快楽に匹敵する愉悦を胸に、数騎はその刀を手にした。
 その眼前にエアの姿はすでにない。
 魔装合体を果たしたエアは、数騎の肉体ともはや一心同体だ。
 真紅の仮面をかぶり、大太刀を手にする数騎。
 その姿は、紛うことなき退魔皇の姿だった。
 その契約の完了を知った瞬間、スルトは大声をあげた。
(マズイ! 界裂が目覚めたのぞ!)
「それがどうしたってんだ?」
(このままでは敗北するぞ! 皇技を使え!)
「皇技だぁ?」
 面倒くさそうに応じる斉藤。
 斉藤はさらに巨大な炎を周囲に放った。
 たまらずロンギヌスと轟雷の退魔皇が斉藤から距離を取る。
 安全を確認してから、斉藤が尋ねた。
「皇技なんざ使うまでもねぇ、あんなやつら炎で充分じゃねぇか」
(しかし!)
 皇技使用の決定権は使い手にある。
 何とか説得しようとするスルトだったが、突然斉藤が空を見上げたのに気がついた。
「星が見えねぇ」
 そう、星は見えなかった。
 当然だ。
 これだけ地上が明るければ光の弱い星の光など簡単にかき消される。
 そして、スルトはこれを好機と見て取った。
(そうだ、今のままでは星が見えない。皇技を使えば見れるはずだ)
 そう、斉藤はもとより星を見るためにこの大火災を引き起こしたのだ。
 実際には燃え盛る炎のために見えなかったが、鎮火すれば望みどおり見れただろう。
 ただし、それを待てるほど斉藤の忍耐力は強くなく、待てば見れると考えられるほど斉藤の頭脳は優れていなかった。
「確かに、お前の言うとおり皇技を使えば見れるな」
 斉藤は数時間前の光景を思い出した。
 皇技を放った直後に見えた星々の煌く夜空。
 その美しい夜空がもう一度見たかった。
「いいだろう、お前の好きにさせてやる」
(それでこそ我が退魔皇だ!)
 力強いスルトの言葉。
 その言葉を耳に、斉藤は剣を天に掲げる。
「行くぞ、スルトォ!」
 叫ぶ。
 輝光が高まり始めた。
 迸る輝光が渦を巻き、斉藤の手にする剣に輝光が集中する。
「世界を焼き尽くす炎よ、原初の炎たるレヴァンテインよ、この世界に終末を極めし業火を!」
 呪文が紡がれる。
 そんな中、斉藤の詠唱よりも早く詠唱を紡ぐ。
「万物を切り裂く刃よ、天と地を分かつエアの剣よ、この世界を引き裂きたる光を!」
 数騎が詠唱していた。
 それは皇技の詠唱。
 退魔皇剣の力を引き出すための儀式。
 輝光が高まる。
 真紅と赤紫の輝光が迸り、大気を震わせ対峙する。
 これが退魔皇剣。
 これこそが退魔皇同士の戦いだ。
 側にいるだけで息苦しく、そして高揚感に胸が包まれる。
 そんな気分を、対峙を見守る二人は見つめていた。
 輝光が頂点に達したのがわかった。
 四桁を超える輝光の鬩ぎ合い。
 先に動いたのは界裂の退魔皇だった。
 大太刀を横に構えながら、疾風の如く踏み込み、極炎との距離をつめる。
 それを目の前にして、怖じることなく斉藤は皇技を繰り出した。
「無双炎灼(アブソリュート・ファイア)!」
 発動する皇技。
 十万度の炎を形成する輝光が極炎から放出される。
 それが十万度の炎に変わるまでの一瞬。
 その力を発揮するまでの一瞬を狙い、数騎が横に構えた剣を上段に持ち替え、力の限り振り下ろす。
 繰り出されるは皇技。
 それは究極の斬撃。
 その皇技の名を叫び、その一撃を解き放つ。
「世界裂く真紅の閃光(クリムゾン・スラッシュ)!」
 世界が真紅に染まった。
 大太刀から放たれる光の刃が、斉藤の頭上に存在した術式として形を成していない輝光を切り裂く。
 刀の退魔皇剣『界裂』、その能力は乖離。
 それはあらゆるものを引き剥がす斬撃。
 物理的な物だけに留まらず、霊的、概念的なものでさえも乖離させるその一撃。
 そして切り離された。
 極炎の放った炎は、この世界に対する影響力(・・・・・・・・・・・)を斬り飛ばされたのだった。
