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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>第十羽 魔剣伝承

第十羽 魔剣伝承



「こんな奴でも、死に目をみるのはいい気がしないな」
(そう言うな、こいつに何人の人間が殺されたと思う)
 陣内の死体を見下ろしながら呟く剣崎に、叱咤するロンギヌス。
 剣崎はため息をついた。
「まぁ、理屈ではそうだけど。それでもさ」
(そうかも知れないな、それが正しい人間というものだ。他人の死を喜ぶようでは人間お終いだよ)
「そうかもな」
(そうだとも。ところで、それよりも早く……)
 退魔皇剣を回収しろ。
 そう言おうとした矢先だった。
「滅びをもたらす矢よ、神さえも滅するミストルテインの弓よ、この世界を消しさる運命(さだめ)を!」
 詠唱が聞こえた。
「抹消する永遠の運命(エターナル・オブリタレイト)!」
 斜め上から繰り出される一撃。
 だが、いくら油断していたとしてもかわせない一撃ではない。
 なぜなら彼は戮神の退魔皇。
 速度において、彼の右に出るものはいない。
 とっさに数百メートル後ろに跳躍した。
 陣内の死体と供に、地面を削り取りながら直進する紫の矢。
 立体環状道路が崩壊した。
 もうもうと舞い上がるコンクリートの破片。
 その中に一人の退魔皇が飛び込む。
 剣崎も飛び込もうとする。
 しかし、手遅れだった。
 退魔皇剣で退魔皇剣は消滅させられない。
 これは退魔皇同士の戦いにおけるルール。
 だからこそ、双蛇の退魔皇は安心して退魔皇剣に向けて皇技を起動した。
 煙のように立ち上る砕けたコンクリートの粉塵。
 その中から、全ての退魔皇剣を回収した双蛇の退魔皇が姿を現した。
「しまった……」
 無様だった。
 最後の最後で油断してしまった。
 もう少しだった。
 もう少しで陣内から六つの退魔皇剣を回収できたのだ。
 そうすれば剣崎が扱えない極炎、界裂以外の全ての退魔皇剣の力で双蛇の退魔皇にぶつかれたのに。
 近寄ってくる双蛇の退魔皇を前にして、剣崎は一歩後ずさる。
 その時だった。
「え?」
 驚きの声と供に、高揚感が消え去った。
 同時に目の前に現れる少年の姿。
「ロンギヌス?」
 声をかける。
 ロンギヌスはゆっくりとこちらを振り返り、
「たった今この時を持って剣崎戟耶との契約を破棄する」
 優しい声でそう告げた。
 途端、感じ続けていたロンギヌスの絆が断たれる。
 喪失感を覚えながら、剣崎は口を開く。
「どうして?」
 契約者が優位に立つ仮面契約に対し、通常契約は精霊と契約者が同等の力関係を持つ。
 そのために、どちらかが契約を断ち切ろうと思えばいつでも契約を断ち切れる。
 二階堂に対してしたように、ロンギヌスは一方的に剣崎との契約を断ち切った。
 ロンギヌスは微笑んでみせる。
「お前ほどの男を死なせたくはない」
「でも、魔装合体して戦えば!」
「勝てない、お前もわかっているだろう?」
 言い返せなかった。
 わかっている。
 界裂ならともかく、戮神では双蛇を倒せない。
 天敵ともいえる滅神さえ向こうの手の中。
 勝機などない。
「だからって、通常契約まで破棄する事ないだろう!」
 その通りだった。
 魔装合体はともかく、通常契約していなければ皇技どころか退技さえ使えなくなる。
 そんな剣崎に、ロンギヌスは真剣な顔をしてみせる。
「武人の誇りだ」
「誇り?」
「そう、つまらないことだ。だが、私にとっては大切な事なのだ」
 背中を向ける。
 その小さい背中が、剣崎が動く事を戒める。
「お前は生きろ、スワナンを頼んだぞ」
 振り返ることなくそう言って、ロンギヌスは前に歩き出す。
 剣崎は、何も声をかけることが出来なかった。
「待たせたな、双蛇の退魔皇」
 言って、ロンギヌスは槍を構える。
「名乗ろう」
 槍を天に掲げ、少年はさらに続けた。
「ゴルゴダの丘にぃっ! 神を殺せしこの槍がぁっ! 義を見逃すなと震えて猛る!」
 槍を脇に構え、少年は名乗りをあげた。
「我が名はロンギヌス、退魔皇剣が一振りなり!」
 槍をしごき、姿勢は低く。
「参る!」
 ロンギヌスは、一直線に双蛇の退魔皇に向かって走り出した。
 高速の踏み込み。
 しかし、色褪せて見える。
 異能者の中でもトップクラスの者でしか出せないほどの速度。
 だが、言うに及ばず突き貫く暗蒼の閃光(ダークブルー・パニッシャー)、そして速迅の速度にはほど遠い踏み込み。
 それでも、
「うおおおおぉぉぉっ!」
 怯むことなく、ロンギヌスは突き進む。
 双蛇の退魔皇は無言だった。
 ただ無言で魔伏の結界を展開し、手には大太刀。
 それを大上段で振り上げる。
 それよりも速く、
「だあぁっ!」
 ロンギヌスが槍を突き出した。
 胸目掛けて繰り出される槍。
 魔伏の結界が貫通された。
 それは双蛇の退魔皇の心臓に突き刺さり、切っ先は心臓を突きぬけ反対に飛び出す。
 動きが止まった。
 直後、双蛇の退魔皇が大太刀を振り下ろす。
 袈裟切りにされるロンギヌス。
 槍から手を離し、数歩後ろに下がる。
 背骨ごと切り裂かれた胴体。
 くっついているのが不思議なほどの肉体。
 それでも、ロンギヌスは口を開く。
「双蛇の……退魔皇よ……」
 口から血が吹き出る。
「愚かなる武人に対し……皇技も用いず退技さえ使わず……真っ向から戦ってくれた事に感謝する……」
 口元を紅に染めながら、しっかりとした声でそう告げた。
