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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>第四羽 失われし仮面

第四羽 失われし仮面



 朝に目を覚ました数騎は体を起すなり大あくびをした。
 当然だ、全然睡眠時間が足りない。
 体の疲れは抜けているのだが、どうも活力がわいてこない。
 寒い中布団から這い出し、外に出る準備をする。
 服を着替え髪をとかし、数騎はエアのいる居間までやって来た。
 ちらかった居間。
 その真ん中においてあるコタツがエアの寝床だった。
 見た目の年齢相応に、健やかにお休みになるエアさん。
 自分が起きてるのにコイツが寝てるのは不公平な気がしたので、数騎は足でエアの体を前後に揺らす。
「ん、あっ……おはようございます」
 覚醒の早い少年だった。
 バチっと目を覚ますと、エアはすぐさまコタツから這い出した。
 布団から抜け出すのに三分必要とした数騎とは非常に対象的である。
「すいません、ちょっと支度してきますね」
 そう言ってエアは洗面所に向かっていった。
 音を立てて洗面所の扉が閉まるのを見つめながら、数騎は昨日のことを思い出していた。
 昨日、極炎を降した戦いの後、数騎たちは放置したバイクを拾い二人乗りで美坂大学まで走り続けた。
 避難所となっていた校庭には多くの人が蠢いていたが、微妙なパニック状態になっていた。
 専門家の話では数日は消えない大火災がたったの数時間で消えたのだ、混乱が起きない方がおかしい。
 危険だからということでそのまま三時間校庭に待機させられ、結局家に戻れたのは六時だ。
 午後二時から三時くらいまで極炎と死闘を演じ、三時間校庭で人波に揉まれ、帰宅したのが六時で寝たのが六時十分。
 最悪な一日だった。
 いや、正確にはまだ今日の出来事か。
 十二時を過ぎていたのでまだ一日が終わっていないのだ。
「眠い……」
 眠かった。
 とにかく眠かった。
 もう少し眠っていたかったが、このアパートの家訓で朝は十時までしか寝てはいけないという決まりがあった。
 昼寝は許されているので逆らうわけにもいかず、数騎はあくびをかみ殺しながらエアを待っていた。
「お待たせしました」
 寝癖を直したエアが洗面所から出てくる。
 数騎はエアに靴を履かせると、そのまま二人で一階に降り、アーデルハイトの部屋にやって来た。
「あら、早かったじゃない。そろそろ起しに行こうと思ってた所だったわ」
 扉を開けるなり、アーデルハイトが笑顔で出迎えてくれた。
 香水のいい匂いと薄い化粧が何ともステキ。
 ろくに寝てないだろうに、見事なお手並みだった。
「やぁ、アーさん。今日も綺麗だね」
「もぅ! お世辞を言ったって何もでませんからね」
 口ではそういうが心なしか嬉しそうだ。
 数騎たちは靴を脱ぎ、部屋に入ると早速イスに腰を降ろした。
「今日の朝ごはんはウィンナーとスクランブルエッグ、トーストにハムにグレープゼリーよ」
「ん、妙に豪華だな」
 並べられていく朝食に、数騎は感嘆の声をあげる。
 と、アーデルハイトは腕を組んで見せた。
「ふふーん、昨日は大変だったからね。優しいアーデルハイトさんは元気のつく食べ物を用意してあげただけよ」
「さすがはアーさん」
「本当にありがたいですね」
 数騎の褒め言葉にエアが便乗した。
 と、そんなエアの言葉にアーデルハイトが目をパチクリさせた。
「あ、エアくん。いっぱい食べてくださいね。お口にあったらだけど」
「はい、いただきます」
 笑顔で返すエア。
 そんなエアを見つめるアーデルハイトの顔は、どこか緊張を孕んでいるような気がした。
「アーさん、大丈夫だよ。エアは日本語喋れるから」
「ん〜、それはわかってるんだけど。それに、もしかしたら私達と味覚違うかもしれないじゃない」
「まぁ、気になるのはわかるけどね」
 確かにエアはどう考えても日本人には見えない少年だった。
 アーデルハイトには想真兄さんの友人の親戚、と紹介したエアはどこから見ても中東あたりにすんでそうな少年だった。
「まぁ、いいじゃん。オレたちも食べようぜ」
 さっそくウィンナーに手を出しているエアを見て、数騎は食欲をそそられていた。
 トーストにジャムを塗り、大口でかじる。
 それを見て、アーデルハイトも小さく口を開けて食事を始めた。
「そういえば数騎くん。昨日はどこに行ってたの? 昨日も聞いたけど」
 一応、一睡したけど昨日じゃなくて今日だぜ。
 と、ツッコミを入れたかったが、数騎はそんなアホなことば言わずに答えた。
「えっと、ちょっと道に迷ったんだよ。バイクが燃えちゃ嫌だからバイク持っていこうとしたら道が封鎖されててさ」
「あ〜、確かにそんな事言ってたわね」
 そう、数騎たちは炎が鎮火した後にアーデルハイトの待つ美坂大学の校庭に辿り着いたのだが、その時のアーデルハイトの怒りようといったらなかった。
 泣き出しそうになりそうな大声で数騎を怒鳴りつけたのだ。
 先に避難してると思って探してみたらいくら探しても見つからず、挙句の果てに全部が終わってから戻ってきた。
 数騎とエアは以心伝心と口裏合わせで何とかその場を乗り切った。
 実際、美坂大学に行く途中に交通規制の名残があったおかげでごまかせたが、それを行きがけに見ていなかったらどう言い訳できたかと思うとちょっと怖い。
 まさかバイクのガソリンが尽きたからガソリン入れてきたなどと言ったらアーデルハイトから間違いなく殴られていただろう。
「今度からバイクなんて捨ててすぐ避難してよね。すっごく心配したんだから」
「面目ない」
 頭をかきながら数騎はアーデルハイトから目をそらした。
 と、視線の先にエア。
 エアは口の中のトーストを飲み込むと、アーデルハイトの顔を見た。
「すいません、アーデルハイトさん。僕がいながらあんな事になってしまって」
「ん? いえいえいえ! 悪いのは数騎くんだけだから、エアくんは何も気にしなくていいのよ!」
 慌てて答えるアーデルハイト。
 どうもアーデルハイトはエアが苦手なようだ。
 アーデルハイトは常にエアを意識しながら食事を続ける。
 動きがぎこちないなぁ。
 数騎にそんな事を思われてしまうほど、うろたえるアーデルハイトの動きは堅かった。
 いつもと違う食事を終え、数騎とエアはアーデルハイトに一声かけてからアーデルハイトの部屋を出る。
 外の風は寒く、ついでに何か焦げ臭い匂いが漂ってきた。
 ここは火が回らなかったからよかったが、数キロ先はとんでもないことになっている。
 食事中に読んだ今朝配られた朝刊によると、昨日の火災はどこかの化学工場の事故ではと噂されていた。
 当然だ。
 普通、炎といったらオレンジとか赤とかそんな色が相場なのだ。
 それなのに昨日燃えていた炎の色は赤紫。
 不可思議な色の炎は科学的に作り出すことが可能で、化学薬品を混ぜると炎は色を変える。
 化学工場のせいか、もしくは化学工場に延焼して炎に色が着いただけか。
 研究者はやっきになってこの問題にあたっているそうだ。
 だが、それ以上に大変なのは未だ生存しているかもしれない被害者の捜索だ。
 建物の下に押しつぶされたり、出られなくなっている人間を探さなくてはならないのだ。
 事故発生から時間が経つごとに生存確率は下がっていく。
 もう疲労もピークに達しているだろうが、救急隊員は今も働き続けていることだろう。
 そういう意味では、少しでも眠れた数騎は幸運と言えた。
 いや、この火災に巻き込まれ生きているだけでも僥倖と言えるだろう。
 そんな数騎の左ポケットが振動音を発生し始めた。
 数騎はすぐに左ポケットに手を入れる。
 中から取り出したのは携帯だった。
「おう、どうした北村」
「あぁ、須藤か。生きてるか?」
「生きてるよ、昨日……じゃなくて今日の朝、美坂大学の校庭で会ったろうが」
「そうだったか? まぁいいや。知ってるかどうか知らないが今日大学の授業、午後からって話だったけど休校になるみたいだぜ」
「マジで? 校長が校庭で午後から授業って言ってただろ?」
「いやいや、どうも本当らしい。学校に来た連中をボランティアとして使って被災者を助けるんだそうだ。ボランティアの希望者だけ大学に来いってよ。十二時集合だそうだ」
「へぇ、お前は行くのか?」
「行くさ、オレの家は無事だけど家が燃えちまった連中は大変そうだからな」
「あ、じゃあオレも……」
 言いかけて、数騎は言葉を止めた。
 エアがじっとこちらを見つめてくる。
 それでようやく数騎は思い出した。
 自分は、今や界裂の退魔皇だ。
 自分の持つ退魔皇剣を狙って誰がいつ襲ってくるかわからない。
 そんな状況下で、人助けをする時間なんてなかった。
「すまない、オレはちょっと無理そうだ」
「そうか、まぁボランティアだからな。別に参加しないのが悪いってわけじゃないし」
「本当にすまないな。オレの分まで村上と人助けしてやってくれ」
「ん、あいつも来ないぜ」
「え?」
 驚いた。
 北村が動いて村上が動かないのは珍しい。
 そんな事を考える数騎に、北村は続けた。
「いや、あいつも何か忙しいらしくてな。残念だけど手伝えないって言ってたよ。お前に電話する前にあいつに電話してたんだよ、オレ」
「そうか、あいつがお前と動かないのは何か変だな」
「そうでもないぜ、あいつジョッカノできたらしいからな、詳しくは言ってこなかったが多分そうだ」
「なるほど、それじゃ仕方ないな」
 納得する数騎。
 そんな数騎に、北村は続けた。
「そうだ、村上のことで思い出したことがあったんだが」
「どうした?」
「昨日……いや今日か。オレは家族と一緒に美坂大学まで避難したんだよ、その途中村上と会ったんだ」
「へぇ、それで?」
「いや、会ったというよりは見ただな。避難中にあいつの姿を見たんだよ。遠くにいたし、何か急いでたから声かけられなかったけど」
「ふぅん、それがどうかしたのか?」
「それがさ、あいつどういうわけか、火災現場に向かって走ってたんだ」
「美坂大学じゃなくてか?」
「あぁ、不思議に思ってたら火が消えてからあいつ、美坂大学に着たんだよ。遅刻者って言えばお前もそうだったけどさ」
「鎮火してから現れたのか?」
「そうだよ、その通り。それで、火災現場に向かってたけどどうしたんだって聞いたら、適当に煙にまかれちまった。どう思うよ?」
 尋ねられ、数騎は少し考え込んだあと答えた。
「多分あれだ、やはり彼女関係だよ。まず、あいつは火事があったと知って彼女の家に向かった。その後、彼女を避難所に送り届けたあと美坂大学に行った。どうだ?」
「あぁ、なるほど。それならオレたちに言わなかった理由が説明できるな。確かあいつはオレたちに彼女がいることを知られたくなさそうだったしな」
「そういうことだ」
「なるほどな、了解だ。じゃあ、オレは一人寂しくボランティアに行ってくるよ」
「あぁ、オレ達の分まで頑張ってくれよ」
「りょーかい」
 そう答えると、北村はあっさりと電話を切った。
 数騎は通話の切れた携帯をポケットにしまうと、エアに二階に一緒に来るようにアゴで示した。
 階段を上り、部屋のドアを開く。
 そして、
「遅かったじゃないか」
 その男に出会った。
「なっ!」
 思わず後ずさる。
 だってそうだ。
 自分の部屋に知らない人間がいたら、誰だって驚くだろう。
 数騎とエアの前にいた連中は、まさしく知らない人間だった。
 赤い髪と赤い目をした少年、黒い猫、そして天狗の仮面をかぶった甲冑の人物。
「天狗仮面と……誰だ?」
 数騎は狼狽しながら尋ねた。
 警戒してか、エアがいつでも戦闘に突入できるように全身に輝光を巡らせはじめた。
 それを見て、赤い目の少年が手のひらを見せ付けてきた。
「まぁ、待て。争いに来たわけではないのだ。界裂の退魔皇」
「何が目的ですか?」
 凄みを利かせた声でエアが尋ねる。
 そんなエアに、赤い目の少年はため息をついてみせる。
「それを話しに来たのだ。それにしても寒くてたまらんからその扉を閉めて中に入ってきたらどうだ?」
「偉そうに、ここはオレの家だぞ」
 ようやく会話に割り込む余裕ができた数騎が文句をつける。
 それを聞いて、ようやく思い出したかのように少年はハッとしてみせた。
「それは失敬、ではそのコタツにでも入りながら話でもしようか。自己紹介しておこう、私の名はイシュトヴァーン・ジェ・ルージュ」
「赤の魔術師?」
 問うエア。
 そんなエアに、ジェ・ルージュはにやりと笑みを浮かべる。
「ご存知いただけて光栄だ」
「当然です、知らないほうがおかしい」
「誰だ? こいつは?」
 何も知らない数騎はエアに尋ねる。
 そんな二人の前で、ジェ・ルージュはいそいそとコタツの中に入り、腰を降ろす。
 その様子を見て釈然としない数騎に、エアは数騎もコタツに入るように手でしめした。
「裏世界で最強と目される男です。赤の魔術師の異名をとる魔皇で、この世界で最強の魔術師と言ってもいいでしょう」
「そんなにすごいのか? そうはとても見えないけど」
「確かに私にも見えないのですが、彼で間違いないはずです」
 曖昧はエアの言葉。
 そんな言葉を耳にしながら、数騎はコタツの中に入り、ジェ・ルージュと対面する形になった。
「エアは入らないのか?」
「護衛まで座るのはいただけない。それに、向こうの護衛も立っているようですし」
 そう言って、エアはジェ・ルージュの後ろに立つ人物に目を向けた。
 全身を真紅の具足で固める天狗の仮面。
 両腕を組み、威圧感を漂わせながら天狗はジェ・ルージュの背中を守っていた。
 納得し、数騎は正面からジェ・ルージュの顔を見据える。
「で、ジェ・ルージュさん。一体、オレたちに何の用なんだ?」
「何の用かと、想像はつくだろう? この時期に退魔皇の元に訪れる人間は退魔皇剣が目当ての人間に決まっているではないか」
 年齢に不釣合いにな喋りかたをするジェ・ルージュ。
 幼児にしか見えないジェ・ルージュの言葉を、背伸びしたガキの言動のように捉えながらも、数騎は続けた。
「お前、退魔皇剣を狙ってるのか?」
「狙っていると言われれば狙っていると答えざるを得ないな。最も、私は退魔皇剣を欲しているわけではないが」
「じゃあ何なんだよ?」
 回りくどい言い方に、数騎は面倒そうに眉をひそめる。
 そんな数騎の態度を見て、ジェ・ルージュは面白そうに続けた。
「簡単な話だ。私はこれでも裏の世界では相当な権威でな。それなりにこの世界の平和のために頑張らねばならない立場にあるわけだ。そんな私が今度の騒動を見逃すわけにはいかない」
「で、何がしたいんだ?」
「退魔皇剣の力は強力すぎる。下手に使えばその破壊が原因で国家間の戦争……いや、この世界の破壊すら引き起こしかねん」
「まぁ、確かに退魔皇剣の力はイカれてるけどな。でも、回数制限もあるんだし、そこまで狂ってるわけでも」
「ん? 貴様聞いていないのか?」
 ジェ・ルージュはチラリとエアに顔を向ける。
 エアは小さく咳払いして見せた。
「数騎さん、昨日までのあなたは参戦を表明していませんでしたし、極炎との戦いの後もいろいろ忙しかったから言えませんでしたが、あなたに伝え忘れていたことがあります」
「何だよ、伝え忘れてたことって」
「回数制限をなくす方法さ」
 鼻の頭を指ではじきながらジェ・ルージュは言った。
「そもそも退魔皇剣とは八、いや九集まってヤマタノオロチの姿にしたものこそが真の姿だ。この姿の退魔皇剣には回数制限なんてバカげた制約はない」
「何でだ?」
「退魔皇剣とはそもそも異常な力を持ち、使用するために代償を必要とする。だが、もし代償を払っても即座にその代償を取り戻せるような力を持つ退魔皇剣があるとしたら?」
「あるのか?」
「あるとも、カドゥケウスの杖だ」
「カドゥケウス? どっかの神話とかで聞いたことのある名前だな」
「そりゃあそうだろう。退魔皇剣とはどこかで活躍した伝承を残した魔剣ばかりだ。第一、貴様の相棒も『草薙の剣』もしくは『エアの剣』だろう?」
「ん〜、確かに」
 そう言えばエアがそんな事を話していた気もした。
「話を戻すぞ。つまり、カドゥケウス……いや、杖の退魔皇剣『双蛇』が回数制限を消滅させる力を持っている。双蛇の能力は復元、再生、回復、蘇生だな。所持者は決して死ぬ事も無く朽ちる事も無い、文字通りの不老不死だ。しかも、死人の蘇生まで可能というオマケつきだ」
「何だそれ、やりたい放題じゃないか」
「そうとも、それでこそ退魔皇剣だ。だが、この退魔皇剣には攻撃力というものがない。そういう意味では最弱の退魔皇剣だが、一度他の退魔皇剣と一緒に手にすることになれば」
「皇技は使い放題」
「そうだとも、たしかに貴様の言うとおり皇技の一発一発は絶大な威力を持つとはいえ、一撃で世界全てを崩壊に導く力は無い、神が使えば別だがな。しかしだ、それを回数制限無しで使えるとしたら? しかも双蛇を持つ者は傷の治癒だけでなく、死からの蘇生、さらには常にヒーリングが肉体にかかりどんな時でも最高の体力と最高の輝光を持ち続ける。消耗しないんだ、皇技をいくら撃っても問題ない。回数制限も無く皇技を連打されたらどうなると思う?」
 ようやく理解できた。
 皇技は確かにすごい、だが完全じゃない。
 しかし、回数を重ねればそれがどれほどの力になるか。
 数騎は容易く想像することができた。
「ちょっと待て! じゃあこの戦いは杖を手に入れたやつの!」
「あ〜、待て待て。必ずしもそうではない。杖のヒーリングだけは八岐大蛇になったときでないと発動しない。さすがに皇技の連発はありえない。が……」
「が?」
「皇技を代償無しで撃てるということには代わりが無い。筋肉を失った、理性を失った、寿命を失った。あらゆる代償が皇技の使用直後にキャンセルされるわけだ。ステキだろう?」
「確かに、回数制限がなければ皇技を何度でも好きな場面で扱える」
「その通りだとも、中には戦闘力を犠牲にする皇技もあるわけだからな。これから皇技の使用回数がかさむにつれて杖の重要性は増してくる。勝利するにはまず杖をやらなくては」
「じゃあ、誰もが杖を狙って戦ってるってことか?」
「ところがそうじゃない」
 答えるジェ・ルージュ。
「不死、蘇生、この二つを持つ双蛇を打破する力を持つことは非常に難しい」
「ちょっと待ってくれよ、退魔皇の仮面を砕けば一撃だろ」
「いいところを突くな、見直したぞ」
 笑みを浮かべながら、ジェ・ルージュは続ける。
「確かに退魔皇にとって退魔皇の仮面は弱点だ。しかし、双蛇の退魔皇だけは例外だ」
「待て……もしかして……」
「わかるか、そうとも。双蛇の退魔皇の持つ退魔皇の仮面も不死、蘇生能力を持つ。いくら砕いても何度だって復元する」
「じゃあどうやって倒すんだよ、それじゃ無敵じゃないか!」
「ところがそうでもない。双蛇を撃破することのできる退魔皇剣が二振りあるからな」
「どの退魔皇剣だ、それは?」
「攻撃力において最強とされる刀と弓の退魔皇剣だな」
「刀、弓……」
「弓は滅神、消滅の力を極めし退魔皇剣だ。あらゆる蘇生、復元、不死能力を否定する必滅の一撃だ。決して治らない傷と決して蘇れない滅びをもたらす。これが杖にとって最も恐ろしい相手だ」
「じゃあ界裂は滅神に劣るのか?」
「劣るとも。そもそも退魔皇剣は退魔皇剣を害する力を持たないため、退魔皇剣自体を狙って破壊することは出来ない。強力な力を自分に向けて自滅するのをさけるための制約だな。なら狙うは本体かその能力。直接本体を打撃し、皇技だけでなく退技のみでさえ双蛇の退魔皇の契約者を滅ぼすことが出来る。それに比べ、界裂は皇技でなければ勝利できない」
「どうやって勝つ?」
「界裂の能力は乖離、つまり引き剥がす事だな。この能力でもって、双蛇から契約者に授けられる蘇生をはじめとする諸能力を全て切り飛ばす。その間、双蛇の退魔皇は無防備となる。そこを狙えば……」
「双蛇を討てる」
「そう、わかってるじゃないか」
 嬉しそうに笑みを浮かべるジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに、数騎は訝しげな目を向けた。
「でも、何であんたがオレにそんなこと教えるんだ? あんたにどんな得があるんだよ」
「無ければ貴様の前に現れたりはしないさ。私の目的を教えておこうか。私の目的は退魔皇剣を悪用されないことにある。そこで頼みたいのだ、君が優勝した暁には退魔皇剣の能力が悪用されないように封印させてもらいたい」
「なっ!」
 声をあげたのはエアだった。
 怒りの形相をつくり、ジェ・ルージュを睨みつける。
「封印なんて……私が退魔皇剣を悪用するとでも思っているんですか!」
「お前じゃない、お前の前にいる契約者の方さ。仮面の契約ってのは退魔皇剣にとって不利なもんでな。契約者に退魔皇の仮面を砕かれたら半身をくだかれるようなもので八岐大蛇になるまで二度と精霊として具現化できなくなる。まぁ、仮死状態みたいなものだな。つまり、仮面契約して仮面を手渡した退魔皇は自分を殺せる契約者に逆らえない。八岐大蛇となっても契約者に仮面をもたれていることで永遠に縛られる。エアと言う名の精霊に悪意がなくとも、契約者がどうなるかは保障の限りではない」
「オレを疑ってるのか?」
「君じゃない、人間を信用していないだけだ。もちろん、この私も例外ではない」
 数騎の言葉に、一片の疑問さえ差し挟めないほど断固とした口調で答えるジェ・ルージュ。
 数騎は少々気おされながらも、必死になって聞いた。
「封印したら、エアはどうなる?」
「どうにもならん、ただ力を失って精霊として具現化する能力が残るだけだ。死にはしない」
「エアは助かると」
「もちろんだとも、私も鬼ではないし。そういう結果でなければ君達を仲間に引き込めない」
「仲間?」
「そうとも、他の連中に退魔皇剣を手に入れられたら世界がどうなるかわからない。だが、その危険性に気付いている人間なら優勝しても悪用せずに封印を受け入れてくれるだろう。正直、他の契約者を見て回ったが、優勝確率が高くて信用度も高そうなのは貴様を置いて他にいなかった。だから真っ先に声をかけたのだ」
「優勝確率が高いって?」
「攻撃力において最大とされる三大退魔皇剣の内の極炎、界裂を持つ貴様が優勝候補でないとすれば、誰が優勝できる。まさか仮面契約もできてない槍の退魔皇ではあるまい」
「槍のって、ロンギヌスのことか?」
「あぁ、そういえば名乗っていたな。まぁ、あの神殺しの槍については皇技を使ってこないから別段怖くは無いな、最も退魔皇剣である以上油断はできないが。とにかくだ、もしも貴様が私達の要求を受け入れてくれるなら私たちは協力を惜しまないが、どうかな?」
「どうかなって、どうする?」
 後ろを振り向き、数騎はエアに尋ねる。
 エアは少し考え込んだ後、言った。
「こちらにはどんな利益が?」
「赤の魔術師が味方につくのだ、これ以上の増援はないのでは?」
「普段ならば、しかし敵が退魔皇剣。しかも、何やらあなたからは赤の魔術師たるだけの輝光が存在しないように見えますが」
 そのエアの言葉に、ジェ・ルージュは思いっきり嫌そうな顔をした。
「まぁ、それはこちらのミスだな。だが、私が味方につけば防御陣地構築をはじめ、あらゆる点で援護してやれる。それに戦力の足しとして魔皇もつけてやれるぞ」
「魔皇?」
「この天狗の事だ」
 そう言って、ジェ・ルージュは自分の後ろに立つ天狗を親指で示す。
「確かに魔皇では退魔皇には及ばないが、戦力として無意味というわけではあるまい。お前達は少しでもこの戦いを有利にしたいはずだ。この助力を無にしても構わないということはあるまい」
 そのジェ・ルージュの言葉に、数騎は考えるそぶりを示す。
「なぁ、エア。もしお前さえよかったらだけど、こいつらと組まないか?」
「本気ですか?」
「本気も本気さ。オレはどうせ退魔皇剣には興味ないし、お前が無事でいられるならこいつらと組む事には意味がある。でも、エアが嫌ならオレは断るよ。オレはエアの契約者だからな」
「いえ、私がこの戦いの勝利を目指すのは単に死にたくないというだけですからね。生き残れるのであれば彼らの提案が悪いものとは思えません」
「そうか、それは懸命な判断だ」
 嬉しそうに言うジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに対して、数騎は露骨に嫌な顔をした。
「勘違いするなよ、別にあんた達を信用したわけじゃない」
「ほぉ」
 おもしろそうに笑みを浮かべるジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに数騎は続けた。
「まず第一にそこの天狗さんには借りがある、そっちに利益が無いのに助けてもらったからな。それに、もしオレが断ったらあんたら、別の連中と手を組むつもりだったろ?」
「ほぉ、わかるのかね?」
「なんとなくは。それに、もしかしたらオレの前に他のやつにも声をかけてたりしてたんじゃないか?」
「ふむ、予想以上に頭が回るようだな。まぁ、お前の予想は大体においてあってるといっておこう。どの道、私達の目的はこの世界の安定だ。闇の救世主でもない連中のせいで煩わされるのは真っ平だ」
「闇の救世主?」
「聞きながせ、関係のない話だ。とにかく、そんなわけでこれから私達とお前達はお仲間だ。全ての退魔皇を打ち倒すためにがんばろうじゃないか」
 白々しく拍手してみせるジェ・ルージュ。
 それに追従するものは誰もいなかった。
 代わりに声が聞こえた。
「それで、これからどう動く?」
 数騎は驚き、声に方向に顔を向ける。
 その方向に誰かいたのか?
 そう思ったからだ。
 しかし、視線の先には全く予想外の姿があった。
「こいつが味方になったからには方針も変わるだろう。随時行動を供にするのか? それとも別行動をとるのか?」
 ジェ・ルージュに質問する声。
 その声の主は、今まで存在さえ忘れていた黒猫だった。
「猫? 猫が喋るのか?」
「猫だって喋る。現に武器も喋ってるじゃないか」
 面倒くさそうに答える黒猫。
 黒猫の視線の先にはエアの姿があった。
「待て、エアは人間じゃないか」
 数騎が黒猫に言い放つ。
 そんな数騎に対し、黒猫はため息をついた。
「精霊として具現化する姿が人間なだけだ。お前の相棒は退魔皇剣だろう、違うのか?」
「……そうかもしれない」
「じゃあそうだ」
 言い切る黒猫。
 そんな二人の会話を聞いて、ジェ・ルージュが思わず笑い出した。
「燕雀、そこまでにしておいてやれ。さてと、数騎くんだったかな。とりあえず手を結びはしたが、行動を供にするのは得策ではないように思う。君はなるべく敵に見つからないように普通に暮らしていてくれたまえ。その間に私が他の退魔皇をあぶりだしてあげよう。居場所を見つけたら後は君の仕事だ。もちろん、退魔皇が現れた時は天狗を救援に向かわせる。どうかな?」
「わかった、じゃあ別行動で行こう」
「よし、では契約成立だ。とりあえず今は準備がないから出来ないが、後でまた来た時にでもこのアパートに敵に察知されない程度に微弱な簡易結界を張っておこう。構わないかな?」
「あぁ、頼む。そうしてくれるとありがたい」
 数騎がそう答えると、ジェ・ルージュは小さく頷きその場から立ち上がる。
「それでは私達は一度帰らせてもらうよ。数時間したらまた来る。できればそれまでこのアパートを動かないでくれるかな?」
「いいけど、早めに来いよ」
「承知した」
 頷いてみせると、部屋の隅に向かって歩き出すジェ・ルージュ。
 それに続き、天狗と燕雀までもがジェ・ルージュの側に集まった。
 と、ジェ・ルージュは思い出したように数騎に顔を向ける。
「あぁ、そうだ言い忘れていた。もし杖の退魔皇と戦う場合は奴の蘇らせた死者に気をつけろ」
「死者?」
「双蛇の退魔皇は死者を蘇らせて使役する。双蛇自体の攻撃力は大したことないが、従者を増やし攻撃力を保持することが可能だ。特にこの町には二年前の事件のおかげで多くの異能者が眠っている。もっと昔の異能者も。そいつらを蘇らせられたら骨だからな。特に柴崎司には気をつけろ」
「柴崎司?」
「ランページ・ファントムと呼ばれる精鋭部隊に所属していた仮面使いの異名をとる異能者だ。コストパフォーマンスから考えて、間違いなく双蛇の退魔皇は柴崎司を蘇生させているだろう。相対する時は気をつけることだな」
 そう言うと、ジェ・ルージュは胸の前あたりで腕をくねくねと動かし始める。
 しばらくそうしていると、突然ジェ・ルージュたちの身長が縮み始めた。
 いや、違う。
 彼らの足首が床に埋もれていた。
「なんだ?」
「驚くな、影を利用した転移呪文だ」
 すでに腰まで自分の影に埋まっているジェ・ルージュ。
「それではまた訪ねる、鍵は閉めておいても構わんぞ」
 笑いながらそう言うと、ジェ・ルージュたちは全身が影にもぐりこみ、その存在すらもどこかに消えてしまった。
 ジェ・ルージュたちがいなくなった部屋で、コタツに入っていた数騎は後ろに立つエアの顔を見上げた。
「これでよかったか?」
 ジェ・ルージュたちと同盟を結んだことの是非を問う数騎。
 そんな数騎に、エアは告げた。
「あなたと私は一心同体です。あなたが私のためを思って決めたことなら、私に何の文句がありましょう」
「ありがとうな、そう言ってもらえると助かる」
 言って、数騎はエアに微笑んでみせる。
 そんな数騎の笑顔を見て、エアも年齢相応にはにかんで見せるのであった。







