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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>第十二羽 仮面幻影

第十二羽 仮面幻影



「あっ」
 小さな声を剣崎が漏らした瞬間だった。
 剣崎の心を高ぶらせていた何かが消え去った。
 それと同時にエアとアーデルハイトが地面に尻餅をつく。
「合体が……解けたのか……」
 呟き、そして理解した。
 肩で息をするエア。
 輝光を消耗しきっている。
 もはや、魔装合体する余裕もないだろう。
 それでも繋がりを感じるのは、
「そうか」
 理解した。
 法の書の能力はまだ持続していた。
 世界全体に働きかける場合と違い、自分の肉体に働きかける場合、法の書の能力は契約してさえいれば常時発動する。
 そのため、剣崎は自分が須藤数騎だと二年近い間、思い込むことができたのだ。
「お疲れさま、二人とも」
 ねぎらいの声をかける剣崎。
 それを聞いて、二人は笑顔を浮かべて剣崎の顔を見上げた。
 そこに二階堂が歩み寄ってくる。
「やったのか?」
 心配そうに聞く二階堂。
 それに対し、剣崎は力強く頷いてみせる。
「やったじゃねぇか!」
 嬉しそうに吼える。
 直後、ぐらっと体が揺れた。
 輝光の消耗と血の流しすぎのせいだ。
 もうちょっとで背中に背負う薙風を落とすところだった。
「ちょっと、気をつけてよ」
 そんな二階堂に玉西が文句を言った。
「わ、わりいな」
 照れ笑いしてみせる二階堂。
 そんな二階堂に眉をひそめて見せた後、玉西は剣崎の顔を見た。
「お疲れ様、がんばったわね」
「あぁ、ありがとう」
「待〜て待て、まだ終わってはいないぞ」
 全員のど真ん中から声が聞こえてきた。
 声と同時に現れたのは顔中汗まみれのジェ・ルージュだった。
 右肩に燕雀を乗せている。
「たしかに八岐大蛇は撃破したが、まだ終わってはいない」
「どういうことだよ?」
 わずらわしそうに聞く二階堂。
 そんな二階堂に、ジェ・ルージュはため息混じりに言った。
「龍裂の弱点だな、界裂と違って全てを裂くわけではない。龍属性と呪い、この二つに特化しているだけで、残りのものはほぼ切断できないと考えろ。柴崎司はその二つに該当するか?」
「あっ」
 ようやく気付いた。
 二階堂は慌てて剣崎の方を向く。
 剣崎は頷いて見せた。
「あぁ、わかっている。司姉さんは、まだ生きている」
 その通りだった。
 ジェ・ルージュはアゴに手をあてる。
「双蛇が蘇生させた死者は双蛇が消滅した後でも生存する。もっとも、一日ともたずに死ぬがな。どうする、剣崎戟耶薙風。このまま死ぬまで放置するか?」
「いや、逃がすわけにはいかない」
 右手に握りこぶしを作り、剣崎は続ける。
「ジェ・ルージュ、オレはあんたが来るのを待っていた」
「何故?」
「司姉さんが逃げた先は紫水晶の大空洞だ。あそこに姉さんは行く」
「どうしてそう思う?」
「同じ仮面使いだからだ。そもそも、今回の騒動は何で起こった?」
「二年前に再現の力を持つ異能者が退魔皇剣を再現しようとしたからだ」
「もし、司姉さんが再現の異能者の仮面を持っていたとしたら?」
「なんと!」
 驚き、ジェ・ルージュは口に手をあてて考え込んだ。
「いや、ありえない話ではない。確かに柴崎司はお前の言う通り紫水晶の大空洞に向かっている、高速でだ。そろそろ到着しているかもしれない。だが、いやしかし……」
「迷ってる暇は無い。手遅れになる前に、司姉さんを止める」
「とは言ってもだな」
 ジェ・ルージュは両手を広げて見せた。
「私も輝光が余っているとは言い切れない。今私が向こうに行ったところで、移動するだけで輝光を使い切って、奴の前では何もできないということになりかねない。お前達全員を向かわせようにも、せいぜい送れるのは一人が限度だ」
「オレ一人で行く」
 剣崎は自分の胸を叩いて見せた。
「オレが一人で行く。どっちみちここに残っているやつらはオレ以外消耗しすぎている。選択肢はない」
「だが、こう言っては何だが……私はお前が柴崎司に勝てるとは思えんのだ。先程戦って、お前はあの女に勝てる気がしたか?」
 そうだった。
 先程の戦いで柴崎司に敗れてから、三十分もたっていない。
 戦いながらしみじみと感じたのだ、あの女性には勝てないと。
 表情に出ていたのか、ジェ・ルージュは頷きながら続けた。
「はっきり言ってお前は柴崎司には勝てない。仮面使いとしてあの女はお前より格上だ。恐らくだが、あの女は全ての仮面を同時にかぶることさえできるかもしれない」
「全ての仮面を……同時に?」
 そういえば、二階堂もそんな事を言っていたような。
 困惑をよそに、ジェ・ルージュは続ける。
「仮面使いの持つ奥義だな。真なる仮面使いは、全ての仮面を同時にかぶる。かぶり方は二通りだそうだが、さてどちらを使ってくるか」
「二通り?」
「詳しくは知らん、まだそこまで研究ができていないのだ。どうも仮面使いという人種は秘密主義者が多くてな。なかなか情報が集まらんのだ」
 機嫌悪そうに頭をかくジェ・ルージュ。
「とは言っても、もはや私はお前に頼るしかないようだな。いいだろう、柴崎司のいる紫水晶の大空洞までお前を転移してやる。そのために私を待っていたのだろう?」
「あぁ、頼む」
「いいだろう、すぐに送ってやる。だが、その前に装備を整えろ。お前の得物が見当違いの方向に転がっているぞ」
 ジェ・ルージュがあたりを見回すと、遠くに弾き飛ばされた二つのカタールが転がっていた。
 剣崎は急ぎ、それを回収。
 ついでに刻銃も拾い上げ、ジェ・ルージュの元に戻ってくる。
「始めるぞ、動くなよ」
 そう言って、ジェ・ルージュは手を動かし印を結び始める。
 唱えられる詠唱。
 そして呪文が完成した。
 剣崎の足首が、自身の影に埋もれだした。
 膝が、腰が、胸が。
 少しずつ影の中に消えていく。
「む、少し余裕があるな」
 気付き、ジェ・ルージュは肩の燕雀を持ち上げると、剣崎の肩に乗せた。
「連れて行け、もしかしたら何かの役に立つかもしれない」
「こんな猫がか?」
 鎖骨の辺りまで影に埋もれた剣崎が、肩に乗る燕雀を見て言う。
 燕雀は鼻を鳴らした。
「戦力になるかは分からんが、いないよりはマシだろう。何かの役に立てるように善処しよう」
 つまらなそうに言う燕雀。
 みるみる内に剣崎の身体は影に埋もれ、鼻から下が影に埋もれる。
 その時だった。
 燕雀が玉西の方を向いた。
「こう言える立場にはないかも知れないが」