 後ろに倒れそうになる。
 そんなことは許されなかった。
 武人は敵から退く事は許されない。
 倒れるなら前のめりに。
 それが、彼が敵に見せる最後の意地。
 切り裂かれていない筋肉を総動員し、前のめりに倒れる。
 その顔には、笑顔が浮かんでいた。
 倒れた地面に血溜まりができる。
 ゆっくりと広がっていく赤い円。
 それが半透明になっていく。
 肉体に大きなダメージを受けたため、存在の維持ができなくなったのだ。
 消滅するロンギヌスの姿。
 そして、本体の槍だけが残った。
 今なお、双蛇の心臓を貫通する蒼き槍のみが。
 槍を引き抜き、双蛇の退魔皇が口を開く。
「見事だ、武人ロンギヌス」
 仮面を外し、双蛇の退魔皇は自らの血に染まる槍にを見つめる。
「遅ればせながら私も名乗ろう。魔術結社所属、特殊強襲部隊ランページファントム構成員、一の亡霊(ファーストファントム)、柴崎司。お前を打破した者の名だ。胸に刻んで逝くといい」
 落ちていく夕日が見せた最後の輝き。
 夕日がその女性の顔を照らし出す。
 それを見て、
「あ……」
 剣崎は瞬きを忘れる。
「あんたは……」
 上手く言葉が紡げない。
 そんな剣崎の方に双蛇の退魔皇は、いや柴崎は視線を向ける。
「久しぶりね、戟耶」
「司姉さん」
 一体どれだけの時間が流れたのか。
 剣崎は大きくなり、柴崎は変化をせず。
 二人は邂逅した。
「司姉さん、どうして?」
 あんたは死んだはずだ。
 胸に手をあてて聞く剣崎。
 そんな剣崎に、柴崎は小さく笑って見せた。
「イライジャっていう男がいてね、最初の双蛇の契約者。彼が精霊に裏切られた。そして、代わりに生き返らせられた私が退魔皇になった。それだけの話よ」
「よかった……生きてて……本当に……」
 涙が出そうだった。
 しかし、泣いたりはしない。
 なぜか、泣いてはいけない気がした。
「生きててよかった。心からそう思うよ」
「喜んでくれて嬉しいわ」
 微笑む柴崎。
 剣崎も微笑み返す。
 そんな柴崎のもとに、剣崎は歩いていこうとして、
「待て」
 気付いた。
「ちょっと待て」
 顔から笑顔が消えた。
 祈るようにして、剣崎は柴崎を見る。
「聞きたい事がある」
「何かしら?」
「何故、アーデルハイトを攫った?」
 そうだ。
 アーデルハイトは双蛇の退魔皇に攫われた。
 すなわち、柴崎に。
 聞かれ、柴崎は顎に手をあてながら答えた。
「この戦いに勝つためよ、私には退魔皇剣が必要だったから」
「退魔皇剣が……必要?」
「そうよ、理由は二つあるわ。一つはこの世界に戻ってくるため。この戦い、もし敗北したら私は再び死んでしまう。目的を果たすために、私は死ねないの」
「目的?」
「それがもう一つの理由、私の目的」
 柴崎は空を見上げた。
「戟耶、この世界には救いがなさすぎるわ。何度だって起こり続ける戦争、腐っていく地球、人間はお互いに殺しあい、憎しみあい、滅ぼしあう。私は、もうそんなことはたくさんなの」
 視線を剣崎に戻す。
「そう思わないかしら? 私は思った。一人でも多くの人間を助けたくて、それでも多くを死なせてようやく私は見つけ出したわ、答えを」
「答え?」
 聞き返す。
 聞きたくなかったけど聞き返した。
 返ってくる言葉は、別の人間が言っていた言葉であるような気がしていたから。
「私はね、一人でも多くの人間を救いたかったの。それで頑張って生き続けて、でも結局あなたとあなたのお友達しか救えずに死んでしまった。生き返ってから思ったわ、この奇跡は私にもっと多くの人を助けるようにっていう天啓だって」
 言葉を切り、続ける。
「蘇った時から思い続けたわ、双蛇の退魔皇を殺して退魔皇剣を奪おうと、そして全ての退魔皇剣を手に入れようと」
「手に入れて……どうするつもりだ?」
「最も多くの人間を救う方法って何だと思う?」
 尋ねる。
 剣崎はとっさに考えるが、答えるよりも速く柴崎は言った。
「ピンチのところを救うのでも、病気の予防薬を作るのでも、戦争を止めるのでもないわ。私は全部試した、そして成功した。でも世界はよくならない、そして私は気付いた」
 疲れた顔で、柴崎は続ける。
「人類に永遠を与える、これが全ての人を。いえ、人類を救う方法。確かに全ての人間を救うことはできない。でも、人類というものを永遠に生きながらせられれば、零れ落ちて不幸になる人間よりも多くの人間が幸せになれる。人類が自滅して滅びたせいで生まれてこれないはずの命が産まれてくることができるのよ」
 わずかに笑顔を浮かべる。
「思ったの、確かに生きていくことはつらいわ。それでも、この世に生まれ出ることができるのは幸福、それだけは間違いない。どんなにつらい生が待っていたとしても、生まれる時だけは幸福。だから私は思ったわ」
 剣崎の顔を見つめる。
「全ての人間を救うことは出来ない。でも、全ての人間に幸せを与える事はできる。この世界に生まれてくる幸せ、私はそれを永遠に人々に与え続けたい。そのために、私は退魔皇剣を手に入れたの」
「手に入れて、どうする気だ?」
 低い声で、剣崎は聞く。
「退魔皇剣をどう使って、人類に永遠を与えるつもりなんだ?」
「できそこないを刈り取るのよ」
 簡単なことだと言わんばかりに、柴崎は言った。
「お花を育てる時に雑草を抜くでしょ、それと似たようなもの。人類が永遠を得るには人類を脅かす存在を取り除く必要がある。外敵は私が滅ぼす、でも内面はそうはいかない。だから刈り取るの、病気を伝える遺伝子や、寿命の短い遺伝子、劣悪な遺伝子を取り除いて、優秀なものだけを残す」
