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トップページ>>パオまるの小説>>退魔皇剣>>エピローグ

エピローグ



「いやー、まいったまいった。まさかあんなことになってるとはな!」
 大笑いしながら、二階堂は大きな声でそう言った。
 そこはホテルの一室。
 美坂町にある一番高級なホテルの最上階だった。
 テーブルを間に挟み、二階堂と玉西は紅茶を飲んでいた。
 今の時刻は朝の九時。
 朝食を終え、二人は同じ部屋で紅茶を飲んでいたのだ。
「何度思い出しても愉快だぜ、幸せになってもらいたいもんだ」
 膝を叩いて嬉しがる二階堂。
「やめてよね、泣きたくなってくるわ。そんな一週間も昔のこと思い出させないでよ」
「まだたった一週間前だろ?」
「一週間も経ってるの!」
 機嫌悪そうに玉西は声を張り上げた。
 そう、一週間。
 退魔皇たちが繰り広げた戦いが剣崎涼子の消滅で幕を閉じた時から、すでに一週間が経過していた。
 そしてその間、二階堂と玉西はこの高級ホテルにジェ・ルージュの金で泊まり続けている。
 残っていた理由は簡単、この戦いの後始末の手伝いをジェ・ルージュに命じられたからだ。
 退魔皇剣がぶつかり合うという未曾有の事態に、魔術結社の本部はてんてこ舞いになっていた。
 ただちに現地の調査結果および、戦いによって生じた影響の後始末を命じられたのだ。
 こき使う代償に、ジェ・ルージュは高級ホテルの宿泊を約束し、今日に至る。
 朝食を終えた後、二人で顔を突き合わせて紅茶を飲むのは日課になっていた。
 玉西は眉を吊り上げながら、カップに入った紅茶を一息で飲むと、カップをソーサーの上に叩きつける。
「いい? あれは過去の話なの! もう思い出させないで!」
「わ、わかった。すまん」
 二階堂はあわてて謝罪する。
 あんなこと。
 過去の話。
 それは、戦いの後に二人が、いや山の頂上にある教会に辿り着いた四人が見た光景の事だ。
 朝日を背にして抱き合い、キスをしている剣崎とリベル・レギス。
 ついでに側で目のやり場に困っている燕雀。
 そんな光景だった。
 それを見て、心の底から傷ついた人間がいた。
 いや、正確には人間ではない。
 呪牙塵の精霊となった玉西彩花だった。
 彼女は生前からずっと剣崎に恋焦がれていた。
 しかし、生前は振り向いてもらえず。
 せっかく再会したと思ったら、別の女とくっついていたのだ。
 これでは泣きたくなるというものだ。
 その朝(夜ではない)、玉西は泣きに大泣きした。
 失恋でできた心の傷は泣かなくては治らない。
 泣き終えると、玉西は剣崎を忘れるように一生懸命働いた。
 剣崎の顔を見ると泣きそうなので、あれから一度も剣崎に会っていない。
 この町にいる間にもう一度くらいは会いたいとは思っているのだが、どうしても踏ん切りがつかない。
「でも、まぁ仕方ねぇよ。アーデルハイトは、いやリベル・レギスか。彼女はあいつの幼馴染だったんだろ。勝てねぇよ、幼馴染相手じゃ」
「何言ってるのよ、現実に幼馴染と結婚するなんてそうそうあるもんじゃないわよ」
「まぁ、そうかも知れないけど。結局そうなっちまったんだろ」
「う〜、だから腹が立ってるのよ」
 唸ってみせる玉西。
「でも、あいつの前でこんな醜態はさらしたくないわ。女の嫉妬は見苦しいもの。諦める時は、ばっさりあきらめないと」
「ま、頑張ってくれ」
 言って紅茶を飲む二階堂。
 最近はこんなことばっかりだった。
 玉西と再会して後、戦いが終わった後から二階堂は玉西の愚痴ばっかり聞いている気がした。
 まぁ、イヤではなかった。
 もともと玉西と二人でコンビを組んでいた時期もあったのだ。
 その時が戻ってきたみたいで内心、二階堂は喜んでいた。
「ところでさ、玉西」
「何よ?」
 機嫌が直っていないらしく、睨みつけてくる玉西。
 ちょっと気おされながら、二階堂は続けた。
「聞きたいんだけどよ、お前これが終わったらどうする気だ?」
「これって?」
「この町の後始末だよ。ジェ・ルージュから命令された仕事が終わったら、どうする気なんだ?」
「ん〜、どうしようかしら。まだ何も考えてないのよね。実家にでも帰ろうかしら? 妹にも会いたいし」
 天井を見ながら考える玉西。
 そんな玉西に、二階堂は言った。
「もしよかったら、オレと一緒に働かないか?」
「あんたと?」
「そう、お前がいない間にオレな、精鋭部隊ランページ・ファントムの副長になるまでに出世したんだよ」
「え、あんた二の亡霊だったの?」
 ランページ・ファントムの構成員は、亡霊としての数字を与えられる。
 数字は一から十三で、低いほど格が高い。
「そうさ、オレは頑張って出世したんだよ。まぁ、隊長のペルセウスさんには頭があがらないけど、一生懸命働いたんだ、貯金もいっぱいあるぜ」
「まぁ、貯金とかは別にいいんだけど」
 そう言うと、しばらく考え込む玉西。
「いいわよ、一緒に働きましょう。昔と違って私も結構強くなったし、あなたの援護だってできるわ。それに一応、あたしの契約者はあなたなわけだしね」
 そう、二階堂が呪牙塵を解放したときから、二階堂は呪牙塵の契約者となっていた。
 単独では活動できない魔剣である以上、玉西には契約者が必要だった。
 それが既知の仲間であるというなら、玉西にも悪い条件ではない。
「本当は戟耶か薙風に使ってもらいたかったけど、まだ魔術結社で働きたいし、二人とも働く気ないみたいだから仕方ないわね。あなたと一緒に働いてあげてもいいわ」
「本当か!」
 一気にテーブルに乗り出す二階堂。
 そんな二階堂に、玉西は少しだけ驚く。
「そ、そんなに喜ぶことなの?」
「あぁ、喜ぶことさ。オレにとっては大切な事なんだ」
 そして、ガッツポーズを取る二階堂。
 心の底から嬉しそうな顔をしている。
 玉西は、二階堂がここまで喜んでいる理由がわからない。
 自分では認めようとしないが、玉西はにぶい女だった。







「いやはや、まったく愉快な事だ」
 声をあげて笑うジェ・ルージュ。
 白い部屋の中に反響するその笑い声は、聞かせられる者にとっては煩わしいものだった。
「病院の中では静かにしてもらえるとありがたいのですが」
「そう言うな、今日の私はなかなか機嫌がいいのでな」
 椅子に座るジェ・ルージュは、両目をつぶりながら腕を組んでみせる。
