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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>第十一羽 剣崎戟耶薙風

第十一羽 剣崎戟耶薙風



 満月は雲に隠れていた。
 木生い茂る丘の周りには、無数の人影。
 それぞれが武装し、蠢きながら警戒を怠らない。
 時刻は一時五十五分。
 丘が見えるその位置。
 美坂町はずれに建設された六階建てラブホテルの屋上に剣崎たちはいた。
「さぁ、五分前だ。覚悟を決めろよ」
 全員を見回しながら声を出すジェ・ルージュ。
 剣崎、薙風、二階堂、エア、そして燕雀。
 八岐大蛇再臨を止めるメンバーがここに集っていた。
「作戦、もう一度確認しておこうぜ」
 ジーンズだけを履き、傷だらけの上半身を露にしながらコートを羽織る二階堂が口を開いた。
 それに同意するように、剣崎とエア、そして薙風は頷く。
 甲冑姿の薙風は、天狗の仮面をかぶっていた。
 全員の視線がジェ・ルージュに集まる。
 ジェ・ルージュは人差し指を立てた。
「いいだろう、これが最後だ。心して聞け」
 そして、人差し指を丘に向ける。
「今から私があの丘に向けて強力な術式を放つ。そうすればあそこにいる死者の過半数が死ぬだろう。そこにお前達が突っ込む、剣崎を優先して進ませろ、こいつ以外に柴崎司を打破できる人間はいない。天狗はその援護に回れ」
「オレは?」
 自分を指差して聞く二階堂。
 そんな二階堂にジェ・ルージュは言う。
「お前はさっき言った通りだ、後で誰もいないところで教えてやる」
「二階堂に何をさせる気なんだ?」
 尋ねる剣崎。
 そう、ジェ・ルージュは作戦を立てておきながらその全てを全員に語っていなかった。
 二階堂の役割分担だけ誰にもわからない。
 立案者のジェ・ルージュ以外は、だ。
「教えてやりたいが無理だな。言ったらお前の動きが鈍る。敵に悟られるわけにはいかないのだ」
「だから、どうしてなんだ?」
「じき分かる、お前が二階堂の動きを知らないのが最上なのだ、理解しろ」
「し難いのだが」
「してもらわなくては困る」
 不機嫌にそう言うジェ・ルージュ。
「とにかく、全ては勝利のためだ。私は八岐大蛇を止めるため、お前達は法の書の精霊を助けるためか? どちらにしろ柴崎司の打破は共通目標だ、信じろ」
「……ここまで来たんだ、信じるしかないだろう」
 舌打ち混じりに言う剣崎。
 そんな剣崎に、ジェ・ルージュは嬉しそうに微笑んでみせる。
「なぁに、悪いようにはしないさ。さて、じゃあどいてもらうとでもしようか」
 そう言って、ジェ・ルージュは丘に対する対角線上から全員を離れさせた。
 と、離れながらエアが口を開いた。
「ところで、最後に質問ですが」
「なんだ?」
「あの……服のサイズがおかしくありませんか?」
 そう、エアの疑問はもっともだった。
 ジェ・ルージュが身に纏うローブ。
 それは明らかに大人が着る用の大きさであり、ジェ・ルージュはその魔術師のローブを地面に引きずらせていた。
「すぐ分かる、とりあえず早くどけ」
「わかりました」
 文句も言わず、エアは剣崎とともに屋上の左側に移動した。
 二階堂、薙風は右、燕雀はジェ・ルージュの後ろに陣取る。
 それを確認すると、ジェ・ルージュはビニールで包まれた飴玉を取り出す。
 そしてビニールをほどくと、それを口の中に放り込んだ。
「行くぞ」
 そう言うと同時に、ジェ・ルージュはその飴玉を噛み砕いた。
 開闢の能力である、存在確率屈折投影現象に対抗する力をもったその魔道具は、ジェ・ルージュを縛る戒めを解き放った。
 赤い輝光が迸る。
 それこそがジェ・ルージュの持つ自らの輝光。
 膨れ上がる輝光と供に、ジェ・ルージュの肉体が元の姿に戻った。
 ほっそりとした長身の男。
 目は赤く、髪は白く長い。
 首の後ろあたりで紐で縛った先からの髪は赤。
 迸る輝光に、赤き髪をたなびかせながら、その魔術師が立っていた。
 百九十を超える身長をもつその魔術師は、身体にピッタリとあったローブを身に纏っていた。
 体が大きくなるから大きめのローブを着ていた。
 つまりそれだけの事だ。
 ぐんぐんと輝光が膨らんでいく。
 肉体に存在する輝光が高まり、両腕に輝光が集中しだした。
 特に目をこらすまでもない。
 ジェ・ルージュの肉体の周りには、赤い色の輝光が唸りを上げて術式を構築する。
 敵のたむろする丘を正面に見据えながらも、一糸乱れぬ集中力でもって瞬く間に世界で最も複雑にして高度な術式をくみ上げる。
 ジェ・ルージュは自分の両手を祈るように組み合わせると、それをそのまま腕を伸ばして眼前に突き出した。
 指と指を絡めて突き出した両手に、異常なまでの輝光が集中し始めた。
 赤く迸る輝光。
 ジェ・ルージュは自分の指をゆっくりと手から解き始めると右手を上に、そして左手を下へと動かし始めた。
 手と手の間に赤く輝く発光体がその姿を大きくし始める。
 そして、ジェ・ルージュは再び手を眼前で組みなおすと、今度は右手を右に、そして左手を左に動かし、力の限り両腕を広げた。
 それと全く同時だった。
 ジェ・ルージュの目の前にあった発光体が突如としてその輝きを増した。
 その全長は十メートル。
 赤く輝くその光はジェ・ルージュの頭上へ。
 そこには、紅赤(こうせき)の光を放つ竜が存在していた。
 迸る輝光。
 圧倒的なまでの存在感。
 それはあまりにも有名な術式。
 赤の魔術師の誇る最強の術にして、この魔術師を世界最強と決定づける最強の一撃。
 蒼天に光輝する紅赤の魔竜(デュラスト・シェルディ・ファイルツァー)。
 最大放出『千』を誇る、天下無双のその一撃は、ジェ・ルージュの命令を待って宙を飛び続ける。
「これほどとは……」
 思わずエアが言葉を漏らす。
 二億年前戦い抜いた中で、これほどの術式を組み立てることのできた魔皇をエアは知らない。
 退魔皇でなくては対抗できないだろう、直感的に理解した。
 そんなエアの意図を察することもなくジェ・ルージュは天に向かって右腕をかざし、そして鋭く前方に振りかざした。
 紅赤の竜が鳴き声をあげると同時に、その振動によって頭上の雲が揺れた。
 そして、咆哮をあげながら紅赤の竜は丘に向かって飛来する。
「行っけぇ!」
 子供であった彼が発するものとは違う低い声で、ジェ・ルージュの気合と供に紅赤の竜が咆哮を放つ。
 赤く輝くジェ・ルージュの一撃は小型核に相当する破壊力を持つ。
 常なら威力を一点集中し、周囲への被害を減じるように操るが今日はそんなこと気にする必要はなかった。
 威力こそ落ちるが、広範囲同時攻撃は、圧倒的多数を敵にする場合において大きな意味を持つ。
 そして、赤い閃光が炸裂した。
 地を揺るがす閃光。
 地震でも起きたかのように大地が鳴動する。
 ジェ・ルージュが展開する防御結界のおかげで、剣崎たちは爆風などの影響を受けなかったが、それでも外で起こっている出来事の異常さは理解できる。
 そして、閃光が消えた。
 ゆっくりと目を開ける。
 強烈な閃光のせいで、すぐに目が見えない。
 しばらくして目にその光景が入ってきた。
 いや、惨状と言うべきか。
 抉られた地面。
 強烈な爆風にさらされた地面は、もはや跡形もなかった。
 アスファルトで舗装された地面は吹き飛び、建物も地下の部分まで消え去っていた。
 抉れた地面の深さはどれほどだろうか。
 周囲に連なる丘も、生やした木立を全て失っていた。
 そんな中、無事なものが二つ。
 剣崎たちのいるラブホテルの周りと、そして屋敷の建てられている正面の丘だった。
「予想通り、魔伏の結界を張っていたようだな。やっこさんは無事だ」
 声は高かった。
 見ると、ジェ・ルージュの身体は子供の姿に戻っている。
「それにしてもたいした被害にはなっていないな、手加減しすぎたか」
 とんでもない事を言っているジェ・ルージュ。
 剣崎が驚きを張り付けた顔で見つめていると、ジェ・ルージュは楽しそうにニヤリと笑う。
「まぁ、周りに邪魔者がいたからな。お前たちのための防御結界を展開しなければさらに威力をあげられたものを。だがこれで充分だろう」
 頷き、ジェ・ルージュは丘を見つめた。
「さぁ、行け剣崎戟耶。八岐大蛇を止めて来い」
「言われるまでも無い」
 丘に向き直る剣崎。
 その隣にはエアの姿。
 二人は一気に走り出し、ビルから飛び降りた。
 術式によって落下速度を調節、無事に着地するとそのまま一直線に走り出した。
 その背中を見つめながら、薙風は腰にさした刀の柄に手をかける。
「魔幻凶塵餓狼無哭(まげんきょうじんがろうむこく)」
 紡がれる詠唱。
「憑惹破滅緋炎葬刻(ひょうひはめつひえんそうこく)」
 低く流れるその声は、旋律を伴いながら、
「魔飢憑緋(まがつひ)」
 その魔剣を解放した。
 使い手の身体能力を強化する、邪悪な緋龍の魂を封じた準魔皇剣。
 その魔剣によって身体能力を底上げした薙風は、体勢を低くすると供に、一気に踏み込み、跳躍した。
 地面に着地すると、目にも止まらぬ速度で疾走を始める。
 それを見つめながら、ジェ・ルージュは残っている二階堂に顔を向けた。
「さてお前の仕事だが」
 内容を告げる。
 それを聞くと、二階堂はまず驚きの表情を浮かべ。
 次に、イヤらしく笑顔を浮かべた。