「それは、あんたに選ばれなかった人間を殺すということか?」
「そうよ、十人を助けるために一人を死なせるのは仕方の無いこと。私はそうやって人々を救い続けた。あなたもそうしてくれたんでしょ?」
 嬉しそうに口にする柴崎。
 そんな柴崎に、剣崎は地面を強く踏みしめて見せた。
「あんたと……似たような思想を持った男がいた」
 歯を食いしばる。
「そう考えて、人類に永遠を与えようとして、でも罪のない人間を殺すのがいけないことだと分かってて、それでも引き下がれなかった男がいた」
 叫びだしそうなのを堪える。
「あんたも、そうなのか?」
 悲痛な声。
 そんな剣崎に、柴崎は言った。
「そうよ、私は柴崎司。人々を救うために戦い、死んでいく存在。それが人類を救う道を見つけたなら、人類を救う術を手にしたなら、試さないわけにはいかないわ」
「あんたに選ばれなかった人間の……屍の山を築いてもか?」
「そうよ」
「そうか……」
 睨み付ける。
 そして言った。
「なら、あんたはオレの敵だ」
 コートの中から刻銃を引き抜く。
 そして、銃口を柴崎に向けた。
「それで、私を殺せるとでも?」
「やってみなくちゃわからない」
 勝てないことなど分かっていた。
 それでも、引き下がってはいけない気がした。
 使命感だけで銃口を向ける剣崎。
 そんな剣崎を見て、柴崎はため息をついた。
「あなた、昔からそうやって正義感ばかり強かったわね。成長しないで大人になっちゃって。お姉さん、ちょっぴり残念だぞ」
 わざとおどけて言う柴崎。
「悪いけど、今はあなたと遊んでる時間はないわ。私は八岐大蛇と契約をかわす、そして世界を浄化する。だから、もう帰らせてもらうわ」
 そう言うと、虚空から矛を出現させ、手の中に収める。
 存在確率の書き換えによる空間転移。
 柴崎の思惑に気付き、剣崎は叫ぶ。
「待て、アーデルハイトを返せ!」
「ダメよ、返してあげない。返したら私に反逆するでしょ? だから、ダメ。全てが終わったら返してあげるわ、じゃあね」
「逃がすか!」
 剣崎は銃口を引き絞る。
 即座に射出される六発の魔弾。
 しかし、全ては魔伏によって展開された結界によって防がれてしまう。
 そんな剣崎に微笑を浮かべ、柴崎は自分の腕に矛の刃を走らせる。
 そして、その場から消失した。
 そこに存在する確率をゼロに書換えたのだ。
 おそらく、どこか遠くに転移してしまったのだろう。
「くそっ!」
 地面を見つめる剣崎。
「何て様だ」
 拳を握り締め、歯を食いしばる。
 再会した恩人。
 変わり果てた恩人。
 いや、変わってなどいない。
 あの人はもとからああいう人だった。
 ただ、その願いを叶える力を手にしてしまっただけ。
 それを理解し、それでも止められなかったことを悔やみ。
 剣崎は歯を食いしばる。
 風が吹く。
 剣崎は戻ってきた二階堂たちが剣崎の姿を見つけるまで、そこでそのまま立ち尽くしているのだった。







「さて、どうしたもんかねぇ」
 大きくため息をつく二階堂。
 手でカーテンを僅かに開き、外の景色を見る。
 時刻はすでに十二時を回っていた。
 空は暗く、深き夜の時間。
 二階堂は、コタツに行儀悪く腰掛けている剣崎に顔を向けた。
「どうするよ?」
「考え中だ」
 短く答える剣崎。
 そう、剣崎と二階堂は学寮のアパートにいた。
 もちろん剣崎が須藤数騎名義で借りている部屋だ。
 戦いが終わり、ヘルハウンドに乗った三人と合流した剣崎は善後策を全員で考えようとした。
 が、そうもいかなかった。
 魔術の使いすぎで輝光を使いすぎた韮澤は、疲労困憊のために熟睡していたからだ。
 それに、裏の世界に足を突っ込んでいるとはいえ、村上は一般人に過ぎない。
 仕方なく、剣崎は村上に韮澤を送るように言い、そのまま自分の寮に帰らせた。
 文句を言ってきたが、押し通した。
 ただでさえ危険なことをさせたのだ、これ以上巻き込めなかった。
 それに、さきほどは勝機がわずかにでもあったが、今は勝機さえ見出せない。
 韮澤と村上を送り出し、剣崎と二階堂は徒歩で学寮まで戻る。
 そして、二人で策を巡らせていたのだが。
「ダメだ、思い浮かばない」
 頭を抱える剣崎。
 それを見て、二階堂はため息をついた。
「あー、お前が思いつかないんじゃお手上げだな」
「お前も少しは考えたらどうだ?」
「ま、考えてはいるけどよ。正直言って、オレはその女を止める事ができるとはどうしても思えないんだよ」
 窓から離れ、二階堂は剣崎の側まで歩く。
「考えてみろよ、退魔皇同士の戦いは退魔皇同士だから成り立ってた。たった一振りの退魔皇ですら手にあまる存在なんだ。それが九振り集まって、しかもオレたちは一振りも持ってない。持ってたとしても……」
 言葉を切る二階堂。
「生半可な退魔皇剣じゃ太刀打ちはできないだろうな。何しろ防御の魔伏、再生の双蛇を併せ持ってるんだ。貫通できても滅ぼせず、滅ぼせても防がれるじゃ勝ち目が無い」
「退魔皇剣をもってなければ?」
「もっと絶望的だろうな。ったく、どうしようもないってのはまさにこの事だぜ」
 舌打ちを漏らす二階堂。
 と、気付いたように剣崎が言った。
「魔皇剣」
「ん〜」
「魔皇剣があれば、勝てるか?」
「種類によるな、何だ?」
「法の書」
「アーデルハイトか」
 アゴに手をあてて考える。
「法の書の能力なら……できないことはないだろうが、信じられるのか?」
 法の書には信じたことを現実にする力がある。
「……難しいだろうな」
 目を伏せる剣崎。
 そう、法の書は信じたことを現実にする力がある。