 あいかわらず子供の姿のままのジェ・ルージュ。
 そんなジェ・ルージュを、坂口は不機嫌そうな顔で見つめていた。
 一週間程度で怪我が治るわけもなく、坂口は未だに病院のベッドの上にいた。
 あと数ヶ月は入院しなければならないだう。
「で、今日はそれを報告しにきたのですか?」
「そうだとも、お前の新しい配属先だ」
 言って、ジェ・ルージュは封筒を坂口に渡す。
 坂口は受け取り、中から書類を出して中身を見る。
 表情が変わった。
 ジェ・ルージュが嬉しそうに言う。
「美坂町における今回の戦い、お前は目をつぶり難いほどの被害を引き起こした。このままでは魔術結社の本部に連行され、良くて懲役、悪くて処刑。それを助けてやったんだ、感謝したまえ」
「それで、あなたの部下にされると」
「当然だ、それくらいの役得がなければ私がお前のために骨を折ってやるわけがないだろう。幸い、お前は陣内との戦いで剣崎たちを援護してくれた。その功績を私は忘れてはいない、悪いようにはしないよ」
「そうですか」
 ため息とともにそう言い、坂口は窓に目をやる。
「今回の事で、わかったことがあります」
「何を?」
「私は死んだ人間に拘り続けていました。しかし、それが本当に正しいことだったのか、それをある男に教えられました。彼が正しいのかどうかはわかりませんが、自分が間違っていたことだけは理解しました」
「死者のために生者を犠牲にしたことがか?」
「死者に執着し続けたことがです。生きる人間は生きる人間を大切にしなければならない。死者は一番最後でいいと。でも、決して忘れてはいけないと。そう考えるべきではないかと、ここに入院している間に考えるようになりました」
「ふむふむ、結構な考えだな。私も同意見とまでは言わないが、好ましくはある」
 と、ジェ・ルージュは懐から封をされた手紙を取り出した。
「そうそう、お前にプレゼントだ」
 言って、手紙を坂口に渡すジェ・ルージュ。
「これは?」
「お前の妻が死の直前にお前に出した手紙だ。どうやら誤配されてフランスにいるお前の友人の自宅に保管されていたそうだ。韮澤という男を覚えているか?」
「あぁ、魔伏の退魔皇だった女性の父親です、覚えていますとも。彼は戦友でした」
「ずっと渡したかったそうだが死んでいたらしくてな、代わりに娘さんが持っていたよ。ほら、読め」
 その言葉に急かされるように、坂口は手紙の封を空け、中から紙を取り出す。
 紙に書かれた文面に目を通す坂口。
 次の瞬間、坂口の頬に涙が流れていた。
「何て書いてあった?」
「幸せに……生きて欲しいと……自分以外のパートナーを見つけて……これからも元気でいて欲しいと……」
 それ以上は言えなかった。
 ジェ・ルージュの前であるというのに、坂口は年甲斐もなく泣き始める。
 小さく息をつき、ジェ・ルージュは椅子から立ち上がる。
「さて、じゃあコレでお暇するとしようかね」
 そう言って、ジェ・ルージュは病室から出て行った。
 廊下からでも、坂口のすすり泣きは聞こえてきた。
「これであの男の憑き物が落ちるといいのだがな」
 ジェ・ルージュは長い廊下を短い足でひょこひょこと歩く。
 実はあの手紙、坂口の妻の直筆ではない。
 書いたのはジェ・ルージュの部下の、筆跡を真似るのが上手い男だ。
 十数年前の紙に十数年前のインクで文章を書かせた。
 しかし、文面は必ずしも捏造したものではない。
 ジェ・ルージュは優れた輝光を操る術者であり、相手の輝光を見るだけで相手の感情や心理を読む能力がある。
 時間をかければ、思考までも解析するに至る。
 ジェ・ルージュは坂口の妻の墓に詣でるにあたり、二時間という時間をかけて坂口の妻が現世に残した残留思念を読み取った。
 それは死に目に会えなかった夫への慈しみに満ち溢れていた。
 その感情の羅列をジェ・ルージュは文章にまとめ、坂口に渡した。
 ただそれだけのことだ。
「しばらくしたら見合いの相手でも紹介してやろうかな、私の部下の行き遅れを片付けるにはちょうどいいだろう」
 小さく笑い、ジェ・ルージュは歩き続ける。
 子供の姿になってしまったジェ・ルージュにとって、その長い廊下は必要以上に長く感じたのであった。







「弱い!」
 叩きつけるようにボタンを押す北村。
 そのコマンド入力で勝負が決まった。
 織田信長の握り締める二挺拳銃が、連続で火を噴いた。
 弾丸を喰らい、連続射撃を受けながら後方に吹き飛んでいく武田勝頼。
『KO!』
 台が勝負の決着を告げる。
 戦いが終わり、村上が声をあげた。
「強ぇ、やっぱ信長は強いわ」
「勝頼も騎兵突撃が強力だけどな、馬防柵で動きを止めちまえばこっちのもんだ」
 嬉しそうに言う村上は、椅子から立ち上がった。
 そう、村上と北村は二人でゲームセンターに来て遊んでいた。
 戦国史大戦という今、一番ホットなゲームで二人は対戦していた。
 神クラスと評される北村に勇敢に挑んでみたものの、村上は予想通りに惨敗した。
 これで通産二勝五十九敗一分けだ。
「へへ、またオレの勝ちだな」
 勝利した北村はゲームを続行し、今度はコンピューター相手に対戦を始める。
 北村と向かい合う台で対戦していた村上は、イスから立ち上がると北村の側まで歩いていく。
「それにしても、何だ? なんであのタイミングで長篠三段撃ちが入力できるんだ?」
「練習の成果さ、出来るようになるまで一ヶ月毎日あの技しか練習しなかったんだよ」
 レバーを動かしながら答える北村。
 どうやら次の相手は上杉謙信のようだ。
「もうお前には勝てそうにないや」
「そういうなよ、お前だって練習すれば上手くなるさ」
 技を繋げ、瞬く間に上杉謙信を撃破する織田信長。
 と、画面に乱入者現るの文字が浮かんだ。
「おっ、来たな」
 嬉しそうに言う北村。
 しばらくすると、対戦相手の武将が画面に現れてきた。
「毛利元就か、相手にとって不足なし!」
 意気込み、レバーを握り締める北村。
 そんな北村に村上は、
「じゃ、オレそろそろ帰るわ」
 カバンを持ち上げながら言った。
「ん、もう帰るのか?」
「あぁ、課題やらないといけないからな」
「そうか、頑張れよ。じゃあな」
 そう言うと、北村は再び対戦画面に集中し始めた。
 信長の連続ヒットに元就が宙に浮く。
 それを見たあと、村上は北村に背を向けてゲームセンターの出口を目指す。