「さぁて、どこにいるかしら」
 ホテルの屋上から夜景を眺めるアイギス。
 時刻は午後十時。
 冬ともなると夜は深く、そして広がる夜景はネオンの鮮やかな装飾。
 ホテルの屋上であるために風は強く、アイギスの身にまとうドレスがバタバタと音を立てて揺れる。
「ちょっと、あんまり離れないでよ」
 後ろから韮澤がスカートを抑えながら進む。
 正直寒い。
 風を遮るもののない高層ビルの屋上は風速も早く、厚着をしているはずなのに体が震える。
 そんな韮澤を無視して、アイギスは屋上の端、フェンスで落下を防いでいるあたりまで走っていた。
 韮澤は眉をしかめながらアイギスの後を追う。
「見て、綾子。夜景がとっても綺麗よ」
 手で夜景を指し示すアイギス。
 この様子だけ見ていると、アイギスは見た目どおりの少女のようだった。
 煌く星明りは美しく(星がいつもよりよく見えるのは多分極炎の退魔皇のせいだ)町を照らす月明かりが、この少女にも降り注ぎ白い肌を幻想的な青で彩っている。
 韮澤は夜景よりも、一瞬アイギスの美しさに見とれてしまったが、ハッとなってアイギスに言った。
「そうだ、アイギス。こんな所に連れて来て一体どうしようって言うの?」
「決まってるでしょ、夜景を楽しみに来たのよ」
 それを聞いて、韮澤は頭を抱えた。
「そんなの、私たちの部屋からだって見れるでしょ」
 そう、このホテルは三十階建ての高級ホテルだった。
 ちなみに韮澤がこの町に来た時、最初に泊まっていたホテルではない。
 あのホテルでアイギスと韮澤は仮面契約を交わしてしまった。
 その時に迸った輝光はあまりにも強大で、敵に見つけてくださいとばかりの標識にも似たようなものだったのだ。
 だからこそ、韮澤は別のホテルにチェックインし、今に至る。
 このホテルこそが、彼女達の新たな拠点だった。
 と言っても、敵の発見を恐れて魔術的な結界による防御術などは施してはいない。
 そんなものを展開してしまえば、敵の強襲には備えられるものの、敵に居場所を察知されてしまう。
 そして彼女の敵は退魔皇だ、中級程度の魔術師である韮澤の防御結界で防げるようなものではない。
 と、言っても彼女は鏡の退魔皇だ。
 突然の不意打ちなど、退魔皇レベルの一撃でも無効化してしまう。
 もっとも、九振りの内の二振りは致命的に相性が悪いのでやはり一撃で仕留められてしまう。
 隠れているに越した事はない。
 そんな事情もあってホテルの一室で今後の善後策を考えていたのに、アイギスは彼女を無理矢理屋上まで連れてきたのであった。
 ちなみに、屋上はお客様立ち入り禁止になっている。
「違うわよ、綾子。私達のいた十五階じゃこれだけの美しい眺めは楽しめないわ。景色は高い山に登るほど美しくなるものよ。だからこそ登山家は命を賭けて山に登るの」
「私達は登山家じゃないわよ」
「確かにね」
 そう言うと、アイギスは韮澤に向き直った。
「あのね、綾子に話しておきたいことがあるの」
「何?」
「私のこと、ちゃんと説明してなかったでしょ」
「うん、あなたがアイギスの盾ってことは教えてもらったけど」
 退魔皇剣は大抵、世界のどこかしらで使用されたことがあり、そこで違う名前で伝承に名を残している。
 鏡の退魔皇剣『魔伏』、しかし伝承においてはこの退魔皇剣はアイギスの盾の名で知られているのだ。
「そう、私はアイギスの盾。本当の名前は魔伏だけど、アイギスの盾の方が通りがいいかな。あのね、私はアテナっていう女性に使われていた盾なの」
「アテナって、あのゼウスの娘?」
「そう、ゼウスの娘。このアテナって女はね、ものすごい邪悪な心を持った女だったの」
「そうなの? いい伝承しか聞かないけど」
「それは私がいたから。アイギスってのは無垢なる魂に性格を持たせるために鏡の退魔皇剣の生贄にされた女の子の名前なの」
「生贄?」
「そう、生贄。退魔皇剣は今回参加してるとは誰もが思ってなかった特別な退魔皇剣である界裂以外、全部意志を持たない力の具現ってだけの無垢なる魂が宿っていた。でも、神様が使うならともかく、人間に無垢なる魂を理解できない。だから、無垢なる魂に色をつけるために人間の魂を吸収させるの」
「それで、あなたが生贄に?」
「そう、アテナの狂気を鏡の中に封印するために私は生贄にされた。だから、アテナが清い女神とされるのは私がいたおかげなの」
「なるほど、そういうこと」
 納得したように頷く韮澤。
 そんな韮澤にアイギスは続けた。
「神話の時代が終わりに近づいて、退魔皇戦争が起こったわ。イザナギ、スルト、そして私。ほかにも多くの魔皇たちが八岐大蛇の頭部として吸収されたわ。そして、この呪いの運命(さだめ)に捕らわれてしまった」
「……まるで道化ね」
「そんなかわいいものじゃないわ、傀儡(くぐつ)よ。私は運命(さだめ)の傀儡(くぐつ)」
「月夜に踊る傀儡か、何か悲しいわね」
「まぁね、理解してもらえて嬉しいわ。ところで、綾子にお願いがあるの」
「何?」
 尋ねる韮澤は真剣な顔で応じた。
「もしこの儀式の勝者になって私が八岐大蛇になったら、私の命はあなたが握ってる。あなたが仮面を砕いたら私はその力を失うわ。だからこれはお願い。私には何も強制力はないから」
「いいわ、言ってみて」
「この世界のどこかにアテナの転生体がいる、それを抹殺して欲しいの。退魔皇の力で、転生さえできないように」
「え、アテナって転生復活してるの?」
「感じるわ、この世界のどこかでアテナは転生している。私が側にいないアテナは邪悪そのものでしかないわ。野放しにはできない」
 転生復活。
 それはかつて死した死者の魂が現世の人間に転生した際に、その記憶が蘇るというものだ。
 さらに過去に持っていた能力も蘇り、過去に生きていた人間が転生して復活したようにしか見えないためにこの名で呼ばれる。
 韮澤を見つめるアイギスの瞳は真剣そのものだった。
 彼女の心に存在するのは何か。
 アテナという女のために殺された恨みか。
 それとも、退魔皇剣の精霊などにされたという運命に対する憤慨か。
 違う。
 韮澤の目に映る少女の気高さは、それを否定していた。
 彼女からあふれ出るのは誇り。
 その揺るぎない意志が、彼女の想いを歪ませることなく綾子に伝えた。
「いいわ、わかった。八岐大蛇になったら私達は無敵だもんね。一緒に戦いましょう」
「ありがとう、あの女のせいでこれ以上苦しむ人を見るのは嫌だったから」
 悲しげに口にするアイギス。
 そう、アイギスは過去にいくらでも見続けていた。
 邪悪なるアテナはアイギスの力を持ってしてもその残虐性を取り除く事が出来なかった。
 力を持たない人間を苛め抜くことを楽しみとし、英雄を破滅においやり、美女の美しさをねたみ怪物へと変化させ、しかも永遠に死ぬ事ができないという苦しみまで与えた。
 転生復活したアテナが、過去に行ったことを再現しないとはとても思えない。
 もう、人々の悲しみを見たくなかった。
 それだけがアイギスの願い。
 それだけを望み、アイギスはこの命がけの戦いを受け入れたのだ。
 決して自分の命が惜しいからではなかった。
 そんなアイギスを見て、韮澤が申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんね、アイギス。私、あなたって結構わがままだからもっと小さい人間だと思ってたわ」
「えーっ、何よぉ! あなた私のことそんな風に思ってたの?」
「ごめんなさい、考えを改めるわ」
「もー、私がせっかく選んだ契約者なのに、薄情なんだから」
「ごめんごめん」
 平謝りする韮澤。
 そんな韮澤に、アイギスは微笑んで見せた。
「いいわ、今回は許してあげる。その代わり、ルームサービスでおいしいケーキを注文してもらうわよ」
「ん〜、構わないけど。そういうのがわがままっていうのよ。さっきだってケーキ二個食べたじゃない」
「女の子は甘いものは別腹なの! 綾子だってそうでしょ!」
「私はもう女の子って年齢じゃないんだけど」
「何言ってるのよ、女の子は何歳になっても女の子よ。じゃあ、綾子も一緒に食べましょう。ここのチーズケーキはとってもおいしいのよ」
 言われて連想する。
 最後に食べたのはいつだったろうか。
 ダイエットばかり考えて、ここ数年はケーキなど口にしなかった気がする。
 頭の中がチーズケーキ一色に染まりはじめた韮澤にアイギスは微笑んで見せた。
「ほらー、食べたそうな顔してる。行きましょ」
 そう言って、ホテルの中に戻ろうとするアイギス。
 と、その時だった。
 二人が同時に南西の方角に顔を向ける。
 肌に感じる輝光の感覚。
 この感覚は……
「弓の退魔皇!」
「それに杖の退魔皇もいるわね」
 アイギス、韮澤が交互に口を開く。
 チーズケーキ一色に染まっていた韮澤の頭が、とっさに戦闘向けのそれへと切り替わる。
「行くわよ、アイギス。私達の敵を屠るわよ」
「あ〜あ、ケーキはお預けか」
 悲しそうにうつむくアイギス。
 そんなアイギスに、韮澤は右手の人差し指を立てて見せた。
「泣かない泣かない。イイ子のアイギスちゃんには明日ケーキバイキングに連れてってあげるわ。そこで好きなだけ食べなさい」
「本当!」
「本当の本当よ。でも、それにはあの退魔皇たちを撃破してからじゃないと」
「わかってるわ、行きましょう綾子」
 そうアイギスが宣言した瞬間、強風が吹いた。
 あまりの冷たい風に、韮澤は体を震わせた。
「さ、寒いわね。上着とってこようかしら」
「何言ってるのよ、そんなことしてたら敵が逃げちゃうわ。大丈夫よ、どうせ暴れまわるから熱くなるわよ」
「お風呂入った後なのに」
「ぶつくさ言わない、行くわよ!」
 そう言って、アイギスが韮澤に退魔皇の仮面を手渡す。
 この期に及んで文句を言う女ではなかった。
 韮澤は仮面をかぶると、その一言を叫ぶ。
「魔装合体!」
 詠唱が唱えられる。
 アイギスの肉体が一瞬にして分解され、輝光の奔流と化すと、それが渦を巻くように韮澤の肉体に流れ込む。
 水色の鎧に身を包む鏡の退魔皇、韮澤綾子が戦闘態勢を整えた瞬間だった。
(綾子、今回はちゃんと鏡の中でドンパチしてるわ。鏡内界に入るわよ)
「わかった!」
 答え、韮澤はホテルの中へと続く扉の横にあるガラス窓の中に向かって飛び込んだ。
 