 言いにくそうに、でもはっきりと続ける。
「また会えて嬉しい」
 それだけ言うと、剣崎と供に影に潜ってしまった。
 はるか遠くの紫水晶の大空洞では、剣崎と燕雀の姿が現れていることだろう。
 それを確認したジェ・ルージュは、転移の呪文を完了させ、術式を霧散させる。
 そんな中、玉西は二人の消え去った地面を見つめていた。
 わけがわからないという顔をして、小さく首を傾げるのであった。







 目に入ってきたのは紫に輝く光だった。
 手で目を押さえ、光に慣れた後、剣崎はようやく周りを見ることが出来た。
 ジェ・ルージュによって転移させられた場所、そこは紫に輝く空間だった。
 見回せば岩。
 高さは軽く二十メートル、広さに至っては二キロメートル平方はあるだろうか。
 岩だらけの、山の中に存在する大空洞。
 剣崎と燕雀は、そこに転移させられていた。
 後ろを向くと、そこは断崖絶壁。
 よく見ると、大空洞は二つの空間に分かれている。
 崖の下に存在する広い空間。
 そして、そこから車が走る峠道のような曲がりくねった坂を上るとこの崖のあたりまで来れる。
 崖の上には広い平坦な地面が存在した。
 そして、正面に見える壁は、岩ではなく水晶で構成されている。
 紫に輝く水晶、紫水晶と呼ばれる強烈な輝光を放つ魔石の一種だ。
 それが起動状態になり、紫の輝きを放っている。
 それを背にして、一人の女性が立っていた。
 冷たい目でこちらを見つめてくる。
 両手にはカタール。
 見間違いようもない。
 眼前に立つは柴崎司。
 近づくべく、剣崎は一歩進みだす。
 そんな剣崎に、柴崎津は告げる。
「あなたを生かしておいたのは失敗だったわね」
 鋭く、柴崎司は続ける。
「昔、あなたに話したことがあったわ。私は子供の頃から人を助けるのが好きだった。助けられて、それで感謝してもらって。だから私は、将来は困った人を助ける正義の味方になりたいってずっと言ってたわ」
 言葉を切り、続ける。
「死ぬまで人を救い続けて、死んで。それでも人を助けたかったから生き返った後も救おうとして、結局救った人間に足元をすくわれて、本当にイヤになるわ」
 言って、コートの中に手を入れる。
 中からは白い仮面。
「おそらく予想したから来たんでしょうけど、あなたの想像通り私は再現の異能者の仮面を持っているわ。私はもう一度退魔皇剣を再現する、そして……」
 剣崎を睨みつける。
「この世界を……救う!」
 強く、怯ませるような意志を込めて柴崎司は言い放った。
 後ずさりしかける剣崎。
 しかし、一歩でも後ろに下がる事は許されない。
 むしろ前に足を動かし、剣崎は口を開く。
「あなたが死んだ後、オレは死んだあなたの代わりになろうとしました」
 さらに前に進み始めた。
「大切な人を見捨て、数で人の命を考え、何年も戦って人々を救い続けました」
 一歩進む。
「戦って戦って戦い抜いて、結局オレに残ったのは孤独だけだった。何のために戦っていたのかわからなくなったオレは逃げた。でも、戻ってきた」
 さらに一歩。
「あなたは間違っていたんだ、人は救うものじゃない。人間は自分自身を救わなくてはいけない生き物なんだ。他人から与えられた救いなんて偽者だ。自分を救えるのは自分だけなんだ」
 もう一歩。
「オレはそれに気付いた。オレはこれからも人を助け続ける、でも大切な人を犠牲にしてまで救うようなことはしない。オレに他人は救えない。だから、オレはオレのために生きる」
 もう一歩。
「オレの自己満足のために他人を助け、オレと供に生き続けて欲しいから大切な人を助ける。自分のために、オレは自分のために戦うことの大切さに気付いたんだ」
 もう一歩進み、
「だから……」
 さらに一歩踏み出した。
「あなたはもう、人を救わないでください」
 それは別離の一言。
 柴崎司という人間を否定する、決定的な一言だった。
 それを聞き、ここに至ってようやく柴崎司は認識を改めた。
 そうだ。
 そうだとも。
 目の前にいるのはかつて彼女が戟耶と呼んだかわいい男の子などではなく。
 自らの意志を持って歩き、信念を貫き通そうとする一人の男。
 なら、もう情けをかけるわけにはいかなかった。
 揺ぎ無い意志を持つ戦士は降伏しない。
 ただ、死をもって戦いの終止符を飾るのみ。
 理解し、柴崎司は仮面を顔の前まで持ってきた。
「一つだけ間違いを犯したわ」
 手が動く、
「あなたを見逃したことでも、あなたがあの魔剣を隠し持っていた事に気付けなかったことでもない」
 手にした仮面が顔にかぶさり、
「幼いあなたにせがまれて、あなたでも使える仮面を作ってあげてしまったことよ」
 柴崎司は素早く仮面を顔に固定した。
「決着をつけましょう、これが最後の戦いになるわ」
 呟くように言う柴崎司。
 そして、
「行くわ、仮面舞踏の始まりよ」
 仮面舞踏を宣言した。
 剣崎も応じるように仮面をかぶる。
「仮面使い」
 口から流れ出る仮面の名前。
 そして、剣崎は爆ぜるように踏み込み、加速した。
 両腕にはカタール。
 すでに刀身からは光る刃が出現している。
 前傾姿勢になり、超低空で疾駆する姿は刃の伸びる両手とあいまってまるで肉食獣のそれ。
 振りかざした爪を唸らせ、剣崎が斜めの斬撃を繰り出した。
 応じる柴崎司。
 火花が散り、閃く刀身が紫の輝きを照り返した。
 追撃をかける剣崎。
 両手のカタールを、執拗に振るい柴崎司に反撃の隙を与えない。
 突き、薙ぎ、払い、そして斬撃。
 咆哮と供に繰り出すその連撃のあまりの凄まじさに、遠くから見る燕雀はとてもではないが動きを目で追うことができない。
 しかし、燕雀は思った。
 これだけの連撃。
 これだけの猛撃を、柴崎司はそのこと如くを防いでしまっている。
 と、剣崎が仕掛けた。
 腕を大きく後ろに引き、速度でも威力でも今までとは比べ物にならない一撃を繰り出す。
 斜めに走る尋常ではない斬撃。
 それを受け止めるのではなく、柴崎司は大きく後ろに跳んで回避する。
 強烈な一撃を放ったために動きの止まる剣崎。
 そこに、
「Azoth(アゾト)!」
 横薙ぎの一撃とともに、柴崎司が刀身の射出を行った。
 カタールから飛来する銀の刃。
 それを、
「ふっ!」
 一気に息を吐き、剣崎は一瞬にして姿勢を低くし、迫り来る刃の下に逃げる。
「Azoth(アゾト)!」
 すさかず反撃。
 斜めに一閃したカタールは、同時に刃を射出する。
 柴崎司はすぐさまカタールを構えると、飛来する刃を全て叩き落した。
 そしてさらに大きく後ろに跳ぶ。
 剣崎も身体を起し、カタールを構える。