 時刻は午後十一時。
 太陽の日差しをあびながら、村上は町を歩く。
 クリスマスに起こった最後の戦いから一週間。
 冬休みに入り、村上は怠惰な日々を過ごしていた。
 初詣にも行かず、ダラダラする毎日。
 しかし、それも仕方の無いことだった。
 現実離れした戦いをあれだけ体験させられたのだ。
 元の生活に戻っても、まだあの戦いの記憶が忘れられない。
「それにしても」
 村上はため息をつく。
 北村はあいかわらずゲーム三昧だ。
 課題もどれくらい進んでいるのだろう。
 これでは留年してもおかしくない。
「大丈夫かなぁ」
 ゲームセンターを振り返る。
 注意してこようかとも思うが、ゲームセンターにやって来た北村が三十分やそこらで満足するとも思えない。
 言っても無駄。
 そう考え、村上はゲームセンターに背を向けて歩いていく。
 一週間前に起こった戦い。
 その中でたった一つだけ心残りがあった。
 それは一緒に戦った女性。
 彼女の願いを叶えることが、自分には出来なかった。
 だからだろうか。
 その女性に目がいってしまったのは。
「あっ」
 気付き、目を擦る。
 人ごみの中にいる女性に目がいってしまった。
 何秒も凝視していることに気付き、村上は慌てて目をそらす。
 何秒も女性を見続けるのは失礼だ。
 それに、あの子と見間違えるなんて。
 よほど未練があるのだろう。
 村上は自分が情けなくなりため息をつく。
 でも、あと一目見るくらいならいいだろう。
 そう思って、村上はもう一度その女性の姿を探した。
 そして、
「嘘だろ?」
 そう呟いた。
 さっき村上が見つめていた女性。
 その女性が駆け足で村上に近づいてきたのだ。
 目をみはるような美女が、村上の前で立ち止まった。
 可愛らしいベージュのロングコート、その下から覗くのは柔らかい足の感触を見る者に伝えるボディラインに沿ったジーンズ。
 短く切りそろえた赤毛の髪を揺らしながら、肩を上下に揺らして呼吸を整える。
 白い息が、空に昇っていた。
「君は……」
 口の中が渇く。
 それでも、村上は続けた。
「ルー?」
 名前を呼ぶ。
 その言葉を聞いて、少女はにっこりと可愛らしい笑顔を浮かべたのであった。







「ふぅ」
 ため息をつく。
 やわらかい椅子に、韮澤は腰を降ろした。
 周囲から聞こえてくる会話は英語やフランス語やイタリア語や日本語。
 多国籍の声が飛び交うそこは、空港の待合室だった。
 パスポートのチェックを済ませると、そこは他国籍の言葉で満ちる空間だ。
 ガラスで覆われた待合室の外では飛行機が離着陸を繰り返す。
 トートバッグの中から本を一冊取り出す。
 早速広げて読み始めた。
「ねぇ、綾子〜」
 横から声が聞こえてきた。
「すごいわよ、あの売店。日本のコミックが売ってるの」
「日本なんだから当然でしょ」
「違うのよ、ふきだしの中の文字が英語なのよ。すごいわよね、日本の漫画は世界で売れてるのね」
 楽しそうにはしゃぐ声。
 韮澤は本をおろし、仕方なく顔をあげた。
 目の前には十代前半の小柄な少女。
 一見、ドレスのようにも見えるフリルのついたかわいい服を着たその少女は、柔らかそうに丸まった茶色の髪の毛を揺らしながら韮澤の手を掴んだ。
「あの本欲しいわ、買って」
「買わない」
「え〜」
 不満の声をあげるアイギス。
 そう、アイギスだった。
「買って買って〜」
 だだをこねるアイギス。
 うるさくて本など読んでいられなかった。
「もぅ、仕方ないわね」
 韮澤はバッグから財布をとりだすと、アイギスに手渡す。
「これで買ってきなさい、それから周りの人に迷惑だから静かになさい」
「は〜い、ありがとね」
 そう言うと、アイギスは喜んで売店に走っていってしまった。
 その後ろ姿を見つめながら、韮澤は思い出していた。
 それは一週間前のこと。
 須藤数騎という男と協力し、見事陣内を倒したその夜。
 最終勝利者である柴崎司を須藤数騎が打破することで戦いは終了した。
 その後、後始末の手伝いをするために韮澤は美坂町に残ったが、フランスでの仕事もあったので韮澤はフランスに戻る事になった。
 アイギスを伴ってだ。
 そう、八岐大蛇が消滅し、解放された精霊たちは現世でまた生き続けることができるようになった。
 エアとかいう精霊だけは未だに精霊のままだが、他の精霊達は退魔皇剣から解放されたことで受肉し、現世で生きる事ができるようになった。
 ただし、退魔皇としての力を失った状態で。
 と、言っても退技だけは今なお使用できるらしいが、それも数段落ちの能力に成り下がってしまっているらしい。
 正直言って利用価値は少ない。
 しかし、赤の魔術師はそんな彼らを魔術結社に編入させた。
 噂を聞く限り、あの変人が人道主義者とは思えないので、韮澤は退魔皇の退技を研究するためのサンプルとして確保したとしか思えなかった。
 それでも、すでに過ぎ去りし過去を生きた退魔皇たちの知識は魔術結社としては重要な価値を持ち、全員が優れた頭脳を持っているために魔術結社にとっては有用な人材と言える。
 韮澤は契約していたという縁もあって、アイギスを助手にしたいと願い出た。
 二つ返事で了承された。
 病気の治療術の開発で、韮澤がそれなりに実績をあげていたことをジェ・ルージュが知っていたからだ。
 そんなわけで、韮澤はアイギスを伴い飛行機を待っていた。
 と、本を手にして、笑顔のアイギスが韮澤の元に戻ってきた。
「何を買ったの?」
「今、日本で流行してるレヴァンテインってマンガよ。中世ヨーロッパに相応する時代を描いたファンタジーマンガなの。絵もかわいらしいのよ、ほら」
 言ってアイギスは本の絵を開いてみせる。
 可愛らしい少女の絵。
 しかし、可愛らしすぎた。
 この絵、少女向けの可愛らしさというよりは、男性が喜びそうな絵だった。
「か、かわいい絵ね」
 引きつった笑みで答える。
 韮澤は知っていた。
 この手の類の絵は、オタクと呼ばれる人種が好むタイプの絵だった。
 そんなことも知らず、アイギスは韮澤の隣に座ると、喜んで本を読み始めた。
 すぐさま本に没頭し、ペラペラとページをめくっていく。
 その姿を見て、韮澤は思った。
 この可愛らしい少女には倒さなくてはならない宿敵がいるのだという。