「疾(ち)っ!」
 短い掛け声と供に、紫の矢が射出された。
 夜のショッピングモール。
 人通りが消えたそのモールで、熾烈な追撃戦が展開されていた。
 追うものは滅神の退魔皇。
 紫に輝く矢を放つ弓を手に、撤退を図る敵に追いすがる。
 逃げるものは双蛇の退魔皇。
 従者のように白い仮面の人物を引きつれ、魔術によって身体強化した脚力で弓の退魔皇を引き離そうと試みる。
「さて、困りましたね」
 後ろを振り返りながら車の姿のない車道を疾走するイライジャ。
 手には杖。
 顔には仮面。
 深夜の戦いは鏡内界の中で行われていた。
 街中でイライジャを見つけ出した滅神の退魔皇が双蛇の退魔皇を鏡内界の中に取り込んだのだ。
 鏡内界は展開の仕方によっては他者を強制的に鏡内界に取り込むことができる。
 それにより、イライジャは望まぬ戦闘を余儀なくされたのだ。
「疾(ち)っ!」
 再び滅神の弓が迫る。
「うおっ!」
 情けない声をあげ、イライジャがすんでのところでその一撃を回避する。
 着弾により、コンクリートに穴が空き、その穴がどこまで続いてるか一目では見て取れない。
 滅神の能力は消滅。
 地面を覆うアスファルトを消すことくらいはわけない。
 滅神の退魔皇は黒装束をはためかせ、ビルからビルに飛び移り、常に双蛇の退魔皇よりも高い位置に陣取り、優位な射撃を続ける。
 もう三分は追撃戦が展開されているだろうか。
 イライジャは滅神に追い回されて、息も絶え絶えだった。
 護衛と言っても、魔皇ですらない護衛一人では攻撃も防御もおぼつかない。
「一人では……な」
 にやりと仮面の下で笑みを浮かべる。
 次の瞬間、空が閃光で満ちた。
 色とりどりの輝光弾が、ただ一点、滅神の退魔皇に向かって飛来する。
 とっさに滅神の退魔皇は足元に紫の矢を放った。
 紫に輝く矢は建物に触れると、その全てを消滅させながら地面に到達。
 さらに地面さえも消滅させながら、輝光を失うまでその力を存分に振るう。
 滅神の退魔皇は自らが空けたその穴に飛び込んだ。
 直後、大地を揺るがす爆音。
 滅神の退魔皇がいたそのビルの屋上は、跡形も無いほど爆砕された。
 飛び散るコンクリート。
 砕け散った壁の中から見える鉄筋。
「さぁ、滅神の退魔皇。楽しもうじゃないか!」
 叫ぶイライジャ。
 両腕を広げ、周囲を見回す。
 イライジャの周囲。
 そして、周りの建物の屋上から見せるその人影。
 どれほどの人数だろうか。
 軽く五百、いや千はいるだろうか。
 その誰もが他者を害する武器を持ち、甲冑を身につける者もあれば、上半身裸の者もいる。
 男女入り混じるその集団。
 それは、イライジャによって蘇らせられた死者たちだった。
 杖の退魔皇の皇技『蘇生する万物の叫び(ヴォイス・オブ・オール)』。
 それは死者の蘇生を可能とする。
 代償は『神経』。
 死者を稼動可能にするために、死者の起動中は神経の一部が停止、変わりに死者のコントロールが可能になる。
 ただし、従者として死者を一名だけ代償無しでコントロールできる。
 それは杖の退魔皇剣の精霊を死者に魔装合体させることだ。
 これによって、杖の退魔皇は魔装合体しながら、その強力な存在を敵に知らしめず隠密に動く事もできる。
 そして何より、誰に気付かれる事なく皇技の起動が可能だった。
 杖の退魔皇の皇技に回数制限は無い。
 死者の起動を解除すれば、動かなくなった神経は回復するからだ。
 今回イライジャが操作する死者はその数千。
 イライジャの右腕が完全に麻痺するだけの神経を代償にしたその蘇生は、イライジャに圧倒的な兵力を与える結果となった。
「行け、蘇りし下僕たち!」
 この街で死し、蘇りし死者たちが弓の退魔皇が逃げ込んだであろう建物に殺到する。
 直後、輝光の高まり。
 それを感じると同時に、ビルの六階が吹き飛び、そこから紫の矢が射出された。
 建物を砕きながら放たれた紫の矢は、対面するビルの屋上にいた異能者たちを消し飛ばす。
「さすがは消滅の能力、ですがこの数全てを取れますかな?」
 笑みを浮かべながら口にするイライジャ。
 そんなイライジャの言葉も知らず、ビルの中から滅神の退魔皇は幾たびも矢を放った。
 放たれる矢に一人、また一人と蘇った死者達が消滅していく。
 しかし多勢に無勢。
 矢による弾幕を突破し、幾十もの異能者が滅神の退魔皇に殺到した。
「なめるな!」
 叫ぶ滅神の退魔皇。
 直後、滅神の退魔皇は弓を投げ捨てると、その両手を左右に開いた。
 その両腕が、まるで舞踏を舞うかのように滑らかに、そしてすばやく動く。
 見とれてしまいかねないその美しさ。
 しかし、それで止まる異能者たちではない。
 異能者たちは一直線に滅神の退魔皇に迫り、
「ぐっ!」
 うめき声を上げてビルの床に倒れ付した。
 異能者たちの体は輪切りになって床に転がる。
 まるでスライスされたゆで卵のよう。
 蘇りし死者は、体から血を噴出させながら血溜まりの中に再び死ぬ。
 それを見届けると、滅神の退魔皇は弓を拾い上げ、背中に弓籠に弓を収めると、そのまま走ってビルの窓から飛び降りた。
 急降下する滅神の退魔皇。
 それを迎撃すべく、幾多の異能者たちが滅神の退魔皇に空中戦を仕掛けた。
 繰り出される武具、輝光弾、そして術式。
 それらを省みず、滅神の退魔皇は再び両腕を翻した。
 その美しき動きに見とれることなく、イライジャは見るべきものを見た。
 それは糸。
 滅神の退魔皇の指から、流れるような幾本もの糸が見える。
 月光を照らし返すその糸の群れ。
 まるで月の精霊のように月光を浴びる黒装束は、その糸に空中で舞いを躍らせた。
 結果は虐殺。
 腕が、脚が、首が、手が、脚が。
 あらゆるものが空中で分解され、血が弾けるように飛び散る。
 迫る異能者たちを一撃の元に斬殺し、滅神の退魔皇が地面に降り立つ。
 血の滴る糸を手にする退魔皇。
 イライジャは一瞬で思い出した。
 あれはこの国において忍びの者が使用する暗器である鋼糸だ。
 魔鋼と呼ばれる、魔装を作り上げるのに最も適した金属で作られた糸は輝光を糸の中に注ぎ込むことでその切れ味を鉄を切断するほどまでに高める。
 その暗殺者の糸が意図して作り出す斬殺空間に入り込みし者は、肉塊になって地面に転がるのみ。
 その証拠と言わんばかりに、滅神の退魔皇が着地から立ち上がると同時に、少し送れて斬殺された死体が地面に落下した。
 ぼたぼたと落ちる人間のパーツ。
 そしてびちゃびちゃと音を立てる雨のような血。
 その真っ只中で、弓の退魔皇は声を張り上げた。
「この程度か、双蛇の退魔皇の下僕は。退魔皇剣を使うまでもないな、片腹痛い!」
「それでは、『仮面使い』の柴崎司と遊んでみてはどうかな?」
「柴崎司?」
 その言葉に引っかかったのか、滅神の退魔皇が怪訝な声を出す。
 そんな滅神の退魔皇に、イライジャは側に立つ白い仮面の人物を前に出した。
 漆黒の外套をまとうその仮面使いは、両腕にインドの刀剣であるカタールを装備していた。
 それを見て、滅神の退魔皇は笑みを浮かべた。
 もちろん、仮面に隠れてその顔は見えなかったが。
「あぁ、なるほど。確かにそいつは柴崎司だね。最も、あまり興味はないけれど」
「そうでもありませんよ、あなたの興味を引かないほどコレは弱くはありません。なんたって退魔皇剣の精霊と魔装合体して能力強化(ブーステッド)されてますから」
「へぇ、魔皇なみってことね」
 面白そうに言う滅神の退魔皇。
 そう、双蛇の退魔皇は魔装合体をしない代わり、自分の専属の従者に魔装合体させることができる。
 そして魔装合体した従者は退魔皇への忠誠と引き換えに魔装合体によりその能力を強化される。
 自由意志はあり、過去に記憶もある。
 しかし、退魔皇の一存でいつでも元の死者に戻るとあっては逆らいようがないのだ。
 従者たる仮面使いはイライジャに逆らうこともなく、イライジャを守るように両腕のカタールを構える。
 そんな仮面使いに、滅神の退魔皇は弓を構えながら言った。
「遊ぶのいいけどその前に」
 虚空から出現する紫の矢、
「新入りさんに歓迎の挨拶をね!」
 言い放ち、滅神の退魔皇が真上に矢を解き放った。
 繰り出された紫の矢は光り輝きながら夜空に上昇し、そして弾けた。
 まるで空中で炸裂した榴弾よろしく、光の破片を撒き散らしながら地面に降り注ぐ。
 その光に幾多の死者が貫かれた。
 生命を再び失い、倒れ付す死者たち。
 仮面使いはとっさに逃げを選び、イライジャを抱えたまま光の破片を見事なまでに回避してのける。
 滅神の退魔皇の周囲十メートルが無人となった。
 そんな滅神の退魔皇に、再び(・・)銃撃が加えられた。
 それを察知し、滅神の退魔皇が右手を振る。
 右手に装着された糸が翻り、飛来する弾丸を切り裂き、叩き落す。
 そう、先ほど滅神の退魔皇は自分に接近する極小の輝光を感知した。
 そしてそれを打ち落とすべく、榴弾のような矢を自身の上空に放ったのだった。
「輝光によって操作された弾丸……天魔の退魔皇だね。計六発、全部撃ち落とさせてもらったわ」
 はるか彼方に退魔皇の輝光を感じる。
「恐らく四キロ先ですか、さすがは天魔の退魔皇。狙撃手としては一級ですね」
 答えたのはイライジャだ。
 お互いに南西の方向に顔を向けている。
 と、イライジャが弓の退魔皇に顔を向けた。
「どうします、休戦しますか?」
「冗談でしょ? この戦いにおいてあなたに最も相性がいい退魔皇は私なのよ。私があなたを見逃す道理があるとでも?」
「それは困り……」
 直後、赤紫のレーザーが射出された。
 鉄をも溶かす灼熱の熱線。
 背後からの一撃だというのに滅神の退魔皇は、それを十メートルを超える跳躍によって回避し。
 そして正面からだと言うのに、無様にもイライジャはその上半身を消し飛ばされた。
「一撃必殺!」
 嬉しそうに叫ぶ仮面の女性。
 そう、イライジャたちの正面五百メートルに位置するビルの六階の窓。
 そこに、鏡のように周囲のものを映し出す盾を構える退魔皇がいた。
「あら、魔伏の退魔皇じゃない」
 まるでお隣さんが遊びに来たような声色で口にする滅神の退魔皇。
「やっぱり退魔皇の戦いは一対一ってわけにはいかないわ、すぐ邪魔が入る」
「確かに、しかし私にはありがたいことですが」
 答えたのはイライジャだった。
 消し飛ばされたはずの上半身は、一瞬後には元通りになっていた。
 これこそが双蛇の退技である『再生』。
 いかなる殺戮も無に帰すその蘇生力は、上半身を、脳を、心臓を消し飛ばされようと意味が無い。
 ついでに言うなら仮面も無敵だ、今回は仮面を砕かれたが瞬時に再生した。
 これこそが双蛇の退魔皇の不死だ。
 最大の攻撃力を持つ極炎でさえ双蛇の退魔皇は滅ぼせない。
「何よあれ、せっかく数少ない武器を使ったって言うのに」
 イライジャの蘇生を見て魔伏の退魔皇、韮澤綾子は思わず上ずった声をあげた。
(双蛇の退魔皇に私達の攻撃は効かないわ、もっとも杖の退魔皇の火力でも私達を傷つけられない、滅神の退魔皇を狙いなさい!)
 アイギスの指示。
 それを聞き、韮澤は再び超高温の熱線を繰り出した。
 盾から発射される熱線。
 滅神の退魔皇は、それを驚異的な身体能力で回避する。
 射出速度がいくらはやくても、追尾能力もないレーザーでは五百メートル先の距離にいる滅神の退魔皇は殺せない。
「くそっ! 何て速さなの!」
 思わず叫ぶ。
 だってそうだ、この熱線は大きな代償を払って手に入れた武器なのだ。
 一発だって無駄にできないのに。
(この射程じゃ無理よ、もっと近づいて!)
「でも、接近戦は向こうの方が……」
(大丈夫、滅神程度の退魔皇剣なら私達の防御は突破できないわ!)
「わかった!」
 頷き、韮澤は窓から地面に飛び降りた。
 輝光によって脚部を強化し、両足にかかる衝撃を軽減。
 すぐさま滅神の退魔皇に向かって走り出す。
 その時だった。
 銃声が響いたのは。
「!」
 全員がとっさにその音に反応する。
 狙われたのは魔伏の退魔皇。
 しかし、韮澤が鏡の盾を掲げると、韮澤を守るように円形の防御結界が展開される。
 結界にはじかれる銃弾。
 魔装合体により強化された韮澤の目に見えたその弾丸は、衝撃によりつぶれたライフル弾だった。
「まさか!」
 韮澤が狙撃地点であろう高層ビルの屋上に目をやる。
 そこには狙撃銃を手にする中年の男。
 見つかるや、男はすぐさまそこから逃げ出した。
「異層空間殺し?」
 異層空間殺し、それは文字通り異層空間を殺す能力者。
 異層空間を展開し、鏡内界はそこに展開される。
 鏡内界は現実世界とは違う物質によって構築されているため、鏡内界の中では大部分の科学反応が発生しない。
 存在しない物質もあるため、電話やら火薬などの文明の利器を用いる事ができないのだ。
 それは銃器や戦車、戦闘機といった近代兵器の使用が不可能であることを意味する。
 しかし、それを鏡内界に持ち込んで使用できる連中がいる。
 それが異層空間殺しだ。
 異層空間を殺し、現実世界を侵食させることによって近代兵器を使用する。
 そして、今くりだされた弾丸。
 それは天魔の退魔皇があくまでこの世界で発射可能な魔弾を発射しているために弾丸に輝光を込めて弾丸を操作するようなものではなく。
 何の意志も輝光も介在しない、もの言わぬ弾丸だったのだ。
「何よ、狙撃手は天魔の退魔皇以外にもいるって言うの」
「これは私も驚きだ」
 頷くイライジャ。
 その時だった。
 韮澤の顔が青くなった。
「ちょっと、アイギス。もしかして!」
(勘違いじゃないわ、この輝光は……)
 次の瞬間、韮澤は二人の退魔皇に背を向けて走り出していた。
「冗談じゃない、槍の退魔皇剣が接近してる!」
(今、あの退魔皇を敵に回すのは得策じゃないわ!)
 アイギスの言葉に頷き、韮澤は自らが鏡内界に侵入する時に使用した鏡に向かって走った。
 そこからでないと脱出できないからだ。
「あー、もう! 本当なら戮神の退魔皇が来る前に狙撃して他の退魔皇を倒そうとしたのに」
(仕方ないわ、戮神の退魔皇と出くわさないだけマシよ)
 魔装合体しているアイギスの声が周りに聞こえないため、端から見ると独り言に見える韮澤とアイギスの会話。
 そのように言葉を交しながら韮澤は撤退していった。
 双蛇の退魔皇も、滅神の退魔皇も追撃をかけるようなことはしない。
 この機会を得たりと考えた双蛇の退魔皇も撤退に移っており、そして何より滅神の退魔皇は魔伏の退魔皇を打倒できるだけの武器を持たない。
 仕方無しに双蛇の退魔皇を追いかけようとする滅神の退魔皇。
 しかし、そこに再び銃声。
 先ほどの異層空間殺しの狙撃手が、狙撃位置を変えて射撃してきたのだ。
 もちろん、距離は一キロ以上離れている。
 とっさに糸で防ぐが、もう少しで銃弾を脳天に受けるところだった。
 もしも、全力で双蛇の退魔皇を追いかけ始めた後だったら、確実に対処できなかった。
「無様ね、狙撃手に狙われた状態で戦えるわけないじゃない」
 そう口にすると、滅神の退魔皇は紫の矢を狙撃位置に向かって連続射出した。
 爆砕するビル、しかし全壊というわけでもない。
 八割方、狙撃手を殺せたとは思うが油断をしないに越した事は無い。
 何せ、こっちには魔伏の退魔皇のような全周囲防御は出来ないのだ。
 そう判断し、狙撃手に狙われない位置まで滅神の退魔皇は撤退した。
 戦場に退魔皇がいなくなる。
 誰もいなくなった戦場に戮神の退魔皇、ロンギヌスが到着するのはそれから一分後のことだった。