「ミスったか」
 舌打ちする。
 そう、今のは剣崎の誘いだった。
 わざと体勢を崩したようにみせかけ、必殺の一撃を誘う。
 必殺を期せば大きな隙が生まれるはず。
 その隙を狙ったつもりだが、柴崎司は十分に余裕を残して反撃してきた。
 さすがは自分に戦闘術を叩きこんだ女性だ。
 教えられたとおりの戦術では、とてもではないが敵わない。
「どう勝つか……」
 思わずこぼす。
 ジェ・ルージュの言う通りだ。
 正直言って勝ち目が無い。
 いや、勝ち目自体はある。
 杖による蘇生力を失っているため、致命傷を与えれば十分殺害できる。
 問題はそこに至るまでだ。
 柴崎司のデッドコピーである剣崎戟耶では、柴崎司に敵わない。
 と、柴崎司が両手のカタールから刃を消失させた。
 そのままカタールをコートの中にしまいこむ柴崎司。
 その様子を警戒しながら見つめていると、柴崎司は呪文の詠唱を始めた。
「Azoth(アゾト)!」
 すさかず剣崎はカタールの刃を射出した。
 両腕のカタールを振るい、計六本の刃が柴崎司に襲い掛かる。
 しかし、無駄だった。
 詠唱する柴崎司の周りに起こった輝光の旋風が刃をあらぬ方向へとそらしてしまう。
「ならっ!」
 剣崎は右手のカタールを投げ捨て、コートから刻銃を引き抜いた。
「我が放つは……」
 その詠唱は、
「断罪の銀!」
 彼の放つ最大級の一撃。
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 唸りをあげる輝光が銃口からほとばしり、柴崎司に襲い掛かった。
 だが、
「なっ!」
 驚きの声をあげる柴崎。
 詠唱する柴崎司を守る輝光の旋風は、刻銃の一撃さえも防いでしまうほどの力を有していた。
 そして気付いた。
 柴崎司が唱えているのは高位の術式だ。
 五十を超える輝光を操る術式。
 二十五程度の威力の刻銃聖歌で、突破できる代物ではなかった。
 詠唱が終わる。
 ようやく術式が組みあがった。
 見ると、柴崎司の両手には数え切れないほどの仮面。
 柴崎司は、それを上空に投げ放った。
 仮面は空中で分裂し、次々と数を増やしながら剣崎の周囲に落下していく。
 まるで剣崎を遠巻きに囲むようにして、百を軽く超える仮面が宙に浮かぶ。
 そして、柴崎司がその術式を解き放った。
「仮面曲芸(マスカレイドサーカス)」
 完成された術式が形を成す。
 中に浮いていた幾百の仮面。
 それが、仮面をかぶる人間を得た。
 どこからわいて出たのか、剣崎は浮いていたはずの仮面をかぶる幾百の人間に包囲されていた。
「これは……」
 周囲を見回し、そして理解した。
 これは具現化の術式だ。
 仮面は本来見た相手の能力をコピーしたものにすぎない。
 だが、この術式はコピーした能力を持つ、コピー元の人間を具現化する術式だ。
 剣崎を囲むのは柴崎司が今まで目に、仮面に能力をコピーしてきた全ての異能者たち。
「これは、双蛇の奥義の劣化版ってところか?」
 呟く剣崎。
 そう、剣崎の言う通りだった。
 自分達を囲む敵の恐ろしさは、正直言ってたいしたこと無かった。
 双蛇が蘇生させた死者たちも同様で、彼らは自我がなかったために生来もっていた戦闘能力を百パーセント引き出せていなかった。
 せっかく、百パーセントのスペックをもつ肉体を蘇生させられたというのにだ。
 それに比べ、自分達を囲む仮面の軍団はお粗末だ。
 意志がないだけでなく、具現化させられた肉体も粗悪品であるという事がわかる。
 恐らく、本来の実力の三割程度も出せないのではないだろうか。
 それでも、剣崎は仮面の軍団を相手取りやすいとは思わない。
 何しろ、数が数だった。
 三百に近い数の敵に囲まれているのだ。
 弱いとはいえ、数の力は圧倒的。
 剣崎は、背中に浮かぶ冷や汗を止める術を持たなかった。
「どう? これが私の奥義よ」
 突破口を探そうと目を走らせる剣崎に、柴崎司は言った。
「真なる仮面使いは全ての仮面を同時にかぶる、これがその答えよ。今まで私が仮面にした人間たち、その模造品を自らの支配下に置き、軍として操る。これが私の最大の奥義、仮面曲芸(マスカレイドサーカス)。これがあったから、私はランページ・ファントムにおいて最強だったのよ」
「わかってるさ」
 そう、わかっている。
 この奥義を、剣崎は一度だけその目にしている。
 それは柴崎司が死んだ時。
 たった一人で自分達を守ろうとして、奥義を使って戦う柴崎司の背中を剣崎は見ていた。
「その奥義の強さも、弱点も」
 そう、弱点はわかっている。
 この軍団は無敵だ。
 能力こそは劣悪だが、具現化された存在にすぎないため、いくら撃破しても柴崎司の輝光が持つ限りは何度でも甦って襲い掛かってくる。
 しかし、弱点がある。
 それは術者である柴崎司自身。
 そして当時、柴崎司を殺した敵もそれに気付いていた。
 だから非力な子供であった自分達を集中して狙い、それを助けようとして隙を見せた柴崎司を殺害できたのだ。
 つまり、柴崎司を倒してしまえば全ては終わる。
 それが答えだった。
「弱点?」
 怪訝な声で柴崎司が聞いた。
 直後、柴崎司を守るように数十の仮面が虚空から出現し、肉体が具現化する。
 瞬く間に、柴崎司の前に兵の壁ができあがった。
「あなたを守った時とは違うわ、弱点はないの」
 言って、柴崎司は指を高らかと鳴らした。
 それに呼応するように、仮面の兵士たちが動いた。
「ちぃ!」
 事ここに至り、剣崎は柴崎司を直接狙うことを断念せざるを得なかった。
 最も薄い箇所、右後ろに向かって剣崎は突進する。
「Azoth(アゾト)!」
 腕を振るい、刃を射出。
 三人の仮面を砕きながら、さらに直進する。
「我が放つは……」
 唱える。
「断罪の銀!」
 それはかの魔弾の詠唱。
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 刻銃最強の一撃が、剣崎の前に立つ仮面兵に襲い掛かった。
 輝光弾により、仮面ごとぐちゃぐちゃの肉片と化す仮面兵たち。
 それを見届けた後、剣崎は刻銃を投げ捨てた。
 すでに剣崎は仮面兵の群れに跳びこんでいる。
 詠唱が必要な刻銃は、この乱戦では役に立たない。
 すぐさまコートに腕を突っ込み、さらに予備のカタールを取り出す。
「Azoth(アゾト)!」
 カタールに輝光で編まれた光の刃が出現する。
 両手に握り締めたカタールを、剣崎はまるで曲舞でも踊るように振り回した。
 宙に舞う腕、足、首、血、肉片。
 叫び声を上げ、血を撒き散らしながら剣崎は包囲網を突破しようと暴れまわった。