 フランスならその敵を探しやすいとアイギスは言っていた。
 この先どうなるんだろう。
 病気を治す魔術は完成するのだろうか。
 私は、納得して自分の死を迎えることができるのだろうか。
 とりあえず、フランスに戻ったら墓参りをしよう。
 反逆を犯してまで何かを掴もうとしたクロウ・カード。
 彼の墓の前で、今後の事を考える事にしよう。
 もしかしたら、不老などということに意味はないのかもしれない。
 枯れるようにしてこの世から消えていくのも、美しいことなのかもしれない。
 ともあれ、
「結婚でもしようかな?」
 前々から思っていたことだった。
 自分もいい加減いい年だ。
 そろそろ結婚を考えないと、貰い手がいなくなる。
 さすがに売れ残りというのは無様だろう。
 フランスに戻ったらいい男でも漁ってみよう。
 そんな事を考えながら、時刻表に目をやる。
 飛行機の到着は、あと二時間も先のことだった。







「広いお部屋だね〜」
 部屋を見回しながら口にするスワナン。
 確かに、彼女の言う通りその部屋は広かった。
 大きな玄関の先には広めのリビング。
 隅には小奇麗なシステムキッチンが置かれており、廊下の先には個室が二つ。
 リビングのすぐ外にはベランダ、さらにベランダの向かい側に洗面所、トイレ、風呂が並んで存在している。
 スワナンはソファに座り、目の前の紅茶に手を伸ばした。
 紅茶を飲みながらも、スワナンは部屋を見回すのをやめない。
 だってそうだ。
 スワナンが暮らしている部屋はこのリビングの数分の一の広さしかない。
 しかも汚く、壁には汚れがこびりつき、畳からはカビの臭いが漂ってくる。
 それに比べてここは天国だった。
 きれいな木目を見せるフローリング。
 白くて清潔な壁紙。
 そして、自分が座る高級そうなソファに目の前のテーブル。
「お待たせ、なかなか見つからなかったがようやく見つけたよ」
 キッチンから声が聞こえた。
 お盆の上にクッキーの入ったお皿を載せて近づいてくる少年。
 それはロンギヌスだった。
 ジーンズにパーカーとなかなかラフな格好をしている。
 対するスワナンはあいかわらずのボディコン服だ。
 このあと仕事があるかららしかった。
 クッキーの皿をテーブルの上に置き、ロンギヌスはスワナンのソファの前にあるソファに腰掛ける。
「どうぞ、食べてくれ」
「うん、いただきます」
 嬉しそうに頷き、スワナンはクッキーに手を伸ばす。
 口に含むと、鼻がバターとミルクの匂いで満たされた。
 柔らかい食感に、口の中に広がる甘さ。
 こんなにおいしいクッキーは食べた事がなかった。
 スワナンは目の前にロンギヌスがいることも忘れてクッキーを貪るようにして食べる。
 この機会を逃したらこんな、いかにも高そうなクッキーなど食べるチャンスはないと思ったからだ。
 と、ロンギヌスがその姿を見ていることにようやく気がついた。
 慌ててスワナンは体裁を取り繕う。
「お、おいしいクッキーね。こんなのおいしいのはじめて」
「そうか、いくらでも食べてくれ。よかったら持って帰ってもらっても構わない。いくらでもあるからな」
「ロンギヌスって、すごいお金持ちだったのね」
「まぁ、まだ給料はもらってないがね」
 鼻の頭をかきながらロンギヌスは言う。
 八岐大蛇を巡る戦いが終わって一週間が過ぎた。
 ロンギヌスは肉体を取り戻し、この世界で生きる事となったが、何をどうすればいいかわからなかった。
 そんな時、ジェ・ルージュが声をかけてきた。
 劣化してしまったとは言え、退技を操ることができるうえ、精霊であったことから様々な知識を有するロンギヌスを非常に有能な人材だから雇いたいと言うのだ。
 給料も教えてくれた、かなり高かった。
 就職難のこの時代に、これだけの高待遇はそう無いだろう。
 ロンギヌスは二つ返事で承諾した。
 その後、陣内から救い出したスワナンに会いに行った。
 ロンギヌスは柴崎司に敗北したからわからなかったが、あの後、剣崎戟耶がスワナンを助け出し、アパートまで運んでくれていたそうだ。
 スワナンは自分が陣内に攫われたことを覚えていなかった。
 ロンギヌスも終わった事でスワナンを怯えさせるつもりがなかったので、あえてその話はしなかった。
 ジェ・ルージュの仕事を手伝って一週間、ロンギヌスはようやくスワナンに会う時間ができた。
 電話で連絡を取り、ロンギヌスはスワナンをこのマンションに呼び出した。
 赤の魔術師が現地に用意した拠点の一つで、退魔皇の戦いの際にジェ・ルージュが本営を置いていた場所だ。
 ロンギヌスはそこに転がり込み、そしてスワナンを招待した。
 大切な話があったからだ。
 スワナンがクッキーを食べるのをやめ、紅茶を飲み始めた。
 頃合いかと思い、ロンギヌスは口を開く。
「ところで、今日来てもらったのは相談があるからなんだが」
「何?」
 紅茶のカップをテーブルの上に置きながら尋ねる。
 一呼吸置き、ロンギヌスは続ける。
「君は、あの生活が好きか?」
「あの生活?」
「あの店で働いて金を稼ぐ生活だ、どうだ?」
「正直、あまり好きじゃないわ。夜の仕事で大変だし、飲めないお酒も飲まなくちゃいけないし。でも、お金が必要だから……」
「もっといい仕事があるんだ」
 その言葉に、スワナンは反応した。
 ロンギヌスはカップを口に運び、一口飲んでみせる。
「私が働く会社があって、私はそこで支部を与えられることになったんだ。まぁ、小さいところなのだがな。そこで助手を探しているんだ。別に本社から呼び寄せてもいいんだが、出来れば私も知り合いのほうが何かとやりやすい。そこでなんだが、もしよかったら私の助手になってもらえないだろうか?」
「助手に……」
 反芻する。
 そして、困ったような顔をした。
「でも、私。日本語読めないし」
「大丈夫、少しずつ勉強すればいい。それに、別に日本語を読む仕事じゃないんだ。まぁ、言うなれば部屋の整理整頓とか雑用が主かな。それに、必要なのは日本語よりタイ語だ」
「どういうこと?」
「つまり、海外との連絡員とかいうやつだよ。主に東南アジア方面の人間と接触する仕事だ。日本にある会社と東南アジアにある会社が連絡を取る時に橋渡しになる人間が必要なんだ。だから、タイ語と日本語を曲がりなりにも話せる君の力が必要なんだ」
「……お給料は?」
「えっと、ちょっと待って」