 崩壊したビル。
 まるでスカッドミサイルを数発ぶち込まれたような惨状を見せているそのビル。
 そのビルの上部は、文字通り半壊していた。
 崩れ落ちる瓦礫。
 そこかしこに見える鉄筋。
 そんな惨状を示すビルの中で、大きな音が鳴った。
 瓦礫の山が崩れる。
 その中から、苦しげに顔を歪めた中年の男が出てきた。
「クソ、なんて威力だ」
 瓦礫を蹴り飛ばしながら瓦礫の山から脱出する。
 危ないところだった。
 もう少し瓦礫の量が多かったら生き埋めになっていたところだ。
 中年の男、坂口遼太郎は瓦礫の中に埋まったものを発掘するためにかがんで瓦礫を動かす。
 中からは、彼愛用の狙撃銃が出てきた。
「ふむ、どうやら壊れていないか。まだ一緒に戦えそうだな」
 もちろんメンテナンスは必要だ。
 交換するパーツが何種類出るか、手持ちが残ってるか心配なところである。
「良好な視界、良好な距離、これだけの条件をそろえても退魔皇ははるかに遠い。やはり異層空間殺し程度で対処できる相手じゃあないか」
 口元に手をあて、考え込む。
「やはり退魔皇には退魔皇をぶつけるしかない。どうしたものか」
 ぼやきながら狙撃銃を肩に担ぐ。
「作戦を変更するしかない、難しいところだ……」
 口にしながら、星の輝く夜空を見つめる。
「待っていろ、必ずお前に……」
 それ以上は口にしなかった。
 坂口は、夜空に背を向け、自分が侵入に使った手鏡を懐から取り出すと、そのまま鏡内界を脱出してしまった。
 後には、半壊したビルが残されるのみであった。







「鏡内界が消滅しました」
 バイクを降りるや否や、エアがそう口にした。
 場所は繁華街のはずれ。
 退魔皇同士の交戦を察知したエアと数騎は、早速戦闘に乱入するためにアパートを飛び出てバイクを走らせ、繁華街までやって来た。
 異層空間の展開範囲は繁華街の先にあるショッピングモール。
 デパートやらビルやらであふれるそこに辿り着いた数騎は、早速エアをバイクから降ろし、戦闘に参加しようとしていた。
 が、その戦場はエアがバイクを降りた瞬間に消滅した。
 異層空間が消滅し、鏡内界が崩壊する。
 戦場が現実空間に移行していないところを見ると、どうやら終結した退魔皇は散ってしまったものと思われる。
「ちょっと待て、消滅したってことは?」
「はい、戦いは終わりましたね。具体的に言うと無駄骨でした」
 その言葉に、数騎は深くため息をついた。
「何て様だ、誰か敗退した気配はあったか?」
「いえ、皇技の使用はなかったようです。恐らく、人数が多くなって弱点となる退魔皇の出現で逃亡者が出てなし崩しに解散……とでも言ったところでしょうか」
「そうか、誰か敗北したわけじゃないのか」
 安堵の息を漏らす数騎。
 そう、この退魔皇同士の戦いはある意味で早い者勝ちだ。
 退魔皇を一人でも敗退させればその退魔皇の力は単純計算で二倍になる。
 つまり、戦えば戦うほど有利になっていくのだ。
 だからこそ退魔皇同士の戦いがはじまったなら、全ての退魔皇は戦闘への参加を余儀なくされる。
 例外は極炎が現実世界で皇技を使おうとした時くらいだろう。
 あの時は極炎が皇技を使えばライバルが同時に五人減るという状態であったため、防御手段を持つ退魔皇は戦いに介入しなかった。
「さて、どうしましょうか?」
 未だにバイクにまたがったままの数騎に尋ねるエア。
 数騎はフルフェイスヘルメットを抱えたまま正面を見つめた。
 光を放ちながら流れていく自動車。
 車道は車であふれ、停車中の数騎のバイクを次々に追い抜いていく。
「せっかく外に出たんだ。どっかよって行くか?」
「どこかとは?」
 尋ね返すエア。
 そんなエアに、数騎は少し考えこんだ後。
「この時間じゃ喫茶店は閉まってるだろうから……二十四時間営業のファミレスにでも行くか」
「ですが、私たちは三時間前にアーデルハイトさんの料理を食べた後ですが」
「ファミレスにある商品はメシだけじゃねぇよ。甘味なり茶なり好きなもん頼めばいい。どうする?」
「そうですね、たまにはそういうのもいいかも知れません」
「よ、じゃあ決まりだ。乗りな、ヘルメット忘れんなよ!」
 言われ、エアはヘルメットをかぶってから数騎の後ろに乗る。
「行くぜ、つかまってろ」
 言って数騎は再びバイクのエンジンを唸らせた。
 赤信号で車が停止するのを待ち、それに紛れて車道に入る。
 目当てのファミレスは五分で辿り着ける距離にあった。
 店の名前はベルシェスト。
 よくあるチェーン店のファミレスだった。
 駐車場にバイクを置き、数騎はそのファミレスを見上げた。
 駐車場を確保する上に、お客さんに来てもらいやすいように一階をぶち抜いて駐車場にし、二階をレストランにするという典型的なファミレスだ。
 数騎はエアを伴って階段に向かって歩く。
 途中、この時間だからエアみたいな子供を連れて行って追い出されないか心配にもなったが、とりあえず気にしないことにする。
 と、その時だった。
 見覚えのある顔が近づいてきた。
「ん〜?」
 目をこらす。
 どこかで見たことあるような気がする。
 近づいてくる女性はまず派手だった。
 薄い紫のボディコンスーツに白のダウンコート、足にはロングブーツを履いている。
 ブーツのヒールが十五センチ以上もある、身長の水増しもかなりのものだ。
 それでも数騎の身長には及ばない。
 数騎が見つめていると、女性の方も数騎の存在に気付いた。
 笑顔を浮かべて走ってくる女性。
 と、数騎の目の前まで来てヒールに足をとられて転んだ。
 数騎は慌てて転びそうな女性を支える。
 もちろんドサクサに紛れて胸を触るようなおいしいマネはしない。
 数騎は右腕で彼女で彼女を支え、右手で彼女の左肩を受け止める。
 彼女は彼女で数騎の体にしがみつき、倒れるのを堪えた。
 体勢を整え、真っ直ぐ数騎を見つめの女性。
「アリガトゴザマス、スドーサン」
「やぁ、久しぶり」
 数騎は笑顔で答えた。
 数騎の目の前にいる少女の名はスワナン。
 不良たちに絡まれているところを数騎によって救われた少女だった。
「マタ会エテ嬉シデス、最近忙シインデスカ?」
「ん、どうして?」
「ダッテ、コノ間来テ、マタ来テクレナイジャナイデスカ?」
「いや、オレはあんまりキャバクラとか行く人間じゃないからさ」
 冷や汗を背中にかきながら答える数騎。
 正直、会いたくない人間の一人だった。
 なんかこう、こんなオレより年下っぽい子が露出のすごい格好をして自分の前にいると、どうも自分が犯罪者じみてならない。
 数騎はちょいと声を上ずらせながら聞いた。
「ど、どうしたんだい今日は。ああいう店はこの時間だとかき入れ時だろ?」
「アノデスネ、ズット働イテルカラ休憩時間デス。ドコカオ店デユックリシヨ思ッテ」
 そう言ってファミレスを見上げる。
 なるほど、そういうことか。
「そっか、じゃあごゆっくり。オレもコイツと今から入るんだ」
「弟サン?」
 ずれたことを聞くスワナン。
 どうみても肌の色とか人種とかが違うのだが、わかってないみたいだ。
「違う、親戚の友達の親戚」
「シンセキ?」
 首を傾げる。
 知らない単語らしい。
 それを見かねて、エアが言った。
「親戚、ですよ」
 タイ語で。
 数騎は一瞬、エアが何を言ったかわからなかったが、スワナンは驚いてタイ語で返した。
「タイ語、話せるんですか?」
「この地球上の言語なら、一応全部」
「すごいですねぇ、こんなに小さいのに」
 そう言ってエアを見下ろす。
 そう、百四十センチ程度しかないエアはスワナンから見ても小さかった。
「どうした、スワナン。知り合いか?」
 後ろから声をかける男の声。
 ついでにコレもタイ語だった。
 数騎にはその言葉の意味がわからなかったが、その声には聞き覚えがあった。
「なっ!」
 スワナンの後ろから現れたのは、
「お前、ロンギヌス!」
 そう、ロンギヌスだった。
 戦闘態勢でないからか街に溶け込めるように私服を着ているが、それは間違いなくロンギヌスだった。
「スワナン、どうしてこいつらと?」
「えっと、この人が前に話した須藤数騎さんで。こっちは親戚の友達の親戚さんよ」
 タイ語だったので須藤数騎のあたりしか聞き取れなかったが、数騎は構わず聞いた。
「ロンギヌス、お前どうしてここに?」
「ここらに退魔皇が現れたから駆けつけたんだが、駆けつけた時には誰もいなかった。ついでに言うとすぐに鏡内界が消滅したんだ」
「なるほど、オレたちと同じ出遅れ組か」
「お前達も?」
「そう、お前と同じさ」
 全身を緊張させ、いつでもロンギヌスの行動に対応できるようにする数騎。
 それを見て、ロンギヌスは両手を広げて見せた。
「まぁ待て。こっちはお前達とやりあうつもりは無い。そっちは?」
「こっちもだ。お前には助けてもらった借りがある。エアも依存は無いな」
「はい、もちろんです」
 その言葉によって、ようやく三者の間に走っていた緊張が立ち消えた。
 それを見計らったようにスワナンが口を開く。
「ソウダ、スドーサン。モシヨカッタラ一緒ニオ茶シマセンカ?」
 そう言ってファミレスを見上げる。
 数騎は無言でエアに視線を送る。
「構いません、この男とも少し話したいことがありましたし」
「こっちもだ、依存は無い」
 腕を組んで頷くロンギヌス。
「わかった。じゃあ、入ろうか」
 そう言って、数騎はスワナンを伴ってファミレスに入る。
 エアとロンギヌスはお互いの一挙手一投足を見つめながら、お互いがお互いに用心しながらファミレスに入った。
 禁煙の四人席。
 向かい合う形で数騎たちは座った。
 一番端の窓際席で、この時間なので周囲には誰も無い。
 ちなみに喫煙席はほぼ満員である。
 注文を終えた数騎は、水を口につけながら面子の顔を見回した。
 正面にスワナン、隣にはエア。
 エアの正面にはロンギヌス。
 二人はお互いがお互いに何かやらかした時のために、全身の輝光集中だけはやめていなかった。
 会話の口火は数騎が切った。
「スワナン、いきなり聞くけど。あんたは退魔皇なのか?」
「タイマオー?」
 首を傾げるスワナン。
 代わりにロンギヌスが口を開いた。
「あぁ、スワナンは退魔皇だ。ただし、通常契約しかしていない」
「仮面契約してないのか?」
「そうだ、スワナンが仮面契約を望まなかったからな。だが、退技まで使えないのは困るので、通常契約だけさせてもらった」
「そうでしたか、どうりで契約者無しで戦うと思ったら」
 お冷に手をつけもせず、エアはこわばった顔でロンギヌスを見つめる。
「そんな事でこの戦いに勝ち抜けると思ってるんですか?」
「そういう貴様も追い詰められるまで仮面契約をしなかったではないか、考えることは同じだ」
 それを聞いた瞬間、エアが顔をほころばせた。
「なるほど、あなたも誇り高き武人というわけですか」
「そう言っていただければなりよりだ」
 そう口にすると、エアとロンギヌスは微妙な笑顔を浮かべながらお互いの顔を見て不気味に笑い始めた。
『ふふふふふふ』
 声を合わせて笑う二人。
 正直、薄気味悪い。
 数騎はそんな二人を無視してスワナンに顔を向けた。
「スワナン、どうして君は契約をしたんだ?」
「契約?」
 首を傾げるスワナン。
 が、すぐに思い至ったのか、顔をほころばせながらスワナンは言った。
「モシろんぎぬすサンガ優勝シタラ私トッテモオ金持チ二ナレル言ワレマシタ。デモ、仮面契約ハ怖イノデシテマセン」
「あぁ、そういうことか」
 数騎はすぐに納得した。
 正直言って、スワナンは戦いに巻き込まれているつもりは毛頭ないのだろう。
 緊迫感が無さ過ぎる。
 思うに、ロンギヌスは戦闘が最低限可能な状態を作るためにスワナンと通常契約したのだろう。
 それなら戦いに巻き込まないですむ。
 もっとも、力の供給源を断とうとスワナンを狙う人間が出ない可能性はなくもないが、仮面契約していない状態では契約者を狙うのは得策ではない。
 契約が軽く、仮面を解していないので再契約が容易なのだ。
 一番いいのは仮面を破壊することで、契約者を狙う事はそれほど重要ではない。
 確かに契約者を狙えば退魔皇剣の精霊を立ち枯らせることができなくはないが、再契約されるのがオチだろう。
 リスクを少なくして賞品だけもらいたいなら通常契約して隠れているのが一番いい。
 その代わり、退魔皇剣の精霊がその割りを喰う事になる。
 すなわち皇技という切り札の使用が不可になるという代償だ。
 しかし、契約者である以上危険が全くないわけではない。
 数騎は意を決して口を開いた。
「スワナン、ちょっと込み入った話をさせてもらえないか?」
「何ですか?」
「もし君が八岐大蛇の力に興味がないなら、ロンギヌスとの契約を解約した方がいい」
「なっ!」
 エアと微笑みあっていたロンギヌスが驚きの声をあげた。
 そんなロンギヌスを片手で制しながら数騎は続けた。
「君は戦場に立ってないからわからないかも知れないけど、オレ達は命がけで殺しあってるんだ。その話はロンギヌスから聞いたか?」
「ハイ、聞キマシタ」
 強い口調で話しかける数騎に驚きながら、スワンは答える。
「命ガケデ戦ワナイト、ろんぎぬすサン死ンデシマウト聞キマシタ」
「確かに戦わないとロンギヌスは死ぬかもしれない。でも、通常契約をしていると君まで戦いに巻き込まれる可能性があるんだ」
「ソウナンデスカ?」
 尋ね返すスワナン。
 それを横で聞いていたロンギヌスは一瞬、会話に加わり足そうな顔をしたが、すぐに両目を閉じて腕を組み、小さく頷いて見せた。
 数騎はそれがロンギヌスの、スワナンへの説得の承認と受け取ると、さらに続けた。
「そうだ、この戦いはロンギヌスたちの命だけじゃない。この世界を支配できるほどの力の争奪戦なんだ。一億もの金のためなら簡単に人を殺す奴はいるけど、今回の戦いにかかってる賞金はそんな安っぽいものじゃない。人の命どころか、自分の命だって顧みないで戦う奴だっているかもしれない。だから、仮面契約よりは危険は少ないかも知れないけど、通常契約でも十分に危険なんだ。誰に襲われるかわからない」
「………………」
 黙りこみ下を向くスワナン。
 そんなスワナンに、数騎は最後の言葉を続ける。
「このまま戦いが進めば君は多分死ぬ、抜けるなら今しかない」
 真摯に響く数騎の言葉。
 スワナンはしばらく考え込むようにうつむいていたが、ゆっくりと顔をあげて数騎の顔を見た。
「確カニ、コノママダト私ハ死ンデシマウカモ知レマセン」
「そうだ、誰にも君の無事を保障できない」
「デモ、ろんぎぬすサンハ私ノ事ヲ助ケテクレマシタ」
「助けた?」
「ハイ、アナタニ倒サレタ男ノ人タチ、数日前ニマタ私ヲ襲ッタデス。デモ、ソノ時ろんぎぬすサンハ私ノ事ヲ助ケテクレマシタ。何ノ関係モナイノニ。タッタ一人デ三人相手ニ戦ッテクレタンデス。モシカシタラ私、ソコデ殺サレテタカモシレナイデス」
「………………」
 数騎は黙って聞き続けた。
 スワナンはなおも続ける。
「コノ命ハろんぎぬすサンニ助ケテモラタヨウナモノデス。ダカラ今度ハ、私ガろんぎぬすサンノタメニガンバリタイ」
「君が死ぬかもしれなくてもか?」
「デモ、ろんぎぬすサン。守ッテクレルテ」
「守りきれるとは限らない。殺しあいをする人間は残り八人だ」
「九人違イマスカ?」
「もう一人死んだ、あと八人だ」
 さすがに、自分が殺したとまでは言えなかった。
 その言葉がショックだったのか、スワナンは口元に手を当てて驚いた顔をした。
 数騎は小さく息を吐く。
「多分これからどんどん死ぬ。オレだって生きていられるかわからない。オレはこいつと戦う契約をしたから逃げる気はないし逃げられないが、スワナンはまだこっち側に来ちゃいない。今なら止められる。止めるべきだ」
「……スドーサンハドウシテ契約シタデスカ?」
「助けたい人がいた、守りたい人がいた。だから契約したんだ、守るために。それ以上の理由はないし欲しくない。でも、スワナンは……」
「私モ……」
 言葉を切る。
 しかし、次は力強い声で。
「私モ、守リタイ人イマス」
「誰だ?」
「ろんぎぬすサンデス。命ガケデ助ケテクレタ人、見捨テラレナイデス」
 スワナンは己の意志を言葉に乗せた。
 固い決意。
 それでも数騎は、頭を抱えながら尋ねた。
「死ぬことになってもか?」
「命ヨリ大切ナモノ、アル思イマス。スドーサンニハアリマセンカ?」
「わかった、オレの負けだ」
 ため息混じりに言う数騎。
 そんな数騎に対してスワナンは言った。
「マイペンライ」
 笑顔で口にするそのタイ語。
 数騎は意味がわからなかったので首を傾げたが、そこにエアが耳うちした。
「どういたしまして、大丈夫、気にしない、しょうがない、何とかなるさ、心配ないと複数の意味合いを持つ言葉です」
「なるほど」
 納得する数騎。
 ちなみに、お気楽で宵越しの銭は持たないという江戸っ子体質のタイ人が何かをごまかす時に口にする、タイ人を象徴する言葉だと知るのは随分あとになってからの話である。
 数騎は恨みがましい目をロンギヌスに向けた。
「いい契約者じゃないか、大切にしろよ。死んでも守りぬけ」
「是非も無い」
 断言するロンギヌス。
 その言葉が揺るがぬ信念と供に紡がれたからだろうか。
 数騎は思わず顔に笑みを作っていた。
「違えるなよ」
「当然だ」
 短くロンギヌスは答えた。
 と、ちょうどその時だった。
 ウェイトレスが四人分の注文を持ってきた。
 と、言っても大した量ではなく、ジュースが四つにサンドイッチが一皿、あとはフライドポテトが一皿だ。
 休憩中に力をつけなければならないスワナンだけサンドイッチ、あとの三人は軽いつまみだ。
「さて、重苦しい話はこれいくらいにしようかね」
 そう言って、数騎は早速届いたオレンジジュースのストローに口をつける。
「じゃあ、戦いの話はおいといて。スワナンの話でも聞かせてくれないか」
「私ノデスカ?」
「そう、タイから来たって言ったよな。どんな所なんだ?」
「ソウデスネ……暖カイ所デス」
「まぁ、南の方にあるしな」
 言って数騎は世界地図を思い出す。
 確か、中国の下の下の……沖縄よりも下だったかな?
「人々ハミンナ優シクテ、時間ノ流レガユックリで……ミンナノンビリ楽シク生キテマス」
「それで?」
「ハイ、旅行ニ来テルにーぷんニオ金イッパイ落トシテモライマス。にーぷんオ金持チデスカラ、騙サレヤスイデスシ」
「ニープン?」
「日本人のことかと」
 耳打ちするエア。
 物価の安いタイに物価の高い日本人が行くと、タイでの物価の安さに驚くそうだ。
 数十円でお腹いっぱい食べられたり、数百円で宿に泊まれたりと破格だ。
 で、そんな事も知らない旅行者から高い金を騙し取るのはタイでは悪い事だと思われていない。
 日本人はいいカモなのだ。
「私、にーぷんニイツモ食ベ物売ッテマシタ。にーぷんイツモ何倍モノ値段デ買ッテクレマス」
「へぇ、そりゃいい商売だ」
 日本で言うなら、たこ焼きを一パック四千円で売るようなものだろう。
 数騎はそんな事を想像しながら相槌をうった。
「そういえば、スワナンは何で日本に出稼ぎに来たんだ?」
 思わず聞いていた数騎。
 言った直後に後悔した。
 外国人が日本に出稼ぎに来る理由など決まっている。
「私、家ガ貧乏ダッタカラ日本来マシタ。私ノ村、ばんこくカラ遠クアリマス。生活トテモ大変デ、シカモ姉妹(きょうだい)タクサンイマシタ」
「そうか……大変だな……」
 何か言うのが偽善なような気がした。
 何しろこっちは日本と言う恵まれた国で生まれ育ったのだ。
 貧しい国の人間に何と言えばいいのかわからなかった。
 ただ、可哀そうにとだけは思わないようにした。
 哀れむという行為は見下すという行為に他ならない。
 相手を対等に見たいのなら、哀れんではいけないと思った。
「私、姉ガ二人イマス。妹一人イマス。姉ハ十四歳ノ時ニ売リニ出サレマシタ。ソノオ金デてれび買イマシタ。次ノ姉モ同ジ年齢デ売ラレマシタ。ソノオ金デ洗濯機買イマシタ」
「な、何だって?」
 驚きを隠せない数騎。
 何だ、一体どういうわけだ?
 自分の子供を売って電化製品を買う親の気持ちが数騎には理解できなかった。
 しかし、困惑する数騎にスワナンは続けた。
「オ姉サンタチ、稼イダオ金家ニ送ッテクレマス。生活トテモ楽ニナリマシタ。私モ十四ノ時ニ売ラレルコトニナッテマシタガ、姉ガ偉イ人ノ知リ合イダッタノデ、体ヲ売ル仕事ノ代ワリニ日本ノきゃばくらニ行カセテクレマシタ。日本来テ二年ナリマス」
「………………」
 苦い顔でスワナンを見る家族。
 とんでもなかった。
 貧しい家の人間は子供を売りに出すというのは聞いた事があるが、まさかこの時代にまだそんな事があったとは。
 しかし、実際珍しい事ではないのだ。
 電化製品を手に入れるために子供を売りに出したり、その子供の稼ぎで生活を楽にしようとする人間はいくらでもいる。
 数騎は知らなかった。
 自分の子供を売ってまでどうにかせずにはいられない貧しさを数騎は知らなかった。
 所詮、数騎は豊かな国の人間でしかなかったからだ。
「私モ、オ姉サンタチも、イッパイオ金稼イデ家ニ送ッテマス。オカゲデ、妹ハモウスグ中学校ニ入レマス」
「中学校?」
「ハイ、たいらんど学歴社会デス」
 頷いて答えるスワナン。
「妹、大学マデ行カセル私タチノ目標デス。ソシテ妹オ金持チト結婚シタラミンナ幸セナリマス」
「お金持ちと結婚?」
 数騎はすぐ理解できなったが、ちょっと考えればわからないことではなかった。
 タイは学歴社会で階層社会だ。
 しかし、上の兄弟が頑張って金を稼いで末女あたりがいい大学を出て就職すればどうなるか。
 簡単だ、末女は上の階層社会の仲間入り、金持ちと結婚するチャンスが生まれる。
 もし運よく結婚できたら両親以下全員が末っ子におんぶにだっこしてもらうのだ。
 しかし、相変わらず貧乏で末っ子も風俗に働くことになったら働けるだけ働いて結婚したら両親と一緒に住み子供を作ったら又同じようなことを繰り返す羽目になる。
 タイでよく放映されているドラマにこのような展開の話がある。
 舞台は超金持ちの豪邸で、格好いい御曹司と知り合う主人公だが、意地の悪い両親や親戚などがでてきて猛反対されるが無事めでたく幸せになれるという内容でいわいるシンデレラ物語なのだが毎年と言っていいほど必ずこのような話が放映されている。
 現実には絶対あり得ない話なのだが、これを見ていると日本人には理解できない階層社会の実態が伺える。
 タイのことをそこまで詳しく知っているわけではないが、そんな話を聞いたことはある。
「イツカオ金持チニナッテ家族全員デ暮ラシタイデス」
 夢を見るような目つきで語るスワナン。
 数騎には理解できないのだが、自分のことを売った両親に対する愛情が強いタイ人女性は多く、いつかは家族の元に戻りたいと願う人間は多いそうだ。
 ロンギヌスはそんなスワナンの言葉を無言で聞いていた。
 すでに聞いていた話なのだろう。
 驚くこともなく、それでもただやるせないのか苦い顔をしている。
 数騎はそれほどにつらい境遇のスワナンに何も言う事ができなかった。
 スワナンはこれでも幸せな方だ、世の中にはもっと苦しんでいる者だっている。
 それでも、記憶喪失程度の苦痛で右往左往していた自分が情けなかった。
 何を言ってもそれは偽善でしかない。
 しかし、数騎にはそれくらいしか言う事ができない。
 だから、数騎は言った。
「頑張れよ、スワナン」
 何を頑張れと言うのだろう。
 スワナンは十分に頑張っている。
 これ以上、彼女に苦労をしろとでも言うのだろうか。
 かと言って、数騎にはこれ以上適切な言葉が見当たらなかった。
 そんな、どうしたらいいかわからないという顔をしている数騎に対して、スワナンは満面の笑みを浮かべて、
「アリガトゴザマス、スドーサン」
 数騎に対して感謝の言葉を述べた。
「ゴメンナサイ、ツマラナイ話シテ」
「いや、構わない。話してくれて嬉しかった」
 少なくとも、彼女のつらさの一片を垣間見ることで、彼女の偉大さを少しだけ知れたのは嬉しい事には違いない。
 と、スワナンが店の時計をチラリと見る。
 直後、目を見開いた。
「あ、時間!」
 声に出し、残っていたサンドイッチを慌てて平らげる。
「スイマセン、休憩時間後五分シカナイデス。オ店戻リマス」
 そう言って財布を出そうとするスワナン。
 数騎はそれを手で制した。
「いいよ、オレが出す」
「イインデスカ?」
「構わない、大した額じゃないし。その代わりロンギヌスを置いていってくれ」
「アリガトゴザマス、ゴチソサマデシタ」
 そう言って深く頭を下げると、スワナンは走るようにして店から出て行った。
 スワナンと一緒に店を出ようとしていたロンギヌスは、上げかけた腰を再びイスに降ろす。
「それで、私を残した理由は何だ? 殺しあいでもするか、スワナンも消えた事だ」
「お前とやりあう気はない」
 断言する数騎。
「ほぉ」
 感心したような顔でロンギヌスは数騎を見た。
 だってそう、今の数騎にとってロンギヌスはどこからどう見ても組しやすい敵だ。
 皇技も使えぬ退魔皇、それに対して今の数騎は刀と剣の二振りを持つ現時点最強の退魔皇だ。
 もし、勝利に向かって一直線に走り抜ける退魔皇なら間違いなく目の前の獲物に容赦しない。
 ロンギヌスは訝しんで聞いた。
「なぜ私を取ろうとしない?」
「第一にあんたには借りがある。弓の……滅神の退魔皇に襲われたときオレを助けようとしてくれた。極炎との戦いの時はオレが契約するまで時間も稼いでもらった」
「前者はともかく、後者はこちらの利益のためだ。気にする事は無い」
「それに、皇技を使って疲労したオレたちをあんたは体を張って轟雷の退魔皇から守ろうとしてくれた」
「………………」
 黙って聞くロンギヌス。
 そんなロンギヌスに数騎は続ける。
「オレはあんたに恩がある、それにあんたはスワナンを救ってくれた」
「スワナンと君とは他人だろう?」
「知り合いだ、他人じゃない」
「なるほど」
 一度助けてやっただけの女を知り合いと呼ぶとは、この男も相当人がいいとロンギヌスは思った。
 しかし、嫌いではないとも。
「正直、お前を倒した方が契約者として存在し続けるスワナンの危険は取り除けるだろう」
「じゃあ、なぜそうしない?」
 尋ねるロンギヌスに、数騎は答えた。
「恩があるからだ。オレがどんな小物でも、恩を知らないわけじゃない」
「なるほどな……」
 ロンギヌスはエアに目を向ける。
「お前はどうだ、界裂?」
「契約者の意向には逆らいません」
「なるほどな」
 納得したように頷く。
 そして、ロンギヌスは数騎に視線を戻した。
「話はこれで終わりかな?」
「あぁ、最後に一つ。さっきも言ったが、死んでもスワナンを守れよ」
「言われるまでも無い」
 答え、ロンギヌスはイスから立ち上がった。
「出来ればお前達とは最後の最後で決着をつけたいと思っている。お前達のような頭の悪い連中をどうにも嫌いになれそうにないのでな」
「お前ほどじゃない、いちいち戦う前に名乗るなよ」
 嘲笑するような数騎の言葉。
 それにはさすがにロンギヌスも眉をひそめた。
「何を言うか、武人なら戦う前に堂々と名乗るものだ。名乗らずに戦うなど考えられん」
「そうか、じゃあもう何も言わねぇよ」
 両手を広げてみせる数騎。
 そんな数騎に、ロンギヌスは背中を向けた。
「死ぬなよ、お前達。最後まで生き残り、私と決着をつけよう」
「あなたこそ、御武運を」
 強く口にするエアの言葉。
 その言葉に驚きロンギヌスは後ろを振り返り。
「お前もな」
 笑顔をロンギヌスに向け、再び背を向けて出口に向かって歩き出した。
 その背中を数騎は、店の外に出て見えなくなるまで見つめ続けていた。