「なっ!」
 叫びを上げる斉藤。
 当然だ。
 あと一秒もしないで開放される皇技が。
 開放されるのを待つだけだった赤紫の輝光が斉藤の頭上から消失していたのだ。
 斉藤が数騎から気を離したのはほんの一瞬。
 しかし、その一瞬で充分すぎた。
 距離を詰めた数騎の接近は、その一瞬が致命的な結果をもたらす。
「ちぃ!」
 とっさに気付き、迎撃に入る斉藤。
 しかし、
「アアアアああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 咆哮。
 喉からありったけの声を振り絞りながら斉藤に迫り、その斬撃を叩き込んだ。
 上段から振り下ろされたその一撃は、斉藤の顔面を捉える。
 退魔皇の仮面ごと界裂の刃が斉藤を切り裂いた。
 刃が地面に到達する。
 静寂。
 砕け散った仮面が砂の上に落ちる。
 数騎の正面には、顔を真っ二つに裂かれた斉藤の姿。
 斉藤は体を支える力を失い、ゆっくりと仰向けに倒れた。
 それと同時に、斉藤の持っていた退魔皇の力が消滅した。
 仮面を砕かれ、その仮面を契約の媒介にしていたスルトがその力を失ったからだ。
 炎が消える。
 半径数キロに及んでいた炎が、発生源から送られる輝光を失い一瞬にして鎮火する。
 先ほどの明るさが嘘のように暗くなった美坂町。
 そんな美坂町の空には、綺麗な星が瞬いていた。
「星が……星が見える……」
 死の間際にあって、斉藤は言葉を続ける。
「綺麗だな……父さん、母さん……」
 煌く星を見つめながら、斉藤は家族を思い出して死んだ。
 焼け焦げた木材の匂いが鼻をつく。
 こうして、攻撃力において他の追随を許さなかった退魔皇は命を落とす。
 残る退魔皇は、まだ八人も残っていた。







 斉藤の死を見取りながら、数騎は呆然としていた。
 美しさのあまり魅了されかねない、界裂のはなった究極の斬撃。
 その一撃を、現世に生きる誰が知ろう。
 神話において群を抜く威力を誇ったその神剣。
 『世界のはじめに天と地を分けた』という桁外れの威力をもつこの剣はヒッタイトという王国の伝説で語られている。
 剣も矢も効かない石の巨人ウルリクンミ、目も耳も無いため弱点を持ち合わせない無敵の巨人を切り裂いたその武装。
 そもそも、斬るという行為は真っ直ぐな剣よりも反った刀の方が得意とされる。
 ならば、究極の斬撃を放つこの神剣が『剣』ではなく『刀』であるのは道理だろう。
 しかし刀が無かった、もしくは区別されることのなかった時代、刀が剣と呼ばれたにすぎない。
 この神剣は後に日本に渡り、草薙という名で知られるようになる。
 しかし、この名前は間違いだ。
 草を薙ぐどころの騒ぎではない。
 この刀は世界を薙ぐ。
 退魔皇剣『界裂』。
 またの名を『エアの剣』。
 それから放たれる一撃はあらゆるものを切り裂くのだ。
 界裂にはやはり退技と皇技の二つがあり、退技の名を『離閃(りせん)』と言う。
 刃に触れた物質を物理的に切り裂く技だ。
 分子と分子の結合を乖離させるという能力であるため、界裂が切り裂けない物質はこの世界に存在しない。
 さらに、刀から迸る輝光には強力な輝光弾としての威力があり、これによって先ほどの斉藤の魔炎を物理的に吹き飛ばしていたのだ。
 そして皇技、『世界裂く真紅の閃光(クリムゾン・スラッシュ)』。
 物質に留まらず、霊的、概念的な存在さえを斬り裂くことが可能なこの皇技。
 あらゆるものを切り裂くその一撃は、この世界との関わりを切り裂くことによって、この世界からその存在を消し飛ばすことさえ可能な異常なまでの威力。
 それらの能力の所以を、魔装合体を果たしたことによって数騎はいつの間にか頭の中に知識として得ていた。
(数騎さん、極炎を!)