 テーブルにあった電卓を取り出し、ボタンを叩く。
 そして、スワナンにそれを見せた。
 と、ロンギヌスから、スワナンは電卓を奪い取った。
 瞬きもせず、電卓の文字を見つめ続ける。
「これ、本当なの?」
「嘘じゃない、一応公務員だしリストラもない。引き受けてくれるかい?」
「是非、お願いします」
 頭を下げるスワナン。
 ロンギヌスは大きく息をついた。
「よかった、断られるかと思ったよ」
「断らないよ、これだけの給料をもらえるなら、私頑張るわ」
「あんまりいい給料ではないと思うのだが」
「でも、夜の仕事じゃないんでしょ。夜の仕事は若くなくなったらできなくなっちゃうから、ちょっと給料が低くても、こういうずっとできる仕事は本当にありがたいの。それに、こっちのお金はタイの何倍もの価値があるの。十分すぎるわ」
「そうか、喜んでもらえて嬉しい」
 肩の荷がおりたようだった。
 ロンギヌスはソファに寄りかかりながら、紅茶をさらに一口飲んだ。
 と、スワナンがテーブルの上に電卓を戻しながら聞いてきた。
「そういえば、この部屋はロンギヌスの部屋なの?」
「まぁ、一応は」
「ロンギヌスって、お金持ちなの?」
「一応いい給料は保証されているが、君が想像するような、お屋敷に住めるほどのお金持ちじゃないよ」
「給料は?」
「まぁ、この部屋に住めるくらいの稼ぎはあるかな」
 その言葉の直後、スワナンは身体を前に乗り出した。
 そして、ロンギヌスの両手を握り締める。
「えっと、ロンギヌス」
「な、何だ? ちょっと顔が怖いぞ」
 ロンギヌスの言う通り、スワナンは必死の形相でロンギヌスの顔を見つめていた。
 息を吸い込み、スワナンは言う。
「私と、結婚してくれませんか」
「……何だって?」
「私と結婚しましょう」
「待て、今の話からなぜその話題になるんだ?」
「私、お金持ちの人と結婚するのが夢だったの。でも、豪邸を持ってる若い社長の息子みたいな人と一緒になるなんてドラマの中でしかありえないわ。それに、そんなお金持ちの人じゃ浮気もされそうだし」
 悲しそうな顔で言うスワナン。
 直後、表情が明るくなる。
「でも、あなたくらいのお金持ちなら浮気もしそうにないし、それにあなた顔がカッコイイし、私のお婿さんにぴったりよ」
「すごい理屈だな」
 言い寄ってくるスワナンに、ロンギヌスは返答に窮した。
 物言いがあまりに率直すぎる。
 彼女が特別なのか、それともタイの人間はみんなこんな感じなのか。
 おそらく前者だろうが、ロンギヌスはタイのことをそこまで詳しく知らなかった。
 だから沖縄の東南アジア支部に回されるから、現地に詳しいスワナンを助手にしようと思っていたのだが、思いがけない展開になっている。
「私じゃイヤですか?」
 眉をひそめて聞くスワナン。
 ロンギヌスは慌てていった。
「いや、君のことが嫌いなわけじゃない。顔も十分かわいいと思う。しかし、結婚は……」
「私のこと、嫌いなのね」
 そういうと、スワナンは急に泣き出してしまった。
 両手で涙を拭い泣き続けるスワナン。
 どうしたものかと慌てるロンギヌス。
 ロンギヌスは気付かない。
 スワナンが実は泣いていないことを。
 泣いたといっても、演技力のあるスワナンは悲しくもないのに涙を流す技術を持っていた。
 涙腺を緩めるだけでいいのだ。
 悲しいことを思い出せばいつでも泣ける。
 泣いてはいるが嘘泣きのスワナンは啜り泣きを続ける。
 それを見ているロンギヌスは演技に気付かず、どうやってスワナンを慰めるか困惑し続ける。
 結局ロンギヌスは、スワナンを泣き止ませるのに三十分を必要としたのであった。







 揺れる新幹線の中、一人の女性が景色を見ながら座席に腰掛けていた。
 窓から見える景色には田園。
 新幹線は真昼の太陽を浴びながら一直線に走り続けていた。
 女性は右目を閉じ、左目だけを開けて外を見ていた。
 他の座席に座る人間たちは、その女性の姿をみて驚きを隠せない。
 なんと、その女性は巫女装束姿で座席に座っていたのだ。
 彼女の名は薙風朔夜。
 剣崎が幼少の頃、薙風の屋敷で供に兄妹同然に育った女性だった。
 長い戦いが終わり、彼女は自分の故郷を目指して新幹線に乗っていた。
 薙風の里は田園風景の彼方、山と雪で閉ざされた薙風の集落に存在する。
 そこを目指し、薙風は新幹線に乗っているのだった。
 剣崎が心配だったこともあり、ジェ・ルージュに助けられた後の薙風はジェ・ルージュの配下として戦っていた。
 しかし、彼が立ち直ったからにはもう自分が必要はない。
 だから安心して薙風は剣崎の元から離れた。
 年上ではあるが、薙風にとって剣崎は出来の悪い弟のような存在だった。
 そんな彼が立ち直ったのは、薙風にとっても心から嬉しい事だった。
 それに、一時とは言え剣崎をはじめとする二階堂や玉西という昔の仕事仲間と再会できたのも嬉しかった。
 今、薙風は魔術結社において事務関係の仕事をしていた。
 ジェ・ルージュのいい使いっぱしりのようだが、戦場で命を賭ける仕事ではないため、薙風にとっては都合が良かった。
 本来ならまだ美坂町に残り、ジェ・ルージュを補佐するべきなのだが、ジェ・ルージュは二階堂と玉西がいるからいいと言って玉西にたまには帰省するように新幹線のチケットを渡してきた。
 どうやら薙風の父親が薙風に会いたがっているらしい。
 理由は、
「はぁ」
 薙風がため息をつきたくなるようなものだった。
 薙風の膝の上には写真。
 それは全て薙風に勧められたお見合い相手の写真だった。
 薙風の家には子供が自分しかいない。
 昔、もう一人いたが、その弟は十数年前の事故で死んだ。
 つまり、あの家の子供は自分ひとり。
 さらに父親は高齢だ。
 孫の顔が見たくて仕方がないと、何度も手紙を送ってきている。
 しかし、薙風にはお見合いをする気などなかった。
 どうにも結婚などというものをする気にならないのだ。
「どうしよう」
 写真の束に一応は目を通す薙風。
 しかし、どうにもお気に召しそうな男はいない。
「困った」
 天井を見上げて唸る。
 しばらく考えて思った。
 こういう時は、楽しいことを考えよう。
 とりあえず里に戻ったら適当にお土産を買って、美坂町に残っている仲間達においしいものを食べさせてあげよう。
 でも、あのあたりの名産はお米だ。
 じゃあお米でも買おうか?
