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第五羽 魔弾



 転がるように鏡内界から脱出した。
 基本的に鏡内界から現実世界に戻るには、入った鏡から出る以外に方法はない。
 例外があるとすれば、他の人間が入った鏡からなら出入りが可能ということくらいだ。
 だから、数騎たちは二人で鏡内界に入り、三人で鏡内界から出た。
「危なかったぁ」
 狭いトイレの中で三人。
 数騎は大きくため息をつきながらその男に顔を向けた。
 アタッシュケースを手にした渋いコートのその男に。
「で、あんたは誰だ?」
「助けてもらった礼も言えないのか?」
 数騎の目の前にいる中年の男は、無礼な若者を見る年長者の目で(まぁ、実際その通りなのだが)数騎を見る。
「あぁ、助けてもらってありがとう。あんたがいなかったら逃げられなかったかもしれない。で、あんた誰?」
「私は……」
 答えようとする中年の男。
 と、ドアをノックする音。
 数騎はそれでようやくここがコンビニのトイレである事を思い出した。
 数騎はドアを一瞥した後、中年の男を振り返る。
「とりあえずトイレから出よう、話はそれからだ」
「いいだろう」
 頷く中年の男。
 それを見てから、数騎はトイレのドアを開く。
「わっ!」
 驚いたのはドアの前で待っていた男だった。
 一人なら驚かない。
 だが三人の男が狭いトイレから出てきたのだ。
 驚かない方がおかしい。
 数騎たち三人はその男から奇異な視線で見つめられながらコンビニを出た。
「で、教えてもらえないか?」
 外に出るなり、数騎は振り返って中年の男に尋ねた。
 男はすぐさま答えた。
「とりあえず名前から、坂口遼太郎だ」
「坂口さんね」
 忘れないように相手の名前を反芻する数騎。
「で、坂口さんは何でオレたちを助けてくれたんだ?」
「それについて話したくないわけではないが、場所を変えないか?」
「トイレからは出たぜ」
「そうじゃない、普通の人たちに聞かれたくない話をしたいのでな」
 そう口にして、坂口は視線を巡らし、右に見えた店を指差す。
「あの喫茶店とかはどうだろうか?」
「……いいぜ」
 頷いて答えると、坂口は喫茶店に向かって歩き出した。
 その後ろを数騎がついていく。
「数騎さん、いいんですか?」
 隣のエアが困り顔で聞いてきた。
「仕方ないだろ、話を聞かなきゃ何がなんだかわからないし」
「ですが、どうもあの人からは嫌な気配がします」
「ジェ・ルージュとどっちが怪しい?」
「どっちもどっちですね」
「なら話を聞かないとな。向こうの都合を知らないと動きが取りずらい、それに……」
 なんで退魔皇の戦いに退魔皇でもないやつがちょっかい出してきたか気になる。
 そう数騎は言おうとしたが、坂口がガラスの扉を開くのを見て止めた。
 話は席についたあとゆっくり聞けばいい。
 坂口はコーヒーを、数騎はレモンティーを、ついでにエアはミルクティーを注文して席に着く。
 三人が座るのは、話をしやすい一番隅のテーブルだった。
「で、あんた何者だ?」
 席に座るなり、数騎はレモンティーに口をつけながら聞いた。
 運ばれてくるタイプの店ではなく、カウンターで受け取り自分で運ぶ類の店だったから座ると同時に数騎は早速レモンティーをいただいていた。
 男は手にしていたアタッシュケースを床におろすと、面倒くさそうに口を開く。
「それには先ほど答えた気がするが」
「坂口遼太郎だろ? 名前はもう聞いたよ。オレが知りたいのはあんたが何者だって話さ」
「なるほど、確かに知りたいだろうな」
 納得したように頷く坂口。
「君は……魔術結社という組織を知っているかね?」
「えっと、確か裏の世界に存在する異能者の組織だっけ?」
 ジェ・ルージュに教えてもらったことを思い出しながら口にする数騎。
 そんな数騎に、坂口は満足そうに笑みを浮かべた。
「そう、その通りだ。私はその組織のエージェントだと言ったら、信じてもらえるかな?」
「信じなくはないけど……何でそんな人間がこの街にいるんだ? 聞いた話じゃこの街には結界が張られていて異能の力を持つ者は出る事も入ることも出来ないって話しだぞ」
 そう、八岐大蛇復活の儀式において他の異能者は邪魔者に過ぎない。
 さらに言うなら八岐大蛇の首たちがどこかに逃げてしまわないように閉じ込めておく必要がある。
 そのための結界だとエアは言っていたはずだ。
「ふむ、確かに。それで私は困っているわけだ」
「どういうことだよ?」
 身を乗り出して聞く数騎。
 そんな数騎をエアは、年上に対して言葉遣いが悪いな、と思ったが口を開かないことした。
 同じようなことを考えたのか、坂口も少し機嫌の悪そうな顔だった。
「何、私がここに居合わせたのはただの偶然だ。おそらくこの街には私のほかに異能者はそう多くはいないだろう。結界の外には多くの異能者が集まっていそうだね。何しろ、退魔皇剣が入り乱れて戦っているわけなのだから」
「偶然? この街に何の用があったんだ?」
「妻の墓参りだ、三年前に死んでしまってね」
「あ、すいません」
 急に口調が丁寧になった。
 気まずそうな顔をしている数騎に、坂口は微笑んで見せた。
「気にしなくていい、君が疑うのも当然だ。何せ、君は退魔皇なわけだからな」
「悪かったな、つまらないこと聞いて」
 申し訳な顔をする数騎。
 そして、思い出したように聞いた。
「そうだ。それで、あんたは何でオレを助けてくれたんだ?」
「それは私が君達を命がけで助ける理由があったからだよ」
「理由?」
「そうだとも。少なくとも私は君達の敵ではない。話を始める前にそれだけは理解してくれないか」
「わかった」
 頷いてみせる数騎。
 その言葉に満足して、坂口は話を始めた。
「正直、私はこの戦いを迷惑だと思っている。だって、そうじゃないか? 世界を握ることが出来るほど強力な魔剣の奪い合いだ。そのために出る被害がどれほどのものか」
「でも、鏡内界で戦えばそうでもないだろ?」
「君は極炎の暴走を忘れたのか?」
 その言葉に数騎はハッとした。
 そうだった。
 極炎によって、この美坂町の何割が灰塵に帰したか。
「正直言って、現実空間で皇技を使われた場合の被害は計り知れない。退魔皇剣を全て集め、八岐大蛇の退魔皇が誕生するのは確かに厄介だ。だが、それ以上にその過程で起こる厄災の方が私には厄介と考える」
「つまり、どういうことだ?」
「結局のところ、私は魔術結社の尖兵(デュラミア・ザーグ)なのだ。裏世界の人間のせいで表の世界に迷惑がかかる事を阻止する義務がある」
「と、言う事は?」
「私はなんとしても、この退魔皇たちの戦いによる被害を最小限に抑えるつもりでいる。そして、そのために君達に協力を頼みたいんだ」
「……協力だって?」
「そうとも、協力だ。私は君達に力を貸す。そして君達はなるべく現実世界に影響を与えないように戦いを演じてはもらえないだろうか」
「まぁ、それに依存はないよな」
 言いながら数騎はエアに視線を向ける。
 真剣な表情で、エアは数騎に頷いて見せた。
 それを見て、坂口は話を続ける。
「ありがたい、君たちがその方針を貫くかぎり、私は君達に協力することを約束しよう」
「協力?」
「そう、協力だ」
「でも、あんたは退魔皇じゃないだろう?」
 つまり『戦力的に見て不足だろ?』ということ。
 そう言った数騎に対し、坂口は先ほどから床に置いていたアタッシュケースをテーブルの上に置き、開いて中身を数騎たちに見せた。
 他の客には決して見えないようにだ。
 アタッシュケースの中にはゴツイ金属の塊があった。
 それを見て数騎は、顔色を青くした。
「……銃?」
「サブマシンガンだ、一分間に八百発の弾丸をばら撒く代物だ」
「………………」
 凶悪な兵器。
 しかし、数騎にとってそれは見覚えのないものではなかった。
「ちょっと、待て。それって……」
「あぁ、先ほど君達を助けた時に使ったものだ」
 そう、数騎たちに狙いを定めた韮澤に弾丸をばら撒いたのはそのサブマシンガンだった。
 見せるだけで目的は果たしたと坂口はアタッシュケースを閉じ、再び床に置く。
 と、その時になって数騎は気付いた。
「ちょっと待て、おかしくないか?」
「何がだ?」
「何で……鏡内界で銃器を使えるんだ?」
 そう、数騎の言うとおりだった。
 エアから数騎が聞いた話では、鏡内界では現実世界に存在する大体のものが使えない。
 全てが違う物質で構成されている異次元である鏡内界。
 そこには火薬が存在せず、こちらでいうところの電気に似た性質のものはあるが電気が存在しない。
 ほかにもいろいろと差異のある空間だが、先に述べた二つだけで大きな問題が生じる。
 つまり、火薬がなければ銃は撃てず、電気がなければ機械は動かない。
 ちなみにエアの話では内燃機関はないがが外燃機関はあるとかなんとか。
 正直言ってよくわからない。
 とりあえずエアが要約して覚えておいて欲しいと言っていたことがある。
 それは、鏡内界では電化製品や車、銃などといった近代的なものは使用できないということだ。
 異能者たちは強力な力を持つことが多いが、それでも近代兵器を相手どるには不足な者が多い。
 そんな彼らにとっての救済措置が鏡内界だ。
 敵を鏡内界に引き込めば近代兵器の使用を不可能にすることができる。
 その上、鏡内界では空気の質が違うらしく輝光を扱うのに有利なのだそうだ、よくわからないが。
 結果、近代装備をする人間は無力化し、異能者はその力を存分に発揮する空間として鏡内界は裏世界の人間の命綱となった。
 ジェ・ルージュの話では、別にそんなものなくても異能者はきっと重宝がられていたとのことだが、やはり絶対的な空間を持つことの意味は大きい。
 エアとジェ・ルージュにそれらの事を習った数騎は、だからこそ坂口にそう質問したのだ。
 問われた坂口はといえば、少し面白そうに笑みを浮かべていた。
「なるほど、疑問はもっともだ。実はな、私はこの裏の世界では忌み嫌われる特異な能力の持ち主なのだ」
「特異な能力?」
「異層空間殺し、だ」
 言う坂口。
 その言葉に、数騎は首をかしげた。
「異層空間殺し?」
「裏世界の人間にとって天敵と言っていい存在です」
 答えたのはエアだった。
「鏡内界では異能者が絶対的な支配者として君臨しています。しかし、その異能者に対して近代兵器のアドバンテージをそのまま鏡内界に持って入れる人種がいます。それが異層空間殺しを持つ能力者です」
「で、その異層空間殺しってのは何なんだ?」
「鏡内界は、というかその鏡内界を構築する異層空間は三次元と四次元の間に存在する中間の存在です。この世界とは構成される物質や法則から何まで全てが異なる空間。文字通り、次元の層が違うわけですから」
「……よくわからない」
「つまり、別世界であると認識してください。別世界ではこの世界の法則は通用しない。そうですね、アメリカと日本では法律が違いますよね。その程度の認識で結構です」
「むぅ、少し判った気がする」
「よかった、では続けます。アメリカと日本は法律が違う。もし数騎さんがアメリカに行ったらあなたは日本の法律ではなくアメリカの法律に従う必要がある。しかし、異層空間殺しはアメリカに行ってもアメリカの法律に縛られず、日本の法律に従えばいい。そう言えば理解できますか?」
「つまり、鏡内界でも鏡内界のルールに従わないで、こっちの世界のルールに従えばいいってことか?」
「はい、そうなります。つまり、彼らは異次元である鏡内界に三次元の法則、つまり内燃機関やら銃火器やらを持ち込み、使用することができます」
「それってすごくないか?」
「すごいです、正直言ってズルもいいところです。鏡内界で近代兵器を扱えるというのは非常に大きなアドバンテージになります。もっとも、優れた異能者は近代兵器など意に介しはしませんが……」
「そんな異能者は少ない」
 言葉尻を坂口が受けた。
 エアはそんな坂口に頷いてみせる。
「はい、その通りです。ですが、さすがに退魔皇ともなれば、異層空間殺し程度ならどうということはありませんが……」
「奇襲されると話は違う。防御系ならともかく」
「そうなりますね」
 いちいちエアの言葉を奪う坂口。
 エアは話に割り込まれるのを苦々しく思いながらも、表面上は感情を出さない。
 坂口は数騎に視線を戻した。
「そういうわけで、私の助力は君達にとって決して無益でないというわけでもない。近代兵器というのはなかなか優れたものでね。先ほど君達を助けたようにも扱えるというわけだ」