 しかし、そのためには心から信じる必要があった。
 少しでも疑念をはさめばたちまち力は失われる。
 そして剣崎には、法の書程度で退魔皇剣をどうにかできると信じるなどできるはずもなかった。
 そんなこと、今この瞬間に月が地上に落ちてくるに等しい出来事だった。
「それに、アーデルハイトはあの女の手の内だろ? どちらにしろ無理じゃねぇか」
「確かに……そうだな」
 前提条件がおかしかったのだ。
 魔皇剣があれば柴崎に対抗できるかもしれない。
 しかし、その魔皇剣は柴崎を打破しなければ戻ってこない。
「万事休すか」
 深くため息をつく剣崎。
 剣崎の暗い表情を見て、二階堂は右手で頭をかきはじめる。
 その時だった。
 ノックが聞こえた。
 二人の視線がドアに集中する。
 コタツから立ち上がり、剣崎はドアの鍵を開ける。
 ドアの向こうには三人の姿があった。
 いや、正確には二人と一匹か。
 一人は少年、一人は天狗、そして最後の一匹は猫。
「ジェ・ルージュ」
 真ん中に立つ少年の名を呼ぶ剣崎。
 そんな剣崎の顔を、ジェ・ルージュは腕を組みながら見上げた。
「待たせたな」
 笑みを作りながら続ける。
「切り札を持ってきたぞ」
 そう言って右後ろに立つ天狗を指差す。
 天狗の手には二メートルを超えそうな長さの大太刀。
 紅鞘に刀身を隠すその大太刀は、柄も長く、軽く五十センチほどはありそうだった。
「ジェ・ルージュ、今までどこに行ってたんだ?」
「いろいろと準備してたんだ、お前達が無様に敗北してもいいようにな」
 言いながら、ジェ・ルージュは剣崎たちの部屋に上がりこむ。
 天狗、そして燕雀もその後に続いた。
 と、近くにいる二階堂の顔を見上げる。
「お前も負けたか、無様だな」
「うるせぇ、テメェも開闢にやられてんじゃねぇか。クソガキのくせにナマこいてんじゃねぇよ」
「黙れ、そもそも貴様が過去の因縁に執着しなければ最初から貴様と須藤数騎のコンビでこの戦いで優勝さえ狙えていたのがわからんのか?」
「あー、はいはい。その節は悪うございました」
 面倒くさそうに耳をほじりながら答える二階堂。
 それを見て、ジェ・ルージュは歯軋りし始める。
 何か言おうと口を開くが、それよりも早く剣崎は言った。
「そうだ、ジェ・ルージュ」
「何だ?」
 不機嫌な顔で振りむく。
 そんなジェ・ルージュに、剣崎は微笑んで見せた。
「もう須藤数騎じゃない、今は剣崎戟耶だ」
「思い出したのか?」
「おかげさまで、全部な」
「そうか、せっかく世間的に須藤数騎を殺してやったのが無駄になったか。まぁ、構わん」
「迷惑をかけたな」
「何、天狗の助力を得るためだ」
 そう言って、ジェ・ルージュは天狗に視線を向ける。
「天狗を駒にするためには、お前に恩を売る必要があった。それだけだ」
「天狗を動かすのに……オレに恩?」
 剣崎はじっと天狗の顔を見つめる。
 天狗の仮面の奥。
 こちらを見つめる漆黒の瞳。
「記憶も戻ったようだし、顔を見せてやったらどうだ?」
 燕雀が天狗に言った。
 言われ、天狗はカブトを外し、地面に置く。
 そして、その仮面を取った。
「あ……」
 その顔を見て、剣崎はあいた口がふさがらなかった。
 それは知った顔。
 何年も供に暮らした女性の顔。
「久しぶり、戟耶。そう呼んでいい?」
 困ったような顔で聞いてくる女性。
 そんな女性に、剣崎答えた。
「あぁ、もう司なんて呼ばなくていい。オレは剣崎戟耶だから」
 泣きそうになりながらも、涙を押し留める。
「久しぶりだ、朔夜。死んだと聞いていた」
 そう、死んだはずだった。
 石化の魔眼によって石化させられ、全身を砕かれて死んだと聞いたいた。
「私も死んだと思った、でも生きてた」
 そう言って、朔夜と呼ばれた女性はジェ・ルージュに視線を向ける。
 腕を組み、ジェ・ルージュは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「なるほど、確かに全身を石化された後で砕ければ死ぬだろう。しかし、それはそのまま石化を解除したらの話だ。そんな状態で元に戻れば間違いなく死ぬ。しかし、砕かれた肉体を元に戻してから石化を解いたらどうだ、うん?」
 人差し指を立てて、ジェ・ルージュは続ける。
「砕かれた物質を再び元に戻す魔道具、私が開発した世界に一つしかない接着剤『アロン・オメガ』の力を舐めてもらっては困るのだよ。作るのには大層金がかかったぞ、この国で言うなら十億くらいか。薙風朔夜が生きているのは私のおかげなのだ、感謝しすぎて損をすることはないはずだぞ、ふふふふふ」
 楽しそうに自慢するジェ・ルージュ。
 しかし、当事者たちはそんな説明聞いていなかった。
「本当によかった、朔夜……」
 涙を堪えるので剣崎は必死だった。
 幼い頃、同じ家で暮らしたこの女性の前で泣くのは、なんだか気恥ずかしい気がしたのだ。
 と、二階堂が会話に割り込んできた。
「よぉ、生きてたか薙風」
「二階堂、久しぶり」
 二階堂に向き直り、薙風は左目を瞑ってみせる。
 意味など無い。
 ただ、薙風は片目を瞑って喋るのが癖だった、それだけだ。
 それを見て、二階堂は思わず嬉しくなった。
 昔、四人でチームを組んでいたことを思い出したからだ。
 その時から、薙風の喋り方は変わっていなかった。
「懐かしいな、薙風。二年ぶりか」
「正確には二年と九ヶ月。あなたが入院した時から会ってない」
「そうか、そうだったな」
 あいかわらずそっけない喋り方をする女だと思った。
 それが彼女の魅力なのだろうか?