 さてさて、どうしたものかな。
 考えているうちに、薙風の顔に笑みが浮かんでくる。
 故郷の事ではなく、数十分前に後にしてきた美坂町のことを思いながら薙風は新幹線に乗っている。
 新幹線がトンネルに入った。
 途端、耳に生じる違和感。
 それが故郷に近づいている証拠だと気付いて、薙風は困ったような顔を浮かべるのであった。







「布団は押入れの中にしまっておきますね」
 そう言ってアーデルハイトは、いやリベル・レギスは布団を押入れに押し込んだ。
「コタツ布団はどこに置いておきます?」
「コタツの上にお願いします、どうせすぐ使いますから」
 返事をしたのはエアだった。
 二人がいるのは剣崎の部屋。
 二人は部屋の荷物整理をしていた。
 戦いの後、剣崎はリベル・レギスと結婚した。
 式はあげてないし、婚姻届も出してない。
 当然だ、リベル・レギスは魔剣の精霊であり、戸籍など持っていない。
 結婚しようにも、結婚しようがないのだ。
 結局、同棲して暮らしていくという形で落ち着いた。
 現在、剣崎とリベル・レギスは学寮の一階のリベル・レギスの部屋で同棲している。
 そして、余った剣崎の部屋はエアが使うことにした。
 八岐大蛇の撃破の際、剣崎は八岐大蛇とその精霊達の関係を切り裂く事で精霊達を解放した。
 解放された彼らは受肉し、現世に再び生を受けた。
 ロンギヌスとアイギス、そしてルーはそれぞれ好きなように動いたが、特に目的もない者や、精神的に危険な者たちはみんなジェ・ルージュが引き取った。
 中でもイザナギとスルトは危険人物らしく、ジェ・ルージュが文句をこぼしていたのを覚えている。
 そんな中で、エア一人が例外だった。
 界裂との関係は断ち切られたものの、エアにはまだ龍裂という魔皇剣との契約が残っていた。
 結局、二重契約だったのがただの単独契約に残り、エアは未だに精霊のままだ。
 そして、精霊である以上契約者の側を離れるわけにはいかない。
 本来なら一緒に暮らしたいところだが、新婚の二人の邪魔をしたくなかったエアは別居することに決めたのだ。
 そんなわけで、二階の剣崎の部屋に引越しを決めた。
 愛着があるからと剣崎は自分の日用品を全て下の部屋に運び込み、エアは新しく布団をはじめとする生活用品を購入し、部屋の荷物整理をすることになった。
 剣崎がいないのはいても邪魔だからだ。
 部屋も狭いし、こういう時には気の利かない剣崎はいない方がよかった。
 布団を押入れにしまうと、リベル・レギスは床の上に転がっている、ゴミ袋にしていたビニール袋を手にする。
「大体片付いたし、ゴミ外に出しておきますね」
「はい、お願いします。こっちももうすぐ終わります」
 そう言って、エアは私室のベッドメイクを始める。
 いつ客人が来てもいいように布団も用意してあるが、一応ベッドに寝るのはこの部屋の基本である。
 シーツを敷き、布団をかぶせる。
 枕カバーをして枕を載せると、ベッドメイクは完了した。
「あら、終わったの?」
 後ろから声をかけられた。
 見ると、ゴミを捨てて戻ってきたリベル・レギスの姿が部屋の入り口に存在した。
「これで部屋の片付けは終りね、お疲れ様」
「はい、ご苦労様でした」
 丁寧に礼を言うエア。
 そんなエアに、リベル・レギスは笑顔で言った。
「下に紅茶用意してあるから、持ってくるわね」
「ん、下で飲まないのですか?」
「お客さんが来てるの、だから上で飲みましょ」
「了解しました」
 頷いて答えるエア。
 それを見て、リベル・レギスは外に出て、紅茶を下から持ってくる。
 コタツに入り、二人は紅茶を楽しむ事にした。
 Tパックではなく、しっかりと葉から入れた紅茶だ。
 味わいが全然違かった。
「やっぱり紅茶は美味しいわね」
「そうですね」
 同意するエア。
 と、リベル・レギスの前に転がっている砂糖の本数を見る。
 三本、どうやらリベル・レギスは相当は甘党らしい。
「エアくんは砂糖いらないの?」
「いえ、私はストレートが好きなので」
「そう? ならいいけど」
 そう言ってリベル・レギスはカップを口に近づける。
 それに習って、エアも紅茶を楽しんだ。
 しばらく二人はどうでもいいような話をして会話を楽しんでいたが、ふとリベル・レギスが暗い顔をした。
 エアが慌てて聞く。
「どうしたんですか?」
「ちょっと、気になることがあって」
 言いにくい事なのか、リベル・レギスは顔をあげずに続ける。
「戟耶くんのこと」
「はぁ、戟耶さんのことがどうかしましたか?」
「うん、戟耶くん。一週間前まで続いた戦いで、随分がんばったでしょ?」
「はい、獅子奮迅とはあのようなことを言うのでしょうね」
「それでね、戟耶くん。皇技を四回使っちゃったでしょ?」
 それを聞いて、エアは彼女が言いたい事を理解した。
 さらにリベル・レギスは続ける。
「最初に界裂の皇技を一回、次に戮神の皇技を二回、最後にあなたの皇技を一回。全部で四回。戟耶くん、寿命が五分の一になっちゃってるのよね」
「そうですね」
「あと、何年生きられるのかな?」
 そう、リベル・レギスはそればかりを心配していた。
 せっかくこれから幸せになれるというのに、その幸せはどれほど残っているのだろうか。
 悲しそうな表情を浮かべるリベル・レギス。
 そんな彼女に、エアは言いにくそうに言った。
「今からする話は可能性の話です。根拠はありますが、絶対ではありません。いいですか」
「……はい」
「一億年前、私は剣崎戟耶薙風と呼ばれたスサノオノミコトと供に戦いました。そして、スサノオノミコトは皇技を四度まで使い、後の人生を英雄として生き続けました。死んだのは八十を過ぎてからでした」
「どういうこと? 寿命が五分の一になったんじゃなかったの?」
「これは確証のない仮説ですが、もしかしたら剣崎や戟耶や薙風の混血は、普通の人間よりも寿命が長いのかもしれません。戟耶さんがそうだといいのですが、さてどうでしょうか」
「絶対長生きするってわけじゃないのね?」