「一つだけ聞きたい」
 数騎は慎重に、坂口の真意を測るために言葉を選んだ。
「あんたは本当にこの町を守りたいだけなのか? 表の世界の人間を守りたいだけなのか? こう言って気分を悪くさせるのは本意じゃないけど、聞かせてもらう。あんたはどうも、そういう事を気にするような人間じゃない気がする」
 失礼な発言だった。
 しかし、どうもそう思えるのだ。
 目の前の人間は有象無象を気にするような人間ではない。
 どこか脳の中にある数騎の知らない知識が、目の前の男を博愛精神の持ち主とは捉えてはいけないと警鐘をならしていた。
 数騎の質問がよほど的を得たものだったのか、坂口は表情を失った後、大きく顔を歪めて笑みを浮かべた。
「わかるのか?」
 声色が変わる。
 今まで本性を隠していたのだろう。
 空気の感じが、生ぬるく、そして重くなった。
 数騎は放たれるプレッシャーに押し負けぬよう、力強く返答する。
「わかる、なんとなくだけど」
「君はなかなかすばらしい観察眼を持っている。そうだとも、確かに私は魔術結社に所属している傭兵だが、一般人たちのことなどどうでもいいと思っている。それは確かだな」
「じゃあ、何であんたはこの町を守ろうとするんだ? 魔術結社って組織の命令だからか?」
「違うな」
 首を横に振り、坂口は天井を見上げた。
 しばらく押し黙り、天井を見つめ続けた後、坂口は数騎に視線を戻した。
「墓だ」
「墓?」
「この町には墓がある」
 坂口はコーヒーを少しだけ飲み、続けた。
「この町には……妻の墓がある」
「あっ」
 数騎は思わず声を漏らしていた。
 そんな数騎に構わず、坂口は言った。
「妻の墓がある。三年前に死んだ、死に目に会ってやれなかった妻の墓がな。生きてる時には苦労をかけたが、今は安らかに眠っている。退魔皇たちの戦いで、その眠りを妨げるような真似はしたくない」
 それは今度こそ真実だった。
 一片の欺瞞もなく放たれたその言葉に、数騎は疑問をはさむ余地がなかった。
 お互いに押し黙る数騎と坂口。
 数十秒無言でいた二人だったが、数騎が口を開いた。
「わかった、あんたを信じるよ」
「じゃあ?」
「あんたと組む、オレはなるべく鏡内界で奴らとの戦いに決着をつけられるように頑張るから……あんたもできるだけオレの援護をしてくれ。まぁ、あんまり期待してないけど」
「それはひどい言い草だな」
「仕方ないだろ、相手は退魔皇であんたは退魔皇じゃない。必然的に戦力は見劣りする。でも、何かあんたからはその……戦いなれた人間の空気がするような気がするんだ。だから、あんたは真正面から戦えなくても後ろから的確に援護してくれる気がする、違うか?」
「わかるのか?」
「なんとなくだけど」
 その言葉に、坂口は嬉しそうに微笑んだ。
「君の勘はなかなか鋭いな。そうだとも、フランス外人部隊において、対異能者戦闘を主任務とする異層空間殺しを集めた対異能者大隊所属の分隊で、私は軍曹を二十年間勤めた。対異能者戦闘なら一日の長がある」
「二十年? 長いな」
「まぁ、無駄に齢を喰ってるわけじゃないからな」
 そう言うと、坂口はアタッシュケースを持ち上げ、膝の上に置いた。
「とりあえずこれで交渉は成立だ。君は町に被害を出さずに戦い、私は君を援護する。戦いの時はすぐに駆けつけて君達を援護すると約束しよう」
「一緒に行動しないのか?」
「しない、私のように正面戦力としてつかない人間は伏撃に使うのが一番だ。君と行動していると私の存在を隠蔽できない。近代戦の基本は隠れる事だ。敵に見つからなければ攻撃されないし、一方的な奇襲もできる。わかるかい?」
「まぁ、なんとなく」
 そう答えた数騎に対し、坂口はイスから立ち上がって告げた。
「わかればいい、戦いが始まったらすぐに君を助けに行く。それまで死なないでくれ」
「当然だ」
「ならいい」
 アタッシュケースを手に坂口は席から離れようとする。
 が、足を止め、坂口は再び席に戻ってきた。
 座らず、数騎を見下ろしながら口を開く。
「伝え忘れたことがあった。今、一番厄介な敵は魔伏の退魔皇だろうが、双蛇の退魔皇にも気をつけたほうがいい」
「杖の退魔皇剣のことか?」
「あぁ、やつは死人を蘇らせ使役する。この町には異能者が眠る墓が多くてな、今回の戦場は双蛇の退魔皇にとってかなり有利な空間だ。蘇らせられて厄介な異能者は多いが、中でも二人の柴崎司には注意するといい」
「二人?」
「そう、二人だ」
「えっと、柴崎司って、確かランページ・ファントムって精鋭部隊に所属した凄腕の賞金稼ぎのことだろ。でも……二人?」
「柴崎司は二人いるんだ、どちらもランページ・ファントムに所属した賞金稼ぎだ。一人は女の柴崎司、精鋭部隊のランページ・ファントムにあって最強の異能者として恐れられた仮面使いだ」
「仮面使い?」
「一度でも見た他人の能力を仮面に書き写し、その仮面を被ることで他者の能力を行使する連中の事だ。この能力のために仮面使いは非常に幅広い戦術を持つことになる。もし、これを敵に回した場合、退魔皇でも苦戦するだろう。何しろ必ず弱点を突いてくるわけだからな。弱点を突けば力量の差をカバーできる。仮面使いに狙われるというのはそういうことだ。実力差を確実に埋めてくるから能力的に優越していても安心できない」
「なるほど、厄介だな」
「わかってもらえれば嬉しい。でだ、さっきも言った通りこの町には戦死した異能者を葬る墓が存在している。そして、二人目の柴崎司はそこに眠っている」
「さっき女の柴崎司って言ってたけど、もう一人は男なのか?」
「そう、男だな。男の方も仮面使い、そして名前も同じ柴崎司だ」
 言われて数騎は気付いた。
 確かに司という名前は男と女どちらにもつけられる名前だ。
 でも、苗字まで同じってことは。
「その二人の柴崎司って、家族なのか?」
「違うな、血は繋がっていないらしい。というか、男の柴崎司は正確には柴崎司ではない」
「どういうことだよ?」
「男の方の仮面使いは女の仮面使いの弟子だったんだろうな、戦術から何から全て同じだったらしい。十数年前に何か事件が起こって女の仮面使いが死んだ。そして、男の仮面使いはその武装と名前を継承し、新たなる仮面使いとして裏の世界で暴れ始めたわけだ」
「それが、男の柴崎司?」
「そう、だがそいつも二年前に死んだそうだ」
「二年前……」
 反芻する数騎。
 そんな数騎に坂口は続けた。
「そう、二年前にこの町で魔術師クロウ・カードが反乱を起した。全ての退魔皇剣を開放する鍵である界裂をこの町に解き放とうとしてな。結局、反乱は柴崎司率いるランページ・ファントムによって鎮圧されたがランページ・ファントムは全滅。儀式は半ば成功し、界裂が二年後の今開放され、全ての退魔皇剣が美坂町に集ったわけだ」
「確かに、そういう話だったな」
 坂口の言った言葉。
 そしてジェ・ルージュの言った言葉。
 それを組み合わせて考え、数騎はある共通点に気がついた。
「二年前?」
「二年前だが?」
 数騎の言葉が何を意味するのかわからず、坂口は疑問を疑問で返した。
 二年前、と言う言葉が妙に頭に引っかかる。
 数騎は坂口の言葉を無視して考え続けたが、坂口が痺れをきらした。
「さて、用事がないなら私は帰るよ。そうだ、連絡先を教えておこう」
 そう言って、坂口は数騎に名刺を手渡した。
 そこにはメールアドレスと電話番号が記されていた。
「では、何かあったらそこに連絡してくれ。それでは、失礼する」
 そう言うと、今度こそ坂口は喫茶店から出て行ってしまった。
 残された数騎とエアはお互いに顔を見つめ合う。
「数騎さん、あの男はどう思いますか?」
「信用できないと思うか?」
「思います、どうも胡散臭い男です」
「でも、さっきの言葉に嘘はなかったと思う」
 そう、妻の墓を守りたいという言葉に嘘はなかった。
「何かたくらんでいるかもしれないし悪意はあるかも知れないけど、あのオッサンの奥さんに対する愛は本物だと思う。そんな信用できそうなオッサンじゃなかったけど、それだけは本当だよ」
「まぁ、それは否定しませんが。どちらにしろ用心するに越した事はありません」
「確かにな、それにしてもオレの周りには変なのばっか近づいてくる気がするよ。ジェ・ルージュにあのオッサン。男にばっかモテてる気がする」
「数騎さんも奇妙な星の下に生まれたものですね」
 そう言ってエアは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
 数騎は何を答えるでもなく、疲れたように笑ってみせたあと、まだ残っているレモンティーに口をつけた。
 それから二人はしばらくの間たわいのない話をしながら紅茶片手に談笑することにした。
 二人が帰宅できたのは、随分と遅い時間になってからのことであった。







 暗い部屋。
 窓一つなく、蝋燭の明かりだけで照らされるその小さな部屋でイザナギは本を読んでいた。
 イスの背もたれに体重を預けながらイザナギは読書をするのが好きだった。
 ハードカバーの分厚い本。
 ゆっくりと味わうように本を読む。
 しかし、時折意識が本から離れる時があった。
 思い出す、それは過去の出来事。
 イザナギは、日本人からは神と呼ばれる存在であった。
 その実態は魔皇であり、驚異的な力を持ちながら退魔皇によって滅ぼされた。
 存在確率の変動によって日本を作り出した天沼矛を振るうこの魔皇には愛する女性がいた。
 それが彼の妻、イザナミだった。
 イザナミはイザナギとの間に多くの子供を作ったが、最後の子供が炎を操る力をもちながら制御できなかったため、イザナミは陰部に火傷を負い、それが元で死亡した。
 イザナギのイザナミに対する愛は恐ろしいほどまでに深かった。
 会いたい。
 もう一度、彼女に会いたい。
 その思いだけが募った。
 もちろん、存在確率をいじることで彼女を取り戻す事はできた。
 しかし、それは複製であって本物のイザナミではない。
 イザナギは、真実のイザナミに会いたかった。
 そもそも、日本と言う島を作り出したのはイザナミと供にあるためだ。
 ただ彼女と暮らし、彼女と子供を作り、そして死ぬまで供にあれれば。
 それだけで、イザナギは十分幸せだった。
 しかし、イザナミが森羅万象の神々を生み出す聖女であったために、カグツチが生まれ、その炎でイザナミは死亡する。
 イザナミを失い怒り狂ったイザナギは自らの子供であるカグツチを叩き殺す。
 この時から、彼の狂気は始まっていたのだろう。
 ただイザナミに会いたくて、彼は狂ったようにイザナミに会うことを求めた。
 そして、ついに見つけたのだった。
 それは黄泉の国へと行く事だ。
 彼は黄泉の国に向かい、イザナミと再会した。
 しかし、そこで出逢ったイザナミは全く別の存在になっていた。
 腐敗し、蛆にたかられたその姿。
 イザナミは未だに生命を持つイザナギを死者の仲間入りさせるために、イザナギに襲い掛かる。
 そして、イザナギは逃げ出し、イザナミと離縁した。
 後に穢れを落とすために禊を行うが、彼の心にくすぶった狂気を清められることはなかった。
 狂いし神は人々を絶望の淵に落としいれ、そして最後は退魔皇によって滅ぼされ、八岐大蛇の首の一つにされてしまった。
 そもそも、イザナギの力は八岐大蛇から零れ落ちたものであり、その力が回収されたと言った方が正しいか。
 このように八岐大蛇に回収された退魔皇は多く、刀以外の退魔皇はもともと神が持っていた力を、神の意思に反して持って生まれたか手にしてしまった者たちが、はじまりの退魔皇である界裂の退魔皇によって封じられ、全てが融合し八岐大蛇として生命を持つに至った。
 イザナギは狂ってはいたが、端から見るととても狂人とは思えなかった。
 服を着こなすセンスは素晴らしく、喋り方も流暢で、どこにも欠陥のない紳士な中年のように見える。
 しかし、違うのだ。
 彼の心には妻を愛するが故に、生まれたばかりの息子を叩き殺した狂気があり、そして愛する妻の変貌した姿を見た時に生まれた絶望がある。
 このため、彼の趣味趣向は常軌を逸するものとなった。
 ただ、端からはそれがわからないからたちが悪い。
 そして、今イザナギのすぐ側で起こっている出来事も、イザナギにとっては不快どころか、むしろ心地よくさえあった。
 その小さな部屋にはベッドがあった。
 ベッドは大きく、ダブルベッドと呼ばれるものだった。
 そのベッドの上には二人の男女。
 股を広げて背中をベッドに預ける女性に、男が覆いかぶさっている。
 軋むスプリング、聞こえてくる荒い呼吸。