「なるほど、教えたら奴は動揺するわな。下手すると馬鹿な動きをするかもしれない」
「そうだろう、剣崎戟耶にはちゃんと働いてもらわなくてはいけない」
 コクコクと、腕を組みながら何度も頷いてみせるジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュに二階堂は口を開いた。
「あいつ、本当は気になってるだろうに、おくびも出さなかったからな。こっそりと動いてやるのは優しさか。お前も気がきくんだな、赤の魔術師さん」
「今日の私は裏方だからな、主役のために動くのは当然だ」
「仕方ねぇさ、いかにあんたでも退魔皇には敵わねぇよ。さて!」
 言って、二階堂はコートを脱ぎ捨てた。
「オレも言ってくるぜ!」
 叫び、コートを脱ぎすれる。
 直後、輝光を集中されライガーの獣人へと変化し、
「ちょっと待て」
 そのまま飛び出そうとしていた二階堂に、ジェ・ルージュが言った。
「コレを持って行け」
 言って、二階堂に短剣を投げる。
 受け取る二階堂は、それを見て嫌な顔をした。
「呪牙塵……玉西を殺した魔剣じゃねぇか」
「それを貴様にやろう、私が改造したとっておきだ。ピンチになったら使うといい」
「遠慮する、こんな魔剣は死んでも使いたくねぇ」
 言ってジェ・ルージュに突き返そうとするが、ジェ・ルージュは笑顔で応じた。
「持って行け」
 声が笑っていない。
 子供の声だというのにドスが効き、聞いているだけで逃げ出してしまいそうなほどだった。
「わ、わかった。でも、持ってても使わないぜ」
「使え、ただしイザとなったらだぞ。下手に使うと敵に居場所が知れる。それはあまりいいことではないのでな」
「了解、使わないよう努力する」 
 そう言い放つと、二階堂は丘から向かって左に走ると、跳躍してホテルから飛び降りていった。
「さて、細工は流々、結果は見てのご覧とでも言ったところかな」
「これでいけるのか?」
 聞いてくる燕雀。
 そんな燕雀にジェ・ルージュはため息混じりに言った。
「ダメなら柴崎司による粛清と抹殺、そして残った人間には天国とも呼べる世界が待っているだけだ。楽しみだろう?」
「少しはな」
 舌打ちと供に答える燕雀。
 気が張っているのか、冗談に答える気が無いようだ。
 小さく息をつき、ジェ・ルージュは前方を見つめる。
 そこでは、すでに戦いが始まっていた。



「Azoth(アゾト)!」
 叫び、剣崎は右腕を降りぬくと同時にアゾトの剣を射出した。
 黒き外套にアゾトのカタール。
 仮面をかぶり、完全武装した剣崎は、せまる死者に対して戦闘を開始していた。
「疾っ!」
 気合と供に、エアは大太刀で横薙ぎの斬撃を繰り出す。
 斬撃と同時に繰り出される豪風によって、幾多の死者が吹き飛ばされ、地面に落下し砕けて死ぬ。
 二人は抉れた地面を駆け、丘に向かって走っていた。
 その眼前に死者の兵士たちが現れた。
 確かにジェ・ルージュは丘の周りを守る死者たちを一掃した。
 しかし、丘を防御するための防御結界を突破できなかった。
 そのために、丘の防御結界の中にいた死者は無事だったのだ。
 結界から外に出て、剣崎たちを迎撃しようとする死者たち。
 そんな死者たちの中に、剣崎とエアは隣り合って突撃していった。
 丘まで残すところ二キロ。
 しかし、無理矢理直進したために死者たちに包囲されてしまった。
 進みあぐねる二人。
「我が放つは……」
 刻銃を取り出す、
「断罪の銀!」
 詠唱とともに銃口を死者に向け、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 剣崎はその魔弾を解き放った。
 まとめて消し飛ぶ死者たち。
 しかし、すぐその穴は埋まる。
「数が多すぎる」
 背中に何かが当たる。
 振り向くと、そこにエアがいた。
「多勢に無勢とはこのことですか」
「突破できるか?」
「切り裂きます」
「上等!」
 剣崎の声と供に、エアが斬撃を繰り出した。
 再び吹き飛ぶ死者たち。
 しかし、死者たちも負けてはいない。
 自らの肉体を省みず、文字通りの人海戦術でエアたちに迫る。
 そこに、
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)、轟飛(ごうひ)」
 その輝光剣が迸った。
 それは邪龍の尾の具現。
 真紅の輝光で作り出されたその尾は、凄まじき衝撃でもって剣崎たちの周囲にいる死者たちをなぎ払う。
 そして、死者を弾き飛ばしながら剣崎たちの前にその天狗が現れた。
「薙風」
 そう、天狗の仮面をかぶり、真紅の甲冑に身を包む薙風だった。
 薙風の魔剣、魔飢憑緋は身体強化の他に邪龍の具現化による輝光剣を操る事ができる。
 轟飛は邪龍の尾の具現、打撃を得意とする技だった。
「戟耶」
 甲冑を鳴らしながら、近づいてくる薙風。
「龍を呼ぶ、あなたはそれに乗って」
「龍?」
 反芻する剣崎。
 しかし、薙風は答えようとはせず、姿勢を低くして魔飢憑緋を構える。
 薙風は叫ぶように詠唱を口にする。
「魔幻凶塵(まげんきょうじん)!」
 それは魔飢憑緋の最強奥義。
 龍一匹を具現する、魔飢憑緋最大放出のその一撃。
「龍(りゅう)覇(は)あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 絶叫と咆哮。
 具現化した光輝く緋龍が魔飢憑緋から解き放たれ薙風の頭上にその実体を出現させた。
 真紅の光を放つ緋龍は、そのまま地面に降り立つ。
「乗って」
 こちらに顔を向ける薙風。
 そんな薙風に、剣崎は言った。
「でも、お前一人じゃ」
「乗って」
 強い口調。
 その言葉から、薙風の覚悟が伝わってくる。
「わかった」
 答え、剣崎は緋龍の背中に飛び乗った。
 エアもそれに続く。
 ようやく、吹き飛ばされた死者たちの後ろにいた死者が現れ、包囲の輪を狭め始めた。
 人数が多い分、準備に時間がかかっている。
「行って」
 薙風が小さく呟く。
 それと同時に、緋龍は剣崎たちを乗せたまま空に舞い上がる。
 そして、そのまま丘に向かって飛翔していった。
 予定通りだった。
 いきなり龍を出して飛翔して行けば、警戒して丘に残る死者の数が増える。
 しかし、途中まで徒歩で行けば敵はこちらに飛行手段がないと勘違いする。
 結果、屋敷の守りは薄くなる。
 ジェ・ルージュが考え、他の人間には伝えず薙風だけに伝えた計画は完全に成功した。
 問題は薙風の命。
 見渡す限りの死者たちに囲まれ、逃げ場一つ無い薙風。
 その状況が起こりうるが故、絶対に反対するであろう薙風以外の人間には伝えなかったのだ。
 だが、薙風は怯まない。
 包囲の輪を狭める死者たちを前に、腰にさしたもう一つの刀の柄に手を添える。
「刃怨狂陣羅轟魔葬(ばえんきょうじんごうひまそう)」
 蒼き刀身を持つ刀、
「飢装炎武鬼塵咆哮(がそうえんぶきじんほうこう)」
 流れる詩は旋律を伴いながら、
「刃羅飢鬼(ばらがき)」
 もう一つの準魔皇剣を解放した。
 刀身が赤い魔飢憑緋に対し、刀身が蒼い魔剣、刃羅飢鬼。
 その二刀を逆手に構え、薙風はなおも詠唱を唱える。
「薙風の具足よ、龍の巫女が命ずる。その力を貸し与え、龍の具現を我に示せ」
 そして、手にした二刀を目の前の地面に交差するようにして突き刺す。
「はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 腹の底から響くような唸り。
 まるで拳法家のように構えを作り、前傾姿勢を取る薙風。
 天狗の面の下の口が動いた。
「龍覇、龍覇、龍覇、君臨するは真紅の憎悪!」
 その名を口にする。
「刃怨狂陣(はえんきょうじん)、龍帝覇鋼(りゅうていはこう)!」
 薙風の頭上に三つの頭を持つ、三頭龍が出現した。
 その口から生じる三頭の緋龍。
 それらの龍が交じり合い、蒼と緋が入り混じり、それが輝きながら巨大な龍と化した。
 揺れる長き髭(ひげ)に逞しい頭髪。
 真紅に濡れる鋼のような鱗に、刀よりも研ぎ澄まされた牙。
 血走った目の中心には血のような真紅の瞳。
 咆哮をあげる龍帝。
 そして、薙風を守るように薙風の周囲を旋回し始めた。
 高密度の輝光体である龍帝は、薙風の周囲にたむろしていた死者たちを、接触と同時に消し飛ばす。
 肉片と血が宙に舞い、地面に落ちる。
「行きなさい」
 薙風がぼそりと呟くと、尻尾を打ち鳴らし、龍帝が動き出した。
 やることはただの体当たり。
 しかし、接触しただけで人を肉片に変える龍帝は、飛び回るだけで弾丸以上の凶器となった。
 龍帝が動くたびに、薙風の体のいたるところで血管がちぎれた。
 肌に傷が走り、血が飛び出す。
 額が裂け、顔に血が流れる。
 そう、薙風はあきらかな無茶をしていた。
 彼女が身につける甲冑は魔皇剣『薙風の具足』だ。
 装着する魔剣の能力を限界以上に引き出す。
 さらに、薙風は同時に魔飢憑緋と刃羅飢鬼を使用していた。
 龍を具現化し武器とする魔飢憑緋の能力と、術式を三倍の威力に跳ね上げる刃羅飢鬼。
 薙風の具足によって魔飢憑緋の最大放出量は四十を倍して八十。
 そして、その異常数値を刃羅飢鬼によって三倍化することで二百四十。
 元々、この三振りの魔皇剣と準魔皇剣はこのように使うのが本来の使用法。
 しかし、これを使いこなせる魔剣士がいないため、長らくこの三つは違う所有者の手に移動していた。