 能力が劣化しているとはいえ、圧倒的多数の仮面兵は容赦なく剣崎に襲い掛かる。
 左腕に裂傷、右の二の腕にはナイフが突き刺さり、右太ももは深く切り裂かれた。
 それでも怯まない。
 包囲網の半ばまで進むと、剣崎は眼前に向けて両腕のカタールを投げつける。
「炸裂(ブレイク)!」
 詠唱と供に、カタールが急速に輝き始める。
 直後、投げつけたカタールが二つ同時に爆発した。
 それは本来意図されていない使い方。
 アゾトの剣に通常の五倍の輝光を注ぎ込み、暴発させるという一撃だった。
 剣崎が予備のカタールを一つ持っていた理由は、この一撃を躊躇無く使えるようにというものだった。
 二個のカタールの爆発により、突破口が開かれる。
「はあああぁぁぁぁぁ!」
 咆哮と供に輝光を両拳に集中させる。
 眼前に残った仮面兵が手にする剣の刃を左の拳で叩き折り。
 直後、仮面兵の顔面に右拳を叩きつける。
 仮面が砕け、顔面が内側に陥没する。
 眼前の敵が消失した。
 剣崎は両足に輝光を集中。
 加速をつけ、一気に仮面兵の軍団から距離を取った。
 すべるように崖の側で急停止。
 そこには、先程から戦闘を傍観していた燕雀の姿があった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
 肩で息をする剣崎。
 仮面を外し、大きく息をつく。
「くそっ、カタールを全て失った!」
 刻銃を撃つ時に捨てた一つ。
 炸裂させて突破口を作るのに使った二つ。
 計三つ、剣崎が保有する全てのカタールだった。
「刻銃もあれしかない。さて、どうするか? 敵は多兵、こちらは寡兵。ちょっと不利だが、何か策はあるか?」
 絶対的不利な状況下。
 口元に笑みをはりつけながら、剣崎は燕雀に尋ねる。
 そんな剣崎に対し燕雀は、
「ある」
 短く、しかしはっきりとした声で言った。
「あるのか?」
 期待していなかった返事だけに、剣崎は驚きを隠せない。
「あぁ、その前に」
 剣崎を見上げる燕雀。
「そのオモチャを捨てろ」
 言われ、剣崎は燕雀の視線の先を追った。
 燕雀の瞳に映るもの。
 それは、
「仮面?」
 仮面だった。
 剣崎が外した白い仮面を、燕雀は見つめていた。
「仮面を捨てろって言うのか? でも、これがないとオレは、あの人に太刀打ちできない」
「今に始まったことじゃない。オリジナルのデッドコピーが本物に勝てる道理はない。お前、その仮面を使っている間はあの女に勝てないぞ」
 正論だった。
 剣崎が好んで使う仮面、それは柴崎司の能力をコピーした仮面。
 仮面使いの仮面では、仮面使いには勝てない。
「お前は誰だ、柴崎司か? 違うだろう、違うはずだ。お前は誰だ?」
「オレは……」
 深く息を吸う。
 吐き出した。
「オレは……剣崎戟耶薙風」
「そうだろう? そうだとも。お前はあの女とは別の人間だ。そして仮面使いだ」
「オレが……仮面使い?」
「違うのか? お前は子供の頃から柴崎司の仮面をかぶり続けた、それを止めたあとは須藤数騎だ。お前は他人の仮面をかぶって生きてきた。そんなお前が仮面使いでないわけがない」
「そういうものなのか?」
「信じろ、信じればお前は誰にでもなれる」
 その通りだ。
 剣崎は法の書のを操りし魔皇。
 彼が信じたことは、全てが現実になる。
「見せてやれ、仮面全てを同時にかぶれる仮面使いがヤツ一人ではないことを。仮面のかぶり方が、もう一つあることを」
「……あぁ、見せてやるとも」
 唇についた血を指で拭い去る。
 数歩前に踏み出した。
 その背中に、
「仮面使い」
 燕雀が声をかける。
「仮面をかぶれ、もう一度」
 燕雀が口にしたその言葉に、返事はしなかった。
 代わりに、音を立ててコートを脱ぎ捨てる。
 上着も同時に脱ぎ捨て、剣崎の上半身は袖なしの黒シャツだけになる。 
「我は信じる」
 詠唱。
「我、真なる仮面のかぶり手たるは絶対の法なり!」
 叫んだ。
 大空洞に響き渡るその声。
 その声は、剣崎に絶対的な妄信を与え。
 剣崎戟耶薙風は、この時より全ての仮面をかぶる仮面使いとなる。
「司姉さん」
 低い声。
「今、思い出した。昔あなたに教えてもらったこと、全ての仮面を同時にかぶる方法は二つあると」
 語りながら、剣崎はジーンズに閉まっていたナイフを取り出した。
「あなたは一つを極めた、もう一つは極められなかった。なら、オレはそのもう一つを使って見せよう」
 右手に漆黒の短刀、ドゥンケル・リッターを握り締める。
 ハイリシュ・リッターは工場で失っていたため、武器はこれ以外になかった。
 そして、剣崎は詠唱を唱える。
 それは柴崎司が極めなかったもう一つの奥義。
 どちらか片方しか習得することの出来ない、究極の奥義の一つ。
 詠唱は短かった。
 柴崎司の妨害を受けることも無く、剣崎はその奥義を解き放った。
「仮面幻影(マスカレイドヴィジョン)」
 瞬間、剣崎の周囲に濃密な輝光の旋風が迸った。
 渦巻くその空間に、次々と半透明に発光する仮面の数々。
 剣崎の周囲を回転しながら、その仮面が一つ一つ剣崎の肉体のあらゆる箇所に吸収されていく。
 肌に重なっては剣崎の体の中に吸収されて消え、数百の仮面がその仮定を経て剣崎の中に入っていく。
 そして、
「さぁ、行くぞ仮面使い。仮面舞踏(マスカレイド)の始まりだ」
 剣崎は仮面舞踏を宣言した。
 右手に構える短刀が紫の輝きを照り返す。
 そんな剣崎を見つめながら、柴崎司は汗でカタールが滑らないように強く握り締めた。
「まさか、そこまで仮面を使いこなせるようになるとはね」
 仮面の下にある、柴崎司の顔は驚きに満ちていた。
「いいわ、試してあげる。そして決めましょう、どちらが本当に優れた仮面使いであるかを!」
 言い放ち、カタールを装着した右腕を剣崎に向ける。
「行け、あの紛い物を打ち滅ぼしなさい!」
 その命令に仮面兵達が咆哮をあげた。
 雲霞の如く攻め寄せる仮面兵。
 それに対し、
「速迅」
 短く口にした。
 直後、剣崎は爆発的なスピードと供に仮面兵の群れに飛び込んでいた。
 あまりの速度に対応できない仮面兵。
 そんな仮面兵たちを、剣崎は手にした短刀でズタズタに切り裂いていった。
 曲がる事の無い、高速の直線機動。
 単純でただ速いだけのその攻撃を、自我を持たない仮面兵たちは防ぐ事ができない。
「魔炎」
 呟くと同時に、剣崎の握る短刀に赤紫の炎が灯った。
 振りかざす。
 同時に燃え広がるその火炎。
 紫の光と赤紫の輝きが交じり合った。
 限りなく紫に近い赤紫の炎。