 しかし、奇妙だった。
 聞こえてくるのは男の声だけであり、女性の声は何も聞こえてこない。
 ベッドの軋みが大きくなる。
 激しい動きのためにベッドが揺れ、終わりが近いことがわかる。
 そして、男が果てた。
 男は息を荒くしながら行為を終え、女から体を離すと、全裸のままイザナギに近づいてきた。
「よくこんなところで本が読めますね」
「君の家ではここが一番和むのだ」
 本に栞を挟みながらイザナギが顔を上げる。
 そこには、たくましい筋肉を体に張り付かせた陣内の姿があった。
 そう、この部屋は陣内のマンションの一室だったのだ。
「あなたもいい趣味をしています、人のプレイを見て楽しむなんて相当な変態さんだ」
「人の事は言えないと思うが」
「これは失敬」
 苦笑まじりに言う陣内。
 そんな陣内の体を、イザナギは遠慮の無い視線で眺め回した。
「皇技の代償に筋肉を失ったはずなのですが、妙に筋肉質だな」
「それは当然です、私は魔術師の孫ですので。爺さんは何も教えてくれませんでしたが、あの人の書斎にあった本を読んだりしていたので筋肉増強剤くらいは作れます。ただ、性欲が強くなる副作用があってあまり使いたくは無かったんですが」
「それなら後二度くらい皇技を使っても大丈夫かな?」
「冗談を、あと一度が限界です」
「確かに、それ以上使うと増強剤でも戦闘可能なレベルの筋肉を維持できなくなるだろうからな」
 納得したように頷いてみせるイザナギ。
 そんなイザナギに、陣内はベッドを指差して見せた。
「そろそろあれも臭くなってきました、消してもらますか?」
「消していいのか? この間は消すなと言われたが」
「構いません、この間の彼女は新鮮でしたが、こっちは傷みものです。痛んだ生ゴミは捨てないと」
「なるほど」
 そう言ってイザナギは立ち上がる。
 その手には天沼矛が握り締められていた。
「じゃあ、私はシャワーを浴びてきますから出てくるまでに頼みます。それにしてもあなたが来てから本当に助かっています。今までは処理に一苦労だったんです。隠滅は難しい」
「そうか、とりあえず早くシャワーを浴びてくるといい。出てきたら一緒にワインでもどうかな?」
「それはありがたい、チーズも用意しておいてください」
 そう言うと、陣内は扉を開け、その暗い部屋から出て行った。
 イザナギは彼の背中を見送ると、ベッドの上に眠り続ける女性に目を向けた。
 わずかに異臭を漂わせるその全裸の女性。
 その女性は身じろぎすることもなく、声を出す事もなく、呼吸をすることもない。
 その女性は、四日前にその生命を終えていたからだ。
 陰部には男の欲望の痕跡。
 そう、この女性は死して汚されたのだ。
 ちなみに、生きている間は陣内は一度も手を出さなかったとか言っていた。
 狂人には狂人、実にいい契約者だ。
 そんな事を考えながら、イザナギは女性の腹部に矛を突き刺す。
 矛の切っ先が肉に食い込んでいくのと同時に、黒く濁った血が流れ出る。
 内臓をも突き刺し、矛の切っ先が全て女性の肉体に埋まった瞬間、術式が発動した。
 女性はまるでそこにいなかったかのように、その姿を一瞬にして消し去ってしまった。
 矛の能力によって、存在確率に干渉し、その存在確率をゼロにまで引き下げたのだ。
 部屋の掃除を終え、シャワーから出てきた陣内がすぐに楽しめるようにワインをチーズを用意すべく部屋から出るイザナギ。
 その瞳には良心の呵責も、ましてや死んだ肉体を汚され、存在そのものを消滅させられた女性に対する申し訳なさなど一欠けらも持ち合わせない。
 やはり、イザナギは狂っていた。







 その夜、木製の扉が開かれた。
 あまりにも古びたアパートのその扉は、開くだけでいやな悲鳴をあげる。
 別に扉に限った話ではない。
 この二階に上がってくるまでの階段も足を乗せるだけでギシギシと呻きをあげるし、たまに雨が部屋に入ってくることもある。
 築何十年と言っていたか。
 まぁ、思い出す気もなければ思い出したくもない。
 とりあえず、入ってきて温かかったのはありがたい。
 外の寒さは凍てつくようで、本当に寒かったからだ。
 扉を閉め、その部屋に入ったのは女性だった。
 二年ほど前からその女性はここ、路地裏にひっそりと建てられたほとんど日のあたらないアパートに住んでいた。
 女性の稼ぎならもっといい場所で暮らすこともできる。
 しかし、女性はその部屋が気に入っていた。
 左手の怪我に顔をしかめながら黒装束を翻し、部屋の奥に向かう女性。
 彼女は滅神の退魔皇。
 いや、元・滅神の退魔皇と言うべきか。
 仮面を砕かれ左腕を撃ち抜かれた彼女はもはや退魔皇ではなかった。
 エアコンの効いた温かい部屋で、黒装束の女性は電気をつけた。
 光をともす蛍光灯。
 電気をつけると、シミやら汚れやらが壁や床に染み付いているのがわかる。
 しかし、掃除は行き届き、その部屋には埃一つなかった。
 汚いけど小奇麗な部屋。
 まるで自分のようだなと女性は自嘲する。
 と、左腕に再び痛みが走った。
 女性は黒装束の上の部分を脱ぎ捨て、上半身裸になると、部屋の隅にある等身大の鏡の前まで移動した。
 鏡の裏にしまってあった救急箱を無事な右手で取り出すと、早速アルコールをかけて傷口の消毒を始めた。
「くっ」
 苦痛に声を漏らす。
 大きな声を出さなかったことに内心安心しつつ、女性は治療を続けた。
 一通りの消毒を終えた後、女性は糸で傷口を縫い始めた。
 幸いな事に銃弾は貫通していたが、傷口をそのまま放置するわけにはいかなかったからだ。
 自分で治療するとなると麻酔を使うわけにはいかない。
 女性はタオルをマウスピース代わりにし、痛みを堪えながら傷口を縫い続けた。
 針で自分の肉を貫通する時の痛み、そして糸が肉をこすりながら移動していく感覚。
 体験したことのない人間にはわからないであろうその激痛を、女性は小さな声を漏らすだけで耐え抜いた。
 糸で縫い合わされた傷口を見つめながら、女性はふと思った。
 酒を飲んでおけば少しは痛みが軽減できただろうか。
 とっさに首を横に振る。
 いや、酔ってやった場合は痛みは軽減できるかもしれないが縫い間違える危険性があった。
 やはり自分は正しかったのだ。
 と、女性はテーブルの上にある物体に気付いた。
 ノートパソコン。
 情報を集めるのに便利なものだ。
 腕の怪我は戦いにおいては大きな障害となる。
 戦いはまだ終わっておらず、翌日にも戦いに馳せ参じようと思うならば傷の治療は自然治癒ではなく魔術に頼るべきだ。
 この町にも魔術結社からはぐれたモグリの魔術医師がいるはずだ。
 病気は無理だが怪我を治すことに関してあの術者たちは非常に重宝する。
 早速ノートパソコンを起動しようとして女性は気付いた。
 なぜ忘れていたのだろう。
 開いて起動ボタンを押したノートパソコンをそのままにし、女性はこの貸し部屋にあるもう一つの部屋に向かった。
 電気の消えた部屋。
 オモチャで囲まれたその部屋の中央には、ベビーベッドがあった。
 木の柵で囲まれたそのベッドの中には、すやすやと眠る赤ん坊の姿があった。
 年齢は一年四ヶ月ほど、体はまだ小さく、誰かの庇護下になければ生きていけない年齢だった。
 すやすやと眠るその赤ん坊の頭を、女性は優しく撫でる。
「よく寝てるわね」
 嬉しそうに微笑む女性。
 規則正しく寝息を立てる赤ん坊に、女性はさらに続けた。
「待っててね、もうすぐ復讐は果たせるから」
 静かに眠り何も答えない赤ん坊の寝顔を慈しむように見つめた後、女性はゆっくりとベビーベッドから離れノートパソコンのある部屋に戻った。
 まずは医者探し、戦いはその後だ。
 金ならある。
 法外な値段を吹っかけられてでも何とか今日中に治してもらわなければ。
 下手をすると傷口から入った菌のせいで熱が出る可能性だってあるし、実を言うとすでに熱っぽい。
 休養を求める脳の信号を無視し、女性は無事な右手の指だけでパソコンのキーを叩く。
 彼女の求める医者の居場所がわかったのは、それから三十分後のことだった。 







 双蛇の退魔皇、イライジャは長いすの上に寝転がっていた。
 場所は教会、見上げればステンドグラス。
 磔にされた救世主の像を前にして、イライジャはふてぶてしいまでにリラックスしていた。
 美坂町のはずれには山があり、その頂上には教会がある。
 時刻は正午くらいだろうか、外から差し込む光がステンドグラスでできた窓を介して様々な色の光で教会内を照らしている。
「ゾンビが正午に蠢いてるってのは何かおかしな気がするな」
 イライジャは側に立つ人物に向けてそう言葉を送った。
 戦いの時とは違い、イライジャの顔には仮面がつけられていない。
 さすがにあんな邪魔なものをつけたまま日常生活を送る気にはなれないからだ。
 そんなイライジャに質問を受けたその人物は、逆に仮面をかぶっていた。
 白い仮面に黒い外套。
 しかし、仮面の奥から答えが返ってくることはなかった。
「お前、喋らないのか? 黙ってるとストレス溜まるぞ」
 イライジャはそう柴崎に笑いかけた。
 柴崎はしばらく考えた後、自分のかぶっている白い仮面を指ではじいた。
 瞬間、柴崎がその体内に保有していた輝光が霧散するように消失した。
 それと同時に柴崎の側に腰の曲がった白髪の老人が現れた。
 おとぎ話の森の中に住んでいそうなボロボロのローブを身にまとう老人。
 老人はわずかに笑みを浮かべながら口を開いた。
「仮面使いに喋らせてもよかったのだがね、ワシから話があったので黙らせてもらったのだよ」
 老人は柴崎を見つめながらそう言った。
 基本的に双蛇によって蘇らせられた人間は言葉を語らない。
 双蛇の退魔皇の従順なる下僕であるために自意識をもたないからだ。
 例外としてイライジャの目の前の老人、カドゥケウスと魔装合体した蘇生者だけは自意識を取り戻し、会話をすることができる。
 しかし、その場合はカドゥケウスは会話をすることができないため、カドゥケウスが何か言いたい場合は魔装合体を解除する必要がある。
 わざわざ魔装合体を解除したカドゥケウスを見て、イライジャが口を開いた。
「で、私に話とは何かね?」
 聞くイライジャに、カドゥケウスは皺だらけの顔を近づけた。
「なぜワシと魔装合体しないのだ?」
 わずかに怒りを含んだ言葉。
 そんなカドゥケウスに、イライジャはため息をついた。
「なんだ、またか。そんなに私と魔装合体したいのか?」
「当然だとも、魔装合体とは契約者とするものだ。こんな腐れ果てたのを再利用したゾンビなどと合体させられたのでは溜まったものではない」
 言って後ろに立つ柴崎を指差した。
 だが、何を言われても柴崎は動じない。
 蘇生し、操られているだけの人形であるために思考力さえないのだ。
 動じるはずがないのである。
 怒って咆えるカドゥケウスに、イライジャは言った。
「ゾンビとは失礼な、コレは蘇生した人間だよ。別にゾンビと言っても死体を動かしているわけでも無し。似たようなもんだが。あと、何度も言わせないでくれよ。これは戦略だと何度も言っているだろう」
「戦略?」
「そう、確かに私と君が魔装合体すれば私の能力は一介の魔術師から魔皇並みの戦闘能力の持ち主へと昇華するだろう。しかし、その能力は大きな戦力だ。後ろで待機させておくには惜しい。この戦いの総司令官は私、そして私が蘇らせた異能者たちが兵だ。兵を壁にし総司令官は常に指示を与えられえる位置に。そうしなければ戦争は成り立たない」
「この戦いは戦争ではない」
「どう違う? 核の威力を持つ剣がすでに振るわれた後だぞ。これは間違いなく戦争だ。そして私には千人の部下、それを操り勝利を目指すのは当然の作戦だ」
「確かに普通に死ぬ指揮官は後ろにいるべきかもしれない、それには一理ある。しかし、しかしだ。ワシは杖の退魔皇剣、そしてお前は双蛇の退魔皇だ。お前には滅神以外の退魔皇には滅ぼされない最強の蘇生能力がある。その蘇生能力を戦闘にいかすべきだ。蘇生能力を持った魔皇に迫られれば退魔皇と言えども苦戦は免れない。違うか?」
「違わないかもしれないが、しかしもし弓の退魔皇に私がやられればどうなる? その時点で敗北ではないか」
「その時は私とお前が消滅するだけだ、命を賭けた戦いのあとに敗れて死ぬなら本望だろう?」
 問うカドゥケウスにイライジャは苦い顔をした。
「そうかもしれないが、それでもやはり私の敗退は避けなければならない。戦力不足は補える、そのために敵に対する対応力においては他の異能者たちをはるかに凌ぐ柴崎司とお前を魔装合体させているのではないか」