 が、薙風はそれを全て集めた。
 そして、実力が足りないというのに、全ての同時起動をこなせるまでに訓練をつんだ。
 息をするだけで全身が痛い。
 だが、苦しいといって呼吸しなければ酸欠で気絶しそう。
 立っているのもつらく、輝光による筋力強化で重さが気にならないはずの甲冑の重さで押しつぶされそうだ。
 それでも倒れない。
 歯を食いしばり、召喚した龍帝を自在に操る。
 すでに薙風を囲む死者はは半分以上が消し飛んでいた。
 ジェ・ルージュの策は完璧だった。
 丘の中にいる死者は倒せない。
 だからまず外にいる死者をジェ・ルージュが片付ける。
 そして、残りを外におびき出す。
 薙風がそれを全滅させる。
 後は剣崎が柴崎司を撃破する。
 そのために邪魔させるわけにはいかない。
「はああぁぁぁっ!」
 叫んだ。
 咆哮と供に、龍帝が空中で旋回。
 結界の中に逃げようとする死者たちを、一人残らず消滅させる。
「逃げるな、戦え。私はここにいる!」
 口の中に血が混ざっているのか、少々声は聞き取りずらく震えている。
 死者たちはついに覚悟を決めた。
 逃げるのをやめ、薙風に向かって突撃をかける。
 地面に刺した二刀を引き抜く。
 ここからは龍帝を操作しながら肉弾戦をしなくてはならない。
 立っているのもきつかった。
 気絶できればどんなに楽だろうか。
 しかし逃げない。
 歯を食いしばり、天狗の仮面の脇から血を流しながら言った。
「龍帝の主にして薙風の魔剣士、朔夜。参る!」
 そして、死者たちに向かって鋭い踏み込みとともに飛び込んでいった。







「列覇(れっぱ)! 轟覇(ごうは)! 受けよ我が黄金の拳!」
 呪文詠唱。
 叫びながら、二階堂は眼前の死者にその一撃を叩き込む。
「獅子咆砕破(ししほうさいは)!」
 近接格闘系魔剣、獅子咆砕破が炸裂した。
 大岩をも砕く金色の拳は、群れる死者たちを同時に五人吹き飛ばす。
「ふぅっ!」
 光る右拳を眼前に。
 二階堂は腰を落として構えを取る。
 正面突破は剣崎たちに任せ、二階堂は迂回侵入をたくらんでいた。
 丘の裏側から回りこみ、屋敷を目指す二階堂。
 しかし、敵はそれをも予測していたのか。
 屋敷の裏口に待ち受けていたのは数百の死者。
 それに対し、二階堂はたった一人だった。
「まぁ、オレの方にこんだけいるってことは」
 剣崎の方にはそこまでいないだろう。
 心の中で続ける。
 ならこれは悪い取引ではない。
 問題は、これだけの敵を前にして生き残れるかどうかだった。
 腰のガンベルトから刻銃を引く抜く。
「我が放つは……」
 詠唱、
「断罪の銀!」
 銃口を飛び掛ってくる死者に向け、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 その一撃を解き放った。
 光り輝く輝光弾に飲み込まれ、消滅する十数の死者。
 しかし、恐怖のない死者たちは怯まず二階堂に突き進む。
「やってやろうじゃねぇか!」
 左手に刻銃を。
 そして、右拳を黄金に輝かせながら、二階堂は死者の軍団に突っ込んでいった。
 黄金の輝きが幾度と無く輝く。
 その輝きは、正面から屋敷に向かう剣崎たちにも見ることができた。







「はぁっ!」
 気合とともにエアが大太刀を一閃させた。
 同時に吹き飛ぶ死者たち。
 屋敷へと向かう曲がりくねったアスファルトの坂道を、剣崎たちは疾走していた。
「思っていたより数が少ないな」
 リボルバーに弾丸を装填しながら、剣崎はエアの顔を見た。
「そうですね、ジェ・ルージュに薙風さん。それに……」
 屋敷の裏から黄金の光が迸り、夜空を金に染める。
 背後では真紅の輝きが迸っていた。
「二階堂さんですか、裏で戦っているのは」
「恐らくな、あの輝光には覚えがある」
 なるほど、ジェ・ルージュが言いたくないわけだ。
 つまり、二階堂は敵の戦力分散のための囮に使われたのだ。
 恐らく、こちらと同じくらい兵力が配置されていただろう。
 助けに行きたい。
 しかし、そんなことが許される状況ではない。
「戟耶さん、彼を助けたいなら」
「早く八岐大蛇を倒せか、分かっているさ」
 頷き、弾丸を装填し終えたシリンダーを回転させ、剣崎は右手でリボルバーを握り締め、走る。
 左手にはアゾトの剣を取り付けたカタールを手にしていた。
 あまり多くはない数の死者たちを葬りながら、剣崎たちは走り続ける。
 一体どれほど走っただろうか。
 剣崎たちはようやくそこに辿り着いた。
 丘の上を囲む塀。
 どれほどの敷地の広さか、茶色のレンガでできた塀は一キロ近い広がりを持っていた。
 その門の前。
 開かれた大きな門の前に、その姿があった。
「来たのね」
 そこに立っていたのは、二十代後半の女性。
 剣崎と同じ黒き外套を身につけ、門の前で両腕を組み剣崎を睨みつける。
 柴崎司、それが彼女の名前だった。
「司姉さん」
 一歩前に進み出る。
「オレは、あんたを止めなくちゃならない」
「あなたが、私を?」
 進み剣崎に対し、柴崎司は不機嫌そうに言った。
「あなたに戦い方を教えたのは私、武器を与えたのも私、あなたにせがまれて仮面を作っておいてあげたのも私よ。そんな私にあなたが勝てるとでも?」
「勝ってみせる」
 カタールを構える。
「あなたの思想は間違ってる、オレはそれに気付いた」
 切っ先を柴崎司に向け、
「だから」
 剣崎は宣言する。
「あなたを止める」
 そんな剣崎に対し、柴崎司は深くため息をつく。
「言ってもわからない子はねじ伏せるしかないみたいね。あなたは昔からそうだった。成長しても変わらないのは残念ね」
 口にし、コートの中から仮面を取り出す。
「行くわ、仮面舞踏のはじまりよ」
 仮面をかぶり仮面舞踏を宣言する柴崎司。
 戦いがはじまった。







「くそぉっ!」
 罵りながら黄金の拳を振るう二階堂。
 輝光に包まれた拳は、容易く死者の肉体を砕いた。
 飛び散る血液、そして肉片。
 全身にそれを浴びる二階堂の姿は、血と肉片をこびりつかせて赤に染まっていた。
 そんな中、右手だけが金色の輝きを放つ。
 撃破した死者の数はすでに五十を超える。
 屋敷の裏口は、死者の血で真っ赤に染まっていた。
 血で濡れる足元で滑らないように、二階堂は強く大地を踏みしめる。
「やべぇな、こりゃ」
 唾を吐き捨てる。
 同時に多量の血が地面を濡らした。
 黄金の拳の使いすぎだった。
 輝光は生命のエネルギーであり、枯渇すればそれはすなわち死を意味する。
 そんな輝光を、二階堂の黄金の拳は多量に消費する。
 それを、二階堂は使用回数を忘れるほど使用していた。
 ただでさえ、退魔皇だった時に連戦連夜の戦いで疲労が蓄積したところにこの乱戦だ。
 輝光の使いすぎで、二階堂の内臓は相当なダメージを負っていた。
 さっきから何度も吐血している。
 その上、全身が死者たちの攻撃によってボロボロだった。
 敵に異層空間殺しが混ざっていたために、左腕には銃弾が貫通せずに埋まりこみ、腕を動かすたびに激痛が走る。
 黄金の拳を切り落とそうとした死者に斬りつけられ、肘の近くには骨まで達する刀傷。
 もちろん、その剣士は黄金の拳で顔面を砕いてやったが。
 ほかにも全身のいたるところに傷が出来ていた。
 獣人の再生能力で治癒しても、それを上回るだけの攻撃に、再生能力が追いつかなくなっている。
 それどころか、輝光の消耗のために治癒能力が劣化していた。
 一瞬で治るはずの刀傷が治癒しないのもそのためだ。
「だあっ!」
 左拳で、迫ってくる死者を殴り殺しながら、右手の刻銃で異層空間殺しのガンナーを射殺する。
 通常弾の乱射に、まるで叩き割られるスイカのように後頭部がはじけ跳んだ。
 振り上げた足で他の死者に延髄蹴り。
 首の骨が折れ、勢いを殺しきれずに首がちぎれ、頭部が地面に転がる。
 首から噴出する血液。
 それを顔に浴びながら、さらに迫る死者の頭部に刻銃のグリップをたたきつけた。
 陥没する頭蓋骨。
 脳を破壊され、死者は仰向けになって倒れた。
「キリがねぇ」
 口にする二階堂。
 と、視界がぼやけた。
 世界が揺れる。
 立っていられなくなり、片膝をつく。
「血か……」
 すぐに理解した。
 血を流しすぎた。
 獣人の再生能力は傷は塞げても失った血は戻せない。
 つまりそういうこと。
 二階堂は、失血死しかけていた。
「まずったな」
 肩で息をする。
 周囲を見回すと、自分を取り囲む死者の数はまだ三桁を超えるだろう。
「ここまでか」
 覚悟を決める。
 この戦いに参加した以上、死ぬ覚悟はすでに出来ていた。
 と、
「あ……」
 思い出した。
 ガンベルトに差し込んでいたそれを、刻銃を握っていない右手で引き抜く。
 装飾の施された美しいサバイバルナイフ。
「これは」
 その魔剣の名は呪牙塵。
 ジェ・ルージュに切り札として持たされた、かつて最愛の女性の命を奪った魔剣。
「使うか?」
 迷う。
 ジェ・ルージュの言う通り、使えばこの状況を何とかできるかもしれない。
 しかし、この魔剣はどうしても好かない。
 こんなものを使って生きながらえるくらいなら、使わないで死んでしまったほうがマシだ。
 なぜならこれは玉西を殺した魔剣。
「……くそっ!」
 呪牙塵の柄を強く握り締める。
 こんな魔剣の力など借りたくはない。