「おぉ、遅かったな」
 図々しいまでに落ち着き払った声。
 数騎とエアがアパートに戻ると、コタツに入ってぬくぬくしているその少年がいた。
「えっと、ジェ・ルージュさんだっけ?」
 胡散臭そうな目でその少年、ジェ・ルージュを見つめる数騎。
 ジェ・ルージュは、両腕を組み数騎たちの顔を見上げながら言った。
「寒いから早く扉を閉めたらどうだ。どうも今の季節は寒くて敵わん」
「………………」
 どっちが家の主人だかわからなくなるような言い草だったが、数騎は文句も言わず扉を閉める。
 靴を脱ぎ、コートを放り投げると数騎はジェ・ルージュの正面に腰を降ろす。
「で、何の用だ?」
「これは心外な物言いだ」
 拍子抜けたような声を出し、ジェ・ルージュは露骨に顔を歪めた。
「もう一度来るからアパートから離れないように言っておいたはずだが?」
「退魔皇が動いたんだ、こっちも動かないわけにはいかないだろ!」
「まぁ、確かに。だが、数十秒待つとかしたらどうかね? こっちは退魔皇の気配を察知した瞬間に呪文を編んでこのアパートに転移してきたというのに、誰もいない上に鍵もかけずに扉が開けっ放しになっていれば文句の一つも言いたくはなる」
「……そりゃ悪かった」
 一応頭は下げておく。
 それを見て機嫌を直したのか、ジェ・ルージュは嬉しそうに笑った。
「わかればいいのだ。さて、それで何か進展はあったかね?」
「なかった、急いで現場に行ったけど戦いは終わった後だ」
「誰かが倒れた気配は?」
「ありません、皇技は誰も使用していないようでしたし。皇技の使用無しで決着がつくような戦いを退魔皇はしないはずです」
 答えたのはエアだった。
 あいかわらず護衛として数騎の後ろに直立し、コタツに入ろうともしないエアを、ジェ・ルージュはアゴに手を当てながら見上げた。
「なるほど、それは朗報だ。他に何かあったか?」
「戮神の退魔皇と会った」
「槍の退魔皇剣か、戦ったのか?」
「いや、ファミレスでメシ喰ってた」
「何?」
「だからファミレスでメシを……」
「お前ら、殺しあってる仲じゃなかったのか?」
 ジェ・ルージュの困惑は当然のものだったのだろう。
 言われてようやく思い出したように、数騎とエアはお互いの顔を見つめ合う。
「いや、でも悪い奴じゃないぜ」
「確かに見る限りではただのバカだが。あれが演技だとも限らんのだぞ」
「まぁ、そうかもしれないけど。結果的には違いそうだぜ」
「かもしれんがな。戦いになっても負けはしないと思うが、腐っても退魔皇だ。油断だけはするなよ」
「わかってるって」
 親のようにしつこく叱ってくるジェ・ルージュに、数騎は嫌そうな顔をして答えた。
「さて、他には何かあったかな」
「何も……」
 ジェ・ルージュの言葉に、何もなかったと言おうとして数騎は言葉を止めた。
 少しだけ考えたあと、慎重に数騎はその言葉を紡いだ。
「そうだ、一つだけ」
「何だ?」
「気のせいかもしれないけど。感じた事があるんだ」
「感じた?」
「あぁ、退魔皇ほどじゃないけど大きくて強くて……何か懐かしい何かを感じたような気がするんだ」
「懐かしい……そうだな……」
 少し考え、ジェ・ルージュはエアに目を向けた。
「界裂、今回の戦いに双蛇の退魔皇は参戦していたか?」
「はい、おそらくは。奴の気配を感じました」
「なるほど、それだな」
 頷き、一人で納得するジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに、数騎はすさかず顔を近づけた。
「おい、何だよ。勝手に納得するなって」
「いやいや、これは失敬。別に確信と言うわけではなく思い当たる節があるだけだ」
「思い当たる……どういうことだよ?」
「何、須藤数騎に馴染みの深い人間が戦っていたのではないかと思ってな」
「馴染み深い?」
「そう……柴崎司とか」
 その瞬間、数騎の目の前が真っ黒に染まった。
 同時に脳に流れ込んでくるいくつかの映像。
 黒き外套。
 白き仮面。
 爪のような刀剣。
 そして……
「数騎さん!」
 聞こえてきた声で体を震わせた。
 視界が回復する。
 光が戻り、脳に走った映像が掻き消える。
「数騎さん、大丈夫ですか?」
「あぁ……大丈夫だ……」
 気遣うエアに軽く手を振り、頭痛の伴う頭を抱えて数騎はジェ・ルージュを睨んだ。
「何を知ってる?」
「何を、とは?」
「とぼけるな、柴崎司って誰だよ? それがオレにどう関係あるんだ?」
「さて、私は知らないが」
「知らないわけないだろう!」
 体を乗り出してジェ・ルージュの服の襟を締め上げる。
 ジェ・ルージュは目を細め、静かな声で言った。
「知らないな、少なくともお前が思っているようなことはな」
「何だと!」
「お前、二年前の事件を知らないのか? 裏の世界の人間の中には有名な話だぞ」
「二年前?」
「とりあえず離せ」
 言われ、数騎はジェ・ルージュの襟を放して元の体勢に戻る。
 ジェ・ルージュは襟を直しながら口を開いた。
「二年前、『魔術師クロウ・カードの乱』と呼ばれる反乱があってな。その時に柴崎司という魔剣士が死亡した。それだけだ」
「それがオレにどう関係がある?」
「さぁな、私は知らない。だが、もしかしたら生前の柴崎司とお前に何か関係があったかもしれないと思ってな」
「どうしてそう思う?」
「理由は無い。ただ、柴崎司が二年前にこの街にいて、お前がその柴崎司の輝光を感じたことがあるかも知れない。だから名前を出してみただけだ」
「本当にそれだけか?」
「嘘をつく利益が無い。そんなことでお前を騙して私にどんな得が?」
「………………」
 ジェ・ルージュの言葉を数騎は鵜呑みにはできなかった。
 しかし反論する材料が無い。
 ジェ・ルージュの言葉に、今の時点で数騎が持っている情報では矛盾を突きつけられない。
 その上、ジェ・ルージュが真実を言っている可能性も否定できないのだ。
 無言で睨んでくる数騎に、ジェ・ルージュはため息混じりに言った。
「まぁ、柴崎司はとっくに死亡を確認されている。今存在しているであろう柴崎司は双蛇の退魔皇が蘇らせた死人だろう。蘇らせた理由は想像できる。双蛇の退魔皇は死者を操り自分の戦力に出来る。魔術結社の精鋭部隊、ランページ・ファントムにおいて上位に属していた柴崎司を蘇らせない道理はないだろう」
「お前、何を隠してる?」
「何も」
 笑みを浮かべ答えるジェ・ルージュ。
「とりあえず今日はお暇させていただこう。このアパートに張ると約束しておいた結界は展開しておいた。しばらくは退魔皇の気配に気をつけながら生活するといいだろう。こちらから用がある場合はまた来る」
 そう言うと、ジェ・ルージュはコタツから出て手で印を結び始めた。
「待て、話はまだ!」
「じゃあな」
 そう言うと、ジェ・ルージュは再び影に潜り始めた。
 止めようとしたが、それより早くジェ・ルージュの体は全てが影の中に消えてしまった。
 ジェ・ルージュのいなくなった空間を見つめながら数騎は舌打ちをした。
「二年前……柴崎司?」
 全くわからなかった。
 そもそも知っていたのかすら、わからない。
 そんな名前、記憶に存在しない。
「記憶?」
 忘れるところだった。
 自分は記憶喪失だ。
 なら、記憶を失う前に何か関係のある人間であるとしたら。
「二年前?」
 二年前と言えば自分が交通事故で記憶をなくした時期だ。
 そして、柴崎司が死んだ時期?
「何か関係があるのか?」
 口元に手を当てて考える数騎。
 思わず後ろのエアを振り返る。
 まっすぐ見つめ合う二人。
 しかし、エアは残念そうに首を横に振った。
 答えはでない。
 数騎は悔しそうに歯噛みし、記憶の無いこの身を嘆くしかなかった。