「はい、御三家の長い歴史でも混血が生まれた回数は十を超えず、優秀であるために戦場に駆り立てられ、皆早死にしたそうですから、参考例がないんです。これは、実際に供に生きて確かめるしかありません」
「そう……」
 悲しそうな、でもわずかにでも存在する希望のおかげでリベル・レギスの表情はそこまで深刻ではなくなっていた。
 顔をあげ、リベル・レギスは尋ねる。
「ところで、聞きたいんだけど。あなた、戟耶くんが死んだらどうするの?」
「どう、とは?」
「他に契約者を探すのかってこと、どうするつもり?」
「問いに問いで答えるのは失礼ですが、あなたはどうしたいのですか?」
「私は、もう私自身を必要としてくれない世界で生きるのには耐え切れない。これ以上、大切な人を失うのも。だから私は、戟耶くんが死んだら一緒に死ねるように信じることにしたわ。そうすれば、もう悲しいことなんてなくなるから。だから、戟耶くんには長生きして欲しい」
「なるほど、私もそう思います」
 頷き、エアは続ける。
「実は私もあなたと似たようなものです。私は本体である界裂を失い、龍裂というレプリカに憑依する存在です。龍裂はあくまで仮宿であり、こんなところに憑依していては私はその内自然の力に抗えなくなり、魂が天に帰してしまうでしょう。いえ、正確には消滅ですね。私の魂は輪廻の輪の中にあります。私はあくまで過去から再現された存在にすぎません、現世を離れれば消滅のみが待ちます」
「再現された存在って、みんなそういうものなの?」
「はい、あくまで再現されたレプリカですから。しかし、この世界においては本物と変わりありませんが。そんなわけで私は今、不安定な存在です。私が龍裂に紛いなりにも憑依できるのは界裂にいた時から契約している戟耶さんがいるからこそ。彼が死亡すれば、界裂という存在との最後の接点を失い、私は消滅します」
「それって……」
「死ぬときは三人一緒ということです。まぁ、できればあなたたち二人が供に天に召されるところに邪魔をしたくはないのですが、こういうわけですからご容赦いただきたい」
「あなた……なんで……」
 おどけて見せるエアに、リベル・レギスは言いにくそうに聞く。
「なんで……そんな不安定な存在なのに、戟耶くんが皇技を使うのを止めなかったの?」
「なんで、とは?」
「だって、戟耶くんが皇技を使えばそれだけあなたが生きられる時間も減る。それなのに、なんで……」
「この世界が好きだからです」
 言って、エアは窓の外を見る。
「一億年前、供に戦った男がそう言って戦っていました。私も同感でした。この命に代えても、この世界を守りたい。それだけの事です。生きられる時間が減るなど、大した問題ではありません」
「あなた、すごいわね。そんな自分以外のことを考えられるなんて」
「いえいえ、これは自分が好きでやっていることですので。戟耶さんが言っていたじゃないですか。人は自分しか救えない。私は自分を救うために、自己満足でやっているにすぎないんです」
「それでも、立派だと思うわ」
「そう言っていただければなによりです」
 答え、エアは満面の笑みを浮かべる。
 それは、今までリベル・レギスが見せてきた笑顔の中で一番気持ちいい表情だった。
 だから、リベル・レギスもエアに微笑み返していた。
 笑顔を交し合う二人。
 それからのお茶会は、実に楽しい時間となったのだった。







 コタツに入り、剣崎は将棋を指していた。
 思い切って角を動かすも、数手後には角は逃げ場を失い敵陣の中で孤立してしまった。
 そうこうしている内に、今度は王が逃げ場を失った。
 剣崎は両手をあげる。
「ダメだ、負けました」
「ありがとうございました」
 丁寧に頭を下げる燕雀。
 そう、二人は将棋をやっていた。
 場所はリベル・レギスの部屋のリビング。
 そこのコタツで、剣崎と燕雀は将棋を指していた。
 座ってはできないので、燕雀はコタツの上に乗って、短い手足で駒を動かしていた。
 しかし、燕雀は予想以上に強く、剣崎は一勝も出来ない。
 成績は零勝三敗だ。
 剣崎は大きくため息をついた。
「ふぅ、お前は猫のくせに強いんだな」
「そういうお前はもう少し定石を覚えた方がいい。陣形の崩し方を知らないと攻めあぐねることになるぞ。それと、詰め将棋とかも暇があったらやってみるといい」
「わかった、覚えておくよ」
 そう言って剣崎は駒を片付け始める。
 それを見て、燕雀はルビーの埋まった右目ではなく、残った左目で剣崎を見た。
「もう止めるのか?」
「あぁ、さすがにもう疲れたよ。将棋をやると頭が痛くなるな。楽しいのはいいんだが」
「なるほど、それはあるかもしれないな」
 そう言って、燕雀も片づけを手伝おうとした。
 が、剣崎はそれを手で制す。
「いいよ、オレが片付ける。猫の手はいらないよ」
「そうか」
 確かに、燕雀は猫であるため細かい作業ができない。
 大人しく、燕雀は剣崎が片付けるのを待つ。
 片付け終わり、剣崎は駒の箱を閉じた。
 そして、将棋盤を脇によけると、燕雀の顔を真っ直ぐ見つめた。
「それで、今日は何の用だ? お前の頼みどおり二人には上に行ってもらったぞ」
 二人とはもちろんエアとリベル・レギスのことだ。
 そう言ってくる剣崎に、燕雀は答えた。
「いや、とりあえずお前が息災かどうか見に来た。あれだけ暴れまわったのだ。どこか体調が悪くはないかと心配になってな」
「お前がオレの体調を気にするとは、そんなこともあるんだな」
「オレとて良心くらいはある、心配することがそんなに悪い事なのか?」
「いや、悪くは無い。心配してくれてありがとうな」
「まぁ、どういたしましてとでも言っておこうか」
 鼻を鳴らして言う燕雀。
 そんな燕雀に、剣崎は続けて言った。
「こっちとしてもちょうどよかったよ、お前に話があるんだ」
「ほぅ、話と。まぁ、こちらも話があったから来たわけだが」
 小さく咳払いし、燕雀は続ける。
「お前、カラスアゲハの娘を。なんて言ったか、確か沙耶か。沙耶をいまだに預かっていると聞いたが」
「あぁ、隣にあるリーさんの私室にあるベビーベッドで眠ってるよ」
 ちなみにリーさんとはリベル・レギスのことだ。
 アーデルハイトだからアーさんでリベル・レギスだからリーさん。