 それでも、頭に思い浮かぶのだ。
「剣崎……」
 剣崎の顔が。
 あの強そうに見えて弱々しい親友が。
 ようやく立ち直ったあの男が悲しみに顔を歪める姿が。
「そうだ……」
 助けなくてはならない。
 それがこのオレにできることなら。
 二階堂直俊に出来ることなら、オレにはやり通す義務がある。
「そうだとも!」
 呪牙塵を天に掲げる。
 右腕が黄金に輝き、呪牙塵に輝光が集中する。
 そして、その魔剣を起動させた。
「呪牙塵!」
 直後、呪牙塵が光を放った。
 目が眩むような光。
 思わず目を瞑り、光から眼球を守る。
 しばらくして光がおさまると、二階堂はゆっくりと目を見開く。
 そして見た。
 二階堂の目の前。
 人影が見える。
 目が慣れてきて、次第に輪郭が確かになる。
 ちょっと大きめの茶色のローブが波打つ。
 まるで魔法使いのような衣装だった。
 何か魔道具の類なのか、ローブのそこかしこには装飾品の類。
 細かく刺繍され、映えて見えるローブを身に纏うその人物は、女性だった。
「随分と好き勝手やってくれてるみたいね」
 女性が口を開いた。
 二階堂を守るように二階堂の眼前に立つ女性。
「多勢に無勢ってのが気に食わないわ、卑怯なのってキライなのよね」
 天に右腕を掲げる。
「だから」
 指を鳴らした。
「多勢には多勢がちょうどいいわ」
 直後、二階堂の周囲に輝光が迸った。
 淡い光と供に、次々と術式が紡がれる。
 そして、それが具現した。
 見渡す限りの人間。
 軽く数えて数十人はいるであろう人間たちが、二階堂を守るように円陣を組んでいた。
 銀の甲冑を身につけ、その手には統一されていない個々バラバラな武装。
「行きなさい!」
 女性の命令が放たれると、具現化された兵士たちが一斉に死者たちに襲い掛かった。
 全方位、三百六十度で繰り広げられる乱戦。
 兵士たちは善戦し、包囲する死者の群れを一気に押し広げる。
 隙間が出来ると、その隙間に次々と新たな兵士が具現化されていく。
 気合、咆哮、絶叫、断末魔。
 打ち鳴らされる金属と発動する魔術。
 さながら戦場音楽を奏でるようなその戦いは、二階堂が今までに見たどんな映画よりも迫力があった。
 と、女性が二階堂の方を振り向いた。
「久しぶりね」
 その顔を見た。
 信じられなかった。
 二階堂は思わず言葉を失う。
 何か声をかけようと思った。
 しかし、上手く言葉が紡げない。
 何とか落ち着きを取り戻し、二階堂は口を開く。
「玉西……?」
「そうよ、驚いた?」
 女性、いや玉西は嬉しそうに微笑んで見せた。
 顔を見て声を聞き、それでも二階堂は混乱していた。
 足元を見る。
 ローブの中からのぞく白くてきれいな脚、革のブーツを履く足は、しっかりと地面についていた。
「でも、お前……死んだんじゃ?」
「死んでるわよ、生きてなんていないわ」
 きっぱりと言い放つ玉西。
 二階堂はさらに混乱した。
「死んでる? でも、足もついてるじゃないか」
「足はあるけど幽霊みたいなもんよ、何て説明したものかしらね」
 アゴに指を当てる玉西。
「あんたが手にしてる魔剣、呪牙塵なんだけどね。それは死んだ人間の魂を吸収し、永遠に転生させない力を持ってるの」
「そんなえげつない魔剣なのか?」
「まぁ、製作者の人格を疑う作りよね。でも、そのおかげで私はこうしていられるんだけど」
 胸に手をあてて言う玉西。
 二階堂はさらに混乱した。
 その様子を見て、玉西は言った。
「私が死霊術師だったのは知ってるわよね」
「あぁ、知ってる」
「死霊術師は死体や魂を操る専門家なの。そして、肉体を失っても魂だけである程度行動できる。ここまではいい?」
 無言で頷く二階堂。
 玉西は続けた。
「いくら死霊術師でも、いつまでも魂だけで動けるわけじゃないわ。いつかは天に還らなくちゃならない。でも、この呪牙塵がそれを邪魔したの。おかげで私は今のいままで呪牙塵の中に閉じ込められてたわ」
「それを、オレが解き放った?」
「そうよ。それに閉じ込められていた期間は無駄じゃなかったわ。呪牙塵の中には数百人の死者の魂が詰め込まれていたの。そして、そこでは力関係による絶対的な支配制度が成り立っていたわ。でも、私は魂の専門家よ。全員ぶちのめして部下にしてあげたわけ」
「部下?」
「こいつらよ」
 乱戦を繰り広げる兵士達を指し示す。
「まぁ、赤の魔術師が外からいろいろしてくれたおかげで晴れて私は準魔皇剣の精霊になったわけ。あっ、準魔皇剣ってわかるわよね?」
「バカにするなよ」
 ふてくされて言う二階堂。
 いくらなんでもひどかった。
 準魔皇剣、それは魔皇剣を人為的に作り出そうと生物の魂を魔剣に封じ、精霊憑きとすることで魔剣の能力を上げたもの。
 魔剣を超えた魔剣、魔皇剣に準ずるもの。
 それが準魔皇剣だ。
 それは、薙風の持つ緋龍を封じた魔飢憑緋であったり。
 やはり薙風の持つ三頭を持つ蒼き龍を封じた刃羅飢鬼であったり。
 そして、玉西とその他数百の魂を封じた呪牙塵であったりするのだ。
「それにしても、信じられねぇ。準魔皇剣だと。これで何百年ぶりだ?」
 二階堂の言葉には意味がある。
 生物の魂を封じて作り出す準魔皇剣の製造法は準魔皇剣を専門で作っていた刀工が十七世紀の三十年戦争を最後にこの世界から失われたため、失伝した技術とされていた。
 それほどの貴重品である準魔皇剣が今、目の前に存在するのだ。
 驚く二階堂に、玉西は腕を組んでみせる。
「私だって驚いてるのよ、まさかこんな形でこの世界に戻って来れるなんて。転生するまで縁がないと思ってたわ」
「違いねぇ」
 ここにいたり、ようやく二階堂は笑顔を浮かべて見せた。
「つまりあれだな。お前は死んだけど生きてる、そう受け取っていいのか?」
「いいわよ、もっとも肉体は消滅して魂だけの存在の人間を生きているって言えればね」
「言えるさ」
 力強く、二階堂は言う。
「もし、あの世の人間と自由に話ができる電話が発明されたら、誰も人が死ぬことを悲しまなくなるよ。人が死んでつらいのは、会ったり話したりできなくなるからだ。そういうことなんだ」
「……そうかもね」
 真剣に言葉をぶつけてくる二階堂に、玉西は優しく微笑んでそう言った。
「さて、積もる話もあるけど、今はやるべきことをやらないとね」
 言って、玉西は屋敷を指差した。
「ジェ・ルージュに頼まれてるんでしょ、早く行きなさい」
「おっと、そうだったな。お前とまた会えたのに驚いて忘れてたぜ」
 ようやく二階堂は立ち上がる。
 まだ血が足りないが、大丈夫。
 今の自分は、血よりも大切なものを取り戻したのだから。
 すぐさま動き出そうとする二階堂に、玉西は後ろから声をかける。
「ジェ・ルージュが呪牙塵の使用を禁じていたのは私が動くと大きな輝光が動くからよ。あなたは出来る限り隠密に動く必要があった。だって、あなたの目的は……」
「どっちみち意味ないさ、オレがあんだけ暴れまわった後だしな。とりあえずスピード勝負だ。あいつが剣崎をやるよりも早く、オレが助けてみせるからよ」
「期待してるわ」
 信頼を声に乗せ、玉西は言った。
 驚き、二階堂は玉西を振り向く。
 二階堂は昔、無能力者だった。
 玉西を失ったことで自分の無力を嘆き、二階堂は異能者となった。
 だから、はじめてだったのだ。
 玉西が、戦いの場で自分の力を頼ってくれたことが。
 二階堂は頭を左右に振り、
「任せとけ」
 本当に嬉しそうに、玉西にそう言い切った。
 呪牙塵を鞘の中に戻した。
 右拳を握り締める。
 輝光が集中し、黄金に輝き始める。
 そして、二階堂は爆ぜるようにして踏み込んだ。
 強烈な速度での直進。
 殺気を感じ取り、兵士達が左右に道を開ける。
「我が放つは……」
 眼前に現れる死者たち、
「断罪の銀!」
 その不幸な死者たちに対し、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 二階堂は刻銃の一撃を叩き込んだ。
 吹き飛ぶ死者たち。
 しかし、恐怖を持たない死の軍団は、すぐさま欠けた包囲網を再構築しようとする。
 しかし、
「列覇(れっぱ)! 轟覇(ごうは)! 受けよ我が黄金の拳!」
 呪文詠唱。
 魔剣起動のその言葉を口にし、二階堂は右拳をさらに強く黄金に輝かせ、
「獅子咆砕破(ししほうさいは)!」
 その拳を叩きこんだ。
 肉片と化す十数の死者たち。
 一人突出する形で、二階堂が死者たちの群れに飛び込んでいく。
「死にたくなければ道をあけろ! 今日のオレは疲れを知らねぇぞ!」
 夜の屋敷に響きわたる咆哮。
 幾度と無く夜空は黄金に染まり、激闘は続く。
 数分後、二階堂は死者たちの包囲網を突破し、屋敷の中に侵入を成功する。
 その間、半数を討ち取られたとは言え、戦力を未だに保持している死者たちの軍団と、玉西配下の死霊たちは戦いを続けるのであった。







「Azoth(アゾト)!」
 叫びと供にカタールから刃が放出された。
 それを右に跳んで回避する剣崎。
 そして、
「Azoth(アゾト)!」
 自らもカタールで柴崎司に仕掛けた。
 柴崎司はその一撃を、自らが手にしたカタールの刃で弾き飛ばす。
 屋敷の門前。
 どこまでも続くレンガの塀の側で、二人の仮面使いが戦いを繰り広げていた。
 観客はただ一人、エアだ。
 手に握る大太刀を構えながら、エアは二人の戦いに割って入る事ができない。