 それが、仮面兵たちを次々と飲み込んでいく。
 焼け爛れる仮面兵たち。
 しかし、炎に隠れ機会を窺っていた仮面兵の一人が剣を振りかざした。
 とっさに防御しようとするも、剣は容赦なく剣崎の左腕を切り裂いた。
 地面に落ちる左腕。
 剣崎は叫び声一つ上げず、右手に握るドゥンケル・リッターでその仮面兵の首を切り裂いた。
 地面に首が転がり、具現化を維持できなくなった霧散して消える仮面兵。
 脅威が消えたのを確認し、剣崎が呟いた。
「再生」
 直後、まるで磁石で引っ張られるかのように地面に落ちた腕が浮かび上がり、腕の切断面同士がくっつくと、高速で治癒が始まった。
 繋がる神経、血管、筋肉、脂肪、そして皮膚。
 傷口は、一瞬にしてふさがった。
 そこに十数人の仮面兵が立ちふさがった。
 唱えられる詠唱。
 それが終わり、剣崎に向けて強力な術式が発動した。
 刻銃聖歌に似たタイプの、輝光放出系呪文。
 発光する輝光弾は、輝きを放ちながら剣崎の目の前に迫る。
 しかし、
「魔絶」
 剣崎がそう口にすると同時に、剣崎の眼前の一枚の板が出現する。
 光を放つ透明の板。
 それは、正面から繰り出された術師たちの輝光弾、そのこと如くを防ぎきる。
 引き絞る音が聞こえた。
 後ろを振り返ると、強く矢を引き絞る仮面兵。
 矢が放たれた。
 視認するのも難しい速度で迫る矢。
 剣崎は、飛来する矢を、ドゥンケル・リッターで迎撃する。
 ドゥンケル・リッターが矢に触れた瞬間。
「操率」
 剣崎はそう口にしていた。
 直後、剣崎の眼前から矢が消失。
 かわりに、矢は射手の顔の真横に出現、耳の穴を貫き、矢の切っ先が反対側の耳から飛び出た。
 顔中の穴から血を垂れ流し、仮面兵が地面に倒れる。
 しかし、射手はその男だけではない。
 十数人の射手が集まると、一致団結して全く同時に矢を放ってくる。
 矢による矢襖が剣崎の前に展開した。
 剣崎は何もない空をドゥンケル・リッターで切り裂く。
「操界」
 刃によって切り裂かれた空気が突如として動き出した。
 空気弾と化した空気は射手たちに直進。
 飛来する矢を弾き飛ばし、さらに直進して射手たちをまとめて吹き飛ばした。
 衝撃は時速八十キロの車の衝突に相当するだろうか。
 体の骨を砕かれ、地面に転がる射手たち。
 今度襲い掛かってきたのは短刀使いだった。
 姿勢は低く、高速で走り前傾姿勢のまま突貫してくる。
 剣崎は無言で身体を横に向け、両手を広げる。
 すると、剣崎の手の中に紫の弓、そして矢。
「呪射」
 呟いた言葉とともに矢が解き放たれる。
 しかし、短刀使いの速度は矢を凌駕していた。
 最低限の移動で矢を横に回避する。
 だが、
「導弾」
 矢は直進方向を変え、後ろから短刀使いの心臓を射抜いた。
 地面に倒れる短刀使い。
 その身体は、瞬く間に霧散して消滅する。
 剣崎は正面を向いた。
 ドゥンケル・リッターを強く握り締めると、大きく後ろに振りかぶる。
 そして、横薙ぎの斬撃を繰り出した。
「離閃!」
 叫びと供に、爆風が発生した。
 唸りをあげる大気が、柴崎司と彼女を守る仮面兵たちに直撃する。
 まとめて吹き飛んでいく仮面兵。
 そんな中、柴崎司だけが何とか立っていた。
 防御結界でも展開したのだろうか。
 しかし、仮面の下の表情は驚きのために引きつっていた。
 仮面幻影(マスカレイドヴィジョン)、それは全ての仮面を同時にかぶる奥義。
 本来なら一つしか仮面はかぶれないため、一度に使用できる他人の能力は一人のものだけとなる。
 しかし、違う。
 仮面幻影(マスカレイドヴィジョン)は全ての仮面を同時にかぶる。
 代償は大量に消耗される輝光、恐らく五分と維持できる奥義ではない。
 さらに、通常なら一ランク落ちでコピーできるはずの能力が三ランク落ちまでに低下する。
 代わりに本来なら実力に差がありすぎてコピーできない能力までも行使できる。
 剣崎が今使用した九つの術式。
 それは全て、剣崎と戦いを繰り広げた退魔皇たちの退技だった。
 もちろん、劣化はしているが皇技さえもコピーできる。
 代償は寿命、そして五分の四の寿命を失っている剣崎は、それを使用することはできない。
 しかし、剣崎が操るは退魔皇たちの退技。
 たとえどれほど劣化していようが、脅威であることに変わりは無い。
「見事な仮面舞踏だわ、惚れ惚れしちゃう」
 それでもなお、戦う意志を捨てない柴崎司。
「でもね」
 右腕を頭上に掲げる。
「私の奥義だって、捨てたもんじゃないのよ」
 指を高らかに鳴らした。
 それと同時に、柴崎司の周りに輝く仮面の群れが出現した。
「仮面曲芸(マスカレイドサーカス)」
 その言葉と供に、主を失っていた仮面が仮面を被る実体を得た。
 柴崎司の前に、撃破されたのと同数の仮面兵が出現する。
「私の奥義の方は随分と長持ちする上に使い勝手がいいの。持久戦ならこちらの勝ちよ」
「なら、次で決めてやろうじゃないか」
 短刀を握り締める右手を前に突き出し、体勢を低くする剣崎。
 ポケットに手を突っ込み、左手に弾丸を一つ握りこむ。
 それは刻銃の弾丸。
 それを握り締め、剣崎はポケットから手を引き抜く。
 次の瞬間、爆ぜるようにして踏み込み、剣崎は仮面兵の群れに向かって突撃を仕掛けた。
「我、邪悪を討ち滅ぼす光を欲する」
 刻銃の弾丸は刻銃が無くても使用できる。
「与えたまえ剣を。与えたまえ鏃(やじり)を。魔たるものを討ち滅ぼすため、数多の光を取りそろえ、我は邪悪を討ち滅さん」
 刻銃を使用するのは余計な詠唱を短縮するため。
「神罰の炎、煉獄の雷。破壊をもって嗤う邪悪を、光をもって昇華せん。与えよ力、与えよ魔力。金色(こんじき)に光しその牙を、我らが前に示したまえ」
 逆に言えば、その詠唱さえすれば刻銃無しで刻銃の弾丸を使用できるということ。
「我が放つは……」
 よって、
「断罪の銀!」
 紡がれた術式は、
「刻銃聖歌(カンタスグレゴリオ)!」
 彼が、最も使い慣れたその一撃だった。
 握り締めた弾丸を投げつける。
 しかし、それは眼前に蠢く仮面兵に大してではなく、
「おおおおぉぉぉぉぉ!」
 剣崎の目の前に存在する、地面に対してだった。
 強烈な光と供に、地面が爆発した。
 炸裂する一撃によって岩の地面が砕かれる。
 飛び散る破片が、仮面兵たちを傷つける。
 数人の仮面兵が苦痛のあまりに地面を転がった。
 しかしその仮面兵たちが盾になったことにより、後ろの仮面兵たちは無事だった。
 光が弱まる。
 大きな穴の空いた地面の向こう。
 剣崎の姿はなかった。
「なっ!」
 その事態に驚きを隠せない柴崎司。