 村上はビクビクしながら紅茶を用意していた。
 昼、数騎たちのボロアパートとは違う綺麗な新築学寮。
 その四階に、村上の部屋はあった。
 二人一部屋というわけではなく個室という非常に恵まれた環境。
 しかし、その環境は村上には到底、気の許せるものではなくなっていた。
「義史〜、紅茶まだ〜?」
「で、出来たよ! 出来たからあまり大きな声出さないでくれ!」
 慌てて台所からルーの待つテーブルの上に紅茶を運ぶ。
 ティーパックではなく、しっかりと葉から作った紅茶だ。
 村上の部屋はワンルーム八畳の部屋で、それに加え台所と押入れが一つずつ、狭くはあるがベランダもついているため、非常に恵まれた環境と言えるだろう。
 ちなみに南向きの部屋だ。
 学寮で一人暮らしでこれほどの条件なら文句のつけようもない。
 トイレは部屋ごとに存在し、まぁ風呂だけは共用だが掃除したりシャンプーの補充などの世話がないので特に文句はないし、寮にいる連中は顔見知りだから嫌な気もしない。
 しかし、現状はかなり違った。
 部屋の広さを節約するためにステンレスのパイプで構成された下が空洞になっている二段目だけのベッド。
 その正面に置かれているテーブルの前に腰をかける少女がその具現。
 彼女の名はルー、彼の契約者だった。
「ん〜、おいしい。やっぱりティーパックの紅茶はダメね」
 嬉しそうに紅茶を飲む少女。
 そりゃそうだろう。
 その紅茶の葉は村上がなけなしの金を使って買ってきた高級なものなのだ。
 マズイとか言われたら涙が止まらない。
「義史も飲む?」
「いや、オレは遠慮する」
 そんな輸吉が変身した紅茶を飲んだら泣きたくなる。
 きっぱりと村上はルーの言葉を拒否した。
「そう、おいしいのに」
 言って紅茶を口にするルー。
 そんな彼女を見て、村上は心臓が激しく動き続けるのが止まらなかった。
 顔といい体つきといい、ルーは村上の理想(ゆめ)に遜色、劣らないものを持っていた。
 正直言って好みの女性だ。
 そんな女性が自分の部屋にいるのだ。
 まともな理性がなければとっくの昔に押し倒してしまっているだろう。
 が、村上にはそんなことはできない理由があった。
 美坂大学の学寮は東館と西館の二つに分かれており、東が男子寮、西が女子寮とされている。
 西寮は男子禁制であり、東寮は女子禁制とされており、違反者は一撃で退学もありえるほどその管理は徹底している。
 だと言うのに、村上は自分の部屋に女性を連れ込んでいた。
 日本はプライバシーにうるさい国なので(と、言うよりは近所迷惑を気にする国なので)壁が厚く、騒いでいても声は聞こえにくい。
 しかし、万が一ということもあるし、完全防音というわけでもない。
 だから、ルーに大声を出されると、それは村上にとって人生の終わりを意味するのだ。
 ルーに静かにしてほしい。
 それが村上の切なる願いだった。
「あー、おいしい」
 紅茶を楽しみながらルーは至福の笑みを漏らす。
 その顔がかわいくて、かわいくて。
 村上は思わず頬を緩めるが、すぐに真剣な顔を取り戻す。
「あ、頼むから静かにしてくれよ。紅茶ならいくらでもあるから」
「もぅ、わかってるわよぉ」
 唇を細めてぶーたれるルー。
 そんなルーを前にして、村上はズボンのポケットにしまっていたリボルバーを引き抜き、テーブルの上に置く。
 弾丸は入っていない。
 暴発が怖くて入れてないのだ。
 村上はルーから習ったメンテナンスの仕方を思い出しながらリボルバーを解体しはじめた。
「なぁ、ルー」
「何?」
「オレたち、やっぱ戦い続けなくちゃダメなのかな?」
「ダメよ、だってそういう契約でしょ」
「まぁ、そうだけどさぁ」
 今度はポケットの中から弾丸を取り出しながら続ける村上。
「オレって本来戦うタイプじゃないと思うんだよ。向いてないんだよなぁ」
 そして、村上はテーブルの上に七つの弾丸を並べた。
 それこそが玉の退魔皇剣『天魔』の皇技そのものだった。
 玉の退魔皇剣は二つの技、退技と皇技を持っている。
 退技の名は『導弾(どうだん)』、銃から射出した魔弾を視界に入る場所であるならいくらでも自在に操作する能力。
 これは銃の弾丸に限らず、飛び道具なら何でも構わないが、この世界には銃という強力な武器があるため、ルーはあえてそれを用いている。
 皇技の名は『自由射撃(ザミエル・ショット)』、これには特殊な魔弾を用いる。
 それが、村上がテーブルの上に並べた緑色の弾丸だ。
 七発あるこの弾丸、これを打ち出すことこそ玉の退魔皇剣『天魔』の皇技。
 銃口から放たれた瞬間、この弾丸はその場から消滅する。
 弾丸は転移の力により空間移動し、望むところに出現する。
 射程距離は無限。
 いついかなるところにでも射出できる。
 絶対命中無限射程。
 このテレポート・ショットこそが天魔の退魔皇の切り札だ。
 例え地球の裏側にいようと、敵の心臓の眼前に弾丸を空間転移させられるのだ。
 しかも、けっして狙いを違えることはない。
 弱点としては、その強力な放出力の九割以上を弾丸の転移に用いてしまう点だ。
 そのため威力としては放出力一桁に過ぎず、迎撃は比較的簡単なのだ。
 しかし、絶対命中無限射程は伊達ではない。
 時間を選ばず場所を選ばず。
 あらゆる防御術式を突破して心臓の数センチ前に転移する弾丸を防ぐ事は非常に困難。
 そういう意味で、この皇技は極炎さえも太刀打ちできない代物だった。
 この退魔皇剣の持つ伝承は『魔弾タスラム』。
 一目見るだけで他者を殺すことが出来るバロールの魔眼を貫いたという弾丸だ。
 しかし、この魔弾タスラムは別の物語において、違う名前で登場している。
 一つには日本に残る伝承、これによってこの退魔皇剣は三種の神器の一つとして数えられる。
 ちなみに、最後の三種の神器は鏡の退魔皇剣である。
 剣、玉、鏡、全てが退魔皇剣に入っているあたり、三種の神器のスゴさがうかがえよう。
 そして、さらにある戯曲においても魔弾タスラムは登場する。
 それこそが魔弾の射手であり、ザミエルが契約者に与えた七つの弾丸だ。
 七つのうち六発は射手の意図した対象に向かって跳ぶが、残り一つは悪魔の意図した目標に飛ぶ。
 そして、反逆の弾丸は契約者の命を刈り取るために用いられる。
 つまり、この皇技は退魔皇剣のルールである皇技の使用は五回までという鉄則を破る、杖の退魔皇剣の皇技と同じ数少ないの皇技なのだ。
 しかし、七発ある魔弾の内一つがハズレで、それを引き当てた瞬間に契約者が死亡する。
 天魔の退魔皇が背負う皇技の代償は『生命』。
 つまり射撃のたびにオール・オア・ナッシングの賭けを強いられるのだ。
 しかも使用のたびに死亡率が増す。
 とても簡単には皇技を使用する気にはならない。
 もちろん、杖の退魔皇剣を手に入れれば話は違う。
 ハズレで心臓を打ち抜いた瞬間に心臓が蘇生するからだ。
 聞いた話では反逆の弾丸は弾丸補充用の弾丸であり、ハズレを引いた瞬間、存在する魔弾の残弾は七発に戻るのだそうだ。
 しかし、そんな事は村上には関係なかった。
 どう考えても双蛇の退魔皇を倒せると考えることもできなかったからだ。
「とりあえず、誰か他の退魔皇を倒せるチャンスをうかがわないと。皇技だけで戦い続けたらいつかハズレを引いちゃうわよ。正直、どんなに悪くいっても三回以上は使いたくないわ」
 ルーの言う通りだった。
 皇技は使用すれば使用するほど死亡率が高くなる。
 最上としては皇技無しで敵を仕留める事だが、次善の策は一発の皇技だけで敵を即死させ、その退魔皇剣を奪う事。
 そうすれば天魔の皇技の使用回数が減り、死ぬ確率は格段に下がる。
「できれば皇技無しで戦いたいんだけどなぁ」
 深くため息をつきながら言う村上。
 そんな村上に、ルーは困ったような顔をした。
「気持ちはわかるけど、難しいと思うわ。だって、昨日の夜、あなたが須藤……じゃなくて界裂の退魔皇を助けようとして轟雷の退魔皇に向けて銃を撃ったけど、弾き飛ばされたじゃない。通常弾じゃよほど運がよくないと退魔皇は撃ちぬけないわよ」
「そうだろうなぁ」
 頭を抱える村上。
 と、そんな村上を前にして、ルーは突然その場から立ち上がった。
「そうだ!」
 手を胸の前で打ち合わせ、座る村上を見下ろす。
「お買いものに行きましょ」
「買い物? 何買うんだよ?」
「お洋服、もっとかわいい服が欲しいの」
 目をキラキラさせて話すルー。
 そんなルーのかわいい顔で直視されては、村上も断るわけにはいかなかった。
「わかったよ、すぐ外出る準備するから。ルーは霊体に戻ってくれ。寮から出るところを人に見られたら退学になる」
「わかったわ」
 そう言うと、ルーの姿は部屋の中から一瞬にして掻き消える。
 退魔皇の精霊たちの本体はあくまで武具なので、偽者の肉体である具現化した肉体は消したり出現させたりできるのだ。
 村上は本体であるリボルバーをコートの内ポケットに入れると、財布の中身を確認し、コートを羽織って部屋の外に出た。
 と、廊下を歩いていて村上は思った。
 何でルーは急に買い物に行こうといいだしたのか。
 すぐに思い当たった。
 ルーは自分に気分転換させたかったのだ。
 だから買い物などと言い出したのだろう。
 まぁ、ほんの数割は本当に服が欲しかっただけかもしれないが。
 それでも、ルーの気持ちが嬉しかった。
 元々、聞き流していた上によく考えていなかったとは言え、永遠の命をはじめとした八岐大蛇の退魔皇になった時の特典に引かれて自分は退魔皇になった。
 この世界のあらゆるものを手に入れるチャンス。
 それに胸を引かれて、村上は契約を交わした。
 なら、命を賭けて戦うのは当然であり、むしろその態度に激怒しないルーの方が優しすぎるのだ。
 それなのに、ルーは苦悩する村上に救いの手を差し伸べようとした。
 だから、感謝の言葉を口にするべきだと思った。
「ありがとうな、ルー」
 他の人が聞いたら独り言にも聞こえるであろう言葉。
 その言葉を耳にし、霊体となり銃の中に戻っていたルーが嬉しそうに笑って見せた。
 その優しく小さな笑い声は、契約者たる村上の耳にしか届かない。
 さぁ、今日はどこの店に行くべきか。
 一体ルーはどんな服が好きなのかなと思いながら、村上は冷たい風の吹く寮の外へと出て行ったのであった。








 冬空の中を一人の男が歩いていた。
 痩身長躯の男。
 渋めの色のコートを揺らしながら、夜の街を歩く。
 雑踏には様々な人々。
 迫るクリスマスにざわめく街。
 まだクリスマスでもないのにサンタクロースの格好をしてケーキを売る女性の姿も見受けられる。
 そんな街を、男は歩いていた。
 気のせいか、雑踏の中にあって男の周囲は妙に広々していた。
 避けられているのだ、彼は。
 理由は簡単だ、彼が怖いからにほかならない。
 痩身長躯の男は、このクリスマスムードの町に似合わない表情をしていた。
 まるでこの世界を呪うように歪められた顔。
 誰も目をあわせようとしない機嫌の悪そうな顔には無数の傷が走っていた。
 切り傷のように一直線に走る傷もあれば、まるで引きちぎられたように広がりを見せる傷もある。
 さらに火傷の痕もあり、如何わしい以外の言葉が似合わない顔になっていた。
 視力を失っているのか、それとも眼球がないのか。
 どちらにしろ異常があるのだろう。
 男は左目を閉じたまま、右目だけをあけて歩いている。
 よく見ると閉じた右目のあたりには切り傷。
 切ったのか切られたのか、たぶん後者。
 この顔を見た人間は大抵そのような感想を抱く。
 と、男が勢いよく隣にあった洋服店の窓ガラスに映った男に注目する。
 窓ガラスには道を歩く大勢の人間が映っていた。
 その中で、自分に向かって手を振るその男。
 中年の男は、傷の男に手招きして見せた。
「面白いじゃねぇか」
 傷の男はそう口にすると、洋服店の扉を勢いよくあけた。
「い、いらっしゃいませ……」
 ファッションに凝った十代の少年にターゲットを絞っているその店の店員は、突然店の中に入ってきた傷の男を見て顔を引きつらせながらそう口にした。
 そんな店員を一顧だにせず、傷の男はズカズカと店の奥に進む。
 そこには試着室。
 傷の男は商品も持たず、試着室に入った。
 カーテンが閉まる。
 店員は傷の男が何を考えているのかわからなかったが、商品も持たず試着室に入る客に注意を促そうと思った。
「お客様?」
 返事は無い。
 店員はさらに続けた。
「お客様、試着室に商品も持たずに入られるのは当店では禁止されているのですが」
 返事は無い。
 ついでに何をしているのか何の音も聞こえない。
「失礼ですが開けますよ」
 やはり返事はなかった。
 店員はゆっくりとカーテンに手をかけ開ける。
「えっ?」
 目を疑った。
 だってそう。
 傷の男は確かに試着室に入ってカーテンを閉めた。
 閉めたのだ。
 だと言うのに、試着室の中には誰もいなかった。
「あれ?」
 視線を巡らし、店中を見回す。
 しかし、傷の男の姿は無い。
 店員は改めて試着室の中を見た。
 誰もいない試着室。
 そこには、人間の全身が映し出せる大きさの鏡が壁に貼り付けてあるだけだった。







「熱烈なラブコール、感謝するぜ開闢の退魔皇」
「おや、わかりますか?」
 中年の男はアゴに手を当て考え込むような仕草をした。
 場所はさきほどの洋服店の眼前にある車道。
 街路樹にはさまれたその車道で、二人は向かい合うようにして相対していた。
「わかるとも、一度嗅いだ輝光の匂いは忘れねぇぜ!」
「まるで動物のような嗅覚ですね」
 あきれ果てたように両手を広げる中年の男、いや陣内。
 それに対し、傷の男は辺りを見回した。
「場所変えるか? ここじゃ誰かに見つかるかもしれないぞ」
 異層空間を展開して作り出す鏡内界は鏡さえあれば誰にでも侵入できる。
 一応、裏の世界の人間は表の世界の人間にその存在を知られてはいけないため、傷の男がそう告げた。
 しかし陣内は首を横に振った。
「いえ、必要ありません。封鎖と隠蔽の術式をかけておきましたので」
「なるほど、おあつらえ向きだ」
 傷の男は喉を振るわせ、小さく笑う。
 封鎖の術式とは、鏡に触れるだけで鏡内界に誰でも侵入できてしまうことを防ぐために、輝光で術を解除しないと入れないようにする呪法。
 そして隠蔽の術式とは、本来なら鏡内界の光景が鏡を通して現実世界の人間に見えてしまうという現象を打ち消し、鏡は本来どおり現実世界のみを映し出すようにするという呪法だ。
 ちなみにこの二つの術は相当難しい部類に入る術で、魔術結社でも上級とされる魔術師にしか扱えない。
 それを知る傷の男は、眼前の魔術師にして退魔皇が退魔皇剣無しでも相当の手錬であると気付かされた。
 しかし構わない。
 熟練の異能者であるということならこちらも引けは取らない。
「トール!」
 叫んだ。
 傷の男の言葉に呼応するように、その側に壮年の男が召喚された。
 それは退魔皇の精霊。
 幾本もの皺が刻まれた顔。
 干からびたその顔にはもうもうと髭が生い茂り、かるいパーマのかかった薄汚れたブロンドの髪が両耳を覆い隠す。
 その姿は一言で言えばバイキングと言えただろう。
 鉄兜、鎖帷子、そして厚手の古めかしい洋服。
 古代北欧の出身者か?
 思わず陣内はそんな感想を抱いた。
 そんな陣内には仔細構わず、傷の男はコートの中から仮面を取り出す。
「魔装合体!」
 青紫の輝光が吹き荒れた。
 濃密なその輝光を体内に取り込み、その退魔皇が姿を現した。
 輝光と同色の甲冑を身に纏い巨大な槌をその両手に握り締める。
 傷の男、いや轟雷の退魔皇が陣内の前に戦闘準備を整えた。
 それを目にしていた陣内も、誘われるように仮面をかぶっていた。
「魔装合体」
 静かに口にする。
 金色の輝光が迸り、それを肉体に纏いながら陣内は開闢の退魔皇となった。
 その両手には轟雷の槌に対して矛を握り締めている。
「遊びましょうか、せいぜい舞い踊ってください」
「しゃらくせぇ!」
 叫び、轟雷の退魔皇は槌を振り上げ、アスファルトの地面を叩き砕いた。
 次の瞬間、アスファルトが変形し、アスファルトで構成されたトゲが車道に生える。
 その本数は数える気にもならない。
 人間を軽く刺し貫くトゲが、車道を覆いつくすばかりに生え、もはや足の踏み場もないといったところだ。
 唯一人が立てるスペースは轟雷の退魔皇が立っている場所だけ。
 地獄に存在する針地獄のような空間を、轟雷の退魔皇は一瞬にして作り出してしまった。
「やれやれ、これが轟雷の退技ですか。派手で羨ましいですね」
 もちろんこの一撃で仕留められるなどとは考えてはいない。
 轟雷の退魔皇は声のした方向に顔を向けた。
 現実世界の電気とは少々働きの違う電気しか鏡内界には存在しないため、機能を停止させ光を放たない街灯。
 その上に、陣内は悠然と立っていた。
「曲芸じみてるじゃねぇか。それが開闢の退技か?」
「まぁ、そう言ったところですね。最も、あなたの退技ほど派手さはありませんが」
「やけに拘るじゃねぇか。派手な方がいいってか?」
「地味よりはマシでしょう?」
 矛を構えながら言う陣内。
 そう、二人は早くもお互いの退技を披露しあった。
 轟雷の退技は『操界』、槌で叩いたあらゆる物質を自在に操る能力だ。
 これにより橋を砕き、炎を吹き飛ばし、そしてアスファルトの車道を針地獄にした。
 対する開闢は自分の腕に開闢の刃をあて、自身がアスファルトの上に立っているという確率をゼロにし、街灯の上に立っているという確率を百パーセントにして瞬間移動をしてみせた。
 死闘を演じるは互いに退魔皇同士。
 小手調べとはいえその内容が化物じみている。
「ん、もう来たか?」
 轟雷の退魔皇が陣内から視線を外し、違う方向を見る。
 直後、その方向から熱線が放たれた。
 赤紫に輝く熱線は、レーザーの如く轟雷の退魔皇に襲い掛かる。
 しかし、
「はぁっ!」
 気合一閃、轟雷の退魔皇が手にした槌をそのレーザーに向けてたたきつけた。
 レーザーと槌がふれあい、直後レーザーが跡形もなく霧散した。
 地球上に存在する全てを操るこの轟雷の前では、レーザーなども無いも同然なのだ。
「なかなか早いお越しだな、魔伏の退魔皇」
「そういうあなたも、封鎖に隠蔽の術式とはかなりの腕じゃない」
「オレじゃねぇよ」
 そう言って、轟雷の退魔皇は目の前に現れた魔伏の退魔皇、韮澤に街灯の上に立つ陣内を親指で指し示した。
「こいつさ、なかなか大層な魔術師なんだそうだ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「全然恐悦してねぇだろ」
 轟雷の退魔皇のツッコミに、陣内は悲しそうに首を横に振る。
「やれやれ、少しぐらいの茶目っけに理解も示さないとは無粋ですね」
「オレなんかマシなほうさ」
 そう言って、轟雷の退魔皇は大きく後ろに跳躍、車道の横にある街道に退避。
 それと同時に陣内も自分の体に矛を押し当てて瞬間移動。
 直後、三人がいた付近に紫の光が煌いた。
 轟雷の作り出した針地獄は跡形もなく消滅。
 車道には大きな穴がぽっかりと開いて、アスファルトの下の下水道、そして土の地面が姿を見せる。
 はるか上を見上げ、轟雷の退魔皇が声を張り上げた。
「言ったろ、オレはマシな方さ」
「なるほど、君はまだ風情を知るほうだな」
 感心したように言う陣内の姿は三階建ての洋服店の屋上にあった。
「また滅神の退魔皇なの?」
 三者の中で唯一逃げずに防御で済ませた韮澤が盾を手にしながら口にした。
 韮澤の言うとおり、一直線に続く街道のはるか向こうに弓を手にした滅神の退魔皇の姿が見える。
「あっという間に四人も。まぁいい、楽しもうか!」
 叫び、轟雷の退魔皇が槌を構えた。
 しかし、轟雷の退魔皇は間違っている。
 この場に集う退魔皇の数は四人などと言う少ない数では終わらない。
 他の退魔皇は、この戦場に向かって移動をしている最中であった。