 エアの武器は広範囲無差別攻撃であり、精密動作は行えない。
 もし、攻撃を仕掛ければ剣崎ごと吹き飛ばす事になるだろう。
 そのため、エアは黙って二人の戦いを見つめていた。
「Azoth(アゾト)!」
 さらなる追撃をかける剣崎。
 飛来する刀身を、柴崎司はコートを翻しながら回避する。
 そして、その動作とともコートの中から刻銃を取り出した。
 それを見て、剣崎もコートの中から刻銃を引き抜く。
『我が放つは……』
 その詠唱は、
『断罪の銀!』
 彼らの放つ最大級の一撃。
『刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!』
 お互いに照準を合わせあった輝光弾が一挙に解き放たれた。
 閃光を放つ輝光弾と輝光弾が喰らいつき合い、お互いの存在を抹消すべく貪りあう。
 激しい爆発とともに二つの輝光弾が消滅した。
 その隙を突き、
『Azoth(アゾト)!』
 全く同時に、二人はカタールを振るっていた。
 飛来する刀身と刀身。
 お互いを一直線に狙う刀身は、その切っ先同士が衝突し、両方があらぬ方向へと飛んでいった。
 そんな中、二人はお互いに向かって駆け出していた。
 剣崎が刻銃を捨てるのと柴崎司が刻銃を捨てるのは全く同時。
 そして、二人がもう一つのカタールをコートから取り出すのも全く同時だった。
『Azoth(アゾト)!』
 刃を持たないカタールに輝光で編んだ刃を生成する。
 そして、お互いを一足一刀の間合いに納めると、二人は両腕を振るい斬撃の応酬を始めた。
 火花が散り、烈風が吹き荒れる。
 剣崎が上段に振り上げた左手のカタールを振り下ろした。
 柴崎司はその一撃を横に構えたカタールで防御、そのまま受け流すと同時に左手のカタールで鋭い刺突を放つ。
 剣崎はその一撃を回避すると同時に、右手のカタールで横薙ぎの斬撃を繰り出す。
 大きく後ろに回避する柴崎司。
 しかし、距離を取る気など毛頭ない。
 銀色の刃が弧を描き終わるのと同時に、再び剣崎に向かって飛び込んでいく。
 照らす月明かりが銀の刃を煌かせた。
 お互いに爪を振るいあい、月下に殺しあう二匹の獣。
 エアには二人の姿がそう映った。
 両腕のカタールから数本の剣を生やすその姿は、まるで獣の爪のよう。
 踊るように攻め、舞うように避ける。
 金属の絡む音と、弾ける鋼の音。
 火花さえ散らし、お互いの爪で必殺を狙う二人を、エアは固唾を呑んで見守り続ける。
 と、剣崎が勝負に出た。
 右腕のカタールで鋭い刺突を放った。
 体勢さえ崩しながらのその一撃を、柴崎は後ろに跳んで回避する。
 そこを突いて剣崎はさらに踏み込んだ。
 空中に浮いた柴崎司に、横薙ぎの斬撃を叩き込む。
 その技法は彼の宿敵が与えてくれた概念。
 回避行動を取り、空中にいる状態の相手は地を蹴れず、さらなる回避行動が取れなくなる。
 そこを突く技、それが燕返し。
 二刀流のカタールによってその技を実践する剣崎。
 しかし、
「なっ!」
 柴崎司はさらにその上をいった。
 剣崎の斬撃に下からの斬撃を叩きつけることで、柴崎司は自らの肉体を下方向へ移動させる。
 衝撃の反動で地面に着地。
 これにより柴崎司は地を得た。
 地を蹴る強烈な踏み込みとともに、剣崎に迫る柴崎司。
 救い上げるような斬撃は剣崎には回避不能。
「ちぃ!」
 とっさにカタールで防御する剣崎。
 しかし、
「くっ!」
 鋭い斬撃は致命傷を避けるのがやっとだ。
 防御に使った右手のカタールが弾け飛ぶ。
 さらに柴崎司の追撃が走った。
 右手のカタールによる刺突。
 横に跳んで回避するも、そこに左手のカタールによる斬撃。
 なんとか残ったカタールで防御するも、鋭い一撃に腕に痺れが走った。
 それが回避しきらないうちにさらに右手のカタールによる斬撃。
 剣崎に残された道は、カタールを放棄し、軽くなった状態で大きく後ろに跳躍して斬撃を回避することだけだった。
 数度後ろに跳び、柴崎司から大きく距離を取る剣崎。
 柴崎司は両手でカタールを構えた。
「無様ね、所詮あなたは私のコピーに過ぎない。劣化したコピー品がオリジナルに勝てるわけ無いでしょ?」
「コピー使いの仮面使いにそれを言われるとは思わなかったな」
 強がって見せる剣崎。
 しかし、カタールを失った今、剣崎には刻銃しか残されていない。
 威力はあるが、使い勝手、速射精において刻銃はカタールに大きく劣る。
 が、それは柴崎司の劣化コピーとして戦った場合での話だ。
「エア!」
 叫ぶと同時に、剣崎はコートの中から一冊の本を取り出した。
 信じたことを現実にする法の書の写本。
 本を開き、剣崎はその魔剣を発動する。
「世界(ワールド)!」
 法の書の写本が起動した。
 法の書はタロットのアルカナを操り、その能力でもって戦う。
 タロットの中で最大のアルカナとされているのは世界だ。
 法の書の写本は、その世界の能力のみをコピーしたものだ。
「戟耶さん!」
 世界を発動した剣崎の元に、エアが駆けつける。
 それを見て、剣崎は宣言する。
「我は信じる、我、剣崎戟耶薙風たるは絶対の法なり!」
 法の制定を宣言した。
 『世界』の能力は、信じ、そして口にすることで信じた出来事を現実に変える。
 剣崎は自身が剣崎戟耶薙風、つまりスサノオノミコトと同等の存在であると信じ、宣言した。
 条件は整った。
 剣崎はエアに腕を差し出す。
 その腕を、エアは力強く握り締めた。
 柴崎司を睨みつけ、剣崎は叫んだ。
「魔装合体!」
 真紅の輝光が吹き荒れ、高密度の輝光が剣崎の体の中に流れ込む。
 はずだった。
「え?」
 驚き、剣崎はエアを見つめる。
 魔装合体を宣言したというのに、エアは未だに目の前にいる。
「どうして……」
 合体できないことに驚きを隠せない剣崎。
 しかし、
「戟耶さん!」
「えっ?」
 その隙を突き、柴崎司は動いていた。
 驚異的な踏み込みによって生み出される爆発的なスピード。
 それは剣崎に対して対処しきれない絶望的な隙となり、
「はぁっ!」
 後ろに逃げようとしたが遅かった。
 気合と供に振るわれる刃は、剣崎の手にあった写本を真っ二つに切り裂いた。
 切り裂かれた本の半分が地面に落ちる。
 それと同時に、切断面から炎が生じ始めた。
 持っていられなくなり、剣崎は本を投げ捨てる。
 炎は消えない。
 瞬く間に、炎は法の書の写本を燃やし尽くしてしまった。
 そして、いつの間にか柴崎司は刻銃を握り締めていた。
「その身を縛れ」
 詠唱、
「束縛の銀網」
 紡がれるその言葉は、
「魔縛圧轢(グラビティプレッシャー)」
 刻銃からその魔弾を射出した。
 閃光に包まれる剣崎とエア。
 直後、立っていられなくなり剣崎とエアは前のめりに倒れる。
「戟耶さん……これは……」
「刻銃の……弾丸だ……」
 起き上がれないほどの重圧に、剣崎は呼吸さえ苦しい中でエアにそう言った。
 魔縛圧轢(グラビティプレッシャー)、それは輝光によって作り出した不可視の網により、敵を絡めとる魔弾だ。
 この術式を喰らった者は、通常の数倍の重力をその身に受け、動く事さえ困難となる。
 敵の命を奪わず、相手の動きだけを封じる弾丸。
 そして、 
「戟耶、わかってると思うけど」
 それを使ったということは、
「私はあなたを殺す気はないわ」
 戟耶の命を助けると言う事。
「何故……殺さない……?」
 重圧の中、言葉を搾り出す剣崎。
 そんな剣崎を見下ろしながら、柴崎司は仮面を外した。
「流石の私も、幼い頃を知っている知り合いを殺すのは気が引けるから……って言ったら信じる」
「信じない……オレが聞いたあんたの噂は……」
「まぁ、耳にはしてるでしょうね。この世界に足を踏み入れたなら」
 そう、柴崎司にはろくな噂が存在していなかった。
 十人を救うために一人を殺し。
 千人を救うために百人を見捨てる。
 それを繰り返す柴崎司は、いつしか人間を数でしか見ない女と罵られた。
 轟く悪名は留まるところをしななかったが、中でもこの話が一番有名とされる。
 中東の某国において、内乱が勃発した。
 肉親が敵味方に分かれ骨肉の争いが行われる泥沼の内乱。
 その中に柴崎司の姿があった。
 革命軍として戦う柴崎司。
 多くの人間は、最初はいつもの人助けだと思った。
 しかし、すぐその感想は覆る。
 なんと、革命軍のリーダーをそそのかし、内乱を勃発させたのが柴崎司であるという確かな証拠が見つかったのだ。
 なぜ、柴崎司がそんなことをしたのか。
 情勢を理解する人間なら即座に理解できた。
 当時、中東のその国はクーデターが起こり、共産党が政権を奪取してしまった。
 共産党と言えば、第二次世界大戦において虐殺の代名詞と言っても過言ではない。
 独裁政権を維持するために、反対派を殺し、中立派を殺し、そして罪のない民間人を殺して殺して殺しつくした。
 第二次世界大戦における、兵士と民間人の総死者は三千万から四千万人とされている。
 その内、日本人の死者は三百万人。
 それに対し、共産圏で虐殺された人間は一億一千万と言われている。
 共産化して虐殺が横行するより、戦争を起した方が死者は減る。
 柴崎司は、その国の共産化を防ぐために内乱を引き起こしたのだ。
 分かりやすい数としてはカンボジアがいい例だ。
 千九百七十五年にカンボジアが共産化した時、カンボジアの人口は七百万人だった。