 剣崎のつける愛称はじつにわかりやすい。
 ちなみに初めてそういわれたリベル・レギスは、中国人みたいな愛称だと苦笑していた。
 燕雀は壁に目をやった。
「ほぅ、この壁の向こうか」
「それで、沙耶がどうかしたのか?」
「あぁ、そうそう。その沙耶のことだが。彼女、両親がいないのだろう?」
「そうだ、二人ともオレが殺したからな」
 表情が少し暗くなる。
 そんな剣崎に、燕雀は続ける。
「まぁ、お前が殺したとかはどうでもいい。よくはないがこの際、気にするな。大切なのは、だ。彼女には今、両親がいないということだ」
「確かに、いないな」
「そこでだ、彼女が孤児院などの世話にならないで住むように、今日はオレが彼女を引き取りに来たんだ」
「彼女を、引き取る?」
「あぁ、見ての通りオレは猫だが、それなりに蓄えもある。彼女にひもじい思いをさせずにはすむはずだ。それに、彼女に家族が一人もいないというのは可哀そう過ぎる。幸い、彼女の面倒を見てくれる人間に一人心当たりもある、どうだ?」
「そのことなんだがな」
 聞いてくる燕雀に、剣崎が言いにくそうに言った。
「燕雀、あんたに頼みがある」
「何だ?」
「知ってるかどうか知らないが、オレは子供が産めない身体だ。リーさんも精霊だから子供が産めない。オレたち夫婦は子供が産めないんだ」
 少しだけ悲しそうに、剣崎は続ける。
「そこで、ジェ・ルージュに頼んだんだ。沙耶を引き取らせて欲しいって。オレたち夫婦の養子に迎えさせて欲しいって。そしたら二つ返事で承諾してくれたよ、条件付で」
「条件?」
「よくわからないけど、あんたに了解を得たならいいって言われたよ。心当たりは?」
「ないな。いや、なくはないか。ジェ・ルージュはよく私を軍師呼ばわりして知恵を貸せと言ってくる。恐らく、私が承諾するなら問題はないと思ったのだろう」
「それで、どうだ。ダメか?」
「構わない、むしろそちらの方がいいかもしれない。あの子も猫などに育てられるよりは自分のことを娘だと思ってくれる人間に育てられた方が幸せだろう。あぁ、きっとそうだろう。だが……」
 覗きこむように、燕雀は剣崎の顔を見る。
「いいのか? お前はあの子の両親を殺している。それが知れたら、あの子はお前を恨むかもしれないぞ?」
「あぁ、百も承知だ。それどころか、オレは彼女が大人になったらそれを伝えようと思っている」
「なぜ、わざわざ」
「それがオレの罪だからだ。それを隠して生きるつもりは無い。沙耶がそれでオレをどうにかしようとするんだったら、それはオレにとってふさわしい罰なんだ。きっとそうさ」
「本当にそうか?」
「少なくともオレはそう思う。それに、そうすればオレが殺した二人も、オレのことを少しは許してくれるかもしれない」
「沙耶を引き取るのは贖罪のためか?」
「オレの幸せのため、子供と供に生きる幸せのためさ。子供がいたほうがリーさんも喜ぶだろうし、家族が多ければオレも嬉しい。贖罪はついでみたいなもんだ」
「なるほどな、ならいいだろう」
 燕雀は小さく頷いて見せた。
「だが、お前は間違っているぞ。お前が沙耶を無事に育てたとして、彼女の両親はお前を決して許さないだろう」
「やっぱそうか?」
「そうだとも、お前は二人を殺した。二人は永遠にお前を恨み続ける。だが……」
 言葉を切り、続ける。
「お前を決して許さないと同時に、お前に感謝するだろう。沙耶を無事に育ててくれたことを。お前は永遠に二人から、憎悪と感謝を受けながら生きていく事になる。どちらかが消える事は永遠にない」
「そうなのか?」
「少なくとも、オレはそう考えいる」
「そうか、そうかもしれないな」
 そう言って、剣崎は苦笑して見せた。
 そんな剣崎に、燕雀は微笑みかける。
「だが、なるほど。沙耶を引き取るか。それはお前にとって運命を感じる出来事ではあるな」
「運命?」
「そうだとも、お前はようやく帰る場所を手に入れたというわけだ」
「帰る場所?」
「わからないか、お前は剣だろう? 剣は鞘(・)に戻るものだ。お前は彼女を手に入れたことで、ようやく帰る場所を見つけたのだ。そこはお前が、もっとも落ち着ける場所だろう。抜き身の剣は人を傷つける。鞘はそれを防いでくれる」
「なるほど、そうかもしれないな」
「そうだとも。あぁ、そうだとも。生きるのに疲れたら沙耶に癒してもらうといい。もし、お前が愛を注いで育てれば、真実を知ったとしても彼女はお前の元を離れないだろう」
「許してくれるっていうのか?」
「許すわけが無い、お前に対する憎悪を抱きながら、きっとそれ以上の愛情でお前の元を離れないだろう」
「それは予言?」
「もうできない、予想だ。現実になるといいのだがな」
 そう言うと、燕雀はコタツから飛び降りた。
 そのまま出口に歩いていこうとする。
 尻尾を振って歩く燕雀に、剣崎は声をかけた。
「帰るのか?」
「あぁ、邪魔をしたな。将棋、楽しかったぞ」
 言って出て行こうとする燕雀。
 剣崎は口を開いた。
「また、会えるか?」
 ゆっくりと振り返る。
 少しだけ考えたあと、燕雀は言った。
「恐らく、オレとお前は二度と会わないのがお互いにとっての幸せなのだろう。二度と会うことはないと言いたいことだが、本当にそうなるかどうかわからないな。時が来ればまた、とだけ言っておこう」
 そう言って正面を向き直ると、頭で扉を押して部屋から出て行ってしまった。
 と、沙耶のなき声が聞こえた。
 お腹が減っているのか、おむつを汚してしまったか、それとも誰もいなくて寂しいからか。
 剣崎はコタツから立ち上がった。
 そうだ、自分には今、沙耶がいる。
 自分が帰りつくべき存在が、そこにいる。
 これからは二人の人間のために生きよう。
 剣崎は、リベル・レギスと沙耶の二人を幸せになってもらうために。
 そして、自分自身が幸せになるために。
 そのためには、まず沙耶を泣き止ませないといけない。
 そう考え、剣崎は沙耶の待つリベル・レギスの私室へと向かうのであった。





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