「どっちだ!」
「ここを右です!」
 高速でバイクを疾駆させる数騎。
 その後ろには抱きつくようにエアの姿。
 二人はバイクを可能な限りの速度で飛ばしていた。
「駅近くのショッピングモールでやりあってるって確かだろうな!」
「確かです、すでに四人集まっているようです」
「あいかわらず激戦だな」
 右折しながら数騎は大声でエアに言う。
 フルフェイスのヘルメットをかぶっている上に高速で走っている最中だ。
 話をしたければ必然的に大声になる。
「誰が来てるかわかるか?」
「轟雷、開闢、魔伏、滅神が戦闘中。あとは接近途中のようですが北に戮神、東に双蛇」
「で、南にオレらってわけか」
「はい、狙撃手たる天魔は気配の隠蔽に長けていますから」
「わからないか」
「はい」
 エアの言うとおり玉の退魔皇剣、天魔は皇技以外の力は大したことがないので気配を隠す事に優れている。
 だからこそ一級の狙撃手足りえるのだ。
「ジェ・ルージュってやつは援護してくれるのか?」
「期待しないほうがいいでしょう。援護があるとしてもあの魔皇の援護ではたかがしれていますし」
「待たなくて正解ってわけだな」
 そう、数騎たちは自分達の家でくつろいでいたのだが、そこで退魔皇たちが戦いを始めた気配をエアが感じとった。
 数騎は一瞬、ジェ・ルージュが来るかもしれないと思ったが、待とうとはせずバイクに乗ってエアと現場に向かう事を選んだ。
 現時点最強の退魔皇とは言えど、他の退魔皇が退魔皇剣を手に入れてしまった場合、アドバンテージは一瞬にして消え去る。
 昨晩のように決着がつく前に解散されてはたまらない。
 数騎はポリ様に捕まらないよう、しかし安全運転などはせず要所要所で交通規制を無視し、全速で戦場に向かっていた。
「そうだ、数騎さん!」
 直線を走っている数騎に、エアが話しかけた。
「戦いになった時のことですが、極炎の皇技は使わないようにしてください!」
「何でだ?」
「鏡内界であの皇技を使っても逃げられる可能性は高い。しかし、確実に命中させられる現実世界では使うわけにはいかない。その上、使用すると頭が壊れていくときています。どうか使用はしないように」
 それを聞き、数騎は思った。
 エアにとって最もいい展開は、恐らく他の退魔皇たちが戦っていてこちらに対処できないうちに極炎の皇技を使うことだろう。
 理由は簡単だ、現実世界で使われた極炎から逃げる術はなく、耐え切れる退魔皇は三人に過ぎない。
 一撃で四人倒せるのだ、これだけの好条件。
 しかし、エアはそれを自分に懇願しない。
 わかっているのだ、現実世界で極炎の皇技を使えばどうなるか。
 勝算の大きい策を捨て、犠牲を少なくするために危険な戦いに身を投じる。
 極炎の皇技を使えと言わないエアに、数騎はその気高さに胸を打たれずにはいられなかった。
 と、そんな事を考えている数騎にエアが続けた。
「最も、それしか生き延びる道が無い時は迷わず使ってください。少し理性を失っても死ぬよりはよっぽどマシです」
「わかった、覚えとくぜ」
 運転中で危険なので、頷かずに数騎は答える。
 戦場は近い。
 輝光感知という異能者が持つ能力をもたないはずの数騎でも感じられた。
 近くで戦いが始まっている。
 もう残る距離は一キロもない。
 残り五百メートル、四百メートル、三百メートル、二百メートル、百メートル。
「ここだ!」
 叫び、数騎は合図を出して車道の脇に寄せるとバイクから飛び降りた。
「エア、ついて来い!」
 そう言って数騎はバイクのキーを抜くと、ヘルメットを抱えたまま近くのコンビニに入った。
 エアもそれに続く。
 店に入ってきた数騎を見て、店員が笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ」
「トイレ借ります!」
 大声で言い、数騎とエアは店の奥のトイレに入った。
 とりあえず誰も入ってこないように鍵をかける。
 と、すぐに見つかるトイレの鏡。
 数騎は鏡内界に入ろうとトイレの鏡に手を触れる。
「あれ?」
 入れなかった。
 いつもなら鏡内界の気配を感じた場所ならどんな鏡からでも入れるはずなのに。
「封鎖の術式がかかっていますね、どれ」
 エアは背伸びして鏡に手を触れる。
 瞬間、何かが割れるような小さな音がした。
「術式を部分解除しました。入れますよ」
 エアに言われ、数騎は鏡に手を触れる。
 すると、その鏡の中に数騎の手が入り込む。
「よし、行くぞ」
 そう言って数騎は鏡の中に侵入した。
 鏡内界にもぐりこむと、そこには反転したトイレ。
 数騎はすぐさまトイレの鍵を開けて外に出る。
 もちろん、コンビニの中に客の姿はない。
 後ろからエアが鏡内界に侵入してくるのが見えた。
「戦場は近いな、オレたちも行くぞ!」
「はい!」
 答えるエアに見つめられながら、数騎は退魔皇の仮面を顔にかぶる。
「魔装合体!」
 吹き荒れる真紅の輝光。
 輝光が物質として具現化し、数騎を守る真紅の鎧となる。
 右手には巨大な大太刀、それこそが退魔皇剣、界裂。
(数騎さん、これも)
 エアの声が頭の中に響くと同時に、左腕に重みが走った。
 左手に目をやると、そこには赤紫に煌く長剣が存在した。
「これって」
(極炎です、今のあなたは二振りの退魔皇剣を持つ退魔皇。存分にその力を振るってください)
「いいじゃねぇか、コレがパワーアップってやつだな。おもしろい、行こうぜ!」
 そう言って、数騎は刀と剣を手にしたままコンビニから飛び出す。
 こうして五人目の退魔皇が戦場に到着した。







「あいかわらず、すげぇ戦いだな」
 仮面をかぶった男が遠くで繰り広げられてる戦いを見つめそう呟く。
 戦場から約三キロの地点にあるビルの窓から仮面の男、いや村上は戦いを観戦していた。
(義史、わかってるわね?)
 声が聞こえる。
 そう、村上は今度こそ覚悟を決め、ルーと魔装合体した状態で待機していた。
 その右手には拳銃、弾は六発入っている。
 内一発は魔弾、彼の命を賭けて射出する皇技だ。
 普通、魔装合体をすると強力な輝光を体から発するため、魔装合体はイコール、敵に存在を感知されることに繋がる。
 しかし、狙撃手たる天魔の退魔皇は退技や皇技以外の能力で敵に見つからないという特殊な能力を持つ。
 今までの村上は覚悟が足らなかったため、臨戦態勢を取ろうとしなかったが、今日は少しだけ覚悟を決めたので魔装合体している。
 魔装合体する。
 それは皇技の使用を意味していた。
 なんとかルーは村上を魔装合体できるところまで持っていったが、問題は村上が皇技を使ってくれるかどうかだ。
 何せ、魔装合体も皇技も使用決定権は退魔皇が握っている。
 あとは村上の勇気を信じるのみ。
 ルーは何も言わず、合体している村上を信じ続けた。
「また来たぞ!」
 村上が自分の中にいるルーに伝えた。
 大丈夫、言われなくてもわかる。
 これだけ強力な輝光を放つ退魔皇なんて、三キロの距離があっても感知するのは容易い。
「おい、あれ須藤じゃないか?」
 視界を村上と共有しているルーにも見えた。
 魔装合体によって地平線の彼方まで見わけられるまでに視力を強化されたその瞳に映るもの。
 それは、大太刀と長剣を手にする真紅の退魔皇。
「大太刀だけじゃなくて、何か持ってるぞ。剣か?」
(極炎ね、やっぱり界裂が極炎を倒してたのよ)
「強くなったって事か?」
(現時点じゃ最強でしょうね)
「そうか……最強か……」
 安堵したように顔を緩める。
 最強なら、誰かに殺される心配はない。
 そう思ったからだ。
(ちょっと、何安心してるのよ。彼は敵でしょ、敵が強くなって何が嬉しいの?)
「でも、須藤が」
(敵でしょ!)
 言い切られ、村上は返答に窮する。
 そんな体たらくに、ルーは大きくため息をつく。
(義史がどう思おうと、須藤って子は界裂の退魔皇よ。もしかしたらあなたを殺そうとするかもしれない)
「須藤がオレを?」
(これは殺し合いよ、生き残ったものはどんな願いを叶えることさえできる力の奪い合い。その可能性は否定できないわ)
「でも、須藤に限って」
(殺し合いなのよ)
 その言葉に、村上は押し黙るしかなかった。
(須藤……お前に限って……)
 声には出さず村上は思う。
(オレは、須藤をどうすればいいんだ?)
 答えはでない。
 ルーに尋ねようとは思わない。
 どうせルーに聞いたところで、返ってくる答えはわかっているからだ。
 拳銃が重い。
 その重さを思い出し、この重さが人間を殺すことの出来る凶器であることを、村上は改めて思い出させられたのであった。







「はぁっ!」
 数騎が叫びと供に右手に握る界裂を振るった。
 乖離の力を秘める大太刀から輝光が放たれ、それが線となって解き放たれる。
 数騎の直線状にあった建物が斜めに切り裂かれ音を立てて崩れ落ち、直後輝光が生み出す爆風で建物が弾け飛んだ。
「来たか、界裂の退魔皇!」
 数騎の遠距離からの斬撃を回避した轟雷の退魔皇が、やけに愉快そうに言う。
 ショッピングモールの広々とした道路で、五人の退魔皇たちが戦いを繰り広げていた。
 それぞれが建物を飛び回り、有利なポジション取りをしようと必死になっている。
 ビルの屋上を足場にする退魔皇たちに対して、数騎は車道に仁王立ちし、界裂による飛来する爆風斬撃、『離閃』を立て続けに繰り出した。
 崩れ落ちる建物。
 戦場となっていた数騎の周囲にあるショッピングモールの建物、そのこと如くを切り飛ばし、瞬く間にそこを廃墟とする数騎。
「さぁ、逃げも隠れもさせないぞ。いい加減決着をつけるには頃合だろ?」
 二刀を構え、数騎は自分を取り囲むように、しかしお互いへの警戒は忘れない退魔皇たちを見回す。
 そんな数騎に、紫の閃光が迫る。
「ちぃっ!」
 数騎はうなりながらその一撃を回避する。
 直後、矢を放った滅神の退魔皇にレーザーが放たれた。
 韮澤が放つ熱線による攻撃。
 しかし、滅神の退魔皇は素早く矢を補充すると、その一撃を真正面から迎撃した。
 所詮、熱による攻撃などで消滅の力を持つ滅神の矢は止められない。
 レーザーは紫の矢に消滅させられ、それどころか紫の矢が一直線に鏡の退魔皇に迫る。
「甘い!」
 韮澤が叫んだ。
 レーザーを射出した鏡の盾が抹消の光を容易く防ぎきる。
 魔伏の退魔皇は防御力において最大の退魔皇である。
 最大攻撃力を持つ滅神の矢でさえ貫通することはできない。
 その時だ、轟雷の退魔皇が地面に槌を叩きつけた。
 揺れる地面。
 立っていられないほどの強烈な揺れの後に続いたのは地面の隆起だ。
 それぞれの立ち位置の真下から、まるで串刺しにするかのようにアスファルトのトゲが生える。
 しかし、トゲは各々の退魔皇によって回避され、その大半が退魔皇によって砕かれ、消滅させられ、そして切り裂かれた。
「やーれやれ。やっぱこんな小技じゃダメってことかねぇ」
 轟雷の退魔皇が一人ごちる。
 その時だった。
「地を震わせ争う退魔皇たちよ、我が姿を見るがいい!」
 叫びが聞こえた。
 地震の影響でひび割れたアスファルトの向こう。
 五人の退魔皇を前にして、少年は槍を天に掲げる。
「ひび割れた大地に立ちぃっ! 夜闇を切り裂くこの槍がぁっ! 敵を屠れと震えて猛る!」
 槍を脇に構え、少年は名乗りをあげた。
「我が名はロンギヌス、退魔皇剣が一振りな……」
 最後まで言えなかった。
 途中、ロンギヌスに向かって縦方向に回転しながら槌が投擲されたからだ。
「うぉっ!」
 情けない声を出しながら体制を崩して回避するロンギヌス。
 ロンギヌスに回避された槌は、まるでブーメランのように轟雷の退魔皇の手元に回転しながら戻っていった。
「戮神の退魔皇、隙見せると死ぬぜ」
「貴様、武人の名乗りを妨げるとは!」
「名乗りを邪魔されないのは子供向けの番組だけだ。隙見せちゃいけないよ」
「全くだ!」
 直後、後ろから強烈な殺気が迫った。
 振り返り様に槌を振り下ろす轟雷の退魔皇。
 その一撃によって、背後から斬撃を仕掛けた数騎の界裂が受け止められる。
「後ろから襲う時に声を出すのはアマチュアだぜ!」
「次から気をつけるよ!」
 言い放ち合い、数騎と轟雷の退魔皇はお互いの得物を引き戻し再びぶつけ合った。
 退魔皇剣には退魔皇剣の能力が通じないためにお互いの能力が発動することもなく轟雷は界裂を砕けず、界裂は轟雷を切り裂けない。
 結果、槌と大太刀とのぶつかり合いになる。
 重量において大太刀は槌に及ばず、よってぶつかり合いは数騎の敗北になる。
「くっ!」
 後退する数騎。
 そんな数騎に轟雷の退魔皇は追撃をかける。
「させるか!」
 叫び、数騎は左手に意識を集中させた。
 赤紫に輝き始める極炎。
 そして、その退技が発動した。
 炎が走る。
 噴出する紫の炎が数騎の周囲を火の海に変えた。
「喰らえ!」
 さらに、数騎は左手の極炎を一閃した。
 斬撃と供に吹き荒れる炎。
 まるで火炎放射のようなその一撃を、轟雷は槌の一振りで迎撃した。
 霧散する炎。
「ばぁか、オレに炎は効かねぇよ」
「でも防御したじゃないか、効かないわけじゃない」
 嘲る轟雷の退魔皇に、数騎は鼻を鳴らしながら答える。
 それを耳にし、轟雷の退魔皇が舌打ちをする。
「くだらねぇことを、届かなきゃどっちみち変わんねぇよ」
「じゃあ、これはどうだ!」
 叫び、数騎はさらに炎を噴出させた。
 極炎の切っ先は頭上に。
 吹き上がる炎は噴水の水の如く地面に落ち、視界一帯が炎の海と化す。
 火力による攻撃範囲を一瞬にして広範囲に広げる。
 これこそが陣内と言う名の退魔皇が美坂町の大部分を焼き尽くした力であり。
 そして、数騎は新たに手に入れた武器でもある。
「燃え尽きろ、轟雷!」
 斜め一閃に極炎を振るう数騎。
 それを合図に、周囲一帯に広がった炎が波打ち、三百六十度の全周囲から轟雷に対して火炎放射を放った。
 それだけではない。
 数メートルの高さで燃え上がっていた炎までもが下方にいる轟雷の退魔皇に火炎放射を放つ。
 さらにそれが頭上からも。
 逃げ場はなかった。
 いかに轟雷が炎を防げても、全周囲の火力を同時に対処することはできない。
 予想通り、轟雷の退魔皇は全周囲からの炎を受けて燃え上がった。
 炎に包み込まれていく影。
 しかし、
「無駄だぜぇ」
 轟雷の退魔皇の笑い声が聞こえた。
 直後、炎が消え去った。
 轟雷の周囲に存在していた炎が掻き消え、その周囲五メートルが無炎地帯と化す。
「酸素濃度ゼロ、酸素がなければ炎も存在できねぇってことよ」
 轟雷の退魔皇は槌を肩に担ぎながら炎の中心にいる数騎を見て、体を震わせて笑う。
 正確に言うなら鏡内界は現実世界と違い酸素という物質は無い。
 しかし、酸素に酷似し同様の機能を持つ物質は存在しており、轟雷の退魔皇はそれを操作した。
 轟雷が操作できる物質は固体、液体に限らず気体さえも操作する。
 これにより、轟雷は空気中に存在する酸素の濃度をゼロにし、炎の存在できない空間を構築してしまったのだ。
「さぁ、どうするよ? お前の大好きな火遊びはオレには通じねぇ。相性が悪いな」
「そうでもないさ」
 極炎の切っ先を轟雷に向けながら数騎は続ける。
「お前、極炎の退魔皇が皇技を使うって時、ビビってオレたちに協力しただろ?」
「それが?」
「簡単だ、無酸素状態でも熱は伝わる。つまり……」
 数騎はさらに火力を増した。
「外から蒸し焼きにすればいいだけだ!」
 極炎が次々と炎を量産していく。
 荒れ狂う炎はアスファルトの上だけでなく、数騎によって破壊されたビルを燃やし、溶していく。
 その時だ。
「なっ!」
 数騎は思わず目を見開く。
 だってそう。
 数騎が作り上げた炎の海が、一瞬にして鎮火してしまったからだ。
「炎の存在確立をゼロにしました、酸素濃度をゼロにするより美しいでしょう?」
 声は開闢の退魔皇のものだった。
 崩れ落ちたビルの屋上で悠然と矛を構えている。
 数騎はとっさに開闢の退魔皇に対して飛来する斬撃、離閃を繰り出そうとしたが、
「ちぃ!」
 とっさに振り向いてそれを自身の後方に向けて繰り出した。
 切り離される胴体、引き裂かれる脚、切断される腕、泣き別れした首。
 同時に襲い来る爆風に吹き飛ばされ、どさどさと地面に落ちる死体。
「やれやれ、上手くいくと思ったんですがね」
 ロンギヌスとは反対側の車道から現れる二つの影。
 蛇の仮面と白の仮面の二人組。
「双蛇の退魔皇か!」
「正解です」
 言って、イライジャは指を高らかに鳴らした。
 それに呼応するように、六人の退魔皇を囲むように蘇った死者たちが包囲網を作る。
「遅ればせながら参戦を決意しまして、行きなさい!」
 イライジャの合図と同時に、数騎たちを取りかこむ死者たちがその力を行使した。
 異能者たちによる異能。
 それは輝光弾であったり、術式であったり、そして肉弾戦による攻撃であったりした。
 しかし、ぬるい。
 退魔皇たちを相手取るにあたって、その軍勢はあまりにも脆弱だった。
「はぁっ!」
 叫ぶ轟雷の退魔皇。
 振るわれた槌は空気を叩き、大気を操る。
 音速を超える空気移動が起こり、それにより発生した衝撃が迫る異能者を五十人まとめて粉々に吹き飛ばす。
 血煙が舞い、肉片が飛び散る。
 そんな中、数騎は思わず口を開いていた。
「うわっ、何もそこまで殺さなくても」
(気にしないでください、彼らは元・死者です。双蛇の退魔皇に仮初の命を吹き込まれたアンデッドと言ってもいいでしょう)
「でも、生きてるように見えるぜ」
(死人です、容赦なくやってください。むしろもう一度眠らせてあげるのが慈悲でしょう。他の退魔皇もそうしています)
 その通りだった。
 接近戦を繰り広げるロンギヌスは、その圧倒的な技量からつぎつぎと蘇った死者の弱点である心臓に槍を突きいれる。
 鏡の退魔皇、韮澤は盾から放出する熱線で死者たちを焼きつくし、矛の退魔皇は切り裂いた死者たちの存在確率をゼロにして滅ぼす。
 しかし、そんな中で死者の相手に熱心でない退魔皇が一人。
「えっ?」
 数騎が驚きの声をあげるのと、それが飛来するのは全く同時だった。
 迫り来る紫の矢。
 迎撃する暇もなく、数騎はとっさにその一撃を回避する。
「滅神の退魔皇!」
 そう、それは滅神による射撃だった。
 自分に襲い掛かる死者を当の昔に細切れ死体にして転がしていた滅神の退魔皇は、弓を引き絞り数騎に紫の矢を解き放つ。
「うぉっ!」
 回避する。
 しかし、すぐさま滅神の退魔皇は矢をつがえる。
「連射、拡散、放たれるは呪射」
 短く詠唱し、矢が解き放たれた。
 直進する矢は空中で拡散し、八十の鏃となって数騎に襲い掛かる。
 とっさに数騎は叫んでいた。
「おおおおおおぉぉぉぉ!」
 数騎の中で何かにスイッチが入る。
 とっさに両手に握り締める界裂と極炎を強く握り締めた。
 まるで二振りの刀剣が自分の腕の延長になり、神経が巡ったかのような感覚。
 怯まず、揺るがず、数騎は真正面から矢の散弾に立ち向かった。
 弧を描くそれはまるで剣舞。
 取り扱いずらい二振りの長刀、長剣を、信じがたい速度で振り回す。
 同時に飛来する八十の矢じり、それを一秒に満たない時間の中でその全てを叩き落していた。
「ちぃ!」
 呻く。
 その散弾は囮。
 数騎に向けてさらに矢が放たれる。
 拡散の矢ではなく、連射の矢。
 一秒の間もおかず連射される鏃は、回避する数騎の姿を執拗に狙い続ける。
 これこそが弓の退魔皇剣、滅神の退技『呪射』。
 触れたあらゆるものを消滅させる力を持つ矢であり、さらに散弾のように鏃を分裂させ、面で他者を制圧することも可能だった。
「なろっ!」
 叫び、数騎は剣を振るう。
 迫る紫の矢を、容赦なく切り捨てた。
 紫の矢の威力はエアから聞いている。
 触れたあらゆるものを消し飛ばす矢。
 それが消滅させられない存在は自身と同じ退魔皇剣のみ。
 一撃を喰らうだけで勝敗が決する。
 その驚異的な威力を知るが故に、数騎は防戦一方に陥っていた。
「さすがは攻撃力最大退魔皇剣か、どうするエア!」
(攻撃力ならこちらも引けを取りません、仕掛けましょう)
「離閃だな、わかった!」
 数騎はせまる鏃を剣で叩きおとすと、滅神の退魔皇に向かって突き進んだ。
「連射、拡散、放たれるは呪射」
 詠唱。
 そして、真正面から距離を詰めようとする数騎に対して拡散の矢を解き放った。
 その数はやはり八十。
 いや、それを同時に三発で二百四十。
 しかし、
「界裂の退魔皇をなめるな!」
 叫び、数騎はさらにエアの力を解放した。
 振りぬかれる刃。
 放たれるは界裂の退技、離閃。
 飛来する鏃を輝光の斬撃はそのこと如くを叩き落す。
 一気に輝光を放出したため、突撃に輝光をまわせなくなった数騎はいったん停止する。
 その間、わずかに十分の一秒。
 しかし、それは致命的な時間。 
「滅びをもたらす弓よ、神さえも滅するミストルテインの弓よ、この世界を消しさりたる運命(さだめ)を!」
 散弾は時間稼ぎ。
 詠唱は紡がれ、その皇技が顕現する。
「抹消する永遠の運命(エターナル・オブリタレイト)!」
 数騎の眼前が紫に染まった。