 それが三ヵ月後には三百万人死んだ。
 第二次世界大戦で日本が四年かけて死なせた人間を、共産主義国家はわずか三ヶ月という時間で記録を塗り替えている。
 一人でも多くの人間を救おうとする柴崎司を知る者なら、柴崎の行動に全員が納得しただろう。
 結局、この内乱で共産主義は倒れた。
 戦いにおける総死者は二十万から三十万と言われている。
 人口約一千万の国家で、五年間内乱を続けた数字がこれだった。
 もちろん、柴崎司も自分に対してこのような噂が流れていたことを知っていた。
「あなたの考えている通りよ、別に親愛の情だけであなたを助けるわけじゃないわ。私があなたを救うのは別の理由、あなたが私の目指す理想の邪魔にならない存在だから」
「どういう……ことだ……」
「私の理想とする世界は人類が永遠に存在し続ける世界。その世界を創るためには、劣悪な遺伝子を持つ人間は邪魔なだけなの。だから私は、八岐大蛇の力を手に入れたら、最初に劣等種に分類される人間を殺していくつもりなんだけど」
 言葉を切り、続ける。
「殺さなくても無害な人間もいるの。優良種と認められる人間はもちろん、そして子孫を残してダメな遺伝子を残すことの出来ない人たちもよ」
「遺伝子を……残せない?」
「そう、病気や体質で子供をつくることの出来ない人間。それは私の粛清対象から外れるわ。何も私は人間を殺したくてやっているんじゃないもの。一人でも多くを救うため、そのためよ」
 人類が永遠に存続すれば、それは無限の人間を救うことに繋がる。
 しかし、人間が絶滅すれば、その先に生まれていたかもしれない人間が全て救われないことになる。
 なら、この地上に生きる人間をほぼ全員殺したとして千億を超えることはない。
 理想の世界では千億を超える人間が永遠に生き続ける。
 人を数で考える柴崎司にとって、それは考えるまでも無く選ぶ事のできる選択であった。
「それでね、殺さなくていい人間なんだけど。あなたもそれに含まれるわ。これは分類学を知ってると分かりやすいかも」
「分類学?」
「この場合、生物の分類の事よ。似ていても別の動物と分類されている動物は交配が行われにくく、交配させても子供ができることは少なく、できたとしても、その子には生殖能力がないとされる。これは知ってる?」
 尋ねる柴崎司。
 剣崎は頷いて見せた。
 柴崎司はさらに続ける。
「知っての通り、ロバとウマの雑種であるラバは繁殖能力が無いわ。例外はあるけど、雑種っていうのは生殖力のないものが多いの。ここまで言ったらわかるかしら?」
 答えない剣崎。
 そんな剣崎に、柴崎は悲しそうな顔で言った。
「あなたには子供は作れないわ、剣崎と戟耶の雑種であるあなたにはね。御三家がお互いの交配を避けるのはそれが理由よ。雑種の中で唯一子孫を残せたのはスサノオノミコトのみとされているわ。家系は彼から始まってるわけだし」
 そう言って、柴崎司は小さく息をついた。
「つまり、そういうことよ。あなたを生かしておいても、私の目的には問題が無いの。だからあなたは殺さない。拾った命よ、大切にしなさい。せいぜい、死が訪れるその時まで幸せに生きる事ね」
 そう言うと、柴崎司は剣崎たちに背を向けて屋敷に向かって歩き出す。
 剣崎は動こうとした。
 止めなくてはならない。
 柴崎司のやっていることは、正しいという人間もいるかもしれない。
 しかし、間違っている。
 他の人間を救うためだからと言って、人々を虐殺することが正しいはずがない。
 立ち上がろうとした。
 しかし、立ち上がれない。
 歯を食いしばり、握りこぶしを作りながら地面にうずくまる剣崎。
 数分間、剣崎と重圧の戦いは続き、剣崎は重圧を脱せずにいた。
 深呼吸して呼吸を整え、再び立ち上がろうとした、その時だった。
 強烈な地震が襲い掛かった。
 地面が揺れ、木が揺れ、屋敷が揺れる。
 そして次の瞬間、屋敷が倒壊した。
 轟音を立てて崩れだす屋敷。
 その中から、まるで地の底から這い出てきたような異形が存在した。
 硬質の鱗を全身に持ち、逞しい髭と凛々しい角。
 十数メートルを超える巨体が、屋敷を砕きながら進み出る。
 八の首に八の尾を持つその龍。
 八岐大蛇が、剣崎たちの目の前に姿を現したのであった。







「お出ましのようだ」
 歯をむき出しにして笑顔を浮かべるジェ・ルージュ。
 子供の姿に戻ったジェ・ルージュは未だにラブホテルの屋上にいた。
 そのはるか先、屋敷の建つ丘。
 屋敷が崩れる音と供に姿を現した巨龍。
 八岐大蛇が、丘の上に存在した。
「見えるか、燕雀」
「見えない」
 短く答える燕雀。
 ジェ・ルージュは指差した。
「あそこだ、八岐大蛇の頭の上だ。人間が乗ってるぞ」
「柴崎司か?」
「あそこに乗る資格があるのは八岐大蛇の退魔皇だけだ。相違あるまい」
 指を鳴らすジェ・ルージュ。
 そして、まるで格闘家のように構えを取った。
「及ばずながら仕掛けるぞ。やつらめ、しくじってくれるとは迷惑な」
「世界は展開していたようだが、契約に失敗したようだな」
 輝光を練り始めたジェ・ルージュに燕雀が言う。
 ジェ・ルージュは舌打ちした。
「自分が剣崎戟耶薙風だと信じられなかったか、無様な。このままでは世界は奴の手に堕ちるぞ」
「しかし、あいつ以外対抗できる人間がいないのも事実だ」
「わかっている、恐らく写本は破壊されただろうから二階堂のアホが頼りだな。やってくれているかどうか」
「信じるしかないだろう。二階堂も、それに仮面使いのことも」
「だからこそ仕掛けるのだ。やつら以外にこの状況を打破できる人間はいない」
「ごもっともで」
 鼻を鳴らす燕雀。
 そんな燕雀の横で、ジェ・ルージュは一気に輝光を膨らませた。
 子供の姿になろうと、ジェ・ルージュの力は並の異能者に劣らない。
 一気に増幅させた輝光を両手の先に放出。
 光り輝く輝光の球を両手の前に出現させると、そのままそれを融合させた。
 右と左の手の間にたゆたう光球。
 電撃のようにも見える輝光が迸ると、ジェ・ルージュは一気にその輝光弾を膨張させた。
 そして、
「喰らうがいい!」
 輝光弾から閃光が繰り出された。
 まるでレーザーのように光の線が走り、八岐大蛇に襲い掛かる。
 しかし、
「やはりかっ!」
 輝光を放ち続けるジェ・ルージュは歯を食いしばりながら唸る。
 ジェ・ルージュから放たれたその輝光を、八岐大蛇は自身を覆うように展開した円型の光の障壁で防御する。
 それは魔伏の退技。
 絶対防御の障壁だった。
「そうすると思ったぞ、まんまと策にはまったな!」
 嬉しそうに叫ぶジェ・ルージュ。
 そう、これは時間稼ぎ。
 八岐大蛇でさえ防御する必要のある一撃を、ジェ・ルージュは繰り出していた。
 それを防御するということは、八岐大蛇は反撃に転じることができない。
 魔伏の特性がそういう能力だからだ。
 しかし、わかっている。
「来た!」
 直後、ジェ・ルージュは使用している呪文を維持したまま新たな術式を解放した。
 それは影と影を転移する術式。
 心臓の前に紫の矢が転移すると同時に、ジェ・ルージュはその術式を起動した。
 ジェ・ルージュの転移直後に紫の矢が動いた。
 紫の矢は、誰もいない虚空に向かって直進する。
「こっちだ!」
 叫び、ジェ・ルージュは八岐大蛇の頭上から輝光弾を解き放った。
 それに呼応するように八岐大蛇が天魔と滅神の皇技を発動する。
 心臓の目の前に転移する紫の矢。
 しかし、ジェ・ルージュはそれが到達すると同時に再び転移して逃げた。
 ジェ・ルージュはこの瞬間、確信した。
 八岐大蛇相手でも、十分に時間稼ぎが可能な事を。
 防御せざるを得ないジェ・ルージュの攻撃には魔伏の障壁展開が必須。
 その状態で敵を攻撃できる退魔皇剣は天魔、そして滅神のみ。
 普通なら回避不能の天魔の皇技だが、転移という能力を操れば逃げられないこともない。
 そして、転移と攻撃を組み合わせることによって、ジェ・ルージュは八岐大蛇を釘づけにしていた。
 時間を稼ぐため。
 剣崎たちが体勢を整えるまでの時間だ。
 問題はこの戦術は攻撃にも転移にも大量の輝光を消耗するということだ。
 つい先ほど大呪文を発動した直後だ、何分この戦術が使えるかどうかわからない。
 しかし、退くわけにはいかなかった。
 今この時こそが、世界の命運を決める瞬間なのだから。
「いいだろう、やってやろうじゃないか!」
 自分自身に宣言し、転移と攻撃を繰り返し続けるジェ・ルージュ。
 八岐大蛇を操る柴崎司は、見事ジェ・ルージュの策に引っかかってしまっていた。







「うおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
 響き渡る気合。
 しかし、その声もむなしく剣崎は立ち上がることが出来ない。
 剣崎が使用している輝光による筋力強化程度では、刻銃の魔弾による重圧から逃れる事はできなかった。
 半ばまで身を起しかけた剣崎は、再び地面に前のめりに倒れた。
 目の前には崩れた屋敷の塀。
 顔を上に向けると、天にも届かんばかりに見える八岐大蛇の異形。
 そして、それに対し転移による空中戦を仕掛けるジェ・ルージュ。
 八岐大蛇は軽快な空中戦を仕掛けるジェ・ルージュを、天魔と滅神の皇技で迎撃している。
 あの攻撃は転移によって心臓を直撃する一撃だ。