「たしかにそれで柴崎司は魔皇になる、しかし不死身なのはお前だけなのだ。不死身と魔皇、この二つは同一であってはじめて意味がある。違うのか?」
「……お前の意見は確かにそうかもしれないが、やはり指揮こそが大切だと思う。私が指示しなければあの死者たちは効率よく動かない」
「しかし!」
「言うな、主人は私だ。仮面を砕かれたいのか?」
「……くぅ」
 悔しそうに歯軋りするカドゥケウス。
 そう、カドゥケウスはすでにイライジャと仮面契約を交わしていた。
 退魔皇剣の精霊はよほど信頼できる相手でないかぎり仮面契約を交わしてはいけない。
 理由は簡単だ、退魔皇の仮面とは彼らの命綱であり、退魔皇はその仮面を所持している。
 カドゥケウスの持つ退魔皇の仮面は敵に砕かれても問題はないが、契約者に砕かれる場合は違う意味を持つ。
 それは契約の破棄を意味し、通常の方法で破壊された時同様に仮面が蘇ることはない。
 つまり命を握られているに等しい。
 カドゥケウスがイライジャに逆らう事は、そのまま死を意味しているのであった。
「心配するな、私が指揮する死者の軍団はかならずやその数の暴力をいかして他の退魔皇を撃ち滅ぼすだろう、私に敗北はない。そして、お前が私を守る限り私は無敵だ」
「………………」
 カドゥケウスは黙り、自分を言い負かして得意げな顔をしているイライジャを見つめていた。
 イライジャは保身ばかり考えていた。
 いくら不死身とはいえ、界裂の皇技や滅神の攻撃を受けては双蛇の退魔皇と言えども死は免れない。
 だからこそ、イライジャは前線で戦わない。
 代わりに魔装合体させた柴崎司を代用とする。
 そしてその代用品が滅神や界裂によって打ち倒されたら、仮面を砕いて戦いから逃げ出す気だろう。
 カドゥケウスはそう考えていた。
 八岐大蛇の退魔皇になるチャンスに賭けてみたい、しかし自分の危険は最小限に。
 それがイライジャの考えだと、カドゥケウスは確信していた。
 こんな若造と手を結んだのが悔しかった。
 こんな臆病者ではなく、自分と魔装合体し、供に最前線で戦ってくれる人間が契約者ならどれほど心癒され、そして敗北する時もどれほど後悔なく消滅できることか。
 カドゥケウスは、人選を誤ったことを激しく後悔していた。
 そんなカドゥケウスにイライジャが言う。
「安心しろ、私はかならずこの戦いに勝つ。そして八岐大蛇の退魔皇となり、この地球の王となる。お前は宰相だ、ともにこの世界を治める者となろうではないか!」
 そう言うなり、イライジャは大きな声を出して笑い出す。
 それを見つめ、カドゥケウスは憎悪をかみ殺しながら歯軋りしていた。
 しかし、彼に逆らう事はできない。
 恐ろしいまでのジレンマ。
 それに苛まれながら、カドゥケウスは今夜行われる戦いが始まるまでこんな男を契約者に選んだ自分に自己嫌悪し続けるのであった。







「おい」
 さすがに露骨に嫌悪感を声に出す。
 アーデルハイトが作ってくれた夕食を食べ、自分達の部屋に戻ってきた数騎とエア。
 その二人を出迎えたのは、恒例のあの男だった。
「寒いから早く扉を閉めてくれ。せっかくエアコンをつけて暖めておいたというのに」
 眉をひそめて数騎たちに文句を言うジェ・ルージュ。
 相変わらずコタツに足を突っ込んで悠々としていらっしゃる。
 しかもそれだけではない。
 何を考えているのか、コタツの上には将棋盤が置かれ、ジェ・ルージュはまったりと将棋をしていた。
 ちなみに、対戦相手は黒猫、燕雀だった。
 器用に足で駒を動かしている。
 そんな二人を見下ろすように、具足姿の天狗が腕を組んで立っていた。
「お前ら、ここが誰の家だと思ってるんだ?」
「お前の家だろう? もっとも、私達の拠点でもあるがね。王手!」
 言いながらジェ・ルージュは角を移動させ王手をかけた。
 が、燕雀はあっさりと進行方向に歩を打ち角の進路を塞ぐ。
 ジェ・ルージュはアゴに手を当てて次の一手を考え始めた。
「おい、将棋なんかしてるなよ。用があって来たんだろ?」
 数騎は文句を言いながら後ろ手で扉を閉める。
 靴を脱ぎ、エアと一緒にコタツに座るジェ・ルージュの前に立った。
「で、何の用だ?」
「ちょっと待ってろ……ここだ!」
 ジェ・ルージュは燕雀の歩の前に歩を進めた。
 ジェ・ルージュの歩を取ろうと取るまいと、防御網を突破する魂胆。
 まさに二段構えの作戦だった。
 しかし、
「王手」
 燕雀がさりげない声で言った。
 ジェ・ルージュはギョっとして燕雀が指したその手を見る。
 持ち駒から打ち込まれたのは桂馬だった。
 なんとステキに王手金取りというやつだ。
「くっ」
 桂馬の王手は王を逃がす以外、桂馬を取るしかに活路がない。
 が、桂馬を倒せる駒がないために、ジェ・ルージュは仕方なしに王を左下に逃がす。
「王手」
 さらに燕雀は銀を張ることで王手をかけた。
 後ろは自駒のせいで退路がない。
 ジェ・ルージュは起死回生、銀の弱点である横に王を移動させる。
「王手」
 さらに槍の一突き、香車を持って燕雀が王手をかける。
 ジェ・ルージュは王の前に歩を置いて防壁にするも、
「王手」
 移動してきた角によってさらなる王手をかけられる。
 こうなると進退窮まった。
 ジェ・ルージュは王を逃がすが、桂馬、歩、そして金将を張られたために完全に逃げ場を失った。
「あー、負けた……」
 ジェ・ルージュはガックリと肩を落とす。
 駒の片づけを燕雀に任せると、ジェ・ルージュは数騎たちの方を向き直る。
「待たせたな、さて今日は用事があって来させたいただいた」
「用事?」
「まぁコタツにでも入りたまえ、寒いだろ」
 そう言ってジェ・ルージュは自分の右の方を手で示す。
 数騎はそこに入り、やはりエアはその後ろで両腕を組んで立っていた。
「で、用事ってなんだよ」
「そうだな、これからの作戦会議といったところだ。そこまで緊張することはない」
 そう前置きをして、ジェ・ルージュは続けた。
「とりあえず今の状況を整理しておこう。存在した九人の退魔皇の数もようやく七人に減った。他の退魔皇剣を取り込んだ退魔皇はお前と魔伏の退魔皇。残りの連中は大同小異、いや戮神の退魔皇だけ弱かったか。まぁ、そんなところだろうな」
「怖いのは鏡、魔伏の退魔皇か」
 数騎が思わず口にする。
 それを受け、ジェ・ルージュが口元に笑みを作る。
「そうだな、たしかに鏡の退魔皇は怖い。だが、お前はその怖さを本当に理解しているか?」
「理解しているかって?」
「そうとも、魔伏の退魔皇はただ退魔皇剣を二振り所持しているだけではない。鏡と弓を所持しているのだ、この意味がわかるか?」
 数騎は少々思案してみたが特に思い当たる節はない。
 意見をもらおうと後ろを振り返ってエアの顔を見上げると、エアは厳しい顔をしていた。
「おや、エア君はわかっているようだが。無学な君にも説明しておいてあげよう。魔伏の退魔皇はただ二振りの魔剣を所持しているだけではない。攻撃系と防御系の魔剣、二つを所持しているのだ。この違いは大きい」
「どういうことだ?」
 問う数騎。
 ジェ・ルージュは数騎が一字一句聞き逃さないように、ゆっくりと聞かせるように続けた。
「そもそも八岐大蛇とは九振りの退魔皇剣を所持してこそ完璧な存在だ、そして九振りの退魔皇剣は器用貧乏になるような力はもたず、それぞれが究極の一を持つ単一機能に特化した魔剣だ。絶対乖離、無限熱量、絶対防御、不老不死、どれをとっても究極、そしてそれが合わさる事によって相対的に八岐大蛇はただ一つの弱点を除いて無敵だった」
「ただ一つの弱点?」
「龍殺しの刀剣さ、具体的に言うとスサノオノミコトが八岐大蛇を討伐するのに用いた魔剣だ、まぁそれはどうでもいい。肝心なのは退魔皇剣がそれぞれの能力に特化する事によって八岐大蛇を無敵にしていたという事実だ。しかし、今現状この九振りがバラけている。つまり……」
「退魔皇たちはある一点では神にも近い能力をもちながら、別の点においてはそこらの異能者に劣ることもあるということです」
 エアがジェ・ルージュの言葉を継いだ。
「私達で言うなら攻撃という面においては無敵の性能をもっていますが、防御においてはバランスが悪いとでも言えばいいでしょうか。界裂自体は攻守において最強の性能を持っているのはおわかりですよね?」
「あぁ、わかる」
 言って数騎は思い出していた。
 攻撃において界裂を超える存在はなく、防御においては敵の攻撃そのものの持つ世界に対する影響力、というか世界との接点を切り離し、別世界の存在にさせることによってあらゆる敵の攻撃を消滅させることができる。
 はっきり言って無敵だ。
 しかし、これは皇技の能力でありその代償として寿命を要求されるあまりにも危険の大きな一撃。
 乱打することはできない。
「数騎さんもお分かりな通り、最強の性能を持つ私はその力の行使を制限された状態にあります。本来、皇技の使用に伴うダメージを無効化するのは杖の退魔皇剣の仕事でした。八岐大蛇は全ての退魔皇剣を所有する。そのため、私の持つデメリットは存在しないものとして扱われていましたが……」
「今はそのデメリットがあまりにも大きいと」
「そういうわけです」
 悲しそうに顔を伏せるエア。
 会話を交わす二人に、ジェ・ルージュが声をかけた。
「界裂は元々攻撃系の魔剣だ、防御に使えるからといって防御に使うのは本来の使用法からはずれる。そのうえ、代償は大きなデメリットとなる。逆に、鏡の退魔皇剣は本来が防御に特化する魔剣だ。むしろ、攻撃に転用するときだけ代償を生じる」
「確か、迎撃した敵の攻撃を自分の武器として使う能力だっけ?」
「ほぅ、エア君の授業を覚えていたか。その通りだ、魔伏の退魔皇は敵の攻撃を鏡の中に吸収し、好きな時に解き放てる。代償は内臓だったか、まぁいい。とりあえず重要なのは鏡の退魔皇の絶対防御は退技であり代償の必要がなく、攻撃には代償が必要ということを覚えておくといい」
「わかった」
「よろしい、では続きだ。ある一部の退魔皇剣の皇技以外には無敵の退魔皇剣を持つこの退魔皇が攻撃系の退魔皇剣を手に入れた。この意味はわかるか?」
「……あっ」
「わかったか、つまり奴は絶対防御を持ちながら強力な威力の打撃を代償無しで連打する資格を得たのだ。確かにお前は極炎と界裂、攻撃力において圧倒的な二振りを得た。どちらの退技も非常に優れ、どちらの皇技も無敵に近い。しかしだ、お前には圧倒的に敵の打撃に対する防御力に欠如する」
「防御力……」
「そう、防御力だ。戦いとは長所と長所のぶつけ合いではなく、いかにして敵の短所を突くかの戦いだ。全ての要素を鎖として円を作り引っ張る。そして、一番弱い鎖がちぎれ飛ぶ。それが敗北の瞬間だ。お前は最強の二振りを手にし長所に特化したが、短所はそのまま。それに対し、敵は短所を穴埋めした。これの持つ意味は大きい」
「……キツイな」
「そりゃキツイとも。だが、勝算がないわけじゃない。戦いは短所の突きあいだ。そして、長所はそれを突く槍となる。この槍の鋭さが敵の強固な短所を貫けばあるいは」
「つまり、一か八かで戦えってか?」
「それも作戦の一つとして採用できるだろう。だが、策は幾重にも張り巡らせる事もできる」
「例えば?」
「敵に短所がなければ短所を見つけ出せばいい。現在の魔伏の退魔皇の短所は何だと思う?」
「何だ?」
「仲間がいないことだ、奴は間違いなく単独で動いている。ならばこちらは数の利をいかして戦う。敵の短所を突けば勝てるはずだ」
「つまり?」
「天狗を使え、ようやく準備が整った。それなりの活躍は出来るはずだ」
 そう言って右手の親指を自分の後ろに立つ真紅具足の天狗に向ける。
 指で指されても、天狗は微動だにしなかった。
 よく見ると、腰にさしていた刀が一振りから二振りに増えている。
「でも、魔皇だろ? 役に立つのか?」
「退魔皇と真正面からの戦いは難しいだろうが援護くらいならば出来る。そしてそれの有無が勝敗に繋がる可能性は大きい。戦いは力だけではない、ここも必要と言うわけだ」
 ジェ・ルージュは自分の頭を指で叩いて見せた。
 数騎は少々納得いかない顔だったが、ジェ・ルージュの言葉の正しさを理解していたので何も言わなかった。
「まぁ、魔伏対策はこれくらいでいいだろう。次は双蛇対策だな」
「杖の退魔皇剣か」