 それは第六感だろうか。
 わからない、ルーとの魔装合体によって何かしらの感覚が研ぎ澄まされたのかもしれない。
 どうでもいい。
 そんなことはどうでもいい。
 ただ、しなければならないことはわかっている。
「ルー、皇技だ」
(え?)
「決めるぞ、オレたちの晴れ舞台さ」
 覚悟は一瞬で決まった。
 あんなに怯えていたのが嘘のようだった。
 ただ今は一つの目的。
 友達を救うための手立て。
 それがこの手に握り締められているなら、それを用いない術など何もない。 
「距離を無にする玉よ、いかなるものをも逃さぬ魔弾タスラムよ、この世界を跳躍する弾道(とびら)を!」
 それは皇技の詠唱。
 自らの命を賭す破滅の一撃。
「自由射撃(ザミエル・ショット)!」
 そして、皇技が放たれた。
 紫の光を眼前にする数騎の姿が数キロ先に見える。
 普通の弾丸ならば間に合わない。
 通常弾なら届かない。
 しかし、この弾丸は魔弾。
 もし貴様にその技量があるのなら。
「回避してみせるがいい」
 すでに自分の手元から放たれた弾丸は、目的地点に到達していた。







 震える大気。
 荒れ狂う輝光。
 数キロ先から感じとったその爆発するように叩きつけるようなその圧倒的な輝光は、一瞬にして数騎と滅神の退魔皇との間に転移した。
「なっ!」
 驚きの声をあげる滅神の退魔皇。
 だって、そう。
 眼前に、突然銃弾がどこからともなく出現すれば、驚かない人間はいないだろう。
 しかも、皇技発動に全神経を集中していたのだ。
 猛烈に感じ取る殺気。
 眉間を狙うその弾丸との距離はわずかに十センチ。
 回避できるか?
 一秒の何億分の一の時間で思考する。
 できる、回避は可能だ。
 考えるよりも先に体が動いていた。
 時間差無しの転移による射撃、音速を超える十センチ前に存在する弾丸。
 皇技の使用に全神経を集中するという極限状態の中、滅神の退魔皇は己の全てをかなぐり捨てて回避運動を取った。
 どれほどの幸運。
 どれほどの強運。
 とっさに顔を斜めにして回避しようとしたことが滅神の退魔皇の命を救った。
 弾丸は滅神の退魔皇が顔にかぶる仮面に直撃し、そして滑ってそれた。
 髪の毛を切り裂きながら後方に抜ける弾丸。
 銃器の扱いを習う時、頭部を狙わず胴体を狙うように銃を扱う者は訓練を受けるという。
 頭蓋骨は堅く丸く、時に弾丸をそらすことさえあるからだ。
 それが頭部への射撃(ヘッドショット)を忌避する所以。
 そして、退魔皇の仮面は頭蓋骨よりもはるかに強固。
 それが滅神の退魔皇の命を救った。
 しかし、その代償は小さくない。
「あ……」
 気の抜けた声を出す滅神の退魔皇。
 はじける音。
 亀裂の走る音。
 そして、砕け散る音。
 それと同時に、滅神の退魔皇の顔が露になった。
 地面に落ちる退魔皇の仮面。
 それは、弾丸を受けた衝撃で真っ二つに割れていた。
「アアあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 絶叫が聞こえた。
 それは聞いた事もない男の声だった。
 それは弓の退魔皇剣の精霊。
 仮面契約のために仮面にその存在を映していた精霊は、仮面の崩壊によって多大なダメージを受けることになる。
 そして、弓の退魔皇剣の精霊はその姿を具現する力を失った。
 仮面は砕け散り、仮面契約が解かれる。
 弓の退魔皇は、滅神の弓を持つただの魔剣士に成り下がった。
 皇技はおろか、退技さえ使えない脆弱な退魔皇剣を手にするだけの魔剣士に。
「天魔の……退魔皇!」
 輝光が感じられた方角に顔を向ける元・滅神の退魔皇。
 仮面が取れたために、その顔をようやく見ることが出来た。
 長い黒髪を揺らす女性。
 細く、しとやかな美人で、でもどこか生活に疲れたような気疲れさを受ける。
 年頃は三十前半だろうか
 そんな黒装束の女性の目が見開かれた。
 はるか遠くのビルから放たれた弾丸、それが襲い掛かってきたからだ。
 黒装束はとっさにその弾丸を回避。
 しかし、それはただの弾丸ではない。
 それは天魔の退魔皇の退技、導弾。
 射出した弾丸を視界の範囲であるなら、いかようにも操れる必中の弾丸。
 そして、それは黒装束の右腕に打ち込まれた。
「くぅっ!」
 うめき声を漏らしながら、黒装束の手から弓が地面に落ちる。
 さらに銃声が三発轟いた。
 飛来する銃弾は黒装束ではなく、地面に落ちた弓に向かって飛んだ。
 どれほどの奇怪な動きか。
 三発の弾丸はお互いに協力し合い、地面に転がる弓を持ち上げると、それを一気に空中へ移動させはじめる。
 退魔皇の戦いの決着は精霊が具現化することが出来なくなった退魔皇剣を吸収した時につく。
 だからこそ、天魔の退魔皇は自在に操れる弾丸によって力を失った弓の回収を試みた。
 しかし、
「極炎、全開放!」
 韮澤が叫んだ。
 三発の弾丸によって宙に浮き、持ちされれようとする弓に対して鏡の盾を向ける。
 直後、今までの熱線とは比べ物にならない熱量のレーザーが繰り出された。
 空中にあった三発の弾丸は焼き尽くされ、輝光を失い地面に落下する。
 決して滅ぼされない武器である弓の退魔皇剣と一緒に。
 誰よりも弓に韮澤が近く、そして誰よりも早く韮澤が動いた。
 落下する弓に、殴りつけるようにして盾を叩きつける。
 そして、弓が盾に吸収された。
「なんてこった……」
 呆然と皇技の打ち合いを見ていた轟雷の退魔皇が思わず呻く。
 そう、目の前で一名の退魔皇が仮面を砕かれ脱落し。
 その退魔皇が新たなる退魔皇剣を手にした。
 しかも、手にしたのは攻撃力において最低クラスの魔伏の退魔皇。
 しかし、防御力においては最強の退魔皇。
 いままで大した攻撃力ももたなかった故に鏡の退魔皇剣は脅威ではなかった。
 しかし今、鏡の退魔皇剣は最強の防御力とともに最強の攻撃力を手にした。
「ちぃ、ここまでか!」
 叫び、轟雷の退魔皇が戦場に背中を向けた。
 双蛇、開闢、戮神も続けて戦場からの離脱を始める。
 が、数騎は目の前の出来事に驚き、逃げ遅れていた。
 そこを狙い、韮澤は早速手に入れた弓を引き絞る。
 いつの間につがえられた紫の弓。
 しかし、
「ああああああぁぁぁぁ!」
 絶叫、そして連続する爆発音。
 数百グラムの死神が、韮澤に向かって突き進む。
 矢の射出を停止し、韮澤はとっさに鏡の盾を構えた。
 不可視の結界が構築され、放たれた幾十の弾丸を防ぎきる。
「逃げろ!」
 声が聞こえた。
 数騎がそちらに顔をやると、そこには四十をとうに過ぎた中年の男。
 同時に投げ放たれる手榴弾。
 それが韮澤の眼前で爆発。
 中年の男が数騎にかけより、促す。
 数騎は頷いて答えると、中年の男と供に走り出した。
 途中、中年の男はコートの中からさらに武器を取り出し、投げた。
 それは煙幕だった。
 地面に転がると同時にスプレーみたいな缶の中からもうもうと煙が上がる。
 遮断された視界。
 遠ざかる気配。
 そして、それが追いつけない距離まで到達した段階で戦いは終わった。
「勝ったわね、アイギス」
(えぇ、最高なハイエナっぷりだったわ、綾子)
「もっといい褒め方してよ」
 韮澤はため息をつく。
 大きな代償を払ったが韮澤はようやく望んでいたものを手に入れた。
 魔伏の退魔皇剣の退技はごく一部の特殊なものを除いてあらゆる攻撃を遮断する力。
 しかし、決して攻撃力は無い。
 代わりに存在するのが皇技だった。
 魔伏の皇技は敵の攻撃を吸収、そしてそれを自らの技として操る事ができる。
 鏡内界で初めて使われた極炎の皇技、その熱量を韮澤は自分のものとしていた。
 そしてそれを小出しに使うことで熱線のレーザーを鏡から射出、それを武器とした。
 代償は内臓、しかしそれを支払った甲斐はあった。
 次からは弾数制限に悩むことなく強力な攻撃をかけることができる。
 しかも、攻撃力最大退魔皇剣の皇技さえも扱えるのだ。
「勝てるわね、この戦い」
(えぇ、今の私達なら界裂の退魔皇さえ及ばないわ)
 答えるアイギスの声はうきうきとしていた。
 こうして、今夜の戦いは終わりを告げる。
 この戦いの勝者は魔伏の退魔皇。
 その事実を曲げて考えるものなど誰一人としていなかった。
 そう、ただ一人を除いては。







「いやぁ、無様だなぁ」
 笑みを浮かべながら村上が言う。
 場所はあいも変わらずビルの中。
 と言っても、先ほどとは別の場所。
 戦いの終焉を感じ取り、村上とルーは鏡内界から脱出していた。
 今、いる場所は場所は同じでも現実空間である。
「何嬉しそうにしてるのよ。皇技が無駄撃ちになったのよ!」
 村上に対して怒鳴りつけるルー。
 オフィスとして扱われているそこでちょうどいいイスを見つけると、村上は疲れたとばかりに腰を降ろす。
「まぁ、確かに皇技は無駄撃ちにかもしれないけど、収入がなかったわけじゃないだろ?」
「そうだけど……なんで滅神の退魔皇の心臓を狙わなかったの!」
 喰ってかからんばかりに顔を近づけるルー。
「弓の退魔皇剣の皇技があとちょっとで発動したのよ。あれが出れば一撃で三人は消し飛んでたはずよ!」
「だからだ」
 力強く、村上は頷いた。
「あのまま皇技が発動してたら須藤は死んでた、間違いなく。心臓を撃って滅神の退魔皇を殺しても、絶命するまでに皇技は発動する。皇技を止めるには仮面を狙うしかなかった」
「義史、まだ須藤って子のこと……」
「仕方ないだろ、あれでもダチなんだ。見捨てられねぇよ」
 笑顔を浮かべてそう言う村上を前にして、ルーは顔に手を当ててため息をつく。
「バカなんだから」
「言ってくれるなよ、こっちだって反省してる」
「反省って、何を?」
「戦い方さ、天魔の退魔皇にとって最高の戦い方は間違いなく狙撃だけど、今回の戦いのルールでそれは最高じゃないってこと」
「具体的に言ってみて」
「今回の戦いで滅神の退魔皇を倒したのは確かにオレだ。でも、利益を得たのは魔伏の退魔皇。つまり、近くで戦わないと打破した退魔皇剣を横取りされる恐れがある」
「じゃあ、あの化物たち相手に……」
「接近戦だ、銃使い(ガンスリンガー)冥利に尽きるってやつだな」
 左手の平に右拳を叩きつけて言う村上。
 その両腕は、目に見えてわかるほどに震えていた。
「クソッ、怖いな。さっき須藤を助けようとした時には全然怖くなかったのに」
「……さっきは魔装合体してたから」
「何だって?」
「さっきは魔装合体してたから。魔装合体した退魔皇は戦いに怯えないように全身に輝光を迸らせて高揚感と冷静な思考、そして恐怖では退かない勇気を得るの」
「じゃあ、さっきオレが須藤を助けられたのは?」
「多分、魔装合体のおかげ」
 それを聞いて、村上は脱力した。
「情けねぇ。自分のだと思ってた勇気が借りモンだったとは、泣けてくるぜ」
 そんな村上に、ルーは首を横に振った。
「違うわ」
「ん?」
「確かに魔装合体した後の勇気は義史の心の奥から現れたものじゃなかった。でも、魔装合体をして戦いに参加しようとした勇気は義史自身のものよ」
「そうか?」
「そうよ。だって、義史が魔装合体しなかったら、退魔皇の仮面は義史に戦う勇気をくれなかった。義史の勇気があったから、退魔皇の仮面は義史を助けてくれたの」
「………………」
 真剣なまなざしで見つめてくるルーに、村上は即座に返事ができなかった。
 可愛くて。
 が、村上はすぐに首を横に振って邪念を振り払う。
「まぁ、そう言ってもらえれば嬉しいかな」
「大丈夫、義史にはちゃんと勇気がある。足りない勇気は私が補ってあげるから」
 笑顔を浮かべて言うルーに、村上は照れ笑いしながら右手をルーに突き出した。
「何?」
 右手を凝視しながら問うルー。
 そんなルーに、村上は微笑しながら答える。
「あらためてルーに約束するよ。オレは臆病者でどうしようもないけど、必ず勝利してルーを助けるよ。魔弾を使って仮面を砕けば殺さずに戦いから引きずり降ろせる。須藤は殺さなくてすむんだ。他のやつらだって。それならオレは……戦える」
 そんな自信に満ちた村上の姿が信じられなくて、ルーは少しだけ呆然と村上を見つめる。
 しかし、それが嘘偽りでないと気付くと、ルーはすぐさま両手でその手を握り締める。
「うん、頼りにしてるんだからね」
 満面の笑みを浮かべながら、ルーは嬉しそうに口にしていた。
 始めに仮面契約した時とは違い、なんら魔術的な儀式を解さない契約。
 しかし、二人にとっては以前に交わした契約よりも、数段意味のあるものであるように思えたのであった。









































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