 二階堂にはよくわからなかった。
 そんな二人のやり取りを剣崎は微笑ましく眺めていたが、思い出してジェ・ルージュの顔を見る。
「そうだ、ちょっといいか」
「何かな?」
「驚く事があって忘れてたが、切り札を持ってきたとか言ったな?」
 剣崎がそう言うと、部屋中の視線がジェ・ルージュに集まった。
 ニヤリを笑みを浮かべ、ジェ・ルージュはアゴに手をあてる。
「そうだな、本題はそれだったのだが脇道のそれてしまっていた。おい、天狗」
 そう言ってジェ・ルージュは薙風を見上げる。
 薙風は持っていた大太刀をジェ・ルージュに渡そうとする。
「違う、剣崎戟耶に渡してくれ」
 その言葉に従い、薙風は剣崎の大太刀を渡した。
 二メートルを超える大太刀。
 紅鞘に入ったそれを剣崎は両手で抱える。
「これが切り札なのか?」
「そうだ、それこそが八岐大蛇に対抗できる唯一の魔皇剣だ。輝光をその魔皇剣に集中しろ、精霊を呼び出してみるといい」
 その言葉に従い、剣崎は両目を閉じて輝光を練り始める。
 それを手に集中させ、大太刀の中に注ぎ込むイメージ。
 大太刀が深紅の輝きを放ち始める。
 そして、その魔皇剣が起動した。
 淡い光と供にその精霊が剣崎の目の前に現れる。
「お久しぶりです、数騎さん」
 笑顔を向けてくる精霊。
 剣崎は知っていた、その精霊の顔を。
 もう会えないと思っていた知り合いに二度連続で会うことで、剣崎の心は驚きに疲れきっていた。
 それでも、言わざるを得ない。
「どうしてお前がここにいるんだ?」 
 剣崎はその精霊の名を口にした。
「エア」







 鏡写しの世界に女性はいた。
 アスファルトで舗装された地面。
 しかし、町外れであるために、そこかしこに整地されていない土地が存在した。
 茶色い泥が雑草の中に見え隠れする。
 見上げる先には丘。
 丘の上には長い塀で囲まれた屋敷があった。
 二年前、赤志野という大富豪が住んでいた屋敷だったが、家主の失踪によりその富豪の会社は倒産。
 売りに出されたが買い手がつかず、未だに無人のその屋敷。
 それを、丘の下から女性が見上げていた。
「ここは霊脈だな、間違いない」
 女性の側にいる老人が女性に話しかけた。
「本当はあの山がよかったのだがな、どうしてこちらなのだ? 確かに霊脈としては優れているが、源泉はあくまであの山なのでは?」
 尋ねてくる老人、カドゥケウスに女性、柴崎司は言った。
「あなたの言う通りあの山はこの町に走る霊脈の源泉よ。でも、力が強すぎるわ。あなたを完全体にする儀式にあそこは適さない」
「そうかね? 九振りを持つ退魔皇が術式を失敗するとは考えられないが」
「違うわ、向こうだと邪魔が入ると厄介なのよ」
「邪魔?」
「そうよ、もし誰かがやってきた私達の邪魔をしようとした時、あれだけ強力な輝光の存在する空間では、向こうが術を使うバックアップになってしまう可能性が高い」
「赤の魔術師を恐れているのかね?」
 聞いてくるカドゥケウス。
 柴崎司は頷いて見せた。
「確かに赤の魔術師は開闢の退魔皇にやられはしたわ。でも、彼には必殺の術式がある。あの術式をやられたら、あなたが動けない状態では非常に厄介なことになるわ。何しろ……」
 深夜二時半になるまで、あなたは全ての力を失うんだから。
 口には出さない。
 お互いに理解し合っていることだ。
 九振りの退魔皇剣が集い、八岐大蛇を復活させるのはこの戦いの目的だった。
 そして、八岐大蛇は深夜二時に儀式を行うことでこの世界に再臨する。
 今のカドゥケウスはあくまで九振りの退魔皇剣を内包する退魔皇の精霊にすぎないのだ。
「二時になったら儀式に入るわ。三十分は守り通してみせる」
「できるのかね?」
「してみせるわ。儀式に必要な三十分はかならず私が守り通す。あなたは絶対に儀式を失敗させないこと」
「わかっているとも、こちらも命がかかっている故」
 カドゥケウスは薄く笑って見せた。
 そう、カドゥケウスは命がけだった。
 九振りの退魔皇剣の内包、それはカドゥケウスという存在に大きな負担を与えていた。
 超弩級の存在である退魔皇剣を全て保有しているのだ。
 重圧は生半可なものではない。
 その肉体を支えるには八岐大蛇となるより他にない。
 そして、カドゥケウスの肉体が持つ時間はおよそ一日。
 儀式が行える時間は限られており、丑の刻の間だけ。
 儀式に必要な時間は三十分。
 つまり、儀式のチャンスは今日一日しかない。
 失敗すればカドゥケウスは肉体を支えきれず消滅する。
 それは柴崎司にとっても避けねばならない事態だった。
「カドゥケウス、準備をするわ」
「何か皇技を使っておくかね?」
「双蛇を使うわ」
「なるほど、賢い考えだ」
 そう言うカドゥケウスを横目に、柴崎司は蛇をかたどった仮面をかぶる。
「魔装合体」
 言葉と供に、カドゥケウスが紫の輝光へと姿を変えた。
 渦を巻くように駆け巡る高密度の輝光を吸収し、柴崎司は九振りの退魔皇剣をもつ退魔皇となった。
 虚空から杖を出現させる。
 そして、
「全てを癒せし杖よ、死者を黄泉より誘うカドゥケウスの杖よ、この世界を育む生命(いのち)を」
 紡がれる詠唱は、
「蘇生する万物の叫び(ヴォイス・オブ・オール)」
 その皇技を発動させた。
 それと同時に、柴崎司の周りに幾千の人間が姿を現した。
 見渡す限り人、人、人。
 まるで、昼間の都会を歩く人々を瞬間移動させてしまったかのようだった。
 丘の下に集まる数千の人間。
 それは、柴崎司が呼び集めた霊魂だった。
 美坂町一帯に葬られた人間たちの霊魂を集めそれの複製を作り出し、それに輝光を与えて具現化することで死者を蘇らせる。
 それが双蛇の退魔皇の皇技、蘇生する万物の叫び(ヴォイス・オブ・オール)だった。
 この地に記憶された、その人間がいたという情報を読み取り、その複製を作っているわけだから魂が成仏していようが関係ない。