「前にも言ったとおり双蛇の退魔皇は人海戦術で攻めてくる。幸い、こちらには界裂があるため打破が不可能というわけではないが、どちらにしろ危険な相手だ。気をつけなくてはならないのはやつらの軍団に皇技を浪費させられる展開だ。ただでさえ代償の大きい皇技だ、他の退魔皇を確実に打ち倒せる時や、使わなければ死ぬという時以外の使用は避けるべきだな」
「人海戦術って、一体何人くらいいるんだ? この間の戦いでも結構人数がいたけど」
「あの戦いでいた人数はざっと千といったところかな。死者蘇生の代償は神経だから、あの数を動かしている間、あの退魔皇は片手が使えなくなっていただろう。全身の神経を代償にすれば最大で十万の起動は可能だろうが、戦闘はできなくなる。まぁ、今度からも千近くのザコを引き連れるのが双蛇の力だと考えておけばいい」
「なるほど」
「問題になるのはやはり柴崎司だ、もしかするとクロウ・カードも引っ張りだされているかもしれん」
「聞いたことある名前だな」
 口にする数騎。
 そんな数騎に、ジェ・ルージュはアゴに手を当てて見せた。
「二年前の大反乱、魔術師クロウ・カードの乱における反乱の首謀者だ」
「あぁ、通りで聞いたことある気がしたよ」
「クロウ・カードは魔皇剣を持つ魔皇、所持していた魔皇剣の名は『法の書』、タロットカードのアルカナを操る強力な術士だった。中でも強力な術式が『宇宙のアルカナ』を操る『無限の世界』だ」
「無限の世界?」
「奴の展開する結界の名前さ、その世界の中では信じたことが全て現実となる。ただし、信じられなかった場合はその限りではない。つまり、思い込めることなら何でも出来る絶対領域だ。弱いわけがない」
「でも、死んだんだろ?」
「あぁ、柴崎司に打破された。最も、その後に柴崎司も死亡したがね。どちらの死体もこの町に眠っている。まぁ、クロウ・カードが蘇生させられてもそこまでの脅威にはならないと思うが」
「何でだ?」
「クロウ・カードの強さの源は奴の持つ魔皇剣、法の書にある。奴の死後、私はそれを魔皇剣の精霊ごと回収した。今は私用で使わせていただいてるからそれを使用される心配はほぼない。今のクロウ・カードはたとえ蘇ったとしても、ただの魔術師に過ぎない。怖さは半減したと言っていいだろう、上等な魔術師という点では大差ないがな」
「なるほど」
「まぁ、そう言ったところか」
 数騎が納得したのを見て、ジェ・ルージュは満足そうに頷いてみせる。
「さて、では次は……」
 そこまで口にしたところで、ジェ・ルージュが目を見開く。
 その場にいる全員が、それに気付いた。
 誰よりも先にジェ・ルージュが口を開く。
「退魔皇が動いた」
「どの退魔皇だ?」
「……おそらくは魔伏、もう一人は双蛇か?」
「場所は?」
「地下だな、場所は恐らく地下鉄美坂本町駅の辺りか」
「上等だ、行くぞ!」
 コタツから立ち上がると、数騎はエアを伴って部屋を出ようとする。
「天狗は鏡内界から行かせる、この格好で現実空間を行かせるのは目立ちすぎるからな。お前達は現実空間から向かってくれ、現地で合流だ」
 後ろから投げかけられた言葉に、数騎は小さく頷いて答えた。
 今夜もまた戦いの火蓋が切って落とされる。
 次は誰が戦いから脱落していくのか。
 数騎には、とてもではないが想像がつかなかった。







「義史、退魔皇が動いたわ!」
 テレビをつけっぱなしにしたまま寝転がってイビキをかいていた村上は、その言葉で飛び上がった。
 場所は寮の自室。
 時間は午後八時。
 それを確認した後、村上はテーブルの側で腕を組んで立っているルーを見た。
「動いたのは?」
「多分、魔伏と双蛇よ。弱点である弓を手に入れて好き勝手絶頂な魔伏が双蛇に仕掛けたってところかしら」
「待てよ、一対一か!」
 村上は慌てて立ち上がる。
 そんな村上に、ルーは額に手を当てて輝光の気配を探りながら答えた。
「たぶん、今のところはね。でも何人か接近する気配も感じるけどかなり遠いわ」
「ふざけんな、それじゃ双蛇が潰されるじゃないか」
 唖然として口にする村上。
 そう、村上の危惧は他の退魔皇にとって同様の脅威だった。
 防御系の退魔皇剣に弱点は少なく、鏡は刀と槍のみ、杖は刀と弓のみを弱点とする。
 そして今、魔伏の退魔皇は滅神を所有した状態で双蛇と戦っている。
 必勝の体勢だ。
 邪魔が入らなければ確実に魔伏が勝利する。
 そして、双蛇が魔伏の手の内に転がり込めばその時点で勝負は最悪の事態に突入する。
 つまり、魔伏と界裂以外に勝者が現れないという状況だ。
 界裂が退魔皇剣の中で最強とされている理由は、いかなる敵をも無条件で切り飛ばせるという絶対切断の一撃を持つ故だ。
 霊的、概念的な切断も可能なために不死殺しの魔剣でも殺せない不死の異能者を、不死という概念を異能者から切り離すことによって殺せる存在にする。
 あらゆる攻撃を遮断する結界を異能者から切り離すことで防御を突破するなど、正直言って壊れた性能を持っている。
 その代わりに代償がとんでもないことになっているのではあるが。
「須藤が優勝するのはともかく、他の連中に優勝されたらこの世界がどうなるかわからない。何より、ルーが消えちまう」
 そう口にして、村上はルーの顔を正面から見つめた。
「行くぞ、ルー。オレたちが勝つには双蛇を守り魔伏を討つ以外に道がない」
「覚悟は出来てるのね?」
「当然さ、オレはお前と戦うって決めたんだ」
 そう口にし、村上はテーブルの上に置きっぱなしにしていた仮面を手にする。
「さぁ、行こう」
 そして、村上は仮面をかぶった。
 輝光の奔流が部屋を駆け巡る。
 その時に巻き起こった旋風で、比較的軽めな家具が様々な方向に飛び散ってしまった。
 後で二人で片付けしないとな。
 そんな事を考えながら、村上は戦場に向かうべく部屋に立掛けてあった全身鏡に飛び込んだ。







「くそっ! なんて様だ!」
 数騎は苛立っていた。
 エアを後ろに乗せバイクに跨る数騎。
 問題はない、何も問題はない。
 もし問題があるとすれば二つ。
 戦いが始まっているのを感じ取ってから十分近くが経過していることと、交通渋滞のせいで一歩も前に進めない事くらいだ。
「何でこんなところで二車線も止めるような事故起すんだよ!」
「苛立っても仕方ありません、どこかにバイクを止めて歩きで行った方が良いのでは?」
 エアが後ろから具申してくる。
 確かに、ここで待っているよりはそっちの方が有意義かもしれない。
 が、問題は距離だった。
「ここから走って三十分かかるぞ」
「そんなに遠いんですか?」
「いや、道が真っ直ぐ進んでないから。小さな山のせいで迂回するハメになるから時間が」
「なんと……」
 エアは思わず絶句しそうになった。
 あたりを見回す。
 ようやく警察の働きのおかげで一車線だけは通行できるようになりそうではあるが、あと数分は必要そうだ。
 そんなに待っている時間はない。
 しかし、機動力に特化していない退魔皇剣であるエアはバイクを捨てて移動するという選択肢を選ぶ事は出来ない。
 こんな時、超々直線攻撃特化型絶対貫通魔剣である戮神が羨ましくなる。
 退魔皇の中では確率変動の転移を行う開闢を別格として扱った場合、戮神は直線機動に限り最速を誇る。
 もしくは大気を操り飛行できる轟雷の退魔皇でも構わない。
 足が、機動力が欲しかった。
 そうでなければ、ショッピングモールに作られた二車線道路で事故渋滞を食らって動きを止められている事態になどならなかったのに。
 手に入れた退魔皇剣が上記の三つではなく、機動力では何の助けにもならない極炎であることが腹ただしかった。
「おい!」
 そんな時だった。
「そんな所で何してる!」
 声が聞こえてきた。
 それはすぐ左から。
 左車線にいた数騎に歩道から声をかけてきたのは坂口だった。
 それを見つけると、数騎はバイクを脇に寄せヘルメットを脱ぐ。
「おっさんか、どうしてここに?」
「こっちのセリフだ、退魔皇がぶつかり合ってるのにこんなところで何をやっている」
「でも、渋滞で動けなくて」
 数騎はレッカー移動させられている事故車を指差す。
 坂口は頭を抱えた。
「ならバイクを停車していけばいいだろうに」
「でも、足がない。ここからじゃエアとオレの足じゃニ、三十分かかる」
「なるほど、美坂本町駅は確かに遠いからな」
 少し考え、坂口は舌打ちした。
「足なら私が用意する、ついて来い」
「ついて来いってって? どうするんだ?」
「それよりも早くバイクを停車させて歩道に来い!」
 急かす坂口。
 内心、坂口よりも焦っていた数騎とエアは即座にバイクを停車させ、坂口の前に立った。
 それを確認するなり、坂口は走り出した。
 無駄な質問はせず、エアと数騎は野次馬をすり抜けるようにして走る坂口についていく。
 そして、つれてこられた場所は。
「美坂駅……」
 美坂駅だった、しかも私鉄の。
 駅ビルを有する威風堂々とした小奇麗な駅に入ろうとする坂口。
 そんな坂口を、数騎は肩を掴んで引き止める。
「ちょっと待て、電車に乗るのか?」
「足を捜して駅に来たんだ、他に選択肢はない」
「でも、チョイ待てよ。美坂駅から出た電車は地下鉄の美坂本町駅には行かないぜ。他の駅を経由しないと移動できないんだ」
 数騎は慌ててそう言った。
 そう、近くにはあるものの、山を挟んだ二つの駅は地上と地下と別物なために行き来できないようになっている。
 ちなみに美坂駅から乗換えで美坂本町駅に行く最短ルートは美坂駅から一駅の倉田駅で下車し、そこから歩いて美坂本町駅まで移動する、ちなみに徒歩時間は五分。
 そんな美坂町に住む人間にとっての常識を頭の中でめぐらせる数騎に、坂口は言った。
「美坂駅も倉田駅も特級が止まらない駅だ。さらに向こうの、特級が止まる月宮駅からなら倉田駅を通過して地下に潜り美坂本町駅に停車する。そして、その電車はそのまま地上に出て美坂駅を通過、沢渡駅も通過して川澄駅に停車する。言いたい事はわかるな?」
「あっ」
 思い至り、数騎は声を漏らす。
 そんな数騎の顔を見ながら、坂口はニヤリと笑みを浮かべる。
「路線は……繋がっている」
「じゃあ」
「行くぞ、私達貸切の超特急だ」
 そう口にして、坂口は数騎たちを便所に連れ込んだ。
 幸いな事に誰もいなかったので、三人は便所の鏡から鏡内界に入った。
「急げ!」
 鏡内界に入ると同時に、坂口は便所から外に出た。
 誰もいない駅の中を走る三人。
 そして、そこに辿り着いた。
「運がいいな」
 坂口が嬉しそうに言った。
 誰一人として人間の存在しないホーム。
 そこには、誰も乗っておらず運転席のドアが開きっぱなしの電車が乗客を乗せようと扉を開いていた。
「本当は倉庫からちょろまかすつもりだったが、ちょうどいい。乗れ、運転席にだ」
 そう言って坂口は運転席に入っていった。
 数騎とエアもそれに続く。
 と、数騎は運転席と客席を隔てるガラスに人が映っているのに気がついた。
 それは、現実世界で電車に乗っている人間だった。
「ちょっと待てよ、外から見えてるんじゃないか、オレたち?」
「大丈夫だ、封鎖と隠蔽の術式を構築しておいた」
 あっさりと言ってのけると、坂口は運転席のパネルをいじり始めた。
 レバーやらなにやら数騎にはよくわからないものを坂口は手早く動かす。
 そんな光景を見ていて数騎は気がついた。
「えっと、いまさら言うのもなんだけど……鏡内界の中って電車動くのか?」
「動くさ、私がいればな」
 坂口がそう口にすると同時に電車が揺れた。
 ほんの少しずつだが、前に動き出す。
「異層空間殺しを展開した、ここら一体の文明の利器は命を取り戻したぞ。この世界でも……動く!」
 その言葉と同時に電車の速度が上がった。
 警笛は鳴らさない。
 ただ線路の上を移動するときに起こる摩擦音を響かせながら、電車は線路を走り始めた。
「この電車なら五分で目的地に着く、しっかりつかまってろ!」
 電車は見る見るうちに速度を上げていく。
 次第にいつも乗る電車よりも妙に速度が速いことに気がつく。
「ちょっと、早過ぎないか?」
「問題ない、この会社はいつも安全運転に心がけてスピードを落としているだけだ。あと二十キロは出してもカーブはいける!」
「ってか、あんた軍人だろ! 何で電車の動かし方知ってるんだよ!」
「部隊にいる時一度教習を受けた、フランスの電車なら何でも運転できる自信はある」
「ここは日本だぁっ!」
 悲鳴をあげるように声を出す数騎。
 直後、体が左に動いた。
 緩めの右カーブに入った。
 ガタガタと唸りを上げる電車。
 ありがたいことに脱線や横転はしなかった。
 遠心力が失われ、再び直線にはいり安定走行をはじめる。
「殺す気か!」
 叫ぶ数騎。