 そして気付いた。
「……!」
 声を漏らす暇さえない。
 剣崎は、いつの間にか柴崎司の真後ろに回りこんでいた。
 距離は二メートル、一足一刀の間合い。
 そう、今の剣崎は全ての仮面を同時にかぶる仮面使い。
 今までに見た異能者たちの異能を、全て劣化コピーできる。
 今回使ったのはジェ・ルージュの術式。
 影と影を繋ぐ転移呪文だった。
 自らが唱えた術式によって生み出した影に潜り、柴崎司の真後ろに存在する、五十センチ程度の岩の影から剣崎は飛び出していた。
 剣崎と柴崎司の間に仮面兵はいない。
 数秒後には成立しなくなる一対一の状態。
 しかし、それは十分すぎる時間。
「柴崎司!」
 叫んだ。
 踏み込みと同時に、剣崎は柴崎司との距離をゼロにする。
 尊敬し続けた女性。
 いままで姉さんと呼び続けていた女性を、剣崎は初めて呼び捨てにした。
 それは最初で最後の出来事。
 剣崎は握り締めたドゥンケル・リッターで、横薙ぎの一撃を繰り出した。
 とっさに後ろに跳んで回避する柴崎司。
 しかし、
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!」
 叫び、斬撃を終て腕を振りかぶった体勢のまま、剣崎はドゥンケル・リッターを握る手首を返した。
 斬撃が来る、柴崎司はとっさに理解した。
 これは燕返し。
 八岐大蛇が出現する前の戦いで、剣崎がカタールで自分に仕掛けた技だ。
 止めてみせる。
 両足が地面を離れた今、助かるためには迎撃するしかない。
 両手のカタールを同時に振るった。
 右手のカタールで斬撃を迎撃、左手のカタールで剣崎自身を切り裂く。
 だが、カタールがナイフに触れることは無かった。
 カタールの迎撃に対し剣崎は、一歩だけ後ろに跳び退いた。
 そして、先程の斬撃を逆戻しするようにして、再び右手でドゥンケル・リッターを一閃させる。
 振るう最中に、ドゥンケル・リッターを握る力を抜いて。
 柴崎司に向かい飛来する短刀。
 それは、柴崎司には見えなかった。
 剣崎のドゥンケル・リッターを止めようとした右腕が邪魔していたから。
 予想すら出来なかった。
 柴崎司はそれが自分に突き刺さる直前、何かが飛んでくるのが見えただけだった。
 オレンジに包丁が突き刺さったような音が響いた。
 後ろに一歩下がった剣崎は、倒れそうになりながらも何とかその場で足を踏ん張り、倒れず柴崎司を睨みつける。
 柴崎司は、ナイフをその体に受けた状態で停止していた。
 顔は真っ直ぐ剣崎に、そしてその首にナイフを生やして。
 柴崎司は知っていた、燕返しの原理を。
 過去に戦った相手が使ったのだ。
 だからこそ、先程の戦いで剣崎の用いた燕返しを封殺してみせた。
 燕返しを知る柴崎司を殺すには、柴崎司の知識が及ばない何かが必要だった。
 剣崎は知っている。
 燕返しを進化させ、燕返しを封殺する敵さえも撃破可能なその技を。
 燕返しのトドメは斬撃による一撃。
 斬撃は線を描く攻撃で、線を止めるには線をあわせればいい。
 だが、もしトドメの一撃が点による一撃であったら。
 回避は非常に難しく、盾のようなものを用いなければ防ぐ事すら困難。
 だからこそ、柴崎司はその投擲を回避できなかった。
 かつて圧倒的格下でありながら、格上の剣崎を降したその一撃。
 須藤数騎が死の間際に放って見せたその奥義。
 秘剣燕返し改、短刀曲芸『無空』。
 名付けるとすればそんなところだろう。
 柴崎司の体が揺らぐ。
 力を失い、後ろに倒れた。
 剣崎が口を開く。
「あなたの子供時代の夢は叶いました」
 仰向けに倒れる姿を見つめながら剣崎は、
「もう死んでもいい頃です」
 柴崎司に最後の言葉を送った。
 柴崎司が地面に倒れる。
 それで終わりだった。
 長かった二人の因縁は、ここに終結する。
 はずだった。
「なっ!」
 剣崎が声をあげる。
 倒れる柴崎司の肉体が紫に輝き始めた。
 同調し、光を放つ紫水晶。
 そして、剣崎はその光に飲み込まれた。







 見渡す限りの乳白色。
 地面も空も、どこもかしこも。
 乳白色の世界が広がっていた。
「ここは?」
 周りを見渡しながら言う剣崎。
 先程と同じところとはとても思えなかった。
「あなたの精神世界よ」
 声が聞こえた。
 そちらの方に顔を向けると、そこには柴崎司の姿。
 とっさに身構えようとするが、途中でする気が失せる。
 柴崎司からは、一片の殺気さえ感じ取れない。
 それどころか、柴崎司は先程とは違う服を着ていた。
 戦闘用のコート姿ではなく、休暇で剣崎の家に遊びに来ていた姿。
 セーターにロングスカートという、極めて落ちついた格好をしていた。
「今の私は魂を無理矢理具現化された存在よ、あなたの中にもぐりこむことは難しいことじゃないわ」
「でも、長くはいられないんだろう?」
 尋ねる剣崎。
 柴崎司は、小さく頷いた。
「そうよ、魂を持つ生物の肉体に、別の魂は長く留まることはできない。しばらくしたら私は出て行くわ、そしてこの世から消え去る。その前に、あなたと話をしておきたかったの」
「オレもです」
 言って、剣崎は頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。オレは、あなたの願いを踏みにじった」
「いいのよ、もう。あなたと私の主張がぶつかってあなたが勝った。それだけのこと。負けた人間の主張は握りつぶされるのはこの世界のルールよ」
「でも……」
「構わないわ、あなたの主張だって正しかったんだから。私だって同感よ。でも、それ以上に私は自分の出来ることに賭けてみたかった。それだけよ。きっと、クロウ・カードも同じことを考えていたんでしょうね」
 目をつぶり、小さく息をつく。
「私を止めてくれてありがとう、きっと私は追い詰められていた。柴崎司であり続けるためにはあのように動くしかなかった。私は柴崎司になるって決めたから」
 そこまで言って、柴崎司は目を開いた。
「最後にあなたに伝えておきたかったの、それを」
 はっきりと告げる柴崎司。
 剣崎は、その言葉に引っかかりを覚える。
「柴崎司になると……決めた……?」
「えぇ、そうよ。あなたが柴崎司でないように、私も柴崎司じゃないの」
 胸に手を当て、続ける。
「私が幼い頃、世界を救いたいと戦い続ける男がいたわ。彼の名は柴崎司。私は彼に憧れて、一緒に戦ってそして彼は死んだ。最後まで人を守り続けて。あなたと違って、彼は私と同じ仮面使いだったわ。私は彼が死んで、自分の名前を捨てた。そして、彼の名前を名乗って戦い続けたの」