 呆然とする数騎にエアは語りかけた。
 その声にようやく正気を取り戻し、数騎は倒れた斉藤が砂浜の上に落とした極炎を拾い上げる。
(極炎の剣を、界裂の大太刀に触れさせてください!)
 エアの指示に従い、数騎は界裂と極炎の柄を触れさせた。
 次の瞬間、極炎は赤紫の光を放ちながら界裂の中に吸い込まれるようにして消えていった。
(これで極炎をまるごと吸収しました、僕達はこれで界裂と極炎両方の力を使うことが出来ようになったのです)
「強くなったってことか?」
(はい、攻撃力において最大とされる三つの退魔皇剣の内二つを確保したわけですから、これは向かうところ敵なしと言ってもいいでしょう)
「なるほ……」
 ど、と続けようとしたがそれは敵わなかった。
 背後から迫る殺気。
 それを感じ取り、数騎は殺気に向かって界裂の斬撃を繰り出す。
 金属と金属の打ち鳴らされる音。
 界裂によって押し止められたるは青紫の鉄槌。
「轟雷の退魔皇か! 何でオレに襲いかかる?」
「お前の利用価値がなくなったからだ、消耗しているところ悪いが取らせてもらうぞ!」
 鉄槌を引き戻し、轟雷の退魔皇が再び鉄槌を叩きつける。
 数騎は大きく後ろに跳躍、轟雷の一撃を回避する。
 そんな数騎を追撃せず、轟雷の退魔皇は戮神の退魔皇、ロンギヌスの方に顔を向けた。
「おいチビ、協力しろよ。今なら界裂の退魔皇をやっちまうチャンスだぜ。あれだけ消耗する皇技を使っちまったあとで連戦はキツイはずだ。なんたって攻撃力において最大とされる三大退魔皇剣の二振りの所持者のわけだからな。むしろチャンスは今しかないぜ」
「なるほど、道理だな」
 そういうと、ロンギヌスはゆっくりと数騎たちの近くに歩み寄り、そして槍の矛先を轟雷の退魔皇に向けた。
「確かに道理だが、この町を救うために戦った人間の窮地を突くのは武人の誇りに恥じるものだ。界裂の退魔皇をやるというなら界裂には私が助力することになるぞ」
「バカか? またとないチャンスじゃねぇか!」
「武人には好機よりも大切なものがある」
 断固として譲らないロンギヌス。
 その時だった。
 数騎たちに向かって強烈な輝光が接近を始めた。
「逃げろ!」
 叫ぶ数騎。
 直後、数騎たちのいた砂浜に矢の雨が降り注いだ。
 紫色に輝く矢は砂浜を埋め尽くさんばかりに鏃を砂に突き立てる。
「滅神の退魔皇か!」
 ロンギヌスが攻撃してきた方角に目をやった。
 炎の海という目くらましが消え、標的を見つけ出した滅神の退魔皇が早速遠射を試みてきたのだ。
 直後、轟雷の退魔皇は後頭部に感じる強烈な殺気に向かって鉄槌を振るった。
 金属のはじける音。
 思ったよりは軽い手ごたえ。
 そして、鉄槌にはじかれ跳んでいく変形した金属の塊。
「銃弾……天魔の退魔皇!」
 轟雷の退魔皇は驚きを隠さない。
 そう、極炎を打破するために遠距離攻撃を目論んでいた二人の退魔皇は目くらましが消えた瞬間、早速狙撃を開始したのだ。
「今日のところはお預けだ、散れ!」
 轟雷の退魔皇の叫びに誰も反対する者はいなかった。
 三者三様の方向へと走り出し、砂浜は無人の空間と化す。
 ただ一人、笑顔を浮かべて死した斉藤の死体を残して。
 空に煌く星こそが彼の墓標。
 その死を悼むかのように、波が悲しげに泣き続けていた。

































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