 そんな数騎に坂口は平然と答えた。
「私の基準では安全運転しているつもりだが。あと十キロは早くてもいけたと思うのだがね」
「ふざけんなよ」
「ふざけてなどいないさ、急がなくては双蛇が討ち滅ぼされるかもしれないからな」
 その言葉で、坂口が何故危険を犯してまで速度を出しているのか思い出した。
 そうだ、今は時間が勝負だ。
 一秒でも早く行かなくてはならないのだ。
 一瞬でもそれを忘れていたのが、数騎には少し恥ずかしく思えた。
 とりあえず謝罪はしておこう。
「すまないな、おっさ……」
「しまったぁーっ!」
 坂口が素っ頓狂な声をあげた。
「どうしたよ、おっさん」
「前を見ろ」
 坂口が前方を指差す。
 視界ギリギリのところに青と銀の人工物が見える。
 それは自分達の乗る電車が走る線路の向こう。
 その先に、停止した青と銀色の電車が存在した。
「はぁっ? どういうことだよ、おっさん!」
「すまない、どうやら後続の電車が走っていたようだ。鏡内界にコピーされた時に停止したみたいだな。てっきり他には誰もいないものと思っていたのだがね」
「どうすんだよ!」
「どうしようもない、いまから停車しようにもこの速度では激突は避けれない」
「ちぃ!」
 舌打ちをし、思案する。
 腕を引かれる感触。
 顔を向ける。
 エアが自分の腕を引き、自分を見上げていた。
「出来るのか、エア?」
「無論です」
 力強く答えるエアに、数騎は力強く頷いて見せた。
 エアが数騎に仮面を渡す。
 数騎は迷わずにその仮面をかぶった。
「魔装合体!」
 運転席に赤い輝光の本流が迸る。
 真紅の鎧甲を纏い、界裂の退魔皇が出現した。
「どこでやる?」
(電車の上に出ましょう)
「了解!」
 数騎はすぐさま運転席のドアを開けると天井につかまり、腕の力だけで電車の屋上に上る。
 はるか先に見える停車した電車。
 それを正面にし、数騎は深く腰をおとした。
 重心は低めに、電車から振り落とされないように。
 足の下からは電車の振動、真正面からは吹きぬける風。
 冷たく体を震わせる風。
 血のめぐりでも悪いのだろうか、妙に指先が寒い。
 背中には冷汗。
 失敗すればどうなるか、考えたくもなかった。
 しかし、同時に絶対に失敗しないと確信がある。
 大丈夫だ。
 この相棒がいるかぎり、オレはこんなところで死んだりしない。
 確信を新たに、数騎は両腕を正面にかざす。
 何もないはずの空間から、突如として大太刀が出現した。
 数騎は両手で柄を握り締めるその大太刀を、後ろに大きく振りかざし。
「はぁっ!」
 気合と供に横薙ぎに振るった。
 真紅の輝光が刀身から迸り、風を超える速度で停車した電車に向かっていた。
 電車は横一文字に真っ二つに引き裂かれた。
 斬撃は表面だけでなく、最後尾まで到達する。
 しかし、この一撃は切り裂くだけに留まらない。
 斬撃と同時に真紅の輝光は破壊の奔流を撒き散らした。
 トルネードの直撃でも受けたかの如く、電車はぐにゃりと変形しながら上下思い思いの方向に吹き飛ばされた。
 これこそが刀の退魔皇剣の退技『離閃』。
 分子と分子の結合を切り離す物質の乖離と、それに伴う爆風の一撃。
 極炎の炎を吹き飛ばしたこの斬撃が、停車した電車程度に遅れをとるはずもなく。
 障害物のなくなった線路を電車が通過する。
 その頃には数騎とエアも運転席に戻っていた。
 無論、魔装合体をしたままだ。
 敵はすぐそばにいるのだから。
 そんな数騎に、電車の運転をしながら坂口が声をかけた。
「あいかわらずスゴイな、さすがは退魔皇剣だ」
「皇技はもっとすごいぜ、楽しみにしてなよ」
「いや、一度見させてはもらっているがね」
 苦笑し、坂口は電車のライトをオンにする。
 目の前にはトンネル。
 それは地下へと向かう入り口。
「地下に入るぞ、敵の気配に注意を払え。不意打ちされちゃたまらないからな!」
 大声で忠告しながら、坂口は電車をトンネルへと突入させた。







「何をやっているんだ!」
 イライジャの声が地下に響く。
 そこは地下鉄のホーム。
 本来なら人でごった返すその空間は、鏡内界であるために一般人の姿はない。
 しかし、人でごった返してはいた。
 理由は簡単だ。
 狙われたイライジャが自らの下僕をそこに呼び寄せたからだった。
 ホームに存在する蘇生させられた死者の数はすでに五百。
 すでに半分が韮澤によって消滅させられていた。
 イライジャの立つホームとは反対のホーム。
 そこに韮澤は弓を手に立っている。
「やれ、そいつを撃ち殺せ!」
 イライジャの指示と同時に韮澤を包囲する死者たちが各々の飛び道具を韮澤に射出した。
「防げ」
 韮澤の短い言葉。
 左手に装着していた鏡の盾が輝きを増す。
 周囲一メートルに光の壁が展開された。
 韮澤を守るように円を描くその防御結界。
 それは、下以外の全方位から降り注ぐ輝光の弾幕を遮絶し、そのこと如くを無効化した。
 これこそが鏡の退魔皇剣、魔伏の退技である『魔絶』だ。
 特殊な性質を持つ攻撃以外、ありとあらゆる攻撃を遮断する絶対防壁。
 この障壁を無効化できるのは切断を極めた界裂、そして貫通を極めた戮神のみだ。
 極炎でさえ突破できなかったこの障壁を、五百を数えるとは言え退魔皇ですらない異能者如きに突破できるものではない。
 攻撃が止むのを待ち、韮澤が防御結界を解除した。
 障壁を張ったままだと、韮澤から仕掛ける攻撃さえも遮断されるため、攻撃時には障壁を解く必要があるからだった。
 弓を引き絞り、離す。
 弓から放たれた矢は紫の光を放ちながら、異能者の一団に飛び込んでいった。
 ざっと三十は消滅したか。
 韮澤は消えた輝光の気配で確認する。
 戦いの中で韮澤は理解し始めていた。
 弓の退魔皇剣、滅神の退技『呪射』。
 それは触れたあらゆるものを消滅させる矢である。
 矢は射出する際に念じておけば拡散が可能で射程はおよそ十キロ程度。
 さらに引き絞る時間を長くすれば長くするほど矢が放つ光は強くなり、矢で消滅できる範囲も広がる、最大で半径三メートルの範囲で物質消滅可能。
 障壁に守られながら弓を引き絞ることによりチャージ時間を無敵にできることで韮澤は滅神を以前の所有者よりも格段に活かしきっていた。
「まだだ、攻撃を続けろ!」
 イライジャの叫びに答え、異能者たちが再び攻撃を開始した。
 イライジャにはわかっていた。
 このままでは勝てない。
 当然だ、鏡の退魔皇剣を突破できるのは戮神か界裂だけだ。
 本来なら双蛇とともに攻撃力に難ありの魔伏だが、一度攻撃系の退魔皇剣を手に入れた場合は手がつけられなくなる。
 しかも、こちらにとっての数少ない弱点である必滅の弓さえも持っているときてはなおさらだ。
 しかし、弱点がないわけではない。
 あの防御結界を展開している限り、韮澤は弓を射ることができない。
 なら手段は一つしか残されていない。
 数の暴力に任せ、可能な限りの弾幕を張って韮澤に防御させ続けるのだ。
 時間さえ稼げば他の退魔皇が駆けつける。
 来ないわけがない。
 自分がここで倒れ、杖まで魔伏の退魔皇の手に落ちれば戦いは界裂と魔伏以外に勝者がいなくなることになってしまう。
 黙って見逃す退魔皇はいないはず。
 問題はあとどれくらいで退魔皇たちが到着するかだった。
 弾幕を張り続けるのも蘇生した死者たちの輝光が有限である以上、無限には続けられない。
 かと言って弾幕を張り続ければ消耗も大きく、もし輝光を使いきってしまっては後に現れる退魔皇たちが魔伏を倒した際、魔伏が所有権を失った退魔皇剣を奪うチャンスを突くことができなくなる。
 イライジャは弾幕を断続的に張り、韮澤が反撃を試みるタイミングを突いて攻撃し倒そうとしていると見せかけて戦っていた。
 そして、イライジャのその作戦を理解した上で韮澤はイライジャの思惑通りに行動した。
 韮澤としてもイライジャに逃げられるのは困る。
 目の前の敵の退魔皇剣さえ奪えば優勝が目の前に近づいてくるのだ。
 弓、鏡、杖を手に入れればもはや必勝と言っても過言ではないほど装備のバランスがよくなる。
 韮澤にとって困る事態は死者を盾にし、イライジャが逃げることだ。
 それをしないで死者をすり削ってくれるというなら望むところ。
 そして、他の退魔皇の乱入でさえ韮澤にとっても望むところだった。
 乱戦ならイライジャが大きな隙を見せる場面が必ずくる。
 その時に皇技を放てば、確実に勝利をものに出来るというものだ。
 思考をめぐらせながら、韮澤は再び魔弓のチャージが終わったことに気がついた。
 輝光をチャージすることで威力を増す矢を死者に向け、韮澤は障壁を解こうとする。
 その時だった。
 停止したエスカレーターを駆け下りてその少年が現れたのは。
「地下に広がる魔窟に戦う退魔皇たちよ、我が姿を見るがいい!」
 叫んだ。
 ホーム一体に響き渡る凛とした声。
 槍を天井に掲げ、ロンギヌスはさらに続けた。
「地層掘り抜く地下道にぃ! 大地を貫くこの槍がぁっ! 誉れを競えと震えて猛る!」
 槍を脇に構え、ロンギヌスは名乗りをあげた。
「我が名はロンギヌス、退魔皇剣が一振りなり!」
 ロンギヌスは手にした槍を頭上に掲げ、両手で高速回転させた後、両手で槍を構え二人の退魔皇にその切っ先を向ける。
「名乗れ、退魔皇たち。墓に刻むその名を、教えておいて損は無いぞ」
 停止したエスカレーターを背に、ロンギヌスはよく通る声でそう言い放った。
 かぶった仮面の下で、イライジャは嬉しそうに微笑んだ。
「待っていましたよ、あなたがこの戦いの主役です」
「そうですとも、待ちくたびれたというものですね」
 イライジャの言葉に続く声。
 全員の視線がロンギヌスの現れたエスカレーターの、その手前の方にあるエスカレーターに集中した。
 矛を構える仮面の男。
「来ましたか、開闢の退魔皇」
 呼びかけるイライジャ。
 そう、現れたのは陣内だった。
「さて、私も参戦させていただくとしましょう。正直、魔伏の退魔皇は厄介になりすぎた」
「同感ですね」
 陣内の言葉に頷いてみせるイライジャ。
 陣内、イライジャ、そしてロンギヌスに挟まれる形になった韮澤。
 仮面の下でわずかに舌打ちする。
 それと同時に、韮澤は最大の脅威であるロンギヌスに弓を向け、
「疾っ!」
 そのまま矢を射ることなく、代わりに線路の天井に向けて紫の矢を解き放った。
「どりゃあああぁぁぁ!」
 それと全く同時だった。
 地下鉄の天井にヒビが走ったのは。
 聞こえてきた絶叫をかき消すほどの大音量。
 音を立てて天井が崩れ落ち、瓦礫が階下に降り注ぐ。
 大きく開いた穴。
 地面に転がる瓦礫。
 線路に着地し、槌を肩にかつぐその退魔皇。
「遅れたな、待ってただろ」
 轟雷の退魔皇は、線路の小石を蹴り飛ばしながらそう言った。
「それにしてもステキな歓迎だ。まさか滅神の矢が死角から飛んでくるとは思わなかったぞ。バッチリかわしてやったけどな」
「もっとスマートに登場したらどうなの、轟雷の退魔皇」
 冷たく言い放つ韮澤。
 そんな韮澤に対し、轟雷の退魔皇は鼻で笑ってみせた。
「悪いな魔伏の退魔皇。こちとらそんなに気の利いた性格じゃないってことだ」
「モテないわよ、そんなんじゃ」
「そりゃ傷つく物言いだ、だが間違いなく一番派手に登場したのはオレのはずだ」
「そうかしら?」
 光の障壁を発生させ、防御の体勢をとる韮澤。
 直後、轟雷の退魔皇の耳にもそれが聞こえてきた。
「ん……?」
 耳を澄ます。
 それは何かの擦れる音。
 全員がその音に聞き入っていた。
 少しずつ大きくなっていくその音。
 光が見えた。
 輪郭を現す。
 それは、
「何ぃ!」
 思わず轟雷が叫ぶ。
 だってそう、ここは鏡内界だ。
 科学技術の力を滅殺するこの空間で、なぜ電車が動いているのか。
「いっけぇーっ!」
 数騎の咆哮が轟く。
 電車の操縦席には二人の人間。
 線路に立ち、驚きながら自分達を見上げてくる退魔皇を轢き殺すべく、坂口はさらに電車の速度を上げた。
 火花を散らし、金属の擦りあう音を響かせながら電車が直進する。
「なめんな!」
 轟雷の退魔皇が手に持つ大槌を振りかぶった。
 その得物に集中していく異常なまでの輝光。
「おっさん!」
 叫び、数騎は坂口の襟を掴むと、左手だけで坂口をひっぱり操縦席からガラスを割って飛び出した。
 直後、激突する電車と大槌。
 どれほどの重量差があったか。
 一対百では届かなかったはず。