「でも、そんな男の名前、聞いたこと無い」
「当然よ、彼は弱かったもの。一族の中でも特別のできそこないだったわ。だからたった三度目の戦いで死んでしまったの。でもね、それでも彼が心の中で描いた理想は、他の誰よりもきれいなものだった。私はそれを実現してあげたかった」
 悲しそうな表情を浮かべ、顔を伏せる。
「彼が死んで、私は彼になって戦い続けた。多くの人を救った。それでも、私だけは救われなかった。似た理想を抱いたクロウ・カードとも手を組んだわ、結局裏切られて殺されたけど、彼もあなたに倒されたのね。こんな理想を追い求める人間は、あなたの手にかかって死ぬのがちょうどいいんでしょうけど」
 ため息をつく。
 そして、剣崎の顔をじっと見つめた。
「あなたに私の技術を託してよかったわ。その力であなたは、間違っていた私を止めてくれた。間違っているとわかっていても、信じた道を突き進むしかなかった私を。心から感謝しているわ」
「姉さん……オレは……」
 かけられた言葉があまりにも優しすぎて、剣崎は思わず涙ぐんだ。
 そんな剣崎に、
「私の本当の名前、聞いてくれる?」
 柴崎司と名乗り続けた女性は、剣崎を優しく見つめながら言った。
 剣崎は、流れ落ちそうになる涙を手で拭う。
「教えて欲しい、あなたの本当の名前を」
「私の本当の名前はね……」
 囁くように、柴崎司と名乗り続けた女性は自らの名を名乗る。
 一体、どれほどの時間この名前を名乗らなかっただろう。
 懐かしさと同時に、本当にこれが自分の名前なのかと疑問が生じる。
 それでも、その名前を聞いた、戟耶と昔読んでいた青年が。
 本当に嬉しそうな顔でその名前を聞いてくれたことが、嬉しかった。
「時間ね」
 柴崎司と名乗り続けた女性は言った。
 見ると、彼女の身体は少しずつではあるが、透明になりはじめていた。
「これで本当のお別れ。でも嬉しいわ、あなたにもう一度会うことが出来て。しばらく見ないうちに、カッコイイ男の子になったじゃない」
「姉さん、あなたに言っておきたいことがある」
 微笑みながら語りかけてくる柴崎司と名乗り続けた女性に、剣崎は泣きそうになりながら言った。
「あなたに憧れていました、あなたの生き方に感銘を受けて、あなたという存在を崇拝していました」
 続ける。
「そして、あなたを愛していました」
「私もよ」
 にっこりと、笑ってみせる。
「私もあなたのことを愛していたわ、でもきっとあなたの言う愛とは違う意味の愛でね」
 右腕を伸ばす。
 人差し指が、剣崎の鼻にあたった。
「愛していた、あなたはそう言ったわ。でも、それは過去の話。あなたは今、私ではなく別の女性を愛しているわ。私にはわかる、あなたはその女の人を幸せにしてあげなさい。それがあなたのこれからの使命よ」
「はい……」
 堪えきれなくなり、剣崎は涙を流す。
 それを見て、柴崎司と名乗り続けた女性は小さく息をついた。
「こらこら、泣くんじゃないの。せっかくこんなカッコイイ男の子になったのに、それじゃ台無しよ。いつのまに、私よりも大きくなっちゃって」
 いつも見下ろしていた少年。
 十数年がたち、剣崎の身長は彼女のそれを大きく超えていた。
「じゃあ、私はあの人に会ってくるわ。あなたに会うのはきっとずっと先のこと。先であれば先であるほどいいわ。だから、あなたは一生懸命生きなさい」
 もう限界だった。
 身体はどんどん透明になっていく。
 そんな中、満面の笑顔を浮かべて彼女は言った。
「がんばれ、男の子」
 それで終わりだった。
 彼女の体が完全に透明になり、消え去った。
 直後、世界が揺れる。
 乳白色が渦を巻き、地面が無くなり体がかき回される。
 そして次の瞬間、剣崎の目の前には紫の光が広がっていた。
 徐々に弱まる光。
 それは紫水晶だった。
 剣崎はそこに立ったままだった。
 立ったまま、剣崎は彼女と会っていた。
 そして、精神世界から戻ってきた後も、同じ格好をしていたのだ。
 そこは先程と変わらぬ大空洞。
 変わっていることと言えば、数百といた仮面兵が消えていること。
 そして、柴崎司と名乗り続けた女性の姿が消え去っていることだけだ。
 何も残っていない。
 残っているのは、彼女の首に突き刺さっていたドゥンケル・リッターが岩の上の転がるのみ。
 何の痕跡も残さず、彼女は消え去っていた。
「大丈夫か?」
 声が聞こえる。
 見下ろすとそこには燕雀の姿。
「大丈夫か? さっきから声をかけてもぼーっとしてどこか遠くを見ていたが、頭は平気か? あの大魔術の後遺症とかじゃないだろうな?」
「大丈夫だ。オレは……大丈夫……」
 言って、剣崎は自分が泣いていることに気がついた。
 返事もせず、立ち尽くしたまま泣いていたら燕雀が心配するのも当然だろう。
 涙を拭いた。
 そして、視線を向ける。
 そこに彼女の姿は無い。
 ただ、黒き短刀が転がるのみ。
 顔を見上げる。
 輝きを失い始める紫水晶。
 淡い光を放ち、光の粉を暗闇に放ち続けている。
 光が動いた。
 少しずつ上に上がっていくその光。
 それが、剣崎には彼女の魂のように思えた。
「涼子さん」
 それが彼女の名前。
 天に昇っていく剣崎涼子の魂に、剣崎は語り続ける。
「見ていてください、オレはこれからも生き続ける。あなたが恥ずかしくなることがによう、精一杯生きていきます」
 流れ出る言葉、
「だから……」
 その呟きは、
「安心して、眠ってください」
 涼子という名の女性に捧げられた、鎮魂歌のように聞こえた。
 紫水晶が輝き続ける。
 こうして、退魔皇剣にまつわる美坂町で勃発した戦いは終わりを告げた。







 柴崎司こと、剣崎涼子の消滅によって剣崎涼子の展開していた鏡内界は消滅した。
 基点となる鏡が崩壊した時や術者が死亡した時は、鏡内界の中にいた人間は現実世界と全く同じ場所に放り出される。
 剣崎と燕雀は紫水晶の洞窟の中になおもいた。
 戦いの終わりを理解し、二人は大空洞から出ることにした。
 帰りは大変だった。
 大空洞は広く、ただでさえ歩く上に大空洞の上には山を貫通した地下室が存在し、二十に近い階段をのぼらなくては外に出れないからだ。
 戦いで消耗していた剣崎は、何もしていなかった燕雀と違って息も絶え絶えで出口を目指す。
 そして、ようやく地上に辿り着いた。
 そこは教会だった。
 大空洞に続く地下室は、教会の祭壇の裏にある隠し階段に繋がっていたのだ。
 教会から、外に出て二人はその景色を目にする。
 山頂に建てられた教会から見える景色。
 それは、電気によって彩られた美しい美坂町の姿。
 今、何時なのだろうか?