 元からある魂は普通に複製するだけなので、具現化した魂が傷つけられても何ら問題は生じない。
 さらに、複製する際に自意識を存在させず複製するので、命令に従順な兵を幾千と得ることが出来る。
「準備完了ね」
 そう言って、柴崎司は仮面を外した。
 同時に再び姿を現すカドゥケウス。
「確か、この死者たちは自動で動いてくれるのよね?」
 尋ねる柴崎司。
 そんな柴崎司に、カドゥケウスは嬉しそうに頷いた。
「そうとも、こやつらがいれば三十分を稼ぐ事も可能だろう」
「だといいのだけど」
 心配そうにため息をつく柴崎司。
 カドゥケウスは柴崎司に見える位置で丘の上の屋敷を指差した。
「さぁ、警護はこやつらに任せて、私達は屋敷に行こうじゃないか。儀式の準備もあるのだろう?」
「そうね」
 歩き出そうとし、振り返る。
 そこには幾千の死者たち。
 気がつくと左腕に感覚がなくなっていた。
 双蛇の皇技の代償は神経。
 死者が動いている間だけ、動いている数に対応した肉体の神経が稼動しなくなる。
 死者が死ぬたびに神経は蘇り、全て死んだ場合は元に戻る。
 他の退魔皇剣に比べ、あまりにも小さな代償。
 しかし、双蛇で全ての代償を相殺できる今、この大したことの無い代償が柴崎司にとっては最大の苦痛を与える代償ではあったのだが。
 腕が動かない事など気にせず、柴崎司は屋敷に向かって歩き出す。
 気がつくと寒さも暑さも感じなくなっている事に気付いた。
 熱を感じる神経が停止しているのだ。
 腕だけではこれだけの死者の稼動を賄えなかったのだろう。
 柴崎司はそんなことを気にせずに歩いた。
 ふと空を見上げる。
 空には満月。
 雲が多く浮かぶ空で、頼もしい光を放っている。
 月の光に照らされながら歩く柴崎司。
 鏡内界の中では電灯も光る事は無いため、それは夜空に光る星とともに数少ない光源。
 月が雲に隠れていないことを感謝しながら、柴崎司は坂道を登っていくのであった。







「話せば長くなりますが、聞いていただかないといけません。とりあえず皆様、長話になると思われるので、どうぞお座りください」
 そう言って、真っ先にエアは地面に腰をおろす。
 丁寧な事に正座している。
 剣崎たちは適当に胡坐をかくことにした。
 全員が座り終わり、エアが口を開いた。
「さて、それでは何から話しましょうか」
「何でお前がここにいるかだ、消滅したはずだろう?」
「どちらかというと、肉体を維持できなくなっただけなんですけどね」
 剣崎を言葉を、エアは苦笑しながら正す。
「そうですね、では始まりから話すことにしましょう。今から聞いていただくのはこの国の古代に起こった出来事。神話の戦いとして語り継がれる魔剣伝承です」
「魔剣伝承……」
 反芻する剣崎。
 そんな剣崎に、エアは頷いて見せた。
「この国は、高天原(たかまがはら)と呼ばれる場所から来た神によって作られました。具体的に言うと開闢の精霊にされたあの男によって創られたわけです。開闢の精霊にされたイザナギは後に三人の子供を生み出します、アマテラス、ツクヨミ、そしてスサノオです」
 と、二階堂が手をあげた。
「スサノオって、八岐大蛇を倒したあのスサノオか?」
「そのスサノオです、それ以外にいません」
 二階堂の質問に、エアは率直に答えた。
「この日本の神の一族には、さらに祖先と呼ばれる神が存在します。この次元を作り出した創造神、真なる神ですね。この地上で神と呼ばれている連中はこの真なる神の末裔、もしくは世界自身である神の力を操れる連中です。この頃の世界は異能者で満ちていました。世界から力を引き出し、多くの魔皇剣が創られました」
「世界から力を引き出した?」
 首を傾げる剣崎。
「はい、この世界を創りし神は、世界にあらゆる状況に対応できるように多くの術式を残していました。その術式を引き出し、精霊と化した人柱でもって物質にその術式を固定させる技術が魔皇剣です」
「じゃあ、魔皇剣というのは?」
「世界に残された神の力の破片です、そのために魔皇剣を用いる魔皇は大きな力を持ちます。破片の中でも、特に強力な破片が九つありました。乖離、貫通、追跡、反射、再生、消滅、確率、環境、熱量の九つです」
「待て、それって」
「退魔皇剣の能力です。この頂点に位置する九つ、これは神により封印された力でした。しかし、それを手にしてしまった魔皇がいた」
「誰だ?」
「イザナギです。彼は天才であったために、確率の力を手に入れてしまった。そして、元々は世界に一つしかなかった大陸の外に、後に日本と呼ばれるようになる島国を作り出してしまいました。一つの大陸の中で異能者たちを従え、覇を競っていた魔皇たちはイザナギの所業に驚きました。そして、欲しました。イザナギと同等の力、封印されし九つの破片を」
「それで、どうなったんだ?」
「さらなる英知でもって世界から破片を吸い上げようとしました。この結果、九のうち八の破片が魔皇の手に落ちました。千年に及ぶ魔皇たちの抗争に決着をつける大戦争、退魔皇戦争の勃発です。魔皇を従えた退魔皇たちは領土拡張戦争を繰り広げます。結果、大陸は分断、世界は荒廃しました」
「すげぇ話だな」
「ですが事実です。これは約二億年前に起きた本当のことです」
「眉唾だな。それで、残った一つはどうなったんだ?」
「はい、神はこの事態にとうとう動き出すことになりました。神は地上に使わした自らの代行者に乖離の刀を与えられ、破片を手にした魔皇たちを次々と葬っていきます」
「それで?」
「他の八つが奪われても乖離の破片が残ったのはそれが最強の力だったからです。神がこの地上を創る時、天と地を引き裂いた剣です。他の八つでは力を合わせない限り対抗できるものではありません」
「あぁ、確かにあれはすごかった」
 一度だけ発動したあの皇技を思い出す。
 人間が使ってあれだったのだ。
 神が使えばどれほどのものになるだろう。