 だと言うのに、轟雷の退魔皇に槌を叩きつけられた電車は、まるで壁にでも衝突したかのようにひしゃげ、続く後方の客車は前に進む事ができないため、力のかかる方向が直線からずれ、線路から次々と脱輪を起す。
 轟雷の一撃により、最前列から数えて三両目までが大きく変形し、割れたガラスがシャワーのように周囲に飛び散る。
「はぁっ!」
 数騎の叫び声が響いた。
 横薙ぎに振るわれるその一撃。
 操縦席から飛び出し、着地までの隙を突かれまいとした数騎は、空中にいた状態から己が退技を繰り出した。
 放たれるは斬撃の輝光。
 轟雷によって停車させられた電車を真っ二つに引き裂き、続く爆風で電車だったものを各々の方向に吹き飛ばす。
 魔伏、轟雷、戮神、開闢、そして双蛇。
 相対する退魔皇たちはその攻撃を回避、防御、迎撃、思い思いの方法で防ぎきる。
 唯一被害が出たのは双蛇の退魔皇で、界裂の離閃の影響で死者を十五人ほど失った。
 その間に地面に着地した数騎は、坂口の襟から手を離し、両手で大太刀を握り締める。
「間に合ったぜ。どうやら横槍が入ったみたいだな、魔伏の退魔皇!」
「嬉しく無い事に、興味のない男達からモテるみたいね、私って」
 光の障壁を展開しながらため息をつく韮澤。
 直後、眼光を鋭くし、矢の切っ先を数騎に向ける。
「正直言って、あなたたちみたいな男、好みじゃないの。ごめんなさいね」
 光の障壁が消えると同時に、韮澤は紫に輝く矢を解き放つ。
 瞬く間に六人が終結した地下鉄のホーム。
 再び戦いが始まった。







(まだ出て行っちゃダメよ)
「わかってるさ」
 小さな声で答える。
 線路の並ぶトンネル。
 ホームを中心にして戦う退魔皇たちの姿を、最後の退魔皇が数十メートル離れたコンクリートの柱に隠れながら様子を伺っていた。
 ホームではそれぞれの退魔皇たちが自身の基調たる色の輝光を放出しながら戦っていた。
 青き輝きを放つ戮神の退魔皇。
 紫の矢を繰り出し、水色に光る防御結界を展開する魔伏の退魔皇。
 矛を金色に染めながら能力を使う開闢の退魔皇。
 青紫の光を纏う槌を振り回す轟雷の退魔皇。
 茶色の輝光を纏わせながら動き回る死者たちを操る双蛇の退魔皇。
 戮神の退魔皇、ロンギヌスが左手で蒼き槍をしごきながら鋭い刺突を韮澤に向けて繰り出した。
 接近を許した事に舌打ちしながら、韮澤が即座に矢をロンギヌスに向ける。
 繰り出される紫の矢。
 しかし、常人離れした瞬発力でロンギヌスはその一撃を回避する。
 代わりにせっかく縮めた距離がまた遠くなってしまった。
 矢を放つために防御結界が消えたその瞬間を突き、轟雷の退魔皇が十メートル近い距離から槌を振るった。
 操ったのは空気。
 強烈な空気弾を構成し、轟雷の退魔皇は韮澤に大気の一撃を叩きつける。
 しかし、韮澤の対応の方が早い。
 一瞬にして防御結界を再構築すると、防ぐのではなくその空気弾を光の障壁で滑らせ、そらした。
 空気弾はあらぬ方向、高みの見物をしていた陣内に向かって直進する。
 陣内は小さくため息をつくとその空気弾を矛で切り裂いた。
 さらに空気弾の軌道がそれ、コンクリートの壁に激突、爆砕する。
 コンクリートの壁にはニ、三メートルくらいの直径の大穴が開いていた。
 壁一面にヒビが走り、ところどころの壁が剥がれる。
 次の瞬間、壁が砕け散った。
 コンクリートが砕けると、奥から土の地面が出てくる。
「なんて威力だ」
 口にして、声が聞こえなかったかどうか驚き、村上は口に手を当てた。
 あれほどの威力の空気弾なら、柱ごと自分を殺すことなんて造作もないはずだ。
 油断してはいけない。
 ただ、チャンスを窺うしか手はないのだ。
 その一瞬を逃すことは許されない。
 柱から頭だけを出し、戦いをさらに見つめる。
 そんな中で、一際目立つ存在があった。
 赤紫の炎を撒き散らしながら、真紅に輝くその退魔皇の姿。
 須藤数騎だった。
 はじめて会った時からそうだった。
 自分が敵わないと思っていた相手を、数騎は何の苦労もなしに叩きのめしてみせた。
 その姿を見た自分に、数騎がどれだけ輝いて見えたか。
 その頃から、須藤数騎と言う男は村上にとって憧れに近い存在だった。
 普段バカをやっているときはそんな事は思わない。
 でも、何かとんでもない事態になると、数騎は途端に輝きを増す。
 羨ましかった。
 そのように輝ける男が。
 嬉しかった。
 自分のあこがれが、あこがれのままでいてくれることが。
 退魔皇として戦うことが決まり、橋の付近で戦いが起こった時、数騎が退魔皇の戦いに参加するのを村上は隠れて見ていた。
 最初はどうしようかと思った。
 退魔皇の戦いはその持つ力があまりにも強いために、殺さずに敵対者を降すことは至難の技だ。
 つまり、数騎と殺しあわねばならない。
 村上にとって、それは大きなショックだった。
 でも、どこかで違和感があった。
 なぜこんなにも苦しい境遇に立たされながら、妙にわくわくした気分でいるのか。
 最初はわからなかったが、数騎が極炎を撃破するにあたりようやく理解できた。
 嬉しかったのだ。
 数騎が強力な力を持つ敵に負けず、真正面から戦いを挑んで勝利を掴んだことが。
 それは自分の贔屓のスポーツ選手が試合で活躍するのを見て喜ぶファンの心境だった。
 崇拝しているわけではない。
 固執しているわけでもない。
 ただ、そこにあることが嬉しくて。
 だから、村上は数騎を助けたいと思ったのだ。
 村上は決めていた。
 自分は数騎を超えなければならない。
 あこがれをあこがれで終わらせる気など毛頭ないのだ。
 崇めるのではなく、それは乗り越えるべき壁。
 あくまで、村上にとって数騎は通過点にすぎない。
 あの時、数騎がしてくれたように自分も誰かを助けたい。
 そんな大きさのある男になりたかった。
 だからこそ、通過点は超えなければならない。
 村上は決めていた。
 この戦い、数騎を助けて自分も勝ち残る。
 最後には数騎と村上の一騎打ちになればいい。
 それで数騎に打ち勝てれば、自分はあの男に誇れる男になれる。
 なぜかそんな気がした。
 きっと褒めてくれるだろう。
 内気で数騎や北村の後ろに隠れてばかりいた自分を、数騎はきっと褒めてくれるような気がした。
 だから戦う。
 そのためなら死ねる。
 でも、その決意を決めさせてくれたのは別の人間。
 ルー。
 自分の信頼すべき契約者。
 彼女の期待に応えるため。
 彼女の命を助けるため。
 そして、自分の背中を押してくれた彼女と供にあるため、村上はその手に拳銃を握り締める。
 チャンスを逃すな。
 反撃をされれば命のある保障はない。
 気配の遮断に優れ、確実なる奇襲をかけられることこそが天魔の退魔皇の武器であるならば、それを最大限に生かさなくては勝利はない。
 心臓の音がうるさい。
 音が出たら敵に気付かれる。
 ただ、獲物を狙う狩人であるが如く。
 村上は、己の存在を殺し、好機を待つ。







「だぁっ!」
 気合一閃。
 線路に立つ数騎は見上げるようにして斬撃を繰り出した。
 数騎の退技により、赤紫の炎の庭園と化したホームに爆風を伴う斬撃が飛来した。
 ホームを切り裂き、爆砕させながら斬撃がホームを走る。
 防御できる韮澤と轟雷の退魔皇以外はみな跳躍してその攻撃を回避する。
 そこに銃声が轟いた。
 連続する爆発音とともにサブマシンガンが唸りをあげる。
 空中に飛んでいた陣内に弾丸の嵐が襲い掛かる。
「やれやれ」
 陣内は防御を試みようともせず、自分の腕に矛で傷をつける。
 冷たい刃が腕の中に侵入し、その冷たさとは反対の熱さと痛みが陣内の腕に走る。
 その痛みに思わず脂汗が浮かぶが、この退技の成功率如何は刃の触れた面積と世界に与える影響によって左右される。
 そして退技が発動した。
 張り巡らされた弾幕の前から陣内の姿が消失。
「なっ!」
 驚きのあまり叫ぶ坂口。
 そして、
「消えろ、異層空間殺し」
 弾丸を撃ちつくした坂口の背後に、陣内が突如として出現した。
 背後を振り返ろうとする坂口に、陣内は矛による刺突を試みる。
 回避する術を持たない坂口を、退技を繰り出したばかりの数騎は援護できない。
 坂口は死を覚悟する。
 しかし、
「はあぁぁぁ!」
 気合が迸った。
 地面すれすれまでに前傾姿勢を取り、線路の周りに配置された石を瀑布のように蹴り飛ばしながら驚異的な脚力で疾駆するその姿。
 斜め一閃の斬撃が繰り出された。
 振り払われる矛による刺突。
 柄の部分を切りつけたために確率変動は起こらず、迎撃に出た真紅の刀身が消え去る事はない。
 坂口を空いている左腕で抱え込んだ。
 人一人を抱えているとは思えぬほどの俊敏さでその天狗は大きく後ろに跳躍する。
 陣内からゆうに八メートル近い距離を取り、ようやくその天狗は動きを止めた。
 真紅の具足を身に纏い、右手には真紅の刀、左手には坂口を抱え、天狗の仮面をかぶりったその武者は悠然と立っていた。
「天狗か」
 その姿を見て、坂口が救出されたのに数騎は安堵の息を漏らす。
 それにして素晴らしいまでの速度だった。
 戦力になるのは難しいと見て、いままでどこかに潜んでいたのだろう。
 しかし、あれだけの瞬発力があればいつでも援護にかけつけられる。
 それを知り、数騎はジェ・ルージュの言葉の意味を、身をもって思い知った。
「天狗、おっさんは任せた。老いたのにはこれ以上無理させないようにしてくれ。正直守りきれない」
 頷いて答える天狗。
 左手に抱えていた坂口を地面に降ろすと、彼を守るように一歩前に出る。
「後ろから援護を」
 仮面の下からくぐもった声が聞こえた。
 坂口よりも数騎よりも小柄なその天狗。
 その大きさには不似合いな高い声に驚きながらも、坂口は無言で頷きサブマシンガンのマガジンを外し、コートから別のマガジンを取り出し弾丸を補充する。
 それを横目で確認した後、天狗は詠唱を始めた。
「刃怨狂陣羅轟魔葬(ばえんきょうじんごうひまそう)」
 紡がれる言葉、
「飢装炎武鬼塵咆哮(がそうえんぶきじんほうこう)」
 流れる詩は旋律を伴いながら、
「刃羅飢鬼(ばらがき)」
 蒼きその魔剣が開放された。
 魔飢憑緋とは対極に、刀身が銀ではなく蒼い金属で構成された刀。
 右手には真紅、左手には新たに引き抜いた蒼。
 二色の刀を両手に持つ天狗は、持っていた二刀を手の中で回転させ、逆手もちに構えなおした。
 腰を落とし、足のバネを最大限まで利用する姿勢を取る。
 その時だった。
「せっかくのお越し申し訳ないが、ここらで終わりにさせてもらうぜ!」
 轟雷の退魔皇が槌を頭上に掲げた。
 赤紫に燃え上がる炎の光を反射させ、青紫の槌が鈍く輝く。
 と、異変が起こった。
 地下鉄のホームが突如として暗くなった。
 光源は、トンネルの出口と砕かれた天井から差し込むわずかな光だけ。
 数騎が参戦してから灯された、極炎の炎が消え去っていた。
 数騎は轟雷の退魔皇を見て叫ぶ。
「まさか」
「そうとも!」
 そう、簡単な話だった。
 炎は燃えるために酸素を必要とする。
 つまり、その酸素がなくなれば極炎の炎は無に帰す。
「酸素濃度ゼロだ、さらに!」
 轟雷の持つ槌が光り輝く。
 トンネル中に展開する輝光。
 轟雷の能力が行使された。
 他者の輝光の支配下に置かれていない物質のみが対象荷なる、叩いた物質を自在に操る能力。
 それでもって轟雷は、このトンネルに存在する酸素を全てトンネルの外に追い出したのだ。
 酸素はもはや、轟雷の退魔皇の周りにしか存在していない。
 光の障壁で全てをさえぎり、酸素を確保していた韮澤以外の全ての人間がこの事態に動揺を隠せなかった。
 選択肢は二つ。
 轟雷の退魔皇を倒すか、それとも酸欠になる前にトンネルの外まで撤退するかだ。
 勝機はある。
 轟雷の退魔皇は今、オーバーパワーと言っても差し支えない出力で轟雷の退技を発動している。
 一本とはいえ、トンネルは長く広い。
 その中に存在する大量の空気を操り、それだけでなくその状態を維持し続けるとなると、八岐大蛇と化していない轟雷一振りではあまりにも荷が重い。
 つまり、轟雷は誘っているのだ。
 オレに攻撃して来い、と。
 いかなる秘策があるのか。
 それを勘繰り、逆に轟雷に仕掛けられない退魔皇たち。
 撤退か、突撃か。
 二択を前にして、決断できずにいる。
 そんな中で、選択肢を一つしか持たない退魔皇が動いたのであった。







「くっ!」
 突然暗くなったと思ったら異変を感じた。
 何だか息苦しい。
(息を吸っちゃだめ、気絶しちゃう!)