 そろそろ朝日が昇ってもいい時間だろうに、夜はまだ終わっていないらしい。
「あ〜、疲れた」
 剣崎は地面に腰をおろして言った。
「これで戦いも終わりか」
「そうだな。お疲れ様、とでも言っておこうか」
 座った剣崎の隣に、燕雀はゆっくりと歩み寄ってきた。
「きれいな景色だな、ここからの夜景は」
「お前が守った世界だ、いくらでも満足するまで見るいい。誰も文句はいわないだろうからな」
 優しい声で言う燕雀。
 その言葉に甘え、剣崎は眼下に広がる美坂町を見つめ続ける。
 と、燕雀が耳を振るわせた。
 その気配に気付き、剣崎も耳を澄ます。
 音が聞こえた。
 走ってくる音。
 そして、
「戟耶くん!」
 声が聞こえた。
 それは目の前の階段。
 地上に続く階段をのぼって、アーデルハイトが姿を現した。
 それを見て、立ち上がろうとする剣崎。
 走ってくるアーデルハイトは、立ち上がろうとする剣崎に、飛び掛るようにして抱きついた。
「よかった、無事でよかった。本当に……よかった……」
 目に涙が浮かんでいる。
 そのまま、アーデルハイトは剣崎の胸に顔を埋めた。
 そんなアーデルハイトを、剣崎は優しく抱きしめる。
「ただいま、アーデルハイトさん。オレは戻ってきたよ」
「お帰り、戟耶くん。お帰りなさい」
 そう言って、アーデルハイトはさらに剣崎を強く抱きしめる。
 温かい温もり。
 それが嬉しくて、剣崎はさらに強くアーデルハイトを抱きしめた。
 無言の時間が流れる。
 そして、剣崎はアーデルハイトから身体を離した。
「アーデルハイトさん」
「な、何?」
 マジメな顔を見せる剣崎に、アーデルハイトは戸惑った。
 唾を飲み、剣崎は言った。
「突然こんな事を言うのもなんだけど、聞いて欲しいことがある」
「聞いて欲しいことって?」
「オレと、結婚してくれないか」
 その言葉に、アーデルハイトは凍りつく。
「え……えっと……戟耶くん……?」
「気付いたんだ、オレ。どんな時でも、アーデルハイトさんが側にいてくれた事を。どんな時でも、アーデルハイトさんが助けてくれた事を。だから、これからも一緒にいて欲しい。だから、オレと結婚してくれないか」
 真摯な瞳で見つめる剣崎。
 そんな剣崎に、アーデルハイトは明らかに動揺していた。
「で、でも。でも、私、人間じゃないし」
「構わない、オレと一緒に生き続けてくれるなら」
「でも、人間じゃないから。私と結婚しても、私には……あなたの赤ちゃんを産めないから……」
「大丈夫、オレは子供が作れない体だから」
「え?」
 驚くアーデルハイトに、剣崎は続ける。
「剣崎と戟耶の混血は子供が作れないんだ。後はただ生きて、枯れ果てていくだけの人生だ。だけど、そんなオレでも幸せになりたいんだ。君も幸せにしてみせる、だからオレと一緒に生きよう」
「本当に……いいの……?」
「いいんじゃない。アーデルハイトさんじゃなきゃ、イヤなんだ」
 告げる剣崎。
 その言葉を聞いて、アーデルハイトは泣き出してしまった。
 慌てる剣崎。
「え、あっ、ごめん。何か気に障ることでも?」
「違うの」
 涙を手で拭いながらアーデルハイトは続ける。
「違うの、嬉しいの。嬉しくて……嬉しいから……」
 そう、嬉しかった。
 今までこれほどまでに、自分を必要としてくれた人間はいなかった。
 はるかなる昔、ある魔皇に利用され、世界の力を本に封じるために生贄にされて以来、精霊となったアーデルハイトは人に利用されるだけの存在だった。
 利用する道具、もしくはパートナー、そうでなければ誰かの代わり。
 そんなアーデルハイトを、女性として剣崎は必要だと言ってくれたのだ。
 女性として、人間として、剣崎はアーデルハイトを求めている。
 それが嬉しかったから、アーデルハイトは泣き続けた。
 どうすればいいかわからなかったが、嫌がってはいないと剣崎は受け取った。
 優しく、アーデルハイトを抱きしめる。
 アーデルハイトは、剣崎の胸に顔を埋めた。
 涙でシャツが濡れる。
 その温かささえ、剣崎は愛おしいと思った。
 しばらくして、アーデルハイトが剣崎の胸から顔を話した。
「一つだけ……お願いがあるの……」
「何だい?」
「もうアーデルハイトとは呼ばないで。それは私の名前じゃないから」
「わかったよ、リベル・レギス」
 剣崎は、アーデルハイトの真の名前を口にする。
「もう一度言うよ。リベル・レギス、オレと結婚してくれ」
「うん、不束者ですがよろしくお願いします」
「あぁ、もちろんだ」
 さらに強く抱きしめる。
 そんな剣崎を抱き返しながら、リベル・レギスは口を開く。
「好きよ、戟耶くん」
 そして、背伸びをして剣崎の唇にキスをした。
 それに答え、剣崎もリベル・レギスの唇を求めた。
 抱き合いながらキスをする二人。
 その時だった。
 朝日が昇り始めた。
 丘の下からのぼり始めた朝日は、美坂町の夜に終わりを告げる。
 目の前で愛を囁かれていた燕雀は、ようやく目のそらしどころを見つけた。
 朝霧に包まれて輝く朝日。
 朝焼けに包まれ、お互いの存在を感じあう剣崎とリベル・レギス。
 燕雀はその二つの光景を、いつまでもいつまでも見つめ続けているのであった。

















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