 ジェ・ルージュの転移のタイミングがずれれば、ただではすまないだろう。
 転移が遅ければ矢がジェ・ルージュを襲い、早ければ転移先でジェ・ルージュの心臓の前に矢が転移してくる。
 矢が転移し、直進を始める瞬間を狙ってジェ・ルージュは転移している。
 タイミングがずれた瞬間に死ぬ、そんなプレッシャーと戦いながら。
 情けなかった。
 退魔皇でもなく、本来の力を封じられているというのに、命がけで戦い続けるジェ・ルージュに比べ、無様に地面に倒れ付している自分が情けなかった。
「くそぅ、せめてこの重圧さえ!」
 もがく。
 しかし動けない。
 と、そんな時だった。
「解呪(ディスエンチャント)!」
 術式が発動した。
 直後、剣崎たちにのしかかっていた重圧が消滅した。
「消えた……?」
 ゆっくりと立ち上がる剣崎とエア。
 そして、
「あ……」
 声の聞こえた方を振り向いた。
「お前……」
 そこには、
「玉西?」
 かつて、目の前で失った女性の姿があった。
「やほー」
 軽快に手を振ってみせる玉西。
 剣崎は信じられず、目を擦って再び玉西を見る。
「玉西……なのか?」
「そうよ、久しぶりね」
 ローブを揺らしながら近づいてくる玉西。
「元気にしてた?」
「こちらは息災だが」
 剣崎は瞬きも忘れたまま続ける。
「生きていたのか、お前?」
「死んでるわよ、幽霊みたいなものね」
「死んでる? でも、足もついてるじゃないか」
「二階堂みたいなこと言うわね」
 額を押さえてため息をつく。
「私、呪牙塵に殺されたでしょ、それで呪牙塵に憑依して精霊になっちゃったの。おかげで呪牙塵は準魔皇剣化したわ」
「そんな事が……起こるのか?」
 さすがに異能者や魔剣について詳しい剣崎はあっという間に理解した。
 玉西は人差し指を立ててみせる。
「起こるわよ、現に目の前に私が立ってるのよ」
「信じざる……を得ないか」
 唾を飲み、剣崎は平静を取り戻す。
「だが、またお前に会えて嬉しい。それは本当だ」
「私もよ、会えて嬉しい」
 優しく、玉西は剣崎に微笑んで見せた。
「私も」
 声が後ろから聞こえた。
 剣崎と玉西はそちらの方に顔を向ける。
 こすれ合う金属音に、ボタボタと落ちる水滴の音。
 いや水滴ではない、血だ。
 金属の音を鳴らし、血の滴を地面に落としながら、その女性が近づいてきた。
「薙風……」
 剣崎が彼女の名を呼んだ。
 真紅の具足を赤く染め、天狗の仮面に血を張り付かせた薙風が、おぼつかない足取りで近づいてきた。
「大丈夫か、薙風?」
「大丈夫」
 頷いてみせる薙風。
 固まった血の欠片がパラパラと地に落ちる。
 そんな薙風に、剣崎は手で玉西を指し示し、
「薙風、信じられるか? 玉西がいる」
 その言葉に、薙風は玉西の顔を見た。
「久しぶり」
「久しぶり、朔夜」
 微笑む玉西。
 そんな玉西に、薙風は小さく頷いてみせる。
「驚かないのか?」
 疑問を口にする剣崎。
 薙風は剣崎の方を向いた。
「赤の魔術師が教えてくれてたから、前に一度会ってる」
「そ……そうなのか……」
 少しだけ怒りを覚える。
 あの赤目め、そういう大切な事は早く言えというのだ。
 そんな事が頭に浮かぶ。
 と、薙風が天狗の仮面の下の口を動かした。
「戟耶、合体は?」
「出来なかった、自分が剣崎戟耶薙風だと信じられなかったんだ」
 悔しそうに言う剣崎。
 薙風はさらに聞いた。
「写本は?」
「破壊された」
「破壊……」
 口にし、薙風は剣崎の近くに落ちている黒焦げになった本を見つける。
 無言で剣崎の顔を見る。
 剣崎は困ったような顔をした。
「エア、どうすればいい?」
 そばで立ち上がっていたエアに聞く。
「こうなれば最後の手段ですね」
「最後の?」
「写本がなくなったなら本物を使えばいいということです」
 その言葉を、ちょっと考えた後で剣崎は理解した。
「アーデルハイト」
「そうです、写本がない以上それ以外に方法がありません」
「でも、司姉さんがアーデルハイトをどこに監禁しているかわからないんだ」
「ここにいるぜ」
 声が左から聞こえた。
 全員の視線が集まる。
 そこには、全身を血まみれになった獣毛で身体を覆われたライガー。
 息は荒く、よろけそうになりながら近寄ってくる二階堂の姿があった。
「二階堂、お前?」
「オレが別働隊になった理由がこれだ、受け取れ」
 言って、二階堂は剣崎に手に持ったそれを放り投げた。
 回転しながら飛んでくるそれを、剣崎は空中でキャッチする。
 日焼けして色あせる古びた本。
 それは、
「リベル・レギス」
「そうだ、法の書だぜ」
 剣崎に、二階堂は歯をむき出しにして笑ってみせる。
「お前らが敵をひきつけている間にアーデルハイトを救い出せとのご命令だ。見事果たしてやったぜ」
 親指を立ててみせる。
 恐らく、ジェ・ルージュはアーデルハイトが屋敷にいることを知っていたのだろう。
 しかし、アーデルハイトの居場所が分かれば自分は確実に動揺する。
 下手をすれば、作戦を投げ出してアーデルハイト救出に行くかもしれない。
 だからこそ、ジェ・ルージュは二階堂以外にアーデルハイトが屋敷にいることを内緒にしたのだろう。
「人が悪すぎる」
 唸ってみせる剣崎。
 その言葉に、二階堂は笑顔を浮かべた。
「結果的には正解だ、お前は写本を失いオレは法の書を得た。見事作戦通りだ」
「あまりありがたくはないのだが」
「アーデルハイトが助かったこともありがたくないと?」
「そういうわけじゃないが」
 頭をかいてみせる剣崎。
 そんな剣崎に、エアが声をかけた。
「戟耶さん」
「何だ?」
「こう申し上げては失礼なのですが、戟耶さんは信じることができますか?」
「何を?」
「あなたが剣崎戟耶薙風であるということをです」
 その言葉を聞いて、剣崎は目を見開く。
 そうだ、先程はそれを信じられなくて失敗した。
「もう一度、今度は法の書のオリジナルを展開して、あなたは信じることができますか?」
 曖昧な返事を許さない真剣な言葉。
 それを聞き、剣崎は思わず目を背ける。
「自信はある。だけど、絶対とは言えない」
 言いにくそうに、剣崎は続ける。
「昔からずっと聞き続けていたんだ。剣崎、戟耶、薙風の三つの血は交わる事ができない。二つの混血児さえ生まれてくることは稀で、ほとんどが死産に終わると。二つの血でそうなんだ。三つが混在した人間なんて……とても……」
 信じることができない。
 そう言って、悔しそうに顔を伏せる。
 エアは剣崎の腕を掴んだ。
「信じてください。あなたが信じられなければ終わりなのです。大丈夫です、三つの血は混在できます。二億年の昔、スサノオノミコトという男がいました。彼は間違いなく、三つの血を持った人間でした」
「………………」
 無言で答えない剣崎。
 エアは迷った。
 ここは逃げるべきではないのかと。
 今、法の書を展開してしまえば、その時点でこちらの居場所が柴崎司に知れてしまう。
 さっき剣崎と供に情けをかけられたのはこちらが無力だったからだ。
 法の書を手にした自分たちを、柴崎司が見逃すとは思えない。
 しかし、今逃げれば。
 赤の魔術師に柴崎司が手こずっている隙を突けば、逃げられるかもしれない。
 自分達は世界の希望だ。
 自分達が倒れればそれで終わる。
 だが、
「逃げないでください」
 エアは続ける。
「あそこで戦っている男の意志に答えるのです。紙一重の死と隣り合わせに、八岐大蛇に真っ向から立ち向かう男を見捨ててはいけません」
 天を指差す。
 そこには八岐大蛇。
 そして、それと渡り合うジェ・ルージュの姿。
「迷っている暇はありません。私は信じます。あなたが自分を信じられると信じます。ですから」
 言葉を切り、続ける。
「法の書を、展開してください」
 揺ぎ無い意志。
 失敗すれば後がないというのに、心構えも出来ていない剣崎を、エアは信じると言った。
 男にここまでの言葉を口にさせて、否定の言葉を口に出来るほど剣崎は恥知らずではなかった。
 本を握る手に力を込める。
「わかった。やろう、エア」
 自信はなかった。
 それでも、やらなければいけないことだけはわかっていた。
 だから剣崎は、法の書を開こうとし。
「待って」
 薙風にそれを止められた。
 驚いて、剣崎は薙風を振り返る。
「何故止める?」
「しておきたいことがある」
 そういうと、薙風は兜の緒を解き、真紅の兜を地面に捨てた。
 天狗の仮面を外し、喉輪を外し、袖を外し、具足の同部分を外す。
 篭手を外し、さらに着ていた着物を脱ぎ捨てた。
 下半身には鎧を残しながら、薙風は上半身だけ裸になった。
 流れる黒髪が薙風の胸の前で揺れる。
「な……薙風……何を……」
「動かないで」
 そう言うと薙風は剣崎に抱きついた。
 それを横から見て、言葉を失い目を見開くエア、玉西、二階堂。
 そんな三人を気にもせず、さらに薙風は背伸びをして剣崎の口に自分の唇をあてがった。
 重なり合う二人の唇。
 その瞬間だった。
 薙風は剣崎の頭を強く抑え、動けないようにしたあと口の中にそれを流し込んだ。
 驚く剣崎を余所に、薙風はそれを流し続ける。
 苦しくなり、剣崎はそれを飲み込む。
 剣崎がそれを飲むのを確認して、薙風が口を離した。
「これでよし」
 言う薙風の口は真っ赤に濡れている。
 剣崎の口も、同様だった。
「これで戟耶の体の中には三つの血が混じってる」
 そう、薙風が流し込んだのは血だった。