 ルーの声が頭に響いた。
 柱の後ろに隠れる村上は、とっさに呼吸しようとしていた口を閉じる。
(ルー、どういうことだ?)
(人間は酸素濃度ゼロの空気を吸うと気絶しちゃうの、吸っちゃダメ!)
 正確には酸素比率六パーセント以下の大気吸うと人間は反射的に深呼吸してしまい、肺の中の空気を全て入れ替えてしまう事により意識を失うというのが事実だが、正直そんなことはどうでもいい。
 ようは呼吸してはいけないことに変わりなどない。
 それで理解した。
 これは轟雷の退技だ。
 恐らく酸素だけをこの空間から吹き飛ばしたのだろう。
 どうやら自分は酸素が移動して薄くなっていく最中の空気を吸ったらしい。
 薄くて息苦しかったが、無酸素の空気を吸わなくて済んだのは幸いだった。
(で、どうする、逃げるか?)
(ダメ、このトンネル中に濃度の薄い轟雷の輝光を感じる。とても逃げきれない)
 退魔皇とはいえ、身体能力強化系の能力を持たない天魔の退魔皇の機動力は一般人程度しかない。
 そのための無限射程。
 そのためのテレポート・ショットなのだ。
 ざっと換算したところで出口までの距離は二キロ。
 だめだ、無呼吸で走りぬけられる距離じゃない。
(ってことは、やるしかないか)
(そう、それもできるだけ早めに。呼吸が出来ないから呼吸無しでも皇技の詠唱が出来るくらい肺に空気が残ってないと)
(了解だ、仕掛ける!)
 頷いて見せ、村上は両手に持った拳銃を強く握り締める。
 そして、残り少ない空気で詠唱を唱える。
「距離を無にする玉よ、いかなるものをも逃さぬ魔弾タスラムよ、この世界を跳躍する弾道(とびら)を!」
 拳銃に輝光が集中する。
「自由射撃(ザミエル・ショット)!」
 魔弾が射出された。
 ライフリングによって回転しながら銃口から飛び出した魔弾は、次の瞬間別の場所に転移していた。
 見ずともわかる。
 出現可能箇所は気体の中のみという制約を持つこの魔弾の出現した箇所は轟雷の退魔皇のかぶる仮面の眼前。
 眉間から五センチの位置に弾丸は出現する。
 ハズレの魔弾でなかったことに改心の笑みを浮かべる村上。
 転移した弾丸は、寸分違わず轟雷の仮面目掛けて直進し、
「待ってたぜ!」
 その咆哮と供に、軌道をあらぬ方向へと逸らされた。
「なっ!」
 驚愕の声をあげる村上。
 村上は理解していなかった。
 自由射撃とはあくまで無限射程を誇る転移能力である。
 能力は装備した飛び道具を転移させるだけであり、その射程が無限だからこそ退魔皇剣の名を冠せられているのだ。
 手にしたものがスリングなら石を、拳銃なら弾丸を、地対空ミサイルならミサイルを望みの場所に転移させる。
 制約として弾丸は必ず七つ。
 その内一発を死の魔弾とすることによって、残りの六発が転移の魔弾と化すという能力であったのだ。
 だからこそ、転移するまではいかなる障害をもものともしないが、転移した後はただの弾丸に過ぎない。
 黒装束の女性は命を取りとめたのもそれが理由。
 そして、轟雷の退魔皇はそれを逆手に取った。
 吹き荒れる疾風。
 肌を突き刺すような寒気、そして舞い上がる石に打たれる激痛。
 大気を操り、轟雷の退魔皇は槌を横薙ぎに振るった。
 叩きつける対象は、自分の周囲を回転しながら飛行し続ける弾丸だ。
 大気を操る退魔皇は、命中直前の弾丸に強烈な豪風を叩きけて軌道を逸らし、さらにそれを空中に留め置いていた。
 槌の一撃を受けた弾丸は、轟雷の退魔皇の僕と化した。
 弾丸は一直線に飛行し、柱の影に隠れる村上を発見する。
「しまっ……」
 た、とまでは続けられなかった。
 柱の手前でカーブした弾丸は、村上のかぶる仮面の、眉間の辺りに叩きつけられた。
 回転しながら直進していたわけではないため、仮面と激突した弾丸は弧を描くようにして空中に舞い上がる。
 それは決定的な一撃だった。
 衝撃に脳を揺さぶられた村上は脳震盪を起し、仰向けに倒れる。
 仮面の眉間の辺りには幾筋ものヒビ。
 ルーは敗北を理解した。
 仮面が砕け散り、意識を失うその前に、村上との魔装合体を解いた。
 村上を守る鎧甲が消え去り、代わりにルーの姿が村上の前に現れる。
「……ルー……」
 涙が出た。
 しかし動くことができない。
 にじむ目でこれから消え行くルーの姿を見つめる。
 ルーは壊れかけの仮面を村上の顔から外した。
 最後の時だと言うのに、ルーは村上に笑顔を向けた。
「いままでありがとね、義史」
 その場に腰をおろすと、天井を向く村上に顔を近づけた。
「無理につき合わせてごめんなさい」
 そう言って、村上の頬に優しくキスをする。
「死なないで、どうか生き残って……」
 語尾がかすれた。
 最後まで口にするよりも早く、退魔皇の仮面が砕け散ったからだ。
 消え去るルーの姿を見て、村上は歯を食いしばりながら涙を流す。
 そして、限界が来た。
 これ以上呼吸をしないではいられない。
 村上はしてはいけないと思いつつも、空気を吸い込んでしまった。
 無酸素の空気が肺に入り込むと同時に、村上は止めようもなく深呼吸してしまう。
 そうして村上は、泣きながら意識を失っていったのであった。







「よっしゃ、やったぜ!」
 叩き返した弾丸から伝わる感触。
 そして消滅した退魔皇の気配。
 間違いない、天魔の退魔皇は脱落した。
 轟雷の退魔皇の、仮面の下の顔が歓喜に歪む。
 誰が想像しただろう。
 誰もが魔伏の退魔皇を打倒しようと息巻いていた戦いの中で、自分だけは天魔の退魔皇に狙いを定めていたのだとは。
 地下のホームと言う閉所空間が戦場になったのは幸運だった。
 その幸運を生かし、轟雷はトンネルの中を無酸素にすることで天魔の退魔皇をあぶりだした。
 倒した退魔皇の退魔皇剣を横取りされた経験のある天魔の退魔皇は、間違いなく接近しての戦いに切り替えるはずだったからだ。
 機動力のない天魔の退魔皇を、どこに隠れていようとも脱出できない範囲まで酸素を枯渇させ、魔弾を撃たせた。
 皇技を発動すれば場所はわかる。
 問題は、魔弾が自分を殺すか、それとも転移直後の魔弾を自分が阻止する事に成功するか。
 それだけの賭けだった。
 そして、轟雷の退魔皇は賭けに勝利した。
 小さく槌を振るう。
 槌によって叩かれた大気は、酸素を失った状態から開放された。
 戻ってくる空気。
 それと同時に轟雷は天魔の退魔皇が倒れているはずのところまで走ろうとした。
 しかし、
「滅びをもたらす弓よ、神さえも滅するミストルテインの弓よ、この世界を消しさる運命(さだめ)を!」
 聞こえてきた詠唱に、轟雷はとっさに逃げの一手を取るしか道はなかった。
「抹消する永遠の運命(エターナル・オブリタレイト)!」
 皇技が発動した。
 引き絞られる矢から放たれた紫の光。
 それは、直径およそ百メートルに達そうかという光の矢だった。
 触れれば消滅する、巨大と言っても言いすぎでない光の矢を放つ。
 それこそが滅神の皇技だった。
 再生による治癒、時間逆行による蘇生。
 あらゆる復元を否定する煌きがホームを埋め尽くす。
 全ての退魔皇たちは逃げる以外に選択肢が残されていなかった。
 ホームを飲み込み、トンネルを飲み込み、そしてトンネルの掘られた山そのものを消滅させ。
 荒れ狂うように全てを飲み込む矢は、地平線に達するまで直進し、その過程にある全てのものを飲み込み、消滅させる。
 周囲の退魔皇たちはみな逃げ去っていた。
 恐らく一人も倒せてはいまい。
 当然だった。
 何せ、誰にも狙いをつけず皇技を放ったのだ。
 距離、タイミング、位置。
 どれをとっても回避に徹すれば逃げ切れない距離ではなかった。
 矢によって山が消え去ったため、天井を失った地下鉄のホームは月の光に照らされていた。
 他の退魔皇たちが近づいてこないか気配で探りつつ、韮澤は駆け出した。
 全力で走る韮澤は、すぐさまそこに辿り着いた。
 柱の裏、倒れる元・天魔の退魔皇。
 手に握り締める拳銃を奪い取り、弾倉の中から残っていた五つの弾丸を取り出す。
 そしてそれを左手に装着していた鏡の盾に押し当てる。
 弾丸は音もなく鏡の盾に吸収された。
「これで三つね、アイギス」
(やったわ、綾子。これで間違いなく私達が最強勢力よ)
「でも、皇技を一発使ってしまったわ」
 確実に天魔を得るにはこれしか方法はなかった。
 だからこそ、韮澤は代償も気にせず皇技を使用したのだ。
 しかし、韮澤は魔伏の皇技を使用した時と違い、体に異常を感じなかった。
「何を失ったのかしら?」
 疑問を口にする。
 魔伏の皇技の代償は内臓であるため、初撃で腎臓を失った。
 おかげで右の腎臓がなくなってしまった。
 腹部に手を当てて考える韮澤に、アイギスが言った。
(滅神の代償は五感よ、何を失ったの?)
 それを聞き、韮澤は頬を触った。
 触覚、ある。
 物は見えている。
 視覚、ある。
 足元の意思を蹴る、音が聞こえる。
 聴覚、ある。
 指を舐める、少ししょっぱい。
 味覚、ある。
「じゃあ……」
 鼻で息を吸い込む。
 何も感じない。
 感じるのは冷たい空気が鼻に入り込むことだけだ。
「もしかして、嗅覚が?」
(恐らくそうだと思う、これで綾子はもう物の匂いを嗅ぐことはできない)
 悲しそうに言うアイギス。
 そんなアイギスを元気づけるように、韮澤は明るい声で言った。
「大丈夫よ、問題ないわ。杖さえ手に入れれば全ての代償は戻ってくる。あなたは気にかけなくてもいいのよ」
 そう言われても、アイギスの心は晴れない。
 韮澤が体を削って戦っているのは自分と契約したからなのだ。
 なおも落ち込んでいるアイギスに、韮澤は何か気の利いた事でも言おうとした。
 と、そこでようやく気絶している村上に気がついた。
「ん、もしかしてこの子、生きてる?」
(生きてるわね、呼吸してるし。どうする?)
「ん〜、殺すってのも物騒よねぇ」
 そう言って腕を組み、韮澤はしばらく考える。
 まぁ、退魔皇剣を失ったからには無害だろう。
 そう結論し、韮澤は村上を抱き起こすと、そのまま出口に向かって走り出すのだった。







 午後十時。
 公園のベンチで村上は目を覚ました。
 起き上がってあたりを見まわす。
 目に映るのは木立、そして公園を照らす街灯。
 ハッとして、コートの中に手を入れる。
 そこには拳銃も、そして仮面すらも入ってなかった。
 村上は気がついた。
 誰かが情けをかけて助けてくれた事。
 退魔皇たちの戦いから脱落した事。
 そして、ルーを失った事。
「あ……あぁ……ああぁ……」
 涙がこみ上げる。
 村上は夜空を見上げ、ありったけの声をあげて泣き叫んだ。
「ああああああああぁぁぁぁ!」
 響き渡る鳴き声。
 寒く澄んだ空気は、その声をはるか遠くにまで響き渡らせる。
 こうして、退魔皇の数は残り六人となった。
 























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