「代行者は瞬く間に全ての破片を回収、八岐大蛇をこの地上に呼び出しました。そしてその力でもってこの地上に存在したほぼ全ての魔皇を討伐することに成功します」
「それで戦争は終わったのか?」
「はい、しかし問題が残りました」
「どんな?」
「八岐大蛇の存在自体です。魔皇が及ぶべくも無い最強の力を野放しにするわけにはいきません。そのために、神は界裂の力を劣化コピーさせた退魔皇剣、偽・退魔皇剣を作り出します」
「偽物の退魔皇剣……」
「そう、紛い物です。界裂の乖離という能力をコピー、ただし一部のもの限定での絶対乖離能力を持つ魔剣を」
「何て魔剣なんだ?」
「八岐大蛇を倒した魔剣です」
「草薙の剣?」
「違います」
 首を横に振るエア。
「よく勘違いされているようですが、草薙の剣は八岐大蛇を倒した剣ではなく、八岐大蛇の尾から入手したとされる魔剣です。八岐大蛇を倒したのは別の剣です」
「つまり、偽・退魔皇剣?」
「はい、その名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といいます。代行者は神に特別な加護を与えられ、退魔皇であると同時に界裂の精霊でもありました。神は八岐大蛇から界裂の精霊の魂を抜き出し、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に憑依させ、ただの魔皇剣でありながら、退魔皇剣に準ずる力を持つ魔皇剣としました」
「ちょっと待て」
 剣崎がエアの説明を止める。
「何て言った? 代行者は界裂の精霊? それってつまり……」
「はい、私が退魔皇戦争を終結させた退魔皇ということになります。昔は人間でした、あの頃は神の力によって人間でありながら精霊であり、単独で退魔皇剣の皇技を使える特別な存在でした」
「何てこった、神話の生き語りときたか」
「あまり出来る経験ではないでしょうね」
「全くだ」
 頭を抱える剣崎。
「それで、八岐大蛇はどうなったんだ?」
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に憑依させられるまでは、私は人間であり精霊でした。しかし、この憑依のために私は人間であることを捨てました。よって、私を操れるだけの人間が必要となります。しかし退魔皇剣は使用者が限られます。退魔皇剣を使用できるだけの力量を持った人間は私が全て殺しつくしています」
「つまり、そんなお前が見つけ出したのが」
「スサノオです、彼は私と協力し、八岐大蛇をこの世界から斬り飛ばしました」
「消滅させたのか?」
「はい、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は龍、そして呪いという二つの存在に対する絶対乖離権を所持しています。退魔皇剣の持つ龍の力、そしてそれを現世にとどめる魔皇たちの呪い。同時にこの二つを切り裂く必要があったからです」
「なるほど」
 納得したように頷く剣崎。
 と、思い出してエアの顔を見た。
「それで、何でお前はこの剣に憑依してるんだ? 界裂に憑依してたはずだろう?」
「そうですね、先程も言った通り全ての能力の中で界裂は特別な存在です。他の退魔皇剣が八岐大蛇の首であるのに対し、私だけが尾です。私は界裂に憑依していますが、それが出来なくなるほど疲弊し、他の退魔皇剣に吸収されそうになった時、避難所として天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に逃げることができます。これは神が作った保険ですが」
「保険?」
「はい、再び八岐大蛇が甦り、魔皇の手に落ちても対抗できるようにという処置ですね。消滅したとは言え、退魔皇剣はこの地上に存在してしまいました。そして、存在した以上、再現の能力でこの地上に再臨させることができます。そうなってしまった時のために、ということですね。もっとも、界裂も再現されない場合は問題がでますが」
「どういう問題だ?」
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の保険は界裂の起動が必須条件なんです。界裂は尾であり、八岐大蛇という完全なる退魔皇剣において、始まりの退魔皇剣として存在します。界裂が甦った場合、他の退魔皇剣が一斉に甦ります。いわば緊急事態ですね、界裂があれば八岐大蛇が生じます。しかし、界裂なしでは再現の能力者が死ねば退魔皇剣も消滅します。ロンギヌスを覚えていますか?」
「戮神か?」
「はい、彼は再現の力をもって生まれてきた異能者です。私のように特別な存在であり、在命時は単独で精霊と人間を兼ねていました。死して後、彼は戮神の精霊となり消滅、再び世界に能力ごと戻りました」
「他にもそういうのがいるのか?」
「はい、私以外の全ての退魔皇はそんな感じですね。いえ、私もですね一応。まぁ、そんなわけで八岐大蛇の再臨の場合、私は敗れても天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)として甦る事ができます。そして、あなたの前にいる」
「あの時の言葉はそういう意味だったんだな?」
 界裂の仮面が砕かれた時のことを剣崎は言った。
 そんな剣崎に、エアは申し訳なさそうに頭をかいてみせる。
「面目ない、まさか敗退するとは思わず、伝え忘れたことを許してください」
「謝るのはこっちだ、騙されてお前を敗北させた」
 頭を下げる剣崎。
 それを見て、エアは慌てだした。
「謝らないでください、私が油断していたのも確かなのですから。まぁ、そんなわけで私は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に戻り、この地に封印されていたのをこの方に呼び起こされました」
 言って、エアはジェ・ルージュを指し示す。
「本来なら八岐大蛇が甦ると同時に起動するところを、彼のおかげで早めに起動できました。ありがたいことです」