 内臓にダメージを受け、何度か吐血していた薙風は無理矢理吐血し、それを剣崎に飲ませたのだ。
 さらに、身体にこびりついた血が剣崎につくように裸になって抱きしめた。
 裂けた肌から流れる血が、薙風の思ったとおりに剣崎の服を汚す。
 剣崎の身体は血まみれになっていた。
「大丈夫、あなたはもともと剣崎と戟耶の血をもってる。足りないものは私が補ったから、もう大丈夫」
 そう言うと、薙風は力を失い崩れ落ちるようにして倒れる。
「おっと」
 素早く移動し、二階堂がその身体を抱きとめる。
 すぐ駆け寄ってきた玉西が、自分のローブで裸の薙風を包んであげた。
「無理してたんだろうな、あんだけの大立ち回りを演じたんだ」
 蒼い顔で気絶している薙風の顔を見て、二階堂が呟く。
 圧倒的多数の敵と渡り合い、大量の輝光を放出して戦い続けた薙風の体が限界まで酷使されていた。
 その上、剣崎に自分の血を届けるためにここまでやってきていたのだ。
 ようやくここにいたり、血を与えた事で薙風の緊張の糸は切れてしまった。
 そんな薙風の想いを知り、剣崎は血に濡れた唇を指でふき取る。
「薙風」
 指についた血を舐め取った。
「感謝する、これで信じられる」
 そう言うと、薙風に背を向けた。
「リベル・レギス!」
 その名を唱えた。
 直後、手にした法の書に輝光が駆け巡り、剣崎の眼前にその女性が出現した。
 金色の豊かな髪をなびかせる女性、アーデルハイトの姿が。
「戟耶くん?」
「あぁ、戟耶だ。お前の知ってる戟耶だ。もう柴崎司じゃない」
 力強く言い放つ。
 それを耳にした瞬間、アーデルハイトは目に涙を浮かべた。
「よかった……本当に……よかった……」
 流れていく涙。
 少しの間アーデルハイトは泣いていたが、すぐに涙をふき取る。
「ご、ごめんなさい。動揺しちゃって」
「構わないさ」
 嬉しそうに言う剣崎。
 と、アーデルハイトはようやく気付いた。
「戟耶くん、血が……」
「大丈夫、オレの血じゃない。それより……」
 言って頭上を見上げる。
 視線の先には八岐大蛇。
 法の書を起動させたことに気付いたのか、八つの首のうちの三つがこちらを向いている。
「あれを倒すぞ、協力してくれ」
「あれって、退魔皇剣!」
「完全体の八岐大蛇だ、相手にとって不足は無い」
「勝てないわよ、あんなの相手に!」
「勝てる!」
 力強く、剣崎は続ける。
「エアが教えてくれた、薙風が与えてくれた。だから……」
 握りこぶしを作る。
「オレは、信じる」
 その決意の強さはどれほどのものか。
 たぎるように熱い意志。
 それを感じとり、アーデルハイトは頷いた。
「わかった、私はあなたに従う」
「よし、じゃあ戻ってくれ」
 剣崎がそう言うと、アーデルハイトの体が徐々に透明になり、消え去った。
 もちろん、完全に消えたわけではない。
 アーデルハイトの本体はあくまで本であり、本の中に戻っただけだ。
 これで法の書は百パーセントの力が発揮できる。
 その状態を作り上げ、剣崎は急速に輝光を高まらせた。
 直後、世界が塗り替えられる。
 その魔皇剣が、発動した。
 大量の輝光によって構築される結界が、八岐大蛇を飲み込んだ。







 風にあおられた火の粉が柴崎司の顔に襲い掛かった。
 八岐大蛇の頭上に立つ柴崎司は、思わず眼下を見下ろそうとしたが、飛んでくる火の粉のために腕で顔を守り、目をつぶらざるを得なかった。
 火の粉を払いのけ、柴崎司は目を見開く。
 そこには先ほどまでと違った世界が広がっていた。
 赤黒い岩で構成された地面。
 周りには何も無い。
 ただ無限に広がる闇の世界。
 頭上からは月明かり、空には雲ひとつ無い。
 いたるところにマグマが噴出し、炎が燃え盛り自分達のいる場所をリングのように囲っている。
 吹き荒れる火炎地獄。
 その中からその男の影が少しずつ輪郭をあらわに近づいてきた。
「無限にして無間たる夢幻」
 その男は、決して揺るがぬ意志を伴いながら、
「魔道結界、無限の世界(アンリミテッドワールド)」
 柴崎司の前に姿を現した。
「ようこそ、オレの世界へ。無限に広がるこの世界は、オレの定めた法に従う。もう逃げ場は無い」
 告げる剣崎。
 その傍らには、エアの姿のみが存在した。
 戦力にならない他の人間は、この結界の中に取り込まなかったからだ。
 広がる光景を見て、剣崎はわずかに驚く。
 自分の養父がこの結界を使ったとき、このような果てしない闇と炎の世界ではなく、果てしなく広がる荒野だった。
 この世界ではあらゆることが現実になる。
 信じたことを現実にする世界のアルカナ。
 法の書のオリジナルは、その世界をはるかに超えた力を操る。
 最強のアルカナ『世界』を超える最後のアルカナ『宇宙』。
 宇宙とは無限大に広がる世界に過ぎない。
 故に無限の世界(アンリミテッドワールド)、信じる心が世界を変える空間。
「エア、行くぞ」
 傍らのエアに告げる。
 エアは無言で、しかし力強く頷いてみせる。
 剣崎は頭上を見上げた。
 炎と月に照らし出される八岐大蛇。
 そして、その頭上に立つ柴崎司。
 それを前にして、剣崎は口を開く。
「オレは……須藤数騎じゃない……」
 そう、須藤数騎ではない。
 オレはもう、自分を見失ったりしない。
「オレは……柴崎司でもない……」
 そう、柴崎司ではない。
 オレはもう、あなたの影を追ったりはしない。
「オレは……剣崎戟耶ですらない……」
 信じるから。
 エアの言葉と、薙風の血を。
「オレの名は……剣崎……」
 信じたからこそ口にする。
「剣崎……戟耶薙風!」
 瞬間、世界が鳴動した。
 あまりにも強すぎる信じる心が、その世界に働きかけた。
 詠唱さえも必要としないほど、揺るがぬその意志に、世界は詠唱無しでその事実を現実とした。
 その世界に立つのはもはや剣崎戟耶などではない。
 服に染み付いた血が皮膚に吸収されていく。
 胃の中に溜まった血が、口の中に残る血が、全てが剣崎の血管の中に流れ込む。
 剣崎、戟耶、薙風。
 三つの血が、一人の男の血管の中を駆け巡り、奇跡を起して交じり合う。
 火花散らす火炎。
 唸りをあげるマグマと供に、黒き岩の地面が鳴動する。
 嵐のように吹き荒れる炎の中、一人の男が八岐大蛇の前に立っていた。
 その男は剣崎戟耶薙風。
 退魔皇剣を生身で使いこなす、世界に唯一の存在。
 剣崎はエアの肩を掴んだ。
「魔装合体!」
 叫びと供に、真紅の輝光が吹き荒れた。
 濃縮された輝光が剣崎の肉体に流れ込み、その力を増幅させる。
 具現化する輝光とともに肉体を覆っていく真紅の鎧甲。
 構えを取るその両手には身長を超えるほどに長い二メートルの大太刀。
 ここに至り、柴崎司は詠唱を始めた。
 もはやこの男を止めるには、八岐大蛇の持つ最大の一撃しかあり得ない。
 それは全ての皇技の融合。
 九つの退魔皇剣の力を全て同時に解き放つ事でしか、剣崎戟耶薙風は止められない。
 それに呼応するように、大太刀を強く握り締め、剣崎は詠唱を始めた。
「呪いを切り裂く刃よ、龍破の剣たる天叢雲(あめのむらくも)よ、龍魔を引き裂きたる光を!」
 大きく後ろに大太刀を振りかぶり、斬撃を繰り出す。
「龍魔裂く深紅の閃光(クリムゾン・スラッシュ)!」
 その皇技を発動させた。
 同時に柴崎司も皇技を発動させる。
 九つの皇技が全て同時に発動し、剣崎に襲い掛かる。
 それよりも早く、剣崎の皇技が発動していた。
 世界が深紅に染まる。
 大太刀から放たれる光の刃が、呪われた退魔皇剣である八岐大蛇を切り裂く。
 八岐大蛇を葬るために存在する偽・退魔皇剣『龍裂(りゅうれつ)』。
 それは龍と呪い、この二つを乖離させる事に特化しすぎた魔皇剣。
 物理的な物だけに留まらず、龍の属性を持つものなら霊的、概念的なものでさえも乖離させるその一撃。
 そして切り離された。
 八岐大蛇は、その力の源たる精霊達と、退魔皇剣である本体を真っ二つに切り裂かれた。
 同時に現世に世界の力を縛り付ける呪いまでも切り裂く。
 あまりに強力な輝光が放出されすぎたため、結界が崩壊した。
 闇と炎の世界が消え去り、もとの美坂町に戻ってくる。
 もちろん、鏡内界の中ではあったが。
 二階堂たちの元に戻った剣崎は、どのような結果になったかを確認すべく周囲を見回す。
 そして見つけた。
 剣崎たちの足元に転がる精霊達を。
 いや、元・退魔皇剣の精霊になってしまった人間たちの姿を見つけたのだ。
 スルト、イザナギ、ロンギヌス、アイギス、ルー、トール、カドゥケウス、ミストルテイン。
 エアを除く八人の精霊だった存在が、剣崎たちの前で気絶した状態で寝転がっていた。
 頭上を見上げる。
 八岐大蛇の姿は消え去っていた。
 龍裂の皇技、龍魔裂く深紅の閃光(クリムゾン・スラッシュ)。
 呪いと龍を裂くこの刃によって、剣崎は退魔皇剣に縛り付けられた精霊達を解放した。
 それは同時に、よりどころを失った八岐大蛇の消滅を意味する。
「勝った……」
 剣崎は大太刀を取り落とす。
「勝ったぞぉっ!」
 そして叫んだ。
 声が夜空に響き渡る。
 こうして、剣崎戟耶薙風によって、二度目の八岐大蛇退治が成し遂げられた。
 歴史とは、繰り返すものである。








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