「ん、ちょっと待てよ」
 二階堂が会話に割り込んできた。
「お前、神に八岐大蛇を討伐するために作られたんだろ? だったら早めに動かなくてもどっしり構えてりゃいいじゃないか?」
 そんな二階堂に、エアは首を横に振ってみせる。
「そうも行きません。私の存在はあくまで保険であり、本命は界裂です。界裂が万が一他の退魔皇剣に敗れた時の保険です、それ以上ではありません」
「つまり、八岐大蛇より弱いってことか?」
「もっとひどいです、他の退魔皇剣以下です」
「すげぇ戦力差だな」
「保険ですから、それでも打倒できる毒があるだけマシと言うものです」
「なるほど」
 二階堂は納得したような顔をした。
 エアは剣崎に視線を戻す。
「ですから、八岐大蛇再臨の前に戻ってこれたのはチャンスです。儀式の隙を突き、双蛇の退魔皇を打倒しましょう」
「儀式?」
 耳慣れない言葉を聞き、剣崎が反芻する。
 エアは慌てて言った。
「そうだ、説明していませんでしたね。八岐大蛇は夜、丑の刻の間にのみ行うことのできる儀式によりこの世界に再臨します。そして、そのためには三十分間、結界に篭る必要があります。この際、結界の中の退魔皇の精霊はその力を行使することができません」
「つまり?」
「退魔皇剣なしで充分打破できます。そして、あなたたちは劣化版とはいえ、退魔皇剣を手にしている」
 エアが自分を指差す。
「私です、あなたたちの切り札は」
「いい仕事するじゃねぇか、ジェ・ルージュ」
 剣崎はジェ・ルージュを見て笑顔を浮かべる。
「ふんっ、ようやく私の偉大さがわかったか」
 鼻を鳴らすジェ・ルージュ。
 顔が嬉しそうなので、まんざらでもないらしい。
 そんなジェ・ルージュを横目に、エアは続けた。
「儀式は夜二時から始まると考えていいでしょう、おそらく向こうも焦っているはずです。そのタイミングにあわせて襲撃をかければ退魔皇剣による迎撃は考えなくても大丈夫だと思われます。勝機はないわけではないのです」
「だが、問題もあるぞ」
 ジェ・ルージュが口を開いた。
「お前は界裂の劣化コピー、つまりお前を使うには剣崎戟耶薙風である必要がある」
「ちょっと待て、それはマズイ」
 剣崎は途端、困った顔になった。
「オレは剣崎と戟耶の家系の混血だが、薙風の血が足りない」
「ってことは、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は使えないじゃねぇか!」
 驚きの声をあげる二階堂。
 そんな二階堂を、ジェ・ルージュはうるさそうな目で見た。
「大丈夫だ、そのための魔剣を剣崎戟耶は持っている」
「記憶に無いが」
「法の書だ、あれは信じたことを現実に出来る。お前が剣崎戟耶薙風であると信じればいい」
「でも、アーデルハイトは……」
 言いよどむ剣崎。
 そう、法の書は柴崎司に奪われていた。
 使いたくても使いようが無い。
 と、ジェ・ルージュが人差し指を立てる。
「問題ない、写本がある」
「写本?」
「そうだ、限定的ではあるが法の書の力を持っている。劣化コピーだがその程度のことなら充分にできるはずだ」
 言って、ジェ・ルージュは懐から本を取り出して剣崎に渡す。
「頑張れ、勝負はお前にかかっている。信じろ」
「努力はする」
 緊張した面持ちで剣崎は頷く。
 それを見て、ジェ・ルージュは全員を見回した。
「さて、これで説明は終わりだ。戦闘開始は二時。輝光探知によると敵の距離はここからおよそ十二キロ、十五分前には動くからそのつもりで待機しろ」
 そう言うと、ジェ・ルージュは部屋の端の方に向かっていき、座り込むと燕雀と打ち合わせを始めていた。
「数騎さん」
 声をかけられる。
 顔を向けると、そこにはエアがいた。
「なんとなくわかっていましたが、あなたはやはりスサノオの子孫のようですね」
「あぁ、本当は剣崎戟耶っていう名だ」
「なるほど、スサノオが生んだ三つ子はそのように名乗っていましたね」
「三つ子だったのか」
「はい、スサノオの力は一人の人間が受け継ぐには強すぎます。三分割してはじめて人間が備えていても生きていけるのです。そういう意味で、三分の二を持つあなたは奇跡のような存在でしょう」
「そうなのか?」
「そうです、そして何よりスサノオに似ている。あなたを見ていると昔を思い出します」
「そうか」
 はるか昔の知人を思い出し、顔を輝かせているエアの顔を見て、剣崎は思わず微笑んでいた。
 と、気付いたようにエアが口を開く。
「そうだ、数騎さん。もしよろしければなのですが」
「何だ?」
「あなたのことを戟耶、と呼ばしていただいても構わないでしょうか?」
「いいぜ、どうせそっちの方が本名なんだし」
「よかった、では戟耶で。あぁ、実に懐かしい」
 嬉しそうに、エアは目を瞑って微笑む。
「スサノオの事もそう呼んでいたのです、彼に似ているあなたにはうってつけの名前です」
 しみじみと言うエア。
 そんなエアに、剣崎は聞いてみることにした。
「ところで、もしかしてなんだけど」
「何ですか?」
「あの時、オレを助けてくれたのは、スサノオに似てたからか?」
「あなたと契約を交わしたのはあなたがスサノオに似ている気がしたからですが、助けたのはあなたがスサノオに似てたからではありません。死にそうな人間を助けるのに、理由がいりますか?」
 言われ、剣崎はきょとんとした顔でエアの顔を見つめる。
「そうか……そうだな……」
 答えがあまりにも当たり前すぎて、思わず剣崎は苦笑してしまった。
 その様子を、二階堂と薙風は楽しそうに見つめている。
 それからしばらくすると、彼らはこの後にはじまるであろう戦いに向けて準備を開始することになる。
 夜は、まだまだこれからだった。














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